マズルカという表現/言葉があるのは、恥ずかしながら最近まで認知していなかった。2018年ポーランド/イギリス/フランス映画映画「COLD WAR あの歌、2つの心」の項(2019年3月25日)で<民族音楽舞踏団の構成員をスカウトするために地方を回る冒頭のシーンはなんか音楽フィールド・ワークのドキュメンタリーの如し>と書いているが、あそこでの素朴だけど強烈なポーランドのトラッド音楽がマズルカなのね。1969年ポーランド北部都市の生まれのヤヌシュ・ブルンノフスキは1990年代にマズルカの存在を知り、いろいろな現場を周りその流儀を得つつ、マルルカ復興的な役割もしている人物のよう。
王子・北トピア つつじホール。同所で持たれている<ポーランド&ショパン祭>の一環にあるコンサート。まずは、ショパン(1810〜1949年)好きで10年間ポーランドに留学していたというピアニストの高橋多佳子がソロで演奏。ああ華を持つクラシックのピアノですねという感想しか門外漢には出てこないが、1曲ごとに入れる解説は、ショパンのことを何も知らない人間にも分かりやすく、有用。なんでも、ショパンは少年のときに地方で病気療養したことがあり、そこで農民たちのマズルカと出会い、その演奏に楽器を借りて混じったり、採譜をしたんだそう。その後、彼は二十歳ちょい以降は父親の母国であるパリで音楽家活動をするのだが、自らのアイデンティティを確認するかのようにマズルカ様式を拝借した曲を長くない生涯で60曲も書いたのだという。で、マズルカとは農村のトラッド舞踏表現の総称で、いくつものパターンがあり(その呼称も言っていたが、覚えらるはずがありませんね)、ショパンはそれらを一つの曲のなかにいろいろ取り入れていたとのこと。また、ポーランドにはも少しゆったりしたポロネーズという舞踏表現もあり、それを応用したらしいショパン曲「英雄ポロネーズ」という曲を高橋は演奏したが、それはクラシック知らずのぼくも何度も耳にしているゾという旋律だった。
休憩をおいて出てきたヤヌシュ・ブルンノフスキ・コンパニャは2008年結成当初はトリオだったらしいが、5人で登場。ときに朗々とヴォーカルも入れるブルンノフスキに加え(また、コンパクトなツィンバロンといったような打弦楽器を1曲あつかった)、ベース(それはチェロより少し小ぶりなものを肩にかけて弾く。普通のダブル・ベースも一部弾く)、打楽器(メインで叩いたそれは太鼓とシンバルを合わせたもので、チンドンのそれみたい。また、ボーランみたいなものを手に持ち叩く曲もあり)、笛系奏者(クラリネットや横笛など、4種ほど扱っていたか)、トランペット奏者(曲によってはダブル・ベースも弾く。ツイン・べースとなる曲もあった)という陣容。また、3度だかは女性が出てきて男性メンバーと踊る時もあり、マズルカが踊りのための表現であることも十全に示唆される。
もう少し濁っていてもいいんじゃないと思わせる部分もあるが(あと、意外にビート感は強くない)、その使用楽器をはじめ、へええ、となる部分はいろいろ。とともに、別な文化を奥に感じさせ、ポーランドに対する興味を喚起させるのは間違いない。←なんか、当たり前の言い方になってしまうな。最後の方は、彼らと高橋が一緒に演奏した。
ところで、チラシや資料では<農村マズルカ>と記されていたが、その呼び名にはなんだかなーだな。もともと、農村の方々が本家なんだから、ショパンの方を<なんちゃってマズルカ>とか<都会マズルカ>ととか言えばいいじゃんと、僕は思ってしまった。確かに、ブルースにもカントリー・ブルースという言い方はあるが、それは戦後の都会に出た南部ブルース・マンが電気キターやアンプリファイドしたハープを用いてのバンド編成による黒人ブルースと区別するための呼称で、ちょい農村マズルカとは使い方が違う。農村マズルカっていう言い方、なんかオリジンの人々を見下したような感覚を受けるのはぼくだけだろうか。
