このNYの男女混合6人組バンドのことを、前回公演(2010年3月15日)の際もベタほめしているが、今回も本当にイケてる実演だった。より我が道を行く感覚とともに、成長した姿をだしまくり。視点と才が自在に活きた現代ロックの白眉! 多くの今のロックの担い手は過去の焼き直し(それでも、若い聞き手はとびついて当然と思う。動かない過去の人たちのものより、動く同時代の人たちの音楽のほうが価値があるのは、ある意味当然のことと思う)に終始するなか、彼らは本当にいろんな表現を知りつつ、新しいアイデア(ちょっとした手拍子の使い方にも感激しまくり)を散りばめたフレッシュなロック表現を提出し、それを生の場でも有機的に開いているのだから、言う事ない。間違いなく、今年のベスト5のなかの一つ。
 
 渋谷・0-イースト。満員。素晴らしいバンドがちゃんとした評価を受けて、そのライヴにきっちり人が入っているとうれしくなるとともに、胸を撫で下ろす。

<今日の前座>
 ザ・ダーティ・プロジェクターズの公演はアンコールを入れて70分。でも、無駄をそいだことをやっているので、短さはみじんも感じない。それもまた、彼らの毅然としたクリエイティヴィティを感じる。なんて書いたら、贔屓の倒しになるだろうか。そんなわけで、パフォーマンスの時間が長くないためか、前回もそうだったが、彼らは前座の人を連れてきた。今回はスリル・ジョッキーからアルバムを出している、ギタリストのダスティン・ウォン。ステージ上で裸足になり、ギター1本とエフェクター使いで40分ぐらいのソロ・パフォーマンスを彼は聞かせた。基本は、いろんな音色やフレイジングのギター音をループさせて、音を重ねていく。アルバムを聞くと、繊細な音響的ギター表現者と言う感じもあるが、実演はけっこう旧流儀のプログ・ロックぽいところも。だから、マイク・オールドフィールドやロバート・フリップ(フリッパトロニクス)を思い出す人がいたかも。最後には一部コブシの効いた詠唱もギターを弾きながらかます。彼、小さい頃から高校までは日本に住んでいたとも聞くが。

琉球の音楽

2012年10月6日 音楽
 <琉球の音楽>という括りで、休憩なしで2時間半強、4組の沖縄県絡みのアクトが出てくる公演。いわきアリオス・中ホール。出演者は順に、プリセットのサウンドを流しながら今様アイドル沖縄歌謡といった感じの親しみやすい表現を聞かせた女性3人組(1人は、三線を持つ)のサンサナー。このなかで一番の大御所であり、坂本龍一と絡んだこともあった元ネーネーズの古謝美佐子(彼女が三味線弾きながら、「アメイジング・グレイス」やアイルランド民謡を歌うとは思いもしなかった。と、そのときは思ったが、後から彼女がザ・チーフタンズ〜2000年5月20日〜カルロス・ヌニェス〜2001年10月9日〜のショウに出ていることを思い出した)。宮古島の方言“ミャークフツ”を全面的に歌詞に用いつつ、ウッド・ベース奏者や打楽器奏者とグローバルな観点を持つフォーキー・ミュージックを聞かせる下地勇。そして、6人のバンド編成でポップな味付けを介するパーシャクラブ。普段、あまり沖縄音楽に触れないぼくにとっては古謝いがいは、まったく初めて知る人たち。まあ、古謝もネーネーズ時代に触れただけだから、そうとう昔となる。

 というわけで、ポイントは純トラッド派ではなく、発展派が集められていること。普段、いろんなものを聞いている者としては、交じり気のない伝統的な表現に触れたいとはまず思う。それゆえ、当初は出演者たちの音楽性に慌てたし、たとえばパーシャクラブにしても古謝にしても、そのサポートのキーボード演奏/音色だけを取ると広い世界を見ているとはいえ、かなりオールド・スクール。普段、モダンなポップ・ミュージックを愛好している耳には逆に古くさく感じてしまう。だが、そうであっても、根っこにある伝承されてきたものの強さやしなやかさはちゃんと表われ出るわけで、それには大きく頷くしかない。くわえて、やっぱりそれぞれに、今の自分を投影したい、後ろ向きではない音楽を送り出したいという澄んだ意思が出ているのは間違いない。
 
 それから、いいぞと思ったのは、古謝美佐子と下地勇、下地勇とパーシャクラブの新良幸人、パーシャクラブとサンサナー、そしてアンコールでは全員といったように、出演者たちはいれかわり立ち代わり、ステージをなんなくシェアしたこと。その際の素材は、有名曲「安里屋ユンタ」をはじめ、トラッド曲であったろう。そのおおらかにして、ポジティヴな協調の様は彼の地の音楽受容の様をくっきりと浮かび上がらせるとともに、場を共有する歓びや映えを存分に指し示した。観客もまた多くが立ち上げっていた(けっこう、ノリノリ)が、それもまたシェアしあう素敵を、濃いものにしていたと思う。

<昨日の、たあいのない話>
 流れた先で、資格の話になる。一人ぐらい、なんか変わった資格を持っていても良さそうなところ、みんなフツーどころか、プア。教職さえ、持っているものおらず。ぼくの学生のころはホケンでとっていた人はけっして少数派ではなかったような気もするが。だけど、そんなツブシのきかない輩の集まりのなか、防火管理士の資格を持っている者が3人。みんな、居住マンションの管理組合がらみでしょうがなく取得した。それを取るには、初台だか笹塚だかあのあたりの消防員養成学校みたいなところで2日間講習を受けさせられる。うち一人は放水の実地講習も受けさせられたと言っていたが、ぼくはそんなことやらされた記憶がない。ぼくは2月に講習に行ったので、野外教習を受けさせられたら寒さでしっかり覚えているはずだ。でも、放水訓練、意外に楽しかったと聞き、すこしやってみかったと思うぼく……。
 渋谷・クラブクアトロ。いやー、楽しかったなー。鼓舞され、身体が揺れたなー。

 <発散系ロック←→ジャンピー&スウィートなソウル>掛け合わせ的音楽性を持つ、歌/ギターとドラムという内訳のフランス人デュオ・ユニットの公演で、与える所感は前回公演(2010年5月7日)とほぼ同様。なんだけど、今回は半数強の曲に2人の管奏者(テナー・サックスとトランペット)が加わっているのが目新しい。やっぱ、それはカラフルさや肉感性を高めるとともに、見た目でも貢献。まあ、ウマのあうファンキーな奴らを誘っているんだろうけど、彼らはメンバーの2人に合わせ、崩し気味にスーツを身につけていた。

 1曲、カーティス・メイフィールドのカヴァーも披露。あと、メンバー2人はシンバルをスタンドごとぼんぼんぶん投げたりも。そんなこと、前回しなかったよな。客扱いは相変わらずうまく、それは彼らの心意気や諧謔の存在を教えもする。なお、彼らはスペインとの国境に近い南仏の町をベースにするバンドで、今回ステージ横に同地に根ざした旗を飾り、その非パリ地元愛の姿勢をきっぱりアピールしたりもしていた。

