イタリア人の新進ジャズ・シンガー。黒の簡便なドレスを着用、右足内側足首上に小さなタトゥーあり。けっこう、イタリア人ぽい(って、変な形容だが)30歳代だろうピアノ・トリオを従えてのもの。彼ら、「恋人よ我に帰れ」の際に複数のリズム・パターンをいったりきたりという面白いアレンジをとっていたが、普段から一緒にやっている単位なんだろうな。そういえば、リチャルディとピアニストはレパートリーのなかから何を歌うかをその場で相談して決めていた感もあった。この晩、取り上げたのは少し渋めのスタンダードが中心で、彼女は全て英語で歌う。ノリとしてはもろにジャズ一直線という感じだが、真正面からがんがん歌うというタイプではなく、醒めた感じ、ときに突き放した感じを与えつつしっとり歌う人。ゆえに、テンポはゆったり目のものが多く、ボサ調もいくつか。ちょい低音目のひんやりした声質もそうした印象を高めるか。イタリアの醒めたため息、なんちって。アンコール曲ではスキャットもかます。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。今日は土用の丑の日。終演後に誘われて、うなぎ屋に行く。さすがに混んでいる。その当日に鰻を食べるのは初めて。夏の風物詩か……。江戸時代からある風習なはずで、少し、江戸時代に思いはワープ。
 フジ・ロックの週……。同フェスと関連を持つ、外タレ2組のショウを見る。

 まず、渋谷・デュオで、米国西海岸の浮き世離れしたレトロ歌手のジャネット・クラインを見る。最初に、大阪拠点のスウィート・ハリワイアンズ(ハリウッドとハワイアンの造語か)という4人組が40分演奏。基本の編成はスティール・ギター、ウクレレ、フルアコの電気ギター、縦ベース、ときにはもるヴォーカル・パートがあったりもする。古いハワイアン(やはり、この季節は気分ですね)を中心とし、そこに広義のアメリカン手作り音楽が溶けたようなことをするグループ。スタンディングで見る物ではないが、フツーに悪くない。全員、白いシャツにオールドなネクタイ、サスペンダーにダーク・スーツのパンツという格好。最後に、クラインのバンドの70歳は超えているだろう、いい味出してる老ギタリストが加わる。

 そして、ほんわかしたアメリカの古〜いポップ・ソングを歌う、クラインが登場。格好や髪型などすべてオールド・タイムな感想を引き出すものでかため、ちょい舌ったらずな歌い方はシアトリカルという感想も出てくるか。プロに徹してなりきっているようでもあり、もともと天然であるようでもあり。なんにせよ、この手の表現だと黄昏れた風情が蔓延するものだが、彼女のどこかキャピっとした風情からか、そういうものはそれほど感じられない。いや、そーでもなかったかな? バッキングはギター、ヴァイオリン(朝顔がついてて、そこから音を出すボディレスの珍しいヴァイオリンも弾く)、縦ベース。みんなキャラがたってて、確か。それに触れると、アメリカの豊かさ、嬉しい懐の深さのようなものも無条件で感じ事ができるかも。途中、マンボだかマヌーシュ・スウィングだかのバンドで歌っているという日本人女性シンガーが出てきて2曲デュエット。そこで、会場を退出。クラインたちは、フジ・ロックの複数の場に出るようだ。

 そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)に移って、ソウライヴ(2000年8月12日、2001年2月1〜2日、2003年3月31日、2004年4月1日、2005年7月30日、他)を見る。前回(2007年10月9日)はヴォーカリスト付きの4人編成によるものだが、そのトゥーサンはアルバム1枚とそのツアーだけでサヨナラになってしまって、再び3人組に戻ってのもの。ただし、今回は3人のホーン・セクション(テナー、アルト、トランペット)を同行させているのがポイント。冒頭の2曲と、アンコールの1曲目を除いて、すべて3人はセクション音をつけ、かわりばんこにソロも取る。そんな難しい曲じゃないせいもあるけど、彼ら譜面なしで演奏していた。

 とくに、ぼくが注目していたのは管の一角、トランペット奏者のクリスチャン・スコット。20代半ばの彼はコンコードから2枚のリーダー作を出していて、なぜかあのプリンスも目をつけ彼の07年作『プラネット・アース』のレコーディングに呼ばれていたりもする人物。が、それ以上に目を向けるべきなのは、彼がニューオーリンズのマルディグラ・インディアンのチーフの家系に生まれている事。ドナルド・ハリソンの甥でもある彼は4歳ごろから着飾ってパレードに出たりもしたという。で、彼はソロ演奏のとき、そういうニューオーリンズの血(昨年2月初旬のニューオーリンズ行きの項にも少し触れているように、やはりニューオーリンズは管楽器奏者比率が高くて、そのなかでもトランペットが花形なのダ。でもって、デカい音が出せる奴が偉いという価値観もどこか残っているように思える)を引いているとしか言いようのない、派手で扇情的な吹き音を出すことに終始していて、大笑い。当然、管楽器奏者のソロのなかでは彼が一番受けていましたね。が、そんな彼も自分の表現となると、暗くどんよりしたアブストラクトなサウンドを用意し、もあもあしたトランペットを吹く。そのココロはレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日)が大好きで、レディオヘッドをジャズ文脈でやりたいから。ケケケ。いやあ、ミュージシャンって、人間の好みっておもしろい。彼はこの9月(8〜11日)にもマッコイ・タイナー・トリオ(2003年7月9日)のブルーノート東京公演のゲストでやってくる。そのとき、彼はどんなトランペット演奏を聞かせるだろうか。けっこう、楽しみ。

 アンコール2曲目は、アーチー・ベル&ザ・ドゥレスの68年全米1位曲の「タイトゥン・アップ」のカヴァーで、リーダーのアラン・エヴァンスが歌う。超満員のなか、結局2時間ほどやったんじないか。彼らは週末に顔ぶれを半分変えてレタス(2003年11月18日、同11月22日)の名のもと、苗場スキー場に向かう。その前に、アラン・エヴァンス(ドラム)とサム・キニンジャー(アルト)は彫り士の所に行く予定。

レジーナ・カーター

2008年7月19日
 南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。この日も車で行き来、ブルーノート東京前のコイン・パーキング(イデーがあった所)は3ナンバー対応の広めの枠が取られた仕様で、この日は2時間ぐらい留めて2100円なり。

 わーこう来るのか。あんた、すごいよ。やっぱ、ライヴは見なきゃ分からない。そんな気持ちが見ててすぐに頭ののなかに渦巻くパフォーマンス。今のジャズ・ヴァイオリニストの筆頭にいる人だが、想像できた以上に才ほとばしる実演=“私の考えるもう一つのジャズ表現“を提示していて、うわあ。ところで、彼女は好リード奏者ジェイムズ・カーター(よく、ジョシュア・レッドマンと横並びに置かれたりもするが、ぼくはカーターのほうが才あると思う)の妹という話もあるが……。

