R.I.P.ポール”ギャングスター・リッド”デヴォー
2020年12月7日 音楽 アメリカ領サモア系兄弟たちによりカリフォルニア州カーソンで組まれた重量級ヒップホップ・グループの、ブーヤ・トライヴのポール・ギャングスター・リッドの訃報が届いている。享年、52。新型コロナ・ウィルス感染が死因という。今回知ったが、兄のテッドも2018年に55歳で亡くなった。
当初アイランド傘下のフォース&ブロードウェイから送り出され、日本では小錦関(2008年12月12日)の親戚がいるというセールス・ポイントとともに紹介され、何度か来日している。ぼくも確か1990年代初頭にインタヴューしたことがあって、いかつい体つきの連中だったけど、それは外見だけでほのぼのと取材は進んだ記憶がある。あの頃はまだラップの担い手というとアフリカ系が主で、チカーノやラティーノの担い手があまり紹介されていないなか、彼らは堂々シーンに飛び出していた。
意外なところで(でもないか)は、フェイス・ノー・モアで絡んだこともあったらしく、マイク・パットン(2005年9月5日)もフェイスブックで彼の写真とともに、簡素ながら愛ある追悼コメントを出した。
▶︎過去の、KONISHIKI
https://43142.diarynote.jp/200812281438093880/
▶︎過去の、マイク・パットン/ファントマズ
https://43142.diarynote.jp/200509061252060000/
<今日の、認知>
今年は衣服の類をほぼ購入していないんじゃないか。と、ふと気づく。外に出る機会が激減、服や装飾品を買いたいぞという欲求を覚えていないんだろうな。取材も、外に出ずにすむリモートという手段が出たし。先週は、最新EP『2099』を出した在ニューヨークのBIG YUKI(2016年11月20日、2019年1月19日、2019年7月24日)にズームで取材。また、日経新聞からのぼくへのコメント取りもズームでなされた。BIG YUKIはこんなおりストレスのかからない内容にしたかったそうだが、なるほど働きかけ度を導く肉声も目立つ、グルーヴィで明快ないい出来だ。話は弾んだが、彼ってよく通る声をしているんだなー。ロックダウン直前まで、彼はカマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年9月2日)のツアーにキーボード奏者として参加していたんだとか。インタヴューを終えて、在NYのブレインフィーダーなるもののクリエイターとしての、彼の伸長を期待したくなった。
▶︎過去の、BIGYUKI
https://43142.diarynote.jp/201611211717002386/
https://43142.diarynote.jp/201901221615346185/
https://43142.diarynote.jp/201907250901144536/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
当初アイランド傘下のフォース&ブロードウェイから送り出され、日本では小錦関(2008年12月12日)の親戚がいるというセールス・ポイントとともに紹介され、何度か来日している。ぼくも確か1990年代初頭にインタヴューしたことがあって、いかつい体つきの連中だったけど、それは外見だけでほのぼのと取材は進んだ記憶がある。あの頃はまだラップの担い手というとアフリカ系が主で、チカーノやラティーノの担い手があまり紹介されていないなか、彼らは堂々シーンに飛び出していた。
意外なところで(でもないか)は、フェイス・ノー・モアで絡んだこともあったらしく、マイク・パットン(2005年9月5日)もフェイスブックで彼の写真とともに、簡素ながら愛ある追悼コメントを出した。
▶︎過去の、KONISHIKI
https://43142.diarynote.jp/200812281438093880/
▶︎過去の、マイク・パットン/ファントマズ
https://43142.diarynote.jp/200509061252060000/
<今日の、認知>
今年は衣服の類をほぼ購入していないんじゃないか。と、ふと気づく。外に出る機会が激減、服や装飾品を買いたいぞという欲求を覚えていないんだろうな。取材も、外に出ずにすむリモートという手段が出たし。先週は、最新EP『2099』を出した在ニューヨークのBIG YUKI(2016年11月20日、2019年1月19日、2019年7月24日)にズームで取材。また、日経新聞からのぼくへのコメント取りもズームでなされた。BIG YUKIはこんなおりストレスのかからない内容にしたかったそうだが、なるほど働きかけ度を導く肉声も目立つ、グルーヴィで明快ないい出来だ。話は弾んだが、彼ってよく通る声をしているんだなー。ロックダウン直前まで、彼はカマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年9月2日)のツアーにキーボード奏者として参加していたんだとか。インタヴューを終えて、在NYのブレインフィーダーなるもののクリエイターとしての、彼の伸長を期待したくなった。
▶︎過去の、BIGYUKI
https://43142.diarynote.jp/201611211717002386/
https://43142.diarynote.jp/201901221615346185/
https://43142.diarynote.jp/201907250901144536/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
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R.I.P.ハロルド・バッド(1936年5月24日〜2020年12月8日)
