スピードメーター・フィーチャリング・ビリー・ウッテン。大西順子トリオ。
2011年2月25日 音楽 まず、赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマで、英国のファンク・バンドであるスピードメーターを見る。ファースト・ショウ、18時半開始。で、ステージに出てきた面々を見て、ぼくはふふふ。みんなスーツをきているのだが、そろいでないそれはいい感じでサバけていて、そのルックスともども、おおこれは英国ぽいと思ってしまったのだ。米国人だと、なかなかこうはいかない。ときに、もっとショービズっぽく(ラスヴェガス的という、言い方もしたくなるかな)なるから。
ギター、オルガン、ベース、ドラム、パーカッション、3人のホーン奏者という8人編成。皆白人で、30〜40歳ぐらいかな。ちゃんとレギュラー・グリップで叩くドラマーは一人だけ、10歳ぐらい年長に見えた。インストゥメンタルを披露するとともに、男女のシンガーも臨機応変に加わる。彼ら、ヘタではないけれどなんとなくもっさりしていて、その総体の押しが過剰に強くないのは少し謎。その分、飲みながらでれでれ聞くには緊張感を強いられずいいかもしれないが。それは、英国パブ・ロックの伝統を引き継ぐ? 皆うれしそうにやっていて、それはココロ弾ませる。後半のクール&ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」と「ハリウッド・スウィンギン」のメドレーには持っていかれました。
開始当初から、オーガスト・ダーネル(ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンド、キッド・クリール&ザ・ココナッツ)みたいな伊達じいさんが、後で写真を撮っている。ん、マネイジャー? ではなく、スカ・クバーノ(2005年7月29日)にいる一番の洒落者と紹介されても信じそうな、決まった痩身小柄なその御仁はなんとゲストのビリー・ウッテン。おいおい、共演者のために写真を撮ってあげているのかい。彼は登場前から横の方で身体を揺らしたりし、ステージの様を楽しんでいる。彼は初来日となるらしい。
そんなウッテンは70年前後のグラント・グリーンのブルーノート表現に寄り添った、知る人ぞ知るソウル・ジャズ期の名ヴァイブラフォン名手。ファッション・センスともども見てくれは米国人ぽくないが、とうぜんアメリカ人ですね。で、最後のほうでステージに上がって演奏したのだが、ほんと身体の芯から真心を解き放つ、性根澄みまくりの善人100%の御仁。そんなに複雑なことをするわけではないが、なんか熟練を感じさせるソウルフルなマレット(左右に2本づつ持つ)さばき、そりゃ素敵じゃないはずがないではないか。もう、こんな音楽人に触れることができて、ぼくはとても高揚。こういう人に出会えると、音楽に接してきて良かったと、心底思える。彼はスピードメーターの面々とも、本当に同志という感じで接していましたね。60才ぐらいにしか見えない彼は劣化ゼロで、元気そう。今後単身で日本に来て、いろいろ日本の担い手と絡むのもアリではないか。彼はそういう場を与えたら、心から楽しみ、自分を全うすると思う。
そして、東横線でゴー。南青山・ブルーノート東京で、辣腕ジャズ・ピアニスト(12月22日、他)を見る。セカンド・ショウ。トリオによるもので、付き合いの長いアフリカ系アメリカ人のリズム隊を呼んでのもの。ベースのレジナルド・ヴィール(2010年9月30日、他)と、ドラムのグレッグ・ハッチンソン(2010年9月5日、他)。まあ勝手知ったる人達と寛ぎつつ、忌憚のない会話を交わし合う様に、ほうと頷きながら接する。なんか今回、彼女の演奏をいつもより俯瞰するような感覚を得ながら見れた気がしたのだが、それは3人の様がよく見れたからか、3人の噛み合いにそういう所感を導くところがあったのか、それともいつも以上に酔いが回っていたからか。後から加筆するかもしれません。
<今日の春一番>
ほんわか日和。夕刊によれば、東京は午前中で20度になったらしい。ただし、風は強い。ながら、春一番となれば、それもなんかうれしいではないか。この11日前にはたっぷり雪がふったが、冬ももう終盤になってきているんだよなあ。うれしいなあ。夏のエコ生活を引き継ぎ、今年は暖房器具もあまり使わなかったような。まあ、それは日中お日様がさす日が多かったということの裏返しだと思うが。晴れの日とそうしゃない日では、かなり室内温度が違うもの。さて、4月いっぱい寒かった昨年と異なり、今年は春の到来が早いと言われるが、どうなる? 夜はそこそこ気温が下がり、風があったのでかなり寒さを感じました。
ギター、オルガン、ベース、ドラム、パーカッション、3人のホーン奏者という8人編成。皆白人で、30〜40歳ぐらいかな。ちゃんとレギュラー・グリップで叩くドラマーは一人だけ、10歳ぐらい年長に見えた。インストゥメンタルを披露するとともに、男女のシンガーも臨機応変に加わる。彼ら、ヘタではないけれどなんとなくもっさりしていて、その総体の押しが過剰に強くないのは少し謎。その分、飲みながらでれでれ聞くには緊張感を強いられずいいかもしれないが。それは、英国パブ・ロックの伝統を引き継ぐ? 皆うれしそうにやっていて、それはココロ弾ませる。後半のクール&ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」と「ハリウッド・スウィンギン」のメドレーには持っていかれました。
開始当初から、オーガスト・ダーネル(ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンド、キッド・クリール&ザ・ココナッツ)みたいな伊達じいさんが、後で写真を撮っている。ん、マネイジャー? ではなく、スカ・クバーノ(2005年7月29日)にいる一番の洒落者と紹介されても信じそうな、決まった痩身小柄なその御仁はなんとゲストのビリー・ウッテン。おいおい、共演者のために写真を撮ってあげているのかい。彼は登場前から横の方で身体を揺らしたりし、ステージの様を楽しんでいる。彼は初来日となるらしい。
そんなウッテンは70年前後のグラント・グリーンのブルーノート表現に寄り添った、知る人ぞ知るソウル・ジャズ期の名ヴァイブラフォン名手。ファッション・センスともども見てくれは米国人ぽくないが、とうぜんアメリカ人ですね。で、最後のほうでステージに上がって演奏したのだが、ほんと身体の芯から真心を解き放つ、性根澄みまくりの善人100%の御仁。そんなに複雑なことをするわけではないが、なんか熟練を感じさせるソウルフルなマレット(左右に2本づつ持つ)さばき、そりゃ素敵じゃないはずがないではないか。もう、こんな音楽人に触れることができて、ぼくはとても高揚。こういう人に出会えると、音楽に接してきて良かったと、心底思える。彼はスピードメーターの面々とも、本当に同志という感じで接していましたね。60才ぐらいにしか見えない彼は劣化ゼロで、元気そう。今後単身で日本に来て、いろいろ日本の担い手と絡むのもアリではないか。彼はそういう場を与えたら、心から楽しみ、自分を全うすると思う。
そして、東横線でゴー。南青山・ブルーノート東京で、辣腕ジャズ・ピアニスト(12月22日、他)を見る。セカンド・ショウ。トリオによるもので、付き合いの長いアフリカ系アメリカ人のリズム隊を呼んでのもの。ベースのレジナルド・ヴィール(2010年9月30日、他)と、ドラムのグレッグ・ハッチンソン(2010年9月5日、他)。まあ勝手知ったる人達と寛ぎつつ、忌憚のない会話を交わし合う様に、ほうと頷きながら接する。なんか今回、彼女の演奏をいつもより俯瞰するような感覚を得ながら見れた気がしたのだが、それは3人の様がよく見れたからか、3人の噛み合いにそういう所感を導くところがあったのか、それともいつも以上に酔いが回っていたからか。後から加筆するかもしれません。
<今日の春一番>
ほんわか日和。夕刊によれば、東京は午前中で20度になったらしい。ただし、風は強い。ながら、春一番となれば、それもなんかうれしいではないか。この11日前にはたっぷり雪がふったが、冬ももう終盤になってきているんだよなあ。うれしいなあ。夏のエコ生活を引き継ぎ、今年は暖房器具もあまり使わなかったような。まあ、それは日中お日様がさす日が多かったということの裏返しだと思うが。晴れの日とそうしゃない日では、かなり室内温度が違うもの。さて、4月いっぱい寒かった昨年と異なり、今年は春の到来が早いと言われるが、どうなる? 夜はそこそこ気温が下がり、風があったのでかなり寒さを感じました。
約半年ぶりにやってきた、米国の、今様ポップ・ロック・ユニット(2010年7月28日)。2人でスタートしたものの、今はサポートの3人のミュージシャンもメンバーに加え、5人組になっていると伝えられる。有名になって、ちゃんとライヴをやる仲間たちをメンバーにしちゃうというパターンはけっこう珍しい。彼ら、度を超してリベラルなのだろうか。どっちにしろ、曲も共作するギター弾きながら歌う人とキーボード担当者、大学時代からの付き合いを持つ2人がライヴでも前に出ているけど。前回と同様に、当たり曲「キッズ」はプリセット音を流して、2人だけでパフォーマンスしているしな。
エレクトロ色も濃いことをやる彼らだが、昨年出た2作目『コグラチュレーションズ』(コロムビア)で少し出されていたように、アコースティック・ギターを基調とするメロディアス曲をいくつか披露。基本、いいメロディを作れるポップ・ユニットであり、そんな彼らが、好奇心おもむくまま、ときにはかなりコドモっぽいノリを出しつつ、いろんな試みや味付けを遊び心を前面に出してやっている様が、今の聞き手にアピールしているのだ、と思わずにはいられず。で、そこここで、そこはかとなく、今っぽい佇まいをやはり出すんだよな。新木場・スタジオコースト。2日間やるうちの初日、なり。
<今日の新聞>
最近、新聞の配達が早い。朝夕刊ともに3時ちょい(夕刊は、15時ね)には投函されているんじゃないか。ごんごん飲んで深夜帰宅したさい、すでに朝刊が配達されていたりするもんなあ。本社で印刷終了後、販売店には何時ぐらいに運ばれているのだろう。一時は朝刊の配達が遅くて7時すぎないと届かないときもあった。起きたときに、朝刊が届いていないと、ちょっとヤ。そういう配達時間の変化は、配達する人の都合で変わるのだろうか。
エレクトロ色も濃いことをやる彼らだが、昨年出た2作目『コグラチュレーションズ』(コロムビア)で少し出されていたように、アコースティック・ギターを基調とするメロディアス曲をいくつか披露。基本、いいメロディを作れるポップ・ユニットであり、そんな彼らが、好奇心おもむくまま、ときにはかなりコドモっぽいノリを出しつつ、いろんな試みや味付けを遊び心を前面に出してやっている様が、今の聞き手にアピールしているのだ、と思わずにはいられず。で、そこここで、そこはかとなく、今っぽい佇まいをやはり出すんだよな。新木場・スタジオコースト。2日間やるうちの初日、なり。
<今日の新聞>
最近、新聞の配達が早い。朝夕刊ともに3時ちょい(夕刊は、15時ね)には投函されているんじゃないか。ごんごん飲んで深夜帰宅したさい、すでに朝刊が配達されていたりするもんなあ。本社で印刷終了後、販売店には何時ぐらいに運ばれているのだろう。一時は朝刊の配達が遅くて7時すぎないと届かないときもあった。起きたときに、朝刊が届いていないと、ちょっとヤ。そういう配達時間の変化は、配達する人の都合で変わるのだろうか。
メイシー・グレイ。ロイ・ハーグローヴ・クインテット
2011年2月22日 音楽 立ったキャラクターを持つ女性歌手の公演を六本木・ビルボード東京で、まず見る。ファースト・ショウ。ぼくが彼女を見るのはフジ・ロック出演時(2003年7月28日)以来だが、それ以降来日していないんだっけ? バンドはギター、キーボード、ベース、ドラムという編成で、ギターと鍵盤は非アフリカ系の奏者だ。このハコは演出で背後のカーテンを開閉するが、この日はシャウトするグレイのアップの横顔がのせられた、持ち込みだろうデカい幕が張られていた。
メイシーの雰囲気とは対比的な、愛想良く気安いキブンを振りまく女性バッキング歌手が1曲中央で歌ったあとに、メイシーは登場。ドレスを着て、彼女のトレードマークと言えるだろう羽がたくさんついたストゥールをまとっている。おお、さすがスター、その佇まいだけで、見る者を引き付け、何かを与える。で、歌いはじまると、バンド・サウンドや曲調がロックぽいところがあるナと感じる。とはいえ、その一方では、最初から伸縮性に富んだ曲運びも見せるわけで、ブレイクを臨機応変に入れたり、最初からJBの引用もしたり、ちょいドラム・ソロを入れたり。そういう行き方はR&B(ひいては、ジャズを根に持つ、とも言えるか)でしかありえない。
能面みたいというか、ニコリともせず、あまりアクションも取らず毅然と歌う様は昔から。それゆえ、愛想の良い補助シンガーとはかなりの対照をなす。メイシーはとっても喉に負担がかかりそうな歌い方を取る歌手だが、そんな擦れ気味の高音ヴォイスは多大な個性。で、それを聞きながら、彼女ってプリンス(2002年11月19日)が大好きでそうした歌い方になったんじゃないかとも思えてきて、仕方がなかった。先にロックぽいと書いたが、レゲエ・ビート曲やレゲエの部分採用もいくつか。それゆえ、なんの情報もなしに聞いたら、メイシーのことをUKの歌手なのかと思ってしまったかもしれない。
ショウが終わった後のステージ上(彼女の前にはピンク色のマイク・スタンドが置かれていた)には、ストゥールの羽がいくつも落ちていた。そして、そうした名残りの存在もショウの一部なのだと、思わせる? なことアないが、やはりスタイリッシュな歌手の、いい感じのショウであったのは間違いない。
その後は、南青山・ブルーノート東京で毎年来日している、人気ジャズ・トランぺッター(2009年6月24日)の自己クインテット公演を見る。アルト・サックスとの二管編成。比較的若手のアフリカ系奏者をそろえていて、一応彼らはスーツを着用し、みな坊主頭。ハーグローヴは赤いシャツに赤いポケットチーフで、黒の蝶ネクタイという出で立ち、なり。
結構、ジャズ有名奏者の曲をおいら達ならこう広げるみたいな感じで披露していったか。オリジナル比率は高くなかったはず。いろんな放蕩を経て、もう一度、まっすぐ過去の財産/ハード・バップ様式に対峙すべき、なんて心持ちに彼はなっているのかしら。あ、でもクインテット表現の場合はけっこういつもか。なんにせよ、バランス感覚にも長けた彼は、今回くだけた感じで2曲で歌を披露したりもする。コール&レスポンスの要求もあった。ま、それも過去のジャズにあった娯楽回路回帰と取れなくもなく、歌自体はあまり上手くはないが、変化も出て、うれしい。ぼくが知っている限り、ハーグローヴが歌ったのは、自己ビッグ・バンド公演(2008年9月16日)のときにちゃんとロバータ・ガンバリーニ(2009年4月22日、2010年3月1日)をゲスト・シンガーとして迎えているにも関わらず果敢に披露したのが最初。2010年2月にあったハーグローヴの来日公演は見ていないが、その際はどうだったのだろう?
