ジョン・コルトレーンからブラッド・ウルマーまでを相手にしたラシッド・アリ(1933年7月1日〜2009年8月12日)、セシル・テイラーやアルバート・アイラーらのサポートで何より知られるサニー・マレイ(1936年9月21日〜2017年12月7日)、近年はECMから関連作を出しかつてはミルフォード・グレイヴスとのデュオ74年作も出したアンドリュー・シリル(1939年〜)、アート・アンサブル・オブ・シカゴのドン・モイエ(1946年5月23日生まれ)、ロフト・ジャズ期にヒューマン・アーツ・アンサンブルを率いたチャールズ“ボボ”ショウ(1947年9月5日〜2017年1月16日)。とかとか。自分の世界を持っていた自由派のドラマーの名前を羅列したくなったりして。

 そうしたフリー・ジャズ系ドラマーのなかでも、いろんな事項とドラミングを結びつけ、一番広い世界と哲学を出していたのがミルフォード・グレイヴスかもしれない。2018年に硬性心臓症候群/アミロイド心筋症と診断され余命半年と言われた末に、うっ血性心不全で亡くなった。NYクイーンズのジャマイカ地区の生まれで、3歳からドラムを叩き始めたという。また、ラテンやアフリカのパーカッション技法にも彼は早いうちから興味を持ち、彼の演奏にはそちらの素養も存分に活かされた。

 1960年代上半期に伸長していたニューヨークのフリー・ジャズ・ムーヴメントの中枢に身を投じ、ジョン・チカイ、ラズウェル・ラッド、ジョゼッピ・ローガン、ポール・ブレイ(1999年6月1日)、アルバート・アイラー、ドン・プーレン、ソニー・シャーロック他とタッグ。リーダー作も打楽器奏者のサニー・モーガンと組んだ『Percussion Ensemble』(ESP、1965年)を皮切りに、いろいろ。『Meditation Among Us』(Kitty)はパーカッション奏者の土取利行との関係を軸に阿部薫、近藤等則(2006年4月28日, 2007年1月8日、2015年6月29日、2019年2月18日)、高木元輝らと会話した1枚だ。また、ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)やビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)らもグレイヴスには最敬礼し、複数のアルバムを作っている。意外なところでは、個性派シンガー・ソングライターのサム・アミドン(奥さんは、ベス・オートンらしい)の『The Following Mountain』(Nonesuch,2017年)でもグレイヴスは数曲で叩いている。

 そんな彼は、ビートは身体と生理なり。といったような、スタンスを取る人であった。1970年代中期ごろから医学的な(医師や獣医の資格を持つという話もある)身体分析を大学で研究し人間の持つ鼓動の神秘を掘り下げたり、アフリカ系武術や舞踏を学んだり、ドロウイングや彫刻をしたりもした。また、東洋医学にも興味を持ったという。

 彼が1960年代中期に組んだニューヨーク・アート・カルテットを扱う2014年映画「The Breath Courses Through Us」などもあり、2018年にはその名も「Milford Graves Full Mantis」というドキュメンタリー映画(https://vimeo.com/ondemand/milfordgravesfullmantis)も作られた。

▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
▶︎過去の、近藤等則
https://43142.diarynote.jp/200604301346130000/
https://43142.diarynote.jp/200701131418140000/
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
https://43142.diarynote.jp/201902201002506739/
https://43142.diarynote.jp/202010190735287926/ 訃報
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶過去の、ビル・ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/

 また、1970年代に、ジャズ要素もうまく取り込んだシティ派アダルト・ポップ表現で注視を受けたマーク-アーモンドのシンガー/ギター奏者であるジョン・マークの訃報も届いている。死因は不明。本名は、ジョン・マイケル・バーチェル。英国南西の港町コーンウォールに生まれ、1960年代後半にジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに入り、同僚の各種サックスやフルートを吹くジョニー・アーモンド(1946年7月20日〜2009年11月18日。カリフォルニア州ベイ・エリアで癌により死去)とのユニットであるマーク-アーモンドを結成。1971年デビュー作と1972年2作目は、ブルー・サムからリリース。アメリカに拠点を置いた彼らの洗練を抱えた表現は着実な評価を受け、次の2作はコロムビアからのリリース。その際は7人組の大型バンドとして活動した。

