秋晴れの夕方、広い緑豊かな公園のなかを沢山のブラス奏者たちがぶんちゃか音を出して練り歩いたり、止まって演奏したり。それを沢山の人たちが後を追い、囲む。音をききつけて集まってくる人たちもいて、まさに<音楽の輪>が生き物のように広がっていく。みんな笑顔で、思い思いに身体を揺らしたり、手拍子したり。いやあ、見事に祝福された休日の一コマだったナ。

 その中心にいたのは、ルーマニアの野放しジプシー・ブラス集団(2004年8月28日、2005年10月15日)。11人編成の彼ら(4人のチューバ、3人のトランペット、2人のサックス、二人の打楽器)にプラスしてルーマニア人女性ダンサーがいつも同行するが、今回はさらにインド人女形ダンサーのクイーン・ハリシュ(オフの時は、小綺麗にまとめた痩身ハンサム君。妻子アリとか)が同行。ジプシーの起源はインドにあり……、両者は映画『ジプシー・キャラバン』をきっかけに欧州を一緒にいろいろとツアーしている関係にある。

 いわき芸術文化交流館アリオス、大ホール。今年開いたという、いろんな関連文化施設を持つ大規模な建物のなかにある立派なホール。その横には緑豊かな大きな公園もある。で、公演前にジプシー・ミュージック講座やジプシー・ダンス講座などいろんなプリ・イヴェントが催され、その後に出演者たちに市民有志ブラス奏者たちも合流し、冒頭に書いたような、華やかで歓びに満ちたパレードがアリオス〜公園間で行われたのだ。

 そして、本編たる公演。過去とそんなに変わりがあるとは思えないが、けっこうフレッシュに感じる部分はあったな。ホールの音響がいいためか、曲調や演奏がより豪気に闊達に聞こえた。あ、けっこう巧みなアレンジがあるな、とも。それから、前もこんなに歌パートが目だっていたっけ? ようは、起伏があり、その奥で別の価値観や文化があることを彼らは雄弁に語りきっていた。ステージがうわっていうぐらい広くて(オ−ケストラ・ピットもステージにしたんだろうな)、チョカリーアの面々はステージの前のほうを大幅に開けて位置していたが、なるほどそれによりときどき出てきて演奏に華を添えるダンサー(二人は別に出てきたり、一緒に踊ったり)は目一杯思うままに踊ることが出来たよう。とくに妖艶な出で立ちのハリシェのくるくると回るダンスは圧巻、彼はチョカリーア公演とは別に各所で単独でワークショップを持つようだ。

 公演は休憩を挟む2部構成にて。エキゾな感覚とエネルギーが渦巻く演奏にはすぐに手拍子が起こり、客扱いのフランクさもあり、2部の途中からは多くの人が立ち上がる。まさに、音楽やダンスを媒介にする交流がそこにはあったと思えた。とともに、なんか豊かさがあるとも思えました。そして、例によってチョカリーアの面々は公演後はロビーでさらに無礼講的にパフォーマンス。いくら吹いてもあきたらない、疲弊しない……。彼らの事を知ろうと知るまいと、来た人みんなが楽しみ、何かを得たのではないか。
 
 ご一行は翌日に小学校への出前演奏を敢行、それも覗かせていただく。体育館に全校生徒500人が集まるなか、彼らはどこでもオイラはオイラという感じで得意ワザを披露。彼らの成りたちなども的確に説明され、一人一人紹介されるとともにそれぞれの持ち楽器の音も示される。チューバ系楽器はソロだとこんな音なのか、それはぼくにとっても有意義だった。ダンスも分りやすくレクチャーされ、そのあとの演奏では子供たちも踊る。と、いうか一緒に大騒ぎ。なんか、とってもいい感じ。生徒たちに握手攻めにあうチョカリーアの面々も写真を一緒に撮ったりして嬉しそう。この催し、彼らにとっても印象深いものになったのではないだろうか。もちろん、子供たちには余計に。世界は広く、いろんな人がいて、いろんな事があるという事実を肌で実感できたはずだし、管楽器やダンスに対する興味が出た人も少なくなかったのではないか。今の子供たち、いいナ。

 北の響き/感触、っていうのは確かにあるんじゃないか。なんて、しっかり思った公演。出演者は、フィンランドの北極圏生まれで現在はノルウェーに居住して進行形のサーミ族の音楽を追求しているというニコ・ヴァルケアパーというシンガー。彼は民族衣装ぽい出で立ちのもと、?な言葉で歌う。外に出る事も多いのだろう、MCは英語でする。声は透明感を持つが、そのゆったりしたメロディの韻と相まってとても存在感を持つ。一曲だけアカペラで歌った曲もあるが、他はペール・ヴィリー・アーセルーというトランぺッターとゲオルグ・ブリオというギタリストがバッキングを付ける。両者ともノルウェー人なのかな。二人ともシンプルな演奏ながら適切に電気効果を用いるわけで、その合体の様がなんとも北の国から送り出される表現だと痛感させられちゃうのだ。ひんやり、でもほのかな光の感覚や人肌気分や蠢いている感じがあって、それかなりいい感じ。オーロラも感じた……、あ嘘デス。ティム・ロビンス似のトランぺッターはECMからリーダー作を出すと聞いても頷いちゃう感じで、彼をもっとフィーチャーした曲も聞きたかった。南青山・月見ル君思フ。



PRESENCE

2008年10月10日 音楽
 と、名付けられたセッション・イヴェント。南青山・月見ル君思フ。お、いつもよりステージが広げられていて、ステージ前端がよりフロア側に出ている。出演者の数が多いのだナと肌で感じたりして。