▶︎過去の、映画「COLD WAR あの歌、2つの心」
https://43142.diarynote.jp/201903261425271734/
その後は、JR京浜東北線に20分乗り東京駅へ。丸の内・コットンクラブで、イスラエル生まれNY在住の“響き系”ギタリストであるギラッド・ヘクセルマン(2012年3月12日、2016年7月3日)のトリオ公演を見る。カナダ出身のダブル・ベースのリック・ロサトと、アフリカ系LA出身ドラマーでブラクストン・クック(2015年10月8日、2017年10月25日、2019年2月19日)やカマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日)らと一緒にやっていたりするジョナサン・ピンソンを従える。リズム隊はまだ20代であるかな。ピンソンはカノウプスのエンドーサーであるはず(かなり横に降っておいてあって、マークを確認することができなかった)。
いやあ、やっぱし現代型ギタリストのなかで一番好きな人かもしれないナと、大きく頷く。それは響きのエフェクトの効用をしっかりと受けたもの(エンディングで、何度か自分の弾き音をサンプリング/ループさせたときもある)だが、まずその演奏自体がイケてるとも感じる。もう、その複音弾きのヴァリエーションの魅力的なこと。彼について、エフェクター使いのことしか言わない人は趣味が悪い。そういえば、主役はエフェクターを通すが、リズム・セクションはアコースティックな音で行く。だが、それそれに格好いい生理的な“立ち”や“ほとばしり”を持っていて、やはり良い奏者を選んでいるなと思わせられる。二人とも、そんなに名前がまだ出ていない人たちだが、今後いろいろと名を目にするようになるのではないだろうか。
そんな面々による演目は、1曲スタンダード(「ジーズ・フーリッシュ・シングス」だったっけ?)をやったが、多くはオリジナルか。うち、一つは変拍子を組み合わせていて何拍子かつかめねえ。だが、それはあるところにあるという感じもあり、違和感なしで心地いい。いろいろと、すごすぎ。もう、全面支持。ゴー・ゴー・ヘクセルマン!
▶︎過去の、ギラッド・ヘクセルマン
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
https://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
▶︎過去の、ブラクストン・クック
https://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
https://43142.diarynote.jp/201710260824073577/
https://43142.diarynote.jp/201902201004503541/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
<今日の、もろもろ>
肌寒い1日。少し前は、雨の予報になっていたが、昼間はほぼ雨は降らず。で、初王子。なんか急に思いたち、都電を使って向かう。副都心線の西早稲田駅で降り、少し歩いて都営荒川線の面影橋から王子駅停留場の1つ前の飛鳥山で降りる。おお、1両編成で運行しているのね。過去にこの欄で書いたことがあるが、ぼくは何気に路面電車好き。この5年の間に、函館、広島、札幌、松山、高知と路面電車が走っている地方都市に行っているナ。路面電車に乗るのが、第一目的ではないけれど。何気に、ぼくは松山の伊予電ファン? 車両カラーがいい。中島汽船も好きかな?
