グラハム・セントラル・ステーション。渋谷知らズ
2012年11月24日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京(ファースト・ショウ)で、大ファンク・ベーシストのラリ−・グラハム(2010年9月5日、他)のパーマネント・バンドの大ファンク・ショウを見る。基本の構成は前回とほぼ同じだが、何度見てもいいし、何度見ても興奮でき、何度見ても音楽の素敵やファンクの魔法に酔いしれることができる。もう、ワザも、人間も、流儀も、なにまおかもが高い次元であまりに鮮やかに結びついているよなー。
その後、渋谷・バー・イッシーで。ギターのハル宮沢(2011年7月10日)、同じくギターの加藤崇之(2005年12月11日、他)、ベースのヒゴヒロシ、ドラム(シンバルとスネアだけ)の大沼志朗という4人によるギグ。渋谷知らズという名前は、4人とも渋谷とは縁がないからのネーミングであるよう。がちんこ、疾走もののインプロ演奏。ファーストは約45分切れ目なしで。手応え、アリ。セカンドはチューバの高岡大祐(2010年5月22日)が急遽加わったようだが、22時から人と会う用事があったので、見ることはかなわず。
<今日の、わっ>
ラリー・グラハムのステージを見ていて、あちゃーと一瞬おもう。「スタンディング・インザ・レイン」とスライ&ザ・ファミリー・ストーン曲をのぞいて、演奏したのはどれも2012年新作に入っていた曲ではなかったか。それ、今年のファンク作としてはピカ一の出来だと確信していたはず。が、すでに出した年間ベスト10には入れるのを見事に忘れてしまった。解説担当盤であるにもかかわらず。わわわ。ともあれ、グラハムとは金網ごしの隣に住んでいるプリンス(2001年11月19日)も数曲は入っている同作はほんとイケてるアルバムです。しかし、プリンス御大は相変わらず日本を視野に入れないツアーを鋭意やっているよなー。
その後、渋谷・バー・イッシーで。ギターのハル宮沢(2011年7月10日)、同じくギターの加藤崇之(2005年12月11日、他)、ベースのヒゴヒロシ、ドラム(シンバルとスネアだけ)の大沼志朗という4人によるギグ。渋谷知らズという名前は、4人とも渋谷とは縁がないからのネーミングであるよう。がちんこ、疾走もののインプロ演奏。ファーストは約45分切れ目なしで。手応え、アリ。セカンドはチューバの高岡大祐(2010年5月22日)が急遽加わったようだが、22時から人と会う用事があったので、見ることはかなわず。
<今日の、わっ>
ラリー・グラハムのステージを見ていて、あちゃーと一瞬おもう。「スタンディング・インザ・レイン」とスライ&ザ・ファミリー・ストーン曲をのぞいて、演奏したのはどれも2012年新作に入っていた曲ではなかったか。それ、今年のファンク作としてはピカ一の出来だと確信していたはず。が、すでに出した年間ベスト10には入れるのを見事に忘れてしまった。解説担当盤であるにもかかわらず。わわわ。ともあれ、グラハムとは金網ごしの隣に住んでいるプリンス(2001年11月19日)も数曲は入っている同作はほんとイケてるアルバムです。しかし、プリンス御大は相変わらず日本を視野に入れないツアーを鋭意やっているよなー。
アイルランドの大御所トラッド・ミュージック・グループ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日)、結成50周年を祝う日本ツアーの初日。渋谷・オーチャードホール。メンバーが亡くなったり、ツアーに出るのをやめたりしたこともあり、いろんな所に住む若い才能をむかえて、間口の広いショウを見せましょうというのは、前2007年公演と同様の行き方だ。
イーリアン・パイプやホイッスルのパディ・モローニ(2012年8月28日)、バーロンやヴォーカル独唱のケヴィン・コネフ、フルートのマット・モロイの3人の古いメンバーに加え、前回来日時も同行していたアイリッシュ・ハープやキーボードのトリーナ・マーシャル(2007年6月18日)、カナダのザ・ステップクルー(2011年12月3日、12月10日)のメンバーでもあるピラツキ兄弟(ダンス、フィドル)やキャラ・バトラー(ダンス)。また、スコットランドの美声歌手のアリス・マコーミック(2011年12月3日、12月10日)も同行。そして、さらに今回は米国ブルーグラス系のジェフ・ホワイト(ギター)やディニー・リチャードソン(フィドル、バンジョー)が参加していて、それは新鮮な感興を呼ぶ。
スコットランド人やカナダ人やアメリカ人などを含む顔ぶれのもと、アイルリッシュ・トラッド/ザ・チーフタンズが積み上げてきた掛け替えのないものを総花的に、そしてその財産が世界中に散って芽をだしていることを、娯楽性とヴァラエティさに富みつつ伝えるものだったと言えるはず。あ、そういえば、PA音が良くて、各楽器の音を把握しやすかったのも、“聞きやすいのに味がある”という公演の持ち味を強めていた。
第2部は林英哲(彼は1部にも出て来た)をはじめ、バグパイプおじさん軍団、女性トラッド・グループ、ダンサーたち(カナダ勢と比べると、足音の大きさがあまりに違う)など日本人が次々加わり、モローニたちはそれを悠々と受けとめる。いや、手のひらのうえで楽にふるまわせていた。決定的巨匠/表現・フィッツ・オール! というとこでしょうか。あ、あと、アイルランドのダンス曲に触れていて、オーネット・コールマン(2006年3月27日)のハーモロディック・サウンドと重なる部分があるとも感じた。
<今日の、思いつき>
ちょい前に、ザ・クラッシュ解散後のジョー・ストラマー(2001年11月2日、他)の原稿をのべ10000字ほど書いた。そのうち出ると思われるシンコー・ミュージック発のムック本用の原稿だ。その際、改めて解散後の彼の動向を再チェックしたり、彼が晩年組んだバンドのザ・メスカレロスをはじめリーダー作を聞き直したのだが(ぼくは、その1作目の『ロック・アート&ザ・Xレイ・スタイル』が一番好きかな)、ストラマーとザ・チーフタンズが組んでも面白かったのではないか。アイリッシュ・ルーツ歌手をフロントにいおいたザ・ポーグス(2005年7月29日)とは1990年前後に懇意にして彼らをプロデュースをしたり一時はメンバー入りしたこともあったという事実もあるが、ストラマーはザ・メスカレロスの2作目『グローヴァル・ア・ゴーゴー』でケルト的な行き方も見せているからだ。それは、ストラマーの旧友で、1960年代にザ・ビートルズのアップル・レコードからリーダー作を出しかかったタイモン・ドッグ(フィドル、ギター)がグループに入ったことも大きいのだが、ともあれ同作でストラマーはアイルランドの1800年代頭のトラッドを取り上げたりもしている。そして、彼はそれについて、「自分なりのルーツ探しという部分もあると思うよ。でも、ケルト風なものをやるのに20年もかかってしまった」とコメントしていたのだ。死後リリースとなったザ・マスカレロスの3作目はワールド・ミュージック取り込み志向が一段落し、ちょっと生理的に重心をおとした歌心志向が増していたりもしたので、もし両者が邂逅することがあれば、いい感じでやりとりし合えたとも思うのだが。資料性の高い公演パンフレットを見て、ストーンズ、ヴァン・モリソン、ライ・クーダー、アート・ガーファンクル、ドン・ヘンリー、リッキー・リー・ジョーンズ、ダリル・ホール他と重なってきたザ・チーフタンズの広がりを再確認しながら、公演の休憩時にぼくはそんなことも思った。
イーリアン・パイプやホイッスルのパディ・モローニ(2012年8月28日)、バーロンやヴォーカル独唱のケヴィン・コネフ、フルートのマット・モロイの3人の古いメンバーに加え、前回来日時も同行していたアイリッシュ・ハープやキーボードのトリーナ・マーシャル(2007年6月18日)、カナダのザ・ステップクルー(2011年12月3日、12月10日)のメンバーでもあるピラツキ兄弟(ダンス、フィドル)やキャラ・バトラー(ダンス)。また、スコットランドの美声歌手のアリス・マコーミック(2011年12月3日、12月10日)も同行。そして、さらに今回は米国ブルーグラス系のジェフ・ホワイト(ギター)やディニー・リチャードソン(フィドル、バンジョー)が参加していて、それは新鮮な感興を呼ぶ。
スコットランド人やカナダ人やアメリカ人などを含む顔ぶれのもと、アイルリッシュ・トラッド/ザ・チーフタンズが積み上げてきた掛け替えのないものを総花的に、そしてその財産が世界中に散って芽をだしていることを、娯楽性とヴァラエティさに富みつつ伝えるものだったと言えるはず。あ、そういえば、PA音が良くて、各楽器の音を把握しやすかったのも、“聞きやすいのに味がある”という公演の持ち味を強めていた。
第2部は林英哲(彼は1部にも出て来た)をはじめ、バグパイプおじさん軍団、女性トラッド・グループ、ダンサーたち(カナダ勢と比べると、足音の大きさがあまりに違う)など日本人が次々加わり、モローニたちはそれを悠々と受けとめる。いや、手のひらのうえで楽にふるまわせていた。決定的巨匠/表現・フィッツ・オール! というとこでしょうか。あ、あと、アイルランドのダンス曲に触れていて、オーネット・コールマン(2006年3月27日)のハーモロディック・サウンドと重なる部分があるとも感じた。
<今日の、思いつき>
ちょい前に、ザ・クラッシュ解散後のジョー・ストラマー(2001年11月2日、他)の原稿をのべ10000字ほど書いた。そのうち出ると思われるシンコー・ミュージック発のムック本用の原稿だ。その際、改めて解散後の彼の動向を再チェックしたり、彼が晩年組んだバンドのザ・メスカレロスをはじめリーダー作を聞き直したのだが(ぼくは、その1作目の『ロック・アート&ザ・Xレイ・スタイル』が一番好きかな)、ストラマーとザ・チーフタンズが組んでも面白かったのではないか。アイリッシュ・ルーツ歌手をフロントにいおいたザ・ポーグス(2005年7月29日)とは1990年前後に懇意にして彼らをプロデュースをしたり一時はメンバー入りしたこともあったという事実もあるが、ストラマーはザ・メスカレロスの2作目『グローヴァル・ア・ゴーゴー』でケルト的な行き方も見せているからだ。それは、ストラマーの旧友で、1960年代にザ・ビートルズのアップル・レコードからリーダー作を出しかかったタイモン・ドッグ(フィドル、ギター)がグループに入ったことも大きいのだが、ともあれ同作でストラマーはアイルランドの1800年代頭のトラッドを取り上げたりもしている。そして、彼はそれについて、「自分なりのルーツ探しという部分もあると思うよ。でも、ケルト風なものをやるのに20年もかかってしまった」とコメントしていたのだ。死後リリースとなったザ・マスカレロスの3作目はワールド・ミュージック取り込み志向が一段落し、ちょっと生理的に重心をおとした歌心志向が増していたりもしたので、もし両者が邂逅することがあれば、いい感じでやりとりし合えたとも思うのだが。資料性の高い公演パンフレットを見て、ストーンズ、ヴァン・モリソン、ライ・クーダー、アート・ガーファンクル、ドン・ヘンリー、リッキー・リー・ジョーンズ、ダリル・ホール他と重なってきたザ・チーフタンズの広がりを再確認しながら、公演の休憩時にぼくはそんなことも思った。
パブロ・シーグレル。ジンジャー・ベイカー・ジャズ・コンフュージョン
2012年11月21日 音楽 有楽町・朝日ホールで、1978年から89年にかけてアストラ・ピアソラのグループにいこともある、自分の考えるタンゴ道を進んでいるアルゼンチン人ピアニスト(1944年、ブエノスアイレス生まれ)の公演を見る。北村聡(バンドネオン)、西嶋 徹(コントラバス)、鬼怒無月(ギター。2012年6月28日、他)という彼のお眼鏡叶った日本人奏者を起用してのもので、同様のお膳立てを持っていた昨年に続くツアーの最終日公演。シーグレルは今年来日して好評を受けたキケ・シネシ(2012年5月16日)とも一緒にアルバムを作ってもいる。彼の『Tango & All That Jazz』(Kind of Blue、2007年)は米国人ジャズ・ヴァイブラフォン奏者のステフォン・ハリス(2011年12月17日)を伴っての作品だ。
ハイカラでダンディな行き方を、悠々と。やっぱ、タンゴは陰影を持つ都市の音楽なのだなあと思わせる演奏が繰り広げられる。客には年配の方もいるが、さぞや“モボ=モダン・ボーイ”だったろうなーと思ったりして……。で、驚かされるのは、二回りぐらいは年下だろう日本人の奏者たちを悠然と受け入れ、また日本人たちもシーグレルの調べに対応していたこと。だって、鬼怒(デュオ演奏のパートも与えられ、一番シーグレルの覚えもめでたいという感じもあった?)たちは子供のころの環境にタンゴという項目がなかったはずであり……。まあ、タンゴどっぷりではない発想を持つ奏者とやることに、進歩派シーグレルは歓びも受けるんだろう。
2部構成による。ステージ後ろに演奏曲や、演奏する面々の様が映し出される。セカンド・セットには、赤城りえ(フルート)が加わる。ラテンっぽいものを得意とする奏者というイメージが漠然とあるが、けっこう情熱的な吹き口も見せ、一緒にみていた人が喜んでいた。先立つ別の東京公演では梅津和時(2012 年2月10日、他)が加わったはずだが、きっと聞き物だったんだろうな。
そして、その後は近くの丸の内・コットンクラブに。芸能生活50年を超えるだろう、いまやリジェンダリーという形容もあるかもしれないUKロック・トリオのクリームにいたヴェテラン・ドラマーのジンジャー・ベイカー(1939年、ロンドン生まれ)のギグを見る。お、キック・ドラムを2つのセッティング。演奏上は、一つでも支障はないと思わされたが。
ザ・JBズ/P—ファンク出身のテナー・サックス奏者のピー・ウィー・エリス(2012年4月9日、他)、UKジャズ/スタジオ界で活動するウッド・ベーシストのアレク・ダンクワース(ジャズ系のリーダー作もいくつかリリース。エイミー・ワインハウスのライヴなんかにも関与したことがあったらしい)、カリブ/南米系というよりはアフリカ出身と思われる叩き口を持つアバス・ドドュー(パーカッション)という3人ととものパフォーマンス。ベイカーとドドューが絡むアフリカ風味ありのビートのうえで、エリスやダンクワースがソロをとると説明できるインストゥメンタルを披露。まあ、グループ名にあるようにジャズと言えばジャズなんだが、どこか不器用というか、ベイカーの佇まいや癖に従うそれであるのは間違いない。
まあ、彼にしてもストーンズのチャーリー・ワッツにしてもあの時代のドラマーはその出発点にはジャズがあるわけで、そういう志向をとりたがるのは驚かない。とともに、好奇心旺盛な彼は1970 年代初頭にはフェラ・クティと付き合い(共演作もでている)を持っていたわけであるから、今回の流れにも合点が行く。というか、今回の実演は彼のロックという項目を抜いた部分を、おおらかに出していると言えなくもないか。
話は前後するが、ステージに出てきたベイカーを見てビックリ。ニコリともせず、偏屈そうで、すんげえ怖そう。で、アシスタントの若い青年が腫れ物を扱うようにかいがいしく横にいて(ドラム・キットの横に椅子がおいてあり演奏中はそれに座り一心不乱に見守り、演奏が終わると身内なのに拍手をする)、その様を見るとそういう感想はより強くなる。何が起こってもニコニコ悠然と構えていそうなシーグレルを見た後だと、余計にそう思える。まあ、途中から笑顔を見せて叩いたり(全編、マッチド・グリップで叩く)、MCもとったりしたが、その英語が非常に聞き取りづらいというのはともかく、息が上がっていたのには高齢を感じさせられた。ファーストは60分やったそうだが、セカンド・ショウは40分強の尺。曲はベイカーがリストされた紙を見ながら、その場で選んでやっている時もあった。
彼の訪日は、1992年にビル・ラズウェル主導のマテリアルで来日して以来らしい。その際のライヴ盤は商品化されていたよな。ラズウェルはベイカー音楽界復帰の立役者。1980年代中頃に、オランダで貿易商をやっていた彼を自分関連のセッションに呼ぶようになったんだよね。1986年セルロイド発の、ラズウェル制作のベイカー作って好きだな。って、ずっと聞いていないけど。
終盤やった2曲は、ソニー・ロリンズの「セント・トーマス」と、チャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」。そのパーカー曲では、それまでウッド・ベースを弾いていたベーシストがなぜか電気ベースを手にした。で、肝心のベイカーの演奏だが、パーカッション奏者が作るビートの上で、ビートをキープしたり、気ままにパーカッション的な演奏でアクセントを付けたりという感じ。で、その佇まいもあってかか、かなり硬質(それは、スウィンギンではないという意味も抱える)な感じもあり。逆に高齢だからといって、非弱な感じはなかった。別に上手いとは思わないけど、なんかロック史の一部分をきっちり担った人でもあるベイカーの叩き口にはしかと触れた、という気分にはなりました。
<今日の、ギャラリー>
音楽公演を見る前に、銀座のギャラリー2つを回る。ともに、無料ナリ。
まず、最初に資生堂ギャラリーで開催されている、“神話のことば、ブラジル現代写真展”をのぞく。1931年生まれから1980年前後の生まれまでの7組の写真家の作品(一点、映像も)を集めたもので、発表時期は1970年代半ばから現在まで。その表題にあるように神話をモチーフにしている(それについて、ぼくはよく分らず)そうで、ただ風景や人を撮ったものに加え、それなりの仕掛けや処理がなされたものが展示されていた。それが、ブラジル的と言っていいのかはよく分らないが、情緒的に異なる何かをはらんでいる作品に出会えたのは確か。来月23日まで、1965年生まれのブラジル人がキュレイターをやっているようだ。
続いては、ギンザ・グラフィック・ギャラリーにて、“横尾忠則、初のブックデザイン展”(今月、27日まで)にふれる。書籍や雑誌(一部、雑誌内レイアウトも)などがずらり、2フロアに並べられている。さすが、文化人、そこそこ人が見に来ていたな。指定紙も少し展示してあったが、それにはPC画面を使う前の旧流儀編集経験者としては甘酸っぱい気持ちになる。
少年マガジン、話の特集(これは、記憶がある)、週刊読売のような雑誌から、いろんな人の単行本まで。そして、自著ものがべらぼうにあるのに驚く。文章書くのも好きな人であるのか。とにかく、パワーがある。すぐに、彼の手によるものだと分る。うひょー、強烈。ただし、西城秀樹の本の装丁は普通ぽかったが。
今回は書籍/雑誌関連アイテムをまとめたものだったが、やはり音楽関連のも見てみたいという気にもなる。サンタナの73年日本ライヴの22面折り込み3枚実況盤『ロータスの伝説』やマイルス・デイヴィスの1975年日本ライヴ盤『アガルタ』(ともに、CBSソニー)あたりは、すぐに頭に浮かぶブツだな。