 アコーディオン、縦ベース、ドラムという布陣によるもの。リズム隊(クリス・ライトキャップとアルヴェスター・ガーネット)は過去のアルバムで雇っている人だが、これまで絡んでいないウィル・ホースハウザーという在NYのアコーディオン奏者はヨーロッパ的とも言いたくなる白人で、いろんな弾き方を暖簾に腕押し的なノリで洒脱に弾く奏者。過去、そういう編成によるアルバムは出していない(なんか、彼女のアルバムって参加者の数が多いものばかり)が、その編成でやる狙いや必然性が鬼のように出たものであったのは間違いない。たとえば、1曲目はアフリカ的情緒とミニマル・ミュージックとアイリッシュ・ミュージック(他の曲にしても、カーターは概してフィドルっぽい弾き方をしていたと思う)が解け合い隙間ある模様を臨機応変に描いていくような曲で、MCではマリのブパカール・トラオレの曲と言っていなかったか。

 万事がそんな調子で、タンゴっぽい曲やマヌーシュ・スウィングっぽい断片でもそれ一辺倒にはならず、いろんな材料や余白がするりと差し込まれる。ムーディに流れるものでもドラムはレゲエのアクセントを刻んでいる、なんて曲もあり。とかなんとか、どの曲でもいろんな表現を俯瞰し、その妙味を活かしつつ、もう一つ別の大地にあるアコースティカルな音を紡ぎたいという意思は横溢。そして、それらは奏者が会話し合う感覚もたっぷり持つものであり、延々と取るわけではないがもちろんソロも確かであっわけだ。その様を品がないながら分かりやすい例えをするなら、<ジャズ・ヴァイオリン界のカサンドラ・ウィルソンなる行き方>、なんて言えるものではなかったか。クール! カーターは当分この路線を突き詰めてほしいし、次作はこのフォーマットで録ってほしい。

 基本、ずっといい天気が続いていてピンと来ないが、今年は本日梅雨あけが宣言された。

松本茜

2008年7月17日
 赤坂・Bフラット。ハタチの大学生ジャズ・ピアニストのデビュー作発売を追うもので、そのアルバム『フィニアスに恋して』(コロムビア)と同じ顔ぶれのトリオにてのパフォーマンス。ただし、大学は非音楽系学部に通っていて、そのココロはジャズは学校で習わなくてもできると思ったから、とか。小学2年生のときジャズの存在を知り、クラシック・ピアノからジャズ・ピアノにシフト。以後、ジャズ一直線の娘さん。で、好きな人が、(今の多くの担い手が挙げるだろう)ビル・エヴァンスやハービー・ハンコックやブラッド・メルドーではなく、(もっと前のジャズ流儀を持つ)フィニアス・ニューボーンJr.、エロール・ガーナー、トミー・フラナガンというのがポイント。そりゃ、おのずとそれは差別化できるポイントになりますよね。足を打撲して(理由はきかないで〜)歩行が少し困難なため車で行きセカンド・セットだけをさくっと見たのだが、セカンドはオリジナル比率が高めだったようで、その場合は少し今っぽくなる感じはあるナ。基本、今のピアニストならスタンダードなんかやらずに己の創造性を出したオリジナルをやらんかいと思うぼくだが、“いい基本”を知る彼女はそれに当てはまらないかも……。若い娘が旧世代の流儀を健気に瑞々しく開く、というのはアリ。ニューボーンJr.好きということで、実演ではコロコロと珠を転がすように弾き倒すのを期待したら、それに適した弾んだ曲をそれほどやらなかったのが残念。オレが考えていたよりも大人だった? 本編最後にやった「スピーク・ロウ」は望んだノリの演奏。そして、それを聞きながら、彼女はこれまでの人生の何%を鍵盤の前で過ごしてきているかなと、ふと考えたりもした。坊主頭のベーシストがソロになるとものすごいうなり声を出しながら弾き、それがかなり気持ち悪かった。

 ところで、近年はまったく駄目だった野茂英雄が引退した。成人になってから野球にぜんぜん興味が持てなくなったワタシではあるが、どこか残念と思うとともにあんた素晴らしかったっスと思える。努力とか我慢とかはぼくの嫌いな言葉ではあるけど、へんなプライドとかなしに自分の大好きな事に体当たりし続けられるのって、本当に素晴らしい。野球をすることが、ピッチャーとしてボールを投げるのが、ほんとに好きだったのだろうな。彼の「悔いが残る」って、コメントはいいな。だからこその、次がある。彼ならばアマチュアで野球をやり続けるかもしれないし、来年再びプロに挑戦してもおかしくない。90年代中期、彼がアメリカに渡った年かその翌年か、LA滞在時にドジャーズ球場での野茂登板日が重なったことがあって合法のダフ屋にチケット手配して、彼の勇士を見に行ったことがあったっけ。胸が高鳴った。とっても、いい思い出だな。サッカーの三浦和良も昔は嫌いだったけど(ヴェルディ↓↓な事もあって、仏W杯の代表メンバーから直前に外されたとき、ぼくは喝采しました)、J2でやるようになってからはその見え方がだいぶ変わった。キング・カズ、がんばれ! で、話はもどるが、松本茜もずうっとずうっとピアノを弾いていくんだろうな。男で一時引退とか、そういう筋書きも面白いけど……。無責任な書き方だが、これからいろんなことを経験して、魅力的な濁りや翳りも見つけなくてはならないだろうし。思い出したが、ニューボーンJr.はけっこう精神に破綻をきたして娑婆と病院を行き来した人で、そのエピーソードにひかれ、高校生のころからぼくは彼のアルバムを買ったりしていた。あー、思春期……。
 キーボード奏者のロニー・リストン・スミス(2003年10月16日)、電気ヴァイブラフォン奏者/シンガーのロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日、2004年3月10日)、トランぺッターのトム・ブラウン、ザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)のオリジナルのトロンボーン奏者だったウェイン・ヘンダーソンという、単にフュージョンというにははばかられる米国黒人としての得難い機微を抱えた表現を送り出していた男性器楽奏者4人。そして、87年にアトランティックからデビューした、ジャジーな歌い方も出来る女性R&B歌手のミキ・ハワードが一緒になった公演。それぞれ、ちゃんと単独でもショウが出来る人たちとも言えるかな。なんか、出し物名を書いてちょい恥ずかしい気分になるが、あちらでもその名のもとツアーをしているらしい。南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。

