映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」
2014年6月26日 音楽 目黒・ソニー PCL本社試写室で、肉感度高いサザン・ソウル調サウンドのもと数多のシンガーたちの珠玉の録音サポートをしてきたアラバマ州のマッスル・ショールズ界隈の二つの著名レコーディング・スタジオを題材にした映画を見る。2013年、米国制作のドキュメンタリーだ。
二つのスタジオのうち一つは、ミュージシャンもしていたことがあるエンジニア/プロデューサーであるリック・ホール(R&B史に燦然と名を残す名士ですね)が1959年にマッスル・ショールズ(現在の人口は、13.000人)に作ったフェイム・スタジオ(フェイムはフローレンス・アラバマ・ミュージック・エンタープライズの略なので、実際はマッスル・ショールズの隣にあるフローレンスで設立されたのかもしれない)。そして、もう一つは“ザ・スワンパーズ”と呼ばれたフェイム・スタジオの名ハウス・ミュージシャンたちが1969年にフェイムから独立して隣町シェフィールド(現人口9.000人)に作ったマッスル・ショールズ・スタジオ。ちょい、紛らわしいですね。なお、両スタジオともずっと健在(後者は2013年にスタジオ稼働をやめたよう)。長年ツブれずに来たのは、両方ともスタジオ運営/音楽制作や音楽出版に特化し、レコード会社業には手を出さなかったことは関係あるかもしれない。
そして、その動きにはアトランティックの黄金期R&Bを舵取りしたジェリー・ウェクスラーが深く関与していたのには改めてびっくり。映画によれば、なんと彼がフェイム・スタジオ潰しを画策して、側近奏者たちに資金を提供したことでマッスル・ショールズ・スタジオは設立されたそう。だが、ウェクスラーはフェイム・スタジオを広く有名にした人物でもある。彼はアトランティック物件をいろいろと録音委託していたメンフィスのスタックス・レコードとの関係がこじれ、かわりにフェイムを使ったことで、フェイム/リック・ホールの名は上がった。まあ、リック・ホールが最初に扱ったR&Bシンガーであるアーサー・アレクサンダーのデビュー曲「ユー・ベター・ムーヴ・オン」や「アンナ」はともに1962年に米国でヒットし、前者はザ・ローリング・ストーンズに、後者はザ・ビートルズにカヴァーされてもいて、当初からホールは確かな手腕を示していたが。しかし、ウェクスラーって、罪作りな人だよなー。彼がいてこそ、南部ソウル/ミュージシャンの隆盛があったは間違いないけれど。
監督は、これが初めての監督作品となるコロラド州ボールダーで不動産業を営むそうなグレッグ・フレディ・キャリア。彼はこれまで2つの映画にお金を出しプロデューサー・クレジットを得ているというので、本業で潤っているのか。なんでも友人と車で長旅した際、マッスル・ショールズに偶然一泊したことがきっかけで、この伝説の音楽地場に興味を持ち、ここにまつわる映画を作ることにしたのだという。てなわけで、映画好きではあったろうが、監督に関しては経験がないような彼でもあるが、豊富な証言者映像(皆、いいこと言うよなあ。現在は物故者になってしまった人もいるので、そこそこの期間をかけて取材にあたったと考えられる)と何気に残っているいろいろな過去の記録映像のため、なんの文句もない、いい感じの音楽映画に仕上がっている。
インタヴュー映像で出てくるのは、同地録音の恩恵を受けているパーシー・スレッジやクラレンス・カーター(2013年11月14日)やアリサ・フランクリンやキャンディ・ステイトン(2012年7月1日)、ジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日、2013年3月6日、2014年5月21日)やストーンズ(2003年3月15日)のミック・ジャガーとキース・リチャーズなど。その顔ぶれは本当に豪華で、かの地の功績を痛感させられるか。後からできたマッスル・ショールズ・スタジオは当初鳴かず飛ばずだったが、ストーンズが1971年作『スティッキー・フィンガーズ』録音で同スタジオを用いたことが幸いし、軌道に乗ったそうだ。それから、U2(2006年12月4日)のボーノの発言もたびたびインサートされるが、彼のそれは熱く、思い入れたっぷり。そういえば、U2の1988年作『ラトル&ハム』はメンフィスのサン・スタジオでの録音。サン・レコード設立者であるサム・フィリップスはフローレンスの生まれだ。
