午後になると曇り空から晴天となり、気分が軽くなって、2つの美術展に突発的に行っちゃう。清澄白河・東京都現代美術館で、ともに3月23日まで開かれる。こんな状況下ゆえ混んではいないのだろうとは思ったが、当日券買えますかと家を出る前に電話で一応尋ねたら、きっぱり大丈夫です。会場内入り口手前に高校生が10人ぐらいいたけど、あれは修学旅行の自由行動の集団? 今、2月にやる学校もけっこうあるというからな。でも、このおり学校側はできるだけリスクを負うのを避ける方向に出ると思われ……。はて。入場料は1800円と1400円だったが、ペアのチケットは2400円だった。
まず、クリチャン・マークレーのほうから見る。自らのアルバムのアート・ワークをしているブツもあり、彼が美術方面にも出張っている人物であるのはおぼろげに知っていたつもりであったが、昨年11月からこの3月までMO+で大々的に彼の展覧会が持たれると知ったときには驚いた。だって、彼はぼくのなかでは1980年代前半に現れたNYアンダーグラウンド/アヴァン音楽界の唯一のターンテーブリストという位置にいるから。
1950年カリフォルニア州生まれ、ジュネーヴ育ち。ボストンの美大を出て、ニューヨークで活動を始める、という経歴をマークレーは持つ。そして、今はロンドンに住んでいるようだ。ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)、ブッチ・モリス、デイヴィッド・モス、エリオット・シャープ(2005年12月11日)、フレッド・フリス(2004年6月9日、2009年1月17日、2016年9月4日)、クロノス・カルテット(2003年12月19日)、大友良英(2002年3月17日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日、2019年11月12日)のグラウンド・ゼロなど、彼は様々な人たちのアルバムに参加するとともに、リーダー作も相当数出している。
1970年代後期から昨年にかけての制作物が展示される。入り口にあったのは、映像が映し出される古いPCのモニター群。2005年に東京のリサイクル工場で材料を調達して作られたようだが、そこにはPC、消費が連鎖する物質社会に対する悪意があるような。いや、<リサイクル工場のためのプロジェクト>という表題からするに、再生賛歌の気持ちがフツーに横たわっている? まあ、いろいろ感じさせるのはマル。彼は日本通のジョン・ゾーンと仲良しなだけあって、日本の漫画を素材に置く展示コーナーも複数あった。
やはり、アナログ・レコード絡みのプロダクツは多い。なかの盤を自在に再構成したり、レコード・ジャケットも切り貼りしたりし、そこから諧謔や批評を浮き上がらせる。それらは、リミックス感覚に貫かれるとも言えるか。発想はいろいろ。口や指の様々な写真だけで構成される一群もあり。それらに触れ、トランク・ルームに眠っているアナログ・レコードを用い、オレもなんかやったろうかという欲望も芽生える。でも、アナログには愛着があるから、切り刻むのは抵抗があるかな。同様に山ほど眠っているCDやCDシングルを用いてなんかしてみようか。←そちらの大半には、なんの未練もない。いやはや、コラージュ調の大きな作品にしてもそうだが、オレもなんかしてえという気持ちを鼓舞するなあ。
また、映像作品群展示もあるのだが、それがまた素晴らしい。一つは<ヴィデオ・カルテット>。それは属性の異なる楽器にまつわる山ほどの映像を4つ横に並べ随時スウィッチング、付随する音込みでそれらを映すというもの。その違和感を感じなくては嘘な総体は不思議な局面(調和と書いてしまうと、少し違うよな)を生み出すとともに、本来バラバラなはずのオリジナル楽器音は重なることで騙し絵的にもう一つの楽曲になってしまう。すげえな。また、<サラウンド・サウンズ>と名付けられた広い空間での出し物にも圧倒された。漫画のカラフルなカット・アップ/コラーシュ映像で成り立つようだが、部屋中の壁にクリエイティヴ極まりない色と模様の波が効果的に映し出される様には、もう……。うひょー、と言うしかありません。
あとぼくが頷いたのは、<グラフィティ・コンポジション>というコーナー。1996年ベルリンで行われた催しで、マークレーは街にデフォルト五線譜だけが印刷されたポスターを5000枚街頭に貼り、それに人々が音符からただの落書きまでいろんなものを書いたものを回収。うち150枚を組み、それは実際の即興演奏のガイドとして使われた。のちに、マークレーは『Graffiti Composition』( Dog w/a Bone)というアルバムを出した。今回の会場は楽譜(?)展示だけだったが、このアルバム音を流してほしかった。
そのCD『Graffiti Composition』は2006年9月にニューヨークのMoMaでなされた実演を収めたもので、制作/まとめ役はエリオット・シャープ(2005年12月11日)がしており、メルヴィン・ギブス(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2014年10月26日、2017年6月23日、2018年10月23日)、メアリー・ハルヴォーソン(2018年7月24日)、ソニック・ユース( 2001年2月20日、2007年4月20日)にいたリー・ラナルド 、ヴァーノン・リード(2000年8月13日、2008年12月16日、2015年10月26日)という面々で演奏されている。
