マムフォード&サンズ。ジョイス
2013年7月30日 音楽 昨年の米国グラミー賞(アルバム・オブ・ザ・イアー)獲得や今年の英国グラストンベリーのヘッドライナーをつとめるなどしているUK大人気バンドの、フジ・ロック出演後の単独公演は新木場・スタジオコースト。パブリック・スクールの顔見知りで組まれたような彼らはおぼっちゃま君バンドと言えるのだろうが、遠目でその外見を見る限りはあまり、そういう側面は感じさせない。なんでも、ちゃんと歌詞を吟味した人が言うには、敬虔なクリスチャンで歌詞にその世界観が出るのは少し痒いとのことだが、そういう歌詞はあちらのものすごいセールスと関係あるのか。
エレピ音色のキーボード、ヴォーカルとアコースティック・ギター(ときに、キック・ドラムも扱う)、バンジョー、ベース(ウッド・べースの方を多く弾く)、広いステージに出て来たメンバー4人はステージ前面に横一線に並ぶ。コーラスは全員とり、それなりに決まる。そんな編成に表れているように、とっても生っぽい手作りサウンドを持つグループ。リード・ヴォーカルはけっこう凛としていて、かなり存在感あり。精気あるそれが、激しい要素のない彼らの表現にズケスケした訴求力を与える。フォーク、カントリー、トラッドとかいろんな手作り表現を見渡し、自分たちの楽曲感覚を介して押し出しているのだが、逆に言えば、既存の固定スタイルにどっぷりはまるところはなくて、その曖昧さは今の若手のバンドらしいと言えるのか、なーんても思った。曲によってはヴァイオリンやチェロ、3人のストリングスも控え目についた。
観客の反応は滅茶ホット。声も飛び交うが、外国人比率は高かったんだろうな。
そして、丸の内・コットンクラブで、もう長年夏場に来日して公演をしているブラジル人シンガー/ギタリストを見る。新木場からは有楽町線1本で行けるので、移動が楽。で、いつも通りの、うれしいジョイスちゃ。変化は毎度弾いていたボディ空洞ギターではなく、普通の生ギターを彼女がつま弾いていたこと。風が舞うと書きたくなる、何度触れていてもすばらしいと思っちゃうパフォーマンスを堪能できた。
例によって、カルテット編成にて。途中、「3月の雨」他、数曲は有名曲を弾き語りでやり、またカルテットに戻る。すると、アタマのときと違って、演奏陣がより個を出すようになる。ようはジャズ度、インプロ度が高くなる。そして、ジョイスも余裕でそれに合わせる。1曲は、スキャットだけで成り立つ曲だった。いやはや、それもいい感じ。この編成による、ジャズ調アルバムもありじゃねえのと思ってしまった。
<今日の、疲れ>
家で仕事しているとき、当たり前だが、靴を履かない。そんな生活を25年以上続けているためか、なんか靴を履いて外に出ると、すぐに疲れる。足元から、じわんと疲れが上にやってくる。うえん。ここのところ例年、夏はけっこう裸足ではけるサンダル系の履物をよく履いていたが、今年はあまり履こうという気にならないのはどうしてだろう。キブンなんだよなー。
エレピ音色のキーボード、ヴォーカルとアコースティック・ギター(ときに、キック・ドラムも扱う)、バンジョー、ベース(ウッド・べースの方を多く弾く)、広いステージに出て来たメンバー4人はステージ前面に横一線に並ぶ。コーラスは全員とり、それなりに決まる。そんな編成に表れているように、とっても生っぽい手作りサウンドを持つグループ。リード・ヴォーカルはけっこう凛としていて、かなり存在感あり。精気あるそれが、激しい要素のない彼らの表現にズケスケした訴求力を与える。フォーク、カントリー、トラッドとかいろんな手作り表現を見渡し、自分たちの楽曲感覚を介して押し出しているのだが、逆に言えば、既存の固定スタイルにどっぷりはまるところはなくて、その曖昧さは今の若手のバンドらしいと言えるのか、なーんても思った。曲によってはヴァイオリンやチェロ、3人のストリングスも控え目についた。
観客の反応は滅茶ホット。声も飛び交うが、外国人比率は高かったんだろうな。
そして、丸の内・コットンクラブで、もう長年夏場に来日して公演をしているブラジル人シンガー/ギタリストを見る。新木場からは有楽町線1本で行けるので、移動が楽。で、いつも通りの、うれしいジョイスちゃ。変化は毎度弾いていたボディ空洞ギターではなく、普通の生ギターを彼女がつま弾いていたこと。風が舞うと書きたくなる、何度触れていてもすばらしいと思っちゃうパフォーマンスを堪能できた。
例によって、カルテット編成にて。途中、「3月の雨」他、数曲は有名曲を弾き語りでやり、またカルテットに戻る。すると、アタマのときと違って、演奏陣がより個を出すようになる。ようはジャズ度、インプロ度が高くなる。そして、ジョイスも余裕でそれに合わせる。1曲は、スキャットだけで成り立つ曲だった。いやはや、それもいい感じ。この編成による、ジャズ調アルバムもありじゃねえのと思ってしまった。
<今日の、疲れ>
家で仕事しているとき、当たり前だが、靴を履かない。そんな生活を25年以上続けているためか、なんか靴を履いて外に出ると、すぐに疲れる。足元から、じわんと疲れが上にやってくる。うえん。ここのところ例年、夏はけっこう裸足ではけるサンダル系の履物をよく履いていたが、今年はあまり履こうという気にならないのはどうしてだろう。キブンなんだよなー。
サヴェージズ。バイアーナ・システム
2013年7月29日 音楽 原宿・アストロホールと渋谷・www。ともに、フジ・ロック流れの担い手が出る公演。
まず、ロンドンの女性4人組、サヴェージズの公演。会場入りしたら、彼女たちのデビュー作『サイレンス・ユアセルフ』(マタドール、2013年)のプロデューサーをつとめるジョニー・ホスタイル(ヴォーカル、ギター)がプリセットの音を下敷きにパフォーマンス。一部では男性ギタリストが加わるとともに、サヴェージズのヴォーカリスト(と、思う)も出て来て歌う曲もあり。プリセット音のリズムの組み立てに少ししょぼさは感じたものの、ある種の風情アリ。
続いて、サヴェージズが登場、正面から光を当てない設定も納得はできる、ダークだが、スタイルを持つ(ある種、新人場慣れしているとも指摘できる。どこか、初々しさも持つんだが)ギター・ロックを聞かせる。あ、あと恥ずかしさを感じさせない、アートな感じも持っているとも思わせたか。そのバンド名にかけるなら、アートな蛮行、なんちって。ヴォーカルもそれなりに存在感を持ち、「アイム・ヒア」という曲では表題を連呼するが、自意識過剰な歌詞も違和感を覚えさせない。そんな、響きややノイズの効用にも留意したエッジーなニュー・ウェイヴ調ロックをもっと聞いていたかったが、3曲だけ聞いて、同じ行程を画策していた知人とタクシーに飛び乗る。
そして、ブラジルの賑やかし5人組+VJのバイアーナ・システムのショウ。大雑把に言えば、曲はたっぷり哀愁を持つものと、ラガ調の2系統。肉声担当者、バイーアの楽器で5弦小型エレキ・ギターてな感じのギターハ・バイアーナ、ベース、パーカッション、PCという布陣で、電気仕掛けビートにバイーアで培った諸々を載せていく様に触れ、これはバイーア版バルカン・ビート・ボックス(2012年9月9日、他)かと思う。とにかく、気の良さそうな奴らで、日本に来ることができて、そしてライヴ・ショウが出来てうれしくてしょうがないという気持ちを目一杯出しているのに触れ、ぼくもうれしく、満たされた気持ちになっちゃった。イェ〜イ。
<今日の、交差点>
夕方のこと。911ではなくボクスターなので廉価のほうだが、トップをあけたポルシェが、交差点で信号待ちしていたぼくの前で止まる。なんか、偉そうなキブンを出していて、どんな奴が乗っているんだと見れば、何気に格好よく見えるおじさん。しかし、ちゃらいダンス・ポップ曲がかかっていて、ぎゃふん。音楽は大事だと思った。だけど、例えば、そこで現代ミナス系の広角型繊細表現がかかっていたりしたら、お洒落すぎるか?
まず、ロンドンの女性4人組、サヴェージズの公演。会場入りしたら、彼女たちのデビュー作『サイレンス・ユアセルフ』(マタドール、2013年)のプロデューサーをつとめるジョニー・ホスタイル(ヴォーカル、ギター)がプリセットの音を下敷きにパフォーマンス。一部では男性ギタリストが加わるとともに、サヴェージズのヴォーカリスト(と、思う)も出て来て歌う曲もあり。プリセット音のリズムの組み立てに少ししょぼさは感じたものの、ある種の風情アリ。
続いて、サヴェージズが登場、正面から光を当てない設定も納得はできる、ダークだが、スタイルを持つ(ある種、新人場慣れしているとも指摘できる。どこか、初々しさも持つんだが)ギター・ロックを聞かせる。あ、あと恥ずかしさを感じさせない、アートな感じも持っているとも思わせたか。そのバンド名にかけるなら、アートな蛮行、なんちって。ヴォーカルもそれなりに存在感を持ち、「アイム・ヒア」という曲では表題を連呼するが、自意識過剰な歌詞も違和感を覚えさせない。そんな、響きややノイズの効用にも留意したエッジーなニュー・ウェイヴ調ロックをもっと聞いていたかったが、3曲だけ聞いて、同じ行程を画策していた知人とタクシーに飛び乗る。
そして、ブラジルの賑やかし5人組+VJのバイアーナ・システムのショウ。大雑把に言えば、曲はたっぷり哀愁を持つものと、ラガ調の2系統。肉声担当者、バイーアの楽器で5弦小型エレキ・ギターてな感じのギターハ・バイアーナ、ベース、パーカッション、PCという布陣で、電気仕掛けビートにバイーアで培った諸々を載せていく様に触れ、これはバイーア版バルカン・ビート・ボックス(2012年9月9日、他)かと思う。とにかく、気の良さそうな奴らで、日本に来ることができて、そしてライヴ・ショウが出来てうれしくてしょうがないという気持ちを目一杯出しているのに触れ、ぼくもうれしく、満たされた気持ちになっちゃった。イェ〜イ。
<今日の、交差点>
夕方のこと。911ではなくボクスターなので廉価のほうだが、トップをあけたポルシェが、交差点で信号待ちしていたぼくの前で止まる。なんか、偉そうなキブンを出していて、どんな奴が乗っているんだと見れば、何気に格好よく見えるおじさん。しかし、ちゃらいダンス・ポップ曲がかかっていて、ぎゃふん。音楽は大事だと思った。だけど、例えば、そこで現代ミナス系の広角型繊細表現がかかっていたりしたら、お洒落すぎるか?
ライヴ会場に向かう電車内、浴衣姿の人がいたり、なんかのイヴェントに向かう感じの人がいたり(外苑前で、たくさん人が降りたな。その周辺で何をやっていたのだろう?)、ああ夏期休暇の時期なんだと実感。そういえば、深夜に渋谷中心部を歩くと明らかにコドモの比率が増えていて、そのことでも世の学校は夏休みに入ったのだナと感じる。
日比谷野外大音楽堂。日本のジャズ界を牽引してきた2人のビッグ・ネームの二本立て公演。日比谷野音ができて90周年を祝う催しの一環で、立ち見が出る入り。
まず、山下洋輔(ピアノ。2009年7月19日、他)、坂井紅介(ベース)、本田珠也(ドラム。2012年7月16日、他)のトリオに、寺久保エレナ(アルト・サックス)と菊地成孔(テナー。アルト・サックス。2013年3月26日、他)という面々が加わる山下グループが1時間演奏。
そして、渡辺(2013年7月10日、他)グループの演奏。本田珠也は続投、こちらはパーカッション奏者もいるし、サウンドもことなるので、彼はさっきとは別のドラム・セットを叩く。ギターは養父貴(2012年12月15日、他)、ベースはコモブチキイチロウ(2013年7月10日、他)は普段のワーキング・バンドの面々。そして、キーボードは、トラ(代役)で塩谷哲(2012年8月24日)。本田のドラム音とンジェセ・ニャン(2012年12月15日、他)の打楽器の音が明快に聞き分けられて何気に音がいいなあ、陽が沈んでからのほうが蒸し暑いなあなぞと思って聞いていたら、さああと涼しい風が吹く。……と、思ったら、雨がポツりと来だし、急に豪雨になり稲妻も光りだした。もー以後、大荒れ。うひー。オレ、苗場(フジ・ロック)に来ているんだっけ?
簡素なビニール合羽だけだけではこころもとないと、会場最後方に下がり、傘を差しながら、のんきにステージを見る。ビーサンはいて来て、よかったア。終了後に写真を撮っていた人に聞いたら(カメラ、駄目になったそう)、風の関係もありステージにも雨は降り注ぎ、出演者はずぶぬれになってやっていたそうだ。楽器群もびしょびしょ、だったとのこと。
洒落にならない降雨、度々の稲妻のもと、ショウは続く。慌てる観客とともに、妙に盛り上がる人々もいる。チョー不思議な場じゃおーこりゃこりゃと、ぼくは無責任に思う。なんか、それもジャズ、これも野外公演というような、ナンでもアリじゃんという空気感があったようなないような。
渡辺貞夫グループの演奏が終わり、すぐの山下グループの5人全員が出て来て、アンコールに用意していたろうブルース曲を一緒にやりはじめる。その途中で、近くの建物の避雷針に落雷し、ものすごい轟音。びっくりぃ。それ、山下と塩谷が連弾でピアノ・ソロを取っているときだっけか。が、演奏はとまらない。そして、その曲をもって公演は終了。いやはや、見ているほうもやっているほうも、とってもごくろうサマ。この晩の出し物は<真夏の夜のJAZZ>と題されもしていたが、見事に<真夏の暴雨のジャズ>だった。
<今日のもろもろ>
日本サッカー界で一番偉い人が、客で来ていた。耳たぶがびっくりするほど大きい。翌日は代表の試合があった韓国に行ったみたい。そういえば、貞夫さんって、代表チーム試合を中心にサッカー好きなんだよね。でも、国際マッチで試合前に君が代とか吹いたことはないよな? 後から知ったが、この晩の隅田川の花火大会も悪天候で30分で中止になったらしい。いやあ、今年の夏も突然の雷雨/豪雨は何度かあるけど、まさかモロにそれにあうとは思わなんだ。
日比谷野外大音楽堂。日本のジャズ界を牽引してきた2人のビッグ・ネームの二本立て公演。日比谷野音ができて90周年を祝う催しの一環で、立ち見が出る入り。
まず、山下洋輔(ピアノ。2009年7月19日、他)、坂井紅介(ベース)、本田珠也(ドラム。2012年7月16日、他)のトリオに、寺久保エレナ(アルト・サックス)と菊地成孔(テナー。アルト・サックス。2013年3月26日、他)という面々が加わる山下グループが1時間演奏。
そして、渡辺(2013年7月10日、他)グループの演奏。本田珠也は続投、こちらはパーカッション奏者もいるし、サウンドもことなるので、彼はさっきとは別のドラム・セットを叩く。ギターは養父貴(2012年12月15日、他)、ベースはコモブチキイチロウ(2013年7月10日、他)は普段のワーキング・バンドの面々。そして、キーボードは、トラ(代役)で塩谷哲(2012年8月24日)。本田のドラム音とンジェセ・ニャン(2012年12月15日、他)の打楽器の音が明快に聞き分けられて何気に音がいいなあ、陽が沈んでからのほうが蒸し暑いなあなぞと思って聞いていたら、さああと涼しい風が吹く。……と、思ったら、雨がポツりと来だし、急に豪雨になり稲妻も光りだした。もー以後、大荒れ。うひー。オレ、苗場(フジ・ロック)に来ているんだっけ?
