R.I.P.ベティ・ライト(1953年12月21日〜2020年5月10日)
2020年5月11日 音楽 マイアミ・ソウルの女王、ベティ・ライト(2012年2月28日)がお亡くなりになった。彼女は癌で闘病していたという。以下は、初リーダー公演の際に行なったQ&A。CDジャーナル誌記事にまとめる前のものだ。
——日本に来るのは、何度目となるのでしょう?
「2度目よ。1991年のアメリカン・ミュージック・アワード(横浜アリーナで、アーティストの日替わりで8日間持たれた。ボビー・ブラウン、スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜他)に出演するグロリア・エステファンのサポートで来たことはあるけど、リーダーとしての公演は今回が初めてね」
——リジェンダリーな存在なのに、今回が初の来日自己公演だというのはびっくりです。
「あら、そう? でも、スター扱いは望んでいないわ。パリス・ヒルトンとかレディ・ガガと違って、私は普通よ。まあ、「クリーン・アップ・ウーマン」をはじめレコードもけっこう売ってきたし、そう見られるのはかまわないんだけど……。でも、10代のときからやっているので、気負いはないのよね」
——その17歳のときの大ヒット曲「クリーン・アップ・ウーマン」はいろんな人たちからサンプリングされていたりもしますが、それについてどう感じます?
「ほんと沢山サンプリングされているけど、当初はサンプリング使用にとっても憤慨していた。というのも、勝手に使われるだけで、いっさいお金が入ってこなかったから。でも、その後、その問題が整備されてお金が入ってくるようになったし、サンプリングにより私の聞き手も拡大もして、これはいいことだなと思った(笑い)」
——これまでのキャリアにおけるターニング・ポイントは?
「それは、私の息子が殺されたこと。2005年のクリスマスの日で、彼は21歳で生命を絶たれてしまった。それがあって以降、いろいろな部分において、私はシリアスに物事に取り組むようになったと思う。人生というのはまったく約束されていないもの、だからこそ物事をカジュアルに流さずに、もっと音楽にフォーカスして生きなきゃと思うようになった。特に、曲作りという部分には、それが強く言えるわね」
——では、そういう新たな所感は、新作『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』(S−カーヴ、2011年)にも跳ねかえっています?
「ええ、楽曲の選別についてはすごく周到にやっていて、これまで以上にいい曲だけを私はレコーディングした。以前もそうではあったけど、その姿勢はより貫かれているわね。私はシンガーである前に、まずソング・ライターであると思っているのよ。で、それを大々的に聞き手に示せるようにと、私はいつも歌っている。まず、私の第一の愛は神に向かう。2番目は家族で、3番目はソング・ライティング。そして、4番目が歌唱、という順序なの」
——『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』はザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)との双頭名義のアルバムとなっていますが、どういう経緯で共演盤を出すことになったのでしょう?
