映画「パペット大捜査線 追憶の紫影」。マルチン・ボシレフスキ・トリオ
2019年1月24日 音楽 六本木・アスミック試写室で、2018年米国映画「パペット大捜査線 追憶の紫影」(原題「The Happytime Murders」)を見る。実写映像(主役はメリサ・マッカーシー)のなかにパペットが随時入る仕立てで、監督のブライアン・ヘンソンは「セサミ・ストリート」のパペットを作ったジム・ヘンソンの息子さんだそう。なるほど、映画に登場するパペット群はセサミ・ストリートのそれを思いだ出させるが、この人間とパペットが共存する世界を舞台(撮影はLAでされたか)とするコメディ映画はあちらでは成人指定(日本では12歳以下NG 指定)。下品なセックスねたのためのようで、お子様が主役のお下劣TVアニメ「サウスパーク」に代表されるように、米国ってそういうの何気に好きだな。ストーリーも他愛ないが、アメリカっぽいと言えばいかにもそうか。劇中には往年のリック・ジェイムスやウォー(2007年11月6日 、2007年4月6日、2017年5月15日)曲他が入り、それはこの映画の時代性を少し前に持っていく。エンドロールの前半で使われるのはバウ・ワウ・ワウのボー・ディドリー(2004年4月12日、2009年8月9日)・ビートを用いた「アイ・ウォント・キャンディ」。その際のパペット操作の模様を伝える映像はへえ。たいそう手間がかかっていそうだ。
▶︎過去の、ボー・ディドリー
http://43142.diarynote.jp/200404120828130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ロニー・ジョーダン/ウォー
http://43142.diarynote.jp/200711101235120000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090809
https://43142.diarynote.jp/201705161314529397/
丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、ECM契約ピアニストのマルチン・ボシレフスキ(2005年10月26日、2015年9月24日)のトリオを見る。ベーシストのスワヴォミル・クルキエヴィッツとドラマーのミハウ・ミスキエヴィッツは、ずっと一緒にやっている。
あたまの2曲、鬼のように抑制が取られた静寂演奏で、しびれる。オープナーはフリー・フォームぽかったが、恩師トーマス・スタンコ( 2005年10月26日)の曲と紹介。ドラマーは3割の力の入れ具合で打楽器的に演奏し、キック・ドラムはほとんど使わなかった。ある意味、ピアニズムの確か行方を介してのジャズの深淵を強烈に描いていました。2曲目はとってもメロディが美しい。以下は美的ではあるもののわりとプッシュもする密なインタープレイを聞かせる行き方を取り、ボシレフスキが素晴らしい弾き手/リーダーであることを受け手にきっちり与える。本編最後は、ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)の「アクチュアル・プルーフ」。瑞々しかったけど、いまだにこのカヴァーをやっているのか。
▶過去の、マルチン・ボスレフスキ
http://43142.diarynote.jp/200511130011570000/
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
▶過去の、トーマス・スタンコ
http://43142.diarynote.jp/200511130011570000/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
<今日の、パリのドラマー>
夕方、トニー・アレン(2003年9月26日、2019年1月23日)にインタヴュー。もともと数少ないアフリカ英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、英語で答える。とはいえ、パリに住んで長い彼の英語はフランス語的に、Hを発音しない傾向にある。「わしゃ、済んことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には丁寧に答える。やっぱりジャズは好きだそうで、ブルーノートを介してアルバムを出せたときは嬉しかったですかと問うと、にっこり。可愛かった。イントキシケイトに出ます。→その原稿には使わない返答のいくつか。
「(ナイジェリアから最初は英国に行きました。でもすぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか?)そうだね。ナイジェリアはUKの植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかなず、バンドも組めず、そこからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れたし、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであったし、フランスはやりやすかった」
「キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、ずっと一生懸命にやってきやってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽とむ向かい合ってきたということだね」
「(あなたはおしゃれですね?)俺ってクールだろ。物事のバランスを取るのが俺は好きで、何かを人に強要するというのが好きではない。それが、人生の極意だね」
同じくパリに住むドラマーのマヌ・カチェ(2011年1月28日、2012年1月13日、2016年4月13日)の近く出る新作『the scOpe』(anteprima)は自ら歌うヴォーカル曲が入ったポップ傾向にあるアルバム。それ、デビュー作『イッツ・アバウト・タイム』(BMG、1991年)いらいとなるか。機械経由の音も加えた仕立てのもと、慈しみのあるメロディを開いている。フランス人ラッパーのジャジィ・バズや米国人シンガーのジョナサ・ブルックをフィーチャーする曲もある。また、コラみたいな音とシャキッとしたドラム音の重なりが気持ちいオープナーをはじめ、インストも4曲。そういえば、彼がECMと契約していた際の前半の3年半に、マルチン・ボシレフスキはカチェのグループに入っていた。
