アンナ・マリア・ヨペック
2016年12月25日 音楽 昨年の東京ジャズに出演時における、このポーランド人シンガー(2015年9月5日)の才気表出の様に触れてびっくり、これは単独公演も見なきゃ、と向かう。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
ピアノ/キーボード/フルート/リコーダー/親指ピアノを担当するクシシュトフ・ヘルジン、アコースティック・ギター型の6弦ベースをいろんな感じで弾くロベルト・クビシン、ドラムやパーカッション(カホンやタブラ、など)のパヴェウ・ドブロヴォスルキからなるトリオを率いる。一応、ピアノ・トリオという形を取るが、その伴奏は、ジャズという様式を知らないと現れえないものだが、ジャズをしなやかに、大幅に超える様相を出す。
それは、主役のヨペックも同様。ポーランド語で歌う(MCは英語)彼女の味も、ジャズやフォークロアやポップスなどとのつながりを色々と持つ。主ヴォーカルとハーモナイザーを介しコーラス調の歌声が出る2種のマイクを用い、もう一つの、でも絶対アリの私の表現を、彼女は悠々と開く。シンプルなシークエンス伴奏にのって日本語による謝辞やメンバー紹介をするのは、とても彼女らしい、ただし、前回見た時のような手元で装置をいじって声質を変えるという場面はなし。今回はもっと歌心を持って、整合感の高い表現を送り出したいという気持ちが前に出ていたは間違いない。
私情も滋味もある、そんなパフォーマンスに接して、僕は往年のスティング(その新作『57th & 9th』は一回目と二回目とで印象が異なり、評価保留なり〜)表現の手作りに満ちた発展系という所感を得ずにはいられず。と、思ったら、ここのところ、彼女はスティングと交流を持っているらしい。ピアノを弾く場合、クシシュトフ・ヘルジンはブリリアントな指さばきを見せてオっとなってしまう好奏者だが、そう思うと、彼の演奏からザ・ブルー・タートル・バンドのケニー・カークランドを思い浮かべずにはいられなかった。
▶︎過去の、アンナ・マリア・ヨペック
http://43142.diarynote.jp/?day=20150905
<今日の、思い出し>
スティングの活動というと、1980年台半ば、ザ・ポリスをやめてソロとなって作ったザ・ブルー・タートル・バンドのことが鮮烈だ。ザ・ブルー・タートル・バンドとは、スティング(2000年10月16日)がジャズ・ミュージシャンを使いスケールの大きな大人ロックを作り上げたと多大な評判を呼んだ『ブルー・タートルの夢』(A&M、1985年)の際に起用した面々のことで、リードのブランフォード・マルサリス、ピアノの故ケニー・カークランド、ストーンズ加入前の電気ベースのダリル・ジョーンズ(2003年3月13日、2003 年3月15日、2013年3月8日)、ドラムのオマー・ハキム(2006年4月16日、2010年9月1日、2010年9月5日、2013年3月8日)。皆、アフリカ系ですね。同作をフォロウするツアーはライヴ盤『ブリング・オン・ザ・ナイト』(A&M、1986年)にもまとめられたが、あのアルバムのカークランドのピアノ演奏に影響を受けたジャズ・ピアニストは少なからずいたはず。それにしても、その頃のスティングの人気は凄まじかった。1987年1月の同バンドを率いての東京公演は東京ドーム(確か、キリンのビールのTV-CFにも出ていました)、開演前に楽屋にてイクスクルーシヴのインタヴューしたので、よく覚えている。スティングには2度目の取材となったのだけど、その環境も含め本当にいろんなことが新鮮だった。マッサージ担当の人もいたし、バックグラウンド・コーラスのジャニス・ペンダーヴィスはありゃあという格好で歩っていたな。
蛇足だが、スティングの“ザ・ドリーム・オブ・ブルー・タートル”路線はロックの範疇を超える影響をいろいろな人々に与えたが、それを元に置く最良の流動性あるアダルト音楽を作ったのが、NYダウンタウン系チェロ奏者のハンク・ロバーツだと、ぼくは思っている。D.K.ダイソンをシンガーに起用した、彼の1991年作『Birds of Prey』(JMT)はその証拠品だ。あ、ザ・ブルー・タートル・バンドでブランフォード・マルサリスの後に入ったのは、スティーヴ・コールマン。スティングは自分のレーベル”パンジア”から、コールマンのグループ作を出したりもしました。
▶過去の、スティング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
▶過去の、ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
▶︎過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、ダリル・ジョーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 13日、バーナード・ファウラー他のセッション。15日、ストーンズ
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
▶過去の、オマー・ハキム