 ギタリストのEXEPとドラマーの沼澤尚(2008年1月31日、他)の協調を軸に奏者をいろいろと絡ませ膨らませた、長時間の一発モノ(最後までいれなかったが、予定だと3時間みたい)。来日中でこのところ沼澤と毎日一緒にギグしているマルコス・スザーノ(2007年8月11日、他)も加わり、他にシタール奏者、鍵盤奏者、打楽器奏者、ベース奏者、DJなど。アヴァンギャルドにはならない、自由なジャムという行き方はこれまで山ほどやってきている沼澤×スザーノ・セッション(2006年12月28日、他)と同様。ミュージシャンが自由に出会え、思うまま音を出し合い、それを受けようとする人がいることの健全さをおおいに感じる。映像は例によってハルカさん(2008年1月30日、他)、ネタがどんどん増えているナ。

 今日は旧体育の日。最寄り駅に向かうと、東京ジャイアンツのユニフォームを来た人がちらほら。そうか、大詰めで神宮で試合があったのか。そんなにはしゃいでいる感じはなかったが、なんと優勝が決まったらしい。




 渋谷・アックス。前回(2006年10月23日)同様にキーボード奏者を入れて4人組にての実演、その時と同じ人かどうかは知らぬがよりグループ表現のなかに入っていたナ。ウッド・ベース奏者は落ち武者状態のアタマをしているが、彼はずっといる人なのか? そのリズム隊は重要な助力者だが、これまで名前などをあんましチェックする気にならなかったのはやはりGのキャラ/個性があればこそのグループ表現であるからかなー。やはり、今回のパフォーマンスに接して痛感させられたのはGの美味しい持ち味。この人は人前に出てちやほやさせられる資格を持つ人だと、改めて思わせられました。それにしても、G・ラヴって、すごい芸名だな。……本名ギャレット・ダットン。

 曲名まではすぐにでてこないが、演奏したほとんどの曲が耳なじみであったのにはぼくもびっくり。実はかつて、彼はぼくにとって“特別銘柄”だったのダとも再認識。90年代以降にでたロック・アルバムを1枚選べと言われたら、ぼくはそのファースト作を挙げるかもしれない(!)。少なくても、ニルヴァーナやレディオヘッド作より思い入れが強いのは間違いない。あのブルースからヒップホップまでを独自の軽妙さと渋さで乗り切った表現は本当にグルーヴィで革新的だったと思う。それと、今回認識を新たにしたのはGのラップがとても魅力的だということ。以前よりも、ブルースぽさやアーシーさは出さなくなった彼だが(彼らを最初送り出したのは、エピック・レーベル内に再興された往年の名ブルース・レーベルの“オーケイ”だった)、そのラップは歌とギターの相乗表現である<ブルースの回路>が下敷きになったものなのだと、なぜか今回くっきりと思えるところがあって、ぼくはとてもうれしくなってしまった。

 その後、渋谷・オネストに行く。会場入りすると、日本のテニスコーツがほんわかやっている。おや、外国人が何人もサポートしている。それは一緒にレコーディングもしているテープの面々とか。

 休憩を挟んで、そして、スウェーデンのテープ(2006年3月3日)のパフォーマンス。今回はメンバー3人に含め、欧州ではよく同行しているそうなAssという人も一緒に来ていて4人によるインスト演奏を見せる。キーボード、ギター、PC、笛、チャイムなど、椅子に座っていろんな楽器や装置を手にする様を見ていると4人の醸し出す風情が同じで、これがテープとしての通常の単位なんです、なんて言われているような気分にもなってくる。絡む音種類が増えたぶんだけ、よりアコースティック〜アナログな度合いは増しているような。ちょっとした和みフレイズ(それは、少しセンチなものでもあるな)をもとに過剰にならずに音が重なって文様を描く様に触れつつ、もし今が80年代だったらウィンダム・ヒルがライセンスを申し出たにちがいないとぼくは強く思った。


かつてブルーノートからスコロホフォ(Scolohofo)というグループ作(そのリズム隊はデイヴ・ホランドとアル・フォスター)を出したことがあった、人気ギタリスト(2007年5月10日、他)と人気テナー奏者(2007年5月10日)の双頭リーダーのカルテット。南青山・ブルーノート、ファースト・ショウ。

 想像した以上に良かった。演目はロヴァーノやスコフィールドの旧作で発表していた曲やマイルス・デイヴィスやビング・クロスビーらの古い曲なども。それらをどこか立ったノリを持ちつつまっとうな30代ぽい白人リズム・セクション(ともに、リーダー作も持つ)と一緒に開いて行くのだが、純粋に二人のソロがマル。近年、スコフィールド(実は、レディオヘッド好き)のソロはそれだけを取るとけっこうマンネリを感じさせられたりもしたが、この日の彼の演奏はジャズ・マンである矜持と俺様でありたいという自尊心が高次元で折り合っていた好演だったと言える。また、ロバーノのソロも前回の来日時の200%増しの好印象。姿勢がとても太く感じた。彼はテナーとともに、2曲ではソプラノを二つくっつけたようなカルタム・メイドだろうリード楽器を用いる。当然、2種類の音が一緒に出てくるわけだ。


シャイニング

2008年10月6日 音楽
 わー、こんなにプログレッシヴ・ロックとつながったバンドだったのか。なんと、彼らはアンコールでキング・クリムゾンの「21センチュリー・スキゾイド・マン」をとっても手慣れた感じで演奏したりも。南青山・月見ル君想フ。前座はサックス付きの日本人バンドでときにハーモロディクス(cf.オーネット・コールマン)の影響もアリ? けっこう仕掛けの多い曲をみんなで嬉しそうに笑顔を交わしながらやっていました。

