旧東急文化会館跡地にできた商業ビルの渋谷ヒカリエ内作られた東急シアターオーブで<JAZZ WEEK TOKYO 2013>という帯のジャズ系イヴェントが先週金曜日から開かれていて、これは5番目の出演者となる。

 会場はクラシック用途も考慮した、2000人弱収容のそれ。11階から数階ぶんのスペースをとって贅沢に作られており、けっこうガラスばりの会場のホワイエなどからは、とっても魅惑的な夜景が広がる。あ、オレは高い所と夜景が好きなんだと、再認識した。ぼくの隣席に座っていたポーランド人青年がここの夜景は素晴らしい、NYのリンカー・センターもびっくり、と言っていた。六本木のビルボードライブ東京というハコはリンカーン・センターのザ・アレン・ルームと似たを作りだよと、教えてあげる。ここにも、そういう会場を併設したら良かったのにナ。入り口階はとっても広いスペースをとるなど、相当に余裕ある作りを取っているだけに。蛇足だが、ここの場内のバーは、ビールはハートランドを瓶で販売。グラスは配らず(要求されたら、出すのだろうけど)、乱暴に瓶のラッパ飲みすることを推奨しているよう。それには、好感を持つ。

 菊地成孔(2011年5月5日、他)の、デカダンとか官能とか洗練とかをたっぷり抱えるこの大所帯ユニットを見るのは、8年ぶり(2005年6月9日)。大儀見元(2011年1月21日、他)と田中倫明の2人のラテン打楽器、ピアノやウッド・ベース(鳥越啓介。2003年3月6日、他)やハープやバンドネオン、ストリング・カルテットという内訳の10人に、各種サックスをときに吹いて、指揮(CDJも少し扱う)をする菊地が加わる。また、曲によってはオペラ歌手の林正子、さらにヒップホップ・ユニットのSIMI LABの中心メンバーであるOMSBとDyyPRIDEがラップや語りで重なる。

 といった、参加ミュージシャンの羅列だけでも、キューバン・ラテン、タンゴ、ジャズ、クラシック、ヒップホップなどいろいろな音楽要素を、菊地は編集感覚を介した行き方で執拗に交錯させていく。その多彩さは、ときに子供っぽいと感じもするが、なかなかに壮絶。そして、クラシック的歌唱(ほとんど触れたことはないが、ぼくはかなり苦手意識を持っている)をなんら違和感なく重ねているのには驚く。スケールあるなと思った。

 しかしながら、公演中にぼくが一番いいと感じたのは、後半に菊地が披露した歌唱。かつて持っていたスパンク・ハッピー(2002年11月30日)をはじめ、彼の歌には何度か触れ、それは“外しの感覚を持つ余芸”と感じていたが、この晩の彼の澄んだ情緒をおおいに持つヴォーカルにはマジな歌としてグっと来た。自分は歌いたいという意思、歌いたいことがあるという必然性を持つ、いい歌い手じゃないか! なんか、それ以降、ぼくの目には中央に立つ彼が70%増しでカッコ良く見えるようになったし、この晩のパフォーマンスが魅力的に思えたのはまぎれもない事実なのだ。もっと、彼の歌を聞きたいっ。やはり、まっすぐな歌やダンスの力は偉大なのである。

<今日の、郵便物>
 家のポストを覗くと、ドイツからの郵便物あり。現在ベルリンにも拠点を置いている藤井郷子さんから、彼女がいろいろと持っているユニットのなかの一つであるカルテット、MA-DO(2010年1月9日)の新作『time stands still』(Nottwo)が封入されている。メンバーの是安則克(べース)は2011年9月に亡くなってしまったので、これが同バンドの最終作になるのかな。あっち側を真摯に見つめる、嵐と詩情をいろいろ抱えた集団表現作だ。パッケージに張ってあるスタンプを見ると、郵送料は3,45ユーロ。ありゃ、日本国内宅急便と変わらない。で、発売元は前作と同様に、ポーランドのレーベル。上でちらりと触れた、初来日のトルケイヴィッチ君はポーランドのジャズ・フェス“jazztopad”のディレクターを勤めていて、知識と見識を持ち、英語が上手い。知人のお誘いで、公演を見た後に一緒にお寿司を食べたりもしたのだが(彼があちらで作っている巻モノや握りの写真を見て、その完成度の高さにびっくり)、ポーランドのジャズ界にとても興味をひかれた1日でもあった。

朝日美穂

2013年3月23日 音楽
 6年ぶりにリリースした新作『ひつじ雲』(朝日蓄音)をフォロウする、女性シンガー・ソングライターの単独ライヴ。渋谷・サラヴァ東京。2部制にて持たれ、新作収録曲はすべてやったよう。会場はびしっと椅子が並べられ、フル・ハウス。趣味の良い洋楽享受を日本語のポップスに昇華させる、この才人のパフォーマンスを見るのはいつ以来か。オネストで見たのは15年ぐらい前? でも、そんなに昔の印象はないかな。それは、シーンにおいて、もう一つのところに無理なく位置しているというイメージがあるためか。

 ピアノやキーボードを弾きながら歌う彼女に加え、新作をプロデュースもしている高橋健太郎(ギター)ほか、レコーディングにも参加している人たちがサポート。バンドネオンの北村聡(2012年6月17日、他)、ベースの千ヶ崎学、ドラムの楠均という面々がつき、北村以外はときにコーラスも取る。このリズム隊、2人でキリンジのサポートをしているそうだが、心地いい質量感を持っていて、うなずく。一方、かなりうまくポップ・ミュージック傾向のバンド・サウンドと重なり、濡れた温もりを与えていた北村聡は半数強の曲で加わり、その際の朝日はすべてグランド・ピアノを弾く。北村とのデュオ曲もあれば、ピアノ弾き語り曲もあった。

 コード使い/メロディの妙と日常への閃きある視点を有した詩作が、豊かな音楽享受を下敷きとするサウンドのもと、瑞々しく浮き上がる。生理的に、輝いていると思わせる部分もいろいろ。でもって、ライヴだとスティーリー・ダンぽい曲調と思わせられものもあり、それは高橋のギター演奏が時にそれっぽいことも一因か。それを認知し、<スティーリー・ダン+キュートな女性ポップ=朝日美穂>という説明もアリかとふと思って見ていたが、セカンド・ショウのほうは、あまりスティーリー・ダンぽいとは感じず。随所で耳をひく部分がある、しなやかなのに個を持つポップ表現であるのは変わりがないが。

 音楽をする歓びが、きっちりあった公演。そして、その端々から、音楽を作る日常の正の機微も透けてみえるような気がした。別な言い方をすれば、自然で実のある音楽献身、音楽愛好に満ちる。そして、それはアルバムにもまぎれもなく流れるものだろう。現在ネットののみで販売されている『ひつじ雲』(ここ数年の間に作られ、録られた曲群が磨かれ、収められている)は、春が終わるとちゃんと店頭販売もされるようだ。

<今日、という日>
 あったかい、満開。花見最適日。

 サナンダ・マイトルーヤ、元の名はテレンス・トレント・ダービー。21世紀に入るころから名前を抹香くさいものに変え、簡素なお膳立てのアルバムを自主制作的に出していたのは知っていたが、立った個を持つゆえにロック的な手触りも濃かったはみ出しアフリカ系米国人シンガー・ソングライターの公演をまさかここに来て見ることができようとは。

 彼のことは英国でデビューするかしないかの1987年初春にロンドンで見て(メイン・アクトはザ・コミュナーズ。当時、彼らは人気者だったので、会場はロイヤル・アルバート・ホールだった)、どこか異形の佇まいに度肝を抜かれ、その後、日本でも人気を獲得し1990年代前半の初来日ツアーの東京公演は確か日本武道館だったと記憶する。2度目の日本ツアーも日本武道館でショウが持たれたはずだが、そのときは渋谷・クラブクアトロでも公演が開かれ、ぼくはそちらでその勇士を見た。

 そんな彼には2度インタヴューしたことがあって、その印象がまったく別であったのも印象深い。一度は『シンフォニー・オア・ダム』(1993年)リリースのときで、それはロンドンで。場所はソニーUKが用意した、お洒落なプチ・ホテルのスイートだった。彼は本当にもの静か(声も猫なで声で、ぼくはマイケル・ジャクソンを想起した。その様は、彼の回りだけ時間が止まっているようだった)で、新作をプロモーションする場であるのに、ジャンル分けをする音楽業界に失望し、引退したい、東洋に住みたいなんて話もしていた。そして、これまでと異なる音楽をやりたい意向ももらし、たとえば坂本龍一のような、という発言をしたとも記憶している。先に触れた初来日公演は確かその後で、そのホットな観客の反応に接し、それは彼を力づけると、ぼくはコブシを握ったんじゃなかったか。

 そして、2度目の取材はマイトルーヤと改名した2001年で、その名で出したアルバム『ワイルドカード』をライセンスしたエイベックスが彼をプロモ来日させた際。そのときは、かなり吹っ切れた感じもあって、態度も快活。けっこう、ノリがあって盛り上がったことを覚えている。

 とかなんとか、けっこうぼくにとってはひっかかりを持つアーティストであると言える。最初に取材したころには米国に戻っていて、2度目の取材のときは米国になじめずまたドイツ(NY生まれの彼は、軍で赴任したドイツで除隊し、そのまま欧州で活動をはじめ、デビューの機会を得た)に住んでいたと記憶する。その後、彼はイタリアに引っ越したとも伝えられ、ネットを中心にいろんな音を出していた。

 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。ザ・ナッジ・ナッジと名付けられたバンドは、とっぽい白人のベーシストとドラマー。つまり、ショウは完全トリオで行われた。MCでサイドの2人は共にミラノ在住と紹介されていたので、マイトルーヤもミラノに住んでいるのだろう。蛇足だが、彼の息子の名はフランチェスコ・ミンガス・マイトルーヤという。闘志的側面とサバけた趣味人の両面を持っていたジャズ巨人であるチャールズ・ミンガスから、その名を取っているのだろうか。