荒川線には少しがっかり。車が流れる一般道を走るのかと思えば、僕が乗った区間はほぼ専用線路を使う。東急世田谷線と同じ感じであった。まあ、住宅地のなかをちんたら走るというのも悪くはないけど。飛鳥山停留所で降りたのは、飛鳥山公園に寄りたかったから。そのJR線路沿いの紫陽花がいま盛りだそうで、それを見たかった。まずは、公園上部を探索。徳川吉宗のころ桜を植えた(当然、桜の名所でもあるよう。荒川線は今、東京さくらトラムとも名乗っている。本来、トラムというのはもう少し高性能の車両に用いられるはずだが、まあいいでしょう)、いわゆる公園の走りとなる場がここの起源であるよう。5年後の1万円札に顔が出ることになっている渋沢栄一の家もかつてここにあったみたい。噴水やSLや古い都電車両や博物館などいろんなものがあり、王子駅側にはお年寄りのためにレールを登り降りするゴンドラみたいなのもあった。紫陽花は、確かに綺麗。まじっと見るの、何年ぶりだろう? けっこうもっこり円型の花なんだなー。そういえば、成田だか羽田に着陸する飛行機がすぐ横を通る桜の名所があると聞いたことがある。飲みの席だったのではっきり覚えていないが、花見シーズンは結構横風が強く吹きもし、着陸やり直し〜ゴ・アラウンドの様が間近にポンポン見ることができると聞いたな。ほう、一度行ってみたい。
ところで、ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)こと、マルコム・ジョン・レベナックJr.が6月6日に心臓発作で亡くなった。77歳。最後の来日パフォーマンスは、新しいパートナーを伴うものでしたね。最大級にお気に入りであり続けた、ニューオーリンズの素敵を伝え続けてきたトリックスターでもあった超実力者。お世話のなり具合としては破格というしかなく、悲報きわまりない。ライヴをいろいろ見たのは当然として、レコード解説執筆やインタヴューを複数できたのは僥倖というしかなく、それはぼくのなかで輝き続ける。R.I.P.としか言えません。本当にありがとうございました。アルバムを3枚選べと言われたら、『イン・ザ・ライト・プレイス』(アトコ、1973年)と『シティ・ライツ』(ホライズン/A&M、1978年)、あと1枚は何にしようかな。多くの人と同じように『ガンボ』(1972年)がその入り口だが、それはいれないか? あ、変なこと思いだした。1987年の初春だったか、当時A&Mを持っていたポニーキャニオンから『シティ・ライツ』の再発ライナー・ノーツを頼まれたものの、ロンドン出張が入り、彼好きを表明していた同業知り合いに譲ったんだよなー。あれを頼まれたときは、この業界に入った甲斐があったと心底思いました(1988年ポリドール発のゴドリー&クリーム〜2012年8月6日〜の『グッバイ・ブルー・スカイ』もそう。ポップであることとあくなき実験を無理なく抱えたG&Cもほんと大好きだった)。蛇足だが、その時のロンドン行きのエアーはKLM。ゆえに、スキポール空港経由で、当時一番いたりつくせりと言われていたスキポール空港も楽しんだ。帰国便はヒースローではなくガトゥウィック発で、しかもスキポールを経ったあとアンカレッジに給油のためストップした。スキポールもアンカレッジも、それが最後……。
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶︎過去の、ロル・クリーム
https://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
王子・北トピア つつじホール。同所で持たれている<ポーランド&ショパン祭>の一環にあるコンサート。まずは、ショパン(1810〜1949年)好きで10年間ポーランドに留学していたというピアニストの高橋多佳子がソロで演奏。ああ華を持つクラシックのピアノですねという感想しか門外漢には出てこないが、1曲ごとに入れる解説は、ショパンのことを何も知らない人間にも分かりやすく、有用。なんでも、ショパンは少年のときに地方で病気療養したことがあり、そこで農民たちのマズルカと出会い、その演奏に楽器を借りて混じったり、採譜をしたんだそう。その後、彼は二十歳ちょい以降は父親の母国であるパリで音楽家活動をするのだが、自らのアイデンティティを確認するかのようにマズルカ様式を拝借した曲を長くない生涯で60曲も書いたのだという。で、マズルカとは農村のトラッド舞踏表現の総称で、いくつものパターンがあり(その呼称も言っていたが、覚えらるはずがありませんね)、ショパンはそれらを一つの曲のなかにいろいろ取り入れていたとのこと。また、ポーランドにはも少しゆったりしたポロネーズという舞踏表現もあり、それを応用したらしいショパン曲「英雄ポロネーズ」という曲を高橋は演奏したが、それはクラシック知らずのぼくも何度も耳にしているゾという旋律だった。
