1972年アルバム・デビューのロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリー(2010年7月31日)、1982年アルバム・デビューのスクリッティ・ポリッティ/グリーン・ガートサイド(2006年8月12日)、そして2011年アルバム・デビューのジェイムス・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日)。この晩のブレイク公演を見ながら、英国の米国ソウル耽溺異彩シンガーの系譜がぽっかり浮かんできたりして。有楽町・国際フォーラム ホールA。

 キーボードを弾きながら歌う本人、ギターと鍵盤担当者、ドラマー、そしてプリセット音が自在に重なる。かような、基本のパフォーマンスのあり方は過去と同じ。だが、深化はしているし、スケールが大きいので広いホールAのステージでやっていて、なんの遜色もない。なかなか暗めの照明やシンプルながらセンスの良い背後映像も、おおきくうなずく。最後の方、歓声がどんどん大きくなっていって、それもいい感じであった。

 やはり、今のソウル・マンとしての完璧に近い姿にヤラれる。ギターとドラム音に合わせて歌うシンガー・ソングライター的な姿が前に出る曲も良かったし、終盤の鍵盤弾き語り(歌はノー・エフェクトと思う)にも胸高鳴る。自然体のブレイクの様や日本語の単語のイントネーションが真っ当でもあるMC(日本、好きなんだねえ)も同様。1時間半の本編と、15分弱の2曲のアンコール。

▶︎過去の、ロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリー
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶︎過去の、スクリッティ・ポリッティ/グリーン・ガートサイド
http://43142.diarynote.jp/200608141735120000
▶過去の、ジェイムズ・ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/

<今日の、悲報>
 PLASTICSやMELONを組み、日英を股にかけたメイジャー・フォース・レーベルのプロデューサーとしても活躍してきた、中西俊夫さん(2013年5月21日)が本日61歳で亡くなった。彼とはなぜかfacebookで繋がっていて、入院中の彼が毎早朝に「おは〜」てな感じで写真をアップしているのは、知っていた。その際、彼ははパジャマではなく、毎日違ったシャツ等をお洒落に身につけていた。そして、ロッキン感覚&ユーモア感覚を存分に出していて、生理的に溌剌としていた。決して具合は良くなかったと推測されるが、その様には本当に頭がさがる。同じ境遇にいたら、ぼくはとても余裕が持てずそんな風には振る舞えないはず。また、見舞客(彼らは皆、マスクをしていた)との写真や奥様やお子さんとたちとの写真も、そこにはあっけらかんとあげていたはずだ。とにもかくにも、粋の塊。態度も表現もしなやかにイっている、スーパーな人であったと、まじ言うしかない。
 ところで、ちょい前にある原稿で、晩年のプリンス(2002年11月19日)と書いたら、プリンスの年齢だと晩年ではなく末年という言葉を使うべきという編集者の指摘を受けた。ちゃんと調べていないが、それが正しいなら、中西俊夫さん(親しい人ならトシちゃんと書くのだろうが、ぼくはそう書ける間柄ではありません)もまた、末年と記すべきであるのか。
 ここ2週間ほど、晩年という言葉を使える熟達の方々がいろいろ亡くなった。76歳のアル・ジャロウ(2003年3月13日、2012年3月2日、2014年11月19日)、73歳のクライド・スタブルフィールド(1999年10月25日、2006年7月26日、2007年4月18日)、73歳のラリー・コリエル(2013年3月8日、2014年1月19日)、77歳のリオン・ウェア(2009年8月23日、2012年12月9日)。それから、黄金期のオハイオ・プレイヤーズ(2010年6月4日、2016年11月29日)やP-ファンク(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日)と渡り歩いたウォルター”ジュニー”モリソンも亡くなったが、彼は62歳であったのか。すると、オハイオ・プレイヤーズにいたのは16〜18歳か? 
 アンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日、2012年12月9日、2016年11月29日、2017年2月9日)はリオン・ウェアの2012年の来日公演に同行したことがあったが、それもデトロイト・コネクションですかと昨年に彼に問うたことがあった。すると、「うん。リオンはジョージ(・クリントン)と同じぐらいの僕のヒーロー。まさに、師匠的な存在だね」。なにかと近い人の死が続いているフォドラーさんの心中お察しします。それから、ジャズ・ピアニストの辛島文雄さんも68歳で亡くなった。それほどちゃんと向かいあった音楽家ではなかったが、闘病中にあるなか録音した2016年作の夏発表の『マイ・フェイバリット・シングス』(ピット・イン・ミュージック)は素晴らしい内容だった。以下は、ジャズ・ジャパン誌に書いたレヴューなり。<思いを込めた選曲がなされ、考えを巡らした様々な設定(2ベースによる曲もある)にて、悠々と開く。心許せる知己たちとともに、ジャズ知識/愛が縦横に注がれる。当初から世界水準にあったピアニストの、豊穣極まりない新作だ。ジャズの素敵をいろいろと再確認できる、真摯にして瑞々しい王道ジャズ所作の数々。現在、癌治療中というが、集大成となる一作とは言うまい。だって、この先に広がる“輝き”も見えるから!>
▶︎過去の、中西俊夫
http://43142.diarynote.jp/?day=20130521
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去の、アル・ジャロウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
http://43142.diarynote.jp/201411201009066886/
▶︎過去の、クライド・スタブルフィールド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200607281034380000/
http://43142.diarynote.jp/200704251224130000/
▶︎過去の、ラリー・コリエル
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
http://43142.diarynote.jp/201401221302405299/
▶︎過去の、リオン・ウェア
http://43142.diarynote.jp/200909091016498286/
http://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
▶︎過去の、オハイオ・プレイヤーズ
http://43142.diarynote.jp/201006071817447501/
▶過去の、P-ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 触れていないが、フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201102081256005311/
http://43142.diarynote.jp/201304150853287353/
http://43142.diarynote.jp/201504131109395934/
http://43142.diarynote.jp/201612011925201175/
▶︎過去の、アンプ・フィドラー
http://43142.diarynote.jp/200409280745560000/
http://43142.diarynote.jp/200508060616450000/
http://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161129
http://43142.diarynote.jp/201702100924466798/

コメント