簡素なビニール合羽だけだけではこころもとないと、会場最後方に下がり、傘を差しながら、のんきにステージを見る。ビーサンはいて来て、よかったア。終了後に写真を撮っていた人に聞いたら(カメラ、駄目になったそう)、風の関係もありステージにも雨は降り注ぎ、出演者はずぶぬれになってやっていたそうだ。楽器群もびしょびしょ、だったとのこと。
洒落にならない降雨、度々の稲妻のもと、ショウは続く。慌てる観客とともに、妙に盛り上がる人々もいる。チョー不思議な場じゃおーこりゃこりゃと、ぼくは無責任に思う。なんか、それもジャズ、これも野外公演というような、ナンでもアリじゃんという空気感があったようなないような。
渡辺貞夫グループの演奏が終わり、すぐの山下グループの5人全員が出て来て、アンコールに用意していたろうブルース曲を一緒にやりはじめる。その途中で、近くの建物の避雷針に落雷し、ものすごい轟音。びっくりぃ。それ、山下と塩谷が連弾でピアノ・ソロを取っているときだっけか。が、演奏はとまらない。そして、その曲をもって公演は終了。いやはや、見ているほうもやっているほうも、とってもごくろうサマ。この晩の出し物は<真夏の夜のJAZZ>と題されもしていたが、見事に<真夏の暴雨のジャズ>だった。
<今日のもろもろ>
日本サッカー界で一番偉い人が、客で来ていた。耳たぶがびっくりするほど大きい。翌日は代表の試合があった韓国に行ったみたい。そういえば、貞夫さんって、代表チーム試合を中心にサッカー好きなんだよね。でも、国際マッチで試合前に君が代とか吹いたことはないよな? 後から知ったが、この晩の隅田川の花火大会も悪天候で30分で中止になったらしい。いやあ、今年の夏も突然の雷雨/豪雨は何度かあるけど、まさかモロにそれにあうとは思わなんだ。
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド・ウィズ・メイシー・グレイ
2013年7月22日 音楽 大昔ぼくの大アイドルであった(2003年8月9日といったような、やりとりもありました)大越境テナー・サックス奏者(2012年9月28日、他)のなかなかスペシャルな出しもの。南青山・ブルーノート東京、初日のセカンド・ショウ。
一応、今回来日につながる流れを書いておくと、彼はこの6月にインフィニティ・カルテット名義で新作をリリース。それはグレゴリー・ポーター(2013年3月6日)やメイシー・グレイ(2012年10月17日、他)をシンガーに擁してもいるアルバムで、そのマレイ作曲のヴォーカル・ナンバーの歌詞はキップ・ハンラハン(2011年12月8日、他)との関わりでも知られるイシュマエル・リードやザ・ラスト・ポエッツのアビオドゥン・オイウォレというリーディング名士が担当。と同時に、そのインフィニティ・カルテットはメイシー・グレイを伴うカタチで北米や欧州のジャズ・フェス出演を怒濤でこなしてきた。
そして、マレイやメイシー・グレイは日本にもやってきたのだが、なんと日本で予定されたのべ6日の公演は特別設定。太っ腹に全17人のビッグ・バンドに拡大しての編成で、彼らは来日した。長年欧州に居住しているマレイは現在スイスに住んでいるようだが、ビッグ・バンドの面々の多くはアメリカ人のよう。いろんなフリー・ジャズ系アルバムに参加しているバリトン・サックスのアレックス・ハーディングやサン・ラー・アーケストラ((2000年8月14 日、2002年9月7日、2003年7月25日)からジャイムズ・カーター(2013年2月26日)やアート・アンサンブル・オブ・シカゴなどで弾いているシャリブ・ハシド(ベース。今回は曲により電気と縦を使い分けていた)などの強者を含む。全員アフリカ系で、アルト・サックスの一人は若い女性だった。それから、若いギタリストの名前は、ミンガス・マレイ。マレイの息子かな? チャールズ・ミンガスから取られたファースト・ネームを持つ人物であるのは間違いがないだろうけど。当初から、マレイはジェイムズ・ブラッド・ウルマーと懇意にしていたのもふと思い出した。この11月30日にはフランスのミュルーズで、マレイとウルマーの共演公演が組まれている。
で、一曲目はなかなかアヴァンギャルドなアレンジを取り各奏者にも飛び気味のソロを取らせる曲でおおっ。ただし、2回やったマレイのメンバー紹介は紙片を見てのもの(つまり、奏者達の名前をちゃんと覚えていないということでしょう)で、まだ万全の重なりを見せるというものではなかった。だが、設定やアレンジ自体がけっこう変テコでとっ散らかって聞こえる指針を取るものであり、これはかつてドイツで聞いて不満を覚えた彼のラテン・ビッグ・バンド(2004年6月6日)と異なり、おおいにマレイがやる意義ありと頷く。
思った以上にメイシー・グレイはステージにいてバンド音と絡み(全体の5分の3ぐらい?)彼女が出てきた後は、ブルージィ度やR&B濃度が高い曲もやった。やはり、彼女は声だけで納得させるものがあるし、すでにマレイのカルテットとは20カ所ほどでショウをやっているため、重なりの様には余裕があった。マレイは基本バンドを指揮することに重きを置き、ソロは何曲かで取ったが、1980年代前半までのそれに比べればほとんど冗談みたいなものなので(それほど、昔のマレイはすべてにおいて、他の人とは異なる大地に立って、威風堂々自分をまっとうしていた)、それでいいと思う。彼の指揮の仕方は嬉々として派手で、それはアトラクティヴ。見ていて、楽しい。そののりで続けてという意志を管奏者たちに出す際、両手をくっつけて△マークを作り、頭の上に掲げるというサインの出し方をするときもあった。
最後の曲はまずメイシー・グレイがステージをおり、その後ビッグ・バンドの管楽器奏者たちは演奏しながら楽屋に帰っていくという設定。アンコールなしの本編はたっぷり100分。わーい。
<今日の、メイシー>
彼女は一度着替える。最初は黒基調、2度目は赤基調の格好。終盤は力づくの客扱いで、場内は総立ち、そしてコール&レスポンス。おお、いやはや。まさか、ジャズのビッグ・バンド公演で、そういう様が見られようとは。彼らは北海道の野外フェスに出たあと、ここに3日間出演し、名古屋公演を経て、フジ・ロック・フェスティヴァルに出演する。この内容(マレイの指揮の様も目を引くだろうし)で、メイシー・グレイ(ピンでごんごん人気を得ていた時期、ちょうど10年前のフジ・ロックのグリーン・ステージの単独出演者だったこともある。その直後の東京単独公演は、2003年7月28日)がこの晩のように観客に働きかければ、きっと苗場でも大受けすると思う。日本ツアー後、またカルテット仕様に戻り、両者は楽旅する。ただし、8月30日のデトロイト・ジャズ・フェスティヴァル(なんか、ビル・フリゼール〜2011年1月30日、他〜がジョン・レノン曲弾きプロジェクトをやったり、チャールズ・ロイド〜2013年1月6日、他〜と一緒にやったりと、大車輪みたい)は海外では唯一、ビッグ・バンドでのパフォーマンス。同市の財政破綻とジャス・フェスが関係ないようなのは、なにより。
一応、今回来日につながる流れを書いておくと、彼はこの6月にインフィニティ・カルテット名義で新作をリリース。それはグレゴリー・ポーター(2013年3月6日)やメイシー・グレイ(2012年10月17日、他)をシンガーに擁してもいるアルバムで、そのマレイ作曲のヴォーカル・ナンバーの歌詞はキップ・ハンラハン(2011年12月8日、他)との関わりでも知られるイシュマエル・リードやザ・ラスト・ポエッツのアビオドゥン・オイウォレというリーディング名士が担当。と同時に、そのインフィニティ・カルテットはメイシー・グレイを伴うカタチで北米や欧州のジャズ・フェス出演を怒濤でこなしてきた。
そして、マレイやメイシー・グレイは日本にもやってきたのだが、なんと日本で予定されたのべ6日の公演は特別設定。太っ腹に全17人のビッグ・バンドに拡大しての編成で、彼らは来日した。長年欧州に居住しているマレイは現在スイスに住んでいるようだが、ビッグ・バンドの面々の多くはアメリカ人のよう。いろんなフリー・ジャズ系アルバムに参加しているバリトン・サックスのアレックス・ハーディングやサン・ラー・アーケストラ((2000年8月14 日、2002年9月7日、2003年7月25日)からジャイムズ・カーター(2013年2月26日)やアート・アンサンブル・オブ・シカゴなどで弾いているシャリブ・ハシド(ベース。今回は曲により電気と縦を使い分けていた)などの強者を含む。全員アフリカ系で、アルト・サックスの一人は若い女性だった。それから、若いギタリストの名前は、ミンガス・マレイ。マレイの息子かな? チャールズ・ミンガスから取られたファースト・ネームを持つ人物であるのは間違いがないだろうけど。当初から、マレイはジェイムズ・ブラッド・ウルマーと懇意にしていたのもふと思い出した。この11月30日にはフランスのミュルーズで、マレイとウルマーの共演公演が組まれている。
で、一曲目はなかなかアヴァンギャルドなアレンジを取り各奏者にも飛び気味のソロを取らせる曲でおおっ。ただし、2回やったマレイのメンバー紹介は紙片を見てのもの(つまり、奏者達の名前をちゃんと覚えていないということでしょう)で、まだ万全の重なりを見せるというものではなかった。だが、設定やアレンジ自体がけっこう変テコでとっ散らかって聞こえる指針を取るものであり、これはかつてドイツで聞いて不満を覚えた彼のラテン・ビッグ・バンド(2004年6月6日)と異なり、おおいにマレイがやる意義ありと頷く。
思った以上にメイシー・グレイはステージにいてバンド音と絡み(全体の5分の3ぐらい?)彼女が出てきた後は、ブルージィ度やR&B濃度が高い曲もやった。やはり、彼女は声だけで納得させるものがあるし、すでにマレイのカルテットとは20カ所ほどでショウをやっているため、重なりの様には余裕があった。マレイは基本バンドを指揮することに重きを置き、ソロは何曲かで取ったが、1980年代前半までのそれに比べればほとんど冗談みたいなものなので(それほど、昔のマレイはすべてにおいて、他の人とは異なる大地に立って、威風堂々自分をまっとうしていた)、それでいいと思う。彼の指揮の仕方は嬉々として派手で、それはアトラクティヴ。見ていて、楽しい。そののりで続けてという意志を管奏者たちに出す際、両手をくっつけて△マークを作り、頭の上に掲げるというサインの出し方をするときもあった。
最後の曲はまずメイシー・グレイがステージをおり、その後ビッグ・バンドの管楽器奏者たちは演奏しながら楽屋に帰っていくという設定。アンコールなしの本編はたっぷり100分。わーい。
<今日の、メイシー>
彼女は一度着替える。最初は黒基調、2度目は赤基調の格好。終盤は力づくの客扱いで、場内は総立ち、そしてコール&レスポンス。おお、いやはや。まさか、ジャズのビッグ・バンド公演で、そういう様が見られようとは。彼らは北海道の野外フェスに出たあと、ここに3日間出演し、名古屋公演を経て、フジ・ロック・フェスティヴァルに出演する。この内容(マレイの指揮の様も目を引くだろうし)で、メイシー・グレイ(ピンでごんごん人気を得ていた時期、ちょうど10年前のフジ・ロックのグリーン・ステージの単独出演者だったこともある。その直後の東京単独公演は、2003年7月28日)がこの晩のように観客に働きかければ、きっと苗場でも大受けすると思う。日本ツアー後、またカルテット仕様に戻り、両者は楽旅する。ただし、8月30日のデトロイト・ジャズ・フェスティヴァル(なんか、ビル・フリゼール〜2011年1月30日、他〜がジョン・レノン曲弾きプロジェクトをやったり、チャールズ・ロイド〜2013年1月6日、他〜と一緒にやったりと、大車輪みたい)は海外では唯一、ビッグ・バンドでのパフォーマンス。同市の財政破綻とジャス・フェスが関係ないようなのは、なにより。
このバルセロナをベースとする4人組ロック・バンドのことは全然知らなかった。ちょいネットでチェックしたら、いろんなタイプの曲をやっていて〜マヌ・チャオ(2010年10月4日、他)やカフェ・タクーバ(2007年11月3日)を思いださせるものも〜、いかにも洋楽を横目にスペイン人らしい凸凹も出した大衆ロック・バンドという所感を得た。ぼくが嫌うところの産業ロック臭を出している部分もなくはないような気もしたが、なんにせよ、やっぱり彼の地のスペイン語の今のバンドというだけで単純なぼくは興味をひかれてしまうな。あと、ぼくが大好きなイタリア人アーティストのジョヴァノッティ(2002年6月1日)ともやりとりを持ったことがあるようだ。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
初来日となるような彼らの今回の実演は、アコースティック傾向セットによるという。ようは、リード・ヴォーカリストの弾くギターがアコースティックであり、キーボード奏者はピアノを主に演奏。そのキーボード奏者はときにスティング・バンドにいたときの故ケニー・カークランドのピアノ・ソロ演奏を参照したような指さばきを見せるが、約3分の1では小学校の音楽の時間に先生が弾くような緩〜い演奏を聞かせ、それには少し閉口した。
ハーモニー・ヴォーカルも取るベーシストは女性。ドラマーは北欧っぽい見た目の人だが、けっこう存在感のある歌を聞かせるフロント・マンのパウ・ドネス(ときに、パーカッションを叩きながら、歌ったときも)を筆頭に、本当に東京でライヴができるのがうれしくてしょうがないという風情を出していて、ぼくもとてもいい心持ちを得る。MCはときにつかえつつ英語でやっていたが、「次は日本語でMCすることを約束するよ。近い時期にまた来るから」という心意気MCにはおっしゃ〜となる。とかいう部分はやはりマヌ・チャオ的? それとラテンぽい曲もあることはあるが、ジャジー・ボサ調のビートを介する曲も複数あった。
これが英語でやる英米バンドだったらどう感じたか……、それは考えるのをやめよう。とにかく、気持ちの濃さや態度のありかたや、スペイン語のエキゾ性など、ぼくはかなりくすぐられたし、次回があるなら、ぜひ見に行きたいと思った。
<今日の、きぶん>
ぼくにこの夏の人生をあきらめさせたほど(7月10日の本文外記載参照)バカ暑い日々が続いていたが、先週末ぐらいからだったか、それなりに涼しくなった。特に、夜はかなり過ごしやすいし、当分気温は低めであるという長期天気予報も出ている。こんなこともあるのかー。少し、生活に対する意欲を持ち直す。ほんと一時は投げやり、でした。そんなわけで、夏遊びに対する意欲もむくりと湧き、先週中頃にプチ夏休みを唐突にとっちゃう。そのかわり、土日は机に一心不乱に向かうことを強いられたが、そんなまさかの予定外の行為は今日あった参議院選挙結果に少しは絶望せずにいられるようにという、自己防衛本応が働いたからではなかったか。なーんてね。くさらず、前向きに前向きに。
初来日となるような彼らの今回の実演は、アコースティック傾向セットによるという。ようは、リード・ヴォーカリストの弾くギターがアコースティックであり、キーボード奏者はピアノを主に演奏。そのキーボード奏者はときにスティング・バンドにいたときの故ケニー・カークランドのピアノ・ソロ演奏を参照したような指さばきを見せるが、約3分の1では小学校の音楽の時間に先生が弾くような緩〜い演奏を聞かせ、それには少し閉口した。
ハーモニー・ヴォーカルも取るベーシストは女性。ドラマーは北欧っぽい見た目の人だが、けっこう存在感のある歌を聞かせるフロント・マンのパウ・ドネス(ときに、パーカッションを叩きながら、歌ったときも)を筆頭に、本当に東京でライヴができるのがうれしくてしょうがないという風情を出していて、ぼくもとてもいい心持ちを得る。MCはときにつかえつつ英語でやっていたが、「次は日本語でMCすることを約束するよ。近い時期にまた来るから」という心意気MCにはおっしゃ〜となる。とかいう部分はやはりマヌ・チャオ的? それとラテンぽい曲もあることはあるが、ジャジー・ボサ調のビートを介する曲も複数あった。
これが英語でやる英米バンドだったらどう感じたか……、それは考えるのをやめよう。とにかく、気持ちの濃さや態度のありかたや、スペイン語のエキゾ性など、ぼくはかなりくすぐられたし、次回があるなら、ぜひ見に行きたいと思った。
<今日の、きぶん>
