ファンク・オン・ダ・テーブル
2019年2月7日 音楽 ギターの山岸潤史(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、2005年7月30日、2005年7月31日、2007年2月3日、2007年2月4日、2007年2月5日、2008年9月11日、2009年5月19日、2009年7月27日、2010年8月4日、2011年5月17日、2012年9月8日、2013年6月13日、2014年7月29日、2015年1月29日、2016年1月15日、2018年2月13日)、山岸とニューオーリンズでパパ・グロウズ・ファンクを一緒にやっていたキーボードと歌のジョン・グロウ(2004年3月30日、2007年2月5日、2009年7月27日、2018年2月13日)、ベースのKen Ken(2015年5月24日、2018年2月13日)、女性ドラマーのニッキ・グラスピー(2006年9月4日、2012年7月30日、2015年7月27日、2018年2月13日)の4人組。昨年2月に続く、来日公演だ。昨年の6月にはニューオーリンズのティピティナズで公演もやっていて、それはライヴ・アルバムになった。
恵比寿・リキッドルーム。昨年の渋谷・クラブクアトロ公演(2018年2月13日)が常軌を逸した混み方だったが、今回はハコも大きくなり少しは楽に見れるかと思ったら、やっぱり混んでいた(笑)。
野生の、嵐吹きまくる、大ファンク。もう、嘘偽りなし、正真正銘のライヴ・バンド。とはいえ、4人の結びつきが強固になったためか、ジャム風ななあなあさは頭のほうは出さずにきっちりばしっとことに当たる。イエイ。早く、スタジオ録音作をだしてくれないかー。面々、それぞれにキャラあり。山岸の演奏は相変わらず、クォーテーションが豊富。たとえば、ザ・ビートルズの「カム・トゥゲサー」(ヴードゥ・ヴァージョン)の際に、彼はソロのパートでザ・ビートルズの「エレノア・リグビー」のメロディを出すなど……。とか様々なところで、本当に彼は音楽知識に長けていると思わずにはいられず。ただ今ニューオーリンズから来日中の洗濯板奏者のウォッシュボード・チャズ(2014年4月8日)も途中で入った。
アンコールの際、最初に山岸だけが出てきて一人で訥々と演奏。それ、ビル・フリゼール(2000年7月21日、2006年5月14日、2009年5月8日、2011年1月30日、2017年1月12日、2017年1月13日、2017年6月19日)が素朴な曲をソウルフルに爪弾いている感じもあった? June版アメリカーナ・ギター表現? この晩なにげに寒くなく、会場をでたあとコートを手に街を歩いた。
▶過去の、山岸潤史
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040330
http://43142.diarynote.jp/200508060616450000/
http://43142.diarynote.jp/200508060622480000/
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
http://43142.diarynote.jp/200702121118370000/
http://43142.diarynote.jp/200702122331070000/
http://43142.diarynote.jp/200809160030188727/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090519
http://43142.diarynote.jp/?day=20090727
http://43142.diarynote.jp/?day=20100804
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908
http://43142.diarynote.jp/201306171646424744/
http://43142.diarynote.jp/201408051721103640/
http://43142.diarynote.jp/201501301446383781/
http://43142.diarynote.jp/201601190806343491/
https://43142.diarynote.jp/201802141255168037/
▶過去の、ジョン“パパ”グロウ
http://43142.diarynote.jp/200403300522210000/
http://43142.diarynote.jp/200702122331070000/
http://43142.diarynote.jp/200908071452433928/
https://43142.diarynote.jp/201802141255168037/
▶︎過去の、Ken Ken
http://43142.diarynote.jp/201505260835591800/
https://43142.diarynote.jp/201802141255168037/
▶︎過去の、ニッキ・グラスピー
http://43142.diarynote.jp/200609070212050000/
http://43142.diarynote.jp/201208091321435870/
http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
https://43142.diarynote.jp/201802141255168037/
▶︎過去の、ウォッシュボード・チャズ
https://43142.diarynote.jp/201404091130519288/
▶過去の、ビル・フリゼール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200605160543260000/
http://43142.diarynote.jp/200905101005501321/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
http://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
<今日の、傑物>
1953年三重県伊勢市の生まれの山岸潤史は、京都の同志社大学の音楽サークル内で組まれたウェスト・ロード・ブルース・バンドに入り、知名度を得た。以下は、あまり語られることのない、彼の初期物語りなり。
