ルル・ゲンズブールは、その名字で察しがつくようにキャラクタリスティックな仏シンガー・ソングライターであるセルジュ・ゲンズブールの息子だ。セルジュと混血モデルのバンブーとの間に1986年に生まれているので、彼が5歳のときに父親は亡くなったということになる。もちろんシャルロット・ゲンズブールは異母姉、仲はいいようで、シャルロットのベック制作の2010年作『IRM』(エレクトラ)にルルはレコーディング参加していた。そして、バークリー音楽大学も出ているという彼は2011年ユニヴァーサルから父親の曲をひも解き直した初リーダー作『フロム・ゲンズブール・トゥ・ルル』(原題も同じ)をリリース、そこで彼は表現統括者的な位置に基本いて、各曲にルーファス・ウェインライト、イギー・ポップ、ヴァネッサ・パラディ、ジョニー・ディップ、マリアンヌ・フェイスフル、シェイン・マガウアン、リチャード・ボナらを配置していた。

 ステージ上に登場した本人は、ヌポーとした人。デビュー作ジャケットの絵とはかなり離れた感じ。外見だけだと、父親を想起させる部分はたぶん(ぼく、そんなにセルジュ・ゲンズブールのこと詳しくないもので)ない。1曲ごとに挟む曲紹介MCは英語とフランス語のチャンポンで、単語数はとても少ないものの、確かなイントネーションの日本語も時に挟む。ちょい素人くさいが、途中からコイツほんといい奴なんだろうなという所感がぼくのなかでは膨らんだ。1曲目はドラムから始まったのだが、それはもろにスティーヴィー・ワンダーの「迷信」ふうであった。

 バンドはサックス、鍵盤、ギター、電気ベース、ドラムス。うち、サックス奏者や鍵盤奏者は父(ルルは「マイおとうさん」とMCで言ったりも)のバンドにいたミュージシャンで、アメリカに住んでいると紹介されたか。スタン・ハリソンというサックス奏者以外は、皆フランス人ぽい名前を持つ。実はそのハリソンは80年代以降NYのスタジオ界でけっこう活躍している人物で、デイヴィッド・ボウイ、デュラン・デュラン、トーキング・ヘッズ、デイヴィッド・サンボーン、レディオヘッド、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツなど、いろんなアルバムに名を出している。ブルース・スプリングスティーンの2012年新作『レッキング・ボール』(コロムビア)にも彼は参加していますね。

 先に少し触れたように、ぼくは“ジャマイカに行ったり、女装したりする”ゲンズブールしか知らない聞き手なので、断言はできないが、披露される曲はどれもゲンズブール曲であったよう。パリ生活の長い人が、そう言っていた。基本、シンプルな伴奏にのって、中央に立つルル・ゲンズブールが歌う。また、彼がピアノを弾くインスト曲もあった。六本木・ビルボードライブ、ファースト・ショウ。

 そして、南青山・ブルーノート東京で、西海岸在住ジャズ・ピアニストのカルテットを見る。

 で、まずは不明を恥じたりして。実はその奇麗な弾き口もあり(編曲にもたけ、クラシックの素養も持ちそう)、ぼくはビリー・チャイルズ(57年、カリフォルニア州生まれ)のことを白人奏者だとばかり思っていたのだ。が、どうやら肌の色は濃くはないもののアフリカンの血が入っていると、本人を見て了解。1980年代後期にアルバム・デビューの機会を与えられ、当分在籍したのが、ウィンダム・ヒルであったという事実はその勘違いの発端となっているか。サイド奏者は、アルトとソプラノ・サックスのスティーヴン・ウィルソン(61年、ヴァージニア州生まれ)、ベースのスコット・コリー(63年、カリフォルニア州生まれ)、ドラムのブライアン・ブレイド(70年、ルイジアナ州生まれ。2011年5月21日、他)という、みんな10作前後のリーダー作を持つ腕利きたち。なにげに、ミュージシャンズ・ミュージシャンであると、思わせられる。

 演奏したのは、チャイルズのオリジナル曲が主だったのかな。サラサラ感を持ちつつもけっこういろんな含蓄や思惑が差し込まれていて難しいんだろうナと思わせる曲を題材に、4人で淡々と音を重ねていく。手癖がきれい、間違いなく高尚にして、上品。そして、その奥に、ジャズをジャズたらしめる、一握りの刺や濁りがある。なんとなく、霞を食べているような、仙人ジャズだとも思った。

 MCによれば、初来日は1977年のJ.J.ジョンソンのバンドであったそう。それを言ったとき、ウィルソンがすごい小さいときだよねという素振りを見せ、笑いを誘う。リーダーとしての来日公演は今回が初とか。素直に、うれしそう。気合いれて、サイド・マンをそろえた? ウィルソンとチャイルズは同じチック・コリア関連サークルにいたとも言えるし、リズム隊はコンビを組むときもある。直近では、ジョン・スコフィールドの2011年盤に2人は参加していますね。という面々に接しながら、ミュージシャンの輪をめくっていくような感覚もぼくは得たか。

<今日の、ブルブル>
 日々、日は長くなっているが、暗くなると寒い。今日は風もあって、よけいに寒さを感じた。あー、鼻水が出るよお。という状況ではあるのだが、3月を回ると、大げさなコートとかは生理的に着づらくなる。厚着していると、春の到来に鈍感な、イケてない人という感じが出てしまうようで。。。事実、他の人々の格好を見ても、まだ真冬の人もいることはいるが、それなりに薄着になっているよな。でも、寒い。飲んでいても、まだ花見の話は出ない。まだまだマフラーははなせません。

 丸の内・コットンクラブで、NYに拠点を置く奏者たちで組まれた多国籍グループを見る。リチャード・ボナ(2011年1月25日、他)からサム・ヤエル(2006年8月24日、他)までいろんな人のアルバムに参加しているフィラデルフィア出身のドラマーをリーダーとし、イスラエル生まれのピアノ奏者であるシャイ・マエストロ(現在、ベーシストのアビシャイ・コーエン-2006年5月17日-のバンドにも参画)、一部でかなり高評価を受けるイスラエル人ギタリストのギラッド・ヘクセルマン(過去、モーション・ブルー・ヨコハマでリーダー公演をしているよう)、英国出身コントラバス奏者のオーランド・ル・フレミングという面々による。

 基本はホーニグのオリジナル曲をやっていたのだろうが、なるほど、これは賢者の今のジャズだと頷く。的確に書き留められないのがもどかしいが、作曲を介した編み込みの集団表現から伸縮自在に即興という淡い光がこぼれ出る……と、いう感じ。曲は基本激しいものではないが〜ながら、上半身や頭を活発に動かしながらホーニグはけっこうアグレッシヴに叩く〜、それでも確かな意図や含みや大志を感じさせるのだから、その行き方は賞賛されるべきものだろう。アコースティック・ジャズの行方を真摯に追おうとする若手(みんな30代半ばぐらいか)の存在を確認するとともに、いまだNYはジャズ・ミュージシャンの中心地であることをおおいに了解した。

 その後は南青山・ブルーノート東京に移動して、米国(1965年ニュージャージー州)生まれながら、英国にわたり活動し、そしてエスタブリッシュされた女性歌手を聞く。ピアノ(一部電気ピアノも)、テナー・サックスとソプラノ・サックス(旦那だそう。ちょい悪オヤジ風で、スタン・ゲッツが好きそう)、ウッド・ベース、ドラムというカルテットがつくが、彼らはみな英国人なのだろうか。そういう男性陣の的をいた穏健派演奏にのって、ケントはまったく無理のない、これまた穏健きわまりないジャズ・ヴォーカル表現を無理なく披露する。彼女の、マイクと口の距離〜歌声の強弱の付け方の留意し具合は相当なもん。それゆえ、声自体はどこか耳に残る粘り気や歯切れの良さももつのだが、癒し系という言い方もできるだろう。和め、いい気分になれるジャズ・ヴォーカルの実演を見たいという人にはまさにぴったりの存在と、そのパフォーマンスに接しつつ思う。

 へえと思ったのは、「3月の雨」とか「イパネマの娘」とか、ブラジル曲をけっこう取り上げ、またボサノヴァ系リズムを採用する比率が高いこと。ガル・コスタ(2006年9月22日)で知られるカエターノ・ヴェローゾ曲「コラソン・ヴァガボンド」もボサノヴァ調で披露。ケントは、カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)は一番尊敬できる人みたいな発言もしていた。そういえば、ボサ調の曲をやる際、ケント(2曲)と旦那(1曲)はガット・ギターを弾いたりした。で、アンコール曲は、「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。うまく、まとめるなあ。……うまくまとめてないなと感じたのは、ケントのお洒落じゃない格好。パンツとシャツで、普段着みたいに見える。伴奏陣はちゃんとスーツぽい格好をしているのだから、主役にももっと気を遣ってほしかった。

<今日の料理>
 「趣味は料理デス」なぞとはどう転んでも言えないワタシではあるが、たまにハタとしたくなることもある。ま、“工作”ですね。ホロ酔い気分ながら、寒い寒いと震えながら帰宅したこの晩は、なぜかまさにそんな気分となり……。むくむく食材加工意欲が湧いてきて、冷蔵庫のなかのチェック。サフランはなぜか賞味期限内のものがあるが、肝心の魚介食材が足りない。どうせなら、豪華に作りたい。飲んでいるので、車で出かけられないので、買い出しには歩いていくしかないけれど。一度湧いた意欲は大事にしようと外に出たら、ちょうど人をおろそうとするタクシーがとまっている。思わず乗り込み、午前2時までやっている最寄りのスーパーではなく、少し離れていてキブン高級な24時間営業のスーパーへGO。ちょちょいと買い物する間、タクシーには待っていてもらう。運転手さん、苦笑。白ワインも買っちゃうゾ。と、年に一回あるかないかの晩はすぎていくのであった。   うまーい。

 シンディ・ローパーは、まるっきりシンディ・ローパーなり。なんか澄んだ心持ちのもと、心意気と真心ありすぎ。そのパフォーマンスからは、音楽の力を信じる尊さが溢れまくり。そりゃ、頭をたれるしかない。

 昨年の3.11当日、地震直後に来日(成田に降りられなくて、横田基地に最初おりたよう。招聘スタッフによる昨年のローパー来日時の日記がパンフレットに載せられていて、それが興味深い)。そのまま、日本にいることを選択し、心の限りの音楽活動を遂行したシンディ姉さん(2011年3月16日)が、ちょうど1年後にまたやってきた。その惨事を風化させまい、もっと人々を力づけなきゃという気持ちを掲げるかのように。日本ツアー開始前に、彼女は宮城県の被災地を訪れたりもしたようだ。

 渋谷・オーチャードホール。東京公演の初日。バンドは昨年と同様といえるもの。近年のローパー表現を支えているキーボード奏者のスティーヴ・ガバリー以外は、南部メンフィス在住のミュージシャンたちで、スティーヴ・ポッツ(ドラム)、アーチー・ターナー(キーボード)、ウィリアム・ウィットマン(ベース)、マイケル・トゥールズ(ギター)という面々。そして、さらに今回は白人ブルース・ハープ(ハーモニカ)の大御所であるチャーリー・マッセルホワイト(!)も同行している。彼はステージから離れる曲も少しあったが、ブルース曲外でも演奏に参加し、ホーン奏者的役割を勤めた。

 演じる曲はローパーのキャリアを教える代表曲と昨年発表のメンフィス録音作『メンフィス・ブルース』からの曲、そして“その他”。ブルース・ハープ奏者が入っているということで、前回以上にブルースっぽい行き方を見せるのかと想像する人がいるかもしれないが、新作収録曲比率は前回よりも低目で従来のローパー曲のほうが多い。それは、普通のシンディ・ファンにはありがたいか。ただ、やはりハイ・サウンド(南部ソウル)系奏者を数多く採用したバンド・サウンドはやはりどこかゴツっとしていて、実直。それこそは、今回も引き続き南部の奏者を起用し続ける彼女が求めるところであっただろう。

 興味深かったのは、“その他”の楽曲。昨年もツアー途中から思いつきで歌ったりもしたようだが、マーヴィン・ゲイの大ヒューマン告発曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」をきっちりとアレンジを施したうえで、前半部に披露。じわん。また、中盤では、「忘れないで」という日本語曲をもろに歌う。それ、なんでもリトル・ペギー・マーチという米国RCAが60年代に送り出した10代歌手(1948年生まれ。その「アイ・ウィル・フォロー・ユー」は1963年に全米1位を獲得しているよう)の曲。ぼくはその名前さえ知らなかったが、60年代には度々来日して、その際に日本人作家による日本語曲をいろいろと録音していたらしい。世の中、いろんなことがあるもんですね。そして、大成前に日本食レストランで働いていたとき、ローパーはこの曲に触れていたようだ。という能書きはともかく、彼女はこの曲を日本に対する思いの強さを出さんとするかのようにきっちり覚え、きっちり歌う。ちょい、演歌調? そして、バンドのアレンジというか、その曲で採用したビートはもろに特徴的なハイ・サウンドのそれ(ブッカー・T・ジョーンズ&ザ・MGズ〜2008年11月24日〜で来日しているスティーヴ・ポッツの叩き口、お見事)。ニンマリできました。
 