ぼくにこの夏の人生をあきらめさせたほど(7月10日の本文外記載参照)バカ暑い日々が続いていたが、先週末ぐらいからだったか、それなりに涼しくなった。特に、夜はかなり過ごしやすいし、当分気温は低めであるという長期天気予報も出ている。こんなこともあるのかー。少し、生活に対する意欲を持ち直す。ほんと一時は投げやり、でした。そんなわけで、夏遊びに対する意欲もむくりと湧き、先週中頃にプチ夏休みを唐突にとっちゃう。そのかわり、土日は机に一心不乱に向かうことを強いられたが、そんなまさかの予定外の行為は今日あった参議院選挙結果に少しは絶望せずにいられるようにという、自己防衛本応が働いたからではなかったか。なーんてね。くさらず、前向きに前向きに。
キューバ生まれで現在はアルゼンチンで活動しているシンガー・ソングライター(2012年6月27日、他)の、今回の丸の内・コットンクラブ公演は入れ換えなしの2ショウ公演。1部はなんと、彼女のソロ・パフォーマンス。3種類のギターを扱いつつ(カホーンを叩きながらも歌ったっけ?)、真っすぐな、精気にも真心にもあふれた歌を聞かせる。なんか胸を張っているというか、しっかりとした歌心と気があって、なんか彼女には誰もかなわないとほのかに思わせられた? 当然のことながら、事情が許すなら、毎来日時みたいと思わせるられるな。
2部は、彼女の昨年公演にも同行したアルゼンチン人ベーシストのキケ・フェラーリ(6弦エレクトリック・ベースを主に、曲によってはコントラバスも弾く)と2人でパフォーマンス。冒頭曲はフェラーリのよく通る歌声がフィーチャーされる。2人だと色彩感もけっこう変わり、ジューサの実演回路のありかたも軽快になり(一方では、剛性感も増す)興味深い。これは、2部制の意義がおおいにあるナとも思った。
<今日の、来日公演宣伝>
ライヴ会場に行く前に、指定券を購入するためにJR有楽町駅に行ったら、駅の横で<ポール・マッカートニーの来日が決まりましたァ>と号外風に紙片を配っている。急いでいたので、わざわざ近寄りもらいはしなかったが、新聞社の名前は名乗っていなかったので新聞の号外ではないと思う。とうのはともかく、なるほど、マッカートニー公演の主要客層はおっさんか。なら、渋谷ではなく、有楽町で事件ですよおと宣伝物を配るのは分る。翌日の新聞朝刊社会面に小さな記事ではあったが、彼の来日決定が報じられていて驚く。
2部は、彼女の昨年公演にも同行したアルゼンチン人ベーシストのキケ・フェラーリ(6弦エレクトリック・ベースを主に、曲によってはコントラバスも弾く)と2人でパフォーマンス。冒頭曲はフェラーリのよく通る歌声がフィーチャーされる。2人だと色彩感もけっこう変わり、ジューサの実演回路のありかたも軽快になり(一方では、剛性感も増す)興味深い。これは、2部制の意義がおおいにあるナとも思った。
<今日の、来日公演宣伝>
ライヴ会場に行く前に、指定券を購入するためにJR有楽町駅に行ったら、駅の横で<ポール・マッカートニーの来日が決まりましたァ>と号外風に紙片を配っている。急いでいたので、わざわざ近寄りもらいはしなかったが、新聞社の名前は名乗っていなかったので新聞の号外ではないと思う。とうのはともかく、なるほど、マッカートニー公演の主要客層はおっさんか。なら、渋谷ではなく、有楽町で事件ですよおと宣伝物を配るのは分る。翌日の新聞朝刊社会面に小さな記事ではあったが、彼の来日決定が報じられていて驚く。
FREEDOMUNE <ZERO> 2013
2013年7月13日 音楽 新旧のフリー・ミュージック関連者(枠を取っ払おうとする担い手。と、書いたほうがいいのか)多数出る、無料フェスティヴァル。幕張メッセ、3つ分の区画を用いる。入場時の持ち込み荷物のチェックはなし。それは気持ちいい。行き帰りを知人の車に乗せてもらい、心置きなくお酒が飲めて楽しかった。普段、会わない人にもいろいろと会い(十中八九、ぼくのほうからは分らず話しかけられた)、イヴェントに来たゾという気持ちにもなったな。
会場に着いたのは、BOADOMES(2007年4月20日、他) presents 7×13 BOA DRUMが始まる少し前。一会場きっちり与えられていて、フロアにはドラム(91台か?)がたくさん。飲み物を買う列に並んでいるうちに演奏が始まり、演奏フロアと観客立ちスペースに高さの差があるわけではないので、演奏の様子はほぼ見えない。ちゃんと見えたなら、パフォーマンスとしてはかなり面白いな。俯瞰の映像をどこかに映してくれたならとも思うが、フリー・イヴェントに贅沢を言ってはいけないか。
その隣は、大々的にレクサス(トヨタの高級車ブランド)の名を前面に出した、DJが出演する広い会場。レクサスがスポンサーとうのいうのにはおおいに驚く。エッジィな音楽愛好者は将来のエグゼクティヴというマーケッティングは、さすがないだろう。その立派で広いステージに立つDJたちは、会場後方からはまさに米粒のごとく見える。どんなことをやっているのか、上か横から移すような映像をぼくは欲した。かつて知り合いに紹介されたことがあるKYOKAの出番はちゃんと見たが、いただいたCD の記憶と比すると、よりダンス・フロア対応になっていたかな。
その隣はZIMAの名前が大々的に冠された幕張武道館なる会場で、一応そこがメインのステージになるのか。大友良英(2011年6月8日、他)あまちゃんバンドや態度のUKパンク・バンドであるクラスの設立者であるペニー・リンボー(メンバーのイヴ・リヴァティーンも同行)のパフォーマンスなどはそこで見た。それから、上ので入り口フロアにはトークのスペースがあって、話題の参議院候補者である三宅洋平(2009年11月25日)の歌もちょい聞く。でも、その頃にはだいぶ酔っぱらっていたな。
<今日の、飲み物>
オフィシャルの飲み物はクアーズの日本法人がついていて、主販売飲料はそこが扱うジーマとコロナ。共に、ぼくの好みではない。主催者側の舵取りできる人に酒好きはいなかったのか。ま、取引条件が良かったのだろう。こういうとき、フリー・コンサートだと、まだあきらめがつく。そんなわけで、ぼくはラムのロックばかり飲んでいた(バーボンは売っていなかったような)わけだ。ちなみに、クアーズの米国本社は英国の大衆ビールであるカーリングも持っている。中村俊輔がいたセルティックの胸スポンサーはカーリングでしたね。カーリングはロンドンのコンビニでもトップ級に並んでおり、安価なわりには重めで、ここでカーリングを売ってくれたらなあとぼくは思わずにはいられなかった。
会場に着いたのは、BOADOMES(2007年4月20日、他) presents 7×13 BOA DRUMが始まる少し前。一会場きっちり与えられていて、フロアにはドラム(91台か?)がたくさん。飲み物を買う列に並んでいるうちに演奏が始まり、演奏フロアと観客立ちスペースに高さの差があるわけではないので、演奏の様子はほぼ見えない。ちゃんと見えたなら、パフォーマンスとしてはかなり面白いな。俯瞰の映像をどこかに映してくれたならとも思うが、フリー・イヴェントに贅沢を言ってはいけないか。
その隣は、大々的にレクサス(トヨタの高級車ブランド)の名を前面に出した、DJが出演する広い会場。レクサスがスポンサーとうのいうのにはおおいに驚く。エッジィな音楽愛好者は将来のエグゼクティヴというマーケッティングは、さすがないだろう。その立派で広いステージに立つDJたちは、会場後方からはまさに米粒のごとく見える。どんなことをやっているのか、上か横から移すような映像をぼくは欲した。かつて知り合いに紹介されたことがあるKYOKAの出番はちゃんと見たが、いただいたCD の記憶と比すると、よりダンス・フロア対応になっていたかな。
その隣はZIMAの名前が大々的に冠された幕張武道館なる会場で、一応そこがメインのステージになるのか。大友良英(2011年6月8日、他)あまちゃんバンドや態度のUKパンク・バンドであるクラスの設立者であるペニー・リンボー(メンバーのイヴ・リヴァティーンも同行)のパフォーマンスなどはそこで見た。それから、上ので入り口フロアにはトークのスペースがあって、話題の参議院候補者である三宅洋平(2009年11月25日)の歌もちょい聞く。でも、その頃にはだいぶ酔っぱらっていたな。
<今日の、飲み物>
オフィシャルの飲み物はクアーズの日本法人がついていて、主販売飲料はそこが扱うジーマとコロナ。共に、ぼくの好みではない。主催者側の舵取りできる人に酒好きはいなかったのか。ま、取引条件が良かったのだろう。こういうとき、フリー・コンサートだと、まだあきらめがつく。そんなわけで、ぼくはラムのロックばかり飲んでいた(バーボンは売っていなかったような)わけだ。ちなみに、クアーズの米国本社は英国の大衆ビールであるカーリングも持っている。中村俊輔がいたセルティックの胸スポンサーはカーリングでしたね。カーリングはロンドンのコンビニでもトップ級に並んでおり、安価なわりには重めで、ここでカーリングを売ってくれたらなあとぼくは思わずにはいられなかった。
マリーン。パブロ・シーグレル
2013年7月12日 音楽 最初に行ったのは、恵比寿・act*squareという会場。ガーデンプレイスの近くにあるバブルな感じを出している建物で、普段は多目的イヴェント会場として使われているようだ。場内は円形、この日はメイン・フロアの中央がスタンディングとなり、回りを椅子席が囲んでいる。
主役のヴェテラン歌手のマリーンの新作は、人気ディスコ歌手のドナ・サマー絡みの曲(当然、彼女を売り出したジョルジオ・モロダー〜2013年5月28日〜曲なんだろうな)を取り上げたもので、それにならい往年のディスコティックを模した設定で、新作曲披露の場を持とうとしたよう。新作プロデューサーのクリヤ・マコト他を中心に5人のミュージシャンやバックグラウンド・ヴォーカリストがプリセット音併用のもとサポートするなか、本人は歌う。
まず思ったのは、ちゃんと若々しさ、初々しさを保っているナということ。無理なく身体の線が出るドレスを見にまとい、客とちゃんとコミュニケーションをするという気概を横溢させながら、ちゃらい曲を歌って行く。喉に負担がかかりそうな歌い方をする歌手というイメージをぼくは持っていたが、生で触れると何気にちゃんと声量もあるのだな。そういえば、ぼくは彼女の実演には今回初めて触れるのだと思う。
かなり卑猥な内容の「ホット・スタッフ」から、街に立つ女性やストリッパーのことを歌った「バッド・ガール」なども取り上げるが、それも、生理的に背筋の伸びたマリーンの個体を介して出てくると、自立系女性歌手の純な歌として聞こえてくるような。やはり、歌手の個性ってある。
そして、南青山・ブルーノート東京に移り、アストラ・ピアソラの後期バンドに10年強在籍したアルゼンチン人ピアニスト、パブロ・シーグレルの公演を見る。昨年公演(2012年11月21日)は日本人奏者がサポートしていたが、今回はニューヨーク・カルテットという名前のグループでパフォーマンス。その名前はNYで結成された故のようだが、参加アーティストの名前は皆ラテン系のそれを持つ人たちで、彼らはNYのアルゼンチン人なのだろうか? 黒のスーツ基調で固めた面々、なかなか風情あり。とくに白髪の感じもハマるシーグレルとギター奏者のクラウディオ・ラガッシはそう。一番若そうなコントラバス奏者のペドロ・ジラウドはFC東京監督のランコ・ポポヴィッチに似ている。ひゃひゃ。
で、一堂に音を出すと、おおお現代タンゴじゃとこっくり。ダンディで、生理的に重厚。これぞぼくのような聞き手が欲するアルゼンチン・タンゴなるものだよなともなんとなく思わせる、何かがぐわんとある。かつ、異文化の美味しいデコボコに触れているとも感じさせる。そして、これはある程度、ライヴにおいては、齢を重ねた人が出て来てやったほうがありがた味がでるタイプの音楽である、とも痛感。
曲はシーグレルのオリジナルが中心で、ピアソラ曲も少し。癖あるメロディ感覚やアクセントを基本のプロットとし、4人の奏者が手癖を思うまま重ねて行くような、アンサンブルの妙をたっぷり抱えた演奏は一部では即興性も持ち、ブラジリアン・ジャズという言い方があるのなら、アルゼンチーナ・チャズという言い方があってもいいかもとも思えたか。ギター奏者は完全にジャズ・マナーを多大に通った演奏をしていた。
<今日の、ほっこり>
渋谷駅から、タワー・レコードの黄色い袋を持ったご老人が乗ってくる。カジュアルな格好をしていて、おそらく仕事はリタイアしていると思われる。奇麗に髪を刈っている彼、ニコニコしながら、大切そうにCD袋をかかえている。音楽好きの余生に幸あれ。なんか、いい光景に触れたな。
主役のヴェテラン歌手のマリーンの新作は、人気ディスコ歌手のドナ・サマー絡みの曲(当然、彼女を売り出したジョルジオ・モロダー〜2013年5月28日〜曲なんだろうな)を取り上げたもので、それにならい往年のディスコティックを模した設定で、新作曲披露の場を持とうとしたよう。新作プロデューサーのクリヤ・マコト他を中心に5人のミュージシャンやバックグラウンド・ヴォーカリストがプリセット音併用のもとサポートするなか、本人は歌う。
まず思ったのは、ちゃんと若々しさ、初々しさを保っているナということ。無理なく身体の線が出るドレスを見にまとい、客とちゃんとコミュニケーションをするという気概を横溢させながら、ちゃらい曲を歌って行く。喉に負担がかかりそうな歌い方をする歌手というイメージをぼくは持っていたが、生で触れると何気にちゃんと声量もあるのだな。そういえば、ぼくは彼女の実演には今回初めて触れるのだと思う。
かなり卑猥な内容の「ホット・スタッフ」から、街に立つ女性やストリッパーのことを歌った「バッド・ガール」なども取り上げるが、それも、生理的に背筋の伸びたマリーンの個体を介して出てくると、自立系女性歌手の純な歌として聞こえてくるような。やはり、歌手の個性ってある。
そして、南青山・ブルーノート東京に移り、アストラ・ピアソラの後期バンドに10年強在籍したアルゼンチン人ピアニスト、パブロ・シーグレルの公演を見る。昨年公演(2012年11月21日)は日本人奏者がサポートしていたが、今回はニューヨーク・カルテットという名前のグループでパフォーマンス。その名前はNYで結成された故のようだが、参加アーティストの名前は皆ラテン系のそれを持つ人たちで、彼らはNYのアルゼンチン人なのだろうか? 黒のスーツ基調で固めた面々、なかなか風情あり。とくに白髪の感じもハマるシーグレルとギター奏者のクラウディオ・ラガッシはそう。一番若そうなコントラバス奏者のペドロ・ジラウドはFC東京監督のランコ・ポポヴィッチに似ている。ひゃひゃ。
で、一堂に音を出すと、おおお現代タンゴじゃとこっくり。ダンディで、生理的に重厚。これぞぼくのような聞き手が欲するアルゼンチン・タンゴなるものだよなともなんとなく思わせる、何かがぐわんとある。かつ、異文化の美味しいデコボコに触れているとも感じさせる。そして、これはある程度、ライヴにおいては、齢を重ねた人が出て来てやったほうがありがた味がでるタイプの音楽である、とも痛感。
曲はシーグレルのオリジナルが中心で、ピアソラ曲も少し。癖あるメロディ感覚やアクセントを基本のプロットとし、4人の奏者が手癖を思うまま重ねて行くような、アンサンブルの妙をたっぷり抱えた演奏は一部では即興性も持ち、ブラジリアン・ジャズという言い方があるのなら、アルゼンチーナ・チャズという言い方があってもいいかもとも思えたか。ギター奏者は完全にジャズ・マナーを多大に通った演奏をしていた。
<今日の、ほっこり>
渋谷駅から、タワー・レコードの黄色い袋を持ったご老人が乗ってくる。カジュアルな格好をしていて、おそらく仕事はリタイアしていると思われる。奇麗に髪を刈っている彼、ニコニコしながら、大切そうにCD袋をかかえている。音楽好きの余生に幸あれ。なんか、いい光景に触れたな。
MINASWING。渡辺貞夫
2013年7月10日 音楽 2つの公演で、5人のブラジル人の実演に触れる。青山・プラッサオンゼと南青山・ブルーノート東京。
ミナス(・ジェライス)とスウィングの造語だろう言葉をバンド名におくMINASWINGは、ヴォーカルとギターのブラジル人シルヴィオ・アナスタシオ、リード(アルト・サックス、ソプラノ・サックス、フルート)と主MC(日本語による)担当のスティーヴ・サックス、キーボードの二村希一、電気ベースのコモブチキイチロウ、打楽器の服部正美、ドラムの山口新語という布陣。ミナス味を含む。広がりあるブラジリアン・フュージョンを聞かせる。少し、女性トロンボーン奏者が入ったりもした。達者な吹き味を見せるサックスだが、彼とはちょうど四半世紀前にNYのブラジル料理屋で一緒にご飯を食べたことがあったのを思い出す。彼のリーダー作を出したレコード会社のA&Rが間に入ったと記憶するが、そのときから彼は日本が話せたよな?
