ずんちゃずんちゃ、って、もうロックですよ。そう聞いていたのだが、ほぼロックじゃなかった。マジ、ジャズだった。新宿・ピットイン。14時半からの、昼の部。
ギターの斎藤“社長”良一(2004年1月21日) と電気ベースの高橋保行(2006年7月3日、2010年1月9日、2012年7月1日、2017年1月9日)、ドラムの山田あずさ(2013年5月19日、2014年6月13日、2014年6月15日、2014年10月19日、2014年11月21日、2015年4月17日、2015年5月2日、2015年5月6日、2015年5月22日、2015年5月28日、2015年6月15日、2015年9月13日、2015年11月11日、2016年5月22日、2016年6月13日、2016年9月7日)からなるトリオが、TNT。で、山田は昨年夏でやめたが、渋さ知らズ(2004年9月1日、2006年1月14日、2006年1月21日、2006年8月27日、2006年11月15日、2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月13日、2008年7月6日、2009年7月26日、2009年9月27日、2010年4月22日、2010年9月19日、2013年5月19日、2015年6月15日)で狼藉し合ってきた仲間たちで組んでいるグループだ。実は、高橋の本業はトロンボーンであり、まれにピアノも弾く山田の主楽器はマリンバやヴァイブですね。リーダーは、本業の楽器を持つ斉藤が務める。彼も洒落で小さなシンセを触った時がほんの少しあり。なお、彼がするMCは謙虚さや韜晦の裏返しだろうが、よくもまあ曲間ごとにあんな楽屋落地的なグダグダ話をするものだと閉口。素晴らしい音楽家なんだから、黙って演奏すればいいのに。
演奏は、望外に良かった。長ーく演奏される素材はセロニアス・モンクやウェイン・ショーター(2001年8月3~5日、2002年8月25日、2004年2月9日、2014年9月7日、2015年9月6日)曲、斉藤のちょいオーネット・コールマン(2006年3月27日)的なメロディ使いもある曲や山田のちょいブルージーな変拍子曲など。ココロに嵐を持つ者たちの、自由なインタープレイ表現が繰り広げられる。
渋さでの演奏だと大人数による音の洪水もあり埋もれてしまうが、こういう素の編成で聞くと、枠を縦横にカっとぶような斉藤のギター演奏の真価が山ほど味わえる。接していて、この人はどんなギター人生を歩んできたのかとすぐに思いは巡る。ソニー・シャーロックのようなかき鳴らし奏法も颯爽と見せる彼は、数回弦を切っていた。木のブリッジのギターを用いた渋さのライヴでは切れないんだけど(通常の)金属製ブリッジのギターを弾くと弦が切れるというようなことを、彼は言っていた。あ、伝えていいことも、MCで言っているか。
とにかく3人の信頼具合がよく分かる、じゃれあい演奏。この日で3度目のギグとなるようだが、一発モノではない起伏もいろいろとあり、その流れにウキウキと身を任せてしまう。高橋の指弾きによるエレクトリック・ベースは強い腰に欠けるかもと思わせられる場合もあるが、フレイジングに関してはきっちりと美味しく、発展を促す音を十全に送り続ける。山田は2人のはみ出し方向にある演奏に反射して叩いていくわけだが、リム・ショットなども用いるそれは完全にジャズが基調。なるほど、音大時代に学校外で3年間もジャズ・ドラマーの小山太郎のレッスンを受けていたという話にも納得がいく。彼女はマレットを2本づつ(つまり、両手で4本)持って、ドラムを叩く曲もあり。これは鍵盤打楽器奏者じゃないと発想しないよな。そういう奏法を見せるドラマーには初めて会ったし、見た目にもアトラクティヴ。ともあれ、多芸は善であり、吉である。
本来の持ち楽器ではないという新鮮さは、高橋にしても山田にしてもそこに間違いなくある。何より、やっている本人たちが事新しいだろう。そして、オーネット・コールマンが自らの表現に新風を吹かせるために当時10歳になったばかりのデナード・コールマン(2006年3月27日)を『The Empty Foxhole』(ブルーノート、1966年)で起用したことがあったという逸話を、ふと思い出したりして。山田の演奏に関しては、それが当てはまるか。当時のデナードと比べたら、山田の方がうまいけど。『The Empty Foxhole』はオーネット親子のほかはベーシストのチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日、2009年9月10日)が入ったトリオで録られていて、オーネットはアルトだけでなくトランペットやヴァイオリンも手にしていた。多芸は善であり、吉である。
広がる、動いていく自分を出すという意思が溢れる。ロックが出てきて以降のジャズが持つべき回路の、少し乱暴ながら、なんとも澄んだ情緒を介する確かなカタチが、そこにはあった。TNTの次のライヴは、3日間の帯で吉祥寺でもたれる“冬の底なしジャズ”の最終日(2月3日)とのこと。
▶︎過去の、斎藤“社長”良一
http://43142.diarynote.jp/?day=20040121
▶︎過去の、高橋保行
