ハワイのシンガー・ソングライター。音楽一家に生まれ、米国東海岸居級を経て、96年以降は再びハワイをベースとするようになり、以下はとんとん拍子……。ということだが、ステージにふらり登場した痩身の彼の佇まいはほんと普段のままなんだろうなという風情。で、生ギター(変則チューニングも用いていたか)を爪弾きながら滑らかに歌声をのせていく。すると、なんかハワイのヴァイヴが広がって行くような……。

<今日の思い出し>
 なんて、書いているが、ハワイには行ったことがないのでよく判らない。回りにはハワイ好きやグリーン・カードのくじ引きがあたって移住しちゃった娘とかいるんだが。この日の会場は、渋谷のクロコダイル。大昔からある、老舗のライヴ・ハウス。ぼくが学生時代のとき、バンド・サークルの仲間がここで会費制の結婚パーティやって、結婚せずにとんずらしました(笑い)。

 新代田・フィーヴァー。まず、日本のバンドのScott Goes Forがパフォーマンス。なかなかに的をいたパワー・ポップを聞かせる。とてもフツーな外見を持つ男性が4人揃ったバンドで、ルックスで勝負できる人がいれば、もっと大きな支持を集めても不思議はないよなーと思う。歌詞はおそらく英語だろうし、洋楽流れノリを持つのに、どうしてMCは日本人流儀にのっとり愚にもつかない話をえんえんとするのだろう? 音楽にはニコニコ触れられたのに、それにはげんなりした。

 そして、豪州のパワー・ポップ・バンドである5人組のザ・ウェリントンズ。男3人、女2人。先のScott Goes Forはコーラスの感じなどから初期ザ・ビートルズ愛好を透けさせる(それ、素敵な事だと思う)ところもあるが、もう少し若い彼らはニュー・ウェイヴ期のパワー・ポップ系表現を起点に置く、と感じる。初期エルヴィス・コステロみたいなピート・ポップ曲もやれば、女性鍵盤奏者はいかにもニュー・ウェイヴ期を想起させるキーボード単音装飾音を弾いてみたり。前座と比較すると、知識と深みに欠けると感じさせる部分もあるかな。が、男女がまっつぐに事に当たる様は良い。

<今日のサッカー>
 深夜ちかく、W杯予選の2試合目があった。アウェーでの一戦。ぼくん家は地上波が見れないので、友達ん所で見る。とても見たいとは思わなかった(ザッケローニはけっこう好き)が、誘いもいただいたので。しかし、アジアは広すぎ。東アジアと、中央アジアやアラブを一緒にしちゃうのは距離的に(文化的にも?)無理があると思うが。ところで、今の日本のプロ野球チームの選手の96%はぜんぜん知らない人でびっくり。普段は興味ゼロなので考えたこともないが、他人と接するとそういうことに気付かされる。清水エスパルスに入団したフレドリック・ユングベリは果たして活躍できるのか。かつてアーセナルで10年近くブイブイいわせた選手なので、実力者だったのはまちがいないが。それが、この晩の一番の話題……。

東京ジャズ

2011年9月3日 音楽
 前日に続いて、有楽町・東京国際フォーラム。昨日/今日と大型台風来襲が報じられていた(一時は埼玉スタジアムでのサッカーW杯予選試合の開催も危ぶまれた)ものの、雨はほぼ降らず。

 12時半から、ホールD7で、フランスのレミ・バノシアン・トリオをまず見る。ピアノ、ウッド・ベース、ドラムと純なピアノ・トリオ編成だが、ドラマーが非4ビートの立ったビートを叩くので、疾走感を持つ。その後は、ホールAで、カウント・ベイシー・オーケストラ(2010年12月28日)を見た。おお、ビッグ・バンドはでかいステージに映えるな。

 ホールD7に戻って、オランダのマイク・デル・フェロ・トリオを見るが、その聞き味の良さにびっくり。わー。ルックスはパっとしない只の中年のおっさんだが、<アンサンブルにも気を使った詩情/ストーリー性>と<ジャズ的な飛翔感>を無理なく併せ持つそれには感心。スタイリストやなあ。ときに左手でキーボードを扱ったり、女性ベーシストは曲によっては電気ベースに持ち替えぐつぐつと弾いたりもするのだが、それも必然性あり。アーティスト性、瀟酒に舞う。当人は指をタカタカ交互に下ろすような弾き方をし、それは見た目には印象的。

 そのあと、ホールAで、フランスの著名映画音楽作家/ジャズ・ピアニストのミシェル・ルグラン。80歳ちょい手前、トリオにて。初めて見ると思うが何気に感服。開かれた娯楽性と洒脱な創意とチャーミングな人間味が見事に一体となったパフォーマンスで、それは楽しい。彼はけっこう歌いもするが、それも味あり。笑顔で、接せた。

 以上は昼の部。知人と飲食した後、ホールD7で、ノルウェーのトルド・グスタフセン・アンサンブル。ピアノ、サックス、ベース、ドラムという編成。いやあ、これも個性あり。もう、音数を減らし淡々と生理的に研ぎすまされた音を重ねていき、もう一つの紋様や風景のようなものが浮かび上げる……。発展の入り口を常に横においた、抑制されまくりの美の連鎖。アンサンブルと名乗るのも納得だし、さすがグスタフセンは今のECMのエースの一人だなと納得した。ホールD7のタイム・テーブルはアーティスト出演間の休憩が1時間取られているので、またホールAへ。インコグニート(2011年3月31日、他)がやっている。毎度の感じだが、こういうのはフェスには強い。3.11後に作ったチャリティ・ソング「ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ」もやる。最後はリーダーのブルーイの心のこもった口上にオーディエンスはシーン。そして、その後に割れるような拍手歓声。

 ホールAのアーティスト間の休憩は15分なので、そのままいて、アンソニー・ジャクソン(2010年10月26日、他)とサイモン・フィリップスというおやじのリズム隊とともに組んだ、上原ひろみ(2010年12月3日、他)の新トリオ(ザ・トリオ・プロジェクトと名乗る。すでに、アルバムを1枚発売済み)を見る。そりゃ、共に実力者ではあるだろうけど、なんで今さら彼らと組まなきゃならんのかとぼくはどうしても思ってしまうが、当人にとっては念願の顔合わせであるという。で、繰り広げられるは、上原流のキメキメのプログ(レッシヴ)・ロック的なピアノ・トリオ演奏。過剰にして、畸形。でも、それは壮絶なインタープレイや研ぎすまされた協調を経てのものではあるし、ここまで徹底してやられたらグの音も出ない。ジャズでもねえしロックでもねえ、だが壮絶なインストゥルメンタルであるのは間違いない。とともに、やっぱり、何を弾こうと上原の歓びと気に満ちた演奏の様は見る者を引きつける。ヒネたぼくも、これは音楽の女神が微笑まずにはいられないだろうと、思っちゃう。うひょー。しかし、ショウが終わるとリズム隊の2人は3キロぐらいしぼんだ感じで、超ぐったりなんじゃないか。

 途中で出て、ホールD7で、オーストラリアのピアノ・トリオであるミスインタープロテートの演奏をチェック。全然知らない人たちだったが、これもなかなか。ピアニストのショーン・フォランはブラッド・メルドー(2005年2月20日、他)以後と言える弾き味を持つ人だが、フォラン・トリオではなくちゃんとグループ名を名乗っているのがすんなり納得できる噛み合いのもと、視点ある美意識を抱えるトリオ演奏が持たれる。最後の曲はちょっと前衛的な導入部から、グルーヴィなベース・ラインが支配するパートに移り、その後鮮やか詩的に飛翔するというマジカルな曲。感心。オーストラリア、すげえな。

<今日の映像>
 ホールAもホールD7も、ちゃんとヴィジョンが置かれ、客には映像が提供される。特に、広いホールAの映像はいろんなカメラ・アングルのもと、出演者の諸々を伝えようとする。何年か前はびっくりするほど劣悪な画質の映像を無神経に流していたこともあったわけで、時の積み重ねを感じました。

東京ジャズ

2011年9月2日 音楽
 今年で10年目を迎える、という。メイン会場は5.000人規模の東京国際フォーラムのホールA。ジャズで0.5万人もの客をあつめるのは困難なわけで、そのため純ジャズではない出演者や軟派な担い手をそろえるのが常であるのだが、このフェスが面白いのは、その一方、硬派だったり見所アリのジャズの担い手もしっかり用意し、そちらは無料ステージで太っ腹に提供しているところ。で、過去その無料のショウは野外スペースで行われていた(屋台がいろいろ出ていて、そこはお祭り気分も横溢していた)わけだが、今年はその野外会場はそのままに、もう一つホールD7という300人規模のホールでも無料公演が持たれた。欧州や豪州の実力者がずらり揃ったその顔触れは興味惹かれるアクトだらけで、ぼくはとってもうれしい。

 で、この晩は、無料たるホールD7で、シニッカ・ランゲラン、ザ・プロンクトンズ、マイク・ノック・トリオ・ウィズ・日野皓正(彼は、この日曜のホールAの出演リーダーでもある)を見る。また、その合間に、ラウル・ミドン(2009年10月8日、他)とLAのフュージョン系有名奏者が集うセッションも少し見た。

