ボビー・マクフェリン
2015年3月23日 音楽 南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。カサンドラ・ウィルソン(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日、2013年5月31日、2015年3月19日)、ボビー・マクフェリン(2004年2月3日、2012年3月2日)という出演者の並び、こりゃ黄金だな。
肉声の使い方も、向かい合う音楽ジャンルも、立脚するスタンスも、解き放たれまくっているヴォイス・パフォーマーのショウは、昨年出たブラック・スピリチュアル・ビヨンドを求めたアメリカーナな傑作アルバム『スピリチュオール』をフォロウするものであり、奏者もそれに準ずる陣容を持つものであった。が、けっこう自在に流れていく感じもあって(披露した曲も、収録曲に過剰にとらわれず)、もっと大きなマクフェリン像を見せていたと指摘できるか。あと、スピリチュアルというよりは、地に足付けたロック感覚が強かったと、ぼくは感じたかな。
もう、冒頭のボビーの胸を叩きながら(今回、終始そうしていた。こんなに、胸たたき効果を求める人であったっけ?)の自在のソロ・パフォーマンスだけで、人間味に満ちた自由の音楽家であると、痛感させられる。もうちょっとした1、2分でそう唸らせるのだから、これはすごい。素敵すぎる。実のところ、喉力の味という部分においては、カサンドラ・ウィルソンを聞いた後だと、意外に突き抜けていないと思わせもするが、その総体の存在感や佇まいの部分にあっては比肩するものがないとすんなり思わせられちゃう。
格好は例によって、シンプル極まりなく、Tシャツとジーンズ。普通だったら、ぼくはもう少し格好に気を遣ってほしいと思うわけだが、彼はクラシックの指揮者をやるときもニコニコとこの格好でしてしまうわけで、ユーモアも持つパンクな姿勢もそこからは表れるか。なんか、そうしたことも含めて、他人と異なる物差しを持つしなしやか逸材がいる!と思わされることしきり。彼は途中で、ピアノを弾きながら歌った曲もあった。
同行サポート奏者のなかアルバムに関与していたのはそこでアレンジも担当していた、ピアノやキーボードやアコーディオンを担当するギル・ゴールドスタイン(2004年2月13日)のみ。だが、他のプレイヤーもちゃんと吟味した末の起用であるのだナと思わす音を出す。
リゾネーター・ギターやフィドルやマンドリンなど土の感触を持つ楽器を自在に操るデイヴィッド・マンスフィールドはライ・クーダー、スティング、ベック作などにも参加しているポップ・レコーディング界での売れっ子奏者だし、テレキャスターを手にする必然性を感じさせる演奏をしたギタリストのアーマンド・ハーシュはコロムビア大学卒の20代半ばの新進ジャズ・ギタリスト。彼はジュリアン・レイジ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日)とも仲良しのようだが、今回の彼の引っかかりのあるアーシーなパーフォーマンスは出色。ソロ作が出たら、買いマス。
ダブル・ベースを弾くジェフ・カーニーはバーブラ・ステライサンドのバンドにずっと入っている人で、ドラムは売れっ子ルイス・ケイトー(2010年9月3日、2011年11月22日、2013年9月3日、2013年10月21日、2015年2月21日)。マーカス・ミラーで先月来日したばかりのケイトー(5月には、ジョン・スコフォールドのバンドでまた来日する)はブラインド・フェイスの有名曲カヴァー「キャント・フィンド・マイ・ウェイ・ホーム」(作曲は、スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜)ではアコースティック・ギターを足でアクセント音を出しながら弾く。なるほど、マーカス・ミラーが言うように、いろんな楽器が出来る人なんだな。
そして、サイド・ヴォーカルで、マディソン・マクフェリン。『スピリチュオール』ではエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)がゲスト入りしていたが、マディソンはスポルディング役を担ったと言えるか。兄のテイラー・マクファーリン(2012年3月2日、2012年2月18日、2014年9月26日)に取材したとき、マディソンのことをすごい才能があると手放しでほめていたが、先の「キャント・フィンド・マイ・ウェイ・ホーム」やブルージーなスタンダード曲「ストーミー・ウェザー」ではフィーチャーされたりもした。彼女、レトロな髪型や格好をしていた。
全ツアー最終日であるためか、途中でツアマネ女性が出て来て、メンバーに暖かく見守られ歌う局面もあり。マクフェリンはこの後単発的にソロ・パフォーマスンスとかを米国で持ったあと、6月からはかつて共演アルバムを作ったこともあったピアニストのチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日)と欧州ツアーに出る。
▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/201006181521416566/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201306060609052151/
http://43142.diarynote.jp/201503211741478728/
