渋さ知らズオーケストラ
2006年12月1日 師走かあ。今年は渋さをいっぱい見たなあ(2006年1月14日、1月21日、
8月27日、11月15日、等)。三軒茶屋・世田谷パブリックシアターにての
公演。この晩は、土と日にこの円形状会場でやる単独豪華公演の公開リハ
ーサル(終演後のメンバーたちとの乾杯つき、という設定)という名目。
まあ、毎度の渋さでしたが。来年早々に出るエイヴェックス第2弾『渋響
』は立ったキャッチーな曲が入ってて、そこに入っている曲は文句なく楽
しいなと再確認。なお、いっつもショルダー・バッグを肩にかけて出で来
るリーダーの不破大輔だが、それは普段持ち歩いているものをそのまま持
って出ているだけで、演奏には一切関係ない。座ったときのクッションの
役目を果たすときはあるとのことだが。また、彼はデカい缶製の吸殻入れ
もステージに持参するが、吸っているのはガラムのメンソール。芳垣安洋
が吸っているのに影響されたそう。
8月27日、11月15日、等)。三軒茶屋・世田谷パブリックシアターにての
公演。この晩は、土と日にこの円形状会場でやる単独豪華公演の公開リハ
ーサル(終演後のメンバーたちとの乾杯つき、という設定)という名目。
まあ、毎度の渋さでしたが。来年早々に出るエイヴェックス第2弾『渋響
』は立ったキャッチーな曲が入ってて、そこに入っている曲は文句なく楽
しいなと再確認。なお、いっつもショルダー・バッグを肩にかけて出で来
るリーダーの不破大輔だが、それは普段持ち歩いているものをそのまま持
って出ているだけで、演奏には一切関係ない。座ったときのクッションの
役目を果たすときはあるとのことだが。また、彼はデカい缶製の吸殻入れ
もステージに持参するが、吸っているのはガラムのメンソール。芳垣安洋
が吸っているのに影響されたそう。
ROVO
2006年12月3日 先の渋さにずっと関与していた勝井と芳垣だが、今年はぜんぜん入ったこ
とがなかったんじゃないかなあ。来年早々に出る新作にも入ってないし。新
木場・スタジオコースト。先にDJ QUIETSTOMがたっぷり回す。デイヴ・ブ
ルーベックやピンク・フロイドにいろんな差し込み処理をしたりとか、いろ
いろやってたな。その後、出て来たROVO(2006年7月7日、8月27日、等)
はレコ発記念ライヴゆえもちろん1曲ぽっきりの新作『CONDOR』を多少膨
らます感じでまるまるとやる。聞かせるモード、じっくりとした態度のなか
からいろんなところに誘おうとする曲であるのを再認識。やっぱ、ROVOの、
大人な新境地がありますね。そして、アンコールは新しい曲と古い曲を1曲
づつ。映像もステージがデカからよく映えるていたな。
とがなかったんじゃないかなあ。来年早々に出る新作にも入ってないし。新
木場・スタジオコースト。先にDJ QUIETSTOMがたっぷり回す。デイヴ・ブ
ルーベックやピンク・フロイドにいろんな差し込み処理をしたりとか、いろ
いろやってたな。その後、出て来たROVO(2006年7月7日、8月27日、等)
はレコ発記念ライヴゆえもちろん1曲ぽっきりの新作『CONDOR』を多少膨
らます感じでまるまるとやる。聞かせるモード、じっくりとした態度のなか
からいろんなところに誘おうとする曲であるのを再認識。やっぱ、ROVOの、
大人な新境地がありますね。そして、アンコールは新しい曲と古い曲を1曲
づつ。映像もステージがデカからよく映えるていたな。
U2
2006年12月4日 久しぶりにやって来た超ビッグなロック・バンドの、大ロック・コンサー
ト。さいたま新都心・さいたまスーパーアリーナ。初めて、行く。3回あるうちの、
最終回。
かつてU2はテクノロジーの粋を集めた大アリーナ対応が鬼のようになさ
れためくるめく実演をすることで知られていた(大ががりなステージ設営が
必要とされるために極東にはなかなかこられない、なんて言われ方もしまし
たね)が、”電脳期”を経ての今回は比較的シンプルな設定によるものと言
えるなかな。少なくても、アリーナの半分より前で見る分にはそう感じた。
スタンドから見た人だと、やっぱし光の使い方とか綺麗で巧みでさすがと思
えるものであったそうだけど。何度かボーノらをかなり近くで見ることがで
きた花道があんな立派な造形がなされているとは、ぼくは後で知りあいの携
帯カメラ画像を見て知りました。
開演時間よりは、それなりに遅れて始まる(もう少し待ってネ、という、
ジョアン・ジルベルトみたいな場内放送もあったな)。メンバーがやっとス
テージに出てきたと思ったら、なんとボーノは迫り出し花道の前のほうにひ
ょっこり登場。そしたら、なんと日本の国旗を手に持ち、振り回す。ありゃ
あ、こんなふうにベタなサーヴィス精神をのっけから。それ、日本公演の3
日間ともしたようだが。なんか、首が短く見え、よりおっさんちっくになっ
たな。他のメンバーはロッカーらしさをキープしているかも。4人は頭から