また、当然のことながら、リック・ホールをはじめフェイム・スタジオの関係者たち、鍵盤のスプーナー・オールダムやソングライターのダン・ペン(2010年8月25日)なども出てくる。フェイム・スタジオの第二期ハウス・バンドであるザ・スワンパーズの面々、ギターのジミー・ジョンソン、ベースのデイヴィッド・フッド、ドラムのロジャー・ホウキンス、キーボードのバリー・ベケット(彼のみ、故人)も同様。おお、彼らは皆白人ではないか! そう、歌手は黒人だったが、マッスル・ショールズの裏方関係者は白人だった。差別があり、それが激しかったはずの米国南部田舎での、ちょい不思議な、でも意義たっぷりの白人と黒人の共同作業……。それもまた本映画が伝える重要部で、それにはじわじわと示唆を、ぼくは受けた。ザ・オールマン・ブラザーズのギタリストである故デュエイン・オールマンもフェイム・スタジオのハウス・ミュージシャンだったことがあり、彼の事もいろいろ紹介されるし、証言者には弟のグレッグ・オールマンも出てくる。
ザ・スワンパーズの4人、ジミー・ジョンソン(ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』にはエンジアとして、彼はクレジット)、デイヴィッド・フッド、ロジャー・ホウキンス、バリー・ベケットは後のマッスル・ショールズ・スタジオの設立者でもあり、後半よりフィーチャーされる。彼らはマッスル・ショールズ・リズム・セクションとも、かつて呼称されましたね。
実は、ザ・スワンパーズたちの名前をぼくはロックのアルバムのクレジットで知り、ライナー・ノーツを読んで、普段は米国の地方のスタジオ・ミュージシャンであるのを高校生のころから知っていた。だが、彼らがこれほどまでに田舎に住み、R&B演奏で腕をならしてきたプレイヤーであるとは、当時熱心なロック愛好者であるぼくは思いもしなかった。ハハハ。ボズ・スキャッグス、ドン・ニックス、ポール・サイモンなど、いろいろロック側の人のアルバムにも彼らは貢献している。うち3人はトラフィックの1973年欧州ツアーに参加した(ライヴ盤『オン・ザ・ロード』。インスト部が長く、今の言葉で言うなら、ジャム・バンド的か)が、それはスタジオ暮らしの彼らにとって、初のツアー参加であった(初の外国行きでもあったろう)。映画に出てくるトラフィックを率いたスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)は、彼らを魔法の土地から外に出してしまうことで、その純度が失われるんじゃないかと憂慮したというようなことを、証言している。
なお、映画のエンド・ロールで使われているのは、サザン・ロック・バンドのレイナード・スキナードの1974年全米8位曲「スウィート・ホーム・アラバマ」。「アラバマ」や「サザン・マン」という曲を発表していたニール・ヤング(2001年7月28日)へ他所もんが南部気質にアヤつけてんじゃねえという気持ちをこめたこの曲は、マッスル・ショールズ録音曲ではない(ジョージア州ドラヴィルでの録音)。だが、曲中に<マッスル・ショールズには、ザ・スワンパーズがいる>という歌詞を持つ。
また、本編の最後には、喧嘩別れしたリック・ホールとザ・スワンパーズの面々が邂逅するシーンがあり、さらには、フェイム・スタジオでピアノを弾きながら歌うアリシア・キーズ(2008年8月10日)をジョンソン、フッド、ホウキンスの3人がバッキングし、ホールが卓をいじるシーンも登場。演奏されるのは、ボブ・ディランの「プレッシング」。ディランのゴスペル期『セイヴド』(1980年)に入っており、マッスル・ショールズ・スタジオ録音でジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットがそのアルバムをプロデュースした。そのシーン、やはりグっと来ちゃいます。
それにしても、1932年生まれのリック・ホール(現在は80歳を過ぎている)は、とっても若く見える。映画は彼の発言を元に進んで行く感じもあり、本映画は山あり谷ありの“リック・ホール物語”的な色彩も持っているか。それゆえ、なかばマニアックな側面も持つのだが、少なくてもぼくは小難しくは感じなかった。
