10cc。ADAM at

2015年1月23日 音楽
 オリジナル・メンバー1/4のグレアム・グールドマンが率いる。英国の誇るめくるめくポップ職人ユニット(現在、1/4のグレアム・グールドマンが率いる)の実演を見る。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。大昔、ザ・ビートルズやトッド・ラングレンと一緒の囲いに、ポップであることは冒険でもあることを実践していた彼らを入れていました。

 歌とベースのグールドマンにくわえ、ギター、歌とギターと打楽器、キーボード、ドラムという藤布陣にて、パフォーマンス。グールドマンが歌う際、歌の韻とリズムの関係が難しい曲の場合は、彼がギターを手にし、他の奏者がベースを弾く場合もあった。

 10ccはリード・ヴォーカルをメンバーでいろいろ取り合うバンドであり、グールドマンがリード・ヴォーカルを取ったのは半数で、他の高音目のリード・ヴォーカルが必要なものはミック・ウィルソンという人物が担当。彼の存在、きいていました。また、ドラマー以外はみなコーラスも取り、それはきまる。ギターのニール・フェンは10ccが分裂したときにロル・クリーム(2012年8月6日)の代わりとして入って以来ずっと関与している奏者で、1980年代中期にはピンク・フロイドのニック・メイソンと双頭アルバムをコロムビアから出してもいる。また、ちゃんとした叩き口を持つドラマーのポール・バージェスは、すでに1973年の10ccツアー時に追加ドラマーとして関与していたそうだ。

 演目は初期曲中心、それらをなかなか上質に生の場で開き、有名曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」だけはプリセットの音も併用する。ライヴは新たな刺激や示唆を受ける場であると、ぼくは常々そういうふうに、コンサートのことを規定してきた。だが、今はかつて愛好した音楽にまつわる記憶を甘美に追体験する場であるとも思えるわけで(これだけ、ポップ・ミュージックに触れてきて、齢もとってきたら、しょうがない)、そういう部分において、彼らは“人生のサウンドトラック”提供役を十全にまっとう。終盤、オールド・ポップス調の「ドナ」はドラマーを除く4人でステージ前面中央に立ってアカペラにて披露したが、それもとっても良かった。年配客の温かい反応を得て、グルードマンたちもうれしそう。気をよくしてこの後、ショウはもっと輝くものになっていくと思われる。

▶過去の、10cc
http://43142.diarynote.jp/?day=20100523
▶過去の、ロル・クリーム
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/

 その後、渋谷・PLUGで、浜松市をベースとする鍵盤奏者のタマスケアットを中心とする、弾けたインスト・バンドのADAM atを見る。この1月にメジャー・デビュー作を出したばかり。鍵盤以外はトリオ基調でメンバーを固定していないようで、この晩は電気ベースとドラムとギターがつく。キーボード奏者は客席に背を向ける様にセッティング。四者は向かい合うようにステージに位置する。これなら、ライトニング・ボルト(2009年11月15日)のように、客席フロア中央に奏者がこじんまりと陣取り、お客が彼らを取り囲むようにすればいいと、思わずにいられず。

 途中から、ひゃひゃひゃ、となる。だって、退きの部分ゼロ。コクなんか糞食らえといった感じで、ひたすらイケイケで疾走するんだもの。曲は”善人を気取りたがるファミリー・パパ”というものもあったりするのだが、そういうものもひたすら前のめりでゴー。腕はずっと劣るが、鍵盤裁きに触れてソイルの丈青が好きなんじゃないかと思わせるところがあった。あと、特筆すべきは、そのタマスケの饒舌なMC。スベリもするのだが、内容のない話をベラベラまき散らして行く様はなんか爽快でもある。とかなんかで、ぼくはライヴの送り手としてこれはアリと思ってしまった。

▶過去の、ライトニング・ボルト
http://43142.diarynote.jp/200911161707238141/

<おとといの、発見物>
 ちょい探し物があり、処分仕分け(ぜんぜん、できねえ)をかねて、トランクルームのCD群と長時間ではなく(←それは、無理)格闘する。そしたら、えぇこんなのあるのみたいなアイテムが次々出てくる。そのなかに、1980年代下半期にリリースされたワックスというユニット作が出来てびっくり。それ、グレアム・グールドマンとちょい産業音楽臭も持つポップ作風で知られる米国西海岸シンガー・ソングライターのアンドリュー・ゴールドの2人が国籍を超えてつるんだもの。2作目は『アメリカン・イングリッシュ』と表題付けされているゾ。おお、こんなグループがあるなんてすっかり忘れていた。しかも、3作もあった。アメリカではすでにワックスというグループがいたらしく、彼らはワックスUKとアメリカでは記事表記されたりもした。親も音楽関係者であったハリウッドぼんぼんのゴールド(1977年の「ロンリー・ボーイ」という、甘酸っぱいメロディとリズムの揺れが印象的な全米トップ10ヒットはとてもぼくの耳に残っている)は2011年にお亡くなりになった。あー、ワックスのように、リアルタイムで接していても、すでに忘却の彼方にある担い手やアルバムが山ほどあることを実感させられ、切ないよ〜。なお、ちょい聞き返したら、彼らの熱心な聞き手でないかぎり、今聞く必要はないと判断しました。←と言いつつ、処分CDのほうには回さなかった、ぼく。

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