終わりまで、きちっり4人で事をまっとうする。2時間ぐらいはやったのか
な。
とにもかくにも、正々堂々、力があり。もう、ビンビンの手応えをぼくは
真正面から受けて、すぐに舞い上がる。おお、俺はロックを聞いている、こ
の業界を代表するようなものすごい連中を真っ向から受けとめている、とい
う手応えを鬼のように得た。やっぱり、ダテに話題を呼んだり、高い値段を
取ったりしてないよなあ。充実感、説得力、ありまくり。彼らのエンスーで
はないぼくではあったが、はしゃぎまくり。即、来てよかったと実感。アリ
ーナの床、揺れてたなー。
終盤、左スクリーンに出たアドレスに携帯から自分の名前を英字メールす
ると、デカいスクリーンに名前が流れるという仕掛けも。一緒に見ていた知
り合いの名前がばっちり出る。うひょお。
たぶん、社会・人道的なアピールもMCや映像であったろうけど、ほとん
ど覚えてない。キラキラした光のシャワーを浴びつつ、精気と力のある音を
受ける快感にすべてがすっ飛んでたから。結局、彼は真摯に物事を遂行し、
なにから何まで力があったということ。それは、見る者の何かを弾けさせり
、何かを感じさせりするサムシングをしっかり持っていた。いろんな意味で
、余は大満足ぢゃ。
ト。さいたま新都心・さいたまスーパーアリーナ。初めて、行く。3回あるうちの、
最終回。
かつてU2はテクノロジーの粋を集めた大アリーナ対応が鬼のようになさ
れためくるめく実演をすることで知られていた(大ががりなステージ設営が
必要とされるために極東にはなかなかこられない、なんて言われ方もしまし
たね)が、”電脳期”を経ての今回は比較的シンプルな設定によるものと言
えるなかな。少なくても、アリーナの半分より前で見る分にはそう感じた。
スタンドから見た人だと、やっぱし光の使い方とか綺麗で巧みでさすがと思
えるものであったそうだけど。何度かボーノらをかなり近くで見ることがで
きた花道があんな立派な造形がなされているとは、ぼくは後で知りあいの携
帯カメラ画像を見て知りました。
開演時間よりは、それなりに遅れて始まる(もう少し待ってネ、という、
ジョアン・ジルベルトみたいな場内放送もあったな)。メンバーがやっとス
テージに出てきたと思ったら、なんとボーノは迫り出し花道の前のほうにひ
ょっこり登場。そしたら、なんと日本の国旗を手に持ち、振り回す。ありゃ
あ、こんなふうにベタなサーヴィス精神をのっけから。それ、日本公演の3
日間ともしたようだが。なんか、首が短く見え、よりおっさんちっくになっ
たな。他のメンバーはロッカーらしさをキープしているかも。4人は頭から
終わりまで、きちっり4人で事をまっとうする。2時間ぐらいはやったのか
な。
とにもかくにも、正々堂々、力があり。もう、ビンビンの手応えをぼくは
真正面から受けて、すぐに舞い上がる。おお、俺はロックを聞いている、こ
の業界を代表するようなものすごい連中を真っ向から受けとめている、とい
う手応えを鬼のように得た。やっぱり、ダテに話題を呼んだり、高い値段を
取ったりしてないよなあ。充実感、説得力、ありまくり。彼らのエンスーで
はないぼくではあったが、はしゃぎまくり。即、来てよかったと実感。アリ
ーナの床、揺れてたなー。
終盤、左スクリーンに出たアドレスに携帯から自分の名前を英字メールす
ると、デカいスクリーンに名前が流れるという仕掛けも。一緒に見ていた知
り合いの名前がばっちり出る。うひょお。
たぶん、社会・人道的なアピールもMCや映像であったろうけど、ほとん
ど覚えてない。キラキラした光のシャワーを浴びつつ、精気と力のある音を
受ける快感にすべてがすっ飛んでたから。結局、彼は真摯に物事を遂行し、
なにから何まで力があったということ。それは、見る者の何かを弾けさせり
、何かを感じさせりするサムシングをしっかり持っていた。いろんな意味で
、余は大満足ぢゃ。
フランク・マッコム
2006年12月7日 今年、二度目(9月3日)となる来日。丸の内・コットンクラブ、ファー
スト。30分近く前に行ったのに、会場入りするとけっこう席が埋まっていて
びっくり。ミュージシャンズ・ミュージシャンである彼はプリンスからの覚
えもめでたいが、そのきっかけを作った気心知れたサポート・メンバー(20
04年4月15日のときは、その顔ぶれによる。簡単に書いてしまえば、ベイエ
リア・サウンド・フェチのプリンスは、マッコムのバンドで弾く同地拠点ベ
ース奏者のレイモンド・マッキンレーと知り合いだった)ではなく、若いプ
レイヤーたち、電気ベースとドラムとパーカッションを従えてのもの。
1曲目や二曲目のときは多少おちつかなかった。インタープレイ箇所が長
く、ベースとドラムの音が大きすぎて。それは、彼の円満な”ピアノ・マン
流儀”を消し去る方向にあるものだから。が、そのうち、ソロも聞かせるが
じっくり歌を聞かせるパフォーマンスを彼はしていたし(04年ライヴのとき
のように、インスト曲をやることもなかったし)、そのリズム隊が実はとっ