 ロイ・エアーズのバンドが基本となるらしく、エアーズは出番でないときもMCをしたり、ステージ横にいたりしたのかな。最初に演奏したのはスミス。ベースとドラムを従えたトリオ編成によるもので、キーボードの音色ともども少ししょぼい感じはあったか。自分のバンドでこそ、独自の磁力やメロウネスを出せるというところが彼にはあるのかも。そして、入れ替わって次はミキ・ハワード。おお、なんか貫禄あるな。大昔に取材したことあるはずだが、けっこうイメージが変わっている。で、豪快というかけっこう荒い、声を張り上げた部分で完全にキーを外したりもしててありゃりゃ。でも、そのファンキーな風情とともに歌い倒す様にゃふふふ。マイケル・ジャクソン風の痩身若人がバック・コーラスで付くが、最後の紹介MCによればなんと彼女の息子らしい。

 次は、旧GRP育ちのトム・ブラウン。80年のブラック・チャート1位曲「ファンキン・フォー・ジャマイカ(NY)」のとき、彼は嬉しそうにハワードとともに歌う。曲名のジャマイカはカリブの国ではなく、マーカス・ミラーなんかも育ったNYのジャマイカ地区のこと。ミラーは確かこの曲のオリジナル・ヴァージョンを弾いていたんじゃないか。とともに、彼はレニー・ホワイト(ドラム)やチャカ・カーンの弟のマーク・スティーヴンス(歌。それほど上手くない)らとともにジャマイカ・ボーイズというグループを組んだことがありましたね。

 ハワードは去り、ブラウンはずっと残り、エアーズ主導で巨人ディジー・ガレスピーの超有名曲「チュニジアの夜」をファンキー気味に演奏。別にどうってことない(ぼくの好みではない)アレンジとソロ回しだが、このとき客は一番沸く。なんでー? サックス奏者はソロのときジャズ有名曲「チェロキー」と「マイ・フェイヴァリット・シングス」のさわりをクォートしたりも。この曲でのエアーズのソロは完全にシンセ音のそれ。この曲だったか、ベースとドラムのソロ・パートはお客を沸かせてナンボの個性が光る娯楽性をきっちり持つもので素直に感心。続いて、エアーズの技ありブラック・メロウ・ポップ曲「サーチン」を彼がかなりヘタに歌い、比較的素直なヴァイブ音でソロを取る。なんか、この際とてもエアーズからは味あるいい人ぶりが望外ににじみ出ていて、とっても良かった。

 そこに、杖をついているヘンダーソン(格好は、コスプレと言いたくなる派手なもの。トロンボーンはディジー・ガレスピーのトランペットのように、朝顔が斜め上を向いたものを持つ)が表れ、骨太豪放だったころのザ・クルセイダーズのヴァイタル曲「ストップ・アンド・バック・ダンス」をやる。もちろん、当時の同バンドの主任コンポーザーだったヘンダーソンの曲。ファンクネスとモダニズムを見目麗しく両立させられるゆえにぼくがとても信頼するキーボーディスト/プロデューサーの森俊之(2001年2月18日、2002年11月15日、2004年2月21日、2005年2月15日、2005年9月14日、2006年5月30日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)くんのエレピ・ソロにはこの曲におけるジョー・サンプルの手癖が表れるときがある。おそらく、昔好きでコピーしたんだろうな。で、もう1曲ぼくが嫌いになってからのザ・クルセイダーズ曲「キープ・ザット・セイム・オールド・フィーリング」を客とのコール&レスポンスを交えて。ヘンダーソンもとても役者ね。これで、本編はおしまい。そして、アンコールは全員(11人いたか)で、ロニー・リストンの曲をやったんだっけか。盛りだくさん、そこそこ練られていたし、みんな仲良しそうで、只のスター入れ替わり立ち代わり公演の域は超えていたんじゃないか。でも、ハワード、エアーズ、ヘンダーソンの3人でやったもののほうが、ぼくの胸は弾んだに違いない。

 この設定のように、米国では黒人アーティストを数名抱き合わせにして、そのパッケージでツアーを行うことがよくある。で、そういうツアーのことを<ジャングル・ツアー>というんだよと、80年代後期に米国の業界人から教えてもらったことがあった。それ、少し蔑称でもあるのかな? 今もそういう呼ばれ方をするのだろうか。
 渋谷・デュオ。2008年7月6日、7日に続く、関連公演。昨日のバルカン・ビート・ボックス(BBB)と異なり、完全人力によるパフォーマンスを彼らは標榜する。オーディエンスの反応は機会音を下敷きとする扇情的なBBBのほうが熱烈だが、彼らの欧州人らしいアート/ひねくれ感覚と主にモロッコ勢からもたらされる土着的臭みや強さが溶け合った末の、繊細にして大胆なうねりや剛性感がとてもうれしいとぼくは感じた。違う属性を持つ同士が歩み寄って場を作り上げたいという、そんな佇まいも良いよなあ。モロッコ勢の一人、ヴァイオリンのハッサンはまだ20代のような若い顔つきをしているが、他の3人が引っ込んでいるときも彼はステージに残って、無理なく表現に貢献していたりも。今回、BBBとシンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビは移動や宿泊から打ち上げまで全面的に行動をともにしているが、そのことを当初シンク・オブ・ワン側は危惧するところがあったという。だって、イスラエルはアラブの国々から嫌われているから。でも、モロッコ勢は昨日のBBB単独のライヴにも顔を出していたし、とてもデリケートな問題を超え、いい奴なのをお互いに認め合って仲良くなっていたのは間違いない。その普通ならありえない様に触れて、音楽の力を少し感じた、かな? なんにせよ、今回いろいろな意味で、ぼくのシンク・オブ・ワン株はとっても上がりました。

