1980年代後半から英国のスタジオ界で活動し出し、1990年からスティング(2000年10月16日)のバンドに所属。その一方、15枚ほどのリーダー作を出しているアルゼンチン生まれのギタリストであるドミニク・ミラー(2017年5月29日、2006年10月23日)のグループ公演を見る。丸ノ内・コットンクラブ。その近2作は、ECMからのリリース。ちょうどリリースされた『アブサン』に準ずる編成/顔ぶれによるものですね。

 レヴェル42のキーボード奏者であるマイク・リンダップ(ミラーの最初の大きなレコーディング・セッション参加は、当時ブリティッシュ・ジャズ・ファンクの前線にいたレベル42であったはず)、バンドネオンのサンティアゴ・アリアス、電気ベースのニコラス・フィッツマン、ドラムのジヴ・ラヴィッツ(2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日)という陣容。順に生まれは、英国、アルゼンチン、ベルギー、イスラエル。おお、見事な多国籍編成なり。

 アコースティック・ギターに専念する本人をはじめ、全員座って演奏する。そんな事実に表れているように、哀愁に満ちつつサウンドスケイプ的なものを描かんとする傾向の演奏を繰り広げる。とはいえ、ラヴィッツはときに鮮やかに叩き込んだり、強いビートを送り出したりし、豊かな緩急を与える。しかし、過去もっとジャズっぽい演奏に触れていた身としては、彼がこんなにステディ(ながら、少しズレたおかずを自在に入れまくる様はお見事)なビートも叩く人であることに少し驚く。とともに、その叩き音はビル・ブラッフォードとマヌ・カチェ(2011年1月28日、2012年1月13日、2016年4月13日)を混ぜたみたいだと感じる。そんな演奏に触れながら、ロック界に転身したら、彼はけっこうな売れっ子になりそうと思う。ちなみに、『アブサン』で叩いていたのはカチェ。フランス人のカチェもスティング・バンドにいたことがありましたね。

 ところで、ドミニク・ミラーが爪弾き始めると、とってもスティングの曲が始まりそうな雰囲気を与える。なるほど、彼のスティング表現への貢献の断片を如実に感じることができたか。というのはともかく、強くそう思わせた曲は、何のことはないスティングの曲(インストにて披露)だった。アンコールもまたスティング曲をやり、そちらはリンダップが歌った。ピアノやキーボードを控えめに弾く彼は他にも詠唱を入れる曲もあった。

 総じて、けっこうプログ・ロックっぽいと感じさせる。それは、サウンドにインタープレイはある(特に、ラヴィッツは)もののアンサンブルの具現が中心で、総体としてそれほど即興的でないことが理由として考えられる。だから、サンティアゴ・アリアスのバンドネオン演奏もけっこう効果音的な使い方がなされていた。1曲ソロ・パートを得た際は、かなり飛び気味のそれを披露したものの。

▶︎過去の、ジヴ・ラヴィッツ
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
▶︎過去の、スティング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
▶︎過去の、ドミニク・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
https://43142.diarynote.jp/200610251744090000/ インタヴューの模様
▶過去の、マヌ・カチェ
http://43142.diarynote.jp/201102081259129769/
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
https://43142.diarynote.jp/201604271334589018/ 取材
https://43142.diarynote.jp/201901251032436987/ 新作のこと

 続いては、今ジャズ界で頂点部分と言っていい位置にいるベーシストのアヴィシャイ・コーエン(2006年5月17日、2014年1月21日、2015年5月14日、2017年10月18日、2018年8月26日)のトリオを、南青山・ブルーノート東京で見る。前回公演からコーエンに雇われているアゼルバイジャン人ピアニストのエルチン・シリノフ(2018年8月26日)と、コーエンと同じくイスラエル人であり、トリオに再加入したドラムのノーム・ダヴィド(2017年10月18日)がつく。

 見ながら、すぐに今回の公演はちょい違う手応えを感じさせるナと思う。曲趣は立っているのだが、曲の尺はコンパクト。本編最後の曲は長かったが、5分ぐらいのものが多い。実はレコーディングを終えて間もなく、実演では初めて披露する新作収録曲も演奏したようだ。何曲かは、もうコーエンはベース・ソロを弾きまくりの体で、あんたはコントラバス界のマーカス・ミラー(1999年11月12日、2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2007年12月13日、2009年9月15日、2010年9月3日、2013年9月3日、2015年2月21日、2016年9月17日、2017年1月7日、2018年5月16日、2018年5月24日、2019年1月3日)かいとツッこみを入れたくなった。だが、それらは彼の技巧の高さを痛感させ、本当にいろんな弾き方をするんだななと感心させる。ある曲はコントラバスでタップ・ダンスをしているみたいと思った。また、ある曲はコーエンのベース・ラインとピアニストの左手のメロディがまったく同じで進んでいくという設定をとるものもあり。

 その曲の仕掛けに表れていたように、彼の編曲の面白さも堪能できたパフォーマンス。ミニマル・ミュージック的な構造を詩的に発展させていく構造は、彼のお得意の一つのパターンでありますね。先に書いたように、即興要素をぶち込みつつ各曲の尺は長くないという事実は、ある種のとっつきやすさを聞き手に与えるか。何気に、彼の採用する曲はメロディ性に富んでいるしね。ただし、今回の実演においてはイスラエルのトラッド曲/情緒を愛でる行き方はあまりなし。ゆえに、今回は自ら歌うこともせずに、完全にトリオ演奏で押し切る。ある意味、ジャズ回帰がなされていた部分があるとも、ぼくは言いたい。弾き倒す際のエルチン・シリノフの指さばきは訴求力ありで、観客の歓声を誘っていた。アヴィシャイ・コーエンはもう一つ、また別なフェイズに入ったとも、思わせられる実演だった。

▶過去の、アヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
http://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
https://43142.diarynote.jp/201808290950074198/
▶︎過去の、エリチン・シリノフ
https://43142.diarynote.jp/201808290950074198/
▶︎過去の、ノーム・ダヴィド
https://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm 
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
https://43142.diarynote.jp/201805201310351671/
https://43142.diarynote.jp/201805250930363191/
https://43142.diarynote.jp/201901041047462042/
https://43142.diarynote.jp/201901101218074224/ 取材

<今日の、納得?>
 ゆえあり、二つのライヴともにノンアルコールなものを飲む。そして、コーエンのギグのほうで、もしいつものように飲酒しながら見ていたら、感じ方が異なったりするのだろうか、ということをふと考えてしまった。そりゃ、飲んでいない方が細微にわたりパフォーマンスを吟味できるのは間違いないだろう。だが、シラフだと、根気のないぼくはずっとハイ・テンションで演奏に付き合い続けられるか。そういう項目については、僕の場合は飲んだほうがいい。また、飲んでいたほうが、大局的見地からショウの流れをつかんだり、その総体の意義は自由に感じやすいんじゃないかなあ。あ、どっちもどっちで、そんなに変わりはないか? 終演後、飲酒したほうが内容を忘れてしまうことはあるだろう。でも、飲んだことで忘れてしまうような情報はそれほど重要なものではないと思う。それよりも、ライヴを楽しむという感覚をぼくは大切にしたいし、そうすれば良いライヴはいくらでも情報を与えてくれる。

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