ブロンスキ・ビートのキーボード奏者だったスティーヴ・ブロンスキが亡くなった。詳細は不明。そのシンガーを務めていたジミー・ソマーヴィルがSNSで死を伝えたことで、ニュースは広まったようだ。みんなゲイであることを公言する鍵盤2+歌手1の3人組で、ゲイである悲哀を歌った1984年デビュー曲「スモール・タウン・ボーイ」が英米でヒットし、一躍知られる存在となった。彼らは当時ロンドン・レコードと契約していたが、そのころ麻布台に同レーベルを扱う(日本の)ロンドン・レコードがあったっけ。4つ打ちのシンセサイザー・サウンド(どちらかというと、マイナー・キー)に乗るソウル流れのファルセット・ヴォイス……。そんな彼らの表現は当時のUK若人のソウル好きをたんまり知らせるとともに、ヒットしたことでゲイやそれに理解を示す人が増えていることを、ぼくは知った。
翌年フロントに立っていたジミー・ソマーヴィルは脱退してしまう。だが、ブロンスキ・ビートは1995年まで活動を続け、また2017年にもアルバムをリリースした。ソマーヴィルはよりレフト・ウィングな態度も出すザ・コミュナーズを結成し、より大きな支持を得る。このブログで書いたことがあるが、ぼくが1987年冬にロンドンに行った際、ロイヤル・アルバート・ホールでザ・コミュナーズを見た。その前座はジャイヴ所属のUKブラックのルビー・ターナーと、英CBSからデビューしたばかりのテレンス・トレント・ダービーだった。
なお、ブロンスキとソマーヴィルはグラスゴー出身。持たざる者が、愛や性愛を出しやすいソウル/ディスコ様式に倣い、エレクトロな味付けのもと素を出す。と書くと、普通な感じになってしまうが、それはなんとも妙味を持ち、時代の風情を抱えていた。
夕方、渋谷・Bunkamuraオーチャードホールで、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日、2020年10月5日、2021年6月23日)のビッグ・バンド公演を見る。
<サリュート・トゥ・デューク・エリントン>という表題にあるように、優美にして闊達なデューク・エリントン(けっこう片腕役のビリー・ストレイホーンの曲もやったな)楽曲を、オリジナル同様大きな編成でやるという設定のライヴとなる(少し渡辺や村田の自作曲も披露)。アルト・サックスの渡辺貞夫に加え、トランペット・セクションの西村浩二と奥村晶と菅坂雅彦と岡崎好朗、トロンボーン・セクションが村田陽一と辻冬樹と奥村晃と山城純子、サックス・セクションが吉田治、近藤和彦、小池修、竹野昌邦、竹村直哉、リズム・セクションが小野塚晃(ピアノ)とダブル・ベースの粟谷巧(ベース)とドラムの竹村一哲という16人でことに当たる。
村田(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、2020年10月5日、他)はステージで、管奏者たちが位置する場所と反対側のリズム・セクション側に立つ。つまり、目立つ立ち位置を与えられていたが、それも当然だろう。すべての曲が村田のアレンジによるもので、やはりそれが今回の肝であったから。
いまだ朽ちぬエリントン楽曲/大所帯サウンドの素晴らしさを素直に浮かび上がらせる方向に出る実演かと思って行ったら、さにあらず。何気に定番曲を外す曲選びのもと、フレッシュなハーモニーや仕掛けがそれぞれに与えられ、その上質な“絨毯”の上で渡辺が悠々と吹くという指針を持つショウであったのだ。言うなれば、当時のエリントン・サウンドではなく、現在のエリントン・サウンドのもと、アルト・サックスを踊らせようとするものだった。
1曲めが終わった際のMCで竹村一哲を紹介する際、「今日は彼が大活躍します」といった言葉を添えたが、確かにリズムも立ち気味のものが採用されていた。あまりに耳にハマった曲の場合だと、こういうふうに行くのかと軽い肩透かしを覚える局面もあるのだが、やはりノスタルジーではなく、今を取ろうとするライヴを御大が求めていたことは鮮明に出ていた。その指針に、なんの異議があろうか。
