まず、丸の内・コットンクラブ。ジョーイ・カルデラッツォ(2001年10月24日、2010年3月8日、2015年4月28日)って、あさっりした人なんだなあ。彼の出たばかりの新作ってここでのライヴ盤なのだが、ショウの最中それについては一切触れず。CDブックレットにはちゃんとコットンクラブ関係者への謝辞をつづっているのにというのはともかく、それで即売CDの販売数も違ってくるはずなのに。

 フレイズの繰り返しからアウトしていく得意のパターンを散らすアップ目の曲から、キューバのダンソン様式を用いるエキゾ浪漫調まで、悠々と演奏。ベースはベン・ウォルフ、ドラムはドナルド・エドワーズ(2017年11月12日)がつく。

 そして、今回じっくり見ることができたエドワーズの演奏にはけっこう目が点。右利きのものを割と普通目にセッティングしているのだが、叩き方が左利き(的)。要はスネアは左手でなく右手で叩き、カナモノ系は右手でなく左手で叩く。つまり通常のドラマーのように腕をクロスさせず、オープンで彼は叩いている。いやあ、いろいろな叩き方をする人がいるなあと思った次第。クリス・クロス・レーベル作品他でいろいろ叩いている彼がだが、実はかつてリーダー作でロバート・グラスパー(2001年8月18日、2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年8月20日、2015年6月8日、2016年12月20日、2017年6月5日、2018年9月1日)に弾かせているときもあり、2003年にはグラスパーを伴うリーダー来日公演もやっているらしい。いやあ、人の繋がりもおもしろい。

▶過去の、ジョーイ・カルデラッツォ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201504291258084057/
http://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶︎過去の、ドナルド・エドワーズ
http://43142.diarynote.jp/201711130924085796/ ミンガス・ビッグ・バンド
▶過去の、ロバート・グラスパー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm サマーソニックのビラル
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/
http://43142.diarynote.jp/201506070919133558/
http://43142.diarynote.jp/201506091124003170/
http://43142.diarynote.jp/201612211059578863/
http://43142.diarynote.jp/201706061756141899/
http://43142.diarynote.jp/201801042046591963/
http://43142.diarynote.jp/201809051532324111/

 続いては、南青山・ブルーノート東京で、在UKジャズ歌手のステイシー・ケント(2012年3月12日、2014年4月22日 )を見る。旦那で彼女が歌うオリジナル曲も作るジム・トムリンソン (テナー・サックス、普通のと大きい2種のフルート、ソプラノ・サックス)率いるカルテットは皆イギリス人だろうか。場内盛況で、歓声やたら高し。ノーベル文学賞をとったカズオ・イシグロが彼女に歌詞を提供していることが、関係あったのか、なかったのか(http://43142.diarynote.jp/201710071225329957/、参照)。その「バレット・トレイン」もやりました。

 ところで、過去みたときと少し違う印象を得た。まず、本人の歌声があんなに太かったか。そして、あんなにおきゃんな感じで客に接していたっけ。ちょい大味気味と感じさせもしたが、そいりゃ客はわく(ショウの後もサイン会もホワイエ階でしっかりやっていた)。また、前半は、ちょいジャズからも得意のボサからも距離を置く感じ、しっとりキャヴァレー調と言いたくなる感じの聞き方をとっていた。フランス語曲も歌いましたね。後半、ブラジル人気曲「ウッパ・ネギーニョ」をやった際は、トムリンソンとのデュエットで披露した。

▶過去の、ステイシー・ケント
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201809151426371721/

<一昨日の、悲報>
 在仏アルジェリアン移民ロッカーのラシッド・タハ(2001年10月3日)が、59歳で亡くなった(還暦間近であった)という報が届いた。就寝中に心臓発作で亡くなったという。かつては、カルト・ド・セジュールというバンドにいて、そのバンド名は“在住許可証”のことなんだよという説明とともに、1980年代中期には日本盤も出された。それは、“エキゾ、エキゾ”というフランス発のポップ・ミュージックを送り出すレーベルが日本で作られ、その配給を全面的にワーナー・パイオニアがやった。まだ、アナログの時代で、今でも家には『アラブ・マニア』(P-13229)と邦題付けされたアルバムをはじめ“エキゾ、エキゾ”発の盤がいくつもあるよなあ。なかには、<ルー・リードの名曲が、フレンチ・エスノのアーティストの手で現代に蘇った>という帯キャッチがつけられたコンピレーションもある。ぼくにとっては、フィッシュボーン(2000年7月28日、2007年4月5日、2007年4月6日、2009年11月25日、2010年7月31日、2011年8月8日、2013年6月3日)、マノ・ネグラ(→マヌ・チャオ〜2002年7月26日、2010年10月4日)、カルト・ド・セジュールらは横並びの、黄金のガラっぱち雑食混合ロック・バンドだった。1990年に『バルベス』を出したラシッッド・ター(当時は、そう表記された)がカルト・ド・セジュールのシンガーと聞いたときは本当に嬉しかった。←それオレ、ライナーノーツ書いてないよな? 雑誌のディスク・レヴューはもちろん、書いたアルバム解説も2、3年たつと忘れちゃうことが多々。ボケてても健康気味なら、ぼくはまだ生きていたい。だって、まだまだ楽しいことありそうだもん。ラシッドさん、とにかくありがとうございました。
▶︎過去の、ラシッド・タハ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
▶過去の、フィッシュボーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/ 豪バイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/ 豪ベイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200911281704335025/ アンジェロ単独
http://43142.diarynote.jp/?day=20100731 フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/201108101638376353/
http://43142.diarynote.jp/201306060729285922/
▶過去の、マヌ・チャオ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2002年7月26日
http://43142.diarynote.jp/201010110929417794/

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