R.I.P.モンテス・コールマン(1973年7月23日〜2022年1月14日)、バーダル・ロイ(1945年〜2022年1月19日)、エルザ・ソアレス(1930年6月23日〜2022年1月20日)
2022年1月21日 音楽 以下、訃報を3つ載せる。
まず、ミズーリ州セントルイス生まれのジャズ・ドラマーであるモンテス・コールマン。享年48は早すぎるな。とはいえ、孫も2人いたという。原因はうっ血性心不全で、セントルイスの病院で亡くなった。
父親は牧師。ノースキャロライナ州の大学で学んだこともあったようだが、基本地元で演奏し、2000年にはニューヨークに引っ越した。トランペッターのラッセル・ガン(2019年1月3日)やアルト主体サックス奏者であるボビー・ワトソンの2002年作に彼は参加しており、わりとすんなり需要を得たという印象を持つ。そんな彼のニューヨーク期のハイライトはロイ・ハーグローヴ(2003年2月18日、2003年9月21日、2004年12月2日、2007年9月10日、2008年9月16日、2009年6月24日、2011年2月22日、2012年3月23日、2014年2月19日、2016年1月27日、2017年3月2日、2018年3月1日)のグループに2000年代後半に入ったこと。彼のユニヴァーサル/エマーシー発の『イアーフード』(2008年)や『エマージェンス』(2009年)に録音参加するとともに、間違いなくハーグローヴの2011年ブルーノート公演に同行。もしかすると、2007、2008、2009年のハーグローヴの来日公演にも入っていたかもしれない。2013年に再びセントルイスに戻り、同地のジャズ・シーンを牽引していた。今の4ビートを叩ける人でした。
▶︎過去の、ラッセル・ガン
https://43142.diarynote.jp/201901041047462042/
▶過去の、ロイ・ハーグローヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm 18日、ディレクションズ・イン・ミュージック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm 21日
http://43142.diarynote.jp/200412111742300000/
http://43142.diarynote.jp/200709171108570000/
http://43142.diarynote.jp/200809171409066704/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201102240921561671/
http://43142.diarynote.jp/201203260806527228/
http://43142.diarynote.jp/201402201343247604/
http://43142.diarynote.jp/201601301016081732/
http://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/201803031242579295/
英領インド〜現バングラデシュの出身となるタブラ奏者であるバーダル・ロイは、1月19日に亡くなった。父親は政府のお偉方、10歳ごろからタブラを叩くとともにおおいにアメリカの音楽にも親しみ、大学卒業後の1968年にニューヨークに引っ越している。そんな彼は1970年にジョン・マクラフリン(2005年1月31日、2014年3月25日)の『マイ・ゴール・イズ・ビヨンド』(ダグラス、1971年)に参加して以降、新たなビートや音色を求める当時のNYのジャズ界で大注目の存在となる。マイルズ・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』(コロムビア、1972年)をはじめ、ファラオ・サンダース(2006年8月23日、2009年7月8日、2003年4月22日)、デイヴ・リーブマン、ジョン・ハッセル(2021年6月27日)、菊地雅章1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)らのアルバムに次々に参加。また、その後もヨーコ・オノ(2009年1月21日)、ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)、オーネット・コールマン(2006年3月27日)、ガース・ハドソン(2013年8月2日)、他。そんな彼のファースト作は東京録音の『アシルバッド』(トリオ、1975年)。以後、エンヤ他からリーダー作もリリースし、その数は15作以上あるのではないか。NY在住のタテイシ兄弟(2004年5月27日、2005年6月8日、2005年6月9日、2006年9月2日)関与の『Daybreak』(Igmod、1998年)は浮遊感に溢れ、印象に残っているな。
▶過去の、ジョン・マクラフリン
http://43142.diarynote.jp/200502041825460000/
http://43142.diarynote.jp/201403270907123498/
▶︎過去の、ファラオ・サンダース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月22日
https://43142.diarynote.jp/200608271341340000/
https://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
▶過去の、ジョン・ハッセルの訃報
https://43142.diarynote.jp/202106272114548480/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 15日
▶︎過去の、ジョンとヨーコの展覧会
https://43142.diarynote.jp/202010081306571190/