 アンコール最後は、スティーヴ・ガバリーとチャーリー・マッセルホワイトの二人の伴奏のもと、あまりに著名な彼女の大ヒット“励ましソング”を。会場内には、送り手側と受け手側のいろんな気持ちが交錯しあい、舞っていた。

<今日の心持ち>
 もうすぐ、1年。1年ぶりのローパーの実演に接して、昨年の暗い状況、暗い心持ちを思い出した。ローパーは“パワー・トゥ・ザ・ピープル”というジョン・レノン流れのメッセージもアピール。また、持ち歌を歌っていたさい(何の曲かは忘れた)、オーティス・レディングの「ファファファ」をさらりと歌い込んだりもした。それから。実は、震災後もっともすぐに来日して公演をした英国がらっぱちロッカーのルー・ルイスもまた、ちょうど1年後に日本にやってこようしようとしていた。が、過去の悪行をとがめられ、入国審査でひっかかり入国できなかったのだという。昨年は被災直後で審査があまくなっていたのか。ともあれ、ルイスの侠気も胸にとめておきたいな。

 1926年生まれだから、85歳。へえー。ちょい段差はゆったりのぼるが、杖をつくこともなく、背筋をピンとのばして、アルト・サックスをブロウする。やっぱり、好ましい年輪をいろいろ感じさせられたな。

 50年代前半から70年代中期にブルーノート・レコードが閉まるまで、ずっと同社に在籍したスター奏者。60年代を回るとオルガンを採用したソウル・ジャズ風の行き方で当て、その方向性はクラブ・ミュージック期になるとより顧みられている。

 サポートは、敦賀明子(オルガン)、ランディ・ジョンストン(ギター)、田井中福司(ドラム)。二人の日本人奏者は長くNY在住する奏者たちで、敦賀は何枚もジミー・スミス(2001年1月31日)を根に置くリーダー作を出しているし、田井中はずっと前からドナルドソン・バンドに入っている。白人ギター奏者のジョンストンも何枚もリーダー作を出すとともに、やはりソウル・ジャズ系テナー・サックス奏者のヒューストン・パーソン作に名前を出していたりもする。

 「ボディ・アンド・ソウル」や「チェロキー」などのスタンダードから、ソウル・ジャズ有名曲にして彼十八番曲(ドナルドソン作曲)の「アリゲイター・ブーガルー」まで、悠々と披露。面白いのは、テーマ→ドナルドソンのソロ→ジョンストンのソロ→敦賀のソロ→テーマという順で、どの曲も演奏されること。普通のジャズ・マンだと変化を出すためにオーダーを代えるものだが、大人(たいじん)はそんな策をろうしたりはしません。敦賀のハモンド演奏はまさに堂にいる(ベース音は左手で弾いていたのかな)、いい音を出していました。

 それから、最高だったのは、“彼女は一日中、ウィスキーを飲んでいる”と歌い始められる純スロウ・ブルース曲(俺の女だから、というのがオチ)を、じっくりドナルドソンが歌ってくれたこと。すんげえ味あり、とても良い。全曲ヴォーカル曲でもいいじゃないか。なんか大昔のブルース・フェスの場に俺はいるのか、なぞともと思ってしまった。やはり、米国黒人音楽の大河はつながってきた。そんなことをさらりと出しもする御大、やはり今や貴重な担い手というしかない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。アンコールにも応え、1時間20 分強やったはず。
 

<今日のエスペランサ>
 帰国後すぐ、けなげに勤労。おもったほど寒暖の差がきつく感じもしないし、不思議とストレス感じないなー。なにより、なにより。午前中から新作『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』(ヘッズ・アップ/コンコード)プロモーション来日中のエスペランサ・スポルディング(2011年2月17日、他)にインタヴュー。前回の取材も午前中だったよなー。早起き、けっこう機材を持ってきていて、朝から作業しているらしい。とにもかくにも、何度あっても、いろんな部分で、ええ娘やあ、と思わずにはいられず。
 複数の血が入っている彼女ではあるが、アフリカンとしての意識が強く、その自負をしなやかきわまりない音楽に、特に今回はのせている。そんな新作のほとんどの曲に彼女は映像をつけていて、夜は関係者をまねいて、その発表会(大げさに言えば、ワールド・プレミアらしい)が明治神宮前のカフェであった。実は帰国便に乗る日のジャカルタ早朝からお腹をこわしていたのだが(やはり、インドネシア侮れず。帰りの飛行機のなかで、いっさいアルコールを飲む気にならなかった。そんなこと、自分の人生において初めてのこと)、ゴクゴク飲んでもなんともなく、お腹もいたくならない。お、薬飲んでも効かなかったのに、お酒飲んじゃったらなおったじゃないか。で、にこにこでライヴ会場に向かう。↑

 会場内には企業宣伝ブース練や、フードコード練(支払はプリペイド・カード方式)もどっかーんとある。イスラム教圏であるためか、フードコートのほうではソフト・ドリンクしか売っていない。とはいえ、企業ブースにはハイネケンとジャック・ダニエルのブースがあって、そちらでお酒は買える。確か、値段はハイネケン缶が250円、ジャック・ダニエルのシングルが500円(日本と変わらなーい)。滞在中、日本との比較で一番安く感じたのは、タクシー。20分ぐらい乗っても、200円だからな。

 フェスの大きなスポンサーは、タバコ、清涼飲料、銀行など。企業ブース練(ちょいWOMEXの昼の場の様を思い出す)には、ほんと沢山の企業が出店している。やっぱ、景気いいんだな。一般企業を中心に、音楽周辺産業まで(レコード会社はユニバーサルだけだったが)、様々。面白いのは、そのブースに小ステージをもうけている所も多数あり、あちこちから演奏や歌声が聞こえてきて、なんかインドネシア人は音楽好きだなあと思わせられること請け合い。そういえば、もうだいぶ前だけど、久保田麻琴(2010年12月4日、他)さんもジャカルタのクラブ・ミュージック・シーンはすごいと言っていたな。
 
 音楽の会場で一番おどろいたのは、録音や撮影に関して、なんの制約もないこと。というか、公式雑誌に<していいこと>と<しちゃいけないこと>の項目があり、OKの項目にデジタル・カメラやヴィデオ持ち込めますとわざわざ書いてある。みんな気ままに携帯電話で写真や動画を撮ったりしている。ときに大げさなカメラを持っている剛の者もいれば、あるおばさんは長い棒を持ち込み、その先端にヴィデオ・カメラを括り付けてステージを撮影していた。そんなわけなので、ジャワ・ジャズの模様はいろいろとユーチューブにアップされるのではないだろうか。

▶バリー・ホワイト・ショウ&ザ・プレジャー・アンリミッテッド・オーケストラ
 タイムテーブルに載ったこの名前を見て、あれれと、思う。1970 年代ディスコ・ミュージック期のスムース・ソウルなるものを提示して当てた、低音ヴォイスも売りであった御大はすでに亡くなっているから。そしたら、出てきたのは、往年のバリー・ホワイトを彷彿とさせる恰幅のいい黒髪/黒髭のおじさん。おお、歌は本人ほど低音ではないかもしれないが、オリジナルよりうまい? 血筋の人なんだろう、と思う。で、本家はザ・ラヴ・アンリミテッド・オーケストラと名付けた集団を率いていたが、ザ・プレジャー・アンリミッテッド・オーケストラと名乗るこちらもストリングスやブラス陣をたっぷりおごった30 人ほどの陣容。ま、やっていることは過去表現の小粒な焼き直しにすぎないのだが、接することができてちょいうれしかった。隣の会場の演奏音がばんばん漏れてきていて、彼らの小さ目の音がおおいにかき消され気味、少し気の毒だし、その真価をつかみにくかった。

▶スウィング・アウト・シスター
 これは、ちぃっと拾いものだった。何の期待もなく、時間が空いたからと見に行ったら、管セクションを含む15人ぐらいの大所帯で、実に高品質なソフト・ソウル/アーバン・ポップ表現を提出していた。コリーン嬢のヴォーカルもサウンドに負けず声が出ていて、ふくよか。この手の実演としてはかなり非の打ちどころがなかったのではないか。

▶スティーヴィー・ワンダー(2010年8月8日)
 昔は、そんなに彼のことを特別視していなかった。なんか、色づけやグルーヴが薄く感じられ、所謂ニュー・ソウル勢のなかでは、メイフィールドやハサウェイやゲイより、彼は下にいた。なのに、特別な理由もなく、彼のことがたまらないなあと感じるようになったのは、40歳ごろから。いつのまにか、大好きになってしまった。好みが緩くなってきたからかなあ。そして、インタヴュー(2005年11月3日、参照)経験後はそれがより強いものとなった。そんな人の実演を楽々ともろに受けとめることができて、ぼくはとっても幸せな気持ちになれた。
 予定時間から、90分以上遅れての登場。エリカ・バドゥと同様にインドネシア人によるインドネシアの国家斉唱がなされたのちに、ショウは始まった。タイムテーブルでは1時間半のパフォーマンス予定となっていたはずだが、なんと悠々2時間20分にわたる実演を見せる。ある意味、時間にルーズなフェスティヴァルって最高だァ。
 バンドがで出てきて(コーラス4人を含め、全14人編成)、しばらくしたあとにスティーヴィー・ワンダーがステージに出てきたのだが、観客の反応を楽しむように、すっと奥横に立っている。すごい歓声。その後、中央に出てきて、ショウはスタート。イエーイ。最初の2曲はショルダー・キーボードを弾きながら歌う。何をやったか、記憶がとんでいる。とにかく、代表曲のオン・パレード。メドレーぽいこともせず、1曲1曲をじっくり聞かせる。キーボードを弾きながら歌ったり、グランド・ピアノを弾いたり、立ってマイクを持ちつつ歌ったり、娘(アイシャ)のいるコーラス隊の位置に来て、コーラス隊の一員のような位置で歌ったり。そのパート、けっこう長かった。アイシャをフィーチャーした曲も1曲やったが、歌ったのは父親の曲ではなく、アシュフォード&シンプソン(2009年11月20日)が作ったチャカ・カーンの78年ヒット曲「アイム・エヴリー・ウーマン」。へえ。ともあれ、いろんな私を見せましょうという意思を強く感じました。
 キーボード・ソロも披露するジャジーなインストゥメンタルも披露したが、それはジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」だった。よりオデコは広くなったような感じもあるが、元気にはしゃいでいる感じに、ぼくのココロは溶けていく。来て良かったア、と思った。
 途中、トイレに行くため出口に向かったら、後ろのほうにライオン頭の男性が。ありゃ、パット・メセニーじゃん。もうニッコニコしながら、一般客に混じって見ている。お、写真も撮っているじゃん。実は初日のハービー・ハンコックのショウの際も、彼は客席で見ていた。メセニーにとってのフェスは、普段なかなか触れることができない同業者のライヴに客席から触れることができる場でもある? まっすぐな素の音楽愛好者の様に触れて、ぼくはメセニーのことを見直した。
 実はスティーヴィー・ワンダーはこの日(ライヴ前)の深夜の3時過ぎにホテルのセッション会場にジョージ・デュークと現れ、パフォーマンスをしたという! ぼくがその前にそこをのぞいたときはどうってことないセッションをやっていて、会場も混んでいたので、すぐにその場を離れてしまった。ガーン。話は飛ぶが、空港で日本に帰る便にチェックインするとき、ぼくの前に並んだのがフェス出演のあと日本公演に向かうフランク・マッコム(2011年3月4日、他)だった。彼に、「今回、スティーヴィーと会った?」(プリンスのホーム・パーティで、スティーヴィー・ワンダーと一緒にパフォーマンスしたことがあると、かつてインタヴューで言ったことがあったはず)と聞くと、2日目の夜に一緒にセッションしたよとの返事。なぬ、話題となっていたワンダー/デュークのセッションにはマッコムも参加していたのか。どうやら、マッコムがやっていた所に二人がシット・インしたようだ。
 この日の深夜はジャム・セッションの会場にけっこういて(すいている、ステージが見えないテーブルにいた)、シラーズのワインを2本あけたが、その日は見ている者が色めき立つ出演者はなかったよう。でも、ちょっといい話ができた。
 
