ペドロ・ミランダ with グルーポ・カデンシア
2018年7月4日 音楽 リオの前線サンバ歌手であるペドロ・ミランダ(2017年9月8日)を、青山・プラッサオンゼで見る。今回の来日ツアーのサポートを勤めたのは、パーカッションの宮澤摩周(2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日、2016年2月11日、2016年5月22日、2017年7月8日、2017年11月9日、2018年6月17日)、7弦ギターの尾花毅、カヴァーキーニョのダリオ・サクモト、クラリネットとアルト・サックスとフルートの土井徳浩(2015年4月24日、2015年10月15日、2016年7月11日、2017年10月27日)からなるグルーポ・カデンンシア。そして、そこにトロンボーンの和田充弘(2017年6月15日)も加わる。トロンボーンの特性を生かした、ほんわか流動的な彼のフレイジングは何気に耳を引いたな。2管のかみ合いは、ショーロを思い出させるところもあった。
東京公演は、3日組まれる。そして、中日となるこの日は通常のショウを1部で披露した後、休憩をおいた2部では、観客参加型のセッションが持たれる。一部で70分やり、2部は80分を超えた。
もうニコニコ、和気藹々。ミランダはパンデイロを叩きながら、悠々といい声で歌う。それだけで、ブラジルのイナセな大衆文化の正の部分が表れる? ブラジルのサンバの積み重ねにも思いは向かう?
MCでユーモラスに語っていたが、彼はシンガーとして以上にパンデイロ奏者としての音楽家キャリアが長いのだから、それは堂に入っている。話好きっぽい彼の話を、ブラジルに居住していたこともあり、今も行き来する宮沢が適時通訳する。まったくポル語を解さないぼくにはありがたかったが、場内はそれを必要としない人もけっこういたのではないか。だって、大好評を博したミランダの2016年作『Samba Original』(Independent/Tratore)にはカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)が入った曲もあったのだが、それをやる際にカエターノのヴォーカル部を歌うことをミランダが観客に求めたら、けっこう様になったコーラスになっていたもの。
2部は、ミランダを進行役とする、有名サンバ曲を介するセッション。管楽器、弦楽器、打楽器、そしてシンガーたちがいろいろ加わり、臨機応変にすすめられる。参加者以外の観客の手拍子やコーラスも生まれる。なんか、リオの裏路地を勝手に想起させる部分もあったし、ブラジルと日本ってこんなに近かったのかともぼくは思わずにはいられなかった。米国大学ジャズ教育の名門である北テキサス大学に留学しているトランペターの田中一徳(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年6月15日、2015年7月12日)も夏休みで帰国していて、そのセッションに加わっていた。
しかし、ブラジルがメキシコに勝ってよかった。ミランダはワールド・カップについて一言も発さなかったが、敗戦してたら、まったくその影が落ちないはずはない。それはここに来ている日本人を含めて。そういえば、オタヴァ・ヨ(2018年6月28日)のリーダーのアリェクセイ・ビェルキンに7月3日にインタヴューしたら、まったくサッカーやW杯には興味がなく、日本で(ロシアの好成績を受けて)おめでとうと言われてなんのこっちゃと思ったそう。とはいえ、足の故障でやめざるをえなかったが、彼は16歳までプロのバレーボールの選手として活躍。やるのは好きでも見るのは好きくないそうで、バレーボールも観戦はしないとのことであるが。ま、人それぞれ。この晩のライヴ評は、そのうち日経新聞の電子版に出ます。
▶︎過去の、ペドロ・ミランダ
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、宮沢摩周
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
http://43142.diarynote.jp/201711101104467609/
▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
▶︎過去の、和田充弘
http://43142.diarynote.jp/201706190920527378/
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161009
▶︎過去の、田中一徳
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/201507190815468497/
<今日の、R.I.P.>
ニューオーリンズの盲目のピアニスト/シンガーであるヘンリー・バトラー(2004年9月17日、2006年7月14日)が逝去した。1949年9月21日にNOLAで生まれ、2018年7月2日にNYで癌のため亡くなった。盲学校で音楽に触れ、音楽で複数の大学に通ったという経歴を彼は持つ。ハリケーンを経て、2009年以降はNYに居住していた。通算3度見ることができた彼のライヴはニューオーリンズという属性を抱えつつも、明らかに傾向の違いを感じさせるもので、今にして不思議なスケール感を持っていた御仁であったと思う。
▶︎過去の、ヘンリー・バトラー
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
http://43142.diarynote.jp/200607150910170000/
また、シンガー、コンポーザー、マルチ・プレイヤー、プロデューサーなど多彩な才を示してきたリチャード・スウィフトも重篤な病気で6月中旬に入院し、お亡くなりになった。1977年3月16日(カリフォルニア州)生まれ、2018年7月3日(ワシントン州タコマ)で死去。ザ・シンズ(2007年11月13日、2017年11月28日)の一員として2007年日本公演に同行したこともあったし、ザ・ブラック・キーズのツアー・サポートもしていた。なんとなく捉えどころのない、ほんわかしたポップネスに満ちたリーダー作群は得がたい味を持っていた。本名はRicardo Sigilfredo Olivarez 、ラテン系だったのだろうか。
▶過去の、ザ・シンズ
http://43142.diarynote.jp/200711141503340000/
http://43142.diarynote.jp/201711291334192954/
東京公演は、3日組まれる。そして、中日となるこの日は通常のショウを1部で披露した後、休憩をおいた2部では、観客参加型のセッションが持たれる。一部で70分やり、2部は80分を超えた。
もうニコニコ、和気藹々。ミランダはパンデイロを叩きながら、悠々といい声で歌う。それだけで、ブラジルのイナセな大衆文化の正の部分が表れる? ブラジルのサンバの積み重ねにも思いは向かう?
