セッション・ベーシストとして活躍したフィル・チェンがお亡くなりになった。癌が死因のよう。1946年10月21日〜2021年12月14日。
ファンキー目のロック録音に起用されることが多かったというか、弾力のあるベースを聞かせる人というイメージをぼくは持つ。チェンという苗字にあるように中国系で、ジャマイカのキングストン生まれ。同地にあるセイント・ジョーンズ・カレッジに通い、その後英国に渡った。1970年代初頭からロンドンで頭角を現し、リンダ・ルイス、ドノヴァン、ジョン・アーマトレイディング、クレア・ハミル、ジム・キャパルディ、ロッド・スチュワート(2009年3月11日)、ブライアン・フェリー(2010年7月31日)、ピート・タウンゼント(2008年11月17日)、デイヴ・エドモンズ他のレコーディングに関与。ザ・ドアーズのジム・クリューガーのバッツ・バンド、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)やジョン・フォガティ(2010年7月31日)作にも入っているので、けっこう“アトランティック・クロッシング”するスタンスを取ったときもあったのかもしれない。
2014年にジャマイカ政府から勲章を授与された。そんな彼の1枚というと、ジェフ・ベック(2009年2月6日、2015年9月27日)の『ブロウ・バイ・ブロウ』(エピック、1975年)をあげたいな。
▶︎過去の、ロッド・スチュアート
http://43142.diarynote.jp/200903130124118315/
▶過去の、ロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリー
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶︎過去の、ザ・フー/ピート・タウンゼント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200326 タウンゼントが出てくる映画
▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶︎過去の、ジョン・フォガティ
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶︎過去の、ジェフ・ベック
http://43142.diarynote.jp/200902080200527638/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
ザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)の創設メンバーであるベーシストのハブ(レオナルド・ハバード)は、血液の癌である多発性骨髄腫により亡くなった。2007年に、発病しザ・ルーツを脱退。放射線治療を受けていたというが、14日に突然具合が悪くなったようだ。彼は2007年8月のライヴにまで参加していたというので、2007年1月の来日公演も彼が弾いていたはずだ。
1970年代生まれのドラムのクエストラブ、ブラックソウト、ラッパーのマリク・B(1972年11月14日〜2020年7月29日)らと比べると、10歳強年長だった。彼はフィラデルフィア芸術高校を出た後に、名門セトルメント・ミュージック・スクールに進んだ。同校は、スタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)、ウォレス・ルーニー(2004年11月3日、2013年3月8日、2016年9月3日 )、クリスチャン・マクブライド(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日、2016年6月26日、20016年9月3日、2016年9月7日、2018年6月14日)、そしてクェストラヴらが出ている。ザ・ルーツの初作『Do You Want More?!!!??!』(DCG、1995年)では1曲目からハブはダブル・ベースを弾き、ヴァイオリンを手にする曲もあった。
UKアルト・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンの英国録音作『ジャーニー・トゥ・トゥルース』(日本フォノグラム、1993年)になぜか1曲参加していたりもするが、基本ザ・ルーツだけでベースを弾いた人。向こうの訃報記事を見ると、ハブは2016年に印税支払いの問題でザ・ルーツ側を訴えた。まだ、その件は解決を見ていないようだ。
▶︎過去の、ザ・ツーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
▶過去の、スタンリー・クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
▶︎過去の、ウォレス・ルーニー
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/ ジュリ・アレンも同行。
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
https://43142.diarynote.jp/202004011417279041/ 訃報
▶過去の、クリスチャン・マクブライド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200609190457510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071218
http://43142.diarynote.jp/200909120642135954/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
https://43142.diarynote.jp/201806151747389966/
ドイツ人ジャズ・ピアニストのウォルター・ラングの訃報も届いている。1961年5月13日〜2021年12月16日。音楽好きの家庭に育ち、キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)に憧れジャズ・ピアニストを志望し、ボストンのバークリー音大に進んだ。同大は経済的な理由により中退したが、アムステルダム芸術大学を卒業している。そんな彼の名前が出たのは、アメリカ人ドラマーながら1987年以降は欧州で活動するようになったリック・ホランダーのカルテットに参加し、アルバム群に名前を連ねたことによる。1991年以降、ホランダーはミュンヘンに居住したため、同地に拠点を置くラングはずっと重なりを持った。