2020年12月10日 音楽 現代音楽/アンビエント・ミュージックの作曲家であり、ピアノなども演奏したハロルド・バッドが、Covid-19による合併症のために亡くなった。
82歳であったのか。大学での教鞭色など1960年代からアカデミックな活動をしていたようだが、ぼくは彼がブライアン・イーノのオブスキュア・レーベルから紹介された1980年前後に彼のことを知ったので、イーノと同年代かと思っていた。音響や反復の酩酊感などにも自覚的であった彼は、XTCのアンディ・パートリッジ、コクトー・トゥインズのロビン・ガスリー(2013年1月16日)、ダニエル・ラノワ(2012年1月16日、2013年7月31日、他)、ウルトラボックスにいたジョン・フォックス、PILにいたジョー・ウォブル(別のところに書いた原稿でふれたため当ブログには触れてないけど、2012年のフジ・ロックで彼を見たな)など、ポップ・ミュージック側にいる人たちと絡みもした。
▶︎過去の、ロビン・ガスリー
https://43142.diarynote.jp/201301211104381751/
▶︎過去の、ダニエル・ラノワ
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
https://43142.diarynote.jp/201308061328468695/
<今日の、各様>
母親の将来を見越し、荻窪の病院にあるホスピスの面談を午前中にする。こういう場合は、ピアスを外しますね。入るときの検温は、34度代。それは、一緒に行った姉も同じだった。しかし、行き帰りに寒さを感じたなー。まだまだ序の口、この冬を乗り切る自信がありまっしぇーん。。帰りに、天ぷらを食べる。1ヶ月ほど前に久しぶりに天ぷら屋に入り、家で一番食べにくい〜作っても、お店とおいしさに落差がある最たる食べ物〜との話をしたが、本当にそう思うなー。なんか、外で食事をする際、天ぷらモードが続くかもしれない。つけていたマスクを挟む紙片をオーダーを取る際に渡してくれて、そのサーヴィスにはおおいに頷いた。
82歳であったのか。大学での教鞭色など1960年代からアカデミックな活動をしていたようだが、ぼくは彼がブライアン・イーノのオブスキュア・レーベルから紹介された1980年前後に彼のことを知ったので、イーノと同年代かと思っていた。音響や反復の酩酊感などにも自覚的であった彼は、XTCのアンディ・パートリッジ、コクトー・トゥインズのロビン・ガスリー(2013年1月16日)、ダニエル・ラノワ(2012年1月16日、2013年7月31日、他)、ウルトラボックスにいたジョン・フォックス、PILにいたジョー・ウォブル(別のところに書いた原稿でふれたため当ブログには触れてないけど、2012年のフジ・ロックで彼を見たな)など、ポップ・ミュージック側にいる人たちと絡みもした。
▶︎過去の、ロビン・ガスリー
https://43142.diarynote.jp/201301211104381751/
▶︎過去の、ダニエル・ラノワ
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
https://43142.diarynote.jp/201308061328468695/
<今日の、各様>
母親の将来を見越し、荻窪の病院にあるホスピスの面談を午前中にする。こういう場合は、ピアスを外しますね。入るときの検温は、34度代。それは、一緒に行った姉も同じだった。しかし、行き帰りに寒さを感じたなー。まだまだ序の口、この冬を乗り切る自信がありまっしぇーん。。帰りに、天ぷらを食べる。1ヶ月ほど前に久しぶりに天ぷら屋に入り、家で一番食べにくい〜作っても、お店とおいしさに落差がある最たる食べ物〜との話をしたが、本当にそう思うなー。なんか、外で食事をする際、天ぷらモードが続くかもしれない。つけていたマスクを挟む紙片をオーダーを取る際に渡してくれて、そのサーヴィスにはおおいに頷いた。
R.I.P.スタンリー・カウエル(1941年5月5日〜2020年12月17日)
2020年12月19日 音楽 トランペッターのチャールズ・トリヴァーと作ったインディ“ストラタ・イースト”(ちゃんと日本盤が出ていた時期もありました)のアルバムを、急にトランク・ルームから引っ張り出したくなったりして……。
ジャズ・ピアニストのスタンリー・カウエル(2012年3月17日)がお亡くなりになった。オハイオ州に生まれ、ニューヨークを経て引っ越したデラウェア州で死す。なんか難しい名前の病気が死因として出されいる。大家マックス・ローチ他に仕えたあと、1960年代末から意気や視点を持つリーダー・アルバムをいろいろとリリース。やはり、フリー・ジャズ発想を核に置きつつ、いろんな事象とつながろうとした1970年代の活動は印象に残る。
きっちり音楽教育を受けた人物で、大学で教鞭を執っていたこともある。嫌煙家でタバコの煙がいやでライヴの場を快く思わず、それが音楽教育に向かわせたという話もある。アルバムは随時出していて、フリーダム、ストラタ・イースト、ECM、ギャラクシー、トマト、ディウ、コンコード・ジャズなどいろんなレーベル、さらに1990年前後以降は15作ほどデンマークのスティープル・チェイスからリーダー作をリリースした。
最終作は、同社発の2019年ザ・キーストン・コーナー・ボルティモアでのライヴ盤。その前作のスタジオ録音作『No Illusions』(Steeple Chase、2017年)は基本アルト・サックス入りのカルテット(リズム隊はレギュラーの、ジェイ・アンダーソンとブルース・ウィリアムズ)でことにあたるが、彼はそこでリズム・プログラムも自らしたり、キーボードをギターっぽく用いたりカリンバも興味深く使う曲もある。などなど、澄んだジャズ感覚と新しい音色やビートに対する興味が交錯する好盤で、まだまだ伸びしろのあったヴェテランであったとぼくは思っている。1度だけでも彼の実演を見ることができて、本当に良かった。