そして、渡辺貞夫のショウは彼のリオデジャネイロ録音の新作『オウトラ・ヴェス ふたたび』で参加していた、ブラジル人ミュージシャンたちを呼んでのもの。若い長身のウッド・ベース奏者は今回のライヴで新たに加わった。すうっとスウィートで、随所に目映さや飛翔感を持つフラジリアン・ジャズを披露。通常のドラム演奏と打楽器群演奏を一人でこなしちゃうようなセルソ・ヂ・アルメイダのドラミングは何気にすごかった。
<今日の、境地>
昼下がりに電車に乗ったら、寝ている人比率が高い。ははは(力のない笑い)。今月頭の梅雨明けとともに猛暑が続いていて、皆もう疲れているんだろうなー。ぼくはといえば、この夏の人生なかばあきらめた、という感じぃ? 仕事だけ淡々とこなして、あとは何も新たなことは求めない。秋まではなんの展望もな〜い。てな、とっても消極的な気持ちになっている。この夏は、ずっと死んだフリ。そんな気持ちになると、暑さもそれほど気にはならない?
ミナス(・ジェライス)とスウィングの造語だろう言葉をバンド名におくMINASWINGは、ヴォーカルとギターのブラジル人シルヴィオ・アナスタシオ、リード(アルト・サックス、ソプラノ・サックス、フルート)と主MC(日本語による)担当のスティーヴ・サックス、キーボードの二村希一、電気ベースのコモブチキイチロウ、打楽器の服部正美、ドラムの山口新語という布陣。ミナス味を含む。広がりあるブラジリアン・フュージョンを聞かせる。少し、女性トロンボーン奏者が入ったりもした。達者な吹き味を見せるサックスだが、彼とはちょうど四半世紀前にNYのブラジル料理屋で一緒にご飯を食べたことがあったのを思い出す。彼のリーダー作を出したレコード会社のA&Rが間に入ったと記憶するが、そのときから彼は日本が話せたよな?
そして、渡辺貞夫のショウは彼のリオデジャネイロ録音の新作『オウトラ・ヴェス ふたたび』で参加していた、ブラジル人ミュージシャンたちを呼んでのもの。若い長身のウッド・ベース奏者は今回のライヴで新たに加わった。すうっとスウィートで、随所に目映さや飛翔感を持つフラジリアン・ジャズを披露。通常のドラム演奏と打楽器群演奏を一人でこなしちゃうようなセルソ・ヂ・アルメイダのドラミングは何気にすごかった。
<今日の、境地>
昼下がりに電車に乗ったら、寝ている人比率が高い。ははは(力のない笑い)。今月頭の梅雨明けとともに猛暑が続いていて、皆もう疲れているんだろうなー。ぼくはといえば、この夏の人生なかばあきらめた、という感じぃ? 仕事だけ淡々とこなして、あとは何も新たなことは求めない。秋まではなんの展望もな〜い。てな、とっても消極的な気持ちになっている。この夏は、ずっと死んだフリ。そんな気持ちになると、暑さもそれほど気にはならない?
ザ・ピー・ウィー・エリス・ファンク・アセンブリー。エミ・マイヤー
2013年7月4日 音楽 ザ・JBズやP−ファンクで鳴らした、テナー・サックス奏者(2012年4月9日、他)、1年強ぶりの自己グループによる来日だ。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。去年の夏も同様であったが、今年もここではこのシーズン、開演前のホワイエでウェルカム・ドリンク(フローズン・モヒート)と簡単な食べ物(チーズがトッピングされたカナッペ)をサーヴィス。時節柄、そのフローズン・モヒートが滅茶おいしい。
前回の来日公演と比べると、トランペット奏者がいなくなってワン・ホーンであたるとともに、シンガー(フレッド・ロス)とギタリスト(レイ・オビエド)以外は顔ぶれが変わっている。継続して参加しているのは米国人だが、新規のキーボード奏者とベース奏者とドラマーは英国人。うち、ドラマーのマーク・モンデザイアーはコートニ・パイン(2012年12月17日、他)が一番ブリブリいっていた1990年前後のレコーディング/ライヴに関わっていた辣腕ドラマーで、今世紀に入ってはマイク・ギブスやジョン・マクラフリン(2005年1月31日)ら英国人ビッグ・ネームが彼を使っていたりもする。
エリスの2011年作は英国勢がごっそり入ったアルバムだったが、実は英国に住んでいるのだとか。そして、奥さんも英国人で、マネージメントも英国でやっているらしい。蛇足だが、メイシオ・パーカーもマネージメントはずっと英国の会社がやっている。ということなら、その新作の参加者や今回のメンバー構成も納得がいくし、昨年のジンジャー・ベイカー公演(2012年11月21日)に彼がメンバー同行したのも英国在住とつながったものなのだろう。エリスはかつてオマール・ソーサ(2010年8月3日、他)の来日公演にも同行したこと(2005年9月24日)があったが、そのときはどこにすんでいたのか?
ジャズともファンクとも言いがたい、というか、その両方にかぶらんとするインストゥメンタル曲群と、ヴォーカリストが加わる陽性な気分が倍加する曲群(ビル・ウィザース「ユーズ・ミー」やスティーヴィー・ワンダー「ブギー・オン・レゲエ・ウーマン」、ジェイムス・ブラウン「コールド・スエット」などをやった)の2方向で進むのは、前回公演と同じ。その2つ、少しテイストが乖離しがち、とは思う。前回よりもエリスが歌う場面は多かかったかもしれず、また客とのコール&レスポンスをいろいろ今回は求めた。エリス最大の有名曲、ザ・JBズ時代の「チキン」はこのショウではやらなかった。
そして、エミ・マイヤー(2012年10月16日、他)の公演に回る。渋谷・O-East。彼女の新作タイトル『ギャラクシーズ・スカート』の“銀河”のイメージを引っ張って来たような、多数のミラー・ボールや輝く球体がいろんなところに配置されたステージが奇麗。それが、キラキラ光るものをところどころに抱えた、円満な情緒があふれるパフォーマンスに合っている。それから、ここのステージは広いのだなとも再認識。キーボード、ギター、エレクトリック・ベース(少し、アコースティックも弾く)、ドラムというサポート員で、一部は前座として弾き語りパフォーマンスを披露したというデイヴ・リアンというアジア系の青年がピアノで加わる。とうぜん、彼女はピアノを弾かず、前に出てきて歌う曲が多くなりますね。
<今日の、ドラマ>
地上波のTV放送がわが家では映らないので、何かと話題の「あまちゃん」を見たことがない。まあ地上波放送を見ることができていたときでも、朝の連続テレビ小説(文字にすると、なかなかすごいネーミング)と大河ドラマは一度も見たことはないのだが。でも、音楽担当者はなにかとライヴに触れてきている人ではあるし、ちょっと見たい欲求も覚えなくもなあい……。あ、そういえば、「タイガー&ドラゴン」は好きで、あれを見て、僕は初めて落語に興味を持ち、機会があれば一度ぐらい真似事をやってみたあいと思ったのだよな。でも、正座が超苦手なぼくには無理ムリなんだが。
前回の来日公演と比べると、トランペット奏者がいなくなってワン・ホーンであたるとともに、シンガー(フレッド・ロス)とギタリスト(レイ・オビエド)以外は顔ぶれが変わっている。継続して参加しているのは米国人だが、新規のキーボード奏者とベース奏者とドラマーは英国人。うち、ドラマーのマーク・モンデザイアーはコートニ・パイン(2012年12月17日、他)が一番ブリブリいっていた1990年前後のレコーディング/ライヴに関わっていた辣腕ドラマーで、今世紀に入ってはマイク・ギブスやジョン・マクラフリン(2005年1月31日)ら英国人ビッグ・ネームが彼を使っていたりもする。
エリスの2011年作は英国勢がごっそり入ったアルバムだったが、実は英国に住んでいるのだとか。そして、奥さんも英国人で、マネージメントも英国でやっているらしい。蛇足だが、メイシオ・パーカーもマネージメントはずっと英国の会社がやっている。ということなら、その新作の参加者や今回のメンバー構成も納得がいくし、昨年のジンジャー・ベイカー公演(2012年11月21日)に彼がメンバー同行したのも英国在住とつながったものなのだろう。エリスはかつてオマール・ソーサ(2010年8月3日、他)の来日公演にも同行したこと(2005年9月24日)があったが、そのときはどこにすんでいたのか?
ジャズともファンクとも言いがたい、というか、その両方にかぶらんとするインストゥメンタル曲群と、ヴォーカリストが加わる陽性な気分が倍加する曲群(ビル・ウィザース「ユーズ・ミー」やスティーヴィー・ワンダー「ブギー・オン・レゲエ・ウーマン」、ジェイムス・ブラウン「コールド・スエット」などをやった)の2方向で進むのは、前回公演と同じ。その2つ、少しテイストが乖離しがち、とは思う。前回よりもエリスが歌う場面は多かかったかもしれず、また客とのコール&レスポンスをいろいろ今回は求めた。エリス最大の有名曲、ザ・JBズ時代の「チキン」はこのショウではやらなかった。
そして、エミ・マイヤー(2012年10月16日、他)の公演に回る。渋谷・O-East。彼女の新作タイトル『ギャラクシーズ・スカート』の“銀河”のイメージを引っ張って来たような、多数のミラー・ボールや輝く球体がいろんなところに配置されたステージが奇麗。それが、キラキラ光るものをところどころに抱えた、円満な情緒があふれるパフォーマンスに合っている。それから、ここのステージは広いのだなとも再認識。キーボード、ギター、エレクトリック・ベース(少し、アコースティックも弾く)、ドラムというサポート員で、一部は前座として弾き語りパフォーマンスを披露したというデイヴ・リアンというアジア系の青年がピアノで加わる。とうぜん、彼女はピアノを弾かず、前に出てきて歌う曲が多くなりますね。
<今日の、ドラマ>
地上波のTV放送がわが家では映らないので、何かと話題の「あまちゃん」を見たことがない。まあ地上波放送を見ることができていたときでも、朝の連続テレビ小説(文字にすると、なかなかすごいネーミング)と大河ドラマは一度も見たことはないのだが。でも、音楽担当者はなにかとライヴに触れてきている人ではあるし、ちょっと見たい欲求も覚えなくもなあい……。あ、そういえば、「タイガー&ドラゴン」は好きで、あれを見て、僕は初めて落語に興味を持ち、機会があれば一度ぐらい真似事をやってみたあいと思ったのだよな。でも、正座が超苦手なぼくには無理ムリなんだが。
アクアピット。パット・マルティーノ
2013年7月1日 音楽 オルガン・トリオ編成の公演を2つ、見る。丸の内・コットンクラブ と南青山・ブルーノート東京が会場。1つ目のほうのリーダーはオルガン奏者で日本人トリオ、2番目はギタリストで米国人トリオ。ともに、オルガン奏者はフット・ベースを扱っていた。
先に見たアクアピットは、オルガンの金子雄太(2007年5月21日、他)、ギターの小沼ようすけ(2011年7月25日他)、ドラムの大槻“KALTA”英宣(2010年11月26日、他)という編成。途中で6年間の休止期間を挟むものの、1999年からこの顔ぶれでやっているという。一方、ジャズ・ギター・ヒーローという言い方もアリだろうマルティーノ(2011年11月2日)のほうは、パット・ビアンキ(ギター)とカーメン・イントーレ(ドラム)という布陣。前回の来日時とはドラマーが異なるが、本当にマルティーノはオルガン付き編成が好きだな。
ベース音兼任のオルガン、ギター、ドラムというトリオ編成はジャズ表現としては定番であるが、やはり両者の持ち味は違う。それは構成員の個性の噛み合いや相乗でそうなる部分もあるだろうし、個のある表現を作ろうと腐心している部分もあるだろう。とくに、いろいろな曲種に書き分けたオリジナル曲をやるアクアピットのほうはそう感じる。<ちゃんと基本を押さえた上で、我々のオルガン表現を標榜したい>という気持ちを感じた、かな。ただし、邦楽ノリと言いたくなる、彼らのちんたらしたおしゃべりMCには閉口。←でも、松木安太郎のダメ駄目サッカーTV解説を好む人が少なくないように、それに接して、ライヴに触れていると実感する人もいるのだろう。でも、洋楽ライヴに親しんできたぼくはMC過多が苦手だ。
一方の米国人トリオのほうは、マルティーノを完全にトライアングルの頂点に置き、彼の個、スピード感ある演奏を前面に出すことを第一義としている。ウェス・モンゴメリー曲(3曲やったか)も、セロニアス・モンク曲も、マイルス・デイヴィス曲も、自作もみんな彼のフラッシィな弦裁きに収束する。なるほど、そうした流麗ながらも刺を持つギター音を明快に浮き上がらせるためには、音の輪郭のはっきりした楽器より、オルガンを用いるほうがうまく行くよナとも、実演に触れながら思う。会場にはマルティーノの熱心なファンが集まっていたようで、ショウが終わった際には7割ほどの客が立って拍手した。
<今日の、にんまり>
関西のバンド、たこさん の9月初旬売りの白盤が唐突に届く。前からライヴを1度見てみたいと思っていたバンドで(2009年のフジ・ロックでニアミスしたことはあったんだけど)、うれちい。おお、5作目となるのか。JB、スタックス、ニューオーリンズ・ファンク、P-ファンクなどの、黄金表現のハマった日本語による翻訳表現。ゴスペルやブルースのハハハな咀嚼もあり。女湯ネタの「ON A BLOW」をはじめ、トホホな馬鹿バカしさはこの手のバンドの基本姿勢にして美点。聞いていて、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(2007年6月5日、他)も昔は全裸ちんちんにソックスかぶせてステージに上がっていたことを思い出す。アンソニー・キーディスたち、かけだしのころ、ストリップ・クラブでライヴすることがあって、それがうれしくてしょうがなかったんだよな。あ、それから、S-KENが送り出すという女性ファンク・インスト・バンドのビッグバンブーンもちょい気になる。
先に見たアクアピットは、オルガンの金子雄太(2007年5月21日、他)、ギターの小沼ようすけ(2011年7月25日他)、ドラムの大槻“KALTA”英宣(2010年11月26日、他)という編成。途中で6年間の休止期間を挟むものの、1999年からこの顔ぶれでやっているという。一方、ジャズ・ギター・ヒーローという言い方もアリだろうマルティーノ(2011年11月2日)のほうは、パット・ビアンキ(ギター)とカーメン・イントーレ(ドラム)という布陣。前回の来日時とはドラマーが異なるが、本当にマルティーノはオルガン付き編成が好きだな。
ベース音兼任のオルガン、ギター、ドラムというトリオ編成はジャズ表現としては定番であるが、やはり両者の持ち味は違う。それは構成員の個性の噛み合いや相乗でそうなる部分もあるだろうし、個のある表現を作ろうと腐心している部分もあるだろう。とくに、いろいろな曲種に書き分けたオリジナル曲をやるアクアピットのほうはそう感じる。<ちゃんと基本を押さえた上で、我々のオルガン表現を標榜したい>という気持ちを感じた、かな。ただし、邦楽ノリと言いたくなる、彼らのちんたらしたおしゃべりMCには閉口。←でも、松木安太郎のダメ駄目サッカーTV解説を好む人が少なくないように、それに接して、ライヴに触れていると実感する人もいるのだろう。でも、洋楽ライヴに親しんできたぼくはMC過多が苦手だ。
一方の米国人トリオのほうは、マルティーノを完全にトライアングルの頂点に置き、彼の個、スピード感ある演奏を前面に出すことを第一義としている。ウェス・モンゴメリー曲(3曲やったか)も、セロニアス・モンク曲も、マイルス・デイヴィス曲も、自作もみんな彼のフラッシィな弦裁きに収束する。なるほど、そうした流麗ながらも刺を持つギター音を明快に浮き上がらせるためには、音の輪郭のはっきりした楽器より、オルガンを用いるほうがうまく行くよナとも、実演に触れながら思う。会場にはマルティーノの熱心なファンが集まっていたようで、ショウが終わった際には7割ほどの客が立って拍手した。
<今日の、にんまり>