メイシー・グレイのバンドのドラマーはハンチング帽をかぶり、それを見ながら、やっぱハンチング=ダニー・ハサウェイと想起しちゃうナと思っていたが、ハーグローヴ・バンドのベース奏者もハンチングをかぶっていた。ながら、途中からは、それをウッド・ベースのネックの上端=糸巻きのところにお茶目にのせてずっと演奏。そういう、他愛ないことが、ぼくは好きだ。
<今週の絵>
画家のクラーク志織さんが、『7 人の音楽評論家の肖像展』という個展を先週末からやっている。場所は、神宮前のSaidera Paradiso bldg. 1F。来週月曜(土日はお休み)まで、昼間(~18:00)に開かれている。で、ぼくも7人のなかの一人なんだけど、一番描きやすかったのが高橋健太郎さんで、逆がぼくとか。ま、分かりにくいほうがいい。と、思う、オレ様なワタシであった。→
http://www.shioriclark.com/
メイシーの雰囲気とは対比的な、愛想良く気安いキブンを振りまく女性バッキング歌手が1曲中央で歌ったあとに、メイシーは登場。ドレスを着て、彼女のトレードマークと言えるだろう羽がたくさんついたストゥールをまとっている。おお、さすがスター、その佇まいだけで、見る者を引き付け、何かを与える。で、歌いはじまると、バンド・サウンドや曲調がロックぽいところがあるナと感じる。とはいえ、その一方では、最初から伸縮性に富んだ曲運びも見せるわけで、ブレイクを臨機応変に入れたり、最初からJBの引用もしたり、ちょいドラム・ソロを入れたり。そういう行き方はR&B(ひいては、ジャズを根に持つ、とも言えるか)でしかありえない。
能面みたいというか、ニコリともせず、あまりアクションも取らず毅然と歌う様は昔から。それゆえ、愛想の良い補助シンガーとはかなりの対照をなす。メイシーはとっても喉に負担がかかりそうな歌い方を取る歌手だが、そんな擦れ気味の高音ヴォイスは多大な個性。で、それを聞きながら、彼女ってプリンス(2002年11月19日)が大好きでそうした歌い方になったんじゃないかとも思えてきて、仕方がなかった。先にロックぽいと書いたが、レゲエ・ビート曲やレゲエの部分採用もいくつか。それゆえ、なんの情報もなしに聞いたら、メイシーのことをUKの歌手なのかと思ってしまったかもしれない。
ショウが終わった後のステージ上(彼女の前にはピンク色のマイク・スタンドが置かれていた)には、ストゥールの羽がいくつも落ちていた。そして、そうした名残りの存在もショウの一部なのだと、思わせる? なことアないが、やはりスタイリッシュな歌手の、いい感じのショウであったのは間違いない。
その後は、南青山・ブルーノート東京で毎年来日している、人気ジャズ・トランぺッター(2009年6月24日)の自己クインテット公演を見る。アルト・サックスとの二管編成。比較的若手のアフリカ系奏者をそろえていて、一応彼らはスーツを着用し、みな坊主頭。ハーグローヴは赤いシャツに赤いポケットチーフで、黒の蝶ネクタイという出で立ち、なり。
結構、ジャズ有名奏者の曲をおいら達ならこう広げるみたいな感じで披露していったか。オリジナル比率は高くなかったはず。いろんな放蕩を経て、もう一度、まっすぐ過去の財産/ハード・バップ様式に対峙すべき、なんて心持ちに彼はなっているのかしら。あ、でもクインテット表現の場合はけっこういつもか。なんにせよ、バランス感覚にも長けた彼は、今回くだけた感じで2曲で歌を披露したりもする。コール&レスポンスの要求もあった。ま、それも過去のジャズにあった娯楽回路回帰と取れなくもなく、歌自体はあまり上手くはないが、変化も出て、うれしい。ぼくが知っている限り、ハーグローヴが歌ったのは、自己ビッグ・バンド公演(2008年9月16日)のときにちゃんとロバータ・ガンバリーニ(2009年4月22日、2010年3月1日)をゲスト・シンガーとして迎えているにも関わらず果敢に披露したのが最初。2010年2月にあったハーグローヴの来日公演は見ていないが、その際はどうだったのだろう?
メイシー・グレイのバンドのドラマーはハンチング帽をかぶり、それを見ながら、やっぱハンチング=ダニー・ハサウェイと想起しちゃうナと思っていたが、ハーグローヴ・バンドのベース奏者もハンチングをかぶっていた。ながら、途中からは、それをウッド・ベースのネックの上端=糸巻きのところにお茶目にのせてずっと演奏。そういう、他愛ないことが、ぼくは好きだ。
<今週の絵>
画家のクラーク志織さんが、『7 人の音楽評論家の肖像展』という個展を先週末からやっている。場所は、神宮前のSaidera Paradiso bldg. 1F。来週月曜(土日はお休み)まで、昼間(~18:00)に開かれている。で、ぼくも7人のなかの一人なんだけど、一番描きやすかったのが高橋健太郎さんで、逆がぼくとか。ま、分かりにくいほうがいい。と、思う、オレ様なワタシであった。→
http://www.shioriclark.com/
イエローカード。エスペランサ
2011年2月17日 音楽 まず、代官山・リキッドルームで、再結成したマイアミ州拠点のエモなんてジャンル名で括られたりもするパンク・ポップの5人組を見る。その音楽性はぼくにとってはストライク外だが、メンバーにフィドル奏者がいること(残念ながら、多くの曲ではあまり音が聞こえず。聞こえるときは、笑えるほのかな異化作用を導く)やドラマー(力いっぱい、タイトなビートを供給)がブレイズ頭の非白人であることは興味をそそらせるネタとなっているか。とともに、この手のバンドは忠実と言う形容も用いたくなる熱心なファンを抱える傾向にあって、そうした観客のありかたにも触れたかった。
恵比寿・リキッドルーム。面々はちゃんと観客に向き合おうとし、終始働きかけつつ、ショウをすすめる。ぼくにとっては激しさや吹っ切れた情緒をそれに覚えることはないが、モッシュやダイブは頻繁に。そして、オーディエンスが皆で従順に拳を突き上げたり一緒にリフレインを歌う様は、ぼくが普段接するロック公演とは少し手触りを異にする。「フォー・ユー、アンド・ユア・ダィナイアル」という、3月に出す4年ぶりの新作収録曲も彼らはやった。曲はどれもコンパクトにまとまり、本編はほぼ1時間。ぼくは次もあるのでホっとしたが、ファンは短いと感じるのかな。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動し、1984年生まれの異能シンガー/ベーシスト(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日)の2年半ぶりの自己名義公演を見る。見事にフル・ハウス。3、4日前に発表されたグラミー賞で<ベスト・ニュー・スター>賞を獲得したばかりだが、それも集客には関係ありのよう。バークリー音楽大学在学中からエスペランサはジャズ界ではけっこう話題の存在で、彼女はすでに現在まで3作もアルバムを出している。なのに新人賞とは、グラミー賞っておっとりしているのだな。
昨年出た新作『チェンバー・ソサエティ・ミュージック』(テラーク)はそのアルバム・タイトルにあるように、室内楽的弦音をうまく私の奔放なヴォーカル表現と交錯させた意欲作だったが、チェロ、ヴァイオリン、ヴィオラ奏者を擁する今回の公演はもろにその行き方を開かれた場で出さんとする。エスペランサは歌とウッド・ベース、さらにピアノ(エスペランサの側近奏者のリオ・ジェノヴェーゼ。そういえば、男性は彼だけ。アルバムでピアソラ・ビヨンド的なタンゴもやっていたが、それはピアニカで伴奏。意外に合っていた)とドラム(仲のいいテリー・リン・キャリントン。2010年9月4日、他)とバック・コーラス担当者もつく。ちょい高尚な感じも抱えつつ、迷宮のなかをすいすいと動いて行くような独自表現を見事に再送出。全員でやったり、そのなかの選抜メンバーでやったり、エスペランサはベースを手にせず歌に専念したりとか、いろいろな設定でオルタナティヴな私を解き放っていた。しかし、彼女の歌うラインは本当に天衣無縫で難しいと思わずにはいられず。だが、それこそが、エスペランサ!
<今日のアフロ>
昨年9月の前回来日時はトレイドマークだったアフロ・ヘアーをやめていたエスペランサだったが、今回はめでたく“こんもりアフロ”が復活していた。可愛らしさは60%増し。小顔で痩身(さらにやせた? 腕なんてとても細く、よくなんなくコントラバスの弦を押えたり弾いたりしているなと、思わずにはいられません)で小柄な彼女なんだけど、なぜかとっても似合う。アフロ・ヘアーが似合うミュージシャンは? そう問われたら、まっさきに彼女の名前を挙げたくなるか。そんな彼女、ステージにソファーを置き、小さなテーブルにはワインのボトルを置き、グラスにあけてのんだりとか、ちょいシアトリカルな行き方を見せたりもしていた。いろいろ、考えているようです。話は飛ぶが、前回の来日時には取材をしたのだが,ホテルの取材部屋のドアを開けたとたん、彼女のしなやかな鼻歌が聞こえてきたっけ。それ、妖精のようと言いたくなるものであったし、そうした日常的所作が曲となり、肉付けされて、CDや実演で披露されているのだなと、痛感させられた。
恵比寿・リキッドルーム。面々はちゃんと観客に向き合おうとし、終始働きかけつつ、ショウをすすめる。ぼくにとっては激しさや吹っ切れた情緒をそれに覚えることはないが、モッシュやダイブは頻繁に。そして、オーディエンスが皆で従順に拳を突き上げたり一緒にリフレインを歌う様は、ぼくが普段接するロック公演とは少し手触りを異にする。「フォー・ユー、アンド・ユア・ダィナイアル」という、3月に出す4年ぶりの新作収録曲も彼らはやった。曲はどれもコンパクトにまとまり、本編はほぼ1時間。ぼくは次もあるのでホっとしたが、ファンは短いと感じるのかな。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動し、1984年生まれの異能シンガー/ベーシスト(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日)の2年半ぶりの自己名義公演を見る。見事にフル・ハウス。3、4日前に発表されたグラミー賞で<ベスト・ニュー・スター>賞を獲得したばかりだが、それも集客には関係ありのよう。バークリー音楽大学在学中からエスペランサはジャズ界ではけっこう話題の存在で、彼女はすでに現在まで3作もアルバムを出している。なのに新人賞とは、グラミー賞っておっとりしているのだな。
昨年出た新作『チェンバー・ソサエティ・ミュージック』(テラーク)はそのアルバム・タイトルにあるように、室内楽的弦音をうまく私の奔放なヴォーカル表現と交錯させた意欲作だったが、チェロ、ヴァイオリン、ヴィオラ奏者を擁する今回の公演はもろにその行き方を開かれた場で出さんとする。エスペランサは歌とウッド・ベース、さらにピアノ(エスペランサの側近奏者のリオ・ジェノヴェーゼ。そういえば、男性は彼だけ。アルバムでピアソラ・ビヨンド的なタンゴもやっていたが、それはピアニカで伴奏。意外に合っていた)とドラム(仲のいいテリー・リン・キャリントン。2010年9月4日、他)とバック・コーラス担当者もつく。ちょい高尚な感じも抱えつつ、迷宮のなかをすいすいと動いて行くような独自表現を見事に再送出。全員でやったり、そのなかの選抜メンバーでやったり、エスペランサはベースを手にせず歌に専念したりとか、いろいろな設定でオルタナティヴな私を解き放っていた。しかし、彼女の歌うラインは本当に天衣無縫で難しいと思わずにはいられず。だが、それこそが、エスペランサ!
<今日のアフロ>
昨年9月の前回来日時はトレイドマークだったアフロ・ヘアーをやめていたエスペランサだったが、今回はめでたく“こんもりアフロ”が復活していた。可愛らしさは60%増し。小顔で痩身(さらにやせた? 腕なんてとても細く、よくなんなくコントラバスの弦を押えたり弾いたりしているなと、思わずにはいられません)で小柄な彼女なんだけど、なぜかとっても似合う。アフロ・ヘアーが似合うミュージシャンは? そう問われたら、まっさきに彼女の名前を挙げたくなるか。そんな彼女、ステージにソファーを置き、小さなテーブルにはワインのボトルを置き、グラスにあけてのんだりとか、ちょいシアトリカルな行き方を見せたりもしていた。いろいろ、考えているようです。話は飛ぶが、前回の来日時には取材をしたのだが,ホテルの取材部屋のドアを開けたとたん、彼女のしなやかな鼻歌が聞こえてきたっけ。それ、妖精のようと言いたくなるものであったし、そうした日常的所作が曲となり、肉付けされて、CDや実演で披露されているのだなと、痛感させられた。
フォールズ、ホーリー・ファック
2011年2月15日 音楽 まず、前座でフォールズとは仲が良いらしい、カナダのトロントを拠点に置くホーリー・ファックがパフォーマンスをする。今、一緒にツアー中なのかな。すでにフォールズの機材が置いてあるためか、メンバーはステージ中央に固まって演奏。キーボードや機材を扱う2人(うち、一人は少しギターを持ったときも)とドラムとベースという編成。で、一丸で渦をまいていくような音を放出していく。がっかりするぐらいくだらないグループ名を持つ連中だが、その現代的にして、ロック的な刺も持つエレクトロ表現は魅力たっぷり。1曲、ROVO(2006年12月3日、他)みたいな曲も彼らはやった。マス・ロック的カタルシス/酔狂さも、彼らは持っているな。
そして、UK5人組のフォールズ。前回みたとき(2008年7月28日)に記したように、好みのバンド。サウンド作りの面白さは前のほうが新鮮に感じたが、歌度数というか、歌心の太さはずっと今回のほうが高かった。それゆえ、ポップ・ミュージックとしての剛性感は上がったとも思えたか。
会場は赤坂・ブリッツ。大きなバスドラ音は空気の塊となって、聞く者にぶつかる。ながら、歌声は当然のこと、各楽器音もきっちりと聞こえ、おおきく頷く。音響がいい会場なのか、エンジニアが優秀なのか。
<今日の手袋>
コートやマフラーは人よりたくさん持っていると思う。だけど、手袋は一つしか持っていないし、それも貰いものだ。ぼくは手袋を常用しないので、持つ必要がないんですワ。すれば、温かいとは思う。だけど、ちょっとした細かな作業をするときに外すのが面倒(←今は、パスモを使うので、そういう機会は減っているだろうけど)だし、なによりガサツなのですぐに落としたりしちゃうのが目に見えている。やっぱ、なくすとガッカリするだろうし。たまに、片方だけの落とされた手袋を駅構内で見かけたりする。で、ぼくみたいな人はそりゃいるだろうなーと頷きつつ、すこし胸が痛みます。
そして、UK5人組のフォールズ。前回みたとき(2008年7月28日)に記したように、好みのバンド。サウンド作りの面白さは前のほうが新鮮に感じたが、歌度数というか、歌心の太さはずっと今回のほうが高かった。それゆえ、ポップ・ミュージックとしての剛性感は上がったとも思えたか。
会場は赤坂・ブリッツ。大きなバスドラ音は空気の塊となって、聞く者にぶつかる。ながら、歌声は当然のこと、各楽器音もきっちりと聞こえ、おおきく頷く。音響がいい会場なのか、エンジニアが優秀なのか。
<今日の手袋>
コートやマフラーは人よりたくさん持っていると思う。だけど、手袋は一つしか持っていないし、それも貰いものだ。ぼくは手袋を常用しないので、持つ必要がないんですワ。すれば、温かいとは思う。だけど、ちょっとした細かな作業をするときに外すのが面倒(←今は、パスモを使うので、そういう機会は減っているだろうけど)だし、なによりガサツなのですぐに落としたりしちゃうのが目に見えている。やっぱ、なくすとガッカリするだろうし。たまに、片方だけの落とされた手袋を駅構内で見かけたりする。で、ぼくみたいな人はそりゃいるだろうなーと頷きつつ、すこし胸が痛みます。
アゴッシはベニンとフランスの血を引く、72年フランス生まれの女性シンガーだ。UK名ジャズ・プロデューサーのアラン・ベイツのキャンディド(往年の硬派ジャズ・レーベル。近年は、ジェイミー・カラムとかステイシー・ケントなどを最初に送り出したりも)から何作かアルバムを出していたが、新作は仏のナイーヴからのリリースとなっている。ま、ジャズ・シンガーという範疇に入るのかもしれないが、エスニック・ミュージックの要素もロック/ポップの要素も、またパリ的キャヴァレー・ミュージックの要素が出るときもあって、総体としては我が道を行くヒューマン・ミュージックというものをやっていると言いたくなるか。そして、そこからは、カミーユ(2008年10月3日)がそうであるように、フランス人ならではの自由主義/独創性が透けて見えたりもする。
飯田橋・日仏学院ラ・ブラスリー。奔放に、思うままに歌い、着地する。そのテクニッックや発想を支えるのはやはりジャズだが、そこから自分を中央において舞い上がろうとする様が感動的。自作曲もスタンダードも、ポップ系カヴァーもやったのかな。今回のバッキングはウッド・ベース奏者とドラマー。両者とも幅広い奏法を見せ、広がろうとするアゴッシを適切にサポート。ベース奏者は一部サンプラーを用いて、伴奏に多彩さを出していたか。ドラマーはもう何年も彼女とやっていて、そのアルバムにも参加している小野江一郎。かつては東京のジャズ・シーンで活動していたこともあったはずだが、今はパリに住んでいるらしい。ちょっと休憩時にお話したが、やはり人間的な感じの人。彼はアゴッシにふられて、ドラムを叩きながら日本語でスポークン・ワードを披露したりもした。
