山本佳代子 写真展 『⚾︎満塁⚾︎』。鈴木良雄 The Blend。R.I.P.ゲイリー・ブルッカー(45年5月29日〜22年2月19日)、マーク・ラニーガン(64年11月25日〜22年2月22日)
2022年2月23日 音楽 新宿のBEAMS JAPANにあるB GALLERYで開かれている、山本佳代子の 写真展 『⚾︎満塁⚾︎』を覗く。2021年冬に、山本はアーティスト・イン・レジデンスで旭川に2ヶ月近く滞在。“あの土地、あのとき”に撮られた写真が100葉ほど展示されている。写真の多くは飾らぬ人々のポートレートであり、もう一つの場を確実に切り取る。旭川在住のOKI(2004年8月27日。2006年8月11日、2006年9月24日、2007年1月26日、2012年10月10日、2014年12月10日、2016年11月18日、2018年5月9日、2018年5月21日)のライヴの写真もあった。<都会育ちの彼女は環境の異なる場所で暮らし、何を見つけたのか>という内容はとても分かりやすく、見る者にいろいろ語りかけてくる。当人在廊していたが、どうしてこの写真展タイトルになったのかを聞くの忘れた。かの地から受けたものは山ほどという気持ちから来ている? 3月6日まで。
▶過去の、OKI
http://43142.diarynote.jp/?day=20040827
http://43142.diarynote.jp/200608141732470000/
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http://43142.diarynote.jp/201412241025308207/
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http://43142.diarynote.jp/201805101438514929/
http://43142.diarynote.jp/201805220051333200/
その後は近くにある新宿ピットインで、ダブル・ベース奏者である鈴木良雄の新グループのThe Blendを見る。あれ、彼の自宅でインタヴューしたこともあるのに、ぼくは過去彼のライヴを見たことがないのかな? 彼にくわえ、テナー・サックスの峰厚介(2011年6月23日)、トランペットの中村恵介(2015年7月23日、2016年10月9日、2016年10月28日、2022年1月6日)、ピアノのハクエイ・キム(2010年11月26日、2011年2月19日、2011年4月10日、2011年8月6日、2013年9月13日、2020年9月9日)、ドラムの本田珠也 (2000年5月9日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年10月13日、2007年12月4日、2011年5月5日、2012年7月16日、2013年7月27日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年7月16日、2021年4月6日、2021年4月14日)という面々なり。中村とハクエイはチンさん(鈴木の愛称)のGeneration Gapというグループの構成員で、そこに旧知の峰(彼とチンさんは1970年代前半に菊地雅章〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日〜のグループに在籍した)と本田が加わる。本田のことは子供のころから知っているそうだが、一緒にレコーディングするのは今回が初めになるそう。
そう、今回はライヴ・レコーディングをかねる。鈴木はその由を伝えるMCを冒頭でするが、さすの軽妙さと余裕ありでほっこり。蓄積しているもの、大きいと思わせられる。彼も峰もぼくの持っていたイメージより少し痩せた? ともあれ、ご老人お二人なかなか格好いいなー。ライヴ・アルバムになったショウというのには過去何度か接しているはずだが、いつ以来かなー。
やる曲は名ソングライターでもある鈴木の曲が中心。1曲、10〜15分ぐらいの尺があったか。驚かされたのは、曲によってはかなり左側に行くのが認められたこと。おお、矍鑠。枯れることなく、新しい課題に向かおうとしているとそれは思わせよう。アルバム・タイトルにもなるという「ファイヴ・ダンス」という曲はもともと5拍子の曲だったがどんどん変化した曲だそうで、この5人でやるのにはぴったりのタイトルであるとなったらしいが、その聞き味や展開には口あんぐり。もう自在の構成や絡みのもとどんどん変化していく様にシビれながら、この譜面は一体どうなっているのかと思わずにはいられなかった。5人の確かな力量を土台に、自在にクリエイティヴィティが舞っていたなー。
最後2曲めは、彼が1970年代中期の渡米中に入っていたアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」、そしてブルース曲。それらは、娯楽性とまっとうな黒さを抱える。しかし、高校のころはギタリストを目指し、大学のジャズ研ではピアノを弾き、当初ピアニストとしてプロになったものの遊びのベース演奏を聞いた渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日、2020年10月5日、2021年6月23日、2021年12月12日)にベーシストになることを勧められ、ベーシストに転向。って、ほんと道のり面白すぎ。彼はヴァイオリンの鈴木メソッドの家系にあるが、やはり木の楽器との相性は良かったのかな。
▶︎過去の、峰厚介
https://43142.diarynote.jp/200901241915537583/
https://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