「私がプロデュースしたジョス・ストーン(2004年11月20日、2007年4月5、6日)のアルバムで一部叩いてくれたクエストラヴと、(発売元である)S-カーヴ・レコードのスティーヴ・グリーンバーグが同じ飛行機に乗り合わせたのが、あのアルバムをレコーディングするきっかけなの。そのとき彼が私とレコードを作りたいと熱く語って、そのプロジェクトが実現したわけね。実は、ザ・ルーツとは2010年度のグラミー賞でも戦ったのよ。“ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス”部門に私は「ゴー!」という曲で、ザ・ルーツはジョン・レジェンド(2005年5月8日)と一緒に作った「ハング・オン・イン・ゼア」でノミネートされた。結果、彼らが賞を取ったわけだけど、<私は一人だけど、あなたたちは大人数だから、負けてあげるわ>と言ったのよね。<次は、おばあちゃんの私に勝たせてネ>とも付け加えたけど(笑い)。そんな感じで、私たちはとても仲良しなのよ」
——その新作には、なによりちゃんとマイアミ・ソウルのヴァイブがあって素晴らしいと思いました。ふくよかでもあり、あなたが築いてきた味の良さを再確認しました。
「マイアミ・ソウル色が強いのは、私が仲間と作ったデモ・テープに従って、ザ・ルーツが演奏しているからね。私はヒップホップは嫌いじゃないので、その要素は散りばめてはいる。でも、娘たち(2月の来日公演にもバック・コーラスとして2人同行した。娘は4人いる)も歌ったりするなど、フロリダ勢も参加しているので、マイアミならではのソウル・サウンドにはなったと思うわ」
——先に話が出たあジョス・ストーンのデビュー作『ソウル・セッションズ』(S-カーヴ、2003年)には70年代に活躍した地元のアーティストたちが入っていて、マイアミのソウル界って結束が強いんだなと思ってしまいます。
「リトル・ビーヴァー、ティミー・トーマス、ベニー・ラティモアら70年代のマイアミ・ソウル界を支えた人たちといまだ仕事ができるのはうれしいわね。そのジョス・ストーン作により、彼らにも再度注目が集まったのは本当にうれしかった」
——あなたは地元の才能豊かな担い手を掌握し、サウンドも作れ、もちろん曲も作れます。そういう統括する力が、アンジー・ストーン(2005年3月22日、2007年7月18日、2011年2月10日)やエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日、2012年3月2日、2017年10月6日)らに助力を求められる理由なんだと思います。
「オリジナルなサウンドを持つ人物、皆そういう事実を認めて私のもとを訪れるんじゃないかしら。やはり、唯一の輝きを求めるんだと思うわ。リル・ウェイン、キーシャ・コール、ビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)までいろんな人から声がかかっている。グロリア(・エステファン)とは今も仲良しだし、エルトン・ジョンもそうね」
——今後はどんなことをしたいですか?
「レゲエをちゃんとやってみたいわね」
▶︎過去の、ベティ・ライト
https://43142.diarynote.jp/201203061824335340/
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
▶︎過去の、ジョス・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200411231721010000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去のアンジー・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200503240458070000/
https://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
https://43142.diarynote.jp/201102121001091213/
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201710071225329957/
▶過去の、ビヨンセ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2001年6月25日
http://43142.diarynote.jp/200609070212050000/
——日本に来るのは、何度目となるのでしょう?
「2度目よ。1991年のアメリカン・ミュージック・アワード(横浜アリーナで、アーティストの日替わりで8日間持たれた。ボビー・ブラウン、スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜他)に出演するグロリア・エステファンのサポートで来たことはあるけど、リーダーとしての公演は今回が初めてね」
——リジェンダリーな存在なのに、今回が初の来日自己公演だというのはびっくりです。
「あら、そう? でも、スター扱いは望んでいないわ。パリス・ヒルトンとかレディ・ガガと違って、私は普通よ。まあ、「クリーン・アップ・ウーマン」をはじめレコードもけっこう売ってきたし、そう見られるのはかまわないんだけど……。でも、10代のときからやっているので、気負いはないのよね」
——その17歳のときの大ヒット曲「クリーン・アップ・ウーマン」はいろんな人たちからサンプリングされていたりもしますが、それについてどう感じます?
「ほんと沢山サンプリングされているけど、当初はサンプリング使用にとっても憤慨していた。というのも、勝手に使われるだけで、いっさいお金が入ってこなかったから。でも、その後、その問題が整備されてお金が入ってくるようになったし、サンプリングにより私の聞き手も拡大もして、これはいいことだなと思った(笑い)」
——これまでのキャリアにおけるターニング・ポイントは?
「それは、私の息子が殺されたこと。2005年のクリスマスの日で、彼は21歳で生命を絶たれてしまった。それがあって以降、いろいろな部分において、私はシリアスに物事に取り組むようになったと思う。人生というのはまったく約束されていないもの、だからこそ物事をカジュアルに流さずに、もっと音楽にフォーカスして生きなきゃと思うようになった。特に、曲作りという部分には、それが強く言えるわね」
——では、そういう新たな所感は、新作『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』(S−カーヴ、2011年)にも跳ねかえっています?