 シャイニングはサックス/ギター/歌を担当する痩身のおにいちゃんが中央に立つ、インスト主体のノルウェー5人組。耽美的なすうっと流れる演奏からもろなヘヴィ・メタ的ヴォーカル付き演奏までを平然と横切り、その間には確かなジャズ素養を感じさせるインプロヴィゼイションも入られるわけだ。それぞれのネタは過剰に突出はしていないが、そのナンでもなありぐあい、その定石を超えたところで生きてこそ俺たちという気分はやっぱり嬉しいな。

 不可解と言えば、サックス奏者がテナーとともにウィンド・シンセ(乱暴に言えば、シンセ・サックス。大昔に故マイケル・ブレッカーが無様に用い、なんとも不毛な楽器であることを世界的に知らせた。ブレッカーはアカイ社製のを使用し、そのときの商標名はEWI)を堂々と用いていたこと。こういう音楽性ゆえあまり違和感はなかったが、今日日ほとんど使う人、いないよなー。そういえば、無防備という単語も用いたくなる、ダサいキーボード音を彼らは用いたりもしていた。
 
 周到なところと、あっけらかんとしたところと……変テコなバンドです。話はズレるが、10月からゴミの分別/出し方が変わって(基本、たき火したとして変な臭いや煙が出ようとも燃えるものならば全部可燃ゴミとして出せる)、いやはや違和感たっぷり、という話が知人とはよく出ます。でも、すぐに慣れちゃうのかな。いつごろから、ゴミは分別するようになったんだっけか? ノルウェー(都市部)はどんなゴミ処理のシステムを持つのだろうか。

 日比谷野音。そこには、36年ぶりの出演とか。世界にとびだった日本のロック・バンドの先駆者的な存在。70〜73年、一時はベースをカナダに置き、4枚のアルバムを発表したバンド。名前はしっていたが、ぼくはライヴはもちろん見た事がなく、音源にもそんなに触れたことがなかったわけだが、なんかバンド名の重みのようなものは非常に感じる。

 その再結成を祝うかのように、ジョニー・ルイス&チャーが前座でやはり再結成のライヴを行う。ノーリハでやったということが、インスト部の長いオールドなパフォーマンスは危なげはなし。ジミ・ヘンドリックス曲なんかもやる。彼らはアンコールも受けた。

 そして、フラワー・トラヴェリン・バンドの生みの親である内田裕也が出てきて気持ちある紹介をし(なんか、いい感じ)、フラワー・トラヴェリン・バンドの演奏がはじまる。お、剛性感あるナ。新作をきいて、けっこうエスニックというか、微妙な臭みのようなものを覚えたが、それは昔もけっこうそうで、それこそは欧米リスナーにひっかかりを与えるところであったのだろう(彼らのアルバムが当時ロック路線を邁進した米国アトランティックから出た事もあったそう)。堂々、60歳を超えているだろう初老の方々の“勇士”(まさに、そう感じました)に触れながら、ほんとかつて彼らはイケてて、カッコよかったんだろーなと思う。とともに、いい感じでサヴァイヴしてきているとも。とくに、リード・ヴォーカルのジョー山中は外見も歌いっぷりも本当に若々しい。なんか、見ていてコレはいいもん見せてもらっているという気持ちになれたし、会場が超満員で当然という気持ちにもなりました。

 このあと、九段会館で午後4時からやっているPヴァイン・ブルース・フェスティヴァルをはしごしようと思っていたのだが、すでに7時半になっちゃてて、それを断念。雨も降ってきたし。少し天候が心配だったがほぼ持ってよかった。

レディオヘッド

2008年10月4日 音楽
 埼玉スーパーアリーナ。2年前弱のU2公演に続いて、行くのは2度目。知人と渋谷駅で待ち合わせて行く。乗り換えも不慣れだし、一人で行く根性がぼくにはありません。

 頭はステージ中央でDJがまわす。音、映像ともに、ひかれるところはなし。誰だったんだろ? その後、だいぶ間を空けて、現在トップ級に人気を集める英国ロック・バンド(2001年10月4日、2004年4月18日)が登場して、パフォーマンス。ときに発する日本語の単語は比較的発音がまっとうなもので、日本慣れしているじゃんと思わせる。で、あっと驚かせる局面はなかったものの、5人はこれまでで一番バンドっぽいサウンドでパフォーマンスしたと言えるはず。それはそれで、ちょい嬉しいものだったか。あれえと思ったのは、1時間20分ぐらいで本編をおえ、その後に2度のアンコールを延々とやったこと。結局、2時間ぐらいはやったかな。変なバランス。いや、あれは2部構成の公演だったのだとCB誌の副編集長は言い張るが。

 終わって、地元同業者の手引きで、大宮で飲む。その際、発光ダイオードを用いたステージ美術設定がすばらしい、未来があった、と言い出す女史もいたが、遠目には只の地味なものにしか見えなかったよ〜ん。ともあれ、これが大宮(の繁華街か。って、別に変わったものではなかったけど)かあ。横のほうでアルティージャの橙色のレプリカ・ユニフォームを着ている4人組の人たちが飲んでいた。静かながら円満な感じがあったので、試合は負けてはいないんだろうと判断。が、帰宅して結果を見たら。0-4のぼろ負け(DFながら、Jリーグ初出場でハットトリックしたレイソルの村上って何者?)。ぼくが見たアルティージャのサポーター、紳士でした。