アクト、エンヤ・イエローバード、澤野工房、ヒップ・オーほかいろいろなレーベルから自己作をリリース。振り幅の大きい人で、深遠な考える指さばきをアピールするものから優しい調べをさらりと弾くものまで、いろいろ。日本のM&Iからもアルバムを出したことがあるように、秀でたオリジナルを書く一方、ザ・ビートルズ曲集やECM大御所曲カヴァー集といった企画ものにも飄々と臨んでもいた。来日は多数、彼は渋さ知らズ(2004年9月1日、2005年12月22日、2006年1月14日、2006年1月21日、2006年8月27日、2006年11月15日、2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月3日、2007年6月13日、2008年7月6日、2009年7月26日、2009年9月27日、2010年4月22日、2010年9月19日、2013年5月19日、2015年6月15日、2015年11月23日)で歌っていた室館綾をフィーチャーしたアルバムを独Pirouetからリリースしたこともあった。同レーベルからはリー・コニッツ(2013年9月7日、2017年9月3日)とのデュオ・アルバム『Ashiya」(2008年)を出したこともあった。また、クラブ・ミュジック的なビート感/質感を介するピアノ・トリオのトリオELFや、カメルーン出身のシンガー/パーカッショニストのンジャミー・シトソンとドイツ人マリンバ奏者のウォルフガング・ラッカーシュミットとの牧歌的ユニットであるダクタリンバでもう一つの顔見せたりもした。
ぼくは福盛進也(2018年1月7日、2018年4月7日、2019年1月5日、2019年6月14日、2019年12月18日、2021年11月25日、2021年11月26日、11月27日)トリオの一員として2018年に来日した際に初めてラングの存在感ある指さばきに触れた。現在のところの新作は、26歳の新進ギタリストであるフォリップ・シーペックとの繊細にして柔和な対話作『Cathedral』(Act,2021年)。癌で闘病していたという。
▶︎過去の、ウォルター・ラング
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、不破大輔/渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/200407290730290000/
http://43142.diarynote.jp/200409010713470000/
http://43142.diarynote.jp/200512231958440000/
http://43142.diarynote.jp/200601161256540000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200609031311580000/
http://43142.diarynote.jp/200611190320370000/
http://43142.diarynote.jp/200612060135390000/
http://43142.diarynote.jp/200706061351450000/
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
http://43142.diarynote.jp/200706162321180000/
http://43142.diarynote.jp/200807081247190000/
http://43142.diarynote.jp/200908180046187200/
http://43142.diarynote.jp/200910071809361076/
http://43142.diarynote.jp/201004231559516550/
http://43142.diarynote.jp/201009231554333481/
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
http://43142.diarynote.jp/201511250531202253/
http://43142.diarynote.jp/201605170939589783/
http://43142.diarynote.jp/201711241828493970/
https://43142.diarynote.jp/201804290935481570/
▶︎過去の、リー・コニッツ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/202004161121456104/ 訃報
▶︎過去の、福盛 進也
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202111261008298329/
https://43142.diarynote.jp/202111270737509911/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
そして、モータウンの女性ヴォーカル・グループのザ・マーヴェレッツのワンダ・ヤングもお亡くなりになった。1943年8月9日〜2021年12月16日。ザ・マーヴェレッツの説明においていの一番に話のマクラとなるのは、ザ・ビートルズがカヴァーした「プリーズ・ミズター・ポストマン」の一番有名な1961年ヴァージョン(全米総合/R&Bチャート、ともに1位。英国はチャート外)を発表したグループということか。どこかレトロで、どこかしましい4人組だった。享年、78。
ミシガン州生まれ。高校時代は看護婦を目指していたが、メンバーのなか一番最後にグループに加入し、モータウンと契約。彼女たちはスモーキー・ロビンソン(2019年9月20日)に可愛がられたが、1963年にワンダ・ヤングはザ・ミラクルズのポビー・ロジャース(1940年2月19日– 2013年3月3日)と結婚。彼女はロジャースと姓を改めた。複数の子供を得たが、1975年に離婚している。
