R.I.P.ジミー・ウェザリー(1943年3月17日〜2021年2月3日)
2021年2月7日 音楽 カントリー・ミュージックとソウル・ミュージック。米国白人固有(と言っていいだろう)の音楽と、黒人の音楽……。その両方を、バリアーなく愛好している人は少ないだろう。ぼくはといえば、ソウルは聞いても苦手感があってカントリーはほぼ聞いてきていない。例外の担い手もいないことはないが。とはいえ、ソウル・ミュージックを追うと、カントリーとソウル表現の微妙な関係を一部抱えてきたことは了解できる。そして、カントリー・ミュージックと真っ向から繋がろうとしたアルバムを出したレイ・チャールズやボビー・ウォマック(2013年5月12日)のようなソウル大家たちがいたことを頭の引き出しに入れている。
……ストーリー性のある曲はジャンルを超える、また名ソウル・シンガーは何を歌おうと味あるソウル・ミュージックになるということかもしれないが。ダン・ペン(2010年8月25日)とスプーナー・オールダムという南部ソウルのソングライターも、彼ら自身は白人でカントリー・ソングと重なるところもある表現者であることは否めない。ダン・ペンの昨年リリースされた26年ぶりのアルバム『Living on Mercy』(The Last Music)はナッシュヴィルとマッスル・ショールズで録音されていて、やはりその両方にまたがるような内容だった。どこか、渋いAORという感じもあったか。ブルーグラスとジャズの関係にもあらわれるように、ジャンルで無味乾燥に区切る聞き方は不毛だと認知しなくてはいけない。
前書きが長くなってが、ジミー・ウェザリーというメロディアスなカントリー畑のシンガー・ソングライターがお亡くなりになった。ミシシッピ州生まれ、学生時代はアメリカン・フットボールのクォーターバックをしたものの、彼は音楽の道に進んだ。なんと言っても、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの大ヒット曲「ミドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」の作者として、彼はソウル史にずっしりと名を刻む人物だ。グラディス・ナイトたちは他にもウェザリーの曲を取り上げている。1970年代はRCAやブッダからリーダー作を出していて、聞いたことはないが、日本盤も出ていたと記憶する。アルバムを出していない期間も長かったが、21世紀に入ってからも複数のアルバムをリリース、彼はナッシュヴィル郊外で自然死した。
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
▶︎過去の、ダン・ペン
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
<今日の、……>
ぼくの中ではかけがえのない音楽の素敵、理屈を超えた音楽の越境性や発展性を教えたピアニストの菊地雅章(1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)のソロ演奏によるアルバムが4月に出る。2013年12月にNYのスタジオで、菊地が求めたヴィンテージのスタンウェイを使い録音された。今まで最後の録音作となっていた『黒いオルフェ〜東京ソロ2012』(ECM、亡くなった翌年の2016年のリリース)が2012年10月26日の録音だから、その1年強後に残したものとなる。
2007年ごろから彼は曲に頼らない出たとこ勝負のフリー・フォーム演奏を志し、晩年2作のECM盤もそのスタンスで録音されたものであったが、今度の『Hanamichi-The Final Studio Recordings』(発売元はRedhookという新レーベル。日本はキング・インターナショナルで、そちらはスタジオで撮られた写真が掲載されたブックレットも添付されるという)と英題されたソロは、6曲中5曲が既成の曲を弾いていること。うち3曲はスタンダード(「マイ・フェイヴァリット・シングス」は2ヴァージョン収められている)と自作の旧曲「リトル・アビ」だ。
プロデュースは、有名韓国人指揮者を父に持つサン・チョン。アーロン・パークス(2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日、2019年10月23日)、シン・イェオン,トーマス・ストレーネン、ベン・モンダー(2005年7月3日、2017年6月7日)、アンドリュー・シリル、ソンジェ・ソン(2019年12月18日)らのECM発のアルバムをいろいろ手がけてきている彼だが、ちゃんと楽曲をモチーフに置いたのはソン・チョンの提案であったようだ。過去、彼が撮ったアーティスト写真もECM作には掲載されていたので、日本盤につくブックレット写真は彼が撮ったものかもしれない。
トレード・マークのうなり声はほぼ入らない形で、研ぎ澄まされた先にある無垢なヴォイスが訥々と舞う。万感の思いとともに傾聴するのみ……。
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、アーロン・パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
https://43142.diarynote.jp/201910241554278796/
▶︎過去の、ベン・モンダー
