青山・プラッサオンゼで、定評あるボサノヴァ歌いの日本人歌手である吉田慶子を見る。ギタリストの笹子重治(2011年12月21日、他)一人のサポートを受け、ナチュラルな歌い口や息遣いのもと、奥行きや空間の感覚がおいしい、ある意味ハマったヴォーカル表現を淡々と開いていく。MCはものすごく、天然。曲ごとにマイ・ペースでけっこう話すのだが、MC嫌いのワタシもあまりのほんわか跳び具合にまあいっかとなってしまいましたとサ。しゃべる声は少しハスキ−なのに、歌声は透明度が高くなる。ファースト・ショウを見て、南青山・ブルーノート東京へ。

 こちらは、ウェス・モンゴメリー的オクターヴ奏法とクラブ・ミュージックぽいビートを掛け合わせたマイルス・デイヴィス曲「ソー・ホワット」で当たりをとった(ちょうど20年前のこと!)英国人ギタリストの出演。デビューはトーキング・ラウドで、彼はその後NYに渡り、ブルーノートからアルバムを出したことがあった。当人に加え、2キーボード、電気ベース、ドラムがサポート。リズム・セクションがなかなかいい感じ。女性ヴォーカリストも2、3曲で加わったが、それは色を添えるという域。みんな、アフリカ系の人たちで、大雑把に言えば、ソウル・フュージョンと言える演奏を披露した。ジョーダン本人はこれまでどおり、指の動きでというよりは訥々とした弾き口で勝負する。

 そして、アンコールを含め3曲で、1994年に『バッド・ブラザー』という双頭ミニ・アルバムを出したことがあるDJクラッシュ(2011年3月7日)が加わる。やった曲はそこに入っていた曲(データー一部流用? そんな昔のモノは取っていないか)だが、彼が入ったとたん表現総体がなんかビシっとし、格好よさが倍加する。さすがっ。

<今日の、新機軸>
 今回のジョーダンのブルーノート公演、ファースト・ショウはオルガン・トリオ編成の3人(ようはジョーダンと、オルガン奏者とドラマー)で演奏し、セカンド・ショウは上の編成でのパフォーマンスと、完全にメンツを変えての出し物であったよう。なるほど、そういうのもアリでしょう。ファースト・ショウでたっぷりオルガンと鍵盤ベースを弾いたためか、オルガン奏者のメル・デイヴィスという人物はセカンドでは普通にキーボードを弾く。DJクラッシュが加わって以降の2曲で弾いたオルガンの演奏は悪くない感じだったので、もうちょっとハモンドを弾いてほしかったな。

 南青山・月見ル君想フ。フライング・ダッチマンは昨年「ヒューマン・エラー」という反原発ソングで大きな話題を得た関西のバンド。歌/ギター、ベース、シンセサイザー、ドラムと言う編成。見た目はそれなりに若く、皆20代? がらっぱちな、ときにアーシーな芯あるロックを聞かせる。やはり、心意気が底にある……。「ヒューマン・エラー」はもうやらねえよ、と言って、ステージを降りたが、それは過去のレパートリーにしがみつきたくない、特定の曲だけに注目するなというバンドの意思表示か。それとも、長い曲っぽいので、演奏時間が短い設定だとやらないのか。なんにせよ、もうちょい長く見たかった。

 その後、ヴェテランのシーナ&ザ・ロケッツ。粗雑なブラック・ミュージックの扱いのため音楽的には残念ながらあまり興味を持てないけど、この夫婦はすごいと、素直に思う。還暦すぎているだろうに、スリムな体形を維持し、ツっぱりまくって、自らの信じる道を邁進している様には。

<今日の、思ひ出>
 ロンドンの帰り、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠夫妻と同じ便になったことがある。テレンス・トレント・ダービーの『シンフォニー・オア・ダム』リリースに際しての取材(そのとき、かなり静的な印象を与えるダービーは彼の周りだけ時間が止まっているようで、ぼくは息を飲んだ。彼はポップ・ミュージック界に大きく失望していて、プロモーションの席なのに、もう引退したい、なぞとも言っていた。2001年秋口に東京で会ったときは吹っ切れていて〜サナンダ・マイトルーヤと改名していた〜快活だった)であったので、93年初夏のことだったはず。そのとき、ぼくはビジネス・クラスの席だったのだが、後から入ってきて横を通るお二人が後ろのブロックに消えていき、大変申し訳ない気持ちになったので、一緒の便だったのをよく覚えている。なんか、その際の颯爽とした様にロックンロールを感じたか。また、そのBA便には、ぼくの近くの席に仏ル・マン24時間レース参戦帰りであるレーシング・ドライヴァーの鈴木利男さんが座っていた。当時、F-1にぼくは熱をあげていた(隔週発売のレース雑誌をときに2誌も買っていたよなー。あと一瞬、その延長でゴーカート運転に熱を入れかけたことがあった)ので、なんかうれしかったっけ。彼はその年のF-1に、終盤2カ所でラルースからスポット出走をした。

PE’Z

2012年4月22日 音楽
 毎度ダレもやらないような試みをなにかとやるPE’Z(2009年10月29日、他)だが、今回もそう。『OH! YEAH! PARTY!!』と題された新作全曲をツアー前に2ヶ月間無料ダウンロード開放→→その新作曲をすべて演奏するこの日の公演をライヴ録音→→そして、フィジカルとしてスタジオ録音盤とライヴ録音盤からなる2枚組を1ヶ月後にはリリース。……という、手はずになっているという。へえ。ライヴの最中にはその商品のための1階フロアの観客も巻き込んだジャケット・カヴァー写真の撮影も行われ、また会場でそれを予約した人の名前が商品には載せられるとMCされていた。トッド・ラングレン(2010年10月10日、他)が1974 年作『トッド』でポスターを付け、それには前作(『魔法使い』)封入のハガキを返してきた人の名前をすべて印刷した、ということがあったのをふと思い出した。トッドって、ファン思いだったのだな。だからこそ、かつてのブルーノート東京での醜態(2002年9月19日)は残念でならない。そういえば、ちょうどポスターをつけたころストリーキング(公共の場を裸で走る行為)が流行っていて、彼はファンとそれをやったという話もあったな。って、それは別にファン・サーヴィスではないか。

 ステージでのメンバーの立ち位置が変わっていた(MCによれば、この日かわったらしい)り、アコースティック・ピアノのヒイズミ(2008年4月6日)はよりやんちゃに弾くようになってもいる。が、妙にメロディ性を持つ楽曲を、晴れの場感覚で弾けつつ、さくっと演奏しちゃう路線はこれまでとおりで、マンネリと感じさせないのには感心。曲もいまだポンポンできるようだ。アルバム・デビューしてちょうど10年たつそうだが、リーダーのB.M.W.(2011年11年22日)以下、彼らは鉄壁なチームワークを誇りメンバー・チェンジしていないのか。継続は力なり、だな。


<今日の、あら?>
 場所は、赤坂・ブリッツ。17時半と言う半端な開演時間で、会場に向かうため電車に乗ると、日曜なのに駒沢競技場であったサッカーJ2の試合(東京ヴェルディvs.湘南)帰りの人たちでそれなりに混んでいた。なんか雰囲気で、湘南が勝ったんだろうと推測。よしよし。わりと近い会場での試合だし、ぼくも見に行こうかなーと思ったりもしてたんだが、雨が降りそう&肌寒いのでやめにしたワタシ。毎度、無理を御法度にしておりマス。
 ブリッツの中に入ると、おおおお。子供連れ家族がけっこういる。チケットを見ると、2階指定席チケット1枚につき未就学児一人入場可とあった。

 代官山・晴れたら空に豆まいて で、大昔ピンクという広角型ロック・バンドのシンガーで表舞台のスタートをきり、その後は変幻自在のヴォーカリゼイションとサウンドの我が道を行く拮抗表現をつきつめんとしているシンガー/クリエイターを中心とする、セッションを見る。PC2人、ギター、ベース、ヴァイオリン奏者なども臨機応変に絡み、ゆったりとした即興を展開。1時間半見たのだが、退出するときはPC2人によるパフォーマンスが続いていた。福岡が求めるインプロヴィセイションはミュージシャン間の会話というよりも、自分の世界との対話、場(の響き)との対話を重用しする肉声の使い手だと、この日のギグ(声には自分でけっこうエフェクトをかけていた)を見て思った。そういえば、彼の曲がニュースステーションで使われていた昔、川の近くにあった彼の自宅でインタヴューしたことがあったな。

 そして、渋谷・Bar Issheeで、即興強者の3人による、諧謔性の高い完全インプロパフォーマンスを楽しむ。打楽器(サンプラー・パッドを用いていてびっくり)の仙波清彦(2011年4月1日、他)、いろんな歌声や小物のさがゆき、各種リードや笛や肉声の泉邦宏(2011年7月10日、他)による自由自在丁々発止が延々。この3人によるパフォーマンスは初めてのよう。演奏が一応終了したあとも、さがと泉は一緒に肉声の饗宴を続けまくる。すごーく意気投合、これからは、トリトリトリオという名前で活動するとかしないとか。その後、学会が作ったウェイン・ショーターの短編映像作品を見せてもらう。わー。入会したら娘も奥さんも死んじゃったけど、それにめげず先生の教えとともに生きてます、という内容?


