エディ・ゲイルは知る人ぞ知る、広角型米国黒人音楽をクリエイトしたジャズ・トランペッター。ブルックリン生まれの彼の大々的な業界スタートはサン・ラーのアーケストラ(2000年8月14日、2002年9月7日、2003年7月25日、2014年7月4日)。1960年代上半期のことで、彼は結構ずっと緩く関わり続けたのかな。ゲイルはその関わりに多大な影響を受けており、それはブルーノートからリリースされたその名も『 Ghetto Music』(1968年)『Black Rhythm Happening 』(1969年)も如実に表れた。サン・ラーは宇宙を見上げたのに対し、ゲイルは足元〜ストリートに立脚して、様々な黒人音楽の音楽財産を謳歌する肉声も用いた親しみやすい作品を送出。前者では親指ピアノやスティール・パンも演奏し、後者にはエルヴィン・ジョーンズが入っていた。ゲイルはセシル・テイラーの『Unit Structures』 (1966年)やラリー・ヤングの『Of Love and Peace 』(1969年) など過度期ブルーノート重要作にも録音参加しており、ブルーノート・レコードは彼の死に際して、ネットで記事を組んでいる。
1970年代に入ると彼は西海岸サンノゼに住むようになり、音楽的社会活動や音楽教育に鋭意あたるとともに、数作のリーダー作もリリース。また、2000代に入るとジャザノヴァ(2009年8月25日)やザ・シネマティック・オーケストラ(2002年7月27日)という欧州のジャズ流れの集団からレコーディング客演を求められもした。6人の子供、12人の孫、11人のひ孫に恵まれるなど家庭環境は円満だったようだが、癌で闘病していた。
▶過去の、サン・ラー亡き後のサン・ラー・アーケストラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/201407051336285619/
▶︎過去の、ジャザノヴァ
https://43142.diarynote.jp/200909091018074627/
▶︎過去の、ザ・シネマティック・オーケストラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
一方、レジナルド・ヘインズは、1970年代初頭に世に出たザ・エスコーツの中心人物であった人。そのザ・エスコーツはニュージャージーの刑務所で組まれたドゥーワップのコーラス・グループ(そりゃ獄中は楽器は演奏できないだろうから)で、プロデューサーのジョージ・カーの目に止まり、彼の制作によるファースト作『All We Need Is Another Chance』(Alithia,1973年)でデビュー。刑務所で録音された同作のジャケット・カヴァーは檻の中にいる面々の写真が使われた。少し粗めとも思うが、ザ・ミラクルズあたりを根に置く情あるヴォーカル・グループ作ですね。なかには当時のブラック・ムーヴィを想起させるような闊達なサウンド採用も認められ、異色の彼らのデビューは高揚していた“ブラック・イズ・ビューティフル”的意識や、また件の映画にある白い掟に従わないちょいワル黒人像が投影された部分もあったのではないか? 翌年にも、ザ・エスコーツはアルバムを出している。
窃盗で収監されていたヘインズが一番刑期が短く、初アルバム・リリースのころには娑婆に出て活動を始めたが、メンバーのなかには終身刑だった人もいて、非収監者も加わったという。グループは10年近くで消滅したが、ヘインズはザ・リジェンダリー・エスコーツを組み活動。1990年代初頭にもザ・エスコーツ名義のアルバムが出ているという話もあり、それはディスコっぽいところもあるそう。なんにせよ、彼らのトラックはパブリック・エネミー(2005年8月14日、2009年7月25日)、J・ディラ、ジル・スコットらに活用されている。
▶︎過去の、スモーキー・ロビンソン/ザ・ミラクスズ
https://43142.diarynote.jp/201909260735539261/
▶︎過去の、パブリック・エネミー
http://43142.diarynote.jp/?day=20050814
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
<ここのところの、逡巡>
マンションの5年ごとの掛け捨ての火災保険が保証期間が今月いっぱい。更新するのに、地震保険も入れるかどうかを迷う。今まではまあ大丈夫っしょとタカをくくってきたが、さすがにそろそろと思わなくもなく……。しかし、そっちも入ると料金が150パーセント増しになるんだよなあ。そろそろ大規模修繕があり、場合によっては積立金だけで終わらない可能性もあると考えていたほうがいいだろうし、とかなんとか考えると、よけいに判断を躊躇する。普段はわりとキブン一発で決定しちゃうほうなのだが、それはこの状況下で仕事が立て込んでおらず(夜遊びもせず)、時間があるということと関係もする?