ところで、映画ではマッスル・ショールズ界隈の風景もいろいろ映されるが、これが川(テネシー川)と森が鬼のようにある土地に撮られている。だが、そんな田舎からあっと驚く優秀なミュージシャンが続々出て、1960年代中期からR&Bやロック有名人が彼らの手作りサウンドを求めて大挙おしよせた。そこに行けば、人間的かつアーシーな音やソウルネスが得られる、と……。なんか、彼の地が映画「フィールド・オブ・ドリームス」で描かれる“夢の球場”のように、ぼくは映画を見ながら思えて来たりもしちゃい、満たされた南部幻想に包まれもした。ああ、遥かなるマッスル・ショールズ。そんな、この映画は新宿シネマカリテ他、7月12日から順次公開される。
▶過去の、クラレンス・カーター
http://43142.diarynote.jp/201311161311391480/
▶過去の、キャンディ・ステイトン
http://43142.diarynote.jp/201207031354584120/
▶過去の、ジミー・クリフ
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/200608201821080000/
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
http://43142.diarynote.jp/201405230833199357/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、ダン・ペン
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
▶︎過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
▶過去の、アリシア・キーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20080810
<今日の、おじいさん>
家から駅に向かうとき、けっこうな頻度ですれ違うおじいさんがいる。今日も会った。杖をついているのに、冬も夏も毎日日中は散歩に出ているとしか、思えない。体力あるなー。そのご老人とはいつごろからか、会釈し合う関係になった。でも、彼はリック・ホールよりは年下かな。ホールさんは農場も持っているようで、がんがん作業をやっている姿も、映画には出てきます。
二つのスタジオのうち一つは、ミュージシャンもしていたことがあるエンジニア/プロデューサーであるリック・ホール(R&B史に燦然と名を残す名士ですね)が1959年にマッスル・ショールズ(現在の人口は、13.000人)に作ったフェイム・スタジオ(フェイムはフローレンス・アラバマ・ミュージック・エンタープライズの略なので、実際はマッスル・ショールズの隣にあるフローレンスで設立されたのかもしれない)。そして、もう一つは“ザ・スワンパーズ”と呼ばれたフェイム・スタジオの名ハウス・ミュージシャンたちが1969年にフェイムから独立して隣町シェフィールド(現人口9.000人)に作ったマッスル・ショールズ・スタジオ。ちょい、紛らわしいですね。なお、両スタジオともずっと健在(後者は2013年にスタジオ稼働をやめたよう)。長年ツブれずに来たのは、両方ともスタジオ運営/音楽制作や音楽出版に特化し、レコード会社業には手を出さなかったことは関係あるかもしれない。
そして、その動きにはアトランティックの黄金期R&Bを舵取りしたジェリー・ウェクスラーが深く関与していたのには改めてびっくり。映画によれば、なんと彼がフェイム・スタジオ潰しを画策して、側近奏者たちに資金を提供したことでマッスル・ショールズ・スタジオは設立されたそう。だが、ウェクスラーはフェイム・スタジオを広く有名にした人物でもある。彼はアトランティック物件をいろいろと録音委託していたメンフィスのスタックス・レコードとの関係がこじれ、かわりにフェイムを使ったことで、フェイム/リック・ホールの名は上がった。まあ、リック・ホールが最初に扱ったR&Bシンガーであるアーサー・アレクサンダーのデビュー曲「ユー・ベター・ムーヴ・オン」や「アンナ」はともに1962年に米国でヒットし、前者はザ・ローリング・ストーンズに、後者はザ・ビートルズにカヴァーされてもいて、当初からホールは確かな手腕を示していたが。しかし、ウェクスラーって、罪作りな人だよなー。彼がいてこそ、南部ソウル/ミュージシャンの隆盛があったは間違いないけれど。