1965年以降はメンバーも変わり、彼女はメインのシンガーの位置に立つ。1970年にザ・マーヴェレッツは終止符を打ったが、スモーキー・ロビンソン主導でワンダ・ロジャースはレコーディングし、それはザ・マーヴェレッツ名義でリリースされた。そして、モータウンのLA移転に伴い、彼女は引退し故郷に戻った。ザ・マーヴェレッツは1989年に一時リユニオンしたことがあったという。
▶︎過去の、スモーキー・ロビンソン
https://43142.diarynote.jp/201909260735539261/
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/ 出演した映画
<今日の、追記>
ハブの項で触れた『ジャーニー・トゥ・トゥルース』はヴァーヴを介して米国や欧州でもリリースされたが、それは日本フォノグラムA&Rの故柳田一彦さんが企画し、録音したものだった。あ、アナ・カラン(https://43142.diarynote.jp/201906181051514607/)の項でも、彼女の盤を作ったと書いていますね。1970年バブル期まではとにかく日本出資の外国人レコーディング作がいろいろあり、海外でもリリースされた。
▶︎過去の、柳田さんの死に触れた文
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 2日
また、他にも訃報が報じられていて、冒頭の表題欄に文字が入りきらないので、簡単にここに記す。
まず、米国業界実力者だったケン・クレイゲン(1936年11月24日〜2021年12月14日)。ハーヴァード・ロウ・スクールを出ているので弁護士資格を持つかもしれない彼はケニー・ロジャースやトリシャ・ヤーウッドらカントリー・ミュージックの担い手のマネイジメントで名前をあげ、ライオネル・リッチー他も扱うようになり、どんどん音楽業界で確固たる位置を築いた。そんな彼の力が大爆発したのが、スター総出演のチャリティのためのUSAフォー・アフリカ〜「ウィ・アー・ザ・ワールド」だった。これは、ハリー・ベラフォンテがクレイゲンに声がけしてスタートしたと言われる。そして、その1年後には「ハンズ・アクロス・アメリカ」という大チャリティ・イヴェントも行い、それについてはhttps://43142.diarynote.jp/201906191011319598/ で触れている。
西海岸ベイエリア地区生まれで草食系白人の見かけを持つクレイゲンは、後に南カリフォルニアを拠点に悠々社会的な活動を続けたよう。亡くなったのはLAの自宅で自然死と伝えられる。
それから、たくさんの著作を持ち、いろいろな大学で教鞭を取ってもいた、社会活動家であるベル・フルック(1952年9月25日〜2021年12月15日)の訃報も届いている。ケンタッキー州生まれ、腎不全のためやはりケンタッキー州の自宅で亡くなった。人種、階級、歴史、アート、セクシュアリティなどをリベラルにとらえ、生理的に雄弁に啓発し続けた人物であった(よう)。女性の方が悲報に接し、ショックを受けている人が多いか。
ファンキー目のロック録音に起用されることが多かったというか、弾力のあるベースを聞かせる人というイメージをぼくは持つ。チェンという苗字にあるように中国系で、ジャマイカのキングストン生まれ。同地にあるセイント・ジョーンズ・カレッジに通い、その後英国に渡った。1970年代初頭からロンドンで頭角を現し、リンダ・ルイス、ドノヴァン、ジョン・アーマトレイディング、クレア・ハミル、ジム・キャパルディ、ロッド・スチュワート(2009年3月11日)、ブライアン・フェリー(2010年7月31日)、ピート・タウンゼント(2008年11月17日)、デイヴ・エドモンズ他のレコーディングに関与。ザ・ドアーズのジム・クリューガーのバッツ・バンド、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)やジョン・フォガティ(2010年7月31日)作にも入っているので、けっこう“アトランティック・クロッシング”するスタンスを取ったときもあったのかもしれない。
2014年にジャマイカ政府から勲章を授与された。そんな彼の1枚というと、ジェフ・ベック(2009年2月6日、2015年9月27日)の『ブロウ・バイ・ブロウ』(エピック、1975年)をあげたいな。
▶︎過去の、ロッド・スチュアート
http://43142.diarynote.jp/200903130124118315/
▶過去の、ロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリー
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶︎過去の、ザ・フー/ピート・タウンゼント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200326 タウンゼントが出てくる映画
▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶︎過去の、ジョン・フォガティ
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶︎過去の、ジェフ・ベック
http://43142.diarynote.jp/200902080200527638/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
ザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)の創設メンバーであるベーシストのハブ(レオナルド・ハバード)は、血液の癌である多発性骨髄腫により亡くなった。2007年に、発病しザ・ルーツを脱退。放射線治療を受けていたというが、14日に突然具合が悪くなったようだ。彼は2007年8月のライヴにまで参加していたというので、2007年1月の来日公演も彼が弾いていたはずだ。