<今日のラ・ブラスリー>
日仏学院ではよくフランス関連アーティストの公演をやっているが、その際に会場となるのが、その名もラ・ブラスリーという名の、お洒落なお食事処。少し前に店内が改装され、ちゃんとステージが作られ、またトイレの位置が変えられたりと、より音楽公演をやるのに吉な建物となった。この日はヴァレンタイン・デイなため、きっちりコースの食事/飲み物つきでショウが持たれる。最初はシャンパン、魚介の皿までは白、それ以降は赤ワインと次々に飲み物もサーヴしてくれて、うれしい。
実演の途中にゆっくりと食事の時間が取られていたため、開演は19時半ながら、終わったのは22時半を回っていたか。確か午前中は晴天だったがいつのまにか雨天になり、18時頃には雪に変わり、終演するころにはけっこう雪がつもり……。ほんと帰り道は、別世界の感。
なお、3月20日に日仏学院では<フランコフォリー祭>と題して、ギニアの電気コラ・グループのバ・シソコ、女性フレンチ・ポップ歌手のコンスタンス・ヴェルカ、そしてチェコやスイスなどを拠点とする妄想サイバーエスノ集団であるDJオルガ&Dr.シュナプス ジプシー・サウンド・システムの3組が中庭で無料公演を行う。また、同19日には別枠で、ハッサン・クヤテというグリオとカリファ・ジョバルテというコラ奏者の無料公演もあるよう。
飯田橋・日仏学院ラ・ブラスリー。奔放に、思うままに歌い、着地する。そのテクニッックや発想を支えるのはやはりジャズだが、そこから自分を中央において舞い上がろうとする様が感動的。自作曲もスタンダードも、ポップ系カヴァーもやったのかな。今回のバッキングはウッド・ベース奏者とドラマー。両者とも幅広い奏法を見せ、広がろうとするアゴッシを適切にサポート。ベース奏者は一部サンプラーを用いて、伴奏に多彩さを出していたか。ドラマーはもう何年も彼女とやっていて、そのアルバムにも参加している小野江一郎。かつては東京のジャズ・シーンで活動していたこともあったはずだが、今はパリに住んでいるらしい。ちょっと休憩時にお話したが、やはり人間的な感じの人。彼はアゴッシにふられて、ドラムを叩きながら日本語でスポークン・ワードを披露したりもした。
<今日のラ・ブラスリー>
日仏学院ではよくフランス関連アーティストの公演をやっているが、その際に会場となるのが、その名もラ・ブラスリーという名の、お洒落なお食事処。少し前に店内が改装され、ちゃんとステージが作られ、またトイレの位置が変えられたりと、より音楽公演をやるのに吉な建物となった。この日はヴァレンタイン・デイなため、きっちりコースの食事/飲み物つきでショウが持たれる。最初はシャンパン、魚介の皿までは白、それ以降は赤ワインと次々に飲み物もサーヴしてくれて、うれしい。
実演の途中にゆっくりと食事の時間が取られていたため、開演は19時半ながら、終わったのは22時半を回っていたか。確か午前中は晴天だったがいつのまにか雨天になり、18時頃には雪に変わり、終演するころにはけっこう雪がつもり……。ほんと帰り道は、別世界の感。
なお、3月20日に日仏学院では<フランコフォリー祭>と題して、ギニアの電気コラ・グループのバ・シソコ、女性フレンチ・ポップ歌手のコンスタンス・ヴェルカ、そしてチェコやスイスなどを拠点とする妄想サイバーエスノ集団であるDJオルガ&Dr.シュナプス ジプシー・サウンド・システムの3組が中庭で無料公演を行う。また、同19日には別枠で、ハッサン・クヤテというグリオとカリファ・ジョバルテというコラ奏者の無料公演もあるよう。
YUKARIは、NYに11年間住んでいるジャズ・フルート奏者。先日、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」で、そのNYでの模様が紹介されたみたい。グレッグ・オズビーやジェイソン・モラン(2007年1月16日、17日、2008年4月6日)らに師事しているそうで、昨年出た新作『Dreams』(Inner Circle Music)にはオズビーのほか、ベン・モンダー(2005年7月5日)やグレゴリー・ハッチンソン(2010年9月5日、他)らを擁するギター付きピアノレス・カルテットでの録音作だが、それを聞いて、ぼくはなんとなくエリック・ドルフィーのフルート表現にある広がりを覚えてしまい(わあっ)……。まあ、イケてる表現者と思ったわけです。
新宿・ピットイン。ハクエイ・キム(ピアノ)、安田幸司(ベース)永山洋輔(ドラム)という東京在住の奏者たちからなるピアノ・トリオを率い、生理的に突っ張った表現を披露。自作曲を中心に、創意あるヴィジョンを物語る一筋縄ではいかない表現を、淡々と広げて行く。しかし、仕掛けと言うか、けっこう癖を持つ設定を、サイド・マンたちは違和感なくこなしていて偉い。ハクエイ・キムも、自分のバンドのとき(2010年11月26日)とは少し異なる散文的なソロを取ったりもする。ジャズだなあ。
クールという言葉も用いたくなるそのカルテット演奏は、ぼくにとってはとても気持ちいいが、聞き手によっては難解と感じるものかもしれない。デモ、私ハコレデ行ク……そうした、澄んだ心持ちとともに、彼女は毅然として自分で良しと思えるジャズをやっている。訥々としたMCを聞くと照れ屋なのかなとも思え、その落差がおもしろい。
<今日のセシル・マクビー>
地下鉄副都心線に乗ったら、中学生ぐらいの二人組がいて、うち一人がセシルマクビーのバッグをさげている。現在の同ブランドの主購買層? 本来、セシル・マクビーとは進歩派ジャズに関わってきているウッド・ベース奏者の名前だ。ウェイン・ショーター(2004年2月9日、他)、チャールズ・ロイド(2005年5月16日、2008年4月6日)、ウディ・ショウ他、確かな視点を持つ達人たちの表現をがっつり助けるとともに、インディア・ナヴィゲイションやエンヤ他からリーダー作を出している。ま、前向きなジャズが好きな人なら、頭を30度前傾したくなる秀でた奏者でありますね。そんな当人、あるとき自分の名前が日本でブランド名に使われていてビックリ、差し止めを日本の裁判所に訴えた。だけど、ジャズなんてマイナーことやっているくせに何大物ぶったこと言ってるのという感じで、日本の裁判所はそれを棄却したはず。くぅっ。でも、外国で<サトーエイスケ>というブランドが展開されていたら……、驚くよなあ。
新宿・ピットイン。ハクエイ・キム(ピアノ)、安田幸司(ベース)永山洋輔(ドラム)という東京在住の奏者たちからなるピアノ・トリオを率い、生理的に突っ張った表現を披露。自作曲を中心に、創意あるヴィジョンを物語る一筋縄ではいかない表現を、淡々と広げて行く。しかし、仕掛けと言うか、けっこう癖を持つ設定を、サイド・マンたちは違和感なくこなしていて偉い。ハクエイ・キムも、自分のバンドのとき(2010年11月26日)とは少し異なる散文的なソロを取ったりもする。ジャズだなあ。
クールという言葉も用いたくなるそのカルテット演奏は、ぼくにとってはとても気持ちいいが、聞き手によっては難解と感じるものかもしれない。デモ、私ハコレデ行ク……そうした、澄んだ心持ちとともに、彼女は毅然として自分で良しと思えるジャズをやっている。訥々としたMCを聞くと照れ屋なのかなとも思え、その落差がおもしろい。
<今日のセシル・マクビー>
地下鉄副都心線に乗ったら、中学生ぐらいの二人組がいて、うち一人がセシルマクビーのバッグをさげている。現在の同ブランドの主購買層? 本来、セシル・マクビーとは進歩派ジャズに関わってきているウッド・ベース奏者の名前だ。ウェイン・ショーター(2004年2月9日、他)、チャールズ・ロイド(2005年5月16日、2008年4月6日)、ウディ・ショウ他、確かな視点を持つ達人たちの表現をがっつり助けるとともに、インディア・ナヴィゲイションやエンヤ他からリーダー作を出している。ま、前向きなジャズが好きな人なら、頭を30度前傾したくなる秀でた奏者でありますね。そんな当人、あるとき自分の名前が日本でブランド名に使われていてビックリ、差し止めを日本の裁判所に訴えた。だけど、ジャズなんてマイナーことやっているくせに何大物ぶったこと言ってるのという感じで、日本の裁判所はそれを棄却したはず。くぅっ。でも、外国で<サトーエイスケ>というブランドが展開されていたら……、驚くよなあ。
まず、ブラジル音楽を紹介する長寿FM番組が主催する、ブラジル音楽と繋がった日本人アクトが次々出るイヴェントに行く。麻布十番・WAREHOUSE702。悪天候にもかかわらず盛況、女子率がけっこう高いと感じた。1番目に出てきたのは、カンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日)。相変わらず華と勢いのあるショウを繰り広げる。今回聞いててなるほどと思ったのは、サンバを根っ子に置きつつ、本当にいろんなポップ・ミュージックを好奇心旺盛に取り入れている、ということ。メンバー紹介の際のベースのリフはキング・カーティス&ザ・キング・ピンズの「メンフィス・ソウル・シチュー」。そんな彼らだからこそ、両手を広げた眩しいほどの娯楽性や親しみ易さが出てくると言ってもいいだろう。
その次に、お揃いの衣装を来たパーカッション奏者がフロアに大勢登場、バイーア系の黒っぽい集団表現を送り出すBarraventoの演奏。ステージ上には怒濤の打楽器音群にグイ乗りして歌うシンガーや合わせて踊るヒップ・ダンサーたちも出てくる。男性シンガーは良く通る声の持ち主で存在感あり。その後は、ステージ上にパーカッション奏者やブラス奏者を擁する大所帯バンドのmocidade vagabunda bateria nota 1000が出てくる。リード歌手は男性で、やはりサンバをベースにファンク他のポップ語彙を重ねた躍動表現を展開。以上の3グループはともに男女混合で、和気あいあい。それがいいなあ。それにしても、いったい彼らを合計すると何人になるのだろう? この後、締めでSaigenji(2009年8月9日、他)が出てきたはずだが、次の場に移動する。
赤坂・ブリッツ。出演者のmoe.は、米国では人気ジャム・バンドとしてならすイースト・コーストの20年選手バンド。90年代からいろんな人を呼んだ自前フェスを本国でやるなど、顔役的な位置を得ている彼らだが、なるほど広いステージに散る彼らは堂々、貫禄(と書くと、ちょい違うかもしれないにが)あるなあ。年季を感じました。2人のギター奏者とベーシストが前に位置し、ヴォーカルも取り、ステージ後方にはドラマーと打楽器奏者(ときにギターやマリンバも)が。さすが日々の実演で積み上げたメンバー間の噛み合いは良好、5人はそれぞれのソロ・パートをたっぷりとる長尺の曲を悠々と披露する。ながら、構成にも凝り、いい案配でヴォーカル/コーラス・パートも出てくるので、山あり谷ありという感じだな。やはり、米国ギター・ロックらしい大陸的な広がりがあって、そこがポイントになるか。2部制で、1部は1時間ちょい。それが終わった時点で次の会場に移動したが、9時までやったはず。
そして、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。こちらのアクトはシャラマーを経て、87年からソロで活動しているジョディ・ワトリー。ここのところ、毎年きているような印象があるが、今回やっと見る。10年前ぐらいに電話インタヴューやったら、とても風通しの良いポジティヴィティの持ち主で感心し、ずっと一度は見たいと思っていたものの、過去の来日時は都合がつきにくかった。うれしい。
開演前から、バンドのDJが回していて、いい感じ。サポート布陣は映像オペレイションも担うDJ、キーボード、ドラム、パーカッション。ちょいクラブ目のサウンドのもと声を泳がせるみたいな作りのアルバムを出しているので、その編成はよく判る。で、出てきたワトリーはすでに50歳を超えている(1959年生まれ)が、綺麗で若く見える。体型は昔から見れば太めになったが、上手く身体の線が隠れる衣服をきているので、そんなに気にならない。で、歌いだすと、思った以上にちゃんと歌える。キーの低い曲の場合は少し頼りなくなる場合もあるが、キーを適正なものにそろえていないのは、幅の広い曲趣を聞き手に出したいという、まっとうなプロ意識だろう。また、激しいダンスはしないが、さすが元々は「ソウル・トレイン」のダンサー出身だけに、手の動かし方やちょっとしたキメがかなり決まり、スタイリッシュ。曲によっては若い男性ダンサー2人が出てきたりもしたが、その絡みもアトラクティヴ。ようは、ダンス・フロア派生の同時代ソウルをきっちり提供しているナと大きく頷く。
よく練り上げられたショウをすすめるなか、振る舞い/ステージ・マナーもとても好印象。簡単に書けば、ココロがあった。変則編成のサウンドも良質、打楽器がすげえ利いているナと思ったら、先日はファミリー・バンドで来日していたホアン・エスコヴェード(2011年1月19日)だった。なんかコットンクラブに着いたときはずっと立ちっぱなしが続いていたためけっこう疲れてもいたのだが、見に来て良かったァと感じることしきり。
<今日は降雪>
おお、雪の日。けっこう、ごんごん降った。普段は履かない、ヘヴィー・デューティな靴を履いて出かける。まず、午後2時半からソニーミュージックの乃木坂ビルで、G・ラヴ(2008年10月9日、他)にインタヴュー。それだけだったら、車で出かけるところだが、そのあとライヴ(=飲まずにはいられませんね)を3つハシゴしようかと思っていたので、電車を使う。かなりG好きの私ではあるが、彼をインタヴューしたのは16年前に一度だけ。9月上旬、NYの変なビルの屋上でやった。Gがそのときのことを覚えていて、びっくり。ボストン在住なので、今日みたいな日は慣れていると言っていた。その新作は、カントリー色も強いフォーク・ロックの担い手ジ・アヴェット・ブラザーズと四つに組んでのもの。Gの音楽とバンジョーの音がこんなにも合うとは……。同作での2曲のデルタ・ブルースのカヴァーは、全盛期のストーンズがさもありなんと思えるほどに秀逸。それを、伝えると、Gはとてもうれしそう。そして、その後に、15時半麻布十番、18時赤坂、20時丸の内と次々と移動。タクシー拾いにくくて、困った。しかし、本日の3つの会場、見事に客層が違っていたな。
その次に、お揃いの衣装を来たパーカッション奏者がフロアに大勢登場、バイーア系の黒っぽい集団表現を送り出すBarraventoの演奏。ステージ上には怒濤の打楽器音群にグイ乗りして歌うシンガーや合わせて踊るヒップ・ダンサーたちも出てくる。男性シンガーは良く通る声の持ち主で存在感あり。その後は、ステージ上にパーカッション奏者やブラス奏者を擁する大所帯バンドのmocidade vagabunda bateria nota 1000が出てくる。リード歌手は男性で、やはりサンバをベースにファンク他のポップ語彙を重ねた躍動表現を展開。以上の3グループはともに男女混合で、和気あいあい。それがいいなあ。それにしても、いったい彼らを合計すると何人になるのだろう? この後、締めでSaigenji(2009年8月9日、他)が出てきたはずだが、次の場に移動する。
赤坂・ブリッツ。出演者のmoe.は、米国では人気ジャム・バンドとしてならすイースト・コーストの20年選手バンド。90年代からいろんな人を呼んだ自前フェスを本国でやるなど、顔役的な位置を得ている彼らだが、なるほど広いステージに散る彼らは堂々、貫禄(と書くと、ちょい違うかもしれないにが)あるなあ。年季を感じました。2人のギター奏者とベーシストが前に位置し、ヴォーカルも取り、ステージ後方にはドラマーと打楽器奏者(ときにギターやマリンバも)が。さすが日々の実演で積み上げたメンバー間の噛み合いは良好、5人はそれぞれのソロ・パートをたっぷりとる長尺の曲を悠々と披露する。ながら、構成にも凝り、いい案配でヴォーカル/コーラス・パートも出てくるので、山あり谷ありという感じだな。やはり、米国ギター・ロックらしい大陸的な広がりがあって、そこがポイントになるか。2部制で、1部は1時間ちょい。それが終わった時点で次の会場に移動したが、9時までやったはず。
そして、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。こちらのアクトはシャラマーを経て、87年からソロで活動しているジョディ・ワトリー。ここのところ、毎年きているような印象があるが、今回やっと見る。10年前ぐらいに電話インタヴューやったら、とても風通しの良いポジティヴィティの持ち主で感心し、ずっと一度は見たいと思っていたものの、過去の来日時は都合がつきにくかった。うれしい。