http://43142.diarynote.jp/200507061225530000/
https://43142.diarynote.jp/201706081034584863/
▶︎過去の、ソンジェ・ソン
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
……ストーリー性のある曲はジャンルを超える、また名ソウル・シンガーは何を歌おうと味あるソウル・ミュージックになるということかもしれないが。ダン・ペン(2010年8月25日)とスプーナー・オールダムという南部ソウルのソングライターも、彼ら自身は白人でカントリー・ソングと重なるところもある表現者であることは否めない。ダン・ペンの昨年リリースされた26年ぶりのアルバム『Living on Mercy』(The Last Music)はナッシュヴィルとマッスル・ショールズで録音されていて、やはりその両方にまたがるような内容だった。どこか、渋いAORという感じもあったか。ブルーグラスとジャズの関係にもあらわれるように、ジャンルで無味乾燥に区切る聞き方は不毛だと認知しなくてはいけない。
前書きが長くなってが、ジミー・ウェザリーというメロディアスなカントリー畑のシンガー・ソングライターがお亡くなりになった。ミシシッピ州生まれ、学生時代はアメリカン・フットボールのクォーターバックをしたものの、彼は音楽の道に進んだ。なんと言っても、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの大ヒット曲「ミドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」の作者として、彼はソウル史にずっしりと名を刻む人物だ。グラディス・ナイトたちは他にもウェザリーの曲を取り上げている。1970年代はRCAやブッダからリーダー作を出していて、聞いたことはないが、日本盤も出ていたと記憶する。アルバムを出していない期間も長かったが、21世紀に入ってからも複数のアルバムをリリース、彼はナッシュヴィル郊外で自然死した。
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
▶︎過去の、ダン・ペン
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
<今日の、……>
ぼくの中ではかけがえのない音楽の素敵、理屈を超えた音楽の越境性や発展性を教えたピアニストの菊地雅章(1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)のソロ演奏によるアルバムが4月に出る。2013年12月にNYのスタジオで、菊地が求めたヴィンテージのスタンウェイを使い録音された。今まで最後の録音作となっていた『黒いオルフェ〜東京ソロ2012』(ECM、亡くなった翌年の2016年のリリース)が2012年10月26日の録音だから、その1年強後に残したものとなる。
2007年ごろから彼は曲に頼らない出たとこ勝負のフリー・フォーム演奏を志し、晩年2作のECM盤もそのスタンスで録音されたものであったが、今度の『Hanamichi-The Final Studio Recordings』(発売元はRedhookという新レーベル。日本はキング・インターナショナルで、そちらはスタジオで撮られた写真が掲載されたブックレットも添付されるという)と英題されたソロは、6曲中5曲が既成の曲を弾いていること。うち3曲はスタンダード(「マイ・フェイヴァリット・シングス」は2ヴァージョン収められている)と自作の旧曲「リトル・アビ」だ。
プロデュースは、有名韓国人指揮者を父に持つサン・チョン。アーロン・パークス(2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日、2019年10月23日)、シン・イェオン,トーマス・ストレーネン、ベン・モンダー(2005年7月3日、2017年6月7日)、アンドリュー・シリル、ソンジェ・ソン(2019年12月18日)らのECM発のアルバムをいろいろ手がけてきている彼だが、ちゃんと楽曲をモチーフに置いたのはソン・チョンの提案であったようだ。過去、彼が撮ったアーティスト写真もECM作には掲載されていたので、日本盤につくブックレット写真は彼が撮ったものかもしれない。
トレード・マークのうなり声はほぼ入らない形で、研ぎ澄まされた先にある無垢なヴォイスが訥々と舞う。万感の思いとともに傾聴するのみ……。
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、アーロン・パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
https://43142.diarynote.jp/201910241554278796/
▶︎過去の、ベン・モンダー
http://43142.diarynote.jp/200507061225530000/
https://43142.diarynote.jp/201706081034584863/
▶︎過去の、ソンジェ・ソン
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
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