クラウディア・アクーニャ
2009年3月8日 音楽 南青山ブルーノート東京、セカンド・ショウ。名前が示唆するように南米チリ出身の、90年代中期以降は米国NYで活動する女性ジャズ・シンガー。なんでも、以前に小曽根真の同所出演のときに同行したことがあるという。ヴァーヴ他からリーダー作を出していて、現在はブランフォード・マルサリス(2001年10月24日)のレーベルに所属。その新作は同じチリの大先輩反骨シンガー・ソングライターのビクトル・ハラの曲(3曲も)やアストル・ピアソラの曲やウルグアイ人の曲なども取り上げている。過去にはミルトン・ナシメントやジャヴァンのブラジル曲などを取り上げていたこともあり、<NYの都市環境やジャズ流儀>と<ラテン・アメリカ生まれという自負>を自覚的に綱引きさせようとしている人と言えるはずだ。
初の単独公演はピアノ、ギター、ベース、ドラムを従えてのもので、うち二人はチリとベネズエラの出身のよう。ドラマーは3曲ぐらいでカホンを叩く。ベースが電気なのは少し気に入らないが、アルバム以上に<南米←→NY>という図が見える、私の考えるジャジー・ヴォーカル表現を心を込めて提出。スペイン語曲のほうが多かったし、より魅力的と思えたか。でも、英語のスタンダード「カム・サンディ」の視点ありの再提出にぼくはかなりクラリ。想像していた以上に、いい感想を得た。
初の単独公演はピアノ、ギター、ベース、ドラムを従えてのもので、うち二人はチリとベネズエラの出身のよう。ドラマーは3曲ぐらいでカホンを叩く。ベースが電気なのは少し気に入らないが、アルバム以上に<南米←→NY>という図が見える、私の考えるジャジー・ヴォーカル表現を心を込めて提出。スペイン語曲のほうが多かったし、より魅力的と思えたか。でも、英語のスタンダード「カム・サンディ」の視点ありの再提出にぼくはかなりクラリ。想像していた以上に、いい感想を得た。
スライ&ロビー+タクシー・ギャング・ウィズ・ビティ・マクリーン
2009年3月7日 音楽 おりゃ、ドラム・セットを前に座る椅子がとっても低目のもので、なんかスライ・ダンバーの姿が子供が叩いているように(ちょい大げさ)見えるゾ。過去、そうだったかなー? ありゃ、ロビー・シェイクスピアはファルセット気味の猫なで声歌唱を披露しちゃったりもするじゃないか。あんなに歌う人だったっけかあ? あまりに二人のドラムとべースの強靭演奏は人間基準法違反なので(全然、衰えねえ)、なんか人間的にずっこけている項目を愛でたくなったりして。はは。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
この天下無敵のインターナショナルなジャマイカン・リズム隊(1999年12月6日)の来日公演をぼくが見るのは、文章で触れていないが、フジ・ロックで元ブラック・ウフルーのマイケル・ローズをシンガーに立てたとき(2003年7月25日)以来。でも、今回がその完成度については一番高いと思わせたかな。そう思わせた大きな理由は全曲、ここのところスライ&ロビーとつるんでいるUKレゲエ・シンガーのビティ・マクリーンが中央にいて、全曲彼をフィーチャーする形でショウが進められたからか。黒いスーツに身を固めた痩身の彼は見栄えもするし、何より美声と力を兼ね備えた歌声が素晴らしい。とともに、2キーボード、ギター、2サックスからなる演奏陣もソツなくサポートする。
かつてヴァージンからアルバムをだしたこともあるマクリーンの持ち歌レゲエ曲からスティーヴィー・ワンダー曲まで自在の曲選びのもと、天下一品の喉とリディムが悠々送り出され、鮮やかにレゲエが持つ素敵な何かが広がって行く。そりゃ、浮かれちゃう。アンコールのとき、他のメンバーはシェイクスピアを残して先にステージを降りる。で、残った彼はそのままベース・ソロを聞かせるとともに、またうれしそうに歌う。結局、シェイルスピアはベースを弾きながら、ステージを去る。彼のキャラ、ずわーんと残りましたね。最終日の最終セットだったが、“シェイクスピアの晩“だったのかな。
スライ&ロビーは昨年、アンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日)ととても印象的な共演アルバムを出したわけだが、二人はこのまま残りフィドラーをちょいと呼んで3人こっきりのライヴを企画するなんてのは、できなかったかなあ。
この天下無敵のインターナショナルなジャマイカン・リズム隊(1999年12月6日)の来日公演をぼくが見るのは、文章で触れていないが、フジ・ロックで元ブラック・ウフルーのマイケル・ローズをシンガーに立てたとき(2003年7月25日)以来。でも、今回がその完成度については一番高いと思わせたかな。そう思わせた大きな理由は全曲、ここのところスライ&ロビーとつるんでいるUKレゲエ・シンガーのビティ・マクリーンが中央にいて、全曲彼をフィーチャーする形でショウが進められたからか。黒いスーツに身を固めた痩身の彼は見栄えもするし、何より美声と力を兼ね備えた歌声が素晴らしい。とともに、2キーボード、ギター、2サックスからなる演奏陣もソツなくサポートする。
かつてヴァージンからアルバムをだしたこともあるマクリーンの持ち歌レゲエ曲からスティーヴィー・ワンダー曲まで自在の曲選びのもと、天下一品の喉とリディムが悠々送り出され、鮮やかにレゲエが持つ素敵な何かが広がって行く。そりゃ、浮かれちゃう。アンコールのとき、他のメンバーはシェイクスピアを残して先にステージを降りる。で、残った彼はそのままベース・ソロを聞かせるとともに、またうれしそうに歌う。結局、シェイルスピアはベースを弾きながら、ステージを去る。彼のキャラ、ずわーんと残りましたね。最終日の最終セットだったが、“シェイクスピアの晩“だったのかな。
スライ&ロビーは昨年、アンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日)ととても印象的な共演アルバムを出したわけだが、二人はこのまま残りフィドラーをちょいと呼んで3人こっきりのライヴを企画するなんてのは、できなかったかなあ。
レベッカ・マーティン
2009年3月1日 音楽 すでに数枚のリーダー作を出している、在NYの女性シンガー・ソングライター。ジェシー・ハリス(2002年12月21日、2005年9月7日、2006年12月3日、2006年4月22日、2007年3月11日)が90年代中期に組んだ男女ユニットのワンス・ブルー(キャピトルから1枚アルバムを出していて、それはノラ・ジョーンズ表現の原型なんて言われることも)の片割れであった人でもある。
丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。何より、サポート陣が豪華。電気ギターはヴァーヴ他にリーダー作を持つコンテンポラリー・ジャズ界の鋭敏ギタリストであるカート・ローゼンウィンケル、ウッド・ベースはパット・メセニーやブラッド・メルドーらがお気に入りのラリー・グラナディアー(1999年12月8日)、ドラマーはノラ・ジョーンズやリチャード・ジュリアンやジェシー・ハリスと仲良しのダン・リーサー(2007年3月11日、2008年1月24日、2008年6月6日、他)といった面々なのだから。なんでこんな人たちが同行したのかといえば、マーティンの旦那がグラナディアーであるから。ほう。
が、ステージに上がったマーティンには少しびっくり。小太りの只のおばさんで。格好も、買い物かごを手に近所の店まで買い物に出ましたと書きたくなるものでアレレ。出ている写真とかなり違う(ワンス・ブルー時代とは、まったくの別人というしかない)。ハレの場なんだから、もう少し見栄えに気を遣ってほしかった。とまどったと言えば、生ギターを弾きながら歌い始めてからもそう。声量があまりなくときに音程が不安定で、どこかしろうと臭い。バッキングが実に達者だから、過剰にそれが気になる。だが、彼女が弾くギターはそこそこイケたし、楽器の音をもらわずに無伴奏で歌い始めても、後から入った伴奏とはキーが合っていたので絶対音感は持っていそう。そして、書く曲はかなり良い。それはジョニ・ミッチェルの好影響をしかと伺わせるものでもあり、故にメロディは旋律取りが難しいもので、余計に歌が不安定に聞こえるんだと了解。カート・ローゼンウィンケル・トリオ名義で一度ぐらいやるのもありではなかったか。演奏部には密かに発汗しました。
丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。何より、サポート陣が豪華。電気ギターはヴァーヴ他にリーダー作を持つコンテンポラリー・ジャズ界の鋭敏ギタリストであるカート・ローゼンウィンケル、ウッド・ベースはパット・メセニーやブラッド・メルドーらがお気に入りのラリー・グラナディアー(1999年12月8日)、ドラマーはノラ・ジョーンズやリチャード・ジュリアンやジェシー・ハリスと仲良しのダン・リーサー(2007年3月11日、2008年1月24日、2008年6月6日、他)といった面々なのだから。なんでこんな人たちが同行したのかといえば、マーティンの旦那がグラナディアーであるから。ほう。
が、ステージに上がったマーティンには少しびっくり。小太りの只のおばさんで。格好も、買い物かごを手に近所の店まで買い物に出ましたと書きたくなるものでアレレ。出ている写真とかなり違う(ワンス・ブルー時代とは、まったくの別人というしかない)。ハレの場なんだから、もう少し見栄えに気を遣ってほしかった。とまどったと言えば、生ギターを弾きながら歌い始めてからもそう。声量があまりなくときに音程が不安定で、どこかしろうと臭い。バッキングが実に達者だから、過剰にそれが気になる。だが、彼女が弾くギターはそこそこイケたし、楽器の音をもらわずに無伴奏で歌い始めても、後から入った伴奏とはキーが合っていたので絶対音感は持っていそう。そして、書く曲はかなり良い。それはジョニ・ミッチェルの好影響をしかと伺わせるものでもあり、故にメロディは旋律取りが難しいもので、余計に歌が不安定に聞こえるんだと了解。カート・ローゼンウィンケル・トリオ名義で一度ぐらいやるのもありではなかったか。演奏部には密かに発汗しました。