<一昨日の、悲報。今日の、晴耕雨読>
 今日はまがりくねった、奇妙な1日? 東京(と、ぼくが書くときは、FC東京のことであり、断じてヴェルディではありません)とJ1首位の仙台の試合を調布で見ようと思ったら、それはなんと仙台での試合であった。この週末は、東京も川崎も横浜も柏も、すべてアウェイの試合じゃないか。見に行こうと誘ってきた友人から、ごめんなさい勘違いしてましたと連絡があったのは、お昼少し前。雨天だったら見るのやだから当日券で行きましょう、と話し合っていた。一瞬がっかりしたが、サッカー試合の間違いに関しては免疫がある。1997年、クリスタル・パレスがプレミアにあがっている時期があって、出張中にそれを見ようとタクシーに小1時間のって、ロンドン郊外にあるそのホーム・スタジアムにかけつけたら、アウェイの試合だったということがあったのだ。現地のレコード会社の人にこの試合なら見れると言われて、行ったんだけどね。そのときは、その人がぼくのカードでチケットも予約してくれた。女性だったので、サッカーの試合には不慣れだったのか。その後、カードの引き落としはキャンセルがきいた。クリスタル・パレスのスタジアムは大きなスーパーの真横にあったんだけど、がらーん誰もいねー。でも、スタジアムを一瞥できただけでも、落胆しつつ少しうれしかったか。そんとき、一緒に行ったSくん元気ですかあ。と、忘却の彼方にあったことを、思い出しちゃった。てなわけで、まいっかと昼間からのんきに飲みはじめ、予定外の人と会い、なんか想定外に高価なご飯を食べ、気持ちよくできあがったあと気分の向くままライヴをはしごし……。やはり、世の中、どうなろうとどうにもなるもんだア。特に、都会は。そういう融通のきき具合を、“都会型晴耕雨読”とぼくは呼んでいる。なーんて、いま思いつきました。最後は、なじみの店の開店4周年のパーティに店主から来てネと数日前に脅されたので顔を出す。サッカー見ていたら、別の流れになっていて行けなかったかな。なんだかんだ、半日以上アルコールの入ったグラスを持ち続けていた1日。てな、気ままな、生理的に元気でもある生活、あとどのぐらい、ぼくはできるのかなー。

 ザ・バンドの唯一の米国人であった、リヴォン・ヘルムが死んじゃった。
 享年、71。ここのところ亡くなってしまったミュージシャンのなかではトップに悲しさを覚えたか。やっぱ、ザ・バンドが大好きなんだよなー。彼らは聞くシチュエーションを選ばないし、近年は飲むと猛烈に聞きたくなったりもする。とともに、やはりちゃんと取材の機会を持てて、強い印象を得ている人物だと、より思いは湧くのだと思う。
 ヘルムにインタヴューしたのは、Jリーグが始まった翌年の1994年、ザ・バンドで来日したとき。あのころ、チームに入っててサッカーをそれなりにやっていて、彼らの新宿厚生年金会館公演があるので、前半だけ杉並での試合(そのとき、バカみたいに調子が良かったんだよなー)に出て後ろ髪ひかれる思いでコンサートに向かったのを良く覚えている。実は取材のさい、ヘルムは少し“明後日”の感じがあって、クスリをやっているのかと思えたりもした。でも、別れ際のとってもココロある対応/発言が鮮やかに記憶にのこっている。その質疑応答で、やはりロビー・ロバートソンとは相当に仲が良くないことも分かり、印象の良さもあり非ロバートソン組を応援するゾと、単純なオレは心に決めた。あのとき一緒に取材に応えたリック・ダンコも99年に亡くなっているし、リチャード・マニュエルは86年にこの世を去っているし。これで、ザ・バンドの人間度の高いロックを支えた3人の歌担当者は全員いなくなってしまった。
 ちなみに、再結成してのザ・バンドの初来日公演(すでに、ロバートソンとは袂を分かつ、という形態になっていた)は1983年で、そのときの冠はケンタッキー・フライド・チキン。大ファンだったので記者会見にも行ったら、山盛りセットのフリー・チケットを複数枚もらった。父親ともよく絡んだ娘のエイミーがいた趣味性の高いバンドであるオラベル(2004年9月19日)を見たのももう懐かしい思い出。彼女は父親をちゃんと看取ったらしい。
 さて、来月にはザ・バンドと同様、ぼくが途方もなく愛してやまなかったリトル・フィート(2000年12月8日)の来日公演がある。少し前に70年代上半期のライヴが無料配信され、それはうれしく拝聴した。彼らの2000年の来日ライヴはジャム・バンド的流れにのり各人の楽器ソロ・パートを延々と垂れ流してて幻滅した記憶があるが、そんなのものともせず、見に行きたい。ビルボードライブでの公演だったら、演奏時間が限られるので、そうはならないのではないか。現在、リトル・フィートのホームページに行くと、今年1月にジャマイカでやったライヴの模様を公表しているが、それがザ・バンド曲の「アップ・オン・クリップル・クリーク」の映像(ビル・ペインのオルガンがけっこうガース・ハドソンぽい。なぜか、ステージ上には11人いる)と同「ラグ・ママ・ラグ」のオーディオ。ともに(いずれも、”チョコレート”とか”ブラウン・アルバム”とか一部で呼ばれるセカンド作収録曲だな)、素晴らしい! 日本でもザ・バンド曲をやってくれるか? そこでは、故ロウエル・ジョージの1979年ソロ作に入っていた「オネスト・マン」カヴァーのライヴ曲も聞けるが、それはアラン・トゥーサン(2011年1月10日、他)曲みたいに聞こえる。
 話は飛ぶが、ボニー・レイット(2007年4月7、8日)のジョー・ヘンリー(2010 年4月2、4日)制作新作『ストップストーム』(これも、全曲無料配信されていた。日本盤は5月下旬にビクターエンタテインメントから発売)は間違いなく、今年No.1の米国ロック作だ。聞き惚れる。ヘンリーはこの秋にもまた来日する予定もあるようだが、レイットについてはとんと来日から縁遠い。単独ではギャラとの折り合いが駄目でも、ジョン・フォガティ(2010年7月31日)のようにフェスに呼ばれるとかないのだろうか。
 だらだら書いたついでに、もう一つ思い出を書いちゃおう。好きな人に影響を受けたバンドをやりたいというのは、とても自然な流れではありますね。でも、大学時代、リトル・フィートにもろに影響を受けたビートをやろうとしても、ザ・バンドみたいなことをやろうとは思わなかった。やはり、あれをやるには困難すぎると最初からあきらめていたのか。そのかわり、ザ・バンドが「(アイ・ドント・ウォント・トゥ・)ドント・ハング・アップ・マイ・ロックロール・シューズ」という1958年チャック・ウィリス曲(原盤は、アトランティック)をライヴ盤『ロック・オブ・エイジズ』でカヴァーしていたのにならい(?)、「(ドント・ハング・アップ・)マイ・ロックンロール・ブーツ」というR&R曲を作り、バンドでやったことがあった。<ぼくのロックンロール・ブーツは世界中を飛び回り、興奮するとかかとが伸びる>、という内容の歌だった。ハハハ。あのころ、ぼくがいた音楽サークルは“SAシューズ”(←店名。わかる人には分かる)にお世話になっていた人が少なくなかった。
 あ、なんかマンドリン、ほしくなっちゃった。

 いやあ、いいもん、見せてもらいましたァ。そんな感想がひしひし。

 現在ミシシッピ州ジャクソンに住む、ヴェテランの、キャラたち&ファンキーなブルース・シンガー/ハーモニカ奏者。サポートはギター、ベース、ドラム。前回見たとき(1999年12月10日)におおいに触れているが、あの最高にイケてる野卑な女性ダンサー陣が同行していないのは残念だなあと思っていたのだが、そのぶん、ラッシュのブルース・マンとしての顔がくっきり浮かび上がったものになっていて、ぼくはうなった。

 ブルース・ショウのならわしで、まずは主役を抜いたバンドがパフォーマンス。まだ20代とおぼしき青年がギターを弾きながら、ブルース・スタンダード「ストーミー・マンデイ」を奇麗に歌う。と、思ったら、その若造はベーシストで以後は5弦のベースを弾く。で、1曲目にベースを弾いていたバリー・ホワイトを若くしたような御仁がそれ以降はギターを弾くのだが、こいつがスクイーズ・ギター+αを見事にモノにしていて、ほう。煩いと感じる人がいるかもしれないが、ぼくにはアリ。とともに、それは主役ラッシュのいろんな広がりを直裁に示唆してもいるわけで。その2曲目は、スーダラないい味を出す老人ドラマー(ラッシュとは35年も一緒にやっているらしい)がいい案配で歌う。彼、ブルース・ドラマーとして非の打ち所のない演奏を効かせてくれたのではないか。イエイ。そのバッキングの3人は皆アフリカン、通常のワーキング・バンドのはずでちょっとしたラッシュのブレイクの合図などにもばっちり対応、ラッシュが作り出すショウの流れをおいしく持ち上げる。

 すごいと言えばあまりにすごいのは、ラッシュの外見。すでに70歳をすぎているはずだが、見た目にはせいぜい60歳ぐらいにしか見えない。太っていないし、髪は豊かで、髭ともども黒々としているし、異常に若々しい。もう、動きも軽やか、ちょっとした仕草もお茶目。そして何より、歌声が溌剌としていて、味もある。確かすぎるっ。節々でとるハーモニカ(大小〜音色が異なる〜を交互に吹く、ということもした)演奏ももう巧み。堂にいりまくり、これは頭をたれずにいられようか。