▶︎過去の、スタンリー・カウエル
https://43142.diarynote.jp/201203182145086051/
<今日の、イヴェント>
終了〜。つつがなく終え、なんか今年最後の課題をこなした気分? 限られた親族で、母親の米寿のお祝い食事会をする。本当の誕生日は来年だが、母親が今年中にやりたいとのことで、この日になった。感染患者が増えているので延期にするとか今週半ばに母は聞いてもきたが、来年どうなっているか分からないし、倍の定員の個室を予約しており、気を使いつつやってしまおうということに。何もプレゼントは持ってこないでとの電話を母から複数回受けたものの、花束を買っていったらうれしそうでそれは良かった。お店のほうから、金色のちゃんちゃこを撮影用に出されたが、米寿のカラーが黄色だとは知らなかった。
クリスマス・カードの類が届いており、いよいよ師走を感じている。
ジャズ・ピアニストのスタンリー・カウエル(2012年3月17日)がお亡くなりになった。オハイオ州に生まれ、ニューヨークを経て引っ越したデラウェア州で死す。なんか難しい名前の病気が死因として出されいる。大家マックス・ローチ他に仕えたあと、1960年代末から意気や視点を持つリーダー・アルバムをいろいろとリリース。やはり、フリー・ジャズ発想を核に置きつつ、いろんな事象とつながろうとした1970年代の活動は印象に残る。
きっちり音楽教育を受けた人物で、大学で教鞭を執っていたこともある。嫌煙家でタバコの煙がいやでライヴの場を快く思わず、それが音楽教育に向かわせたという話もある。アルバムは随時出していて、フリーダム、ストラタ・イースト、ECM、ギャラクシー、トマト、ディウ、コンコード・ジャズなどいろんなレーベル、さらに1990年前後以降は15作ほどデンマークのスティープル・チェイスからリーダー作をリリースした。
最終作は、同社発の2019年ザ・キーストン・コーナー・ボルティモアでのライヴ盤。その前作のスタジオ録音作『No Illusions』(Steeple Chase、2017年)は基本アルト・サックス入りのカルテット(リズム隊はレギュラーの、ジェイ・アンダーソンとブルース・ウィリアムズ)でことにあたるが、彼はそこでリズム・プログラムも自らしたり、キーボードをギターっぽく用いたりカリンバも興味深く使う曲もある。などなど、澄んだジャズ感覚と新しい音色やビートに対する興味が交錯する好盤で、まだまだ伸びしろのあったヴェテランであったとぼくは思っている。1度だけでも彼の実演を見ることができて、本当に良かった。
▶︎過去の、スタンリー・カウエル
https://43142.diarynote.jp/201203182145086051/
<今日の、イヴェント>
終了〜。つつがなく終え、なんか今年最後の課題をこなした気分? 限られた親族で、母親の米寿のお祝い食事会をする。本当の誕生日は来年だが、母親が今年中にやりたいとのことで、この日になった。感染患者が増えているので延期にするとか今週半ばに母は聞いてもきたが、来年どうなっているか分からないし、倍の定員の個室を予約しており、気を使いつつやってしまおうということに。何もプレゼントは持ってこないでとの電話を母から複数回受けたものの、花束を買っていったらうれしそうでそれは良かった。お店のほうから、金色のちゃんちゃこを撮影用に出されたが、米寿のカラーが黄色だとは知らなかった。
クリスマス・カードの類が届いており、いよいよ師走を感じている。
本意ではないながら、PCR検査を受けました。
2020年12月24日 音楽 12月21日午後に、中野富士見駅にあるキリスト教系病院から電話が入る。それ、先週15日に母親の将来のホスピス入所を見越して面談に行ったところ。11日にも、別な病院のホスピス面談をしている。それも、キリスト教系。ホスピスを持つ病院って、それ系が多いのだろうか。ともに、ケア付き高齢者用住居に住んでいる母は同行していない。この件については年子の姉主導で動いているが、母がかかっている別の病院の医者の勧めによる。ホスピスはいつも満床なので、事前に複数のところに登録するのが普通なことらしい。
「当院でコロナ患者が出まして、世田谷保健所から連絡が行くと思います」というのが、その病院からの電話の内容。わあ。その1時間強後、今度は杉並保健所から電話。15日にぼくたちに対応した医者がコロナにかかり、濃厚接触者とはならないものの20分以上お話しているので、PCR検査が必要になるとのこと。これから世田谷保健所にデーターが回され、改めて世田谷保健所から連絡が行きますと伝えられる。
肝心の世田谷保健所からは、翌22日の19時半過ぎに電話がある。そして、23日に三軒茶屋の施設でPCR検査を受けることとなった。←強制ではないんですけどと言われたものの(ソレデイイノダロウカ?)、普通は受けるよな。万が一のことを考え、とにかく周りに迷惑をかけることはしたくない。電話で、ぼくが病院の後にどう行動し、誰と会ったかとかは一切聞かれず。おそらく、陽性が確認された時点で尋ねられるとは思うが。予約制で混雑していないとのことだし、検査会場が近めなのは良かった。
保健所からの電話(優しい声の若い女性でした)では、公共交通は使わずに、自転車かタクシーで向かってくださいと言われた。タクシーの運転手、大変だなあ。とともに、感染者が乗車した後のタクシーは危険ではないのかという思いも頭に浮かぶ。客を乗せるごとに換気はともかく、消毒はしていないのではないか。当日、お日様燦燦な昼下がりであったので、散歩がてら30分強歩いて検査の場に向かった。