 書くのを忘れていたが、スティーヴィー・ワンダー公演の特別料金は桁が違っていて、2万5000円ぐらい。それ、インドネシアの感覚だと10万円を超えると思うが、それでも人は集まる。それは彼の威光であるとともに、やはりインドネシアは豊かになっているんだろう。

 他に出演した主な海外アーティスは、ポンチョ・サンチェス(2007年7月17日、他)、シーラ・E.(2011年1月18日、他)&ザ・Eファミリー(ちょっと見たけど、かなり大人数でことにあたっていた)、アルフレド・ロドリゲス(2011年11月25日)、シャンテ・ムーア(2008年12月8日、他。愛想良く「テレマカシ(ありがとう)」を連発していたな。ジェラルド・オルブライトかだれか、スムース・ジャズ系の名のあるサックス奏者を招いた特別編成にての実演)、フィル・ペリー、ローラ・フィジー、ジョーイ・デフランセスコ(2010年12月1日)、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンド(2012年2月28日、他。終了直前の様を見たけど、ギタリストが混ざっていた)、フランク・マッコム(これまでの日本公演はサックス奏者なり打楽器奏者も抱えてやっていたが、今回はトリオ編成だった)、など。

 地元のバンドで一番立ち止まって見たのは、一番大きな野外ステージでやっていたG-プルックという4人組。で、これがザ・ビートルズのコピー・バンド。やっぱ、どこにでもいるんですね。彼らは初期風の格好や髪型をし(ベーシストは左利きだったっけ?)、ソツなく楽しいカヴァー曲演奏を行う。ニコっ。一緒に口ずさんでいる人も少なくなかったな。初期曲だけだく、「カム・トゥゲザー」とか後期のバンドっぽい曲もやっていた。なお、彼らはステージの両端に、コートやジャケットを4点得意げに飾っていたが、それは縁の品であったりするのだろうか。

 リハーサルとか、音のオペレーションの部分とか、送り手にとって内側はなんだかんだ大変だったところもあるようだが、出演者たちはみんなちゃんとやっていたと思う。そして、いま日本だと音楽にまつわる話はネガティヴなものが多いが、まだこちらでは娯楽として光り輝く位置に音楽が存在する感じがヘルシー。うれしくもなる。それは、スポンサーの多さにも顕われているのではないか。

<今日の、交通>
 外国に行ったときに一度は考えるのは、オレはここでストレスを感じることなく車を運転できるか、ということ。インドネシア語の文字はアルファベットで、そして車線は日本と同じ左側通行。それゆえ、運転しやすそうに一瞬思ったが、ぼくが行った外国の都市のなかで一番運転することに絶望的になったのがジャカルタと言える。ぎょっとするぐらいバイクの数が多く、膨大なそれが車に群がるように、ぐちゃぐちゃで流れていく様には驚愕。これじゃ、すぐに交通事故が起きそうとも感じたが、滞在中にそれには出会わなかった。だが、ぼくが運転難しそうと思うのはそういうの抜きの部分、ジャカルタの道路のありかたが妙だから。ここでは普通に車道がクロスする交差点がなく(故に信号がない)、かわりに変てこなラウンド・アバウトのようなものがあるのだが、違う道路に入るにはとっても手間がいるし(それが重なると、なんか方向感覚も狂う)、今まで頭の中にある交通の物差しを取っ払う必要があると感じてしまうのだ。なお、広い道路は両交通だが、少なくてもジャカルタ中心地の道路の多くは一方通行となっている。走っている車は、トヨタの大圧勝。そして、ホンダとニッサンがわずか。シルヴァー・バード・タクシーはメルセデスを使っていた。1回だけ、パジャイ(タイでいうところの、トゥクトゥク)という三輪タクシーに乗った。ちょいうれしかった。

 一年中夏のようだが、30度を超えることはないようで、日本の真夏よりはかなり楽。ホテルには立派なプールがあったが、泳ぎたいとは思わなかったし、泳いでいる人はあまりいなかった。今は雨期だそうで、昨日もスコールがあったが、今日はほぼ雨は降らなかったかな。まあ、野外ステージ以外はだいたい屋根があるので、会場では雨が降ってもそんなに不自由はないと思うが。

 ライヴは夕方近くから深夜まで、ゆったりと繰り広げられる。出演者の割合の半数はインドネシア勢だろうが、その多くはフュージョンやソウル系のバンド(まあ、それはフェスの性格から来るものでもあるだろう)で、それらはおしなべてちゃんとしている。翌々日、ホテルから徒歩15分ぐらいの地元向けアーケードに行ったら、立派な楽器屋さんがあったりして(他にも、楽器屋はあった)、同国のバンド熱は低くないと思わせられる。

▶パット・メセニー(2012年1月25日、他)・トリオ
 1月に日本に来たばかりと思ったら、3月にはインドネシアへ。メセニー、元気だな。で、ここでの実演は、若手黒人リズム・セクションを擁する新トリオにて。ベン・ウィリアムズとジャマイア・ウィリアムズ、おお3年前のジャッキー・テラソン来日公演(2009年5月18日)の来日リズム・セクションと同じじゃないか。渡辺貞夫(2011年7月4日、他)もお気に入りでレコーディング起用しているベン・ウィリアムズは今年のメセニーのサマー・シーズンのツアーにも起用されるようだ(ドラマーはアントニオ・サンチェス-2011年7月20日-とか)。で、最初とアンコールは生ギター・ソロだったが、他は電気ギターを持ちトリオにてギグをする。静かな曲をやるときもあるけど、やっぱ、ぐいぐい進むような質感のパフォーマンスが核となるものであったか。本編最後の曲なんて、ごんごんプッシュするリズムに乗って、彼はシンセサイザー・ギターであっち側に行かんとするソロを取りまくり。回春目的のユニットでもあると、ぼくは理解した。ここのところ、あっさり路線で勝負していたメセニーだが、次作はこういう方向に出るのもアリ。なお、彼に関しては、今回ちょいいい話があった。それは、明日のスティーヴィ・ワンダーの項に書きます。

▶ママズ・ガン(2011年8月3日、他)
 主催者側の選択もあるんだろうけど、外タレ出演者にロックやワールドの担い手はなし。見事に、フュージョンとアーバン(R&B)系の担い手がフェスには呼ばれていた。というわけで、ぼくが今回触れたなかで一番ロックっぽいアーティストが彼らだった?

▶デイヴィッド・サンボーン(2010年12月1日、他)
 ここのところの来日の公演はオルガンとドラマーという簡素な編成でやっているサンボーンだが、ここでは通常編成と言えるような設定でライヴをする。鍵盤のリッキー・ピーターソン、ギターのニック・モロック、電気ベース(に専念)のジェイムズ・ジナス(2012年1月13日)、ドラムのジーン・レイク(2012年2月10日、他)というのが、その顔ぶれ。驚きはないが、これぞサンボーンという演奏を披露する。

▶ジュリアード・ジャズ・トリオ
 ジュリアード音楽院卒業生のバンドということで、誰が演奏するのかなあと思ってのぞいたら、格調高くアコースティックなピアノ・トリオが演奏している。ありゃ、中央にいる痩身のベーシストはどう見ても大御所ロン・カーター(2011年1月30日、他)ではないか。彼の名前なんて、どこにも出されていないぞ。まさか、トラ(=エクストラ。臨時の奏者の意)? ドラマーは仲良しのカール・アレン(2009年8月30日)、彼はオフィシャル雑誌でちゃんと紹介されている。ピアニストは誰か分からなかった。

▶サイモン・グレイ
 オーストラリア生まれのキーボード奏者/トラック・メイカーで、クラブ・ミュージックと重なる範疇を得意分野とし、英国で活動している人物。彼はミレニアム以降のインコグニート表現にも関与しているが、フィーチャード歌手としてインコグニート(2011年3月31日、他)のトニー・モムレル(彼って、マレーシアかどこかの出身だっけか?)を同行させる。で、インコグニートから親しみやすさを少し抜いたような、クールなジャジー・ソウル表現を送り出していた。

▶メイヤー・ホーソーン
 昨年の来日公演は行けなかったのが、見に行った知り合いからは高評価を受けていた。そして、なるほど、それもよく分かりました。実は、ちょい確認したいことがあり昼にホテル内にあるプレス・センターに行ったのだが、そこは現地プレスによるアーティスト取材場所にもなっていた。で、ホーソーンは入り口のソファーで取材を受けていたのだが、そのとき彼は客室備えのバスローブ姿。その様に触れ、おいおい、あんたインドネシア嘗めとんのかいとぼくは思ったのだが、パフォーマンスはきっちりやっていたな。感心したのは、とっても両手を広げる感じを出して、オーディエンスに働きかけていたこと。DJ志向者だったわりには、歌声もちゃんと出ていたし、温故知新型のソウル曲/サウンドも親しみやすいし、受けて当然と思った。

▶ハービー・ハンコック(2005年8月21日、他)
 エレクトリック志向のバンドにて登場。メンバーは、電気ギター専念のリオネル・ルエケ(2007年7月24日、他)、デイヴィッド・サンボーン・バンドとの掛け持ちのジェイムズ・ジナス(2012年1月13日、他)、そして、ドラマーはトレバー・ローレンスJr.だったのかな。『ヘッドハンターズ』や『スラスト』期の曲を丁々発止披露。ゴツゴツ感あり、アンコールの「カメレオン」ではショルダー・キーボードを持ちぎゅい〜ん。彼ともホテルで偶然会ったが、少し若返ったような。取材やったこともあるためか、親身にせっしてくれ、こっちがうまく言い表せないことを、推測して言い当ててくれたりもする。やはり、いい人だ。

▶ソイル&“ピンプ”・セッションズ(2011年6月23日、他)
 弾けていたなー。その噴出感、エネルギー感はちょっとしたもの。J.A.M.(2010年6月11日)という名でも活動しているリズム隊の上で、阿吽の呼吸を持つ二管と、進行役/肉声担当者の社長が思うまま振る舞う。そして、その総体はジャズでもポップでもない、彼らなりの音楽領域を何かを引き裂くような感じのもと広げていると感じさせられたりもしたか。なんか、鮮やかだった。彼らは2009年にもこのフェスに呼ばれているそうだが、そのときと比しても、けっこう街並み変わったと思わせるとか。また、ベーシストの秋田ゴールドマンは6歳までジャカルタ育ちなんだとか。

<今日の、ショッピング・モール>
 昼下がりにプチ市内探訪のついでにさくっと寄ったのだが、その豪華さに言葉を失う。ぼくがいろいろ行った各国のもののなかで、一番立派。行ったことはないが、オレはドゥバイに来ているのかと思ってしまったりして……。とうぜん、値段もさほど日本と変わらず。でも地元の人がけっこう来ているような気もするし、今インドネシアでは富裕層が出てきているのだろうというのは、肌で感じる。で、けっこうな値段をとるフェス(3日間通し券で、16.000円ほどのよう。それ、現地の感覚だと、相当に高いだろう)もそうした繁栄が生む中間層を顧客にするものであろうのは想像に難くない。まあ、飛行機ですぐのシンガポールからも人はやってくるようだが。なんでも、インドネシアの経済成長率は年6パーセントを超え、それはアジアだと中国、インドにつぐものあるという。とはいえ、一方では、50年前と変わらないような祖末な行商もすぐ横に出ていたりするのも事実。その目に見える貧富の差には、相当に驚くとともに、うーんととめげる。

 正式名称は、メインのスポンサー名を入れて、ジャカルタ・インターナショナル・ジャラム・スーパー・マイルド・ジャワ・ジャズ・フェスティヴァル。2005年からインドネシアで開催されている、かなり大きな音楽フェスである。それ以前から同地であったフェスティヴァルが二つに分かれ、そのうちの一つであるという情報も聞いたが、海外アーティストのラインアップを見ると誰もがびっくりしちゃうよな。SW、EB、MMWなどの出演者にひかれるとともに、なんか暖かい所に行きたくなり、ぼくはエイヤっと行ってしまった。会場で会ったフェス通のある人は、オランダのノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルと出演者も似ているし、そのアジア版だよね、と言っていた。

 会場は、ジャカルタ・インターナショナル・エキスポと名付けられた、東京圏で言うなら幕張メッセと東京国際フォーラムをあわせたような施設。そこに、18ものステージが設置され(大きなステージは皆屋内会場)、200組もの内外のアーティスト(半数は国内のアーティストだろう)が出演する。フェスは週末3日間に渡って行われ、のべのオーディエンスは10万人近いという話もあるが、ぼくの所感だとそこまで多くはないかなという感じ。でも、立派な施設に、沢山人が集まっていたのは間違いない。