関西のバンド、たこさん の9月初旬売りの白盤が唐突に届く。前からライヴを1度見てみたいと思っていたバンドで(2009年のフジ・ロックでニアミスしたことはあったんだけど)、うれちい。おお、5作目となるのか。JB、スタックス、ニューオーリンズ・ファンク、P-ファンクなどの、黄金表現のハマった日本語による翻訳表現。ゴスペルやブルースのハハハな咀嚼もあり。女湯ネタの「ON A BLOW」をはじめ、トホホな馬鹿バカしさはこの手のバンドの基本姿勢にして美点。聞いていて、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(2007年6月5日、他)も昔は全裸ちんちんにソックスかぶせてステージに上がっていたことを思い出す。アンソニー・キーディスたち、かけだしのころ、ストリップ・クラブでライヴすることがあって、それがうれしくてしょうがなかったんだよな。あ、それから、S-KENが送り出すという女性ファンク・インスト・バンドのビッグバンブーンもちょい気になる。
昔から洒脱なアダルトなジャジー・ポップとして一部のロック・ファンからも評価の高い(ぼくは、ホーギー・カーマイケルやマット・デニスなどとともに、粋な米国ポップとして聞いていた)、ジャズ側に属するシンガー/ピアニストがボブ・ドロウ。現在89歳、当初セカンド・ショウを見ようと思っていたが、高齢ゆえファーストを見たほうが(疲れがでることなく)いいかもしれぬと思い直し、ファースト・ショウを見る。下に記すようにちゃんとした業績を持つ人物ながら(印税もちゃんと入って来ているだろう)、今回が初来日という事実には驚く。
1923年南部アーカンソー州生まれ、兵役を経てノース・テキサス大学で音楽を学び(同大学の音楽教育は高水準であることで、知られる。彼の時代もそうだったのだろうか?)、その後、ショウービズの世界で音楽統括門者として才を発揮するようになるピアニスト、作曲家。そして、彼が世に出た時代はジャズがメインストリームであり、彼もジャズに負った持ち味を存分に持っていたために、彼のリーダーとしてのヴォーカル付きの表現(初アルバムは、ベツレヘム1956年発の『デヴィル・メイ・ケア』)はジャズ・ヴォーカルとして括られてきたわけだ。実はそのデビュー作は他人曲の比率が高いのだが、彼のヒップな曲群はクインシー・ジョーンズやブロッサム・ディアリーからブッカー・T&ザ・MGズまでいろんな人が取り上げているし、シンガーとしてもアート・ガーファンクルやジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日、他)のザ・ネイキッド・シティのアルバムに呼ばれていたりする。それから、マイルス・デイヴィスとの関わりも有名で、ドロウが自作曲を歌うデイヴィスとの1962年レコーディング曲(アレンジはギル・エヴァンス)が唐突にデイヴィスの1967年作『ソーサラー』に入れられたこともあった。それから、彼が作った九九かけ算もじり曲「スリー・イズ・ザ・マジック・ナンバー」は米ABCの子供向け著名番組「スクールハウス・ロック」に1970年代中期から10年強使われ、米国人なら誰でも知っている曲となっている。
ギタリストとウッド・ベーシストを従えてのパフォーマンス。さらりと(もったいぶることなく)ステージに出て来た彼は、おお若々しい。歩行も普通で背中もまがっていないし、顔にもめっぽう輝きがある。そして、なんか好奇心一杯に楽しんでいる感じが溢れ出ていて、チャーミングと言いたくなるその様だけで接する者に正の気持ちを与えるだろう。そして、彼は奔放に指を鍵盤にはわせ、思うまま肉声を弾ませる。臨機応援、ニコニコしなやか。それは生理的に弾けていて、ポップ。そんな彼一流の持ち味を十全に押し出す実演に触れれば誰だって、いいモノを聞かせてもらっているという気持ちになれるのではないか。うーぬ、これぞ、映えある米国の都会型表現の昔ながらの粋の一つのパターンじゃと、頷かせるところもあったな。
実は彼、今世紀に入ってから(過去よりも)続々リーダー作を出していたりもするのだが、その事実にも納得。同様の米国芸能の妙味を出せる人が少なくなっており、なのにドロウは衰えていないんだもの。あ、それから、ベン・シドラン(2010年7月28日、他)のほのかな黒っぽさや音痴っぽいところはモーズ・アリソン(2012年5月25日)のほうに近いが、歌い方自体はドロウの影響のほうが強いのではないか。実演に触れ、そうぼくは思った。
本来、音楽と年齢は離して評価するべきという人もいるかもしれない。20歳だろうと、40歳だろうと、70歳だろうと、いい音楽は良い。だが、年をとってもまったく、旬の感覚を失わず、今を謳歌しているように彼が見えるところにも、ぼくは心動かされた。いや、彼が89歳というのはほんと何かの間違いではないのか。彼はもしかして、ぼくが知るなかで一番若い89歳か。なんでも、セカンド・ショウも思うままパフォーマンス、まったく異なる曲を披露したらしい。
公演後に流れた先で、事情通から、彼の来日公演がなかなか実現しなかった一つの理由は、彼がプロモーターや代理人を通さず、自分でブッキングをしているためであったからという話を聞いた。なるほど、彼とブルーノート東京のスタッフとは直でEメールのやりとりをしているという話も、すんなりつながる。
<今日の、ルネッサンス>
ライヴ前、上野・東京都美術館で、<レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像>を見る。6月一杯の出し物ゆえ、けっこう混んでいた。待つことが駄目なせっかちなぼくは、けっこう飛ばし気味に見てしまう。そうしちゃったのは、美術館入りする前に、鰻を食べつつ、冷酒を飲んじゃったせいもあるか。ダ・ヴィンチの絵画は<音楽家としての肖像>1点、くわえて彼の幅広い才を直裁に伝える細かい素描(メモ)書きを22葉用意。とともに、その前後の同系列にある作者のプロダクツもたくさん展示し、ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)が生きた時代の前後の流れを明晰に紹介しようとする。ありゃと思ったのは、けっこうポップな絵面とも少し思わせる作者不詳の<洗礼者聖ヨハネ>という絵で、ヨハネさんがこれみよがしに人差し指を立てていたこと。そしたら、同時代(1520年代)に描かれたベルナルディーノ・ルイーニ<聖家族と洗礼者聖ヨハネ>という絵でも女性の指が同様に描かれている。意味、あるのだろうな。
しかし、とても奇麗に修復がなされたそれら展示品が今から500年前ものものである事実には驚愕せざるを得ない。よくぞ残っているなーと、コドモみたいな感想が頭に渦巻く。複製じゃねえの、という思いもほんの少し。その後、軽く上野公園をふらついた(こちらも、人がたくさんいたなあ)が、ここの原型となるものの都市計画が最初なされた江戸時代はどんな感じであったのかとか、ふむ鰻を食べるようになったのも江戸の頃であったのだとなとか、普段は考えもしない“時の流れ”についていろいろ思いをめぐらしちゃう。なんか、ささやかに楽しい。帰りに乗った地下鉄銀座線も下町に最初開通したのは昭和初期だよなあとか、疑似タイムマシーン思考をしたりして。そして、戦後も当分はまだまだ田舎だったと言われる青山に向かう。
1923年南部アーカンソー州生まれ、兵役を経てノース・テキサス大学で音楽を学び(同大学の音楽教育は高水準であることで、知られる。彼の時代もそうだったのだろうか?)、その後、ショウービズの世界で音楽統括門者として才を発揮するようになるピアニスト、作曲家。そして、彼が世に出た時代はジャズがメインストリームであり、彼もジャズに負った持ち味を存分に持っていたために、彼のリーダーとしてのヴォーカル付きの表現(初アルバムは、ベツレヘム1956年発の『デヴィル・メイ・ケア』)はジャズ・ヴォーカルとして括られてきたわけだ。実はそのデビュー作は他人曲の比率が高いのだが、彼のヒップな曲群はクインシー・ジョーンズやブロッサム・ディアリーからブッカー・T&ザ・MGズまでいろんな人が取り上げているし、シンガーとしてもアート・ガーファンクルやジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日、他)のザ・ネイキッド・シティのアルバムに呼ばれていたりする。それから、マイルス・デイヴィスとの関わりも有名で、ドロウが自作曲を歌うデイヴィスとの1962年レコーディング曲(アレンジはギル・エヴァンス)が唐突にデイヴィスの1967年作『ソーサラー』に入れられたこともあった。それから、彼が作った九九かけ算もじり曲「スリー・イズ・ザ・マジック・ナンバー」は米ABCの子供向け著名番組「スクールハウス・ロック」に1970年代中期から10年強使われ、米国人なら誰でも知っている曲となっている。
ギタリストとウッド・ベーシストを従えてのパフォーマンス。さらりと(もったいぶることなく)ステージに出て来た彼は、おお若々しい。歩行も普通で背中もまがっていないし、顔にもめっぽう輝きがある。そして、なんか好奇心一杯に楽しんでいる感じが溢れ出ていて、チャーミングと言いたくなるその様だけで接する者に正の気持ちを与えるだろう。そして、彼は奔放に指を鍵盤にはわせ、思うまま肉声を弾ませる。臨機応援、ニコニコしなやか。それは生理的に弾けていて、ポップ。そんな彼一流の持ち味を十全に押し出す実演に触れれば誰だって、いいモノを聞かせてもらっているという気持ちになれるのではないか。うーぬ、これぞ、映えある米国の都会型表現の昔ながらの粋の一つのパターンじゃと、頷かせるところもあったな。
実は彼、今世紀に入ってから(過去よりも)続々リーダー作を出していたりもするのだが、その事実にも納得。同様の米国芸能の妙味を出せる人が少なくなっており、なのにドロウは衰えていないんだもの。あ、それから、ベン・シドラン(2010年7月28日、他)のほのかな黒っぽさや音痴っぽいところはモーズ・アリソン(2012年5月25日)のほうに近いが、歌い方自体はドロウの影響のほうが強いのではないか。実演に触れ、そうぼくは思った。
本来、音楽と年齢は離して評価するべきという人もいるかもしれない。20歳だろうと、40歳だろうと、70歳だろうと、いい音楽は良い。だが、年をとってもまったく、旬の感覚を失わず、今を謳歌しているように彼が見えるところにも、ぼくは心動かされた。いや、彼が89歳というのはほんと何かの間違いではないのか。彼はもしかして、ぼくが知るなかで一番若い89歳か。なんでも、セカンド・ショウも思うままパフォーマンス、まったく異なる曲を披露したらしい。
公演後に流れた先で、事情通から、彼の来日公演がなかなか実現しなかった一つの理由は、彼がプロモーターや代理人を通さず、自分でブッキングをしているためであったからという話を聞いた。なるほど、彼とブルーノート東京のスタッフとは直でEメールのやりとりをしているという話も、すんなりつながる。
<今日の、ルネッサンス>
ライヴ前、上野・東京都美術館で、<レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像>を見る。6月一杯の出し物ゆえ、けっこう混んでいた。待つことが駄目なせっかちなぼくは、けっこう飛ばし気味に見てしまう。そうしちゃったのは、美術館入りする前に、鰻を食べつつ、冷酒を飲んじゃったせいもあるか。ダ・ヴィンチの絵画は<音楽家としての肖像>1点、くわえて彼の幅広い才を直裁に伝える細かい素描(メモ)書きを22葉用意。とともに、その前後の同系列にある作者のプロダクツもたくさん展示し、ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)が生きた時代の前後の流れを明晰に紹介しようとする。ありゃと思ったのは、けっこうポップな絵面とも少し思わせる作者不詳の<洗礼者聖ヨハネ>という絵で、ヨハネさんがこれみよがしに人差し指を立てていたこと。そしたら、同時代(1520年代)に描かれたベルナルディーノ・ルイーニ<聖家族と洗礼者聖ヨハネ>という絵でも女性の指が同様に描かれている。意味、あるのだろうな。
しかし、とても奇麗に修復がなされたそれら展示品が今から500年前ものものである事実には驚愕せざるを得ない。よくぞ残っているなーと、コドモみたいな感想が頭に渦巻く。複製じゃねえの、という思いもほんの少し。その後、軽く上野公園をふらついた(こちらも、人がたくさんいたなあ)が、ここの原型となるものの都市計画が最初なされた江戸時代はどんな感じであったのかとか、ふむ鰻を食べるようになったのも江戸の頃であったのだとなとか、普段は考えもしない“時の流れ”についていろいろ思いをめぐらしちゃう。なんか、ささやかに楽しい。帰りに乗った地下鉄銀座線も下町に最初開通したのは昭和初期だよなあとか、疑似タイムマシーン思考をしたりして。そして、戦後も当分はまだまだ田舎だったと言われる青山に向かう。
ディッキー・ベッツ&グレイト・サザン
2013年6月27日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。年寄り、汚れぎみの人で満員。で、歓声がハンパない。壮絶、とも言える? 端から見ていて、わああって感じ。
ディッキー・ベッツはサザン・ロックの雄、ザ・オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・ギタリスト。デュエイン・オールマン(ギター)の死後、バンドのイニチアシヴを取るようになり、デュエイン生前のものと死後の少しのプロダクツが混在する『イート・ア・ピーチ』(キャプリコーン、1972年)を経ての、カントリー色を強めた『ブラザーズ&シスターズ』(キャプリコーン、1973年)は全米総合1位を獲得。そういう意味では、“ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド 中興の祖”という言い方もできるのかもしれぬ。ベッツは息子にデュエインと名付けたものの、バンドのもう一つの顔であるデュエインの弟のグレッグ・オールマン(ヴォーカル、オルガン)とは折り合い悪く、そのため1976年にオールマンズは最初の解散をするなど、しばし両者衝突の情報は報じられてきた。グレイト・サザンはベッツがザ・オールマン・ブラザーズ・バンド解散後に組んだカントリー・ミュージック色も持つバンドで、1977年にセルフ・タイトルのアルバムを出している。
ステージに出て来た面々を見てワ〜ウ。編成が大きい。ギターと歌を担当する当人に加え、ギター2人(うち、一人は息子のデュエイン)、キーボード/ヴォーカル、ベース、そしてドラムも2人(!)。一気に興味が高まる。これはどう見ても、カントリー・ロックをやる編成ではない。で、少しR&Bぽくもあったオープナー以外はぜんぶザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの曲をやったのではないか。「ワン・ウェイ・アウト」とかをやられると昔の様と比較しちゃい、彼らがぜんぜん万全でないのは明らかなのだが、やはりアガる。高校時代、オールマンズの『イート・ア・ピーチ』収録の「ワン・ウェイ・アウト」と「トラブル・ノー・モア」と「スタンド・バッグ」、そしてエリック・クラプトンの『461オーシャン・ブールヴァード』収録の「アイ・キャント・ホールド・アウト」と「ステディ・ローリン・マン」はレコードをかけて一緒にギターやベースを弾く定番曲であったのダ。すげえ、回数聞いているよなー。面白いことに、原曲でグレッグ・オールマンがヴォーカルを取っていた曲は、わりと若めのキーボード奏者が歌っていた。最後の曲はザ・オールマン・ブラザーズ・バンド最大のヒット曲で、当時のベッツ色が強く出た「ランブリン・マン」。大合唱大会、でした。
<今日の、懐旧>