とかなんとか、おおいに勧めます。
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶︎過去の、エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/
▶︎過去の、フレッド・フリス
http://43142.diarynote.jp/200406090118170000/
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
▶︎過去の、クロノス・カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
▶︎過去の、大友良英
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200402061359140000/
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041107
http://43142.diarynote.jp/200504301042210000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200604210538510000/
http://43142.diarynote.jp/200704251227010000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090531
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201203260805006088/
http://43142.diarynote.jp/201307160735048974/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
https://43142.diarynote.jp/201610310943306583/
https://43142.diarynote.jp/201911131405562579/
▶過去の、メルヴィン・ギブス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200411231722390000/
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
http://43142.diarynote.jp/201706240934237865/
https://43142.diarynote.jp/201810240904066739/
▶︎過去の、メアリー・ハルヴォーソン
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶過去の、リー・ナルド/ソニック・ユース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200704251225580000/
▶過去の、ヴァーノン・リード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 8/13
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
http://43142.diarynote.jp/201510290732352521/
そして、もう一つは1937年新潟県生まれ、ニューヨークで長年前衛流れの表現を求め続けた久保田成子の仕事を伝える展覧会だ。彼女は東京教育大で美術を専攻したのち、都内中学校の美術の教師をしながら彫刻系の自己表現を世に問い始める。すでにそのころ4歳年長のオノ・ヨーコ(彼女は、1962〜64年は日本に帰国していた)とも付き合いを持っていた。そして、教師を辞めた1964年に自己表現をがっつり問える場を求め、彼女はニューヨークに渡る。いやあ、やっぱり1ドルが360円に固定されていた時代に海外に渡る人は根性が入っているよなあ。というわけで、この展は彼女のプロダクツを知らせるとともに、彼女の人生やパーソナリティを紹介する方向にある。だから、彼女の書簡、彼女が映った写真群、1970年代に美術手帖にNYからリポートしていたという記事などの展示もある。ヴェトナム人に扮し役者出演した映画も紹介されるし、周辺にいた人たちも伝えるなど、彼女にまつわるものがいろいろ。高校時代の絵もあった。
というわけで、展示は時系列でなされる。1960〜70年代に新風を吹かせ続けた芸術集団のフルクサスにも渡米した当初から属し、オノ・ヨーコのような発想ありきのクリエイター活動をし、なかには<ヴァギナ・ペインティング>というパンクな所作をしたこともあった。それ、言葉から多くの人が思い浮かべるものよりも過激だ。トホホでもあるか。
そんな彼女は1970年代前半にヴィデオと出会い(ビデオ・デンスケと呼ばれた、ソニーのDV-2400というヴィデオ・カメラが用いられた)、これこそが私を表現する最良の手段とばかり、映像を用いる方向の活動に邁進する。そして、彼女は映像を送り出す設定にも懲り、もう一つの感興を受容する者に与えた。オブジェとヴィデオの再生画像を組み合わせた手法は“ビデオ彫刻”と呼ばれたよう。展示物を見ると、実はそうした装置に付けられたヴィジョンに映像が映し出されていないものがあったり、また映像自体も画質が悪いものも少なくない。それに接し、磨き直すことはできなかったのかと一瞬思ったが、<彼女のヴィデオ作品は日記のよう>というような関係者の言葉が紹介されており、画質を良くするとうディレクションは当時の彼女の生きた日々を変質させることにつながるかとぼくは思った。