 基本、出演アーティストは2日にわたって出演する場合が多い。ようは、フェス中、2回パフォーマンスをする。もちろん、1日だけの人もいるし、ボビー・マクファーリンのように3日間とも出た人もいた。なお、会場(大きい3、4のステージは5.000〜10.000人キャパの規模か)スタンディングもあれば、椅子付きのときもある。出し物によって、同じ会場でも臨機応変に変わったりするが、おおまかに言えばスタンディングの場合のほうが多いかな。タイムテーブルがどこかにいってしまって、忘れ落としているのもあるかもしれないが、いかに見たものを挙げておく。2日両日見たアーティストもいるが、どちらかの日だけに記すようにする。


▶ボビー・コールドウェル
 ビッグ・バンドを従えての、ジャズ・スタンダード披露路線。その体裁で、日本には相当回数来ているはずだが、いわゆるAORにあまり興味を持たないできたぼくは、今回初めて触れる。まず、ビッグ・バンドがけっこう質が高いゾと感心。で、細い身体つきのコールドウェルも無難にジャズ曲を歌っていた。

▶DEPAPEPE
日本のアコースティック・ギター・デュオ、サポート奏者を伴っての出演。MCによれば、インドネシアの別フェスに昨年呼ばれているらしいが、しっかりファンがついているのが分かる。かなり、声援を受けていた。巧みな生ギターの重なりが中心にあるインスト表現を聞かせるわけだが、それについては、他の出し物にいろいろ触れていくにつれ、彼ら音楽性のこのフェスみおける希少性を痛感することしきり。だって、生ギター基調の表現を聞かせる人たちに他に会わなかったし、彼らのような軽快さを持つような曲調/サウンドを聞かせる人も皆無だったもの。日本らしさというか、彼ららしさは存分にジャカルタっ子にアピールされたはず。

▶ジェフ・ローバー
 一時は都会派ポップ・ソウルのプロデューサーとしても大活躍していたヴェテランのフュージョンの鍵盤奏者。僕の知らないサックス奏者を特別ゲストと紹介。ドラマーは90年前後にEW&F(2006年1月19日)のメンバーだったことがあり、現在はブルース・ホーンズビーのバンドに入っているソニー・エモリーであったよう。

▶ボビー・マクファーリン(2004年2月3日)
 様々な肉声の使い方で、“自由”を体現する、我が道を行く個性派歌手だが、さすがだったな。基本はアイデアを凝らしたソロの肉声パフォーマンスであるのだが、息子のテイラー・マクファーリン(2012年2月18日)、女性ダンサーなども、曲によっては加わる。そして、さらにはバリ島のガムランの担い手たちがゾロゾロ出てきて、一緒にやる場面も。ほう、興味深く、珍味であるのは間違いない。インドネシアに来た利点をちゃんと出したのは彼だけとも言えるか。

▶アル・ジャロウ(2003年3月13日)&ジョージ・デューク(2010年3月15日、他)・トリオ
 いい感じの協調を見せるが、ジャロウはなんかどっしり感が出ていて、前に見たときより印象がいい。基本、インドネシアの観客はおおらか。見るゾという感じの人が少しは開演前からステージ前で構えていたりもするが、スタンディングの会場でも多くの人は床に座って見ていたりする。が、この出し物に関してはちょっと違っていて、開演のそうとう前から入場を待つ人の列が延々とできていた。特に、アル・ジャロウはインドネシアにおいてはとんでもない人気者のようだ。
 実は、このフェスは大物アーティストの場合はフェス入場料とは別に、入場料がかかる。ハービー・ハンコック、パット・メセニー、スティーヴィー・ワンダー、エリカ・バドゥなどはそうで、もちろんアル・ジャロウもそう。価格は日本円に直すと1.500〜2.500円。デイヴィッド・サンボーンはそれほど評価は高くないのか(オフィシャル雑誌の扱いも小さい)、特別料金設定はない。

▶メデスキ・マーティン&ウッド(2007年5月10日、他)
 彼らとは、会場入りする前に二度もホテル内で遭遇。いづれも3人一緒で、ホント仲がいいんだな。近年はK.D.ラングやナタリー・マーチャント作にバンドごと部分参加したりもしている彼らだが、なんだかんだ20年も続いているのはすごいし、いまだ煮詰まりを感じさせず、風通しいいナと思わせるのは驚異的ではないか。応援者として、天晴と思う。関係ないけど、ベース奏者のクリス・ウッドがギターや歌を担当する兄と組んでいるザ・ウッド・ブラザーズの新作『Smoke Ring Halo』(Southern Grownd,2011)はもう好盤。五十嵐くん、今からでも連載“フォーキー・トーキー”で紹介してえ。

▶エリカ・バドゥ(2006年4月2日、他)
 マレーシアのクアラルンプール公演を終えた後に本フェスに出るはずであったが、宣伝用に現地プロモーターが用いた写真がイスラム教を冒涜しているという理由で、政府命令によって同公演が中止の憂き目にあった。インドネシアもイスラム教を信仰する人が多数を締めるが(ベールで頭を覆う女性は全体の5%ほどと感じた。少なくても、ぼくの目に触れた部分での所感においては)、なんの問題もなく開かれた。このフェス、アーティストの出演時間に関しては緩くて、彼女のショウは1時間遅れでスタート。ながら、ショウが始まる前に、若い女性二人が出てきてインドネシアの国家を歌ったのにはびっくり。その後、何もなかったようにショウは始められた。
 女性コーラス4人、キーボード、ベース、ドラム、そして本人。中央に立つバドゥの両横にはそれぞれ、コントローラーと鳴りモノ類がおいてある。彼女はときにそれを扱いつつ、すべては私の掌握下のもと送り出されるといった感じを強くだしつつ、気と視点あるパフォーマンスを遂行する。サウンドは近作より薄目というかけっこう隙間を持つもので、それをいい感じで女性の歌声が埋めていく様はやはり絶品。うわあ、考えている、練られている。で、エリカだあ、今のエリカ・バドゥだあ、という感慨が頭のなかを埋め尽くしていく。さすが。


<昨日の、ホテル>
 ガルーダ・インドネシアの便に乗って行くが、デンパサール(バリ島)ではなく、ジャカルタ行きなためか、機内はすいている。驚いたのは、飛行機にインドネシアの入国審査官が二人乗っていて、彼らが席を回り、飛行機内で入国審査が受けられること。これはいい。
 空港内外のいろんな人のうざさは、バリ島と同じ。到着して、あーこれこれ、と思う。現金をほとんど持っていなかったので、空港内のタクシー斡旋カウンターで手続き、カードが使えてよかった。日本円で約1.800円。そしたら、トヨタのピカピカのワゴン新車(シートは皮)が来た。かつて行ったバリ島残りの現地紙幣(約100円)を試しにチップで先に渡したら、運転手ががぜん張り切ってとばしまくる。車線変更がんがん、他は誰もしてないのに、高速道路では路肩走行もごんごん。カウンターのおねえちゃんは渋滞がすごいので1時間かかると言っていたが、30分ぐらいでホテルについてしまう。まあ、グッジョブ。なるほど、渋滞はすごい。とともに、途中の道すがらの、だいぶ前に行ったジャマイカの風景を思い出させるような、リッチではない風景におおおとなる。
 タクシーはホテルに入るときに検問をとおらなくてはならなく、トランクのチェックを受ける。イスラム教過激派によるテロを考慮しての対策だろう。とともに、ホテル入り口では、人間は空港にあるようなゲートを通り、荷物は横の機械に流す。厳重。それは、後日行ったリッチなモールもそうだった。
 宿泊したのはフェスのオフィシャルとなる立派なホテルで、外来出演者もみんなそこに泊まっている。レセプションでチェックインしていると、見たことありそうな顔がぞろぞろ。でも、バックのメンバーの顔は覚えられないものなあ。なんか、ホテルのボールルームみたいなところで、セレブ相手っぽいパーティ&ショウをやっていて、入るのを別にとがめられなかったので、のぞく。ワインや食べ物もサーヴしていて、ごちそうさま。ステージのある方ではちょうどデイヴィッド・コーズがやっていて、客席にはジョージ・デュークがいた。満面の笑みで司会をつとめていたのは、本フェスの元締めペータル・F・ゴンサという人物であるのを後に知る(パンフというか、それをかねるオフィシャル雑誌-約250円-にでっかく顔がのっていた。60歳ぐらい? 元軍人という話も聞いたが、これだけ大掛かりなことをできちゃうのだから、政財界にかなり顔の効く人物であるのは間違いないだろう)。他にもNYのアカペラ・コーラス・グループのドュエンデや地元のミュージシャンも出てくる。
 フロントの奥のほうには、フェス出演者たち用のセッション会場となる場ももうけられていて、知らない人たちがスタンダードだかを演奏していた。それ、最終日の深夜までずっともうけられていて、昨年はジージョ・ベンソンが仕切ったときもあったという。

 最初に、マイアミ・ソウルの女王(といっても、ローティーンでデビューしているので、まだ50代だが)を見る。ベース、ギター、鍵盤、ドラム、打楽器、3人の女性コーラス(うち、二人は娘)を率いて、山あり谷ありのショウ見せる。彼女は歌うだけでなく、曲やサウンド作りまで面倒を見ることができる人だが、けっこう鷹揚に他人の曲も披露したな。そういうおおらかさも、マイアミ的か? ホイットニー・ヒューストン追悼を込めて、「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」も娘らをフィーチャーして披露。クリス・ケナーやサム&デイヴからフランキー・ミラーまでいろんな人が取り上げているアラン・トゥーサンの名曲「シュー・ラ」も歌ったが、彼女も昔取り上げていて、それを弾力性豊かに披露。彼女はザディコと言っていたが、広義のニューオーリンズ/ルイジアナ曲という意味で使っていたのかな? サンプリングもいろいろされた彼女の72年当たり曲「クリーン・アップ・ウーマン」は途中で「セックス・マシーン」らJB曲フレイズやアイズリーズの「イッツ・ユア・シング」なども取り込む。ま、彼女はときに、ミニー・リパートン的な高音ヴォイスも得意げに出す。それ、昔からの売り。

 さっくばらんに、どこか気高く。やはり、米国R&B史を飾るべき人であるとも痛感。彼女の場合は、マイアミに居住し続けた結果、ミレニアムになると、その旨味を求めるエリカ・バドゥ(2006年4月2日、他)やアンジー・ストーン(2011年2月10日、他)らに録音参加を求められるとともに、ジョス・ストーンのプロデュースなんかも依頼され、ラティモア、ティミー・トーマスら昔の仲間たちとタッグを組んでマイアミ・ソウルの持ち味を今にもってこようとした。そして、それはザ・ルーツ(2007年1月15日、他)と組んだ11年作『ザ・ムーヴィ』(S−カーヴ)も同様。地方性、ばんざい。彼女はスペイン語も話すそうだが、「マイアミに住んでいたら、しゃべれるようになる」だそう。ぼくはマイアミにはかつてジャマイカの行き帰りに泊まったことしかないけど、また行きてー(←あまりに、単純)。昔はマイアミというと多くの人はTV番組の「マイアミ・ヴァイス」(マイルス・デイヴィスら、ミュージシャンがちょい役でときに出演したりもした)だが、今は「CSIマイアミ」か。そんなに見ているわけではないけど、CSIシリーズのなかでは“マイアミ”が一番ぼくは好き。六本木・ビルボードライブ東京。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、かっとび異端ゴスペルのペダル・スティール奏者のグループ(2003年12月10日、2009年7月24日)を見る。血のつながるリズム隊に、白人のギタリスト(一部、鍵盤も弾く)。以前はキーボード専任の人がメンバーだったわけで、その事実は暗にバンドの方向性がロックよりになっていることを示唆している? 確かに、彼らはゴスペルというよりも、肉感的なアーシー・ロックと言ってしまったほうが、すっきりするかもしれない。ちなみに、『ウィ・ウォーク・ディス・ロード』(ワーナー、10年)は名士T・ボーン・バーネットのプロデュース。また、昨年はロビー・ロバートソンやラファエル・サディーク(2009年6月30日)のアルバムに、ロバート・ランドルフはレコーディング参加している。

 で、実演だが、前に見たときより、グっと来た。最初のペダル・スティールの一音がデカっ。前みたときは音量がそんなに大きくないという記憶があるのだが、やはり音の良さは重要だな。スティール・ギター演奏は音だけでいえば、より艶やかで込み入ったこともできるスライド・ギター演奏といった感じ。そのペダル・スティール音を中心に、皆でぐつぐつ演奏していく。曲はけっこう臨機応変にやっていそう。ロバート・ランドルフはけっこう朗々と歌えるのだから、もっと歌えばいいのに、とはしっかり感じる。そのほうが、対比的にスティール音は鮮やかに聞き手に伝わりやすいと思う。ギタリストも1曲リード・ヴォーカルを取ったが、それはジョン・レノンの「兵隊になんかなりたくない」。途中、1コードのブギー曲を演奏したさいは女性たちをステージにあげて踊らせたり、最後のジミ・ヘンドリックス曲では客をあげてギターを弾かせたり。前はこういうことをしていなかったが、シェアの精神も神のお告げ?