昨日の項に書いてあるように、ソニー&シェールのヒット曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」のカヴァーを聞いて、今日の公演に思いが飛んだのは、その夫婦デュオ(と、離婚)を経て、ソロ歌手としてスターになったシェールが、突然サザン・ロックの貴公子(?)であるグレッグ・オールマン(1947年生まれ)と1976年に結婚したからだ。グレッグ・オールマンは当初からブループ活動とともに大々的にソロ活動もしていて、彼の1973年作『レイド・バック』(キャプリコーン)のアルバム・タイトルは当時猛威をふるいつつあったサザン・ロックの持ち味を示す代名詞となったし、同作のヒットを受けて、彼は小オーケストラを従えた編成(グレッグがレイ・チャールズを気取りたかったと言われる)でツアーに出て、それは2枚組のライヴ盤『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』(キャプリコーン、1974年)になった。うーん、なんだかんだオレ、キャプリコーン・レーベルには愛着持っているな。1970年代後期に輸入盤屋にはキャプリコーンのカット盤が流通していて、いろいろ安価で購入できた。
ジョージア州メイコンにオフィスを置いたキャプリコーン・レコードは、オーティス・レディング(彼のお墓はメイコンにある)のマネイジャーをやっていた白人フィル・ウォルデンが設立したサザン・ロックの専門レーベル(英国ロック・バンドのハイドラや、電気迷宮ジャズのエディ・ヘンダーソンなどのアルバムも出したが)で、同レーベルの成功で彼はメイコンの名士となった。そんなウォルデンはジョージア州知事だったジミー・カーターが民主党候補として1976年に大統領選に出る際に資金協力し、またキャプリコーン在籍アーティストを大挙キャンペーンに駆り出し、当初は全国的には無名だったカーターの大統領就任を少なからず助けたとも言われる。オーティスがいなかったら、キャプリコーン・レコードがなかったら、ジミー・カーターはノーベル平和賞をもらうことはなかったかもしれない。
話は戻るが、1977年にはワーナー・ブラザーズから共演アルバムも出したシェールとグレッグ・オールマン(リオン&マリー・ラッセル夫妻の1976年作『ウェディング・アルバム』や次作『メイク・ラヴ・トゥ・ザ・ミュージック』とともに、お調子者夫婦の色ぼけ共演作という言い方も一部はされた?)は1979年に離婚、1980年代に入るとシェールは女優業にも進み、より大成するわけだ。今だと、シェールが歌手だったことを知らない人もいるかもしれない。グレッグ・オールマンはその後もザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの活動とソロ名義活動をやっているわけだが、今のところ最新作であるT・ボーン・バーネット制作の2011年『ロウ・カントリー・ブルース』(ラウンダー/ユニヴァーサル)は最新作。それは、肝移植手術を受けた後にレコーディングされた。ベッツもまだ69歳(1943年生まれ)だが、ツアーがキャンセルになったりと健康面では不安を抱えているというし、さぞや面々、昔は滅茶苦茶やっていたんだろうな。スライド・ギターという項目にかんして、デュエイン・オールマンはNo.1であり続けているが、今後も彼をしのぐ使い手は出てこないと思われる。残された彼の名演の数々はハード・ドラッグという通行手形のもと“十字路”を渡った先にあるものであったのは言うまでもない。
ディッキー・ベッツはサザン・ロックの雄、ザ・オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・ギタリスト。デュエイン・オールマン(ギター)の死後、バンドのイニチアシヴを取るようになり、デュエイン生前のものと死後の少しのプロダクツが混在する『イート・ア・ピーチ』(キャプリコーン、1972年)を経ての、カントリー色を強めた『ブラザーズ&シスターズ』(キャプリコーン、1973年)は全米総合1位を獲得。そういう意味では、“ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド 中興の祖”という言い方もできるのかもしれぬ。ベッツは息子にデュエインと名付けたものの、バンドのもう一つの顔であるデュエインの弟のグレッグ・オールマン(ヴォーカル、オルガン)とは折り合い悪く、そのため1976年にオールマンズは最初の解散をするなど、しばし両者衝突の情報は報じられてきた。グレイト・サザンはベッツがザ・オールマン・ブラザーズ・バンド解散後に組んだカントリー・ミュージック色も持つバンドで、1977年にセルフ・タイトルのアルバムを出している。
ステージに出て来た面々を見てワ〜ウ。編成が大きい。ギターと歌を担当する当人に加え、ギター2人(うち、一人は息子のデュエイン)、キーボード/ヴォーカル、ベース、そしてドラムも2人(!)。一気に興味が高まる。これはどう見ても、カントリー・ロックをやる編成ではない。で、少しR&Bぽくもあったオープナー以外はぜんぶザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの曲をやったのではないか。「ワン・ウェイ・アウト」とかをやられると昔の様と比較しちゃい、彼らがぜんぜん万全でないのは明らかなのだが、やはりアガる。高校時代、オールマンズの『イート・ア・ピーチ』収録の「ワン・ウェイ・アウト」と「トラブル・ノー・モア」と「スタンド・バッグ」、そしてエリック・クラプトンの『461オーシャン・ブールヴァード』収録の「アイ・キャント・ホールド・アウト」と「ステディ・ローリン・マン」はレコードをかけて一緒にギターやベースを弾く定番曲であったのダ。すげえ、回数聞いているよなー。面白いことに、原曲でグレッグ・オールマンがヴォーカルを取っていた曲は、わりと若めのキーボード奏者が歌っていた。最後の曲はザ・オールマン・ブラザーズ・バンド最大のヒット曲で、当時のベッツ色が強く出た「ランブリン・マン」。大合唱大会、でした。
<今日の、懐旧>
昨日の項に書いてあるように、ソニー&シェールのヒット曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」のカヴァーを聞いて、今日の公演に思いが飛んだのは、その夫婦デュオ(と、離婚)を経て、ソロ歌手としてスターになったシェールが、突然サザン・ロックの貴公子(?)であるグレッグ・オールマン(1947年生まれ)と1976年に結婚したからだ。グレッグ・オールマンは当初からブループ活動とともに大々的にソロ活動もしていて、彼の1973年作『レイド・バック』(キャプリコーン)のアルバム・タイトルは当時猛威をふるいつつあったサザン・ロックの持ち味を示す代名詞となったし、同作のヒットを受けて、彼は小オーケストラを従えた編成(グレッグがレイ・チャールズを気取りたかったと言われる)でツアーに出て、それは2枚組のライヴ盤『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』(キャプリコーン、1974年)になった。うーん、なんだかんだオレ、キャプリコーン・レーベルには愛着持っているな。1970年代後期に輸入盤屋にはキャプリコーンのカット盤が流通していて、いろいろ安価で購入できた。
ジョージア州メイコンにオフィスを置いたキャプリコーン・レコードは、オーティス・レディング(彼のお墓はメイコンにある)のマネイジャーをやっていた白人フィル・ウォルデンが設立したサザン・ロックの専門レーベル(英国ロック・バンドのハイドラや、電気迷宮ジャズのエディ・ヘンダーソンなどのアルバムも出したが)で、同レーベルの成功で彼はメイコンの名士となった。そんなウォルデンはジョージア州知事だったジミー・カーターが民主党候補として1976年に大統領選に出る際に資金協力し、またキャプリコーン在籍アーティストを大挙キャンペーンに駆り出し、当初は全国的には無名だったカーターの大統領就任を少なからず助けたとも言われる。オーティスがいなかったら、キャプリコーン・レコードがなかったら、ジミー・カーターはノーベル平和賞をもらうことはなかったかもしれない。
話は戻るが、1977年にはワーナー・ブラザーズから共演アルバムも出したシェールとグレッグ・オールマン(リオン&マリー・ラッセル夫妻の1976年作『ウェディング・アルバム』や次作『メイク・ラヴ・トゥ・ザ・ミュージック』とともに、お調子者夫婦の色ぼけ共演作という言い方も一部はされた?)は1979年に離婚、1980年代に入るとシェールは女優業にも進み、より大成するわけだ。今だと、シェールが歌手だったことを知らない人もいるかもしれない。グレッグ・オールマンはその後もザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの活動とソロ名義活動をやっているわけだが、今のところ最新作であるT・ボーン・バーネット制作の2011年『ロウ・カントリー・ブルース』(ラウンダー/ユニヴァーサル)は最新作。それは、肝移植手術を受けた後にレコーディングされた。ベッツもまだ69歳(1943年生まれ)だが、ツアーがキャンセルになったりと健康面では不安を抱えているというし、さぞや面々、昔は滅茶苦茶やっていたんだろうな。スライド・ギターという項目にかんして、デュエイン・オールマンはNo.1であり続けているが、今後も彼をしのぐ使い手は出てこないと思われる。残された彼の名演の数々はハード・ドラッグという通行手形のもと“十字路”を渡った先にあるものであったのは言うまでもない。
マット・ダスク。ザ・バディ・リッチ・オールスター・アルムナイ・ビッグ・バンド
2013年6月26日 音楽 赤坂・カナダ大使館オスカーピーターソン・シアターで、堂にいった1978年カナダ人ジャズ歌手(2007年12月27日)のショウケースの実演を見る。同行したカナダ人ピアニストのサポートにて、悠々とスタンダードを歌う。それに接して、まず思わずにいられないのは、格好いいナということ。ずっと痩身のままだし。そして、振る舞いも洒脱かつナイス・ガイっぽく、その手のエンターテイン流儀をきっちり得ているとも思う。6年前にインタビューしたとき、ほんといい奴だった記憶が蘇ってきた。彼はこの9月の東京ジャズにも出演し、そこには八代亜紀(2012年11月9日)がゲスト入りする。
その後は南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、頭を下げる同業者多数の、大御所ドラマーであるバディ・リッチ(1917〜1987年)の名前が冠されたビッグ・バンドを見る。サックス・セクション4人、トロンボーン・セクション3人、トランペット・セクション4人、そしてピアノ(ときにキーボードも弾く)、電気べース(ピーター・ガブリエル・バンドや後期キング・クリムゾンのトニー・レヴィン。1970年代にリッチ・ビッグ・バンドに在籍していたことアリ。元々スキンヘッドだし、サングラスをしていたためもあってか、あまり老けていないように感じた)、そしてドラムという編成なり。
なぜか、ドラマーは3人もいる。派手なメッシュが黒い長髪に入ったロックっぽい外見のグレッグ・ポッター(レギュラー・グリップで叩く。いい奴そう)、著名ドラマーのピーター・アースキン(レギュラー・グリップで叩く。ミュージシャンの格を考慮してか、彼のドラム・セットはステージ中央最前列に置いてある)、見た目は只のあんちゃん風情の孫のニック・リッチ(マッチド・グリップで叩く。ドラム・セットはポッターと共用。叩き音、ドカスカと大きい)という内訳で、彼らは入れ替わりで数曲づつ叩いたが、それは名手バディ・リッチのキャパは平気でドラマー3人分あったと語るため? 生理的に煩雑になるし、アースキンのゲスト入りはなしでも良かったのではないか。でなきゃ、1曲ぐらい、故人のスケールの大きさを偲んでツイン・ドラムでやる曲があっても良かったかも。
途中で1曲、娘のキャシー・リッチ(つまりニック・リッチは彼女の息子)が出て来て、「ザ・ビート・ゴーズ・オン」を歌う。それを聞いて、翌日見る予定の公演のことにちょい思いはつながる(明日の、本編原稿外に続く)。
そのソニー&シェールの1967年ヒット曲である快活R&B調曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」は「ザ・サイドワインダー(リー・モーガン)」的リズムを採用できることもあり、当時のジャズ・マンが良く取り上げていて、バディ・リッチ・オーケストラも彼の67年作『ビッグ・スウィング・フェイス』でカヴァー。そして、そこでヴォーカルをとったのがまだ子供の声をしているキャシーだった。キャシー・リッチがステージに出て来てその曲を歌う前には、1970年代初頭(と、思う)のリッチ・ビッグ・バンド・ウィズ・キャシーの実演映像が会場内にさらりと流され、そこから実際のパフォーマンスにつなげられた。それにしても、金髪に染めていたキャシーさん、見た目は鬼のように若い。かつ、なんかサバけていて、いい感じ。遠目には、下品な書き方をすれば、オレいけるかもと思えたほど。わあ。
<今日の、二の足>
昨日もそうだが、今日も雨。また、けっこうな降り具合。なんか、外に出る気がなくなっちゃう。そんなわけで、ちょっと個人的な用事をすませるとともに試写会に行く予定でいたのだが、やめにしてしまう。ここ数日、気温はあまり高くないのは救いではあるのだが、雨はいやだなあ。梅雨を感じるなあ。そんなわけなんで、昼間は外出せずに、完成させるのは先でいいと思っていたインタヴューを起こし、原稿を仕上げてしまう。我ながら、いい加減なんだか真面目なんだか。
その後は南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、頭を下げる同業者多数の、大御所ドラマーであるバディ・リッチ(1917〜1987年)の名前が冠されたビッグ・バンドを見る。サックス・セクション4人、トロンボーン・セクション3人、トランペット・セクション4人、そしてピアノ(ときにキーボードも弾く)、電気べース(ピーター・ガブリエル・バンドや後期キング・クリムゾンのトニー・レヴィン。1970年代にリッチ・ビッグ・バンドに在籍していたことアリ。元々スキンヘッドだし、サングラスをしていたためもあってか、あまり老けていないように感じた)、そしてドラムという編成なり。
なぜか、ドラマーは3人もいる。派手なメッシュが黒い長髪に入ったロックっぽい外見のグレッグ・ポッター(レギュラー・グリップで叩く。いい奴そう)、著名ドラマーのピーター・アースキン(レギュラー・グリップで叩く。ミュージシャンの格を考慮してか、彼のドラム・セットはステージ中央最前列に置いてある)、見た目は只のあんちゃん風情の孫のニック・リッチ(マッチド・グリップで叩く。ドラム・セットはポッターと共用。叩き音、ドカスカと大きい)という内訳で、彼らは入れ替わりで数曲づつ叩いたが、それは名手バディ・リッチのキャパは平気でドラマー3人分あったと語るため? 生理的に煩雑になるし、アースキンのゲスト入りはなしでも良かったのではないか。でなきゃ、1曲ぐらい、故人のスケールの大きさを偲んでツイン・ドラムでやる曲があっても良かったかも。
途中で1曲、娘のキャシー・リッチ(つまりニック・リッチは彼女の息子)が出て来て、「ザ・ビート・ゴーズ・オン」を歌う。それを聞いて、翌日見る予定の公演のことにちょい思いはつながる(明日の、本編原稿外に続く)。
