LEO -NEW GRID-
2022年3月18日 音楽 気鋭の箏奏者であるLEOのライヴを見る。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。アメリカン・スクール→東京藝術大学と進んだ彼には今回の公演に祭してzoomで取材をしたが、そのとき語っていた(http://www.bluenote.co.jp/jp/news/features/11878/)ことを具現する実演であったな。その際もそうであったが、端正なルックスを持つ彼の話はとてもいい人な感じをにじませつつポライトで本当に嫌味なし。それにも感心した。
ステージ上には3つの箏が置かれる。それらを曲によって弾き分ける。冒頭3曲はオリジナルを続けたが、作風に広がりがあるためかけっこう即興的にも聞こえる。オープナーはけっこうエフェクターを介したもので、ときにキリキリしたと書きたくなる現代的な音質を出していて、おお。その音を使いたくなる今のクリエイターがいそうとも感じた。そういえば、彼は藤倉大(2021年10月2日)とのアルバムも出している。2曲めも単独演奏で、3曲めはヴァイオリンのビルマン聡平(2021年12月9日)とのデュオで演奏する。やはり、箏という楽器だけで、もう一つの佇まいを持つ表現となる。
それ以降は、さらにチェロの伊藤ハルトシ(2017年10月10日、2019年10月30日)とピアノのロー磨秀の4人でショウは進められた。そして、こちらではLEOが最大級に共感を持つティグラン・ハマシアン(2015年10月12日)と坂本龍一(2011年8月7日、2012年3月21日、2012年8月12日、2013年8月11日)の楽曲も取り上げる。それらを聞いてすぐに感じてしまうのはアレンジがかなり巧み、ということ。それぞれの楽器の特性を知り尽くした先にスリリングな重なりを用意し、それらは広がりや生理的な偶発性を感じさせるものになっていたから。その仕掛けに富んだ編曲をしたのは、藝大卒業後に映画からゲームの音楽まで多彩な活動をしている篠田大介の手によるという。沢田穣治(2002年3月24日、2010年4月19日、2011年7月24日、2012年5月15日、2012年5月16日、2013年9月6日、2014年8月27日、2017年4月29日、2017年7月8日)は同じ事務所のようだ。4人は篠田の曲も1つ演奏した。
また、アルゼンチン人のクラシックの清新大作曲家で、アルトラ・ピアソラとの接点も持つアルベルト・ヒナステラ(1916〜83年)の曲も一つ。ヒナステラの曲はエマーソン・レイク&パーマーが『ブレイン・サラダ・サージェリー』(マンティコア、1973年)で取り上げられたことがあり、なんとなく昔から知っているな。そちらのアレンジもなかなかに凝っていた。
そうした演奏群に接していて、クラシック教育を受けつつそこから外野に出ようとしている彼ら(4人中、3人はミックスとなるのか)は腕がたつということを痛感する。ピアニストのロー磨秀はお付きの人を横に立たせ、クラシックのそれのように曲の流れととともに譜面をめくらせる場合もあったが、ソロの際の指さばきは個性的であったし、なにより彼はシンガー・ソングライターとしてメロディアスな歌もの作を出していたりもする。そういう面々の様に接すると、スクエアなものとしてぼくは基本距離を置いてきたが、クラシック界隈でも時代の動きとともにもろもろ動いているんだろうなと感じることしきり。まあ、考えてみれば今の働き盛りジャズ・ミュージシャンもそういう流れの人たちであるとも言えるし、ポップ・ミュージックの担い手も音大出の人はげんざいいろいろいるわけで、そこで得た知識がおおいに武器となることで現代性を獲得しているわけだ。
箏という日本の古典音楽にある楽器の形而上を、様々な音楽要素を俯瞰したうえで、みずみずしく浮き上がらせる。映画『パベル』(昔、日本盤のライナー・ノーツを書いたなあ)で使われた坂本龍一の曲のメロディ部を箏で弾くだけでもなんとも言えない情緒が出てくるし、そこから創意とともに弦音の様々な束を浮き上がらせる作法の面白さは奏法が見ることができるライヴならではのもの。両手で爪弾く場合はハープのそれを想起させる場合もあるし、多彩な奏法から得る思いはいろいろ。バイリンガルな彼は海外に出たら、かなり需要を得るのではないかとも思わずにはいられない。それから、プリミティヴな楽器であることを肯定しつつ自在に飛び立つ箏音に触れて思ったのは音程がかなり明瞭であったこと。そこらへん、他の箏演奏にあまり触れていないのでなんとも判断がつかない。
▶︎過去の、藤倉大
https://43142.diarynote.jp/202110090906583013/
▶︎過去の、ビルマン聡平
https://43142.diarynote.jp/202112101719481557/
▶︎過去の、伊藤ハルトシ
https://43142.diarynote.jp/201710121703595237/
https://43142.diarynote.jp/201910311450514339/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
▶過去の、坂本龍一
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120321
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
▶過去の、沢田穣治
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201107310726159855/
http://43142.diarynote.jp/201205301229093694/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120516
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140827
http://43142.diarynote.jp/201704300807298823/
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
<今日は、ぶるぶる>
いやー、寒い1日だった。そして、雨天。ライヴの開演時間にちょうど間に合うように家を出たら、あっと驚く雨量で、風もある。そっちのほうが難儀で、寒さは一気に散った。でも、会場は混んでいたなあ。さすが女性客比率は高かったか。まだ互い違いに着席させるなど緊急時入場者配置が取られているが、来週からは禁止令がなくなる。とはいえ、昨年のオリンピック時の感染者数よりはまだ多いわけで、それは持続されるのだろうか。開演時間もまたどうなるのか? 今週は地方に行ったのだけど〜飛行機は混んでいた〜、感染対策に留意しつつ普通に飲み屋が夜にやっているのは素晴らしいと思えた。