<今日の、サッカー放映>
 昼間、スポーツ・チャンネルで、プレミア(イングランド)とJ(日本)のリーグの試合放映を1つづつ見ちゃう。とくに、後者のヴィッセルとセレッソの試合(1人たりないセレッソが逆転勝ち)は何気に面白かった。すくなくても、9月19日にブラジルのゴイアニアであったブラジルとアルゼンチンの国際試合(南米スーベル・クラシコ)よりは。その第2選はアルゼンチンで10月3日行われるはずだったんだが、照明が落ちて中止になったみたいだ。気候もよくなったし、あースタジアム、行きてえ。そういえば、ザ・インスペクター・クルーゾの2人はサッカーの小話もしたな。
 あ、それと、彼らの事務所はミレニアム後にフィッシュボーン(2011年8月8日、他)のブッキングやアルバム発売を行っていた。彼らはちゃんとビジネスもコントロールしている人たちなんですね。だが、2012年7月30日の項に記しているように、フォッシュボーンの現在のマネージメントは米国の会社に移っている。
 まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ボストンに15年居住し、現在は出身校でもあるバークリー音楽大学の助教授も勤めているという、1970年生まれジャズ・ピアニストのトリオを見る。リズム・セクションの白人2人はやはりボストン在住のようで、MCによれば、ドラマーのスコット・ゴウルディングは8度目の来日であるという。関西出身の三輪は日本の音大を出たあと、小曽根真(2012年9月8日)の父や本人と親交を持っていたようだ。

 まっとう。普通に、何気なくいい、ピアニスト。通算6作目となるようなスタンダード主体の新作(過去作はオリジナルでせめているよう)より、ずっと印象がいい。やっぱ、生を見たほうが、本質や魅力はよく伝わる。アルバムを聞いてもちゃんとした指さばきができる人だなと感じたが、実演だと、そこからジャズへのひたむきさや本人の凛と輝きや細やかさが浮き上がって来て、聞く価値があると思える。とともに、ライヴのほうがレッド・ガーランドからマッコイ・タイナー(2011年1月12日、他)まで、いろんなノリの指さばきを溢れさせる人なんだなとも思った。

 その後、渋谷に移動。バー・イッシーで興味深い顔合わせの即興演奏に接する。一緒にやったことはあるものの、デュオは初めてのよう。ちょうどセカンド・ショウが始まったときに、入店。坂田明(2011年4月1日、他)はアルト・サックスを吹き、キーボードやパッド他いろんなものを並べたホッピー神山(ぼくは昔、日本のバーニー・ウィレルみたいな印象を彼に持っていたときがある)は発展や変化を促す効果音/打楽器的音を出している。ホッピー神山は壁に映し出される映像も、再生用のビデオ・カメラを3台ならべ、オペレートしていた。

 続くは、なんとCDも出ている坂田版『平家物語』+。わーい。坂田は語りと鳴り物、ホッピーは効果音に加え、鳴り物とかけ声を少し。ああ、サカタ・ワールド。3曲目になると坂田はクリネットを持ち、ホッピーはキーボードで音階を持つ合いの手をフレキシブルに入れる。また、見たいな。会場で売っていた、坂田明の金色と銀色パッケージのCDジャケットが、ディープ・パープルのそれみたいだった。

<今日の、通り模様>
 先日もふと感じたんだが、バー・イッシーに行く際の渋谷のセンター街通り、なんか飲み屋の客引き(バイトだろう青年)が増えていて、雰囲気悪くなったなと思う。ま、1人のとき声をかけられることはないが。また、アフリカ出身とおぼしき人も立っているが、それは昔から。彼らはなにの客引きなんだろう。これが六本木だと、シャチョーとか、すぐに日本語で話かけてくるところだが。多少、慎ましやかなシブヤ……? そういえば、センター街横の田園都市線出口横路上にはクスリ販売の中東系の人があからさまによくいたが、いつの間にか見かけなくなった。取り締まりが厳しくなったのかな。センター街は街頭スピーカーからつまらないJ・ポップが流されていて、それも本当にイヤだ。

 1932年生まれ(今回のツアーは、80歳を祝うという副題つき)の、フランスの名映画音楽作曲家/ジャズ・ピアニスト(2011年9月3日)の特別仕立て公演。錦糸町・すみだトリフォニーホール。2部形式で、1部はピアノ・トリオにて。2部は新日本フィルハーモニー交響楽団との共演を見せる。

 会場でもらったリーフレットにドラマーのフランソワ・レゾーは仏プログ(レッシヴ)・ロックの雄であるマグマにいたと書いてあったような気がするが、マグマはドラム他の絶対的リーダーであるクリスチャン・ヴァンデが率いるバンドであるはずだから??? でも、そのヴァンデはジャズ・フリークだったんだっけ? 20世紀最良の都市型アフリカン・アメリカン表現であるジャズが世界中にまいた種は本当に膨大で、末広がりだ。

 公演1部では、自作曲をやっているからでもあるだろうが、本場のジャズとは異なる佇まいをもつ、多分にメロディアスでもある演奏を披露。確か、昨年の公演では、ルグランは指をペロペロなめながらピアノを弾いたと記憶するが。今回それはなし。また、曲によってはスーダラな感じで、ルグランは歌もうたう。すると、一気に我が道を行く、オイラ好々爺濃度がぞわ〜んと高まる。その様は、2日前にここで見た東欧ジプシー軍団(2012年9月30日)のはっちゃけ具合と同じではと、思わずにはいられず。上品洒脱と目を輝かせる聞き手はこういう記載を見ると、ムカつかくのかな。まあ、もともと持って生まれたものもあるだろうし、洒脱なのは間違いないが、少なくても年配になったルグランはある意味お高くなく、下世話になっているところがあるんかないか。

 ステージ背後にオーケストラ員をどかんと従えた(ある曲では、打楽器系奏者が4、5人いたな。ピアノ・トリオのリズム隊もそのまま参加)2部はルグランも蝶ネクタイを付け、ジャケットを羽織って出てくる。長めの1曲目の「シェブールの雨傘」では指揮を取る。彼がピアノを弾く場合は、竹本泰蔵(2012年8月28日)が指揮。ステージ中央前面にはハープがおいてありハテナと思っていたら、途中でキャサリン・ミシェルという上品なおばあさんが出て来て、それを弾く。MCによれば奥様だそうで、若い頃はさぞや上玉だったんだろうと思わせるものあり。その演奏についてどうこう言う知識も経験も持っていないが、達者な指さばきで、情実出演という言葉は思い浮かばず。彼女のハープ音が活きる映画「おもいでの夏」のテーマ曲はルグランの作曲であったか。ぼくが中学生のとき最初に友達と映画館に行って見た洋画(「小さな恋のメロディ」の併映作品)で、甘酸っぱい気持ちになった。

 終演後は、クラシック系公演特有の、“しつこい儀式”が続く。でも、観客も本人もうれしそう。その際、ルグランに花やプレゼントを手渡す人もいた。

<今日の、ナミダ>
 今週2度目の、錦糸町行き。帰りに、近隣在住の舎弟ラッパーを呼び出して飲む。ビッグ・ダディ・ケイン(2012年4月26)を一緒に見に行っていらい会うか。そして、清澄白河駅近くの中華料理店にはいったのだが、ここがとんでもないへでなし。なんだ、あの一品料理の情けなさ、まずさは。値段は普通に取るのに、なぜに潰れず商いできている? 下町、イケてねー。実は帰宅してから、オレはどうしてあの店で飲食してしまったのかと、悲しみをおおいに覚えた。そりゃ、飲食店に当たり外れはあるが、今日日あそこまでエエエなのはちょい記憶がない。店に入ったとき、違和感を感じたのは確かで、なぜ本能に従わなかったか。舎弟も途中から、なんじゃあこの店と言っていたが、駅から近いしここでいい?と店を選んだのは彼のほう。下町に過度のプライドを持っている御仁ゆえ、痛恨の極みと思いつめ、自決しないか心配である。