建物は大きくて、すぐに分かった。予約時間の4分前に到着した。そして、重装備気味の受付の人がいて、名前を伝える。待合室には、15人ほどどよーんといる。これは少し待たされるかと思ったら、すぐに受付番号を呼ばれて奥の個室(いくつかあったはず)で鼻に綿棒を差し込まれて、あっけなく終了。1分もかからなかった。料金は只だそう。気が楽になった帰り道は、全然寒くないし来た道とは別の大回りルートを通る。へえ、こんなところに銀杏並木があるのかとか、目新しい発見ばかり。なにげに楽しかった。これで、後日陽性が伝えられたら、けっこうるんるんだったあの日の帰り道を細い目をしながら思い出すのだろうか。と、ふと思った。はは。
なお、以上の検査状況は、世田谷区の場合。一緒に面談に行った姉にその件を伝えると、小平市は接触者には検査キットが送られ(到着は数日後らしい)、それを決められた場所に持ってくることを求められるという。しかも、持参可能なのが、月、水、金の9時半〜10時半という“殿様”仕様の時間設定なのだとか。こりゃ、ばっくれる人が出てきても不思議はない。夏に区長が独自にPCR検査をしやすくするとぶち上げたことがあったが(https://43142.diarynote.jp/?day=20200805)、これについては世田谷区は恵まれているのかもしれない。
24日11時すぎに世田谷保健所から電話があり、陰性であることが告げられる。人より新型コロナ・ウィルス感染回避には気を使ってきたつもりだし、具合も普通だし、平気だろうとは思っていたが、さすがに安堵を覚える。15日にはホスピス面談の後、プロ45周年記念のアルバム『Waves』(シンコー・ミュージック)を出す是方博邦(2009年5月19日 )さんにインタヴュー(1月9日、毎日新聞夕刊に記事が出ます)しているので、余計に胸をなでおろす。しかし、PCR検査は完全ではないので、29日までは要観察期間となり不要の外出を控えてください。との、こと。これで、年末は死んだふり。なんてこったい。生まれてこのかた、こんな地味な師走は初めてだーー。でも、新たな心持ち、状況を経験できるとポジティヴに捉えよう。お酒にも飲まれず、確実な感染防止にもなるし。そんなわけなので、もうぽんぽん原稿を出している。身に覚えのある編集者さん、そーゆーことなんです。みんな、いいクリスマスになりますように。
▶︎過去の、是方博邦
https://43142.diarynote.jp/200905221026266042/
https://43142.diarynote.jp/201204150902353350/
「当院でコロナ患者が出まして、世田谷保健所から連絡が行くと思います」というのが、その病院からの電話の内容。わあ。その1時間強後、今度は杉並保健所から電話。15日にぼくたちに対応した医者がコロナにかかり、濃厚接触者とはならないものの20分以上お話しているので、PCR検査が必要になるとのこと。これから世田谷保健所にデーターが回され、改めて世田谷保健所から連絡が行きますと伝えられる。
肝心の世田谷保健所からは、翌22日の19時半過ぎに電話がある。そして、23日に三軒茶屋の施設でPCR検査を受けることとなった。←強制ではないんですけどと言われたものの(ソレデイイノダロウカ?)、普通は受けるよな。万が一のことを考え、とにかく周りに迷惑をかけることはしたくない。電話で、ぼくが病院の後にどう行動し、誰と会ったかとかは一切聞かれず。おそらく、陽性が確認された時点で尋ねられるとは思うが。予約制で混雑していないとのことだし、検査会場が近めなのは良かった。
保健所からの電話(優しい声の若い女性でした)では、公共交通は使わずに、自転車かタクシーで向かってくださいと言われた。タクシーの運転手、大変だなあ。とともに、感染者が乗車した後のタクシーは危険ではないのかという思いも頭に浮かぶ。客を乗せるごとに換気はともかく、消毒はしていないのではないか。当日、お日様燦燦な昼下がりであったので、散歩がてら30分強歩いて検査の場に向かった。
建物は大きくて、すぐに分かった。予約時間の4分前に到着した。そして、重装備気味の受付の人がいて、名前を伝える。待合室には、15人ほどどよーんといる。これは少し待たされるかと思ったら、すぐに受付番号を呼ばれて奥の個室(いくつかあったはず)で鼻に綿棒を差し込まれて、あっけなく終了。1分もかからなかった。料金は只だそう。気が楽になった帰り道は、全然寒くないし来た道とは別の大回りルートを通る。へえ、こんなところに銀杏並木があるのかとか、目新しい発見ばかり。なにげに楽しかった。これで、後日陽性が伝えられたら、けっこうるんるんだったあの日の帰り道を細い目をしながら思い出すのだろうか。と、ふと思った。はは。
なお、以上の検査状況は、世田谷区の場合。一緒に面談に行った姉にその件を伝えると、小平市は接触者には検査キットが送られ(到着は数日後らしい)、それを決められた場所に持ってくることを求められるという。しかも、持参可能なのが、月、水、金の9時半〜10時半という“殿様”仕様の時間設定なのだとか。こりゃ、ばっくれる人が出てきても不思議はない。夏に区長が独自にPCR検査をしやすくするとぶち上げたことがあったが(https://43142.diarynote.jp/?day=20200805)、これについては世田谷区は恵まれているのかもしれない。