ても腕利きであり、耳を傾けるべき事をやっていたことも、ぼくの心の曇り
を晴らしたのかもしれない。とはいえ、ベースとドラムは音があまりに大き
すぎ、それにくらべ鍵盤の音は小さすぎ、なのは間違いなかったが。
ぼくはマッコムがソロを弾かなくてもいいとは思う人間だが(そういう、
実演も見てみたいよなあ)、彼が鍵盤さばきをいっぱい披露しようとするの
は判らなくもない。だって、そうじゃないともっとダニー・ハサウェイ(彼
もライヴではインスト曲もやっていたけど)やステーヴィ・ワンダーの持ち
味に近づいてしまうわけで、俺はそれだけじゃないんだよという自我のよう
なものを彼が持ってもなんら不思議はないから。ハサウェイたちの追体験を
与えるためだけの存在に甘んじるのは、そりゃやだろうなあ。聞き手が3分
の1になってもいい、という覚悟があるなら、彼は自分の流儀を貫くべきだ。
ぼくは2回見るのを、1回に減らすだろうけど。
フェンダー・ローズ(エレピ)をときにエフェクターをかましつつ弾いて
いた彼だが、一曲だけはグランド・ピアノを弾きながら、弾き語り基調(途
中から、バンドはとっても薄目に音を加えり)でパフォーマンス。スタンダ
ードっぽい曲だったせいもありとってもよかった。なお、彼のエレピのソロ
演奏の90パーセントはハービー・ハンコックの『スラスト』や『マンチャイ
ルド』で見せているものの流用。ほんとうに好きで、昔真似しまくったんだ
ろうなあ。
1時間20分ぐらいの実演。結局、ぼくは満足した。
スト。30分近く前に行ったのに、会場入りするとけっこう席が埋まっていて
びっくり。ミュージシャンズ・ミュージシャンである彼はプリンスからの覚
えもめでたいが、そのきっかけを作った気心知れたサポート・メンバー(20
04年4月15日のときは、その顔ぶれによる。簡単に書いてしまえば、ベイエ
リア・サウンド・フェチのプリンスは、マッコムのバンドで弾く同地拠点ベ
ース奏者のレイモンド・マッキンレーと知り合いだった)ではなく、若いプ
レイヤーたち、電気ベースとドラムとパーカッションを従えてのもの。
1曲目や二曲目のときは多少おちつかなかった。インタープレイ箇所が長
く、ベースとドラムの音が大きすぎて。それは、彼の円満な”ピアノ・マン
流儀”を消し去る方向にあるものだから。が、そのうち、ソロも聞かせるが
じっくり歌を聞かせるパフォーマンスを彼はしていたし(04年ライヴのとき
のように、インスト曲をやることもなかったし)、そのリズム隊が実はとっ
ても腕利きであり、耳を傾けるべき事をやっていたことも、ぼくの心の曇り
を晴らしたのかもしれない。とはいえ、ベースとドラムは音があまりに大き
すぎ、それにくらべ鍵盤の音は小さすぎ、なのは間違いなかったが。
ぼくはマッコムがソロを弾かなくてもいいとは思う人間だが(そういう、
実演も見てみたいよなあ)、彼が鍵盤さばきをいっぱい披露しようとするの
は判らなくもない。だって、そうじゃないともっとダニー・ハサウェイ(彼
もライヴではインスト曲もやっていたけど)やステーヴィ・ワンダーの持ち
味に近づいてしまうわけで、俺はそれだけじゃないんだよという自我のよう
なものを彼が持ってもなんら不思議はないから。ハサウェイたちの追体験を
与えるためだけの存在に甘んじるのは、そりゃやだろうなあ。聞き手が3分
の1になってもいい、という覚悟があるなら、彼は自分の流儀を貫くべきだ。
ぼくは2回見るのを、1回に減らすだろうけど。
フェンダー・ローズ(エレピ)をときにエフェクターをかましつつ弾いて
いた彼だが、一曲だけはグランド・ピアノを弾きながら、弾き語り基調(途
中から、バンドはとっても薄目に音を加えり)でパフォーマンス。スタンダ
ードっぽい曲だったせいもありとってもよかった。なお、彼のエレピのソロ
演奏の90パーセントはハービー・ハンコックの『スラスト』や『マンチャイ
ルド』で見せているものの流用。ほんとうに好きで、昔真似しまくったんだ
ろうなあ。
1時間20分ぐらいの実演。結局、ぼくは満足した。
リトル・バーリー
2006年12月11日 黒っぽいブリティッシュ・ロックの期待の星と言えるだろうこのトリオ・
バンドのことをぼくは初来日のとき(05年6月6日)いらい見るが、成長し
ていたな。まず、バーリー・ギャドガンの第一声からいい感じ。良い声して
るじゃん、と素直に思えた。とともに、堂々と客と対していて、だいぶステ
ージ慣れしてきていることにも、すぐに納得。ドラマーが代わり、バンドの
総合ルックス良好度がぐんと上がっていて、それもめでたし? それにして
も、3人とも前髪がかなり目にかかるヘア・スタイルを採用してるんだよな
ー。
セカンド作ではジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンやゴ
リラズのプロデュースでもお馴染みのヒップホップ畑のダン・ジ・オートメ