MCでユーモラスに語っていたが、彼はシンガーとして以上にパンデイロ奏者としての音楽家キャリアが長いのだから、それは堂に入っている。話好きっぽい彼の話を、ブラジルに居住していたこともあり、今も行き来する宮沢が適時通訳する。まったくポル語を解さないぼくにはありがたかったが、場内はそれを必要としない人もけっこういたのではないか。だって、大好評を博したミランダの2016年作『Samba Original』(Independent/Tratore)にはカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)が入った曲もあったのだが、それをやる際にカエターノのヴォーカル部を歌うことをミランダが観客に求めたら、けっこう様になったコーラスになっていたもの。
2部は、ミランダを進行役とする、有名サンバ曲を介するセッション。管楽器、弦楽器、打楽器、そしてシンガーたちがいろいろ加わり、臨機応変にすすめられる。参加者以外の観客の手拍子やコーラスも生まれる。なんか、リオの裏路地を勝手に想起させる部分もあったし、ブラジルと日本ってこんなに近かったのかともぼくは思わずにはいられなかった。米国大学ジャズ教育の名門である北テキサス大学に留学しているトランペターの田中一徳(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年6月15日、2015年7月12日)も夏休みで帰国していて、そのセッションに加わっていた。
しかし、ブラジルがメキシコに勝ってよかった。ミランダはワールド・カップについて一言も発さなかったが、敗戦してたら、まったくその影が落ちないはずはない。それはここに来ている日本人を含めて。そういえば、オタヴァ・ヨ(2018年6月28日)のリーダーのアリェクセイ・ビェルキンに7月3日にインタヴューしたら、まったくサッカーやW杯には興味がなく、日本で(ロシアの好成績を受けて)おめでとうと言われてなんのこっちゃと思ったそう。とはいえ、足の故障でやめざるをえなかったが、彼は16歳までプロのバレーボールの選手として活躍。やるのは好きでも見るのは好きくないそうで、バレーボールも観戦はしないとのことであるが。ま、人それぞれ。この晩のライヴ評は、そのうち日経新聞の電子版に出ます。
▶︎過去の、ペドロ・ミランダ
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、宮沢摩周
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
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▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
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http://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
▶︎過去の、和田充弘
http://43142.diarynote.jp/201706190920527378/
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161009
▶︎過去の、田中一徳
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
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<今日の、R.I.P.>
ニューオーリンズの盲目のピアニスト/シンガーであるヘンリー・バトラー(2004年9月17日、2006年7月14日)が逝去した。1949年9月21日にNOLAで生まれ、2018年7月2日にNYで癌のため亡くなった。盲学校で音楽に触れ、音楽で複数の大学に通ったという経歴を彼は持つ。ハリケーンを経て、2009年以降はNYに居住していた。通算3度見ることができた彼のライヴはニューオーリンズという属性を抱えつつも、明らかに傾向の違いを感じさせるもので、今にして不思議なスケール感を持っていた御仁であったと思う。
▶︎過去の、ヘンリー・バトラー
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
http://43142.diarynote.jp/200607150910170000/
また、シンガー、コンポーザー、マルチ・プレイヤー、プロデューサーなど多彩な才を示してきたリチャード・スウィフトも重篤な病気で6月中旬に入院し、お亡くなりになった。1977年3月16日(カリフォルニア州)生まれ、2018年7月3日(ワシントン州タコマ)で死去。ザ・シンズ(2007年11月13日、2017年11月28日)の一員として2007年日本公演に同行したこともあったし、ザ・ブラック・キーズのツアー・サポートもしていた。なんとなく捉えどころのない、ほんわかしたポップネスに満ちたリーダー作群は得がたい味を持っていた。本名はRicardo Sigilfredo Olivarez 、ラテン系だったのだろうか。
▶過去の、ザ・シンズ
http://43142.diarynote.jp/200711141503340000/
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