 華やかなダンサーたちがいないせいか、ジャンプ調ナンバーは少な目にして、よりブルース色の強いショウをしたのではないだろうか。驚いたのは終盤、ラッシュはなんとギターを手にし、渋く1コード基調のブルースを2曲弾き語り(そして、もう1曲バンドともする)したこと。わー、なんでもこの人はできちゃうんだ。まあ、随所から、いろんな音楽を把握し、サウンドにもきっちり目配せできる達人であることは皮膚感覚で伝わってくるのだが、ここまでとは。そこからは、米国黒人音楽の一握りの人が持ち得るスケールのデカさも見ることができたか。実は、彼はギャンブル&ハフの制作でフィラデルフィア・インターナショナルからアルバムを出したこともあったのだが、それもなんら不思議はないと思える。

 85分もの山あり谷ありの、ブルースという決定的音楽様式を芯におく、末広がりの、エンターテインメント性にも、ココロにも満ちたショウ。もう、うっきっき。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

<先日の、コーチェラ>
 ラッシュのバンドの、キース・ラフという名のギタリストはワイヤレスのギターを用い、ここぞというときストラップをしたまま、ギターをぐわんと派手に一回転させる。この記述ではよく分かんないかもしもしれないが、そんなことする人にぼくは初めて触れる。彼の扇情性たっぷりのアトラクティヴなギター演奏(ピック弾きと指弾きの併用)に触れて、1990年ごろのブラック・ロック全盛のころだったら、メジャーが彼と契約してもおかしくないナとも、ぼくは感じた。で、たとえば、コーチェラ・フェス(もう10年以上続いているカリフォルニアの春の砂漠のロック・フェス)のUストリーム中継に突如彼が映し出されたら、ロック・ファンはどういう反応を示すのかとも思いはとんだ。あ、それはボビー・ラッシュのパフォーマンスも同じか。
 1日だけ行こうと思っていた先週末2日間のフェス“アイル・ビー・ユア・ミラー東京”が中止になり、時差で中継が午前中に見ることができたりもするので、4月13 ~15日に行われたコーチェラは何気に見たか。とはいえ、見ることができた時間は全体の10分の1かもしれないが、3つのステージをストレスなく、それなりの質を持つ映像で流していた。フェスの雰囲気もおぼろげに感じられるし、皆そこそこ好演しているし(お茶の間で冷静に見る人がいるということに、危惧を覚える出演者もいるかもしれない。Uストリーム中継はいいパフォーマンスを引き出す要因となるか?)。こういうのに触れると、テクノロジーの恩恵を感じずにはいられません。特に印象に残ったのは、ブラス奏者が入っていた出演者のギグ。ボン・イヴェール、ベイルート、tUnE=yArDs(なんて、読むの?)とか。ロック的でない楽器を用いることで、その底にあるうれしい体質が透けて出る? あと、ブルージィな情緒をもわも操る、ときにテルミンを用いていたバンドも良かったな。名前は忘れたけど。

 この晩もライヴ・ショウをはしごしたが、両会場で仕事関連の知り合いといつも以上にいろいろ会ったなあ。それぞれに、注目度が高かったということでしょうか。

 1本目は丸の内・コットンクラブで、ファット・ファンクション。中西部ウィスコンシン州マディソンをベースにする管セクション付き9人組のバンド。公立大学としては米国トップ級に優秀とされるウィスコンシン州立大学マディソン校の出身者たちで組まれたバンドで、地方都市であくせくせずにバンドが維持されているというのは、その風通しの良い持ち味につながっているか。

 タワー・オブ・パワー(2011年3月10日、他)やE.W.&F.(2006年1月19日)などを下敷きにする広角型のファンク・バンドで、新作ではよりメロディアスな部分も追求しているバンド(それを聞いて、ぼくは13キャッツの曲を思い出したりも)で、実演でも屈託なく、我々のファンクを開く。ヴォーカルはキーボード奏者とアルト・サックス奏者が取るのだが、本当にその2人が自在に絡む。ラップぽい歌い方はアルト奏者のほうが担当していた。キーボード奏者(今、彼のみワシントンD.C.在住)はジャズ・クレイズだったそうだが、途中で取ったファンキーなキーボードのソロ演奏パートはファンク鍵盤演奏としてかなり非の打ち所なし。その際は左手でベース・ラインも弾いたが、それもかなり強力だった。2、3曲目から客が立ちだすなどかなり熱烈な反応を受けていたが、当人たちも本当にうれしそうにパフォーマンス。セカンド・ショウでは、ドラマーはスネアを破ってしまったそうだ。

 そして、2本目は六本木・ビルボードライブ東京で、英国的な襞を随所に抱えるシンガー・ソングライターであるリチャード・トンプソンによるソロ公演。昨年4月に予定されていたものが中止となり、約1年ぶりの仕切り直し公演となった。

 ステージに出てきた彼はなかなか颯爽。前見たとき(2001年2月21日)と外見はほとんど変わらず、体形もキープ。それだけでいいナと思わせられる。節々に真摯さをにじませる悠々としたキャラもいい感じ、ね。で、変則チューニングやカポタストも用いての巧みな生ギター演奏に、朗々とした響く声を乗せる。その様に接しながら、彼の歌声や曲調になじめない人でも、トンプソンはちゃんと人前で実演をやる資格をたっぷり持っていると、納得しちゃうのではないか、なぞとも思う。もちろん、60年代後期のフェアポート・コンヴェンション時代の曲もやった。そうだ、アイランド・レコードは彼のようなトラッド流れのタレントも親身にサポートしたんだよな。次はぜひとも、バンドでやってきてほしい。

<今日の、水色>
 若い知人が、パナーパナーと言っている。なんのことかと思ったら、パンナム(パン・アメリカン・アエウェイズ)とのことで、米国人の発音だとそうなるのか。同航空が全盛だった60年代上半期を舞台とする同名の米国TVドラマが今日本でも放映されていて、ガキんちょはそれを見て、豊かな合衆国をほのかな憧れとともに追体験しているらしい。音楽はハイソ感をだすためか、ジャズ曲が使われているようだが、口で説明されても誰だか分んねえや。ぼくはやはり見てないのだが、少し前に話題になった「マッドメン」も60年代の気取った広告業界を扱ったドラマでしょ? なにかと頭打ちの米国は王様だった時代への懐古気運がどんどん盛り上がっているのかなあ。
 しかし、実際に稼働していたパンナムを知るのはけっこう年寄りか? まさに米国政府の帝国主義に乗っかる形で海外路線拡大による栄華を70年代中盤までは謳歌していたが、ゆえにテロの標的になりやすくもあり、長年の殿様経営もあって90年代あたまに潰れた。ホテルのインターコンチはもともとパンナム傘下にあった。
 本来パンナムはカリブ/南米路線で成長した航空会社のようだが、中南米方面に強い米国の航空会社というとコンチネンタル航空が頭に浮かぶ。そっちに行く顧客を求めて、同社はラティーナ誌の表Ⅳ広告をずっと出し続けているから。が、すこし前にユネイテッド航空と合併になり、それは同様のデザインながらユナイテッド航空の広告に変わった。2年前ぐらいにノースウェスト航空もデルタ航空と一緒になっちゃったし、いまだ日本航空が残っているのは驚くべきことかもしれない。
 ぼくが米国とかに行くようになった80年代中期といえば、経営難でユナイテッド航空に権利を譲渡してパンナムは日本に乗り入れしなくなったころだが、その水色のロゴにはなんか甘酸っぱい思いを得る。とっても、ハイカラな感じがあったしね。初めてNYに行ったとき、パークアヴェニューの上にふんぞり返るように立つパンナム・ビル(すでに身売りされていたが、ロゴは残されていた)を見て、ああ米国に来たんだなあと実感したりもした。やっぱ、往年の海外〜アメリカの象徴の一つ。当時、北米便はすでに直行で運行されていたはずだが、そのときの帰りの日航便は飛行機の機種が点検とかでかわって、給油が必要になりアラスカのアンカレッジ経由に変更されたっけ。今、アンカレッジの免税店(屋上には、熊が飼われていた?)を知る人も少なくなってきている?

 わあ、これは素敵な出し物。

 米国ジャズ界を代表する1977年ニューヨーク州生まれのジャズ歌手(2010年3月1日)と、米国の数々のジャズ・マンから作曲家として好評価を受けまくる1945年リオ生まれブラジル人洗練シンガー・ソングライター(2002年5月1日、2009年3月17日、2010年3月9日)の共演ショウ。あっても不思議ではないプログラムではあるものの、これは興味深い。

 驚かされたのは、バンドもジェーン・モンハイトのピアノ・トリオだし、半分ほどすぎてから、ゲスト登場といった感じでイヴァン・リンスが登場するのかと思ったら、なんとモンハイト+トリオでスタンダード「オールド・デヴィル・ムーン」1曲をやったと思ったら、すぐにリンスはステージに登場、以下はずっと一緒にやる。その様は、まさに“がっつり”てな感じで、ほおおお。

 以下は基本、リンス曲やブラジル曲をひも解く、ブラジリアン基調路線をいく。2人が交互に歌い、決めの部分は一緒にハモるみたいな王道のデュエット曲の行き方を見せるものが主で、おおいに心弾む。巧みに、重なっていたなー。リンスの歌唱力はモンハイトが横にいるときつく感じるんじゃないかと思ったがそれは杞憂、歌自体の実力差はそりゃあるだろうが、センスと経験でリンスは見事にそのギャップをものともしていなかった。なかには、リンスだけが歌い、モンハイトは横でずっと身体を揺すっているという曲も。あははは、モンハイトをダンサー扱い。でも、それでもモンハイトはうれしそう、かつて彼女はリンスにレコーディング参加を請うているが、本当に彼のファンなんだな。師匠のやることに私はついいていきますっ、という風情でてました。そんな共演で、いつもは正統派の香り高い彼女ながら、今回はお茶目でカジュアルな側面が出てもいた。

