ロイ・エアーズ

2016年2月12日 音楽
 シンガー/シンセシザー・ヴァイブラフォン奏者のロイ・エアーズ((2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日)は今回、とっても元気だった。実は彼、モーリス・ホワイトより1歳年上なのか。少なくても前回より、歌声がよく出ていて、シンセサイザー・ヴァイブラフォンを弾く頻度も高かった。サイド・ヴォーカル、キーボード、エレクトリック・ベース、ドラムというバンドの演奏陣もいい感じで御大を盛り上げていました。南青山・ブルーノート青山、ファースト・ショウ。

▶過去の、エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/

<今日の、考察>
 少し大雑把になりすぎてはいるが。ロイ・エアーズは米国ジャズ/ジャズ・マンの底知れなさを、どこか出し続けていると思う。1963年のアルバム・デビュー当初はまっとうな西海岸の純ジャズ・ヴァイヴ奏者。それがジャズのカタチがだいぶ変わってきた1960年代下半期に入ると、彼も動き始める。かなりポップ&サイケ情緒も持つ『Stoned Soul Picnic』(アトランティック、1968年)のジャケットはまるで当時のスライ&ザ・ファミリー・ストーンだと言うのはともかく、自己バンドのユキビティを名乗るようになった1971年作以降はヴォーカルも偏重し、かなりソウル/ファンクに近づいた表現(そこにうっすらとジャジー気分が入るのが気持ちいい)を志向するようになる。彼の場合、モダン・ジャズの世界において傍系の楽器であったヴァイブラフォンが持ち楽器であったというのは変化の志向しやすさを導いたとは言えるわけだが。その路線の完成曲の一つがインコニート(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日、2015年9月27日)のカヴァーでも知られる1976年曲「エヴリバディ・ラヴズ・ザ・サンシャイン」であったろう。また、彼は1980年にはフェラ・クティとの双頭名義作もきっちり作っているのだから、(レスター・ボウイは1977年ぐらいにクティに興味を持ちラゴスに出向いたりもしているが)そのアンテナの持ちようには舌をまいてしまう。そして、ぼくはその奥に、一部のジャズ・マンが抱えていた不思議なスケール感や好奇心の在り処を見て、頷いてしまうのだ。
 そして、2月3日に亡くなったE.W.&F.(2006年1月19日、2012年5月17日)を率いたモーリス・ホワイト(彼は1941年生まれ)にも同様の得体の知れないジャズ・マンの宇宙のようなものを見てしまう。ジャズ・ドラマーを志向した彼のシカゴ時代の一番大きな仕事はラムゼイ・ルイス・トリオだった。だが、1960年代後半に彼は新たな時代を見据え、ジャジー・ソウル・バンドであるE.W.&F.を結成し、1972年には更なる音楽性の飛躍を求めて彼はLAに拠点を移す。うぬ、そこらあたりの勘のあり様はすごい。で、ホワイトの場合もっとすごいのは、ジャズがかつてのアフリカン・アメリカンにとって一番の創造性発揮の結果であることをふまえ、1970年代に同様のことをとげるためにはと考えた結果、あの洗練の塊のような精緻にしてスケールの大きなポップ表現を求めたこと。1970 年代中期のあの常規を逸した構築感やメロディアスさに触れると、ぼくはモーリスが黒人の優位性を知らしめるためにはザ・ビートルズに匹敵するようなビート・ポップを作り上げなくてはならないと考えていたとしか思えない。そして、そのクールな動きを導いたのは彼が内に抱えていたリアルな、全盛期のジャズを知る一部の人だけが持ち得た飛躍力であったと思う。そんな彼には、個人的な思い出もいくつかある。まだ健在だった1995年の日本ツアーに同行したり(http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/ 参照)、その何年か後にLAの彼のスタジオで取材したり。どうぞ、安らかに。あなたはあまりにデカいものを米国音楽界に残した。
 2月6日には、洒脱ジャジー・ポッパーのダン・ヒックスも亡くなった。ああ、彼もホワイトと同じ1941年生まれだ。ヒックスが12月9日生まれで、ホワイトが12月19日生まれか。ヒックスのライヴを見たのは3回(2001年2月14日、2009年5月27日、2010年6月18日)、やはり見たライヴのことをこうして書き溜めておくのはアリだと思う。ここのとろ、鬼籍入りする有名ミュージシャンが続いているが多いが、前にも書いたことがあるように、それだけ今に連なるポップ・ミュージックが出て来て時間が経つ(やはり、都合良く解釈すれば20世紀はポップ・ミュージックの世紀であったのかな)ようになったのだから、それは避けられないことであるのだと思う。
▶過去の、インコグニート/ブルーイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
http://43142.diarynote.jp/201306190743528192/
http://43142.diarynote.jp/201507110856518338/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/
▶過去の、ダン・ヒックス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
http://43142.diarynote.jp/201006200650338483/

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