 フィンランドがルーツとなる伝承音楽研究/実践者であるランゲランはハープを横に置いたようなやはりフィンランド起源の弦楽器カンテレ(小さなハープを寝かせたような感じの弦楽器。彼女は39弦のものを使う。トレモロみたいな機能を引き出すレバー付き)を弾きながら透明感ある声をのせる。彼女は現在ECMと契約しているが、その11年新作『ザ・ランド・ザット・イズ・ノット』に入っていた曲はほとんどやったのではないか。とにかく、太鼓と現代、素朴とモダンを自在に行き来する静謐な一人パフォーマンスは聞き所満載。アルバムにおいてはスカンジナヴィアの実力派ジャズ・マンが好サポートしているが、それなしでもジャズ的広がりを覚えさせる部分もあって、本当に素晴らしいタレントだった。

 ニュー・クール・コレクティヴ(2009年9月6日)のギタリストのアントン・ハウトスミットらオランダの実力者が集った4人組(ギター、サックス、電気ベース、ドラム)のザ・プロクトンズは立った現代ジャズというよりは、辛口フュージョン濃度が強い。ちょい、がっかり。ベースがペラ男濃度の高い電気なせいか。そのべース奏者はやはりニュー・クール・コレクティヴのベンジャミン・ハーマン(2009年9月4日、他)がゲスト入りし、今年の東京ジャズの無料ステージに出演するアムステルダム・ジャズ・コネクションにも参加、そちらでは縦ベースを弾くというが。

 豪州ジャズ界の大御所ピアニストのマイク・ノック(かつては、米国でブリブリ活動していたこともある実力者。ネクサスというシャープなジャズ・ロック・バンドをやっていたこともあった)は、さすがの硬派で跳躍力の高い演奏を披露。日野(2011年7月31日、他)もぶいぶい、タップ・ダンスもかます。リアルなジャズ演奏。最後の曲は、ほぼフリー・フォーム演奏だった。

<今日の永田町>
 東京国際フォーラムやコットンクラブにぼくが行く場合は、地下鉄半蔵門線→有楽町線と乗り継いで行くのが常。その乗換駅は永田町なのだが、そこで乗り換え待ちをしていると、ここのところ思わずキョロキョロしてしまう。というのも、普通の会社員ぽい人が短パンに着替えて構内をジョギングしているのを知人が初夏に見たというので。なるほど、複数の線が乗り入れている永田町はホームからホームをつなげば平気で2kぐらいはあるだろうし、途中には地下鉄の階段でもトップ級に長いものがあったりして、障害走にはもってこい? 外を走るよりも涼しいだろうしなー。その様、その人を、一瞥したい。知人はなんか見てはいけないモノを見てしまった気分を得て、目をそらしたそうだが。

 <スキヤキ・トーキョー>3日目、場所は代官山・ユニット。この日は毎日新聞のライヴ評を受けているので、気合いを入れて見る。な〜んてことはなく、平常心。いい実演はものすごく情報量が多いわけで、それに音楽ファンとして普通に接すれば受ける示唆は山ほど、書きたかったり指摘したいことは山ほど、なのである。前にも書いたことあるけど、それゆえ、ぼくはライヴ評を書く場合でも一切メモはとらない。だって、頭の中に一杯情報と感想はのこるもの。そんなに、皆忘れっぽいの? それに、ライヴを楽しんでいるときに、横で冷静にメモとっている人間がいるのっていやじゃない? だから、ぼくは他の人たちと同様に楽しむし、がんがん飲む。

 この晩は、かつてグナワ・ディフュージョンを率いていた、フランス在住のアマジーグ・カテブ。彼のお父さんは北アフリカのアルジェリアの文豪である、カテブ・ヤシーンですね。同地の大衆伝統音楽であるグナワを現代レベル・ミュージックとして押し出す彼だが、会場の一角にはアルジェリアの旗を掲げつつ熱烈に反応する同胞たちがいて、彼の本国での人気を知らされる思い。ぶっとい弦がはられた無骨な三味線といった感じもある民族楽器のゲンブリを弾きながら歌う本人に加え、ギター、キーボード、ベース、ドラム、DJ(頭に、ライヴが始まる前に回したりも)という布陣。うち、2人はグナワ・ディフュージョンにいた人たちだそうだ。

 ドイツでグナワ・ディフュージョンを見た際の原稿(2004年6月10日)でもふれているが、彼の実演を見ると多くの人は、マヌー・チャオ(2010年10月4日、他)のことを思い出さずにはいられないだろう。とともに、純粋なパフォーマーとしてはチャオのほうが器がデカいということも。だが、冒頭でのあまりに堂々とした反原発宣言をはじめ、やっぱり音楽の力をまっすぐに信じている人のショウにふれて高揚しないはずがない。2時間を超える熱演、時間がすすむにつれて、土着濃度は高くなっていった。それから、彼はかなりハンサムな人であるとも認知。やはり、それはポップ・ミュージックとしては重要なポイントだ。

<今日のネットログ>
 欧州のフェイスブックなるものだそうなネットログにもお誘いを受けて入っているが、友達希望みたいなので、セネガルのシンシアとかからメッセージが入ってくる。風俗系の勧誘かなんか? けど、見出しを見る分にはばかばかしくて楽しい。

 <スキヤキ・トーキョー>、2日目は浅草のアサヒ・アートスクエア。この日は、インド古典音楽の女性歌手のデシカシさん。事情通によれば、なんでこんな輝きまくっている担い手が日本にひょっこり来ちゃうのォ驚愕ぅ〜という感じらしい。実際、普段の公演会場では会わない知り合いといろいろ会ったなー。この手の巨匠というと、綺麗とは言い難い(?)おっさんが思い浮かんだりもするが、この喉自慢の担い手はまだうら若き(と、言っていいよな? 30歳ぐらい?)女性なのだから、そりゃ世間が余計に大騒ぎしちゃうのはよく判る。ステージにはそれっぽい格好をして出て来るが、取材した人によればオフはジーンズとか普通の格好をしているという。

 インド古典については完全に門外漢なので、細かいことはなんも指摘できない。とっても歌え、訴求力のある人だった、とは書けても。タブラ奏者とハーモニウム奏者を従えての実演で、加えて彼女は歌うだけでなく、シタール音に似たタンブーラ音を出す小さな電気装置を操ったりもする(外見は、白色の可愛いエフェクターみたいな感じ。3万円もだせば、日本でも買えるらしい)。とともに、けっこうマイクと口の距離とか気を遣っている感じもあって(とはいえ、けっこう生音っぽく聞こえていたけど)、そこらへんの機材との関わりは今のアーティストであると思わせる。

 長い曲は長く、全体で1時間半ぐらいやったか。空気を歌で震わせつつ、悠久な歌世界を作り上げていた。角は立っていないが凛としていて、酩酊感はうけずに、気持ちよく鼓舞された。

<今日の、飲み場所>
 すんごく久しぶりに、浅草。ああ、隅田川。せっかくなんで、終わった後にこの辺で飲みたかった。が、知人に湯島に拉致される。湯島で飲むのは初めてだった。それから、当然のことながら、麦酒メイカーの施設なんで、会場でもいろんなお酒を売っていた。

 今日から3日間は、<スキヤキ・トーキョー>という帯の出し物がある。もう20年も富山県南砺市で行われているワールド・ミュージック系フェスである<スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド>の目玉出演者の公演を東京でもやろうという趣旨のもと、今年(から)開催された。

 その初日はニジェールのトゥアレグ族、ようは“砂漠のブルース”系表現を聞かせるオマラ・モクタル“ボンビーノ”の巻。その露払い役として、オレンジ・ペコーのギタリストである藤本一馬が出演。彼は、南砺市の本編のほうは出ていないようだ。

 藤本はオーガニックかつけっこうオープン・チューニングの素敵や快感も携える、もう一つのジャズをしたためたトリオ編成による初ソロ作『SUN DANCE』を6月にリリースしたが、今回はそのアルバム参加者を揃えてのパフォーマンス。助力者は、ウッド・ベースの工藤精と各種打楽器の岡部洋一(2011年2月10日、他)。視野の広い三者が自在に絡み、世界を旅する風情を持つアコースティック表現を悠々展開する。1時間はパフォーマンスしたと思う。

 その後、風体ですぐに砂漠の人たちと合点が行く、ボンビーノたちの実演がはじまる。ボンビーノのギター弾き語りではじまり、そこにサイド・ギター、打楽器×2の3人が加わる。独特な癖ある抑揚とひっかかりが呪術的に湧き出て来る、という感じ。ギターがエレクトリック・ギターだったり、打楽器の一人がドラム・セットを叩くあたり、ティナリウェン(2005年9月2日)より若い世代の担い手だなという感じはバリバリ。あ、ティナリウェンも普通にテレキャスターを使っていたっけっか。ボンビーノは80年生まれのようだ。