洋楽にあふれた家庭に一人っ子として育ち(母親は教師であったという)、小学校6年生の頭にお小遣いやお年玉をためお金で8050円のテスコ製のエレクトリック・ギターを購入。すると、なぜかすぐに弾けてしまい、ラジオから流れてくる洋楽に合わせてギターを弾く毎日を過ごした。早熟。最初のバンドも、小学校在学中に組んだ。以降、音楽全般を愛好する図抜けたギター小僧の生活を送ることとなる。
だが、その一方で彼は運動神経が良く、短距離、マラソン、幅跳びなど陸上競技に際立った才を示した。そして、高校はそちらの特待生で松坂市にある三重高校に入学。1年生のときは“陸上>音楽”という生活を送っていたが、2年に入るとまたバンドを組むようになり、ライト・ミュージック・コンテスト(ヤマハ主催の、全国規模のバンド・コンテスト。1967年から71年にかけて開かれた)で三重県3位に入賞。3年生になると大好きだったレッド・ツェッペリンのコピー・バンドを組んでおり、ひょんなことから内田裕也の知遇を得て、彼がプロデュースした麻生レミ(当時の、No.1ロック・シンガー)の大阪サンケイホールで開かれたコンサートに、一番最初の前座として出演もしている。
高校卒業後、彼は短距離選手としての推薦で駒澤大学に入学した。だが、体育会は無理と1日であっさりやめてしまう。そして、親の要望もあり、そのまま東京で予備校に通う生活を送った。だが、夏休みに実家に帰った際にウェスト・ロード・ブルース・バンドがギターを探していると電話があって、京都に行き、1時間のジャム・セッションを経て加入。その最初のステージは、B.B.キングの来日公演の前座だった。その後、ソー・バッド・レヴューを経て、1978年に京都から東京に拠点を移す。そして、数々の渡米を経て、これぞ自分が住む処とニューオーリンズに引っ越したのは1995年だった。ありゃ、なんか話が面白すぎて、日本人のバイオ書いている気がしねえ……。
恵比寿・リキッドルーム。昨年の渋谷・クラブクアトロ公演(2018年2月13日)が常軌を逸した混み方だったが、今回はハコも大きくなり少しは楽に見れるかと思ったら、やっぱり混んでいた(笑)。
野生の、嵐吹きまくる、大ファンク。もう、嘘偽りなし、正真正銘のライヴ・バンド。とはいえ、4人の結びつきが強固になったためか、ジャム風ななあなあさは頭のほうは出さずにきっちりばしっとことに当たる。イエイ。早く、スタジオ録音作をだしてくれないかー。面々、それぞれにキャラあり。山岸の演奏は相変わらず、クォーテーションが豊富。たとえば、ザ・ビートルズの「カム・トゥゲサー」(ヴードゥ・ヴァージョン)の際に、彼はソロのパートでザ・ビートルズの「エレノア・リグビー」のメロディを出すなど……。とか様々なところで、本当に彼は音楽知識に長けていると思わずにはいられず。ただ今ニューオーリンズから来日中の洗濯板奏者のウォッシュボード・チャズ(2014年4月8日)も途中で入った。
アンコールの際、最初に山岸だけが出てきて一人で訥々と演奏。それ、ビル・フリゼール(2000年7月21日、2006年5月14日、2009年5月8日、2011年1月30日、2017年1月12日、2017年1月13日、2017年6月19日)が素朴な曲をソウルフルに爪弾いている感じもあった? June版アメリカーナ・ギター表現? この晩なにげに寒くなく、会場をでたあとコートを手に街を歩いた。
▶過去の、山岸潤史
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040330
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▶過去の、ジョン“パパ”グロウ
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▶︎過去の、Ken Ken
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▶︎過去の、ニッキ・グラスピー
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▶︎過去の、ウォッシュボード・チャズ
https://43142.diarynote.jp/201404091130519288/
▶過去の、ビル・フリゼール
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https://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
<今日の、傑物>
1953年三重県伊勢市の生まれの山岸潤史は、京都の同志社大学の音楽サークル内で組まれたウェスト・ロード・ブルース・バンドに入り、知名度を得た。以下は、あまり語られることのない、彼の初期物語りなり。
洋楽にあふれた家庭に一人っ子として育ち(母親は教師であったという)、小学校6年生の頭にお小遣いやお年玉をためお金で8050円のテスコ製のエレクトリック・ギターを購入。すると、なぜかすぐに弾けてしまい、ラジオから流れてくる洋楽に合わせてギターを弾く毎日を過ごした。早熟。最初のバンドも、小学校在学中に組んだ。以降、音楽全般を愛好する図抜けたギター小僧の生活を送ることとなる。
だが、その一方で彼は運動神経が良く、短距離、マラソン、幅跳びなど陸上競技に際立った才を示した。そして、高校はそちらの特待生で松坂市にある三重高校に入学。1年生のときは“陸上>音楽”という生活を送っていたが、2年に入るとまたバンドを組むようになり、ライト・ミュージック・コンテスト(ヤマハ主催の、全国規模のバンド・コンテスト。1967年から71年にかけて開かれた)で三重県3位に入賞。3年生になると大好きだったレッド・ツェッペリンのコピー・バンドを組んでおり、ひょんなことから内田裕也の知遇を得て、彼がプロデュースした麻生レミ(当時の、No.1ロック・シンガー)の大阪サンケイホールで開かれたコンサートに、一番最初の前座として出演もしている。
高校卒業後、彼は短距離選手としての推薦で駒澤大学に入学した。だが、体育会は無理と1日であっさりやめてしまう。そして、親の要望もあり、そのまま東京で予備校に通う生活を送った。だが、夏休みに実家に帰った際にウェスト・ロード・ブルース・バンドがギターを探していると電話があって、京都に行き、1時間のジャム・セッションを経て加入。その最初のステージは、B.B.キングの来日公演の前座だった。その後、ソー・バッド・レヴューを経て、1978年に京都から東京に拠点を移す。そして、数々の渡米を経て、これぞ自分が住む処とニューオーリンズに引っ越したのは1995年だった。ありゃ、なんか話が面白すぎて、日本人のバイオ書いている気がしねえ……。
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