かなり先進的なヴィジョンのもと、好奇心旺盛に創作にあたっていたことがとても分かる。ちなみに、4人姉妹の末っ子だった彼女の両親はともに教師で、母親は音楽の先生であったという。そんなこともあってか彼女は音楽好きでもあったようで、音楽との関わりもいろいろ持った人物であったことも示される。そうした事実はなにより、彼女の旦那さんにも表れているだろう。最初の夫は、現代音楽の作曲家でありシンセサイザー音楽の嚆矢となったデイヴィッド・バーマン(久保田と同い年、存命)。そして、再婚の相手はジョン・ケイジ他なにかと音楽家と繋がりも持ったヴィデオ・アートの第一人者であるナム・ジュン・パイク(1932年7月20日〜2006年1月29日)だった。しかし、オノ(2018年9月11日)にせよバーマンにしろパイクにせよ、とても富ある家庭の出だな。久保田もおじいさんは名士であったよう。
そんな彼女の<セクシャル・ヒーリング>という4分の1998年発表映像作品はパイクが脳梗塞で倒れた際〜そのとき、彼女は創作活動を控えて介護にあたったという〜の、彼のリハビリの模様を編集したもの。どこかほんわか、ユーモラスでもあるそのモノクロ映像には、マーヴィン・ゲイの同名のあの曲がまんまつけられていた。
彼女は、2015年にニューヨークで逝去。なんか、とっても尊い生き方をした女性。そんな感想しか、出てこない。もちろん、お勧めします。
▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う展覧会
https://43142.diarynote.jp/202010081306571190/
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 15日
▶過去の、︎フルクサスに属した人物の映画
https://43142.diarynote.jp/201901091047191151/
<今日の、インタヴュー>
午前中、zoomでアルト・サックス奏者のチャールズ・マクファーソンに取材する。1978年いこう居住するサンディエゴの自宅(の、ピアノが置いてある居間)で彼は対応してくれたが、82歳ながら頭髪フサフサ、格好良くもいい感じであったな。1939年ミズーリ州生まれ、デトロイト育ち。高校時代にジェイムズ・ジェマーソンやピストル・アレンら後のザ・ファンク・ブラザーズ(2006年4月11日)の構成員たちと演奏することもし、ジェマーソンは当時ダブル・ベースを弾いていたもののモータウンのセッションに関わるようになって電気ベースを手にするようになり、すると“エレクトリック・ベースのチャーリー・パーカー”と呼ばれたんだそう。マクファーソンはアルト奏者ゆえパーカー派となる奏者だが、モータウンの前身が設立された1959年に一度は行ってみなきゃとニューヨークに向かい、彼の演奏を聞いたチャールズ・ミンガスに認められ、1960年にミンガス・グループ入りした。当時、そこでアルト・サックス奏者を務めていたのは、エリック・ドルフィーだった。アルバムによって参加者が流動的だったりするが(唯一変わらなかったのが、ドラマーのダニー・リッチモンド。そんな彼も1970年代前半に、突然UKロック・ユニットのマーク=アーモンドのメンバーになってしまったことがあった)、マクファーソンは1972年までミンガスのグループに在籍した。彼がプレスティッジからリーダー作を出すようになったのは、1965年から。マクファーソンはキャンディドやジャズ・ワークショップという強面レーベルから出ているミンガスのアルバム群にはほぼ入っているか。
今回の取材は、ユニヴァーサル・ミュージックが現在カタログを持つ8作品がリイッシューされるのに際し、数少ないミンガス・バンドの存命者であるマクファーソンが彼のことを語りますという名目でなされた。だいぶCovid-19 も収まってきた(と、彼は言った)ので近く自己グループでツアーに出るという彼だが、その近作は『Jazz Dance Suites』(Chazz Mack Music ,2020年)。実はそれ、彼が嘱託作曲家を務めているサンディエゴ・バレエ団のために2015、2016、2019年に書いた音楽を7人(うち一人は女性シンガー)にて再録音したもの。舞踏と結びついているため、ハード・パップでありつつ曲趣は多彩。全曲マクファーソン作で、そこに収められたサックス音は艶やかにして、雄弁だ。それについては、驚かされる。ジャケット・カヴァーには一人のダンサーも小さく載せられているが、それは娘のカミヨーさん。52歳のときの子供である彼女は8年だかサンディエゴ・バレエ団のソリストを務めている。彼女のインスタグラムには父娘の写真も載せられているが、ホントいい感じだ。
とても、楽しい時間を持てた。ぼくは1993年にコンパイルした“ソウル・ソサエティ”・シリーズのなかの『Prestige #7000’s "Good ’n’ Groovy"』(ビクター、1993年)に彼のポップな「リトル・シュガー・ベイビー」(1968年『From This Moment On!』に収録されている)を入れたことがあったが、ここに来て単純なぼくのマクファーソンへの思いが爆上がり中。うーん、来日の機会がまたないものか。取材原稿は、ユニバーサル・ミュージックのウェッブ<BLUE NOTE CLUB>に出ます。