開演前から、バンドのDJが回していて、いい感じ。サポート布陣は映像オペレイションも担うDJ、キーボード、ドラム、パーカッション。ちょいクラブ目のサウンドのもと声を泳がせるみたいな作りのアルバムを出しているので、その編成はよく判る。で、出てきたワトリーはすでに50歳を超えている(1959年生まれ)が、綺麗で若く見える。体型は昔から見れば太めになったが、上手く身体の線が隠れる衣服をきているので、そんなに気にならない。で、歌いだすと、思った以上にちゃんと歌える。キーの低い曲の場合は少し頼りなくなる場合もあるが、キーを適正なものにそろえていないのは、幅の広い曲趣を聞き手に出したいという、まっとうなプロ意識だろう。また、激しいダンスはしないが、さすが元々は「ソウル・トレイン」のダンサー出身だけに、手の動かし方やちょっとしたキメがかなり決まり、スタイリッシュ。曲によっては若い男性ダンサー2人が出てきたりもしたが、その絡みもアトラクティヴ。ようは、ダンス・フロア派生の同時代ソウルをきっちり提供しているナと大きく頷く。
よく練り上げられたショウをすすめるなか、振る舞い/ステージ・マナーもとても好印象。簡単に書けば、ココロがあった。変則編成のサウンドも良質、打楽器がすげえ利いているナと思ったら、先日はファミリー・バンドで来日していたホアン・エスコヴェード(2011年1月19日)だった。なんかコットンクラブに着いたときはずっと立ちっぱなしが続いていたためけっこう疲れてもいたのだが、見に来て良かったァと感じることしきり。
<今日は降雪>
おお、雪の日。けっこう、ごんごん降った。普段は履かない、ヘヴィー・デューティな靴を履いて出かける。まず、午後2時半からソニーミュージックの乃木坂ビルで、G・ラヴ(2008年10月9日、他)にインタヴュー。それだけだったら、車で出かけるところだが、そのあとライヴ(=飲まずにはいられませんね)を3つハシゴしようかと思っていたので、電車を使う。かなりG好きの私ではあるが、彼をインタヴューしたのは16年前に一度だけ。9月上旬、NYの変なビルの屋上でやった。Gがそのときのことを覚えていて、びっくり。ボストン在住なので、今日みたいな日は慣れていると言っていた。その新作は、カントリー色も強いフォーク・ロックの担い手ジ・アヴェット・ブラザーズと四つに組んでのもの。Gの音楽とバンジョーの音がこんなにも合うとは……。同作での2曲のデルタ・ブルースのカヴァーは、全盛期のストーンズがさもありなんと思えるほどに秀逸。それを、伝えると、Gはとてもうれしそう。そして、その後に、15時半麻布十番、18時赤坂、20時丸の内と次々と移動。タクシー拾いにくくて、困った。しかし、本日の3つの会場、見事に客層が違っていたな。
守屋純子オーケストラ。アンジー・ストーン
2011年2月10日 音楽 大手町・日経ホール。物凄く久しぶりに行ったが、立て直されていたんだあ。出演者は、コンボからオーケストラまでいろんなスタイルで才をアピールしているジャズ・ピアニストである守屋純子ひきいるオーケストラ。トランペット4人、トロンボーン2人、サックス5人、そして縦ベースとドラムと打楽器。オーケストラ構成員はほとんどが日本人のトップ・ジャズ・マン。トロンボーン・セクションの女性奏者一人を除いては、全員にソロ・パートをバランスよくふっていた。打楽器は岡部洋一(2010年12月28日、他)で、MCによれば、彼をオーケストラに迎えるのは念願で、彼が入る事でアレンジを書き直したものがあったよう。とともに、今回が初披露となった曲/編曲も少なくなかったようだ。
2部構成にて。守屋はオリジナル曲をやることに力を入れている人ではあるものの、今回はエリントン他の有名ジャズ曲を取り上げるというお題目が流されていた。やはりジャズ有名曲をやったほうが集客には繋がるはずで、それなりの大きなホールで大々的に公演を持つにはそれも致し方ないんだろうけど、本当は全編自作曲で勝負したいと推測され少しかわいそうだなと、ぼくは行く前に勝手に思っていたのだが。……そしたら、したたかな人。「イン・ザ・ムード」とか「スウィングしなけりゃ意味がない」などの有名他人曲は1部のほうにかため、結局比率的にはオリジナルの方が多かった。しかも、先の定番曲にしても、手あかにまみれた曲を私ならこうするという意思を持つものでアハハ。従来の有名曲ノリを求めるコンサバな聞き手には、ビミョーに居心地悪いなと思わせるものだったかもしれないが。
ぼくが一番気に入った曲は、昨年11月に亡くなったフランスの友人のために書いたというしっとり曲。美曲であり、美編曲がなされていたが、軽いボサ(ノヴァ)調ビートを採用し、岡部にパンデイロなどブラジル系打楽器を叩かせるあたり、ツっぱりと表裏一体の才気を感じさせられたかも。あと、そんなに無駄にソロを取らせず、コンパクトに曲をまとめていたのも、見識を示していたと思う。そんなショウに触れつつ、アンサンブルだけで勝負するジャズ・ビッグ・バンド表現は出てこないかとも、ぼくはふと思う。アンサンブル・パートとソロ・パートの効果的な噛み合いはビッグ・バンド表現の肝だとは思うが、大々的なソロのパートはなしにし、スリリングかつ豊穣なアンサンブルだけでジャズの醍醐味を露にするような包括的表現にぼくは触れたい。
そして、六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)。こちらは、キャリア豊かな自立系R&B歌手(2005月3月22日、2007年7月18日)の出演、バッキングは2人の女性コーラス、ギター、キーボード、ベース、ドラムという布陣。アルバムだとDJ的編集感覚も持つ作りを彼女はとるが、ライヴ・パフォーマンスは年齢相応(50歳ぐらい)のオールド・スクールというか、実直生音サウンドのもと喉自慢のワタシをのせるという、奇をてらわないノリを持つもの。どこか歌の持ち味にチャカ・カーン(2008年6月5日、他)を思い出させるところがあると、彼女に感じたのは、ぼくの場合は今回が初めてか。それもうれしい。とともに、チャカねえさんの影響力の大きさを再確認させられる思いも改めて得る。
アンコールの最後は01年作『マホガニー・ソウル』(J)に収録されていたオージェイズの「裏切り者のテーマ」を大胆サンプリングし別歌にした「ウィッシュ・アイ・ディドント・ミス・ユー」。それを全面人力サウンドにて、見事に披露。その曲で、ぼくは昔聞いて苦手感を持ったオージェイズ曲の魅力を再発見しました。その曲が終わりアンジーやコーラスが去った後、残った演奏陣は肩を組んで挨拶。そこまで、うれしそうにふるまうバンド・メンバーたちも珍しい。それもまた、心温む光景でした。
<今日の朝刊>
起床しぽわ〜んと新聞をめくっていたら、中央部の見開きカラー広告にブっとぶ。なんと、西海岸ヴェテラン・ロック・バンドのイーグルスの3月上旬来日公演(東京ドーム2日間)の告知ではないか。うぬ、あまりに立派。不況の洋楽界にあって、これはすごい。他の業種でも、ここのところの新聞で見開き広告なんて1色印刷ものでも、あまり記憶にないが(……意識しないだけかな?)。しかも、外様の、ジョー・ウォルシュが一番偉そうに映っている(笑い)。今、イーグルスは4人組という名目なのか。そのウォルッシュをイーグルスに誘ったはずのドン・フェルダーはどこに行った?
2部構成にて。守屋はオリジナル曲をやることに力を入れている人ではあるものの、今回はエリントン他の有名ジャズ曲を取り上げるというお題目が流されていた。やはりジャズ有名曲をやったほうが集客には繋がるはずで、それなりの大きなホールで大々的に公演を持つにはそれも致し方ないんだろうけど、本当は全編自作曲で勝負したいと推測され少しかわいそうだなと、ぼくは行く前に勝手に思っていたのだが。……そしたら、したたかな人。「イン・ザ・ムード」とか「スウィングしなけりゃ意味がない」などの有名他人曲は1部のほうにかため、結局比率的にはオリジナルの方が多かった。しかも、先の定番曲にしても、手あかにまみれた曲を私ならこうするという意思を持つものでアハハ。従来の有名曲ノリを求めるコンサバな聞き手には、ビミョーに居心地悪いなと思わせるものだったかもしれないが。
ぼくが一番気に入った曲は、昨年11月に亡くなったフランスの友人のために書いたというしっとり曲。美曲であり、美編曲がなされていたが、軽いボサ(ノヴァ)調ビートを採用し、岡部にパンデイロなどブラジル系打楽器を叩かせるあたり、ツっぱりと表裏一体の才気を感じさせられたかも。あと、そんなに無駄にソロを取らせず、コンパクトに曲をまとめていたのも、見識を示していたと思う。そんなショウに触れつつ、アンサンブルだけで勝負するジャズ・ビッグ・バンド表現は出てこないかとも、ぼくはふと思う。アンサンブル・パートとソロ・パートの効果的な噛み合いはビッグ・バンド表現の肝だとは思うが、大々的なソロのパートはなしにし、スリリングかつ豊穣なアンサンブルだけでジャズの醍醐味を露にするような包括的表現にぼくは触れたい。
そして、六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)。こちらは、キャリア豊かな自立系R&B歌手(2005月3月22日、2007年7月18日)の出演、バッキングは2人の女性コーラス、ギター、キーボード、ベース、ドラムという布陣。アルバムだとDJ的編集感覚も持つ作りを彼女はとるが、ライヴ・パフォーマンスは年齢相応(50歳ぐらい)のオールド・スクールというか、実直生音サウンドのもと喉自慢のワタシをのせるという、奇をてらわないノリを持つもの。どこか歌の持ち味にチャカ・カーン(2008年6月5日、他)を思い出させるところがあると、彼女に感じたのは、ぼくの場合は今回が初めてか。それもうれしい。とともに、チャカねえさんの影響力の大きさを再確認させられる思いも改めて得る。
アンコールの最後は01年作『マホガニー・ソウル』(J)に収録されていたオージェイズの「裏切り者のテーマ」を大胆サンプリングし別歌にした「ウィッシュ・アイ・ディドント・ミス・ユー」。それを全面人力サウンドにて、見事に披露。その曲で、ぼくは昔聞いて苦手感を持ったオージェイズ曲の魅力を再発見しました。その曲が終わりアンジーやコーラスが去った後、残った演奏陣は肩を組んで挨拶。そこまで、うれしそうにふるまうバンド・メンバーたちも珍しい。それもまた、心温む光景でした。
<今日の朝刊>
起床しぽわ〜んと新聞をめくっていたら、中央部の見開きカラー広告にブっとぶ。なんと、西海岸ヴェテラン・ロック・バンドのイーグルスの3月上旬来日公演(東京ドーム2日間)の告知ではないか。うぬ、あまりに立派。不況の洋楽界にあって、これはすごい。他の業種でも、ここのところの新聞で見開き広告なんて1色印刷ものでも、あまり記憶にないが(……意識しないだけかな?)。しかも、外様の、ジョー・ウォルシュが一番偉そうに映っている(笑い)。今、イーグルスは4人組という名目なのか。そのウォルッシュをイーグルスに誘ったはずのドン・フェルダーはどこに行った?
イースト・ブロードウェイ
2011年2月5日 音楽 ギタリストのマイケル・サイモンとキーボードやリズム音などを引き受ける沖啓介、25年前にNYで出会った米国人と日本人が、東京でしばらくぶりに会って組みはじめたインプロ・ユニットがイースト・ブロードウェイ。その単位に米国人と日本人の両親を持つ、チェリストのクリストファー・ギブソンが加わる。渋谷・Li-Po。
多少は準備/お膳立てがあっての、三者の自由な対話。新鮮な心持ちのもと、楽しんでやっているのが判るのが、いいな。なるほど、ギターを聞けばデレク・ベイリーなどの“王道”をちゃんと通っているのが判るが、オーネット・コールマンのプライムタイムのギタリストのバーン・ニックスは知り合いだったと、前に話したときにマイケルは言っていたっけか。当人達はノイズという説明も加えているようだが、ちゃんとストーリーがある狼藉なので、ぼくには生理的に濁りのないものに聞こえる。だからこそ、エフェクター効果が低いアコースティック・ギターを手にした際に、なんか詩的な広がりを感じ、いいなと感じたのだと思う。
目茶イケ面のギブソンはイエール大学の大学院生だそうで、クラシックはちゃんと通っているものの、即興ものをやっては間がないとか。だが、どこを弾けばどの音が出るか完璧に会得しており、感性がいいんだろう、かなり堂にいっている。なんかロフト・ジャズ界の敏腕チェロ奏者、アブドゥル・ワダッド(ワドゥードと読むのかもしれない。息子はラヒーム・デヴォーン。2007年6月17日)もさもありなんという音も、彼は出していたからな。
あと、ほほうと頷き、書き留めておきたいなあと思ったのは、場のヴァイブ。客は女性が多いためもあり、とっても和やか。そして、初めてこの手の演奏に触れる人もいたようで、一切の先入観なしで音を受け止めますという、ニュートラルなノリがあったような。店自体ももともと明るい、開放的な感覚を持っている場所だし、それもプラスに働いているのかもしれない。フリー・インプロヴァイズド系が持つマニアックだったり、先鋭的なのが転じての刺っぽい空気感が皆無。こんな温かナチュラルな情緒が流れる中で、あっち側に行こうとする音に触れるというのもオツなもんではないか。
そんな3人は、3月14日には西麻布・新世界で演奏。対バンは、田村夏樹+藤井郷子(2010年12月13日、他)と岡部洋一(2010年12月28日、他)のトリオだそう。
<昨日の暖房機>
「なんか、エアコンの室外機の音が大きくて、夜つかうのに気がねしちゃうんですよ」。飲んでいて、そう発言の者あり。それを発端に話は進み、室外機を室内に置いたらどーなるかという話題に突入する。おそらく、室内に置いても、使えなくはないのではないか。夏にモワっとした熱風が室外機から排出されるように、暖房の冬場は逆に冷たい空気が出るかもしれないが、室内が温まればあったかくなるようになるだろうし、電気代節約にもなるんじゃねえのと、盛り上がる。で、今から行って、皆で移設してあげるよと、無謀な結論に落ち着く。学生の時に、エアコン設置のアルバイトしてましたという奴もいたし。「いや、電気ヒーター買いますから、買わせてください」と、当の発言者は泪目なり。飲んでる時は楽しく話が進んだのだが、文字に直すとあんまし面白くないな、、、。
多少は準備/お膳立てがあっての、三者の自由な対話。新鮮な心持ちのもと、楽しんでやっているのが判るのが、いいな。なるほど、ギターを聞けばデレク・ベイリーなどの“王道”をちゃんと通っているのが判るが、オーネット・コールマンのプライムタイムのギタリストのバーン・ニックスは知り合いだったと、前に話したときにマイケルは言っていたっけか。当人達はノイズという説明も加えているようだが、ちゃんとストーリーがある狼藉なので、ぼくには生理的に濁りのないものに聞こえる。だからこそ、エフェクター効果が低いアコースティック・ギターを手にした際に、なんか詩的な広がりを感じ、いいなと感じたのだと思う。
目茶イケ面のギブソンはイエール大学の大学院生だそうで、クラシックはちゃんと通っているものの、即興ものをやっては間がないとか。だが、どこを弾けばどの音が出るか完璧に会得しており、感性がいいんだろう、かなり堂にいっている。なんかロフト・ジャズ界の敏腕チェロ奏者、アブドゥル・ワダッド(ワドゥードと読むのかもしれない。息子はラヒーム・デヴォーン。2007年6月17日)もさもありなんという音も、彼は出していたからな。
あと、ほほうと頷き、書き留めておきたいなあと思ったのは、場のヴァイブ。客は女性が多いためもあり、とっても和やか。そして、初めてこの手の演奏に触れる人もいたようで、一切の先入観なしで音を受け止めますという、ニュートラルなノリがあったような。店自体ももともと明るい、開放的な感覚を持っている場所だし、それもプラスに働いているのかもしれない。フリー・インプロヴァイズド系が持つマニアックだったり、先鋭的なのが転じての刺っぽい空気感が皆無。こんな温かナチュラルな情緒が流れる中で、あっち側に行こうとする音に触れるというのもオツなもんではないか。
そんな3人は、3月14日には西麻布・新世界で演奏。対バンは、田村夏樹+藤井郷子(2010年12月13日、他)と岡部洋一(2010年12月28日、他)のトリオだそう。
<昨日の暖房機>
「なんか、エアコンの室外機の音が大きくて、夜つかうのに気がねしちゃうんですよ」。飲んでいて、そう発言の者あり。それを発端に話は進み、室外機を室内に置いたらどーなるかという話題に突入する。おそらく、室内に置いても、使えなくはないのではないか。夏にモワっとした熱風が室外機から排出されるように、暖房の冬場は逆に冷たい空気が出るかもしれないが、室内が温まればあったかくなるようになるだろうし、電気代節約にもなるんじゃねえのと、盛り上がる。で、今から行って、皆で移設してあげるよと、無謀な結論に落ち着く。学生の時に、エアコン設置のアルバイトしてましたという奴もいたし。「いや、電気ヒーター買いますから、買わせてください」と、当の発言者は泪目なり。飲んでる時は楽しく話が進んだのだが、文字に直すとあんまし面白くないな、、、。
レイクサイド。ケイコ・リー