受けるもの、望外にあり。機会があれば、今月兵庫県にできた横尾忠則現代美術館に行ってみたいな。その開館にさいして、細野晴臣(2012年9月5日、他)が今度の日曜にそこでバンドで演奏をするようだ。そういえば、YMO(2012年8月12日、他)って当初は横尾忠則を含む4人でスタートするはずだった。
ハイカラでダンディな行き方を、悠々と。やっぱ、タンゴは陰影を持つ都市の音楽なのだなあと思わせる演奏が繰り広げられる。客には年配の方もいるが、さぞや“モボ=モダン・ボーイ”だったろうなーと思ったりして……。で、驚かされるのは、二回りぐらいは年下だろう日本人の奏者たちを悠然と受け入れ、また日本人たちもシーグレルの調べに対応していたこと。だって、鬼怒(デュオ演奏のパートも与えられ、一番シーグレルの覚えもめでたいという感じもあった?)たちは子供のころの環境にタンゴという項目がなかったはずであり……。まあ、タンゴどっぷりではない発想を持つ奏者とやることに、進歩派シーグレルは歓びも受けるんだろう。
2部構成による。ステージ後ろに演奏曲や、演奏する面々の様が映し出される。セカンド・セットには、赤城りえ(フルート)が加わる。ラテンっぽいものを得意とする奏者というイメージが漠然とあるが、けっこう情熱的な吹き口も見せ、一緒にみていた人が喜んでいた。先立つ別の東京公演では梅津和時(2012 年2月10日、他)が加わったはずだが、きっと聞き物だったんだろうな。
そして、その後は近くの丸の内・コットンクラブに。芸能生活50年を超えるだろう、いまやリジェンダリーという形容もあるかもしれないUKロック・トリオのクリームにいたヴェテラン・ドラマーのジンジャー・ベイカー(1939年、ロンドン生まれ)のギグを見る。お、キック・ドラムを2つのセッティング。演奏上は、一つでも支障はないと思わされたが。
ザ・JBズ/P—ファンク出身のテナー・サックス奏者のピー・ウィー・エリス(2012年4月9日、他)、UKジャズ/スタジオ界で活動するウッド・ベーシストのアレク・ダンクワース(ジャズ系のリーダー作もいくつかリリース。エイミー・ワインハウスのライヴなんかにも関与したことがあったらしい)、カリブ/南米系というよりはアフリカ出身と思われる叩き口を持つアバス・ドドュー(パーカッション)という3人ととものパフォーマンス。ベイカーとドドューが絡むアフリカ風味ありのビートのうえで、エリスやダンクワースがソロをとると説明できるインストゥメンタルを披露。まあ、グループ名にあるようにジャズと言えばジャズなんだが、どこか不器用というか、ベイカーの佇まいや癖に従うそれであるのは間違いない。
まあ、彼にしてもストーンズのチャーリー・ワッツにしてもあの時代のドラマーはその出発点にはジャズがあるわけで、そういう志向をとりたがるのは驚かない。とともに、好奇心旺盛な彼は1970 年代初頭にはフェラ・クティと付き合い(共演作もでている)を持っていたわけであるから、今回の流れにも合点が行く。というか、今回の実演は彼のロックという項目を抜いた部分を、おおらかに出していると言えなくもないか。
話は前後するが、ステージに出てきたベイカーを見てビックリ。ニコリともせず、偏屈そうで、すんげえ怖そう。で、アシスタントの若い青年が腫れ物を扱うようにかいがいしく横にいて(ドラム・キットの横に椅子がおいてあり演奏中はそれに座り一心不乱に見守り、演奏が終わると身内なのに拍手をする)、その様を見るとそういう感想はより強くなる。何が起こってもニコニコ悠然と構えていそうなシーグレルを見た後だと、余計にそう思える。まあ、途中から笑顔を見せて叩いたり(全編、マッチド・グリップで叩く)、MCもとったりしたが、その英語が非常に聞き取りづらいというのはともかく、息が上がっていたのには高齢を感じさせられた。ファーストは60分やったそうだが、セカンド・ショウは40分強の尺。曲はベイカーがリストされた紙を見ながら、その場で選んでやっている時もあった。
彼の訪日は、1992年にビル・ラズウェル主導のマテリアルで来日して以来らしい。その際のライヴ盤は商品化されていたよな。ラズウェルはベイカー音楽界復帰の立役者。1980年代中頃に、オランダで貿易商をやっていた彼を自分関連のセッションに呼ぶようになったんだよね。1986年セルロイド発の、ラズウェル制作のベイカー作って好きだな。って、ずっと聞いていないけど。
終盤やった2曲は、ソニー・ロリンズの「セント・トーマス」と、チャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」。そのパーカー曲では、それまでウッド・ベースを弾いていたベーシストがなぜか電気ベースを手にした。で、肝心のベイカーの演奏だが、パーカッション奏者が作るビートの上で、ビートをキープしたり、気ままにパーカッション的な演奏でアクセントを付けたりという感じ。で、その佇まいもあってかか、かなり硬質(それは、スウィンギンではないという意味も抱える)な感じもあり。逆に高齢だからといって、非弱な感じはなかった。別に上手いとは思わないけど、なんかロック史の一部分をきっちり担った人でもあるベイカーの叩き口にはしかと触れた、という気分にはなりました。
<今日の、ギャラリー>
音楽公演を見る前に、銀座のギャラリー2つを回る。ともに、無料ナリ。
まず、最初に資生堂ギャラリーで開催されている、“神話のことば、ブラジル現代写真展”をのぞく。1931年生まれから1980年前後の生まれまでの7組の写真家の作品(一点、映像も)を集めたもので、発表時期は1970年代半ばから現在まで。その表題にあるように神話をモチーフにしている(それについて、ぼくはよく分らず)そうで、ただ風景や人を撮ったものに加え、それなりの仕掛けや処理がなされたものが展示されていた。それが、ブラジル的と言っていいのかはよく分らないが、情緒的に異なる何かをはらんでいる作品に出会えたのは確か。来月23日まで、1965年生まれのブラジル人がキュレイターをやっているようだ。
続いては、ギンザ・グラフィック・ギャラリーにて、“横尾忠則、初のブックデザイン展”(今月、27日まで)にふれる。書籍や雑誌(一部、雑誌内レイアウトも)などがずらり、2フロアに並べられている。さすが、文化人、そこそこ人が見に来ていたな。指定紙も少し展示してあったが、それにはPC画面を使う前の旧流儀編集経験者としては甘酸っぱい気持ちになる。
少年マガジン、話の特集(これは、記憶がある)、週刊読売のような雑誌から、いろんな人の単行本まで。そして、自著ものがべらぼうにあるのに驚く。文章書くのも好きな人であるのか。とにかく、パワーがある。すぐに、彼の手によるものだと分る。うひょー、強烈。ただし、西城秀樹の本の装丁は普通ぽかったが。
今回は書籍/雑誌関連アイテムをまとめたものだったが、やはり音楽関連のも見てみたいという気にもなる。サンタナの73年日本ライヴの22面折り込み3枚実況盤『ロータスの伝説』やマイルス・デイヴィスの1975年日本ライヴ盤『アガルタ』(ともに、CBSソニー)あたりは、すぐに頭に浮かぶブツだな。
受けるもの、望外にあり。機会があれば、今月兵庫県にできた横尾忠則現代美術館に行ってみたいな。その開館にさいして、細野晴臣(2012年9月5日、他)が今度の日曜にそこでバンドで演奏をするようだ。そういえば、YMO(2012年8月12日、他)って当初は横尾忠則を含む4人でスタートするはずだった。
ファーマーズ・マーケット
2012年11月15日 音楽 ノルウェーの変テコ混合音楽バンド(2008年5月24日、他)の公演は、ブルガリアのクラリネット奏者を含めた6人編成にて。当然、彼の癖のある演奏をフィーチャーしたバルカン風味の曲比率は少し高くなる。が、そうじゃない曲にも彼は対応、演奏能力の高さを感じさせた。代官山・晴れたら空に豆まいて。固定のファンもついているようで、なかなかに盛況。
リーダーのスティアン・カシュテンセンはギターより、ボタン式アコーディオンを弾くほうが多かったか。今回はハモンド・オルガンにつきものであるレスリー・スピーカーを用意。ん、アコーディオン音がほとんどオルガン音に聞こえる場合も。しかし、その手のハマったオルガン音は通常鍵盤を弾いてこそ表われえるもので、それをボタン式鍵盤で涼しい顔してやってしまうのはすごい。なるほど、技術高いな。そういえば、サックス奏者がエフェクターをかけて、電気ヴァイオリンみたいな音を出すときもアリ。それらが只のサーカス的な技術披露に陥らず、バカバカしくも好奇心旺盛な枠超えの意思につながっているのが、彼らの美点だ。なお、アンコールにはブルガリア人奏者は出てこず。なんでもぶつけて、クラリネットを壊してしまったよう。
<今日の、所感>
カシュテンセンは鉄腕アトムの歌を弾いたりもした。いい、楽しい。彼らマイケル・ジャクソン、スティーヴィ・ワンダーやウィットニー・ヒューストン曲なんかの美味しく崩れたカヴァー披露もするが、それを聞いて、ファーマーズ・マーケットは日本の有名曲カヴァーのアルバムを出すべし! と、酔っぱらった頭で強く思ってしまった。ところで、今日はボジョレー解禁の日。ライヴの後に流れた先には5種類のボジョレーが用意してあって、一番高いやつをグラスでもらったら、やはり好みではない。縁起モノ、じゃ。あー、あと今年も1ヶ月半しかないよー。
リーダーのスティアン・カシュテンセンはギターより、ボタン式アコーディオンを弾くほうが多かったか。今回はハモンド・オルガンにつきものであるレスリー・スピーカーを用意。ん、アコーディオン音がほとんどオルガン音に聞こえる場合も。しかし、その手のハマったオルガン音は通常鍵盤を弾いてこそ表われえるもので、それをボタン式鍵盤で涼しい顔してやってしまうのはすごい。なるほど、技術高いな。そういえば、サックス奏者がエフェクターをかけて、電気ヴァイオリンみたいな音を出すときもアリ。それらが只のサーカス的な技術披露に陥らず、バカバカしくも好奇心旺盛な枠超えの意思につながっているのが、彼らの美点だ。なお、アンコールにはブルガリア人奏者は出てこず。なんでもぶつけて、クラリネットを壊してしまったよう。
<今日の、所感>
カシュテンセンは鉄腕アトムの歌を弾いたりもした。いい、楽しい。彼らマイケル・ジャクソン、スティーヴィ・ワンダーやウィットニー・ヒューストン曲なんかの美味しく崩れたカヴァー披露もするが、それを聞いて、ファーマーズ・マーケットは日本の有名曲カヴァーのアルバムを出すべし! と、酔っぱらった頭で強く思ってしまった。ところで、今日はボジョレー解禁の日。ライヴの後に流れた先には5種類のボジョレーが用意してあって、一番高いやつをグラスでもらったら、やはり好みではない。縁起モノ、じゃ。あー、あと今年も1ヶ月半しかないよー。
ザ・マイケル・ランドウ・グループ。ローラン・ヴィルズィ
2012年11月12日 音楽 マイケル・ランドウは(2004年4月21日)1970年代後期から西海岸のスタジオ・シーンで活躍し続けているギタリスト。ブルース調はけっこうエリック・クラプトン(2006年11月20日)ぽいと思わすフレイズを繰り出したりも。曲によってはリード・ヴォーカルも取り、その後延々ソロを取る。
バックの3人はNY拠点の人たちかも? ベーシストのアンディ・ヘスは人気ジャム・バンドのガヴァメント・ミュールのメンバーだったこともある人で、ジョン・スコフィールドやデイヴィッド・バーン作なんかにも名前が見られ、今はスティーヴ・キモック・バンド(2012年7月27日)のメンバーでもある。“ザ・キング・オブ・ドラム・ソロ”とランドウが紹介していたドラマーのアラン・ハーツはやはりジャム・バンドのガラージュ・マハルのメンバーだ。そして、オルガンを弾いていたのは、なんと著名ジャズ・オルガン/ピアノ奏者のラリー・ゴールディングス(2000年3月2日、他)。彼はランドウの新作にも部分は関与しているが、ランドウはコットンクラブ向けのスペシャル・ゲストみたいな紹介をしていた。ゴールディングスはベース音演奏も強力なことで知られるが、今回はベーシストがいるので、少し手持ち無沙汰みたいな感じもあったかな。
その後は、江戸川橋・椿山荘のオリオンホールで、ローラン・ヴィルズィのショウを見る。在日フランス商工会議所主催のパーティへの出演で、パトリック・ブリュエル(2009年11月24日)と同じパターンの非一般公演。1977年にソロ・デビュー後、スター街道をずっと歩んでいるというシンガー・ソングライター(1948年、パリ生まれ。両親はガゥドループの出身)だが、それはフランス人の熱い反応を見るとよく分る。もう、アンコールを求める際の騒ぎようといったなら。もちろん、客の合唱状態曲もあり。
ショウはギターを弾きながら歌う本人に加え、キーボード、ベース、パーカッション、女性のチェロ/ハープ、女性のヴァイオリン/ヴォーカル(歌う際は、ケルト味が出る)という布陣。昨年出した『Lys & Love』(Columbia)をフォロウするツアーの抜粋メンバーのよう。どの曲も、プリセットの音を併用し、ヴィルズィは誠心誠意、やたらと心をこめてぬめっとしたポップ・ロックを披露して行く。レコードを聞くと、ポール・マッカートニーが好きなんだろうなあという歌を認めることができるが、ザ・ビートルズやザ・ビーチボーイズ曲の断片を差し込む曲もあった。
紙を見ながら日本語でMCしたり、もともとのショウの演出で最後にメンバー全員で中世っぽい旗をふることになっており、その際は日本の国旗を手にしたりもした。彼は英国にも家を持っていて、英語MCはこなれていた。そういえば、アビーロード・スタジオ録音曲もある『Lys & Love』にはザ・フー(2008年11月17日)のロジャー・ダルトリーが歌う曲も入っていた。
<翌日の、ローラン>
午前中に、取材。やっぱし、すごくほんわか。いい人。いや、それは事前の想像をはるかに超えたな。顔つきはスモーキー・ロビンソンとジョン・オーツ(2012年4月5日、他)を足したような感じ? 取材中に、出かけていたらしい奥さんがホテルの部屋の鍵を受け取りに取材場所にやってくる。僕の奥さんとさくっと紹介してくれるのも、とても好印象。奇麗な人だった。子供が4人いて、うち3人はミュージシャンをやっているとか。
バックの3人はNY拠点の人たちかも? ベーシストのアンディ・ヘスは人気ジャム・バンドのガヴァメント・ミュールのメンバーだったこともある人で、ジョン・スコフィールドやデイヴィッド・バーン作なんかにも名前が見られ、今はスティーヴ・キモック・バンド(2012年7月27日)のメンバーでもある。“ザ・キング・オブ・ドラム・ソロ”とランドウが紹介していたドラマーのアラン・ハーツはやはりジャム・バンドのガラージュ・マハルのメンバーだ。そして、オルガンを弾いていたのは、なんと著名ジャズ・オルガン/ピアノ奏者のラリー・ゴールディングス(2000年3月2日、他)。彼はランドウの新作にも部分は関与しているが、ランドウはコットンクラブ向けのスペシャル・ゲストみたいな紹介をしていた。ゴールディングスはベース音演奏も強力なことで知られるが、今回はベーシストがいるので、少し手持ち無沙汰みたいな感じもあったかな。
その後は、江戸川橋・椿山荘のオリオンホールで、ローラン・ヴィルズィのショウを見る。在日フランス商工会議所主催のパーティへの出演で、パトリック・ブリュエル(2009年11月24日)と同じパターンの非一般公演。1977年にソロ・デビュー後、スター街道をずっと歩んでいるというシンガー・ソングライター(1948年、パリ生まれ。両親はガゥドループの出身)だが、それはフランス人の熱い反応を見るとよく分る。もう、アンコールを求める際の騒ぎようといったなら。もちろん、客の合唱状態曲もあり。
ショウはギターを弾きながら歌う本人に加え、キーボード、ベース、パーカッション、女性のチェロ/ハープ、女性のヴァイオリン/ヴォーカル(歌う際は、ケルト味が出る)という布陣。昨年出した『Lys & Love』(Columbia)をフォロウするツアーの抜粋メンバーのよう。どの曲も、プリセットの音を併用し、ヴィルズィは誠心誠意、やたらと心をこめてぬめっとしたポップ・ロックを披露して行く。レコードを聞くと、ポール・マッカートニーが好きなんだろうなあという歌を認めることができるが、ザ・ビートルズやザ・ビーチボーイズ曲の断片を差し込む曲もあった。
紙を見ながら日本語でMCしたり、もともとのショウの演出で最後にメンバー全員で中世っぽい旗をふることになっており、その際は日本の国旗を手にしたりもした。彼は英国にも家を持っていて、英語MCはこなれていた。そういえば、アビーロード・スタジオ録音曲もある『Lys & Love』にはザ・フー(2008年11月17日)のロジャー・ダルトリーが歌う曲も入っていた。
<翌日の、ローラン>
午前中に、取材。やっぱし、すごくほんわか。いい人。いや、それは事前の想像をはるかに超えたな。顔つきはスモーキー・ロビンソンとジョン・オーツ(2012年4月5日、他)を足したような感じ? 取材中に、出かけていたらしい奥さんがホテルの部屋の鍵を受け取りに取材場所にやってくる。僕の奥さんとさくっと紹介してくれるのも、とても好印象。奇麗な人だった。子供が4人いて、うち3人はミュージシャンをやっているとか。
アルゼンチン在住の、ボサノヴァ大得意のシンガー/ギタリスト(2009年10月2日、他)のショウ。青山・プラッサオンゼ。現在、“30年+1周年ライヴ”期間中、それを祝うために、彼は入っていた予定をキャンセルして、わざわざ来日したのだという。まあ、そのナイス・ガイぶりは、その音楽にもたっぷり顕われているわけだが。技と細やかな気持ちが、ちゃんと綱引きしているよな。
1ショウと告知されていたが、2ショウにて。ともに、ギター弾き語りで始まり、途中からリズム・セクション(コモブチキイチロウ:2012年4月10日他、と石川智)が加わる。最後のほうに3曲、ポル語ではなく、母国語のスペイン語による曲を披露。かなり良い。次は、スペイン語のアルバムになるのかな。
<今日の、購買品>
前にも書いたことがあるかもしれないが、ぼくはスケジュール帳を持っていない。PCやケータイのスケジュール調も使っていない。原稿の締め切りなどは仕事ノートに記すとともに、事項と締め切りを書いた紙片を背後のCD棚にポンポン張っておき(原稿を送付すると、それを剥がしまるめて捨てる。ときに、その行為に快感をほのかに覚える)、人と会う用事や遊びやコンサートの予定は大きめのカレンダーに書き込む。今日、近所の書店で、来年の書き込み用カレンダーを買ってしまった。ここ数年同じものを使っていたが、今年はちょい違うものを選ぶ。なんか、それだけで、ほんの少しうれしい?