24日11時すぎに世田谷保健所から電話があり、陰性であることが告げられる。人より新型コロナ・ウィルス感染回避には気を使ってきたつもりだし、具合も普通だし、平気だろうとは思っていたが、さすがに安堵を覚える。15日にはホスピス面談の後、プロ45周年記念のアルバム『Waves』(シンコー・ミュージック)を出す是方博邦(2009年5月19日 )さんにインタヴュー(1月9日、毎日新聞夕刊に記事が出ます)しているので、余計に胸をなでおろす。しかし、PCR検査は完全ではないので、29日までは要観察期間となり不要の外出を控えてください。との、こと。これで、年末は死んだふり。なんてこったい。生まれてこのかた、こんな地味な師走は初めてだーー。でも、新たな心持ち、状況を経験できるとポジティヴに捉えよう。お酒にも飲まれず、確実な感染防止にもなるし。そんなわけなので、もうぽんぽん原稿を出している。身に覚えのある編集者さん、そーゆーことなんです。みんな、いいクリスマスになりますように。
▶︎過去の、是方博邦
https://43142.diarynote.jp/200905221026266042/
https://43142.diarynote.jp/201204150902353350/
R.I.P.レスリー・ウェスト(1945年10月22日〜2020年12月23日)
2020年12月25日 音楽 1970年代頭にかなりの人気を博したハード・ロック・トリオである、マウンテンのフロントに立ったギタリスト/シンガーのレズリー・ウェストがお亡くなりになった。当時、なかなかの顔役でザ・フー(2008年11月17日)やミック・ジャガーやキース・リチャーズらと絡んだこともあった。生まれ、拠点にしたのはニューヨークだったが、いつ頃からか自動車レースで知られるマイアミ州デイトナビーチに住んでいたようだ。数日前に心臓発作を起こし、心停止したという。レスリー・ウェストというと真っ先に思い浮かぶのは、太っちょ。ということ。その風体のもと豪快なハード・ロックを聞かせたが、一方で「テーマ・フォー・アン・イマジナリー・ウェスタン」のような美曲をやったりもしたよな。
そのマウンテンのプロデューサーでありベーシストは、ウェストとヴォーカルを分け合ったフェリックス・パパラルディ(先の「テーマ・フォー〜」は彼が歌っているのかな?)。大学でクラシック教育を受けた彼はマウンテン結成以前に、ヤング・ブラッズやクリームをプロデュースしたりして、名のある人物だった。竹田和夫のクリエイションが、彼にプロデュースしてもらったときは驚いた。ウェストの訃報に接し、パパラルディはすでに亡くなっているよなと思ったら、1983年4月没。そんな大昔であったのか。ちょうど、ぼくが就職したときだ。クリームの曲「ストレンジ・ブルー」にクレジットを残した奥さんのゲイル・コリンズ・パパラルディに射殺されてしまったのか……。マウンテンにも歌詞を提供したゲイル・コリンズは、2013年にメキシコのリゾート地で癌治療中に亡くなった。
レスリー・ウェストは、2000年代に入るとオランダの著名ブルース・ロック・レーベルであるプロヴォーグから4作品を発表。2011年には糖尿病で右下肢の切断もしいられた。近作となる2015年作『Soundcheck』にはクリームもカヴァーしたウィリー・ディクソンの「スプーンフル」を取り上げていて、そこには前年に亡くなった旧知のジャック・ブルース(2008年12月16日)をフィーチャー。そのアルバム、ザ・ビートルズの「エリナー・リグビー」を1人ギターで弾いたり、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をしんみり歌ったりもしている。先に触れた、「テーマ・フォー〜」はジャック・ブルースの1969年曲だ。ウェストが1960年代半ばに組んでいたザ・ヴェイグランツは著名コンピレーション『Nuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era 1965-1968』(Elektra 、1972年)に曲が入っているが、それはオーティス・レディング「リスペクト」のカヴァーだった。
▶︎過去の、フェリックス・キャヴァリエ/ヤング・ラスカルズ
http://43142.diarynote.jp/201009171756396188/
https://43142.diarynote.jp/201608020802517108/
▶過去の、ジャック・ブルース
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
▶︎過去の、ザ・フー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
▶︎過去の、ストーンズ関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)、15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/
<今日の、1枚>
ディスク・レヴューを頼まれた、ディズニー映画『ソウルフルワールド』のサウンドトラックを聞いている。その柱となる音楽提供者はトレント・レズナーと英国人アッティカス・ロスのナイン・インチ・ネイルズ(2000年1月11日、2005年8月13日)組と、ニューオーリンズ出身で在NYのピアニスト/シンガー/プロデューサーであるジョン・バティステ(2010年6月13日)。レズナーとロスはいろいろと映画音楽に絡んでいるが、ディスニー映画にも関わっていたのか。そちらは、アンビエント&淡いピコピコ系の音の波と形容したくなるもの。一方、ここ10年で活動範囲をぐわーんと広げている曲者バティステのほうはジャズの語彙を使い、多様に迫る。本人が歌うザ・インプレッションズ曲「イッツ・オールライト」のカヴァーもある。また、コディ・チェスナット(2013年10月24日)による生ギター弾き語り曲も同作には収録されている。今年、バティステはヴルフペックの刻み大王ギタリストのコリン・ウォンとの連名作『Meditations』を出した。ウォンの自主リリースとなる同作は、バティステの静謐なアコースティック・ピアノ演奏が聞けるアルバムで、音大出のコリン・ウォンは漂う最小限のギター音を提供している。やっぱり、2人とも素敵にとらえどころがない。