カミーユ

2008年10月3日 音楽
 カミーユはけっこう欧州では注目/人気を集めるフランスの個性派女性ヴォーカリストだが、これはうわーとびっくり。だいぶ遅れて会場入りしたのだが、その持ち味の良さは存分に受けたな。もしアタマから見ていたら、今年のにっこりライヴ十指に入れたいと思ったかも。渋谷・クラブクアトロ。

 サポートをするのはリズム音を出す男性ヴォイス担当者二人、身体を叩いて音を出したりする男性肉体音担当者二人(比較的長身で、イケ面ぽい彼らは肌を露出しつつゲイのような格好をしている)、女性コーラス二人、そしてピアニスト。彼らが臨機応変に重なる様はけっこう説明にこまるのだが、その総体はカミーユが意気揚々と自分の表現を作り上げる様の見事な開かれた場でのショーケース提示となっていたのは間違いない。ホーミーみたいな声の出し方をほんの少しだけしたりとか、彼女はいろんな歌声の出し方を研究している感じがあったが、コムズカシさとか過剰に才気走った感じとは無縁で音楽を作り上げる歓びがあったのがとってもマル。また、それはモダン・ポップの輝きを持つものであったとも言えるだろう。

 彼女は後ろが空いた黒いドレスを終盤着ていたが、それお尻の割れ目を出すもの。だからといって、別にドキドキさせるタイプではないけれど。でも、そういうところにも主張を込めているのか。いろんな部分で私たらんという意思を感じてしまったので、そう思ったぼくでした。


ジェフ・ラング

2008年10月1日 音楽
 オーストラリアの、ブルージィ傾向ギターのとってもうまいシンガー・ソングライター。下北沢・251。ベーシストを伴ってのもの。アコースティック系ギターを弾いていたと思うが、スライド奏法とつながるオープン・チューニングの使用やいろんな音を出す巧みなエフェクター使いもあり、表現の幅はけっこう広い。一部はベン・ハーパー(2001年6月18日、2004年3月4日、2007年4月6日)と持ち味が重なる場合も。実演だともっとブルージィになるのかと思ったけど、その歌は猫なで声のまったくひっかかりのないもの(それは、善人感覚を導くものでもあるか)なので直球ブルースだと情けなさは増すはずで、そうならないのは正解だな。本人も日本語MCで、「僕は濁ったフォークをヤリマス。楽しんでクダサイ」なんて言っていた。


 けっこう肌寒い雨の日、午後6時から東銀座・松竹試写室で、映画「ザ・フー:アメイジング・ストーリー」を見る。マーレイ・ラーナーというドキュメンタリー畑の監督による、07年アメリカ映画。メンバーのピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーの二人(他の二人はすでに鬼籍入り)の話はもちろん、肉親やマネイジャーたち多数の関係者、エディ・ヴェイダー、エッジ(2006年12月14日)、スティング(2000年10月16日)、ノエル・ギャラガー(2000年月29日)らが後続の同業者の話を挟みつつ、いかにもなUKらしさを持つロック・バンドの長〜い現在までの歩みを追う2時間の映画。けっこう、ザ・フー結成以前の各メンバーの生い立ち(1940年代〜)やバンド結成までの動きなどもちゃんと語られる。いろんなライヴ・シーンが出てきて、それはやはり肝となるかな。

 それにしてもいろいろと散る音楽性(ながら、彼らはあまり黒さを持たない、本当に珍しいビート・バンドだった。ロジャー・ダルトリーの歌が導くものが大きかったのか)、発散の音楽=ロックを体現するステージ・マナー、それぞれの個性やバンドのメンバー力学など、ほんといろんな面で興味深いバンドだったと再確認。ぼくが大好きなシンセ音多用作『フー・アー・ユー』(78年)がなぜそういう指針をとったか説明されてないのは少し不満(理由の一つは故キース・ムーンがドラムをちゃんと叩けなかったためなのかな)だが、近年の復活ライヴが破産寸前の故ジョン・エントウィッスル(2001年11月9日)を助けるためだったとか(彼だけが、音楽教育を受けたというのも初めて知る。ベースをやる前にトランペット系楽器を吹いていたというのは、レッチリのフリーと同じだ)、ほうというネタもいろいろ出される。タウンゼントがあんなにインドにかぶれていたという事実も初めて知ったな。いろんな「マイ・ジェネレーション」のライヴ・シーンをつなげたエンディングもいい感じ。やっぱし、いろんな面ですごく、そして音楽的に優れていたバンドであったと痛感。ロックの清濁併せ持つ襞も存分に描かれている。11月22日から、シアターN渋谷で公開。

 蛇足だが、近く出る「レディ・マーマレード」で知られる米国黒人女性3人組ラベルの再結成作はレニー・クラヴィッツやケニー・ギャンブルやワイクリフ・ジョンらが関与しているが、一曲だけザ・フーのレコード会社であるトラック・レコードの70年登録トラックが持ち出されている。そこで伴奏しているのはキース・ムーンやストーンズ付きピアニストとして知られたニッキー・ホプキンスで、その曲のプロデューサー・クレジットは当時のザ・フーのマネージャーだったキット・ランバート。あー、ホプキンスもランバートもすでに亡くなっている。演奏されるのは、コール・ポーターの「ミス・オーティス・リグレッツ」。調べたら、69年にラベルは新展開を求めて、英国に渡っているのだな。で、71年にワーナー・ブラザーズから出された、そのファースト作はランバートがプロデュースしているのだった。