<今日の、ライトさん>
 ライヴを見る前に、楽屋で、ベティ・ライトにインタヴューした。楽屋での取材だとライヴ開演少し前の夕方からというのが普通だが、この日は午後1時半から。で、ビルボードライブの中に入ると、なんとバンド員がそろって音を出している。え? 公演は昨日もやっていて、そのときサウンド・チェックは済んでいるはずで、連続公演をする場合は夕方に出演者は楽屋入りするのが普通のはずだが。だが、面々は観光もせずにちゃんと昼に会場入りして、ここはこうしようとか、煮詰めている。インタヴュー終了後は、彼女もそれに加わるのだろう。昨日見た人の話によると、疑問なくまとまっていたとのことだが、うわープロ? ところで、今回の彼女のショウはこの手のハコの常である1日2回公演ではなく、1回だけ。最初は2回公演として発表されていたものの、1回のショウで契約しているというライト側の主張により1回になってしまったという経緯を持つようだが、その変更も、最良の出し物を見せたいという、彼女のプロ意識ゆえと好意的に判断したくなった。この日のショウは90分ほどだった。
 インタヴューはとってもいい感じで行われる。実はものすごいIQの高い人物という話を聞いたこともあるが、あながち与太話ではないかも。話していて、明晰さが伝わる。そんな彼女は太ってはいるが顔はツルツルで、若く見える。ステージには立派なアフロ・ヘアで登場したが、それはウィッグ。でも、普段も爆発したライオン丸のような髪型。カツラをかぶらなくても、十分にインパクトがあると思うが。取材中に彼女が一番うれしそうに反応したのは、新作はザ・ルーツとの連名作だけどマイアミ・ソウルの良さが出ていると指摘したとき。反対にとっても悲しそうだったのは、2005年に殺害されてしまった息子さんのことに言及したときだった。1991年にグロリア・エステファンのサポートでなんかの音楽祭に出るために来日しただけで、今回が2度目の来日。つまり、ちゃんとショウをやるのは今回が初めてという事実に、いささか驚く。だって、なんだかんだ来日公演経験を持つ担い手は多いわけで。

 前座で、マイア・ヴィダル。滞日中に24歳の誕生日を迎えたそうな、おばあちゃんが日本人という、他にドイツ人やスペイン人フランス人などが入った、米国人。大学はカナダのそれを出ているという。アコーディオンやトイ・ピアノを操りながら、妖精のような感じで、浮世離れした、ぽっかりと宙に浮いているような表現を綴っていく。サポートの男性が一人つき、電気ギターや鉄琴などでサポート。10代のころはパンク娘だったらしが、そういう放蕩(?)を経ての、という解釈もしたくなる、密やかな、もう一つの外しの手作りポップスの担い手。超然とした佇まいは、少しアンドリュー・バード(2010年2月3日)を思い出させた部分もあるかな。20分のパフォーマンス。可愛いし、ちゃんとショウを見たい。MCはそんなに凝ったことは言わないながら、日本語でこなす。

 その後、ザーズが登場。左右異なる色の靴を履いている。2010年にメジャー・デビューしたとたん本国フランスで一気に人気沸騰、エディット・ピアフの再来なんて言われ方もされているという今のシャンソン界の、暴れん坊感覚がすこぶる受けている女性歌手だ。

 やっぱり、その奔放なノリはすごい。塩辛い声質を介する歌い方は単調であると思わせるものの、ギター二人、キーボード、ウッドと電気両刀のベース、ドラムというバンドと一緒に、<私に隠すべきものは何もない>と言わんとするかのように、私の歌を開いていく。ときに、ロックっぽく、ときにスウィング色を持ち。ファンキーなのも1曲。アンコールで、ピアフが歌った古い曲も2曲取り上げる。腹をガバっと開くようなノリにふれ一瞬昔のP.J.ハーヴェイの様を思い出したが、ハーヴェイのそれはロック的美意識を存分に介しているのに対し、ザーズの場合はもっと歌謡曲的というか、芸能と言いたくなるにおいがある。ま、なんにせよ、そのぶっちゃけの様に触れるだけでも価値があると思った。

 ぼくたちはフランスにしゃれたもの、粋なものを求めたりもするが、彼女はそうしたところとは別の、移民の多い国でもあるという生理的に雑多な側面を思い出させたりもする? 一から十まで、笑顔で一生懸命。MCもなんとか日本語でやろうとする。かなり、不十分な覚え方ではあったけど(←ヴィダルのそれと比較しちゃうと)。
 

<今日の、会場>
 赤坂・ブリッツは満員。初日の今日はソールド・アウトであるとも、聞いた。確かにフランスでは大スターではあるが、日本ではそんなに有名ではないわけで(でも、2009年のフジ・ロック・ファスティヴァルに出演歴あり)なんかシャンソンという言葉が入ると、別の動員力があるのか、と思ってみたり。会場で知人に友達を紹介される。その方も、性は佐藤。同じですねと言い合うと、知人は「今、鈴木を抜いて、佐藤が日本で一番多い姓になったんですってね」と言う。へえ、そうなの。それは、初耳だ。ぼくの親はそれぞれ、佐藤と斎藤。昔からずっと、名字に関しては“その他、大多数”という所感を持っています。←それって、意外と楽なり。

 NYの進行形ジャズ・マンから評価の高い女性歌手だが、なるほどこういうタイプのシンガーであったのか。大げさに言えば、前人未到の地を行かんとしている、ところも持つ。途中から見た前回来日ショウ(2009年2月3日)のとき、なかなか像を結ばなかったのは当然でもあるとも、了解した。

 改めて認知できたことは、声量がない。声質じたいにはあまり特徴というか、分かりやすい輝きのようなものがない。……わざと、表情を殺している? まっとうな歌手でこんなに腹から声を出さず、喉から上で歌声を操る人には初めて接したかもしれない。とはいっても、音程は正確だし、歌がへたなわけでは断じてない。崩しや流れの取り方も、こなれてちゃんとしている。エスペラサ・スポルディング(2011年2月17日、他)のメジャー移籍後の3作品にバックグラウンド・ヴォーカリストとして入っている(新作『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』はまだ発売前だが、そこにもちゃんと参加)のもいろんな意味で納得ですね。

 というわけで、歌声だけで聞き手を魅了する部分は少ないと、ぼくは判断。だから、喉力で勝負しないぶん、選曲や伴奏、全体の佇まいには、彼女は当然のことながら気を使う。そこが、パーラトの要点であり、現代ジャズ・シンガーたらしめる部分であり、他の担い手とは大きく一線をかくすところ。そんな彼女は、ある種モードが入ったと言いたくなる髪型や格好を、ステージで見せもする。

 その新作『ロスト・アンド・ファウンド』はロバート・グラスパー(2010年12月16日、他)のプロデュース。話は飛ぶが、彼の新作『ブラック・レディオ』は、ビラル(2001年8月18日)、モス・デフ(2001年7月27日)、レイラ・ハサウェイ(2012年1月5日、他)やミシェル・ンデゲオチェロ(2009年5月15日、他)らがそれぞれ肉声担当者として1曲づつ参加したブツ。ジャズの感覚がどこかで活きた、かなり秀逸な現代ブラック・ポップ作だ。彼が関与したフランス人ジャズ歌手のライカの08年ビリー・ホリデイ・トリビュート作『Misery』も良かったし(そして、ライカの次作『ネブラ』はンデゲオチェロがプロデュースしている)、ヴォーカリスト扱いがグラスパーはなにげに好きで得意だな。で、話は戻るが、その『ロスト・アンド・ファウンド』に参加していたピアノのテイラー・アイグスティン(2009年6月24日)、ジェラルド・クレイトン(2011年10月6日)のアルバムに参加しているドラマーのジャスティン・ブラウン、アイグスティ・バンドのウッド・ベーシストのハリシュ・ラガヴァンの3人が今回はサポート、彼らはみんな20代だろう。

 こんな曲を取り上げ、こう処理するか。シンプリー・レッド(1999年7月31日)、ウェイン・ショーター(2004年2月9日、他)、ハービー・ハンコック(2005年8月21日、他)らの曲を、ヴォーカルの力に頼らない私のやり方で、毅然と、ながら淡々と開く。大サンバ歌手であるパウリーニョ・ダ・ヴィオラの曲も披露。それ、彼女は小さな鳴り物を手にして歌い始め、他のメンバーもそれぞれの楽器のボディを叩いて打楽器音出すことだけで伴奏する。センスや美意識で徹底的に勝負、それは視点とある種の批評も持つものだ。なるほど、いろんな持って行き方があるものです。

<今日の、いい話>
 欧州に住む知人とのメールのやりとりで、以下のような文面が。<(あちらで2010 年ににスティーヴィ・ワンダーを見たときは)ほとんど全曲お客さんの大合唱で、ワンダーさんの声を唯一聞いたのは「Sing it!」と客を乗せるときだったな(笑)。でも、なぜか、最高のライブだった>。ふふふ、そうかそうか、そうだろう。あー、来週が楽しみ。。。

 代官山・晴れたら空に豆まいて で、女性2人組のTADZIOを見る。ギターとドラムという編成は あふりらんぽ(2009年6月9日、他)と同じ。で、乱暴さがいい感じの、ガレージ・パンク風リフに肉声が可愛く乗る表現を聞かせる。いろいろつまみ食いを散りばめるあふりらんぽと比すともっと明快。定石外しの諧謔がぽわ〜んとこぼれるのは共通するが。そして、このユニットは風体とのギャップもたいそうおもしろい。外見だけだと普通の女性で、イメージとしては大昔だとプリンセス・プリンセスのカヴァー・バンドをやっていますという感じ二人なんだもの。この生理的にどこか抜けた音楽を彼女たちの肉親はどう感じているのかな、なんて余計なことも考えちゃったよー。うぬ、ぼくは海外でウケても不思議はないと思ったが、まだぜんぜんそっち方面の引きはないらしい。

 と、それが、4つバンドが出るうちの、最初のバンド。そのまま見たかったが、近くのユニットに移動。なんか、日本の担い手を軽視しているみたいで、ほんの少し自分に嫌悪を覚える。会場入りすると、LAのDJ/クリエイターのデヴォンフーがプレイ中。愛想良くやっていたような気もするが、あまり印象に残っていない。やはり、暗がりの中でのDJイングはよほど巧みに分かりやすくオペレイトされないと、遠目にはPCに入っているデーターを簡便に流されているキブンに、ぼくはなってしまう。

 そして、テキサス州出身のアラン・パロモ(チカーノのよう)のソロ・プロジェクトであるネオン・インディアンの実演。鍵盤奏者2、ギター/ベース、ドラム奏者を伴ってのパフォーマンスで、イントロとかでは本人も機材をいじったりもするが、彼は基本マイクを持って歌う。そうすると、ちゃんと観客とパフォーマーとして向かい合おうとする意思が出るナ。で、データーと生演奏を併用するパフォーマンスはなかなかこなれていて、同じ系統におかれる先のウォッシュト・アウト公演(2011年1月24日)より、ぼくはいいなと思えた。やっていることは、かつてのエレクトロ・ポップそのものなんだけど、堂々それを共感を誘うポップ行為として彼は開いていた。

<今日は、ニコニコ>
 あったかい。昼間、気持ちよく原稿を書き、外出したら、やはりいつもと比べたら寒くない。うれしくなって、代官山まで歩く。ぜんぜん、苦にならず。冬がこのぐらいの気候だったら、うかれっぱなしか。でも、寒い日が続いたから、そういう所懐も得るのだろう。ユニットで会った知人に、今日は薄着ですねと言われた。彼女はぼくに、冬だと厚着しているという印象を持っているらしい。ともあれ、その後も、渋谷の飲み屋まで歩いて流れちゃう。で、夜半の帰宅時、また歩いてしまう。おお、あり得ねえ。のべで1日の24分の1ほど、歩いたゾ。今日は、この冬一番歩いた日になるのは間違いない。ぼくはとってもできる子じゃあないかと、なんか大満足。。。