▶︎過去の、ファンク・ブラザーズ
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm 映画
まず、クリチャン・マークレーのほうから見る。自らのアルバムのアート・ワークをしているブツもあり、彼が美術方面にも出張っている人物であるのはおぼろげに知っていたつもりであったが、昨年11月からこの3月までMO+で大々的に彼の展覧会が持たれると知ったときには驚いた。だって、彼はぼくのなかでは1980年代前半に現れたNYアンダーグラウンド/アヴァン音楽界の唯一のターンテーブリストという位置にいるから。
1950年カリフォルニア州生まれ、ジュネーヴ育ち。ボストンの美大を出て、ニューヨークで活動を始める、という経歴をマークレーは持つ。そして、今はロンドンに住んでいるようだ。ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)、ブッチ・モリス、デイヴィッド・モス、エリオット・シャープ(2005年12月11日)、フレッド・フリス(2004年6月9日、2009年1月17日、2016年9月4日)、クロノス・カルテット(2003年12月19日)、大友良英(2002年3月17日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日、2019年11月12日)のグラウンド・ゼロなど、彼は様々な人たちのアルバムに参加するとともに、リーダー作も相当数出している。
1970年代後期から昨年にかけての制作物が展示される。入り口にあったのは、映像が映し出される古いPCのモニター群。2005年に東京のリサイクル工場で材料を調達して作られたようだが、そこにはPC、消費が連鎖する物質社会に対する悪意があるような。いや、<リサイクル工場のためのプロジェクト>という表題からするに、再生賛歌の気持ちがフツーに横たわっている? まあ、いろいろ感じさせるのはマル。彼は日本通のジョン・ゾーンと仲良しなだけあって、日本の漫画を素材に置く展示コーナーも複数あった。
やはり、アナログ・レコード絡みのプロダクツは多い。なかの盤を自在に再構成したり、レコード・ジャケットも切り貼りしたりし、そこから諧謔や批評を浮き上がらせる。それらは、リミックス感覚に貫かれるとも言えるか。発想はいろいろ。口や指の様々な写真だけで構成される一群もあり。それらに触れ、トランク・ルームに眠っているアナログ・レコードを用い、オレもなんかやったろうかという欲望も芽生える。でも、アナログには愛着があるから、切り刻むのは抵抗があるかな。同様に山ほど眠っているCDやCDシングルを用いてなんかしてみようか。←そちらの大半には、なんの未練もない。いやはや、コラージュ調の大きな作品にしてもそうだが、オレもなんかしてえという気持ちを鼓舞するなあ。
また、映像作品群展示もあるのだが、それがまた素晴らしい。一つは<ヴィデオ・カルテット>。それは属性の異なる楽器にまつわる山ほどの映像を4つ横に並べ随時スウィッチング、付随する音込みでそれらを映すというもの。その違和感を感じなくては嘘な総体は不思議な局面(調和と書いてしまうと、少し違うよな)を生み出すとともに、本来バラバラなはずのオリジナル楽器音は重なることで騙し絵的にもう一つの楽曲になってしまう。すげえな。また、<サラウンド・サウンズ>と名付けられた広い空間での出し物にも圧倒された。漫画のカラフルなカット・アップ/コラーシュ映像で成り立つようだが、部屋中の壁にクリエイティヴ極まりない色と模様の波が効果的に映し出される様には、もう……。うひょー、と言うしかありません。
あとぼくが頷いたのは、<グラフィティ・コンポジション>というコーナー。1996年ベルリンで行われた催しで、マークレーは街にデフォルト五線譜だけが印刷されたポスターを5000枚街頭に貼り、それに人々が音符からただの落書きまでいろんなものを書いたものを回収。うち150枚を組み、それは実際の即興演奏のガイドとして使われた。のちに、マークレーは『Graffiti Composition』( Dog w/a Bone)というアルバムを出した。今回の会場は楽譜(?)展示だけだったが、このアルバム音を流してほしかった。
そのCD『Graffiti Composition』は2006年9月にニューヨークのMoMaでなされた実演を収めたもので、制作/まとめ役はエリオット・シャープ(2005年12月11日)がしており、メルヴィン・ギブス(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2014年10月26日、2017年6月23日、2018年10月23日)、メアリー・ハルヴォーソン(2018年7月24日)、ソニック・ユース( 2001年2月20日、2007年4月20日)にいたリー・ラナルド 、ヴァーノン・リード(2000年8月13日、2008年12月16日、2015年10月26日)という面々で演奏されている。
とかなんとか、おおいに勧めます。