 その公演副題にあるように、タラフ・ドゥ・ハイドゥークス(2007年9月26日、他)とコチャニ・オーケスター(2001年9月2日)、ブラス中心と弦楽器中心という違いはあるもの、ともに10人を超える東欧のジプシー系の大所帯集団をジョイントさせた公演。で、このルーマニアのクレジャニ村とマケドニアのコチャニ村の野放し集団は一緒に『バンド・オブ・ジプシー』という完全共演作を出しているものの、ここまで一緒に重なるとは思いもよらなかった。実は両者は“ジプシー・サマー2001”という公演(2001年9月2日)に共に出ているのだが、あのときはそれぞれに別にやって、アンコールだけ一緒に演奏したいのだが、今回は8割強は一緒にステージにあがっていたんじゃないか。それはどんどん国外でライヴをする機会を重ねている彼らの進化の表れか。へえ〜、と見ちゃいました。

 面白いのは、面々のステージ配置が、アコーディオンとブラスや笛の奏者は左右に呉越同舟的に位置したこと(チューバ系の低音金管はステジ中央後方に)。見た目も、一つの楽団みたい。両グループは言葉も音楽流儀もそれなりに異なるはずだが和気あいあい、次から次へと活力ある合同演奏が送り出される。微妙な共通項と耳の力で勝負、なのかな。時に入るヴォーカル・ナンバーもやはりいい感じだし、また曲によってはクイーン・ハリシュ(2007年9月26日)や外国人女性ダンサーが出て来て華を添えもする。と、いろいろあり。そして、そこからは生活力とある種の強力なペーソスがあざやかに立ち上がる。

 錦糸町・すみだトリフォニーホール。客の反応が熱く、東欧ジプシー音楽の固定ファンもけっこういたと思わされる。メンバーたちによる終演後のおひねり目当てのホワイエ演奏ももちろんあった。それ、おなじみの風景ナリ。

<今日の、錦糸町>
 地下鉄半蔵門線は水天宮をすぎると線路のRが続くのか、スピードがけっこう落ちるような。とくに清澄白河の手前は線路の摩擦音も大きく、毎日乗るとストレス溜まりそうと感じた。台風で強風の、休日。ライヴ終了後、同業先輩と焼き肉屋に流れる。風が強くて、思わず手近なところに入ってしまった。焼き肉屋はかなり久しぶりなような。肉欲、落ちているんだろう。なかなか肉を厚めに切ってサーヴするお店でした。 

 ロフト/NYアヴァンギャルド系リード奏者の強者が4人集った、いわばサックスによるアカペラ集団がワールド・サキソフォン・カルテットである。ステージ上には、サックスの音を拾うマイクが4本だけ。いやあ、編成がシンプルだと、機材もシンプル。

 今の構成員は、テナーのデイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日)、アルトのオリヴァー・レイク(2003年11月18、同22 日)、主にバリトンのハミエット・ブルーイット、そして1995年に亡くなってしまったアルトのジュリアス・ヘンフィルに変わって、今回の公演はトニー・コフィという1966年生まれの英国人奏者が同行している。英国人らしくジャズ・ジャマイカ(2001年8月25日。モンティ・アレキサンダー主導の同名ユニットとは別)やジョス・ストーン(2007年4月5、6日)のアルバムに入っていたりもする彼は、ジャマラディーン・タクーマの2010年オーネット・コールマン・トリービュート盤に入っていた人物(海外盤はP-ヴァイン発の日本盤とは少し異なる曲目で、タクーマとコフィの双頭リーダー作になっている)。現在、マレイも欧州(ドイツ)居住なはずで、コフィの参加は彼の声掛けだろうか。MCはマレイがこなし、彼がリーダーシップを取っている感じもあった。

 冒頭、会場後方からサックスを鳴らした4人がでてきて、そのままステージに上がり演奏。ほとんど、マイクいらないじゃん。一応譜面台は置いてあるのだが、過剰に凝ったことはしていないし、年期の入った実力者たちであるし、それもいらないだろうとツっこみを入れたくなる。→譜面台をおかれるのが、すこしイヤなぼく。途中までは秩序だって演奏していても曲後半はかなりわちゃくちゃ、いやフリーぽく重なるときも。予定調和ぽいというか、手癖勝負ですね。メンバー曲もあればスタンダードもあり(あったよな?)、ジミヘン曲もあり。どこか、余裕ぶっこきすぎと感じる部分もあったけど、改めてかつてのNYロフト勢の実力のほど(やはり、腐ってもマレイと、ぼくは思ってしまった。その1980年前後の黄金のブツを聞き返したくなった。ブルーイットも存在感あったナ)は実感できたし、うれしい実演であったのは間違いない。

<今日の、アップルストア>
 ライヴを見る前に、銀座のアップルストアに行って、PCを修理に出す。アップルストア、初体験。初めて、行く。家からだったら渋谷店のほうが近いが、マック通の友達が絶対に銀座のほうに持っていけと言う(なんでも、客あつかいの丁寧さがおおきく違うそう)ので、それに従った。店員がみんな青のTシャツを着せられていて、ビックリ。なんか、フットなんとかという、黒のポロシャツを店員が着ているあちらの運動靴のチェーン店を思い出す。ま、スニーカーもPCやタブレットも同じようなものか。もう人がいっぱい、入店したとたん、気がなえる。おまけに不満をありったけの憎悪とともにブチまけているおっさんがいたりして、一気にココロが暗くなる。また、その様を対応店員以外の店の人たちは、気にしつつも事なかれな感じで静観している様もなんかなあ。このフロアの責任者は何をやっているんだろう。でも、ぼくに対応してくれた青年は二重丸。←わざわざ銀座まで来てよかった、と思えた。やっぱり、サポートセンターの電話対応もそうだけど、個人差が著しくある。

 いまや重鎮という言い方もアリだろう、西海岸拠点シンガー・ソングライター(2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日)の今回の公演は、チェロ奏者とギター/キーボード/マンドリン奏者とのもの。基本、椅子に座ってのパフォーマンスで、おおかた“静”のそれを見せたと指摘できるか。たとえば、もう現場監督のごときステージ上での奮戦/メンバー統率~鼓舞の様を見せた2005年暮れの実演に比すと、その違いは小さくない。サイドの2人はちゃんと吟味した重なりを見せていたし(チェロじゃない方の奏者は曲によって、どの楽器を手にするか,明晰に決めていた)、ハーモニーを付ける部分もあり、それなりにリハもやって今回のショウにのぞんだのは間違いない。ただし、曲目についてはけっこうジョーンズがけっこうキブンで決めていたよう。ギター奏者は曲が始まってから、そっちの曲ですかという感じで、楽器を持ち替えていたりしていた。なんにせよ、サポートの2人はちゃんとしていて、ジョーンズの弾き語りに寄り添い、臨機応変に伴奏をつけていたのは間違いない。チェロは人の声と重なる音域と言われたりするが、ジョーンズの歌と同じ旋律取りで弾くときがあって、面白い効果を生む箇所があった。

 ベン・ハーパー(2006年6月三日、他。豪フェス出演時の記載は、2007年4月5、6日)と四つに組んだ新作『ザ・デヴィル・ユー・ノウ』はニール・ヤングやザ・バンド曲他を取り上げたカヴァー・アルバムだが、そこからはストーズ曲とハーパー曲だけやったのかな。「パイレーツ」とか昔目の曲は拍手が大きい。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