▶過去の、ボビー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/200402051853580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
▶過去のギル・ゴールトスタイン
http://43142.diarynote.jp/200402171832080000/
▶過去の、ジュルアン・レイジ
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
▶過去の、ルイス・ケイトー
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201111251251201578/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、テイラー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、チック・コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
<今日の、迷い>
単語のスペルにvが入る場合は、基本的にはウ濁点を、ぼくは用いる。でも、日本語としてウ濁点を使わない表記がとっても浸透している場合はどうしようかと、悩む場合もある。だって、テレビをテレヴィ(ジョン)と書いたら、なんかバカじゃん。テレヴィの場合、ぼくはTVと表記して逃げている。
ときに、スペイン語の場合はどうしよう。スペイン語は発音のさいvであっても下唇を噛まないので、ウ濁点ではなくフ濁点を使うべきと識者から指摘を受けたことがあって、基本スペイン語圏のアーティストや曲名や地名については現在バビブベボを使っているような気もするが、けっこういい加減かな。また、スペイン語圏南米出身でも米国在住者の場合は、どーする? 事実、英語読みに鷹揚に従っている人もいるしなー。
なんかいろいろやっかいなので、非日本語の固有名詞は原語表記にしちゃったほうがすっきりするという人もいるのは、理解はできる。確かに、読んだ人がそれをコピー/ペーストしてすぐに検索できるなど、利便性は高いだろうし。この前、ピーター・バラカンさんと話した際、彼も間違ったカタカナ表記をするならそのほうがいいと確か言っていたと記憶する。だけど、こなれた日本語の文章、見やすい文章を書きたいと思うと、英文字など外国語をいろいろ入れるのはなんかとっても抵抗があるんだよなー。英文字が入っている日本語歌詞が基本嫌いなのは、そういう考え方をしているからかもしれない?
それから、外国語を日本語に記す場合の悩みどころは。どこまで原語の発音に忠実になるべきかということ。先のピーターさんは、人名のカタナカナ表記は、発音に近いものであるべきと、する。だから、ジョン・リー・フカ(ジョン・リー・フッカー)とかマイクル・ムア(マイケル・ムーア)とか、これまでの日本語アーティスト表記になれていると違和感を覚えるカタカナ表記をなさっている。ボビー・マクフェリンもこれまでマクファーリンと表記されてきたが、彼によれば、絶対にマクフェリンにすべきと言う。その主旨に過剰さを感じるところもなくはないが、その考え方はよく分る。だって、日本人の名前が外で変な読み方で表記され、まかり通っていたら、そりゃ反発を持つはずであり、また正したくもなるだろうから。しかしながら、英語の場合はまだマシと言うとなんだが、例えばフランス語や北欧系の言語だったら、カタカナ表記以前に読みや発音の段階で???となり、ぼくはお手上げになってしまう……。
それから、もう一つ悩むのは、“・”=中黒(ナカグロ)の扱い。これ、元の表記に従っていたら、ニューヨークではなくニュー・ヨークであり、ブルーノートではなくブルー・ノートとなる。でも、すでに日本語(の視覚)として登録されちゃっているそれらをスペルに従いナカグロを入れていたら、テレヴィではないけど、やはり違和感はあるよなー。ぼくはヒップホップと表記するが、それもスペルに倣うなら、ヒップ・ホップとなる。
さらには、次にアイウエオで始まる単語が続くときのtheの日本語表記も、ぼくの中では揺れている。平たく言えば、ジにするか、ザにするか。発音に近くしようとするならジで、スペルに従うなら、ザ。ときに、英語のbetterはベラーに近い発音だが、皆ベターと表記するだろう。また、たとえばtune upは大半の人がチューナップではなく、ちゃんとチューン・アップと表記するだろう。それに倣えば、いつでもジではなくザと表記したほうが適切ではないかとも判断したくなる。
文章を書くことを生業として、まる28年と半年。でも、迷いは、つきません。なんて書いていると、すごい吟味しながら文章書いているみたいになっちゃうが、思い立ったが吉日的に、ぼくは往々にしてちゃっちゃっと書いちゃっている。だって、時間をかけてこねくりまわすと、どんどん音楽からは遠ざかってしまうと思うから。ぼく、興味を引く文章、なるほどと頷ける文章、クスっとなれる文章を書きたいけど、“文学”しようとまったく思わないし。まあ、芸術という言葉が基本好きじゃないなように、ぼくは文学という言葉も嫌い。そんなこと喃喃と口にする奴にロクな文章書く奴いないと思っています。でも、表記に関して、ちゃんとブレない自分なりの“掟”は逃げずに、きっちり持たなきゃいけないな。プロ、として。
追記。ぼくが、英文字などを日本語にまぜる場合が一つあった。それは、日本盤発売されていないアルバムを表記する場合。それで外盤であると区別するやりかたは、ずっと昔から日本の音楽の文章作法にあるよな……。