 次の場所への移動のため、途中で時間切れ。うえーん。そして、南青山・ブルーノート東京で、ヴェテラン・ジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイス(2008年7月2日、2009年8月29日、2010年9月28日)を見る。彼は70 年代中期にブラック・ファンク路線を歩んだりもしたが(それを最初に導いたのは、その10年前にルイス・トリオに在籍したEW&Fのモーリス・ホワイトですね)、今回はあの辺りの路線を踏襲すると理解して行ったら……。そんなにエレクトリック傾向にあるライヴではなかったな。

 ベース奏者はアコースティックと電気の両方を弾く。感じとしては、穏健気味ファンキーなピアノ・トリオ編成に曲によってはおいしいアクセントや音色を控え目に加える電気キーボード奏者やギタリストがつき、その際はリズムもステディ度を増すと行った感じか。後にEW&F(2006年1月17日)も取り上げるホワイトがルイスに提供した「サン・ゴッテス」とかはやはり起爆力あり。やっぱ、今回はもうちょい“電気”度をあげて、パフォーマンスしてほしかった。でも、35年生まれの御大は今さら無理して若返ってもしょうがないじゃんという思いがあったろうことは、容易に推測できた。

 あんまし目立たなかったが、80年代にMCAなんかにリーダー作も残すギタリストのヘンリー・ジョンソンのちょっとした弾き味にはかなり感心。本当に、伝統に連なる含蓄ある演奏をできちゃうのが露になっていて。さすが、本場の熟練者(54年生まれ)はすごい。その技量や含みの深さだけなら先に見た藤本はとうていかなわない。だが、そのぶん、藤本にはいろんな表現を受けている世代だからこその、自在の広がりと視点がある。そして、現代の担い手には、よりそういう部分の冴えが必用とされるのだよなーと、強く思わされた。

<今日のへーえ>
 クラブクアトロで、ボンビーノたちが出てきて、ほうと頷く。みんな、頭が小さい。見事に。身体も華奢ネ。だから、イロ男ぽくも見える? というのはともかく、トゥアレグの人たちって、頭が小さい(太陽光を過剰に受けるのをふせぐため、とか)という定説はあるのだろうか。それとも、食べ物が関係しているのかな。


 ブルーノート(ノラ・ジョーンズのブレイク以降、ジャズではなく、なかばアダルト・ポップのレーベルとなっている)と契約する、84年テキサス州生まれの女性シンガー・ソングライター。彼女のお母さんは韓国人と伝えられる。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 冒頭は訥々、ギター弾き語り。が、途中から、そのコーラス・パートにどんどん歌声が重なっていく。まず、正旋律の歌を1コーラス、サンプリング。それを流してハモリ声を歌いまたそれをサンプリングし、三声のコーラスを彼女はあっさりとその場で作り、さらりと披露。ギター音を芸当的にサンプリングする人は少なくないが、こんなに自然にサンプラー音を自己弾き語り表現に活用する人もいるんだア。意外に、技巧もあるじゃん。

 基本はバンドを伴ってのもので、「マイ・ニュー・バンド」と言って紹介したのは、ピアノ/キーボード、ギター、ベース、ドラムという編成で、皆けっこう若そうで、コーラスも和気あいあいと取る。ベース奏者はアーン同様にアジアの血が入っていそうな女性、鍵盤奏者は若いときのリチャード・マニュエル(ザ・バンド)を思い出させる。それだけで、ちょいドキドキした?

 ほんわかした情感を持つ、生っぽい等身大ポップ曲を無理なく披露。手触りよし。そして、伝わってくるのは、アーンやバンド構成員の性格の良さ。アーンは何度かプロモーションや公演のため来日経験があるにも関わらず、新婚旅行の地に京都を選んだというから、相当な親日家なんだろう。そういえば、ジブリ映画(と、書いておいてナンだが、アニメ映画にうといぼくはどういう映画なのか想像できない)の大ファンのようで、シブリ博物館は私にとって最高の場所と言って、ジブリ映画で使われたというジョン・デンヴァー作の「カントリー・ロード」の日本語ヴァージョンを綺麗なイントネーションのもと歌う。また、終盤には気持ちを込めて、「上を向いて歩こう」を英語詞ではなく、日本語歌詞で見事に歌いきりもした。その際、ギタリストくんも日本語でコーラスを付けた。

 普通にアルバムで聞けることを再現しても及第点となるところ、アーンご一行様はそれだけに終わらぬ、ライヴならではのスペシャル感をいろいろと介する方向(ながら、それはぜんぜん押しつけがましかったりせず、おしとやか)でやっていったのだから、立派と言うしかない。ひねたおやじも、満たされた気持ちになりました。

<今日のアーンさん>
 アーンは当初2作目の発売を経て、この6月に来日する予定だったところがキャンセル、今回仕切り直しされて来日公演を行った。ここのところ、その手の仕切り直しの来日公演があったり、アナウンスされているが、それは日本の原発事故に対する海外マネイジメント側の危惧が減じてきていることを示すのだろうか。


 昨日から、いわき市に。ぼくはこの市に幼稚園年長から中学2年生まで住んでいた。そして現在、母親が住んでいるので、1〜3泊ながらお盆と正月だけは帰っている。……着いて、大きくはないものの、地震が少なくないのにはいささか驚く。これまで、帰省したときに、一度も体感したことはなかったのに(いわき市は、地震の少ない土地ともされていたのではないか)。夜中に一度、そのために目が覚めもした。

 この日は、大友良英(2011年6月8日、他)と遠藤ミチロウらが中心となる、結構豪華な顔ぶれが参加するメッセージ発信音楽フェス<フェスティヴァルFUKUSHIMA!>が福島市の運動場や近郊会場であった。見に行きたかったが、お墓参りのため、いわき市と喜多方市を母を車に乗せて往復しなきゃいけなかったので、断念。帰り道に、雨の降る郡山ジャンクション付近を通過したときに、福島市に思いをはせる。

 話ははずれるが、原発から近いわりには、いわき市の線量は低い。もっと距離があり阿武隈山脈を間に置く福島市や郡山市のほう(原発やいわき市のある浜通り〜常磐線/常磐自動車道沿線〜に対し、そちらは中通り〜東北本線/東北自動車道沿線〜、さらには会津というように、福島県では3つの地域にわけられる)がだいぶ高い。また、ホットスポットと言われる柏市なんかも同様。その最大の要因は、津波があって3日後だか、放射能が一番漏れた日に各所で雨が降ったものの、いわき市は降雨ゼロで土壌にあまり染み込まなかったから、という説もあるようだが……。

 夜に知人と会食。いわきでも<フェスティヴァルFUKUSHIMA>をやってますよと言われ、会場となる、クラブ・ソニック・いわきへ連れて行ってもらう。もとは映画館だったところにできたようだが、グラウンド・レヴェルにフロアがある、単体の建物のスタンディング会場。都内の一般的な邦楽系のライヴ・ハウスよりデカいし、天井高やステージ高も十分。いわき駅から近い中心地にあるものの、10台以上止められる駐車場(しかも、無料みたい)が入り口の前にどーんとある。すげえ。車でやってくる出演者にも優しいハコですね。

 いわきも本会場同様に、入場料は無料。8、9組出るということだが、フォークな出演者が多いみたい。アコーディオンを弾きながら、ヨーデルを歌う女性もいた。そして、その後に出てきたのは、インディーズ電力。佐藤タイジ(2011年5月18日、他)とうつみようこと高野哲の3人による、反原発を掲げるユニット。3人は、ライジング・サン・フェスティヴァルでブチ噛ました後、ここにやってきたそう。

 皆、生ギターを弾きながら、歌う。曲ごとにリード・ヴォーカルは変わり、他の2人は補助にまわる。リード・ギターは主に佐藤タイジが担当。レパートリーはすべてロック有名曲にもとめ、そこに日本語歌詞を載せる。ぼくが気にいったのは、ウツミが歌ったT・レックス「20th・センチュリー・ボーイ」をのんびり処理した「ニュー・センチュリー・ボーイ」。ふふふ。3人はざっくばらんな話もたっぷりしたな。

 その後に出てきた男女デュオは日本のフォーク曲をカヴァーしていたが、レイ・ハラカミのような聞く人の心に残る自作曲をやりたいと言っていた。彼らいわき市の北にある広野町(東電の火力発電所があるとともに、サッカーのJヴィレッジがあった)から避難していますとのmcも。同町の役場機能も、いわき市におかれているようだ。

 ほんの少ししか滞在していないが、いわき市はわりと普通に動いているように見える。フツーに店が開いていて、モノも並び、人も普通の格好で出歩いている、と思えた。県内の民放局の一つは、ニュース時に左隅と下辺に、選挙速報や災害時のように、県内各地の線量数値や浄水場の水質検査情報(←それは、各所検出されていません、というような表示がなされていた。定めた危険数値より低い場合はそう報道される場合もあるとも聞いたが)の文字情報が出される。それを見ると、毎日が非常時であることを認識せずにはいられない。