▶︎過去の、ナイン・インチ・ネイルズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
https://43142.diarynote.jp/200508152007550000/
▶︎過去の、ジョン・バティステ
https://43142.diarynote.jp/201006181521416566/
▶︎過去の、コディ・チェスナット
https://43142.diarynote.jp/201310250811154883/
そのマウンテンのプロデューサーでありベーシストは、ウェストとヴォーカルを分け合ったフェリックス・パパラルディ(先の「テーマ・フォー〜」は彼が歌っているのかな?)。大学でクラシック教育を受けた彼はマウンテン結成以前に、ヤング・ブラッズやクリームをプロデュースしたりして、名のある人物だった。竹田和夫のクリエイションが、彼にプロデュースしてもらったときは驚いた。ウェストの訃報に接し、パパラルディはすでに亡くなっているよなと思ったら、1983年4月没。そんな大昔であったのか。ちょうど、ぼくが就職したときだ。クリームの曲「ストレンジ・ブルー」にクレジットを残した奥さんのゲイル・コリンズ・パパラルディに射殺されてしまったのか……。マウンテンにも歌詞を提供したゲイル・コリンズは、2013年にメキシコのリゾート地で癌治療中に亡くなった。
レスリー・ウェストは、2000年代に入るとオランダの著名ブルース・ロック・レーベルであるプロヴォーグから4作品を発表。2011年には糖尿病で右下肢の切断もしいられた。近作となる2015年作『Soundcheck』にはクリームもカヴァーしたウィリー・ディクソンの「スプーンフル」を取り上げていて、そこには前年に亡くなった旧知のジャック・ブルース(2008年12月16日)をフィーチャー。そのアルバム、ザ・ビートルズの「エリナー・リグビー」を1人ギターで弾いたり、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をしんみり歌ったりもしている。先に触れた、「テーマ・フォー〜」はジャック・ブルースの1969年曲だ。ウェストが1960年代半ばに組んでいたザ・ヴェイグランツは著名コンピレーション『Nuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era 1965-1968』(Elektra 、1972年)に曲が入っているが、それはオーティス・レディング「リスペクト」のカヴァーだった。
▶︎過去の、フェリックス・キャヴァリエ/ヤング・ラスカルズ
http://43142.diarynote.jp/201009171756396188/
https://43142.diarynote.jp/201608020802517108/
▶過去の、ジャック・ブルース
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
▶︎過去の、ザ・フー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
▶︎過去の、ストーンズ関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)、15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/
<今日の、1枚>
ディスク・レヴューを頼まれた、ディズニー映画『ソウルフルワールド』のサウンドトラックを聞いている。その柱となる音楽提供者はトレント・レズナーと英国人アッティカス・ロスのナイン・インチ・ネイルズ(2000年1月11日、2005年8月13日)組と、ニューオーリンズ出身で在NYのピアニスト/シンガー/プロデューサーであるジョン・バティステ(2010年6月13日)。レズナーとロスはいろいろと映画音楽に絡んでいるが、ディスニー映画にも関わっていたのか。そちらは、アンビエント&淡いピコピコ系の音の波と形容したくなるもの。一方、ここ10年で活動範囲をぐわーんと広げている曲者バティステのほうはジャズの語彙を使い、多様に迫る。本人が歌うザ・インプレッションズ曲「イッツ・オールライト」のカヴァーもある。また、コディ・チェスナット(2013年10月24日)による生ギター弾き語り曲も同作には収録されている。今年、バティステはヴルフペックの刻み大王ギタリストのコリン・ウォンとの連名作『Meditations』を出した。ウォンの自主リリースとなる同作は、バティステの静謐なアコースティック・ピアノ演奏が聞けるアルバムで、音大出のコリン・ウォンは漂う最小限のギター音を提供している。やっぱり、2人とも素敵にとらえどころがない。
▶︎過去の、ナイン・インチ・ネイルズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
https://43142.diarynote.jp/200508152007550000/
▶︎過去の、ジョン・バティステ
https://43142.diarynote.jp/201006181521416566/
▶︎過去の、コディ・チェスナット
https://43142.diarynote.jp/201310250811154883/
今年最後に触れる訃報