 ギターを弾きながら歌う彼とリズム隊の音が重なる(ドラマーはコーラスをつけた)、本当にシンプルな設定によるパフォーマンス。良く言えば、剥き出し感のある、ハダカの歌、ともなるか。曲は新作『Return to Zooathalon』からのものが主。マイトルーヤは現在、自らの表現を“ポスト・ミレニアム・ロック”と称しているよう。本人のなかでは過去とは切れた所にある改名後の新しい表現という意識があるのかもしれないが、ボビー・ブランドがJBと出会ったようなしゃくり上げ歌唱は過去の彼の流れにあるものだし、曲は少し説明ぽくなったという変化はあるかもしれないが、それも新しい佇まいを持つものではない。

 51歳になっちゃったと言っていたが、外見にそれほど劣化はない。身体はまだスリムだし、ブレイズ頭も禿げていないし。なんか、人懐こいチャーミングさが出て来ている部分はいいナと思える。彼は数曲でピアノを弾きながら歌ったが、ぼくの好みではこちらの方が澄んだ手触りと芯の強さが出るような感じがして、ずっといいと思った。というか、彼の半端にディストーションがかかったギター演奏がイマイチだったとも言えるのだが。当初、リズム隊は平均的な腕の人たちと感じて接していたが、マイトルーヤの単純な弾き語りに幅を加えているあたり、けっこう実力者かもと思えて来たりも。2人とも、ファンキーなノリのものをやるほうが光る。

 久しぶりに接した彼の実演、想像を超えるものではなかった。だって、才能ある人だからね。でも、アーティストの業とかいろいろ考えさせられ、またマイトルーヤたる掛け替えのない何かが溢れる部分もあって、胸が一杯になってしまったのは確か。忙しいので、明日早起きして原稿にかかれるようにと素直に帰ろうと思っていたのだが、どうしても気持ちをチルさせたくて、途中下車しバーに寄ってしまう。


<今日の、もろもろ>
 ステージに出てきた彼はマスクをしていた。おお、外国人でマスクをする人はめずらしい。そして、ステージに上がると、マスクをとる。そして、上出のごとし。ブルーノート東京は出演者に合わせて、出し物ごとに特製のカクテルを用意するのが常だが、1日限りの公演にもかかわらず、この日は2種類の特製カクテルをメニューに記載。なんと、マイトルーヤ自身が用意したレシピによるものだという。彼、そういう趣味、あるの? 偏屈なぼくはオトコがカクテルを頼むのはなんだかあと感じる人間であまり頼んだことないが(ドライな、ドライ・マティーニは例外。あと、メキシコ料理のときのフローズン・タイキリ、そしてカイピリーニャは別か。カイピリーニャは砂糖少な目と言って、ブラジル音楽関連のお店ではよくオーダーしている)、知人が頼んだものを一口いただく。それ、ジンジャエールやシナモン・スティックを用いたものだった。
 パフォーマンスは歌詞を見ながらなされた。普段はあまり、ライヴをしていないのかな。ステージ裏や両端のヴィジョンにも、多くの曲で歌詞が映し出される。それ、日本人に向けてのサーヴィスか、それとも歌詞を大切にしたいことからくる所作なのか。ただし、彼の実演での歌と画面に映される歌詞がズレて、そんなに見ていたわけではないがイラっと来た。
 演奏時間は90分をゆうに超えたはず。とにもかくにも、本人はとってもうれしそう。最後の曲はファンキーなリズム隊の演奏するリフにマイトルーヤが声を詠唱ぽく奔放にのせるものだったが、たまらずという感じで、テレンス・トレント・ダービー時代を彷彿とさせるようなコール&レスポンスを観客としたりもした。本編のショウの終わりのときとアンコールの行き来の際は、握手やハグを望まれるまま応える彼はほとんどピーボ・ブライソン(2012年1月30日、他)状態。この来日が、彼にいっそうの力を与えんことを。

 NYの清新現代ジャズ歌手(2012年2月22日、他)のパフォーマンスは、ピアノのテイラー・アイグスティ(2013年2月2日、他)とウッド・ベースと5弦の電気フレットレスを手にするバーニス・トラヴィス(2013年2月8日)、ドラムのジャスティン・ブラウン(2012年2月22日)というトリオをバックにしてのもの。彼女の前回の来日公演から、ベーシストが変わっている。

 歌とバンド音の噛み合いの機微、声の小さな彼女の繊細さや陰影をちゃんとPA音が拾っていたこともあり、この3度の来日公演のなかで一番完成度が高いショウだったと言えそう。たとえば、前回も披露したシンプリー・レッドの「ホールディング・バック・ザ・イアーズ」もより大胆に改変されていて、この単位で、思うまま楽曲を今様ジャズ精神に則り育まんとしているのを痛感させられた。また、一部では電気キーボードも左手で弾いたアイグスティンもこれまで彼を見たなかで一番フレッシュ、現代のジャズ・ピアニストだと感じることができた。

 南青山・ブルーノート東京。左右比対称の短髪の髪型だったが、今回は普通っぽい短髪に。おばさん度数が高くなったような。失礼っ。


<今日の、桃色>
 今日もとっても暖かい。もう、通年この気候が維持されればと思ってしまうほどに快適ぃ。日暮れどき、家から駅に向かう小道脇の桜がそれなりに咲き始めていて、驚く。ここ数年と異なり、今年は花見の時期が早くなるなー。近所の桜の名所の川両岸にもいつの間にか提灯がずらり吊るされていて、スタンバイOKという感じ。先日、4月6日の花見会のお誘いをいただいたが、その頃は完全に花は散っているにゃー。

 通算6作目となる、メジャー第一作『ブラック&ブルー』でブレイクした、オースティン生まれ/育ちの若手ブルース・マンの初来日公演を見る。代官山・UNIT。1984年生まれだから、まだ20代だ。かつてツアーの前座に抜擢することで新進黒人有望株の啓蒙発掘を行っていたストーンズ(2003年3月15日)が昨年12月に持った50周年のニュー・ジャージーでの特別公演で彼を呼んでいた(他のゲストは、ジョン・メイアー、レディ・ガガ、ザ・ブラック・キーズ、スプリングスティーンなど)し、アリシア・キーズ(2008年8月10日)も新作で彼をよんでいたりする。

 一回だけの来日公演、自己バンドを率いてのものなのだろう。声は高め、なかにはファルセットでソウル・バラードっぽい曲を歌う場面も。最新作はブルース・ビヨンド色を強調した仕上がりだったが、それよりはブルース路線をとるショウだったと言えるか。ジミ・ヘンドリックスの「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」ではオープン・チューニングにして、スライド・バーも用いた。

 場内は満員、オヤジ率は高め? ブルース系公演につきもの(?)のどこかはた迷惑な乱暴な歓声もあがっていた。なお。この晩の公演はU-ストリームで配信もされたよう。一般の公演で、それは珍しい、と書けるのか。彼は今年のフジ・ロックにも出演する。


<今日の、クラーク・ジュア>
 午前中に、クラーク・ジュニアを取材。長身(185センチはゆうにあるな)痩身で、滅茶カッコ良くて驚く。それから、「ヘイ・メン、ファッツ・アップ」感覚のない、とても静的で、落ち着いた人であるのも、印象に残る。質問にも勢いで対応せず、じっくりと考え、誠実に答えを返してくる。好感度、大アップ。もちろん、当初はR&Bやファンクを愛好、14歳のときにブルースと出会い、一気にコレだとブルース道を選んだ人物。ヒップホップ(もどきも、少し友人とやったことはあるという)の道に進んだら楽にオンナはべらせることができたのに、どうしてブルースなんてイバラの道をえらんでしまったのか、なぞと思うことはないと問うと、面白い質問するなあと言いつつ熟考。そして、彼は、女の子にモテたいと思って音楽はやってきていないから、とも発言。そりゃ、あなただったら、黙っていても女性はよってくるよなと、納得した。
 ティペットは1947年生まれの、前衛が入った英国ジャズのベテラン・ピアニスト。一般的にはキング・クリムゾンの1970年ごろのレコーディングに参加した項目が大きく取り上げられるようだが、プログ・ロックがあまり好みではないぼくにとっては、それについてはどうでもいいや、という感じ……。代官山・晴れたら空に豆まいて。

 完全ソロによるパフォーマンスで、弦をいろいろミュートする設定での演奏。ピアノ弦にはいろんな玩具とかのブツを無造作に置いていたようだ。彼はどこか幾何学的とも言いたくなるフレイズを悠々とつなぐが、それはやはりかなり尖った印象も与える。総じて似たような行き方を取り、表現の幅や発想が広いとは言えない。だが、確固とした持ち味を持つのは疑いがないし、何かをつみあげているという重みのようなものはすくっと仁王立ち。他方、なんか達観している感じも与える人で、終演後の“真心の人”的なノー・マイクによるMCにはへえ〜。

 彼は、ブリストル生まれ。後のマーク・スチュアートやトリッキー(2001年7月27日)らのブリストル先鋭系列の先に彼をおいて、考えてみるのもアリかともふと思う。


<今日の、ドレス・コードと渋谷駅>
 午前中、某会員性のラウンジで、某大物ミュージシャンに取材。その場所、ドレス・コードがあり、バリっとした格好で出かける。ちゃんとした格好をするなんて、年に1度か2度、マジメだったり、華やかだったりするパテーティのときだけだよな。ともあれ、なんだかんだで、けっこうポケット・チーフを持っているのを再確認。
 この日は渋谷地上駅始発の東急東横線の最終営業日。陽が落ちて、代官山に向かう際の渋谷駅は、やじうまで激混み。写メや動画を内外で回している人がいっぱい(ホームを望める歩道橋上にもそれは多数)。その感覚、ぼくには分らない。惜しんだり懐かしんだりするのだったら、完成度の高いその手の書籍やDVD(も発売されるんじゃないか?)を買ったほうが良くないか。自分で撮ることに意義がある? 杜撰なぼくはどうせすぐにそのデーターを行方不明にするだろうし。ともあれ、ライヴ帰りの際には、別に変化がないはずの代官山にも撮影者が多数。駅員、警察官、ガードマン(複数の会社を使っていたよう)も駅構内には多数。かなり、いやはやな喧噪を体験せざるを得なかった。