監督は、これが初めての監督作品となるコロラド州ボールダーで不動産業を営むそうなグレッグ・フレディ・キャリア。彼はこれまで2つの映画にお金を出しプロデューサー・クレジットを得ているというので、本業で潤っているのか。なんでも友人と車で長旅した際、マッスル・ショールズに偶然一泊したことがきっかけで、この伝説の音楽地場に興味を持ち、ここにまつわる映画を作ることにしたのだという。てなわけで、映画好きではあったろうが、監督に関しては経験がないような彼でもあるが、豊富な証言者映像(皆、いいこと言うよなあ。現在は物故者になってしまった人もいるので、そこそこの期間をかけて取材にあたったと考えられる)と何気に残っているいろいろな過去の記録映像のため、なんの文句もない、いい感じの音楽映画に仕上がっている。
インタヴュー映像で出てくるのは、同地録音の恩恵を受けているパーシー・スレッジやクラレンス・カーター(2013年11月14日)やアリサ・フランクリンやキャンディ・ステイトン(2012年7月1日)、ジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日、2013年3月6日、2014年5月21日)やストーンズ(2003年3月15日)のミック・ジャガーとキース・リチャーズなど。その顔ぶれは本当に豪華で、かの地の功績を痛感させられるか。後からできたマッスル・ショールズ・スタジオは当初鳴かず飛ばずだったが、ストーンズが1971年作『スティッキー・フィンガーズ』録音で同スタジオを用いたことが幸いし、軌道に乗ったそうだ。それから、U2(2006年12月4日)のボーノの発言もたびたびインサートされるが、彼のそれは熱く、思い入れたっぷり。そういえば、U2の1988年作『ラトル&ハム』はメンフィスのサン・スタジオでの録音。サン・レコード設立者であるサム・フィリップスはフローレンスの生まれだ。
また、当然のことながら、リック・ホールをはじめフェイム・スタジオの関係者たち、鍵盤のスプーナー・オールダムやソングライターのダン・ペン(2010年8月25日)なども出てくる。フェイム・スタジオの第二期ハウス・バンドであるザ・スワンパーズの面々、ギターのジミー・ジョンソン、ベースのデイヴィッド・フッド、ドラムのロジャー・ホウキンス、キーボードのバリー・ベケット(彼のみ、故人)も同様。おお、彼らは皆白人ではないか! そう、歌手は黒人だったが、マッスル・ショールズの裏方関係者は白人だった。差別があり、それが激しかったはずの米国南部田舎での、ちょい不思議な、でも意義たっぷりの白人と黒人の共同作業……。それもまた本映画が伝える重要部で、それにはじわじわと示唆を、ぼくは受けた。ザ・オールマン・ブラザーズのギタリストである故デュエイン・オールマンもフェイム・スタジオのハウス・ミュージシャンだったことがあり、彼の事もいろいろ紹介されるし、証言者には弟のグレッグ・オールマンも出てくる。
ザ・スワンパーズの4人、ジミー・ジョンソン(ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』にはエンジアとして、彼はクレジット)、デイヴィッド・フッド、ロジャー・ホウキンス、バリー・ベケットは後のマッスル・ショールズ・スタジオの設立者でもあり、後半よりフィーチャーされる。彼らはマッスル・ショールズ・リズム・セクションとも、かつて呼称されましたね。
実は、ザ・スワンパーズたちの名前をぼくはロックのアルバムのクレジットで知り、ライナー・ノーツを読んで、普段は米国の地方のスタジオ・ミュージシャンであるのを高校生のころから知っていた。だが、彼らがこれほどまでに田舎に住み、R&B演奏で腕をならしてきたプレイヤーであるとは、当時熱心なロック愛好者であるぼくは思いもしなかった。ハハハ。ボズ・スキャッグス、ドン・ニックス、ポール・サイモンなど、いろいろロック側の人のアルバムにも彼らは貢献している。うち3人はトラフィックの1973年欧州ツアーに参加した(ライヴ盤『オン・ザ・ロード』。インスト部が長く、今の言葉で言うなら、ジャム・バンド的か)が、それはスタジオ暮らしの彼らにとって、初のツアー参加であった(初の外国行きでもあったろう)。映画に出てくるトラフィックを率いたスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)は、彼らを魔法の土地から外に出してしまうことで、その純度が失われるんじゃないかと憂慮したというようなことを、証言している。