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703 藤井オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/ 藤井オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/201207031354584120/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170109 藤井オーケストラ東京
▶過去の、山田あずさ
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/ WUJA BIN BIN
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/ 蝉丸
http://43142.diarynote.jp/201407261220126653/ ダモ鈴木
http://43142.diarynote.jp/201410251052527799/ Down’s Workshop
http://43142.diarynote.jp/201411221353274586/ アトラス
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201505240923518276/ MoMo
http://43142.diarynote.jp/201505310957076398/ タクシー・サウダージ
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/ ヒュー・ロイド
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/ タクシー・サウダージ
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/?day=20160613 QUOLOFUNE
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/ WUJA BIN BIN
▶過去の、渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/200409010713470000/
http://43142.diarynote.jp/200601161256540000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200609031311580000/
http://43142.diarynote.jp/200611190320370000/
http://43142.diarynote.jp/200612060135390000/
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
http://43142.diarynote.jp/200706162321180000/
http://43142.diarynote.jp/200807081247190000/
http://43142.diarynote.jp/200908180046187200/
http://43142.diarynote.jp/200910071809361076/
http://43142.diarynote.jp/201004231559516550/
http://43142.diarynote.jp/201009231554333481/
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
▶過去の、ウェイン・ショーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
▶︎過去の、オーネット/デナード・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶過去の、チャーリー・ヘイデン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
<今日の、前後>
新宿・オリンパスサロンに、Mitch Ikeda写真展「Rocks」を見にいく。平日のお昼だというのに、けっこう見に来ている人がいて、ロック支持層はちゃんといるなあと思った。ミッチ・イケダは、ぼくと同い年のカメラマン。付き合いはそんなになかったけど、お互いフリーでバリバリやり始めた頃が重なっていた。彼は1990年代にロンドンに居住していたことがあり、取材出張の際にそのフラットに行って、和んだこともあった。いろいろ並んだロッカーたちの写真(アジアン・カンフー・ジェネレーションなど、日本人を撮っているのは今回初めて知った)を見て、一葉でストーリーを語る写真を撮っていると感じる。ぼくはジェフ・バックリーの写真が印象深かったかな。一番写真点数が多いのは、とっても懇意にしていたマニック・ストリート・プリーチャーズ。中にはメンバーとフィデル・カストロの写真もあったが、それはマニックスの15年前のキューバ公演(同国でライヴをした、初の西側ロック・バンドと言われる)に彼が同行した際の一コマだ。
「今はあまり音楽の写真は撮っていないんですよ。ファッション・カメラマンをやってる」
「広告の仕事とか?(頷くのを見て)じゃあ、稼いでいるね」
彼は微笑む。いい感じだった。