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
▶過去の、マヌ・カチェ
http://43142.diarynote.jp/201102081259129769/
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
https://43142.diarynote.jp/201604271334589018/ 取材
▶︎過去の、ボー・ディドリー
http://43142.diarynote.jp/200404120828130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ロニー・ジョーダン/ウォー
http://43142.diarynote.jp/200711101235120000/
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丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、ECM契約ピアニストのマルチン・ボシレフスキ(2005年10月26日、2015年9月24日)のトリオを見る。ベーシストのスワヴォミル・クルキエヴィッツとドラマーのミハウ・ミスキエヴィッツは、ずっと一緒にやっている。
あたまの2曲、鬼のように抑制が取られた静寂演奏で、しびれる。オープナーはフリー・フォームぽかったが、恩師トーマス・スタンコ( 2005年10月26日)の曲と紹介。ドラマーは3割の力の入れ具合で打楽器的に演奏し、キック・ドラムはほとんど使わなかった。ある意味、ピアニズムの確か行方を介してのジャズの深淵を強烈に描いていました。2曲目はとってもメロディが美しい。以下は美的ではあるもののわりとプッシュもする密なインタープレイを聞かせる行き方を取り、ボシレフスキが素晴らしい弾き手/リーダーであることを受け手にきっちり与える。本編最後は、ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)の「アクチュアル・プルーフ」。瑞々しかったけど、いまだにこのカヴァーをやっているのか。
▶過去の、マルチン・ボスレフスキ
http://43142.diarynote.jp/200511130011570000/
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▶過去の、トーマス・スタンコ
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▶過去の、ハービー・ハンコック
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<今日の、パリのドラマー>
夕方、トニー・アレン(2003年9月26日、2019年1月23日)にインタヴュー。もともと数少ないアフリカ英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、英語で答える。とはいえ、パリに住んで長い彼の英語はフランス語的に、Hを発音しない傾向にある。「わしゃ、済んことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には丁寧に答える。やっぱりジャズは好きだそうで、ブルーノートを介してアルバムを出せたときは嬉しかったですかと問うと、にっこり。可愛かった。イントキシケイトに出ます。→その原稿には使わない返答のいくつか。
「(ナイジェリアから最初は英国に行きました。でもすぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか?)そうだね。ナイジェリアはUKの植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかなず、バンドも組めず、そこからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れたし、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであったし、フランスはやりやすかった」
「キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、ずっと一生懸命にやってきやってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽とむ向かい合ってきたということだね」
「(あなたはおしゃれですね?)俺ってクールだろ。物事のバランスを取るのが俺は好きで、何かを人に強要するというのが好きではない。それが、人生の極意だね」
同じくパリに住むドラマーのマヌ・カチェ(2011年1月28日、2012年1月13日、2016年4月13日)の近く出る新作『the scOpe』(anteprima)は自ら歌うヴォーカル曲が入ったポップ傾向にあるアルバム。それ、デビュー作『イッツ・アバウト・タイム』(BMG、1991年)いらいとなるか。機械経由の音も加えた仕立てのもと、慈しみのあるメロディを開いている。フランス人ラッパーのジャジィ・バズや米国人シンガーのジョナサ・ブルックをフィーチャーする曲もある。また、コラみたいな音とシャキッとしたドラム音の重なりが気持ちいオープナーをはじめ、インストも4曲。そういえば、彼がECMと契約していた際の前半の3年半に、マルチン・ボシレフスキはカチェのグループに入っていた。
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
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▶過去の、マヌ・カチェ
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