グラスゴーで結成の、10年強選手のブリット・ポップ・バンド。フジ・ロックやサマーソニックには複数回出ているが、単独公演としては11年ぶりとか。有楽町・東京国際フォーラムのホールA。昨年出た新作もなかなかの出来でずっと質を保ち続けているバンドだが、集客力がちゃんとありますね。
サウンドは凝らず、楽曲勝負という感じでショウは進められる。過剰な間奏もないので曲はどれも短く、まさしくその進み方はサクサク。20曲はやったが、全部で1時間20分ぐらいの尺だったか。途中で、フロントに立つフラン・ヒーリーは客席側に降りて歌ったり、終盤にはメンバーが全員集まり生ギターを弾き歌うヒーリーを囲んで和気あいあいの図を見せたり。それ、予定調和なものだが、本当にこのバンドは“真心、いい人光線”を出していて、それが合っている。ヒネたぼくでもこれはアリと肯定でき、なんか暖かい気持ちを得てしまう。イキがったりエエかっこしいな連中が多いなか、本当に彼らは異色。でも、そんなロック・バンドがいてもいいと思えた。基本、歌も演奏もまっとうだしね。
最後は毎度の“雨の歌”(「ホワイ・ダズ・イット・オールウェイズ・レイン」)で観衆は合わせてぴょんぴょんと跳ねる。一階席(下は空間を置いてロビー)も少し床が揺れる。2階席フロアはさぞや揺れただろう(1999年10月16日、参照)。昼間は今シーズン初めて雪がちらつき、途中から雨模様。やはり、雨と縁がある連中なのか。
サウンドは凝らず、楽曲勝負という感じでショウは進められる。過剰な間奏もないので曲はどれも短く、まさしくその進み方はサクサク。20曲はやったが、全部で1時間20分ぐらいの尺だったか。途中で、フロントに立つフラン・ヒーリーは客席側に降りて歌ったり、終盤にはメンバーが全員集まり生ギターを弾き歌うヒーリーを囲んで和気あいあいの図を見せたり。それ、予定調和なものだが、本当にこのバンドは“真心、いい人光線”を出していて、それが合っている。ヒネたぼくでもこれはアリと肯定でき、なんか暖かい気持ちを得てしまう。イキがったりエエかっこしいな連中が多いなか、本当に彼らは異色。でも、そんなロック・バンドがいてもいいと思えた。基本、歌も演奏もまっとうだしね。
最後は毎度の“雨の歌”(「ホワイ・ダズ・イット・オールウェイズ・レイン」)で観衆は合わせてぴょんぴょんと跳ねる。一階席(下は空間を置いてロビー)も少し床が揺れる。2階席フロアはさぞや揺れただろう(1999年10月16日、参照)。昼間は今シーズン初めて雪がちらつき、途中から雨模様。やはり、雨と縁がある連中なのか。
フューネラル・フォー・ア・フレンド
2009年2月18日 音楽 ちと知人の相談事を聞くのをかねて早い時間から飲んでいて、とても遅れて(気分転換的に)渋谷・クラブクアトロに。英サウス・ウェールズ出身の今様ハード・ロック・バンド見る。彼ら、スクリーモとかエモとかとも言われたりもするが、その手のものをちゃんと聞いている自信がないぼくは、それらの語句を使うをなんかためらってしまう。まあ、まっすぐにやっていたんではないか。見栄えもそんなに悪くないような感じもあって、そうすると前回のとき(2006年4月10日)、バンドをとりちがえて書いているかも。なんて、ぬけしゃあしゃあと書いているが、それ彼らのようなバンドが一番好きな人が見たら最低〜となるんだろうな。確かにぼくにとってはボール球のバンドだが、例えばぼくのストライクにあるバンドのことを誰かがそんなふうに書いていたら、ぼくもそう思うはずだもの。なんか深い飲みが続いていて、アタマが緩くなっているかも。少し、自覚せねば。その後も派手に流れて、翌日サイフを見たら、行った記憶のないバーの領収書がはいっていた。さすが、そういうのはビビる。いくら飲んでも記憶は正確だったはずなのに。ちょっと自堕落になっているかも。3ミリだけ、立て直そうかな。
レイチェル・ヤマガタ、ケヴィン・ディヴァイン
2009年2月16日 音楽 日系四世という、77年生まれの本格派の米国人シンガー・ソングライター。……あれれれえ、不思議。前回来日時の彼女のショウを見て、その良き印象をここにも書いているはずなのだが、見つからない。ジャケ写はうまく撮られていると思わせ、本当に音楽面だけで認められ前線まで上り詰めた人なのだなと痛感させられた事が強く印象に残っているのだが……。気のせいかな。いや、中川五郎さんとバックのヴァイオリンとチェロ担当のお姉さんについて、どっちがいい?とか話をしたはずだあ。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。まず、ケヴィン・ディヴァインという、NYブルックリンに住む痩身のお兄さんが出てきて、基本地味な生ギターの弾き語り。彼、ミレニアム前半はザ・ミラクル・オブ86というけっこうがちんこなバンドも並行してやっていたのだが、オープナーとクローザー(といっても、全部で5、6曲ぐらいしかやらなかったが)はけっこうオフ・マイクで雄々しく歌う。その様に触れながら、なんかこの前のザ・スウェル・シーズン(2009年1月15日)のグレン・ハンサードの様を思い出したりして。いや、それは途中の曲説明をした際、アイルランド人は大酒飲みで狼藉しちゃうという歌で、僕もアイリッシュなんだけど……みたいな箇所があったからか。
そんな彼の歌を聞きながら、この前ぐうぜん光ファイバーのTVチャンネルで見た「時空刑事1973」という海外ドラマのある回の内容を思い出した。現代の刑事が73年にタイム・スリップしてしまい、環境の変化や原始的かつ人権無視の捜査法にとまどいつつ表面上はクールに+α……てな内容を持つもので、06年に英BBCで放映されたシリーズのようだが、ぼくが見た回はこれで大丈夫なのかあと心配せずにはいられないばりばりアイルランド人を蔑視した内容のものだったんだよなー。一時UKソウルの売れっ子プロデューサーとして大車輪したレイ・ヘイデンはアイリッシュ移民で、「子供のころは、アイルランド人と中国人と犬はお断り、みたいな張り紙がよくパブのドアにはあった」と言っていた事があったが、本当にアイルランドは英国から低く見られていたのは間違いのないことのよう。そういえば、あるUKブルー・アイド・ソウルの担い手を90年代に取材したときに、アイリシュの血を引いてる?となんとなく聞いたら、「うん。でも、そのことはあまり公言していないんだ」と、返答されたこともあったっけ。なんて、短時間のうちに、いろんな事を思い出す。ディヴァインの歌って、けっこうアイリッシュ性を持っていたのかな。ちなみに、「時空刑事1973」の原タイトルは「Life on Mars」。デイヴィッド・ボウイーの曲名を拝借したもので、もちろん劇中でいろいろ使われる音楽は70年代前半のもの。けっこう、その部分でくすぐるものがあったりする。
ヤマガタのステージはギター2、チェロ、ベース、ドラムという布陣にて。今回のサポート陣は全員男性。うち、ギターの一人はセミ・アコースティック・ギターを持ったディヴァイン。もう一人のギタリストがべらぼうに腕が立つ人なこともあり採用するサウンドはギター一本で十分済むものなのだが、どうせなら一緒にやっちゃいましょうよと、ヤマガタが彼を誘ったのか。そう、想像したくなる、いい感じの空気がバンド内にはある。ディヴァインは楽譜なしで混ざっていたはずだ。しかし、なぜデヴァインは今回同行来日したのか、けっこう謎。このあと、ヤマガタは英国に行き、そのまま欧州各所を回るようだが、ディヴァインはそれには付かないようであるし……。
ともあれ、昨年ワーナー・ブラザーズに移ってリリースした新作も素晴らしい内容だったが、ヤマガタはやっぱすげえゾ、そう思わずにはいられないパフォーマンスを彼女は堂々披露。まっとうな楽曲を開く歌の確かで、力があることと言ったなら。その歌の持つ多大な質感は、<支持者が一人もいなくなっても、私は毅然として歌い続ける>みたいな覚悟のようなものを透かさせて見せた……な〜んて書かせるものだったかも。また、ロック的なデコボコを持つ行き方と格調高く風雅なチェロが無理なく重なるバンド・サウンドも良質。伴奏者はみんな、腕達者な人たちでそれもヤマガタの才ゆえと思わせられる。書き遅れたが、彼女はピアノか生ギターを弾きながら歌う(後者のほうが少し多かったかな)がぼくはピアノを弾きながら歌う曲のほうがほうがだんぜん好き。彼女のソロ弾き語りも2曲あったが、ギターとピアノのそれ(こちらは、アンコ—ル曲)をそれぞれ1づつ聞かせた。
けっこう暖かい日が続いていたが、今日は日が暮れてからかなり冷えひえ。うーん、キツい。かなしい。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。まず、ケヴィン・ディヴァインという、NYブルックリンに住む痩身のお兄さんが出てきて、基本地味な生ギターの弾き語り。彼、ミレニアム前半はザ・ミラクル・オブ86というけっこうがちんこなバンドも並行してやっていたのだが、オープナーとクローザー(といっても、全部で5、6曲ぐらいしかやらなかったが)はけっこうオフ・マイクで雄々しく歌う。その様に触れながら、なんかこの前のザ・スウェル・シーズン(2009年1月15日)のグレン・ハンサードの様を思い出したりして。いや、それは途中の曲説明をした際、アイルランド人は大酒飲みで狼藉しちゃうという歌で、僕もアイリッシュなんだけど……みたいな箇所があったからか。