しかし、げんざい渡辺貞夫を見ると、微妙な感情を覚えざるを得ない。だいぶ退化している同じ年齢の母親の様と比較してしまい……。マジ、彼は超人だな。そして、ツアーを続けてきているにも関わらずたっぷり2部構成のショウをこなし、吹いていたのだから。本人も達成感を覚えていたと思う。会場の横の業務車が停める駐車場には、大きな録音&映像関連トラックが2台止められていた。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
▶過去の、村田陽一
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/201003101342028780/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111220
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908 ベン・E・キング
http://43142.diarynote.jp/?day=20141214
http://43142.diarynote.jp/?day=20150927
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
<今日は強く怒りを覚え、悲しくなった>
母親のドコモの携帯が壊れてしまい、先週からいろいろとやっている。容易に動けず、ボケもきている母親の代わりにぼくが動かなくてはならない。姉も忙しいと言っているし。委任状とIDのコピーを用意でき一括で購入するなら、ぼくの家の近くにあるドコモ・ショップで新しい携帯が買えるというので、今日は午前中から手続きをした末に母親に新しい携帯を届けようと思った。母親の近くに住む姉から、委任状や彼女の保険証のコピーが届いたし。その委任状には母親の住所や電話番号や署名の項だけ母親が書き、押印してあった。他はぼくが書いていいのかと思い提出すると、提出日の日付とか、委任する人物(つまり、ぼく)の名前や住所も母親が書かなくてはけないので、受け付けられないと窓口で戻される。おいおい。抜けているところはあるが国際弁護士をしている姉も、委任状の他の項目はぼくが書いていいと思ったらしいぞ。
まあ、しょうがねえ。すでに電話が壊れて1週間以上経つし、一念発起して、これから母親のところまで行って、もう一度委任状を書いてもらい、母親の住んでいるとこに近いドコモ・ショップに持参して新たな携帯(ずっとヴァージョン・アップされていないガラ携でも5万円もするのね)を買おうと思い、該当のドコモ・ショップに電話をかけたら今日は予約はいっぱいだと言われる。日曜だしな。少し事情を説明していたら、母親の電話番号のデーターを見たのだろう、保険プログラムに入っているので新たに買う必要はないと先方は言う。そして彼は電話でその手続きができると、うれしいことを言う。だが、その際に母親も電話に出る必要があるというので、母親のところに1時間半かけて直行した。そして、その専用窓口に電話をしたら、ネット手続きすると手数料がタダになる(か、安くなるかは忘れた)ので、それでやりますかと担当が言う。母親はメールもしないし、当然PCも持っていない。では、ぼくが代理でやっていいですかと問うと電話先の小僧が本人じゃなきゃとダメだと拒否する。なら、手数料たんまりかかっても構わないので、電話で今手続きする由を伝えたら、先方はお母さんと変わってください。そして、彼女に電話番号や住所を言わせた後、代わりの電話が届いたときの事を言ったようなのだが(たぶん、カードを移し換えるとかそういう事だと思う)、母親は何を言っているのか分からず、ぼくに電話を戻してくる。ぼくに代わり、88歳の母親に難しいことは無理ですと伝えると、先方はそんな人ではダメなので改めて委任状と本人IDを郵送していただき手続きしたいというようなことを、ロボットのように言いやがった。