 まず、六本木・ビルボードライブ東京で、クラブ・ミュージック回路経由のクロスオーヴァー路線と正統ジャズ路線の両刀で活動を維持している米国人ジャズ・シンガーを見る。過去見た3回のショウ(2008年9月18日、2010年11月11日、2011年1月12日)はスーツ/ネクタイ姿であったが、今回はジーンズに皮ジャン/Tシャツにキャップというカジュアルな格好。それだけで、このパフォーマンスは純ジャズ路線ではないのことを一発で了解できる。バンドは、ピアノ/キーボード、電気ベース/ヴォーカル、ドラム、トランペットという布陣なり。鍵盤奏者以外はジェイムズの2010年クロスオーヴァー路線作『ブラックマジック』に録音参加している人たちだ。トランペッターはタクヤ・クロダという日本人名の人、フィーチャーされ、吹けてもいた。

 ジェイムズ・グループのパフォーマンスの前に、テイラー・マクファーリンという黒人青年が出てきて、一人で少しパフォーマンス。ジェイムズの『ブラックマジック』で一部制作/楽曲共作している彼は、ヒューマン・ビート・ヴォックスをしながら(技量は確か)、キーボードによる効果音を加えて、ちょっとした造形物を作り出す。また、それに続いてはキーボード音を重ねて、いわゆる“チルウェイヴ”のインストみたいなものを披露。彼は、フレディ・ハバード(2009年1月8日参照)の「レッド・クレイ」のリフを用いたジェイムスのパフォーマンスにも1曲、打楽器肉声で加わった。なんと、彼はボビー・マクファーリン(2004年2月3日)の息子のよう。なら、飄々と我が道を行く感覚も納得ですね。

 先に触れたようにジェイムズの実演は、ジャイルズ・ピーターソン(2008年9月18日、他)の後押しで世に出たというのもしっかり了解できる、ハイパーなジャジー路線で突き進む。この行き方の場合は基本オリジナル曲を歌っているはずだが、彼はまっとうなソング・ライターでもあり、ジャズ愛や知識を核にさあっと飛び立たんという感じはなかなか得がたく、心地いい。純ジャズ路線より、生きた黒人音楽をやっているという手応えも出るかな。うぬ、確かなジャズ・ヴォーカル技量も持つ彼ではあるが、声自体は深み〜多大な存在感には欠ける部分もある(注1)ので、こっちの方の路線のほうがいいと思ったか。

 その後は、南青山・ブルーノート東京でトーマス・ドルビー。わははは、つっこみ所、いろいろ。ククククと笑いながら、見ちゃったな。と、それは、ドルビー自体が微笑ましい見てくれ/態度を抱えていたからかもしれないが。想像通りの、なかなかファニーなおじさんでした。

 とっても、興味深いキャリアを持つ英国人クリエイター。セッション・キーボーディストを経て、82年にエレクトロ・ポップの担い手としてソロ・デビューし、「彼女はサイエンス(She Blind Me With Science。奇麗な原題だな)」がすぐに大ヒットしたこともあり、時代の寵児となる。リーダー作の数はそんな多くないが、坂本龍一と共演曲を作ったり、ジョージ・クリントンらP-ファンク勢を起用した12インチ・シングルを出したり、プリファブ・スプラウトやジョニ・ミッチェルのアルバムをプロデュースしたりと、まさに刮目すべき活動を見せた人物であったのだ。だが90年代を回ると、もともと機材に強かった彼(注2)はIT業界に転身し、シリコンバレーの成功者となる。ながら、ここ数年は英国に戻り音楽活動を再開、約20年ぶりのスタジオ録音作を昨年リリースした……。そんな彼はプロモーションで84年に来日したことはあったものの、日本で公演をしたことはなかった。

 大中小3つのキーボードとPC(ゆえに、サウンドはデーター併用)を前に歌うドルビーに加え、UKロック名士と言ってもいいだろうキタリストのケヴィン・アームストロング(ドルビー作はもちろん、デイヴィッド・ボウイ諸作、はてはキザイア・ジョーンズ;2009年6月1日のデビュー作プロデュースまで)、ドルビー新作で叩いていたドラマーのマット・ヘクターを率いての実演。サポートの二人も歌をうたう。披露するのは、過去のナンバーから80日間世界一周みたいなテーマを持っていた新作曲まで。なんでも、1ヶ月弱の米国ツアーを経て、日本に来たようだ。

 80年代の曲の場合、シンセ音は過去のままの音が出てきて、あーこれこれフフフとなることと請け合い。また、リズムの構築/畳み掛けも、彼一流の癖があることを再確認。うれしそうにパフォーマンスする彼を見ながら、今は人生の最終地に向かっての第3のキャリアを謳歌しているんだろうなと思わずにはいられなかった。彼は、サンプラーに入っている音を種明かしするかのように紹介したりもしたが、新作曲に入っているロシア語の声はレジーナ・スペクター(2010年5月6日)によるものであったか。MCによれば、今回の日本の初パフォーマンスの機会は坂本が筋道をつけてくれたよう。

 最後のほう、若いときのトッド・ラングレンにけっこう似ているベース奏者が加わる。なんともっとも初期からトーマス・ドルビー表現に関わり、一方でロビン・ヒッチコックだのザ・ウォーターボーイズだのザ・ステレオMCズだのいろんな人のアルバムで弾いていたマシュー・セリグマンとか。彼、現在は仙台に住んでいるそう。へえ。何をやっているんだろう? 人生、いろいろあらーな、そんなことも種々感じた公演でした。

<今日の、注釈>
注1;少し誤解を生む書き方をしたが、やはり往年の名ジャズ歌手は歌声に多大な質量感、声だけで聞く者を平伏させる味を持つ人が多い。それだけで、<選ばれた人>がこの道に進んでいると、思わせるというか。ま、今は<選ばれた人>はジャズに進まないかもしれないが。ともあれ、そういう点で、ジェイムズの歌声は朗々としているが、偉大な先人たちが持っていたような声だけで聞く者を射抜く迫力や太平楽さを持ってはいない。そういう部分、彼は秀才的とも言える。
注2;カセット・テープ全盛の際、かならずカセット・プレイヤーについていたノイズ除去システムの商標がドルビー。それから芸名はとられていて、卓録機材小僧の面目躍如ですね。でも今や、ドルビーどころか、カセット・テープを知らない人も少なくない? ぎゃふん。
 渋谷・クラブクアトロ、今伸び盛りの米国インディー・バンドを二つ見ることができるためか、相当な混み具合。会場が取れなかったのかも知れないが、リキッド・ルームあたりでやってもOKだったような。

 最初に出てきた、西海岸オークランドの学生シューゲイザー(陰鬱というベールをまとったギター・ロック、なんて説明できる?)・バンドであるウィークエンドに関しては、混み過ぎで、最後部からはあまりその姿を見ることができず。ながら、なるほど重くて響くそのサウンドはそれなりに耳をひく。ビートがけっこうガッツンがっつんした質感を持っているのが好印象。ヴォーカルはエフェクターがかかっていて、うまいのか下手なのかよく分からないが、こうした茫洋とした行き方にはあっている。もっとふてぶてしく暴力的に突き抜ければ、鬼に金棒だな。

 メイン・アクトのザ・ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートの時間になると、人が少し減り、一応ちゃんとステージが見れるようになった。このNYの4人組もシューゲイザーが入っていると言われるバンドだが、ウィークエンドの後だと、爽やかとも言いたくなるメロディ曲を彼らが持っていることもあり、ネオアコが入った健やかギター・バンドぢゃんと言いたくなるか? その草食的メロディと妄想と刺あるサウンドがもっと拮抗するようになれば彼らはもっと魅力的になると思ったし、そういう方向を持つ曲だと誘われた。

<今日の、話題>
 アナログ・レコードが来る。これが、ぼくの昨年からの持論。突然、アナログ熱がぶり返してきたことの後付け解釈? でも、やっぱりあの音の感じや針を置いて音楽を楽しむというフィジカルな儀式は味がある。また、あの形態/サイズはやっぱり愛着がわくし、な。そりゃ、そんなに大きな流れにはならないだろうけど、音楽という存在が何かと安くなるなか、こだわりの享受方として、アナログがもう一度存在感を増すんじゃないか。インスタント・コーヒーが出ても一方でちゃんとドリップでコーヒーをいれる人が少なくないように。聞き味も、やっぱそれぐらいは平気で違うでしょう? で、長い目で見れば、CDよりもアナログのほうが残ったりして……。で、飲み屋で、音楽関連の知り合いとはやはりそういう話題になったりする。そうすると、なんか気持ち良〜く話がはずみ、皆気持ちよーく飲み屋を後にできちゃう(苦笑)。あ、そういえば、知人が南青山(ニッカ・ウヰスキー本社のすぐ近く)にアナログ・レコード専門のバーを出した。青山レコードと言います。

 九段下・日本武道館、7年ぶりの来日公演。かつては東京ドームで公演をやったこともあったようだが、今回でのべ22回目の武道館公演になるという。おそらく、同所公演回数の記録保持者はエリック・クラプトン(2006年11月20日)になると思うが、彼は何回くらいやっているのか。

 結論。前回見たとき(2005年4月27日)よりずっといい。穏健で危なげないロックンロールも捨てたもんじゃないなと、ぼくは思った。その理由の一つはきっちり生身の感覚をアピールする方向で誠実にパフォーマンスしていたこと、そして見せ方の構成がとても練られていたこと。立派でした。実は、ヴィジョンを見ると軍人を想起させるオールバック1:9分けの髪型になったアダムスはとっても精悍ながら、かなり痩身で首の周りが皺だらけ、実年齢(1959年生まれ)より年寄りにぼくには見えた。だが、そんな様も、若作りな軽さを与えることから逃れることを引き出し、大衆ロッカーの充実した今を無理なく感じさせはしなかったか。日経新聞評もあるので、軽くながしましょう。

<今日のもろもろ>
 ▶かつて武道館での公演はかならず車でいっていた。すぐ側に止められるのと、口汚いダフ屋の様に触れずにすむので。が、ここのところは電車を使っている。やっぱ、時間がそのほうがかからないから。最寄り駅18時28分の電車に乗れば、同42分には九段下についてしまう。車だと道の混み具合が見えないので、いつも18時前には家を出ていた。あとは、やはり車の運転が好きじゃなくなってきているんだろうな。▶会場いりするとき、雪がちらつく。▶開演前、ステージ背後の巨大ヴィジョンは、アダムズに関する(日本人ファンからの)ツイッターのコメントがずっと流される。他にもやっている人はいそうだが、ぼくはそういうのに初めて触れる。▶パフォーマンスの開始は19時4分。大会場のショウのスタートはおして始まるのが常なところ、これだけ開演時間に近いスタートは稀。▶途中で、本人の生ギター弾き語りに他のメンバーが鳴り物でわきあいあいバッキングという場面も。その際、台所用品を並べて叩いたドラマーのミッキー・カリーの演奏にはニヤリ。面々は目立ちまくりのギタリストを筆頭に、ずっと一緒にやってきている人らしい。カリーは80年代、つまり黄金期のホール&オーツ(2011年2月28日、他)のバンドを支えた人として、まずぼくの頭のなかには残る。▶観客はよく彼の曲を知っていて、みんなよく歌う。一人観客をあげて、歌わせたりもしたが、その女性もちゃんと歌っていた。▶最後は、一人で生ギターの弾き語りをする。▶ところで、「クロース・トゥ・ユー」という曲が披露されたときは心がうずく。これ、アダムスの曲であったか。なんで、ぼくの奥にひっかかり納められているのだろう? 