そんな彼の歌を聞きながら、この前ぐうぜん光ファイバーのTVチャンネルで見た「時空刑事1973」という海外ドラマのある回の内容を思い出した。現代の刑事が73年にタイム・スリップしてしまい、環境の変化や原始的かつ人権無視の捜査法にとまどいつつ表面上はクールに+α……てな内容を持つもので、06年に英BBCで放映されたシリーズのようだが、ぼくが見た回はこれで大丈夫なのかあと心配せずにはいられないばりばりアイルランド人を蔑視した内容のものだったんだよなー。一時UKソウルの売れっ子プロデューサーとして大車輪したレイ・ヘイデンはアイリッシュ移民で、「子供のころは、アイルランド人と中国人と犬はお断り、みたいな張り紙がよくパブのドアにはあった」と言っていた事があったが、本当にアイルランドは英国から低く見られていたのは間違いのないことのよう。そういえば、あるUKブルー・アイド・ソウルの担い手を90年代に取材したときに、アイリシュの血を引いてる?となんとなく聞いたら、「うん。でも、そのことはあまり公言していないんだ」と、返答されたこともあったっけ。なんて、短時間のうちに、いろんな事を思い出す。ディヴァインの歌って、けっこうアイリッシュ性を持っていたのかな。ちなみに、「時空刑事1973」の原タイトルは「Life on Mars」。デイヴィッド・ボウイーの曲名を拝借したもので、もちろん劇中でいろいろ使われる音楽は70年代前半のもの。けっこう、その部分でくすぐるものがあったりする。
ヤマガタのステージはギター2、チェロ、ベース、ドラムという布陣にて。今回のサポート陣は全員男性。うち、ギターの一人はセミ・アコースティック・ギターを持ったディヴァイン。もう一人のギタリストがべらぼうに腕が立つ人なこともあり採用するサウンドはギター一本で十分済むものなのだが、どうせなら一緒にやっちゃいましょうよと、ヤマガタが彼を誘ったのか。そう、想像したくなる、いい感じの空気がバンド内にはある。ディヴァインは楽譜なしで混ざっていたはずだ。しかし、なぜデヴァインは今回同行来日したのか、けっこう謎。このあと、ヤマガタは英国に行き、そのまま欧州各所を回るようだが、ディヴァインはそれには付かないようであるし……。
ともあれ、昨年ワーナー・ブラザーズに移ってリリースした新作も素晴らしい内容だったが、ヤマガタはやっぱすげえゾ、そう思わずにはいられないパフォーマンスを彼女は堂々披露。まっとうな楽曲を開く歌の確かで、力があることと言ったなら。その歌の持つ多大な質感は、<支持者が一人もいなくなっても、私は毅然として歌い続ける>みたいな覚悟のようなものを透かさせて見せた……な〜んて書かせるものだったかも。また、ロック的なデコボコを持つ行き方と格調高く風雅なチェロが無理なく重なるバンド・サウンドも良質。伴奏者はみんな、腕達者な人たちでそれもヤマガタの才ゆえと思わせられる。書き遅れたが、彼女はピアノか生ギターを弾きながら歌う(後者のほうが少し多かったかな)がぼくはピアノを弾きながら歌う曲のほうがほうがだんぜん好き。彼女のソロ弾き語りも2曲あったが、ギターとピアノのそれ(こちらは、アンコ—ル曲)をそれぞれ1づつ聞かせた。
けっこう暖かい日が続いていたが、今日は日が暮れてからかなり冷えひえ。うーん、キツい。かなしい。
クレア&ザ・リーズンズ
2009年2月13日 音楽 渋谷・クラブクアトロ。一同が出てきたとき、あれれ日本人の前座があったのと一瞬おもう。だって、みんな赤基調の統一性を持たせた格好で出てきて、なんか初々しくもラヴリーなそれ、ある種の日本のバンドが持ちそうな風情だったから。彼女たち、米国でも似たような出で立ちで実演をやっているようだが。中央に赤色のセミアコのギターを弾きながら歌うクレア・マルダー、片側にはヴァイオリンを中心にいろんな楽器をつまみ食い気味に触る旦那のオリヴィエ・マンションと電気ベースやキーボードを担当する男性。そして、もう片側にはチェロとヴィオラをそれぞれ担当する女性奏者が位置する。みんな控えめながら、いい感じにコーラスをとった。
かつてマルダーとマンションのデュオ・パフォーマンス(2005年5月22日)に触れたときには、その後二人がクレア&ザ・リーズンズ名義のもと越境と表裏一体の優美さやノスタルジー性をたんまり持つ、あんなにストーリー性豊かな夢心地作品を出すとはまったく想像できなかった。で、そのアルバム『ザ・ムーヴィー』を基にするライヴも多大な進歩/発展があるものだったな。
人間性の良さと趣味の良さが微笑みながら重なる……。人数が限られる分、凝ったアルバムの純再現とは当然いかなかったが、ウィットたっぷりにほんわかと、もう一つの手作り音楽を送りだす様子にはフフフとなれた。ふんわり、満たされたな気持ちにも。途中、「オーヴァー・ザ・レインボー」のメロディでもって、“オバマ、オバマ、オバマ、オバマ”と米国新大統領の苗字だけを延々と歌うものを披露。クスっ。他愛ないけど、いいじゃん。本編最後の曲はティアーズ・フォー・フィアーズの大ヒット曲「エヴリバディ・ウォンツ・トゥ・ルール・ザ・ワールド」を静謐ぎみにやりました。
かつてマルダーとマンションのデュオ・パフォーマンス(2005年5月22日)に触れたときには、その後二人がクレア&ザ・リーズンズ名義のもと越境と表裏一体の優美さやノスタルジー性をたんまり持つ、あんなにストーリー性豊かな夢心地作品を出すとはまったく想像できなかった。で、そのアルバム『ザ・ムーヴィー』を基にするライヴも多大な進歩/発展があるものだったな。
人間性の良さと趣味の良さが微笑みながら重なる……。人数が限られる分、凝ったアルバムの純再現とは当然いかなかったが、ウィットたっぷりにほんわかと、もう一つの手作り音楽を送りだす様子にはフフフとなれた。ふんわり、満たされたな気持ちにも。途中、「オーヴァー・ザ・レインボー」のメロディでもって、“オバマ、オバマ、オバマ、オバマ”と米国新大統領の苗字だけを延々と歌うものを披露。クスっ。他愛ないけど、いいじゃん。本編最後の曲はティアーズ・フォー・フィアーズの大ヒット曲「エヴリバディ・ウォンツ・トゥ・ルール・ザ・ワールド」を静謐ぎみにやりました。
連日、暴飲を重ねていたら、いつの間にか風邪がなおる。ははは、お酒は万病の薬なり。な〜んてこたァ全然おもわないけど。
渋谷・クラブクアトロ。かつて、進歩的でもある洒脱ロックの代表格のような存在でもあったステレオラブ(2004年5月7日)だが、今は感じさせる先鋭性はだいぶ減じ、大人でしなやかな、わりと普通なロック・バンドという位置にいるようになっているかも。まあ、結成20年近いわけだし、ノリはそんなに変わってないわけで、それはしょうがない。それよりも、いまだクラブ活動の延長のような風情(それ、ほとんどショーバイっ気なしで、という意味合いも持つ)で飄々と笑顔で音楽にあたっている事実を愛でるべきでしょう。
6人でステージに立つ。ドラマーの叩き方はかつてプロデュースをやってもらったことのあるジョン・マッケンタイア(2005年1月7日、他)を少し想起させるが、もう少しうまくてもいいんじゃないか。途中で一曲、紅一点シンガーのレティシアさんが歌えなくなって、曲を中断。彼女、千回に一回あるかどうかのミスみたいな事を言っていたが、そうなって当の本人が一番びっくりしていたみたい。でも、ファンの暖かい眼差しとともに、このときが一番会場は沸きました。
渋谷・クラブクアトロ。かつて、進歩的でもある洒脱ロックの代表格のような存在でもあったステレオラブ(2004年5月7日)だが、今は感じさせる先鋭性はだいぶ減じ、大人でしなやかな、わりと普通なロック・バンドという位置にいるようになっているかも。まあ、結成20年近いわけだし、ノリはそんなに変わってないわけで、それはしょうがない。それよりも、いまだクラブ活動の延長のような風情(それ、ほとんどショーバイっ気なしで、という意味合いも持つ)で飄々と笑顔で音楽にあたっている事実を愛でるべきでしょう。
6人でステージに立つ。ドラマーの叩き方はかつてプロデュースをやってもらったことのあるジョン・マッケンタイア(2005年1月7日、他)を少し想起させるが、もう少しうまくてもいいんじゃないか。途中で一曲、紅一点シンガーのレティシアさんが歌えなくなって、曲を中断。彼女、千回に一回あるかどうかのミスみたいな事を言っていたが、そうなって当の本人が一番びっくりしていたみたい。でも、ファンの暖かい眼差しとともに、このときが一番会場は沸きました。
エディ・プロフィットmeets梅津和時、ヤヒロトモヒロ
2009年2月8日 音楽 代官山・晴れたら空に豆まいて。プロフィットはハイチ出身のジャズ・ピアニストで、現在はカナダに拠点を置いてあちこちに出向いているという。ステージにでてきた彼はなかなか大柄で、天真爛漫そうな笑顔を持つ陽気な人。当初はずっとピアノ・ソロ演奏。基本、ジャズ・スタンダードをやったんじゃないか。が、この部分はいかにもフツー。当方はどうしても、ハイチというバイアスをかけたがっているため、より都合が悪い。ジャズの影響力/伝搬力の強さだけは痛感させられるものではあったけど。で、まずヤヒロトモヒロ(2007年11月14日)が混ざり、急にプロフィットのタッチが強く重くなったような。ぐっと興味をひかれるようになり、一部最後の曲で梅津和時(2001年9月2日、2001年9月21日、2004年10月10日、2008年11月14日)が登場。たしか、やった曲はスタンダードの「ミスティ」だったと思うんだけど、これは良かったな。もう、梅津の息遣い最高。彼に重なる打楽器音とピアノ音もいいじゃないかあと一気に感情のメーターが上がる。
2部はプロフィットのオリジナルやハイチの曲なんかをやったようだが、嬉しィ〜って感じで、もう只の愛好者になって見ちゃってた私。なんか、妙な節回しやにごりや重みや弾みが介在する三者の協調表現がいろんな様相で聞き手に向かってきて、相当に気持ちよかった。ハイチな襞もいろいろあったような。MCは梅津が主に担当。いいなあ、高潔な生理にあふれていて。ほんの少しのリハのとき、これをやるとか言われてテーマを譜面にしたりして、彼は大慌てでもあったようだけど、そういうのもふくめ、この晩には、“人間がやる行為としての尊さ”があふれまくっていたのだ。
2部はプロフィットのオリジナルやハイチの曲なんかをやったようだが、嬉しィ〜って感じで、もう只の愛好者になって見ちゃってた私。なんか、妙な節回しやにごりや重みや弾みが介在する三者の協調表現がいろんな様相で聞き手に向かってきて、相当に気持ちよかった。ハイチな襞もいろいろあったような。MCは梅津が主に担当。いいなあ、高潔な生理にあふれていて。ほんの少しのリハのとき、これをやるとか言われてテーマを譜面にしたりして、彼は大慌てでもあったようだけど、そういうのもふくめ、この晩には、“人間がやる行為としての尊さ”があふれまくっていたのだ。