2011年1月31日 音楽 シングル・ヒットは79年から83年の間に集中している、オハイオ州出身の9人組セルフ・コンテインド・バンド。3年ぶりの来日となる。面々は黒のキャップ、シャツ、パンツで、カジュアルに身を固める。おや、前回みたと見たとき(2007年5月16日)より、少しルックスが若くなっているような。
ちゃんとチェックしていないが、前回と顔ぶれは変わっていないんじゃないだろうか。リード歌手のマーク・ウッズが中央に位置し、その両側にはヴォーカル補佐担当。その3人はとくに前半部、一緒にいろいろと動いて、客を湧かせる。そして、演奏陣は6人。おもしろいのは、打楽器もときに担当する鍵盤ベーシストと普通のベーシストがそれぞれいること。それもまた、バンドの“腰”を出す? ギタリストのスティーヴン・ショックリーは背中にかけた装置でギター信号を飛ばす。ようはコードレスなので、弾きながら、自在に客席におりていけますね。まあ、常軌を逸した長さのコードを使い、演奏中に会場の後まで行って演奏することを是としたアルバート・コリンズのようなブルース・ギタリストもいたけど。いろいろ見せ場ありの、ばっちり楽しめるファンキー・ショウ。ヒット曲の一つ、ザ・ビートルズの「抱きしめたい」のカヴァーもこってり決まる。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
その後は、ジャズ歌手のケイコ・リー(1999年8月29日。読み返すと、あの頃はブルーノートは禁煙じゃなかったんだな)を、南青山・ブルーノート東京で聞く。もともと声とフィーリングが飛び抜けている人だが、本当に力を抜いて素直に(崩さず)歌うようになっており、ちょっとした歌の隙間のようなところから、自分のジャズ観をおおいに出そうとしているのが、ここのところの彼女のポイントだ。昨年出た新作『Smooth』(ソニー)もその線で、行っていますね。
リーは最初、かなり背中の出た妖艶なドレスで登場。中盤で一度ステージを降りて、黒のパンツ・スーツに着替えて、また出てくる。抑えて歌い、そこから香り立つ味で勝負という行き方は、ここでも存分になされる。MJ曲(「ヒューマン・ネイチャー」)、イヴァン・リンス曲(「ヴェラス」)、バカラック曲(「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」、クイーン曲(「ウィ・ウィル・ロック・ユー」。かつて、彼女の静謐ヴァージョンがタイアのTV-CFに使われたことあり)、ストーンズもライヴでやっていたスタンダード曲(「ニアレス・オブ・ユー」や同じくマリン・ガールズ(トレイシー・ソーン)が取り上げてもいたスタンダード(「フィーヴァー」)など、メロディアスな曲を主体に取り上げていたこともあり、彼女の歌は聞き手に優しく入り、余韻を残すものではなかったか。聞いていて、気持ちのいい癒し味があるなあとも、ぼくには思えた。伴奏は、実はリチャード・ティーのような弾き方をさせたら日本人で一番上手い野力奏一(キーボード、ピアノ)、そして岡沢章(電気ベース)渡嘉敷祐一(ドラム)という、ずっとやっているヴェテランたち。ただ、今の行き方なら、ギターでもキーボードでもサックスでもいいが、もう一つは楽器音がほしいとも思えた。それから、野力にはもう少しピアノを弾いてほしかった。というか、キーボードの音色がぼくの好みと合わなくて辛かった。なかには、リーがピアノを弾きながら歌う曲もありました。
<今日の神楽坂>
二つライヴを見た後に、ぴゅうっと神楽坂に行っちゃう。むかし渋谷のミリバールで働いていたタイチくんが銀座のお店を経て、新たに出したお店“MANVAR”(マンワール)に、いろいろ知り合いが集まっているというので。おお、神楽坂のタイル地の小道を歩くなんて何時以来だろう。遅く行ったためワインを飲むだけで食べてはいないが、地中海バルを名乗り、シェフが二人もいる。今、一番忙しい時期だろうに、某誌の編集長もいて、びっくり。その後、さらに飲みたくて、渋谷で途中下車。そしたら、え〜ん。ぼくの人生、まだまだいろいろありそう。
ちゃんとチェックしていないが、前回と顔ぶれは変わっていないんじゃないだろうか。リード歌手のマーク・ウッズが中央に位置し、その両側にはヴォーカル補佐担当。その3人はとくに前半部、一緒にいろいろと動いて、客を湧かせる。そして、演奏陣は6人。おもしろいのは、打楽器もときに担当する鍵盤ベーシストと普通のベーシストがそれぞれいること。それもまた、バンドの“腰”を出す? ギタリストのスティーヴン・ショックリーは背中にかけた装置でギター信号を飛ばす。ようはコードレスなので、弾きながら、自在に客席におりていけますね。まあ、常軌を逸した長さのコードを使い、演奏中に会場の後まで行って演奏することを是としたアルバート・コリンズのようなブルース・ギタリストもいたけど。いろいろ見せ場ありの、ばっちり楽しめるファンキー・ショウ。ヒット曲の一つ、ザ・ビートルズの「抱きしめたい」のカヴァーもこってり決まる。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
その後は、ジャズ歌手のケイコ・リー(1999年8月29日。読み返すと、あの頃はブルーノートは禁煙じゃなかったんだな)を、南青山・ブルーノート東京で聞く。もともと声とフィーリングが飛び抜けている人だが、本当に力を抜いて素直に(崩さず)歌うようになっており、ちょっとした歌の隙間のようなところから、自分のジャズ観をおおいに出そうとしているのが、ここのところの彼女のポイントだ。昨年出た新作『Smooth』(ソニー)もその線で、行っていますね。
リーは最初、かなり背中の出た妖艶なドレスで登場。中盤で一度ステージを降りて、黒のパンツ・スーツに着替えて、また出てくる。抑えて歌い、そこから香り立つ味で勝負という行き方は、ここでも存分になされる。MJ曲(「ヒューマン・ネイチャー」)、イヴァン・リンス曲(「ヴェラス」)、バカラック曲(「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」、クイーン曲(「ウィ・ウィル・ロック・ユー」。かつて、彼女の静謐ヴァージョンがタイアのTV-CFに使われたことあり)、ストーンズもライヴでやっていたスタンダード曲(「ニアレス・オブ・ユー」や同じくマリン・ガールズ(トレイシー・ソーン)が取り上げてもいたスタンダード(「フィーヴァー」)など、メロディアスな曲を主体に取り上げていたこともあり、彼女の歌は聞き手に優しく入り、余韻を残すものではなかったか。聞いていて、気持ちのいい癒し味があるなあとも、ぼくには思えた。伴奏は、実はリチャード・ティーのような弾き方をさせたら日本人で一番上手い野力奏一(キーボード、ピアノ)、そして岡沢章(電気ベース)渡嘉敷祐一(ドラム)という、ずっとやっているヴェテランたち。ただ、今の行き方なら、ギターでもキーボードでもサックスでもいいが、もう一つは楽器音がほしいとも思えた。それから、野力にはもう少しピアノを弾いてほしかった。というか、キーボードの音色がぼくの好みと合わなくて辛かった。なかには、リーがピアノを弾きながら歌う曲もありました。
<今日の神楽坂>
二つライヴを見た後に、ぴゅうっと神楽坂に行っちゃう。むかし渋谷のミリバールで働いていたタイチくんが銀座のお店を経て、新たに出したお店“MANVAR”(マンワール)に、いろいろ知り合いが集まっているというので。おお、神楽坂のタイル地の小道を歩くなんて何時以来だろう。遅く行ったためワインを飲むだけで食べてはいないが、地中海バルを名乗り、シェフが二人もいる。今、一番忙しい時期だろうに、某誌の編集長もいて、びっくり。その後、さらに飲みたくて、渋谷で途中下車。そしたら、え〜ん。ぼくの人生、まだまだいろいろありそう。
ソイル&“ピンプ”セッションズ。ビル・フリゼール、ロン・カーター、ジョーイ・バロン
2011年1月30日 音楽 昨年暮れにネット売りで出したカヴァー中心のコンセプト作『SOIL&"PIMP"SESSIONS presents
STONED PIRATES RADIO』を出したやんちゃ6人組の、同作をフォロウする公演。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。チャールズ・ミンガスやマイケル・ジャクソンの有名曲のSOILヴァージョン等も披露しての、ジェットコースターのような1時間強。途中で、後藤篤(2004年8月20日)ともう一人トロンボーン奏者が出てきて、さらにメンバーのMC担当の社長もトロンボーンも手にし、3人で演奏するという普段の公演では見られない出し物も。フロントに立つ元晴(サックス)とタブゾンビ(トランペット)が自在のアクションとともに雄弁に音を重ねる様は、管楽器におけるサム&デイヴ、な〜んて言いたくなる? いろんな意味で娯楽性に長けているナと再確認。なお、この日、ドラマーのみどりんは33歳の誕生日であったとか。まだまだ、若いなあ。彼、髪型がクエストラヴ(2007年1月15日、他)みたいなアフロじゃなくなってしまったのは残念だけど、ますます好漢ぶりには磨きがかかってきたような。
その後は、丸の内・コットンクラブに行って、米国人通受けギタリスト(2009年5月8日、他)の公演に。いつも以上に会場で知り合いと会って、挨拶を交わす。なるほど、ちゃんと支持者を持っているんだナ。
一緒にやるのは、大御所ベーシストのロン・カーター(2010年5月6日、他)と、作/編曲の才にも恵まれたNY前衛/ボーダーレス音楽界を代表するドラマーのジョーイ・バロン(1999年9月24日)。フリゼールとバロンはジョン・ゾーン(2006年1月21日、他)のネイキッド・シティでの同僚であるほか、かつてはいろいろ顔を合わせた仲だが、ロン・カーターの参加には?となる人がいるかもしれない。が、バロンの97年作『Down Home』(Intuition)はアーサー・ブライス、カーター、フリゼールによるカルテット録音作だし、フリゼールの方はカーターとポール・モーシャンとのトリオ作を出していたよな。そのモーシャンは、フリゼールとジョー・ロバーノ(2008年10 月8日、他)とチャーリー・ヘイデン(2009年9月10 日、他)でワーキング・カルテットをやっていたことがある。
そんな3人による演奏は、現在のフリゼール流儀による、あっさりと淡い音を流し合うような方向にて進む。と、書いていいかな。演目は彼のECM時代の曲(「スルーアウト」)やロン・カーターのマイルス期時代の曲(「81」)から、サム・クック曲(「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」)やハンク・ウィリアムズ曲(「アイム・ソー・ロンサム・アイ・クッド・クライ」)まで。セットによってはスタンダードが多めになった日もあったようだが、なんにせよ、狼藉の先にある墨絵的紋様描きがあったのは間違いない。余裕こきすぎ、という感想も聞き、それも判らなくはないが、こんなことできるのはフリゼールしかいませんね。
ステージ中央に位置するバロンは終始、うれしそう。向かって左手に立つカーターはいつものようにバシっとスーツを着ていて、マイ・ペース。ながら、実は今回、一番ぼくの心をとらえたのは彼。なんか、ジャズ・マンたる威厳とともに、悠々と長い指で楽器を奏でて行く様は文句なく格好いい。そして、世代もバックグラウンドも異なる人達とのお手合わせだと、そのまっとうさが逆に新鮮でもあり、頼もしくあり。かつては、やれ音程が甘いだの、エフェクター使用の加工音色はコントラバスの音じゃねえとか、けっこう陰口をたたかれた彼だが、いやあ、超然としつつ、しっかりとジャズたる何かを彼は全身/佇まいで語っていて、ぼくはうなった。そういえば、フリゼールは2001年ノンサッチ盤で、その名も「ロン・カーター」という自作曲を演奏していますね。きっと、彼も同じような心持ちを得たのではないか。
<節分の、タブゾンビと社長>
2月3日夜に、故ジョン・カサヴェテスの命日に企画された、彼と朋友ピーター・フォークが出演した76年映画「マイキー&ニッキー」のプレミアム試写会に行く。映画冒頭に、パラマウント/ガルフ+ウェスタンの表示が……G+Wはアトランティックから切られたスタックスを一時買った企業ですね。現在アルツハイマーであるそうなフォークは「刑事コロンボ」でエスタブリッシュされた後もこんなチンピラおやじ役もやっていたのか。そういえば、この後に飲みに流れた際、「刑事コロンボ」は嫌いで「刑事マクロード」が大好きだったと言ったら、賛同者あり。まあ、歳がバレる会話ですね。と、そいうことを書きたいのではなく、映画上映後に、SOILの社長とタブゾンビが前に出てきて、数曲パフォーマンスをした。そのユニットは、ブルータル・リップスというらしい。タブゾンビは基本エフェクト付きトランペットを吹き(キーボードも少し)、社長はサンプラーを扱いフレキシブルに基本トラック出しを担当。巧みに映画中の印象的なセリフをサンプリングした流麗ジャジー・サウンドにトランペット音が響く。イメージは、ミレニアム版『死刑台のエレベーター』?
その後は、丸の内・コットンクラブに行って、米国人通受けギタリスト(2009年5月8日、他)の公演に。いつも以上に会場で知り合いと会って、挨拶を交わす。なるほど、ちゃんと支持者を持っているんだナ。
一緒にやるのは、大御所ベーシストのロン・カーター(2010年5月6日、他)と、作/編曲の才にも恵まれたNY前衛/ボーダーレス音楽界を代表するドラマーのジョーイ・バロン(1999年9月24日)。フリゼールとバロンはジョン・ゾーン(2006年1月21日、他)のネイキッド・シティでの同僚であるほか、かつてはいろいろ顔を合わせた仲だが、ロン・カーターの参加には?となる人がいるかもしれない。が、バロンの97年作『Down Home』(Intuition)はアーサー・ブライス、カーター、フリゼールによるカルテット録音作だし、フリゼールの方はカーターとポール・モーシャンとのトリオ作を出していたよな。そのモーシャンは、フリゼールとジョー・ロバーノ(2008年10 月8日、他)とチャーリー・ヘイデン(2009年9月10 日、他)でワーキング・カルテットをやっていたことがある。
そんな3人による演奏は、現在のフリゼール流儀による、あっさりと淡い音を流し合うような方向にて進む。と、書いていいかな。演目は彼のECM時代の曲(「スルーアウト」)やロン・カーターのマイルス期時代の曲(「81」)から、サム・クック曲(「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」)やハンク・ウィリアムズ曲(「アイム・ソー・ロンサム・アイ・クッド・クライ」)まで。セットによってはスタンダードが多めになった日もあったようだが、なんにせよ、狼藉の先にある墨絵的紋様描きがあったのは間違いない。余裕こきすぎ、という感想も聞き、それも判らなくはないが、こんなことできるのはフリゼールしかいませんね。
ステージ中央に位置するバロンは終始、うれしそう。向かって左手に立つカーターはいつものようにバシっとスーツを着ていて、マイ・ペース。ながら、実は今回、一番ぼくの心をとらえたのは彼。なんか、ジャズ・マンたる威厳とともに、悠々と長い指で楽器を奏でて行く様は文句なく格好いい。そして、世代もバックグラウンドも異なる人達とのお手合わせだと、そのまっとうさが逆に新鮮でもあり、頼もしくあり。かつては、やれ音程が甘いだの、エフェクター使用の加工音色はコントラバスの音じゃねえとか、けっこう陰口をたたかれた彼だが、いやあ、超然としつつ、しっかりとジャズたる何かを彼は全身/佇まいで語っていて、ぼくはうなった。そういえば、フリゼールは2001年ノンサッチ盤で、その名も「ロン・カーター」という自作曲を演奏していますね。きっと、彼も同じような心持ちを得たのではないか。
<節分の、タブゾンビと社長>
2月3日夜に、故ジョン・カサヴェテスの命日に企画された、彼と朋友ピーター・フォークが出演した76年映画「マイキー&ニッキー」のプレミアム試写会に行く。映画冒頭に、パラマウント/ガルフ+ウェスタンの表示が……G+Wはアトランティックから切られたスタックスを一時買った企業ですね。現在アルツハイマーであるそうなフォークは「刑事コロンボ」でエスタブリッシュされた後もこんなチンピラおやじ役もやっていたのか。そういえば、この後に飲みに流れた際、「刑事コロンボ」は嫌いで「刑事マクロード」が大好きだったと言ったら、賛同者あり。まあ、歳がバレる会話ですね。と、そいうことを書きたいのではなく、映画上映後に、SOILの社長とタブゾンビが前に出てきて、数曲パフォーマンスをした。そのユニットは、ブルータル・リップスというらしい。タブゾンビは基本エフェクト付きトランペットを吹き(キーボードも少し)、社長はサンプラーを扱いフレキシブルに基本トラック出しを担当。巧みに映画中の印象的なセリフをサンプリングした流麗ジャジー・サウンドにトランペット音が響く。イメージは、ミレニアム版『死刑台のエレベーター』?
