ルー・クワール・デ・ラ・プラーノ。シックスペンス・ノン・ザ・リッチャー
2014年2月27日 音楽 ルー・クワール・デ・ラ・プラーノは、現在かなりインターナションルな規模で活動している仏マルセイユの男性コーラス・グループ。MCはリーダーが少しつたないながら、英語でやっていた。現在5人編成で、基本はアカペラ。だが、けっこう打楽器や手拍子などを介する曲が多い。アルバムでは、ブラス音が入る曲もある。
銀座・王子ホール。ステージに出て来た面々は素っ気ない(ださい、とも言う)格好で、街の中〜青年団的風情あり。なんか、皆河岸とかで働いていそう? 彼らは横一線に並んだ椅子に座って歌ったり、立ったり、立ち位置を変えたり。といった感じで、シンプルながらも、いろんな見せ方をしようとする。
そんな彼らのポイントは、地元に伝わるオック語を用いて歌声を重ね、そこに中央(パリ)とは線を引きたいマルセイユ居住者としての自負や地元文化謳歌/再興の意志をこめていること。というと、現代ポップ・ミュージックの大地に立って活動しているものの同様の姿勢を持つマルセイユ拠点のムッスー・テたち(2013年9月28日)のことを思い出してしまうが、彼らとの交遊ももちろんあるようだ。
90分強、彼らが披露した15曲は同地に伝わるいろんな伝承曲やリーダーのマニュ・テロンのオリジナル曲。自作メロディの場合、古い詩に歌詞を付けたものも多いよう。その詩はプロテスト調や小咄ふうトホホな内容のものが主であるようだ。トラッドにしろオリジナルのメロディにせよ、いろんな工夫を介したコーラスのもと送られる肉声表現は曲調も覚えにくいし(曲が終わりなのかと思えば終わらなかったり、ときにすううと次の曲に続いたりもする)、なかなか説明に困るが、スリルとユーモアあり。とともに、そこは今を生きる集団ゆえ、他の欧州の地域音楽やアラブ音楽、さらにはブラジル音楽などの要素も入れていたりも。パンデイロやボーランみたいな打楽器を用いる場合、けっこうブラジル色を感じさせる曲があった。
地方固有の言葉を用い、摩訶不思議にして驚愕しちゃう男性ポリフォニー・コーラスを聞かせるフランスのグループということでは、コルシカ島をベースとするア・フィレッタ(2010年8月25日、2010年9月4日)のことを思い出すが、ルー・クワール・デ・ラ・プラーノのほうがも少しちゃらくて、敷居が低い。静謐/圧倒度は、ア・フィレッタのほうが持つ。なんにせよ、いい意味で酔狂なことをしてるという感想はもわのわ沸き上がる。彼らには来週取材することになっているが、聞きたいことは山ほど……。
▶過去の、ムッスー・テ
http://43142.diarynote.jp/201310041548056608/
▶過去の、ア・フィレッタ
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
http://43142.diarynote.jp/201009151537076176/
その後、丸の内・コットンクラブで、ソングライターのマット・スローカム(ジョン・オーツ〜2005年3月21日、2011年2月28日、2012年4月5日〜みたいな風体の彼、ステージではギターを弾く)とシンガーのリー・ナッシュを核に置く、米国ナッシュヴィルのポップ・ロック・グループであるシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーを見る。
ところで、1990年代の中頃〜後期に、カントリー&ウェスタンの街であるテネシー州ナッシュヴィルが新たにソングライターの街として活況を呈していると話題になったことがあった。今はいるかどうかは知らないが、スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)も同地に引っ越して来ているという話も、ナッシュヴィルがカントリー&ウェスタンの街に留まらないことを印象づけたよな。そして、その新しいナッシュヴィルの音楽界を代表するプロデューサーとしてそのころ脚光を浴びたのが、ブラッド・ジョーンズ(NYの狼藉ジャズの敏腕ベーシスト〜2004年9月13日〜と同姓同名。もちろん、別人)だった。ベーシストやエンジニアリングをしていた彼はジル・ソヴュール、スワン・ダイヴ、スティーヴ・フォバート、マーシャル・クレンショウ、インペリアル・ドラッグとかを次々と手がけていた。当時、瑞々しいポップスを送り出していた在ナッシュヴィルのスワン・ダイヴのお二人にはインタヴューしたことがあったが、彼女たちは、ソングライターとして成功を求める人が多数ナッシュヴィルに集まり切磋琢磨し、街中にはそれを生で披露するカフェがいろいろある、みたいなことを言っていたっけ。現在ジャズ歌手としてエスタブリッシュされたヘイリー・ロレン(2012年2月13日)も作曲の勉強のためナッシュヴィル詣でをしたことがあるという経歴も、それを知れば全然不思議なことではない。あと、関係ないけど、ヤマハ楽器の米国オフィスはナッシュヴィルにあるようだ。
長々とナッシュヴィルのことを書いてしまったが、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーはまさにそんな中西部にある“米国ソングライターの都”が育んだグループであると、感じてしまったナ。まず、その根底にあるのは、多くの人の心の琴線に触れるだろうメロディアス曲。万人向けのそれら(品行方正な内容が多いのだろう、本国ではクリスチャン・ミュージックというジャンルにも、彼女たちは入れられる)は、良く出来ている。で、そんなメロディをフロントに立つ女性シンガーが凛として広げるのだが、かなり喉力あり。ふむ、アメリカのライヴ・サーキットで、それは必要とされること。実演においては、ギター、ベース、ドラムという簡素な編成(この手の音楽性で、キーボードを入れないのは珍しい)で披露するのだが、このメロディとヴォーカルがあれば、怖いものナシというバンド方針を感じさせた?
