米国ブラック・ミュージックの世界で、とんでもない飛躍を示した偉人がお亡くなりになった。オーティス・レディングのお墓があり、サザン・ロックのキャプリコーンがオフィスを置いたジョージア州メイコンの生まれ。享年87歳、骨の癌で亡くなったという。
 基本、ピアノを叩き、歌った。そして、とにもかくにも、その音楽が不滅。彼がヒットを飛ばしたのはロサンゼルスのレイス・レーベルのスペシャルティ時代だったが、他の同社プロダクツ、いやそのころのR&B表現との鮮やかな断絶の様はあまりに見事すぎる。妙にスッコーンと抜けた肉感性や外に飛び出す力やポップネスは規格外と言うしかなく、今聞いてもハレの感覚を持ち、訴求力大。そのころの彼のヴォーカルを熱烈にコビーしていたのが、初期のポール・マッカートニー(2018年10月31日)だった。
 そんな彼は早い時期から同性愛者であることを公言し、派手な衣装や化粧をしていたが、それは今でいうところの性同一性障害であったのか。あの時代に、しかもカラードである身でそれを遂行することがいかに大変なことであったことか。その人々に与える違和感は、初期のプリンス(2002年11月19日)のありかたを超えるものであったろう。
 昨年、BSR誌の記事企画と連動して、ブルース・インターアクションズの共同設立者である高地明、bsr編集長の濱田廣也との3者で、<今聴いてほしいブルース/ソウル/ファンクのメッセージ・ソング>とう企画イヴェントを四谷のいーぐるでやったのだが、そこでぼくはリトル・リチャードの「Tutti Frutti」 (1955年) も胸を張って選曲した。←https://43142.diarynote.jp/201903201617547581/。ちょい、恩返しできたかな? なお、四谷いーぐるの支援物販のサイトは→https://jazzeagle.base.shop
 ナッシュヴィルに住んでいた2009年に人工股関節を置換する手術を受けもし、表立った活動は伝わらなくなった。一番長生きしたにも関わらず、ボー・ディッドリー(2004年4月12日)、ベリー、ロックンロール天才3人集のなか、彼だけ生の姿を見ることができなかったのは、返す返す残念でならない。でも、ことあるごとに、ぼくはあなたの壁をブチ破る精気とエナジー溢れる表現を聞き返しますよ。

▶︎メイコン、キャプリコーンに触れた記載
https://43142.diarynote.jp/201306281331578950/
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶︎過去の、ボー・ディッドリー
https://43142.diarynote.jp/200404120828130000/
▶︎過去の、チャック・ベリーの訃報に際し
https://43142.diarynote.jp/201703211232135720/