ザ・テンプテーションズ・レヴュー
2017年3月20日 音楽 きらびやかな白〜ベージュ基調の格好をした5人のシンガーたちが出て来るだけで、ウヒョ〜となっちゃうよなあ。でもって、そんなに凝っているわけでないのだが、揃ってフリをつけるとより胸は高鳴ってしまう。ああ、こういうのにグっとする価値観を持っていて良かったとも存分に思う。歌唱の重なり方も含め、そこには変わらなくていいもの、なくなって欲しくない音楽にまつわる尊い所作があった。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
フロントに立つシンガーは、デニス・エドワーズ 、デイヴィッド・シー 、マイク・ぺティーロ 、クリス・アーノルド、ポール・ウィリアムスJr.という5人。ずうっと面々はこの5人で、ザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日、2013年8月18日)の興行を持っていますね。彼らの華やかな姿に触れながら、1980年代後期にテンプスのリード・シンガーを堂々務めていたアリ・オリ・ウッドソンが亡くなってだいぶたつなあ(2010年、享年58)と、ふと思った。
サポート陣は 、キーボードのトラヴィス・ミルナーと ティモシー・チャンドラー 、ギターのリック・アーチャー(唯一の白人) 、ベースのジェームズ・マッケイ(呼び込みMCは彼がする)、ドラムのルウェリン・ダン 、トロンボーンのレイモンド・ハリス、トランペットの小澤 篤士 と竹内 悠馬、テナー・サックスのアンディ・ウルフ(2012年3月24日、2016年11月10日。彼は複数ソロ・パートを与えられた)、という面々。3人は日本で雇われた奏者で、トロンボーン奏者が一生懸命に彼らに指揮を出す。ショウが終わったとき、レイモンド・ハリスは3人とそれぞれ拳を交わした。
ステージのフロントに位置するシンガー陣のフォーメイションは曲により変わり、向かって左側に立つ人物が基本リードを取る。頭の方はモータウン契約個人アーティストというキャリアも持つデニス・エドワーズ(あまり老けていないように見えた)が左側に立ちフィーチャーされた。このまま行くのかなと思ったら、各メンバー皆んな前に立つ曲がある。おお、民主的なグループ。なんか、ほのぼのした気分も得た。そして、終盤に4人が袖に下がり、デイヴィッド・シー一人で歌い、客とコール&レスポンスし、自慢のシャウトをアピールする部分もあり。シーにはビクターからリーダー作を出したときにインタヴューしたり、米国で会ったりしたことがあったので、それについてはうれしかった。
そして、最後に自らの名前を紹介する際に、オリジナル・メンバーの名前もちゃんと伝えた。
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ・レヴュー
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶︎過去の、アンディ・ウルフ
http://43142.diarynote.jp/201203260807415637/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161110
<今日の、感謝>
1926年10 月18日〜2017年3月18日、ミズーリ州セントルイスに生まれ、同地に死ぬ。チャック・ベリーが亡くなった。90歳というから、天寿をまっとうしたと言えるだろう。
破格のロックンローラーであるチャック・ベリーの音楽について、ぼくはオルタナティヴという言葉をまず思い浮かべる。彼は1955年デビュー以後の全盛期、シガゴ・ブルースの重要レーベルであるチェスに所属していた。そして、「メイベリーン」以下、彼の発表する曲がいかに弾み、生理的に軽く、明るい飛躍をしていたブルース・ビヨンド表現であったかは、他のチェス発のブツと比べれば“一聴瞭然”。かつ、彼は歌詞の部分でもカっとび、もう一つのあるべきポップ・ミュージックの情景をこさえた。「ジョニー・B・グッド」。「ロール・オーヴァー・ベイトーヴェン」、「ロックンロール・ミュージック」「メンフィス」、「ハヴァナ・ムーン」、「スクール・デイズ」……。ああ、様々なロックの担い手たちがカヴァーもした名曲群が頭の中で回る。
そんな彼は、長年ライヴ・ツアーは単身で回るというスタイルをとっていた。そして、ベリーは訪れた先々のローカル・ミュージシャンを起用してライヴ・パフォーマンスをしていた。それは彼の様式や楽曲がよく知られ“スタンダード”になっていたからこそ可能であったわけだが、他人と絡むのはライヴの時だけであり、アガリも大きくなり、偏屈なベリーにとっては一番合理的なやり方であったのだと思う。ぼくが見た1982年の来日公演(横浜球場でのイヴェント。RCサクセションやサム・ムーア;2006年11月14日、2008年8月31日、2010年12月15日、2011年7月27日、2015年12月2日が、前座で出てきた)も、日本人のバンドを従えてなされた。バック・バンドには不満を覚えたかもしれないが、ブルース・コード進行をベースとする“ニュー・ミュージック”を作り上げたベリーだからこその特権であるとも、そのとき思ったっけ。ステージでの“ダッグ・ウォーク”や見栄の切り方をはじめ様々な部分においてのイノヴェイターであり、黒人とか白人とかの範疇をあっさり超えてしまい、若者が夢見る黄金のビート・ミュージックを作った男、それこそがチャック・ベリーであった。
1987年、キース・リチャーズ(2003年3月15日)は御大をなだめすかし、テイラー・ハックフォードを監督に立てセントルイスで持たれた生誕60周年記念コンサートを柱におくドキュメンタリー映画『ヘイル・ヘイル・ロックンロール』を作った。ちゃんとベリーの音楽や功績を知らせる映像であり、リチャーズはいい仕事をしたと思う。ベリーさん、もしかして天国に行ったさい、もっともセッションを求められる存在であるかもしれない。
▶過去の、サム・ムーア
http://43142.diarynote.jp/200611190319380000/
http://43142.diarynote.jp/201012160928249431/
http://43142.diarynote.jp/201107310730365740/
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/201512030957287514/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ/キース・リチャーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶︎過去の、テイラー・ハックフォードの映画