1ショウと告知されていたが、2ショウにて。ともに、ギター弾き語りで始まり、途中からリズム・セクション(コモブチキイチロウ:2012年4月10日他、と石川智)が加わる。最後のほうに3曲、ポル語ではなく、母国語のスペイン語による曲を披露。かなり良い。次は、スペイン語のアルバムになるのかな。
<今日の、購買品>
前にも書いたことがあるかもしれないが、ぼくはスケジュール帳を持っていない。PCやケータイのスケジュール調も使っていない。原稿の締め切りなどは仕事ノートに記すとともに、事項と締め切りを書いた紙片を背後のCD棚にポンポン張っておき(原稿を送付すると、それを剥がしまるめて捨てる。ときに、その行為に快感をほのかに覚える)、人と会う用事や遊びやコンサートの予定は大きめのカレンダーに書き込む。今日、近所の書店で、来年の書き込み用カレンダーを買ってしまった。ここ数年同じものを使っていたが、今年はちょい違うものを選ぶ。なんか、それだけで、ほんの少しうれしい?
八代亜紀。トニー・ハドリー
2012年11月9日 音楽 まず、南青山・ブルーノートで、小西康陽プロデュースのジャジー作『夜のアルバム』をリリースした八代亜紀を見る。もちろん同作をフォロウするショウで、サポートは、ヴァイブラフォン/ピアノ、ギター、ウッド・ベース、ドラム、パーカション、リードという編成。それは、アルバムに参加していた人たちと思う。
同作のリリースに際し、八代、小西のお二人に別個に話をうかがう機会を得たが、その両者の発言が一致していたのは、ジャズも歌謡曲も分け隔てなく歌った往年のクラブ歌手時代のハイカラなノリを今につないでみよう……。ジュリー・ロンドンが好きでクラブ歌手に憧れた(ロンドンの経歴にクラブで歌っていてという記載を見つけたからだそう。彼女がロンドンのシングルに触れたのは5歳のときだった)彼女が10代で銀座のクラブで歌うようになったとき(この日のMCによれば、当初からかなり高給であったという)は本当にそのレパートーリーは粋で広かったし、あの時代のことを彼女は本当にいい思い出として心にとめている。蛇足だが、彼女はマイケル・ジャクソンと同じ誕生日、それは本人も承知している。
アルバム収録曲を中心に、ジャジーでムーディなもう一人の八代亜紀を披露する、という感じでショウはすすむ。小西さんによれば、あんなに歌う声が小さい人は初めてながら、歌声のコントロールや表情は完璧とのことだが、やはり何を歌っても、どんなノリでも、接する者に多大なものをじわーんと与える歌い手であるのは間違いない。
歌の力、芸能の世界に生きてきた人ならではの底力、如実に感じる。ながら、そうでありながら、ある種の柔らかさを与えるのがいい。インタヴューしたときも感じたが、いい意味でのB型の率直さ、チャーミングさがあふれるのが彼女の大きな魅力。そして、なにより本人が楽しんでやっているのが分るのがいい。MCの際もバンドの面々と仲良く絡もうという気持ちが出ていて、それも接する者に和みの感覚を与える。彼女は一度ステージをおりて、お召替え。二度目のほうが、クラブ歌手のイメージ強し。
そして、その後は六本木・ビルボードライブ東京へ。デュラン・デュランなんかと同じ島にいた(ニュー・ロマンティクスなんて呼称もありました)、1980年代上半期にUK型妖艶ソウル・ポップ系表現を送り出したスパンダー・バレエのシンガーだったトニー・ハドリーのショウを見る。一緒にライヴを見た一人が、若い時分にハドリーを旦那さん#1候補に勝手に定めたほどのファンとかで、キャアキャア言っている。あははは。
普通にバンドを従えての実演で、簡単に言ってしまえばオールド・ウェイヴなロック・ショウ。ドラマーはスパンダー・バレエのオリジナルのドラマーであるそうで、バンド員のなかでは一番大きな拍手をもらっていた。女性バッキング歌手はアフリカ系でかわいらしい。
ソロとしても10枚ぐらいアルバムを出しているハドリーは52歳だそうだが、もっとコテコテのおやじに見える。ステージ・アクションもエグく、突っ込みどころ満載と書きたくなる感じ。その見てくれはUK演歌歌手といった風情。で、その感じに合致するように、声量たっぷり。好き嫌いは別として、わー歌える人だアと誰もが思うに違いない御仁ではあったな。
スパンダー・バレエの曲を中心に、ソロとして出した曲やカヴァー・アルバム収録曲などを屈託なく、披露。ぼくもちゃんと知っている、彼ら一番の1983年ヒット曲「トゥルー」は、技ありポップなラップ・チームのP.M.ドーンが1991年に大胆サンプリングしたことで知られる曲ですね。なんか途中から、ニュー・ウェイヴ期のトム・ジョーンズという感想も湧く。最後の曲だけ、ピコピコいうプリセット音を重ねた。
<今日の、えーん>
完全に昼夜逆転してしまっている。それも、朝まで飲んでいたりするせい。あー、なんで懲りないんだろう?
同作のリリースに際し、八代、小西のお二人に別個に話をうかがう機会を得たが、その両者の発言が一致していたのは、ジャズも歌謡曲も分け隔てなく歌った往年のクラブ歌手時代のハイカラなノリを今につないでみよう……。ジュリー・ロンドンが好きでクラブ歌手に憧れた(ロンドンの経歴にクラブで歌っていてという記載を見つけたからだそう。彼女がロンドンのシングルに触れたのは5歳のときだった)彼女が10代で銀座のクラブで歌うようになったとき(この日のMCによれば、当初からかなり高給であったという)は本当にそのレパートーリーは粋で広かったし、あの時代のことを彼女は本当にいい思い出として心にとめている。蛇足だが、彼女はマイケル・ジャクソンと同じ誕生日、それは本人も承知している。
アルバム収録曲を中心に、ジャジーでムーディなもう一人の八代亜紀を披露する、という感じでショウはすすむ。小西さんによれば、あんなに歌う声が小さい人は初めてながら、歌声のコントロールや表情は完璧とのことだが、やはり何を歌っても、どんなノリでも、接する者に多大なものをじわーんと与える歌い手であるのは間違いない。
歌の力、芸能の世界に生きてきた人ならではの底力、如実に感じる。ながら、そうでありながら、ある種の柔らかさを与えるのがいい。インタヴューしたときも感じたが、いい意味でのB型の率直さ、チャーミングさがあふれるのが彼女の大きな魅力。そして、なにより本人が楽しんでやっているのが分るのがいい。MCの際もバンドの面々と仲良く絡もうという気持ちが出ていて、それも接する者に和みの感覚を与える。彼女は一度ステージをおりて、お召替え。二度目のほうが、クラブ歌手のイメージ強し。
そして、その後は六本木・ビルボードライブ東京へ。デュラン・デュランなんかと同じ島にいた(ニュー・ロマンティクスなんて呼称もありました)、1980年代上半期にUK型妖艶ソウル・ポップ系表現を送り出したスパンダー・バレエのシンガーだったトニー・ハドリーのショウを見る。一緒にライヴを見た一人が、若い時分にハドリーを旦那さん#1候補に勝手に定めたほどのファンとかで、キャアキャア言っている。あははは。
普通にバンドを従えての実演で、簡単に言ってしまえばオールド・ウェイヴなロック・ショウ。ドラマーはスパンダー・バレエのオリジナルのドラマーであるそうで、バンド員のなかでは一番大きな拍手をもらっていた。女性バッキング歌手はアフリカ系でかわいらしい。
ソロとしても10枚ぐらいアルバムを出しているハドリーは52歳だそうだが、もっとコテコテのおやじに見える。ステージ・アクションもエグく、突っ込みどころ満載と書きたくなる感じ。その見てくれはUK演歌歌手といった風情。で、その感じに合致するように、声量たっぷり。好き嫌いは別として、わー歌える人だアと誰もが思うに違いない御仁ではあったな。
スパンダー・バレエの曲を中心に、ソロとして出した曲やカヴァー・アルバム収録曲などを屈託なく、披露。ぼくもちゃんと知っている、彼ら一番の1983年ヒット曲「トゥルー」は、技ありポップなラップ・チームのP.M.ドーンが1991年に大胆サンプリングしたことで知られる曲ですね。なんか途中から、ニュー・ウェイヴ期のトム・ジョーンズという感想も湧く。最後の曲だけ、ピコピコいうプリセット音を重ねた。
<今日の、えーん>
完全に昼夜逆転してしまっている。それも、朝まで飲んでいたりするせい。あー、なんで懲りないんだろう?