 続いて、丸の内・コットンクラブでS,O,S,バンドを見る。セカンド・ショウ。基本は同様だが、ドラマーはまだ20代前半だろう女性に変わっている。おお、叩き音がデカい。バンド音も大きい。前回のパフォーマンス(2006年11月24日)時よりも格好などは田舎臭いと思わせられたかも。が、80年代的ヴァイヴをがちんこな感覚と真心で送り出す様にはやはり高揚。前回の項を見るとプリセット音併用と書いているが、今回はナシだったんじゃないかな。ギタリストと鍵盤ベース奏者の演奏、いい感じでした。

 アンコールに入りバンドがでてきて演奏していると、背後からぼくの腕を取る人がいる。あれっと思って振り返ると、それはなんとリード・シンガーのメリー・デイヴィス嬢。手の甲にキスをしてくれました。で、アンコール曲は彼女たち最大のヒット曲、「テイク・ユア・タイム」。途中で、ファンカデリックの「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」を歌い込む。うきっ。それから、会場にジャム&ルイスみたいな決めた格好している黒人がいるなと思ったら、オリジナル・メンバーだとメンバーからMCで紹介される。名前は聞き取れなかった(演奏に加わることもなかった)が、彼はどういう人なのだろう。

 男は黙ってフリー・ジャズ。な〜んて、思っていたことがありました。フリー・ジャズに入り込んだのは、ちょうどニュー・ウェイヴ・ロックが80年前後に猛威をふるっていたころかな。いろんなロックを追い求めるかたわら、ぼくはオーネット・コールマン一派をはじめとするファンキーなビートを伴う冒険ジャズ表現に夢中になり、その奥にあるフリー・ジャズのレコードもいろいろ漁るようになったのだ。あのころ、狼藉と越境を求めていろいろレコードを買い、一喜一憂していたなあ。そういう意味では、ぼくにとっての真のニュー・ウェイヴ・ロック体験というのは広義のフリー・ジャズを聞く事だったという言い方もできるかも。まあ、ノー・ニューヨーク一派やザ・ポップ・グループやリップ・リグ&パニックとか、そっちと繋がったニュー・ウェイヴ勢もいたしな。

 フリー・ジャズ大御所ドイツ人リード奏者のブロッツマンを主役に据えた公演。休憩をそれぞれ挟んで、3つのセットが持たれ、ブロッツマンは出ずっぱり。<東京コンフラックス2008>と名付けられた各国インプロヴァイザーが集合しお手合わせをする5日間に渡る帯イヴェントの最終日となる出し物。この日は、六本木・スーパーデラックス。

 まず、灰野敬二(ギター、歌)とのデュオ。まっこう即興、音を出し合い、反応しあう。両者、アハハな個性出る。ブロッツマンを見るのは約20年ぶり(そのころ、ビル・ラズウェエルが彼と懇意にしたがり、ラズウェル絡みで来日していた。cf.ラスト・イグジット)。顔を赤くしてブロウする姿や雄々しい音に、おお変わらないナと思う。おお、すごい、とも。オレはなんか年とって前より激しい音を聞かないようになっているもの……というのは、別にしても、変わらないことの尊さをなんか肌で感じた。超然、その言葉がブロッツマンには一番当てはまるかな。

 2番目は、琴の八木美知依(2008年8月24日)とノルウェイ人ドラムのポール・ニルセン・ラヴ(2005年4月12日)との3人で遊び、丁々発止。アンプリファイドしているとはいえ激しい応酬になると繊細な琴の音は聞こえにくくなるが、過剰に増幅すると琴の旨味から離れるという気持ちが八木にはあるのかな。ともあれ、ギター、ベース、ハープとか本当にいろんな楽器の効果を想起させる音を繰り出す様は愉快。でもって、琴という普段あまり接しない楽器が相手だと、外国人たちは新鮮なのかうれしそう。

 そして、3番目はリード奏者3人生音合戦。アメリカ人のケン・ヴァンダーマーク(今回が初来日とはびっくり)とスウェーデン人のマッツ・グスタフソン(ザ・シング、他。先のニールセンもザ・シングのメンバー)、との生音リード合戦。それぞれお手合わせしている間柄なためお互い手の内を知るところもあり、かなり意思統一された演奏(エンディングのさくっとした終り方を見てもそう感じる)を見せ、変化に富みつついろんなヴァリーエションをスリリングに提出。3曲目だったか。各サックス音の倍音を効果的に用いる重なり方は耳をひかれた。そして、最後には坂田明が入り、サックス四重奏となる。

 カサンドラ・ウィルソン(2008年8月11日、他)と同じ年齢で同じくブルーノートに所属する、広角派の本格派ジャズ・シンガー(2001年4月24日、他)を六本木・ビルボード東京(セカンド・ショウ)で見る。ガット・ギター、ベース(縦、電気両刀)、ドラムは新作で関与していた人たち。ピアノ(たまに、電気も弾く)も『グッド・ナイト、グッド・ラック』他、過去作に関与してきた奏者を連れてきている。

 どこか抑制された、ビミョーに純ジャズからは離れる意思を持つサウンドのもと、リーヴスは余裕で歌う。うまく説明できないが、やっぱうまい、ジャズをきっちり会得している人は強いという感想をおおいに得る。確かなジャズ感覚を下敷きに、彼女は自分が考える方向にちゃんと踏み出しているなあ……。なんか醸し出す寛いだ風情もいいし、客とのコミュニケーションのとりかたも巧み。

 新作にも入っていた、ポジティヴな母親を題材にした自作ブルース「トゥデイ・ウィル・ビー・ア・グッド・デイ」(このときだけ、ブラジル人ギタリストのロメロ・ルバンボ:2003年5月6日、2006年11月22日:は電気ギターを手にしたが、アーシーな奏法がうまくて超びっくり。なんでも弾けちゃうんだな、うひゃー)、「ラヴィング・ユー」(ミニー・リパートン)、「ジャスト・マイ・イマジネーション」(ザ・テンプテーションズ)の三連発は圧巻。もう適切に自分化して(しっかり技量の高さが出る)、それぞれに客と効果的にコール&レスポンスもして。もう、彼女にゃ誰もかなわない、なんて事も少し思ったか。バンドの面々も本当に嬉しそうにサポートしていたな。実はこの日、ぼくは車で来ていて、アルコールを飲んでいない。なのに、逆上せてものすごく感激しちゃったよー。彼女がとっても魅力的な女性に思えました。あっぱれ、リーヴス! 