 マーク-アーモンドというと思い出すのが、そのコロムビア期にメンバーとして入ってしまいコーラスもつけていたアフリカ系純ジャズ・ドラマーのダニーのリッチモンド。その件については、https://43142.diarynote.jp/201711130924085796/ (下の方)で触れている。また、解散を経てのロイ・ハリー制作盤『トゥ・ザ・ハート』(ABC、1976年)はビリー・コブハムが叩いていた。

 蛇足だが、ミルフォード・グレイヴスの原稿の冒頭に出してもよかった、シカゴのAACMに参加し、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの初代ドラマーだったとも言われるフィリップ・ウィルソン(1941年9月8日– 1992年3月25日)は、1960年代後期から1970年前半にかけてポール・バターフィールド・ブルース・バンドに入っていたアルバム4作に参加)り、バジー・フェイトンらと洗練ジャズ・ロック・バンドのフルー・ムーンを組んだことがあった。ポール・バターフィールドのところでは、デイヴィッド・サンボーン(2000年3月21日、2003年7月18日、2010年12月1日、2012年3月3日、2013年9月3日、2014年11月6日、2015年10月19日、2017年12月5日、2017年12月7日、2018年11月26日)が同僚でしたね。一方、アラン・ダグラスのダグラス・レーベル発の1972年ファースト作『Full Moon』にはなぜかデイヴ・ホランドも1曲参加(後のリイシュー盤には、さらに彼作曲の曲も追加された)。そこで、ウィルソンは2曲でヴォーカルも取っている。また、彼はサザン・ソウルのスタッックのセッション・ミュージシャンも務めたという。その後、1970年代にはアンソニー・ブラクストン、ジュリアス・ヘンフィル、フランク・ロウ、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22日)ら錚々たる前衛派の作品を支え、1980年代はレスター・ブーイーのリーダー作にいろいろ参加した。

 そんな彼は1980年代半ばにニュージーランドに移住し、鋭意音楽活動を維持。アンビエント傾向にあるリーダー作やケルト傾向を持つアルバムの制作など、多数のアルバムを送り出している。

▶︎過去の、アラン・ダグラス
https://43142.diarynote.jp/201707151654245284/ 下の追記の部分
▶過去の、デイヴィッド・サンボーン
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130903
http://43142.diarynote.jp/201411101737513509/
https://43142.diarynote.jp/201510231145525391/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201712081715389473
https://43142.diarynote.jp/201811271055049781/
▶過去の、デイヴィッド・マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/

<今日の、付け足し>
 マーク-アーモンドのデビュー作をプロデュースしたトミー・リピューマが制作した『ピープルズ・アザー・ルーム』(ホライズン/A&M、1978年)は1987年にポニーキャニオンからリイッシューされた際に、ライナーノーツを書かさせていただいた。同作はコア・メンバーの2人以外は、リオン・ペンダーヴィス(2009年7月14日、2017年6月12日)、ジョン・トロペイ(2004年1月27日、2007年10月9日、2016年2月19日、2017年6月12日)、ウィル・リー(2008年12月7日、2009年8月19日、2012年8月21日、2012年11月26日、2013年12月5日、2014年8月7日、2015年8月20日、2018年8月27日、2019年4月26日、2018年11月22日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日)、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2016年2月19日、2016年12月6日、2017年6月12日、2019年8月6日、2019年12月16日)、ラルフ・マクドナルドらのサポートで録られていた。そのとき、同じ1978年ホライズン発のドクター・ジョン『シティ・ライツ』(こっちのリズム・セクションも、リーとガッド)の解説も一緒に引き受けていたのだが、急にロンドン出張の話があって、マーク-アーモンドの方だけを書いたのでよく覚えている。よりドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)の方に思い入れは強かったが、だからこそないがしろにしたくなく、マック・レベナックの方を泣く泣く諦めた(かな?)。まだ、フリーになって、半年もたっていないころ。けっこう、勝手やっていたな。
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶過去の、リオン・ペンダーヴィス
http://43142.diarynote.jp/200907161729269209/
https://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
▶過去の、ジョン・トロペイ
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/200710131957390000/
http://43142.diarynote.jp/201602220813282241/
https://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
▶過去の、ウィル・リー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
http://43142.diarynote.jp/201508210809254412/
https://43142.diarynote.jp/201808291108033102/
https://43142.diarynote.jp/201811251043143983/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶過去の、スティーヴ・ガッド
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160219
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
http://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912170840218127/

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