サンタナ

2013年3月12日 音楽
 完成度、とても高い。ショウが始まってすぐに了解し、うなずく。プロだな、まったくもって。バンドは当人を含め、11人。ギターやヴォーカルや打楽器や管は2人づつ、カール・ペラッゾ(2013年1月6日、他)やデニス・チェンバース(2008年12月7日)らを含む。そういえば、チェンバースはヘルメットをかぶって演奏。スライ・ダンバー(2011年11月4日)といい、なんでドカチンなドラミングを聞かせる人はヘルメットをかぶって演奏したがるのか。

 肉感性たっぷりのラテン・ロック+の表現が成熟したエンターテインメント性を抱えつつ、送り出される。そして、それはいろんな音楽ジャンルを俯瞰し、繋ぐゾという意思に富んだもの。とともに、お馴染みのサンタナ曲(やはり、1970年上半期の曲は起爆力あり)だけでなく、フィフス・ディメンション、ジェイムズ・ブラウン、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・マーリー、マイケル・ジャクソン、ジョン・コルトレーン、クリス・コナーなどの有名曲もフルでやったり、部分的に挿入したりもする。そこからも、統合したいというキブンは横溢する。

 愛に支えられたユニティこそはすべて、という意思はMCや態度でもいろいろと出していて、それがきっちりとエクレクティックな音楽性と重なる。そんな彼は2010年のツアーで、当時のバンド・メンバーだったシンディ・ブラックマン(2008年12月16日)にステージ上で求婚し結婚したが、中盤にはなんとブラックマン本人を登場させドラムを叩かせる。その際、彼女はチェンバースのセットを使い、彼はお休み。とにかく、ご両人のラヴラヴぶりにはびっくり。俺は愛の人なんだァ的アピールはその際、最高潮に達した。

 日本武道館。ライヴ盤『ロータスの伝説』も作られた初来日公演も同じで、それは1973年だった。


<今日の、勤労者>
 会場はフル・ハウス。当然のごとく、ダフ屋が出ている。が、そこで毎度のことだが、疑問が頭をかすめる。あんな感じでだらだらと立っていて、いったい一度やるとどのぐらいアガリがあるものなのか。その手間や拘束時間に見合う額が稼げないのではと、ぼくは見てしまうのだが。どういうものか、実は何気に稼げちゃうものなのか? なんにせよ、彼らの正業なんかかったるくて就いてられるかという気持ちのようなものはなんとなく伝わってくる。が、考えてみたら、音楽の物書きをずっとやっているぼくも彼らと同じようなものではないかとも思えて来て、ひえっという気持ちになった。
 ところで、日本武道館には、赤い光の大きなデジタル時計が2カ所に設置されていて、それは客電が落とされる(ショウが始まる)と消される。だが、この日は実演が始まってもつけられたまま。ま、時間を確認する分には有用ではあったのだが。が、1時間近くたって、その時計表示は消された。消し忘れたのは明らか、だな。

 米国東海岸と西海岸の腕に覚えあり奏者がそれぞれに集ったセッションやグループを、六本木・ビルボードライブ東京と南青山・ブルーノート東京で見る。両方の出し物とも、この晩限り。

 まず、六本木のほうの出演者はラリー・コリエル(ギター)、ウォレス・ルーニー(トランペット。2004年11月3日)、リック・マルジッツァ(テナー・サックス)、ジョーイ・デフランセスコ(オルガン。2010年12月1日)、ダリル・ジョーンズ(エレクトリック・ベース。2003年3月13日、15日)、オマー・ハキム(ドラム。2010年9月5日、他)という面々。けっこう、年齢も出自も散る。分るような、分らぬような。コリエルはデフランシスコの新作にはいっていたりもする。この顔ぶれで、彼らは今年3月頭のジャカルタの大音楽フェスのジャワ・ジャズ(2012年3月2、3、5日、参照)に出演していて、その際は“マイルズ・スマイルズ”というタイトルが付けられていた。ま、マイルスぶりっこが大得意であるルーニーがいるかぎり、マイルスの財産を踏む事からは逃れられないわけであり……。MCはルーニーがしていた。

 1960年代後期に新時代のロック的なギザギザも持つギタリストとして世に出て即ピンのアーティストとしてエスタブリッシュされたコリエルのことは、今回初めて見る。ノリとしてはマイルスのグループから誘われもおかしくないタイプの人材であったが、個人でブイブイ言わせていたことあり、呼ばれたことはないよな。そして、6人はマイルス曲もやったが、過剰にマイルスぽくはない、ソロを判で押したように回すフュージョン・セッションを展開。ながら、只のソロ回しにあまり陥る事がなかったのは、緩急をつけた(ストーリー性豊かな、という言い方もぼくはしたくなる)リズム・セクションの演奏のおかげと見た。以下、Jリーグの新シーズンも始まったし、奏者ごとにサッカー式採点を。10点満点です。

コリエル:7 想像通りの演奏、傍若無人な感じの聞き味には苦笑、もう少し長くソロを聞きたかった。意外に、サポート時のアクセント音がときにいい感じ。じじいらしく、エフェクターはワウ・ペダルと、ディストーション系の2つしか用いず。ソリッッド・タイプとセミ・アコースティック・タイプのギターを1本づつおいていたが、前者のほうしか用いず。彼はこの春で70歳。
ルーニー:3 フレイズも音色(マイクで音を拾っていたが、PAからはエフェクターをかけた音が出てくる)も嫌い。なんか、ジャズ・マンという座にあぐらをかいているような様もびんびんに感じさせて、ヤーな感じ。女房はイケてるのにねー。
デフランセスコ:5 巨体のせいもあってか、もう演奏が軽く感じる。ルーニーと彼の手癖感たっぷりのソロ音が出てくると、音楽のリアルさからどんどん遠のいていくように、ぼくには感じられた。
マルジッツァ:5 ブルーノート他から10作を超えるリーダー作を出しているテナー・サックス奏者で、ちゃんと吹ける。だけど、なんかこみ上げてくるものが少ない。
ダリル・ジョーンズ:7 1980年代前半に、駄目になってからのマイルズ・デイヴィス・バンドに加入し有名になり、さらには1990年代中ばからはザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)に加入している御仁。ながら、ぼくは彼のことに興味を持つ事はあまりなかったが、今回ニュアンス豊かな演奏をする彼を見ておおきくうなずく。
オマー・ハキム:7 かつてのNYスタジオ・シーンの売れっ子も少し大きな仕事が減っていると感じているが、立体的かつタイトな演奏はさすが。見直した(って、偉そうだが)。

 もし、コリエル、ジョーンズ、ハキムのトリオでのパフォーマンスだったら、そりゃ高得点になったろう。

 その後、見たのは、我が道を行く技巧派ギタリストのスコット・ヘンダーソンがベーシストのゲイリー・ウィリスと1980年代中期から組んでいる、ハード・フュージョン・バンド。休止になっていたのが、近年再スタートした。4分の2であるキーボードのスコット・キンゼイ(2009年11月12日)とドラムのカーク・コヴィントンも1990年代前半に加入しているようで、ようは阿吽の呼吸を持つとも言えるのか。

 腕に覚えあり、それを隠そうなぞという謙譲の気持ちは持ち会わせておらずという、ズケズケした、生理的に饒舌なフュージョン演奏がなされる。まあ、ヘンダーソンの技や持ち味ありきだが、好意的な書き方をすれば、ジェフ・ベック(2009年2月6日)からジョン・スコフィールド(2012年10月10日、他)までを自在に行き来、という感じか。その様に触れながら、きっちりロックのほうで勝負すればもっともっと支持を得たろうし、まかり間違ってECM(同社は一体、テリエ・リピタル作を何枚だしているのか?)からリーダー作を出したならもっと通受け評価は高くなったのではないか、ヘンダーソンはアンダーレイテットな人という所感も今回初めて彼を見て得た。

 とはいえ、場内は満員で熱気もあり、この手の西海岸辣腕フュージョンの愛好者が少なくないことを目の当たりにした。とにもかくにも受けまくっていて、本人たちもとてもうれしそう。アンコールに応え楽屋に戻り場内に電気がつけられBGMが流れた後、彼らはまた出て来て演奏。こんなに受けて出てこずにいられようかという風情、ごっそり出していたな。なんか、ショウ開始時にステージに出て来たときから、米国西海岸のガサツな駄目おやじ臭がぷんぷん。少しぼくは退いたが、そのサーヴィスはそういう率直さゆえと言えるかもしれない。

 彼らはこの後、ジャカルタ他を回るよう。以下、同じく各奏者の興味惹かれ度を数値化。

スコット・ヘンダーソン:8 ぜんぶのフレイズをトレモロ・アームを使って弾く。へーえ。それはメロウさや不安定な感覚を無理なく出す。ワン&オンリーかもしれぬ。彼はすべて1本のギターで通したが、さすがチューニングは狂いやすいのだろう、曲間には必ず調弦していた。
ゲイリー・ウィルス:6 フレットレスの5弦のエレクトリック・ベースを弾いていた。彼はウェイン・ショーターの『ファントム・ナヴィゲイター』に参加していたことあり。早く弾く時は魅力を感じないが、スペースをおおらかに埋めて行くような演奏をするときはいいなと思える。
スコット・キンゼイ 5 ソツなく。過剰に出しゃばらず。    
マーク・コヴィントン5 音がバシバシ言い過ぎ。ま、タイトであったが。ブルース曲ではヴォーカルも取り、体格に見合う朗々とした歌い口。