イターを制作者にすえ、まっすぐなだけがその行き方ではなく、屈折した視
点でブルースやR&Bを見ることもできることを示した彼らだったが、ライ
ヴ・パフォーマンスにおいては1作目と2作目で示した持ち味の間を行って
いたという感じか。バンドの音質や絡みはストレートだったけど、全体的な
感触は以前ほど例えばフリーやハンブル・パイを想起させるところはなかっ
たから。彼らは憧れとなる対象との距離をもっと巧みに取ることを学んでい
て、より自分たちならではの回路を待ちつつある事をぼくは痛感した。
また、曲によっては、ジミ・ヘンドリックスもしっかり研究しているんだ
なと思わせたのは新しいポイント。そんなことをさらりと出すギャドガンは
、やはりギターが上手い。でも、そんなにソロは取らなくて、彼らはどの曲
も楽曲をコンパクトに纏める。もう少しメリハリをつけたほうが聞き手は盛
り上がれるとは思うが、それも彼らの流儀か。
渋谷・クラブクアトロ。会場は満員で、かなり受けていた。特別にファン
キーなバンドとは思わないが、ぼくも聞いてて自然に腰が揺れちゃった。へ
へ。それは、3人の音がちゃんと肉感的で、揺れていたから。やはり、彼ら
はロックとしての決定的な何かを持つ、応援したい、貴重な英国バンドだと
思う。
バンドのことをぼくは初来日のとき(05年6月6日)いらい見るが、成長し
ていたな。まず、バーリー・ギャドガンの第一声からいい感じ。良い声して
るじゃん、と素直に思えた。とともに、堂々と客と対していて、だいぶステ
ージ慣れしてきていることにも、すぐに納得。ドラマーが代わり、バンドの
総合ルックス良好度がぐんと上がっていて、それもめでたし? それにして
も、3人とも前髪がかなり目にかかるヘア・スタイルを採用してるんだよな
ー。
セカンド作ではジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンやゴ
リラズのプロデュースでもお馴染みのヒップホップ畑のダン・ジ・オートメ
イターを制作者にすえ、まっすぐなだけがその行き方ではなく、屈折した視
点でブルースやR&Bを見ることもできることを示した彼らだったが、ライ
ヴ・パフォーマンスにおいては1作目と2作目で示した持ち味の間を行って
いたという感じか。バンドの音質や絡みはストレートだったけど、全体的な
感触は以前ほど例えばフリーやハンブル・パイを想起させるところはなかっ
たから。彼らは憧れとなる対象との距離をもっと巧みに取ることを学んでい
て、より自分たちならではの回路を待ちつつある事をぼくは痛感した。
また、曲によっては、ジミ・ヘンドリックスもしっかり研究しているんだ
なと思わせたのは新しいポイント。そんなことをさらりと出すギャドガンは
、やはりギターが上手い。でも、そんなにソロは取らなくて、彼らはどの曲
も楽曲をコンパクトに纏める。もう少しメリハリをつけたほうが聞き手は盛
り上がれるとは思うが、それも彼らの流儀か。
渋谷・クラブクアトロ。会場は満員で、かなり受けていた。特別にファン
キーなバンドとは思わないが、ぼくも聞いてて自然に腰が揺れちゃった。へ
へ。それは、3人の音がちゃんと肉感的で、揺れていたから。やはり、彼ら
はロックとしての決定的な何かを持つ、応援したい、貴重な英国バンドだと
思う。
エゴ・ラッピン
2006年12月13日 生理的に真っ直ぐな男女ユニット(2005年8月17日、2006年11月17日
、他)の結成10周年を祝う公演で、渋谷・NHKホール。広い会場だな。客
席がとても扇型になっているんだな。ステージもすごく奥行きがあるんだな。
ショウは今年のシガー・ロス(4月5日)公演のようにベール越しで始ま
る。ベールに映し出される映像と透けて見えるステージのぼんやりした”絵
”の重なりがとっても気分。実はその1曲目や2曲目はビョークを想起させ
る曲であり、流麗なストリング音付きで刺激と夢心地が交錯する曲。ばっち
り、でした。心意気と気合が一発で伝わりました。
アタマと終わりのほうで重なった、正装のストリング・セクションは全24
人。途中でからんだブラス・セクションは、ビッグ・バンド調の格好をして
全12人。あと、普段はグループを組んでいるという3人のパーカショニスト
に、芳垣安洋や大友良英表現でおなじみの高良久美子(2004年10月10日、
2005年2月10日、2005年9月17日、他)がマリンバと打楽器で加わる。そ
して、最初から終わりまでエゴ・ラッピン・バンドが演奏し、中納良恵が
”鉄砲喉”を健気に披露する。
実にいろんなタイプの曲をやってきてるんだなと、改めて思う。洋楽と邦
楽、いろんなジャンルの間を自由に行き来する……。でも、やってる個体が
はっきり見えるので違和感はない。その多様さを一気に、確かな気持ちで送
り出す様は、なかなかに感無量。
2時間ちょいで幕。本編最後は全員一緒に。そして、アンコールは二人で
やったり。3曲目の最後の曲は中納がピアノを弾きながら歌い、ストリング