「ええ、楽曲の選別についてはすごく周到にやっていて、これまで以上にいい曲だけを私はレコーディングした。以前もそうではあったけど、その姿勢はより貫かれているわね。私はシンガーである前に、まずソング・ライターであると思っているのよ。で、それを大々的に聞き手に示せるようにと、私はいつも歌っている。まず、私の第一の愛は神に向かう。2番目は家族で、3番目はソング・ライティング。そして、4番目が歌唱、という順序なの」
——『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』はザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)との双頭名義のアルバムとなっていますが、どういう経緯で共演盤を出すことになったのでしょう?
「私がプロデュースしたジョス・ストーン(2004年11月20日、2007年4月5、6日)のアルバムで一部叩いてくれたクエストラヴと、(発売元である)S-カーヴ・レコードのスティーヴ・グリーンバーグが同じ飛行機に乗り合わせたのが、あのアルバムをレコーディングするきっかけなの。そのとき彼が私とレコードを作りたいと熱く語って、そのプロジェクトが実現したわけね。実は、ザ・ルーツとは2010年度のグラミー賞でも戦ったのよ。“ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス”部門に私は「ゴー!」という曲で、ザ・ルーツはジョン・レジェンド(2005年5月8日)と一緒に作った「ハング・オン・イン・ゼア」でノミネートされた。結果、彼らが賞を取ったわけだけど、<私は一人だけど、あなたたちは大人数だから、負けてあげるわ>と言ったのよね。<次は、おばあちゃんの私に勝たせてネ>とも付け加えたけど(笑い)。そんな感じで、私たちはとても仲良しなのよ」
——その新作には、なによりちゃんとマイアミ・ソウルのヴァイブがあって素晴らしいと思いました。ふくよかでもあり、あなたが築いてきた味の良さを再確認しました。
「マイアミ・ソウル色が強いのは、私が仲間と作ったデモ・テープに従って、ザ・ルーツが演奏しているからね。私はヒップホップは嫌いじゃないので、その要素は散りばめてはいる。でも、娘たち(2月の来日公演にもバック・コーラスとして2人同行した。娘は4人いる)も歌ったりするなど、フロリダ勢も参加しているので、マイアミならではのソウル・サウンドにはなったと思うわ」
——先に話が出たあジョス・ストーンのデビュー作『ソウル・セッションズ』(S-カーヴ、2003年)には70年代に活躍した地元のアーティストたちが入っていて、マイアミのソウル界って結束が強いんだなと思ってしまいます。
「リトル・ビーヴァー、ティミー・トーマス、ベニー・ラティモアら70年代のマイアミ・ソウル界を支えた人たちといまだ仕事ができるのはうれしいわね。そのジョス・ストーン作により、彼らにも再度注目が集まったのは本当にうれしかった」
——あなたは地元の才能豊かな担い手を掌握し、サウンドも作れ、もちろん曲も作れます。そういう統括する力が、アンジー・ストーン(2005年3月22日、2007年7月18日、2011年2月10日)やエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日、2012年3月2日、2017年10月6日)らに助力を求められる理由なんだと思います。
「オリジナルなサウンドを持つ人物、皆そういう事実を認めて私のもとを訪れるんじゃないかしら。やはり、唯一の輝きを求めるんだと思うわ。リル・ウェイン、キーシャ・コール、ビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)までいろんな人から声がかかっている。グロリア(・エステファン)とは今も仲良しだし、エルトン・ジョンもそうね」
——今後はどんなことをしたいですか?
「レゲエをちゃんとやってみたいわね」
▶︎過去の、ベティ・ライト
https://43142.diarynote.jp/201203061824335340/
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
▶︎過去の、ジョス・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200411231721010000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去のアンジー・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200503240458070000/
https://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
https://43142.diarynote.jp/201102121001091213/
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201710071225329957/
▶過去の、ビヨンセ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2001年6月25日
http://43142.diarynote.jp/200609070212050000/
コメント