<今日の、彼らは巨人に違いない>
 我が道を飄々と行く東海岸のしなやか(ゆえに、変な面も持つ)ポップ・ロック集団、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツの新作『Nanobots』に、そんなに変わらないながら悶絶。尽きぬアイデアや豊かなメロデイ・メイカーぶりを示唆するように曲目を多く収録することもある彼らだが、今作は25曲入りだ。ま、30秒以下の曲もいくつかはいっているが。しかし、ずうっと気ままなポッパーぶりを維持しているのもすごい。昔、NYに行ったとき彼らのライヴをザ・ニッティング・ファクトリーで見た事あったような。あと、渋谷・クラブクアトロでも、彼らはやっているよな。楽器をメンバー間で、自在に持ち替えるのが素敵だった。そういえば、知人からリアム・ヘイズ/プラッシュ(2002年6月23日)のロマン・コッポラ監督の2012年作品『A Gimpse Inside the Mind of Charles SwanⅢ』のサントラを教えてもらう。過去曲のリメイク中心ながら、新曲も2曲。彼は近く、ザ・オータム・ディフェンス/ウィルコ(2010年4月23日、他)のパトリック・サンソンのプロデュースで新作を出すという。Aくん、情報ありがとう。そういえば、ザ・オータム・オブ・ディフェンスをかしましく都会的にすると、ゼイ・マイトビー・ジャイアンツになる? あらあら、こじつけ?
 まず、ボブ・マーリーと重なるように1970年代にインターナショナルな人気を得たヴェテランのレゲエ歌手(2004年9月5日、2006年8月19日)のショウを六本木・ビルボードライブ東京で見る。ファースト・ショウ。赤のTシャツを全員着たバンドは総勢9人。ギター2、キーボード、ベース、ドラム、打楽器、トランペット、サックス、女性コーラス。お、にぎやか。

 4月になると、65歳。だが、往年のノリを踏まんかとするかのように、溌剌なショウの進め方。そりゃ、足のステップは少し遅くはなっているかもしれない。歌声も少しでなくなっているかもしれない。だけど、バンドと一体のショウはルーツ・ロック・レゲエの良さ、歌唱やメロディの力を前面に出すレゲエの良さを存分に出し、ジミー・クリフという不世出のレゲエ・シンガー/コンポーザーの素晴らしさを前に出す。そう、「ユー・キャン・ゲット・イット・イフ・ユー・リアリー・ウォント・イット」とか「ヴェトナム」とか「シッティング・イン・ザ・リンボー」とか、「メニー・リヴァー・トゥ・クロス」はやらなかったものの、いい曲いろいろ書いていることも再確認。彼は様々な“負”と表裏一体の輝きや瞬発力を掲げてきた人物であることも痛感した。

 本編最後の曲は、全員太鼓を叩いてのナイヤビンギ調曲(と言っていいのかな)で、それ結構長目にやった。クリフは何曲かでギターを持って歌ったが、彼は左利き、右利き用のレスポールを逆さにして弾いていた。

 その後は青山・プラッサオンゼで、ブラジル音楽方面で活躍するギタリストの越田太郎丸のソロ演奏を聞く。頭のほう、少しクラシカルとも言えそうな、静謐な弾き方をしているようにも思え、ブラジル音楽とクラシックの重なりということにちょい思いを巡らすが、あまりにぼくには無理なテーマですね。繊細に、ときに大胆に、6本の弦をいろいろと操る。取り上げる曲はジョビン他のブラジル曲か。「イパネマの娘」は大胆に調を変えていて、頷く。いろんな意味で、クリフ公演で得た感興をクール・ダウン、次に公演へのより良いクッションになった。ところで、ぼく以外は、全てお客さんは女性だった。

 そして、南青山・ブルーノート東京で、話題のジャズ・シンガーのグレゴリー・ポーターを見る。そういえば、ジミー・クリフは新作でグラミー賞の<ベスト・レゲエ・アルバム賞>を取り、ポーターの場合、一等賞獲得は叶わなかったものの2枚出したアルバムが同傾向の内容ながら別の年にそれぞれ<ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞>と<ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス賞>にノミネートされた。

 アルバム・レコーディングにも参加しているワーキング・バンド(ピアノ、アルト、ウッド・ベース、ドラム)を従えた彼の歌を聞いて、声がたっぷりしているとおおいに思いを新たにする。声量があり、音程も確か。大学入学時はアメリカン・フットボールで将来を嘱望されたというが、なるほど巨体。だが、それが歌手にとってはなんとも美徳であることを、その堂々の歌唱に触れると痛感させられる。

 ポーターは自ら曲を書くタイプであるのだが、なかんかいい感じで書かれたそれらの曲のおっとりした佇まいはジャズであるとともに、大人のR&Bリスナーをも相手にできるものだろう。そういう意味では、グラミーのノミネーションには頷ける。「ビー・グッド」とか慈しみの情たっぷりで、万人受けしても不思議はないと思わされます。

 実演において、驚かされたのは伴奏陣。シンガーが主役だと、通常では歌手を後からもり立てようとする”従”の演奏をするものだが、4人は親分とずっとやっていてツーカーであるということもあるのだろう、かなり攻めの演奏をする。アルトやピアノはけっこうソロの時間も与えられ、みんな個をきっちり出す方向に出る。そして、それをポーターも度量でっかく許容する。おおいに質量感ある歌とそうした伴奏はときに120%+120%という感じでトゥ・マッチな印象を与えもするが、おおらか和み系のヴォーカルが中央にある表現であるのに、これだけ攻撃的なヴェクトルを持つ伴奏を生で採用しているとは思いもしなかった。とくに、NY在住の日本人アルト・サックス奏者の佐藤洋祐はどの曲でも長いソロ・パートを与えられ、存分に技量を発揮。その演奏は若いときのフィル・ウッズ(2011年3月26日)を思い出させるようなそれで、すごいゾ。そして、そうした総体の意外性こそは生きている音楽の証であり、ジャズという本質の側面を照らし出すものなのだ。「ワーク・ソング」(だったっけ?)などでは、ポーターはけっこうスキャットもかましていた。

<今日の、もろもろ>
 通常、ビルボードライブ東京のファースト・ショウは19時から。ではあるものの、クリフのそれは18時半開始。それ、一つのセットのパフォーマンス時間が長いからそう設定したのかと思ったら、やった時間は1時間15分ほど(ぼくが見たのは、4日間公演のなかの3日目)なので、まあ通常並み。クリフがファーストとセカンド・ショウの間を空けてほしいと要求したのか。それゆえ、プラッサ・オンゼ(ここも基本、2ショウ制)でもライヴを見る事ができたのだが。ここでは来場者にしっかりとギター・ソロのCD(1曲入りだが)を無料で配布。サーヴィス、いいな。ま、それと女性客が多いのは無関係だろうけど。それから、ポーターのショウは、90分ぐらいやったか。
 というわけで、この晩は3つのライヴをハシゴ。かつてNY なぞに行ったときは、せっかく来ているわけだし、日本で見られないものが見ることができると平気で2つ、3つとハコをハシゴしていて、現地の人に笑われたもんだ。わー今のぼく、ヴィジターのような感じで東京に居住している、な〜んて。一つのものに依拠したくないという気持ちはどこかで常々持っている(それが、音楽の聞き方にも出ている)が、年をとるごとに、ある意味、日本への帰属意識は出て来ているとも思うものナ。この晩、無理な回り方はしていない。まあ、いろんな会場があって、いろんな時間でライヴが見れるというように、東京のライヴ・シーンがおおいに多様になっているということなのだと思う。

 都立大学・めぐろパーシモンホール。オランダのジプシーのギタリスト(2010年11月20日)、2度目の来日公演。前回の公演は弟のサイド・ギターと従兄弟のコントラバス奏者でトリオを組んでいたが、今回編成は同じものの、縦ベースは非ジプシーの奏者で、それによりジャズ濃度は高くなっていたんじゃないか。そのトリオに、ステファン・グラッペリ研究でも著名(そのCD付き教則本は翻訳されて日本でも出版されている)なヴァイオリニストのティム・クリップハウスが加わる。クラシック音楽の教育を受けている彼はオランダ人ながら英国の血が半分混じっていることに意義を感じており、そのためもありケルトっぽい演奏にも手を染めているようだ。

 ジャンゴ・ラインハルト曲ではじまり、ジャンゴ・ラインハルト曲で終わるという公演。そんな事実を見てもジャンゴを核に置くのは間違いないが、ストーケロ・ローゼンバーグは情緒的な部分とともに並外れたジャンゴの技量にきっちり目を向けている奏者と言えるか。やはり、この手のギタリストの中ではトップ級にうまいと思わされるし、適応力もありそう。彼って、日常の積み重ねにより数カ国語を自由に操れるそうだ。途中と終盤にジャズ・ピアニストの山中千尋(2011年8月6日、他)が加わる。その際は、完全にジャズ系のスタンダードを面々は演奏した。

<今日の、会場>
 パーシモンホールは都立大学駅から数分の、一角にある。何度か興味ある公演が開かれている目黒区の施設だが、この日ぼくは初めて行く。なかなか、立派だな。同じ整った敷地内に共同住宅が並んでいたが、それも目黒区営なのだろうか。会場に着いてから、15年強以上前に、このあたりのシーフードのお店に行っていたなと思いだす。そしたら、帰りがけにきょろきょろしたら、なんとここの斜め前。あのときのままなのかな。しかし、お店の好みというか、行く行かないとかいうのは、時間とともに大きく変わると実感。その点、いろんなモノを聞きたがるが、音楽を求めることについちゃ頑固一徹、ワタシはゆるぎないと思えた次第。別に威張ることではないが、卑下することもないよな。

ANIEKY A GO GO!