 ノルウェイの“ジャズランド”レーベルの親分でもあるピアニスト・キーボーディスト(2001年5月27日、2002年5月8日)の、今回の来日パフォーマンスは完全ソロによるもの。恵比寿・リキッドルーム。ステージ上にはグランド・ピアノ、本人を挟んでその反対側にはシンセみたいなコントローラーと小鍵盤が一体になったものとPCが置いてある。奥のほうには電気ピアノも置かれていたが、それはほとんど使わなかったんじゃないかなあ。

で、彼は自在にピアノを弾き、随時それらはサンプリングされているようで、任意えらばれた断片がループ音/装飾音になり(音色も自在に変えられる)、それにあわせまたピアノを弾き……。基本は即興でやっていたのかな。やりようによっては、過剰な音の洪水と言えるものもできそうだが、そこは大人である種の抑制の美意識が働く。デイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイヴ」も趣味良く、広げた。それから、オっと思ったのは、泣くような声で話すベッセルトフトだが、少し歌って(けっこう、いい感じで歌うんだよな)それを上手にサンプリング使用したりもしたこと。なかなか、おもしろかった。

 まず、渋谷・クラブクアトロ。8月にリニューアルなったはずだが、やっと来る。5階建てのクアトロ・ビルの1〜3階がブックオフになっていて、まずびっくり。へー、ブックオフはほとんど利用した事がないけど調子いいんだな。でも、バブル期(だよな?)にこの建物が出来たときは音楽ソフト販売のウェイヴが大々的に入っていたわけで、ある意味もとのノリに戻ったと言えなくはないかも。その後ウェイヴは撤退して、衣服屋や雑貨屋がいろいろと変わりつつテナントで入っていたわけだ。一時は韓国ソウル発の安売り店で1フロアをまとめた事もあったはず。あー商行為はめまぐるしい。ともあれ、4〜5階の全フロアがライヴ・ヴェニューとしてのスペース。受け付け階の4階は無駄に広いかも。で、5階のステージ・フロアは変更無し(バーの様式や出し物アイテムは切に更新してほしかったが、まったく変化なし。なんでェ〜)。

 ザ・サーストはロン・ウッド(2003年3月15日)の自己レーベルの第一弾アーティストと喧伝される、新進UKバンド。痩身の崩れた小アフロ頭の青年が出てきて、生ギターを弾きながら歌いだす。技巧と緊張感のないキザイア・ジョーンズ(1999年9月29日)。てな、印象を持ったか。で、その最中にギター、ベース、ドラムが出てくる。みんな似た風体の黒人たち(英国人たちだから、ジャマイカン・ルーツかな)。で、彼らはギターの刻みが後打ちの曲をやる。乱暴に言えば、2トーン調をもっとロックぽくした感じか。ときに、“泣き”の感覚も入る。もう少し曲調が立っていればと思わなくはないが、でもその佇まいだけでぼくは許せるし、また来日したら見に行くと思う。初々しくコミュニケートしようとしていたのもマル。

 40分間みて、移動。南青山・青山迎賓館(今年に入って営業を始めたそうな、月見ル君想フ近くの結婚式場)に行く。道、かなり空いていたナ。アメリカの靴やバッグのメイカー“コール ハーン”の設立80周年記念パーティがあり、そこにぼくが注目している米国人ジャズ歌手のホセ・ジェイムズがアトラクションとして出るため。8時すぎに、ジェイムズは電気ピアノ、電気ベース、ドラムとともに登場。へえ、スリムな身体を黒のスーツで包んだ彼(身長はそれほど高くない。年齢は30歳ぐらいか)は写真だと黒人に見えたが、いろんな血が入っている印象を受けた。そんな彼はいい声で、確かな音程のもと奔放に歌う。スキャットもいい感じ。音楽として重要な何かがこぼれ落ちる。やはり、これはなかなかのタレントという所感を強く持つ。ドラムはけっこうブレイク・ビーツ的なビートを叩き、そんなこともありジェイムズ自体のヴォーカルは純ジャズだが、クラブ・ジャズ的な誘いも確かに持つ。彼を送り出したのはジャイルズ・ピーターソン(1999年5月21日、2002年11月7日、2004年1月16日)のレーベル“ブラウンズウッド”だ。演目は、アート・ブレイキーで知られるファンキー・ジャズ名曲「モーニン」(やっぱ、親しみやすい曲だな)他、ジャズ有名器楽曲をヴォーカル曲化したものも。

 50分ぐらいは悠々とパフォーマンスしたかな。かなり、満足。そのあとは、ジャイルズ・ピーターソン(2002年11月7日)が延々とDJ(ベタなEW&F曲を回したりも)。最初、彼にパーティDJの依頼があり、ついでにジェイムズを推薦したのかな。このパーティ出演来日のついでに、ジェイムズは翌日にビルボードライブ東京でパフォーマンスする。また、翌月にはニコラ・コンテのゲストで来日し、ブルーノートに出演する。

