R.I.P. パディ・モローニ(1938年8月1日〜2021年10月11日)、ディオン・エスタス(1956年7月4日– 2021年10月11日)。映画「SAYONARA AMERICA」。
2021年10月12日 音楽 巨星墜つ。という書き方がなんら違和感のない、偉大なアイルランド人音楽家であるパディ・モローニがお亡くなりになった。彼は世界中に影響を与えたトラッド・グループのザ・チーフタンズ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日、2012年11月22日、2012年11月30日、2017年11月30日)でイーリアン・パイプやホイッスルを担当し、メインの作編曲もしていた偉才だ。すぐに、同国大統領も声明を出したという。来日もいろいろ、そのときの様々な所作が思い出される。
▶過去のザ・チーフタンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/
http://43142.diarynote.jp/201209181228508895/
http://43142.diarynote.jp/201211241109408189/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
https://43142.diarynote.jp/201712011129041106/
また、英国で活躍した米国人ベーシストであるディオン・エスタスの訃報も届いている。デトロイト生まれでジェイムス・ジェマーソンにベースを習ったりした彼は、同地のR&Bセルフ・コンテインド・バンドであるブレインストーム(ベリータ・ウッズもここから出た)の2作のレコーディングに参加するなど10代のころから頭角を著し、ジニー“ギター”ワトソンやハーヴィ・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2014年5月28日、2016年4月5日、2017年9月1日、2019年10月17日)のアルバムにも録音参加した。だが、1980年代初頭に渡欧し、ベルギーやアイルランドを経てロンドンに。そして、彼はエルトン・ジョンやワム!のレコーディングに関わり、とくにワム!解散後もジョージ・マイケル表現に関与、1988年には彼も部分関与した自らヴォーカルを取る『Spell』(Mika,1989年)を発表した。死因は発表されていない。
▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
https://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
https://43142.diarynote.jp/201910180828345862/
外苑前・ギャガ試写室で、2021年日本映画『サヨナラアメリカ』を見る。2019年5〜6月に行われた細野晴臣(2009年10月12日、2010年4月15日、2010年11月21日、2011年8月7日ち2012年8月12日、2012年9月5日、2013年1月29日、2013年8月7日、2013年8月11日、2014年10月25日、2017年11月13日)の2箇所の米国公演の模様を伝えるドキュメンタリーだ。監督は細野の過去〜現在を括った2019年映画『NO SMOKING』を撮った佐渡岳利。それ、ぼくは未見だ。
ギターをつまびきながら歌う御大をサポートするのは、ギター/スティール・ギター/マンドリンの高田漣(2007年1月27日、2007年11月27日、2009年10月31日、2014年10月25日、2018年10月20日)、ダブル・ベース/電気ベースの伊賀航(2021年5月26日)、ドラムの伊藤大地(2013年2月5日、2013年9月20日、2015年7月27日、2018年10月20日) 、キーボードとアコーディオンの野村卓史の4人。ホーギー・カーマイケルらのカヴァーも含む、ルーツィなアメイリカン・ミュージックを根に置く、ここのところ見せている手作り/滋味ホソノ・ミュージック路線ですね。まあ、はっぴえんど後の初ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』(ベルウッド、1973年)に最大級の成熟とともに戻った、なんて言い方もできるかもしれない。
ライヴ映像は頭にニューヨーク公演(グラマシー・シアターで、定員650人。2日間行われた)の模様が紹介される以外は、マヤ・シアターにおけるロサンゼルス公演の映像がずっと使われる。1700人キャパのそっちのソースは『あめりか / Hosono Haruomi Live in US 2019』(ビクター、2019年)でアルバム化されている。各曲はけっこうカットされずに使われ、そうした指針はじっくりと細野の米国公演を共有しているという気持ちになれるか。観客へのインタヴューは聞いていて、楽しい。米国人のなかでも珍しい方の部類に入る人たちだろうけど、みんなよく細野の音楽を聞いている(何気に『フィルハーモニー』が人気?)な。
終始、いい感じで観客に受けるアメリカにおける細野晴臣……。タイトルの、「SAYONARA AMERICA」はラリってスタジオに乱入してきたヴァン・ダイク・パークス(2013年1月29日。このLA公演の楽屋にも出てくる)の関与がなかったら出来上がらなかったと言われる はっぴえんどの1973年LA録音曲「さよならアメリカ さよならニッポン」からの引用か。あの曲は日本にも米国にも違和感を覚える根無し草なワタシという意味合いを込めていたと思うが、この映画では、自分の音楽に多大なインスピレーションを与えてくれたアメリカ合衆国への落とし前(恩返し)ができた、という心境の反映のように感じられる。
監督の佐渡は1990年入局のNHK職員であり、この映画はNHKエンタープライズの制作。結構な経験を持つようだが、その映像構成手腕は他の多くのこの手の音楽映画を見ている者としては上等ではない。特にそう感じてしまうのは、古い映画や記録映像をインサートするときの手際。その映像の探し方が浅く、入れ方が単純で画一的。それ、残念ながら細野の音楽錬金の様とまったく釣り合っていない。←これについては、「サマー・オブ・ソウル」(2021年7月21日)でのクエストラヴのあまりに見事な手腕がいまだ鮮やかに頭のなかに残っているせいかもしれないが。