日本武道館。2日間公演のうちの初日で、満席。スタンド席、かなり横のほうまで客を入れている。サポートはギター、キーボード、ベース、ドラム。過去、おやじに囲まれて実演する感じもあった彼女だが、今回のバンドはそれなりに彼女と近い世代の人たちか。
7年ぶりの、一般公演とか。前回の2004年のそれを、ぼくは見ておらず。でも、なぜかプロモーション来日をかねての非一般公演は2度(2007年3月21日、2010年1月20日)見ており、あとブレイク間もない彼女のショウをローマで見ている(2002年5月30日)ので、なんとなく彼女のライヴにはそれなりに触れているという気にはなっているな。
淡いジャジー・ポップ路線から、カントリー味も持つポップス路線に移行、とともに鍵盤ではなくギターを持って歌う曲比率があがり、その後はより現代的なシンガー・ソングライターとしての像を追求している……というのが、ここ10年のおおまかなジョーンズの歩みだ。ウッド・ベーシストで曲も共作していたリー・アレクサンダーとの個人的関係を清算して以降の近2作品は、生理的にダークだったりハードだったりする音像も彼女は採用するようになってもいる。ま、それはアーティストの欲求であり、我々がしのご言うものでもないが、変化することを恐れないその姿勢は賞賛するに値する。だが、“ジャジーなジョーンズ”と、“コンテンポラリーなシンガー・ソングライターのジョーンズ”、どちらを取るかと言ったら、ぼくは前者の彼女を取る。だって、「ドント・ノウ・ホワイ」のころの彼女には代えがない(だから、フォロワーは鬼のように生んだ)けど、後者の彼女の行き方はもっと優れた代えがいると思うもの。残念だけど、いろいろロックを愛好しているぼくは、そう感じる。
でも、彼女の米国チャート成績はそんなに変わらないので、多くの聞き手はその変化もOKとする人が多いと推測されるし、今回の満場の観客の反応を見ると、シンガー・ソングライター路線もそれなりに歓迎されていると思えた。
とはいえ、中後半にやったピアノ音色キーボード弾き語りのスタンダードの「ザ・ニアレス・オブ・ユー」(デビュー作の最後に置かれていた曲。キース・リチャーズが大好きな曲で、ストーンズの2004年作『ライヴ・リックス』でカヴァーを披露も。彼がツアー中に突然やると言い出したという)と出世曲「ドント・ノウ・ホワイ」はやはりグっと来たし、お客の歓声もデカかった。とくに、後者は弾き語りであることを活かした、彼女の中の情の沸き上がりを直裁に伝えるものになっていて、かなり揺り動かされた。そして、それを聞くと、彼女の歌声もあの頃から比べると太くなっていると実感。どこか“漂う”感じがその歌声の美点である彼女にとって、それは良い事かどうかは見解が分かれることかもしれないが、なんか自分の足で立っている風情がより前面に出ていて、ぼくはジーンとなっちゃったのだ。
なお、前座で、彼女のサイド・プロジェクトであるリトル・ウィリーズのギタリストであるジム・カンピロンゴのトリオが登場。25分の演奏時間ながら、受けた感興は2012年6月28日の単独ライヴのときとほぼ同じ。ベーシストはそのときと違う人かもしれない。カンピロンゴは満場の客を前にうれしそう、夢が叶った、なんてMCもしていた。この後、ジョーンズは南米ツアーに入るが、その際の前座はジェシー・ハリス(2012年7月16日)だ。
<今日の、午前中>
撮影の立ち会いで、南青山・根津美術館に。改築なった後、ここに初めて来た。木々が一杯の中庭やはり圧倒され、文京区の椿山荘の庭を思い出したりもする。もみじの木がすんごくデカい。もう少したつと、とても紅葉がきれいそう。
7年ぶりの、一般公演とか。前回の2004年のそれを、ぼくは見ておらず。でも、なぜかプロモーション来日をかねての非一般公演は2度(2007年3月21日、2010年1月20日)見ており、あとブレイク間もない彼女のショウをローマで見ている(2002年5月30日)ので、なんとなく彼女のライヴにはそれなりに触れているという気にはなっているな。
淡いジャジー・ポップ路線から、カントリー味も持つポップス路線に移行、とともに鍵盤ではなくギターを持って歌う曲比率があがり、その後はより現代的なシンガー・ソングライターとしての像を追求している……というのが、ここ10年のおおまかなジョーンズの歩みだ。ウッド・ベーシストで曲も共作していたリー・アレクサンダーとの個人的関係を清算して以降の近2作品は、生理的にダークだったりハードだったりする音像も彼女は採用するようになってもいる。ま、それはアーティストの欲求であり、我々がしのご言うものでもないが、変化することを恐れないその姿勢は賞賛するに値する。だが、“ジャジーなジョーンズ”と、“コンテンポラリーなシンガー・ソングライターのジョーンズ”、どちらを取るかと言ったら、ぼくは前者の彼女を取る。だって、「ドント・ノウ・ホワイ」のころの彼女には代えがない(だから、フォロワーは鬼のように生んだ)けど、後者の彼女の行き方はもっと優れた代えがいると思うもの。残念だけど、いろいろロックを愛好しているぼくは、そう感じる。
でも、彼女の米国チャート成績はそんなに変わらないので、多くの聞き手はその変化もOKとする人が多いと推測されるし、今回の満場の観客の反応を見ると、シンガー・ソングライター路線もそれなりに歓迎されていると思えた。
とはいえ、中後半にやったピアノ音色キーボード弾き語りのスタンダードの「ザ・ニアレス・オブ・ユー」(デビュー作の最後に置かれていた曲。キース・リチャーズが大好きな曲で、ストーンズの2004年作『ライヴ・リックス』でカヴァーを披露も。彼がツアー中に突然やると言い出したという)と出世曲「ドント・ノウ・ホワイ」はやはりグっと来たし、お客の歓声もデカかった。とくに、後者は弾き語りであることを活かした、彼女の中の情の沸き上がりを直裁に伝えるものになっていて、かなり揺り動かされた。そして、それを聞くと、彼女の歌声もあの頃から比べると太くなっていると実感。どこか“漂う”感じがその歌声の美点である彼女にとって、それは良い事かどうかは見解が分かれることかもしれないが、なんか自分の足で立っている風情がより前面に出ていて、ぼくはジーンとなっちゃったのだ。
なお、前座で、彼女のサイド・プロジェクトであるリトル・ウィリーズのギタリストであるジム・カンピロンゴのトリオが登場。25分の演奏時間ながら、受けた感興は2012年6月28日の単独ライヴのときとほぼ同じ。ベーシストはそのときと違う人かもしれない。カンピロンゴは満場の客を前にうれしそう、夢が叶った、なんてMCもしていた。この後、ジョーンズは南米ツアーに入るが、その際の前座はジェシー・ハリス(2012年7月16日)だ。
<今日の、午前中>
撮影の立ち会いで、南青山・根津美術館に。改築なった後、ここに初めて来た。木々が一杯の中庭やはり圧倒され、文京区の椿山荘の庭を思い出したりもする。もみじの木がすんごくデカい。もう少したつと、とても紅葉がきれいそう。
ラフォーレ・ミュージアム六本木(2009年12月17日)で、ニュージャージー拠点の洒脱技アリ3人組ロック・バンドの実演を見る。
こりゃ、おもしろい。“ザ・フリーウィーリング(freewheeling)・ヨ・ラ・テンゴ”と題された企画ライヴで、すでに米国や欧州ではそれでツアーをしているよう。で、その意味する事は、観客と質疑応答をし、その題材から思いつく曲を気軽にパフォーマンスしていく、というもの。たとえば、今回はニュージャージーのハリケーン・サンディ被害の質問に答えて水にまつわる新旧曲を披露したり、昨年の惨事の際はあなたたちの「ニュークリアー・ウォー」(サン・ラーのカヴァー。かつて、両者が共にフジ・ロックに出演した際はヨ・ラ・テンゴのショウで、その曲を一緒に披露した。2003年7月25〜27日の項を参照されたし)に勇気づけられましたという発言を受けて、「ニュークリアー・ウォー」をやったり。
そんな感じなので、ショウの半分近くは質疑応答の時間で、通訳が入る、その通訳陣、ヨ・ラ・テンゴと同様に女性1人男性2人であったのは、彼らの洒落か。ゆえに、会話の時間は海外でのそれより長くなったと思われ、アンコールを含め2時間と少し、彼らはステージ上にいたかな。
会場は全椅子席であり(けっこう、広い会場だった)、質疑応答のときは場内の灯りもつけられる。わきあいあい、率直にして臨機応変、自在闊達なアコースティック気味のパフォーマンス。彼らは持ち楽器を曲によって代えるバンドであるが、この晩はアンコールでの1曲いがい、それをしなかった。
当然、セットリストは用意されていないわけで、質疑応答の流れ(客に媚びを売ることはせず)のもと普段ライヴではやっていないヨ・ラ・テンゴ曲や、カヴァー曲なんかも披露。デイヴ・クラーク5のカヴァーのときは、学祭のバンドに触れたキブンになったかな。物事の持って行き方や、見方はいろいろ。機智の効いたその音楽性と横並びの飄々とした“態度”を彼らは存分に出していたと思う。あ、そのウィットに富んだ気ままなノリは、少しフランク・ブラックのギター漫談弾き語りライヴ(2007年5月10日)を思い出させたかな。
<今日の、アクセス>
久しぶりにラフォーレ・ミュージアム六本木に行ったけど、ぼくの生理としては変な感じで駅から離れていて、初めて行く海外の都市だったら最寄り駅から徒歩でたどり着くのは難儀かもと、ふと思う。まあ、そういうときのために、タクシーはあるわけだが。しかし今回、六本木一丁目駅から森ビルの会場建物に行ったのだが、延々とエスカレーターで坂を上って行く風景/感覚はなかなかに凄い。まじ、欧米の映画のシーンみたいと感じる。この会場辺りにつながる神谷町駅からの長〜い山登り遊歩道もあるはずで、不便だからこそ、ここらへん変なところが整備されているんだなーと思った。だから、どーしたということもないが。
こりゃ、おもしろい。“ザ・フリーウィーリング(freewheeling)・ヨ・ラ・テンゴ”と題された企画ライヴで、すでに米国や欧州ではそれでツアーをしているよう。で、その意味する事は、観客と質疑応答をし、その題材から思いつく曲を気軽にパフォーマンスしていく、というもの。たとえば、今回はニュージャージーのハリケーン・サンディ被害の質問に答えて水にまつわる新旧曲を披露したり、昨年の惨事の際はあなたたちの「ニュークリアー・ウォー」(サン・ラーのカヴァー。かつて、両者が共にフジ・ロックに出演した際はヨ・ラ・テンゴのショウで、その曲を一緒に披露した。2003年7月25〜27日の項を参照されたし)に勇気づけられましたという発言を受けて、「ニュークリアー・ウォー」をやったり。
そんな感じなので、ショウの半分近くは質疑応答の時間で、通訳が入る、その通訳陣、ヨ・ラ・テンゴと同様に女性1人男性2人であったのは、彼らの洒落か。ゆえに、会話の時間は海外でのそれより長くなったと思われ、アンコールを含め2時間と少し、彼らはステージ上にいたかな。
会場は全椅子席であり(けっこう、広い会場だった)、質疑応答のときは場内の灯りもつけられる。わきあいあい、率直にして臨機応変、自在闊達なアコースティック気味のパフォーマンス。彼らは持ち楽器を曲によって代えるバンドであるが、この晩はアンコールでの1曲いがい、それをしなかった。
当然、セットリストは用意されていないわけで、質疑応答の流れ(客に媚びを売ることはせず)のもと普段ライヴではやっていないヨ・ラ・テンゴ曲や、カヴァー曲なんかも披露。デイヴ・クラーク5のカヴァーのときは、学祭のバンドに触れたキブンになったかな。物事の持って行き方や、見方はいろいろ。機智の効いたその音楽性と横並びの飄々とした“態度”を彼らは存分に出していたと思う。あ、そのウィットに富んだ気ままなノリは、少しフランク・ブラックのギター漫談弾き語りライヴ(2007年5月10日)を思い出させたかな。
<今日の、アクセス>
久しぶりにラフォーレ・ミュージアム六本木に行ったけど、ぼくの生理としては変な感じで駅から離れていて、初めて行く海外の都市だったら最寄り駅から徒歩でたどり着くのは難儀かもと、ふと思う。まあ、そういうときのために、タクシーはあるわけだが。しかし今回、六本木一丁目駅から森ビルの会場建物に行ったのだが、延々とエスカレーターで坂を上って行く風景/感覚はなかなかに凄い。まじ、欧米の映画のシーンみたいと感じる。この会場辺りにつながる神谷町駅からの長〜い山登り遊歩道もあるはずで、不便だからこそ、ここらへん変なところが整備されているんだなーと思った。だから、どーしたということもないが。
アルベア・iTD。ジョー
2012年11月1日 音楽 まず丸の内・コットンクラブで、モロッコ生まれで、イスラエルや仏リヨンを経由して、現在はオーストラリアに住み活動をしているアルベア・iTDというギタリストのリーダー・バンドを見る。独エンヤからアルバムを出していると書けば興味を引かれる人もいるかもしれぬが、今のエンヤはブルーノートと同じ様にレーベル・カラーが変わってきているので、そういう属性には着目しないほうがよろしい→→そういう部分で、間口を広げつつ未だレーベル・カラーを持ち続けているECMって本当にすごいナ。そういえば、現在エンヤは2系統で作品リリースをしていて(外とのライセンス契約も分けてやっているよう)、別な方のエンヤから出ている、ロン・マイルズ(2005年6月9日)とビル・フリゼール(2011年1月30日、他)とブライアン・ブレイド(2012年5月22日、他)のトリオによるライヴ盤『クイヴァー』はすばらしい、もう一つの現代ジャズ・アルバムだ。ライナー・ノーツ担当盤だが、そんなの抜きに、あれはいいアルバムだ。
バックはピアノ、ウッド・ベース、ドラムというピアノ・トリオ。それだけを取るとジャズの演奏家のようだが、聞き味はおおいにフュージョン。それは本人の深みのない演奏や曲作り、またサイド・マンと持ち合うスポンテイニアス度の低さが導くものと思われる。もちろん、モロッコやイスラエルという項目を感じさせる部分もなし。ぼくは日本人のジャズ演奏家に日本的な部分を求めないので、それは別にかまわない。
続いて、六本木・ビルボードライブ東京で、デビュー後約10年にわたり人気者の位置に居続けるR&B歌手のジョーを見る。すくっと長身、精悍。まず、ステージ上に出て来た本人を見てかっこいいと素直に思う。やっぱ、ポップ・ミュージックは見てくれも重要要素だ。
そして、キーボード、ギター(日本人)、ベース(鍵盤も)、ドラム、トランペット、サックスというバンドを従えて、悠々ショウは進められる。プリセット音も控え目に用い、バッキグ・コーラスはそれで代用。普通だったら、管音をキーボード音でまかない、リアルのバッキング・コーラス担当者を雇うところだが、彼の場合は(人員が限られるなか)生のブラス音を用いることを優先させた。それは、好みである。
途中、ギターを弾きながら2曲しっとり歌ったりもする。同様のことをするピーボ・ブライソン(2012年1月30日、他)より、ギターうまいかな。また、後半部から、東京メトロポリス夜景を見せるステージ裏の幕が開けられる(通常はアンコール時に開けられる)。毎年この会場でやっているので、勝手知ったるという感じか。それにしても、この会場をガラスの外壁越しに外から見たら、とっても奇麗だろうなーと思わずにはいられず。また、勝手知ったる、というのは、お客さんも同様。彼はショウの最中にも鷹揚にハグやサインに応じたりもしていて(でも、服を脱いだり、胸をはだけたりするような行き方は取らない。ぼくはオトコなので賛成。でも、それもある種の品格にはつながるか)、前のほうの人はそれをご存知のようでフェルト・ペンを持参して来ている。そうしたファン・サーヴィスもあり、最後にステージから楽屋へのドアにたどり着くまで10分はかかったのではないか。その際、バンドは臨機応変に演奏を長引かせていて、二管の演奏音はかなり効いていた。
<今日の、初めて>
ジョーのショウの前奏で、巧みにコードを置き換えた「君が代」をバンドは演奏する。来日バンドで、君が代を演奏するのには初めてふれるなあ。それから、前のほうのお客さんは赤いバラを持参して来ている人が多くて、終盤それを彼に次々に手渡す。男性シンガーが女性のお客さんにサーヴィスでバラを手渡すシーンは何度か触れたことがあるが、その逆には初めて触れるかも。
バックはピアノ、ウッド・ベース、ドラムというピアノ・トリオ。それだけを取るとジャズの演奏家のようだが、聞き味はおおいにフュージョン。それは本人の深みのない演奏や曲作り、またサイド・マンと持ち合うスポンテイニアス度の低さが導くものと思われる。もちろん、モロッコやイスラエルという項目を感じさせる部分もなし。ぼくは日本人のジャズ演奏家に日本的な部分を求めないので、それは別にかまわない。
続いて、六本木・ビルボードライブ東京で、デビュー後約10年にわたり人気者の位置に居続けるR&B歌手のジョーを見る。すくっと長身、精悍。まず、ステージ上に出て来た本人を見てかっこいいと素直に思う。やっぱ、ポップ・ミュージックは見てくれも重要要素だ。
そして、キーボード、ギター(日本人)、ベース(鍵盤も)、ドラム、トランペット、サックスというバンドを従えて、悠々ショウは進められる。プリセット音も控え目に用い、バッキグ・コーラスはそれで代用。普通だったら、管音をキーボード音でまかない、リアルのバッキング・コーラス担当者を雇うところだが、彼の場合は(人員が限られるなか)生のブラス音を用いることを優先させた。それは、好みである。