 <ジャズのエリート・コースを歩み若くしてエスタブリッシュされ、そのままジャズ・ビジネスの前線にいつづける>(2003年2月18日)ものの、一方では<ずっとファンクやヒップホップを愛好してきたとのたまいソウル・クエリアンズ勢らとつるみつつ、R.H.ファクターという軟派プロジェクトを組み>(2003年9月21日)、おージャズやるのに飽きてんだアと思わせたら<また真摯な純ジャズ路線に取り組む>(2007年9月10日)……。そんな、69年テキサス州生まれのトランぺッターの08年来日公演はなんとビッグ・バンドを率いてのもの。なんでもNYでもビッグ・バンドを組んでギグをやったりしているようが、今彼はよりいっそうのジャズ・モードに入っているだろうか。

 開演10分近く前には、メンバーがステージに出てきて待機したりも。サックス・セクション5、トロンボーン・セクション4、トランペット・セクション4、ウッド・べース、フルアコのギター、ドラムという布陣。年齢は20代から40代まで、アフリカ系が多いものの白人も何人か(ダントン・ボラーというベーシストは俳優かと思うほどにカッコいい。かつてブルーノートが出した事もあったザ・ジャズ・マンドリン・プロジェクトのメンバーだった事もある彼、イケ面マニアの人は彼目当てに行っても元は取れたと思えるはず。ルックス、技量ともに、カイル・イーストウッド破れたり、かな)、女性も1人。彼らは基本、スーツ着用。一番若そうなラテン系入ってそうなドレッド頭のピアニストは平服。スーツを持ってないと申告したら、じゃあ白いシャツだけ着てよね、なんてバンマスとのやりとりがあったと想像する。最後に出てきたハーグローヴはサングラス着用で黒のジャケットに、黒のネクタイ。ながら、ノー・アイロンぽい白いシャツはパンツの中に入れず、スニーカー着用。それも、自分なりの価値観の発露?……。

 スタンダードあり、知らない曲あり、けっこうR&Bぽいものあり、ラテン調もあり。スコアをどう調達したかはしらないが、大編成表現の醍醐味や楽しさを素直にアピールする出し物が並ぶ。ハーグローヴは必ずソロを取り(美味しい所をまずいただく、というのはリーダーの特権なり)、他に一人か二人がソロをとる。最後にメンバー紹介的にトランペット・セクションで長々とソロを回した(少しヘタっぴもいた)が、それは別のショウのときは違うセクションがフィーチャーされるんじゃないだろうか。

 そこそこの力量を持つ人たちを集めて、自分を中央に置いての、こういう大掛かりなプロジェクトをちゃんと形にしている事に触れ、ハーグローヴって力を持っているんだなと、思わずにはいられず。とともに、昔から自分なりのビッグ・バンドをやってみたいという気持ちを持ち続けてきたんだろうなとも痛感。もう、彼、奮闘していたもの。でっかいアクションで明快に指揮し(ある曲の出だしのトロンボーン・セクションの絡みが上手く行ったときには、グー・サインを出したり。ハハ)、かけ声をかけ、何度も曲調に合わせてフリをつけたり、踊ってみたり。それに団員たちも嬉しそうに、応える。歓び、あり! 彼がこんなに快活で、快楽的で、アツい奴だったとは。 彼が送り出す大所帯表現はビッグ・バンド・ジャズのある種の意義を映し出すものであり、もっと言えば、生きた笑顔ある音楽の普遍的と言いたくなる輝きを存分にだしていた! 

 途中2曲と最後のほうには、米国でもけっこう知名度を得ているイタリアの女性ジャズ歌手のロバータ・ガンバリーニが出てきて歌うのだが、彼女にもびっくり。もともと本格派というイメージがあったものの、こんなに歌える人だったとは。本物。延々のスキャットもばっちり。フィーリング、技量ともに大OK、まちがいなく彼女の次の来日時には見に行く事をきめました。ガンバリーニ最後の曲(3曲目)のときはハーグローヴもスキャット合戦に加わる。と思ったら、彼は次の曲でうれしそうに一人で歌う。あらら、あんた歌うのそんなに好きなの? でも、それもとてもいい感じだった。途中からはサングラスも外し、額に汗を浮き上がらせ笑顔満面なハーグローヴ。一から十まで、グッド・ジョブ!

 南青山・ブルーノート東京。日曜までつづく出し物の、初日のファースト。山あり、谷あり、たっぷり90分。おお、今後のショウはどーなる? また見たいけど、予定はびっしり……。しくしく。


日本人親指ピアノ奏者、同時代型表現を求めるバンドのレコ発記念ライヴ。代官山・晴れたら空に豆まいて。いろんな音楽を通っていることを教える伸縮性や粘りを持つリズム・セクション(にプラスして、ダブっぽい事をしたりもする卓担当者)を従え、サカキはおもうままアンプリファイドされた親指ピアノ(複数用いる。一つはけっこうデカかかった)をならし、歌う。声、ちゃんと通るなあ。両足には鈴の集団もくくりつけてて、全身で音を出すんだという心意気のようなものも伝わってくるか。親指ピアノ演奏は多くの場合、ギター的だったりキーボード的だったりする使われ方をする(最後のほうはもろにコノノNo.1を想起させるような音も出す)。でも、音色や微妙な音癖はアフリカと繋がるものであったりするわけで、それだけで異化作用、飛躍する感覚を持ちえるか。そして、堂々とした歌が引っ張るその表現を聞いていると、<この人はちゃんとしたポップ・ミュージック作りの才を持っていて、それを彼ならではの興味や機微と交錯させて、自分の音楽を作ろうとしている>と、痛感させられるのだ。そう、確かなビート・ ミュージックの作り手であるというのがぼくのなかではとても印象に残ったナ。