 てな感じで、大雑把に言えばモンハイト+彼女のピアノ・トリオがリンスのブラジリアン・ジャジー・ポップ路線にすうっと寄り添う、となるか。実は、ブラジル人のバンドより、米国人ジャズ・マンと重なったほうが、洗練派リンスの味はいいと、今回ぼくは思ってしまった。リンスもずっと電気キーボードを弾いていて、二つの鍵盤音が不用意にぶつからないかと思ったが、ピアニストのマイケル・ケイナンは饒舌にならずに巧みにそれを回避。レニー・トリスターノ研究に一言持つ人物のようだが、彼は何気に実力者だ。
 
 とかなんとか、聞き所、いろいろ。最終日ゆえ、よりまとまっていたのかもしれないが、これはうれしくも、おいしい組み合わせだよなあと思わずにはいられなかった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

<今日の、高架線路>
 ライヴをみたあと、NYから戻ってきている知人と飲むことになり、ついでに何人かを呼ぶ。場所は、渋谷駅近くの、東急東横線と渋谷川に挟まれた所にある店。なんとついに、もうすぐ東横線は代官山をすぎると地下にもぐり副都心線と直結となるそう。ええ、もう少し先かと思っていた。わー。オレの感覚より、世間のスピードのほうが早くなってる? 横に走る東横線車両が見えることがこの店の魅力の一つになっていたのだが、電車が走らなくなるとだいぶ雰囲気が変わりそう。でもって、ここらあたりの再開発も大促進されるか。蛇足だが、ブルーノート東京の前の道と六本木通りがついにつながり(延々、工事中となっていた)、タクシーで渋谷駅周辺にいくのが便利(安価)になった。あ、逆もそうか……。
●追記。やっぱり上の情報は誤りで、東横線と副都心線が地下駅で連結するのはもう少し先のようだ。。。。

 フリッグはフィンランドの若い世代によるトラッド・グループ(バンジョー奏者だけおっさんだったが、彼はエキストラ)でフィドル奏者4人(うち、一人は5弦。それ、ヴァイオリンとヴィオラの両方をかねられるからだそう)いる8人組だ。別にオリジナル曲じゃなきゃ自分たちの表現は簡潔しないとかは思わないそうだが、多くは伝統の機微を通ったオリジナル曲を演奏する。青山・カイ。

 音楽が生活に密着しまくった村(音楽学校も整備され、夏場はそこで、その道では著名な音楽フェスが開かれるらしい)の出身者を中心としているが、なるほど、他のトラッド系の担い手と比べて、おおいに楽器演奏のスキルが高いと思わせられる。ほう。だから切れもあり、スピード感も持つ。北の国に伝えられるトラッドに、ケルト系表現やブルーグラスなどいろんなことを重ねたことを志向する彼らだが、それゆえ、やっていることが無理なく伝わる。小さな排気量のエンジンでぎんぎんに回転を挙げて山道を疾走するのが通常のトラッドとしたら、彼らの車はけっこうデカい排気量のエンジンを持ち颯爽と走っているという所感を得たりもするか。

 これまで5枚のアルバムをリリースしている彼らだが、実演に触れて驚いたのは、肉声の使い方。彼らはときに、やんちゃに、場合によっては少しだけダダイスト調? それが味あり、おおいに広がりと諧謔を導き、いい感じ。そんなことCD では見せていないわけで、これは発想のしなやかな新世代ならではの行き方だよなあと大きく頷いた。

 その後、近くのプラッサ・オンゼにいく。シンガーの前田優子を、新澤健一郎(キーボード)、是方博邦(ギター)、コモブチキイチロウ(ベース。2011年1月21日)、藤井摂(ドラム)がサポート。ぼくは認知していなかったが、“ブラジル曲歌い”としてはかなりキャリアのある人で、かつてはブラジル音楽提供の日本における総本山的なこのお店にもとても良く出ていたそう。で、その歌唱を聞いて、自分を持った歌い方をする人だなと頷く。ブラジル音楽やボサノヴァに憧れて心をこめてうたうだけでなく、その先にきっちり自分の味を出している。ワナビーを超えた先にちゃんと個がある。スタジオ/サポート系の売れっ子奏者たちがそろってのバッキングも、それをやんわり助けるか。彼女の新作プロデュースは仙波清彦師匠(2011年4月1日、他)とのこと。

<今日の、サンダーバード>
 フリッグのステージは前にヴァイオリン奏者たちが位置し、後ろにはウッド・ベース、ギター、マンドリン奏者が並ぶ。けっこう、みんな色彩感のあるカジュアルな格好をしているな。そんななか、客席側から向かって左側に立つ、赤いパンツをはいた眼鏡のヴァイオリン青年がポワっとしているのになんかかなり惹かれるキャラあり。27秒考えて、これはまるでサンダーバードに出てくる(脇役の)人形みたいだと合点する。知人にそれを伝えると、同意を受ける。ふふふ。
 英国の人形を用いた特撮TVドラマ「サンダーバード」はとっても好きだった。もう、感心しっぱなし、感化されまくり。欲張りなぼくは、なんでも入れられるバージルが運転するサンダーバード2号が一番すきだったかな。さすが、サンダーバードの基地(もう、もろもろの設置や仕掛けに憧れました)は高価で買えなかったが、それぞれ各号はプラモデルで作ったような。小学生のころ、「サンダーバード」は日曜の18時からNHKでTV放映されていて、それを見終わると、あー明日からまた1週間学校かとほのかに暗くなるのが常だったっけ。
 「サンダーバード」って、ぼくが一番夢中になったTV番組であるのは間違いなく、ぼくの人間形成に途方もない影響を与えているはず。こんなすごい番組を作ってしまう外国はすごい(当時、ちゃんと英国産と認識していたかなー?)と思いまくり、それが後のロック愛好にもつながっているはずだ。海外文化憧憬の一里塚? あ、「サンダーバード」を見ていなかったら、ぼくは音楽業界にすすんでいない? 仕事でロンドンに行くようになると、サンダーバード・グッズを探し、買い求めたりしたこともあったな。知人にプレゼントしたりもしたけど、まだ数点はトランクルームにあるはずだ。そのサンダーバードを作ったジェリー・アンダーソンによる、後続の特撮人形番組「キャプテンスカーレット」や「ロンドン指令X」もたまに光通信のTVチャンネルでやっているけど、ぼくは「サンダーバード」ほど燃えない。やはり、「サンダーバンダー」はぼくにとってはスペシャルすぎる。
 
 まずは丸の内・コットンクラブ、JBズ出身のテナー・サックス奏者(2005年9月24日、2007年9月13日)のリーダー公演を見る。彼はジャズ気味路線とファンク気味路線の両刀でずっと活動をしており、その2011年作『Tenortion』(SPV)は2枚組で双方の路線をそれぞれ1枚づつまとめている。

 彼をサポートするバンドは、トランペット、キーボード、ギター、ベース、ドラムという布陣。いい案配の外見のもとなんともうまい演奏をさしだすギタリストはレイ・オビエド(2007年9月6日)。ウィンダム・ヒル他にリーダー作を残し、70年代後期にハービー・ハンコック(2012年3月2、3日、他)のグループに入っていたこともある彼は米国西海岸ベイ・エリアの名ギタリストだが、ファンキーなのもジャジーなのもいける他の奏者たちもそこらあたりを拠点としているよう。トランペット奏者のゲイリー・ウィンターズはブーツィ・コリンズの近年のリーダー作に名前が見られたりもする。

 そんな面々が送り出すのは、曲によってはファンク濃度も高かったりする、各人のソロをまわす悠々演奏。余裕たっぷりのエリスはやはり、不思議な存在感をやんわりだす。関係ないが、彼の奥さんは白人だ。また、3曲ほど、フレッド・ロスというおでこの広いブレイズ頭のシンガーが出てきて歌う。MCでエリスがアルバムを出していると言っていたので調べたら、最低でも2枚はだしているよう。90年の『Dignity』(Strokeland)ではかつてレディシーなどもお世話になったオークランド在住のトニー・ブラクストンがベースを弾いていたりもするので、やはりイースト・ベイ地区に居住しているのではないか。少し高めの声を出す彼、つきぬける個性とかはないものの、ソウル有名曲「ユーズ・ミー」を歌ったときはけっこうゾクゾク来たなあ。他のヴォーカル曲はJBズのナンバーくずしで、軽く受け手を高揚させる。もう1曲ぐらいフィーチャーされても良かったかも。

 そして、六本木に移動、ビルボードライブ東京で、80年代の都会系ソウルを担ったセルフ・コンテインド・ブループ(2006年4月25日、2008年4月15日)を見る。オリジナル・メンバーのルイス兄弟(キーボード、ヴァーカル)を核に8人編成、もちろんきっちり噛み合う。顔ぶれは、前回と同じなのかな。

 なんにせよ、自分たちの立ち位置をわきまえまくって、エンターテインメント性をたっぷり持つ、プロのショウを展開。ぼくは全盛期のころはあまり彼らを聞いてはいなかったものの、やはりあのときはァとか、就職したころのことを思い出したりもしちゃう? とりあえず、3年半しかしなかったけど、けっこういい会社員だったと思う。→自画自賛、ぼくの悪いクセですね。紅一点シンガーのマリー・ピアスは細い足首が奇麗。アンコールはメロディアスな代表曲「オールウェイズ」、いい曲だな。客は例によって熱い反応、外国生活を持つ知人はそれに触れて、なんかNYのクラブみたいと感激していた。


<今日の、花びら>
 家から駅に向かう川沿いの道に桜があって、散ってきた桜を浴びる道すがら、という感じもあり、ほのかな幸福を感じる。家のバルコニーにも花びらが入るようになった。今週はフィンランド人、フランス在住日本人、米国人の3者にインタヴューすることになっているが、それぞれ、桜のことを話のマクラに出しそう????