2013年3月2日 音楽
 渋谷・Li-Po。アコースティック・ピアノがこのお店に入ったことを記念してのライヴで、もともとピアノはアニーキー・ア・ゴーゴー(2011年1月15日、他)こと山浦智生のおばさんのお家にあったものであるとか。木目調のヤマハの古いピアノ、調律は大変だったようだが、なかなかオツな響きで鳴っていたのではないか。そんなピアノを弾きながら歌う彼にプラスして、アルト・サックスの加藤雄一郎が入る。破天荒ジャズ・ロック・バンドのNATSUMENや反復開放系ジャム・バンドのL.E.D.のメンバーでもある加藤は、山浦が当初組んでいたディキシー・タンタス(1999年4月23日、同6月23日、同9月30日)の後期のホーン・セクションに入っていたのだとか。

 とにかく、びっくりするほど東京以外でもライヴをやっている彼だが、MCがうまくなっていて、場数を踏んでいるのなあと実感。ちゃんとクスっとできる話をして、次の曲につなげるものなあ。まあ、曲ごとにMCをやるのは、洋楽流儀でライヴに接してしまうぼくにはどうかと思えるが。それはともかく、半数以上の曲は新曲だったはずで、アルト・サックスとのデュオという編成の味の良さもあり、終始興味津々でショウを受け取れた。もちろん、何をやろうと、その本質はグルーヴとメロディがあるロッキン・ソウル表現だ。

<今日の、情報>
 ANIEKY A GO GO!(あーあ、本名でやんなかなあ。アーティスト名、打っていて痒くてしょうがねー)の新作『黄金の翼』が5月に出る予定。ちょうど、2年ぶり。ただ今、ミックス、マスタリング作業中byオノセイゲン。

 最初に丸の内・リキッドルームで、ヴェテランのキューバ人ジャズ・ピアニスト(2012年5月1日、他)のソロの演奏を聞く。ほとんどラテン色を交えず、ジャズ有名曲+αを鼻歌キブンで、悠々と弾いていく。(つまみ食い的に次々に別な曲に行かず)それぞれの曲をちゃんと弾くが、途切れる事なく別の曲に流れていくことが多かった。とっても気ままに、指が動くまま。てな、感じが出せるのは、ソロ・パフォーマンスのいいところ也。

 そして、恵比寿・リキッドルームに。前座が出るので20時ぐらいに当人たちは出るという情報を得ていたので、ハシゴが可能かと思ったんだが、ぼくが会場に入ってしばらくしたら、本編最後の曲になってしまった。え〜。オハイオ州コロンバスをベースとする、ヴォーカル/キーボード担当者とドラマーからなる2人組。とはいえ、彼らはプリセット音も用いる。曲調はとってもポップで、ある意味健やか。一方、ドラマーは力づくというか爆裂調で叩き倒すという感じもあって、そのミスマッチ感がライヴにおいてはフックとなっていた。ま、ちゃーんと見れなかったので、本当にちょいちょいな感想……。

<今日は、温暖>
 先週とかかなり寒い(特に夜は)日が続いて、けっこう参っていたが、春一番が吹いたと言われる昨日から暖かくなった。それゆえ、リキッドルームから渋谷までふふふと歩き、バーに流れる。もう日はだいぶ長くなっている。うん、暖かくなったら、もう少し歩きたいな。というのは、毎度思っていることなのだが、まるで実行されない。とても悲しい。

 ぼくの捉え方のなかでは、ジョシュア・レッドマン(2012年5月31日、他)とジェイムズ・カーターはわりと同じような位置にいる。1990 年代に前者はワーナー・ブラザーズ、後者はアトランティックから送り出され、ともに当時の風を切るリード奏者という感じで脚光を集めたということで。現在、レッドマンはノンサッチ、カーターはユニヴァーサルと契約している。

 てな情報はともかく、前からぼくのなかの評価は、ものすごくカーターのほうが上だった。だって、彼のほうが溌剌エモーショナルなブロウができるし、バックのサウンド作りの才もずっと好奇心旺盛でカーターのほうがよろしい。彼は純ジャズは当然のこと、パンク・ジャズ調からマヌーシュ・スウィング調、編成の大きな瀟洒なものや歌を用いたものまで、本当にいろんなお膳立てを持つ、秀でたアルバムを発表してきている。それゆえ、日本ではレッドマンばかりに光があたり、彼がブルーノートに来たり、東京ジャズに呼ばれたりするのを見ると、なんでカーターではないのだアと、ぼくはフラストレーションを溜めていた。

 そしたら、見事にコットンクラブが呼んでくれ、ぼくが拳を握りしめたのは言うまでもない。そして、カーターは威風堂々、やはり秀逸な吹き口を見せてくれ、ぼくはココロの中でガッツ・ポーズ。とともに、彼は快活陽性な所作/MCをする人だった。

 カーターの近作『アット・ザ・クロスロード』と同じオルガン奏者とドラマーを率い、トリオでショウを行う。ジャズ的疾走感を持つものから、R&B調のもの(このとき、ドラマーはデカい良く通る声でヴォーカルも取った)まで。だが、そんなのは些細な事と言いたくなるほど、やはり彼の演奏が鮮烈。もう、きっぱり滑舌よく曲ごとにいろんなリード楽器を吹く様にはポっとなった。ときに、子供っぽいと思わせるブロウを聞かせるときもあったが、それも完璧に楽器をコントロールでき、とっても濃厚にその特性を開けるからこそ。基本各曲は15分ぐらいの長さを持ち、テナー、アルト、フルートの演奏を彼はそれぞれの曲で披露。アンコールではソプラノ・サックスまで吹いた。もうツラツラと、存在感あるフレイズが泉のごとく湧いてくる。ぼくはテナー・サックスの演奏が一番好みだが、そのマルチな様はまさにナチュラル・ボーンなリード奏者というしかない。いやはや、カーターに接し、途方にくれちゃう同業者もいるのではないか。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、ジャズ・トランペッターのロイ・ハーグローヴ(2012年3月23日、他)のR&B/ファンク傾向ユニットであるR.H.ファクター(2003年9月21日)の実演を見る。全部で9人編成、紅一点の元ジャネイのルネー・ヌーヴィルは途中でリード・ヴァーカルを取り、他の曲でも補助的にキーボードを弾く。

 マイルス・デイヴィス調の演奏で始まった演奏は、黒目のフュージョン調演奏や、アーバン・ヴォーカル曲、P-ファンク曲やスライ曲カヴァーなど盛りだくさん。本編1時間半、さらにアンコールも2曲。その1曲目はロックぽいリフのもと、ハーグローヴが延々とラップをかます。才能がないから辞めたそうだが、彼はジャズ界でエスタブリッシュされた後、こっそり打ち込みやラップを試みていたこともあったんだよね。


<今日の、格好>
 先に見たカーターは、きちんと黒いシャツのもと(ネクタイは赤系の色だったか)、ばしっとスーツで決めていた。そのカーターのライヴには、来日中のデイヴィッド・T・ウォーカー(2011年6月21日、他)が見に来ていた。多忙につき、今回の彼の来日公演をぼくはパスしたが、充実してそうな彼の姿を側で見て、今回はこれでいいのダと思うことにした。彼、オフでもちゃんとスーツを着ているんだな。
 ハーグローヴは通常のジャズのライヴ時には崩し気味ならジャケットやタイをしているが、今回のR.H.ファクターのショウではキンキラの格好をしていた。それ、どこで買ったのか。実は、ロイ・ハーグローヴは人口透析を受けなくてはならない身体で、来日時もそうしているのだそうな。過去の、彼の過去の項の原稿でも触れているように、今回に限らずハーグローヴのライヴ・パフォーマンスは演奏時間が長い。それは明白であったので、今回はワインをボトルで頼んでしまった、ハハハ。いやはや、実演を見る限り、彼が病を抱えているなんて、本当に分らない。プロであり、音楽のムシなんだろうナ。

 女性アーティストが仕切る2つの実演を、不慣れな会場に見に行く。ただし、後に用事が控えていて、双方ともハンパなかたちでしか見ていないのだけど。

 まずは、渋谷・渋谷区文化総合センター大和田さくらホール。駅横の桜ヶ丘の坂の上にある渋谷区の施設のなかにあるホール。おお、最上階にはプラネタリウムもあるのか。旧東急文化会館(今は、ヒカリエ)にもその施設はあったが、そのこととは無関係なんだよな? ともあれ、700席強のこのホールはクラシック用途の会場と言えるのかな。バンドの腕がいいのか、ホールの音響がいいのか、PAがいいのか、この日の公演は各人の音が聞き取りやすいと思わせられたのは確か。

 ちゃんと伝統を踏まえたジャズのビッグ・バンドであることをおさえて上で、自分ならでは行き方をいろいろと入れているのが、鮮やかに分る実演。全17人、前回見たとき(2011年2月10日)と同じ顔ぶれなのかな? 全アレンジをしピアノとリーダーを兼ねる守屋は張りのある声で、テキパキとMCをする。カーラ・ブレイの影響があるかもしれないとか、チャールズ・ミンガス的とか、アレンジの例をきっぱりとあげるところも潔い。前者の例はぼくには分らなかったが。

 次は西荻窪。ぼくは中央線沿線にはとんと縁のない人間で、40年近い歴史を持つジャズ真実のライヴ・クラブたる アケタの店 には今回初めて行くと思っていたが、なぜか駅を降りて半信半疑で歩いていったら店の前に来てしまったので、昔行った事があるのか? 実は、地図をプリント・アウトするのを忘れてヤバイと思っていたので、とてもホっとした。

 狭い店だが、店主の自称天才ピアニスト(兼オカリナ普及者)の明田川荘之のアルバムをはじめ、多数のライヴ・アルバムを生んでいるお店。なるほど、裸電球が多数下げられ、不揃いのテーブルや椅子が置かれた店内は、音楽の好ましい何かが宿っていると言いたくなる? 確か、渋谷毅(2011年6月23日、他)さんに昔インタヴューしたとき、ここを売ってと明田川さんに話を持ちかけたことがあった、と言っていたことがあるような気がしたけど。記憶違いかな?