 が、彼らはこのサマー・ライヴのシーズンを終えたあと、2年間の活動休止に入る。メンバーそれぞれ、好きな事をやるためとか。リーダーのダヴィッド・ボヴェー(ギター、肉声)はすでにリンガラの王者バンドのザイコ・ランガ・ランガのドラマーらと新バンドのS.W.A.N.(リンガラ・ミーツ・ジョイ・ディヴィジョン、なんて内容説明をしていたか)を結成。なんと、ボヴェーはコンゴのルーツを持つ人で、その関係で何度もコンゴを訪れているし、同国はやはりホームの感覚を得るという。また、さらにはリオでも新プロジェクトを立ち上げていて、今すぐにでもブラジルに行きたいなんて事も彼は言っていた。実は彼の新しい奥さんはブラジル人、ノルデスチ・プロジェクトの“シュヴァ・エン・ポー”を同国で推進していたときに出会ったという。彼女の弟はブラジルの有名バンド(名前、失念)のメンバーだそうだ。かつては、ちゃんとジャズ学校にも通った彼、一番好きなギタリストはマーク・リーボウ(2001年1月19日)だそう。とかなんとか、いろいろ、目が離せないナ。とともに、なんか綺麗ごとな書き方になるが、再集結したときのシンク・オブ・ワンも楽しみだ。
 単独公演の日で、渋谷・デュオ。ほぼ、2時間のフルの長さのパフォーマンス。野音のときも思ったが、昨年見たときよりプリセット音の占める比重が増えている。というか、サウンド作りの要であるタミールはラップトップを扱いつつドラムを叩くわけだが、ドラムを叩かないときが増大している。6日の野音のときの文章でデジ・ロックという言葉もぼくは用いているが、それはそうしたところから得た所感が反映されていると思う。オトコの純情/心意気が迸っていることでぼくはフィッシュボーン(2000年7月28日、2000年10月30日、2007年4月6日)やオゾマトリ(2001年10月13日、2002年3月14日、2005年3月17日、2007年4月6日、2007年10月8日)をかつて近い例に挙げていたが、今ならエイジアン・ダブ・ファウンデイション(2000年10月6日)のほうが適切かもなとも思う。なんにせよ、彼らのライヴのように、客は大盛り上がり。ところで、彼らはNY居住組3人とイスラエル居住組3人で成り立つバンドだったが、今はNY組の二人もテル・アヴィブに戻ったとのこと。それは、バンドが軌道に乗り、必ずしも音楽産業の中心地にいる必要がなくなったことも示すものか。まあ、彼らが契約するレコード会社のクラムド・ディスクは在ベルギーだが。唯一NYに居住するオリ(2000年8月15日)も今の彼女がウィーンに住んでいて、NYと行き来する生活になっているそう。……あ、そういえば、ショウの始まりはステージ後方から打楽器と管楽器を手にしたメンバーが出てきて、フロアで車座になって演奏してから、ステージに上がるというもの。それ、オゾマトリの終わり方のちょうど逆じゃないか!

モロッコ・ナイト

2008年7月7日
 ようは、昨日のシンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビのモロッコ人3人(全4人のうち、ヴァイオリン奏者が欠ける)が中心となる、普段着アンプラグド・ライヴ。神宮前・マド。シンク・オブ・ワンの面々も来ていて、うち二人は打楽器役で加わっていた。グナワを濃い感じでざっくりパフォーマンス。シャアビも少しはやったのかな? その区別もよく知らぬ私ではあるが、前者のほうが宗教と結びつく神聖なものらしい。なんにせよ、ポリリズムと抑揚が相乗してトランシーに流れていく様は強烈。歌声にせよ鳴りモノ音にせよ凛としててデカくて、ぐいぐいと聞く者の何かを揺らす。そして、別の流儀や文化があることを口惜しいほど感じさせるわけで。いやー、いい意味で異様なヴァイヴが渦巻いていたナ。とにもかくにも、いいもの聞かせてもらいましたという気におおいになった。そんな特殊な表現を別のところに涼しい顔して持って行くベルギー人(シンク・オブ・ワン)も技あるんだろうなと改めて思えたし、彼らとステージをシェアしちゃうモロッコの方々もすごいというか、少し不可解な実力者たちだな。感嘆とともに、酔った頭でいろんな事を考えた私でした。
 近年、ぼくが高揚して一番弾けちゃった野外イヴェント(2006年8月27日)の08年版。日比谷野外大音楽堂。

 最初の登場バンドは、前回と同様に渋さ知らズオーケストラ(2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月13日、他)。イケイケ。この後、すぐにカナダに行くとかで、自然発生的な意欲や高揚があったんじゃないかな。つづいて、欧州的自由の発露を持つと書けるだろうベルギーのアヴァン・ポップ系担い手のシンク・オブ・ワン(2004年9月1日。触れていないが同年のフジ・ロックのオレンジ・コートにも出ている)。前2回はブラジル北東部のミュージシャンをともなった編成=ジュヴァ・エン・ポーだったが、今回は彼らが2000年前後に試みていたモロッコ音楽との綱引きを求めるもので、シンク・オブ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビと名乗ってのもの。で、これが同名義の新作よりはるかに肉体的な混合ビート表現になっていて、ニコニコっ。けっこう、グルーヴあったしな。男女二人ずつのモロッコ勢はさすがに強力、だがそれを受け止めもう一つ別のところに持って行こうとするベルギー勢の振る舞いもイカしててご機嫌な気持ちになる。そして、3番目に登場したの初来日となる、イスラエルのでこぼこ他を今様サンプリング流儀の中に解き放つバルカン・ビート・ボックス。昨年(2007年10月25日)見てブっとんで来日応援団みたいなこともした私であるが、やっぱ興味深い癖を持ちつつ無理なく今様の狼藉デジ・ロック回路にある表現をアゲアゲで提示。フジ・ロックなんかにも出てブチかましてほしいと切に思う。

 最後は、出演者が皆出て(ステージ上には50人強)、ほどほどに二曲。ビートや心意気を媒介に属性違いの人たちが音を重ねあう。生理的に美しくも、怒濤な風景……。なんか、とっても貴重な光景を見たという気にもなりました。ワールド・ビートというイヴェント、また来年もやってほしいが、これを提供するプランクトンが来年の野音はおさえられてないようで(すごい、抽選倍率たかいみたい)、どーなるか。
 クラシック〜民俗音楽〜ジャズという枠を自在にかっとぶブラジルのまさしく鬼才(1947年生まれ)の、オーケストラを伴う公演。紀尾井町・紀尾井ホール。洞爺湖でのサミット絡みで駅とかにはパトロールの警察官が目につく。

 共演は東京フィルハーモーニー交響楽団。その抜粋なのだろうか、ステージ上には40人ほどがいる(女性奏者の服装のバラバラな色使いは、総体の見え方がお洒落でなく興を削ぐ)。ジスモンチのスコアはそのぐらいの大きさ用に書かれているのだろうか。実はぼくはジスモンチのオーケストラ表現を愛でるようになったのはそんなに昔のことではない。5年前ぐらいに出た、彼のオーケストラ表現が入った2枚組EMI盤『Antologia』を聞き、ジスモンチという人の不思議な才のありかた、一筋縄ではいかない大人数表現の面白さを認識したのだ。指揮者は沼尻竜典、それぞれの足を前後に置いて斜め気味な姿勢で張り切って指揮する人なんだな。

 公演は2部制にて、演目はECM盤に入っていた曲が多かったようだ。ジスモンチは一部ではピアノ、2部では10弦ギターを手にして、オーケストラと絡む(オーケストラだけの演奏も、それぞれ1曲づつ)。ピアノの演奏自体はニュー・エイジ・ミュージック的だし、ハーモニックス音を用いたりボディをたたいたりもするギター演奏(こちらは、ソロでも2曲やる)はまさに無勝手流で、クラシック的とは毛頭言いがたい。が、彼の世界観を投影させた独特のスリルや含みやもう一つの美をたたえたオーケストラ表現はまさしく何かを聞き手に感じさせる魅力的なもの(うわー、曖昧な説明の仕方。イカンなと思いつつ、ここでの原稿はより一筆書きすることを是とするので流しちゃう)。で、結果、ここに度を超した物差しを持つ破格の音楽家が、ブラジル人がいるぞと思わせられるわけだ。まあ、実のところ、オーケストラ自体の響きとか重なり具合とかいまいちのような気もしたが、ぼくは身を乗り出して見た。