 シカゴのポスト・ロック系4人組(2007年12月2日、他)を、六本木・ビルボードライブで見る・アルバムは2008年以降リリースしていないが、もう20年近くも同じメンバーで(レーベルもずっとスリル・ジョッキーだ)やっているのはすごいな。とともに、初期よりバンド濃度は高くなっているものの、基本、幾何学的文様を持つ暖簾に涼風が吹いているような聴感をずっと維持しているってのもすごいっちゃすごい。

 唯一の東京公演であるこの晩も、悠々と変わりなく、癖あるオイラたちのアダルトなギター・ロックを展開。なんでも、ジョン・マッキンタイア(2011年11月21日、他)以外のメンバー3人は美術家としても活動しているそうで、東京と京都で「Three Side Chicago:Squares,Squirrels and Dots」という、ドローイングや絵画のグループ展を開いている。会場にそのチラシがあって初めて知った(東京は、翌日まで。見れない)が、仙人的にいろんなことをできるのはうらやましい。

 一人だけ音楽に専念(?)のマッキンタイア〜彼、両腕にがつんと刺青いれてるんですね〜だが、今回ドラミングを見てほう。ハイハットを右手でチチチチチと叩きながらリズムをキープするのがロック・ドラムの常だが、彼の場合、ハイハットは左足によるオープン/クローズによる音ですませ、手は他のタムやシンバルを叩いていることが多い。もちろん、ハイハットを普通に叩くときもあるのだが、そういう変則ドラミングもマッキンタイア一派の独自の流動性や生理的な濃淡のあり方につながっているのかもと思った。なお、プリセットのビート・トラックを併用する曲も二つ。それから、リード・ヴォーカルを取るサム・プレコップは歌詞が書いてある紙を膨大に用意し、足下においていた。やっぱ、歌詞はちゃんと歌いたいのかにゃ?

<今日の、こりないこと>
 この週末は、花見絶頂期か。金曜に深夜まで寒い寒いと言いつつ楽しく騒いだら、早朝にお腹がいたくて目をさます。オレ、変なもの飲み食いしてないよな。それとも、身体が冷えすぎたゆえ? とほ。ながら、この土曜もあまり暖かくなさそうと思いつつ、昼すぎに、たしょう体調を気にしつつ、お誘いを受けた花見に出かける。お堀横の、ぼくは初めてのところ。立派に場所が確保されていたが、場所取り隊は朝8時に行動を取っているとのこと。ごくろうさまです。冬用のマフラーは巻いたものの、コートなどはそんなに厚くないやつを着用。それは、花見後にライヴを見に行く予定があったというのは考慮したかな。基本曇天で、昼間ながら、案の定さむい。あー、楽しいけど、寒いよおおおおお。i-パッド+小スピーカーで音楽を流す者いて、それで場が華やぎ、少し暖まる。音楽の力ってすごいナ。で、上のライヴを見た後、その花見アフター飲み会に戻るが、けっこうな人数が残っている。みんな話足りないのか、飲むのが好きなだけか。とかなんとか、その後の帰路がまた寒い。震える。明日の花見は白い目をむけられようがナンだろうが、真冬の格好ででかけるゾと心に言い聞かせまくるワタシであった。しかし、花見で浮かれつつ寒くて震えるというのは、毎年のことだよなー。

ジョン・オーツ

2012年4月5日 音楽
 ご存知、大御所ブルー・アイド・ソウルのデュオ(2011年2月28日、他)の二分の一の単独公演。ミレニアム前後からジョン・オーツはレギュラー・グループでの影に隠れた存在であることを払拭しようかとするかのように、リーダー作を連発し、ときにツアーもしているようで、このたび日本にもやってきた。南青山・ブルーノート東京。頭の2日間は1日1回公演で、週末の2日間は2回公演。で、初日のこの晩は、本編でちょうど1時間45分パフォーマンスした。

 ギター(ソロはオーツと分け合う。オーツがアコースティック・ギターを弾く場合は彼が取る)、キーボード、ベース、ドラムというバンドともに、ショウを進める。驚いたのは、ソロ・アルバムからの曲が主になるのかと思ったら、ホール&オーツの曲をけっこうやったこと。『アバンダン・ランチョネット』(73年リリースのセカンド作)が一番好きとか言っていたが、そこからの曲を冒頭で連発、さらに本編最後の曲も同作白眉曲である「シーズ・ゴーン」だった。また、1982年全米1位曲「マンイーター」とか、生理的に立ったサウンドを採用していた時代の曲もやったが、それはやんわりアレンジをかえる。ま、なんにしても、それらは本来ダリル・ホールがリード・ヴォーカルを取っていたわけで、歌う人が変わるからこその味もアピールしていたか。実は、もっとヘタなのかと思っていたが、意外にオーツの歌は善戦。ほんわか、味ある歌手でした。

 他には、自分の曲(すぐ前に作って、この晩が初公開と言う曲も)や、R&B曲やブルース曲カヴァーもいやみなくやって、奥にあるものを伝える。また、ジョン・デンヴァーの曲もやったが、それは少しボサっぽいギター刻みのもと、カントリー臭はゼロの形で披露した。

 見終わった感想は、やはり実力者ということ。とともに、黄金グループを支え続け、いろんな場を踏んでいる余裕のようなものも痛感。そんな実演に触れて、彼はとってもスマートなリベラリストであることを思い出し(2002年9月12日の項、参照)たりもした。この晩もうれしそうに曲ごとにMCを挟んだオーツだったが、かつて単独で取材したときの彼もとても雄弁だった。ホール&オーツとして取材を受ける場合は、やはりホールのほうが主に受け答えする。


<今日の、困惑>
 先週の土曜から突然、風邪をひいて非常に困惑。寒い日が続いたわけでもなく、無理したわけでもなく、不用意に外でハダカになったわけでもなく。どーして、風邪をひいたのか。で、熱っぽいのはまあおいといて、咳と鼻水がすごい。咳のしすぎで腹筋をいため(咳すると、もー痛い)、鼻をかみまくりで2日でティッシュを1箱使ってしまったのではないか。びっくりするぐらい鼻水出っぱなし、これだけの粘着質の液をのべつまくなし作る人間の身体ってすげえ、と思ってしまった。うえーんとなりつつ、医者に行く気はまったくないし、どうせ直るだろと、薬のたぐいも飲んでないが。だからか、一時期ほどはひどくないけど、鼻水も咳もまだ続いている。

 女優で名をなした後に音楽界にも進出した、メキシコ人シンガー・ソングライター。まず一人で出てきて、暗めの曲を、電気キーボード弾き語り。おお、根性あるオープナー選び。天衣無縫な感覚も与える人だが、歌声は意外に太目なんだな。以下はバンドが加わって、和気あいあいとパフォーマンス。MCの感じはイメージ通り、いい人であるのもよく伝わってくる。メキシコは何気に秀逸なオルタナなロック/ポップを生んでいるという印象があるが(あー、もう少し追いかけなきゃ)、どこかコード使いもおいしい、少し定石を外す感覚を持つポップスを送り出す。楽曲はスペイン語のほうが多かったのかな。新作は米国制作で、TVオン・ザ・レディオのデイヴ・シーテック(彼、ジェインズ・アディクションに入ると昨年アナウンスされたっけ?)やグレッグ・カースティン(2007年4月25日)らがプロデュースしていて、そこにはザ・マーズ・ヴォルタ(2008年6月13日、他)のオマー・ロドリゲスも録音参加していた。MCによれば、ギター、鉄琴/タンバリン/コーラス(女性)、ギター、ベース(鍵盤ベースも兼用)、ドラムという編成のバンド員は皆アメリカ人で、ブルクリン界隈に住んでいるようだ。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

<今日の、風と灯り>
 風が強い。春一番と言っていいんだろうか。また、近くの目黒川の両側に提灯がずらり吊るされ、夜は電気もつけられていた。まだ、咲いてはいないけど。

 名古屋公演はリード・シンガーの喉の不調でキャンセルになったようだが、丸1日おいた東京公演は無事おこなわれた。渋谷・アックス。ここは音響のいい会場として認められているが、その恩恵をこの晩は如実に感じたな。
 
 リード・ヴォーカル/ギター、ギター/鍵盤/サックス、ベース、キーボード、ドラムからなる、今米国ではかなりな集客力を持つ5人組(2005年7月30日)。長髪のメンバーが2人いると思えば、そうじゃない2人はシャツにネクタイとベストという格好をしていたりするように、画一的な色に染まる事を良しとしない集団とも言えるか。アメリカン・バンドらしい渋さや大風呂敷さを持つ一方、今様な音の響きや繊細な佇まいに気をつかっているところがあるとともに、通常のロック表現/ライヴよりは演奏パートがぐぐいっと長かったりするのも、そうした一例と言える。まあ、開始後1時間すぎあたりでやった単純なフレーズをこれでもかと延々と繰り返すのには、ぼくは飽きちゃったけど。まあ、それも彼らなりのサイケデリアの具現であるのか。