1970年代生まれのドラムのクエストラブ、ブラックソウト、ラッパーのマリク・B(1972年11月14日〜2020年7月29日)らと比べると、10歳強年長だった。彼はフィラデルフィア芸術高校を出た後に、名門セトルメント・ミュージック・スクールに進んだ。同校は、スタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)、ウォレス・ルーニー(2004年11月3日、2013年3月8日、2016年9月3日 )、クリスチャン・マクブライド(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日、2016年6月26日、20016年9月3日、2016年9月7日、2018年6月14日)、そしてクェストラヴらが出ている。ザ・ルーツの初作『Do You Want More?!!!??!』(DCG、1995年)では1曲目からハブはダブル・ベースを弾き、ヴァイオリンを手にする曲もあった。
UKアルト・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンの英国録音作『ジャーニー・トゥ・トゥルース』(日本フォノグラム、1993年)になぜか1曲参加していたりもするが、基本ザ・ルーツだけでベースを弾いた人。向こうの訃報記事を見ると、ハブは2016年に印税支払いの問題でザ・ルーツ側を訴えた。まだ、その件は解決を見ていないようだ。
▶︎過去の、ザ・ツーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
▶過去の、スタンリー・クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
▶︎過去の、ウォレス・ルーニー
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/ ジュリ・アレンも同行。
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
https://43142.diarynote.jp/202004011417279041/ 訃報
▶過去の、クリスチャン・マクブライド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200609190457510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071218
http://43142.diarynote.jp/200909120642135954/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
https://43142.diarynote.jp/201806151747389966/
ドイツ人ジャズ・ピアニストのウォルター・ラングの訃報も届いている。1961年5月13日〜2021年12月16日。音楽好きの家庭に育ち、キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)に憧れジャズ・ピアニストを志望し、ボストンのバークリー音大に進んだ。同大は経済的な理由により中退したが、アムステルダム芸術大学を卒業している。そんな彼の名前が出たのは、アメリカ人ドラマーながら1987年以降は欧州で活動するようになったリック・ホランダーのカルテットに参加し、アルバム群に名前を連ねたことによる。1991年以降、ホランダーはミュンヘンに居住したため、同地に拠点を置くラングはずっと重なりを持った。
アクト、エンヤ・イエローバード、澤野工房、ヒップ・オーほかいろいろなレーベルから自己作をリリース。振り幅の大きい人で、深遠な考える指さばきをアピールするものから優しい調べをさらりと弾くものまで、いろいろ。日本のM&Iからもアルバムを出したことがあるように、秀でたオリジナルを書く一方、ザ・ビートルズ曲集やECM大御所曲カヴァー集といった企画ものにも飄々と臨んでもいた。来日は多数、彼は渋さ知らズ(2004年9月1日、2005年12月22日、2006年1月14日、2006年1月21日、2006年8月27日、2006年11月15日、2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月3日、2007年6月13日、2008年7月6日、2009年7月26日、2009年9月27日、2010年4月22日、2010年9月19日、2013年5月19日、2015年6月15日、2015年11月23日)で歌っていた室館綾をフィーチャーしたアルバムを独Pirouetからリリースしたこともあった。同レーベルからはリー・コニッツ(2013年9月7日、2017年9月3日)とのデュオ・アルバム『Ashiya」(2008年)を出したこともあった。また、クラブ・ミュジック的なビート感/質感を介するピアノ・トリオのトリオELFや、カメルーン出身のシンガー/パーカッショニストのンジャミー・シトソンとドイツ人マリンバ奏者のウォルフガング・ラッカーシュミットとの牧歌的ユニットであるダクタリンバでもう一つの顔見せたりもした。
ぼくは福盛進也(2018年1月7日、2018年4月7日、2019年1月5日、2019年6月14日、2019年12月18日、2021年11月25日、2021年11月26日、11月27日)トリオの一員として2018年に来日した際に初めてラングの存在感ある指さばきに触れた。現在のところの新作は、26歳の新進ギタリストであるフォリップ・シーペックとの繊細にして柔和な対話作『Cathedral』(Act,2021年)。癌で闘病していたという。
▶︎過去の、ウォルター・ラング
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、不破大輔/渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/200407290730290000/
http://43142.diarynote.jp/200409010713470000/
http://43142.diarynote.jp/200512231958440000/
http://43142.diarynote.jp/200601161256540000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200609031311580000/
http://43142.diarynote.jp/200611190320370000/