午前中と午後、それぞれ1時間半ぐらいうとうと。それ、風邪薬を飲んでいるせいなのか。だましだまし机に向かい、なんとか夕暮れまでにライナーノーツを一本こさえ、有楽町・東京国際フォーラムへ。一番大きな、ホールA。ライヴ評を頼まれているので、熱っぽくても行こうかどうか迷う必要はなかった。実は、ぼくの外タレ初体験はジェフ・ベック(と、ザ・ニューヨーク・ドールズ)。ベックがちょうど飛躍作『ブロウ・バイ・ブロウ』をだした75年に後楽園球場で開かれたワールド・ロック・フェスティヴァルを見に行き、彼(そして、ドールズは)はその出演者だったのだ。外国人アーティストどころか、ぼくにとってはコンサート自体もそのときが初めてで(一人で東京に遊びに行ったのも初だったか)、そうとう高揚して水道橋にむかったはずだよなあ。ともあれ、30年以上ぶりに見たベックはなにかと興味深く、おもしろかった。
ステージに登場した彼は白いスニーカー、ジーンズ、袖無しの上着を身につけている。わー、とても60半ばのじいさんがする格好じゃない。でも。見た目もかなり若い。体型は変わらずスリムだし、髪も黒く一応フサフサしている。元々あまり私生活が見えない人だが、その風体に接してそれが合う“変人”という印象をぼくは強めた。見てくれだけで、なんか我が道を行く人という感じを与えるナ。で、よく陽に焼けていて、精悍という感想も得た。それから、やっぱり鼻がデカかった。
パフォーマンス内容は『ブロウ・バイ・ブロウ』以降に基本なされているヴォーカル抜きのインスト路線にあるもの。話題のハタチちょいの女性電気ベーシストのタル・ウィルケンフェルド(演奏じたいは、かなりフュージョンぽい)と近年ベックから重用されている西海岸セッション・ドラマーのヴィニー・カリウタがリズム隊を担う。ちょうど今、ブルーノート東京ではチック・コリアとジョン・マクラフリン(2005年1月31日)の双頭バンドが出演中で、そのCDにおいてはカリウタが叩いているのだが、来日メンバーは彼ではなくブライアン・ブレイド(2008年9月4日、他)。それ、カリウタが叩くよりお得という風評があったりもするわけだが、カリウタがベックのツアーに取られていたからそんなお年玉は実現したのか。まったくソロを取らないキーボード奏者は、ぼくが大好きなデイヴィッド・サンシャス(2006年7月2日)。けっこう、サイド・ギター的な演奏に終始したが、実のところ、彼はジミ・ヘンドリックス的なギターがうまい。ブルース・スプリングスティーン、ピーター・ゲイブリエル、ズッケロ、スティング(2000年10月16日)、エリック・クラプトン(2006年11月20日)などに続き、ジェフ・ベック。サンシャスは助っ人ロック・キーボードの第一人者と言っていいのではないか。彼、フュージョンぽいのとか、けっこうリーダー作を持っています。
そんな3人にて(カリウタはけっこう、ドラスカ叩いていた)、ベックはトリッキーな演奏を次々に繰り出す。それ、自分のなかにあるパターンをランダムに組み合わせて出すというワンパターンな感じもあるのだが、なんか馬鹿まるだしというか、彼だけしかこんなのやらないだろうなという感じは見ていてウッシシとなれる。けっこう、フレイズのつながりが悪かったりする部分もあるのだが、彼は全然悪びれない。なんか、はなっから完成度やまとまり/落ち着きの良さを放棄している感じもあって、その俺サマな風情にゃうれしいと感じたな。
ボトルネックは2カ所でしかもちいなかったが、トレモロ・アームとライト・ハンド奏法は随所で多用。で、彼はブルースマンのように、ピックを用いず弾く(だから、違った奏法にすぐに移れる)。拍手。驚いたのは、傍若無人な弾き方をしていても弦が切れるどころかチューニングもほとんど狂わなかったこと。彼はアタマからおわりまで一本のギターを使った、というか、予備のギターをおいてなかった(そりゃ、袖にはおいてあって、なんかあればローディが持ってかけつけるのだろうけど)。彼、見かけによらず、ギターにやさしい弾き方をするのだろうか。それこそは、ナチュラル・ボーン・ギタリストの証? その様に触れていて、イーグルズのギタリスト陣の趣味の悪い振る舞いが一瞬頭のなかに浮かぶ。大昔に武道館で見たとき、アイツらギターをこれみよがしにズラリと並べ一曲ごとにギターをちんたら換えていたんだよな。大好きだったジョー・ウォルシュを堕落させたバンドとしてイーグルズはぼくのなかでは穀潰し筆頭にいる存在。彼らの悪口、いくらでも言え升。
曲はオープナーのジミー・ペイジ作「ベックス・ボレロ」(もっともベックの初期の曲)をのぞいては「ブロウ・バイ・ブロウ」以降の曲をやるが、80年作『ゼア・アンド・バック』からの曲を3曲もやったのにはびっくり。『ブロウ・バイ・ブロウ』はスティーヴィー・ワンダー曲だけやり、『ワイアード』からもチャールズ・ミンガス曲断片も含めれば3曲演奏。本編最後の曲は98年ジョージ・マーティン名義盤で弾いたザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」。全部で、1時間20分ぐらいのショウだったかな。
やっぱ、ジェフ・ベックらしさが横溢というか、ジェフ・ベックでしかありえなかったパフォーマンス。ロック・インストでもジャズ・ロックでもなく、きっちり彼はジェフ・べックというジャンルをきっぱり提出していた……綺麗ごとでまとめるようだが、なんか、そういう印象が残りました。
ステージに登場した彼は白いスニーカー、ジーンズ、袖無しの上着を身につけている。わー、とても60半ばのじいさんがする格好じゃない。でも。見た目もかなり若い。体型は変わらずスリムだし、髪も黒く一応フサフサしている。元々あまり私生活が見えない人だが、その風体に接してそれが合う“変人”という印象をぼくは強めた。見てくれだけで、なんか我が道を行く人という感じを与えるナ。で、よく陽に焼けていて、精悍という感想も得た。それから、やっぱり鼻がデカかった。
パフォーマンス内容は『ブロウ・バイ・ブロウ』以降に基本なされているヴォーカル抜きのインスト路線にあるもの。話題のハタチちょいの女性電気ベーシストのタル・ウィルケンフェルド(演奏じたいは、かなりフュージョンぽい)と近年ベックから重用されている西海岸セッション・ドラマーのヴィニー・カリウタがリズム隊を担う。ちょうど今、ブルーノート東京ではチック・コリアとジョン・マクラフリン(2005年1月31日)の双頭バンドが出演中で、そのCDにおいてはカリウタが叩いているのだが、来日メンバーは彼ではなくブライアン・ブレイド(2008年9月4日、他)。それ、カリウタが叩くよりお得という風評があったりもするわけだが、カリウタがベックのツアーに取られていたからそんなお年玉は実現したのか。まったくソロを取らないキーボード奏者は、ぼくが大好きなデイヴィッド・サンシャス(2006年7月2日)。けっこう、サイド・ギター的な演奏に終始したが、実のところ、彼はジミ・ヘンドリックス的なギターがうまい。ブルース・スプリングスティーン、ピーター・ゲイブリエル、ズッケロ、スティング(2000年10月16日)、エリック・クラプトン(2006年11月20日)などに続き、ジェフ・ベック。サンシャスは助っ人ロック・キーボードの第一人者と言っていいのではないか。彼、フュージョンぽいのとか、けっこうリーダー作を持っています。
そんな3人にて(カリウタはけっこう、ドラスカ叩いていた)、ベックはトリッキーな演奏を次々に繰り出す。それ、自分のなかにあるパターンをランダムに組み合わせて出すというワンパターンな感じもあるのだが、なんか馬鹿まるだしというか、彼だけしかこんなのやらないだろうなという感じは見ていてウッシシとなれる。けっこう、フレイズのつながりが悪かったりする部分もあるのだが、彼は全然悪びれない。なんか、はなっから完成度やまとまり/落ち着きの良さを放棄している感じもあって、その俺サマな風情にゃうれしいと感じたな。
ボトルネックは2カ所でしかもちいなかったが、トレモロ・アームとライト・ハンド奏法は随所で多用。で、彼はブルースマンのように、ピックを用いず弾く(だから、違った奏法にすぐに移れる)。拍手。驚いたのは、傍若無人な弾き方をしていても弦が切れるどころかチューニングもほとんど狂わなかったこと。彼はアタマからおわりまで一本のギターを使った、というか、予備のギターをおいてなかった(そりゃ、袖にはおいてあって、なんかあればローディが持ってかけつけるのだろうけど)。彼、見かけによらず、ギターにやさしい弾き方をするのだろうか。それこそは、ナチュラル・ボーン・ギタリストの証? その様に触れていて、イーグルズのギタリスト陣の趣味の悪い振る舞いが一瞬頭のなかに浮かぶ。大昔に武道館で見たとき、アイツらギターをこれみよがしにズラリと並べ一曲ごとにギターをちんたら換えていたんだよな。大好きだったジョー・ウォルシュを堕落させたバンドとしてイーグルズはぼくのなかでは穀潰し筆頭にいる存在。彼らの悪口、いくらでも言え升。
曲はオープナーのジミー・ペイジ作「ベックス・ボレロ」(もっともベックの初期の曲)をのぞいては「ブロウ・バイ・ブロウ」以降の曲をやるが、80年作『ゼア・アンド・バック』からの曲を3曲もやったのにはびっくり。『ブロウ・バイ・ブロウ』はスティーヴィー・ワンダー曲だけやり、『ワイアード』からもチャールズ・ミンガス曲断片も含めれば3曲演奏。本編最後の曲は98年ジョージ・マーティン名義盤で弾いたザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」。全部で、1時間20分ぐらいのショウだったかな。
やっぱ、ジェフ・ベックらしさが横溢というか、ジェフ・ベックでしかありえなかったパフォーマンス。ロック・インストでもジャズ・ロックでもなく、きっちり彼はジェフ・べックというジャンルをきっぱり提出していた……綺麗ごとでまとめるようだが、なんか、そういう印象が残りました。