ライヴを見た後は、赤ら顔をして、ピットイン近くの喫茶店で、雑誌の特集の打ち合わせに臨む。今はメールで済ませちゃうことが多いが、こういう旧式なのもいいな。ま、ページ数が多い場合、それはまだ不可欠ではあるが。意気に燃え、企画を説明してくれる二人の編集者の様に触れつつ、新卒時に出版社に入った自分のことを思い出す。閃きには長けていたかもしれないが、いい編集者ではなかったかもしれないな。今となってみれば……。
ギターの斎藤“社長”良一(2004年1月21日) と電気ベースの高橋保行(2006年7月3日、2010年1月9日、2012年7月1日、2017年1月9日)、ドラムの山田あずさ(2013年5月19日、2014年6月13日、2014年6月15日、2014年10月19日、2014年11月21日、2015年4月17日、2015年5月2日、2015年5月6日、2015年5月22日、2015年5月28日、2015年6月15日、2015年9月13日、2015年11月11日、2016年5月22日、2016年6月13日、2016年9月7日)からなるトリオが、TNT。で、山田は昨年夏でやめたが、渋さ知らズ(2004年9月1日、2006年1月14日、2006年1月21日、2006年8月27日、2006年11月15日、2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月13日、2008年7月6日、2009年7月26日、2009年9月27日、2010年4月22日、2010年9月19日、2013年5月19日、2015年6月15日)で狼藉し合ってきた仲間たちで組んでいるグループだ。実は、高橋の本業はトロンボーンであり、まれにピアノも弾く山田の主楽器はマリンバやヴァイブですね。リーダーは、本業の楽器を持つ斉藤が務める。彼も洒落で小さなシンセを触った時がほんの少しあり。なお、彼がするMCは謙虚さや韜晦の裏返しだろうが、よくもまあ曲間ごとにあんな楽屋落地的なグダグダ話をするものだと閉口。素晴らしい音楽家なんだから、黙って演奏すればいいのに。
演奏は、望外に良かった。長ーく演奏される素材はセロニアス・モンクやウェイン・ショーター(2001年8月3~5日、2002年8月25日、2004年2月9日、2014年9月7日、2015年9月6日)曲、斉藤のちょいオーネット・コールマン(2006年3月27日)的なメロディ使いもある曲や山田のちょいブルージーな変拍子曲など。ココロに嵐を持つ者たちの、自由なインタープレイ表現が繰り広げられる。
渋さでの演奏だと大人数による音の洪水もあり埋もれてしまうが、こういう素の編成で聞くと、枠を縦横にカっとぶような斉藤のギター演奏の真価が山ほど味わえる。接していて、この人はどんなギター人生を歩んできたのかとすぐに思いは巡る。ソニー・シャーロックのようなかき鳴らし奏法も颯爽と見せる彼は、数回弦を切っていた。木のブリッジのギターを用いた渋さのライヴでは切れないんだけど(通常の)金属製ブリッジのギターを弾くと弦が切れるというようなことを、彼は言っていた。あ、伝えていいことも、MCで言っているか。
とにかく3人の信頼具合がよく分かる、じゃれあい演奏。この日で3度目のギグとなるようだが、一発モノではない起伏もいろいろとあり、その流れにウキウキと身を任せてしまう。高橋の指弾きによるエレクトリック・ベースは強い腰に欠けるかもと思わせられる場合もあるが、フレイジングに関してはきっちりと美味しく、発展を促す音を十全に送り続ける。山田は2人のはみ出し方向にある演奏に反射して叩いていくわけだが、リム・ショットなども用いるそれは完全にジャズが基調。なるほど、音大時代に学校外で3年間もジャズ・ドラマーの小山太郎のレッスンを受けていたという話にも納得がいく。彼女はマレットを2本づつ(つまり、両手で4本)持って、ドラムを叩く曲もあり。これは鍵盤打楽器奏者じゃないと発想しないよな。そういう奏法を見せるドラマーには初めて会ったし、見た目にもアトラクティヴ。ともあれ、多芸は善であり、吉である。
本来の持ち楽器ではないという新鮮さは、高橋にしても山田にしてもそこに間違いなくある。何より、やっている本人たちが事新しいだろう。そして、オーネット・コールマンが自らの表現に新風を吹かせるために当時10歳になったばかりのデナード・コールマン(2006年3月27日)を『The Empty Foxhole』(ブルーノート、1966年)で起用したことがあったという逸話を、ふと思い出したりして。山田の演奏に関しては、それが当てはまるか。当時のデナードと比べたら、山田の方がうまいけど。『The Empty Foxhole』はオーネット親子のほかはベーシストのチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日、2009年9月10日)が入ったトリオで録られていて、オーネットはアルトだけでなくトランペットやヴァイオリンも手にしていた。多芸は善であり、吉である。
広がる、動いていく自分を出すという意思が溢れる。ロックが出てきて以降のジャズが持つべき回路の、少し乱暴ながら、なんとも澄んだ情緒を介する確かなカタチが、そこにはあった。TNTの次のライヴは、3日間の帯で吉祥寺でもたれる“冬の底なしジャズ”の最終日(2月3日)とのこと。
▶︎過去の、斎藤“社長”良一