http://43142.diarynote.jp/200612060135390000/
http://43142.diarynote.jp/200706061351450000/
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
http://43142.diarynote.jp/200706162321180000/
http://43142.diarynote.jp/200807081247190000/
http://43142.diarynote.jp/200908180046187200/
http://43142.diarynote.jp/200910071809361076/
http://43142.diarynote.jp/201004231559516550/
http://43142.diarynote.jp/201009231554333481/
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
http://43142.diarynote.jp/201511250531202253/
http://43142.diarynote.jp/201605170939589783/
http://43142.diarynote.jp/201711241828493970/
https://43142.diarynote.jp/201804290935481570/
▶︎過去の、リー・コニッツ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/202004161121456104/ 訃報
▶︎過去の、福盛 進也
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202111261008298329/
https://43142.diarynote.jp/202111270737509911/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
そして、モータウンの女性ヴォーカル・グループのザ・マーヴェレッツのワンダ・ヤングもお亡くなりになった。1943年8月9日〜2021年12月16日。ザ・マーヴェレッツの説明においていの一番に話のマクラとなるのは、ザ・ビートルズがカヴァーした「プリーズ・ミズター・ポストマン」の一番有名な1961年ヴァージョン(全米総合/R&Bチャート、ともに1位。英国はチャート外)を発表したグループということか。どこかレトロで、どこかしましい4人組だった。享年、78。
ミシガン州生まれ。高校時代は看護婦を目指していたが、メンバーのなか一番最後にグループに加入し、モータウンと契約。彼女たちはスモーキー・ロビンソン(2019年9月20日)に可愛がられたが、1963年にワンダ・ヤングはザ・ミラクルズのポビー・ロジャース(1940年2月19日– 2013年3月3日)と結婚。彼女はロジャースと姓を改めた。複数の子供を得たが、1975年に離婚している。
1965年以降はメンバーも変わり、彼女はメインのシンガーの位置に立つ。1970年にザ・マーヴェレッツは終止符を打ったが、スモーキー・ロビンソン主導でワンダ・ロジャースはレコーディングし、それはザ・マーヴェレッツ名義でリリースされた。そして、モータウンのLA移転に伴い、彼女は引退し故郷に戻った。ザ・マーヴェレッツは1989年に一時リユニオンしたことがあったという。
▶︎過去の、スモーキー・ロビンソン
https://43142.diarynote.jp/201909260735539261/
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/ 出演した映画
<今日の、追記>
ハブの項で触れた『ジャーニー・トゥ・トゥルース』はヴァーヴを介して米国や欧州でもリリースされたが、それは日本フォノグラムA&Rの故柳田一彦さんが企画し、録音したものだった。あ、アナ・カラン(https://43142.diarynote.jp/201906181051514607/)の項でも、彼女の盤を作ったと書いていますね。1970年バブル期まではとにかく日本出資の外国人レコーディング作がいろいろあり、海外でもリリースされた。
▶︎過去の、柳田さんの死に触れた文
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 2日
また、他にも訃報が報じられていて、冒頭の表題欄に文字が入りきらないので、簡単にここに記す。
まず、米国業界実力者だったケン・クレイゲン(1936年11月24日〜2021年12月14日)。ハーヴァード・ロウ・スクールを出ているので弁護士資格を持つかもしれない彼はケニー・ロジャースやトリシャ・ヤーウッドらカントリー・ミュージックの担い手のマネイジメントで名前をあげ、ライオネル・リッチー他も扱うようになり、どんどん音楽業界で確固たる位置を築いた。そんな彼の力が大爆発したのが、スター総出演のチャリティのためのUSAフォー・アフリカ〜「ウィ・アー・ザ・ワールド」だった。これは、ハリー・ベラフォンテがクレイゲンに声がけしてスタートしたと言われる。そして、その1年後には「ハンズ・アクロス・アメリカ」という大チャリティ・イヴェントも行い、それについてはhttps://43142.diarynote.jp/201906191011319598/ で触れている。
西海岸ベイエリア地区生まれで草食系白人の見かけを持つクレイゲンは、後に南カリフォルニアを拠点に悠々社会的な活動を続けたよう。亡くなったのはLAの自宅で自然死と伝えられる。
それから、たくさんの著作を持ち、いろいろな大学で教鞭を取ってもいた、社会活動家であるベル・フルック(1952年9月25日〜2021年12月15日)の訃報も届いている。ケンタッキー州生まれ、腎不全のためやはりケンタッキー州の自宅で亡くなった。人種、階級、歴史、アート、セクシュアリティなどをリベラルにとらえ、生理的に雄弁に啓発し続けた人物であった(よう)。女性の方が悲報に接し、ショックを受けている人が多いか。
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