途中、ギターを弾きながら2曲しっとり歌ったりもする。同様のことをするピーボ・ブライソン(2012年1月30日、他)より、ギターうまいかな。また、後半部から、東京メトロポリス夜景を見せるステージ裏の幕が開けられる(通常はアンコール時に開けられる)。毎年この会場でやっているので、勝手知ったるという感じか。それにしても、この会場をガラスの外壁越しに外から見たら、とっても奇麗だろうなーと思わずにはいられず。また、勝手知ったる、というのは、お客さんも同様。彼はショウの最中にも鷹揚にハグやサインに応じたりもしていて(でも、服を脱いだり、胸をはだけたりするような行き方は取らない。ぼくはオトコなので賛成。でも、それもある種の品格にはつながるか)、前のほうの人はそれをご存知のようでフェルト・ペンを持参して来ている。そうしたファン・サーヴィスもあり、最後にステージから楽屋へのドアにたどり着くまで10分はかかったのではないか。その際、バンドは臨機応変に演奏を長引かせていて、二管の演奏音はかなり効いていた。
<今日の、初めて>
ジョーのショウの前奏で、巧みにコードを置き換えた「君が代」をバンドは演奏する。来日バンドで、君が代を演奏するのには初めてふれるなあ。それから、前のほうのお客さんは赤いバラを持参して来ている人が多くて、終盤それを彼に次々に手渡す。男性シンガーが女性のお客さんにサーヴィスでバラを手渡すシーンは何度か触れたことがあるが、その逆には初めて触れるかも。
ニッキー・パロット。トゥリッパ・ルイス。カーリーン・アンダーソン
2012年10月29日 音楽 居場所がまるっきり異なる、3人の女性のリーダー公演をハシゴ。
まず、丸の内・コットンクラブで、オーストラリア出身のウッド・ベーシスト/シンガーのリーダー・グループ公演を見る。お、パロットさん、金髪で奇麗。サポートのピアノ、ギター、ドラムはともに各々リーダー作を出している米国居住者。ギタリストのジェイコブ・フィッシャーはクリス・ポッター(2012年5月28日)のアルバムに入っていたこともある。ま、彼女の音楽性は和み傾向にある、小粋な穏健ジャズなので、サイド・マンの優秀さはなかなか顕われにくいが。
インストもやるが、やはりベースを弾きながら歌うパフォーマンスが耳をひく。過剰にうまくないが、奇麗な女性がウッド・ベースを抱えて、けなげに歌う姿にはやはりほのかに感興を覚えるな。もっと、“ベースを弾きながら歌う”路線を前面に出したほうが吉と出ると思った。
次は、原宿・VACATEでブラジル人歌手のトゥリッパ・ルイス(2012年10月23日)。会場入りしたときはすでに始まっていたが、終了までの1時間ほどを見ることができた。7弦ギターとベースやギターを弾く男性2人を従え、伸びやかな、どこかに冒険心や飛びを持つ流動性ある清新ポップを開いていく。やはり、いろいろ思いを抱かせる。
その後は、ヤング・ディサイプルズや一時ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(2010年2月22日、他)のメンバーだったこともあるカーリーン・アンダーソン(1999年8月2日)の、トリオ編成のリーダー・グループ公演を南青山・ブルーノート東京で見た。なんと、サポートは才女RAD(2007年9月6日、2008年4月1日)。さらには、グイド・メイという男性ドラマー。その2人は、米国人だろう。2011年から、アンダーソンはこのトリオを組んでいるということだが。
米国生まれながら、その後英国ソウルの決定的シンガーとして高い評価を受けた彼女がピアノを弾きながら歌うというのはとんと知らなかった。が、それは数曲のみで、後はRADのベース音も出すキーボード演奏に乗って、中央に立って歌う(一部、ラップっぽいときも)。今回彼女の歌に触れ、意外に歌い口の幅が狭い、喉に負担のかかる歌い方をするんだなと感じたが、それこそは彼女に凛とした風情や風を切る佇まいを与えていたものだとも再確認。とにかく、やはりぼくとしては、何をやってもOK! ブルーノート東京はよくぞ呼んでくれましたと、頭を下げる。
<昨日の悲報。今日の吉報>
フォーク+ジャズ+R&B+サムシング。そんなふうに説明できそうな、在シカゴのアフリカ系シンガー・ソングライター、テリー・キャリアがずっと住んでいたシカゴで亡くなった。享年、68歳。ぼくが彼を見たのは、2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日。もちろん、ぼくが見れなかった来日公演もある(はずだ)。取材で会っても、本当に雰囲気のある、静か目で、なんとも優しい人……。
ところで、な、なんとこの12月にコートニー・パインがやってくる。2004年まではブルーノート東京にほぼ毎年やってきていた(ぼくは見ていないが、その後ビルボードライブ東京にも一度出演している)、UKジャズのNo.1リード奏者。来日しなくなって以降も比較的ちゃんとアルバムは出していて、2011年作『Europea』(Destin-E)は確かユーロ人としてのパインを突き詰めた怪作だった(はず。現物、見つからねえ)。とにかく、旧友に会うような親近感もおおいにありで、とても楽しみ。
まず、丸の内・コットンクラブで、オーストラリア出身のウッド・ベーシスト/シンガーのリーダー・グループ公演を見る。お、パロットさん、金髪で奇麗。サポートのピアノ、ギター、ドラムはともに各々リーダー作を出している米国居住者。ギタリストのジェイコブ・フィッシャーはクリス・ポッター(2012年5月28日)のアルバムに入っていたこともある。ま、彼女の音楽性は和み傾向にある、小粋な穏健ジャズなので、サイド・マンの優秀さはなかなか顕われにくいが。
インストもやるが、やはりベースを弾きながら歌うパフォーマンスが耳をひく。過剰にうまくないが、奇麗な女性がウッド・ベースを抱えて、けなげに歌う姿にはやはりほのかに感興を覚えるな。もっと、“ベースを弾きながら歌う”路線を前面に出したほうが吉と出ると思った。
次は、原宿・VACATEでブラジル人歌手のトゥリッパ・ルイス(2012年10月23日)。会場入りしたときはすでに始まっていたが、終了までの1時間ほどを見ることができた。7弦ギターとベースやギターを弾く男性2人を従え、伸びやかな、どこかに冒険心や飛びを持つ流動性ある清新ポップを開いていく。やはり、いろいろ思いを抱かせる。
その後は、ヤング・ディサイプルズや一時ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(2010年2月22日、他)のメンバーだったこともあるカーリーン・アンダーソン(1999年8月2日)の、トリオ編成のリーダー・グループ公演を南青山・ブルーノート東京で見た。なんと、サポートは才女RAD(2007年9月6日、2008年4月1日)。さらには、グイド・メイという男性ドラマー。その2人は、米国人だろう。2011年から、アンダーソンはこのトリオを組んでいるということだが。
米国生まれながら、その後英国ソウルの決定的シンガーとして高い評価を受けた彼女がピアノを弾きながら歌うというのはとんと知らなかった。が、それは数曲のみで、後はRADのベース音も出すキーボード演奏に乗って、中央に立って歌う(一部、ラップっぽいときも)。今回彼女の歌に触れ、意外に歌い口の幅が狭い、喉に負担のかかる歌い方をするんだなと感じたが、それこそは彼女に凛とした風情や風を切る佇まいを与えていたものだとも再確認。とにかく、やはりぼくとしては、何をやってもOK! ブルーノート東京はよくぞ呼んでくれましたと、頭を下げる。
<昨日の悲報。今日の吉報>
フォーク+ジャズ+R&B+サムシング。そんなふうに説明できそうな、在シカゴのアフリカ系シンガー・ソングライター、テリー・キャリアがずっと住んでいたシカゴで亡くなった。享年、68歳。ぼくが彼を見たのは、2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日。もちろん、ぼくが見れなかった来日公演もある(はずだ)。取材で会っても、本当に雰囲気のある、静か目で、なんとも優しい人……。
ところで、な、なんとこの12月にコートニー・パインがやってくる。2004年まではブルーノート東京にほぼ毎年やってきていた(ぼくは見ていないが、その後ビルボードライブ東京にも一度出演している)、UKジャズのNo.1リード奏者。来日しなくなって以降も比較的ちゃんとアルバムは出していて、2011年作『Europea』(Destin-E)は確かユーロ人としてのパインを突き詰めた怪作だった(はず。現物、見つからねえ)。とにかく、旧友に会うような親近感もおおいにありで、とても楽しみ。
サウンド・ヴィジョン・トーキョー。カンタス村田とサンバマシーンズ
2012年10月27日 音楽 上野・東京文化会館での、都が企画する複合イヴェント。なかなかに説明しづらい、ようはいろんな要素の重なりや含みを内にかかえた3組が登場。
1番目は、肉声のPhew(2004年2月29日)と映像の小林エリカによるProject UNDARKとクラスター(2010年7月3日)のデューター・メビウスという組み合わせの出し物。けっこうがっつり噛み合い、何かを飛翔させようという気のようなものが仁王立ち。
2番目は山下残の振り付け/演出による、2人の男性によるパフォーマンスによる『ヘッドホンと耳の間の距離』。効果音は会場のあちこちおかれた小スピーカーからサラウンドなノリで出される。
そして、工藤冬里の定石を崩した先に美学が炸裂するユニット、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年8月31日、他)。10人くらいステージにいたっけか。今回は、いつも以上に“言葉”を引き金とする音楽をやっていたと言いたくなるか。
その後、渋谷と表参道の間にあるクロコダイルに行って、カンタス村田とサンバマシーンズ(2011年5月8日、他)の最後のほう見る。会場、ど盛り上がり、けっこう無礼講状態。なるほど、見せ方に進歩ありと感じる。
<今日の、月>
ほぼ、満月じゃ。どうして、満月を見るとうれしくなるのだろう?
1番目は、肉声のPhew(2004年2月29日)と映像の小林エリカによるProject UNDARKとクラスター(2010年7月3日)のデューター・メビウスという組み合わせの出し物。けっこうがっつり噛み合い、何かを飛翔させようという気のようなものが仁王立ち。
2番目は山下残の振り付け/演出による、2人の男性によるパフォーマンスによる『ヘッドホンと耳の間の距離』。効果音は会場のあちこちおかれた小スピーカーからサラウンドなノリで出される。
そして、工藤冬里の定石を崩した先に美学が炸裂するユニット、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年8月31日、他)。10人くらいステージにいたっけか。今回は、いつも以上に“言葉”を引き金とする音楽をやっていたと言いたくなるか。
その後、渋谷と表参道の間にあるクロコダイルに行って、カンタス村田とサンバマシーンズ(2011年5月8日、他)の最後のほう見る。会場、ど盛り上がり、けっこう無礼講状態。なるほど、見せ方に進歩ありと感じる。
<今日の、月>
ほぼ、満月じゃ。どうして、満月を見るとうれしくなるのだろう?
菊地雅章(サウンド・ライヴ・トーキョー)
2012年10月26日 音楽 こんなにすぐに、在米ジャズ・ピアニストの菊地雅章(2012年6月25日、他。愛称、プーさん)の公演に接することができようとは。しかも、今回はソロのパフォーマンスだ。公演のことを書く前に、この6月にやったインタヴューのさわりを出しておく。
——その後(高校卒業以降。彼の父は日本画家。父親ゆずりの才があったためか、彼が通っていた東京芸大付属高校の美術の先生はそちらのほうで将来を嘱望したという)、もう絵筆は握らないんですか。
「やっぱり、絵は見ていたほうが楽しいよね。だから、良く見に行っている。俺、シャガールにすごい影響を受けたの。というのは、耳に限界が来ているから、別な音が聞こえないのかなと、どうすればそれは可能なのかとと、ずっと何年か悩んでいたわけ。それで、ソロを始めて、ちょうど4年前ぐらい前かな、シャガールの絵にすごいショックを受けた。それから、シャガールの絵をたくさん見始めたんだけど、俺が影響を受けたのは、例えば、あの人の描いている腕があるじゃない、それ途中でねじれているの。本来の腕(の形)じゃないわけ。で、俺はそれを見て突然、これでいいんだと思ってさ。既成概念にとらわれる理由はどこにもないんだと思い、それで俺は開眼した。それが、4、5年前だよね。それからだよ、俺が自由になったのは。うれしかったねえ」
——『サンライズ』(ECM発の新作)はそれを経ての録音になりますよね。
「そう。シャガールにはほんと啓発されたよね。あれを見なかったら、もうちょっと違っているはず」
——シャガールの絵って、NYにいろいろあったりするんですか。
「ところがさあ、それで全集とか集めると、作品数は多いの。だけど、あっちこっち探したんだけど、ないんだよね。確か、アメリカですごい売れたのは15年か20年前。最初メトロポリタンに原画を見たくて行ったんだけど、1点か2点しか飾ってない。それでは物足りないから、そのうちロシアでもなんでもいいんだけど、シャガールの絵を集めているところに行って、できるだけ沢山見たいなと思っている。シャガールの絵を見て、ああコレでいいんだと思って、ホントそれからだよね」
——意外な話です。ぼくは、最初から既成概念取っ払った所で、プーさんは音楽し続けているように思っていますから。
「やっぱり音楽っていうのは、倍音の構成を基本にしているじゃない? だから、それにずっと俺は囚われてきたわけ。それを、どう自分なりに踏まえて、超えるか。それが出きる感覚/方法みたいなものが、シャガールを見て分ったわけ。それからだよ、俺が徹底的に(ピアノを?)さわりだしたの」
——(ブルーノート東京公演をした)今回、ぼくは日曜と月曜のセカンド・セットを見ましたが、倍音のえも言われぬ新鮮な響きで場内が満たされるようなときがあって、ぼくは息を飲みました。
「それは、シャガールの影響だね。それ以降、倍音関係の音の処し方が分ったから。それを乗り越えられた。シャガールの影響はすごいと思うね。自分で確信できる、見えだしたと。だから、俺は今すごい自由よ」
——基本は完全にインプロヴィゼーションで事にあたる今は、曲を書いたりしなくなったんですよね。
「書かない。昔は書いていたけどね。だから、楽よ」
そんな話をしていると、これはソロ演奏が楽しみになるではないか。
約1時間のセットを、2つ。もう気負いなく、楽に指を動かしていく。刺を散らすところもあるが、基本肩のこらないプーさん表現だ。確かに、おおいに演奏観が変わっているのは感じる。1時間少し欠けのファースト・ショウは少なくても10曲は演奏。とくに、前半部は短い曲(3分ぐらいで終える曲もあったか。なにげに、新鮮)が多かった。最終曲は「オルフェ」を気持ちのいいコード使いで開く。この曲はブルーノート公演のときもやりましたね。
マナーは同じものの、セカンド・ショウ(こちらはアンコール1曲を含め、1時間10分近く)はもう少し長めの曲がおおく、少しゆったり目の曲にぼくは誘われる。ぼくは休憩時間にホワイエでワインを飲んで気が緩んだためもあってか、ポーンと気持ちが持って行かれる部分はセカンドのほうが多かったかも。ときに足を踏む音が加味されたり、うなり声があがりもするが、それはファースト・ショウのほうが多かった。また、少し腰を浮かしたのも、ファーストだけだったか。セカンド・ショウを終えてお辞儀するプーさん、とてもうれしそうだった。
今回のソロ公演は、東京都が企画する土日のイヴェント<サウンド・ライヴ・トーキョー>の前夜祭として組まれた。会場は、上野・東京文化会館の小ホール。サウンドにまわるいろんな表現を多角的に提供する催しで、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年3月18日、2004年8月31日) や、タイのイスラム・コミュニティに根ざすバンドのベイビー・アラビア他が出演する。
<今日の、東京文化会館>
上野公園の入り口にあるが、前に来て一瞬????となる。だって、灯りが暗くて、開いているかイマイチ不明な感じを得てしまったから。なるほど建設されて50年たつそうだが、灯りの明るさもそのころを引き継ぐものなのか。ちょいダークな印象は受けるものの、今の建物は明るすぎるよなとは認知する。大ホールはキース・ジャレット・トリオ公演(2007年5月8日)で行ったことがあるが、小ホールに入るのは今回が初めて。扇型の客席がステージを囲む設計で、天井も高い。この会館はもっとも初期に立てられたクラシック専用ホールだそうだが、お金をかけて作ったんだろうなというのはよく分る。そして、実際、ピアノの音も自然で、望外に良かった。ステージ後方にマイクが2本立てられていたが、レコーディングしたのだろうか。
<もう一つ、付録>
上と同じインタヴュー・ソース。
ーーもともと、ジャズにはいつ頃から興味を持ちだしたんですか?
「芸大の付属にいるころだよね。1年か2年のころ、渋谷(毅)とクラリネットの橋本とかと、水道橋にあったジャズ喫茶に行ってね。そこにはマイルスが出て来たころのレコードが入っていたりして、俺と渋谷と橋本と3人でよく授業をさぼって、行っていた。それからだよ、ジャズにひかれたのは。いやあ、あれは不思議な音楽だったよね。それで、ああいうふうに弾きたいなあと思ってね。ちょうどモンクの何が出た頃かな。モンクもあったし、あの印象は強烈だからねえ」
ーー同じようなことを、ぼくはプーさんの『バット・ノット・フォー・ミー』(1978年)を聞いて感じたような。あれを聞いて、わーなんでこうなるのと思い、感激しまくり、俺はジャズを聞くべきなんだと思いましたからね。
「あー、あれはある種の失敗作だよ」
ーーえー、ぼくは大好きです。嫌いですか?
「いや、ゲイリー(・ピーコック)がなんか違うんだよね。それがミスキャストだよね。ドラムはアル・フォスターでしょ。サックスはいなかったよな?」
ーーええ。バーダル・ロイとか打楽器は複数いましたが。
「あれ、まあまあのアルバムじゃない?」
ーーでは、プーさんをして、これはいいというアルバムは?