▶過去の、ビル・ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶︎過去の、ガース・ハドソン関連
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ ザ・バンドの映画
▶︎過去の、タテイシ兄弟関連
https://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
https://43142.diarynote.jp/200506120643190000/
https://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
https://43142.diarynote.jp/200609031313220000/
大サンバ歌手のエルザ・ソアレスの訃報も届いている。リオに1930年6月23日に生まれ、2022年1月20日にリオで亡くなる。自然死だったようだ。ドラマティックな人生でも知られる彼女だが〜ともにブラジルが優勝した1958年と1962年のワールド・カップにセレソンとして出場した、最高の右アタッカーだったガヒンシャと結婚していたこともある〜、やはりその残されたプロダクツに最敬礼するしかない。
がらっぱちかつ弾力ある歌唱を武器に、いろんなサウンドをのりこなし、ブラジル音楽の強さや広い汎用性を示し続けた人物。いろいろあった後、1960年に『Se Acaso Você Chegasse』(Odeon)でデビュー。初期の数作で採用されるのは米国乗りビッグ・バンドのサウンドで、けっこうラテン・ジャズかと思わせる曲調も採用されていた。そこに彼女はスキャットをがんがん載せ、のりとしては女性版ルイ・アームストロングという趣もあった。それを聞くと、彼女がアメリカのジャズを聞いていたのは間違いないと思ってしまうところだが、ソアレスはそれを否定していたようだ。そのずっこーんとした歌唱はブラス群音との相性も良し、ブラジル人歌手のなかでももっとも菅セクション音との相性がいいシンガーという感想もぼくは持つ。
その後、よりブラジル色に根ざすようになるが、奔放さは絶対無比。もうやりたいようにやるわよ感覚が見事に横溢していて、それは様々な設定のジャケット・カヴァーにも表れている。それら、楽しいナ。そして、ぼくが感服してしまうのは、かような彼女は21世紀に入ってもどんどんコンテンポラリー要素を取り込み、カっとぶことをやめなかったこと。カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)、カルリーニョース・ブラウン(2000年4月30日)、セウ・ジョルジ(2005年9月1日)、ムンド・リブレS/A(2008年10月30日)のフレッド04他、助力者も本当にいろいろ。リミックス・アルバムも生んだ『Mulher do Fim do Mundo』(Circus、2015年)、ギター音が効きアフロ・ビート調もある『DeuséMulher』(Deck、2018年)や『Planeta Fome』(同、2019年)などはぶっとび、声は枯れてきてはいるものの、ぼくは大好きだ。まさにあっぱれ⤴︎⤴︎⤴︎
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161009
▶︎過去の、カルリーニョス・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm
▶︎過去の、セウ・ジョルジ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050901
▶︎過去の、ムンド・リブレS/A
https://43142.diarynote.jp/200811141644484256/
<今日の、+ >
シンガー/俳優として米国で成功した、ミート・ローフもお亡くなりになった。1947年9月27日〜2022年1月20日。欄外に持ってきたのは、曲も書かないし、大仰な歌い方も好みではなく、そんなに聞いたことがないからだ。彼が出演した映画『ファイト・クラブ』(1999年11月25日)の項で、歌手を引退したと書いているけどそれは誤り。すみません、その後も5作アルバムも出している。メガ・ヒット作となったデビュー作『Bat Out Of Hell』(Epic,1977年)は大好きなトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)のプロデュースなためわりとリアル・タイムで聞いたが、それで大失望しちゃったんだよなあ。だが、そんな彼でもその前にストーニー&ミートローフ(レコード会社の手違いで1ワードとなった)名義で出した『Stoney & Meatloaf』(Rear Earth,1971年)は持っている。https://43142.diarynote.jp/202201112019266248/のR.ディーン・テイラー項で触れているように、レア・アースはモータウンのロック・レーベルだった。そこには、いかにもモータウン・ポップというものからスワンプ調ロック曲まで収められていた。なぜ『Stoney & Meatloaf』を持っているかというと、アーシーなロックのデュオであるディレイニー&ボニーの『Accept No Substitute』(Elektra,1969年)のジャケットとけっこう似ており、NYの中古盤店でジャケ買いしてしまったから。処分していないので、今もトランク・ルームのどこかにあるはずだ。同じく白人の女男デュオであったストーニー&ミートローフはディレイニー&ボニーを参照したところがあった思う。ちなみに、ディレイニー&ボニーのデビュー作『Home』(1969 年)はスタックス発だった。
▶︎映画『ファイト・クラブ』
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
まず、ミズーリ州セントルイス生まれのジャズ・ドラマーであるモンテス・コールマン。享年48は早すぎるな。とはいえ、孫も2人いたという。原因はうっ血性心不全で、セントルイスの病院で亡くなった。