 高円寺・JIROKICHI。昨年『Together Again』というニューオーリンズ録音の双頭作を出した、来日中の山岸潤史(2007年2月3、4、5日、他)と上京中の塩次伸二(2005年7月31日)のライヴに顔を出す。わわ、任侠ノリで行く事を決め、ジルベルト・ジルの来日公演を殺しちゃった。元ウェスト・ロード・ブルース・バンドのお二人に加え、よくコンビを組む小島良喜(鍵盤)と鶴谷智生(ドラム)、そして江口弘史(ベース)がサポート。ブルーノート・スケールという魔法の絨毯とともに、自由自在。ブルース曲だけでなくいろんな曲を笑顔で繰り出す。延々。尽きないというか、とまらないというか。本当に演奏するのが好きなんだなー。


 昨日今日はかなり晴天だが湿度が低く、日が暮れるとかなり涼しい。秋に向かっている、そんな感じがたっぷり……。

 まず、渋谷・O-イーストで、今年2度目の来日となるアシャを見る。前回(2008年6月7日)はギター奏者とバック・シンガーを伴う簡便な編成によるものだったが、今回はバンドを伴ってのもの。前回同行者にプラスして、キーボード、ベース、ドラムが帯同。ギタリスト(スティヴィー・レイ・ヴォーン他、ホワイト・ブルース系ギタリストがお好みとか。アシャとは1年間、行動をともにする)以外はアフリカ系だ。

 隙間の多いサウンドがつけられていたデビュー作の音を無理なく開いたバンド音(おうおうにして、少し太く、より弾んだものになっていたか)を得て、アシャは自分を無理なく押し出して行く。今回、コーラス担当のジャネット嬢がドレスを着用していることもあり、アシャのボーイッシュな感じ、飾り気ない自然性のようなものはより前に出ていた感じはあったかな。この晩の公演は福岡から北上してきたツアー(1週間で6カ所)の最終日、そのためかアシャの声が少し嗄れているかもと感じたが、あとでCDを聞いたらもともとけっこうハスキー・ヴォイスなのだな。ときに声を振り絞る感じは、ボブ・マーリー愛好を通してのものという感じが出る。

 彼女を包み込むバンド・サウンドを得てより思うまま振る舞えることで(ギターを持たず、ヴォーカリストに専念するほうが多い)露になったのが、彼女の巧みなショウの進め方の能力。ときにユーモアを交え、的確にオーディエンスに語りかけたり、堂にいったコール&レスポンスをやったり、一緒に歌うことを求めたり。繰り返すがそれらはとてもお上手、彼女がそんな才覚を持つ人だとは……驚きました。それから、身のこなしも軽快、なるほど「踊りは好き。私の足にはリズムが入っているの」なんて、かつて取材したときのコメントも納得だな。

 アルバム『アシャ』からの曲を中心に、新曲も披露。アルバムよりももっとシンプルに届けられたヨルバ語による平和を祈る「アイ・アバダ」の広がる慈しみの情にはじわーん。これに触れたら、もう何も言えなくなっちゃうよな。沸き上がる人間的な気持ちと、心の琴線に引っかかる素直なメロディと、その奥に広がる豊かな音楽語彙のしなやかな三位一体表現……。そりゃ、客席側からは熱い反応が返されまくるわけで、双方の澄んだ気持ちの交換は磁場と言いたくなるような、一体化した空間をぽっかりと生み出していた。なんか、そういう部分においては、アシャはもう“黄金”を手にしていて、日本において特別な位置を得てしまうかも、ぼくはそんな事も思った。アンコール最後の曲は、ギタリストとデュオで披露した、ボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」なり。

 その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、マッコイ・タイナー(2003年7月9日)のトリオに、俊英トランぺッターのクリスチャン・スコット(2008年7月23日)が入った出し物を見る。セカンド・ショウ。

 今年末でちょうど70歳となるジャズ・ピアノ大御所の演奏に触れて感じるのは、悠々”自分の道を行く”ということ。タイナーといえば、60年代ジョン・コルトレーンのグループや脱退後の饒舌かつスケールの大きな指さばきがすぐに思い浮かべられるが、現在は今の自分の心象やジャズ観を出す演奏をちまちまさせてもらいますワ、というノリにシフトしているのがよく分かる。今だってムキになれば往年を彷彿とさせる演奏ができなくはないはずだが、そんな事は過去の話と含蓄豊かな指さばきをさらりと出して行く指針も、名人ならアリだろう。なんか笑えたのは、御大と同様にスーツを着用し真面目そうに見えるベーシストのジェラルド・キャノンがソロのときにディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やダニー・ハサウェイの「ゲットー」を弾き込んでいたこと。はは。でも、その総体は、大人の余裕のジャズというしかないものなのであるが。

 スコットは途中から出るのかなと思ったら、最初から出ずっぱり。途中で、1曲抜けただけだった。で、前回のソウライヴのゲスト時のニューオーリンズ・マナー大爆発の演奏から、今回は抑制された、ふくよか&なめらかな演奏に終始する。彼は自己表現だと、レディオヘッド的な事をジャズでやりたいという気持ちを反映させたアブストラクトな今様ジャズを標榜する(その『アンセム』には、先週金曜に見たエスペランサが入っていた)わけだが、この年末に出るスコットの新作はニューポート・ジャズ祭でのライヴ盤。もちろん、注目に値する出来で、なんとかそのリーダー・グループの来日が実現してほしいが。

< 111 112 113 114 115 116 117