▶過去の、中村勇介
http://43142.diarynote.jp/201507251003319800/
https://43142.diarynote.jp/201610141746599845/
︎https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/202201071732032283/
▶︎過去の、ハクエイ・キム
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http://43142.diarynote.jp/201102190813437159/
http://43142.diarynote.jp/201104142208096884/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
https://43142.diarynote.jp/202009100827229764/
▶過去の、本田珠也
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
http://43142.diarynote.jp/200712151621260000/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201907180809371988/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
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▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
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▶過去の、渡辺貞夫
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
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https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
https://43142.diarynote.jp/202112131810155222/
それから、秀でた訴求力を持つヴォーカルを聞かせたミュージシャンの訃報を二つ書く。
サーの称号も受ける、プロコル・ハルムを率いたシンガー/鍵盤奏者のゲイリー・ブルッカーが2月19日に自宅で亡くなった。ガンで闘病していたという。
ムード音楽ぽくもある流麗なオルガン音が曲趣を規定する「ア・ホワイター・シェイド・オブ・ペイル」が1967年に大ヒット。バッハの有名曲を下敷きに置くという同曲はカヴァーやオン・エアー率、TVコマーシャル使用頻度なども高く、セールス以上に印税には恵まれただろう。1977年にプロコル・ハルムは解散し、1979年にはピート・シンフィールドと作曲チームを組んだ曲を中心とするソロ作『No More Fear of Flying』(Chrysalis)をリリース。それは、ジョージ・マーティンが制作/編曲をしていた。プロコル・ハルムは1991 年に再結成されるが、彼はソロ名義作を数作出している。彼はとても同業者から愛されていたようで、自己活動の一方、ポール・マッカートニー(2018年10月31日)、エリック・クラプトン(2006年11月20日)、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スター、ケイト・ブッシュ、ビル・ワイマンらの作品に鍵盤奏者やシンガーとして関与した。
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶︎過去の、エリック・クラプトン
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/
また、1980年代中期からスクリーミング・トゥリーズ、クイーン・オブ・ザ・ストーン・エイジ、ザ・ガッター・ツインズなどで歌ったマーク・ラニーガンも亡くなった。彼はアメリカ生まれだが、その苗字が示すようにケルト系。2020年にはアイルランドに居を移し、その自宅で亡くなったという。彼は昨年COVID-19に感染し、生死の様をさまよったとも伝えられる。
ワシントン州エレンズバーグの生まれ。なんか姿勢が吹っ切れているというか、ネジが外れている風情を持つバンドやサウンドで、喉力をしかと発揮した人物だ。オルタナティヴ・ロック期の最たる実力派シンガーという言い方も可能だろう。少年のころから薬や酒に耽溺し、そのままバンド活動をしてきた。彼はカート・コヴェインの親友だったことでも知られ、彼のリハブ施設代金をコートニー・ラヴが出したこともあった。
1990年以降はサブ・ポップ他からリーダー・アルバムを発表。その数は10作を超え、他にライヴ・アルバムもけっこうリリースされている。また、UKエレクロニカのユニットであるソウルセイヴァーズやベル&セバスチャン(2011年3月4日)にいたイソベル・キャンベルと何度も絡んだりといったように、なにげに広がりある活動をしなやかに続けた人だった。そんな彼の遺作となるかもしれない『Straight Songs Of Sorrow 』(Heavenly、2020年)はまだまだ自分を持て余す風情と達観した感覚を併せ持った大人のロック・アルバムだ。ラニーガンは2017年以降、自分の歌詞を説明する本やにした回顧録など、数冊本も出しているようだ。
▶︎過去の、ベル&セバスチャン