熱心に若い音楽を追うことをしなくなった層に吉となる、ポップ・ロック。なんか、ワスプを対象とする大人のお伽噺、という印象も、ぼくは得たか。ここには、米国の一局面を集約したようなメインストリーム表現、合衆国ならではの大衆ポップ・ミュージックの在り処がどーんとあると、感じてしまった。
▶過去の、オーツ
http://43142.diarynote.jp/200503240456350000/
http://43142.diarynote.jp/201103031015296753/
http://43142.diarynote.jp/201204091013123643/
▶過去の、ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、NYのジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040913
▶過去の、ロレン
http://43142.diarynote.jp/201202141303117620/
<今日の、長方形>
最寄り駅の地下ホームはずっとエアコンが入っておらず(それをバカにしていた友人がいました)、夏場はかなり暑かった。が、今日降りたら、なんとホームの随所にエアコンと思われるデカい長方形の金属物が設置されているのを認知。うれしい。と、思うとともに、これでまた今夏は電力が余分に使われるのかァと、少し顔をしかめる。基本、スーダラ快楽主義者なのに、なんで電力/エネルギー消費についてはストイックな考え方をぼくはするのだろう。やはり、原発事故による、心の痛みが大きいのか。
銀座・王子ホール。ステージに出て来た面々は素っ気ない(ださい、とも言う)格好で、街の中〜青年団的風情あり。なんか、皆河岸とかで働いていそう? 彼らは横一線に並んだ椅子に座って歌ったり、立ったり、立ち位置を変えたり。といった感じで、シンプルながらも、いろんな見せ方をしようとする。
そんな彼らのポイントは、地元に伝わるオック語を用いて歌声を重ね、そこに中央(パリ)とは線を引きたいマルセイユ居住者としての自負や地元文化謳歌/再興の意志をこめていること。というと、現代ポップ・ミュージックの大地に立って活動しているものの同様の姿勢を持つマルセイユ拠点のムッスー・テたち(2013年9月28日)のことを思い出してしまうが、彼らとの交遊ももちろんあるようだ。
90分強、彼らが披露した15曲は同地に伝わるいろんな伝承曲やリーダーのマニュ・テロンのオリジナル曲。自作メロディの場合、古い詩に歌詞を付けたものも多いよう。その詩はプロテスト調や小咄ふうトホホな内容のものが主であるようだ。トラッドにしろオリジナルのメロディにせよ、いろんな工夫を介したコーラスのもと送られる肉声表現は曲調も覚えにくいし(曲が終わりなのかと思えば終わらなかったり、ときにすううと次の曲に続いたりもする)、なかなか説明に困るが、スリルとユーモアあり。とともに、そこは今を生きる集団ゆえ、他の欧州の地域音楽やアラブ音楽、さらにはブラジル音楽などの要素も入れていたりも。パンデイロやボーランみたいな打楽器を用いる場合、けっこうブラジル色を感じさせる曲があった。
地方固有の言葉を用い、摩訶不思議にして驚愕しちゃう男性ポリフォニー・コーラスを聞かせるフランスのグループということでは、コルシカ島をベースとするア・フィレッタ(2010年8月25日、2010年9月4日)のことを思い出すが、ルー・クワール・デ・ラ・プラーノのほうがも少しちゃらくて、敷居が低い。静謐/圧倒度は、ア・フィレッタのほうが持つ。なんにせよ、いい意味で酔狂なことをしてるという感想はもわのわ沸き上がる。彼らには来週取材することになっているが、聞きたいことは山ほど……。
▶過去の、ムッスー・テ
http://43142.diarynote.jp/201310041548056608/
▶過去の、ア・フィレッタ
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
http://43142.diarynote.jp/201009151537076176/
その後、丸の内・コットンクラブで、ソングライターのマット・スローカム(ジョン・オーツ〜2005年3月21日、2011年2月28日、2012年4月5日〜みたいな風体の彼、ステージではギターを弾く)とシンガーのリー・ナッシュを核に置く、米国ナッシュヴィルのポップ・ロック・グループであるシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーを見る。