ステージ上には3つの箏が置かれる。それらを曲によって弾き分ける。冒頭3曲はオリジナルを続けたが、作風に広がりがあるためかけっこう即興的にも聞こえる。オープナーはけっこうエフェクターを介したもので、ときにキリキリしたと書きたくなる現代的な音質を出していて、おお。その音を使いたくなる今のクリエイターがいそうとも感じた。そういえば、彼は藤倉大(2021年10月2日)とのアルバムも出している。2曲めも単独演奏で、3曲めはヴァイオリンのビルマン聡平(2021年12月9日)とのデュオで演奏する。やはり、箏という楽器だけで、もう一つの佇まいを持つ表現となる。
それ以降は、さらにチェロの伊藤ハルトシ(2017年10月10日、2019年10月30日)とピアノのロー磨秀の4人でショウは進められた。そして、こちらではLEOが最大級に共感を持つティグラン・ハマシアン(2015年10月12日)と坂本龍一(2011年8月7日、2012年3月21日、2012年8月12日、2013年8月11日)の楽曲も取り上げる。それらを聞いてすぐに感じてしまうのはアレンジがかなり巧み、ということ。それぞれの楽器の特性を知り尽くした先にスリリングな重なりを用意し、それらは広がりや生理的な偶発性を感じさせるものになっていたから。その仕掛けに富んだ編曲をしたのは、藝大卒業後に映画からゲームの音楽まで多彩な活動をしている篠田大介の手によるという。沢田穣治(2002年3月24日、2010年4月19日、2011年7月24日、2012年5月15日、2012年5月16日、2013年9月6日、2014年8月27日、2017年4月29日、2017年7月8日)は同じ事務所のようだ。4人は篠田の曲も1つ演奏した。
また、アルゼンチン人のクラシックの清新大作曲家で、アルトラ・ピアソラとの接点も持つアルベルト・ヒナステラ(1916〜83年)の曲も一つ。ヒナステラの曲はエマーソン・レイク&パーマーが『ブレイン・サラダ・サージェリー』(マンティコア、1973年)で取り上げられたことがあり、なんとなく昔から知っているな。そちらのアレンジもなかなかに凝っていた。
そうした演奏群に接していて、クラシック教育を受けつつそこから外野に出ようとしている彼ら(4人中、3人はミックスとなるのか)は腕がたつということを痛感する。ピアニストのロー磨秀はお付きの人を横に立たせ、クラシックのそれのように曲の流れととともに譜面をめくらせる場合もあったが、ソロの際の指さばきは個性的であったし、なにより彼はシンガー・ソングライターとしてメロディアスな歌もの作を出していたりもする。そういう面々の様に接すると、スクエアなものとしてぼくは基本距離を置いてきたが、クラシック界隈でも時代の動きとともにもろもろ動いているんだろうなと感じることしきり。まあ、考えてみれば今の働き盛りジャズ・ミュージシャンもそういう流れの人たちであるとも言えるし、ポップ・ミュージックの担い手も音大出の人はげんざいいろいろいるわけで、そこで得た知識がおおいに武器となることで現代性を獲得しているわけだ。
箏という日本の古典音楽にある楽器の形而上を、様々な音楽要素を俯瞰したうえで、みずみずしく浮き上がらせる。映画『パベル』(昔、日本盤のライナー・ノーツを書いたなあ)で使われた坂本龍一の曲のメロディ部を箏で弾くだけでもなんとも言えない情緒が出てくるし、そこから創意とともに弦音の様々な束を浮き上がらせる作法の面白さは奏法が見ることができるライヴならではのもの。両手で爪弾く場合はハープのそれを想起させる場合もあるし、多彩な奏法から得る思いはいろいろ。バイリンガルな彼は海外に出たら、かなり需要を得るのではないかとも思わずにはいられない。それから、プリミティヴな楽器であることを肯定しつつ自在に飛び立つ箏音に触れて思ったのは音程がかなり明瞭であったこと。そこらへん、他の箏演奏にあまり触れていないのでなんとも判断がつかない。
▶︎過去の、藤倉大
https://43142.diarynote.jp/202110090906583013/
▶︎過去の、ビルマン聡平
https://43142.diarynote.jp/202112101719481557/
▶︎過去の、伊藤ハルトシ
https://43142.diarynote.jp/201710121703595237/
https://43142.diarynote.jp/201910311450514339/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
▶過去の、坂本龍一
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120321
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
▶過去の、沢田穣治
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201107310726159855/
http://43142.diarynote.jp/201205301229093694/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120516
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140827
http://43142.diarynote.jp/201704300807298823/
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
<今日は、ぶるぶる>
いやー、寒い1日だった。そして、雨天。ライヴの開演時間にちょうど間に合うように家を出たら、あっと驚く雨量で、風もある。そっちのほうが難儀で、寒さは一気に散った。でも、会場は混んでいたなあ。さすが女性客比率は高かったか。まだ互い違いに着席させるなど緊急時入場者配置が取られているが、来週からは禁止令がなくなる。とはいえ、昨年のオリンピック時の感染者数よりはまだ多いわけで、それは持続されるのだろうか。開演時間もまたどうなるのか? 今週は地方に行ったのだけど〜飛行機は混んでいた〜、感染対策に留意しつつ普通に飲み屋が夜にやっているのは素晴らしいと思えた。
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