https://43142.diarynote.jp/201103091608158507/
<今日の、夕方以降>
用事をすませて、18時すぎにBEAMS JAPANの建物にたどり着こうとするが、迷う。去年行った際〜https://43142.diarynote.jp/202106240847332337/〜も少しそうだったよなー。今回は携帯の地図案内に導いてもらおうとしたのだが、周辺をぐるぐる。悲しい。写真展の主である山本佳代子はかつてレコード会社に勤務し、その後写真家に転身した。それは、10年前とか。ジャマラディーン・タクーマ(2014年7月28日)を取材する際に、彼女に声をかけて撮影してもらったんだよなー。
ピットイン入りした際は喉の渇きを感じ、迷わずビールを飲む。最中にトイレに何度も行くのは避けたいので、ライヴ会場でビールはパイント一杯か缶ビール1本にしているような。だが、冬にも関わらず、この晩はビールうめえっとなってしまい立て続けに4缶飲んじゃう。なのに、ぜんぜんトイレに行きたくならなかったのは不思議。そういうこともある。かつて、知人と二人で居酒屋でビール大瓶を何本飲めるかというチャレンジをしたことがあった、15本以上飲んだような。若いっていいよなー。その後、会場で会った知り合いに誘われ、飲み屋に行く。新宿3丁目は開いている飲食店はたくさんあった。家飲み欲求がゼロのぼくとしては久しぶりの飲み。楽しゅうございました。
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
▶過去の、OKI
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その後は近くにある新宿ピットインで、ダブル・ベース奏者である鈴木良雄の新グループのThe Blendを見る。あれ、彼の自宅でインタヴューしたこともあるのに、ぼくは過去彼のライヴを見たことがないのかな? 彼にくわえ、テナー・サックスの峰厚介(2011年6月23日)、トランペットの中村恵介(2015年7月23日、2016年10月9日、2016年10月28日、2022年1月6日)、ピアノのハクエイ・キム(2010年11月26日、2011年2月19日、2011年4月10日、2011年8月6日、2013年9月13日、2020年9月9日)、ドラムの本田珠也 (2000年5月9日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年10月13日、2007年12月4日、2011年5月5日、2012年7月16日、2013年7月27日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年7月16日、2021年4月6日、2021年4月14日)という面々なり。中村とハクエイはチンさん(鈴木の愛称)のGeneration Gapというグループの構成員で、そこに旧知の峰(彼とチンさんは1970年代前半に菊地雅章〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日〜のグループに在籍した)と本田が加わる。本田のことは子供のころから知っているそうだが、一緒にレコーディングするのは今回が初めになるそう。
そう、今回はライヴ・レコーディングをかねる。鈴木はその由を伝えるMCを冒頭でするが、さすの軽妙さと余裕ありでほっこり。蓄積しているもの、大きいと思わせられる。彼も峰もぼくの持っていたイメージより少し痩せた? ともあれ、ご老人お二人なかなか格好いいなー。ライヴ・アルバムになったショウというのには過去何度か接しているはずだが、いつ以来かなー。
やる曲は名ソングライターでもある鈴木の曲が中心。1曲、10〜15分ぐらいの尺があったか。驚かされたのは、曲によってはかなり左側に行くのが認められたこと。おお、矍鑠。枯れることなく、新しい課題に向かおうとしているとそれは思わせよう。アルバム・タイトルにもなるという「ファイヴ・ダンス」という曲はもともと5拍子の曲だったがどんどん変化した曲だそうで、この5人でやるのにはぴったりのタイトルであるとなったらしいが、その聞き味や展開には口あんぐり。もう自在の構成や絡みのもとどんどん変化していく様にシビれながら、この譜面は一体どうなっているのかと思わずにはいられなかった。5人の確かな力量を土台に、自在にクリエイティヴィティが舞っていたなー。
最後2曲めは、彼が1970年代中期の渡米中に入っていたアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」、そしてブルース曲。それらは、娯楽性とまっとうな黒さを抱える。しかし、高校のころはギタリストを目指し、大学のジャズ研ではピアノを弾き、当初ピアニストとしてプロになったものの遊びのベース演奏を聞いた渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日、2020年10月5日、2021年6月23日、2021年12月12日)にベーシストになることを勧められ、ベーシストに転向。って、ほんと道のり面白すぎ。彼はヴァイオリンの鈴木メソッドの家系にあるが、やはり木の楽器との相性は良かったのかな。
▶︎過去の、峰厚介
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▶過去の、中村勇介
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▶︎過去の、ハクエイ・キム
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▶過去の、本田珠也