休憩をおいて出てきたヤヌシュ・ブルンノフスキ・コンパニャは2008年結成当初はトリオだったらしいが、5人で登場。ときに朗々とヴォーカルも入れるブルンノフスキに加え(また、コンパクトなツィンバロンといったような打弦楽器を1曲あつかった)、ベース(それはチェロより少し小ぶりなものを肩にかけて弾く。普通のダブル・ベースも一部弾く)、打楽器(メインで叩いたそれは太鼓とシンバルを合わせたもので、チンドンのそれみたい。また、ボーランみたいなものを手に持ち叩く曲もあり)、笛系奏者(クラリネットや横笛など、4種ほど扱っていたか)、トランペット奏者(曲によってはダブル・ベースも弾く。ツイン・べースとなる曲もあった)という陣容。また、3度だかは女性が出てきて男性メンバーと踊る時もあり、マズルカが踊りのための表現であることも十全に示唆される。
もう少し濁っていてもいいんじゃないと思わせる部分もあるが(あと、意外にビート感は強くない)、その使用楽器をはじめ、へええ、となる部分はいろいろ。とともに、別な文化を奥に感じさせ、ポーランドに対する興味を喚起させるのは間違いない。←なんか、当たり前の言い方になってしまうな。最後の方は、彼らと高橋が一緒に演奏した。
ところで、チラシや資料では<農村マズルカ>と記されていたが、その呼び名にはなんだかなーだな。もともと、農村の方々が本家なんだから、ショパンの方を<なんちゃってマズルカ>とか<都会マズルカ>ととか言えばいいじゃんと、僕は思ってしまった。確かに、ブルースにもカントリー・ブルースという言い方はあるが、それは戦後の都会に出た南部ブルース・マンが電気キターやアンプリファイドしたハープを用いてのバンド編成による黒人ブルースと区別するための呼称で、ちょい農村マズルカとは使い方が違う。農村マズルカっていう言い方、なんかオリジンの人々を見下したような感覚を受けるのはぼくだけだろうか。
▶︎過去の、映画「COLD WAR あの歌、2つの心」
https://43142.diarynote.jp/201903261425271734/
その後は、JR京浜東北線に20分乗り東京駅へ。丸の内・コットンクラブで、イスラエル生まれNY在住の“響き系”ギタリストであるギラッド・ヘクセルマン(2012年3月12日、2016年7月3日)のトリオ公演を見る。カナダ出身のダブル・ベースのリック・ロサトと、アフリカ系LA出身ドラマーでブラクストン・クック(2015年10月8日、2017年10月25日、2019年2月19日)やカマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日)らと一緒にやっていたりするジョナサン・ピンソンを従える。リズム隊はまだ20代であるかな。ピンソンはカノウプスのエンドーサーであるはず(かなり横に降っておいてあって、マークを確認することができなかった)。
いやあ、やっぱし現代型ギタリストのなかで一番好きな人かもしれないナと、大きく頷く。それは響きのエフェクトの効用をしっかりと受けたもの(エンディングで、何度か自分の弾き音をサンプリング/ループさせたときもある)だが、まずその演奏自体がイケてるとも感じる。もう、その複音弾きのヴァリエーションの魅力的なこと。彼について、エフェクター使いのことしか言わない人は趣味が悪い。そういえば、主役はエフェクターを通すが、リズム・セクションはアコースティックな音で行く。だが、それそれに格好いい生理的な“立ち”や“ほとばしり”を持っていて、やはり良い奏者を選んでいるなと思わせられる。二人とも、そんなに名前がまだ出ていない人たちだが、今後いろいろと名を目にするようになるのではないだろうか。
そんな面々による演目は、1曲スタンダード(「ジーズ・フーリッシュ・シングス」だったっけ?)をやったが、多くはオリジナルか。うち、一つは変拍子を組み合わせていて何拍子かつかめねえ。だが、それはあるところにあるという感じもあり、違和感なしで心地いい。いろいろと、すごすぎ。もう、全面支持。ゴー・ゴー・ヘクセルマン!