「『ススト』(1981年)は良くできているよね」
ーーだって、あれは一番調子のいいときのプリンスを凌駕するような出来ですから。
「いやいや、プリンスは凄いよ。まあ、『ススト』は時間がかかっているからねー」
ーーやっぱり、『ススト』はお好きですか。
「あれは凄いと思う。あのリハーサルを始めたとき、なんかのセット・アップを川崎僚に頼んだんだけど、あいつがそれをやらなかったから、エレヴェイターのなかでアイツを殴っちゃったんだ。そしたら、俺が手を折っちゃった。それで、1ヶ月以上レコーディングが延期になったりもした」
ーーあれ、レコーディング参加のミュージシャンの数が多いですよね。
「だから、鯉沼がよくお金を使わせてくれたよね」
ーーあれは、後から相当編集しているんですよね。
「うん、ずいぶん。それには俺もたちあっている。あれ、伊藤潔がやっている」
ーー『ススト』って、日野さんの『ダブル・レインボウ』なんかとわりと平行して録っているんですか。
「いや、『ダブル・レインボウ』は少し後だな。あれは100%、俺がコントロール持っていないから。ハービー(・ハンコック)入れてLAと同時録音したじゃない? そういうやりかた、俺はあんまり好きじゃない。ドラムが2ドラムだよね」
ーー『ススト』のテープはソニーのどこかにあるんですかね。まとめて、編集前のものやアウト・テイクを出さないかなと。
「あると思うよ。でも、今レコード業界がないに等しいじゃない。(それを実現させるのは)大変だよね」
——その後(高校卒業以降。彼の父は日本画家。父親ゆずりの才があったためか、彼が通っていた東京芸大付属高校の美術の先生はそちらのほうで将来を嘱望したという)、もう絵筆は握らないんですか。
「やっぱり、絵は見ていたほうが楽しいよね。だから、良く見に行っている。俺、シャガールにすごい影響を受けたの。というのは、耳に限界が来ているから、別な音が聞こえないのかなと、どうすればそれは可能なのかとと、ずっと何年か悩んでいたわけ。それで、ソロを始めて、ちょうど4年前ぐらい前かな、シャガールの絵にすごいショックを受けた。それから、シャガールの絵をたくさん見始めたんだけど、俺が影響を受けたのは、例えば、あの人の描いている腕があるじゃない、それ途中でねじれているの。本来の腕(の形)じゃないわけ。で、俺はそれを見て突然、これでいいんだと思ってさ。既成概念にとらわれる理由はどこにもないんだと思い、それで俺は開眼した。それが、4、5年前だよね。それからだよ、俺が自由になったのは。うれしかったねえ」
——『サンライズ』(ECM発の新作)はそれを経ての録音になりますよね。
「そう。シャガールにはほんと啓発されたよね。あれを見なかったら、もうちょっと違っているはず」
——シャガールの絵って、NYにいろいろあったりするんですか。
「ところがさあ、それで全集とか集めると、作品数は多いの。だけど、あっちこっち探したんだけど、ないんだよね。確か、アメリカですごい売れたのは15年か20年前。最初メトロポリタンに原画を見たくて行ったんだけど、1点か2点しか飾ってない。それでは物足りないから、そのうちロシアでもなんでもいいんだけど、シャガールの絵を集めているところに行って、できるだけ沢山見たいなと思っている。シャガールの絵を見て、ああコレでいいんだと思って、ホントそれからだよね」
——意外な話です。ぼくは、最初から既成概念取っ払った所で、プーさんは音楽し続けているように思っていますから。
「やっぱり音楽っていうのは、倍音の構成を基本にしているじゃない? だから、それにずっと俺は囚われてきたわけ。それを、どう自分なりに踏まえて、超えるか。それが出きる感覚/方法みたいなものが、シャガールを見て分ったわけ。それからだよ、俺が徹底的に(ピアノを?)さわりだしたの」
——(ブルーノート東京公演をした)今回、ぼくは日曜と月曜のセカンド・セットを見ましたが、倍音のえも言われぬ新鮮な響きで場内が満たされるようなときがあって、ぼくは息を飲みました。
「それは、シャガールの影響だね。それ以降、倍音関係の音の処し方が分ったから。それを乗り越えられた。シャガールの影響はすごいと思うね。自分で確信できる、見えだしたと。だから、俺は今すごい自由よ」
——基本は完全にインプロヴィゼーションで事にあたる今は、曲を書いたりしなくなったんですよね。
「書かない。昔は書いていたけどね。だから、楽よ」
そんな話をしていると、これはソロ演奏が楽しみになるではないか。
約1時間のセットを、2つ。もう気負いなく、楽に指を動かしていく。刺を散らすところもあるが、基本肩のこらないプーさん表現だ。確かに、おおいに演奏観が変わっているのは感じる。1時間少し欠けのファースト・ショウは少なくても10曲は演奏。とくに、前半部は短い曲(3分ぐらいで終える曲もあったか。なにげに、新鮮)が多かった。最終曲は「オルフェ」を気持ちのいいコード使いで開く。この曲はブルーノート公演のときもやりましたね。
マナーは同じものの、セカンド・ショウ(こちらはアンコール1曲を含め、1時間10分近く)はもう少し長めの曲がおおく、少しゆったり目の曲にぼくは誘われる。ぼくは休憩時間にホワイエでワインを飲んで気が緩んだためもあってか、ポーンと気持ちが持って行かれる部分はセカンドのほうが多かったかも。ときに足を踏む音が加味されたり、うなり声があがりもするが、それはファースト・ショウのほうが多かった。また、少し腰を浮かしたのも、ファーストだけだったか。セカンド・ショウを終えてお辞儀するプーさん、とてもうれしそうだった。
今回のソロ公演は、東京都が企画する土日のイヴェント<サウンド・ライヴ・トーキョー>の前夜祭として組まれた。会場は、上野・東京文化会館の小ホール。サウンドにまわるいろんな表現を多角的に提供する催しで、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(2004年3月18日、2004年8月31日) や、タイのイスラム・コミュニティに根ざすバンドのベイビー・アラビア他が出演する。
<今日の、東京文化会館>
上野公園の入り口にあるが、前に来て一瞬????となる。だって、灯りが暗くて、開いているかイマイチ不明な感じを得てしまったから。なるほど建設されて50年たつそうだが、灯りの明るさもそのころを引き継ぐものなのか。ちょいダークな印象は受けるものの、今の建物は明るすぎるよなとは認知する。大ホールはキース・ジャレット・トリオ公演(2007年5月8日)で行ったことがあるが、小ホールに入るのは今回が初めて。扇型の客席がステージを囲む設計で、天井も高い。この会館はもっとも初期に立てられたクラシック専用ホールだそうだが、お金をかけて作ったんだろうなというのはよく分る。そして、実際、ピアノの音も自然で、望外に良かった。ステージ後方にマイクが2本立てられていたが、レコーディングしたのだろうか。
<もう一つ、付録>
上と同じインタヴュー・ソース。
ーーもともと、ジャズにはいつ頃から興味を持ちだしたんですか?
「芸大の付属にいるころだよね。1年か2年のころ、渋谷(毅)とクラリネットの橋本とかと、水道橋にあったジャズ喫茶に行ってね。そこにはマイルスが出て来たころのレコードが入っていたりして、俺と渋谷と橋本と3人でよく授業をさぼって、行っていた。それからだよ、ジャズにひかれたのは。いやあ、あれは不思議な音楽だったよね。それで、ああいうふうに弾きたいなあと思ってね。ちょうどモンクの何が出た頃かな。モンクもあったし、あの印象は強烈だからねえ」
ーー同じようなことを、ぼくはプーさんの『バット・ノット・フォー・ミー』(1978年)を聞いて感じたような。あれを聞いて、わーなんでこうなるのと思い、感激しまくり、俺はジャズを聞くべきなんだと思いましたからね。
「あー、あれはある種の失敗作だよ」
ーーえー、ぼくは大好きです。嫌いですか?
「いや、ゲイリー(・ピーコック)がなんか違うんだよね。それがミスキャストだよね。ドラムはアル・フォスターでしょ。サックスはいなかったよな?」
ーーええ。バーダル・ロイとか打楽器は複数いましたが。
「あれ、まあまあのアルバムじゃない?」
ーーでは、プーさんをして、これはいいというアルバムは?
「『ススト』(1981年)は良くできているよね」
ーーだって、あれは一番調子のいいときのプリンスを凌駕するような出来ですから。
「いやいや、プリンスは凄いよ。まあ、『ススト』は時間がかかっているからねー」
ーーやっぱり、『ススト』はお好きですか。
「あれは凄いと思う。あのリハーサルを始めたとき、なんかのセット・アップを川崎僚に頼んだんだけど、あいつがそれをやらなかったから、エレヴェイターのなかでアイツを殴っちゃったんだ。そしたら、俺が手を折っちゃった。それで、1ヶ月以上レコーディングが延期になったりもした」
ーーあれ、レコーディング参加のミュージシャンの数が多いですよね。
「だから、鯉沼がよくお金を使わせてくれたよね」
ーーあれは、後から相当編集しているんですよね。
「うん、ずいぶん。それには俺もたちあっている。あれ、伊藤潔がやっている」
ーー『ススト』って、日野さんの『ダブル・レインボウ』なんかとわりと平行して録っているんですか。
「いや、『ダブル・レインボウ』は少し後だな。あれは100%、俺がコントロール持っていないから。ハービー(・ハンコック)入れてLAと同時録音したじゃない? そういうやりかた、俺はあんまり好きじゃない。ドラムが2ドラムだよね」
ーー『ススト』のテープはソニーのどこかにあるんですかね。まとめて、編集前のものやアウト・テイクを出さないかなと。
「あると思うよ。でも、今レコード業界がないに等しいじゃない。(それを実現させるのは)大変だよね」
都筑章浩(パーカッション)をリーダーに、トニー・グッピー(スティール・パン)、グレッグ・リー(ベース)、鈴木よしひさ(ギター)という面々のカルテット。青山・プラッサオンゼ。
セカンド・ショウの頭の方から見る。トリニダード出身のグッピーのスティール・パン音が全体の親しみやすくもくつろいだトーンを規定する所もあるが、カリビアン/ラテン色が過剰に濃いわけではなく、ソウルやジャズなども俯瞰した、字義通りのフュージョンをやっていると説明したくなるか。ジョージ・ベンソンの「マスカレード」のカヴァーでは途中の部分は延々とダニー・ハサウェイの「ゲットー」になえり(それは、グレッグ・リーが導いた)、楽しくなる。アンコール前にやった鈴木が書いたという曲は非レギュラー・チューニングのギターが使われる曲で、藤本一馬のソロに入っていても不思議はないような曲だった。
<来月の、プラッサオンゼ>
開店30年+1年を大々的に祝い、来月の大半はアニヴァーサリー・ライヴが行われる。お洒落なほうのカメラマンをしつつ、ブラジル育ちであることもあり中南米の音楽関連の写真もお撮りになっていた故浅田英了さんが1981年にブラジル音楽を愛好するサロンのような感じで開き、そして現在も同じ場所(!)で営業が続いている。まさにブラジル音楽発信の日本の拠点のような場所であり、フェイジョアーダやカイピリーニャなどのブラジル関連飲食アイテムもこの店から広まった感じもあるのではないか。
セカンド・ショウの頭の方から見る。トリニダード出身のグッピーのスティール・パン音が全体の親しみやすくもくつろいだトーンを規定する所もあるが、カリビアン/ラテン色が過剰に濃いわけではなく、ソウルやジャズなども俯瞰した、字義通りのフュージョンをやっていると説明したくなるか。ジョージ・ベンソンの「マスカレード」のカヴァーでは途中の部分は延々とダニー・ハサウェイの「ゲットー」になえり(それは、グレッグ・リーが導いた)、楽しくなる。アンコール前にやった鈴木が書いたという曲は非レギュラー・チューニングのギターが使われる曲で、藤本一馬のソロに入っていても不思議はないような曲だった。
<来月の、プラッサオンゼ>
開店30年+1年を大々的に祝い、来月の大半はアニヴァーサリー・ライヴが行われる。お洒落なほうのカメラマンをしつつ、ブラジル育ちであることもあり中南米の音楽関連の写真もお撮りになっていた故浅田英了さんが1981年にブラジル音楽を愛好するサロンのような感じで開き、そして現在も同じ場所(!)で営業が続いている。まさにブラジル音楽発信の日本の拠点のような場所であり、フェイジョアーダやカイピリーニャなどのブラジル関連飲食アイテムもこの店から広まった感じもあるのではないか。
ブラジルの新世代シンガー・ソングライターの無料ステージを東京駅八重州口・タワーレコードで見る。プロデューサーとしても注目を浴びる弟のグスタヴォ・ルイス(7弦ギター)とベーシストのマルシオ・アランチス(実は、他の楽器もお茶目にいろいろ操る御仁らしい)を率いた、アコースティック・セットによる。
そりゃ、とっても簡素な設定にはなっているが、ちゃんと美味しい広がり、手触りは伝わる。その一部は今の先鋭アルゼンチン勢が放つ感触ともつながるとぼくは感じるが。主役のトゥリッパ嬢はアーティスティックな感じをおもむろに出すのかと思えば、生の場だと気さくな肝っ玉お姉さんという感じ。和気あいあいと、両手を広げて、彼女のことを知らない通行人をも相手にするようにショウをすすめた、とも書けるか。でも、最後の曲で、ヨーコ・オノ風の奇声をゴンゴンかましたりも、タハハ。また、見れるといいな。
<今日の、やりとり>
週末や来週頭にも表参道近辺でトゥリッパ・ルイスたちがパフォーマンスを披露する機会はあるのだが、予定が入ってしまっている。でも、新たな才能をチェックしておきたいということで、演奏時間は短めなのを承知で、東京駅へ。そのあと、赤坂で飲み会があったし。タワーレコードとは言えかなり小さめの店舗で、密な感じで実演に接することができて、少し贅沢だなと思ったか。見ていたらアレレと知人から声をかけられて、思わず「鉄ちゃんで、週に一度は東京駅に来るんですよ」と言ったが、さすが信じてもらえなかった。皆が納得しそうな、東京駅にいる説明とは?と、3秒考えたが、すぐに他のことに興味が移った。
そりゃ、とっても簡素な設定にはなっているが、ちゃんと美味しい広がり、手触りは伝わる。その一部は今の先鋭アルゼンチン勢が放つ感触ともつながるとぼくは感じるが。主役のトゥリッパ嬢はアーティスティックな感じをおもむろに出すのかと思えば、生の場だと気さくな肝っ玉お姉さんという感じ。和気あいあいと、両手を広げて、彼女のことを知らない通行人をも相手にするようにショウをすすめた、とも書けるか。でも、最後の曲で、ヨーコ・オノ風の奇声をゴンゴンかましたりも、タハハ。また、見れるといいな。
<今日の、やりとり>
週末や来週頭にも表参道近辺でトゥリッパ・ルイスたちがパフォーマンスを披露する機会はあるのだが、予定が入ってしまっている。でも、新たな才能をチェックしておきたいということで、演奏時間は短めなのを承知で、東京駅へ。そのあと、赤坂で飲み会があったし。タワーレコードとは言えかなり小さめの店舗で、密な感じで実演に接することができて、少し贅沢だなと思ったか。見ていたらアレレと知人から声をかけられて、思わず「鉄ちゃんで、週に一度は東京駅に来るんですよ」と言ったが、さすが信じてもらえなかった。皆が納得しそうな、東京駅にいる説明とは?と、3秒考えたが、すぐに他のことに興味が移った。
SOUL REBEL
2012年10月20日 音楽 オーヴァーヒートが企画する日本のレゲエの担い手が大挙参加する野外イヴェント、日比谷野外大音楽堂。2000年から続いていており、今回は”ノー・ニュークス”をサブ・タイトルとして大きく掲げている。
4時間の予定でかなりな数の出演者、前半はターンテーブルを使う人たち。そして、後半はホーム・グロウンがハウス・バンドとなり、そこにDJやシンガーたちが乗るという、流れ(らしい)。とあるパーティと重なったため、最後の1時間強しか見れなかったが、レゲエはいいなあ、野外の音楽の催しはいいなあと、単純に高揚。もちろん、場(観客。子供づれも散見)の盛り上がりも凄かった。なんでも、寄付に回す物販売り上げは100万円を超える額となったよう。
なじみあるこだま和文(2001年3月30日)やリクル・マイ(2011年12月9日)は前半部で出演したよう。ぼくが見た時は、生バンドのサウンドをバックに、DJが次々出て、重なる。皆レゲエ愛を露にするだけでなく、まっすぐに反原発をMCやDJで表明。おお。昔から反原発ソングを歌っているランキン・タクシーも登場して、もちろん場を盛り上げ、一つにする。そして、トリはPUSHIM(2006年4月2日)。大昔、ブルース・インターアクションズから出たスパークルという雑誌(創刊号のときだったかな?)で、まだ初々しかった彼女にインタヴューしたことがあった。アリサ・フランクリンも好き、って言っていたっけか。ぼくはまるで変化ないが、彼女はどんどん成熟し、支持層を広げている。素晴らしいな。
最後は皆出て来て、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」をやる。
<今日の、橙色>