そのソニー&シェールの1967年ヒット曲である快活R&B調曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」は「ザ・サイドワインダー(リー・モーガン)」的リズムを採用できることもあり、当時のジャズ・マンが良く取り上げていて、バディ・リッチ・オーケストラも彼の67年作『ビッグ・スウィング・フェイス』でカヴァー。そして、そこでヴォーカルをとったのがまだ子供の声をしているキャシーだった。キャシー・リッチがステージに出て来てその曲を歌う前には、1970年代初頭(と、思う)のリッチ・ビッグ・バンド・ウィズ・キャシーの実演映像が会場内にさらりと流され、そこから実際のパフォーマンスにつなげられた。それにしても、金髪に染めていたキャシーさん、見た目は鬼のように若い。かつ、なんかサバけていて、いい感じ。遠目には、下品な書き方をすれば、オレいけるかもと思えたほど。わあ。
<今日の、二の足>
昨日もそうだが、今日も雨。また、けっこうな降り具合。なんか、外に出る気がなくなっちゃう。そんなわけで、ちょっと個人的な用事をすませるとともに試写会に行く予定でいたのだが、やめにしてしまう。ここ数日、気温はあまり高くないのは救いではあるのだが、雨はいやだなあ。梅雨を感じるなあ。そんなわけなんで、昼間は外出せずに、完成させるのは先でいいと思っていたインタヴューを起こし、原稿を仕上げてしまう。我ながら、いい加減なんだか真面目なんだか。
クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー(2006年1月24日、2012年1月6日)のキーボード奏者だったロビー・ガーティンがいる、ブルックリン発の3ピースのバンド。彼はクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー在籍時代からこのバンドをやっていて、昨年の夏にクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーのほうは脱退している。渋谷・O-NEST。
3人が出て来て、そして音を出し始めたら、即NYっぽいと思わずにはいられず。見た感じに加え、ギター音の重なりとか曲調とかの何かがなぜかそう感じさせる。ドラムとサブのヴォーカルを担当するガーティン(一部、リード・ヴォーカルを取る場合もある)、リード・ヴォーカル/ギター担当の女性であるリンゼー・ベイカー、ギターを弾くクリス・ディケンというベースレスの編成。ではあるものの、コード・ネームのポジションをシンプルに押さえるようなベース的な低音はギターの音群と一緒に出てくる。
アルバム(出来のいい新作となる2作目はバトルズ〜2004年1月7日〜の2011年作を手がけた、キース・ソウザとセス・マンチェスターのプロデュース。http://radicaldads.bandcamp.com/releases で、全曲試聴できる)同様に迸る感覚や刺を抱えたギター・ロックを、3人はフレンドリーに披露。こりゃ、ニヤニヤしながら見れちゃう。曲自体はそれほど長くはないが、男性ギタリストはときにかなりひしゃげた感覚を持つソロを存分に取る。ふふふ。繰り返しになるが、3人のけれん味のない、でもほのかな陰影も表出する実演に触れていて、ドキドキでき、なんかNYのライヴ・ヴェニューにいるような気分にも一瞬なった。
<今日の、回顧>
ラディカル・ダッズの日本盤はアジアン・カンフー・ジェネレーションのレーベルから出されていて、彼らが主宰する全国規模のライヴ・イヴェント<NANO-MUGEN CIRCUIT 2013>に出るためにラディカル・ダッツは来日。しかし、海外アーティストまでを扱う大型イヴェントを毎年やっているアジアン・カンフー・ジェネレーションはすごいな。かつて、フジ・ロックの場外ステージであるルーキー・ア・ゴー・ゴーに出た際の彼らを見たことがあった。真っすぐだとは思ったが、こんなに正しい力を持つとは思わなかった。一人が某音楽誌の編集長に似ていると、仲間内で話題になったんだよな。
3人が出て来て、そして音を出し始めたら、即NYっぽいと思わずにはいられず。見た感じに加え、ギター音の重なりとか曲調とかの何かがなぜかそう感じさせる。ドラムとサブのヴォーカルを担当するガーティン(一部、リード・ヴォーカルを取る場合もある)、リード・ヴォーカル/ギター担当の女性であるリンゼー・ベイカー、ギターを弾くクリス・ディケンというベースレスの編成。ではあるものの、コード・ネームのポジションをシンプルに押さえるようなベース的な低音はギターの音群と一緒に出てくる。
アルバム(出来のいい新作となる2作目はバトルズ〜2004年1月7日〜の2011年作を手がけた、キース・ソウザとセス・マンチェスターのプロデュース。http://radicaldads.bandcamp.com/releases で、全曲試聴できる)同様に迸る感覚や刺を抱えたギター・ロックを、3人はフレンドリーに披露。こりゃ、ニヤニヤしながら見れちゃう。曲自体はそれほど長くはないが、男性ギタリストはときにかなりひしゃげた感覚を持つソロを存分に取る。ふふふ。繰り返しになるが、3人のけれん味のない、でもほのかな陰影も表出する実演に触れていて、ドキドキでき、なんかNYのライヴ・ヴェニューにいるような気分にも一瞬なった。
<今日の、回顧>
ラディカル・ダッズの日本盤はアジアン・カンフー・ジェネレーションのレーベルから出されていて、彼らが主宰する全国規模のライヴ・イヴェント<NANO-MUGEN CIRCUIT 2013>に出るためにラディカル・ダッツは来日。しかし、海外アーティストまでを扱う大型イヴェントを毎年やっているアジアン・カンフー・ジェネレーションはすごいな。かつて、フジ・ロックの場外ステージであるルーキー・ア・ゴー・ゴーに出た際の彼らを見たことがあった。真っすぐだとは思ったが、こんなに正しい力を持つとは思わなかった。一人が某音楽誌の編集長に似ていると、仲間内で話題になったんだよな。
子供の頃からいろんなアメリカの黒人音楽に触れ、ハーモニカ奏者を志し、現在は英語のオリジナルをやっている、1983年生まれのフランス人がパジさん。イタリア人とフランス人のミックスだそうで、イタリアで活動していた時期もあるという。ぼんぼんなのか家がマイアミとか米国にもあって、よく行っていたそうで英語もできる。彼はフランス語、イタリア語、英語、スペイン語が話せるのだそう。今回が初来日となり、ギター、ベース、ドラム奏者を従えてのパフォーマンス。飯田橋・日仏学院の野外ステージ。
ブルースやR&Bや渋味ロックなどへの共感を抱きつつ、自分のメロディや歌を介してアーシーなロックとして押し出す。ハーモニカの演奏は、さすがいろんな人を聞いている(リトル・ウィルター、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、サニー・テリーらの名前がすぐに好きな人として出てくる)のがよく分るもの。その総体は、なんとなくG・ラヴ(2011年11月4日、他)を思わせるような親しみやすさも一部は持つか。本人にそれを伝えると、そんなに聞いたことはないが、それは何人からも指摘を受けている、とのこと。君からも言われたし、ちゃんと聞いてみようかなと、彼は言う。好漢、しなやか君でもありました。彼の2作目にはイタリアのスター・ロッカー、ズッケロっぽい曲も入っているな。
<今日の、学習>
パジには、ライヴ前にインタヴューした。実は、彼の2作目となる今のところ新作となる『アンケイジド』(EMI、2010年)にはなぜか著名ジャズ・サックス奏者のアーチー・シェップが入っている曲が2つあって、久しぶりにシェップの21世紀以後の活動をおさらいしてしまった。ドン・チェリーらと一緒にやっていたザ・ニューヨーク・コンテンポラリー5時代の1960年代前半から、もう一つの統合型ストリート・ミュージック創出を標榜した1970年前後のインパルス作品あたりまではかなり好きだが、1970年代後期以降は、ぼくにとってシェップほとんど興味を持てない存在になってしまった。それは日本制作のスタンダード集(1980年ごろのやつだったか)を聞き、温い設定のなか、これみよがしで下品なフレイズを投げ出しまくった凄惨な内容に触れてゲンメツしたから。あのとき、もうシェップとは関わってはいけないと痛感したんだよな。だが、そんな彼の新し目のアルバムをチェックしたら、チャック・D(2005年8月14日)がゲスト入りしているアルバムがあったり、グナワのミュージシャンとの共演盤があったりとか、いろいろ伸び伸びと好き勝手やっていて、ヘエエと思った。そんな彼はパリ在住、それでジャズも好きなバジ(シェップ作は、『アッティカ・グルース』が好きだそう)は駄目もとで彼にコンタクトを取ったのだという。
ブルースやR&Bや渋味ロックなどへの共感を抱きつつ、自分のメロディや歌を介してアーシーなロックとして押し出す。ハーモニカの演奏は、さすがいろんな人を聞いている(リトル・ウィルター、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、サニー・テリーらの名前がすぐに好きな人として出てくる)のがよく分るもの。その総体は、なんとなくG・ラヴ(2011年11月4日、他)を思わせるような親しみやすさも一部は持つか。本人にそれを伝えると、そんなに聞いたことはないが、それは何人からも指摘を受けている、とのこと。君からも言われたし、ちゃんと聞いてみようかなと、彼は言う。好漢、しなやか君でもありました。彼の2作目にはイタリアのスター・ロッカー、ズッケロっぽい曲も入っているな。
<今日の、学習>
パジには、ライヴ前にインタヴューした。実は、彼の2作目となる今のところ新作となる『アンケイジド』(EMI、2010年)にはなぜか著名ジャズ・サックス奏者のアーチー・シェップが入っている曲が2つあって、久しぶりにシェップの21世紀以後の活動をおさらいしてしまった。ドン・チェリーらと一緒にやっていたザ・ニューヨーク・コンテンポラリー5時代の1960年代前半から、もう一つの統合型ストリート・ミュージック創出を標榜した1970年前後のインパルス作品あたりまではかなり好きだが、1970年代後期以降は、ぼくにとってシェップほとんど興味を持てない存在になってしまった。それは日本制作のスタンダード集(1980年ごろのやつだったか)を聞き、温い設定のなか、これみよがしで下品なフレイズを投げ出しまくった凄惨な内容に触れてゲンメツしたから。あのとき、もうシェップとは関わってはいけないと痛感したんだよな。だが、そんな彼の新し目のアルバムをチェックしたら、チャック・D(2005年8月14日)がゲスト入りしているアルバムがあったり、グナワのミュージシャンとの共演盤があったりとか、いろいろ伸び伸びと好き勝手やっていて、ヘエエと思った。そんな彼はパリ在住、それでジャズも好きなバジ(シェップ作は、『アッティカ・グルース』が好きだそう)は駄目もとで彼にコンタクトを取ったのだという。
ローラ・ムヴーラ。アーヴァント
2013年6月21日 音楽 まず、今年最大級の新人〜<ニーナ・シモン・ミーツ・ザ・ビーチ・ボーイズ>という説明をしている人もいますね〜という言い方もそんなに嘘にならない、輝ける英国人ニュー・カマーを六本木・ビルボードライブ東京で見る(ファースト・ショウ)。いろんなラガ表現を送り出した(その出世頭がUB40)ことでも知られるバーミンガム出身だそうで、ジャマイカ系なのかな。外見はアンジェリーク・キジョー(2007年12月12日、他)とリズ・ライト(2003年9月17日)を合わせた感じで、それだけで受け手に何かを与えるか。なお、Mvulaというファミリー・ネームを日本のレコード会社は、マヴーラと表記。本人の自己紹介時の発音や綴りから、ここではムヴーラと書いておく。
その我が道を行く姿勢は、バンドの編成にもあらわれている。電気ピアノを弾きながら歌う本人(中央に出て来て、立って歌う場合も多い)に加えて、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス(電気べースを弾く場合も)、ハープ、ドラム/グロッケンシュピールという編成であるのだから。そのチェンバー・ポップ的編成だけでも、意思を持つポップ・ミュージョックの担い手と大きく頷かされるではないか。なお、同行したヴァイオリン奏者は妹、チェロ奏者は弟だそう。
しなやか伸びやかに、私のメロディをきめ細やかに、創造性豊かに凛と開いて行く。枠に捕われずに自分の色を出そうとする意思や才はきっちり溢れ出ていて、おおいに頷く。アルバムでは凝った風情あるコーラスが採用され、それも面白い聞き味をもたらしていたのだが、実演では伴奏陣の多くがコーラスを場面場面でつける。そりゃアルバムのような効果は生まないが、和気あいあいと、自分たちが良しと思える表現を求める様は無条件にマル。なるほど、才人。今後の変化も楽しみだ。
2度目のアンコールはピチカート奏法を取るチェロだけをバックにし、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露した。
その後は、南青山・ブルーノート東京で現代R&B歌手のアヴァーントを見る。サポートは男女のコーラスと、鍵盤、鍵盤べース/エレクトリック・ベース、ドラム。彼らと同様に、普段着の主役はおやじが入ったあんちゃん風情の人。Tシャツはネイティヴ・アメリカンの横顔柄のやつ。彼、そっちの方の血が入っているの? ともあれ、素のオーラのようなものはあまりなく、歌の実力で業界を渡ってきたことが了解できるか。実際、ちょい歌っただけで、甲高い歌の声質がいいっ、うまいっとすぐにこっくりできちゃう。それについては非の打ち所なく、本当に感心。ヒップホップ調ビート曲とラガ調ビート曲もやったのは、今時の歌手っぽさの発露であったのか。でも、彼には伝統的というか、正統的と思わせる筋の良さがあって、いい感じあり過ぎであったのだ。
そのアヴァーントも、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露。アフリカから散った才の英国と米国の今のそれが、MJというデカい存在を媒介に一つにつながったような気持ちを得た。な〜んてことはまるでなかったけど、なんかそれぞれの「ヒューマン・ネイチャー」を聞けて、いい晩だなと生理的に思えたのは確か。
<今日の、映画>
京橋・テアトル試写室で、2012年イタリア映画「ニーナ ローマの夏休み」を見る。昨年秋に東京映画祭にコンペティション出品され、この8月にロードショー公開される。ほんわかしつつも好奇心旺盛ぎみな20代前半の女性主人公のバカンス期ローマ郊外の日々を淡々と、ある種の雰囲気アリで描く作品で、使われる主要な音楽はクラシック。劇中に出てくる教授(?)がアルベルト・ザッケローニを軽くしたようなおやじで少しイヤな気分に。。。ここのところの日本チーム指揮/選手選考にまつわる彼の冒険心や創造性のなさ、融通のきかなさには、けっこう違和感を覚えているから。というのはともかく、アレレレエと思ったのは、今の映画であるのに、携帯電話が一切でてこないこと。逆に、固定電話の留守電メッセージはそれなりの材料として用いられる。それで、これは現実的なストーリーでないことを示唆している? 監督のエリザ・フクサスは1981年ローマ生まれの女性で、長編としてはこれが初監督作品とか。その父、マッシミリアーノ・フクサス(1944年生まれ)はインターナショナルな建築家で、銀座のアルマーニ・タワーは彼の設計による。
その我が道を行く姿勢は、バンドの編成にもあらわれている。電気ピアノを弾きながら歌う本人(中央に出て来て、立って歌う場合も多い)に加えて、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス(電気べースを弾く場合も)、ハープ、ドラム/グロッケンシュピールという編成であるのだから。そのチェンバー・ポップ的編成だけでも、意思を持つポップ・ミュージョックの担い手と大きく頷かされるではないか。なお、同行したヴァイオリン奏者は妹、チェロ奏者は弟だそう。