 ハウラーはフロント・マンがまだ19歳という、ミネソタ州ミネアポリスの若いバンド。なんでもザ・ヴァクシーンズの英国ツアーに前座として同行もし、いま本国以上に英国で注目を集めているよう。本来はキーボード奏者もメンバーにいたが、来日前に抜けてしまったらしい。が、別に不備は感じず、颯爽と前を見た情緒を持つギター・ロックをけれん味なく披露する。そんな彼らは曲の尻尾に甘酸っぱさ〜レトロな雫をたたえている(それゆえ、ギター奏者がセミアコのギターを弾いていても違和感がない)のだが、それも親しみやすさにつながっているか。

 そして、メイン・アクトはロンドンの4人組バンドのザ・ヴァクシーンズ。彼らが登場したとたん、観客が両手をあげてやんやの大喝采。おーちゃんとファンがついているんだな&当人たちも気分よくてしょうがないだろうなー、と思う。こちらのほうがちょい娯楽パンクっぽい部分も持つが、やはり曲に古くさい甘さを抱えているのは同様。ではあるものの、ぼくはずっとハウラーのほうが訴求力があると感じ、共感を持つ。ヴォーカリストは30分も歌わないうちにノドがヘロってしまい、あらら(そうすると、なんかフロント・マンが遠目にはジャック・ブラックに見えてくる)。次の時間が迫り、途中で会場を離れる。恵比寿・リキッドルーム。
 
 そして、六本木・ビルボードライブ東京で、ニューオーリンズのガンボじいさんのショウ。ぼくが前に見たのは2005年9月20 日、今回もバンドにはザ・ロウアー911 という名前が付けられているが、その顔ぶれは前回と重なりはない。ながら、ジョン・フォール(ギター)、デイヴィッド・バラード(ベース)、レイモンド・ウェバー(ドラム)ともにニューオーリンズの人たちで、弦楽器の二人はドクター・ジョンの過去作に参加していますね。また、ウェバーはザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド(2007年5月15日、他)のメンバーだった。

 この4月にノンサッチ移籍作(プロデュースはノンサッチ所属のザ・ブラック・キーズのダン・オーバック)を出す彼だが、それとは関係なしに、これまで積み上げてきたものを和気あいあい無理なく出したと言う感じか。オープナーは十八番NOLA(ルイジアナ州ニューオーリンズの略。米国ではそう表記される)トラッド曲「アイコ・アイコ」、バンドの3人はみんなヴォーカルもとる人たちで彼らがコーラスするなか御大が登場し、ピアノに向い、歌いだす。うしし。ピアノと向かいあうようにオルガンもおいてあり、30パーセントはそちらを彼は弾く。ディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」のインストなども披露した。また、ギターを手にして歌う曲も1曲。ピアノはあまり力強くはなく、ピアノだけでセカンド・ラインのうねりを出すということはなかったが、よく意思の疎通のとられた仲間とのパフォーマンスが“ワン&オンリー”(と、最後にドクター・ジョンがステージをさるときにドラマーが連呼)であるのは間違いない。あのダミ声はほぼ衰えなし。「サッチ・ア・ナイト」を歌ってくれたのがうれしかった。

<今日の、マック・レベナック>
 1940年生まれなので、70代に入っているのか。だが、諧謔ももあもあと出すし、彼は元気だ。お腹はパンパンに出ていたが、一頃よりは精悍ではなかったか。というのも、彼が92年夏に来日したときにインタヴューしたことがあったのだが、もう杖ついてよろよろと歩き、息もすぐあがっているような感じで、これはそんなに長くないかもと思わずにはいられなかったことがあったから。若い時分はNOLAの持つミステリアス要素をうまく介しトリック・スターたらんともし、いろんな部分で無茶したこともあったはず。80年代には娘がラップやったりもしてたよな。この晩の様を見て、まだまだ何作も彼のアルバムを聞くことができそうだなと、ぼくは思った。
 

 渋谷・アップリンクで、「プリピャチ」という映画の試写を見る。その表題は、チェルノブイリ原子力発電所から約4キロ離れた地名。原発で働く労働者たちや農民が住んでいた街のようで、その中心部はかなり都市な感じ(人口4万人だかという、字幕も出たっけ?)で、観覧車もチラリ画面に映ったりもする。撮影は秋から冬にかけておこなわれたよう。

 避難地から戻ってきてプリミティヴに暮らす老夫婦(冬に厚い氷の張った川に水をくみにいくシーンも)、プリピャチに入る道の検問の兵士(被爆をかんがみて、15日勤務すると15日はお休みだそう)、プリピャチにかつては住み今も他地区からの通いで研究所に勤務する女性(彼女がかつて住んでいた荒れたアパートを徒歩で訪ねたりも)、チェルノブイリ発電所の勤務者(驚いたことに、爆発したのは4号機で、その隣にある3号機は発電を続けていて、その地下事務所の様も紹介される。2000年には運転を終えたようだが)、避難したかったのにウクライナ政府に避難させてもらえなかった老女、などなど。1986年の事故いらい立ち入り制限地区となっている、“死のゾーン”で暮らしていたり働いていたりする人たちを淡々と追ったモノクロ映像のドキュメンタリー作。撮影は事故の12年後に行われたようで、1999年に公開された。監督はオーストリア人のニコラウス・ゲイハルター。

 3月3日からアップリンクにて上映。また、同所では、3月17日から、福島第一原子力発電所のおひざもとである双葉町(周辺)の“その後”(立ち入り禁止区域の模様。そして、全員退避となったため、最大の受け入れ先となった埼玉県加須市やその他の避難所をリポートしているよう)を伝えるドキュメンタリー「立ち入り禁止区域 双葉〜されど。我が故郷」(佐藤武光監督)、さらに4月上旬からは、内部被爆の真実を訴える自らも広島で被爆経験を持つ95歳になる日本人医師の歩みを追った2006年フランス制作のドキュメンタリー映画「核の傷:肥田舜太郎医師と内部被爆」(マーク・プティジャン監督)も公開される。

 その後は、女性のライヴをはしご。重くなったココロがとける。

 まずは、南青山・ブルーノート東京で、アルト・サックスと歌のキャンディ・ダルファー(2010年2月16日、他)を見る。今回の来日公演のポイントは新作『クレイジー』でも絡んでいたプリンツ・ボードを同行させていること。彼は2000年ごろからブラック・アイド・ピーズ(2004年2月11日、他)をはじめとする西海岸アーバン表現に関与している制作者/編曲者/プログラマーで、この晩は3曲で一緒に歌ったりする。また、彼はもともとセッション・トランペッターをしていただけに(ジョン・レジェンド;2005年5月8日など、トランペット奏者としてクレジットされたアルバムもいろいろ)、最後のほうはトランペッターとしてパフォーマンスに加わる。

 何度見てもうれしくなる、和気あいあいにしてプロなパフォーマンスをきっちり展開。ウルコ・ベッド(ギター)やチャンス・ハワード(鍵盤、歌)らおなじみのメンバーを率いつつ、今回なにげにリズム隊がいいなとも思えた。プリンツ・ボードが関与したダンス・ポップ度を強めた新作曲をやったからかもしれないが、ダルファーが一頃より吹けている、線の太い音を出すようになったと思えたりもした。今回単純なフレイズを多く吹いたためかもしれないが、サンボーン(2010年12月1日、他)的泣き節が得意なことも改めてアピールされましたね。もしかすると彼女のアルトは、カーク・ウェイラム(2011年2月28日)のテナー・サックス(彼は、特にアルバムにおいては軟弱なスムース・ジャズ調サウンドに合わせて、テナーをアルトのように軽く吹くという特技を持つ)よりも、太い音色を持っていた?

 そういえば、2月11日に亡くなったホイットニー・ヒューストンを追悼する言葉のあと、彼女とバンドは坂本龍一の静的で慈しみを持つ曲(映画「パベル」でも印象的に使われていた曲)を粛々と演奏。急遽、やることにしたのだろう。彼女を重用してきたプリンス(2002年11月19日)から送られた曲もやるし、当たり歌「サックス・ア・ゴー・ゴー」(セックス・ア・ゴー・ゴーと聞こえてもイヤらしくも馬鹿っぽくもならないのは、生理的に健全な彼女ならでは)ももちろん披露する。とかなんとか、容色といい人&音楽の虫度数まったく衰えない、華と気持ちを持つ実演は初日のファースト・ショウながら、延々1時間40 分。最初だろうとナンだろうと全力蹴球(野球に興味がもてないサッカー・ファンのぼくはそう書きたくなります。彼女、オランダ人だしね)、出し惜しみしません。南青山・ブルーノート東京。

 続いて、丸の内・コットンクラブで、ここ2年でトップ級に日本では売れっ子になってしまった、米国人ジャズ歌手を見る。まだ20代半ばで、まっすぐな奇麗さを持つ白人女性。この晩の格好は、赤のノースリーブのミニのワンピース、なり。そんな彼女の差別化できる点は、人里離れたアラスカに生まれ育ち(ジャズにも親しみ)、10代になると家族とともにオレゴン州ユージーンに引っ越し、一時はナッシュビルに作曲の勉強に行ったものの、まずは自然とともにある生活を送ったりナチュラルに音楽を作ることが肝心であり大都市居住や成功なんか興味がないワという感じで、ずっと田舎街ユージンに住み続け、同地のミュージシャンと活動をともに続けているところ。ユージーンは広域に多めに見積もっても2万5千人ほどの人口だそうだが、アルバムを聞くと、そのミュージシャンの質はけっこうイケる。一番の音楽的な協調者であるピアニストのマット・トレダーの奥さんは日本人だそう。

 で、そのユージーン体制のもとセルフ・プロデュースにて録られた新作『ハート・ファースト』はびっくりするぐらい心あるアルバムだ。良く書かれた自作曲、「スマイル」や「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」などのスタンダード、そしてヴァン・モリソンやニール・ヤングやボブ・マーリーのポップ曲を自在に取り上げ、それをアコースティックかつシンプルなジャジー・サウンドでひも解く。と、書くと普通だが、楽曲群はどれも人と結びつくことや再生の尊さをテーマに持つもので、それがあざとさのないリベラルな態度で開かれた結果として、なんともいい感じのデカい像を結んじゃう。で、こんなに音楽の力を信じている人がいて、こんなにまっすぐに盤に移せる人がいたんだと感動できてしまう。

 実演はギタリストを擁するカルテットのもと、そのアルバムからの曲を中心に披露。ときに、ほんの少し歌声が不安定な部分もあったが、魅力的な声質やマナーを持つ今の時代のジャズ歌手としての輝きをちゃんと放つ。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。なお、我が道を行く彼女は、既に結婚しています。

<今日の、天候>
 だいぶ、夕方の陽が長くなってきた。うれしい。でも、夜はまだまだ寒い。ああ、南国に行きたい。でも、戻ってきてからがきついか。なら、思い切って、極寒の地に行くというのはどうだろう。これだと、東京に戻ってきてからがかなり楽だろう。なんだかんだ、日々の所感に締める気候の割合は高いな。今日は、ブルーノート東京から出たとき、ちょい雨が数滴顔にあたった。その後はなんともなかったが、夜の天気予報は雨だったそう。昨年の3.11後は雨に濡れることにナーバスになっていたが、今は……。あー。
追記;はりきりキャンディ姐さん、風邪ひいて東京公演1日キャンセルしちゃったんだって。

 グレイ(2004年11月25日、2005年7月31日)は上原ひろみ(2011年12月11日、他)のバンドにいたことで日本では高い知名度を持つ電気ベース奏者で、今回の来日バンドの顔ぶれは彼よりもずっと実績を持つ在NYの逸材、ギターのデイヴィッド“フューズ”フュージンスキとドラムのジーン・レイク(2009 年3月18日、他)を擁する。自ら“キター・フェチ”という上原はフューズのことを大好きで、彼女はソニックブルームというバンドを組んだときに彼に入ってもらい、CDやDVDを出している←実は、近年のデカいフューズの仕事はそれだけのような……。ありがとう、上原ひろみ。フューズとレイクはお互いのリーダー作に入り合うなど、近い関係にずっとある。そういえば、レイクははみ出しジャズのファースト・コール的な位置にもいるが、ディアンジェロの1作目『ブラウン・シュガー』で叩いてもいた。

 フューズは90年代の中頃、そうとう贔屓にしていたことがある。ジョン・メデスキ(2008年12月16日、他)やミシェル・ンデゲオチェロ(2009年5月15日、他)とも仲良しだったしね。そんな彼はスクリーミング・ヘッドレス・トーソズという、狼藉混沌ファンク・ロック・バンドをやっていたことがあって(ミレニアム後、復活したことがあった?)、同バンドはがそこそこ日本で注目を受けて、新宿・リキッドルームで来日公演をやったこともあった。いい時代だったなー。

 そんなぼくは誰よりも彼の演奏を受けたくてショウを見にいったのだが、風体はあまり老けていなかったものの、かつてのぐちゃぐちゃな演奏はあまり披露してはいなかった。まあ、自分のリーダー・グループではないし、それは当然と言えば当然かもしれないが。彼は普通の6弦と6弦フレットレスのダブルネックのギターを弾く。フレットレスのほうを弾いたのは、2.7割ぐらいか。グレイも6弦のベースを使用、それで3人が息や技を重ね合うインストゥメンタル表現を淡々気味(レイクは叩き込む局面もあるけど)にいろんな含みを通りつつ披露。モーションブルー・ヨコハマ、ファースト・ショウ。