 ふーむ、とにもかくにもオーケストラ表現は興味深い。やっぱ、事情が許せばクラシックをそれなりに突き詰めてみたいナと切に思う。が、そんな(さらには、ライヴ好きの)私ではあっても今のところ、そのホール公演には足を運びたいとはあまり思わない。それは、おとなしくかしこまって見るのが超苦手であるとともに、その終演後の“儀式”に触れると嫌な気分になるからだ。拍手に応え、何度も何度もソリストや指揮者が出てきてお行儀良く挨拶する……、そして何度目かでおもむろにアンコールに答える。そして、また指揮者たちは出たり入ったり。あーかったりー、実におマヌケ。一発でスカっとアンコールにいって、スパっと終わらんかい。聞き手が本当にパフォーマンスに感激して頭のなかに感動の嵐が吹き荒れ、我を忘れてしつこく拍手をし出演者を賞賛する、というのなら分かる。だが、ぼくが今まで接した範囲においてそれはルーティンをなぞる感じを持つもので、クラシックのコンサートはこういうものなのだという共通認識をみんなで共有しあっているように思えてしまう。実に不毛、批評性ゼロにして気色悪い。その様に触れながらクラシック系の聴衆はなんて俗物なんだろうとぼくは思わずにはいられない。まあ、相撲の仕切りみたいに捉えるべきなのかもしれないが、あいにく太っちょ裸男の身体のぶつけ合いもぼくは苦手なんだよな。あーなんてぼくは風情に欠ける、即物的な人間なんだろう。それに、ぼくが感じるような疑問を、ロック公演のアンコールのあり方やジャズの演奏中でのソロをした人への拍手の仕方に覚える人がいても不思議はない。もしかして、クラシックをちゃんと愛好するようになると、講演終了後のそれをアリだと思うようになっちゃうのだろうか。

 一応黒色のシャツとパンツは身につけていたものの、赤い布をバンダナのように頭にまいていた(そして、後ろから狸の尻尾のように長髪が出ている)その外見にも現れているように、ジスモンチはせこい決まり事を排し自分の流儀のもと不可解でスピリチュアルな森羅万象表現を世に問うてきた、ある意味パンクな音楽家であるのは間違いない。が、そんな彼もまたクラシック公演のクロージング儀式にはつきあう。なんだかなー。
 サッカーのユーロ開催期間の途中ぐらいから、TV放映の時間に合わせて(?、単に体内時計がズレただけだなー)、めちゃ早起きに。夕方にはとろーんとしちゃっているワタシ。ふはは。

 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。大雑把に言ってしまえば、シカゴという土壌の興味深さを伝えもする黒人大衆ジャズの大名人だ。65年に全米総合シングル・チャート5位になった「ジ・イン・クラウド」(同名ライヴ・アルバムは総合2位! そのころ在籍していたのはチェス・レコード傘下のアーゴ/キャデット)は彼の十八番曲だが、そうしたゴスペル/ファンキー路線のほかにももっと端正なジャズ、軟派なフュージョン、はてはオーケストラを用いたクラシック的路線まで、いろんなことをやっているピアニストでもある。で、アコースティックなピアノ・トリオ編成であたった久しぶりの来日公演はそれを示唆するようにいろんな事をやったな。黒っぽい快楽的な曲から、クラシックっぽい含みを持つ曲や仕掛けを施したザ・ビートルズの「イン・マイ・ライフ」まで演奏。彼の66年ごろのトリオにはEW&F結成前のモーリス・ホワイトがドラマーとして在籍していた話は有名だ(唐突にホワイトがカリンバを入れる、ルイス作もあったな)が、EW&Fの「サン・ゴッデス」もやった。ルイスの74年作『サン・ゴッデス』(コロムビア)はホワイトが制作した(チャールズ・ステップニーもギターなどで参加)ブラック・ファンク盤だ。そうしたいろんな行き方に対応するかのように、リズム隊もオーソドックスな演奏からけっこうやんちゃな弾き方までいろいろ見せる。

 そして、アンコールには「ジ・イン・クラウド」。やっぱり、とってもグルーヴィなあげあげ曲。手拍子(バック・ビートに合わせてそれをするように、ルズム隊がお客さんうながした)がもっとも似合うジャズ曲かもしれないナ。とてもスーツが似合うスマートなルイスは実年齢(1935年生まれ)より、若く見えた。
 マヌーシュ(ジプシー)・スウィングの第一人者である、キャラ立ちの在仏ギタリスト(2003年1月8日、2003年8月30日、他)。渋谷・デュオ。サイド・ギター、縦ベース、ヴァイオリンを従え、考える暇があったら指を動かせ、みたいな、気分おもむくままのパフォーマンスを見せる。根本にジャンゴ・ラインハルトの表現をおき、かちっと型にはまったところとはまらないところが綱引きしているような……。また、ちょっと見栄を切るようなところもあるけど、外連味なし、というふうにも言えるのか。まあ、異なる文化を持つ人たちの出し物とは絶対に思わせられますね。

 1時間ぐらいやった一部だけを見る。お客さんの反応も熱烈だし、通しだときっと2時間半コースになったんだろうな。とにかく、彼らは演奏のムシ。日本についた当日に演奏したいとバーを突発的にライヴ・ハウス化したのを皮切りに、ライヴのない日も楽器を飲み屋に持ち込み、演奏をしているという(実は昨日、渋谷近くの店でその様に触れました)。な、だけでなく、多分ライヴ後の打ち上げでも同様に演奏しているんだろう。……演奏することに対する価値観が違うんだろうな。もっと、それは日常に近く、ご飯を食べたりとか笑ったりするのに近かったりするのではないのか。演奏やりすぎて疲弊しないのか、それによりライヴ演奏の濃度が薄まったりするのではないかとかも考えたくなるが、笑いすぎて笑えなくなったという話は聞いた事ないもんなー。マヌーシュの団欒には必ずギターがあり、横にはジャンゴの写真が張ってあるという話も、彼らのパフォーマンスに触れると皮膚感覚で納得させられたりもしますね。