スも加わる。スコアは誰が書いたのか。いろいろ、大変だったろうなあ。で
も、達成感あったろうなあ。
ところで、昨日は寒い日だったんだけど、午後3時すぎになんかお腹痛い
な、ダルいな、具合悪いなという感じで、仕事を辞めて横になる。そして、
ライヴとその後に回ろうと思った飲み会に行くのもやめる。で、9時ごろに
腰や肩がこっている感じがありありで熱があるんだろうなと自覚(と、なり
つつ熱を計ろうとしないのもナンだが)。が、咳とか扁桃腺の腫れとかの風
邪っぽい症状はない。で、この日も熱っぽく、ダルい。ちょい、エゴ・ラッ
ピンのライヴ行きを躊躇。翌日に余程じゃないとホカせない仕事(雑誌記事
用の座談会)が入っているゆえに。でも、大会場での特別な公演であること
を見事にまっとうしていたこのライヴ後はけっこう足取り軽かった。で、翌
日はフツーなぼく。
、他)の結成10周年を祝う公演で、渋谷・NHKホール。広い会場だな。客
席がとても扇型になっているんだな。ステージもすごく奥行きがあるんだな。
ショウは今年のシガー・ロス(4月5日)公演のようにベール越しで始ま
る。ベールに映し出される映像と透けて見えるステージのぼんやりした”絵
”の重なりがとっても気分。実はその1曲目や2曲目はビョークを想起させ
る曲であり、流麗なストリング音付きで刺激と夢心地が交錯する曲。ばっち
り、でした。心意気と気合が一発で伝わりました。
アタマと終わりのほうで重なった、正装のストリング・セクションは全24
人。途中でからんだブラス・セクションは、ビッグ・バンド調の格好をして
全12人。あと、普段はグループを組んでいるという3人のパーカショニスト
に、芳垣安洋や大友良英表現でおなじみの高良久美子(2004年10月10日、
2005年2月10日、2005年9月17日、他)がマリンバと打楽器で加わる。そ
して、最初から終わりまでエゴ・ラッピン・バンドが演奏し、中納良恵が
”鉄砲喉”を健気に披露する。
実にいろんなタイプの曲をやってきてるんだなと、改めて思う。洋楽と邦
楽、いろんなジャンルの間を自由に行き来する……。でも、やってる個体が
はっきり見えるので違和感はない。その多様さを一気に、確かな気持ちで送
り出す様は、なかなかに感無量。
2時間ちょいで幕。本編最後は全員一緒に。そして、アンコールは二人で
やったり。3曲目の最後の曲は中納がピアノを弾きながら歌い、ストリング
スも加わる。スコアは誰が書いたのか。いろいろ、大変だったろうなあ。で
も、達成感あったろうなあ。
ところで、昨日は寒い日だったんだけど、午後3時すぎになんかお腹痛い
な、ダルいな、具合悪いなという感じで、仕事を辞めて横になる。そして、
ライヴとその後に回ろうと思った飲み会に行くのもやめる。で、9時ごろに
腰や肩がこっている感じがありありで熱があるんだろうなと自覚(と、なり
つつ熱を計ろうとしないのもナンだが)。が、咳とか扁桃腺の腫れとかの風
邪っぽい症状はない。で、この日も熱っぽく、ダルい。ちょい、エゴ・ラッ
ピンのライヴ行きを躊躇。翌日に余程じゃないとホカせない仕事(雑誌記事
用の座談会)が入っているゆえに。でも、大会場での特別な公演であること
を見事にまっとうしていたこのライヴ後はけっこう足取り軽かった。で、翌
日はフツーなぼく。
ザ・ウイスパーズ
2006年12月17日 丸の内・コットンクラブ、ファースト。ちょうど、1年ぶりの来日。前回
公演(2005年12月21日)をベタ褒めしているが、本当に今回も素晴らし
いソウル・ショウを披露。言うことないナ。時節がら、クリスマス・ソング
を2曲歌ったが、去年は歌ったっけなあ? とにもかくにも、歌い方に内在
するものから振り付けや格好まで、R&Bならではの様式を多大に受け継い
だそれらはあまりに魅力的。そして、問答無用に楽しい。それ、そんなに了
見の狭くない人なら、門外漢でも絶対にニッコリしちゃうものだと思うが…
…。こんど、機会があれば実験してみたい。彼らにしろ、J.T.テイラー(20
06年11月27日)にしろ、こういう人たちは毎年やってきて、ソウル・ショ
ウの醍醐味を示すべきではないのか。切にそう思わずにはいられません。
公演(2005年12月21日)をベタ褒めしているが、本当に今回も素晴らし
いソウル・ショウを披露。言うことないナ。時節がら、クリスマス・ソング
を2曲歌ったが、去年は歌ったっけなあ? とにもかくにも、歌い方に内在
するものから振り付けや格好まで、R&Bならではの様式を多大に受け継い
だそれらはあまりに魅力的。そして、問答無用に楽しい。それ、そんなに了
見の狭くない人なら、門外漢でも絶対にニッコリしちゃうものだと思うが…
…。こんど、機会があれば実験してみたい。彼らにしろ、J.T.テイラー(20
06年11月27日)にしろ、こういう人たちは毎年やってきて、ソウル・ショ
ウの醍醐味を示すべきではないのか。切にそう思わずにはいられません。
mimi