 こちらは、橋本真由己(2009年11月19日)のパフォーマンス。冒頭、1人でピアノの弾き語り。歌の揺れとピアノ音の噛み合い方がとてもいい感じ、彼女はピアノを弾きながら歌ったほうがいいとすぐに思ってしまった。そして、やはり何より、その清らかな歌声はありそうでなかなかない佇まいを持つ。気持ちよい誘いや、奥行きや、滑らかさを持つ。2曲目からは、ギターの加藤みちあき(2009年11月19日。彼のブラジルっぽいオリジナルをやったときは自ら詠唱も)と、この日は主に気分屋的にボンゴを叩く(1曲だけピアノを弾くとともに、何もしないで座っているときもある)姉の橋本一子(2012年9月5日、他)も加わった。しかし、MCを聞くと、この姉妹は本当に仲が良さそうだな〜。

<今日の、PR誌>
 東急電鉄は月イチで、<SALUS>という中とじのPR誌を発行している。電車内での暇つぶしになるので、ぼくは駅内のラックに並ぶと必ず手にするが、今号は<おせーて、東急電鉄>というような特集が組まれていた。基本的に想像の範囲内の情報が提供されていたが、電車の運転手についての項目には驚く。だって、駅係員4年以上、車掌1年以上の経験を積んだ上で、試験を受けて運転手養成所入り。そこで9ヶ月学んだ後に国家試験に受からないと、運転手にはなれないようであるから。わー、たいへん。と思いつつ、電車の運転手になりたいと思ったことは小さな頃から一度もなかったなあなぞとも感慨に(?)にふける。ぼく、景色が身近なバスのほうが好きだった。

 いろんなことをしてきているジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイス(2008年7月2日、2009年8月29日、2010年9月28日、2011年8月22日)のグループに、EW&F(2012年5月17日、他)の人気シンガーが重なる公演。EW&Fのリーダーたるモーリス・ホワイトは1960年代中期にかつてラムゼイ・ルイス・トリオのドラマーを勤めていたことがあり、EW&Fが人気者になった1970 年代半ばには恩返し的にルイスの『サン・ゴッデス』や『サロンゴ』をプロデュースしてもいるので、その絡みに違和感はない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 前半は、電気キーボード奏者やギタリストを入れての、前回来日時と同様の編成によるルイス・グループのパフォーマンス。そして、途中からベイリー(2010年11月11日、他)が加わる。ベイリーが出てくると、お客さんたちは自然発生的に立ち始める。曲はEW&F曲が中心。彼はファルセットでは歌わなかったはずだが、はんなり訴求力をやはり持ち、聞き手に絶対的な働きかけをする。フフフ。ベイリーさん、ジムで鍛えたような筋肉がついている印象もあったが、今回はけっこうスリムな印象を受ける。そして、派手なヘア・スタイルもあり、若く見えた。

<今日の、じゃんけん>
 ライヴを見る前に、かなり大人数の新年会(遅っ)に顔を出す。そして、じゃんけん大会があり、勝ち抜いて1万円をゲット。ときどき、ぼくはこういうのに当たる。そういえば、大昔ヴァージン・ジャパン(ヴァージン・レコードの、今はなき日本法人)の新年会だかでレーザー・ディスク・プレイヤーが当たったことがあったのをふと思い出す。フジ・テレビの女性アナウンサーがなぜか司会進行役をしていて、彼女から目録をもらうポラロイド写真が家にはあるはずだ。うーぬ、レーザー・ディスクのハードとソフト、ずっと家に置いたままになっているが、ここ10年は触れてもいないはず。処分しちゃったほうがいいのだろうなー。ライヴ後、バーに回り、じゃんけんに当たったからと、知人におごる。タクシー代も含めれば、マイナスですね。お金の処分は、滅法得意なワタシです。

 最初に恵比寿・リキッドルームで、ミネアポリス出身、大方エピタフからアルバムをリリースしている、5人組ロック・バンドのモーション・シティ・サウンドトラックを見る。歌とギター、ギター、ベースとコーラス、キーボード(弾かないで、踊っている曲も)、ドラムという面々なのだが、皆フツーっぽいというか垢抜けない佇まい(眼鏡2、髭面3、うち1人は重なる)を持っていて、なんか和ませる。両腕に刺青をしているキーボードくん以外、道ですれ違っても音楽をやっているとは思わないんじゃないか。

 そんな彼らが、別に突出しているとはぼくは感じないないんだが、なんか歌心、くいいっと聞き手にアピールするところを持つのには驚いた。へえっ。ヴォーカルの歌声は高め、声量があるわけではないのに、ちゃんと聞き手の耳をひく。この日は、会場後部に客を入れていなかったので、ぼくはフロアの少し前目で見ていたのだけど、前の方のやんやのはしゃぎ具合を見ても、当然のことのように思えた。なんか総体として、今時の、人懐こい、誠実なロック・バンドだなあという所感を得る。

 最後までは見ることはできず、次は丸の内・コットンクラブ。こちらは、仏米夫婦が核となる、今の感覚も存分に持つ、ほんわか夢心地ポップ・ユニット(2005年5月22日、2009年2月13日、2010年8月20日、2010年11月21日)が出演。アルミ・ホイルで楽器やモニター・スピーカーを覆っていたが、それはなんか貧乏くさく見えないか。ステージ背後には、魚群やジュゴンやイルカや海鳥やクリオネなぞを映した広義の海洋ものの映像が流されるが、それがバンドの雰囲気や曲調に合っておらず。おやおや。今回、そうしたお膳立ての部分はおおいに空振り。まあ、何度も来日公演を重ねていて、お客に異なる行き方を与えようとしたいのはよく分るが。

 でも、音楽的には、やはり誘われる。リード・ヴォーカルの紅一点クレア・マルダーはギターやバンジョーや鳴り物も手にし、他の男性陣3人も例によって、キーボード、ピアノ、ギター、ヴァイオリン、エレクトリック・ベース、ドラム、打楽器などをいろいろ持ち替える。ベルリン録音(半年以上滞在したとも言われる)の新作『KR-51』はけっこう暗めで静謐な仕上がりだったはずだが、ここでは過去曲も取り上げていたせいもあるだろうが、暗さはあまりないほんわかストレンジ・ポップをめりはりを付けて送り出していた。ときにはけっこうタイトなドラムを採用していたり、ノイジーなギターが採用されたりもしていて、そういう行き方に触れると、たとえばヨ・ラ・テンゴ(2012年11月6日、他)のファンが彼女たちに流れても不思議はないとも感じた。それは今回、レトロ濃度が薄めだったせいもあるかもしれない。

<今日の、地下の渋谷駅>
 ライヴ会場に向かうため田園都市線の地下の渋谷駅で降りると、とても混雑している。わー、これが来月半ばになるとどうなるのか。東横線/副都心線が相互乗り入れとなると、その階違いの地下ホームはこのホームとも改札なしで繋がり、これまで銀座線を使っていた東横線利用者がみんな半蔵門線を使うようになると言われている。混みそう。それはともかく、東横線沿線の人はみんな新しい乗り入れをイヤがっている。ぼくの回りで、これだけ歓迎されていない変化も珍しいナ。ま、定期をちゃんと持ったことないぼくが言うのもナンだが。学校卒業後、3年半は一応会社員をしていたが、そのときも電車が走っていない時間の帰宅が多いこともあり、アタマの2ヶ月ぐらいしか、定期を買わなかったんだよなー。とか書いたら、もう一度、定期券を持てる境遇に身を置きたいという思いがもわっとわいて来た。勤め人でも、学生でもいいのだが……。

 渋谷・WWW。わー、ミュージック・ラヴァーがいっぱい。なんか、そう思える、公演だったな。

 いろんな活動で大車輪(月に休みの日って、何日あるのか?)の芳垣安洋(2011年3月2日、他)がここのところ力を入れている大所帯バンド、オルケスタ・リブレの公演を見る。国内ツアーをしてきて、今晩がその最終日。ゲストも入れて、とにかく、盛りだくさん。別なバンドが3つとか出る公演はいくらでもあるが、一つのバンドによる完全3部制のショウというのは初めてのような。バンドの面々はセットごとに上着を変えていた。

 基本の演奏陣は、リーダー/ドラマーの芳垣安洋に加え、トロンボーン/ピアニカ/編曲の青木タイセイ(2007年1月27日、他。あと、原稿では触れていないが、サム・ムーア〜2011年7月27日、他〜の来日公演に、彼は毎度加わっている)、ソプラノ・サックス/クラリネットの塩谷博之(2007年1月27日)、テナー・サックスの藤原大輔(2006年10月19日、他)、渡辺隆雄(2010年12月28日、他)、チューバのギデオン・ジュークス(2008年8月24日)、ヴァイブラフォンの高良久美子(2013年2月11日、他)、ベース/編曲の鈴木正人(2013年1月29日、他)、ギター/ペダル・スティールの椎谷求、パーカションの岡部洋一(2013年2月11日、他)。それ、不動の顔ぶれで、芳垣の人望や統率力の高さをうかがわせる。

 ファーストはそこにヴォーカルとギターのおおはた雄一(2012年7月16日、他)、セカンドはタップ・ダンスのRON×II(ちゃんと見える位置にいたせいもあり、おおいに感心して見てしまった。ぼくは初めて知ったが、素晴らしい踊り手)とピアノのスガダイロー(2009年7月3日、他。なんと短髪で無精髭なし、見た目かなり新鮮)、サード・セットはヴォーカルの柳原陽一郎(歌声きっちりデカく、毅然とした個性を持っている。ぼくには少し濃すぎるところはあったが)が加わる。そして、アンコールはゲスト陣が全員出てくる。終わったのは、23時近く。