冒頭の方に出てくる、彼が東京のビルの屋上に立つシーンは、2021年9月とデーターが出されていたような。ずっと引きこもっていたので、細野はかなり長髪になっている。髪の毛、豊かですね。そのシーンに本人のこの現況を受けての独白が入るわけだが、コロナ禍にある音楽家としての矜持にそれは満ちる。言っている内容はまったくもって正。ながら、格好良すぎてなんか浮く? 映画には今年に入ってからの、「あのときツアーができてよかったね」的なメンバーたちとのトーク(ラジオ放送のための際のものか)場面も入る。というわけで、新型コロナ・ウィルスによるパンデミック以降という視点が加えられた映画にもなっている。この11月上旬から公開されます。
▶過去の、細野晴臣
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201004180836405961/
http://43142.diarynote.jp/201011250550109951/
http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
http://43142.diarynote.jp/201209181238434594/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130129
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/
http://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
▶︎過去の、高田漣
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/ 細野
https://43142.diarynote.jp/201810211009327305/
▶︎過去の、伊賀航
https://43142.diarynote.jp/202105271048588035/
▶過去の、伊藤大地
http://43142.diarynote.jp/201302091324078636/
http://43142.diarynote.jp/201309220902394351/
https://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
https://43142.diarynote.jp/201810211009327305/
▶過去の、ヴァン・ダイク・パークス
http://43142.diarynote.jp/201301311032072367/
▶︎過去の、映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
https://43142.diarynote.jp/202107220942576811/
<今日の、記憶>
細野晴臣に取材したのは、1度だけ。『オムニ・サイト・シーイング』(エピック、1993年)リリースの際に、白金でインタヴューをした。例のフラットな飄々トーンで、ある種宇宙を感じさせる返答をしてくれたと記憶する。それは自分のキャパシティではそれに追いつかないと感じた、という意味合いも含むかな。
▶過去のザ・チーフタンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/
http://43142.diarynote.jp/201209181228508895/
http://43142.diarynote.jp/201211241109408189/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
https://43142.diarynote.jp/201712011129041106/
また、英国で活躍した米国人ベーシストであるディオン・エスタスの訃報も届いている。デトロイト生まれでジェイムス・ジェマーソンにベースを習ったりした彼は、同地のR&Bセルフ・コンテインド・バンドであるブレインストーム(ベリータ・ウッズもここから出た)の2作のレコーディングに参加するなど10代のころから頭角を著し、ジニー“ギター”ワトソンやハーヴィ・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2014年5月28日、2016年4月5日、2017年9月1日、2019年10月17日)のアルバムにも録音参加した。だが、1980年代初頭に渡欧し、ベルギーやアイルランドを経てロンドンに。そして、彼はエルトン・ジョンやワム!のレコーディングに関わり、とくにワム!解散後もジョージ・マイケル表現に関与、1988年には彼も部分関与した自らヴォーカルを取る『Spell』(Mika,1989年)を発表した。死因は発表されていない。
▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
https://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
https://43142.diarynote.jp/201910180828345862/
外苑前・ギャガ試写室で、2021年日本映画『サヨナラアメリカ』を見る。2019年5〜6月に行われた細野晴臣(2009年10月12日、2010年4月15日、2010年11月21日、2011年8月7日ち2012年8月12日、2012年9月5日、2013年1月29日、2013年8月7日、2013年8月11日、2014年10月25日、2017年11月13日)の2箇所の米国公演の模様を伝えるドキュメンタリーだ。監督は細野の過去〜現在を括った2019年映画『NO SMOKING』を撮った佐渡岳利。それ、ぼくは未見だ。