2006年12月18日 六本木・スイートベイジル139 。LA在住の、元祖的な日本人ソウル・デ
ィーヴァ。前回(2003年2月13日)の編成はホーン付きだったが、今回はそ
の前(2001年4月18日)と同じ編成による。でも、もちろん顔触れは違って
いて、ベースとドラムはメイズにいた人たち、またキーボードとギターはグ
ラハム・セントラル・ステイションにいた人たち(mimiちゃんも渡米して
間もなく同グループに加入したことがありましたね)だそう。聞けば、演奏
陣はキーボード奏者が集めたもので、全員オークランド在住とか。そのキー
ボード氏、この秋のマライア・キャリーでも来日しているという。
男性バック・ヴォーカルを二人従えていて(こちらは、LA在住)、一人
はギャップ・バンドのチャーリー・ウィルソンと同級生だったのだとか。そ
んなにじじいには見えない。その彼はmimiとブラザース・ジョンソンでも
重なっていたとも、彼女はMCで言っていたっけ? ちょっとラップもやっ
たほうはまだ若いようだ。
で、気持ちのあるソウル・ショウ。「ジョイ・ラヴ・ハピネス」とか、け
っこういい曲をもってんじゃん、とかも思う。来年2月に出る新作からの曲
も2曲。黒基調に纏めていたヴォーカル陣はアンコールでは白に着替えて登
場。
ィーヴァ。前回(2003年2月13日)の編成はホーン付きだったが、今回はそ
の前(2001年4月18日)と同じ編成による。でも、もちろん顔触れは違って
いて、ベースとドラムはメイズにいた人たち、またキーボードとギターはグ
ラハム・セントラル・ステイションにいた人たち(mimiちゃんも渡米して
間もなく同グループに加入したことがありましたね)だそう。聞けば、演奏
陣はキーボード奏者が集めたもので、全員オークランド在住とか。そのキー
ボード氏、この秋のマライア・キャリーでも来日しているという。
男性バック・ヴォーカルを二人従えていて(こちらは、LA在住)、一人
はギャップ・バンドのチャーリー・ウィルソンと同級生だったのだとか。そ
んなにじじいには見えない。その彼はmimiとブラザース・ジョンソンでも
重なっていたとも、彼女はMCで言っていたっけ? ちょっとラップもやっ
たほうはまだ若いようだ。
で、気持ちのあるソウル・ショウ。「ジョイ・ラヴ・ハピネス」とか、け
っこういい曲をもってんじゃん、とかも思う。来年2月に出る新作からの曲
も2曲。黒基調に纏めていたヴォーカル陣はアンコールでは白に着替えて登
場。
「シンデレラ」
2006年12月21日 1年ぶりに非音楽公演に行く。前(2005年12月8日)と同じく、ラッパー
/トラック・メイカーの下町兄弟が関与する、小池博史が主宰するパパ・タ
ラフマラのパフォーマンス。ただし、こんかい下町兄弟は役者ではなく音楽
の担当。おおーと思ったら、彼が係わるのは役者たちが歌う4曲とのことで、
他にも音楽担当者がいるようだが。
会場は、六本木・スーパーデラックス。うわ、今週3度目の六本木だあ。
基本的には、ほとんど縁のない街なのに。なんか、師走を感じる。ステージ
の三方を客席が取り囲み、パフォーマーたちがいろいろ入れ替わる。ステー
ジ美術は基本的にシンプル、構成や出演者たち(前回と比べるとだいぶ若い
人達)の個性に比重が置かれたものと言えるか。出し物タイトルである「シ
ンデレラ」とは童話のそれ、ちょい「白雪姫」とごっちゃになって、ぼくは
混乱。すっかり童話が忘却の彼方になっていて、オヤジを感じる。でも、律
儀に筋を追うようなものではなく、それを引き金とする発想の瞬発力を提示
しようとする方向にパフォーマンスはある。あ、だとするときっちりストー
リーを知っていたほうがより刺激的に楽しめるのかな?
肝心の音楽のほうは、劇伴インストの他にトム・ウェイツの曲をけっこう
流用してて、それが全体のトーンを規定していたところあり。
/トラック・メイカーの下町兄弟が関与する、小池博史が主宰するパパ・タ
ラフマラのパフォーマンス。ただし、こんかい下町兄弟は役者ではなく音楽
の担当。おおーと思ったら、彼が係わるのは役者たちが歌う4曲とのことで、
他にも音楽担当者がいるようだが。
会場は、六本木・スーパーデラックス。うわ、今週3度目の六本木だあ。
基本的には、ほとんど縁のない街なのに。なんか、師走を感じる。ステージ
の三方を客席が取り囲み、パフォーマーたちがいろいろ入れ替わる。ステー
ジ美術は基本的にシンプル、構成や出演者たち(前回と比べるとだいぶ若い
人達)の個性に比重が置かれたものと言えるか。出し物タイトルである「シ
ンデレラ」とは童話のそれ、ちょい「白雪姫」とごっちゃになって、ぼくは
混乱。すっかり童話が忘却の彼方になっていて、オヤジを感じる。でも、律
儀に筋を追うようなものではなく、それを引き金とする発想の瞬発力を提示
しようとする方向にパフォーマンスはある。あ、だとするときっちりストー
リーを知っていたほうがより刺激的に楽しめるのかな?