 つづいて、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で大御所米国人女性歌手(2000年5月10日)を見る。満席。ピアノ・トリオが2曲演奏したあとに登場したのだが、なんと彼女は車椅子に座り押されて出てくる(彼女の登場とともに、効果音的な音を出す二人のキーボード、ギター、二人のコーラスも加わる)。で、車椅子に座って歌う。そのためもあってか、少し歌声が不安定なところもあったが、もともと過剰に喉力を持つ人ではないし、そうした事もいろんなストーリーが付加した現在はナタリーの味〜芸風として納得できるものではないか。彼女が、歌うのはジャズ・スタンダード。一応新作となる『リーヴィン』はけっこうロックっぽいポップ曲カヴァー集(もともと、彼女はロック・ファンだったと言われますね)で今回はどういう路線で行くのかなと思ったら、素直に近年の彼女のファンが抱くだろうゆったりジャジー路線をまっとうしていた。MCによれば秋に出る新作はアメリカの財産を振り返るようなスタンダード・ソング集だそう。もちろん、お父さんナット・キング・コールとの例の擬似デュエットもありました。
 朝、起きてTVをつけたら、なせかNHK衛星第2チャンネル 。で、将棋(ぼく、一切ルールを知りません。もちろん、やったこともない。まあ麻雀も似たようなものだが。チェスもできないし、そういうの一般ワタシは弱い)大会の実況番組を朝っぱらからやっている。何も考えずそのまま流し新聞に目を通していたのだが。番組で解説だか大会の展望だかを語った人を、男性アナが「毎日新聞の○○さんです」と落ち着いて紹介……と、思ったらすぐに、「朝日新聞の○○さんでした」という訂正を入れる。うわーすげえ。現場の人、顔面蒼白だろうなー。そんな顛末に触れてなんか世の中いろんなことあらーなという気になり、仕事はたまっているのだが、ホイっと気分転換強制仕事排除日ということにしちゃう。でも、急に平日あそんでくれる人も見つからず、ハンドルを握る気にもあまりなれず、昼一から試写を3つハシゴ。ちょうど興味ひかれるものが同じ日のうまい感じの時間帯で並んでたりして、これは試写デイにしなさいと“世の掟の主”がTV放送を介して示唆してくれたのだと思うことにする。

 京橋・テアトル試写室で、音楽ものを撮ってきたという48年仏人ジェローム・ラベルザ監督による06年フランス映画「MADE IN JAMAICA」。タイトルにあるように、全ジャマイカ・ロケ作で、バーニー・ウェイラー、グレゴリー・アイザックス、トゥーツ・ヒバート、レディ・ソウ、アレーン他レゲエの担い手が山ほど登場(ゆえに、ビクターから出るサントラは2枚組だ)。で、いろんなシチュエイションのライヴ映像(けっこう、映画のためにやってもらったものもあるはず)やインタヴューが噛みあわされる。で、レゲエを生んだジャマイカという国が抱えた特色や問題やレゲエのいろんなヴァリエーションがランダムに紹介されるわけだ。そんなドキュメンタリー映画を見ながら、いまだジャマイカは結婚する人が少なく、子供が出来ると男はとんずらし女性側が私生児として育てることが多いという状況が続いているのかなと思ったら、後半やはりそういう内容の発言が出る。そういえば、かつてラヴァーズ・ロック歌手のJ.C.ロッジにそのことを尋ねたら(彼女はプロデューサーの旦那がフェミニストで結婚している)、「(それはアフリカの慣習だから)、ジャマイカがアフリカに近いからじゃない」、なぞとさらりと答えたことがあった。あと、昔ジャマイカに行ったとき、たかりばっかりで(外からやってきて足を踏み込んだ時点で、それは覚悟しなくてはならない)笑っちゃったのを思い出す。

 次は、六本木・アスミック・エース試写室で、07年ブラジル映画の「シティ・オブ・メン」。有名ブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」(02年)のプロデューサーが企画した映画で、リオのファヴェーラのギャングの抗争模様を介しつつ、そこに育った18歳の二人の青年の友情や恋愛/家族問題を描いている。劇中、二人の主人公のもっと若いころのやり取りをおさえた映像が何度も出てきてアレレ。で、あとで資料を見たら、映画「シティ・オブ・ゴッド」公開後、同様スタッフによるTV版「シティ・オブ・ゴッド」が作られ、それは大人気となり4シーズン続けられ(02〜05年)、この「シティ・オブ・メン」はそのTV「シティ・オブ・ゴッド」の完結編にあたるものなんだそう。で、二人の若造君(ともに、88年生まれの役者さん)はTVのほうからの続きの出演なわけですね。へーえ。監督のパウロ・モレッリ(56年生まれ)もTV版から関与している人だという。あらすじを事前に読んでいなかったら筋をちゃんと追えたかなという危惧を少し感じた(瞬時の理解力や顔を覚える能力が落ちてきているところもあるな、グスン)が、それはTV版を見てないせいもあるかもしれない。なんにせよ、いろいろ脚色を経てのものではあろうが、やはりその光景はいろいろと興味深い。純音楽面では、それほど耳はひかないという感じもあるかな。

 また、京橋にもどって映画美学校の第一試写室にて、08年仏日韓映画「TOKYO!」。フランス人ミシェル・ゴンドリー(63年生まれ。バンド・マン上がりで、ビョークの「ヒューマン・ビヘイヴィアー」のクリップ撮ったのは彼)、フランス人レオス・カラックス(1960年生まれ)、韓国人ポン・ジュノ(68年生まれ)という信奉者も多いだろう気鋭外国人監督が東京をテーマにし東京で撮影した30〜40分の作品を合わせたもの。カラックス以外は、役者/スタッフを全面的に(音楽は除く。エンドロールに流れる曲はHASYMO、旧YMOの3人による)日本人起用している。見る前には、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」ノリのものを想像していたがかなり違う。東京の光景を最大限に組み込むというよりは、各監督が持つ東京のイメージから醸造された寓話のようなものが、それぞれのお手並みで作られているから。東京はあくまで触媒、という言い方もできるかな。三者とも20日ぐらいで全撮影をこなしているようで、東京の材料を様々な角度から活かしまくるわけにはいかないという時間的な理由もあるのだろうが、なるほど。三本ともそういう見方や発想があるのかと思えるところとやはり違和感も覚えるところ(それは、ヴァンダースの「夢の涯までも」やアレハンドロ・イニャリトゥの「パベル」の東京編もぼくは同様でしたね)があるが、それは身近な環境がネタになっているからこそ(けっこう、ロケ地は分かるものなあ。でも、スタジオ・セットで済むような場面もそれぞれ多い)。同様の事をジャマイカに住む人が見たら、外の人が撮った「MADE IN JAMAICA」に感じる人もいるだろう。そーゆーもんだ。ともあれ、製作ノートを見るとなかなか面白く、外国人監督と日本人スタッフの折り合いがこの映画の肝なんではないか。まあ、そんなの映画を見る者には関係のないことではあるけど。
 うひーん、もう6月も半分すぎちゃった。もうすぐ1年も半分が終わる。なんもしてねー、余裕ねー。この土日も畏友のお父上の告別式に出た以外はけっこう机に向かってたな。仕事、受けすぎてる。しょぼん。日が暮れて、堅実な感覚とスイートな感覚を併せ持つ米国人シンガー・ソングライターのショーケース・ライヴを六本木・スーパーデラックスで見る。お金は稼いでいる(NYにレストランだかバーだかを持っていると、MCに紹介されていたな。その品のないというか道理を舐めているような、頭わるそーに非誠実なMCには閉口。もしああいうのが正とされるのなら、ぼくはもうこういうのには顔を出さない方がいいのかもと少し思った)と思われるが、50ドルぐらいしかかかっていないんじゃないかと思わす格好(普通の、無地のTシャツとジーンズ)ででてきて、生ギターとピアノの弾き語り。前回(2004年3月10日。それも、やっぱりショーケースだったか)はバンド付きだったけど、そのときより個の出口が拡散しないので、本人の持ち味はよく伝わる所はあるんじゃないか。4曲しかやらないのは謎。