月末のハロウィンに向かい、ちまたにはカボチャ関連アイテムがあふれている。それとともに、気温や湿度は下がって来て、秋が来ていることを実感させもするわけだ。そのハロウィンが、元々はケルト系のお祭りと知ったのはいつごろかなあ。というのはともかく、その色が与える感覚もあるかもしれない(それに、なんかユーモラスだよな)がクリスマス関連のものが街に溢れる様より、ぼくは好きかも。食べ物としては、あまりカボチャって好きじゃないけれど。そういえば、去年の今頃、いつも髪の毛をカットしてくれる人がシーズンだし、カボチャのシルエットと色にしましょうという提案を受けたな。その後、そのカットの求めるところを指摘した人が3人ぐらいいた。
4時間の予定でかなりな数の出演者、前半はターンテーブルを使う人たち。そして、後半はホーム・グロウンがハウス・バンドとなり、そこにDJやシンガーたちが乗るという、流れ(らしい)。とあるパーティと重なったため、最後の1時間強しか見れなかったが、レゲエはいいなあ、野外の音楽の催しはいいなあと、単純に高揚。もちろん、場(観客。子供づれも散見)の盛り上がりも凄かった。なんでも、寄付に回す物販売り上げは100万円を超える額となったよう。
なじみあるこだま和文(2001年3月30日)やリクル・マイ(2011年12月9日)は前半部で出演したよう。ぼくが見た時は、生バンドのサウンドをバックに、DJが次々出て、重なる。皆レゲエ愛を露にするだけでなく、まっすぐに反原発をMCやDJで表明。おお。昔から反原発ソングを歌っているランキン・タクシーも登場して、もちろん場を盛り上げ、一つにする。そして、トリはPUSHIM(2006年4月2日)。大昔、ブルース・インターアクションズから出たスパークルという雑誌(創刊号のときだったかな?)で、まだ初々しかった彼女にインタヴューしたことがあった。アリサ・フランクリンも好き、って言っていたっけか。ぼくはまるで変化ないが、彼女はどんどん成熟し、支持層を広げている。素晴らしいな。
最後は皆出て来て、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」をやる。
<今日の、橙色>
月末のハロウィンに向かい、ちまたにはカボチャ関連アイテムがあふれている。それとともに、気温や湿度は下がって来て、秋が来ていることを実感させもするわけだ。そのハロウィンが、元々はケルト系のお祭りと知ったのはいつごろかなあ。というのはともかく、その色が与える感覚もあるかもしれない(それに、なんかユーモラスだよな)がクリスマス関連のものが街に溢れる様より、ぼくは好きかも。食べ物としては、あまりカボチャって好きじゃないけれど。そういえば、去年の今頃、いつも髪の毛をカットしてくれる人がシーズンだし、カボチャのシルエットと色にしましょうという提案を受けたな。その後、そのカットの求めるところを指摘した人が3人ぐらいいた。
デューク・エリントン・オーケストラ・ウィズ・メイシー・グレイ。ザ・クッカーズ
2012年10月17日 音楽 親分が死んだ後もずっと続いている米国名門ジャズ・ビッグ・バンド(2005年4月13日、2009年11月18日、2010年11月24日)の今回公演を聞いていて、あれれこんなに派手というか、クダケていたっけかと思う。ときにがやがや声を構成員があげたり、みんなで立ってみたり。それは、ブラック・ミュージック的な美味しい娯楽感覚を高める方向にあるものだ。とともに、一部はけっこう今っぽい楽器の重なりを感じさせる曲も。やんちゃなトミー・ジェイムズ(ピアノ)がバンド・リーダーになって、どんどん風通しが良くなっているのかと感じたりもした。
そして、今回のゲスト歌手は、個性派R&Bシンガーのメイシー・グレイ(2012年1月4日)。終盤目に出て来た彼女はビッグ・バンド陣のノリに合わせるように黒のドレスを着ており、トレードマークの羽のショールも黒。“クラッシィな私よ!”という感じで、明快に存在感を出せるのはさすがと思わせる。
厳密に言えば、ヴィヴィッドにビッグ・バンドと渡り合うわけではなく、まさに色を添えるというものだったが、それはそれでちゃんとジャズ曲を歌っていたし、これまでいろいろとグレイに触れて来た者としてはうれしい。で、普段は能面のごとく無表情で歌う彼女が、うれしそうに笑顔を見せていたのは意外。かなり汗を拭っていて、緊張している素振りも一方ではあったが。彼女が歌ったのは、「ソリチュード」他、4曲(だったよな?)。もっと曲数が多いほうが良かったが、やはりうれしい重なりではあった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
そして、丸の内・コットンクラブに移動し、経験豊かな辣腕ジャズ・マンたちが組んでいる7人組重量級ジャズ・バンドのザ・クッカーズを見る。ビリー・ハーパー(テナー)、エディ・ヘンダーソン(トランペット)、クレイグ・ハンディ(アルト)、デイヴィッド・ウェイス(トランペット。唯一の白人で、MCを勤める)、ジョージ・ケイブルズ(ピアノ)、セシル・マクビー(ベース)、ヴィクター・ルイス(ドラム)という面々、みんなリーダー作を持つ実力者たち。お、ジャズ版トラヴェリング・ウィルベリーズ、なんちって。白人トランペッターとアルト奏者を除いてはみんな60代後半以上で、とくに豪腕ビリー・ハーパーに日本で今触れることができようとは。けっこう、感激だな。
曲はハーパーやケイブルズらメンバーのオリジナルをやったが、ソロうんぬん言う前に、テーマ部や曲構造がとても格好いい。そして、もちろん、延々とのせられるソロも的確。結果、これはジャズだああ、朽ちることない、本能とワザと英知とほんの少しの気取りがきいたジャズだあと、膝をうつこととなる。とにかく、ジャズの正義がありまくり。ぼくは、先のワールド・サキソフォン・カルテット(2012年9月28日)の実演より、こっちのほうがグっと来た。
残念だったのは、名作曲家でもあるヴィクター・ルイス(1970年代後期のころ、コロムビアと契約していたウディ・ショウのグループ表現で、彼の優れた作曲能力を認知しました)の曲はやらなかったこと。まあ、3作出ているザ・クッカーズのアルバムはどれも名士ビリー・ハート(エスペランサの2012年新作で少し叩いていて、彼の参加をエスペランサはとても誇りに思っている)が叩いていて、ルイスはトラ(代役)であったのかもしれないが。でも、彼の立った叩き方はふむふむと頷かせるものだし、やはり美味しい引っかかりを持つセシル・マクビーとの噛み合いもおおいに笑顔をさそう。ウディ・ショウの77年作『アイアン・マン』(ミューズ)のリズム・セクションはこの2人。昔、大好きでよく聞きました。
<今日の、悲喜こもごも>
昼間は雨が降っていたが、家を出る時にはやんでいて、雲の感じもうすめ。で、傘を持たずに外出したら、ブルーノート公演後はかなりの降雨。こういう見立てが外れるのは悲しい。そしたら、台風が来ているというニュースが流れているでしょと、友人から言われる。確かに、風も強いな。有楽町から帰りに乗った終電に近い電車、横に20代とおぼしき、カジュアルな格好した3人組がいる。1人は日本人のようだが、2人はアジア系ながら日本人ではないみたい。3人は一緒にバイトの帰りだろうか、それとも学生/研究職についている? そんな彼らは器用に日本語で会話していて、思わず彼らをさりげなく見つつ、聞き耳を立ててしまう。なんか、いろいろ地下鉄の乗り換えについて、あーだこーだと言っている。とくに、1人はイントネーションもほぼ完璧で感服。その彼、英語の単語に関しては、英語のイントネーションで話していた。その後、最寄り駅から地上に出ると、パジャマ姿(でも、革靴をはいていた)で傘2本を持ち誰か(家族なのかな)を待っている親父に遭遇。おとうさーん、着替えてよ〜。いやー、自由だなー。ぼくはマンションのゴミ置き場にも、パジャマで出られません。
そして、今回のゲスト歌手は、個性派R&Bシンガーのメイシー・グレイ(2012年1月4日)。終盤目に出て来た彼女はビッグ・バンド陣のノリに合わせるように黒のドレスを着ており、トレードマークの羽のショールも黒。“クラッシィな私よ!”という感じで、明快に存在感を出せるのはさすがと思わせる。
厳密に言えば、ヴィヴィッドにビッグ・バンドと渡り合うわけではなく、まさに色を添えるというものだったが、それはそれでちゃんとジャズ曲を歌っていたし、これまでいろいろとグレイに触れて来た者としてはうれしい。で、普段は能面のごとく無表情で歌う彼女が、うれしそうに笑顔を見せていたのは意外。かなり汗を拭っていて、緊張している素振りも一方ではあったが。彼女が歌ったのは、「ソリチュード」他、4曲(だったよな?)。もっと曲数が多いほうが良かったが、やはりうれしい重なりではあった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
そして、丸の内・コットンクラブに移動し、経験豊かな辣腕ジャズ・マンたちが組んでいる7人組重量級ジャズ・バンドのザ・クッカーズを見る。ビリー・ハーパー(テナー)、エディ・ヘンダーソン(トランペット)、クレイグ・ハンディ(アルト)、デイヴィッド・ウェイス(トランペット。唯一の白人で、MCを勤める)、ジョージ・ケイブルズ(ピアノ)、セシル・マクビー(ベース)、ヴィクター・ルイス(ドラム)という面々、みんなリーダー作を持つ実力者たち。お、ジャズ版トラヴェリング・ウィルベリーズ、なんちって。白人トランペッターとアルト奏者を除いてはみんな60代後半以上で、とくに豪腕ビリー・ハーパーに日本で今触れることができようとは。けっこう、感激だな。
曲はハーパーやケイブルズらメンバーのオリジナルをやったが、ソロうんぬん言う前に、テーマ部や曲構造がとても格好いい。そして、もちろん、延々とのせられるソロも的確。結果、これはジャズだああ、朽ちることない、本能とワザと英知とほんの少しの気取りがきいたジャズだあと、膝をうつこととなる。とにかく、ジャズの正義がありまくり。ぼくは、先のワールド・サキソフォン・カルテット(2012年9月28日)の実演より、こっちのほうがグっと来た。
残念だったのは、名作曲家でもあるヴィクター・ルイス(1970年代後期のころ、コロムビアと契約していたウディ・ショウのグループ表現で、彼の優れた作曲能力を認知しました)の曲はやらなかったこと。まあ、3作出ているザ・クッカーズのアルバムはどれも名士ビリー・ハート(エスペランサの2012年新作で少し叩いていて、彼の参加をエスペランサはとても誇りに思っている)が叩いていて、ルイスはトラ(代役)であったのかもしれないが。でも、彼の立った叩き方はふむふむと頷かせるものだし、やはり美味しい引っかかりを持つセシル・マクビーとの噛み合いもおおいに笑顔をさそう。ウディ・ショウの77年作『アイアン・マン』(ミューズ)のリズム・セクションはこの2人。昔、大好きでよく聞きました。
<今日の、悲喜こもごも>
昼間は雨が降っていたが、家を出る時にはやんでいて、雲の感じもうすめ。で、傘を持たずに外出したら、ブルーノート公演後はかなりの降雨。こういう見立てが外れるのは悲しい。そしたら、台風が来ているというニュースが流れているでしょと、友人から言われる。確かに、風も強いな。有楽町から帰りに乗った終電に近い電車、横に20代とおぼしき、カジュアルな格好した3人組がいる。1人は日本人のようだが、2人はアジア系ながら日本人ではないみたい。3人は一緒にバイトの帰りだろうか、それとも学生/研究職についている? そんな彼らは器用に日本語で会話していて、思わず彼らをさりげなく見つつ、聞き耳を立ててしまう。なんか、いろいろ地下鉄の乗り換えについて、あーだこーだと言っている。とくに、1人はイントネーションもほぼ完璧で感服。その彼、英語の単語に関しては、英語のイントネーションで話していた。その後、最寄り駅から地上に出ると、パジャマ姿(でも、革靴をはいていた)で傘2本を持ち誰か(家族なのかな)を待っている親父に遭遇。おとうさーん、着替えてよ〜。いやー、自由だなー。ぼくはマンションのゴミ置き場にも、パジャマで出られません。
ジョー・ヘンリー&リサ・ハリガン(さらに、ジョン・スミス)、エミ・マイヤー
2012年10月16日 音楽 渋谷・デュオ・ミュージック・イクスチェンジ。前座で、エミ・マイヤー(2012年6月4日、他)が出てくる。ベースやギターを弾く男性を従えての20分ほどのショウ。ジョー・ヘンリーのファンで、自分のアルバムのリミックスを、ヘンリーが使っている人に彼女は頼んだこともあるのだとか。英語曲による新作が来年3月に出るそう。
そして、米英手作り音楽の担い手一座のショウがはじまる。ロック界きっての売れっ子プロデューサーたるジョー・ヘンリーだけが米国人で、他の3人はアイルランド人か英国人。その組み合わせは、ヘンリーが1昨年にリチャード・トンプソン(2012年4月13日、他)だかがキュレイターを勤めた英国でのイヴェントに呼ばれたことによる。で、その一環で彼はハニガンのショウに触れ、一発で魅了されてしまい、あなたの表現作りにはなんだって助力したいことを申し出る。そして、彼は彼女の2011年作『Pssenger』を英国で録音プロデュース。参加奏者たちは彼女人脈の人たちで、今回同行している、すでに日本で紹介されている才人シンガー・ソングライターのジョン・スミス(2010年7月14日)とドラマーのロス・ターナーはそのアルバムに入っている。
というわけで、リサ・ハニガン的単位にヘンリーが加わり、ヘンリー、ハニガン、スミスという秀でたシンガーソングライターの才を持つ三者が和気あいあいリード・ヴォーカルを取り合うという感じでショウは進む。3人は生ギターのほかにも、マンドリンその他の弦楽器を手にし、一部ドラムが入らないときはターナーも弦楽器を手にしたりも。彼、シンプルなセットながら口径の大きなバスドラを置いていた。また、ハニガンは手で空気を送る小さなオルガン(と言っていいのかな)も曲により弾く。そんな彼らは北米ツアーを行っていて、この渋谷・デュオ公演が日本ツアーの最終日となる。
アイルランド系の女性歌手というとすぐに透明感を持つタイプを思い出すが、ハニガンの声は適切な濁りを抱えた歌声の持ち主で、それロック的とも言えるのか。なんにせよ、ナチュラル度の高い2人の歌に触れると、ヘンリーの歌は少し芝居っ気/気取りを持つと感じる。が、それこそが、彼の美意識の発露であるとも。
歌心、歌を育む心、同志とともに音楽を紡ぐ歓び、そうした掛け替えのない<正>が息づきまくる公演。実は彼らは北米と日本で積み重ねた結果の宝石をまとめあげたくなり、東京で2日間レコーディングを行っており、それは商品化されるはずだ。ヘンリーは今回のツアーでより日本に親近感を持ち、日本のアーティストもプロデュースしたいとも、言っていたそうな。
<今日の、最後の曲>
ステージ前面に皆で並んで、ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」を脇和気あいあいと歌う。いいナ、いいナ。やっぱ、ザ・バンドはいいな。これ、リサ・ハリガン・バンド(とうぜん、ヘンリー抜き)もアンコールでやったりしているらしい。上で触れた今回のレコーディングでも、この曲を録音したという。
そして、米英手作り音楽の担い手一座のショウがはじまる。ロック界きっての売れっ子プロデューサーたるジョー・ヘンリーだけが米国人で、他の3人はアイルランド人か英国人。その組み合わせは、ヘンリーが1昨年にリチャード・トンプソン(2012年4月13日、他)だかがキュレイターを勤めた英国でのイヴェントに呼ばれたことによる。で、その一環で彼はハニガンのショウに触れ、一発で魅了されてしまい、あなたの表現作りにはなんだって助力したいことを申し出る。そして、彼は彼女の2011年作『Pssenger』を英国で録音プロデュース。参加奏者たちは彼女人脈の人たちで、今回同行している、すでに日本で紹介されている才人シンガー・ソングライターのジョン・スミス(2010年7月14日)とドラマーのロス・ターナーはそのアルバムに入っている。
というわけで、リサ・ハニガン的単位にヘンリーが加わり、ヘンリー、ハニガン、スミスという秀でたシンガーソングライターの才を持つ三者が和気あいあいリード・ヴォーカルを取り合うという感じでショウは進む。3人は生ギターのほかにも、マンドリンその他の弦楽器を手にし、一部ドラムが入らないときはターナーも弦楽器を手にしたりも。彼、シンプルなセットながら口径の大きなバスドラを置いていた。また、ハニガンは手で空気を送る小さなオルガン(と言っていいのかな)も曲により弾く。そんな彼らは北米ツアーを行っていて、この渋谷・デュオ公演が日本ツアーの最終日となる。
アイルランド系の女性歌手というとすぐに透明感を持つタイプを思い出すが、ハニガンの声は適切な濁りを抱えた歌声の持ち主で、それロック的とも言えるのか。なんにせよ、ナチュラル度の高い2人の歌に触れると、ヘンリーの歌は少し芝居っ気/気取りを持つと感じる。が、それこそが、彼の美意識の発露であるとも。