ギターをつまびきながら歌う御大をサポートするのは、ギター/スティール・ギター/マンドリンの高田漣(2007年1月27日、2007年11月27日、2009年10月31日、2014年10月25日、2018年10月20日)、ダブル・ベース/電気ベースの伊賀航(2021年5月26日)、ドラムの伊藤大地(2013年2月5日、2013年9月20日、2015年7月27日、2018年10月20日) 、キーボードとアコーディオンの野村卓史の4人。ホーギー・カーマイケルらのカヴァーも含む、ルーツィなアメイリカン・ミュージックを根に置く、ここのところ見せている手作り/滋味ホソノ・ミュージック路線ですね。まあ、はっぴえんど後の初ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』(ベルウッド、1973年)に最大級の成熟とともに戻った、なんて言い方もできるかもしれない。
ライヴ映像は頭にニューヨーク公演(グラマシー・シアターで、定員650人。2日間行われた)の模様が紹介される以外は、マヤ・シアターにおけるロサンゼルス公演の映像がずっと使われる。1700人キャパのそっちのソースは『あめりか / Hosono Haruomi Live in US 2019』(ビクター、2019年)でアルバム化されている。各曲はけっこうカットされずに使われ、そうした指針はじっくりと細野の米国公演を共有しているという気持ちになれるか。観客へのインタヴューは聞いていて、楽しい。米国人のなかでも珍しい方の部類に入る人たちだろうけど、みんなよく細野の音楽を聞いている(何気に『フィルハーモニー』が人気?)な。
終始、いい感じで観客に受けるアメリカにおける細野晴臣……。タイトルの、「SAYONARA AMERICA」はラリってスタジオに乱入してきたヴァン・ダイク・パークス(2013年1月29日。このLA公演の楽屋にも出てくる)の関与がなかったら出来上がらなかったと言われる はっぴえんどの1973年LA録音曲「さよならアメリカ さよならニッポン」からの引用か。あの曲は日本にも米国にも違和感を覚える根無し草なワタシという意味合いを込めていたと思うが、この映画では、自分の音楽に多大なインスピレーションを与えてくれたアメリカ合衆国への落とし前(恩返し)ができた、という心境の反映のように感じられる。
監督の佐渡は1990年入局のNHK職員であり、この映画はNHKエンタープライズの制作。結構な経験を持つようだが、その映像構成手腕は他の多くのこの手の音楽映画を見ている者としては上等ではない。特にそう感じてしまうのは、古い映画や記録映像をインサートするときの手際。その映像の探し方が浅く、入れ方が単純で画一的。それ、残念ながら細野の音楽錬金の様とまったく釣り合っていない。←これについては、「サマー・オブ・ソウル」(2021年7月21日)でのクエストラヴのあまりに見事な手腕がいまだ鮮やかに頭のなかに残っているせいかもしれないが。
冒頭の方に出てくる、彼が東京のビルの屋上に立つシーンは、2021年9月とデーターが出されていたような。ずっと引きこもっていたので、細野はかなり長髪になっている。髪の毛、豊かですね。そのシーンに本人のこの現況を受けての独白が入るわけだが、コロナ禍にある音楽家としての矜持にそれは満ちる。言っている内容はまったくもって正。ながら、格好良すぎてなんか浮く? 映画には今年に入ってからの、「あのときツアーができてよかったね」的なメンバーたちとのトーク(ラジオ放送のための際のものか)場面も入る。というわけで、新型コロナ・ウィルスによるパンデミック以降という視点が加えられた映画にもなっている。この11月上旬から公開されます。
▶過去の、細野晴臣
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201004180836405961/
http://43142.diarynote.jp/201011250550109951/
http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
http://43142.diarynote.jp/201209181238434594/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130129
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/
http://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
▶︎過去の、高田漣
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/ 細野
https://43142.diarynote.jp/201810211009327305/
▶︎過去の、伊賀航
https://43142.diarynote.jp/202105271048588035/
▶過去の、伊藤大地
http://43142.diarynote.jp/201302091324078636/
http://43142.diarynote.jp/201309220902394351/
https://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
https://43142.diarynote.jp/201810211009327305/
▶過去の、ヴァン・ダイク・パークス
http://43142.diarynote.jp/201301311032072367/
▶︎過去の、映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
https://43142.diarynote.jp/202107220942576811/
<今日の、記憶>
細野晴臣に取材したのは、1度だけ。『オムニ・サイト・シーイング』(エピック、1993年)リリースの際に、白金でインタヴューをした。例のフラットな飄々トーンで、ある種宇宙を感じさせる返答をしてくれたと記憶する。それは自分のキャパシティではそれに追いつかないと感じた、という意味合いも含むかな。
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