<今日の、情報>
 終演後、近くの知人の小さなお店によったら、後から来たお客さんもみんな、ジョーンズ公演帰りの人たち。ところで、ジョーンズの新作カヴァー・アルバムはライナーノーツを担当したのだが、当初はトム・ウェイツ曲も曲データーに入っていた。が、届いた音には、それは入っておらず。録音はしたものの、満足の行く仕上がりにはならなくてボツにしたそう。

 ショウが始まって、そのリズムの探究心のなさと歌のうまくなさに、判っていたことではあったけど、ヒイっとなる。まあ、こういう平板なビートを採用するロック・ミュージャンやバンドは他にもいるわけだが、彼のような抑揚の感覚や輝きにかけ、音程もシャープではないヴォーカルは大げさに言えばプロとしては異彩を放つ。もし、彼がスマッシング・パンプキンズという1990年代を代表する米国オルタナティヴ・ロック・バンドの一員(ギタリスト)でなく、当初からソロ・アーティストとして活動していたら、ファンはちゃんとついただろうか。

 が、駄目なロック表現ではないと思わせるのは、オルタナティヴ・ロック的機微を持つ曲作りと、重なりの妙を持つギター・サウンドの味。それは、気を衒うところは何もないのだけど、それなりに確かな感興を弾き出す。で、ずっと聞いていると、微妙な、けっこう魅力的な陰影や誘いを覚えることとなり、こういうロックがあってもいいと思えるわけだ。やっぱ、ファンだったらたまらないのかな。

 渋谷・クラブクアトロ。本人、なかなかうれしそうにパフォーマンス。すごく混んでいて、一杯目以降、動きづらくて飲み物を買いにいく気にならず。途中から横に来た男性が常軌を逸してタバコ臭く、結果きもちが悪くなってしまい、残念ながら途中で退座した。

<このところの、気候>
 いつのまにか、だいぶ涼しくなった。乱暴にグーグー寝たりしちゃうと、すぐに風邪をひきそう。今朝も、寒くて、目が覚めた。気をつけなきゃ。

 まず、丸の内・コットンクラブで見たのは、米国人ながらフランスの事務所と契約し、新作はフランスのソニーから出している30代の女性白人歌手。過去はジャズを歌いリーダー作をだしてきたらしいが、その新作はかなりソウル方向に音楽性をふった行き方を取る。初来日となる今回のショウはそれをフォロウするもので、キーボード、ギター、ベース、ドラムからなるザ・フライトーンズと名乗るバンドがサポート。それ、新作録音の陣容と同様のものという。想像したほど突き抜けた味、というか、黒っぽい持ち味を持たない人で、中庸な佇まいをとおして親しみ易さをださんとしているといえるか。徹頭徹尾、一生懸命さが伝わる人でもありました。アンコールで披露した、巧みな編曲を経たザ・ビー・ジーズの「若葉のころ」がよかった。

  次は、六本木・ビルボードライブ東京で、ヒップホップとジャズを独自の連続線のもとたたき出す今様ドラマーのリーダー公演を見る。まず、そのドラム・キットにほう。スネアを3つ並べ(そのすぐ上には、スネアより少し小さな少しトラッドっぽい太鼓も置く)、左右両端には、変形シンバル(リンゴの皮のようにむいたシンバルの帯を上から垂れ下げたもの)を置いている。タムは(たぶん)なしで、フロア・タムは一つだったのかな。そして、シンバルも何枚か。

 当初同行が告知されていたキーボード奏者とリード奏者(ゲイリー・トーマスだった!)はキャンセルされ、重鎮フレットレス電気ベーシストのピノ・パラディーノとアイザイア・シャーキー・トーマスというギタリスト(ときに、詠唱もする)との3人によるパフォーマンス。人数が少ないほうがデイヴの我が道を行くドラミングはより直裁に受け取ることができるわけで、大半の聞き手はバンドの人数が減ったことをマイナスとは思わなかっただろう。実際、3人でそれなりに完結するジャム演奏をやっていて、ぼくは一時期ゲイリー・トーマスのことをけっこう憎からず思っていたが、今日の流れで彼がいい感じで加われる図を想像できなかった。

 ギターとベースが音を重ね合い(冒頭はかなりアフリカ調)、それに合わせてデイヴが癖や刺のあるドラム音を思うまま乗せていく。彼はけっこうリム・ショットを多用するんだな。最初のかたまりは40分強切れ目なし、弦楽器の2人がゆうゆうとリフやあり曲断片を重ね、トリオ表現は流れる。途中で、ハービー・ハンコック/ヘッドハンターズの「アクチュアル・プルーフ」もやり、エンディング部のパートはそれなりにアフロ・ビート調。アンコールでは、ジミ・ヘンドリックスで知られる「ヘイ・ジョー」もやった。

<今日の、思案>
 購入後1年しないで、マック・ブック・プロが目茶ヘソをまげちゃった。キーボードの調子が悪いので、サポート・センターの指示にしたがいOSを入れ直したら、サファリが立ち上がらなくなってしまった。奨めにしたがい、もう一度やっても同じ。原稿も打てない(打ちにくい)し、ネットも見れない。えーん。いま、この原稿はストレスを感じながら、2台前のiブックG4で打っている。もう1台のマック・ブック・プロはすぐに電源が落ちる。マック、どんどん耐久性が落ちているのではないか。いや、仕事を減らせ、PCをあまり使うなという、主(どういう主なんだろう?)の啓示か。それとも、マックは消耗品ゆえ1年ごとに買い替えろと言っている? 一度(大昔、PCの1台目はそうだったけど)、ウィンドウズ系、つかってみようかな。無知&ものぐさなぼくは使うの、無理かな。

 前回見たのは2〜3年ほど前かと思ったら、もう5年半前(2007年1月25日)。わー、時がたつのは早い。でも、あれからアルバムを2枚だし、フェスも含めれば2回も来日公演を行っているんだよな。

 ほぼ、パーフェクト。フロントの男女の歌にしても、整合感の高いサウンドにして、アクション/構成といった見せ方の部分においても。屈託がないダンス・ポップを突き抜けたエンターテインメント精神とともに押し出そうというのは前にみたときと同様であるのだが、すべてにおいて成長。5年の月日もさもありなんと思わせられることしきり。いや、5年もたつと、どこか新鮮さや溌剌さを失う場合も多々あるのに、そうしたマイナス面を一切感じさせず、音楽を送る歓びや冥利と徹底的なプロ意識を臭くならずにまっすぐ表出していたのにはなかば驚いた。

 かなり、高評価。新木場・スタジオコースト。


<今日の、おせっかい>
 稀に家の近くで自転車によるヤクルト販売の女性をみる。旧態依然のスタイル、それはすんごくブルー・カラー的労働とも思える(真夏も真冬も大変だろうな。雨の日はどうするのだろう)。ぼくが近所で見るそれに従事する人たちは、けっこう年齢が若いというのはともかく、今日日だれがヤクルトを買うのだろう。ぼくはもう30年ぐらい飲んだ記憶がない。その売り上げで人件費を出すのは、大変ではないのか。1日1万円の売り上げを出そうとすると、1本100円として(ほんとはもっと安いかな?)、100本売らないと駄目なわけで、ぜったいそのビジネスが成り立つとは思えない。とか、きょう健気なヤクルトおねえさんを見かけて、とほうもなく余計な心配をしてしまった。