ジンガロを見に行ったら、風邪をひいた。で、4日のマイ・モーニング・ジャケット(2005年7月30日)をパス。なんか、評判よかったよう。この晩もどっしよっかなーと思ったが、近場だしと、デジ・ロックの帝王的UKバンドを見に出かける。で、会場の渋谷・アックスにつくころには、家でおとなしくしてたほうが良かったかなー。……こりゃダルいのをごまかさなきゃと、いつもと同じとも言えるが、お酒を買い求める(ここも、酒揃い/質が貧困なヴェニュー。サーヴの仕方も半端で、学祭に来て飲み物を買った気分になる)。で、本編が終わったところで、飲みにも流れず、すぱっと帰宅。やっぱ、調子良くないんだろうな。こーゆーときもあるサ。
一回限りのライヴ・ショウで、オーストラリアでの夏場フェス/ライヴ流れで実現した模様(冬場はこういうパターンが多く、ゆえにロック系ライヴがおおくなる)。演奏陣はキーボード/装置のリアム・ハウレットにくわえ、サポートのドラマーとギタリスト。基本プリセット音が支配するサウンドで司令塔役のハウレットさえいれば問題ないと思われるが、やっぱり生身の人間を経ているという視覚的効果はうれしい。そして、そこにキースとマキシム、2人のキャラ立ちMCが絡むわけだが、単純ながらやはり鼓舞力はあるよな。ぶっとい四つ打ちダンス・ビートにノイジーで電気な装飾音がかぶさり、その上で扇情的な肉声が舞う。下世話なパワー、痛快にまるだし。ただ、押し出し方は太々しいものの、昔とあんまし変わっていないという印象も持つ。久しぶりに出る新作からの曲も何曲かやっているはずだが、その『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』はイケイケの大昔ノリに戻ったような内容だったしな。
ぼくが前に彼らのショウを見たのは赤坂・ブリッツ(旧)。この4月で10年目をむかえる<ライヴ三昧>を書き出す前の事だから、そうとう前。あんとき、ロック愛好者も付和雷同的にぎんぎん踊りたいんだナと思ったっけか。フジ・ロックやサマーソニックにも彼らはヘッドライナー級で出ているはずだが、ぼくは見ていない。というあたりに、ぼくの彼らに対する興味の度合いが出ているかもしれないが、熱心な聞き手はこの晩の実演をどうかんじたのか。音楽バカ的なもやもやが送り出されていたところに、ぼくは一番ニコリとできた。
一回限りのライヴ・ショウで、オーストラリアでの夏場フェス/ライヴ流れで実現した模様(冬場はこういうパターンが多く、ゆえにロック系ライヴがおおくなる)。演奏陣はキーボード/装置のリアム・ハウレットにくわえ、サポートのドラマーとギタリスト。基本プリセット音が支配するサウンドで司令塔役のハウレットさえいれば問題ないと思われるが、やっぱり生身の人間を経ているという視覚的効果はうれしい。そして、そこにキースとマキシム、2人のキャラ立ちMCが絡むわけだが、単純ながらやはり鼓舞力はあるよな。ぶっとい四つ打ちダンス・ビートにノイジーで電気な装飾音がかぶさり、その上で扇情的な肉声が舞う。下世話なパワー、痛快にまるだし。ただ、押し出し方は太々しいものの、昔とあんまし変わっていないという印象も持つ。久しぶりに出る新作からの曲も何曲かやっているはずだが、その『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』はイケイケの大昔ノリに戻ったような内容だったしな。
ぼくが前に彼らのショウを見たのは赤坂・ブリッツ(旧)。この4月で10年目をむかえる<ライヴ三昧>を書き出す前の事だから、そうとう前。あんとき、ロック愛好者も付和雷同的にぎんぎん踊りたいんだナと思ったっけか。フジ・ロックやサマーソニックにも彼らはヘッドライナー級で出ているはずだが、ぼくは見ていない。というあたりに、ぼくの彼らに対する興味の度合いが出ているかもしれないが、熱心な聞き手はこの晩の実演をどうかんじたのか。音楽バカ的なもやもやが送り出されていたところに、ぼくは一番ニコリとできた。
ジンガロの「バトゥータ」。グレッチェン・パーラト
2009年2月3日 音楽 うわー、これはすごい。フランス発の騎馬劇団“ジンガロ”(馬術家のパルタバスという人が84年に旗揚げしたという)の新作「バトゥータ」を、清澄白河・木場公園内ジンガロ特設シアターで見る。同じ敷地内には東京都現代美術館があるが木場公園は広いようで、円形の劇場(劇場外の馬が待機する準備スペースとかもそうとう必要なはず)や別練ホワイエとかが設営されていて、3月下旬までの期間限定のものながら規模は立派だ。3年前にも日本上陸したことがあったが、話題になるのも納得。ヒネたぼくもいろいろ驚きつつ、わあと楽しみまくりました。
かなり傾斜がついた円形客席が囲む中央に土が敷き詰められたステージ(その中心には、水の柱状のものが逆噴水のごとく降り注ぐ)と馬場レーンがあり、そこにいろんな馬と人間が次々に出てきてぐるぐる回る。出し物の基本はそれだが、人と馬の絡みがかなりアクロバティックにして、設定が視覚的にもいろいろとねられていて多彩で、うまく説明ができないが1時間半近いものを一気になんら飽きる事無くドキドキ見させてしまう。人間と馬の精気と肉体感が効果的な重なり……まさに手間と鍛錬とアイデアとウィットが効いた、ダイナミックな大人のエンターテインメント。これは、勧めるにたる。
馬車が出てきたり出演者はロマを想起させる格好をしていたりもして、ロマの文化様式を借りているところもあるのか。実は音楽面でもけっこう凝った設定がなされていて、レーンを挟んで向かい合うように二つの楽団が位置し、交互に演奏して場を盛り上げる(対峙するように、一緒に演奏したりしたときも)。で、その二つは在ルーマニアのロマの楽団。うち、モルドヴァ地方のファンファーレ・シュカールはファンファーレ・チョカリーア(2008年10月13日、他)のようなブラス・バンド(全10人)で、もう一つのトランランシルヴァニア地方出身のタラフ・ドゥ・トランシルヴァニアはタラフ・ドゥ・ハイドゥークス(2007年9月26日、他)のように弦楽器アンサンブル(5人による彼らはけっこう上品に整った演奏もする)だ。ともに、まっとうな演奏を聞かせてくれて、音楽好きならうれしさが倍加すること請け合い。
しかし、馬って賢いんだナ。見た者、誰もがそう思うんじゃないか。寝転がったりとかちゃんと演技をするときもあるし、様々な疾走シーンもソツなくこなす。予想外の動きをされ、人が落ちるなんてシーンもなかったし。けっこうハラハラしちゃう場面はあります。そして、これを見るとヨーロッパは騎馬文化圏だというのがよく伝わるりもする。乗馬好き、馬好きの人だとどう感じるのだろう? ともあれ、見終わったあと、いろいろ同行者とは感想で話が弾みまくるんじゃないかな。
そして、丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。LA育ち、今はNY在住となるジャズ・シンガーで、リオネル・ルエケ(南カリフォルニア大学で一緒だったよう、2007年7月24日、他)作やケニー・バロン(2009年1月7日、他)作に客演していたりもする女性。ルックスはなんとなく東欧っぽい感じを与える。ピアノ・トリオを従えてのもので、なんとピアニストは俊英アーロン・パークス(2008年11月22日)ではないか。ベース奏者は全曲ウッドを用いたが、パークスは電気ピアノを弾く場合が多かった。技巧派ではないが雰囲気派でもなく、なかなか説明に困る人かな。途中から見たので、なかなか感想の像が結びにくいというのはあるナ。だが、なんか美意識とか審美眼とかには長けていて、透明度の高い私の考える今のジャズ・ヴォーカルを淡々と開こうとしていたのは間違いない。ウェイン・ショーター曲やスティヴィー・ワンダー曲を取り上げたりも。ベーシストの曲も歌っていたようだが、彼とはプライヴェイトな関係があるのか否か。
かなり傾斜がついた円形客席が囲む中央に土が敷き詰められたステージ(その中心には、水の柱状のものが逆噴水のごとく降り注ぐ)と馬場レーンがあり、そこにいろんな馬と人間が次々に出てきてぐるぐる回る。出し物の基本はそれだが、人と馬の絡みがかなりアクロバティックにして、設定が視覚的にもいろいろとねられていて多彩で、うまく説明ができないが1時間半近いものを一気になんら飽きる事無くドキドキ見させてしまう。人間と馬の精気と肉体感が効果的な重なり……まさに手間と鍛錬とアイデアとウィットが効いた、ダイナミックな大人のエンターテインメント。これは、勧めるにたる。
馬車が出てきたり出演者はロマを想起させる格好をしていたりもして、ロマの文化様式を借りているところもあるのか。実は音楽面でもけっこう凝った設定がなされていて、レーンを挟んで向かい合うように二つの楽団が位置し、交互に演奏して場を盛り上げる(対峙するように、一緒に演奏したりしたときも)。で、その二つは在ルーマニアのロマの楽団。うち、モルドヴァ地方のファンファーレ・シュカールはファンファーレ・チョカリーア(2008年10月13日、他)のようなブラス・バンド(全10人)で、もう一つのトランランシルヴァニア地方出身のタラフ・ドゥ・トランシルヴァニアはタラフ・ドゥ・ハイドゥークス(2007年9月26日、他)のように弦楽器アンサンブル(5人による彼らはけっこう上品に整った演奏もする)だ。ともに、まっとうな演奏を聞かせてくれて、音楽好きならうれしさが倍加すること請け合い。
しかし、馬って賢いんだナ。見た者、誰もがそう思うんじゃないか。寝転がったりとかちゃんと演技をするときもあるし、様々な疾走シーンもソツなくこなす。予想外の動きをされ、人が落ちるなんてシーンもなかったし。けっこうハラハラしちゃう場面はあります。そして、これを見るとヨーロッパは騎馬文化圏だというのがよく伝わるりもする。乗馬好き、馬好きの人だとどう感じるのだろう? ともあれ、見終わったあと、いろいろ同行者とは感想で話が弾みまくるんじゃないかな。