 続いて、代官山・晴れたら空に豆まいてで日本の曲者奏者たち集まったバンド(?)をセカンド・ショウから見る。リードの梅津和時(2011年4月1日、他)、ギターの鬼怒無月(2010年3月20日、他)、ヴァイオリンの壷井彰久、アコーディオンの佐藤芳明(2010年9月10日、他)、電気ベースの佐藤研二、ドラム/歌の佐藤正治という面々で、名古屋でこの顔ぶれでやり、今回が2回目のよう。進行役は鬼怒が担う。曲はそれぞれが出し合っているようだが、ジャズぽいときや少し民俗音楽要素が入るときもあるが、基本プログ・ロック色が強いインストゥメンタルが多かったか。鬼怒のMCによれば、彼と佐藤正治(彼がフランスでマグマのメンバーと録音したとういう曲もやった)は完全にプログ・ロック畑とか。何をやったっていいじゃん的自由としなやかさ、あり。みんなでコーラスを取るときもあったし、全員でミュージシャンシップを謳歌している感じが強く出ていた。
 
<今日の、移動>
 朝8時起床、4時間一心不乱にキーボードに向かったあと、取材の下調べをして、渋谷で3時と4時半にインタヴューを2本。場所はビクターエンタテイメントとP-ヴァインのオフィス。今、両会社はともに六本木通り沿いにあってけっこう近い。ビクターのほうの社屋は引っ越して半年たっているが、初めて行く。その住友系の駅からけっこう離れたビルにはぴあやミクシィも入っているようだ。それらを終え、東横線で横浜へ。トニー・グレイ・トリオは丸の内・コットンクラブでもやっていたが、用事が立て込んでいて行けず。で、グレイのことは別に見たいとは思わなかったが、やっぱフューズの勇士をちゃんとチェックしなきゃとなり、神奈川県まで向かったのだった。そういえば、モーション・ブルーのある赤レンガ倉庫には野外のスケートリンクがあった。22時までやっているようで、なかなかぢゃん。というのはともかく、その後は横浜で道草することもなくとんぼ帰りし、代官山で下車。で、そっちのライヴ終了後ほろ酔いで、やっと蔦屋の新規出店大店舗に行く。家から徒歩20分ぐらいのところにあるにも関わらず、ちゃんと駐車場を備えているのにも関わらず、これまで行ってなかったんだよなー。←そういう知人がけっこういます。やっぱ、新しい施設に行くのはウシシ。へ〜え。お金をかけているのはよく分かる。長続きしてほしいが。

 みんな、ニコニコのショウだったんじゃないか。

 エレクトリック・エンパイアは豪州メルボルンの3人組のソウル・バンド。まだ、アルバムは1枚しか出していないと思うのだが、まっとうな客の入りのもと、まっとうすぎるパフォーマンスを披露した。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 ギター、キーボード/ピアノ、ドラムのメンバーに加え、ベーシストを加えてた4ピースでのパフォーマンス。歌は3人とも取り、リードは曲ごとにローテイションするように代わり、当然のことながらコーラスもちゃんとつきますね。彼らが多くを負うのは、ニュー・ソウル期以降〜70年代以降のメロウなソウル表現。ときに、リズムはハイ・サウンド調をとるときもあるが、それら楽曲が良くできている。なんか、さあーと霧が晴れたような円満な情緒を持つもの(歌詞の内容は知らないけど)ぞろいで、それが伸びやかな曇りない歌と過不足ない演奏(とくに、ドラムのマナーはいいな)で披露されると本当にいい感じだ。本人たちはまるですれた感じがなく、まっつぐにメロウ・ソウル敬愛の様を出していて大マル。いいヴァイブが、会場には充満していた。

 オリジナルに交え、スライ・ストーン(2010年1月20 日、他)の「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」とマイケル・ジャクソン(2009年10 月30日)の「オフ・ザ・ウォール」の素敵なカヴァーも。スタイラスとかザ・レイ・マン・スリー(2010 年5月25日)とか豪州は温故知新型都会派ソウルの秀でた担い手を生んでいるが、彼らもまたそう。この手の豪州勢、今後もっと注目かもしれない。なんか、ステレオタイプな書き方になってしまうが、競争や商売や立ち回りがすぐに横にある米国勢と違って、彼らは澄んでいて、純。それがなんとも聞く者をいい気分にさせるし、大きな武器となっている。

<今日のポール、そしてプー>
 ちょうど70歳のポール・マッカトニーのスタンダード・ソング集『キス・オン・ザ・ボトム』(ヒア・ミュージック/コンコード)が手元に届いた。トミー・リピューマ制作による枯れた一作。2曲オリジナルも入っているが、アルバムに入っていて違和感のない感じのもの。スティーヴィ・ワンダー(毎度の感じなんだが、いい! あのハーモニカ音が出てきて大きく安心できる。2010年8月8日、他)やエリック・クラプトン(2006年11月20日)も少し入っているが、サポートは当然ジャズ系の人たち。ザ・クレイトン・ハミルトン・オーケストラ(2011年12月21日)のリズム隊やボブ・ハースト(2010年10月21日)とか。管や弦の編曲はエルヴィス・コステロ(2011年3月1日)のオーケストラ付き公演に同行もしていた西海岸在住ジャズ・ピアニストのアラン・ブロードベント(2006年6月2日、2009年9月10日)で、コステロ嫁のダイアナ・クラールも少しピアノを弾いている。まあ年だし、アルバムの方向性もあるのか、マッカートニーの歌はあまり元気がないというか猫撫で声。編曲や演奏もありきたりで特別視するべきところはないとぼくは判断するが、それでも聞けてうれしいという気持ちにはなった。フィドルが入っていて一番おどけた感じの「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」はおぼろげに“ホワイト・アルバム”収録の「ロッキー・ラックーン」を思い出させる、かも。
 そういえば、流れた先で、菊地雅章(2004年11月3日、他)のトリオのECM盤がリリースされることを聞く。わー。最初に録ったソロ・ピアノ作はオクラいりしたようだが、故ポール・モーシャン入りトリオ作はついに! ECMのホームページを軽く見たら、まだ情報は出ていない感じ。キクチで検索したら、キクチヒロミというヴァイオリニストが参加した2002年発表のアルバム(ニュー・シリーズ)が同社にあるのを知る。

 初来日公演で、会場は渋谷・クラブクアトロ。まさに、フル・ハウス。そして、歓声や熱気がすごい。わーと感じずにはいられない反応が、アタマから最後まで続いたもの。で、この手のアーシーな土着系米国ロック・バンド実演に飢えている人が少なくないんだろうと、肌で感じずにはいられず。やはり、どちらかといえば、日本のイヴェンターは英国ロック偏重で行っているものな、なぞとも思う。彼らが米国でちょうどブレイクしたときに、テキサス州オースティンの野外ステージで見た事があった(2004年9月17日)が、これだけ受ければ、グラミー賞受賞バンドである(んだってね)彼らも今回の会場の小ささもそんなに気にならなかったろう。実際、超うれしそうにやっていたし。

 テキサス州サンアンジェロ出身、オースティンをベースとするメキシコ系アメリカ人の兄弟3人組。上からギター、ベース(6弦を弾いていた。ときに、スラッピングもする)、ドラムで、リード・ヴォーカルはベース奏者が取る。ギタリストが一番ロック・ミュージシャンぽい風情を持っていた。全17曲(1時間45分ぐらいだったか)、堂々の土着ロックを送り出す。ヴォーカル、コーラス、ギター音、リズム、どれもがきっちり、はまりにはまる。目新しい所はないが、聞いてて、あーコレコレみたいな部分は多々。ブルース・ロック調もきまるし、ジャムっぽく流れるところも堂にいっていて、それでも1時間ぐらいは持つ感じ。もう暇にまかせて、納屋かなんかで兄弟で楽器音を重ねあったんだろうなという確かさ、地力が横溢していた。

 そんな彼らの自然体にして濃厚なショウに触れて、これぞ最良のバー・ロック・バンドとも思う。いや、英国のパブ・ロックの米国版なるもの? そういえば、彼らはザ・ビートルズの「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ」をやったが、それはかなり味がいい。基礎体力が違うナ。それと、今回聞いて新たに感じたのは、彼らが持つ弾みはファンク的というよりはラテン的なそれであること。それも、彼らの属性を考えれば、当然だろう。今回、サンタナぽさはあまり感じなかった。ああ、遥かなりテキサス……。

<今日の、びっくり>
 深夜、バー・イッシーに行ったら、なんと6月にジェフ・リーやクリス・カトラーらヘンリー・カウ流れグループの公演をやるという。どひゃー。もちろん、キャパからいって売り切れだろうな。どういう経緯でやるようになったか聞いたような気もするが、酔っぱらっていて、覚えてない。なんか、いろいろすごいことあるなー。あと、そこに行く前に、大阪のファンク・バンドのザ・たこさんの話になった。見たいなー。

 ジョーンズは80年代中期に一世を風靡したシンセサイザー使用ポップの英国人担い手で、今もいろいろ思慮を持つことをやろうとしているが、今回は、彼が過去築いた財産だけを提供しようとするもの。六本木・ビルボードライブ東京で、ファースト・ショウはデビュー作『ヒューマンズ・リブ(かくれんぼ)』(1984年)、セカンド・ショウはセカンド作『ドリーム・イントゥ・アクション』(1985年)をやりますという企画のもと開かれた。なんでも昨年、このルパート・ハイン制作の初期作2枚を本国でやる出し物をやって好評、この4月にも同様のネタで英国ツアーをやるようだ。ともあれ、『ヒューマンズ・リブ』は同年のトップ10に入ると思えるほどに気に入って聞いたアルバムで、ぼくはファースト・ショウに行った。

 本人が出てくると、すぐに前のほうの人たちが無条件で立ち上がり、立ち続ける。そういう光景はまれだな。ステージ上には、プリセット音をコントロールする機材担当者と、電気ドラム担当者も。そして、プリセット音に合わせて、キーボードを弾きながらジョーンズは歌う。マイクはヘッドセットされ、キーボードを弾かないでいろいろステージ上を動いて歌ったりも、彼はする。握手なんかもマメにこなし、彼はかつてアイドル的な人気を得ていたことを思い出した。けっこう、有名曲ではお客さんは歌っていたな。

 とっても感激でき、甘酸っぱい思いに浸れるはずだったのだが、ぼくの場合は、思ったほどではなかった。残念ながら曲がアルバム順ではなく、ショウの盛り上がりを鑑みてのものであったのは、その所感に影響を与えているかもしれない。また、現役である自負もあってか、当時まんまのアレンジではなかったのも微妙であったか。
 
 アンコールは、まず新作『オーディナリー・ヒーローズ』の日本盤に入っているという、「ビルディング・アワ・オウン・フューチャー」という曲をキーボードの弾き語りで披露。彼は昨年の地震や津波に対するくやみを表明した後に、この前向きな曲を歌う。座席には、この曲の英語歌詞と日本語訳が印刷されたものが置かれていた。そして。さらに2作目に入っている全米5位曲「シングス・キャン・オンリー・ゲット・ベター」も披露した。

 その後は、青山・ブラッサオンゼで、リオデジャイロに住んでショーロ道を極めんとしているフルート奏者の公演を見る。クラシックをやっていたものの、瀟洒優美なショーロの存在を知り、当初は二足のわらじをはいていたもののショーロ一本で行く事に決め、2004年以降ブラジルに居住しているよう。

 2人の7弦ガット・ギター、バンドリン、カヴァキーニョ、パンデイロ奏者、5人の日本人奏者たちが和気あいあいとサポート。本人は各種フルート演奏だけでなく、一部はキーボードを弾いたりも。ジャズよりも長い歴史を持つ、即興も持つインストゥメンタル表現が演奏されるなか、曲によってはお客さんが男女でダンスを踊ったりもした。それを、演奏者は優しく見守る。なんか、温かい雰囲気が充満しているなと痛感。

<今日の、モンティ・パイソン>
 少し前に、往年のモンティ・パイソンのTV番組を光回線チャンネルで見た。あれれ、なんか、あまり面白くない。70 、80年代はこれを分かってこそ、英国ロックの機微も理解できるなんても思い、たいそう楽しんで見ていた記憶があるのだが。途中で、チャンネルかえちゃった。ぼくの趣味の変化、時代が変わったからこそ? で、試しに昼間に、モンティ・パイソン結成40周年を祝うロイヤル・アルバート・ホールでの09年実況版『ノット・ザ・メシア』を見たが、それは楽しくクククと見れて、ホっ。もうバカバカしい筋を生真面目に、オペラ歌手やフルオーケストラや合唱の人々などステージ上に200人以上もの人を用意して、壮大な大人のやんちゃ音楽をやる。これを仕切る国営放送のBBCもすごい。首謀者のエリック・アイドルは老けていい感じの顔になっていた。また、テリー・ギリアムも出てきて、思わず彼の『未来世紀ブラジル』も見ちゃう。好きな映画です。

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