肉声の使い方も、向かい合う音楽ジャンルも、立脚するスタンスも、解き放たれまくっているヴォイス・パフォーマーのショウは、昨年出たブラック・スピリチュアル・ビヨンドを求めたアメリカーナな傑作アルバム『スピリチュオール』をフォロウするものであり、奏者もそれに準ずる陣容を持つものであった。が、けっこう自在に流れていく感じもあって(披露した曲も、収録曲に過剰にとらわれず)、もっと大きなマクフェリン像を見せていたと指摘できるか。あと、スピリチュアルというよりは、地に足付けたロック感覚が強かったと、ぼくは感じたかな。
もう、冒頭のボビーの胸を叩きながら(今回、終始そうしていた。こんなに、胸たたき効果を求める人であったっけ?)の自在のソロ・パフォーマンスだけで、人間味に満ちた自由の音楽家であると、痛感させられる。もうちょっとした1、2分でそう唸らせるのだから、これはすごい。素敵すぎる。実のところ、喉力の味という部分においては、カサンドラ・ウィルソンを聞いた後だと、意外に突き抜けていないと思わせもするが、その総体の存在感や佇まいの部分にあっては比肩するものがないとすんなり思わせられちゃう。
格好は例によって、シンプル極まりなく、Tシャツとジーンズ。普通だったら、ぼくはもう少し格好に気を遣ってほしいと思うわけだが、彼はクラシックの指揮者をやるときもニコニコとこの格好でしてしまうわけで、ユーモアも持つパンクな姿勢もそこからは表れるか。なんか、そうしたことも含めて、他人と異なる物差しを持つしなしやか逸材がいる!と思わされることしきり。彼は途中で、ピアノを弾きながら歌った曲もあった。
同行サポート奏者のなかアルバムに関与していたのはそこでアレンジも担当していた、ピアノやキーボードやアコーディオンを担当するギル・ゴールドスタイン(2004年2月13日)のみ。だが、他のプレイヤーもちゃんと吟味した末の起用であるのだナと思わす音を出す。
リゾネーター・ギターやフィドルやマンドリンなど土の感触を持つ楽器を自在に操るデイヴィッド・マンスフィールドはライ・クーダー、スティング、ベック作などにも参加しているポップ・レコーディング界での売れっ子奏者だし、テレキャスターを手にする必然性を感じさせる演奏をしたギタリストのアーマンド・ハーシュはコロムビア大学卒の20代半ばの新進ジャズ・ギタリスト。彼はジュリアン・レイジ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日)とも仲良しのようだが、今回の彼の引っかかりのあるアーシーなパーフォーマンスは出色。ソロ作が出たら、買いマス。
ダブル・ベースを弾くジェフ・カーニーはバーブラ・ステライサンドのバンドにずっと入っている人で、ドラムは売れっ子ルイス・ケイトー(2010年9月3日、2011年11月22日、2013年9月3日、2013年10月21日、2015年2月21日)。マーカス・ミラーで先月来日したばかりのケイトー(5月には、ジョン・スコフォールドのバンドでまた来日する)はブラインド・フェイスの有名曲カヴァー「キャント・フィンド・マイ・ウェイ・ホーム」(作曲は、スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜)ではアコースティック・ギターを足でアクセント音を出しながら弾く。なるほど、マーカス・ミラーが言うように、いろんな楽器が出来る人なんだな。
そして、サイド・ヴォーカルで、マディソン・マクフェリン。『スピリチュオール』ではエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)がゲスト入りしていたが、マディソンはスポルディング役を担ったと言えるか。兄のテイラー・マクファーリン(2012年3月2日、2012年2月18日、2014年9月26日)に取材したとき、マディソンのことをすごい才能があると手放しでほめていたが、先の「キャント・フィンド・マイ・ウェイ・ホーム」やブルージーなスタンダード曲「ストーミー・ウェザー」ではフィーチャーされたりもした。彼女、レトロな髪型や格好をしていた。
全ツアー最終日であるためか、途中でツアマネ女性が出て来て、メンバーに暖かく見守られ歌う局面もあり。マクフェリンはこの後単発的にソロ・パフォーマスンスとかを米国で持ったあと、6月からはかつて共演アルバムを作ったこともあったピアニストのチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日)と欧州ツアーに出る。
▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
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▶過去の、ボビー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/200402051853580000/
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▶過去のギル・ゴールトスタイン
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▶過去の、ジュルアン・レイジ
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▶過去の、ルイス・ケイトー
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▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、テイラー・マクフェリン
