JAZZ ARTせんがわ2017の最終日のプログラムのなか、コントラバス奏者の藤原清登(1999年6月13日)がディレクションする帯、そこに出演した二つの出し物を見る。

 まず、1970年代から活動してきているトロンボーン奏者/作編曲家の松本治(2005年2月19日、2011年6月23日)が若手奏者たちを集めたMusica Immaginariaというグループを見る。ピットインでのギグに続いて、今回が2度目のライヴ披露となるようだ。曽根麻央(トランペット)、中山拓海(アルト・サックス)、平山順子(アルト・サックス)、山田あずさ(ヴァイブラフォン。2013年5月19日、2014年6月13日、2014年6月15日、2014年10月19日、2014年11月21日、2015年4月17日、2015年5月2日、2015年5月6日、2015年5月22日、2015年5月28日、2015年6月15日、2015年9月13日、2015年11月11日、2016年5月22日、2016年6月13日、2016年9月7日、2017年1月17日、2017年4月27日)、片野吾朗(エレクトリック・ベース)、野崎くらら(打楽器)、山田玲(ドラム)がその構成員。3人が、女性。

 4ビートからは離れる伸縮性を持つリズム設定で、4管がそれなりに凝ったアンサンブルを取り、律儀にソロを回す。曲はフロントに立つ管楽器奏者たちがそれぞれに出し合っていたが、従来のジャズをなんとか超えたいという自覚は見える。だが、4日前に同じ会場で藤井郷子オーケストラを見たばかりであると、まだまだ創意と野心、そして現代感覚が不足であるとは感じてしまうか。藤井たちの研ぎ澄まされたパフォーマンスに接していなかったら、また印象は違っていたかもしれない。

 ドラム・ソロを聞くとなかなか腕が立つドラマー(1992年生まれ)であったりもするのだが、電気ベースとパーカッション(ラテン系の叩き方を見せる)とのコンビネーションは一本調子、なんか強弱や陰影にかけると感じる。ピアノレス編成で、ヴァイブラフォンはクリスタルな音伴奏にて奮闘(音が良く聞こえた)。サウンドに異化作用を与えるその存在がなかったら、この変則8人組(アルト・サックスを二人並べるというのも珍しい。意図は不明)の美点はだいぶ落ちたろう。彼らは5曲、約1時間演奏した。

 機材の転換をおいて、コントラバスの藤原清登(1999年6月13日)、米国人ピアニストのピーター・マドセン、リードやその他の坂田明坂田明(2006年8月8日、2008年9月25日、2009年7月19日、010年4月15日、2011年4月1日、2012年10月3日、2013年1月12日、2014年9月7日、2016年1月28日)による表現が始まる。澄んだインプロヴィセイション満載のアヴァンギャルド・ジャズが繰り広げられたのだが、以下のことでいろいろ感心するとともに、今の冒険ジャズここにあり、と思わせられた。

+坂田は4曲を順に、アルト・サックス、鳴り物、肉声(個性ありすぎだが、これについては少しワン・パターンと感じる)、クラリネットでことにあたる。それは最初から意図されたものだろうが、そのため曲の表情に大きな差が表れ、聞き手をあきさず惹きつける。1曲目、彼がアルトを吹き出した途端、先の管楽器奏者たちがなんて脆弱な演奏をしていたのかと思ってしまう。彼等も発展の“窓”を見つけようとする演奏は心がけていた。だが、地に足をつけた太さというか、それに由来する大きな揺れの存在が欠如しているのだ。と、日本有数のジャズ・マンと比較しちゃったらかわいそう?  しかし、いま坂田はいい音をだしていて、絶好調だ。
+ピーター・マドセンというピアニストについてぼくはなんの情報も持ち合わせていなかったが。これがとんでもない実力者。よくぞ、米国から呼んでくれました。もう、いろんな弾き方のもとクリシェに陥らないフリー・ジャズのピアノ演奏を瞬発力とメロディ性を出し演奏を披露。彼、2曲目は坂田のベルの演奏音に合わせピアノの弦弾きに終始した。
+髪の毛がぐしゃぐしゃで優しいマッド・サイエンティストといった外見の藤原の演奏には本当に久しぶりに接したが、彼の腕の立ち具合、音楽観の持ち方にも深く感心。もう機を見るにして敏な多彩な奏法を繰り出し、二人の共演者を盛り立てる様には惚れ惚れ。しかも彼はフォルティシモでいく場合に右手使いが強靭極まりなく(指を痛めないのかなあ?)、なんか高尚さも感じさせるのに、どすこいなベース弾きとしての本能がバカみたいにあるとも感じさせるよなあ。
+そんな3人の合奏は自由であり自在なんだけど、その進み方はそれなりの起承転結があり、終わり方にも迷いはなく、それなりにちゃんと事前の相談〜意思の統一がなされていたと思われる。しかも、存分にインプロヴァイズし合っているのに、演奏時間は過剰に長くなく(いや、この手の演奏においては短かめと言えるだろう)簡潔であり、これは今のアヴァン・ジャズの確かな一つのあり方であると思わされた。感服。総演奏時間は35分ほどか、もっともっと聞きたかった。

