アメリカ領サモア系兄弟たちによりカリフォルニア州カーソンで組まれた重量級ヒップホップ・グループの、ブーヤ・トライヴのポール・ギャングスター・リッドの訃報が届いている。享年、52。新型コロナ・ウィルス感染が死因という。今回知ったが、兄のテッドも2018年に55歳で亡くなった。

 当初アイランド傘下のフォース&ブロードウェイから送り出され、日本では小錦関(2008年12月12日)の親戚がいるというセールス・ポイントとともに紹介され、何度か来日している。ぼくも確か1990年代初頭にインタヴューしたことがあって、いかつい体つきの連中だったけど、それは外見だけでほのぼのと取材は進んだ記憶がある。あの頃はまだラップの担い手というとアフリカ系が主で、チカーノやラティーノの担い手があまり紹介されていないなか、彼らは堂々シーンに飛び出していた。

 意外なところで(でもないか)は、フェイス・ノー・モアで絡んだこともあったらしく、マイク・パットン(2005年9月5日)もフェイスブックで彼の写真とともに、簡素ながら愛ある追悼コメントを出した。

▶︎過去の、KONISHIKI
https://43142.diarynote.jp/200812281438093880/
▶︎過去の、マイク・パットン/ファントマズ
https://43142.diarynote.jp/200509061252060000/

<今日の、認知>
 今年は衣服の類をほぼ購入していないんじゃないか。と、ふと気づく。外に出る機会が激減、服や装飾品を買いたいぞという欲求を覚えていないんだろうな。取材も、外に出ずにすむリモートという手段が出たし。先週は、最新EP『2099』を出した在ニューヨークのBIG YUKI(2016年11月20日、2019年1月19日、2019年7月24日)にズームで取材。また、日経新聞からのぼくへのコメント取りもズームでなされた。BIG YUKIはこんなおりストレスのかからない内容にしたかったそうだが、なるほど働きかけ度を導く肉声も目立つ、グルーヴィで明快ないい出来だ。話は弾んだが、彼ってよく通る声をしているんだなー。ロックダウン直前まで、彼はカマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年9月2日)のツアーにキーボード奏者として参加していたんだとか。インタヴューを終えて、在NYのブレインフィーダーなるもののクリエイターとしての、彼の伸長を期待したくなった。
▶︎過去の、BIGYUKI
https://43142.diarynote.jp/201611211717002386/
https://43142.diarynote.jp/201901221615346185/
https://43142.diarynote.jp/201907250901144536/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/