肝心の音楽のほうは、劇伴インストの他にトム・ウェイツの曲をけっこう
流用してて、それが全体のトーンを規定していたところあり。
ザ・ヴァーブス+奥田民生
2006年12月22日 米国音楽セレブとも言えるだろう(2005年11月13日参照)、プロデュー
サー/ドラマーのスティーヴ・ジョーダンが奥さんのミーガン・ヴォス(ヴ
ォーカル、ギター)と組んでいる趣味のユニットがザ・ヴァーブスだ。当の
ジョーダンはクラプトン(2006年11月20日)のバッキングで11月初旬に
日本に来たままずっといるという。その前も5〜7月に英国/欧州を回り、
9月下旬から1か月間米国をツアーしていたので、06年は相当プロデュース
/スタジオ仕事はセーヴした年になるんだろうな。
でも、その合間にジョーダンのことを大好きな奥田民生(2000年6月22
日、2003年3月13日)とレコーディングをNYでしたようで、多分世界で
初実現したと思われるザ・ヴァーブスの公演は奥田が入ってのもの。彼はギ
ター奏者として頭から最後までくわわった。
ザ・ヴァーブスの同行ギタリストとベーシストが超ネーム・ヴリューを持つ
人たち。というか、アルバムに入っていた人たちがまんま来ており、さすが
ジョーダンは人望があるのだな。ギターは西海岸の大重鎮セッション・ギタ
リストのダニー・コーチマーで、80年代中期にジョーダンがロック界で需要
が伸びつつあるときの恩人。NY在住のジョーダンは西海岸で仕事があると
可愛がってくれるコーチマーの家に泊めてもらっていたんだよね。いっぽう
、ベースはここのところジョーダンとコンビを組んだりもしている英国出身
の名手ピノ・パラディーノ。なお、バック・ヴォーカルの女性がもう一人い
て、紹介のとき姓が同じだったので、彼女はパラディーノの奥さんだったの
ではないかな。ああ、アフリカン・アメリカンはジョーダン一人だ。
という布陣にて(相当、平均年齢は高いはず)、余裕のノリでポップ・ロ
ックを展開。ヴォスは普段はパフォーマンスしていないはずで声がヘロった
りするが、会場に来ていた7割は奥田のファンであり、残りの多くが演奏陣
の勇士に触れられればという人たちだったので、そんなに気にもならなかっ
たのではないか。いい雰囲気が終始流れていたし。
そうしたなか一番印象に残ったのは、どの曲もジョーダンのカウントから
始まるのだが、笑っちゃうぐらいにデカい声できっちりと「1、2、1、2
、3、4」と彼が言うこと。85年のジャマラディーン・タクーマ来日公演で
のそれを思わず思い出した。デカい声でカウントする奴に悪いやつはいない
。うん、間違いない。
コーチマーはブルーノート主体でシングル・トーンのちゃらいソロを取っ
たりし、ウーンそれはけっこうぼくの嫌いなパターンのそれ。自適悠々ぽい
初老人の彼は中盤以降、2、3回ソロとるときステージ前にまでずずいと出
て来てこれみよがしに、嬉しそうにやったりも。「突然、今日は長いシール
ドを使っている」みたいなことを奥田がMCで言っていたので、この晩から始
めたようだが。いっぽう、奥田は中盤に男性陣だけをバックに自分の持ち歌
を歌ったりも。これもまたとてっても嬉しそうにして、気持ちよさそう。そ
れは、今年出たジョン・メイヤーのライヴ盤の主役を変えたようなもの、と
説明するのが適切か。
新高島・横浜ブリッツ。出来て2年強たつ会場だが初めて行く。なるほど
旧赤坂ブリッツと似た感じのハコ。ところで、ジョーダンが日本を離れるの
は大晦日だという。ECバンドは年が開けて1月中旬から1か月東南アジア
/オセアニアを回り、2月下旬から4月上旬にはまた北米を回る……。ふう
。書いてて気が遠くなる。
サー/ドラマーのスティーヴ・ジョーダンが奥さんのミーガン・ヴォス(ヴ
ォーカル、ギター)と組んでいる趣味のユニットがザ・ヴァーブスだ。当の
ジョーダンはクラプトン(2006年11月20日)のバッキングで11月初旬に
日本に来たままずっといるという。その前も5〜7月に英国/欧州を回り、
9月下旬から1か月間米国をツアーしていたので、06年は相当プロデュース
/スタジオ仕事はセーヴした年になるんだろうな。
でも、その合間にジョーダンのことを大好きな奥田民生(2000年6月22
日、2003年3月13日)とレコーディングをNYでしたようで、多分世界で
初実現したと思われるザ・ヴァーブスの公演は奥田が入ってのもの。彼はギ
ター奏者として頭から最後までくわわった。
ザ・ヴァーブスの同行ギタリストとベーシストが超ネーム・ヴリューを持つ
人たち。というか、アルバムに入っていた人たちがまんま来ており、さすが
ジョーダンは人望があるのだな。ギターは西海岸の大重鎮セッション・ギタ
リストのダニー・コーチマーで、80年代中期にジョーダンがロック界で需要