そして、丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。LA育ち、今はNY在住となるジャズ・シンガーで、リオネル・ルエケ(南カリフォルニア大学で一緒だったよう、2007年7月24日、他)作やケニー・バロン(2009年1月7日、他)作に客演していたりもする女性。ルックスはなんとなく東欧っぽい感じを与える。ピアノ・トリオを従えてのもので、なんとピアニストは俊英アーロン・パークス(2008年11月22日)ではないか。ベース奏者は全曲ウッドを用いたが、パークスは電気ピアノを弾く場合が多かった。技巧派ではないが雰囲気派でもなく、なかなか説明に困る人かな。途中から見たので、なかなか感想の像が結びにくいというのはあるナ。だが、なんか美意識とか審美眼とかには長けていて、透明度の高い私の考える今のジャズ・ヴォーカルを淡々と開こうとしていたのは間違いない。ウェイン・ショーター曲やスティヴィー・ワンダー曲を取り上げたりも。ベーシストの曲も歌っていたようだが、彼とはプライヴェイトな関係があるのか否か。
日本人女性シンガー/ベーシストを擁するシスコの4人組(2004年3月18日)のショウは恵比寿・リキッドルームにて。素晴らしかった。5日前のバーンもそうとう良かったが、これにも高揚したな。まず、感じたのはこんなにうまかったっけ。メリハリと瞬発力に富んだドラム、絡み合いながらあっち側にふっとんで行くような2本のギター。そして、そこにちょこんと乗って戯れるサトミさん。気分屋っぽいというか、けっこう気ままな行き方を取っているとも言えそうだが、そのなかから乾いたファンクネスや剛性感も感じさせるのだから、これはうれしい。ウィットも山ほど存在。そして、全体的には枠を取り払った自在のロックというもの像に実を結ぶわけで……。その新作を昨年のクロスビート誌の年間ベスト10に入れた判断はまこと正解だったな。胸をなでおろす。
ミッドナイト・スター。クリスチャン・スコット
2009年1月31日 音楽 前々日と同様に取材のため夕方少し前に電車に乗ったらまさしく定時に電車はやってくる。いちおう東急電鉄の名誉(?)のために記しておく。ぼくがすんでいる建物は、東急コミュニティが管理。今年度からまたとても久しぶりに、管理組合の役員になったワタシ。柄にもないけど、こればかりは住人だったらしょうがない。
まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ミッドナイトスターを見る。客のおやじ/おばん度、高し。80年代にソーラー・レーベルで鳴らした、ケンタッキー州立大学の学生バンド起点のセルフ・コンテインド・グループ。かつてはもっと大所帯だったが、ステージには6人で登場。後にキャロウェイを結成したりもするキャロウェイ兄弟は抜けたままだが、キーボード奏者以外はオリジナル・メンバーで固めている。ステージ第一列に、紅一点のベリンダ・リプスコム(歌)、キーボードも少し弾くボー・ワトソン(地声の歌、ファルセット、ラップを器用に使い分ける)、ギターと歌のメルヴィン・ジェントリー(途中はギターを置いて、リード・ヴォーカルをがんがんとる)が位置し、彼女たちはフリでもいろいろと楽しませる。
彼らの熱心な愛好者と行ったのだが、彼が言うには全盛時のヒット曲はあまりやらず、こんなに電気色が強くなってしまったとは……。全面的にドラマーのボビー・ラヴレイスは叩くものの、同軌音は基本用いていたはずで(ベーシストのケネス・ギャントは四弦と鍵盤ベースを併用)、サウンドは確かにキーボード音が支配する。昔はシンセ/シークエンス音を多用したグループも今の実演は生音度数を高める、というパターンが多いが、彼らはそれに当てはまらない。だが、いま流行りのロボ声ももちいられたりもし、なかなかいい感じではないか。というか、それぞれの歌は力があるし、まっとうなファンク/グルーヴ感もあるし、ぼくは相当にいい気分になれたな。やー、立派。彼らは立ち上がる事を求めたり客をステージに上げたりとか、過剰なオーディエンスへの働きかけはしない(それも、いいと思えた)が、途中からはけっこうお客さんは立ち上がっていた。
そして、ブルーノート東京に移って、ニューオーリンズ出身在NYの鼻っ柱の強い若手トランペッター(2008年7月23日、2008年9月10日)を見る。ピアノ、ギター、ウッド・ベース、ドラムという布陣。うち、白人はギタリストだけだ(よな?)が、スコットはそのマシュー・スティーヴンスをおおいに信頼、MCで“マイ・ミュージカル・パートナー”と紹介する。で、そのとりとめのないギター演奏が目立つ、陰鬱で茫洋とした集団演奏が展開される。基本は、新作のライヴ盤のノリ。そのココロは大好きなレディオヘッド的なテイストをジャズの文脈で求めてみたい(まあ、それだけではないが)……ほんとうに、レディオヘッド(2008年10月4日、他)の影響力はすごいもんがあるわけだ。で、スコットのソロはサウンドに合わせてもわもわーって感じで流れていくわけだが、確かに(本人も言っていたが)吹き口のちょっとした所にニューオーリンズっ子らしい開放性/弾みが表れる。それを感じるたびに。ぼくはクスクスしていた。現在の彼の行き方が旧来のジャズの聞き手から好意的に受け入れられるとは到底おもえないし、一方クラブ・ミュージックのファンからも支持を集めるとは考えにくいが、現代ジャズを作らんとツっぱってシーンを闊歩しようとするスコットにぼくは目一杯拍手を送る。
まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ミッドナイトスターを見る。客のおやじ/おばん度、高し。80年代にソーラー・レーベルで鳴らした、ケンタッキー州立大学の学生バンド起点のセルフ・コンテインド・グループ。かつてはもっと大所帯だったが、ステージには6人で登場。後にキャロウェイを結成したりもするキャロウェイ兄弟は抜けたままだが、キーボード奏者以外はオリジナル・メンバーで固めている。ステージ第一列に、紅一点のベリンダ・リプスコム(歌)、キーボードも少し弾くボー・ワトソン(地声の歌、ファルセット、ラップを器用に使い分ける)、ギターと歌のメルヴィン・ジェントリー(途中はギターを置いて、リード・ヴォーカルをがんがんとる)が位置し、彼女たちはフリでもいろいろと楽しませる。
彼らの熱心な愛好者と行ったのだが、彼が言うには全盛時のヒット曲はあまりやらず、こんなに電気色が強くなってしまったとは……。全面的にドラマーのボビー・ラヴレイスは叩くものの、同軌音は基本用いていたはずで(ベーシストのケネス・ギャントは四弦と鍵盤ベースを併用)、サウンドは確かにキーボード音が支配する。昔はシンセ/シークエンス音を多用したグループも今の実演は生音度数を高める、というパターンが多いが、彼らはそれに当てはまらない。だが、いま流行りのロボ声ももちいられたりもし、なかなかいい感じではないか。というか、それぞれの歌は力があるし、まっとうなファンク/グルーヴ感もあるし、ぼくは相当にいい気分になれたな。やー、立派。彼らは立ち上がる事を求めたり客をステージに上げたりとか、過剰なオーディエンスへの働きかけはしない(それも、いいと思えた)が、途中からはけっこうお客さんは立ち上がっていた。
そして、ブルーノート東京に移って、ニューオーリンズ出身在NYの鼻っ柱の強い若手トランペッター(2008年7月23日、2008年9月10日)を見る。ピアノ、ギター、ウッド・ベース、ドラムという布陣。うち、白人はギタリストだけだ(よな?)が、スコットはそのマシュー・スティーヴンスをおおいに信頼、MCで“マイ・ミュージカル・パートナー”と紹介する。で、そのとりとめのないギター演奏が目立つ、陰鬱で茫洋とした集団演奏が展開される。基本は、新作のライヴ盤のノリ。そのココロは大好きなレディオヘッド的なテイストをジャズの文脈で求めてみたい(まあ、それだけではないが)……ほんとうに、レディオヘッド(2008年10月4日、他)の影響力はすごいもんがあるわけだ。で、スコットのソロはサウンドに合わせてもわもわーって感じで流れていくわけだが、確かに(本人も言っていたが)吹き口のちょっとした所にニューオーリンズっ子らしい開放性/弾みが表れる。それを感じるたびに。ぼくはクスクスしていた。現在の彼の行き方が旧来のジャズの聞き手から好意的に受け入れられるとは到底おもえないし、一方クラブ・ミュージックのファンからも支持を集めるとは考えにくいが、現代ジャズを作らんとツっぱってシーンを闊歩しようとするスコットにぼくは目一杯拍手を送る。
ザ・プレジデント・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ
2009年1月30日 音楽 夕方、取材のために出かけて駅に入ると、田園都市線の電車が少し遅れている。ここのところ何度かそういうことがあって、遅延が多くなっているのか。で、乗り換えようとした千代田線も同様。なんとなく不吉だな、と思う。本来なら数分の遅れなぞに目くじらたてることではないのかもしれないが(過密状況にある小田急線の朝の遅延は慢性化しているとも聞く)、なんか、な。乗り入れもすくなくない今の首都圏ダイヤ状況、限界にきているのかもしれない。
乃木坂を経て、雨のなか、恵比寿・リキッドルームに。新ギタリストを迎えて再結成なった、日本語の単語も巧みに表現に織り込みけっこう我が国でも愛された(10年以上前のコロムビア時代のときに、擬音や弱肉強食とか四字熟語とかの発音を彼らに聞かせて、意味を当てさせるというおバカな取材をしたことがあったな)トリオ・バンドの久しぶりの日本公演。そのショウ冒頭の第一声は、「イラッシャイマセー」。かつて親しんでやってきたファンも多いのだろう、オーディエンスの反応は終始ホット。途中、かつてカヴァーしたバグルスのヒット曲「ラジオ・スターの悲劇」のときは大合唱でした。
と、書くとなんか色モノみたいだが、いいバンドだな。アルバムはヴァラエティに富むが、ライヴ・パフォーマンスにおいては基本、陽性でお茶目なパワー・ロックでせめまくる。で、そのことに関してはほぼ非のうちどころがない、と言いたくなる。イナセ。しゃきっとしてて、気を見て敏なサーヴィス精神もあって。ときに見せる、ベースとギターのフリも楽しいぞ。ギターリストが達者だけどソロを取らないのもマル(歌うベーシストが復音弾き、するときも)。出音はけっこう大きく(かなり音が良かったと思う)、バスドラの音はかなり強力で、久しぶりにそれを身体で感じたナ。