 自分たちの“目”で行かんとし、大回りさと小回りを兼ね備える。と書くのが、まあ適切なんだろう。なお、1曲目はMountain Mocha Kilimanjaro(2011年7月2日、他)のトランペット奏者ら3人の日本人管楽器奏者がつき、広がりを助ける。ぼくは用事があったため、退出してしまい見ていないが、アンコールでも彼らは出て来て、一筋縄ではいかない色づけに貢献したはず。

<今日の、注意書き>
 地震があった場合は、係員の指示があるまでには絶対に場外に出ないでください。というような、但し書き表示が会場のあちこちに。どうやら、地震時に観客が出口に殺到する際の事故をおおいに危惧してのもののよう。だったら、もう一言、音響がいいことで有名な当会場は頑丈にできていて、地震による倒壊などの危険性はありません、とか付記してほしいものだが。ともかく、気付かないだけかもしれないが、他にこういうお知らせを出している会場を、ぼくは知らない。逆に言えば、アックスはそれぐらい、これでもかと告知されている。ま、なんにせよ、本当にデカい地震が来たときライヴ会場にいたら、普通の場所にいるより怖い思いするのは間違いないか。そんときはそんとき、と思いつつ、一応ココロにとめておきましょう。

Schroeder-Headz

2012年3月28日 音楽
 いろんな邦人サポートに引っ張りだこの(大手音楽プロダクションに所属しているので、そうとう売れっ子なんだと思う)キーボード奏者である渡辺シュンスケのユニット。ツアーの最終日だそうだが、なんとダブルのリズム隊を率いてパフォーマンス。5人による演奏と言うのは、ツアーを通じてのものなんだろうか。ベース奏者は一人は電気で、もうひとりは縦と電気の両方を弾く。接していて、坂本龍一(2012年3月21日、他)が好きなんだろうなとなぜか感じる部分アリ。で、いろんなことをやっているが、ベン・フォールズ的回路で今様な部分も持つポップ・インストをやっていると、ぼくは説明したくなるか。基本即興性はないが(だから、こういうのを語るのにジャズという言葉を用いてはいけません)、けっこう有機的に事を進めてもいて、ポップ・インストゥルメンタルという行き方において明晰で、楽しめることをやっていると思った。

 あと感心したのは、地味な外見なのに、ちゃんと聞き手に向かった娯楽性を随所に出していたこと。ちゃんと押しどころを知り、キーボードに寝たり立ったり、お茶目にピアニカを手にしたりと、受け手が高揚できるような所作を違和感なくしていた。でありつつ、基本、外タレと同様にあまりMCをしないのも偉い。日本人アクトは愚にもつかないMCをしすぎる。会場は、渋谷・クラブクアトロ、かなり混んでいた。アンコールでは音大の後輩だという、東京事変の鍵盤奏者(この日のオープニング・アクトをやったよう)も一緒にやる。

<今日の、感心>
 渡辺はローランドの、なんとか700なんとか、という機種1本だけをステージにおいて演奏していた。なんか、偉いっと、ぼくは思ってしまったナ。今時、サポートのミュージシャンでも複数台のキーボードを並べるのに潔い。けっこう、複数台つかっていても、この音色変化なら1台でもだいじょうぶぢゃん、ってときもなくはないしね。それは、オレが乱暴者だから出てくる感想かな。

 ブリーヤは、現在LAに住む、インドやイランの血を持つ自作派の米国人歌手。イラン側には著名文化人もいるそうで、大学までは秀才でとおってきた人のよう。NYのコロンビア大学卒業後は一時エリート金融ウーマンの道を進みかけたものの、やはり私は音楽の道を進みたいと方向転換している。この2月にプロモーション来日したと思ったら、今度は公演。カナダでライヴをやった後に、今回は来たようだ。彼女がやっているのはレトロ感覚を持つ親しみやすいR&B表現で、それは故エイミー・ワインハウス他UKの売れっ娘たちの持ち味ともどこか重なるということで、送り手側(P-ヴァイン)が力を入れている。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。そのプロモーション時に取材をしたが、なるほど頭の良さそうな人。とともに、きっちり狙いにそって戦略も練れそうな人という印象を持ったが、ステージに出てきた彼女を見てほう。露出度高し、身体張っている。プロ意識がすけて見えると書きたいが、それは素の彼女に接していないと出てこない感想か。愛想良くショウを進める様からは健気さがあふれでる。そんな彼女は間違いなく意識的に、扇情的なしゃくり声を時々入れる。それ、耳をひくが、ぼくにはトゥー・マッチ。肌の色が黒目である彼女との対比を得ようとするかのように、バンドにはアイビー・リーグに通うぼんぼんてな外見を持つ白人男性たちを配する。ギター、キーボード、ベース、ドラム、トランペット、サックスという陣容で、みんな白いシャツに細めのネクタイをしている。

 プリーヤは声に抑えが利かない部分もあるが、思った以上に声量はあり。二管音はけっこうスタックス調。そういえば、彼女はエディ・フロイド(2007年7月18日)やオーティス・レディングで知られるスタックス・スタンダードの「ノック・オン・ウッド」のカヴァーも披露した。

 その後は、銀座のノー・バード。2月にできた新しいジャズ・クラブで、壁にはロン・カーター(2012年3月3日、他)の息子(マイルス・カーターという。マイルスのスペルはMyles)のとっても細長い絵が二点飾られている。そこに出演したのは、ピアノの丈青(2012年3月3日、他)、電気ベースの日野賢二(2011年7月25日、他)、ドラムのFUYUのトリオ。

 有名曲カヴァー(ヘンドリックス「ヘイ・ジョー」からスタンダードまで)や丈青のこのトリオ用に書いたオリジナル曲などを素材に、3人の個性を重ね合う。このリズム・セクションだと目鼻立ちのしっかりしたビートを送り出しそうだが、それなりの退きの感覚も抱えつつ、メロディ性と立った感覚を両立させて自在に流れていく演奏を披露。進行役は、丈青が担当。彼は菊地雅章(2004年11月3日、他)のように、ときに大きな肉声を踊る指さばきに重ねる。それで、歌心や奔放さが増す場合もある。へえ、彼のそういう様には初めて触れるような。まあ、爆音Soilだと出していても聞こえないだろうけど。セカンドの途中から、在日カナダ人テナー・サックス奏者のアンディ・ウルフも入る。

<今日の、お答え>
 ここのところ、一日に複数の公演に接する日が多いな。と、自分ながら、思う。大変でしょう、印象がごっちゃになりませんとかと問われたけど、それは不思議とないなあ。ぼくはライヴを見るときはアルコール片手に普通に楽しみ、いっさいメモなどをとることはしない。だって、それはライヴを楽しむという行為からは大きく外れるものであるし、その様は会場内で浮くし、お客さんの感興をそぐことになるやもしれない。そりゃ、1万字のライヴ原稿を書くのなら、メモを取る必要も出てくるだろう。だが、4.000字ぐらいまでだったら、酔っぱらった頭に残った記憶だけで十分に埋まるし、自分の望む原稿は書ける。それほど、ライヴから得る情報量やインスピレーションは膨大であると、ぼくは思っている。また、ライヴに行くのが苦になったりはしませんかと問う人もいるが、ライヴは飲みの前座のようなもの、だからぼくはライヴに行くことにストレスを感じません。さらに書くなら、ぼくにとってライヴ会場のハシゴはまさに飲み屋をハシゴするようなもん、まさしく! そして、朝はそれなりにちゃんと起きて昼間はきっちり机に向かい、日が暮れたら遊ぶと決めていたら、時間のやりくりにも困らない。

 まず、渋谷のプレジャー・プレジャーで、米国と日本のミックスの女性歌手を見る。日本人ギター奏者2人にキーボード、日本に住むアフリカ系米国人のリズム隊がつく。彼らはJ・ソウル系サポートのファースト・コールと言っていのか。

 基本、英語の歌詞を持つオリジナル曲を歌う人で、それが確か。実は彼女をちゃんと聞いたのは2012 年新作からだが、それは今っぽいジャジーさや弾みを持つ高品質アダルト系シンガー・ソングライター作に仕上がっていて少し驚いた。で、それを生の場で開かんと、的をいたバッキング音のもと、しなやかな歌を載せる。その裏声もよく用いる歌唱をさして、知人はヨガの呼吸法を応用していると指摘。へー、そうなの?

 MCによれば、昨年もまったく同じ日にここでライヴをやったという。おお、まだ浮き足立ちまくりの時期。それは、さぞやピンと張りつめた空気のもと始められたと思う。そのさい、震災を受けて新たに作った曲を披露したそうで、今回はその練り上げヴァージョンをやったりもした。

 そういえば、深夜によったバーで昨年の震災時の話になったが、そこで聞いた話にはびっくり。有名企業でそれなりのポストにつく彼は3.11当日に仙台であった知人の通夜に車で向かい、高速道路でそれにあったという。一般道に降りさせられて仙台まで行き、線香をあげた後がもーたいへん。とりあえず帰路についたものの、ガソリン入れられず途中で足止め。車で行ったものだから喪服でコートも持たず、寒さに震え、そのまま途中で4泊することを余儀なくされたそうな。ガソリン入手も気の遠くなるような苦労があったようだが、ぼくが今まで聞いた東京在住の知人の体験談のなかではもっともそれはヘヴィ。電話もバッテリー切れし、なかなか連絡がつかなく、捜索願をだされる一歩手前であったという。

 その後は、南青山・ブルーノート東京。1969年テキサス州生まれの人気と実力を兼ね備えるジャズ・トランペッター(2011年2月2日、他)の公演を見るが、何気におおきくうなずく。いろんなことをできる人だが、ここのところは、少なくてもアルバムや来日公演においては精鋭を集めたクインテット表現に邁進していて、今回もそう。

