コノノNo.1、OKI

2018年5月21日 音楽
 会場は、代官山・UNIT。フロアに向かう長〜い階段をおリながら、ちょうど昨年のこのころ、こんな階段は絶対無理な松葉杖の人だったんなーとほんのり回顧。http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/

 まず、トンコリ奏者/シンガーのOKI(2004年8月27日。2006年8月11日、2006年9月24日、2007年1月26日、2012年10月10日、2014年12月10日、2016年11月18日、2018年5月9日)が、HAKASE-SUN(2005年2月19日、2016年11月18日)を伴いパフォーマンス。最初、アンビエント調(?)で流れていて、ほう。なんか、OKIのイメージもあるのだろうが、大地から宇宙に向かって登って行く響きという感じがあった。HAKASE-SUNはビート音送出を主に担い、キーボードも少し触る。通常の曲が始まってもOKIの表現としてはデジタル目にあるパフォーマンスと言える。なんか、それでまたOKIが持つ地に足をつけた生々しさのようなものが対比的に浮かび上がるような気がして、興味深かった。OKI DUB AINU BANDは明後日から南アフリカ〜レユニオンに向かうという。

 そして、コンゴ民主共和国のエレクトリック・リケンベ・バンドであるコノノNo.1(2006年8月26日、2006年8月27日、2011年8月1日)が出てくる。リケンベ奏者2、ドラム、パーカッション、女性コーラス(小さなカウベルのような鳴りモノも担当する)の5人にて。打楽器奏者いがいは皆歌い、小柄な方のリケンベ奏者がリード歌を取る場合が多かったか。

 1コードでぐいぐい突っ走る。そう、これこれ。もう、扇情的なビート表現には理屈抜きで降参。もう、無条件に、トランス状態(まではいかないが)に連れていかれる。もう、生(き)の強さと彼の地の生活が編んだ妙味が得難い重なりとともに押し寄せる。そして、それを浴びていると、音楽観の“洗濯”もできちゃうと思ってしまったりもするか。ときにパーカッション奏者が入れるホイッスルもいい感じにして、ぼくは甘酸っぱい気持ちに……。彼らの初来日時には本当にヤラれ、もらったホイッスルを打ち上げの時にうれしすぎてベロベロになってぴーぴー吹いて一部で顰蹙かったんだよなー。

▶過去の、OKI
http://43142.diarynote.jp/?day=20040827
http://43142.diarynote.jp/200608141732470000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060924
http://43142.diarynote.jp/200702010111560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121010
http://43142.diarynote.jp/201412241025308207/
http://43142.diarynote.jp/201611211530147646/
http://43142.diarynote.jp/201805101438514929/
▶︎過去の、HAKASE-SUN
http://43142.diarynote.jp/201611211530147646/
▶︎過去の、コノノNo.1
http://43142.diarynote.jp/200608271344370000/
http://43142.diarynote.jp/200609031311580000/
http://43142.diarynote.jp/201108101626258730/

<今日の、覚え>
 なんとギタリストのレジー・ルーカスが土曜日(19日)に亡くなったという報が届いた。心臓に重篤な障害をかかえ、入院していたという。娘さんのリサがトゥイートしたことで、広くその訃報は広がった。享年、65裁。大々的な業界デビューは18歳にして加入したマイルズ・デイヴィスのバンド。1972年から、御大が隠匿する1975年まで在籍。特に、ピート・コージーとの二人でギター表現にあたった日本ライヴ盤の『アガルタ』と『パンゲア』の演奏は名高いか。ぼくはといえば、ギター演奏がブルース/R&B奏法に負いすぎと感じてしまう部分があって、その両盤には復帰後の80年以降にごんごん顔を出すデイヴィスのボケの片鱗を感じてしまったりもするのだが。今、改めて聞くと、その感想は変わるかな。彼はデイヴィスと離れて以降、同時代ブラック/ダンス・ポップ表現のほうに進出し(やはり、デイヴィス録音にちょい関わったジェイムズ・エムトゥーメイとのコンビも忘れられない)、プロデューシングにいろいろあたった仕事のほうが印象深い。なんせ、彼はあのマドンナの1983年デビュー作もサイアー/ワーナーから頼まれたほどなのだから。とにかく、米国ブラック・ミュージックの動き〜もやもやを体現した人物であったのは間違いない。なお、彼は1枚だけリーダー・アルバムを持つ。1976年日本フォノグラム/イースト・ウィンド発の『サバイバル・シームズ』。フュージョンぽいのやファンク・インスト、ジェイムズ・エムトゥーメイとのデュオぽい曲、カルロス・サンタナ(2013年3月12日)調やジミ・ヘンドリックス調のギターをフィーチャーする曲などが入っている。あのころの、日本のレコード会社は覇気も予算もあった。これ、日本のユニバーサル・ミュージックから2015年に1000円で再発されています。
▶過去の、サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/

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