http://43142.diarynote.jp/?day=20040121
▶︎過去の、高橋保行
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703 藤井オーケストラ東京
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http://43142.diarynote.jp/201207031354584120/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170109 藤井オーケストラ東京
▶過去の、山田あずさ
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/ WUJA BIN BIN
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/ 蝉丸
http://43142.diarynote.jp/201407261220126653/ ダモ鈴木
http://43142.diarynote.jp/201410251052527799/ Down’s Workshop
http://43142.diarynote.jp/201411221353274586/ アトラス
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http://43142.diarynote.jp/201505240923518276/ MoMo
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http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/ ヒュー・ロイド
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http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/?day=20160613 QUOLOFUNE
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/ WUJA BIN BIN
▶過去の、渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/200409010713470000/
http://43142.diarynote.jp/200601161256540000/
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http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
▶過去の、ウェイン・ショーター
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http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
▶︎過去の、オーネット/デナード・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶過去の、チャーリー・ヘイデン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
<今日の、前後>
新宿・オリンパスサロンに、Mitch Ikeda写真展「Rocks」を見にいく。平日のお昼だというのに、けっこう見に来ている人がいて、ロック支持層はちゃんといるなあと思った。ミッチ・イケダは、ぼくと同い年のカメラマン。付き合いはそんなになかったけど、お互いフリーでバリバリやり始めた頃が重なっていた。彼は1990年代にロンドンに居住していたことがあり、取材出張の際にそのフラットに行って、和んだこともあった。いろいろ並んだロッカーたちの写真(アジアン・カンフー・ジェネレーションなど、日本人を撮っているのは今回初めて知った)を見て、一葉でストーリーを語る写真を撮っていると感じる。ぼくはジェフ・バックリーの写真が印象深かったかな。一番写真点数が多いのは、とっても懇意にしていたマニック・ストリート・プリーチャーズ。中にはメンバーとフィデル・カストロの写真もあったが、それはマニックスの15年前のキューバ公演(同国でライヴをした、初の西側ロック・バンドと言われる)に彼が同行した際の一コマだ。
「今はあまり音楽の写真は撮っていないんですよ。ファッション・カメラマンをやってる」
「広告の仕事とか?(頷くのを見て)じゃあ、稼いでいるね」
彼は微笑む。いい感じだった。
ライヴを見た後は、赤ら顔をして、ピットイン近くの喫茶店で、雑誌の特集の打ち合わせに臨む。今はメールで済ませちゃうことが多いが、こういう旧式なのもいいな。ま、ページ数が多い場合、それはまだ不可欠ではあるが。意気に燃え、企画を説明してくれる二人の編集者の様に触れつつ、新卒時に出版社に入った自分のことを思い出す。閃きには長けていたかもしれないが、いい編集者ではなかったかもしれないな。今となってみれば……。
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