 夜半に帰宅して(渋谷に移動してマイヤーズとアップルトンのロックをごんごん、珍しくジャマイカン・ラムばかり飲んだなー)メールを見ると、悲報と吉報がそれぞれ入っている。一つは訃報で、E.S.T.(2003年6月17日、2007年1月13日)のエスビョルン・スヴェンソンが44歳で死去とのこと。母国のストックホルム近郊で6月14日、スキューバ・ダイヴィング中に亡くなったという。『Leucocyte』と名付けられた新作はすでに上がっていて、この秋に出る事になっていたということだが。この2日に亡くなったボー・ディッドリー(2004年4月12日)と異なり新聞に死去報道とかはされないと思うので書き留めておこう。そういえば、米国人シンガー・ソングライターのダン・フォーゲルバーグ(レコード1枚ぐらいはもっているが、ぼくにはほとんど接点のない人でした)も亡くなったよう。ああ、ぼくもどんどん年をとり、知っている人や関係者が亡くなる頻度が高くなっていて、自分をとりまく環境がどんどん死に向かっていることを感じざるを得ないな。それは、齢を重ねていくならしかたのないことなのだが。

 一方、いい知らせは……スライ&ザ・ファミリー・ストーンが8月下旬にやってくる!!!!!  わお。フェスの<東京ジャズ>とブルーノート東京に出演。動く姿、ほんの肉声を聞けたならそれだけでOK、その最たる人。しかし、彼はよく死ななかったな。いやー良かった良かった。スライの来日、こりゃ今年の日本音楽界最大級の慶事だ!
 え、あれれ? 今回は3時間たっぷり演奏しますと喧伝されており、それは前回(2006日11月21日。他に、前身のアット・ザ・ドライヴ・インからだと、2000年5月24日、2000年8月6日、2002年4月7日、2004年1月7日)のパフォーマンスのあり方を見れば超納得なわけで、めちゃ期待に胸を膨らませていったら、1時間40分しかやらないじゃないか。内容自体はもうしぶんない。でも3時間やると聞いていたので……。すげえと高揚しつつ、これからあと2時間半もある、まだ半分しか演奏は終わっていない、序盤でこれなんだからこれから一体どーなるの、とかいう心持ちで見ていたわけで、サンキューと言ってステージを去り、場内照明がついたときには、拍子抜けしてしまいましたよ。ライヴ・リポートも頼まれていたし、飲み過ぎるとまずいしなとか思って、3杯しか買ってない。それだったら、セーヴせずにごんごん飲んだのに。2時間半やった、会場もあったということだが。

 繰り返すが、演奏内容自体は珠玉。あっぱれ。前回の模様と比較するなら、奏者のチェンジはあったかもしれないが、まったく同じ8人編成(うち、二人はアフリカン。残りも、ラテン的な名前を持つ)による。その編成を活かした流動的パフォーマンス指針は不変。ながら、曲数は倍以上になっていて(ほとんど、切れ目なしに送り出される)、前より少しロック様式に戻ったと感じさせるところはあったか。彼らを見て、レッド・ツェッペリンを想起したのは、今回が初めてだ。そのぶん、ヴォーカルのセドリック(アフロな髪が伸びて、オールド・ロッカーみたいなそれに)の出番は増すとともに、彼の声がよく出ていたのが印象的。強靭なサウンドに比しセドリックの喉はいまいち弱いとするファンは少なくないと思われる(でも、ぼくはあの佇まいだけで許せるところがある)が、アット・ザ・ドライヴ・イン時代を含め、ぼくが過去に見た彼らのショウのなかでもっとも彼は声が出ていたじゃないかな。いいぞ、セドリック! 新木場・スタジオコースト。
六本木・ビルボードライブ東京(ファースト・ショウ)。チャー(2002年3月12日、2008年4月20日)を中心に英国人ロック・ドラマーのコープリー、ヘッドハンターズにいたポール・ジャクソン(2002 年3月12日)、キーボードの小島良喜(2000年11月16日、2004年7月27日)という布陣による、ファンキーだったりブルージィだったりする、こなれたセッション。歌入り曲も少なくなく、ジャクソンやチャーが歌う。途中には、英国人ギタリストのミッキー・ムーニーが入ったりも。大人の、野生と笑顔があふれる。同ヴェニューがあるミッドタウンに家から行くとき、青山一丁目から都営大江戸線に乗り換えるのだが最後尾車両の一番後ろに乗ったらびっくり。車掌がいない。車両先頭の運転手だけで、運行される線なのか。へえ〜。

 そして、移動し、恵比寿・リキッドルーム。ロック・バンドあがりで、制作チームやリミックス・チームとしても売れっ子のエレクトロニク・ダンス・デュオのパフォーマンスを途中から。フェス系出演者として複数来ていてそれなりに顧客はついているという感じか。照明は派手だが、映像使いはなし。直接的に機材をオペレートする二人に光を当てないこともあり、見え方は、ブラック・ボックス的。ライヴのときは人間がやってるという事を直裁になんらかの手段のもと伝えるべきだと、ぼくは思うが。四つ打ちビートに、扇情的な音塊が乗せられる。肉声は入らなかったと記憶するが。
同業先輩である、
会田裕之さんが7日午前にお亡くなりになった。