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https://43142.diarynote.jp/202104151741019185/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
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http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
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https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
https://43142.diarynote.jp/202112131810155222/
それから、秀でた訴求力を持つヴォーカルを聞かせたミュージシャンの訃報を二つ書く。
サーの称号も受ける、プロコル・ハルムを率いたシンガー/鍵盤奏者のゲイリー・ブルッカーが2月19日に自宅で亡くなった。ガンで闘病していたという。
ムード音楽ぽくもある流麗なオルガン音が曲趣を規定する「ア・ホワイター・シェイド・オブ・ペイル」が1967年に大ヒット。バッハの有名曲を下敷きに置くという同曲はカヴァーやオン・エアー率、TVコマーシャル使用頻度なども高く、セールス以上に印税には恵まれただろう。1977年にプロコル・ハルムは解散し、1979年にはピート・シンフィールドと作曲チームを組んだ曲を中心とするソロ作『No More Fear of Flying』(Chrysalis)をリリース。それは、ジョージ・マーティンが制作/編曲をしていた。プロコル・ハルムは1991 年に再結成されるが、彼はソロ名義作を数作出している。彼はとても同業者から愛されていたようで、自己活動の一方、ポール・マッカートニー(2018年10月31日)、エリック・クラプトン(2006年11月20日)、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スター、ケイト・ブッシュ、ビル・ワイマンらの作品に鍵盤奏者やシンガーとして関与した。
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶︎過去の、エリック・クラプトン
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/
また、1980年代中期からスクリーミング・トゥリーズ、クイーン・オブ・ザ・ストーン・エイジ、ザ・ガッター・ツインズなどで歌ったマーク・ラニーガンも亡くなった。彼はアメリカ生まれだが、その苗字が示すようにケルト系。2020年にはアイルランドに居を移し、その自宅で亡くなったという。彼は昨年COVID-19に感染し、生死の様をさまよったとも伝えられる。
ワシントン州エレンズバーグの生まれ。なんか姿勢が吹っ切れているというか、ネジが外れている風情を持つバンドやサウンドで、喉力をしかと発揮した人物だ。オルタナティヴ・ロック期の最たる実力派シンガーという言い方も可能だろう。少年のころから薬や酒に耽溺し、そのままバンド活動をしてきた。彼はカート・コヴェインの親友だったことでも知られ、彼のリハブ施設代金をコートニー・ラヴが出したこともあった。
1990年以降はサブ・ポップ他からリーダー・アルバムを発表。その数は10作を超え、他にライヴ・アルバムもけっこうリリースされている。また、UKエレクロニカのユニットであるソウルセイヴァーズやベル&セバスチャン(2011年3月4日)にいたイソベル・キャンベルと何度も絡んだりといったように、なにげに広がりある活動をしなやかに続けた人だった。そんな彼の遺作となるかもしれない『Straight Songs Of Sorrow 』(Heavenly、2020年)はまだまだ自分を持て余す風情と達観した感覚を併せ持った大人のロック・アルバムだ。ラニーガンは2017年以降、自分の歌詞を説明する本やにした回顧録など、数冊本も出しているようだ。
▶︎過去の、ベル&セバスチャン
https://43142.diarynote.jp/201103091608158507/
<今日の、夕方以降>
用事をすませて、18時すぎにBEAMS JAPANの建物にたどり着こうとするが、迷う。去年行った際〜https://43142.diarynote.jp/202106240847332337/〜も少しそうだったよなー。今回は携帯の地図案内に導いてもらおうとしたのだが、周辺をぐるぐる。悲しい。写真展の主である山本佳代子はかつてレコード会社に勤務し、その後写真家に転身した。それは、10年前とか。ジャマラディーン・タクーマ(2014年7月28日)を取材する際に、彼女に声をかけて撮影してもらったんだよなー。
ピットイン入りした際は喉の渇きを感じ、迷わずビールを飲む。最中にトイレに何度も行くのは避けたいので、ライヴ会場でビールはパイント一杯か缶ビール1本にしているような。だが、冬にも関わらず、この晩はビールうめえっとなってしまい立て続けに4缶飲んじゃう。なのに、ぜんぜんトイレに行きたくならなかったのは不思議。そういうこともある。かつて、知人と二人で居酒屋でビール大瓶を何本飲めるかというチャレンジをしたことがあった、15本以上飲んだような。若いっていいよなー。その後、会場で会った知り合いに誘われ、飲み屋に行く。新宿3丁目は開いている飲食店はたくさんあった。家飲み欲求がゼロのぼくとしては久しぶりの飲み。楽しゅうございました。
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
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