クラシック上がりでパリでセッション・マン活動をはじめ、86 年以降、ピーター・ガブリエル、スティング(2000年10月16日)、ロビー・ロバートソン(元ザ・バンド)、ジョニ・ミッチェルと次々にロック賢人のアルバムに参加し、一躍注目の的となったフランス人辣腕ドラマーがマヌ・カッチェだ。当然、サイド・マンとしてはスティングや坂本龍一をはじめ何度も来日しているが、自己名義公演としては今回が初めてとなるとか。ECMレーベルに所属し、ココロあるソングライターであることを前面に出した、どこかメロディアスでもある“私の考えるジャズ”路線を彼は標榜。我が道を行かんとする姿勢はタイプは違えど、ブライアン・ブレイド(2009年7月20日、他)を思い出させるところもあるかな。
六本木・スイートベイジル139。新作はピノ・パラディーノ(2010年10月26日、他)やもともとフュージョン調リーダー作をジャズ・レーベルから出していたものの近年はジェフ・ベック(2009年2月6日)のサポートもしている英国人ジェイソン・リベロを擁するカルテットによる録音だったが(求める世界は重なるものの、1作ごとに協調者を彼はがらりとかえる)、パラディーノのような電気ベーシストを擁したこの晩の公演はそのECM3作目『サード・ラウンド』を基調とするもの。純ジャズ系の担い手とは明らかに何かが違う絵画的ジャズ表現をさくっと描く。サポート陣は皆パリ在住のようだが、サックス奏者は北欧出身のよう。
マッチド・グリップで叩くカッチェは出しゃばることなく、芯と立ちのあるビートを飄々と重ねて行くという風情。それほど長くないセットを二つし、MCをする場合はステージ中央に置かれたマイクのもとに行って控え目にしたが、その風情がいい感じだった。
<今日のアイヒャー>
カッチェに、ライヴ前に楽屋で取材。90年にインタヴューしていらい。痩身で、なかなか格好いい。人生をオープンに楽しんでいるがゆえの、ある種の賢さも感じさせるかな。ながら、質問に対しての答えはけっこう長め。とりとめがないのではなく、誠実に話を積み上げて、そうなっちゃう、みたいな感じ。TVのタレント発掘番組の審査員をやっているという、カイル・イーストウッド情報(2006年11月3日)も確かめてみたら、数年前までやっていたそうで、フランス版“アメリカン・アイドル”みたいな番組とか。「辛口批評を一手に引き受けるような感じになっていた」、とのこと。
ところで、ロック界で売れっ子の彼が大々的にジャズ側の人間と絡んだのは、ヤン・ガルバレク(2002年2月13日、2004年2月25日)が最初。92年以降、彼のECM発のアルバムで重用されている。で、ヴォーカル・アルバム(92年BMG発『イッツ・アバウト・タイム』。デビュー作)以外のリーダー作3枚はすべてECMからリリースされているわけで、ECMとのディールはガルバレクとの関係から発展したのかと思いきや、真相はまるで違っていてビックリ。なんと、ECMの社主プロデューサーのマンフレート・アイヒャーから直接電話があって、ガルバレクのアルバムで叩いてみないと言われたのだそう。なんでも、アイヒャーは、ロビー・ロバートソンのセルフ・タイトルの初ソロ作(87年、ゲフィン)を聞いてカチェのドラミングに感銘を受けたとか。おおっ。あのアイヒャーはいろいろ広くアンテナを張り巡らし、引っかかったものを自分が信じるジャズに注ぎ込んでいるという事実が、そこからは浮かび上がるか。ちょっと、いい話。それを聞いて、ブルーノート創始者のアルフレッド・ライオンが晩年はプリンス(2002年11月19日)を愛聴していた、という話を思い出した。そういえば、カッチェのECMの初作はトーマス・スタンコ・バンド(2005年10月26日)を起用、同2作目はECMからリーダー作を出しているデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)も参加していたが、その重なりもアイヒャーの勧めがあったと考えると合点が行きます。
六本木・スイートベイジル139。新作はピノ・パラディーノ(2010年10月26日、他)やもともとフュージョン調リーダー作をジャズ・レーベルから出していたものの近年はジェフ・ベック(2009年2月6日)のサポートもしている英国人ジェイソン・リベロを擁するカルテットによる録音だったが(求める世界は重なるものの、1作ごとに協調者を彼はがらりとかえる)、パラディーノのような電気ベーシストを擁したこの晩の公演はそのECM3作目『サード・ラウンド』を基調とするもの。純ジャズ系の担い手とは明らかに何かが違う絵画的ジャズ表現をさくっと描く。サポート陣は皆パリ在住のようだが、サックス奏者は北欧出身のよう。
マッチド・グリップで叩くカッチェは出しゃばることなく、芯と立ちのあるビートを飄々と重ねて行くという風情。それほど長くないセットを二つし、MCをする場合はステージ中央に置かれたマイクのもとに行って控え目にしたが、その風情がいい感じだった。
<今日のアイヒャー>
カッチェに、ライヴ前に楽屋で取材。90年にインタヴューしていらい。痩身で、なかなか格好いい。人生をオープンに楽しんでいるがゆえの、ある種の賢さも感じさせるかな。ながら、質問に対しての答えはけっこう長め。とりとめがないのではなく、誠実に話を積み上げて、そうなっちゃう、みたいな感じ。TVのタレント発掘番組の審査員をやっているという、カイル・イーストウッド情報(2006年11月3日)も確かめてみたら、数年前までやっていたそうで、フランス版“アメリカン・アイドル”みたいな番組とか。「辛口批評を一手に引き受けるような感じになっていた」、とのこと。
ところで、ロック界で売れっ子の彼が大々的にジャズ側の人間と絡んだのは、ヤン・ガルバレク(2002年2月13日、2004年2月25日)が最初。92年以降、彼のECM発のアルバムで重用されている。で、ヴォーカル・アルバム(92年BMG発『イッツ・アバウト・タイム』。デビュー作)以外のリーダー作3枚はすべてECMからリリースされているわけで、ECMとのディールはガルバレクとの関係から発展したのかと思いきや、真相はまるで違っていてビックリ。なんと、ECMの社主プロデューサーのマンフレート・アイヒャーから直接電話があって、ガルバレクのアルバムで叩いてみないと言われたのだそう。なんでも、アイヒャーは、ロビー・ロバートソンのセルフ・タイトルの初ソロ作(87年、ゲフィン)を聞いてカチェのドラミングに感銘を受けたとか。おおっ。あのアイヒャーはいろいろ広くアンテナを張り巡らし、引っかかったものを自分が信じるジャズに注ぎ込んでいるという事実が、そこからは浮かび上がるか。ちょっと、いい話。それを聞いて、ブルーノート創始者のアルフレッド・ライオンが晩年はプリンス(2002年11月19日)を愛聴していた、という話を思い出した。そういえば、カッチェのECMの初作はトーマス・スタンコ・バンド(2005年10月26日)を起用、同2作目はECMからリーダー作を出しているデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)も参加していたが、その重なりもアイヒャーの勧めがあったと考えると合点が行きます。
ファンテイジア。リチャード・ボナ
2011年1月25日 音楽 歌えるだけじゃなく、ちゃんと曲やサウンドを作れる人を、ぼくは基本好む。←それ、音楽を聞き始めたときに熱心なロック・ファンだったからだろう。だから、歌うだけの人を送り出すアメリカン・アイドルには興味が持てない。あの番組の人気は“カラオケ文化”あればこそとも思えるが、ぼくはカラオケにも馴染めない人間だから、な。それゆえ、やはり同コンテスト出身のファンテイジアもぼくの興味の範疇外のはずなのだが、彼女のことは見てみたかった。だって、新作『バック・トゥ・ミー』(J)を聞いて、ぼくは本当に感心しちゃったんだもの。曲やサウンドは他人まかせながら、ミディアム曲を中心に採用し、堂々と歌いこなして行く姿は熱意と才があふれていて惚れ惚れしちゃう。その歌だけでネガティヴな思いを得ていた聞き手を説き伏せちゃう、本物のR&B歌手の像がきっちりとそこには出ていた。
そしたら、うわあああああ。すげええええええ。いろんな部分でCDを凌駕する。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。1曲目からすぐにステージ上に出てきた本人に加え(即、裸足になった)、キーボード、ギター、ドラム、3人のバッキング・ヴォーカル、3人の管楽器という布陣。これだけサポートに人数をかけるならベース奏者もおけばいいのにと思ったら、キーボード奏者は主にベース音を担当。ピアノのコード音で導かれる曲があったが、それはプリセット音で、キーボード奏者は弾いていなかった。ともあれ、サポート陣の演奏は確か、さすが本国でプライオリティの高い歌手であるというのが、そういう部分でもちゃんと伝わってきますね。
で、そんな人達を従えて、彼女は真正面からオーディエンスと対峙し、誠心誠意ソウルフルな歌声を、パワフルに出して行く。その当たり前の所作に、歌えるワと降参。しかも、その端々から、朽ちてはいけない、どすこい捨て身な黒人芸能感覚がもわもあわとわき上がってくるのだから、こりゃこたえられない。その様にルーファスの一員だったころの若き日のチャカ・カーン(2008年6月5日、他)のことを想起したら、有名曲メドレーのときにルーファス(2008年11月10日、2010年1月20日)の「テル・ミー・サムシング・グッド」もやる。うきっ。
もう、本物の輝きというか、真実のほとばしりがこれでもかと放出されていたショウ。途中で40分ぐらいたったかなと時刻を確認したら、まだその半分の時間しかたっていなくて、びっくり。濃密、生理的な情報量が多大なんだろう。やっぱ、真のR&B歌唱の前では曲やサウンドを作れるか否かなんて、些細な問題。でもって、ぼくは客を無理矢理立たせるアクトに苦い気持ちを覚えたりもする者だが、彼女ならそんな行為も許されるとマジに思った。てなわけなんで、見ながら、今年のブラック・ミュージック系公演のベスト3に入るはずとすぐに確信。終わった頃には、あらゆるジャンルでのベスト3に入るかと、より評価は上がったんだけどね。
とっても興奮。まあ、それは初めて彼女に触れたことも大きいのだろう。次来たときも、間違いなく同様に質の高い実演を繰り広げるだろうけど、この日の感激を上回ることはないかもしれない。やっぱ、新鮮未知な初モノは強い。それは先日のアラン・トゥーサン公演(2011年1月10日)のときに、初めて彼の実演を見て感激している人の様に接してうらやましく感じつつ、ちらり感じた。確かに過去の来日公演の中で一番いい感じのショウであったが、やはりぼくがトゥーサンの公演で一番感激したのは、最初に見たときであったから。それは非の打ち所のないファンク・ショウを2年連続披露したラリー・グラハムも同じ、久しぶりに彼のことを見た2009年(9月29日)のときのほうが2010年(9月9日)時よりも多大にぼくは感激しちゃったもの。それは、そのときの文章を見れば一目瞭然ですね。ライヴにいっぱい行くのも考えもんか、ふと少しそうも感じた。だけど、音楽を書く仕事してんだから、やっぱ普段から触れてないと話にならないよなあ。ともあれ、ぼくは感嘆し、大満足。
それから移動して、丸の内・コットンクラブで、リチャード・ボナ(2010年2月5日、他)を見る。トランペット、サックス、キーボード、ギター、ドラム、パーカッションの奏者を擁してのもの。今回はなんとライヴでおなじみのウェザー・リポートのカヴァー(「ティーン・タウン」)を1曲目で片付け、2曲目以降はベースを持つ心温かいシンガー・ソングライターといった感じのショウを進めて行く。ここのところの来日公演で見せていたサンプラーを用いた多重歌声パフォーマンスもなかったから、そういう行き方はけっこう意識的なものであったのかな。2人の管奏者もソロを取る曲もあったが、けっこうセクション音で曲趣を盛り上げる場合も。ただ、カメルーンのトラディッショナルを根に持つボナの弾力ある歌声やメロディ、そして様々な躍動表現を知る多国籍バンドのサウンドの綾や切れの存在で、ただのヴォーカル表現にはならないのだが。それから、ファンテイジアの力全開のショウを見た後だったせいかもしれないが、その総体にある強弱のダイナミクスにはかなり感心。ピアニシモからフォルテシモまで自由自在、こりゃ巧者のライヴ表現だと頷きました。
<今日のマック>
マックと言ってもハンバーガーではなく、コンピューターのほう。ぼく、マクドナルドにはもう3年は行ってないな。というのはともかく、DJ/クラブ・ミュージック系の人でなくても、かなり前からステージ上にアップル社マッキントッシュ(やはり、音楽家は皆マックを使っているな)を置く人は散見される。ファンテイジアのパフォーマンスでもドラマーが横に置いていた。が、彼は他の人とは異なることが一つ。なんと、彼はラップトップではなく、デスクトップのデカいモニターを置いていた! おいおい、いつもそうしてんの? ぼくの長いライヴ享受歴のなか、それは初めて見る光景。どんなものでも、初めてのことと認知するのはうれしい。
そしたら、うわあああああ。すげええええええ。いろんな部分でCDを凌駕する。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。1曲目からすぐにステージ上に出てきた本人に加え(即、裸足になった)、キーボード、ギター、ドラム、3人のバッキング・ヴォーカル、3人の管楽器という布陣。これだけサポートに人数をかけるならベース奏者もおけばいいのにと思ったら、キーボード奏者は主にベース音を担当。ピアノのコード音で導かれる曲があったが、それはプリセット音で、キーボード奏者は弾いていなかった。ともあれ、サポート陣の演奏は確か、さすが本国でプライオリティの高い歌手であるというのが、そういう部分でもちゃんと伝わってきますね。
で、そんな人達を従えて、彼女は真正面からオーディエンスと対峙し、誠心誠意ソウルフルな歌声を、パワフルに出して行く。その当たり前の所作に、歌えるワと降参。しかも、その端々から、朽ちてはいけない、どすこい捨て身な黒人芸能感覚がもわもあわとわき上がってくるのだから、こりゃこたえられない。その様にルーファスの一員だったころの若き日のチャカ・カーン(2008年6月5日、他)のことを想起したら、有名曲メドレーのときにルーファス(2008年11月10日、2010年1月20日)の「テル・ミー・サムシング・グッド」もやる。うきっ。
もう、本物の輝きというか、真実のほとばしりがこれでもかと放出されていたショウ。途中で40分ぐらいたったかなと時刻を確認したら、まだその半分の時間しかたっていなくて、びっくり。濃密、生理的な情報量が多大なんだろう。やっぱ、真のR&B歌唱の前では曲やサウンドを作れるか否かなんて、些細な問題。でもって、ぼくは客を無理矢理立たせるアクトに苦い気持ちを覚えたりもする者だが、彼女ならそんな行為も許されるとマジに思った。てなわけなんで、見ながら、今年のブラック・ミュージック系公演のベスト3に入るはずとすぐに確信。終わった頃には、あらゆるジャンルでのベスト3に入るかと、より評価は上がったんだけどね。
とっても興奮。まあ、それは初めて彼女に触れたことも大きいのだろう。次来たときも、間違いなく同様に質の高い実演を繰り広げるだろうけど、この日の感激を上回ることはないかもしれない。やっぱ、新鮮未知な初モノは強い。それは先日のアラン・トゥーサン公演(2011年1月10日)のときに、初めて彼の実演を見て感激している人の様に接してうらやましく感じつつ、ちらり感じた。確かに過去の来日公演の中で一番いい感じのショウであったが、やはりぼくがトゥーサンの公演で一番感激したのは、最初に見たときであったから。それは非の打ち所のないファンク・ショウを2年連続披露したラリー・グラハムも同じ、久しぶりに彼のことを見た2009年(9月29日)のときのほうが2010年(9月9日)時よりも多大にぼくは感激しちゃったもの。それは、そのときの文章を見れば一目瞭然ですね。ライヴにいっぱい行くのも考えもんか、ふと少しそうも感じた。だけど、音楽を書く仕事してんだから、やっぱ普段から触れてないと話にならないよなあ。ともあれ、ぼくは感嘆し、大満足。
それから移動して、丸の内・コットンクラブで、リチャード・ボナ(2010年2月5日、他)を見る。トランペット、サックス、キーボード、ギター、ドラム、パーカッションの奏者を擁してのもの。今回はなんとライヴでおなじみのウェザー・リポートのカヴァー(「ティーン・タウン」)を1曲目で片付け、2曲目以降はベースを持つ心温かいシンガー・ソングライターといった感じのショウを進めて行く。ここのところの来日公演で見せていたサンプラーを用いた多重歌声パフォーマンスもなかったから、そういう行き方はけっこう意識的なものであったのかな。2人の管奏者もソロを取る曲もあったが、けっこうセクション音で曲趣を盛り上げる場合も。ただ、カメルーンのトラディッショナルを根に持つボナの弾力ある歌声やメロディ、そして様々な躍動表現を知る多国籍バンドのサウンドの綾や切れの存在で、ただのヴォーカル表現にはならないのだが。それから、ファンテイジアの力全開のショウを見た後だったせいかもしれないが、その総体にある強弱のダイナミクスにはかなり感心。ピアニシモからフォルテシモまで自由自在、こりゃ巧者のライヴ表現だと頷きました。