http://43142.diarynote.jp/?day=20041115
フロントに立つシンガーは、デニス・エドワーズ 、デイヴィッド・シー 、マイク・ぺティーロ 、クリス・アーノルド、ポール・ウィリアムスJr.という5人。ずうっと面々はこの5人で、ザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日、2013年8月18日)の興行を持っていますね。彼らの華やかな姿に触れながら、1980年代後期にテンプスのリード・シンガーを堂々務めていたアリ・オリ・ウッドソンが亡くなってだいぶたつなあ(2010年、享年58)と、ふと思った。
サポート陣は 、キーボードのトラヴィス・ミルナーと ティモシー・チャンドラー 、ギターのリック・アーチャー(唯一の白人) 、ベースのジェームズ・マッケイ(呼び込みMCは彼がする)、ドラムのルウェリン・ダン 、トロンボーンのレイモンド・ハリス、トランペットの小澤 篤士 と竹内 悠馬、テナー・サックスのアンディ・ウルフ(2012年3月24日、2016年11月10日。彼は複数ソロ・パートを与えられた)、という面々。3人は日本で雇われた奏者で、トロンボーン奏者が一生懸命に彼らに指揮を出す。ショウが終わったとき、レイモンド・ハリスは3人とそれぞれ拳を交わした。
ステージのフロントに位置するシンガー陣のフォーメイションは曲により変わり、向かって左側に立つ人物が基本リードを取る。頭の方はモータウン契約個人アーティストというキャリアも持つデニス・エドワーズ(あまり老けていないように見えた)が左側に立ちフィーチャーされた。このまま行くのかなと思ったら、各メンバー皆んな前に立つ曲がある。おお、民主的なグループ。なんか、ほのぼのした気分も得た。そして、終盤に4人が袖に下がり、デイヴィッド・シー一人で歌い、客とコール&レスポンスし、自慢のシャウトをアピールする部分もあり。シーにはビクターからリーダー作を出したときにインタヴューしたり、米国で会ったりしたことがあったので、それについてはうれしかった。
そして、最後に自らの名前を紹介する際に、オリジナル・メンバーの名前もちゃんと伝えた。
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ・レヴュー
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶︎過去の、アンディ・ウルフ
http://43142.diarynote.jp/201203260807415637/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161110
<今日の、感謝>
1926年10 月18日〜2017年3月18日、ミズーリ州セントルイスに生まれ、同地に死ぬ。チャック・ベリーが亡くなった。90歳というから、天寿をまっとうしたと言えるだろう。
破格のロックンローラーであるチャック・ベリーの音楽について、ぼくはオルタナティヴという言葉をまず思い浮かべる。彼は1955年デビュー以後の全盛期、シガゴ・ブルースの重要レーベルであるチェスに所属していた。そして、「メイベリーン」以下、彼の発表する曲がいかに弾み、生理的に軽く、明るい飛躍をしていたブルース・ビヨンド表現であったかは、他のチェス発のブツと比べれば“一聴瞭然”。かつ、彼は歌詞の部分でもカっとび、もう一つのあるべきポップ・ミュージックの情景をこさえた。「ジョニー・B・グッド」。「ロール・オーヴァー・ベイトーヴェン」、「ロックンロール・ミュージック」「メンフィス」、「ハヴァナ・ムーン」、「スクール・デイズ」……。ああ、様々なロックの担い手たちがカヴァーもした名曲群が頭の中で回る。
そんな彼は、長年ライヴ・ツアーは単身で回るというスタイルをとっていた。そして、ベリーは訪れた先々のローカル・ミュージシャンを起用してライヴ・パフォーマンスをしていた。それは彼の様式や楽曲がよく知られ“スタンダード”になっていたからこそ可能であったわけだが、他人と絡むのはライヴの時だけであり、アガリも大きくなり、偏屈なベリーにとっては一番合理的なやり方であったのだと思う。ぼくが見た1982年の来日公演(横浜球場でのイヴェント。RCサクセションやサム・ムーア;2006年11月14日、2008年8月31日、2010年12月15日、2011年7月27日、2015年12月2日が、前座で出てきた)も、日本人のバンドを従えてなされた。バック・バンドには不満を覚えたかもしれないが、ブルース・コード進行をベースとする“ニュー・ミュージック”を作り上げたベリーだからこその特権であるとも、そのとき思ったっけ。ステージでの“ダッグ・ウォーク”や見栄の切り方をはじめ様々な部分においてのイノヴェイターであり、黒人とか白人とかの範疇をあっさり超えてしまい、若者が夢見る黄金のビート・ミュージックを作った男、それこそがチャック・ベリーであった。
1987年、キース・リチャーズ(2003年3月15日)は御大をなだめすかし、テイラー・ハックフォードを監督に立てセントルイスで持たれた生誕60周年記念コンサートを柱におくドキュメンタリー映画『ヘイル・ヘイル・ロックンロール』を作った。ちゃんとベリーの音楽や功績を知らせる映像であり、リチャーズはいい仕事をしたと思う。ベリーさん、もしかして天国に行ったさい、もっともセッションを求められる存在であるかもしれない。
▶過去の、サム・ムーア
http://43142.diarynote.jp/200611190319380000/
http://43142.diarynote.jp/201012160928249431/
http://43142.diarynote.jp/201107310730365740/
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/201512030957287514/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ/キース・リチャーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶︎過去の、テイラー・ハックフォードの映画
http://43142.diarynote.jp/?day=20041115
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