その失礼千万な対応は年寄りが騙されないようにするためのガイド・ラインから来るものかもしれないが、そんなダメな老人から毎年お金を引き落としておいて、いざ保険を行使する段階になって、老人を排除する対応をするというのは考えられない。それだったら、最初から契約なんかするんじゃねえ。ましてや、今回の案件は、母親がお金を払う事案でないのに。理不尽な対応に、怒りがこみ上げた。でも、大人の対応をしようと思いつつ、少し語気を強めて、ちゃんと説明していただけますかと言い、母親ともう一度話してもらい、なんとか代替え品が明日とどくことになった。まあ、auもソフトバンクも同じような非人間的対応をするのかもしれないし、対応する人の心地によっても変わるかもしれない。だが、今回の一連のドコモの対応は、2番めのドコモ・ショップの人を除いては0点。もう、心からドコモ潰れろと思っている。明日、また母親のところにいって、届いた電話を使えるようにしてげなきゃ。
翌年フロントに立っていたジミー・ソマーヴィルは脱退してしまう。だが、ブロンスキ・ビートは1995年まで活動を続け、また2017年にもアルバムをリリースした。ソマーヴィルはよりレフト・ウィングな態度も出すザ・コミュナーズを結成し、より大きな支持を得る。このブログで書いたことがあるが、ぼくが1987年冬にロンドンに行った際、ロイヤル・アルバート・ホールでザ・コミュナーズを見た。その前座はジャイヴ所属のUKブラックのルビー・ターナーと、英CBSからデビューしたばかりのテレンス・トレント・ダービーだった。
なお、ブロンスキとソマーヴィルはグラスゴー出身。持たざる者が、愛や性愛を出しやすいソウル/ディスコ様式に倣い、エレクトロな味付けのもと素を出す。と書くと、普通な感じになってしまうが、それはなんとも妙味を持ち、時代の風情を抱えていた。
夕方、渋谷・Bunkamuraオーチャードホールで、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日、2020年10月5日、2021年6月23日)のビッグ・バンド公演を見る。
<サリュート・トゥ・デューク・エリントン>という表題にあるように、優美にして闊達なデューク・エリントン(けっこう片腕役のビリー・ストレイホーンの曲もやったな)楽曲を、オリジナル同様大きな編成でやるという設定のライヴとなる(少し渡辺や村田の自作曲も披露)。アルト・サックスの渡辺貞夫に加え、トランペット・セクションの西村浩二と奥村晶と菅坂雅彦と岡崎好朗、トロンボーン・セクションが村田陽一と辻冬樹と奥村晃と山城純子、サックス・セクションが吉田治、近藤和彦、小池修、竹野昌邦、竹村直哉、リズム・セクションが小野塚晃(ピアノ)とダブル・ベースの粟谷巧(ベース)とドラムの竹村一哲という16人でことに当たる。
村田(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、2020年10月5日、他)はステージで、管奏者たちが位置する場所と反対側のリズム・セクション側に立つ。つまり、目立つ立ち位置を与えられていたが、それも当然だろう。すべての曲が村田のアレンジによるもので、やはりそれが今回の肝であったから。
いまだ朽ちぬエリントン楽曲/大所帯サウンドの素晴らしさを素直に浮かび上がらせる方向に出る実演かと思って行ったら、さにあらず。何気に定番曲を外す曲選びのもと、フレッシュなハーモニーや仕掛けがそれぞれに与えられ、その上質な“絨毯”の上で渡辺が悠々と吹くという指針を持つショウであったのだ。言うなれば、当時のエリントン・サウンドではなく、現在のエリントン・サウンドのもと、アルト・サックスを踊らせようとするものだった。
1曲めが終わった際のMCで竹村一哲を紹介する際、「今日は彼が大活躍します」といった言葉を添えたが、確かにリズムも立ち気味のものが採用されていた。あまりに耳にハマった曲の場合だと、こういうふうに行くのかと軽い肩透かしを覚える局面もあるのだが、やはりノスタルジーではなく、今を取ろうとするライヴを御大が求めていたことは鮮明に出ていた。その指針に、なんの異議があろうか。
しかし、げんざい渡辺貞夫を見ると、微妙な感情を覚えざるを得ない。だいぶ退化している同じ年齢の母親の様と比較してしまい……。マジ、彼は超人だな。そして、ツアーを続けてきているにも関わらずたっぷり2部構成のショウをこなし、吹いていたのだから。本人も達成感を覚えていたと思う。会場の横の業務車が停める駐車場には、大きな録音&映像関連トラックが2台止められていた。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