<本日の、バー・クイーン>
 クラブ・ソニックを経て、首都圏からやってくるアーティストのライヴをよくやっている、バー・クイーンにも行く。何度も出演している沼澤尚とかからここの話は聞いていたが、初めて行く。もっと駅に近いホテルの地下に店はあった。こちらも、広い。しかもステージにはちゃんとグランド・ピアノが置かれている。店主の加藤さんは小僧の頃からのジャズ愛好者であるようだが、それに固執せず、Jポップからワールド・ミュージックまで、応援できるものには門戸を開いているよう。素晴らしいな。同行者曰く、ここは料理がおいしいんです。いろいろと、いいヴァイヴがありました。

 目が覚めたら、14時。昨晩はアンダーワールドまで見て、帰宅。3時前には家についたはず。が、ぜんぜん飲んでないことに身体が悲鳴をあげて、それから、飲みに出ちゃいました。たは。

 てなわけなんで、幕張メッセの会場入りしたときは、16時。駐車には苦労するかなーと思ったら、一番近い駐車場があいていてするりと入れてニコっ。オレ、人間が出来ていないから、こういう他愛ないことで、気持ちが右上がり。ミュートマス(訴求力あった)、ヴィレッジ・ピープル(カラオケにあわせて、歌いポーズを取る。ニッコリ見れるかと思ったんだが、ぼくは楽しめず)、デス・フロム・アヴァヴ1979(再復活組、力あり)、ギャラクシー・イクスプレス(韓国の好漢ロック・バンド。アイランド・ステージは韓国や台湾のバンドを提供していた)、ピーター・マーフィ(空いててびっくり。が、円熟)、マーズ・ヴォルタ(やっぱ、好き)などをとっても軽い態度で見る。

 今年は屋内会場の設定温度が高めだったような。また、海岸に設置したビーチ・ステージの海側が柵だかテープだかだけになってて、海を見通せるようになっていた。マル。

<今日の高速道路>
 近年、ヘッドライトを上向きにして高速道路を走る人が増えているような気がする。(サイド・ミラーに映る、その光が)眩しくて、しょうがねえ。昔はイキがりたいタワケ者がする所作だったが、今はフツーの運転者が無知&鈍感流れでその迷惑行為を平然とやっているような。東関東道の帰り道もけっこういたな。閉口。ま、それはともかく、高速を走っていて、普段はあまり見ないような遠くの場所のナンバー・プレイトが確認できたりもした。お盆休みなんだなー、と実感す。
 川崎・クラブチッタ。おお、周辺の路地はお祭りの縁日のようになっていて、お囃子のような音楽も流れる。なんか川崎はりきってるなーと思ったら、いつもやっているわけではなく、たまたまやっている時にあたったよう。90年前後はスマッシュが川崎だけで首都圏公演をやることもあって、たまにチッタに行っていた(フィッシュボーンの公演後、仲間と駐車場で待ち合わせして、そのままスキーに行ったこともあったよなー)。が、それも2、3年ほどのことで、立て直されてからのチッタには初めて行く。

 汝、その名はブーツィ。もう、その事実を、目一杯かみしめることができたステージ。JBズ→P-ファンクと王道を歩んだ、天賦の才と天然を併せ持つ大ファンク野郎。今回はなんと黄金のP-ファンク鍵盤奏者たるバーニー・ウォレル(2007年8月7日)や百戦錬磨の熱血渾身ファンク・ロック大統領のT.M.スティーヴンス(ベースと歌。2001年10月31日)、70年代後期のブーツィーズ・ラバー・バンドにいたジョエル“レイザー・シャープ”ジョンソン(鍵盤)らを含む、10人を超える大所帯のバンドを率いてのもの。ホーン隊もしっかりいる。

 それにしても、T.M.の参加は本当にうれしいなあ。どういうきっかけで今回一緒にやっているかは知らないが、それもこれも<ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ>だから、と考えるのが正しい。そいうえば、生粋のニューヨーカーであるT.M.が初めてJBを見たのは10代頭の事。彼は公演会場のアポロ・シアターの裏口の辺にいると、ブーツィ・コリンズが誘って劇場の中に入れてくれたのだという。昔、bmr誌用にインタヴューしたとき(T.M.がぼくに“グルーヴ・ポリス”というあだ名を付けてくれたのは、その際だった)、彼はそんなことを言っていた。あのときの掲載誌が見つからないのではっきりした事は言えないが、年齢を考慮に入れると、それはブーツィではなくメイシオ・パーカーか誰かだったかもしれない。うろ覚え記載で、御免よ。

 ブーツィは入ったり、出たり。そのお際はおめしかえをする。彼が引っ込んでいる際は、TMがフィーチャーされるパートも。ベースは彼とブーツィでツイン・ベースになるときも。体力が続かないのかなーと思わせるところもあったけど、出てきているときは、ほぼ万全。イカれたファンクの素敵や様式美がこれでもか放たれ、もう絶対! 時に出てきた変な格好した女性ダンサーは嫁、またラッパーは息子なよう。ファミリー・ビジネスもソウル/ファンクの基本ですね。考えてみれば、彼はまだかろうじて50代なんだよな。10代半ばにしてプロ活動を開始、早熟叩き上げであることは美しいことかな。

 途中、大昔のJBのいろいろな実演映像が流され、それにも釘付け。やっぱ、こと踊りに関しては、MJ最大の影響源はJBであると痛感させるものが次々映る。ああ、アフリカン・アメリカン凄すぎ。とかなんとか、言葉を超えたファンクの形而上がテンコ盛り。ブーツィは客席におり、ファンにもまれながら延々と一人で会場を徘徊したりも。ああ、愛と心意気がありすぎっ。結局、二時間半はやったはず。くうっ。

 で、高速を飛ばして、幕張メッセ。サマーソニックの前夜祭的な、オールナイト・イヴェントに。クラブつながりのアクトやDJを用意し、3つのステージを用いる。

 会場入りし、22時半からやっているはずの、プライマル・スクーリーム(2009年1月28日、他)のステージに行く。すでに始まっていて、最初音が小さいと思った。成長や自信の裏返しで、淡々とやっているという感想も得る。もちろん、マニ(ベース)やバリー・ギャドガン(ギター)の助っ人入り。さらには、黒人女性歌手も今回はついていた。91年リリースの3作目『スクリーマデリカ』を再現するという名目を持つショウで、ほんとそうする。だだし、まんまの曲順ではなく、少しかえていたよう。

 20年後の光と陰、なんちって。ぼくは『スクリーマデリカ』に過剰に思い入れを持っていないので、身体の中を電撃がかけめくるということはなかったが、人によっては自分の20年間〜ロック生活を大好きなバンドとともに反芻する機会を持つような思いを得たらしい。うらやましい。ぼくにとって、そういうアルバムはとふと23秒間考えた。最後のほうにやった、非『スクリーマデリカ』曲に客が燃えていたのはご愛嬌。裏でやってた、フランスのバンドのジャマイカは映像が鮮やか。

 808ステイトのDJセットは肉体感横溢というか、派手に動いて、受け手を煽る。アンダーワールド(2000年11月24日、他)は例によって、効果的な音と美術の噛み合いで、大型の会場をきっちり“デジタル祭祀の場”に昇華させる。カール・ハイドに親近感を持っている(2010年6月24日、参照)ので、よりわくわく見れた


<今日の、理不尽>
 おいおい、ソニックマニア会場はなんであんなに飲み物売り場が列になっているのか。常軌を逸する。という、形容を使っていいものではないかなあ。なのに、最初から開けてないオフィシャル・バーがあったり、途中で閉まったり(売り切れた、よう)。混雑の理由は、入場者にドリンク・チケット(一杯ぶん、500円)の購入を義務づけたことがデカいはず。そりゃ、みんな並ぶわ。ぼくもプライマルの会場で一旦ならんだが、ぜんぜん列が進まず、少しは前で見たかったので飲み物購入を断念。車ゆえ、どうせ水しか買えなかったので片腹をさするぐらいで済んだが、ちゃんとお酒が飲める状況だったら、ぼくのココロは最大級に乱れたろう。うーぬ、とにかく、あまりに見通しの立て方が悪すぎないか。結局、最後はにっちもさっちも行かなくてドリンク・チケットの払い戻しもしたと、後できいたが。

 南青山・ブルーノートで、映画俳優/監督のティム・ロビンスを見る。ステージ左右にはミュージシャンだった父親と母親の写真をそれぞれ飾る。父親は「ミラクル」という61年全米1位曲も持つフォーク・グループのザ・ハイウェイメンのベース奏者だが、そんな環境もあり、ロビンスは小さい頃からいろんな音楽に浸り、楽器にも触れていた。

 そんな彼だけに映画音楽にタッチすることもあったが、今年初リーダー作を抱えてライヴ・ツアーを大々的に敢行。日本にもやってきた。その『ティム・ロビンス・アンド・ザ・ロウグス・ギャラリー・バンド』は制作がハル・ウィルナーであることも納得の、渋さとクールさが溶け合う好“アメリカーナ”作品だ。