ところで、1990年代の中頃〜後期に、カントリー&ウェスタンの街であるテネシー州ナッシュヴィルが新たにソングライターの街として活況を呈していると話題になったことがあった。今はいるかどうかは知らないが、スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)も同地に引っ越して来ているという話も、ナッシュヴィルがカントリー&ウェスタンの街に留まらないことを印象づけたよな。そして、その新しいナッシュヴィルの音楽界を代表するプロデューサーとしてそのころ脚光を浴びたのが、ブラッド・ジョーンズ(NYの狼藉ジャズの敏腕ベーシスト〜2004年9月13日〜と同姓同名。もちろん、別人)だった。ベーシストやエンジニアリングをしていた彼はジル・ソヴュール、スワン・ダイヴ、スティーヴ・フォバート、マーシャル・クレンショウ、インペリアル・ドラッグとかを次々と手がけていた。当時、瑞々しいポップスを送り出していた在ナッシュヴィルのスワン・ダイヴのお二人にはインタヴューしたことがあったが、彼女たちは、ソングライターとして成功を求める人が多数ナッシュヴィルに集まり切磋琢磨し、街中にはそれを生で披露するカフェがいろいろある、みたいなことを言っていたっけ。現在ジャズ歌手としてエスタブリッシュされたヘイリー・ロレン(2012年2月13日)も作曲の勉強のためナッシュヴィル詣でをしたことがあるという経歴も、それを知れば全然不思議なことではない。あと、関係ないけど、ヤマハ楽器の米国オフィスはナッシュヴィルにあるようだ。
長々とナッシュヴィルのことを書いてしまったが、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーはまさにそんな中西部にある“米国ソングライターの都”が育んだグループであると、感じてしまったナ。まず、その根底にあるのは、多くの人の心の琴線に触れるだろうメロディアス曲。万人向けのそれら(品行方正な内容が多いのだろう、本国ではクリスチャン・ミュージックというジャンルにも、彼女たちは入れられる)は、良く出来ている。で、そんなメロディをフロントに立つ女性シンガーが凛として広げるのだが、かなり喉力あり。ふむ、アメリカのライヴ・サーキットで、それは必要とされること。実演においては、ギター、ベース、ドラムという簡素な編成(この手の音楽性で、キーボードを入れないのは珍しい)で披露するのだが、このメロディとヴォーカルがあれば、怖いものナシというバンド方針を感じさせた?
熱心に若い音楽を追うことをしなくなった層に吉となる、ポップ・ロック。なんか、ワスプを対象とする大人のお伽噺、という印象も、ぼくは得たか。ここには、米国の一局面を集約したようなメインストリーム表現、合衆国ならではの大衆ポップ・ミュージックの在り処がどーんとあると、感じてしまった。
▶過去の、オーツ
http://43142.diarynote.jp/200503240456350000/
http://43142.diarynote.jp/201103031015296753/
http://43142.diarynote.jp/201204091013123643/
▶過去の、ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、NYのジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040913
▶過去の、ロレン
http://43142.diarynote.jp/201202141303117620/
<今日の、長方形>
最寄り駅の地下ホームはずっとエアコンが入っておらず(それをバカにしていた友人がいました)、夏場はかなり暑かった。が、今日降りたら、なんとホームの随所にエアコンと思われるデカい長方形の金属物が設置されているのを認知。うれしい。と、思うとともに、これでまた今夏は電力が余分に使われるのかァと、少し顔をしかめる。基本、スーダラ快楽主義者なのに、なんで電力/エネルギー消費についてはストイックな考え方をぼくはするのだろう。やはり、原発事故による、心の痛みが大きいのか。
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