昨年から病気療養をしていたが、原稿も書いていたので病気だったのを知らない人も少なくなかったはず。
よく一緒に飲みました。2007年1月15日で触れている”先輩”とは会田さんの事だった。
飲むたびに狼藉するぼくを(何度も失礼な態度もとったはず)、笑顔で楽しんでくれた優しいお兄さんだった。飲むと、ぼくと違い、あまり食べなかったよね。
日本のニュージャージー、川崎生まれ/育ち。スタートはミュージック・ライフの編集部(当時は本当に女性だけだったみたい)、その後レコード新聞社を経て、フリーになられていた。
ロック全般からレゲエにも専門分野を広げ、一時はDJもおやりになった。
アナログな人で原稿は手書き、丸文字っぽい若い字を書く人でした。
ネットもしない人なのにデーターにも明るく、ぼくと違って話していて固有名詞をど忘れすることもなかった。
ここ10年ぐらいは料理にも凝ってましたよね。
でも、やっぱり音楽(と、奥さん)に真心で接し続けた人だと思う。
聞けば、アドリブ誌の輸入盤紹介原稿は6日夜に編集部に届いたという。
最後まで、音楽に関与すること事をまっとうしましたね。
間違いなく、等身大100%のロック愛好人生。とってもとっても素敵な……。
大好物はエリック・クラプトン。天国で、コレクションを増やしてくださいね。
 ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日、2007年3月21日)とザ・リトル・ウィリーズを組み、ジェシー・ハリス(2002年12月21日、2005年9月7日、2006年1月23日、2006年4月22日)ともマブ達の在NYのシンガー・ソングライター(2006年7月23日、2007年3月11日)。キーボード、ベース、ドラムを従えてのもの。リズム・セクションは過去のハリス公演と同じ顔ぶれで、ドラマーのダン・リーサーはザ・リトル・ウィリーズのメンバーだ。
 
 渋く、軽妙。やり慣れた奏者をしたがえ、プライヴェート感たっぷりにショウは進められる。彼、かなり口とマイクの距離を取って、歌う人なんだな。技量的にはなんの問題もない人ながら、どこか薄いというか、なんか軽いという印象も持つ。ブルースやカントリーなどルーツ・ミュージックと繋がった方向性を持つときに彼は得難い味を発するという印象をぼく持っているのだが、あまりそうした方向性の曲をやらない事もそういう印象を持たせたのかな。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。さすが、花金。近所で流れようとしたら、何軒も一杯ですと断られた末に、やっと入店。

チャカ・カーン

2008年6月5日
 六本木・ビルボードライヴ東京、ファースト・ショウ。ベース、ギター、キーボード、コーラス3という陣容による。うち、ギタリストはルーファスの同僚だったトニー・メイデン。元ルーファスとカーン(2003年10月10日)が彼を紹介したら、いや今もルーファスと彼が返す一幕もあり。長身な彼、スリムな体型を維持しているな。また少し身体が太くなった彼女(でも、もっとも節制とかとは無縁なタイプなので、何も違和感は感じませんね)は頭のアフロもよりでっかくなっているような。で、でっかいと言えば、やっぱ歌声。部分的に音程が不安定なときもあったけど、声はよく出ていた。バンド音の上をかっとぶ、ジャズの奔放な歌唱法を感性一発で自分化したようなそれはまさに胸がすく。あー、カーンはカーンなり。彼女の何が尊いのかという、その歩みをふまえたチャカ・カーン論はかつてバウンス誌に書き、それがネットにもアップされている(http://www.bounce.com/article/article.php/1782/ALL/)ので、そっちを見てね。
 82年生まれと79年生まれ。パリを拠点とする女性シンガー・ソングライターが二人出る公演。ラフォーレミュージアム原宿。

 まず、パリ生まれながら2歳から近年までナイジェリアのラゴスで暮らして、ラゴスっ子であるのを自認するアシャのパフォーマンス。アコースティック・ギターを手にする彼女に確かな技量を持つ男性ギタリスト、そして女性バッキング歌手という布陣。コーラスを取るそのジャネットさんはアシャとは学生時代からの付き合いで、マネージャー役も兼ねる。なんか、ノラ・ジョーンズにおけるダルー・オダみたいな感じだな。

 好きなアーティストは問うと、ボブ・マーリーやマーヴィン・ゲイ他、米英の担い手とまったく同じような人たちの名前をアシャは挙げる。ちゃんとギターを手に歌うようになったのは18歳からというのにはビックリだが、きっちりと心の琴線に触れる曲を書き(多くは英語)、それをひっかかりのある歌声で歌える人。全面的にグローヴァルなポップ流儀に則ってはいるものの、どこかにアフリカを想起させる広がり〜愁いを持つわけで、それもいい感じと確実に思わせる人ですね。

 意外なところでは、アシャはレイ・チャールズが大好きなよう。そういえば、同郷のキザイア・ジョーンズ(1999年9月29日)はチャールズを大好きでギターに写真をはっていたっけ。そのことを伝えると、ジョーンズのことは良く知っているという。で、ナイジェリアというと、やはりなんといってもフェラ・クティだが、彼女は子供のとき一度だけその公演を見たことがあるそう。また息子たちとも知り合いでフェミ・クティ(2000年4月14日、2003年7月30日)のほうは前座をつとめたこともあるとか。それから無頓着なところもある人で、デビュー作のジャケット写真が逆版である理由を尋ねたら、その事を認知していなかった(!)。そしたら、横からジャネットがデザイン上の都合でそうしたの、とアシストしてくる。そんな彼女たちは、この9月にちゃんとしたバンド編成で再来日する

 続いて、パリ生まれ、イスラエル育ちのナイムのパフォーマンス。こちらは、ドラマー(彼女のアルバムのプロデューサーも務めるDavid Donatien。そんな目立つ演奏はしていなかったが、もらったセット・リストのアーティスト表記はナイムと彼の連名のものになっていた。嫌らしい推測になるが、おそらくギャラの取り分は両者対等なんだろう)、ベース、キーボード奏者がサポート。ナイムは生ギターやグランド・ピアノやウクレレを弾きながら歌う。

 いろんな文化や音楽スタイルをふまえての、瑞々しいシンガー・ソングライター表現を見事聞かせる。のびやか、しなやか。そして、おしとやか、という形容もできるかもしれないが、その奥にやんちゃな好奇心も滲ませていて、こんなに聞き味/佇まいが良質な人であるとは。アップル社のCF曲に採用され知名度を得たとのことだが、そりゃ確かな選択だなあと、ライヴに触れながら実感。長身ぼんぼん風のキーボード奏者はとっても感覚的な音/フレイズを出す人、すぐにベック(1999年4月12日、2000年5月29日、2001年8月18日、2003年4月1日)やモレーノ・ヴェローゾたちのユニット(2001年5月18日、2006年6月27日、2007年7月25日)に加われそう、と書くと、その様は分かってもらえるか。そんな持ち味の奏者を雇うところにも彼女の目指す表現の襞は表れているはず。

 途中一曲、アシャも加わる。両者は顔見知りで、フランスでの共演経験もあるよう。二人とも日本で出来ることをとても嬉しく思い、誠意をもってオーディエンスに対しているのがよく分かる。そういうのに、触れるのは本当に気持ちいい。ましてや、その二人はともに傾聴すべき才を持つ人なのだから余計に。いい余韻をたっぷり得た夜でした。

< 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 >