▶︎過去の、ギラッド・ヘクセルマン
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
https://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
▶︎過去の、ブラクストン・クック
https://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
https://43142.diarynote.jp/201710260824073577/
https://43142.diarynote.jp/201902201004503541/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
<今日の、もろもろ>
肌寒い1日。少し前は、雨の予報になっていたが、昼間はほぼ雨は降らず。で、初王子。なんか急に思いたち、都電を使って向かう。副都心線の西早稲田駅で降り、少し歩いて都営荒川線の面影橋から王子駅停留場の1つ前の飛鳥山で降りる。おお、1両編成で運行しているのね。過去にこの欄で書いたことがあるが、ぼくは何気に路面電車好き。この5年の間に、函館、広島、札幌、松山、高知と路面電車が走っている地方都市に行っているナ。路面電車に乗るのが、第一目的ではないけれど。何気に、ぼくは松山の伊予電ファン? 車両カラーがいい。中島汽船も好きかな?
荒川線には少しがっかり。車が流れる一般道を走るのかと思えば、僕が乗った区間はほぼ専用線路を使う。東急世田谷線と同じ感じであった。まあ、住宅地のなかをちんたら走るというのも悪くはないけど。飛鳥山停留所で降りたのは、飛鳥山公園に寄りたかったから。そのJR線路沿いの紫陽花がいま盛りだそうで、それを見たかった。まずは、公園上部を探索。徳川吉宗のころ桜を植えた(当然、桜の名所でもあるよう。荒川線は今、東京さくらトラムとも名乗っている。本来、トラムというのはもう少し高性能の車両に用いられるはずだが、まあいいでしょう)、いわゆる公園の走りとなる場がここの起源であるよう。5年後の1万円札に顔が出ることになっている渋沢栄一の家もかつてここにあったみたい。噴水やSLや古い都電車両や博物館などいろんなものがあり、王子駅側にはお年寄りのためにレールを登り降りするゴンドラみたいなのもあった。紫陽花は、確かに綺麗。まじっと見るの、何年ぶりだろう? けっこうもっこり円型の花なんだなー。そういえば、成田だか羽田に着陸する飛行機がすぐ横を通る桜の名所があると聞いたことがある。飲みの席だったのではっきり覚えていないが、花見シーズンは結構横風が強く吹きもし、着陸やり直し〜ゴ・アラウンドの様が間近にポンポン見ることができると聞いたな。ほう、一度行ってみたい。
ところで、ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)こと、マルコム・ジョン・レベナックJr.が6月6日に心臓発作で亡くなった。77歳。最後の来日パフォーマンスは、新しいパートナーを伴うものでしたね。最大級にお気に入りであり続けた、ニューオーリンズの素敵を伝え続けてきたトリックスターでもあった超実力者。お世話のなり具合としては破格というしかなく、悲報きわまりない。ライヴをいろいろ見たのは当然として、レコード解説執筆やインタヴューを複数できたのは僥倖というしかなく、それはぼくのなかで輝き続ける。R.I.P.としか言えません。本当にありがとうございました。アルバムを3枚選べと言われたら、『イン・ザ・ライト・プレイス』(アトコ、1973年)と『シティ・ライツ』(ホライズン/A&M、1978年)、あと1枚は何にしようかな。多くの人と同じように『ガンボ』(1972年)がその入り口だが、それはいれないか? あ、変なこと思いだした。1987年の初春だったか、当時A&Mを持っていたポニーキャニオンから『シティ・ライツ』の再発ライナー・ノーツを頼まれたものの、ロンドン出張が入り、彼好きを表明していた同業知り合いに譲ったんだよなー。あれを頼まれたときは、この業界に入った甲斐があったと心底思いました(1988年ポリドール発のゴドリー&クリーム〜2012年8月6日〜の『グッバイ・ブルー・スカイ』もそう。ポップであることとあくなき実験を無理なく抱えたG&Cもほんと大好きだった)。蛇足だが、その時のロンドン行きのエアーはKLM。ゆえに、スキポール空港経由で、当時一番いたりつくせりと言われていたスキポール空港も楽しんだ。帰国便はヒースローではなくガトゥウィック発で、しかもスキポールを経ったあとアンカレッジに給油のためストップした。スキポールもアンカレッジも、それが最後……。
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶︎過去の、ロル・クリーム
https://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
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