2020年12月30日 音楽 まず、ジャイヴ・レコード初期の代表ラップ・チームであるフーディーニの中心人物であったジョン“エクスタシー”フレッチャーがお亡くなりになった。12月23日に56歳で、アトランタで死去。“剛”のラン・D.M.C.(2000年7月29日)、“愛想のいいフーディーニ”なんでも言われた在ニューヨークの連中で、うまくシンセサイザーを使ったトラックを用いていた。その1983年セルフ・タイトルのデビュー作にはクラフトワーク(2002年12月13日)他のプロデュースで知られるドイツ人大制作者のコニー・プランク(1940〜87年)が関わった曲も2曲(「Nasty Lady」と「Rap Machine」)入っていた。同作には、トーマス・ドルビー(2012年2月18日)制作曲も2つ収められた。基本2MC1DJのチームだったが、フィレッチャーは一番格好が良かった。かつてそのグループ名はハンガリー出身の稀代の奇術師であるハリー・フーディーニから取られたと言われたりもしたが、ハリーさんの方のスペルはHoudiniで、彼らはWhodini。スウェーデンのアウトドア衣料メイカーは前者と同じ綴りですね。
▶過去の、ランDMC
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
▶︎過去の、クラフトワーク 13日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
https://43142.diarynote.jp/202005070812126303/ メンバーの訃報
▶︎過去の、トーマス・ドルビー
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
少し遡ると、12月12日にはロック側にも出張った活動(ex.ザ・ストゥージーズ)も少し認められる現代/前衛音楽の作曲家/ピアニストであるブルー“ジーン”ティラニーが12月12日に逝去。ニューヨークのホスピスで糖尿病の合併症で亡くなったという。1945年1月1日生まれだった。絡んだ人は、ぼくの馴染みのある方では、カーラ・ブレイ(1999年4月13日、 2000年3月25日)、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケイジ、ピーター・ゴードン(2004年2月13日)など。近い間柄であったロバート・アシュリーのAll Music Guideの項のバイオを書いているが、キュレイター/批評家気質も抱えていた彼は同サイトのライターを務めてもいた。それほどティラニーについて詳しくはないが、1970年代のアルバムにはドラムやギターなどを使う反復系のアルバムもあったし、シンガーを起用するのも嫌いじゃなかったはずだ。
▶過去の、カーラ・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、ピーター・ゴードン
https://43142.diarynote.jp/200402171832080000/
また、ブルーグラス界の巨人アコースティック・ギタリストであるトニー・ライスも鬼籍入りした。1951年6月8日〜2020年12月25日。ヴァージニア州生まれで妻と住んでいたノース・カロライナ州リーズヴィルで亡くなったが、死因は発表されていない。カントリー&ウェスタンやブルーグラスにはほとんど触れてきおらず、ライスのこともほぼ聞いてきていないぼくではあるが、デイヴィッド・グリスマンのバンドを経てソロとなって出した1970年代末のデビュー作から日本盤が出ていて、その名前には親しみがある。また、彼の名を見ると、現在はコンコード傘下にあるラウンダー(いろいろサブ・レーベルがあったな。1990年代にはニューオーリンズ・ミュージックに特化するものもあった)やシュガーヒルというレーベルを思い出すか。なかにはシンガー・ソングライター的なアルバムもあったような気もするが、来年はもう少しブルーグラスとジャズの抜き差しならぬ関係を見てみたいと思ったりもする。その項目も、ライスは抱えていたかな? かつてのゲイリー・バートン(2005年8月21日、2011年7月20日)からまで近年のジェリアン・ラージ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日、2017年2月1日、2017年11月13日、2018年12月11日、2019年9月2日、2019年9月3日)まで、ブルーグラス関連とのやりとりを見せた冴えたジャズの担い手は散見できるから。
▶︎過去の、ゲイリー・バートン
https://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
▶過去の、ジュリアン・ラージ
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
https://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
https://43142.diarynote.jp/201812121252088734/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
<今年の、総括>
間違いなく、例年とは違った1年だった。酒量はいつもの100分の1以下だろう。だって、夜遊びしなくなったから。その主となるものはライヴ(+アフター)であったが、まずそれが大幅に減った。人に言うと驚かれるが、だいぶ前からなぜか家飲みはあまりしなくなったので飲酒の量は飛躍的に減った。311のときも一時外出が大幅に減り、その際は家飲みが一時復活したけど、今回は家飲みの復活はなかったなあ。そんなにストレス感じていない。と、判断するしかない。年をとってきていろんな欲望が減衰してきているのかもしれないし、頭のなかでうまく生理をコントロールする術を身につけてきているのかもしれない。とはいえ、311のときは財布を落として凹んだが、今回は8月に12月に購入したばかりのアイフォンを落として大変だった。バックアップを取っていなかったので、多くの方々の電話番号が消えた。でも、人と会う機会が激減しているので、不便はほぼ感じていない。と、思ったら、入れた記憶はないのだが、マック・ブックの連絡先にそれなり人数の電話番号が残っていた。とはいえ、無精ゆえ、それを新たに電話機に入れようとは思わない。今のところは。