 有名曲を想像力あるブラス中心サウンドのもと開き、そこに言葉/肉声がのり、さらにこの日は肉体音やピアノ音も乗る。いろんなミュージシャンシップ、技、感情などが交錯し、解け合い、溢れていく……。アルバム収録曲からやるのかと思ったら、新しく出て来た曲もやっていたようで、大きく頷きもした。ちゃんと、表現を育んでいるナ。少年期から洋楽に入れこみ、いろんな音楽をどん欲に追い求めて、ジャズもちゃんと知っている……そういう人間〜世代ならではのしなやかな音楽観や矜持のようなものがここには具現化されていると、ぼくは感じもした。

<昨年6月の、芳垣安洋>
 昨年(2012年)夏にオルケスタ・リブレは2種類のアルバムを同時にイースト・ワークスからリリースしている。これは、それに際して、同年6月にとったインタヴューの抜粋だ。
——芳垣さんはROVO(2006年12月3日、他)をはじめいろんなことをやるかたわら、複数のリーダー・バンドを持っていますが、本人のなかではどう分けているのでしょう?
「やっていることが違いますよね。簡単に言うと、それぞれ、他でできない事をやっています。ヴィンセント・アトミクス(2005年2月19日)は形としてはミニマルなものとか民族音楽的要素をジャズ、ジャズ・ロック、ファンクをミックスし、同じような旋律やビートが変化していくみたいな事を求めています。オリジナル曲をやっていますね。エマージェンシー(2004年1月21日)は、ロック形式のジャズ・バンドと思っている。ギター・サウンドに固執して、(チャールズ・)ミンガスとかの作品を中心にやっていますね。オルケスタ・ナッジ! ナッジ!(2005年9月17日)は打楽器だけでやりたい。そして、今回のオルケスタ・リブレは基本、カヴァーをやるというのからスタートしている。言葉があるものを言葉がない状態でやるとどうなるか。あるいは、英語の歌を日本語でやるとどうなるかというのを、しかも1920年後半から70年代までぐらいまでの曲を視野におき、そうした古い曲を僕はこう解釈している、こうもできる、というのをやりたかった」
——2011年6月に新宿ピットインで始めたことが出発点となっているようですが。
「ワーとしたことをやりたかったんです。去年(2011年)は盛り上がってなかったので。特に春以降沈滞していて、気持ちを切り替えたいと思いました。で、旧き良き時代のもの、僕が子供のころワクワクしたものを、僕たちなりに届けたら皆も元気になるんじゃないか、そういう純粋な気持ちから始まったんです。ほんと、皆で楽しくなりたいな、ライヴで気持ちをあげたいなという気持ちだった。インスト曲に関しては、今回やっている8割はそのときやっていますね」
——では、ある意味、選曲は芳垣さんの音楽遍歴を出してしまっていると言えるのでしょうか。
「かなり。完全にぼくの好きな曲です。だから選曲には困っていません、好きな曲をやっているだけですから。ただ、アレンジに時間がかかる。とはいえ、1年の間にけっこうな数になって、やってない曲もありますね」
——レコーディングしている顔ぶれもそのときと同じなんですか。
「そうですね。それぞれ、僕がいろんなシチュエーションで仕事をして、気になった人たちです。たとえば、(青木)タイセイは東京に出て来たときからの付き合い。鈴木は南博(2013年2月17日、他)とかUA(2009年7月25日、他)とか、しょっちゅう顔を合わせていますね」
——そして、ヴォーカリストの選択も興味深いです。
「おおはた(雄一)はよく一緒にやっています。デュオで回ったりもしていますし。僕が知っているシンガー・ソンライターの中では、一番ウマがあった人なんです。録りあげる曲のセンスと、訳詞のセンスがいい」
——日本語でやりたいというのはあったんですか? 確かに、言葉が入って来たり、言葉が残ったりします。
「それは考えました。歌モノよりもインストが多いという世界を選んでしまったわけですが、どうせやるなら洋楽曲であっても、自分も、聞く人も言葉が分るものをやったほうがいいですから。そこで、日本語でできないかと思い、日本語で歌っていていいなと思える人で、作詞者や訳詞者、詩人として優れている人に加わってほしいと思ったんです。柳原(陽一郎)はまさしく詩人。出会いは古いんですが、そんなに一緒にやったことはなかった。でも、ヤナちゃんが訳詞した曲で、いつかやりたいなとずっと思っていました」
——そして、今回形となったのは、ヴォーカル付き曲からなる2枚組『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』(柳原陽一郎とおおはた雄一が、1枚づつフィーチャーされる)、そしてインスト曲を収めた『Can’t Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』という、3枚にまとめられましたが。
「ヴォーカルとインストと、それぞれ分けて出そうとは思っていました。でも、ヴォーカル曲は1枚にしようと思ったんだけど、別にしたほうがいいので、こうなりました」
——どんな感じで、レコーディングは進んだのでしょう?
「楽しくできました。今回は変わったやり方をしたんです。ちょっと大きめの部屋に全員で入って、マイクを2本立ててヘッドフォンもせずに、せえので録りました。間違えたら、やり直し。歌も、同じ所に入ってやりました。だから、録りもミックスも大変でしたが、それゆえに緊張感はあるのにゆったりしたものが録れたと思います。音がかぶるので、そりゃ別撮りのほうが楽です。でも、モニター・システムがないころの昔のジャズは耳研ぎすませてそうやって録っていたわけだし、ビートルズのハーモニーがどうしていいかというと、ポールとジョージが1本のマイクに向かって歌っていたからだと思う。(エンジニアを勤めた)益子(樹。ROVOのメンバーでもある)くんは本当に苦労したはずですが、今回はそれが功を奏したと思います」
——リーダーとして、一番気をつかったのは。
「メンバーの人間性がおもしろく、いい人たちなので、あまり気は使わなかったですね。たとえば、この曲をやりたいというときに、ホーンのアレンジは書けないので、タイセイや鈴木に頼むんですけど、自分がやりたい形〜方向性を伝えることには気を使いました。出来上がってきたものを、再度お願いして直してもらったものもあります。また、伝えたものとは違っているんだけど、別の意味で面白くなっていたものもあります」
——インスト部の演奏を聞いて、夢のブラバンだなとも思いました。芳垣さんはトランペットを吹いたりもしますが、ブラス・バンドをやっていた経験ってあるんですか。
「やってないけど、ブラスは好きです。シカゴやタワー・オブ・パワー、ニューオーリンスのものも。それから、(レスター・ボウイの)ブラス・ファンタジーが大好きだったんです。やはり、憧れはあって、そういうものを作りたかった。そして、これが出発点。これから広がり、びっくりするほうに変わっていくと思います」
——(2012年の)7月には、オルケスタ・リブレでヨーロッパをツアーすることになっていますよね。
「5カ所です。ロンドン、コペンハーゲンや南バイエルンのパッサウとか。沢山の人にきいてもらいたいですね」
 まず、渋谷・WWWで、カナダのデュオ・バンドのジャパンドロイズを見る。ギターとドラムのデュオ、ヴォーカルは両方取るが、主にリード・ヴォーカルはクネクネ良く動き、ポーズも決めるギター君のほうが担う。で、ショウが始まって、即こりゃ音がデカいと少し慌てる。完全2人による演奏ながら、なぜか単純なベース音も出ていて、その音が耳に刺さる。近年では一番、耳に負担がかかるライヴだと思わせられた。しかし、そのベース音、最初はギターの低い弦の音が分けられてベース音として出ているのかとも思ったが、ギターを弾いていない時も認めることができ、かといって2人の演奏が走ってもきっちりズレずに重なっているし、どういう仕組みなのだろうか。

 ライトニング・ボルト(2009年11月15日)とかKIRIHITO(2011年12月1日)とか、バンドという形式に逆らうような2人のロック系バンドというと、変なものがいろいろ散見されるが、彼らもそういう部分は少し出していたかな。通り一遍にさらっと曲をやる場合は産業ロック調曲を2人で杜撰にやっているだけという感じだが、キブンで進める度数が増してよく曲調が分らない感じのもの(歌がうまくないので、そのノリはよく増幅される)だと、酔狂さやいい人ぽさと表裏一体のやぶれかぶれさやイケイケの意欲がもわっと湧いて来て、わはは頑張れという気持ちも出てくる。なお、ドラマーは英国の若い人たちと違い、手数は多いながら叩き口はしっかりしている。渋谷・WWW。このスペース・シャワーが持つハコには何度か来ているが、外国人アクトを見るのは今回が初めて。大き目ふっくら目の外国人の客も散見されたが、彼らはカナダ人だったのだろうか。

 そして六本木に移動して、ビルボードライブ東京で、1988年生まれの新進英国人シンガー・ソングライターのナタリー・ダンカンを見る。ギター、ベース(電気とウッドの両刀)、ドラム、女性バッキング・コーラス(グロッケンシュピールも担当)という面々と一緒のもの。ギリシャとジャマイカのミックスらしい本人は可愛らしい女性ラッパーみたいな顔つき(つまり、そのデビュー作『デヴィル・イン・ミー』のジャケ写とはかなり別人)だが、ネクタイ/スーツで行儀良く固めた男性の3人の演奏者は整った外見の白人さんたちだった。