父親は牧師。ノースキャロライナ州の大学で学んだこともあったようだが、基本地元で演奏し、2000年にはニューヨークに引っ越した。トランペッターのラッセル・ガン(2019年1月3日)やアルト主体サックス奏者であるボビー・ワトソンの2002年作に彼は参加しており、わりとすんなり需要を得たという印象を持つ。そんな彼のニューヨーク期のハイライトはロイ・ハーグローヴ(2003年2月18日、2003年9月21日、2004年12月2日、2007年9月10日、2008年9月16日、2009年6月24日、2011年2月22日、2012年3月23日、2014年2月19日、2016年1月27日、2017年3月2日、2018年3月1日)のグループに2000年代後半に入ったこと。彼のユニヴァーサル/エマーシー発の『イアーフード』(2008年)や『エマージェンス』(2009年)に録音参加するとともに、間違いなくハーグローヴの2011年ブルーノート公演に同行。もしかすると、2007、2008、2009年のハーグローヴの来日公演にも入っていたかもしれない。2013年に再びセントルイスに戻り、同地のジャズ・シーンを牽引していた。今の4ビートを叩ける人でした。
▶︎過去の、ラッセル・ガン
https://43142.diarynote.jp/201901041047462042/
▶過去の、ロイ・ハーグローヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm 18日、ディレクションズ・イン・ミュージック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm 21日
http://43142.diarynote.jp/200412111742300000/
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http://43142.diarynote.jp/200809171409066704/
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http://43142.diarynote.jp/201601301016081732/
http://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
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英領インド〜現バングラデシュの出身となるタブラ奏者であるバーダル・ロイは、1月19日に亡くなった。父親は政府のお偉方、10歳ごろからタブラを叩くとともにおおいにアメリカの音楽にも親しみ、大学卒業後の1968年にニューヨークに引っ越している。そんな彼は1970年にジョン・マクラフリン(2005年1月31日、2014年3月25日)の『マイ・ゴール・イズ・ビヨンド』(ダグラス、1971年)に参加して以降、新たなビートや音色を求める当時のNYのジャズ界で大注目の存在となる。マイルズ・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』(コロムビア、1972年)をはじめ、ファラオ・サンダース(2006年8月23日、2009年7月8日、2003年4月22日)、デイヴ・リーブマン、ジョン・ハッセル(2021年6月27日)、菊地雅章1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)らのアルバムに次々に参加。また、その後もヨーコ・オノ(2009年1月21日)、ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)、オーネット・コールマン(2006年3月27日)、ガース・ハドソン(2013年8月2日)、他。そんな彼のファースト作は東京録音の『アシルバッド』(トリオ、1975年)。以後、エンヤ他からリーダー作もリリースし、その数は15作以上あるのではないか。NY在住のタテイシ兄弟(2004年5月27日、2005年6月8日、2005年6月9日、2006年9月2日)関与の『Daybreak』(Igmod、1998年)は浮遊感に溢れ、印象に残っているな。
▶過去の、ジョン・マクラフリン
http://43142.diarynote.jp/200502041825460000/
http://43142.diarynote.jp/201403270907123498/
▶︎過去の、ファラオ・サンダース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月22日
https://43142.diarynote.jp/200608271341340000/
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▶過去の、ジョン・ハッセルの訃報
https://43142.diarynote.jp/202106272114548480/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
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http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
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http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、ヨーコ・オノ
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▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
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▶︎過去の、ジョンとヨーコの展覧会