 ステージ上にはギターを弾いて歌うロビンスを、ギター、ミュージカル・ソウ(音楽的効果音を出すノコギリ)、キーボード/アコーディオン、ヴァイオリン、ウッド・ベース、ドラム奏者がサポート。彼らは和気あいあいで、渋い手作りサウンドを送る。うぬ、なかなかに、いいバンド。スリムなギタリストのデイヴィッド・ロビンスはリーダー作も出している兄で弟よりハンサムで若く見える。若いヴァイオリン奏者のデイヴィッド・アルペイはカナダ人俳優だがサージ・タンキアン(システム・オブ・ア・ダウン)の表現にも関与しているのだそう。ミュージカル・ソウを担当するデイヴィッド・コールターはザ・ポーグズ(2005年7月29日)にいたこともある英国人で、キーボードのロジャー・イーノはあのブライアン・イーノの弟。というわけで、渋いアメリカン・サウンドを出してはいるものの、英国人2人とカナダ人がバンドにいるのは面白い。後でロビンス本人にそれを指摘しつつ、でもザ・バンドも5人中4人がカナダ人でしたよねえと続けると、うれしそうな笑顔を返してきた。

 ロビンスの歌は訥々。過剰に上手いわけではないが、ちゃんと味があって、不足はない。そして、総じては、ちょっとしたストーリーを持つアメリカ風景の古い写真を何葉も見せられるような気分になったりも。アルバムより実演のほうがもっといいというのは、ちゃんとアルバムを聞いた人の大方の感想であったようだ。

 アンコールは、鍵盤だけをバックに、堂々と「スキヤキ(上を向いてあるこうの、英語版)」を歌う。おお、俳優の面目躍如。そして、最後は全員で声を重ねた曲を披露し、いい余韻を残してショウを終えた。

 その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、パブ・ロック流れで出てきた英国人シンガー・ソングライターのニック・ロウ(2009年11月5日)のショウを見る。その道の愛好者で、けっこう場内は埋まっている。

 最初は、ギターの弾き語り。ありゃ、こんなにロカビリーぽいといういか、レトロな感じの曲調をやる人だっけかと思う。それはバンド(その道の名手たちのよう)がついてからも同様。まあ、近年の彼のアルバム、ちゃんとチェック入れてないからな。が、品格と矜持と滋味アリ。ぼくはもう少し弾けた部分、R&Rっぽい部分があってほしくはあったが。でも、今はもっとワビサビを持つことをやりたいということなんだろう。

<明後日のロビンスさん>
 金曜夕方に、ロビンスには取材。余裕の方ね。与えられた時間は長くはなかったが、答えが当を得ているので、聞きたいことは大方きけた。アナログ・マニアで、大学生だかの息子と仲良く一緒に家で聞くんだとか。
 両親はUCLAのマーチング・バンドで知り合ったそう。彼はNYグリニッジ・ヴィレッジ育ちだそうだが、60年代後半のグリニッジ・ヴィレッジは変な人が沢山集まってきていて、大層刺激的だったとか。今回の初アルバム・リリースについては、旧知のハル・ウィルナーにデモ・テープを渡したところから発展、彼の尽力がなかったら、アルバムは成就しなかったと思っているとのこと。子供のころからミュージシャンをはじめいろんなものになりたかったが、それらをまとめてできそうなのが役者だったので、その道を志した、と彼は言う。ただし、なりたかったカウボーイの役だけはまだやってないなあ、と微笑む。彼はニューオーリンズを舞台にしたTV番組「トレメ シーズン2」の監督をしている。同地の音楽が大好きなのかと思えば、そんなにニューオーリンズ・ミュージックには思い入れを持っている感じではなかった。

 ほんわか〜。まるっきり寛いだなかで、人が重なり合う感覚100%の淡々ポップスが次々に送り出される。

 オランダ洒脱ポップ職人たるベニー・シングス周辺者6人が集まったプロジェクト・バンドであるウィル・メイク・イット・ライトの新作が相当にいい出来なので、これは見に行かなくてはと思った。それ、いろいろなベニー・シングス関連盤の中、一番ロックに対する知識が溢れ、かつ一皮むいたところで微妙に歪んでいたりする部分があり、度を超えた妙味を覚えてしまったのだ。そんな魅力を持つウィル・メイク・イット・ライトは、なんかジャザノヴァ関係者におけるシーフ表現みたい(2009年8月25日、参照)と言えるかも。

 六本木・ビルボードライブ東京。ステージ上には、自然体の男性5人/女性1人のミュージシャン。ベース、ピアノ、ギター、管楽器、ドラム、DJなどを基本の持ち楽器としつつも、けっこう彼らは楽器を持ち替えるし、リード・ヴォーカルもいろいろ変わり、コーラスも和気あいあい。そして、そこから、さりげなくもいい感じの、含みと歌心あるポップ・ロック表現がすうっと沸き上がる。やはり、ある種の名人芸があるかな。楽器を持ち替えるバンドに駄目なバンドはいない。その説は見事に今回も証明されました。

<今日のPC>
 ぼくは2台のPC(マック・ブックとiブック・G4)を机に並べて、仕事をしている。気分によって、原稿を書く方とネットを見るほうを使い分けている。また、平行して書いている原稿を、それぞれに振ることもある。メールはどっちも使う。前にも書いたことがあるが、ぼくは乱暴モノでキーを強く叩くため、キーボードのキーが破損しちゃう。ともに、1〜2箇所。ながら、欠けていても、その部分を強く押すと反応する。なんとかなってマス。が、ぼくのPCのキーボードを見ると他の人はギョッとするし、この文を見ただけでも困惑を覚える人がいるだろうな。今、片方のPCのスペース・キーにヒビが見られるようになった。なるがままに。もー暑いしぃ〜、どーでもいいや。


 渋谷・O-イースト。スカをベースとする大型バンドのOi-SKALL MATESのパフォーマンスが終わり、DJが音楽を流している際にフィッシュボーン(2010年7月31日、他)の登場を求める連呼と手拍子が起きる。そして、音楽が消えて場内が暗くなると、ワアーと熱烈な歓声。じいーん。やっぱり、熱心なフィッシュボーンのファンはちゃんといる! とっても、うれしかった。

 ファンである冥利を噛み締め、贔屓目に聞いちゃうのを自覚しつつ……でも、厳しい目で見ても、今のフィッシュボーンは相当いいし、新しいタームに入りつつあるという新しい息吹きを感じることができた。タイトなドラマーの叩き口に触れても判るように、ちゃんと優秀な人材を確保して、バンドは活性していると思う。00年代中期に解散しかかる前、90年代後期あたりの実演(たとえば、2000年7月28日)は怒濤な激情表出もあり、歌心/歌の行方が見えづらくなったりもしたが、今はそういう部分は(PA音がちゃんとしていたこともあるだろうが)ない。

 一つあれれと思わせられたのは、長年フロント・マンを務めているアンジェロ(2009年11月25日)がほんの少し中央から退く感じ(ステージ上の位置取りもそうだが)になっていたこと。客席へのダイブ回数も減ってきている? でも、それはラインアップ的にも充実している、今のフィッシュボーンの姿をアピールしたいという、彼の考えを顕していたかも。もともと当初はメンバー渾然一体となったステージングを見せていところ、クリストファー・ダウド(鍵盤、トロンボーン、歌)やケンダル・ジョンーンズ(ギター)やウォルター・キルビーⅡ(トランペット、歌。現在は再び復帰)らの脱退で個性的なキャラが減り、よりアンジェロが前に出てバンドをひっぱるようになったという経緯もあるし。アンジェロもすでに40代半ばを超えているはずで気力はともかく体力は落ちていないはずはないし、魅惑のソロ活動にも力を傾けているし、彼が新たな<フィッシュボーンとワタシ>の関係を築こうとしても不思議はないだろう。で、ぼくの所感では、現在それがうまく回り始めていると思えるのだ。

 ほぼ、代表曲を網羅の2時間弱。浮かれるっ。なだけでなく、やっぱり混合ビート・ポップの素敵、音楽や制度の枠に体当たりする勇気、心意気たっぷりの熱さ、などが口惜しいほどに受けとめることができ、ぼくの体内で炎が燃え盛る。(かつての竹馬のバンドである)レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(2007年4月6日)なぞ足下にもおよばないわいという、歪んだ(?)侠気が沸き上がってきて仕方がなかった。

<今日の、人探し>
 本文中に名前を出した、クリストファー・ダウドは今どうしているのだろう。93年作をもって、フィッシュボーンを脱退。が、97年にはシーディ・アーケストラ(サン・ラーのアーケストラから名を取ったろう)名義で『パズル』というアルバムを出した。当時、日本盤はレゲエ・マガジンを出していたタキオンから出された。ライナー、書いたな。そこにはロック(ジェフ・バックリー)、NYボーダーレス・ジャズ(ドン・バイロン、ブラッド・ジョーンズ、ジョシュ・ローズマン)、ファンク(アンプ・フィドラー)、R&B(エンディア・ダヴェンポート)ら各界の逸材を自在に組み込んでおり、結果的に、生理的に幸福なクロスオーヴァー・ポップが浮上。その後の飛躍が期待されたのだが。
 なお、2011年6月22日の項で紹介したアンジェロのソロ作用資金集めは、駆け込みで設定額に届いたようだ。イエイ。
 翌日、ご一行は欧州ツアーのため、北京経由でパリに向かう。早朝にパスポートなくしたァと大騒ぎしてみたり、搭乗手続き時に重量超過で課徴金を請求されたりと、アンジェロは飛び立つまで、大変だったみたいだが。やっぱ、けっこうコドモ?