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
ピアノ/キーボード/フルート/リコーダー/親指ピアノを担当するクシシュトフ・ヘルジン、アコースティック・ギター型の6弦ベースをいろんな感じで弾くロベルト・クビシン、ドラムやパーカッション(カホンやタブラ、など)のパヴェウ・ドブロヴォスルキからなるトリオを率いる。一応、ピアノ・トリオという形を取るが、その伴奏は、ジャズという様式を知らないと現れえないものだが、ジャズをしなやかに、大幅に超える様相を出す。
それは、主役のヨペックも同様。ポーランド語で歌う(MCは英語)彼女の味も、ジャズやフォークロアやポップスなどとのつながりを色々と持つ。主ヴォーカルとハーモナイザーを介しコーラス調の歌声が出る2種のマイクを用い、もう一つの、でも絶対アリの私の表現を、彼女は悠々と開く。シンプルなシークエンス伴奏にのって日本語による謝辞やメンバー紹介をするのは、とても彼女らしい、ただし、前回見た時のような手元で装置をいじって声質を変えるという場面はなし。今回はもっと歌心を持って、整合感の高い表現を送り出したいという気持ちが前に出ていたは間違いない。
私情も滋味もある、そんなパフォーマンスに接して、僕は往年のスティング(その新作『57th & 9th』は一回目と二回目とで印象が異なり、評価保留なり〜)表現の手作りに満ちた発展系という所感を得ずにはいられず。と、思ったら、ここのところ、彼女はスティングと交流を持っているらしい。ピアノを弾く場合、クシシュトフ・ヘルジンはブリリアントな指さばきを見せてオっとなってしまう好奏者だが、そう思うと、彼の演奏からザ・ブルー・タートル・バンドのケニー・カークランドを思い浮かべずにはいられなかった。
▶︎過去の、アンナ・マリア・ヨペック
http://43142.diarynote.jp/?day=20150905
<今日の、思い出し>
スティングの活動というと、1980年台半ば、ザ・ポリスをやめてソロとなって作ったザ・ブルー・タートル・バンドのことが鮮烈だ。ザ・ブルー・タートル・バンドとは、スティング(2000年10月16日)がジャズ・ミュージシャンを使いスケールの大きな大人ロックを作り上げたと多大な評判を呼んだ『ブルー・タートルの夢』(A&M、1985年)の際に起用した面々のことで、リードのブランフォード・マルサリス、ピアノの故ケニー・カークランド、ストーンズ加入前の電気ベースのダリル・ジョーンズ(2003年3月13日、2003 年3月15日、2013年3月8日)、ドラムのオマー・ハキム(2006年4月16日、2010年9月1日、2010年9月5日、2013年3月8日)。皆、アフリカ系ですね。同作をフォロウするツアーはライヴ盤『ブリング・オン・ザ・ナイト』(A&M、1986年)にもまとめられたが、あのアルバムのカークランドのピアノ演奏に影響を受けたジャズ・ピアニストは少なからずいたはず。それにしても、その頃のスティングの人気は凄まじかった。1987年1月の同バンドを率いての東京公演は東京ドーム(確か、キリンのビールのTV-CFにも出ていました)、開演前に楽屋にてイクスクルーシヴのインタヴューしたので、よく覚えている。スティングには2度目の取材となったのだけど、その環境も含め本当にいろんなことが新鮮だった。マッサージ担当の人もいたし、バックグラウンド・コーラスのジャニス・ペンダーヴィスはありゃあという格好で歩っていたな。
蛇足だが、スティングの“ザ・ドリーム・オブ・ブルー・タートル”路線はロックの範疇を超える影響をいろいろな人々に与えたが、それを元に置く最良の流動性あるアダルト音楽を作ったのが、NYダウンタウン系チェロ奏者のハンク・ロバーツだと、ぼくは思っている。D.K.ダイソンをシンガーに起用した、彼の1991年作『Birds of Prey』(JMT)はその証拠品だ。あ、ザ・ブルー・タートル・バンドでブランフォード・マルサリスの後に入ったのは、スティーヴ・コールマン。スティングは自分のレーベル”パンジア”から、コールマンのグループ作を出したりもしました。
▶過去の、スティング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
▶過去の、ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
▶︎過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、ダリル・ジョーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 13日、バーナード・ファウラー他のセッション。15日、ストーンズ
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
▶過去の、オマー・ハキム
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
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