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▶過去の、ビル・ラズウェル
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▶︎過去の、オーネット・コールマン
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▶︎過去の、ガース・ハドソン関連
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▶︎過去の、タテイシ兄弟関連
https://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
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大サンバ歌手のエルザ・ソアレスの訃報も届いている。リオに1930年6月23日に生まれ、2022年1月20日にリオで亡くなる。自然死だったようだ。ドラマティックな人生でも知られる彼女だが〜ともにブラジルが優勝した1958年と1962年のワールド・カップにセレソンとして出場した、最高の右アタッカーだったガヒンシャと結婚していたこともある〜、やはりその残されたプロダクツに最敬礼するしかない。
がらっぱちかつ弾力ある歌唱を武器に、いろんなサウンドをのりこなし、ブラジル音楽の強さや広い汎用性を示し続けた人物。いろいろあった後、1960年に『Se Acaso Você Chegasse』(Odeon)でデビュー。初期の数作で採用されるのは米国乗りビッグ・バンドのサウンドで、けっこうラテン・ジャズかと思わせる曲調も採用されていた。そこに彼女はスキャットをがんがん載せ、のりとしては女性版ルイ・アームストロングという趣もあった。それを聞くと、彼女がアメリカのジャズを聞いていたのは間違いないと思ってしまうところだが、ソアレスはそれを否定していたようだ。そのずっこーんとした歌唱はブラス群音との相性も良し、ブラジル人歌手のなかでももっとも菅セクション音との相性がいいシンガーという感想もぼくは持つ。
その後、よりブラジル色に根ざすようになるが、奔放さは絶対無比。もうやりたいようにやるわよ感覚が見事に横溢していて、それは様々な設定のジャケット・カヴァーにも表れている。それら、楽しいナ。そして、ぼくが感服してしまうのは、かような彼女は21世紀に入ってもどんどんコンテンポラリー要素を取り込み、カっとぶことをやめなかったこと。カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)、カルリーニョース・ブラウン(2000年4月30日)、セウ・ジョルジ(2005年9月1日)、ムンド・リブレS/A(2008年10月30日)のフレッド04他、助力者も本当にいろいろ。リミックス・アルバムも生んだ『Mulher do Fim do Mundo』(Circus、2015年)、ギター音が効きアフロ・ビート調もある『DeuséMulher』(Deck、2018年)や『Planeta Fome』(同、2019年)などはぶっとび、声は枯れてきてはいるものの、ぼくは大好きだ。まさにあっぱれ⤴︎⤴︎⤴︎
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
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▶︎過去の、カルリーニョス・ブラウン
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▶︎過去の、セウ・ジョルジ
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▶︎過去の、ムンド・リブレS/A
https://43142.diarynote.jp/200811141644484256/
<今日の、+ >
シンガー/俳優として米国で成功した、ミート・ローフもお亡くなりになった。1947年9月27日〜2022年1月20日。欄外に持ってきたのは、曲も書かないし、大仰な歌い方も好みではなく、そんなに聞いたことがないからだ。彼が出演した映画『ファイト・クラブ』(1999年11月25日)の項で、歌手を引退したと書いているけどそれは誤り。すみません、その後も5作アルバムも出している。メガ・ヒット作となったデビュー作『Bat Out Of Hell』(Epic,1977年)は大好きなトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)のプロデュースなためわりとリアル・タイムで聞いたが、それで大失望しちゃったんだよなあ。だが、そんな彼でもその前にストーニー&ミートローフ(レコード会社の手違いで1ワードとなった)名義で出した『Stoney & Meatloaf』(Rear Earth,1971年)は持っている。https://43142.diarynote.jp/202201112019266248/のR.ディーン・テイラー項で触れているように、レア・アースはモータウンのロック・レーベルだった。そこには、いかにもモータウン・ポップというものからスワンプ調ロック曲まで収められていた。なぜ『Stoney & Meatloaf』を持っているかというと、アーシーなロックのデュオであるディレイニー&ボニーの『Accept No Substitute』(Elektra,1969年)のジャケットとけっこう似ており、NYの中古盤店でジャケ買いしてしまったから。処分していないので、今もトランク・ルームのどこかにあるはずだ。同じく白人の女男デュオであったストーニー&ミートローフはディレイニー&ボニーを参照したところがあった思う。ちなみに、ディレイニー&ボニーのデビュー作『Home』(1969 年)はスタックス発だった。
▶︎映画『ファイト・クラブ』
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
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