1970年代に入ると彼は西海岸サンノゼに住むようになり、音楽的社会活動や音楽教育に鋭意あたるとともに、数作のリーダー作もリリース。また、2000代に入るとジャザノヴァ(2009年8月25日)やザ・シネマティック・オーケストラ(2002年7月27日)という欧州のジャズ流れの集団からレコーディング客演を求められもした。6人の子供、12人の孫、11人のひ孫に恵まれるなど家庭環境は円満だったようだが、癌で闘病していた。
▶過去の、サン・ラー亡き後のサン・ラー・アーケストラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/201407051336285619/
▶︎過去の、ジャザノヴァ
https://43142.diarynote.jp/200909091018074627/
▶︎過去の、ザ・シネマティック・オーケストラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
一方、レジナルド・ヘインズは、1970年代初頭に世に出たザ・エスコーツの中心人物であった人。そのザ・エスコーツはニュージャージーの刑務所で組まれたドゥーワップのコーラス・グループ(そりゃ獄中は楽器は演奏できないだろうから)で、プロデューサーのジョージ・カーの目に止まり、彼の制作によるファースト作『All We Need Is Another Chance』(Alithia,1973年)でデビュー。刑務所で録音された同作のジャケット・カヴァーは檻の中にいる面々の写真が使われた。少し粗めとも思うが、ザ・ミラクルズあたりを根に置く情あるヴォーカル・グループ作ですね。なかには当時のブラック・ムーヴィを想起させるような闊達なサウンド採用も認められ、異色の彼らのデビューは高揚していた“ブラック・イズ・ビューティフル”的意識や、また件の映画にある白い掟に従わないちょいワル黒人像が投影された部分もあったのではないか? 翌年にも、ザ・エスコーツはアルバムを出している。
窃盗で収監されていたヘインズが一番刑期が短く、初アルバム・リリースのころには娑婆に出て活動を始めたが、メンバーのなかには終身刑だった人もいて、非収監者も加わったという。グループは10年近くで消滅したが、ヘインズはザ・リジェンダリー・エスコーツを組み活動。1990年代初頭にもザ・エスコーツ名義のアルバムが出ているという話もあり、それはディスコっぽいところもあるそう。なんにせよ、彼らのトラックはパブリック・エネミー(2005年8月14日、2009年7月25日)、J・ディラ、ジル・スコットらに活用されている。
▶︎過去の、スモーキー・ロビンソン/ザ・ミラクスズ
https://43142.diarynote.jp/201909260735539261/
▶︎過去の、パブリック・エネミー
http://43142.diarynote.jp/?day=20050814
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
<ここのところの、逡巡>
マンションの5年ごとの掛け捨ての火災保険が保証期間が今月いっぱい。更新するのに、地震保険も入れるかどうかを迷う。今まではまあ大丈夫っしょとタカをくくってきたが、さすがにそろそろと思わなくもなく……。しかし、そっちも入ると料金が150パーセント増しになるんだよなあ。そろそろ大規模修繕があり、場合によっては積立金だけで終わらない可能性もあると考えていたほうがいいだろうし、とかなんとか考えると、よけいに判断を躊躇する。普段はわりとキブン一発で決定しちゃうほうなのだが、それはこの状況下で仕事が立て込んでおらず(夜遊びもせず)、時間があるということと関係もする?
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