<今日のマック>
マックと言ってもハンバーガーではなく、コンピューターのほう。ぼく、マクドナルドにはもう3年は行ってないな。というのはともかく、DJ/クラブ・ミュージック系の人でなくても、かなり前からステージ上にアップル社マッキントッシュ(やはり、音楽家は皆マックを使っているな)を置く人は散見される。ファンテイジアのパフォーマンスでもドラマーが横に置いていた。が、彼は他の人とは異なることが一つ。なんと、彼はラップトップではなく、デスクトップのデカいモニターを置いていた! おいおい、いつもそうしてんの? ぼくの長いライヴ享受歴のなか、それは初めて見る光景。どんなものでも、初めてのことと認知するのはうれしい。
ジョージ・クリントン
2011年1月22日 音楽 米国黒人音楽史を飾る大ファンク集団〜パーラメント/ファンカデリックの統率者(2002年7月28日、2009年9月15日)、関連者をひきつれての、1年半ぶりの来日公演。六本木、ビルボードライブ東京。ファースト・ショウ。
おお、やっぱ派手。ぞろぞろ出てきた構成員たちを見て、そう感じ、即うれしくなる。ドラマーがオーディエンスに促す“ウィ・ウォント・ファンク!”連呼にあわせて、ショウは開始。で、残念ながら前回と同様にホーン・セクションはいないものの、塊がすぐに無駄なく押し寄せてきて、前よりまとまってて、ファンク度数が高いとすくに了解する。ギター陣の噛み合いも良好、オムツ姿のギタリストがおらず、ああゲイリー・シャイダーは死んじゃったんだなあと少ししんみりしたものの。同じく、アンドレ・フォックスも今回は来ていないが、かわりにマイケル“キッド・ファンカデリック”ハンプトンが堂々参加。べリータ・ウッズら複数のシンガーがフィーチャーされ、クリントンの孫娘がラップし、狂言回し的ダンサーもいるというのは、前来日公演と同様だ。人が出たり入ったりし、ステージ上には多いときで15人ぐらいは上がっていたか。ドラムは人が変わりながら、計3人が叩く。中盤以降に出てきたパーカーのフードをかぶっていたのが、フォーリー(2009年9月5日)だったのだろうか。
無礼講ノリは持ちつつ、ツボを押さえ、現役感&黒人音楽大河の重要部に位置する感がもりもり。全部で1時間15分ぐらいのパフォーマンス、前回の東京ジャズの時より間違いなく良かった。終わってからアララと思ったが、だいぶ横の方から見ていたぼくはステージ上のクリントン翁を確認できなかったナ。とほ(実は、そんなことはない。その件について、2013 年4月12日の項に説明あり)。このショウの直前に御大に取材した知人によれば、トレイドマークの7色ブレイズの付け毛はやめてしまったそうだが。トイレに行って戻ってきたとき、彼の名が連呼されていたので、いるときはいたんだろうけど。ま、“象徴”がどこにいようと、P-ファンクならでは醍醐味はあふれていた。
<ありし日のイラスト>
昔、P−ファンク重要メンバーをインタヴュー制覇、なんて意気込んでいたことがありました。実際、著名どこは90年前後に一人づつすることができた。でも、まさか、その際はその後に彼らが何度も日本に来るようになるとは、期待はしても確信はしなかった。やはり、来日ライヴに関しては、今のほうがバブル期を凌駕しているように、ぼくには思える。→第一、ヴェニューの数が今の方がかなり多い。というのはともかく、ぼくは、クリントンが描いた小さなイラストを持っている。最初にインタヴューしたとき、取材場所に行ったら、彼はコースターの裏にピンク色のマジックで落書きチックに絵を描いていたのだ。それを見てぼくは、マイルス・デイヴィスのそれを曲線的かつ漫画ぽくしたような感じと思った。いただけませんかと言ったら、笑顔でぼくの名前を聞いてきて、それを添えて署名してくれた。その時は50代半ば前だったはずだが、けっこうじじいに思えたな。わしゃ釣りが好きでのお、と言っていた。その後、また取材する機会があったが、ぼくのことは覚えていない感じだったので、イラストのことには触れなかった。
おお、やっぱ派手。ぞろぞろ出てきた構成員たちを見て、そう感じ、即うれしくなる。ドラマーがオーディエンスに促す“ウィ・ウォント・ファンク!”連呼にあわせて、ショウは開始。で、残念ながら前回と同様にホーン・セクションはいないものの、塊がすぐに無駄なく押し寄せてきて、前よりまとまってて、ファンク度数が高いとすくに了解する。ギター陣の噛み合いも良好、オムツ姿のギタリストがおらず、ああゲイリー・シャイダーは死んじゃったんだなあと少ししんみりしたものの。同じく、アンドレ・フォックスも今回は来ていないが、かわりにマイケル“キッド・ファンカデリック”ハンプトンが堂々参加。べリータ・ウッズら複数のシンガーがフィーチャーされ、クリントンの孫娘がラップし、狂言回し的ダンサーもいるというのは、前来日公演と同様だ。人が出たり入ったりし、ステージ上には多いときで15人ぐらいは上がっていたか。ドラムは人が変わりながら、計3人が叩く。中盤以降に出てきたパーカーのフードをかぶっていたのが、フォーリー(2009年9月5日)だったのだろうか。
無礼講ノリは持ちつつ、ツボを押さえ、現役感&黒人音楽大河の重要部に位置する感がもりもり。全部で1時間15分ぐらいのパフォーマンス、前回の東京ジャズの時より間違いなく良かった。終わってからアララと思ったが、だいぶ横の方から見ていたぼくはステージ上のクリントン翁を確認できなかったナ。とほ(実は、そんなことはない。その件について、2013 年4月12日の項に説明あり)。このショウの直前に御大に取材した知人によれば、トレイドマークの7色ブレイズの付け毛はやめてしまったそうだが。トイレに行って戻ってきたとき、彼の名が連呼されていたので、いるときはいたんだろうけど。ま、“象徴”がどこにいようと、P-ファンクならでは醍醐味はあふれていた。
<ありし日のイラスト>
昔、P−ファンク重要メンバーをインタヴュー制覇、なんて意気込んでいたことがありました。実際、著名どこは90年前後に一人づつすることができた。でも、まさか、その際はその後に彼らが何度も日本に来るようになるとは、期待はしても確信はしなかった。やはり、来日ライヴに関しては、今のほうがバブル期を凌駕しているように、ぼくには思える。→第一、ヴェニューの数が今の方がかなり多い。というのはともかく、ぼくは、クリントンが描いた小さなイラストを持っている。最初にインタヴューしたとき、取材場所に行ったら、彼はコースターの裏にピンク色のマジックで落書きチックに絵を描いていたのだ。それを見てぼくは、マイルス・デイヴィスのそれを曲線的かつ漫画ぽくしたような感じと思った。いただけませんかと言ったら、笑顔でぼくの名前を聞いてきて、それを添えて署名してくれた。その時は50代半ば前だったはずだが、けっこうじじいに思えたな。わしゃ釣りが好きでのお、と言っていた。その後、また取材する機会があったが、ぼくのことは覚えていない感じだったので、イラストのことには触れなかった。
目黒・ブルースアレイ。会場に入ると満員で、立ち見の人もいっぱい。しかも、多くは女性。かなりインパクトを受ける場内光景でした。
主役の石塚隆充はかつてはスペインのアンダルシア地方に居住していた、フラメンコの歌手。精悍な男っぽいルックスを持つ痩身の男性(73年生まれ)で、女性客が多いのは理解できる。二人のギタリストのうち一人は、スペインでのフラメンコ・ギターのコンテストで優勝する場面を含めたドキュメンタリーが昨年TVで放映され、かなり知名度を得ただろう沖仁。彼らはスペインでもつるんでいて、けっこう一緒に活動しているよう。
男っぽい、地に足をつけた、情ある歌……。セカンド・ショウから見たが、沖とのデュオから、徐々に伴奏者が増えていって、最終的には、ピアノ、ヴァイオリン、打楽器、電気ベース、ギター2、手拍子/コーラス2という布陣でパフォーマンス。ラテン系の奏者(香月さやか、大儀見元〜2006年8月24日、他〜)がいたり、ブラジルものが得意なベーシスト(コモブチキイチロウ)がいたり。そんな部分に表れているように、本場仕込みのオーセンティックなフラメンコを聞かせるのかと思ったら、当然そいういう曲もあるが、そこから一歩前に出て、より大きく両手を広げたような行き方を見せもする。
歌う曲の多くは本場のフラメンコ曲なんだろうけど、ときに日本語で歌ったり(歌詞の内容が良くつかめる)、フラメンコの芯を鮮やかにポップ側にもってきた日本語のオリジナルまでやったり。といった具合で、日本人としてのフラメンコをやろうとする姿勢も出ていて、おおきく頷く。本場できっちり活動したからこそ、そして今は日本を拠点に置くからからこその、自負や意義のうれしい発露をぼくは覚えた。そして、そこからは石塚自身の創造性や現代性がくっきり表れる。純フラメンコ奏者から離れたミュージシャンを雇い間口の広いサウンドを採用しているのも、そりゃ当然で正解だろう。一部の終わりにはストーンズの「アンジー」をスペイン語で披露したりもしたそう。それ、彼のアルバムにも入っている。
MCは訥々、シャイそうな感じ100%。なのに、歌いだすと堂々としていて、言葉や気持ちがきっちりオーディエンスに向かう。酔狂ながらも自分がひかれた道を進むという覚悟の先にある、意欲と息吹を感じる、進行形のフラメンコの歌表現でした。
<今日のこだわり>
きく。音楽の場合、<聞く>ではなく、<聴く>と表記する人が多いようだが、ぼくは、意識的にいつも<聞く>と書いている。理由は、<聴く>とすると、なんかスピーカーの前に鎮座して、もろまじで音楽を享受しているような感じになるような気がするから。それに、<鑑賞>という硬いイメージも付くような感じがしてイヤ。ぼくはもっと、くつろいで楽に聞いているし、ポップ・ミュージックの場合は<聞く>のほうが相応しいような気がしちゃう。ゆえに、<聞く>とぼくは表記する。それを<聴く>に直す媒体/編集者も少なくないが、それを何しとんじゃいと、ただす気もないですけど。まあ、その程度のコダワリ、書く際の儀式のようなものです。同様に、<僕>ではなく<ぼく>と、ワタシは表記する。“僕”だとちょい硬いような気がするからそうしているが、そっちのほうがこだわりは強い。万が一、漢字に直されていたら、抗議します。
主役の石塚隆充はかつてはスペインのアンダルシア地方に居住していた、フラメンコの歌手。精悍な男っぽいルックスを持つ痩身の男性(73年生まれ)で、女性客が多いのは理解できる。二人のギタリストのうち一人は、スペインでのフラメンコ・ギターのコンテストで優勝する場面を含めたドキュメンタリーが昨年TVで放映され、かなり知名度を得ただろう沖仁。彼らはスペインでもつるんでいて、けっこう一緒に活動しているよう。
男っぽい、地に足をつけた、情ある歌……。セカンド・ショウから見たが、沖とのデュオから、徐々に伴奏者が増えていって、最終的には、ピアノ、ヴァイオリン、打楽器、電気ベース、ギター2、手拍子/コーラス2という布陣でパフォーマンス。ラテン系の奏者(香月さやか、大儀見元〜2006年8月24日、他〜)がいたり、ブラジルものが得意なベーシスト(コモブチキイチロウ)がいたり。そんな部分に表れているように、本場仕込みのオーセンティックなフラメンコを聞かせるのかと思ったら、当然そいういう曲もあるが、そこから一歩前に出て、より大きく両手を広げたような行き方を見せもする。
歌う曲の多くは本場のフラメンコ曲なんだろうけど、ときに日本語で歌ったり(歌詞の内容が良くつかめる)、フラメンコの芯を鮮やかにポップ側にもってきた日本語のオリジナルまでやったり。といった具合で、日本人としてのフラメンコをやろうとする姿勢も出ていて、おおきく頷く。本場できっちり活動したからこそ、そして今は日本を拠点に置くからからこその、自負や意義のうれしい発露をぼくは覚えた。そして、そこからは石塚自身の創造性や現代性がくっきり表れる。純フラメンコ奏者から離れたミュージシャンを雇い間口の広いサウンドを採用しているのも、そりゃ当然で正解だろう。一部の終わりにはストーンズの「アンジー」をスペイン語で披露したりもしたそう。それ、彼のアルバムにも入っている。
MCは訥々、シャイそうな感じ100%。なのに、歌いだすと堂々としていて、言葉や気持ちがきっちりオーディエンスに向かう。酔狂ながらも自分がひかれた道を進むという覚悟の先にある、意欲と息吹を感じる、進行形のフラメンコの歌表現でした。
<今日のこだわり>
きく。音楽の場合、<聞く>ではなく、<聴く>と表記する人が多いようだが、ぼくは、意識的にいつも<聞く>と書いている。理由は、<聴く>とすると、なんかスピーカーの前に鎮座して、もろまじで音楽を享受しているような感じになるような気がするから。それに、<鑑賞>という硬いイメージも付くような感じがしてイヤ。ぼくはもっと、くつろいで楽に聞いているし、ポップ・ミュージックの場合は<聞く>のほうが相応しいような気がしちゃう。ゆえに、<聞く>とぼくは表記する。それを<聴く>に直す媒体/編集者も少なくないが、それを何しとんじゃいと、ただす気もないですけど。まあ、その程度のコダワリ、書く際の儀式のようなものです。同様に、<僕>ではなく<ぼく>と、ワタシは表記する。“僕”だとちょい硬いような気がするからそうしているが、そっちのほうがこだわりは強い。万が一、漢字に直されていたら、抗議します。
胸を張ったUSラティーノ表現、二つ享受の晩。
まず、六本木・ビルボード東京で、LAのメキシコ系米国人たちで組まれたロス・ロボス(2004年10月7日、2005年7月31日)を見る。ファースト・ショウ、もう満員。そりゃ、この晩だけだからな。
思うまま、ひょいひょいと手応えを持つ表現を繰り出す。無理なく腹7分目、でも聞き手への訴求力はかなりマックスに。アタマ数曲はドラムが入らずに、メキシコ民謡で流す。基本は6人でパフォーマンスし、ドラマーのルイ・ペレスが叩く曲も少しはあったが、彼はステージ中央で弦楽器を弾く。で、多くの曲で叩いていたドラマーはロス・ロボス関連(スティーヴ・バーリンが制作したテテ〜2007年9月24日、他〜の2010年作も)やタージ・マハール(2000年10月12日、2007年4月6日)やリッキー・リー・ジョーンズ(2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日)作なんかでも叩いているクーガー・エストラーダだった。彼、まだ30代に見えましたが。曲によっては左手にスティックを持たず、手でスネアやハイハットを叩いていた。
メキシコ文化と繋がった、アーシーでペーソスに富んだ等身大の表現。彼らの10年新作『ティン・キャン・トラスト』はミレニアムになって以降もっともサイバーロック路線を行っていたので、今回の実演はメキシコ色を減らしてハイパーな方向を取るかもとぼくは少し期待したが、それはまったくなし。というか、スティーヴ・バーリンがキーボードを触る時間はより減っているし、より等身大な、肩の凝らない編み上げロックを見せていたのではないか。で、それが味と力がたっぷり持っていて、なんの問題もないんだけど。彼らは現在もっとも、レコーディングの音とライヴの音を分けているグループと言えるかもしれない。あっぱれなジキルとハイドぶり、なり。
最後は出世カヴァー曲、「ラ・バンバ」を喝采のなか披露。ご近所同志でバンドを組み、約35年。彼らは結成していらい、脱退者はいないんだっけ? 仲良き事は美しき飛躍を生みもするし、同じルーツを持つご近所さん同志、ばんざい。
一方、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)であったのは、アステカという進歩的ラテン・フュージョン・グループを組んだり、サンタナにいたこともある、西海岸オークランドの名パーカッショニストであるピート・エスコヴェードのリーダー・バンドの公演。彼に加え、娘のシーラ・エスコヴェード(2009 年9月27日、他)と息子のホアン・エスコヴェードの3人がステージ前に位置し、後列には4人の管楽器奏者(トロンボーンが二人)とギタリストとベーシストとキーボード奏者が位置する。ピートはティンバレス、シーラはドラム・セット、ホアンはコンガやボンゴなど手で叩く打楽器を担当する。ベーシストはRAD(2007年9月6日、2008年4月1日)のライヴのときも来日していたオランダ出身奏者で、今やベイ・エリアのファースト・コールになっているようだ。
とにかく、楽しい。ときにポップだったり、フュージョンぽかったりもする、鷹揚にして、笑顔に富むパフォーマンス。とにかく、楽しい。ココロが弾む。ピートは70代半ばだが、髪の毛もフサフサしていて、それほど老けて見えない。当然,孫もいて、ジェラルド・クレイトン(2009年9月3日、他)をみたいな外見の若者が出てきて、ラップを噛ます場面も後半あった。また、同行の(?)女性達がステージに出てきて、踊る場面も。もちろん、シーラ・Eは一部曲では歌う。なんにせよ、ファミリアなノリが横溢していて,和めることしきり。
世代の異なる血のつながる同志で、忌憚なく音楽ができるって素晴らしいっ。そんなことも、存分に感じました。
<今日の移動>
ライヴを見る前に下北沢へ。カメラマン森リョータのエチオピア、ケニア、ジブチで撮った写真を展示した個展を覗く。同時期に撮った写真なのに子供達が裸で水浴びする写真もあれば、上着を重ね着して少し気温が低そうな写真も。それは、標高の違いによるそうな。ビール片手に話がはずむ。で、六本木へ向かい、ロス・ロボス公演終了後は、いったん恵比寿に。某誌編集長退社慰労会をかねての新年会にちょっとだけ顔をだす。一杯だけ飲んで、南青山へ。それでも、ブルーノートには開演10分強前につく。そのあと、また飲みにも行けるし、やっぱ東京って便利だよな。