▶︎過去の、松本治
http://43142.diarynote.jp/200502232040290000/
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
▶過去の、山田あずさ
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/ WUJA BIN BIN
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/ 蝉丸
http://43142.diarynote.jp/201407261220126653/ ダモ鈴木
http://43142.diarynote.jp/201410251052527799/  Down’s Workshop
http://43142.diarynote.jp/201411221353274586/ アトラス
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201505240923518276/ MoMo
http://43142.diarynote.jp/201505310957076398/ タクシー・サウダージ
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/ ヒュー・ロイド
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/ タクシー・サウダージ
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/?day=20160613 QUOLOFUNE
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http://43142.diarynote.jp/?day=20170117 TNT
http://43142.diarynote.jp/201704280745098662/ BLOW UP
http://43142.diarynote.jp/201705081232023349/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201708240028435013/ nouon
▶︎過去の、藤原清登
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
▶過去の、坂田明
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090719
http://43142.diarynote.jp/?day=20100415
http://43142.diarynote.jp/201104041101543361/
http://43142.diarynote.jp/201210060945309832/
http://43142.diarynote.jp/201301161544336447/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201601301017037781/

<今日の、違和感>
 9月13日の項に記したように、JAZZ ARTせんがわ は太っ腹にちゃんとしたパンフレットを配り、出演者の経歴をしっかり紹介している。それで、出演者のそれを見ていて、松本治Musica Immaginaria の3人の若手管楽器奏者たちの経歴記載にはなんだかなあと感じる。みんな頑張って学生時代に研鑽を積んだのだろうが、全員抜けしゃあしゃあと首席卒業と出しているのはどうしたことか。出身大学を出すのは一応どういう道筋を歩んできているか(多感な時期にどこに住んでいたとか)を知る一助になるので必要と思う。しかし、学校を出たら首席(数値化できない、音楽技量をどうやって決めるのか)かどうかなんてどうでもいいこと。というか、音楽家として身を立てようとなった場合にそんなことはいっさい関係なく、その人の腕と感性次第(さらに言うなら、それにプラスして運と人柄)。旧世代ならともかく、旧音大流儀から脱しようとする気持ちも持っていると思われる人たちなら、そんな実践ではなんの意味もなさない過去の栄光を出しちゃいかん。もう、それだけでマイナス10点だ。違和感といえば、○○先生に師事したという記載も音大出身者には良く見られるが、それもぼくにはナッシング。もう決定的な恩人ならともかく、そうじゃなくても皆んな教わった先生の名前をけっこう安易に出しているんじゃないの? 熟練組/若手に関わらず、彼等の食いぶちはレッスン業から得ている場合が多く(それは悪いことではない)、講師としてのアピールのために首席とか師事した先生の名前を出しているのかもしれないが、だったら講師業と自立した演奏家業の場合を区別したバイオ文章を用意するぐらいの気概は持ってください。また、リーダーの松本は洗足音大で教鞭を取っているようだが、指導者という軸と音楽家としての軸にクールに折り合いがついていないようにも、ぼくには思えた。

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