しなやか伸びやかに、私のメロディをきめ細やかに、創造性豊かに凛と開いて行く。枠に捕われずに自分の色を出そうとする意思や才はきっちり溢れ出ていて、おおいに頷く。アルバムでは凝った風情あるコーラスが採用され、それも面白い聞き味をもたらしていたのだが、実演では伴奏陣の多くがコーラスを場面場面でつける。そりゃアルバムのような効果は生まないが、和気あいあいと、自分たちが良しと思える表現を求める様は無条件にマル。なるほど、才人。今後の変化も楽しみだ。
2度目のアンコールはピチカート奏法を取るチェロだけをバックにし、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露した。
その後は、南青山・ブルーノート東京で現代R&B歌手のアヴァーントを見る。サポートは男女のコーラスと、鍵盤、鍵盤べース/エレクトリック・ベース、ドラム。彼らと同様に、普段着の主役はおやじが入ったあんちゃん風情の人。Tシャツはネイティヴ・アメリカンの横顔柄のやつ。彼、そっちの方の血が入っているの? ともあれ、素のオーラのようなものはあまりなく、歌の実力で業界を渡ってきたことが了解できるか。実際、ちょい歌っただけで、甲高い歌の声質がいいっ、うまいっとすぐにこっくりできちゃう。それについては非の打ち所なく、本当に感心。ヒップホップ調ビート曲とラガ調ビート曲もやったのは、今時の歌手っぽさの発露であったのか。でも、彼には伝統的というか、正統的と思わせる筋の良さがあって、いい感じあり過ぎであったのだ。
そのアヴァーントも、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露。アフリカから散った才の英国と米国の今のそれが、MJというデカい存在を媒介に一つにつながったような気持ちを得た。な〜んてことはまるでなかったけど、なんかそれぞれの「ヒューマン・ネイチャー」を聞けて、いい晩だなと生理的に思えたのは確か。
<今日の、映画>
京橋・テアトル試写室で、2012年イタリア映画「ニーナ ローマの夏休み」を見る。昨年秋に東京映画祭にコンペティション出品され、この8月にロードショー公開される。ほんわかしつつも好奇心旺盛ぎみな20代前半の女性主人公のバカンス期ローマ郊外の日々を淡々と、ある種の雰囲気アリで描く作品で、使われる主要な音楽はクラシック。劇中に出てくる教授(?)がアルベルト・ザッケローニを軽くしたようなおやじで少しイヤな気分に。。。ここのところの日本チーム指揮/選手選考にまつわる彼の冒険心や創造性のなさ、融通のきかなさには、けっこう違和感を覚えているから。というのはともかく、アレレレエと思ったのは、今の映画であるのに、携帯電話が一切でてこないこと。逆に、固定電話の留守電メッセージはそれなりの材料として用いられる。それで、これは現実的なストーリーでないことを示唆している? 監督のエリザ・フクサスは1981年ローマ生まれの女性で、長編としてはこれが初監督作品とか。その父、マッシミリアーノ・フクサス(1944年生まれ)はインターナショナルな建築家で、銀座のアルマーニ・タワーは彼の設計による。
英国の愛すべき変わり者ミュージシャンがサム・リー。現在33歳の彼は大学では美術を学んだものの、音楽の経験はなし。であるのに、彼は20代半ばにしてトラヴェラーズと呼ばれるブリティッシュ・ジプシー(という言い方もリーはしていた)がコミュニティ内で歌い継いでいる歌に感動し、その移動コミューン内に入り伝承歌(それは無伴奏によるもののよう)やそれを支える考え方や生活様式を学んだ末に、自分の響くフォーキー・ミュージックとして送り出し直している。青山・CAY。
口琴やインド式ハーモニウムも扱う時に扱うシンガーのリーに加え、トランペットやコルネット奏者、琴やウクレレ奏者、チェロ奏者(女性)の3人がサポートでつく。普段、一緒にやっている人たちであるようだ。アルバム以上に生だともっと隙間があり、よりナュラル。謙虚(それは、めっぽうナイス・ガイさも導く)という形容もそれは導き、ひいては彼のトレヴェラーズ文化に対する真面目な思慕も、なんの知識もない者にも感じさせるだろう。原典を素直に開きつつ、リーの好奇心や個性がそこには無理なく張り込み、瑞々しい素朴歌唱表現として結晶していた。タブラなどで、ASA-CHANGが無理なく加わった曲もあり。
<今日の記憶>
トラヴェラーズと呼ばれる移動する人々が英国に存在するという事実を、ぼくがおぼろげに認知したのは1990年代初頭のこと。当時、日本のポニーキャニオンがレヴェラーズという英国バンドのアルバムを何枚も出し、彼らはトラヴェラーズの大人気バンドというような紹介のされ方もされたのだった。プロテスト意識も高いビート・バンド〜フォーキー・バンド(トラッドぽい要素も入る)という感じの音楽性を持っていた彼らはオリジナルをやっており、その音楽性から、ぼくはヒッピー憧憬を持ちつつ自由を求める若い世代たちによるムーヴメントというように、それを了解をしていた。当時、ザ・ポーグス(2005年7月29日)と似ているという声もあったと記憶するし、マヌ・チャオ(2010年10月4日、他)がソロになったときにはスペイン語圏のレヴェラーズという形容もできるかと、ぼくはほんの少し思ったこともあった。だが、サム・リーの音楽や情報にふれるにつけ、トラヴェラーズはすごい歴史を重ねて来ているもので、ぼくが想像していたものとは違うのだろうなという気になった。それとも、英国のジプシーにもいろいろあって、一緒くたにトラヴェラーズと括られているのだろうか。なお、レヴェラーズは今も元気に活動しているようで、けっこうコンスタントにアルバムをリリースし続けている。
口琴やインド式ハーモニウムも扱う時に扱うシンガーのリーに加え、トランペットやコルネット奏者、琴やウクレレ奏者、チェロ奏者(女性)の3人がサポートでつく。普段、一緒にやっている人たちであるようだ。アルバム以上に生だともっと隙間があり、よりナュラル。謙虚(それは、めっぽうナイス・ガイさも導く)という形容もそれは導き、ひいては彼のトレヴェラーズ文化に対する真面目な思慕も、なんの知識もない者にも感じさせるだろう。原典を素直に開きつつ、リーの好奇心や個性がそこには無理なく張り込み、瑞々しい素朴歌唱表現として結晶していた。タブラなどで、ASA-CHANGが無理なく加わった曲もあり。
<今日の記憶>
トラヴェラーズと呼ばれる移動する人々が英国に存在するという事実を、ぼくがおぼろげに認知したのは1990年代初頭のこと。当時、日本のポニーキャニオンがレヴェラーズという英国バンドのアルバムを何枚も出し、彼らはトラヴェラーズの大人気バンドというような紹介のされ方もされたのだった。プロテスト意識も高いビート・バンド〜フォーキー・バンド(トラッドぽい要素も入る)という感じの音楽性を持っていた彼らはオリジナルをやっており、その音楽性から、ぼくはヒッピー憧憬を持ちつつ自由を求める若い世代たちによるムーヴメントというように、それを了解をしていた。当時、ザ・ポーグス(2005年7月29日)と似ているという声もあったと記憶するし、マヌ・チャオ(2010年10月4日、他)がソロになったときにはスペイン語圏のレヴェラーズという形容もできるかと、ぼくはほんの少し思ったこともあった。だが、サム・リーの音楽や情報にふれるにつけ、トラヴェラーズはすごい歴史を重ねて来ているもので、ぼくが想像していたものとは違うのだろうなという気になった。それとも、英国のジプシーにもいろいろあって、一緒くたにトラヴェラーズと括られているのだろうか。なお、レヴェラーズは今も元気に活動しているようで、けっこうコンスタントにアルバムをリリースし続けている。
渋谷・クラブクアトロで、スコットランドのトラッド・ビヨンドの3人組であるラウー(2010年12月11日、他)を見る。
いや、なかなか新鮮にして、驚いた。前回見たときもほめてはいるが、受けた感興はけっこう違う。乱暴に言えば、今回のほうがずっとずっとコンテンポラリー。ケルト系トラッドを特徴づける反復系フレーズの繰り返しがでてきたのは最後のほうの3曲のみで、あとはフィドル、ギター、アコーディオンというトラッド表現と繋がる楽器で、スケールの大きな、ぜんぜん痒くないランドスケープ的表現を紡いで行くという感じであったもの。そうでありつつ、どこかで過去の手作り表現と太いパイプを持つことも察させるのだから、これは深くうなづかずにはいられない。みんな足元にエフェクター類を置き、アコーディオン奏者はアコーディオンの中央に小さな電気鍵盤をさらに貼付けていたりもしていた。時に入る澄んだヴォーカルも効果的、ぼくが生で触れた中で一番プログレッシヴなUK/アイルランドのトラッド系グループと言えるのか。なーんてことも、ぼくは彼らを見ながら思った。キーラ(2006年9月24日、他)も革新派だが、位相をさくっと変えちゃうような鮮やかさは、若いラウーのほうが上だろう。タブラでユザーンが加わった曲もあった。
<今日の、プラットホーム>
インタヴューの場に向かうために駅に入ったら、昼間なのに、回送の電車が通り過ぎる。車両の側面ディスプレイには<回送>とともに、<not in service>とも表示されている。なるほど、英語ではそうなるのか。回送という言葉が日本独自の言い回し単語であるのを認知する。我々は、回送という言葉にとってもしっくり来るものな。そういえば、元の英語にならうなら、プラットホームはプラットフォームと表記すべきなんだよな。
いや、なかなか新鮮にして、驚いた。前回見たときもほめてはいるが、受けた感興はけっこう違う。乱暴に言えば、今回のほうがずっとずっとコンテンポラリー。ケルト系トラッドを特徴づける反復系フレーズの繰り返しがでてきたのは最後のほうの3曲のみで、あとはフィドル、ギター、アコーディオンというトラッド表現と繋がる楽器で、スケールの大きな、ぜんぜん痒くないランドスケープ的表現を紡いで行くという感じであったもの。そうでありつつ、どこかで過去の手作り表現と太いパイプを持つことも察させるのだから、これは深くうなづかずにはいられない。みんな足元にエフェクター類を置き、アコーディオン奏者はアコーディオンの中央に小さな電気鍵盤をさらに貼付けていたりもしていた。時に入る澄んだヴォーカルも効果的、ぼくが生で触れた中で一番プログレッシヴなUK/アイルランドのトラッド系グループと言えるのか。なーんてことも、ぼくは彼らを見ながら思った。キーラ(2006年9月24日、他)も革新派だが、位相をさくっと変えちゃうような鮮やかさは、若いラウーのほうが上だろう。タブラでユザーンが加わった曲もあった。
<今日の、プラットホーム>
インタヴューの場に向かうために駅に入ったら、昼間なのに、回送の電車が通り過ぎる。車両の側面ディスプレイには<回送>とともに、<not in service>とも表示されている。なるほど、英語ではそうなるのか。回送という言葉が日本独自の言い回し単語であるのを認知する。我々は、回送という言葉にとってもしっくり来るものな。そういえば、元の英語にならうなら、プラットホームはプラットフォームと表記すべきなんだよな。
インコグニート(2011年3月31日、他)を率いるギタリストであるジャン・ポール“ブルーイ“モーニックのソロ名義の出し物、南青山・ブルーノート東京/ファースト・ショウ。今年出た彼が歌ってもいる自己名義作収録曲披露と、今年2月に亡くなったジャズ/フュージョン・トランペッターのドナルド・バードへのトリビュートを名目におくもの。前者だけにするには、歌の自信がなかったのかな?
まず、一人で出て来て自己作新曲をギター弾き語り。訥々とした歌は、アルバムよりうまく聞こえるかも。その後は、キーボード、ギター、ベース、ドラム、打楽器、バックグラウンド歌手が出てきて、バンドでパフォーマンス。演奏者の多くは近年のインコグニート関与者であり、ブルーイ制作関与のマリオ・ビオンディの新作参加者とも重なりますね。それにしても、ギター奏者を別に連れてくるとはびっくり。ブルーイは元々目立つ演奏をする人出はないが、ソロなど表に出るギター演奏は過去ヘイミッシュ・スチュアート(2006年3月8日)やテリー・キャリア(2007年3月8日、他)の来日公演に同行しているUK大御所フュージョン・ギタリストのジム・マレンにまかせていた。また、シンガーは元ガリアーノで、トゥ・バンクス・オブ・フォーのヴェレリー・エティエンヌ(2004年1月16日、2008年5月9日)。これは、うれしい。2曲目、ブルーイはギターをおいてシンガーに専念した。
5曲目ぐらいからやはりインコグニートのレコーディングに参加するとともに、英国ロック/ポップ作にもいろいろ入っているトランペッターのドミニク・グローヴァーが加わり、ドナルド・バード曲(とくに、1975年作『プレイシス・アンド・スペイシス』の曲を連発したのかな)を次々に繰り出す。こちらのほうは、エティエンヌをフィーチャーする曲も。奏者たち腕がたち、かなりいい感じのバンド音を出す。シンガーや管奏者が少ないこともあり、インコグニートととの違いもちゃんと出していた。
<今日の、認知>
ここのところ、最寄り駅の改札口横にある売店がいつも閉まっていた。そしたら、<営業時間6時30分〜11時>という掲示がされているのを、今日知った。わーいつのまにか、すごい変則的な営業時間になっている。朝に職場や学校へ向かう人は何かと使ったりもするが、午後の駅利用者はあまり売店を使わないのか。なんか、田舎の駅みたいだなー。しかし、そういう割り切った指針の取り方、ぼくは嫌いじゃないかも。駅直通のビルにコンビニがここ2年ほどでできたのは、それに関係しているか。
まず、一人で出て来て自己作新曲をギター弾き語り。訥々とした歌は、アルバムよりうまく聞こえるかも。その後は、キーボード、ギター、ベース、ドラム、打楽器、バックグラウンド歌手が出てきて、バンドでパフォーマンス。演奏者の多くは近年のインコグニート関与者であり、ブルーイ制作関与のマリオ・ビオンディの新作参加者とも重なりますね。それにしても、ギター奏者を別に連れてくるとはびっくり。ブルーイは元々目立つ演奏をする人出はないが、ソロなど表に出るギター演奏は過去ヘイミッシュ・スチュアート(2006年3月8日)やテリー・キャリア(2007年3月8日、他)の来日公演に同行しているUK大御所フュージョン・ギタリストのジム・マレンにまかせていた。また、シンガーは元ガリアーノで、トゥ・バンクス・オブ・フォーのヴェレリー・エティエンヌ(2004年1月16日、2008年5月9日)。これは、うれしい。2曲目、ブルーイはギターをおいてシンガーに専念した。
5曲目ぐらいからやはりインコグニートのレコーディングに参加するとともに、英国ロック/ポップ作にもいろいろ入っているトランペッターのドミニク・グローヴァーが加わり、ドナルド・バード曲(とくに、1975年作『プレイシス・アンド・スペイシス』の曲を連発したのかな)を次々に繰り出す。こちらのほうは、エティエンヌをフィーチャーする曲も。奏者たち腕がたち、かなりいい感じのバンド音を出す。シンガーや管奏者が少ないこともあり、インコグニートととの違いもちゃんと出していた。
<今日の、認知>
ここのところ、最寄り駅の改札口横にある売店がいつも閉まっていた。そしたら、<営業時間6時30分〜11時>という掲示がされているのを、今日知った。わーいつのまにか、すごい変則的な営業時間になっている。朝に職場や学校へ向かう人は何かと使ったりもするが、午後の駅利用者はあまり売店を使わないのか。なんか、田舎の駅みたいだなー。しかし、そういう割り切った指針の取り方、ぼくは嫌いじゃないかも。駅直通のビルにコンビニがここ2年ほどでできたのは、それに関係しているか。