乃木坂を経て、雨のなか、恵比寿・リキッドルームに。新ギタリストを迎えて再結成なった、日本語の単語も巧みに表現に織り込みけっこう我が国でも愛された(10年以上前のコロムビア時代のときに、擬音や弱肉強食とか四字熟語とかの発音を彼らに聞かせて、意味を当てさせるというおバカな取材をしたことがあったな)トリオ・バンドの久しぶりの日本公演。そのショウ冒頭の第一声は、「イラッシャイマセー」。かつて親しんでやってきたファンも多いのだろう、オーディエンスの反応は終始ホット。途中、かつてカヴァーしたバグルスのヒット曲「ラジオ・スターの悲劇」のときは大合唱でした。
と、書くとなんか色モノみたいだが、いいバンドだな。アルバムはヴァラエティに富むが、ライヴ・パフォーマンスにおいては基本、陽性でお茶目なパワー・ロックでせめまくる。で、そのことに関してはほぼ非のうちどころがない、と言いたくなる。イナセ。しゃきっとしてて、気を見て敏なサーヴィス精神もあって。ときに見せる、ベースとギターのフリも楽しいぞ。ギターリストが達者だけどソロを取らないのもマル(歌うベーシストが復音弾き、するときも)。出音はけっこう大きく(かなり音が良かったと思う)、バスドラの音はかなり強力で、久しぶりにそれを身体で感じたナ。
下北沢・風知空知。米国在住の大学生シンガー・ソングライターのショーケース・ライヴ。米国人と日本人のハーフで京都生まれ、1歳からシアトルで育ち、現在はLA在住。ジャズトロニックの曲で歌ったり、去年や今年のShingo02のツアーに鍵盤奏者/シンガーとして参加しているという。
鼻にすこしかかった声を含め、キャロル・キングを思わせる(ところが、一番多いと思う)英語曲鍵盤弾き語り表現を披露。ジャジーだったりする場合もあるが、どう行こうとまっとうな才を感じさせるのは確か。であるとともに、ノラ・ジョーンズ的な手触りをそれほど与えないところは、逆に今武器にもなるだろう。フツーに日本語もしゃべれる彼女は現在日本語の歌詞の曲もいろいろ作っているようで、この日も2曲披露。なんか、はっぴーえんどの言葉の乗せ方と重なる感じをそれは持つか。
鼻にすこしかかった声を含め、キャロル・キングを思わせる(ところが、一番多いと思う)英語曲鍵盤弾き語り表現を披露。ジャジーだったりする場合もあるが、どう行こうとまっとうな才を感じさせるのは確か。であるとともに、ノラ・ジョーンズ的な手触りをそれほど与えないところは、逆に今武器にもなるだろう。フツーに日本語もしゃべれる彼女は現在日本語の歌詞の曲もいろいろ作っているようで、この日も2曲披露。なんか、はっぴーえんどの言葉の乗せ方と重なる感じをそれは持つか。
プライマル・スクリーム
2009年1月28日 音楽 臨海副都心・ゼップ東京。おお、このUKバンド(2000年2月11日、2002年11月16日、2005年7月31日)を見るのはなんか久しぶりのキブン。でもって、ゼップ東京(やっぱ、広い会場だなと再認識)に行くのもけっこう久しぶり。ここは飲めなくてもちんたら電車乗り継ぐよりはマシと車で行く会場なのだが、家を出ようとしたら車の鍵が見つからず、いじけつつ電車でゴー。銀座線で新橋まで行き、ゆりかもめに乗り換える。本当にこの無乗務員システムを取るモノレールはゆっくり動く。メトロポリスな夜景が綺麗だからまあいっかという気になるが、そんなの関係ない毎日の通勤客による負の情念が車両の天井にべったり張り付いている、なーんて思う。
相変わらずスリムで、歌が上手いんだか下手なんだかよくわからぬぶっきらぼうな歌い方をするボビー・ギレスビー(その様に触れながら、これはこれで英国ロック的なありかただよなーと思う)を中心に、扇情度の高いギター・ロックを送り出す。ときには、シークエンス音を膨らし粉っぽく効果的にまぶす。ステージ後方にはデカいヴィジョン、そしてそこからは派手な緑色のレーザー光線がときに発されたりもする。よく練られた、鼓舞する力が大きいロック・ショウ……。ただし、「ロックス」だったか、プリセットの女性バッキング・ヴォーカルがしらーっと重ねられたのには興ざめ。今のサポートのギタリストはケヴィン・シールズ(1999年12月5日参照)を経て、リトル・バーリー(2005年6月6日、2006年12月11日)のバーリー・ギャドガン。彼、歌えるんだから、もっとバッキング・ヴォーカルで活用すればいいのに。ギレスピーはアンコールで、「ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツに捧げる」と言ったような。彼らは、テディ・ペンダーグラスも在籍したことがある、スウィート・ソウルの名コーラス・グループだ。
帰路は知り合いの手引きで、JRりんかい線に初めて乗る。うわー、近い。20分かからず、渋谷についてしまう。ゆりかもめに乗っている時間よりも短いか。不思議、魔法みたい。往復で1.000円かかるものの、少しゼップ東京が身近になった。長年、東京に住んでいても、知っている事なんて、微々たるもんだよなー。
相変わらずスリムで、歌が上手いんだか下手なんだかよくわからぬぶっきらぼうな歌い方をするボビー・ギレスビー(その様に触れながら、これはこれで英国ロック的なありかただよなーと思う)を中心に、扇情度の高いギター・ロックを送り出す。ときには、シークエンス音を膨らし粉っぽく効果的にまぶす。ステージ後方にはデカいヴィジョン、そしてそこからは派手な緑色のレーザー光線がときに発されたりもする。よく練られた、鼓舞する力が大きいロック・ショウ……。ただし、「ロックス」だったか、プリセットの女性バッキング・ヴォーカルがしらーっと重ねられたのには興ざめ。今のサポートのギタリストはケヴィン・シールズ(1999年12月5日参照)を経て、リトル・バーリー(2005年6月6日、2006年12月11日)のバーリー・ギャドガン。彼、歌えるんだから、もっとバッキング・ヴォーカルで活用すればいいのに。ギレスピーはアンコールで、「ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツに捧げる」と言ったような。彼らは、テディ・ペンダーグラスも在籍したことがある、スウィート・ソウルの名コーラス・グループだ。
帰路は知り合いの手引きで、JRりんかい線に初めて乗る。うわー、近い。20分かからず、渋谷についてしまう。ゆりかもめに乗っている時間よりも短いか。不思議、魔法みたい。往復で1.000円かかるものの、少しゼップ東京が身近になった。長年、東京に住んでいても、知っている事なんて、微々たるもんだよなー。
デイヴィッド・バーン
2009年1月27日 音楽 良かったねー。終了後に出会う知り合いの口から、笑顔で次々にそんな言葉こぼれた公演。やっぱ、半端じゃない、バーンは。渋谷・アックス。
当人を含め、登場者たちは全て白い衣装で統一。中央でギターを弾きながら歌うバーンに加え、キーボード(派手ではないが、かなりバーニー・ウォレル;2007年8月4日 の飛び音をモノにしていた)、ベース(左利き、曖昧にして魅力的な低音を出していた)、ドラム、パーカッション(おそらく、ブラジル出身者)の演奏陣に加え、3人のコーラス隊。黒人の男女と、白人の女性。で、彼女の事をMCでジェニー・マルダーと紹介。ならば、ジェフとマリア(2006年8月23日)の娘さんで、80年代後半のトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)“ニアリー・ヒューマン”ツアーのときバック・コーラス(レトロなガールズ・グループ風の出で立ちをしていた)として来日しているよな。でもって、母親違いの妹のクレア・マルダー(2005年5月22日)は来月やってきますね。そして、さらには半分強の曲では男性一人女性二人のダンサー(皆、肌は白い)も出てくる。で、コーラス隊とダンサーたちは(ときのは、バーンも)曲趣にあわせて絡む。それ、コレオグラファーの指導をばっちり受けてのものだったはず。そのアーティスティックで個性的であらんとする様はさすが80年代からショウの見せ方に鬼のように留意してきた、NYアートの真っただ中にいる人物(例、映像作品『ストップ・メイキング・センス』)と痛感させる。とともに、人間がきっちり事を行っているという主眼を出すような行き方はカミーユ(2008年10月3日)を思い出させたりも。お、やっぱりカミーユって凄いナ。
書きやすいから、視覚面の事(ステージ美術や照明はいたってシンプル)をずらずらと書いてしまったが、凄いショウだと唸らされせるのは、音的にもとても充実していて、音と見え方が有機的に噛み合い、意思と意気を持つ大人のロック的行為として結晶を見ていたからだ。今回の7年ぶりの来日はブライアン・イーノとの双頭作『エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ』の評判を受けて実現したものと考えられるが、緩いそこからの曲をときにやりつつもショウの柱となったのは、トーキング・ヘッズの白眉期(と、ぼくは思う)『フィア・オブ・ミュージック』(79年)や『リメイン・イン・ライト』(80年)のころのファンク傾向曲(……まったくもって、素晴らしい財産!)。それが、ルアカ・バップ(かつてバーンが仕切っていた、中南米ポップを送り出すレーベル)の運営内実を加味したような感じで、肉感的かつブライトに送り出される味の良さといったなら。そして、跳ね曲にせよフォーキー曲にせよ(バック・ヴォーカル男性、ダンサー男性、打楽器男性と3人が生ギターを持ったときもあった)、それらは同じ理想を内に持つゆえか落差はない。それから、バーンの歌声もよく出ていて、じいーんとさせられたな。数年前にトーキング・ヘッズのベスト盤を聞いたときにバーンの歌ってこんなに情けなかったのかァと驚愕した記憶があるが、歌の面でも彼はどんどんインプルーヴしている!