 冒頭、ギター×2、キーボード、ベース、ドラムのバンドがインストを1曲披露。ずっぽりレゲエ、身体が揺れる。そして、ソウルフルかつ円満な歌声を持つ御大(2006年8月19日)と2人の女性バックグラウンド・シンガー(うち1人は、娘のヤシマベス)らが出て来て、20曲超えのショウは始まる。彼は秀でたソング・ライターでもあるから、自作曲が主体になるものの、グレゴリー・アイザックス、デニス・ブラウン、ボブ・マーリー曲なども披露。そこらへんは、レゲエ大使的なサーヴィス精神の発露という感じかな。そして、さらにザ・ビートルズの「ユー・ウォント・トゥ・シー・ミー」のカヴァーも。新作に入っているらしいが、それ、彼の満たされた感じにぴったり。

 サッカーが好きで、一番大好きなサッカー選手は日本人で、マンチェスター・ユナイテッドの*+?(香川真司のことだろう)という、MCもあり。と、思ったら、なんとアカペラ&日本語で「琵琶湖就航の歌」を披露もした。いやはや、渾身のもてなしの意思、横溢しまくり。よく左右にも動いたマクレガーは最後のほう、コーラスの2人とともに、ジミー・クリフ(2006年8月19日、他)ばりの疾走ポーズも。元気だなあと思ったら、テカテカしつつじじい風情も持つ彼だが、まだ56、7歳なのネ。レゲエはソウル・ミュージックにして芸能、そうした旧流儀を無理なく宿す表現を堪能した。南青山・ブルーノート東京・ファースト・ショウ。

<今日の、キブン>
 世間は、明日から3連休。なんか、昼間に会った会社員たちが、こころなしかうれしそう? 数日前に電話で話した友人は、3日間とおして家族といなきゃならないと思うとブルーが入ると言っていたが。まあ、人それぞれ。一緒にマクレガーを見ていた知人は、苗場で3日間おこなわれるテクノ・イヴェント“ラビリンス”に行くといっていた。ぼくも、しっかり仕事や音楽から離れ、遊ぼうと思う。実はお盆あけから、ずっとブログ原稿を放置しまくるほど忙しかった。まあ、夜は遊んでいたけど。

 ジャイルズ・ピーターソン(2008年9月18日、他)の仕切るイヴェント“ワールドワイド・ショーケース2012”に行く。恵比寿・リキッドルーム。19時少し前につくと、すでに今様ジャズ・ピアノ・トリオであるJ.A.M(2010年10月10日)の演奏が始まっている。新作を出したばかりで、そこからの曲をやっていたのかな。そして、途中から、現代ジャズ・シンガーのホセ・ジェイムズ(2012年2月18日、他)が加わる。前日、リハをやったらしいが、両者のジャズ・ビヨンドの態度は無理なく噛み合う。なるほど、これはアリ。数曲やったが、もっとやってほしいと思えた。最後のほうは、NY在住らしい日本人トランペッターも加わる。しかし、J.A.Mの面々は5日前にはBBBと一緒にやり、今度はホセ。さて、次は誰だろう?

 DJ時は、ホワイエで知り合いと歓談。入りは盛況。スコッチの著名ブランド“ザ・マッカラン”(サントリーが輸入)が冠についたようで、それも販売。ストレートではなく、ハイボール推奨にて提供。ま、サントリー絡みだしな。その後のライヴ・アクトは、米国人女性シンガー/クリエイターのライアットと男性クリエイター/ギタリストのマスト。両者はライアットの2009年1作目から関わり、2作目では一緒にカヴァーに写っている。漂う女性ヴォーカル+PC音という組み合わせ、レディオヘッド曲カヴァーのときはライアットの歌はビョークぽさが増した。なんでも、ピーターソンはホセ・ジェイムズの共演仲間であるテイラー・マクファーリン(2012年3月2日、他)とライアットの絡みを見て、彼女に興味を持ったよう。

<今日の、ホセ>
 インパルスからアルバムを出せたことにそうとうな歓びを覚えていたジェイムズだが(2010年11月11日、参照)、それは1作限りで、新たにブルーノートと契約したという。アルバム・リリースは来年早々になるようだが、音はとっくに上がっていて、それはジャズ路線ではなく、コンテンポラリー/ポップ路線をとるものになっている。そこには、ジェイムズ本人とともにピノ・パラデイーノ(2010年10月26日、他)もプロデューサーとしてクッレジットされている(さらに、ブライアン・ベンダーという人の名も)。今年のディアンジェロのツアーにクリス・デイヴ(2010年10月16日、他)とともに参加し、この下旬のデイヴの来日公演に同行するベーシストンのパラディーノだが、ほんと純ロックからこっちのほうまで本当に売れっ子だ。なお、その新作にはエミリー・キングという女性が1曲フィーチャーされ、他にも1曲彼女の曲(それ、少しボビー・チャールズの「スモールタウン・トーク」を想起させる?)が採用されている。そのキングさんって、2006年にJからチャンキー・トンプソンのプロデュースでデビューした人? 声を聞くと似ているが、確か両親はジャズ・ミュージシャンだったよな。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。東京ジャズを経ての、出演。そしたら、なんとこちらには、元ザ・ミーターズのリオ・ノセンテリと元EW&Fのアル・マッケイ(2011年9月15日、他)、2人の著名ギタリストが入るというのだから、いやはや。豪華なのはいいが、1時間強のセットに入るのかとか、心配になる?

 まずは、ルーファスで40分ほど、ヒット曲のオンパレード。そして、以下はゲスト・ギタリストをフィーチャー。けっこう、ギター合戦みたくなるのかなと思ったら、そんなことはなく、ちゃんとゲストを立てて、その当たり曲をしっかりと提供する。ルーファスは優れたバック・バンドであるのだなあ。

 まずはノセンテリが出て来て、ザ・ミーターズの「シシィ・ストラト」と「ファイアー・オン・ザ・バイヨウ」をやる。パブロフの犬になる。そして、次はマッケイが出て来て、EW&F(2012年5月17日、他)の「シャイニング・スター」と「セプテンバー」。すると、場内は余計にアゲアゲ。EW&F曲の起爆力ってほんとうにすごい。ルーファスにはキーボード奏者が3人いて、普段はそんなに人数が必要なのと思ってしまったりもするが、EW&Fのような曲には強みを発揮する。それから、またザ・ミーターズの「ヘイ・ポッキー・ウェイ」を皆でやったりして、イエイッ。

<今日の、リオ>
 ノセンテリさん、なんかそんなに歳を取っていない感じで、それも良かった。アル・マッケイのフィーチャー曲になって一度ステージをおりたノセンテリだが、「セプテンバー」のときに出てきて、マッケイに寄り添い、彼のマイクでコーラスをつける。わー。なんか、いい人。この場面で、ぼくは“シェア”がニューオーリンズ音楽の柱にあるものと再確認した。

 NYサルサの大御所ピアニスト(2009年9月24日、他)にプラスして、ヴォーカル2人、トレス/ヴォーカル、トランペット2人、トロンボーン2人(ジミー・ボッシュとともに吹いていたのは、梶原徳典という日本人。普段からNYのラテン・シーンで活躍している人のよう)、電気アップライト・ベース、パーカッション3人という布陣でことにあたる。これだけ奏者数がいるとトレスの音は聞こえにくいが、その名手ネルソン・ゴンザレス(2009年9月24日)はリード・ヴォーカルを取る曲ではそのソロもきっちり披露し、その際にはばっちり音が聞こえた。ほう、この楽器であることが活きた妙味溢れ出る。やるなー。