が伸びつつあるときの恩人。NY在住のジョーダンは西海岸で仕事があると
可愛がってくれるコーチマーの家に泊めてもらっていたんだよね。いっぽう
、ベースはここのところジョーダンとコンビを組んだりもしている英国出身
の名手ピノ・パラディーノ。なお、バック・ヴォーカルの女性がもう一人い
て、紹介のとき姓が同じだったので、彼女はパラディーノの奥さんだったの
ではないかな。ああ、アフリカン・アメリカンはジョーダン一人だ。
という布陣にて(相当、平均年齢は高いはず)、余裕のノリでポップ・ロ
ックを展開。ヴォスは普段はパフォーマンスしていないはずで声がヘロった
りするが、会場に来ていた7割は奥田のファンであり、残りの多くが演奏陣
の勇士に触れられればという人たちだったので、そんなに気にもならなかっ
たのではないか。いい雰囲気が終始流れていたし。
そうしたなか一番印象に残ったのは、どの曲もジョーダンのカウントから
始まるのだが、笑っちゃうぐらいにデカい声できっちりと「1、2、1、2
、3、4」と彼が言うこと。85年のジャマラディーン・タクーマ来日公演で
のそれを思わず思い出した。デカい声でカウントする奴に悪いやつはいない
。うん、間違いない。
コーチマーはブルーノート主体でシングル・トーンのちゃらいソロを取っ
たりし、ウーンそれはけっこうぼくの嫌いなパターンのそれ。自適悠々ぽい
初老人の彼は中盤以降、2、3回ソロとるときステージ前にまでずずいと出
て来てこれみよがしに、嬉しそうにやったりも。「突然、今日は長いシール
ドを使っている」みたいなことを奥田がMCで言っていたので、この晩から始
めたようだが。いっぽう、奥田は中盤に男性陣だけをバックに自分の持ち歌
を歌ったりも。これもまたとてっても嬉しそうにして、気持ちよさそう。そ
れは、今年出たジョン・メイヤーのライヴ盤の主役を変えたようなもの、と
説明するのが適切か。
新高島・横浜ブリッツ。出来て2年強たつ会場だが初めて行く。なるほど
旧赤坂ブリッツと似た感じのハコ。ところで、ジョーダンが日本を離れるの
は大晦日だという。ECバンドは年が開けて1月中旬から1か月東南アジア
/オセアニアを回り、2月下旬から4月上旬にはまた北米を回る……。ふう
。書いてて気が遠くなる。
マルコス・スザーノ&沼澤尚、他
2006年12月28日 ノントップで繰り広げられる、二人の秀でた鼓動創出者の親交を軸とする
、自発的で多分に突発的でもある、おなじみの深夜セッション(2001年12
月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、2005年10月30日、2006
年8月11日、2006年8月24日、他)。この晩は、フェルナンド・モウラ
と勝井祐二が加わる。会場入りしたら、ゲキ混みで何も見えないが、見えな
いほうが音の流れは冷静に掴めるかも、とふと思ったりも。でも、やっぱし
見えないのは寂しく、後ろ髪ひかれる思いで途中退去。車で行ってて、飲め
なかったし。
いろいろと様相を変えるグルーヴの波を受けながら、クリスマスに亡くな
ったジェイムズ・ブラウンのことをふと想う。一般的な意味でのファンク表
現の創始者。JBは亡くなる前の週末までライヴをやっていて、入院した週
のウィークエンドにはまたすぐ仕事に復帰する予定だったと伝えられる。ま
さに、ザ・ハーデスト・ワーキン・マン・イン・ザ・ワールド。彼に関する
ぼくの思い出は、サマーソニックでのロック・リスナー一喝事件(2000年8
月5日参照)につきる。最高のエピソードだよなあ。今後も、彼の残した種
をぼくは愛で続けていく……。
、自発的で多分に突発的でもある、おなじみの深夜セッション(2001年12
月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、2005年10月30日、2006
年8月11日、2006年8月24日、他)。この晩は、フェルナンド・モウラ
と勝井祐二が加わる。会場入りしたら、ゲキ混みで何も見えないが、見えな
いほうが音の流れは冷静に掴めるかも、とふと思ったりも。でも、やっぱし
見えないのは寂しく、後ろ髪ひかれる思いで途中退去。車で行ってて、飲め
なかったし。
いろいろと様相を変えるグルーヴの波を受けながら、クリスマスに亡くな
ったジェイムズ・ブラウンのことをふと想う。一般的な意味でのファンク表
現の創始者。JBは亡くなる前の週末までライヴをやっていて、入院した週
のウィークエンドにはまたすぐ仕事に復帰する予定だったと伝えられる。ま
さに、ザ・ハーデスト・ワーキン・マン・イン・ザ・ワールド。彼に関する
ぼくの思い出は、サマーソニックでのロック・リスナー一喝事件(2000年8
月5日参照)につきる。最高のエピソードだよなあ。今後も、彼の残した種
をぼくは愛で続けていく……。