 まっすぐに、王道のジャズ表現を聞き手に問う。澄んでいる、という言葉も形容として使いたくなるか。彼の場合、セットごとに大幅に曲を変えるようで、この日このセットの感想となるかもしれないが。トランペット(ときに、フリューゲル・ホーン)とアルト・サックスが気の利いたテーマ部を奏で、管楽器とピアノの瑞々しいソロ・パートが順に浮かび上がり、テーマに戻る。その様は甘さを排して、ある意味淡々。

 だが、その普通さが生理的に強くも、心地いい。ジャズという表現/歴史に対する愛着や知識、そして、その“環”のなかにいる自分を謳歌する様は瑞々しく、頼もしい。気をてらわらないのに(いや、てらわないからこそ)、ジャズという表現のすごさもさあっと浮かび上がる。とくに、今回はリズムもおさえ気味の4ビートでずっと行き、前回見せた娯楽性追求に基づくハーグローヴのくだけたヴォーカル披露もなし。で、最後のほうになって、やっと8ビートの曲が出てくる。アンコール曲はサム・クックの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」をゴスペル濃度を高めつつ。2時間近い演奏時間、濃密で、高潔。セロニアス・モンクの「リズマニング」も彼らはやったな。

 お見事。みんな腕がたち、そんな彼らがジャズ愛のもと音を真摯に出し合い、その総体は今の何かを持った純ジャズ表現として結実する。そのハーグローヴたちのパフォーマンスに触れて、彼らはNYジャズ水準/動向の観測定点となりえる最たるコンボであると、ぼくには思えた。ハーグローヴは毎年やってきているが、それはまこと理にかない、意義のあることであると、ぼくは大きくうなずいた。


<今日の、オーネット>
 本編最後の曲だったか、ハーグローヴはオーネット・コールマンの著名曲「テーマ・フロム・ア・シンフォニー」をけっこう延々と引用。この二管による<オーネット・コールマン&ドン・チェリー>を根底に置く表現を聞いてみたいと思った。あ、蛇足だが、ドン・チェリーの娘のニーナ・チェリーはこのところ、ノルウェーの真性ジャズ・バンドのザ・シング(2008年9月25日、参照)と一緒にやっているみたい。そのパッケージで東京ジャズにこないかな。 

ライラ・ビアリ

2012年3月22日 音楽
 冒頭、ジョニ・ミッチェル、ロン・セクスミス(1999年9月12日)、ダニエル・ラノア(2012年1月16日)、レナード・コーエンとカナダ人の楽曲を連続してカヴァー。ビアリ(2008年6月1日、他)はジャズとポップの間をとても見目麗しく泳ぐカナダ人シンガー/ピアニストで、過去スザンヌ・ヴェガ(2012年1月23日、他)の鍵盤奏者として来日したこと(2008年1月24日)もあった。また、その後は、サイド・マン選択に一言も二言も持つスティング(2000年10 月16日)のバンドにも参加したそうな。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 やはり、味がいい。サポートのウッド・ベーシストもアフリカ系ドラマーも腕がたち、彼女の落ち着いているんだけど、いろいろと才気が散りばめられた表現を見事に底上げする。終演後、彼女のCD を購入する客が散見されたが、そりゃそうだろう。それは、実演の魅力のまっとうな勝利だ。

 途中、ピアノから離れ、ステージ中央に出てきて、ウクレレを弾きながら、ほんわかとスタンダードの「ナイト&デイ」を歌ったりもする。人の良さが随所に顕われ出るのも、この人の好ポイントだな。


<今日の、飲み会>
 その後、ある実力者がたまにひらく私的な音楽宴会に顔を出す。そしたら、腕のたつジャズ・ミュージシャンがいるのは常なのだが、歌謡曲界の著名女性歌手もいて、驚く。米国人グループと組んだ昨年アルバムが海外で好評を得て大きな話題を呼んだ彼女は「マシュケナダ」とジャズ・シタンダード(なんだったっけな?)をジャズ・コンボの伴奏のもと歌う。やんやの喝采。それを受けて、「まあ、ロイヤル・アルバート・ホール(のライヴのとき、観客からもたった反応)みたい」。

 まず、水道橋・後楽園ホールに行く。84年か85年に英国レゲエ・バンドのスティール・パルスを見に行っていらい、このボクシングとかよくやっている会場に来る。あれ、もっと広い印象を持っていたが、こんなものか。リング+αをステージとし、いちおう四方から客が取り囲む。

 そんな特殊(?)会場で催されるのは<即興対戦型ライヴ>と副題された催しで、いろんな組み合わせで、一期一会的な即興演奏を提供。厳密には、”対戦”というお手合わせはなかったけれど。過去、同様のコンセプトによるコンピレーションCD が出され、2度ほど公演がもたれているようだ。アーティスト同士の自在の丁々発止対話の追求というのはフリー・ジャズの分野では当たり前にあることだが、ジャズの語法/文脈を避け、より同時代的行為というノリを強めたところで、それを求めたいという気持ちが主催者側にはあるのかな。ともあれ、1000人もの客(目測、なり)を集めるのだから、それは成功。ここに来たなかから何%かでも、フリー・ジャズ/ミュージックに入り込む人がいれば素晴らしいと思う。
 
 出演者は4組。千住宗臣(2011年5月22日、他)と服部正嗣(2010年5月13日)、このドラマー二人の演奏は場内が明るいなか、前奏的なものとしてなされる。2番目のDJ KENTARO(2005年11月25日)と古いオープン・リールのレコーダーを操る(それ、メロトロンの分散的構築とも言える?)集団のOpen Real Ensembleのセットはアブストラクトな音を重ね合う。次のいとうせいこう(クチロロのメンバーになったそう)とShing02(最初、プロレス風のマスクをかぶって登場。2010年2月25日、他)の肉声と言葉の使い手どうしの組み合わせ。そこには、下敷き音担当のDJも加わる。そして、最後は坂本龍一(2011年8月7日、他)と大友良英(2011年6月8日、他)。坂本はグランド・ピアノ(ながら、マイクで拾った音がPCに取り込まれ、それで音効果をかけたりも)、大友はギター、ターンテーブル、PC、打楽器/鳴りものなどフル・セット(?)を用意。

 プロジェクトFUKUSHIMA流れの組み合わせと言えなくもない、“世界の音楽家”どうしの邂逅の途中で六本木に移動する。あれ、カーナビを2台(にプラスして、ネズミとり関知の小さなモニターも)設置しているタクシーは初めてだ。

 そして、六本木・ビルボードライブ東京で、現役バリバリのR&B歌手のなかでももっとも油が乗っていると言えるだろう人(2010年1月8日、他)を見るが、やはり何度聞いてもほれぼれ。格好はカジュアル、たまにスキャットをかますこともあるが、完全にジャズ項目を抜いたポップ路線で私を出す。とても高いヒールの靴を履いて歌っていたが、のど自慢にはそんなことも関係ないんだろうな。女性コーラス2人、鍵盤2人、ギター、ベース、ドラムという布陣。コーラスの2人にもリード・ヴォーカルをとらせたが、そういうことをするのには初めてのような。見ながら、サンフランシスコ居住時代の彼女(現在はLA在住なはず)と仲良しで初期来日公演もサポートしたザ・ブラクストン・ブラザーズ(2002年6月12日)はどうしているのかと一瞬考えた。

 終盤、ルイ・アームストロングで知られる「ホワット・ア・ワンダフル・ナイト」を鎮魂歌ぽいノリで、彼女は歌ったりもした。この前のステイシー・ケント(2012年3月12 日)、そしてヘイリー・ロレン(2012 年2月13日)公演でも、このヒューマン・ソングは気持ちを込めて披露されている。来日アーティストは彼女たちなりに、震災に対する何かを、来日して胸にとめているのか。


<今日の、逃避?>
 午前中から、なぜか暢気にテレビっこ。映画チャンネルでたまたまやっていた、「オーケストラ!(Le Concert)」という、ロシア人が沢山出てくる2009年フランス映画を見ちゃう。クラシックの指揮者とオーケストラを題材とする、荒唐無稽なストーリーを持つ作品で、クラシック版「ブルース・ブラザース」と言えなくもないか。メラニー・ロランが奇麗。パリに演奏に行ったオーケストラ団員であるロシア人ユダヤ系演奏家たち(排斥される彼らを守ろうとしたため、主人公の指揮者は30年前に失脚したという筋書き)の振る舞いは、もろに我々が来日ジプシー系音楽家から受けるものと同様だった。

 長く日本ジャズ界の第一人者であり続けているギタリスト(2010年11 月20日、他)のブルーノート東京公演は新作『トリコロール』で雇っていた在NYのリズム・セクションを呼んでのもの。5弦電気ベースを弾くヤネク・グウィズダーラ(うれしそうに弾く人だな)とアフリカ系ドラム奏者のオベド・カルヴェール。統合的なサウンド作りの才も持つグウィズダーラはリーダー作も持ち、一方のカルヴェールはリチャード・ボナ(2011年1月25日、他)やデイヴ・リーブマンやR&B歌手のジョー他のアルバムで叩いている。けっこうガチっと叩く彼のドラミングに接して、ロックに主活動分野を移せば、けっこう売れっ子になるかなとも思う。