 2008年から始められ、09年からはYMOがトリを務める邦楽系野外フェス。場所は新木場駅近くの夢の島公園・陸上競技場。なるほど、横のほうには公園ぽい緑や空間がどばあっと広がっていて、東京都民が出すゴミの埋め立てで出来た土地とはとても思えない。16時に会場に着く。サケロックの星野源がフォークな生ギター弾き語りをやっている。昼下がりは相当に熱かったらしいが、雨が降ったりも。大小一つづつのステージを持ち、交互に出演者は登場する。

 鈴木慶一(2004年12月12日)と高橋幸宏(2009年10月31日)のTHE BEATNIKS、神聖かまってちゃん(へーえ、こんなん)、サカナクション(人気あるんだなー。なるほど、今ならではの邦楽のメインストリームと言えるか。フロント男性のお行儀のいいMCにはびっくり)、salyu x salyu、YUKI、TOWA TEI、YMOと見る。YUKIとTOWA TEIは奥の方で、知人で飲み和んでいたので、流れてくる音に接しただけですが。YMOでは何人かがサポート、入っていた外国人はクリスチャン・フェネス(2010年11月17日、他)? 坂本龍一はハンド・マイクを持って肉声を発したりした。また、彼がスローガンに掲げる<No Nukes,More Trees>と言う文字が白抜きされた黒い大きな旗を、生理的にまっすぐに振ったりも。細野晴臣(2010年4月15日、他)は少し若く見えたかな。新曲もやったそう。

 とにもかくにも、驚いたのは、salyu x salyu。なんじゃあ、これ。2011年最大の出会いとなるのは間違いない。その名前自体もぼくはちゃんと認知してなかったので、余計に鮮烈。Salyuという女性シンガーの多重歌声プロジェクトらしいが、実演はサポートの複数シンガーを雇い、コーラス・グループのようにパフォーマンスする。と書くと、そのオルタナティヴな音楽性からは生理的に離れてしまうかな。

 小山田圭吾(2009年1月21日)がプロデュースしているそうだが、ノリとしては、コーネリアスの才気と広がりに満ちたサウンドを百花繚乱する(あ、この形容は大げさです)肉声に置き換えてやってしまうとこうなる? 気のきいた楽曲と伴奏の上で戯れる女性ヴォーカル陣は歌を重ねるだけでなく、拍手で凝ったアクセント音を入れたり、鳴りものやピアニカ音を入れたりも。そういうのも愛らしくも有機的に重なり、ライヴの場で本当に素敵な像を結ぶ。

 かなり難しいことをやっているはずなのに飄々無邪気なノリで、音楽をする歓びを振りまき、けっこう実験的かつ挑戦的なことをやっているのにしなやか柔和で、ポップ音楽の輝きを放っているのだから、これは言うことがない。

 とにかく、釘付け、ぶっとんだ。海外のフェスやライヴ関連のキュレイターやオーガナイザーに知り合いがいたら、ぼくはもう捨て身で推薦しちゃうなあ。ハイパートーキョーのサップ・ママ(2004年12月16日)、なんて説明したりしてな。やっぱ、日本のポップ音楽界は凄いのはとても凄い。って、それはどこでもそうかもしれないが。
 
 YMOを途中で中座し、南青山・ブルーノート東京に向かう。出演者は南アフリカ生まれの重要ジャズ・ピアニスト、アブドゥーラ・イブラヒム(旧名、ダラー・ブランド)。テンション高い飛躍と人間的なメロディ性を自在に併せ持つ、アフリカの機微たっぷりのピアノ演奏をいろんな形で展開してきたビッグ・ネーム。最初はソロで演奏し、途中からリズムの2人が入り、トリオによるパフォーマンスとなる。どちらにせよ、思いつくまま臨機応変。そんなイブラヒムに無理なく寄添うベルデン・ブロック(ベース)とジョージ・グライ(ドラム)はNYの硬派系ジャズ・サークルにいる奏者たちだ。

 別に過剰にタッチが強いわけでも饒舌でもないが、きっちり彼の背景、人間性、心持ちが伝わるパフォーマンス。それ、ひいては、ある種のジャズの素敵も露にする。やはり、貴重な弾き手なり。


<翌日のイブラヒム>
 翌日に、御大に取材。長年(古)武道をやっているせいか、年齢(34年生まれ)よりも若く見えるのは間違いない。なんか元気で、今日もトレイニングのため、早朝起きしたと言っていた。長年の武道の師はトネガワ先生とかで、彼はけっこうインタヴューの返答のなかに日本語の単語を入れたりもする。また、日本の染めモノとか、そういうのにも詳しい。それから、デューク・エリントンはこう言ったが、とか、先達の発言を引用して答えを返してくるのも、彼の特徴。それは本人も自覚していて、最後のほうは引用する際にオレもしつこいねという感じおどけて、笑いをさそってきたりもした。アパルトヘイトが崩れ、南アに住む(住める)ようになった彼は悠々、ときどき演奏のため国外に出るという生活のよう。けっこう、厳しい人のようにも思えるが、確かにそういう部分もあるのかも知れないが、ちょっと接した分には、かなりウィットを持ち、サバけているという印象も持った。あなたのジャケット・カヴァーは魅力的なものが多いですよね。と、問うと、「自分でディレクションを出している。でも、マーケッティングとして、それは当然の行為でしょ」とウィンクするように答えたりもする。彼のグループ作の中には本当にカラフルでポップな、大衆アフリカン・フュージョンという内容のものもあるが、それは天然でない部分で作っているのかもと、後からふと思った。あ、それから、彼の娘は米国で活躍する実力派ラッパーのジーン・グレイですね。御大、彼女のことを聞いたら、うれしそうでした。
 ところで、彼の旧名を一躍有名にしたピアノ・ソロ作『アフリカン・ピアノ』はECMの前身であるJAPO(Jazz by Post)からのリリース。改めて爆音で聞いてみたら、ピアノ音にはびっくり。わー。これは、完全に現場の音を意図的に、制作者たちの考える局面になんの迷いもなくトランスファーさせている! そして、それは後のECMでより強く出る指針と言える。だが、そういうバイアスをかける行き方も、好奇心おう盛なイブラヒムは楽しんだのではないか。インタヴュー後には、そんなふうにも思える。話は飛ぶが、近く来日するシニッカ・ランゲランのECM盤ライナーノーツで、以下のような事を書いた。


 ECMはどんなジャズ・レーベルよりもポップ・ミュージック的である。と、書いたら、笑われるだろうか。
 それは、以下の理由による。
 多分にレトリックが入るが、ジャズとポップ・ミュージックの違いを、ぼくは次のように説明したりする。無数の点が繋がり線で描いて行くのがジャズとするなら、ポップ音楽は最初から面で描く絵のようなもの。だから、ジャズは最初から最後まで追って聞かないと、その真価が分からない。しかし、ポップ・ミュージックの場合はそうではなく、パっと聞いても何気に判る……。
 で、ECMの場合。一聴して、その真価は判らないかもしれないが、すぐにこれはECMの音だ、ああこの広がる余韻や含みは素敵だなあと、思えるものが多い。50年代の骨太なブルーノートのサウンドも一部そうであったかもしれないが、音楽的醍醐味と音質や佇まいが効果的かつ決定的に結びつき、得難い魅力を即効的に放つジャズも絶対にある。
 “点”で語る即興音楽の面白さを求めつつ、一方では“面”においても、我々の表現のアドヴェンテージをしっかりと提示してみよう。マンフレット・アイヒャーが社主プロデューサーを勤め続けるECMの新しさ/独自性は、そこにあるのではないか。そのプロダクツが映像的と言われるのも、それゆえのこと。同レーベルの<Editions of Contemporary Music>たる真意もまさしくそこにあると、書いてしまうと我田引水になってしまうかもしれないが。


 葉山マリーナでのレコード会社(ユニバーサル・ミュージック)直打ちのジャズ・フェスティヴァル。老舗ジャズ・フェスに米国ロードアイランド州ニューポートで54年から開かれている“ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル”というのがあって、それの58年の模様を記録した著名映画は「真夏の夜のジャズ(英題;Jazz on a Summer’s Day)」といい、その映画の名声もあり同ジャズ・フェスはある種、ジャズ夏フェスのアイコンのようなものになっている。とうぜん、今回のフェス名もそれを引用している。<ビル・エヴァンスに捧ぐ>という副題も付けられていて、出演者はみなエヴァンス絡みの曲を1曲はやっていたのかな。

 海に向かってステージを作り、そこに椅子やテーブルを並べる。普段はヨットが並べられていた所なのかな? なんでも、客は2.000人を超えたそうな。出演者は順に、▲ハクエイ・キム・トライソニーク(2011年4月10日、他)ウィズ・ウインター・プレイ(韓国の男女デュオ)、▲大西順子(2011年2月25日、他)の日本人で固めたセクステット、▲アマンダ・ブレッカー(ランディ・ブレッカーとイリアーニ・イリアスの娘)&ジェシー・ハリス(2010年10月10日、他)・グループ、▲山中千尋(2010年3月14日、他)トリオ・ウィズ・稲垣潤一、▲小曽根真(2011年3月28日)。