 満面の笑顔の持ち主パルミエリはピアノ音色のキーボードを弾く。前の公演でもそうだったような気もするが、グランド・ピアノを弾かないのはどうしてだろうと、パフォーマンスの最中に少し考える。やはり、電気キーボードの音は深みや立ちや艶に欠ける。で、導きだされたのは以下のようなもの。1)奏者数が多いので、場所を取るグランド・ピアノを用いない。まあ、もっとでかい編成のビッグ・バンド公演のときでも、グランド・ピアノは使われたりもするが。2)より密接な距離感のもと、バンド員たちと阿吽の呼吸の演奏を繰り広げたい。グランド・ピアノだと、とうぜん他の奏者とは遠くなる。3)音質にけっこう無頓着&電気キーボードのほうが楽にアンプリファイドできる。

 正解はよく分らないが、本人がいいなら、まいっかという気になるか。それと、パルミエリは曲の始まりの前に何気に、ときにクラシック的というかお涙頂戴的なしけたピアノのソロをピラピラ弾いたりもする。それ、ぼくにはどうでもいいものと聞こえるが、そういうパートを経て弾む重厚バンド・サウンド音になると、ラテン音楽のありがたみ、この奏者たちの秀逸さが対比的によく伝わる。まさか、それ、狙ってないよな? ともあれ、美味しいラテン音楽に触れ、どこか耳の洗濯をしている自分がいるのは間違いない。南青山・ブルーノート、ファースト・ショウ。

<今日の、わっ>
 家の近くの本屋の文庫本の平積みを見て、ぎょ。そのなかの1冊の表紙にでっかく、FRANZ KAFKAと印刷されている。それが、フランク・ザッパに見えてしまったのだ。あーびっくりした。カフカの名前は子供ころから知っているが、その作品は読んだことがない。

東京ジャズ 

2012年9月9日 音楽
 有楽町・東京国際フォーラム、ホールA。

*バルカン・ビート・ボックス
 イスラエルのかっとびビート・ミュージック集団(2007年10月25日、2008年7月6日、2008年7月8日)、やはりなんか引きつけるし、鼓舞される。まず、頭の2、3曲にびっくり。彼ら、エイジアン・ダブ・ファウンデーション(2000年10月6日)のようにPC音併用のバンドだったのに、完全人力のサウンドでぶっ飛ばしたから。おお肉々しくも汗が似合うっ、と思って見ていたら、その後はプリセットのビート併用にてパフォーマンス。1曲には、ソイル&ザ“ピンプ”セッションズ(2012年3月3日、他)の面々が入り、とくに2人の管奏者は長目のソロを取った。

*タワー・オブ・パワー
 元オークランド(今、構成員は米国各地に散っている)の名ファンク・バンド(2011年3月10日、他)も出演。リード・ヴォーカルのラリー・ブラッグスは格好いいなー。キーボード奏者は東京在住の元メイズの達人、フィリップ・ウー(2007年6月6日、2009年5月26日)。急遽弾くことになったらしいが、なんら問題なく。譜面おいてなかったような。

*ルーファス・フィーチャリング・スガシカオ・ウィズ・タワー・オブ・パワー・ホーン・セクション
 これはぎょぎょという出し物、だな。まずはルーファス(2011年6月22日、他)単体で、トニー・メイデンが中心となり、次から次へとヒット曲を繰り出す。今回は総勢10人(歌手はメイデンの娘を含め女性2人)で、打楽器は有名スタジオ・マンのレニー・カストロと紹介される。それで、中盤過ぎにスガシカオ(2001年2月18日)が出て来て、彼の持ち歌を3曲やる。米国人に囲まれると、40代半ばのスガはまだ青年のようだ。この日のスガ曲はファンから見ると、意外な選曲でもあるとか。おそらく、ルーファス側との合議できまったのだろう。ルーファスは伴奏だけでなく、コーラスもつける。その2曲目から、タワー・オブ・パワーの4人のホーン隊が合流。スガが下がったあと、今度はラリー・ブラッグスが出て来て、ルーファス+タワー合体のもとルーファス曲を歌ったりも。

@エスペランサ・スポルディング“ラジオ・ミュージック・ソサエティ”
 ステージ上には、10人を超えるミュージシャンが。そして、前回公演(2011年2月17日)は弦楽器奏者が並んでいたのに対し、今回は管楽器奏者がずらり。前作『チェンバー・ミュージック・ソサエティ』と今作『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』は同時録音進行していたブツで前者は弦楽器の重なりを介したのに対し、今作は管楽器奏者の音群を重用……。編成からも、このライヴは『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』の内容を公の場で開かんとしていたのが分りますね。演目もみな、新作収録曲ではなかったか。そのアルバム表題に表れているように、彼女(2012年3月7日参照)は広く大衆に届くことを願って新作を送り出したわけだが、とにもかくにもやっぱり彼女は凄い、目映く輝きまくりだァと、痛感させられる実演ではなかったか。まさしく、ジャズを知っていなくては表われえない、私のニュー・ミュージック! 素晴らしい。なお、ギタリストはジョージ・デューク(2012年3月2日、他)がよくレコーディングで使ってもいる、パンク・ジャズの大御所ジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日)を同行させていた。彼は『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』にも参加していたわけだが、エスペランサ偉いっ!

<今日の、音>
 今に始まったことではないが、ホールAの音は良くない。それは、幕張メッセなどの音響の良くない倉庫のような会場でのライヴに慣れていても、そう感じる。まあ、放送にはラインからとって調整して使えばOKなのだろうが、ホール入場者のことをもっと考えて、主催のNHKはもう少しいい音を出すようにがんばってほしい。

東京ジャズ

2012年9月8日 音楽
 ここのところは有楽町の東京国際フォーラムで開かれている東京ジャズ・フェスティヴァル、今年は向かいのコットンクラブも会場となった(明記していないものは、ホールAにおける公演)。以下、見たアーティストをさくっとあげる。フェスとはいえ出演アーティスト数は過剰に多くはなく、出演時間も重なっていないので、それなりにちゃんと見ちゃいました。

*テイク6
 いまやヴェテランのアカペラ・コーラス・グループ(2005年11月10日)、いろいろと趣向を凝らして、名人芸を披露する。

*ベン・E・キング
 R&B名士(2010年10月5日)は、全16人の日本人ビッグ・バンドが伴奏をつけるなか、ジェントルに歌う。リズム・セクションはJポップ側でも活躍する制作者/アレンジャーの笹路正徳(ピアノ)、高水健司(電気ベースではなく、ウッド・ベースを全曲で弾いた)、山木秀夫(ドラム。2012年8月24日、他)。1980年代あたまのカズミ(2012年3月20日、他)・バンドのそれと同じ顔ぶれだと、一部で話題を呼んだよう。編曲/指揮はトロンボーン奏者の村田陽一(2011年12月20日、他)。ベン・E・キングはかつてビッグ・バンド作を出しているので、それを基本に置くのかと思ったら、演目もそんなに重なっていないし、けっこう新規の譜面が用意されたのかな。この日にやったのは彼、および彼が在籍したザ・ドリグフーズの有名曲が主。ジャズ・スタンダードの「ミスティ」も歌った。蛇足だが、この曲を取りあげる人が多いなか、歌モノではアリサ・フランクリンの1965年のヴァージョン、演奏ものではアーサー・ブライスの1981年ヴァージョンが、ぼくは一番好きだ。しかし、村田による呼び込みMCの情けないこと。ほかにする人、いなかったの?