 複雑な自作系曲をやるなか、途中でリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」の変則編曲(MCによれば、メンバーのアイデアらしい)によるカヴァーを披露。なかなか新鮮で、味よし。で、それは耳なじみの著名メロディを取り上げたからであると確信するとともに、饒舌を通して越境しようとする彼の演奏の美点は覚えづらいオリジナル系楽曲ではなく、優しい著名メロディ曲を題材にするほうが、よりアピールされると思った。たとえば、ビル・フリゼール(2011年1月30日、他)がバート・バカラック曲やザ・ビートルズ曲を弾いて自らの飛躍を鮮やかに聞き手に伝えるように。フリゼールはどんどんスペースを作り出していくようなギター演奏をしていくのに対し、渡辺はスペース(常人にはなかなか見つけられないスペースも彼は見つける)を徹底的にギター音で埋めていくタイプの人であるなあとも、ぼくは思った。

 アンコールは彼がツアー・メンバーを勤めたこともあったYMOの「ライディーン」を陰鬱傾向に開き直して披露。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 そして、六本木・ビルボードライブ東京に移って、イーグルス(2011年3月5日)にいたギタリストのドン・フェルダーのショウを見る。本家は東京ドームで複数回公演ができるわけで、入りは上々。もともとジョー・ウォルシュと仲良しだった感じがあって、昔あまり興味の持てないイーグルスのなかでは一番親近感を持てた人ではあったが、熱心なファンのなかにもイーグルスは彼のギターがあってこそと思う人はいるらしい。

 「ホテル・カリフォルニア」ではじまり、「テイク・イット・イージー」で終わる。女性の抗しがたい魅力を題材にした「ウィッチー・ウーマン」をやる際には、女難のタイガー・ウッズに捧げるとのMCあり。ネタが古いナ。イーグルスにまつわるお金のことを問いただしたら→バンド首脳のドン・ヘンリーやグレン・フライから解雇を言い渡され→裁判に持ち込みわりと勝った感じになり→“株式会社イーグルス”の暴露本を出して話題を呼んだりも、という流れを今世紀の彼は持つよう(すべて熱心なファンからのまた聞き)だが、27年間在籍したという(ショウが始まる際の英語口上による)イーグルスの曲をけっこうやった。ま、ソロ・アルバムは1983年に1枚出しただけだしな。

 ギターを弾きながら歌う当人に加え、ギター、キーボード、ベース、ドラム奏者。みんなLA産のアルバムに名を出しているミュージシャンたちで、特にキーボード奏者のティモシー・ドゥルーリーはイーグルス作やドン・ヘンリー作に関与していたりする。おもしろいのは、ギターの二人にはそれぞれ使用人がついていて、彼らのかいがいしいサポートにより曲ごとにギターをかえていたこと。2人はそれぞれ1曲づつスライド・ギターを弾いたりもした。

 ベーシストが1曲とった以外はすべて、フェルダーがリード・ヴォーカルをとる。もともとシンガーではないのでそれほど上手ではない。だが、無理のない老後を悠々過ごしているという感じのためか(?)イヤな感じはない。短髪の彼の外見は、ビリー・アイドルがじさんになったと言いたくなるか。それから、コーラス・パートはみんな歌って、厚く立派だった。

<今日の、スポーツ>
 早朝、起こされる夢で目がさめる。ちっ。そしたら、ちょうど大リーグのオープン戦のテキサス対ミルウォーキーの試合をスポーツ・チャンネルでやっていて、野球に興味がないのに見てしまう。先発がダルヴィッシュ。初めて、彼の投げる姿を見る。なるほどイケ面で足も長いが、意外とがっちりした体つきなんだな。アオキというミルウォーキーの選手が大活躍。やはり、日本人選手が活躍するのは何気にうれしい。そういえば、90年代に、ぼくは米国で野茂が先発する試合を2回見たことがある。オレ、そのころはまだ野球に興味を持っていたのかな。まあ、今も渡米中にプロ・スポーツを見る機会があったら、野球にかぎらず、喜んで見ると思うが。それにしても、投手が1球投げるたびに止まる(ランナーがいる場合、厳密には止まらないけど)野球は本当に異色のスポーツだと思う。根気や集中力のないぼくには向きではあるのかと思いつつ。
 そして、14時からは、国立霞ヶ関陸上競技場でサッカーの試合を見る。スポーツ観戦日和、あと5度ほど気温が高かったら最高だな。アジアのNo.1クラブ・チームを決めるACL(AFCチャンピンズ・リーグ)のグループ・リーグの国際試合でFC東京対蔚山現代。わーマリノスから移籍した渡邉が先発なのがうれしい←なにげにマリノス・ファンだね。2-2、最後においつかれて、少しどよーん。ポポヴィッチ監督、おもしろい試合を期待します。

 見た順ではなく、逆順で記す。後に見たのは、フランスの自作派ソウル歌手(1984年生まれ)。みんな、ウキッキッキだったんじゃないか。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 会場内は、年有数と言えるだろう混み具合。2年前に仏ユニヴァーサル(レーベルはモータウンを用いる)から出したデビュー作はキャラを持つ温故知新型ソウル作となっていて、少し話題にはなった。だけど、日本盤は出なかったし、少なくても我が国においては派手な露出はなかったと思われる(ぼくはといえば、bmr誌で輸入盤レヴューを書いただけ)が、この大盛況はすごい。直近になって予約が急に伸びたようだが、何がプラスした?

 でも、雨のなかやってきた人たちの判断はまこと正しいというしかない。音楽的にも、視覚的にも充実し、楽しみどころたっぷりの実演を見せたのだから。彼はユニヴァーサル盤の後にインディからライヴDVD/CDをリリースしているが、本人たちも実演には自信をもっているんじゃないか。そのバンドは、ギター、キーボード、ベース、ドラム、トランペットとバリトン・サックス(こんな持ち替えをする人は初めて見た)、アルト・サックスに加え、男性サポート・ヴォーカルが2人という内訳。コーラス陣とベーシストはアフリカ系、彼らはみんなスーツ基調、コーラスの一人は半ズボンにネクタイ。

 そして、なんか人なつこい持ち味を振りまく当人は蝶ネクタイ&サスペンダーを身につける。歌う3人の息のあったアクションに会場は即わき、2曲目から客はみんな立ち上がる。早っ。繰り返すが、ヴォーカル陣のフリや絡みはなんとも魅力的。それに触れると、ソウルのヴォーカル・グループを趣味でしたくなる。

 先に書いたように、彼のやっていることは温故知新型表現ではあるのだが、いろんなソウル表現を俯瞰し、それを自分の持ち味を通した娯楽表現として打ち出せていて、それは輝いていて、訴求力大。そのとっぽいキャラクターはノーザン・ソウルのほうが似合うと思われるが、ヴォーカルの味やホーン音などはサザン・ソウル色をしかと持つ。そして、そこからは、ソウル・ミュージックを生んだ米国の外で生を受けたからこその、切実なモワモワのようなものも浮き上がるのだから、いい気分にならないはずがない。

 バッキング・コーラスの二人にもリード・ヴォーカルをとらせる箇所があったが、それぞれ歌ったのは、ザ・テンプテーションズの「マイ・ガール」とプリンスの「キッス」だった。そして、それに続いて本人が歌ったのは、レイ・チャールズの「ホワット・アイ・セイ」。もちろん、その際は、熱烈なコール&レスポンス大会となる。ライヴを終えて、オレたちやったぜみたいな感じで、ファイヴ(手のひら)や拳を会わせ合うステージ上のメンバーの様がまた良い。これだけ受けたんだから、また来る機会が与えられるはず。

 その前は、六本木・ビルボードライブ東京で、大御所ジャズ・ピアニスト(1941年、オハイオ州生まれ)のソロ・ピアノ公演を見た。フリーダム、運営にも関わったストラタ・イーストからアルバムを出した60年代後期〜70年代中期は、フリー・ジャズ系ピアニスト(一時、電気キーボードに向かったこともあった)として気を吐いた御仁で、ECMも73年に彼のアルバムを出した。90年代はコンコード・ジャズやスティープル・チェイス(そのころ、欧州に住むようになった?)からいろいろ作品を出していることが示すように、落ち着いた作風を見せるようになった。

 奇麗にスーツを着こなす(←エスタブリッシュされているノリ、おおいにあり)カウエルは見た目だけでいいじゃんと思わせる。MCはピアノから離れ、中央のマイクに向かって立って、きっちり行う。それも、マルと思わせる。

 曲は自らの70年代上半期の曲を多く演奏したようだが、MCの際に曲名を忘れても、指さばきは譜面無しで闊達、確か。ほうと頷いたのは、タッチの強さとリズミックさ。そして、左右の運指の微妙なバランス〜噛み合いの良さ。それゆえ、ストライド・ピアノっぽいなと思わせるときもあり、曲想が奇麗でも上滑りしない。とともに、そうした演奏は、ジャズはアフリカン・アメリカン・ミュージックなのだときっぱり示す部分があって、ぼくは頷きまくるしかなかった。彼なりに、アート・テイタムに捧げたピースもあり。やはり、触れて良かった。

 アンコールは親指ピアノ(小さなボディの裏に液晶表示板があって、下に流れる反復音もそこから出ていたよう)をポロポロ弾く。

<今日の、ギタリスト>
 カウエル公演終演後、声をかけられる。振り向くと、orange pekoeの藤本一馬(2011年8月22日)くん。相変わらず、笑顔が人なつこい。バラケ・シソコ&ヴァンサン・セガール(2011年6月6日)とかアブドゥール・イブラヒム(2011年8月7日)とか、彼とはちょい癖ある個性派ミュージシャン公演のときにばったり顔を合わせたりする。確か、orange pekoeも近くここでライヴをやるよなと思って問うと、明日であるという。管や弦も入った特別編成で、それ用のアレンジのため譜面と向かいっぱなしであったそう。ごめんね、明日は別な用事が入っていて。

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