 ブレッカー(すらりとしていて、意外に見栄えがするな)とジェシー・ハリスが一緒なのは、彼女の新作をハリスが制作しているため。与えられた演奏時間が短かったためか、ハリスは伴奏に徹して、自分の曲はやらず。山中と稲垣は2度目の共演となるらしいが、途中から出てきた稲垣が歌ったのはどれも日本語歌詞のスタンダード曲。そして、トリの小曽根だが、まずMCが上手くてびっくり。もう、観客をひきつけ、場がぱあっと華やぐ。

 そんな小曽根のパフォーマンスは、彼のビッグ・バンドのノー・ネーム・ホーセズによるもの。その演奏の後半には青山テルマとクリスタル・ケイがゲスト歌手として登場。前者はエタ・ジェイムズの「アット・ラスト」、後者は美空ひばりも歌った(と、本人がMCで紹介していた)ジャズ曲の「シャンハイ」を分厚いジャズ・サウンドのもと歌う。一生懸命練習したんだろうけど、2人とも問題なく、ちゃんと聞かせる。やっぱり今のJソウル系歌手はフィーリングが確かだよなと、思わせられた一コマ。とくに、クリスタル・ケイは経験も積んでいて、余裕綽々。彼女たちはアンコールにも出てきて、ジョン・ヘンドリックスが歌詞をつけたスピーディーなジャズ曲「クラウドバースト」をビッグ・バンド・サウンドにのって、スキャットなども噛ましながら歌う。無条件に見る者を惹きました。

 終わってから、けっこう盛り沢山だったんだなー、と頷く。この催し、来年もやるのかどうかは知らぬが、もしあるとするなら、<熟達ジャズ勢と若手Jポップ勢 邂逅の場>のようなものにすればいいのにと、思わずにはいられず。

<今日の湘南>
 約2年ぶりの湘南行き。この手の催しで飲めないというのは悲惨なので、素直に電車で行く。会場売店にシャンパンのボトルも置いてあり、何より。大昔は、(国道)134と聞いて、胸騒ぎを覚えたりしたのになあ。ちょっち湘南まで車を飛ばそうか、なんても、ぜんぜんしなくなったよなー。基本、そんなに海を求める人間ではないということか。釣りには一度も興味を持ったことがないし。なんとなく、水辺(汚れていなかったら、川でも湖でも海でもいい)に住みたいという願望はなくはないのだが。

 代官山・ユニットで、デヴェンドラ・バンハート(2010年2月4日、他)を見る。現代ロック界の重要人物の一人であるはずなのに、会場はぎょっとするほど空いていて、愕然。フジとサマーソニックの2つのロック・フェスに挟まれているというのは、やはり大きいのか。また、前回来日時から新作を出していないというのは、ファンから敬遠された理由になっている?

 でも、そこはデヴェンドラ、前回同様の4人のサポート陣(ギター×2、ベース、ドラム)を従えたギグながら、1年半前のライヴとは別のフェイズを持っていたのではないか。前半部に淡々と続けられたのは、オールドタイムなと言いたくなる、一握りの甘酸っぱさを持つ、生理的に穏健なポップ・ナンバー。前回公演もだいぶ怪しさは減じていたものの、今回は髪もお行儀よくカットしていて、よりフツーのいい人路線は強調される。1曲終えて、彼はアイドルのように、ニコニコとお客さんに向かって手を振ったりもしたが、それもなんか違和感がなかった。で、そうしたパフォーマンスからはジューシーな歌心、ちゃんと温もりを持つ音楽家の心持ちのようなものが、浮び上がってくる。

 というような実演に触れながら、ぼくが思い出したのは、マイケル・フランティ(2006年10月5日、他)の、2008年にインタヴューしたときの以下の発言だ。

 「俺は確かに政治的なアーティストで、様々な活動もしてきている。だけど、(イラクに行って)ストリートにいるイラク人に音楽を演奏したとき、彼らは何て言ったと思う? “ラヴ・ソングを歌ってくれ!”、だよ(笑)。彼らは戦争の歌なんて聞きたくない。彼らは戦争の中に生きているんだから。だからラヴ・ソングや踊れる曲を聞きたいし、人生に対する情熱を歌い上げる曲を必要とするんだ。そういった経験からも、俺は人の心が持つすべての感情を映し出す音楽をやりたいと思っている。もちろん、社会の色々なことに対して時にはノーと言わねばならないけれど、同時に愛や文化や情熱を賛美することも必要なんだ」

 フランティの08年作『オール・レベル・ロッカーズ』(アンタイ)はその反骨的なアルバム・タイトルと裏腹に娯楽性に富む歌詞が目立ち、両手を広げるようなポップな曲が印象に残る内容となっていたが、その奥にはそういう心持ちが反映されていたのだ。そして、今回のバンハートのショウの手触りにも、ぼくはフランティが抱えた心境の変化のようなものを感じずにはいられなかった。とともに、それはバンハートが震災や原発事故という惨事を受けてしまった日本に対する思いの裏返しであるとも……。

 中盤は、しっとりギターの弾き語りを一人でやり、後半はバンドに戻り、ときに混沌方向に行きかかるところもあったが、間違いなく控え目であり、見せなくていい“暗黒”や“傷口”を回避するものであるように、ぼくには思えた。だが、それは手を抜いたわけでも、彼が分別ある大人になったわけでもなく、世界の現況、とくに日本に抱く思いの重さが、そういう行き方に彼を向かわせているのではなかろうか。ぼくは、彼の“慈しみの滴”を実演のあちこちに見てしまった。

 けっして軽くない感想を得た後に、渋谷・クラブクアトロに移動。バンハート公演が1時間半にも満たない演奏時間であったこと、そしてこちらは2つも前座があったことで、リーボウ(2010年12月12日、他)公演の1曲目に滑り込むことができて、うれし。世の中、うまくできているナ。ただし、こっちはぎょぎょっとするほど込んでいる。700人以上入っていたそう。一昨日のコンゴトロニクス公演も同様であったらしいが、悲しくなるほど前売りが伸びていなかったのに、直前になって売れたのだそう。なお、リーボウ組もフジ・ロックに出演している。

 NY狼藉ジャズ〜ボーダーレス・ミュージックの主任ギタリストにして、曲者ロッカーからも表現に生きた陰影やはみ出しを与える奏者として引っ張りだこ(今は、T・ボーン・バーネットとジョー・ヘンリー;2010年4月4日他、現米国ロックの二大制作者がもっとも重用するギタリストでもありますね)のリーボウが90年代後期に突如始めたキューバン・ラテン音楽バンドが偽キューバ人たち(Los Cubanos Postizos)。もともとはアフロ・キューバンの偉人トレス奏者であるアルセニオ・ロドリゲスの魔法をなんとか引き寄せんと結成したもので、98年と00年にアトランティックから2枚のアルバムを出し、01年にはそれで来日したこと(2001年1月19日)もあった。で、今回の偽キューバ人も前回とまったく同じ顔触れによるもの。結局、ブラッド・ジョーンズ(2004年9月13日)は身内の不幸かなんかで別の人に変わったが、その代理のベーシストもかっちょいいベースを弾いていたな。

 技術と経験とバカヤロの心とラテン音楽愛が濃密にとぐろを巻く、よく弾み、飛躍もある、笑顔のインスト表現。このバンドだとリーボウは過剰に“破れ”たり“迷宮入り”することはせず、ビートに乗って、無理なく歌う。カルロス・サンタナみたい、と言う人もいたか。ともあれ、受け手は、生きた意思を持つ音楽の醍醐味を目一杯享受したに違いない。