歌心、歌を育む心、同志とともに音楽を紡ぐ歓び、そうした掛け替えのない<正>が息づきまくる公演。実は彼らは北米と日本で積み重ねた結果の宝石をまとめあげたくなり、東京で2日間レコーディングを行っており、それは商品化されるはずだ。ヘンリーは今回のツアーでより日本に親近感を持ち、日本のアーティストもプロデュースしたいとも、言っていたそうな。
<今日の、最後の曲>
ステージ前面に皆で並んで、ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」を脇和気あいあいと歌う。いいナ、いいナ。やっぱ、ザ・バンドはいいな。これ、リサ・ハリガン・バンド(とうぜん、ヘンリー抜き)もアンコールでやったりしているらしい。上で触れた今回のレコーディングでも、この曲を録音したという。
事前のアナウンスでは、ファースト・ショウは他者へ書いた曲を披露し、セカンド・ショウは人気作『サザン・ナイト』(リプリーズ、1975 年)を再演するという触れ込み。それゆえ、ならば両セットを通して見なきゃとなったワタシ。
六本木・ビルボードライブ東京。サポートはお馴染みのレナード・ポーシェ(ギター。「ビッグ・チーフ」のリフをちょいやったときだけ、トロンボーンも吹く。以前はジョニー・ギター・ワトソンみたいな外見だったのに、今回はスキンヘッドになっていてビックリ。なんかいい人な感じが出ていた)をはじめ、電気6弦ベース、ドラム、サックス(テナー、アルト)という布陣。バンドの面々は皆、コーラスも取る。
トゥーサン(2011年1月10日、他)、本当に嬉しそうにやっていたな。彼、鮮やかな赤基調でそこに金色の刺繍が入ったような派手派手のスーツで登場。それ、往年の漫才師みたいと書くと、雰囲気が伝わるか。ファーストとセカンド、ともに同じ格好をしていた。
ところで、実はファーストもセカンドも『サザン・ナイツ』収録曲をきっちりやって、事前情報ほど演目違いではなかった。なんでも、面々が勘違いし、セカンドの演目をファーストでやってしまい、セカンドのお客は『サザン・ナイツ』曲を目当てで当然来ているから、当初の予定通りまたそれで行ったというのが真相のようだ。<ビッグ・イージー>とその気質が言われるニューオーリンズ勢らしいと書いてしまうのは、贔屓の倒しになってしまうかもしれないが。
まあいろんな曲を聞きたかったことは確かだし、ファースト・ショウの際は、接しながらなんか変だな、カヴァーが少ないなと思ったのは確かだったのだが、音楽は生き物であるし、ぼくはそっかそっかと接しちゃった。ファーストとセカンドでぜんぜん違う位置で見ていたこともあり、いろいろと異なる感興をぼくは得たのも確かだ。
双方の違いを書いておくと、演奏時間はファーストが1時間15分で、セカンドは1時間30分。演奏やコーラスのまとまり具合/濃さはセカンドのほうが上だったか。ボーシェはセカンドでは縦笛やフルートも少々吹いた。でもって、実はカヴァーもセカンドのほうはザ・ポインター・シスターズの「イエス・ウィ・キャン」とか、ロバート・パーマーのカヴァーが良く知られる「スニーキン・スルー・ザ・アリー」とか多かったはず。それ、本来ファーストでやるべき曲をすまんのうとやったのかもしれない。後者の方はバンドでやるのは初と言っていたが、前にもやっているよな。ああ、ビッグ・イージー。かわりに、ニューオーリンズ曲とクラシック曲などを気分でソロ演奏主体で一筆書きでやっていく洒脱を集約したようなカタマリは、ファーストでは2つやった。また、ファーストではジョー・ヘンリー制作の『ザ・ブライト・ミシシッピー』(ノンサッチ、2009年)に入っていたブルース曲をやったりもした。
声はいままでで、一番良い感じで出ていたか。前に少し耳が遠くなっていると聞いたことがあるけど、それが表に出ることはないし、いい顔つきで、元気そう。なんだかんだ御大、いい状況にあるのは間違いないし、これからも彼のニューオーリンズっ子たる美点には良いあんばいで何度も触れることができるはずと、確信した。
<今日の、もろもろ>
ファースト・ショウのほうで『ザ・ブライト・ミシシピッピ』を語るのに、そのプロデューサーであるジョー・ヘンリー(2010年4月4日、他)の名をトゥーサンはMC で出していた。そしたら、セカンド・ショウの途中で、ツアー中&レコーディング中のジョー・ヘンリーご一行が入ってくる。今日、昼間は中野でレコーディングし(わざわざ、ヘンリーお抱えのエンジニアをそのために米国から呼び寄せた)、夜はツアー・メンバーのジョン・スミス(2010年7月14日)の単独公演を皆で見に行き、そのままスミスも含め皆で六本木にやってきたらしい。お洒落であれを是とするヘンリーはちゃんとシャツ、ネクタイ、ジャケットを着用(下半身はジーンズとブーツ)。ヘンリー付きの人に一緒に楽屋行きましょうよと誘われたが、知人もいたので断る。その後、1、2杯だけ飲んで帰るつもりが、なぜかワインを3本も開栓するのにつきあってしまう。だらだら飲みたい知人の“おごるから”という引き止め作戦に乗ってしまったYO。あー、流されることを良しとするワタシ。
六本木・ビルボードライブ東京。サポートはお馴染みのレナード・ポーシェ(ギター。「ビッグ・チーフ」のリフをちょいやったときだけ、トロンボーンも吹く。以前はジョニー・ギター・ワトソンみたいな外見だったのに、今回はスキンヘッドになっていてビックリ。なんかいい人な感じが出ていた)をはじめ、電気6弦ベース、ドラム、サックス(テナー、アルト)という布陣。バンドの面々は皆、コーラスも取る。
トゥーサン(2011年1月10日、他)、本当に嬉しそうにやっていたな。彼、鮮やかな赤基調でそこに金色の刺繍が入ったような派手派手のスーツで登場。それ、往年の漫才師みたいと書くと、雰囲気が伝わるか。ファーストとセカンド、ともに同じ格好をしていた。
ところで、実はファーストもセカンドも『サザン・ナイツ』収録曲をきっちりやって、事前情報ほど演目違いではなかった。なんでも、面々が勘違いし、セカンドの演目をファーストでやってしまい、セカンドのお客は『サザン・ナイツ』曲を目当てで当然来ているから、当初の予定通りまたそれで行ったというのが真相のようだ。<ビッグ・イージー>とその気質が言われるニューオーリンズ勢らしいと書いてしまうのは、贔屓の倒しになってしまうかもしれないが。
まあいろんな曲を聞きたかったことは確かだし、ファースト・ショウの際は、接しながらなんか変だな、カヴァーが少ないなと思ったのは確かだったのだが、音楽は生き物であるし、ぼくはそっかそっかと接しちゃった。ファーストとセカンドでぜんぜん違う位置で見ていたこともあり、いろいろと異なる感興をぼくは得たのも確かだ。
双方の違いを書いておくと、演奏時間はファーストが1時間15分で、セカンドは1時間30分。演奏やコーラスのまとまり具合/濃さはセカンドのほうが上だったか。ボーシェはセカンドでは縦笛やフルートも少々吹いた。でもって、実はカヴァーもセカンドのほうはザ・ポインター・シスターズの「イエス・ウィ・キャン」とか、ロバート・パーマーのカヴァーが良く知られる「スニーキン・スルー・ザ・アリー」とか多かったはず。それ、本来ファーストでやるべき曲をすまんのうとやったのかもしれない。後者の方はバンドでやるのは初と言っていたが、前にもやっているよな。ああ、ビッグ・イージー。かわりに、ニューオーリンズ曲とクラシック曲などを気分でソロ演奏主体で一筆書きでやっていく洒脱を集約したようなカタマリは、ファーストでは2つやった。また、ファーストではジョー・ヘンリー制作の『ザ・ブライト・ミシシッピー』(ノンサッチ、2009年)に入っていたブルース曲をやったりもした。
声はいままでで、一番良い感じで出ていたか。前に少し耳が遠くなっていると聞いたことがあるけど、それが表に出ることはないし、いい顔つきで、元気そう。なんだかんだ御大、いい状況にあるのは間違いないし、これからも彼のニューオーリンズっ子たる美点には良いあんばいで何度も触れることができるはずと、確信した。
<今日の、もろもろ>
ファースト・ショウのほうで『ザ・ブライト・ミシシピッピ』を語るのに、そのプロデューサーであるジョー・ヘンリー(2010年4月4日、他)の名をトゥーサンはMC で出していた。そしたら、セカンド・ショウの途中で、ツアー中&レコーディング中のジョー・ヘンリーご一行が入ってくる。今日、昼間は中野でレコーディングし(わざわざ、ヘンリーお抱えのエンジニアをそのために米国から呼び寄せた)、夜はツアー・メンバーのジョン・スミス(2010年7月14日)の単独公演を皆で見に行き、そのままスミスも含め皆で六本木にやってきたらしい。お洒落であれを是とするヘンリーはちゃんとシャツ、ネクタイ、ジャケットを着用(下半身はジーンズとブーツ)。ヘンリー付きの人に一緒に楽屋行きましょうよと誘われたが、知人もいたので断る。その後、1、2杯だけ飲んで帰るつもりが、なぜかワインを3本も開栓するのにつきあってしまう。だらだら飲みたい知人の“おごるから”という引き止め作戦に乗ってしまったYO。あー、流されることを良しとするワタシ。
ジョン・スコフィールド・トリオ。トーキョー・ワッショイ!!
2012年10月10日 音楽 現代ジャズ・ギターの実力者(2008年10月8日、他)の今回の来日公演はトリオ編成にて。ベースはフレット付き電気ベースをジャズっぽく弾く事においては当代唯一のスティーヴ・スワロウ(すっかりおじいちゃん。でも、椅子に座らず、ちゃんと立って演奏。ピック弾きしていてびっくり)とドラムはビル・スチュワート。ブルーノートやエンヤ他から何作もリーダー作を出しているスチュワートだが、なるほど良識派なようでいて、いろいろひっかかりのある妙味をさりげなく出していて、何気に感心した。
シンプルなトリオ編成なので、いろんなサウンド設定を謳歌するスコ表現のなかでは、けっこうジャズっぽいほうの行き方を取るものとは言えそう。だが、だからこそ、スコフィールドのソリストとしての実力や持ち味は目一杯アピールされたと言えるのではないか。久しぶりに彼の実演に接したせいもあるかもしれないが、どこかタガが外れつつ、刺と悦楽の感覚を求める、そのいろんな指さばきにぼくは膝を打った。やっぱ、いい。とともに、やはり、どこか定石から離れるリズム・セクションの演奏も、スコフィールドの得難い味を引き出していたと思う。
曲は「チキン・ドッグ」(ザ・ジョン・スペンサー・ブルース・イクスプロージョンのとは同名異曲。R&B好きのスコフィールドゆえ、”動物諧謔シリーズ”で売ったルーファス・トーマから持って来たタイトルだろう)や「トゥワン」といったオリジナルから、チャーリー・パーカーやカーラ・ブレイ(2000年3月25日、他。別れてなきゃ、スワロウは彼女の旦那)らの曲まで。実のところ、この3人は『アンルート』(ヴァーヴ、2004年)と同じ録音メンバー。でも、当然のごとく(?)、自由自在に行く彼らはあのアルバムに入っていた曲はやらなかったはずだし、あんときより奔放な絡み方を見せたはずだ。あ、それと、ほんの一部でスコフィールドはギター音をサンプリングして、ループ音として控え目に使った。
次は、南青山・月見ル君想フで、トーキョー・ワッショイ!!というイヴェント。今年2度目になるよう。会場はとても盛況。おもしろがりたい人が来ているという感じも得る。
会場入りすると、アラゲホンジの演奏が始まっている。ほう、こんなん。ステージ上には、ギターを弾きながら歌う(1曲はキーボードを弾きながら歌った)斎藤真文を中心に、横笛(なかなかの使い手。効いている)、太鼓やなりもの各種、ベース、ドラムなど、ステージ上には男女(7人か8人いたかな)が笑顔でずらり。リーダーは秋田県出身とのことで、東北圏の民謡と末広がりなロック/ポップ様式を巧みに重ねたことをやる賑やかしのバンドなのだが、その言葉で書き表す以上に、しなやかにして、うれしい跳躍力を持っている。接している端から、ニコニコできる。カラフルな和の格好、顔にも目立つペイント(それは、アフリカ的?)を皆していて、そういう“企業努力”もまたがんばっているナと思わせ、応援したくなる。彼ら、海外進出しているのだろうか?
続くは、OKI DUB AINU BAND(2007年1月26日)。ドラムの沼澤尚(2011年10月8日、他)に加え、現在のベース奏者は中条卓でそのコンビはシアターブルック(2003年6月22日、他)やブルース・ザ・ブッチャー(2010年1月12日、他)と同じですね。肉感性抜群のビートのうえに、アイヌの5弦楽器であるトンコリ音や肉声が自在に泳ぐ。トンコリという楽器音の幅のためだろう、曲は1コードだが、そうした素朴さやシンプルさが、現代ビート・ミュージック要素という触媒を介して、生気と奥行きあるものとして広がっていく様はなかなか比肩すべきものがない。伝統に根ざしつつ、自分を出して、モダン・ミュージックたらんとする太い意思、過去もそうだが、溢れていた。
<今日の、心残り>
知人からOKI DUB AINU BANDのショウにレゲエDJのランキン・タクシーがシットインするみたいと聞いたが、ちょっと回りたい店があったので、途中で退出。といっても、22時半を過ぎていたが。祭りは長丁場、ね。そして、緑色のボディのタクシーを止めると、扉横のピラーに<タクシー・ランキングAA>と記されている。ゲっ。それを見て、最後までいるべきだったかと少し後悔。ランキンはDUB AINU BANDとの共同名義で、昔発表したユーモアに満ちた反原発ソングの新ヴァージョンを昨年公開したが、それやったかなー。
シンプルなトリオ編成なので、いろんなサウンド設定を謳歌するスコ表現のなかでは、けっこうジャズっぽいほうの行き方を取るものとは言えそう。だが、だからこそ、スコフィールドのソリストとしての実力や持ち味は目一杯アピールされたと言えるのではないか。久しぶりに彼の実演に接したせいもあるかもしれないが、どこかタガが外れつつ、刺と悦楽の感覚を求める、そのいろんな指さばきにぼくは膝を打った。やっぱ、いい。とともに、やはり、どこか定石から離れるリズム・セクションの演奏も、スコフィールドの得難い味を引き出していたと思う。
曲は「チキン・ドッグ」(ザ・ジョン・スペンサー・ブルース・イクスプロージョンのとは同名異曲。R&B好きのスコフィールドゆえ、”動物諧謔シリーズ”で売ったルーファス・トーマから持って来たタイトルだろう)や「トゥワン」といったオリジナルから、チャーリー・パーカーやカーラ・ブレイ(2000年3月25日、他。別れてなきゃ、スワロウは彼女の旦那)らの曲まで。実のところ、この3人は『アンルート』(ヴァーヴ、2004年)と同じ録音メンバー。でも、当然のごとく(?)、自由自在に行く彼らはあのアルバムに入っていた曲はやらなかったはずだし、あんときより奔放な絡み方を見せたはずだ。あ、それと、ほんの一部でスコフィールドはギター音をサンプリングして、ループ音として控え目に使った。
次は、南青山・月見ル君想フで、トーキョー・ワッショイ!!というイヴェント。今年2度目になるよう。会場はとても盛況。おもしろがりたい人が来ているという感じも得る。
会場入りすると、アラゲホンジの演奏が始まっている。ほう、こんなん。ステージ上には、ギターを弾きながら歌う(1曲はキーボードを弾きながら歌った)斎藤真文を中心に、横笛(なかなかの使い手。効いている)、太鼓やなりもの各種、ベース、ドラムなど、ステージ上には男女(7人か8人いたかな)が笑顔でずらり。リーダーは秋田県出身とのことで、東北圏の民謡と末広がりなロック/ポップ様式を巧みに重ねたことをやる賑やかしのバンドなのだが、その言葉で書き表す以上に、しなやかにして、うれしい跳躍力を持っている。接している端から、ニコニコできる。カラフルな和の格好、顔にも目立つペイント(それは、アフリカ的?)を皆していて、そういう“企業努力”もまたがんばっているナと思わせ、応援したくなる。彼ら、海外進出しているのだろうか?
続くは、OKI DUB AINU BAND(2007年1月26日)。ドラムの沼澤尚(2011年10月8日、他)に加え、現在のベース奏者は中条卓でそのコンビはシアターブルック(2003年6月22日、他)やブルース・ザ・ブッチャー(2010年1月12日、他)と同じですね。肉感性抜群のビートのうえに、アイヌの5弦楽器であるトンコリ音や肉声が自在に泳ぐ。トンコリという楽器音の幅のためだろう、曲は1コードだが、そうした素朴さやシンプルさが、現代ビート・ミュージック要素という触媒を介して、生気と奥行きあるものとして広がっていく様はなかなか比肩すべきものがない。伝統に根ざしつつ、自分を出して、モダン・ミュージックたらんとする太い意思、過去もそうだが、溢れていた。
<今日の、心残り>
知人からOKI DUB AINU BANDのショウにレゲエDJのランキン・タクシーがシットインするみたいと聞いたが、ちょっと回りたい店があったので、途中で退出。といっても、22時半を過ぎていたが。祭りは長丁場、ね。そして、緑色のボディのタクシーを止めると、扉横のピラーに<タクシー・ランキングAA>と記されている。ゲっ。それを見て、最後までいるべきだったかと少し後悔。ランキンはDUB AINU BANDとの共同名義で、昔発表したユーモアに満ちた反原発ソングの新ヴァージョンを昨年公開したが、それやったかなー。