 ショウのスタートは無伴奏で歌いだし、そこにピアノやバンド音を重なっていく、アルバムのタイトル・トラック。それだけで、彼女は選ばれた才を持つ人だと思わされる。何かが、接する者に突き刺さる。大体の曲は彼女のピアノ弾き語りに、控え目にバンド音が寄り添うという構図を持つ。なるほど、ほんの少し慣れていない所を感じさせる場合もあるが、これはいいシンガーであり、作曲者であり、パフォーマーであると思わせられるな。世に紹介されるべき、優れた人です。実は彼女のデビュー作のプロデューサーは、米国人実力者のジョー・ヘンリー(2012年10月16日、他)。それをつかさどるのに際して、ヘンリーはパトリック・ウォーレン(2010年4月2、4日)やグレッグ・コーエン(2006年6月2日、他)ら馴染みの米国人奏者を英国(リアル・ワールド・スタジオ)まで連れていってじっくり録音した(予算も潤沢だったんだろう。英国からは、お馴染みジョン・スミスも参加)のにも頷ける。とはいえ、ぼくの耳には、ヘンリー制作のアルバムのなか、もっともヘンリー色の薄いアルバムにも聞こえるが、それも彼女の個性ゆえであったろう。

 基本、暗目の曲が多い(本当に暗い、絶望的な時期に作ったからだそう)が、それがある種の灯火的な輝きとともに悠然と広がる。クラシック的な部分とR&B/ブルージーな部分の両方を併せ持つことも実演ではより出していたが、これからいろいろと変わっていきそうとも感じた。次作に入るだろう、「ホールド・ユア・ヘッド」という新曲は完全ピアノ弾き語りにて披露。良い。それで、十分とも思わせる。が、実は次のアルバムではもう少し、エレクトリックな音も入れたい意向を彼女は持っている。

<先週の、ダンカン>
 昨週末に、ダンカンには取材した。ボクシングが趣味という、会った限りは、快活な女性。そして、自分の言いたい事、気持ちをちゃんと伝えられる人だった。ジョー・ヘンリーと絡んだのは、彼の仕事はあまり知らなかったようだが、ヘンリーが送って来た熱くも詩的なメールが決め手となったとか。レコーディングは最初かなりビビったらしいが、途中ではけっこうヘンリーと色づけでやりあったそう。ピンク・フロイドのような響きが欲しい曲が私にはあったと言っていたが、なるほど、フロイドの『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』から触発されたようなのも2曲あるナと、ショウを見ながら、ぼくは感じました。

 もうひとつの音楽性や提出の仕方を求めている越路姉妹(2009年10月12日、他)の越路よう子の新バンドを代官山・晴れたら空に豆まいて で見る。シンガーはもう1人、ちゃんと歌える男性もいて、ツイン・ヴォーカル編成。へえ。今、レコーディング中だそうだが、バンドは皆黒のスーツ系が基調。なるほど、下世話な越路姉妹と一線を画して、エレガントに行きますという感じであるのか。その様を見て、デイヴィッド・ヨハンセン、改めバスター・ポインデクスターのかつての洒落のめし小洒落路線を想起する。こちらはホーン隊はいないし、ジャジーな曲は少し。でも、粋な社交の場の洒脱音楽を提供するというのは重なるか。なにより、ヒネリある諧謔や視点がどこかにあるという構図は近いかも。大げさに言えば、”ロック芸”の積み重ねの、不可解な妙?

 そして、出演者のもう一組は、完全ジャズの担い手。すごい、ブッキングだァ。こちらはピアノの南博(2011年3月2日、他)とソプラノやアルト・サックスの津上研太(2011年6月23日、他)のデュオ。なんでも、南は病気療養していて、この晩が久しぶりのライヴとなるという。頭のほうはフリー・フォームと言いたくなる、瑞々しい対話演奏をずっと聞かせる。さすが実力者たちだなと頷く。

<今日の、1940年代生まれ>
 この項に書こうとしていて、忘れていたことを書いておこう。トニー・ヴィスコンティ制作、デイヴィッド・ボウイ(1947年生まれ)の10年ぶりの30作目となるアルバム『ザ・ネクスト・デイ』の先行シングル・カット曲「ホエア・アー・ウィ・ナウ」が、とってもグっと来る。諦観路線にあるが、なんとも誘う力がハンパない。ぼくの同年代の聞き手にはボウイを神格化している人がいるが、全然そうじゃないぼくにしてそう思えるのだから、静かながら多大な訴求力を持つ曲なのだと思う。そして、ぼくはそれと続けて、カエターノ・ヴェローゾ(1942年生まれ)の新作『アブラッサッソ』を違和感なく聞いたりもする。ヴェローゾ制作のボウイ曲……これまでそんなこと、考えたこともなかったが、今それを切望する自分がいる。今日、東横線の渋谷駅で格好いいと唸らせる初老の紳士を見かけたことで、この件を思い出した。1940年代生まれというと、仕事をリタイアしている人も多いのか。

 純ジャズとジャジーなクラブ・ミュージック/ポップ・ミュージックの間を自在に行き来する1980年生まれ米国人歌手(2008年9月18日、2010年11月11日、2011年1月12日、2012年2月18日、2012年9月13日)の公演はフル・ハウス。ブルーノートに移籍してリリースした『ノー・ビギニング・ノー・エンド』(2012年9月13日、参照)が過去作と比較にならないぐらい話題になっているという話は聞いていたが、今回の2日間4公演も早々に売り切れたという。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 電気ベースのソロモン・ドーシー、4ヒーローで叩いていた事もある英国人ドラマーのリチャード・スペイヴェン、NY在住のトランペッターの黒田卓也はジェイムズの近作にも参加し、昨年2月のバンド公演のライヴにも同行している人たち。キーボード/ピアノのクリス・バウワースはマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)からこのところ気に入られ、ジェイムズがスペシャル・ゲストと紹介したトロンボーンのコーリー・キングはクリスチャン・スコット(2011年12月17日、他)やエスペランサ・スポルディング(2012年9月9日、他)の新作で吹いている。管の2人は半数ぐらいで加わったか。

 そんな気心知れ、スキルもある人たち(ぼくは、ベース奏者に一番ニコっ)の、ジャジーで、温もりやグルーヴあるバンド・サウンドを得て、ジェイムズは悠々と、含みを持つ曲を歌う。その大半は、新作からのものであったはず。そして、すぐに感じてしまったのは、この人、こんなに歌声に存在感あったっけか。平たく言えば堂々、以前よりもでっかい声に聞こえる。これは、ぼく同様に何度か彼のショウに接している人も同様の感想を漏らしていた。卓をいじるエンジニア(曲によっては、ダブっぽい効果も少しかます)が優秀だったのかもしれないが、あれれというほど、ジェイムズの声は仁王立ち、聞き手に働きかけていた。

 そして、2曲では、新作に入っていた、かつてR&B調のリーダー作をだしたことがあるエミリー・キングがギター片手に出て来て、2曲一緒に歌う。アフリカ系ではない彼女(実は、ジェイムズとけっこう顔が似ていると、ぼくは思った)はフォーキー系シンガー・ソングライターといった感じ。なるほど、ライヴに接して、彼女も彼にしっかりと“風”を与えているのを認知した。

 ジェイムズが生ギターを持ちながら歌った(それ、2曲だったか)のは初めて、客席前にいる女性のお客さんに握手を求めたのも初めて。最後、客が見事なほどスタンディング・オヴェーションになったのも(彼にとっては)初めて。そして、なにより、あんなに彼がうれしそうにパフォーマンスしていたのも初めて。ジェイムズさん、ブルーノートに移籍して良かったァと思うとともに、かなり音楽家としての冥利も感じていたのではないか。ぼくがこれまで見た彼の実演のなかで、一番良いと思えました。

<今日の、昼下がり>
 昼下がりに、ホセ・ジェイムズが新規所属アーティストとなったブルーノート・レコードのコンヴェンションがビルボードライブ東京で開かれ、それに合わせて来日した同社新社長のドン・ワズが挨拶し、少しお話した。1952年デトロイト生まれ、1980年代初頭にハイパーかつマニアックな複合性を持つファンク・ポップ・ユニットのウォズ(・ノット・ウォズ)で世に出て、その後、ザ・B-52ズ、ボニー・レイット(2007年4月5日)、ボブ・ディラン、ザ・ローリング・ストーンズ((2003年3月15日)ら、様々なものを手がける敏腕プロデューサーとしてよく知られますね。また、初期ザ・ビートルズを題材にした映画『バックビート』のサウンドトラックもぼくには印象深い。実は彼にはインタヴューをすることになっていたが、体調不良でキャンセル。けっこう、話をいろいろ聞きたい人であったな。そんな彼はベース弾いたり、好きなレコーディングに関わっていればOKと思っていそうな政とはあまり縁のない御仁であるような感じをぼくは得ていたが、じっさい社長になって(その前に少し同社A&Rの職についたよう)、一番びっくりしているのは、彼自身であるのだとか。ともあれ、外見は髭面のウェスタン・ハットをかぶったおっさん。格好もまるっきり、奇麗とは言えない。それゆえ、日本についた際、イミグレーションでとめられたという。うぬ、ちょい良い話じゃ。そのコンヴェンションでは、ホセ・ジェイムズがバンドとともに4曲だったか演奏。うち、2曲はエミリー・キングが本公演と同様に関わる。彼を呼び込むとき、ドン・ワズは、“ジニアス、モダン・ミュージック”と前置きしたような。まず、社長になって彼がしたのは、ウェンイン・ショーター(2004年2月9日、他)を同社に呼び戻すことと、アーロン・ネヴォル(2012年5月14日、他)の新作録音にキース・リチャーズ(2003年3月15日)を呼ぶことであったそうな。再びブルーノートに出戻るヴァン・モリソンの新作はどんなものになるのだろうか。なんか、『アストラル・ウィークス』と繋がりが出てくるような内容になったらうれしいが。今後の、彼の舵取りに期待したい。→来年は、途中休止があるものの、ブルーノート設立75周年となるそうな。なお、黒田卓也は近くジェイムズのプロデュースで新作を作るそうで、それはブルーノートから出るようだ。

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