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▶過去の、村田陽一
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https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
<今日は強く怒りを覚え、悲しくなった>
母親のドコモの携帯が壊れてしまい、先週からいろいろとやっている。容易に動けず、ボケもきている母親の代わりにぼくが動かなくてはならない。姉も忙しいと言っているし。委任状とIDのコピーを用意でき一括で購入するなら、ぼくの家の近くにあるドコモ・ショップで新しい携帯が買えるというので、今日は午前中から手続きをした末に母親に新しい携帯を届けようと思った。母親の近くに住む姉から、委任状や彼女の保険証のコピーが届いたし。その委任状には母親の住所や電話番号や署名の項だけ母親が書き、押印してあった。他はぼくが書いていいのかと思い提出すると、提出日の日付とか、委任する人物(つまり、ぼく)の名前や住所も母親が書かなくてはけないので、受け付けられないと窓口で戻される。おいおい。抜けているところはあるが国際弁護士をしている姉も、委任状の他の項目はぼくが書いていいと思ったらしいぞ。
まあ、しょうがねえ。すでに電話が壊れて1週間以上経つし、一念発起して、これから母親のところまで行って、もう一度委任状を書いてもらい、母親の住んでいるとこに近いドコモ・ショップに持参して新たな携帯(ずっとヴァージョン・アップされていないガラ携でも5万円もするのね)を買おうと思い、該当のドコモ・ショップに電話をかけたら今日は予約はいっぱいだと言われる。日曜だしな。少し事情を説明していたら、母親の電話番号のデーターを見たのだろう、保険プログラムに入っているので新たに買う必要はないと先方は言う。そして彼は電話でその手続きができると、うれしいことを言う。だが、その際に母親も電話に出る必要があるというので、母親のところに1時間半かけて直行した。そして、その専用窓口に電話をしたら、ネット手続きすると手数料がタダになる(か、安くなるかは忘れた)ので、それでやりますかと担当が言う。母親はメールもしないし、当然PCも持っていない。では、ぼくが代理でやっていいですかと問うと電話先の小僧が本人じゃなきゃとダメだと拒否する。なら、手数料たんまりかかっても構わないので、電話で今手続きする由を伝えたら、先方はお母さんと変わってください。そして、彼女に電話番号や住所を言わせた後、代わりの電話が届いたときの事を言ったようなのだが(たぶん、カードを移し換えるとかそういう事だと思う)、母親は何を言っているのか分からず、ぼくに電話を戻してくる。ぼくに代わり、88歳の母親に難しいことは無理ですと伝えると、先方はそんな人ではダメなので改めて委任状と本人IDを郵送していただき手続きしたいというようなことを、ロボットのように言いやがった。
その失礼千万な対応は年寄りが騙されないようにするためのガイド・ラインから来るものかもしれないが、そんなダメな老人から毎年お金を引き落としておいて、いざ保険を行使する段階になって、老人を排除する対応をするというのは考えられない。それだったら、最初から契約なんかするんじゃねえ。ましてや、今回の案件は、母親がお金を払う事案でないのに。理不尽な対応に、怒りがこみ上げた。でも、大人の対応をしようと思いつつ、少し語気を強めて、ちゃんと説明していただけますかと言い、母親ともう一度話してもらい、なんとか代替え品が明日とどくことになった。まあ、auもソフトバンクも同じような非人間的対応をするのかもしれないし、対応する人の心地によっても変わるかもしれない。だが、今回の一連のドコモの対応は、2番めのドコモ・ショップの人を除いては0点。もう、心からドコモ潰れろと思っている。明日、また母親のところにいって、届いた電話を使えるようにしてげなきゃ。
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