*バート・バカラック
 次から次へと耳馴染みのメロディアス洗練曲が披露され、改めて名ポップ作曲家の偉業を痛感させられたりして。凄いナ。ピアノを弾き少しだけ歌う御大に加え、7人の演奏陣、3人の女男シンガーを擁してのライヴ。もう少しバンドの編成が大きかったらと思わなくもないが、非があったとしてもすべては曲の良さがカヴァーし、聞き手に甘美な思いを与える。終盤は映画のために書いた曲を連発させたが、そこでバカラックは「ザ・ルック・オブ・ラヴ」(007映画用の曲)を歌う。声は嗄れてボロボロ。だが、それもこの音楽家の蓄積や襞を物語り、聞き手のなかに大きな感慨を残す。しかし、もう80代半ばとは。

*スティーヴン・ロシート(コットンクラブ出演)
 オーストラリアのまだ10代後半のジャズ・シンガー。とっても声量あり、音程も正確。朗々と危なげなく、ジャズ・スタンダードやオリジナル曲を歌う。なんか、その歌の感じやいい人っぽさに、“アメリカン・アイドル”時代のジャズ歌手という所感をとても得る。同行の中年伴奏陣、かなりまっとう。

*小曽根真
 人気ジャズ・ピアニストの小曽根真(2012年8月24日、他)の新作は2作品同時発売で、ひとつはニューオーリンズの重鎮ピアニストのエリス・マリサリスとのデュオ盤。そして、もうひとつはクリスチャン・マクブライド(2009年8月30日、他)とジェフ“テイン”ワッツ(2012年1月13日、他)とのトリオ録音作。で、これはその2つをくっつけた、その5人による出し物なり。小曽根とはバークリー音楽院で同級だったというブランフォード(2010年10月21日、他)や弟のウィントン(2000年3月9日)や四男ドラマーのジェイソン(2009年11月2日)らマルサリス兄弟のお父さんにして、ニューオーリンズ・ジャズ教育の元締め的存在でもあるエリス(1934年生まれ)の生演奏には初めて触れるが、まだ元気そうだな。ちなみに、三男のデルフィーヨはトロンボーン奏者でありつつ、それ以上にジャズ・プロデューサーとして活躍している。

*ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
 1枚目となる新作が出たばかりが、昨年の来日公演(2011年5月17日)と驚くほど印象は変わらない。フュージョン様式やピアノ演奏に飽きてまんねん的、サンプルの“なんちゃってザディコ”(やはり、一般的なスタイルのザディコをやってはおらず、サンプル流ザディコ風アーシー・ポップと言ったほうがしっくり来る)バンド。総勢、9人。結構顔ぶれも重なっているはずだが、両公演に同行している山岸潤史がその新作に入っていないのは謎。みんなでせえのでやっているとウォッシュボード奏者(アレックス・マクドナルド)の音は聞き取りにくいが、ソロ・パートになると、切れ味たっぷりのなんとも強力な楽器/奏者であることが分る。

*セッション
 メイン級の出演者とリストされ、東京ジャズやるじゃんと一部の層からは評価を高めたオーネット・コールマン(2006年3月27日)の出演が直前にキャンセル。そのため、小曽根真がリーダーシップをとって、東京ジャズ出演者たちによる彼へのトリビュート・ジャム・セッションが行なわれた。ながら、小曽根は冒頭MC(本当に、彼は弁がたつ)でコールマンの曲はたぶんやったことがないと正直に表明する。怖いモノ見たさの気分、たかまる。
 基本となったのは、先の小曽根真の出し物のときに出た5人。このなかで、一番コールマン表現に一言持つのは、ジェフ・ワッツか。彼の「JCイズ・ザ・マン」という曲はコールマン/ハーモロディック流儀を持つものであるから。演目は、一応コールマン曲をテーマに借り、ソロ回しの部分はブルース(4ビート)、そして1コードのファンク(1曲だけ長々とやったその曲は、スライ・ストーンのビートを簡素化したようなものを採用)でつっきる。コールマン表現は“電波”と“飛躍”と“妙な歌心”を抜くとブルースと1コードのファンクが残るので、一応それは理にかなっている。途中からジョー・サンプルも入ってピアノを弾いたり、テイク6が唐突に出て来て持ち歌をアカペラで披露したり。それ、この出し物に潤いを与えていた。
 一番参加者人数が多く、演奏時間も長かった(長過ぎて、次のプログラム開始時間になってしまったので、ぼくは途中退座した)のは、クリスチャン・マクブライドがうれしそうに電気ベースに持ち替えてのファンク曲。そこには、ザ・クリオール・ジョー・バンドのギタリストであるレイ・パーカーJr.(2012年 8月15日、他)や山岸潤史(2010年8月4日、他)、普段は絶対とらない感じのトロンボーン・ソロを延々とった村田陽一(管奏者たちの、まとめ役もやったみたい)、無料ステージに出演していたジャガ・ジャジストのトランペッターのマティアス・アイク(2007年9月18日)、ベルギー人テナー奏者のユリ・ホーニングなども加わった。

*イブラヒム・マーロフ(コットンクラブ出演)
 レバノン生まれ、フランスの音楽大学を出て、そのままパリで活躍しているトランペッターのショウは、もう1人の管楽器奏者(トランペット、ピッコロ、バグ・パイプとかいろいろやる)、キーボード、電気ギター、電気ベース、ドラムという陣容のバンド(みんな、腕がたつ!)にて。そのアルバムは妄想大王みたいな一筋縄のいかないスケールを持っていたが、もっと音数が少ない実演もそれは同様。ジャズからロックまでを自在に横切りつつ、自らの即興性あるインスト中心音楽を送り出す様は、なんか笑かされるとともに頼もしい。でもって、マーロフの吹くフレイズや音色は決定的に中東的な何かをおおいに抱えるものであり、その総体は妙にオリジナル。世の中いろんな人がいるなあという感想を引き出す。只のあんちゃん的な風情を持つ本人以外、バンド員はちゃんとしたいでたちで演奏した。

<今日の、残念!>
 オーネット・コールマンが来日できなかった理由は、ベルギーで食当たりにあい、体調が回復しなかったため。8月9〜11 日に開かれたスウェーデンのウェイ・アウト・ウエストというという野外ロック・フェス(ブラー、ザ・ブラック・キーズ、モグワイ、ボン・イヴェール他が出演)にも出演予定だったが、そのホームページにも<食中毒で寝たきりになり、出演不可。回復を祈ろう、秋にはまたスウェーデンにやってくる>みたいな記載がなされていた。で、回復するかと今回ぎりぎりまで待ったが、×印が出されたよう。現在82歳、少し心配だな。ところで、そのオーネット欠席穴埋めセッションには出なかったが、今回の東京ジャズの出演者でもっともオーネット表現に親しんできたのは翌日出るバルカン・ビート・ボックス(この日は、無料野外ステージでDJセットを披露したよう)のオリ・カプラン(2000年8月15日)ではなかったか。彼、BBB(2008年7月8日、他)を組む前は、NYでフリー・ジャズをやっていたアルト・サックス奏者ですからね。彼の曲は山ほど、空で吹けるはず。また、マティアス・アイク率いるジャガ・ジャジストにコールマン曲をやらせるというのもあったはず。あの面々ならコールマンを通っていて、感化もされているはずだから。