<今日のリーボウ>
 16時過ぎ、サウンド・チェックを終えたリーボウに、楽屋で取材。前回、偽キューバ人で来たときにもインタヴューしたので、ちょうど10年ぶりの取材。どこか斜に構えたところも感じさせるが、それは照れと諧謔の裏返しであり、今回の取材で、かなり太い芯と知性をもつがゆえの独立独歩であることが実感できた。
 90年にアイランド/アンティルズから出した『ルートレス・コスモポリタンズ』という彼のアルバムがあって、セロニアス・モンク的回路をパンク・ジャズ的環境に移したような内容でぼくは大好き(そう言いつつ、ずっと聞いていないが、かつてはこれこそがぼくの理想のジャズの一つ、と思っていた)なんだが、リーボウ自身はそんなに好きじゃないとか。ガクっ。ただし、ナチスのユダヤ人排斥までさかのぼるそのルートレス・コスモポリタンという言葉の本来のダークな由来についてはじっくり説明してくれる。へえ。今回の取材は2誌に書き分けることになっているが、その項目については、ともに使わないだろうけど。
 取材前にやっていたバンドのリハーサルもばっちし見る事ができた。本編は激込みで(→でも、またの来日が決まりやすくなるはず)、とっても見づらかったから、それはとてもありがたかった。ちんたらやってるなーと思ったら、けっこうギンギン弾き出したりもし、さらにはバンド一丸の白熱(=魔法を持つ)演奏に発展したりも。そこはミュージシャン、やってると興が乗っちゃうんだよなあ。
 コンソール部を見ると、エンジニアリングをしているのはオノセイゲン(2009年1月17日、他)。ありゃ。ライヴの現場やるのは久しぶりじゃねえのと話しかけると、まさしくそうとか。リーボウさん、今の偽キューバ人はいい感じにあって、この日のライヴ・レコーディング(を考慮にいれたので、いつもより、少し入念にリハしたというのはあったかも)音源を商品化する可能性もあるとか。期待しよう。なお、セイゲンのアルバムにはリーボウが入っているものもある。まあ、カエターノ・ヴェローゾ(2005年五月23日)がライナーノーツを書いた(そのポル語原稿の英訳はアート・リンゼーが担当)リーダー作も持っている御仁だからなー。
 それから、カナダの超歌心アリの現代ロック・バンドのパトリック・ワトソン(2008年11月12日、2009年8月8日、2010年1月21日)のギタリストにギターを教えたことがあるのと問うと、本当だそう。でも、それは希有なケースらしい。リーボウは3年連続で年末の矢野顕子のツアーに参加してバンド表現を育んできたが、今年はやらないとのこと。残念。

 最初、六本木・ビルボードライブ東京で、英国のロッキン・ソウル・バンド(2010年1月29日)を昨年に続いて見る。決して大型のバンドではないが、チーム・ワーク良し、小回りが利き、気持ちの入ったUKホワイト・ソウルを聞かせる。で、なんかフフフとなれる。ファンキーさは前回公演のほうがあったかもしれないが、そこはかとないUKぽさをぬわぬわ出していたりして、やはり応援したくなる何かをちゃんと持つ。ベースは前回公演の項でぼくが絶賛しているオーストラリア出身者、キーボード氏は若いときのスティーヴ・ウィンウッドを思い出させるイケ面くん。英国の血が半分はいっている人と見たのだが、ドラマーが英国に住む従兄弟とそっくりとのたまう。

 その後、南青山・ブルーノート東京に移動し、毎夏やってきて毎度クォリティの高いパフォーマンスを披露してくれる熟達ブラジル人シンガー/ギタリストのジョイス(2010年7月29日、他)を見る。毎度のピアノ・トリオをバック(今回、ピアニストは音数が多すぎ=少し弾き過ぎと、ぼくは感じた)に、悠々とギター弾き語りを披露。なんど見ても、いいなと心から思わせられるナ。なお、彼女はずっと用いていた“空洞ギター”を用いず、アンプ内蔵ながら見た目はノーマルなガット・ギターを弾いていた。それから、単独弾き語りでも数曲。今年は、そのパートが長目だった。

 途中に、今年のゲストのしなやかミナス派のセルジオ・サントスが登場。最初はデュエットでやり、その後は単独でギター弾き語りを数曲。したら、これが岩に染み入るようなスケールのデカい超然和み味を持っていて、大きく頷き、浸りまくる。最後にも両者は絡んだが、もっともっと彼のパフォーマンスに触れたかったか。


<今日の気>
 “気”と言っていいのか、判断に迷うが、寛いだ雰囲気のなかジョイスにはそれがあり、場内の空気の透明度も普段よりも17%高めと感じる。凛、という、形容も大あり。で、さあーと高潔な人間性のようなものが場内に舞う。その得難いフィーリングに触れ、なんか大人の同性に高く評価されそうなものが山積みだァとも痛感しちゃいました。


 電気リケンベ(親指ピアノ)と立ったなビートが売りの中央アフリカのコンゴ民主共和国のミュージシャンと、西側の今様ロックの担い手たちが、同じ土俵で重なり合おうとするライヴ・プロジェクトがコンゴトロニクスvsロッカーズだ。渋谷・クラブクアトロ。満員というのは驚かないが、これだけ客層がちっている公演も珍しいのではないか。それは、この出し物が抱える幅広さを照らし出すものでもありますね。

 コンゴ勢はコノノNo.1(2006年8月26日、27日)とカサイ・オールスターズ(2007年10月25日)、欧州進出している2バンドの選抜群。そして、この晩のロック側はアルゼンチンの清新自作自演派のファナ・モリーナ(2003年7月29日、他)とNY冒険派のスケルトンズ/マット・メラン(ギター)、さらには当初予定には入っていなかったディアフーフ(2009年2月1日、他)のギタリストやベルギーのクラムド・ディスクを仕切るヴェインセント・ケネス(ベース、元アクサク・マブール)もステージに上がる。多いときで、ステージには14人のミュージシャンがいた。

 基本、コンゴ共和国勢のマナー/出来る事にロック勢が寄り、いろいろ“+α”を与える。そして、その結託は何かと賑やかで広がりを持つ、祝福されたビート・ミュージックとなり、見る者をごんごん鼓舞する。基本は1コードの反復表現、ながら、その総体はなんとも太い歓びの感覚やユニティの感覚、ひいては生の人間の輝きなんかを存分に聞き手に与えるのだから、そりゃ有頂天になれる。コンゴ勢の手振りや踊りも、とてもアトラクティヴだった。


<今日のモリーナ>
 このプロジェクトは欧州各地のフェスを回ってきた末に日本にやってきたが、ファナ・モリーナは大使館の人に、30日のフジ・ロックでのパフォーマンスがこれまでやったなかで1番良かったワと、開演前に言っていたそう。フジのステージを見た人、良かったですね。モリーナは非アフリカ勢としては唯一ステージ前方に立ち、歌ったり、シンバルを叩いたり、ギターを弾いたり、コンゴ勢と踊ったりと大車輪。澄んだミュージシャンシップ全開! 終演後も入り口のところで、親身にファンの相手をしていた。


 昨年再活動なった菊地成孔(2011年5月5日、他)率いるハイパーで混沌も求めているファンク・ジャズ・バンド(1999年12月22日、他)の、恵比寿・リキッドルームでの実演。2日前にはフジ・ロックでやっているはずだが、満員。随時、熱い声援も沸く。

 全11人。残留メンバーは菊地を入れて4人で、あとは新しい顔ぶれ。SOIL~(2011年6月23日、他)の鍵盤奏者の丈青は目玉人事であろうと推測するが、この日は不参加で別なプレイヤーが演奏。かつては横のほうに位置していた菊地だったが、今はステージ中央に堂々立ち、サウンド全体を舵取りする。で、前よりも派手にCDJ、キーボード(マイルス風の音色設定)を操りもし、指揮の仕草もかなり大仰。それ、マイルス・デイヴィス流れのかつてのコンダクターぶりを自己パロディしているみたいに見えた。ともあれ、彼の合図で、アンサンブルやソロや曲調がすいすいスウィッチされたり、重ねられたりする。

 グルーヴィだったりクールだったり凸凹だったりするいろんな音楽語彙の重ね合わせは、そういう判り易い見せ方を伴うこともあり、とても明解。新生DCPRGはかつての表現の両手を広げた普及版を目指しているようにも、ぼくにはなんとなく思えた。エンポリオ・アルマーニならぬ、エンポリオ・デートコース?

 DCPRGの出発点にあったのは、菊地雅章(2004年11月2日、他)の『ススト』(←それ、プリンスの好調作に肩を並べる仕上がりを見せた日本人の唯一のアルバムだとぼくは思っている)表現。菊地雅章が病床にある今、実現する可能性は低いと言うしかないが、一度は“菊地×菊地”を見てみたいよなー。単音でロックぽくギンギン弾きまくるギターくんだが、ぼくの好みで言うなら、スリルに欠ける。ジェイムズ・ブラッド・ウルマーとかケルヴィン・ベルのようなタイプのギタリストを雇ってほしいところだが。アーサー・ブライスの突出パンク・ジャズ盤『イリュージョン』(コロムビア、80年)で弾いていたのはウルマーだが、それをフォロウする80年代初頭の2度の来日公演はケルヴィン・ベルが代役で同行。そして、ベルは菊地雅章のオルタナティヴなファンキー・ジャズ・バンドたるオール・ナイト・オール・ライト・オフ・ホワイト・ブギー・バンド(通称、AAOBB)の一員でもあった。また、ドレッド・ロックス頭の彼はザ・ケルイヴィネイターというブラック・ロック・バンドを組んでいたこともあった。

 9月には、今年6月にリキッドルームで収録された2枚組ライヴ・アルバムが、ユニヴァーサル・ミュージックからリリースされる。

<今日の懺悔>
 なんの準備もしていなかったが、知人の天使のような申し出もあり、フジ・ロックに行くぞうと一時は思った。ものの、天気予報がとても芳しくないのと、夏カゼの治癒状況や仕事の溜まり具合、その後の見たいライヴ予定の入り具合(なんで、今年はこんなに多い?)などから、行くのを迷いつつもやめる。そういうことすると、フジは行かなくなるんだよーと、別の知り合いから脅され(?)た。それゆえ、今日のライヴは見れたのだけど。


< 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 >