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶︎過去の、エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/
▶︎過去の、フレッド・フリス
http://43142.diarynote.jp/200406090118170000/
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
▶︎過去の、クロノス・カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
▶︎過去の、大友良英
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200402061359140000/
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http://43142.diarynote.jp/200604210538510000/
http://43142.diarynote.jp/200704251227010000/
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http://43142.diarynote.jp/201203260805006088/
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https://43142.diarynote.jp/201610310943306583/
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▶過去の、メルヴィン・ギブス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
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http://43142.diarynote.jp/201706240934237865/
https://43142.diarynote.jp/201810240904066739/
▶︎過去の、メアリー・ハルヴォーソン
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶過去の、リー・ナルド/ソニック・ユース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200704251225580000/
▶過去の、ヴァーノン・リード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 8/13
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
http://43142.diarynote.jp/201510290732352521/
そして、もう一つは1937年新潟県生まれ、ニューヨークで長年前衛流れの表現を求め続けた久保田成子の仕事を伝える展覧会だ。彼女は東京教育大で美術を専攻したのち、都内中学校の美術の教師をしながら彫刻系の自己表現を世に問い始める。すでにそのころ4歳年長のオノ・ヨーコ(彼女は、1962〜64年は日本に帰国していた)とも付き合いを持っていた。そして、教師を辞めた1964年に自己表現をがっつり問える場を求め、彼女はニューヨークに渡る。いやあ、やっぱり1ドルが360円に固定されていた時代に海外に渡る人は根性が入っているよなあ。というわけで、この展は彼女のプロダクツを知らせるとともに、彼女の人生やパーソナリティを紹介する方向にある。だから、彼女の書簡、彼女が映った写真群、1970年代に美術手帖にNYからリポートしていたという記事などの展示もある。ヴェトナム人に扮し役者出演した映画も紹介されるし、周辺にいた人たちも伝えるなど、彼女にまつわるものがいろいろ。高校時代の絵もあった。
というわけで、展示は時系列でなされる。1960〜70年代に新風を吹かせ続けた芸術集団のフルクサスにも渡米した当初から属し、オノ・ヨーコのような発想ありきのクリエイター活動をし、なかには<ヴァギナ・ペインティング>というパンクな所作をしたこともあった。それ、言葉から多くの人が思い浮かべるものよりも過激だ。トホホでもあるか。
そんな彼女は1970年代前半にヴィデオと出会い(ビデオ・デンスケと呼ばれた、ソニーのDV-2400というヴィデオ・カメラが用いられた)、これこそが私を表現する最良の手段とばかり、映像を用いる方向の活動に邁進する。そして、彼女は映像を送り出す設定にも懲り、もう一つの感興を受容する者に与えた。オブジェとヴィデオの再生画像を組み合わせた手法は“ビデオ彫刻”と呼ばれたよう。展示物を見ると、実はそうした装置に付けられたヴィジョンに映像が映し出されていないものがあったり、また映像自体も画質が悪いものも少なくない。それに接し、磨き直すことはできなかったのかと一瞬思ったが、<彼女のヴィデオ作品は日記のよう>というような関係者の言葉が紹介されており、画質を良くするとうディレクションは当時の彼女の生きた日々を変質させることにつながるかとぼくは思った。