 まず、南麻布のノルウェー大使館の小ホールで、ノルウェー人ダブル・ベース奏者のマッツ・アイレットセン率いるリーダー・クインテットの小ライヴを見る。自己リーダー活動ほか、ルネ・グラモフォン発のフード、ECM発のザ・ソース、ヤコブ・ヤング(2007年9月18日)、トルド・グスタフセン(2011年9月3日)作などいろんな人と演奏している腕自慢の彼に加えて、ピアノ、テナー・サックス(彼のみ、代役であったよう)、電気ギター、ドラムというクインテット編成。腕に刺青していたピアニストはロック畑の人と聞いたら、それを信じそうな風体。で、5人で淡々と、意欲を散りばめる前向きジャズを披露。やはり、今のノルウェー人の、詩的でもある、真面ジャズ能力は相当高いとも思わされる。スカイダイブというよりは、海の中を潜っている感じを、ぼくは演奏に触れて得たか。暗い透き通った水中の感覚や、ときに表れるスプラッシュや海中の泡や上から差し込む陽の光の感覚のようなものをぼくは覚えた。

 その後は、代官山・晴れたら空に豆まいて に。発想自在なマルチ・プレイヤー/シンガーの藤本敦夫(2010年9月14日、他)仕切りの福島県応援イヴェントをやっていて、途中から見させていただく。その前には長見順(2008年11月14日、他)らも出たようだが、会場入りしたときはギターを持つ藤本が進行役のもと、男女10人ぐらいがステージで和気あいあいと重なっていた。藤本妻の橋本一子(2010年9月14日、他)は1曲ピアノから離れ、中央でマイクを持ち、サム&デイヴの「ホールド・オン」を熱唱。わあ、レア。

 そして、最後にそこに加わったのは、細野晴臣(2010年4月15日、他)。アコーディオンを持つコシミハルも一緒に出てくる。外国曲カヴァーを2曲披露。この原稿は時間がたって書いているので、見事に曲名は忘れた。それなりに知られた、新しくはない曲だったはずだが。なんにせよ、とっても味と、(軽妙なのに)重みがあった。1ヶ月弱前(2012年8月12日)にはデカい野外ステージでテクノ・ファンクをやっていた人とは思えない? やっぱ、持っているもの、ハンパない。彼はみんなが出て来たアンコールにも出て来て、知らない曲につきあっていた。小川美潮もいたな。


<今日の、ていたらく>
 まだまだ、暑い。そりゃ一頃よりは、気温は少し下がっているだろう。だが、基本エアコン排除で生活しているせいもあり、暑さ疲れがたまってきて、しんどい暑さ度数はより感じている。なんか、洗濯物の量もより増えているような。夏が終わりなのは生理的に寂しさも感じるが、は〜やく秋よ来い! なのだ。今日は、すべての移動にタクシーを使ってしまった〜。ほえ。

 アンダースンは、1943年米国東部生まれの、1960年代半ばから第一線で活躍してきているシンガー・ソングライター。その系統を熱心に追って来ていない(オトコだったら、生ギターなんか持たずにエレキ・ギター持ってバンドでがつんと行かんかい、と思っていたもので)ぼくも、その名前ぐらいはちゃんと知っている。ザ・バンドの故リック・ダンコとつるんでいた時期もあったしね。とはいえ、その有名作『ブルー・リヴァー』(コロムビア、1972年)でさえ、全米チャート最高位169位ということなので、一般的な人気からは遠かった担い手と言うことができるのか。でも、その名前は熟年ロック愛好者にはかなりポピュラーであると思う。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 アコースティック・ギターを弾き語る本人に、ヴァイオリン奏者のミシェル・ガジッチと、ハーモニーをつける女性シンガーのインゲ・アンダースン(2005年のアンダーソンの日本ツアーに参加し、その後に結婚。オランダ人?)、3人によるパフォーマンス。ヴィオリン奏者はイタリア人だそうだが、なるほどフィドルとまったく言いたくならない、丁寧できめ細やかな演奏をしていて、これは欧州人の演奏だと思わされたか。そんな伴奏もしっくりくる、純度の高いパフォーマンス。ぼくの好みに合わなくても、とってもそう痛感し、肯定できたな。アンダースンは何曲かでは、ピアノを弾きながら歌う。すると、少し黒っぽさをまし、なんとなく小型のヴァン・モリソンと言いたくなる風情も出てくる。ぼくは、ピアノ弾くときのほうが、ずっと好みだった。

<今日の懺悔>
 アンダースンはショウの最後に、客席にいる中川五郎(2005年6月17日、他)さんをわざわざ紹介する。そういえば、少し前の飲みの席で、五郎さんって五男だから五郎という名前なんですかね、と誰かがそういう質問をしたことがあった。まあ、みんな、そういう疑問は頭に浮かぶよな。ぼくも昔、同じ質問を本人に問うたことがあるけど、その答えはとんと覚えていない。はぐらかされたんだっけか。そういやあ、彼に姉がいることは聞いたことがあるけど、男の兄弟については、あんまし聞いたことがないな。ともあれ、そんな問いを受けて、でまかせで……。
「本当はゴロウじゃなく、ロウゴって名前なんだって。老後じゃなくて、朗らかを悟る、と書いて朗悟。本人、その名前の意味合いがイヤで、外国人も発音しやすいし、洒落で逆さに五郎と名乗るようになったみたい」
 そしたら、その場にいた人はすごく納得していた。すぐ、嘘であることを明言したが、なんか酷いネタだな。ごめんなさい、五郎さん。でも、また同じことを聞かれたら、戸籍上は俉朗と書くみたいとか、しょうこりもなく戯れ言を言いそう? 五郎さんは、なんかいじりやすい。

 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。ジャマイカのダンス・ホール・レゲエの怪物制作者コンビ、スティーリー&クリーヴィーの名を出した公演だ。スティーリーは2009年に亡くなってしまったが、ジャマイカの音楽シーンをぐいぐいと牽引した実績を山のように持つゆえ、1人だけでも、その財産を糧に興行をやる資格は十分あるだろう。で、ぶっとい低音を浴びることができればOKと思って行ったら、きっちりドラムを叩くクリーヴィーのもとに、かなり実績ある奏者陣やシンガーが集結。想像した以上に、バンド+歌手の噛み合いを出したショウを見せたし、このコンビが作ったビートや楽曲群を明解に示していたはず。結果、ジャマイカという国のポピュラー・ミュージック、ビート・ミュージックの創出能力の高さをさらりと思い知らされた。

<今日の、記憶>
 イケイケだったころのエイベックストラックスが彼らと契約してきたことがあって、そのころ、スティーリー&クリーヴィーにインタヴューしたことがあった。その流れで、日本でアイドルも手がけると、2人はなんかうれしそうだった。が、その細かいパーソナリティまでは覚えていないな。そういえば先日、引き出しを整理していたら、キングストンのミュージック・ワークスで録った写真がでてきた。卓の前に座っているオレ、なんかうれしそう。でも、そのときの爆発した髪型には、うーむ。1990年代上半期? 調べれば分るだろうが、よく覚えていない。どんどん記憶は薄れて行き、悲しい。でも、そのぶんいろんなことを積み上げているのだと思うようにしよう。

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