実は、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー!(2006年1月24日)登場以降、TVオン・ザレディオにせよフォールズ(2008年7月28日)にせよ、優秀な若手バンドはトーキング・ヘッズの影響を感じさせること多々。だが、この日のパフォーマンスに触れて、バーンは若手がおいつけないところに飄々と、見事に移っている……なーんて、所感を得ることもできたか。
本編1時間20分、アンコールには3回でてきて、そのときも密度濃し、ウィットあり。終始、熱い反応を受けて(やはり、オーディエンスの年齢層は高め)、出演者たちもとてもうれしそう。バーンは信頼できる、ロック賢人なり。天晴あっぱれ。
当人を含め、登場者たちは全て白い衣装で統一。中央でギターを弾きながら歌うバーンに加え、キーボード(派手ではないが、かなりバーニー・ウォレル;2007年8月4日 の飛び音をモノにしていた)、ベース(左利き、曖昧にして魅力的な低音を出していた)、ドラム、パーカッション(おそらく、ブラジル出身者)の演奏陣に加え、3人のコーラス隊。黒人の男女と、白人の女性。で、彼女の事をMCでジェニー・マルダーと紹介。ならば、ジェフとマリア(2006年8月23日)の娘さんで、80年代後半のトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)“ニアリー・ヒューマン”ツアーのときバック・コーラス(レトロなガールズ・グループ風の出で立ちをしていた)として来日しているよな。でもって、母親違いの妹のクレア・マルダー(2005年5月22日)は来月やってきますね。そして、さらには半分強の曲では男性一人女性二人のダンサー(皆、肌は白い)も出てくる。で、コーラス隊とダンサーたちは(ときのは、バーンも)曲趣にあわせて絡む。それ、コレオグラファーの指導をばっちり受けてのものだったはず。そのアーティスティックで個性的であらんとする様はさすが80年代からショウの見せ方に鬼のように留意してきた、NYアートの真っただ中にいる人物(例、映像作品『ストップ・メイキング・センス』)と痛感させる。とともに、人間がきっちり事を行っているという主眼を出すような行き方はカミーユ(2008年10月3日)を思い出させたりも。お、やっぱりカミーユって凄いナ。
書きやすいから、視覚面の事(ステージ美術や照明はいたってシンプル)をずらずらと書いてしまったが、凄いショウだと唸らされせるのは、音的にもとても充実していて、音と見え方が有機的に噛み合い、意思と意気を持つ大人のロック的行為として結晶を見ていたからだ。今回の7年ぶりの来日はブライアン・イーノとの双頭作『エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トゥデイ』の評判を受けて実現したものと考えられるが、緩いそこからの曲をときにやりつつもショウの柱となったのは、トーキング・ヘッズの白眉期(と、ぼくは思う)『フィア・オブ・ミュージック』(79年)や『リメイン・イン・ライト』(80年)のころのファンク傾向曲(……まったくもって、素晴らしい財産!)。それが、ルアカ・バップ(かつてバーンが仕切っていた、中南米ポップを送り出すレーベル)の運営内実を加味したような感じで、肉感的かつブライトに送り出される味の良さといったなら。そして、跳ね曲にせよフォーキー曲にせよ(バック・ヴォーカル男性、ダンサー男性、打楽器男性と3人が生ギターを持ったときもあった)、それらは同じ理想を内に持つゆえか落差はない。それから、バーンの歌声もよく出ていて、じいーんとさせられたな。数年前にトーキング・ヘッズのベスト盤を聞いたときにバーンの歌ってこんなに情けなかったのかァと驚愕した記憶があるが、歌の面でも彼はどんどんインプルーヴしている!
実は、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー!(2006年1月24日)登場以降、TVオン・ザレディオにせよフォールズ(2008年7月28日)にせよ、優秀な若手バンドはトーキング・ヘッズの影響を感じさせること多々。だが、この日のパフォーマンスに触れて、バーンは若手がおいつけないところに飄々と、見事に移っている……なーんて、所感を得ることもできたか。
本編1時間20分、アンコールには3回でてきて、そのときも密度濃し、ウィットあり。終始、熱い反応を受けて(やはり、オーディエンスの年齢層は高め)、出演者たちもとてもうれしそう。バーンは信頼できる、ロック賢人なり。天晴あっぱれ。
レデシー。面影ラッキーホール。キース
2009年1月25日 音楽 有楽町・コットンクラブ、盛況。キーボード2、ギター、ベース、ドラム、女性コーラス2という布陣にて。で、今回は過去以上にR&Bっぽい行き方を取っていて、鉄砲ノドをぶちかました(あれ、こんなにチャカ・カーンぽい歌い方したっけ、と感じた時アリ)。でも、前回(2007年11月12日)はドレスを着ていたのに対して、今回はカジュアルな格好だったのでそれは意図したことだと思う。アクションも白熱。ただし、途中で1曲、セロニアス・モンク作の大器楽スタンダード「ストレイト、ノー・チェイサー」を無伴奏でスキャット風でもってぶちかましも。確か、この曲は初来日のとき(2002年6月12日)も披露していたはず。なんにせよ、実力を痛感させる、かなりイケてたソウル・ショウ。堪能。……コットンクラブの日曜のファースト・ショウは5時からなので、いろいろその後の時間は使える。
続いて、渋谷・クラブクアトロで、日本人大所帯バンドの面影ラッキーホール。ナンセンスな日本語曲がかかるなか、お茶目な見せ方にも気を使うだろう面々は登場。初めて見るが、楽しいっ。洋楽をいろいろ知った先にある、外しの歌謡ポップ・バンドという認識を持っていたが、ぼくが触れることができた曲は旋律もけっこう洋学的な日本語ポップ曲という印象を得る。それが肩すかしでもあり、聞きやすくもあり。でも、そこにあるエンターテインメント精神は素直に笑かすものだし、フェラ・クティやワシントン・ゴー・ゴーも知っているのよというサウンドも魅力的。会場はけっこう混んでいたが、もっと受けてもいいと思えた。米々CLUBが天下をとったことがあるならば。予定時間より始まるのが遅くて、数曲しか聞けず、とても悲しい。
そして、恵比寿・リキッドルーム。マンチェスターの若手4人組のキースの出演。その2作目『ヴァイス&ヴァーチュー』を聞いて気にいってしまって、やっぱしちゃんと聞きたかった。ちゃんとひっかかりのある曲を作れ、それを勢いと適切なサイケ感覚を通して、押し出せる連中。今のマンチェスター・サウンドはなんですかと問われたら、キースをきけばぁと答えるな。ルックスもいいらしいちゃんと歌えるヴォーカルくんはときに鍵盤ひいたり、ギターを弾いたり、打楽器を叩いたりと忙しい。最後のほうで繰り出したシロフォンみたいな音を出した楽器はスティール・ドラムのような面を叩くスイス産のシンセ楽器だそう。やっぱ、褒めるに足るUKのバンドでした。
続いて、渋谷・クラブクアトロで、日本人大所帯バンドの面影ラッキーホール。ナンセンスな日本語曲がかかるなか、お茶目な見せ方にも気を使うだろう面々は登場。初めて見るが、楽しいっ。洋楽をいろいろ知った先にある、外しの歌謡ポップ・バンドという認識を持っていたが、ぼくが触れることができた曲は旋律もけっこう洋学的な日本語ポップ曲という印象を得る。それが肩すかしでもあり、聞きやすくもあり。でも、そこにあるエンターテインメント精神は素直に笑かすものだし、フェラ・クティやワシントン・ゴー・ゴーも知っているのよというサウンドも魅力的。会場はけっこう混んでいたが、もっと受けてもいいと思えた。米々CLUBが天下をとったことがあるならば。予定時間より始まるのが遅くて、数曲しか聞けず、とても悲しい。
そして、恵比寿・リキッドルーム。マンチェスターの若手4人組のキースの出演。その2作目『ヴァイス&ヴァーチュー』を聞いて気にいってしまって、やっぱしちゃんと聞きたかった。ちゃんとひっかかりのある曲を作れ、それを勢いと適切なサイケ感覚を通して、押し出せる連中。今のマンチェスター・サウンドはなんですかと問われたら、キースをきけばぁと答えるな。ルックスもいいらしいちゃんと歌えるヴォーカルくんはときに鍵盤ひいたり、ギターを弾いたり、打楽器を叩いたりと忙しい。最後のほうで繰り出したシロフォンみたいな音を出した楽器はスティール・ドラムのような面を叩くスイス産のシンセ楽器だそう。やっぱ、褒めるに足るUKのバンドでした。
ステージに登場したのは、黒い髪のいかり肩の女性。顔はキリリとしていて、けっこう男性的。あれれれ、金髪だった前回の来日時(2005年1月27日)の風情や顔つきとだいぶ違うゾ。が、歌い出すと、ちょいボニー・レイット(2007年4月5日〜6日)を思い出させるハスキー声や人の良さそうなMCで、やっぱり前見たのはこの人だったよなと納得。エレクトリック・ピアノ(ヤマハを使っていたな。今日日、珍しいかも)を弾きながら歌う彼女に加え、ギター、ベース、ドラム、キーボード奏者がサポート。声はよく出るし、いろんな曲調のものも歌った。公演途中や終盤にはバンドを下げてキーボード弾き語りを披露したりも。……ノラ・ジョーンズ・フォロアーなのりでメジャー・デビューしたときはわりと抑えた歌い方をしていたわけだが、今のほうが自分のやりたいように音楽が出来ているんだろうな、と皮膚感覚で思わせるところもありました。六本木・ビルボード東京。ファースト・ショウ。
その後、某所でラフな新年会。当日午後3時ぐらいに飲み会だアと突然言ったらなんと8人も集まったときも含めれば、今年5度目の新年会。これで、打ち止めとなるはず。
その後、某所でラフな新年会。当日午後3時ぐらいに飲み会だアと突然言ったらなんと8人も集まったときも含めれば、今年5度目の新年会。これで、打ち止めとなるはず。