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http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
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▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
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http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、チック・コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
<今日の、迷い>
単語のスペルにvが入る場合は、基本的にはウ濁点を、ぼくは用いる。でも、日本語としてウ濁点を使わない表記がとっても浸透している場合はどうしようかと、悩む場合もある。だって、テレビをテレヴィ(ジョン)と書いたら、なんかバカじゃん。テレヴィの場合、ぼくはTVと表記して逃げている。
ときに、スペイン語の場合はどうしよう。スペイン語は発音のさいvであっても下唇を噛まないので、ウ濁点ではなくフ濁点を使うべきと識者から指摘を受けたことがあって、基本スペイン語圏のアーティストや曲名や地名については現在バビブベボを使っているような気もするが、けっこういい加減かな。また、スペイン語圏南米出身でも米国在住者の場合は、どーする? 事実、英語読みに鷹揚に従っている人もいるしなー。
なんかいろいろやっかいなので、非日本語の固有名詞は原語表記にしちゃったほうがすっきりするという人もいるのは、理解はできる。確かに、読んだ人がそれをコピー/ペーストしてすぐに検索できるなど、利便性は高いだろうし。この前、ピーター・バラカンさんと話した際、彼も間違ったカタカナ表記をするならそのほうがいいと確か言っていたと記憶する。だけど、こなれた日本語の文章、見やすい文章を書きたいと思うと、英文字など外国語をいろいろ入れるのはなんかとっても抵抗があるんだよなー。英文字が入っている日本語歌詞が基本嫌いなのは、そういう考え方をしているからかもしれない?
それから、外国語を日本語に記す場合の悩みどころは。どこまで原語の発音に忠実になるべきかということ。先のピーターさんは、人名のカタナカナ表記は、発音に近いものであるべきと、する。だから、ジョン・リー・フカ(ジョン・リー・フッカー)とかマイクル・ムア(マイケル・ムーア)とか、これまでの日本語アーティスト表記になれていると違和感を覚えるカタカナ表記をなさっている。ボビー・マクフェリンもこれまでマクファーリンと表記されてきたが、彼によれば、絶対にマクフェリンにすべきと言う。その主旨に過剰さを感じるところもなくはないが、その考え方はよく分る。だって、日本人の名前が外で変な読み方で表記され、まかり通っていたら、そりゃ反発を持つはずであり、また正したくもなるだろうから。しかしながら、英語の場合はまだマシと言うとなんだが、例えばフランス語や北欧系の言語だったら、カタカナ表記以前に読みや発音の段階で???となり、ぼくはお手上げになってしまう……。
それから、もう一つ悩むのは、“・”=中黒(ナカグロ)の扱い。これ、元の表記に従っていたら、ニューヨークではなくニュー・ヨークであり、ブルーノートではなくブルー・ノートとなる。でも、すでに日本語(の視覚)として登録されちゃっているそれらをスペルに従いナカグロを入れていたら、テレヴィではないけど、やはり違和感はあるよなー。ぼくはヒップホップと表記するが、それもスペルに倣うなら、ヒップ・ホップとなる。
さらには、次にアイウエオで始まる単語が続くときのtheの日本語表記も、ぼくの中では揺れている。平たく言えば、ジにするか、ザにするか。発音に近くしようとするならジで、スペルに従うなら、ザ。ときに、英語のbetterはベラーに近い発音だが、皆ベターと表記するだろう。また、たとえばtune upは大半の人がチューナップではなく、ちゃんとチューン・アップと表記するだろう。それに倣えば、いつでもジではなくザと表記したほうが適切ではないかとも判断したくなる。
文章を書くことを生業として、まる28年と半年。でも、迷いは、つきません。なんて書いていると、すごい吟味しながら文章書いているみたいになっちゃうが、思い立ったが吉日的に、ぼくは往々にしてちゃっちゃっと書いちゃっている。だって、時間をかけてこねくりまわすと、どんどん音楽からは遠ざかってしまうと思うから。ぼく、興味を引く文章、なるほどと頷ける文章、クスっとなれる文章を書きたいけど、“文学”しようとまったく思わないし。まあ、芸術という言葉が基本好きじゃないなように、ぼくは文学という言葉も嫌い。そんなこと喃喃と口にする奴にロクな文章書く奴いないと思っています。でも、表記に関して、ちゃんとブレない自分なりの“掟”は逃げずに、きっちり持たなきゃいけないな。プロ、として。
追記。ぼくが、英文字などを日本語にまぜる場合が一つあった。それは、日本盤発売されていないアルバムを表記する場合。それで外盤であると区別するやりかたは、ずっと昔から日本の音楽の文章作法にあるよな……。
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