かなり先進的なヴィジョンのもと、好奇心旺盛に創作にあたっていたことがとても分かる。ちなみに、4人姉妹の末っ子だった彼女の両親はともに教師で、母親は音楽の先生であったという。そんなこともあってか彼女は音楽好きでもあったようで、音楽との関わりもいろいろ持った人物であったことも示される。そうした事実はなにより、彼女の旦那さんにも表れているだろう。最初の夫は、現代音楽の作曲家でありシンセサイザー音楽の嚆矢となったデイヴィッド・バーマン(久保田と同い年、存命)。そして、再婚の相手はジョン・ケイジ他なにかと音楽家と繋がりも持ったヴィデオ・アートの第一人者であるナム・ジュン・パイク(1932年7月20日〜2006年1月29日)だった。しかし、オノ(2018年9月11日)にせよバーマンにしろパイクにせよ、とても富ある家庭の出だな。久保田もおじいさんは名士であったよう。
そんな彼女の<セクシャル・ヒーリング>という4分の1998年発表映像作品はパイクが脳梗塞で倒れた際〜そのとき、彼女は創作活動を控えて介護にあたったという〜の、彼のリハビリの模様を編集したもの。どこかほんわか、ユーモラスでもあるそのモノクロ映像には、マーヴィン・ゲイの同名のあの曲がまんまつけられていた。
彼女は、2015年にニューヨークで逝去。なんか、とっても尊い生き方をした女性。そんな感想しか、出てこない。もちろん、お勧めします。
▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う展覧会
https://43142.diarynote.jp/202010081306571190/
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 15日
▶過去の、︎フルクサスに属した人物の映画
https://43142.diarynote.jp/201901091047191151/
<今日の、インタヴュー>
午前中、zoomでアルト・サックス奏者のチャールズ・マクファーソンに取材する。1978年いこう居住するサンディエゴの自宅(の、ピアノが置いてある居間)で彼は対応してくれたが、82歳ながら頭髪フサフサ、格好良くもいい感じであったな。1939年ミズーリ州生まれ、デトロイト育ち。高校時代にジェイムズ・ジェマーソンやピストル・アレンら後のザ・ファンク・ブラザーズ(2006年4月11日)の構成員たちと演奏することもし、ジェマーソンは当時ダブル・ベースを弾いていたもののモータウンのセッションに関わるようになって電気ベースを手にするようになり、すると“エレクトリック・ベースのチャーリー・パーカー”と呼ばれたんだそう。マクファーソンはアルト奏者ゆえパーカー派となる奏者だが、モータウンの前身が設立された1959年に一度は行ってみなきゃとニューヨークに向かい、彼の演奏を聞いたチャールズ・ミンガスに認められ、1960年にミンガス・グループ入りした。当時、そこでアルト・サックス奏者を務めていたのは、エリック・ドルフィーだった。アルバムによって参加者が流動的だったりするが(唯一変わらなかったのが、ドラマーのダニー・リッチモンド。そんな彼も1970年代前半に、突然UKロック・ユニットのマーク=アーモンドのメンバーになってしまったことがあった)、マクファーソンは1972年までミンガスのグループに在籍した。彼がプレスティッジからリーダー作を出すようになったのは、1965年から。マクファーソンはキャンディドやジャズ・ワークショップという強面レーベルから出ているミンガスのアルバム群にはほぼ入っているか。
今回の取材は、ユニヴァーサル・ミュージックが現在カタログを持つ8作品がリイッシューされるのに際し、数少ないミンガス・バンドの存命者であるマクファーソンが彼のことを語りますという名目でなされた。だいぶCovid-19 も収まってきた(と、彼は言った)ので近く自己グループでツアーに出るという彼だが、その近作は『Jazz Dance Suites』(Chazz Mack Music ,2020年)。実はそれ、彼が嘱託作曲家を務めているサンディエゴ・バレエ団のために2015、2016、2019年に書いた音楽を7人(うち一人は女性シンガー)にて再録音したもの。舞踏と結びついているため、ハード・パップでありつつ曲趣は多彩。全曲マクファーソン作で、そこに収められたサックス音は艶やかにして、雄弁だ。それについては、驚かされる。ジャケット・カヴァーには一人のダンサーも小さく載せられているが、それは娘のカミヨーさん。52歳のときの子供である彼女は8年だかサンディエゴ・バレエ団のソリストを務めている。彼女のインスタグラムには父娘の写真も載せられているが、ホントいい感じだ。
とても、楽しい時間を持てた。ぼくは1993年にコンパイルした“ソウル・ソサエティ”・シリーズのなかの『Prestige #7000’s "Good ’n’ Groovy"』(ビクター、1993年)に彼のポップな「リトル・シュガー・ベイビー」(1968年『From This Moment On!』に収録されている)を入れたことがあったが、ここに来て単純なぼくのマクファーソンへの思いが爆上がり中。うーん、来日の機会がまたないものか。取材原稿は、ユニバーサル・ミュージックのウェッブ<BLUE NOTE CLUB>に出ます。
▶︎過去の、ファンク・ブラザーズ
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm 映画
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