まず、六本木・ビルボード東京で、LAのメキシコ系米国人たちで組まれたロス・ロボス(2004年10月7日、2005年7月31日)を見る。ファースト・ショウ、もう満員。そりゃ、この晩だけだからな。
思うまま、ひょいひょいと手応えを持つ表現を繰り出す。無理なく腹7分目、でも聞き手への訴求力はかなりマックスに。アタマ数曲はドラムが入らずに、メキシコ民謡で流す。基本は6人でパフォーマンスし、ドラマーのルイ・ペレスが叩く曲も少しはあったが、彼はステージ中央で弦楽器を弾く。で、多くの曲で叩いていたドラマーはロス・ロボス関連(スティーヴ・バーリンが制作したテテ〜2007年9月24日、他〜の2010年作も)やタージ・マハール(2000年10月12日、2007年4月6日)やリッキー・リー・ジョーンズ(2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日)作なんかでも叩いているクーガー・エストラーダだった。彼、まだ30代に見えましたが。曲によっては左手にスティックを持たず、手でスネアやハイハットを叩いていた。
メキシコ文化と繋がった、アーシーでペーソスに富んだ等身大の表現。彼らの10年新作『ティン・キャン・トラスト』はミレニアムになって以降もっともサイバーロック路線を行っていたので、今回の実演はメキシコ色を減らしてハイパーな方向を取るかもとぼくは少し期待したが、それはまったくなし。というか、スティーヴ・バーリンがキーボードを触る時間はより減っているし、より等身大な、肩の凝らない編み上げロックを見せていたのではないか。で、それが味と力がたっぷり持っていて、なんの問題もないんだけど。彼らは現在もっとも、レコーディングの音とライヴの音を分けているグループと言えるかもしれない。あっぱれなジキルとハイドぶり、なり。
最後は出世カヴァー曲、「ラ・バンバ」を喝采のなか披露。ご近所同志でバンドを組み、約35年。彼らは結成していらい、脱退者はいないんだっけ? 仲良き事は美しき飛躍を生みもするし、同じルーツを持つご近所さん同志、ばんざい。
一方、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)であったのは、アステカという進歩的ラテン・フュージョン・グループを組んだり、サンタナにいたこともある、西海岸オークランドの名パーカッショニストであるピート・エスコヴェードのリーダー・バンドの公演。彼に加え、娘のシーラ・エスコヴェード(2009 年9月27日、他)と息子のホアン・エスコヴェードの3人がステージ前に位置し、後列には4人の管楽器奏者(トロンボーンが二人)とギタリストとベーシストとキーボード奏者が位置する。ピートはティンバレス、シーラはドラム・セット、ホアンはコンガやボンゴなど手で叩く打楽器を担当する。ベーシストはRAD(2007年9月6日、2008年4月1日)のライヴのときも来日していたオランダ出身奏者で、今やベイ・エリアのファースト・コールになっているようだ。
とにかく、楽しい。ときにポップだったり、フュージョンぽかったりもする、鷹揚にして、笑顔に富むパフォーマンス。とにかく、楽しい。ココロが弾む。ピートは70代半ばだが、髪の毛もフサフサしていて、それほど老けて見えない。当然,孫もいて、ジェラルド・クレイトン(2009年9月3日、他)をみたいな外見の若者が出てきて、ラップを噛ます場面も後半あった。また、同行の(?)女性達がステージに出てきて、踊る場面も。もちろん、シーラ・Eは一部曲では歌う。なんにせよ、ファミリアなノリが横溢していて,和めることしきり。
世代の異なる血のつながる同志で、忌憚なく音楽ができるって素晴らしいっ。そんなことも、存分に感じました。
<今日の移動>
ライヴを見る前に下北沢へ。カメラマン森リョータのエチオピア、ケニア、ジブチで撮った写真を展示した個展を覗く。同時期に撮った写真なのに子供達が裸で水浴びする写真もあれば、上着を重ね着して少し気温が低そうな写真も。それは、標高の違いによるそうな。ビール片手に話がはずむ。で、六本木へ向かい、ロス・ロボス公演終了後は、いったん恵比寿に。某誌編集長退社慰労会をかねての新年会にちょっとだけ顔をだす。一杯だけ飲んで、南青山へ。それでも、ブルーノートには開演10分強前につく。そのあと、また飲みにも行けるし、やっぱ東京って便利だよな。
スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)のトラフィックにちらっといたりした英国人ロッカーで、70年ごろには米国に渡り、ブルー・サムやCBSからリーダー作をいろいろ出した、ロック顔役の一人と言えなくもない御仁。中野サンプラザ。
今年もっともオーディエンスの年齢層の高いコンサートになる? 普通じじいの公演であっても若い人がちらほら見受けられるものだが、この日はマジ年長者だけ。だけど、メイソンの外見もすごいもんがあったなー。大昔のアーティスト写真に重なるものは皆無で、ステージに登場したのは、スキンヘッドの太ったおじいちゃん。格好もプア。MCで65歳と言っていたが、もっと年長のようにぼくには思えた。が、歌うと実に朗々、声が出る。それには、感心。ギタリストとしての評価も持つ人だが、ぼくの嫌いなタイプのギター・ソロを取る人で、それにはゲンナリ。表面(おもてづら)は整っているが、スケールに沿って安全パイのフレイズをつなげているだけ。
電気ギターや生ギターを手に歌う当人に加え、ギター、キーボード、ベース、ドラム、打楽器(曲によってはギターや鍵盤も触る)という編成。普段のバンドなのか、良くまとまっている。コーラスもきまる。おもしろいのは、リズム・セクションが黒人であること。右利き用のベースを逆さに構える左利きベーシストは大昔からやっていると紹介されたっけ。なるほど、ソウル感覚を消化したふくよかだったり弾む味も彼は出してきていた。あと、そうかと頷いたのは、トラフィック時代(ウィンウッド曲「ディア・ミスター・ファンタジー」は気持ち悪くブルージィにリアレンジ)の曲を歌うと英国人情緒がさあっと出て、一方では太平楽な米国産業ロック的なテイストも存分に出すこと。自在に、“アトランティック・クロッシング”する持ち味を持つ人であり、その不思議なスケール感がこのヴェテラン・ロッカーの持ち味なのだと納得しました。
即売はすでに売り切れです。という、場内アナウンスが終演後にあった。おお、レコード/CDの主購買層を知る思い。
<今日のレトロ>
中野に行くのは、2003年5月2日いらい、かな。やはりサンプラザでやったジャクソン・ブラウン公演を見たときだ。その公演はブログで罵詈雑言の数々をはいたので、覚えている。夕方の用事があっさり早く済み、昼間あたたかかったこともあり、少し懐かしさを覚え、早めに中野に向かい、北口側を探索。店は大きく様変わりしているんだろうけど、基本的な建物とか、その配置とかはぜんぜん変わっていないような。その再開発のされなさに、逆に驚く。ブロードウェイの横のほうに広がる、店がごんごん連なる飲み屋/飲食店区域をうれしい心持ちを得て探索。そしたら、飲み屋に挟まれるように、昔ながらの、と形容するしかない、小さな“昭和の”レコード屋を発見。まじ、そこだけ時間が止まっているような。○○堂(名前失念。こういうとき、携帯でおさえればいいのだナ)という看板があったが、一体アレは? それを見つけたのは開演時間が近くなっていて、中に入るのは断念したが、とてもノスタルジックな気持ちになった。そういえば、中野に行く時に、JR新宿駅のホームから見える小田急線ホームに、赤色が基調の先端がパノラマ席になっているロマンスカー旧車両が停まっていて、わお。たまに青銀色の味気ない形の新しいロマンスカー車両は見かけていたけど、いまだ生理的に派手な昔の車両も走っていたのか。子供のころ、ハイカラなイメージ満載のロマンスカーに乗ったときは本当にうれしかった。確か、その頃のロマンスカーの車内の食べ物販売(注文すると、座席まで運んでくれた)はミルキーの不二屋が請け負っていたと記憶するが。音楽も目にするもののも、何かとレトロな1日でした。ぽわ〜ん。
今年もっともオーディエンスの年齢層の高いコンサートになる? 普通じじいの公演であっても若い人がちらほら見受けられるものだが、この日はマジ年長者だけ。だけど、メイソンの外見もすごいもんがあったなー。大昔のアーティスト写真に重なるものは皆無で、ステージに登場したのは、スキンヘッドの太ったおじいちゃん。格好もプア。MCで65歳と言っていたが、もっと年長のようにぼくには思えた。が、歌うと実に朗々、声が出る。それには、感心。ギタリストとしての評価も持つ人だが、ぼくの嫌いなタイプのギター・ソロを取る人で、それにはゲンナリ。表面(おもてづら)は整っているが、スケールに沿って安全パイのフレイズをつなげているだけ。
電気ギターや生ギターを手に歌う当人に加え、ギター、キーボード、ベース、ドラム、打楽器(曲によってはギターや鍵盤も触る)という編成。普段のバンドなのか、良くまとまっている。コーラスもきまる。おもしろいのは、リズム・セクションが黒人であること。右利き用のベースを逆さに構える左利きベーシストは大昔からやっていると紹介されたっけ。なるほど、ソウル感覚を消化したふくよかだったり弾む味も彼は出してきていた。あと、そうかと頷いたのは、トラフィック時代(ウィンウッド曲「ディア・ミスター・ファンタジー」は気持ち悪くブルージィにリアレンジ)の曲を歌うと英国人情緒がさあっと出て、一方では太平楽な米国産業ロック的なテイストも存分に出すこと。自在に、“アトランティック・クロッシング”する持ち味を持つ人であり、その不思議なスケール感がこのヴェテラン・ロッカーの持ち味なのだと納得しました。
即売はすでに売り切れです。という、場内アナウンスが終演後にあった。おお、レコード/CDの主購買層を知る思い。
<今日のレトロ>
中野に行くのは、2003年5月2日いらい、かな。やはりサンプラザでやったジャクソン・ブラウン公演を見たときだ。その公演はブログで罵詈雑言の数々をはいたので、覚えている。夕方の用事があっさり早く済み、昼間あたたかかったこともあり、少し懐かしさを覚え、早めに中野に向かい、北口側を探索。店は大きく様変わりしているんだろうけど、基本的な建物とか、その配置とかはぜんぜん変わっていないような。その再開発のされなさに、逆に驚く。ブロードウェイの横のほうに広がる、店がごんごん連なる飲み屋/飲食店区域をうれしい心持ちを得て探索。そしたら、飲み屋に挟まれるように、昔ながらの、と形容するしかない、小さな“昭和の”レコード屋を発見。まじ、そこだけ時間が止まっているような。○○堂(名前失念。こういうとき、携帯でおさえればいいのだナ)という看板があったが、一体アレは? それを見つけたのは開演時間が近くなっていて、中に入るのは断念したが、とてもノスタルジックな気持ちになった。そういえば、中野に行く時に、JR新宿駅のホームから見える小田急線ホームに、赤色が基調の先端がパノラマ席になっているロマンスカー旧車両が停まっていて、わお。たまに青銀色の味気ない形の新しいロマンスカー車両は見かけていたけど、いまだ生理的に派手な昔の車両も走っていたのか。子供のころ、ハイカラなイメージ満載のロマンスカーに乗ったときは本当にうれしかった。確か、その頃のロマンスカーの車内の食べ物販売(注文すると、座席まで運んでくれた)はミルキーの不二屋が請け負っていたと記憶するが。音楽も目にするもののも、何かとレトロな1日でした。ぽわ〜ん。
グレン・ティルブック
2011年1月16日 音楽 スクイーズーーー。70年代後期のニュー・ウェイヴ期に出てきた、いかにも英国的なポップ・センスを誇った黄金のバンドだ。80年ごろのアルバムを聞くと、本当に甘酸っぱくも浮き浮きできる。99年に休止していこう、2007年と昨年に大々的な再結成ツアーを行っているが、その一方、フロント・マンのグレン・ティルブルック(2005年8月8日、2009年7月26日)は、素朴な弾き語りツアーでまたやってきた。吉祥寺・スター・パインズ・カフェ。2部構成で、演奏時間はたっぷり。JB曲のカヴァー等、ルーツをすけさせる部分も、ソロ・パフォーマンスの場合だとあり。
東京公演から、ティルブルックのソロ作で叩き、再結成スクイーズにも加わっているドラマーのサイモン・ハンソンが加わる。やっぱり、ドラマーが入ると、全然ちがうよな。より、パワー・ポップ濃度が強まるというか。そのハンソンはデス・イン・ヴェガス(2003年2月5日)他、サポートで何度か来日しているらしいが、二人は本当に仲が良さそう。最後の方で、二人はプリセット音にあわせて、おどけた振り/踊りを見せる。こりゃ、二人で一緒に練習したな。ほほえましい。
英国人でなくては受けることのできないギフトを、溌剌と、気持ちたっぷりに開示。溢れるメロディが精気ある歌声とともに、四方八方に舞って行く。胸高鳴り、これ以上なにを求めるのという充実した気持ちとともに、おおいに満足感を得ました。
<今日のスプリット・エンズ>
会場に向かうために、吉祥寺駅について外に出たら、息が白い。もっと体感的に寒いと感じた日は他にあったような気もするが、吐く息がちゃんと白く見えたのは、少なくてもぼくにとっては今シーズン、初めてのこと。ああ、真冬の到来? そういえば、出演者の二人はそんなに厚着じゃない。ティルブルックなんか、ステージでも着ていたジャケットだけで、外を歩いていた。彼、汗っかきだそうで、ステージでは彼に向かってファンが3つ回される。それを受け、髪の毛がほわ〜んと舞い、ファラ・フォーセット状態。いや、なんかかつてのスプリット・エンズのメンバーの髪型みたいに見えました。
東京公演から、ティルブルックのソロ作で叩き、再結成スクイーズにも加わっているドラマーのサイモン・ハンソンが加わる。やっぱり、ドラマーが入ると、全然ちがうよな。より、パワー・ポップ濃度が強まるというか。そのハンソンはデス・イン・ヴェガス(2003年2月5日)他、サポートで何度か来日しているらしいが、二人は本当に仲が良さそう。最後の方で、二人はプリセット音にあわせて、おどけた振り/踊りを見せる。こりゃ、二人で一緒に練習したな。ほほえましい。
英国人でなくては受けることのできないギフトを、溌剌と、気持ちたっぷりに開示。溢れるメロディが精気ある歌声とともに、四方八方に舞って行く。胸高鳴り、これ以上なにを求めるのという充実した気持ちとともに、おおいに満足感を得ました。
<今日のスプリット・エンズ>
会場に向かうために、吉祥寺駅について外に出たら、息が白い。もっと体感的に寒いと感じた日は他にあったような気もするが、吐く息がちゃんと白く見えたのは、少なくてもぼくにとっては今シーズン、初めてのこと。ああ、真冬の到来? そういえば、出演者の二人はそんなに厚着じゃない。ティルブルックなんか、ステージでも着ていたジャケットだけで、外を歩いていた。彼、汗っかきだそうで、ステージでは彼に向かってファンが3つ回される。それを受け、髪の毛がほわ〜んと舞い、ファラ・フォーセット状態。いや、なんかかつてのスプリット・エンズのメンバーの髪型みたいに見えました。
山浦智生/アニーキー・ア・ゴーゴー
2011年1月15日 音楽 日本人アーティストで一番好きな人。そう、ここのところ、彼(2009年3月29日、5月16日、他)のことを紹介していたりもするか。キーボードを弾きながら歌う彼に加え、電気ベース奏者と打楽器奏者が重なってのパフォーマンス。渋谷・Li-Po。
ココロあるポップネスとグルーヴ感を持つ、男の歌。相変わらず、才あるなー、俺の好みだなー、と深く頷く。けっこう新しい曲もやり、『ミドル・マン』というタイトルになるらしい新作は春にも出るようだ。捨て身で応援、宣伝しなきゃ。皆さんも、ヨロシクね。
<今日の出待ち>
朝、ちょいスーパーに買い物に出る。お、今日はちょい寒いかも……。と、同じ並びの3軒隣のマンションの前に、報道陣とおぼしき人達がたむろ。「別にィ」の女優さんがスペインから帰ってきたのを受けての“お勤め”のよう。いつからいるのだろうか。いつまでいるのだろうか。深夜もいるのだろうか。何より、トイレはどうするのだろうか。非人間的な所行をしいられている方々を見て、いろんなことを思う。昨年、張り込みしている彼らの一部が、夜中にうちのマンションのロビーに入り込んで、問題になったことがありました。
ココロあるポップネスとグルーヴ感を持つ、男の歌。相変わらず、才あるなー、俺の好みだなー、と深く頷く。けっこう新しい曲もやり、『ミドル・マン』というタイトルになるらしい新作は春にも出るようだ。捨て身で応援、宣伝しなきゃ。皆さんも、ヨロシクね。
<今日の出待ち>
朝、ちょいスーパーに買い物に出る。お、今日はちょい寒いかも……。と、同じ並びの3軒隣のマンションの前に、報道陣とおぼしき人達がたむろ。「別にィ」の女優さんがスペインから帰ってきたのを受けての“お勤め”のよう。いつからいるのだろうか。いつまでいるのだろうか。深夜もいるのだろうか。何より、トイレはどうするのだろうか。非人間的な所行をしいられている方々を見て、いろんなことを思う。昨年、張り込みしている彼らの一部が、夜中にうちのマンションのロビーに入り込んで、問題になったことがありました。