結局、人生をリセットしなさいと言われたような1年であったという観を得ている。
▶過去の、ランDMC
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
▶︎過去の、クラフトワーク 13日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
https://43142.diarynote.jp/202005070812126303/ メンバーの訃報
▶︎過去の、トーマス・ドルビー
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
少し遡ると、12月12日にはロック側にも出張った活動(ex.ザ・ストゥージーズ)も少し認められる現代/前衛音楽の作曲家/ピアニストであるブルー“ジーン”ティラニーが12月12日に逝去。ニューヨークのホスピスで糖尿病の合併症で亡くなったという。1945年1月1日生まれだった。絡んだ人は、ぼくの馴染みのある方では、カーラ・ブレイ(1999年4月13日、 2000年3月25日)、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケイジ、ピーター・ゴードン(2004年2月13日)など。近い間柄であったロバート・アシュリーのAll Music Guideの項のバイオを書いているが、キュレイター/批評家気質も抱えていた彼は同サイトのライターを務めてもいた。それほどティラニーについて詳しくはないが、1970年代のアルバムにはドラムやギターなどを使う反復系のアルバムもあったし、シンガーを起用するのも嫌いじゃなかったはずだ。
▶過去の、カーラ・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、ピーター・ゴードン
https://43142.diarynote.jp/200402171832080000/
また、ブルーグラス界の巨人アコースティック・ギタリストであるトニー・ライスも鬼籍入りした。1951年6月8日〜2020年12月25日。ヴァージニア州生まれで妻と住んでいたノース・カロライナ州リーズヴィルで亡くなったが、死因は発表されていない。カントリー&ウェスタンやブルーグラスにはほとんど触れてきおらず、ライスのこともほぼ聞いてきていないぼくではあるが、デイヴィッド・グリスマンのバンドを経てソロとなって出した1970年代末のデビュー作から日本盤が出ていて、その名前には親しみがある。また、彼の名を見ると、現在はコンコード傘下にあるラウンダー(いろいろサブ・レーベルがあったな。1990年代にはニューオーリンズ・ミュージックに特化するものもあった)やシュガーヒルというレーベルを思い出すか。なかにはシンガー・ソングライター的なアルバムもあったような気もするが、来年はもう少しブルーグラスとジャズの抜き差しならぬ関係を見てみたいと思ったりもする。その項目も、ライスは抱えていたかな? かつてのゲイリー・バートン(2005年8月21日、2011年7月20日)からまで近年のジェリアン・ラージ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日、2017年2月1日、2017年11月13日、2018年12月11日、2019年9月2日、2019年9月3日)まで、ブルーグラス関連とのやりとりを見せた冴えたジャズの担い手は散見できるから。
▶︎過去の、ゲイリー・バートン
https://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
▶過去の、ジュリアン・ラージ
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
https://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
https://43142.diarynote.jp/201812121252088734/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
<今年の、総括>
間違いなく、例年とは違った1年だった。酒量はいつもの100分の1以下だろう。だって、夜遊びしなくなったから。その主となるものはライヴ(+アフター)であったが、まずそれが大幅に減った。人に言うと驚かれるが、だいぶ前からなぜか家飲みはあまりしなくなったので飲酒の量は飛躍的に減った。311のときも一時外出が大幅に減り、その際は家飲みが一時復活したけど、今回は家飲みの復活はなかったなあ。そんなにストレス感じていない。と、判断するしかない。年をとってきていろんな欲望が減衰してきているのかもしれないし、頭のなかでうまく生理をコントロールする術を身につけてきているのかもしれない。とはいえ、311のときは財布を落として凹んだが、今回は8月に12月に購入したばかりのアイフォンを落として大変だった。バックアップを取っていなかったので、多くの方々の電話番号が消えた。でも、人と会う機会が激減しているので、不便はほぼ感じていない。と、思ったら、入れた記憶はないのだが、マック・ブックの連絡先にそれなり人数の電話番号が残っていた。とはいえ、無精ゆえ、それを新たに電話機に入れようとは思わない。今のところは。
結局、人生をリセットしなさいと言われたような1年であったという観を得ている。