なお、映画のエンド・ロールで使われているのは、サザン・ロック・バンドのレイナード・スキナードの1974年全米8位曲「スウィート・ホーム・アラバマ」。「アラバマ」や「サザン・マン」という曲を発表していたニール・ヤング(2001年7月28日)へ他所もんが南部気質にアヤつけてんじゃねえという気持ちをこめたこの曲は、マッスル・ショールズ録音曲ではない(ジョージア州ドラヴィルでの録音)。だが、曲中に<マッスル・ショールズには、ザ・スワンパーズがいる>という歌詞を持つ。
また、本編の最後には、喧嘩別れしたリック・ホールとザ・スワンパーズの面々が邂逅するシーンがあり、さらには、フェイム・スタジオでピアノを弾きながら歌うアリシア・キーズ(2008年8月10日)をジョンソン、フッド、ホウキンスの3人がバッキングし、ホールが卓をいじるシーンも登場。演奏されるのは、ボブ・ディランの「プレッシング」。ディランのゴスペル期『セイヴド』(1980年)に入っており、マッスル・ショールズ・スタジオ録音でジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットがそのアルバムをプロデュースした。そのシーン、やはりグっと来ちゃいます。
それにしても、1932年生まれのリック・ホール(現在は80歳を過ぎている)は、とっても若く見える。映画は彼の発言を元に進んで行く感じもあり、本映画は山あり谷ありの“リック・ホール物語”的な色彩も持っているか。それゆえ、なかばマニアックな側面も持つのだが、少なくてもぼくは小難しくは感じなかった。
ところで、映画ではマッスル・ショールズ界隈の風景もいろいろ映されるが、これが川(テネシー川)と森が鬼のようにある土地に撮られている。だが、そんな田舎からあっと驚く優秀なミュージシャンが続々出て、1960年代中期からR&Bやロック有名人が彼らの手作りサウンドを求めて大挙おしよせた。そこに行けば、人間的かつアーシーな音やソウルネスが得られる、と……。なんか、彼の地が映画「フィールド・オブ・ドリームス」で描かれる“夢の球場”のように、ぼくは映画を見ながら思えて来たりもしちゃい、満たされた南部幻想に包まれもした。ああ、遥かなるマッスル・ショールズ。そんな、この映画は新宿シネマカリテ他、7月12日から順次公開される。
▶過去の、クラレンス・カーター
http://43142.diarynote.jp/201311161311391480/
▶過去の、キャンディ・ステイトン
http://43142.diarynote.jp/201207031354584120/
▶過去の、ジミー・クリフ
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/200608201821080000/
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
http://43142.diarynote.jp/201405230833199357/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、ダン・ペン
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
▶︎過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
▶過去の、アリシア・キーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20080810
<今日の、おじいさん>
家から駅に向かうとき、けっこうな頻度ですれ違うおじいさんがいる。今日も会った。杖をついているのに、冬も夏も毎日日中は散歩に出ているとしか、思えない。体力あるなー。そのご老人とはいつごろからか、会釈し合う関係になった。でも、彼はリック・ホールよりは年下かな。ホールさんは農場も持っているようで、がんがん作業をやっている姿も、映画には出てきます。
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