峰厚介、板橋文夫、岡田勉、村上寛
2009年1月22日 音楽 峰厚介(リード、44年生まれ)、板橋文夫(ピアノ、49年生まれ)、岡田勉(ベース、48年生まれ)、村上寛(ドラム、48年生まれ)。60絡みの熟達ジャズ・マン四者によるギグ、一応フォー・サウンズという名前のもとの公演。ぼくは何より、板橋文夫(2004年8月20日、2004年10日10日)目当てでみにいった。MCは峰がリーダーぽくこなし、演目は板橋の曲が一番おおかったはず。で、板橋は浮き気味、他の3人と見ることができる世界が違うという感じもあったな。基本、ストレートなジャズを披露。丸の内・コットンクラブ、ファースト。アンコールはドン・チェリーがじじいになってからの曲「アール・デコ」。
ショーン・レノン、他。メイシオ・パーカー
2009年1月21日 音楽 まず、ホンダのファミリー・カーのTV-CFに出ていたりもするショーン・レノンが新たに作ったレーベル、キメラ・ミュージックのお披露目をかねたライヴ・ショウを恵比寿・リキッドルームで見る。
豪華顔ぶれが揃う。基本、バンドは日本人によるもので、ギターを黙々と弾く小山田圭吾やあらきゆうこ(ドラム)らに、在NYの元チボ・マットの本田ゆか(キーボード)らが加わる。で、そのバンドの前にギターを持つレノン、3人の外国人女性シンガー(うち、一人はレノンのガール・フレンドのよう)らが立ち、いろんな設定で曲が披露される。円満。そして、しなやか。後で名前をチェックしたら、なんと女性陣の一人はチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日)の娘でベック他の表現に助力しまくり、リーダー作も出しているヴァイオリニスト/シンガーのペトラ・ヘイデン(レニー・ワロンカーの息子のジョーイとスペインというバンドや、同じくワロンカーの娘のアンナとザット・ドッグというバンドをやっていたこともあった)じゃないか。なお、妹のターニャ・ヘイデンは俳優のジャック・ブラックと結婚しているので、ブラックにとってペトラは義理の姉になる。さらに蛇足だが、そのヘイデン・シスターズやブラックやエルヴィス・コステロらが参加したチャーリー・ヘイデンの08年カントリー系ポップ作は目茶素敵な手触りを持つ。
そして、最後には母親のヨーコ・オノが登場、このときが一番客は沸いたかな。もう、とっくに70歳を超えているはずだが、毅然と我が道を行っていたのは間違いない。アンコールを含め、彼女は3曲で奇声を発する。ショーン・レノンとは腹違いの兄、ジュリアン・レノンは今どういう暮らしをしているのか、ショウを見ているとき、そんなことを思ったりも。恵比寿・リキッドルーム。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動して、メイシオ・パーカー(2005年9月6日、2007年9月13日、他)。基本の顔ぶれは不動。ただし、トロンボーン奏者が元ホーニー・ホーンズのグレッグ・ボイジャーからかつてコートニー・パイン(2004年9月26日、他)の公演に動向していた英国人のデニス・ロリンズ(2000年5月30日、2001年3月12日)に代わっていた。で、なんにせよ、プロ意識みなぎる実演は好調。ほう、と感じたのは、ビートがより溜めた、含みを持つとも書ける、少しゆっくり目のそれでだいたい統一していたこと。JB曲でもそうだったので、それは意識的なはず。ファンクであることを貫きつつ、少し老成したノリを求めている、という所感もぼくは得た。「2%のジャズと、98%のファンク」という、かつての有名キャッチをメイシオは久しぶりにステージで言ったりも。2時間は平気でやった実演。十分、高揚した。
後日、ショーン・レノンにはインタヴュー。基本は、静的な印象を与える人。やっぱり父親の面影はいろいろありで、父上の大ファンであるぼくは感慨深い。彼はなんのためらいもなく、父や母とのこともいろいろ話してくれる。キメラ・ミュージックはかつて所属したグランド・ロイヤルの趣味性なんかを手本にしたいところはあるみたい。とともに、統一バンドのもといろんな人が歌うというのは、モータウン・レヴューへの憧憬なんかもあるそう。彼はニック・ケイヴやキース・リチャーズ他らいろんな人が関与したハル・ウィルナー制作のマリアンヌ・フェイスフル新作に参加しているが、それは母親とフェイスフルが知り合いで両者から頼まれたそうで、ウィルナーとは面識がなかったそう。一曲だけ参加のはずがけっこう弾いちゃった、とか。
彼は「ちょうどいい ほん」(講談社)という絵本を出したばかりだが、取材中に彼はぼくの顔をペンで描き出す。うひゃー。じっと、顔を覗き込まれたりして。“For Sato-san From Sean Lennon 2009AD”と署名付きのその絵は家宝とする。
豪華顔ぶれが揃う。基本、バンドは日本人によるもので、ギターを黙々と弾く小山田圭吾やあらきゆうこ(ドラム)らに、在NYの元チボ・マットの本田ゆか(キーボード)らが加わる。で、そのバンドの前にギターを持つレノン、3人の外国人女性シンガー(うち、一人はレノンのガール・フレンドのよう)らが立ち、いろんな設定で曲が披露される。円満。そして、しなやか。後で名前をチェックしたら、なんと女性陣の一人はチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日)の娘でベック他の表現に助力しまくり、リーダー作も出しているヴァイオリニスト/シンガーのペトラ・ヘイデン(レニー・ワロンカーの息子のジョーイとスペインというバンドや、同じくワロンカーの娘のアンナとザット・ドッグというバンドをやっていたこともあった)じゃないか。なお、妹のターニャ・ヘイデンは俳優のジャック・ブラックと結婚しているので、ブラックにとってペトラは義理の姉になる。さらに蛇足だが、そのヘイデン・シスターズやブラックやエルヴィス・コステロらが参加したチャーリー・ヘイデンの08年カントリー系ポップ作は目茶素敵な手触りを持つ。
そして、最後には母親のヨーコ・オノが登場、このときが一番客は沸いたかな。もう、とっくに70歳を超えているはずだが、毅然と我が道を行っていたのは間違いない。アンコールを含め、彼女は3曲で奇声を発する。ショーン・レノンとは腹違いの兄、ジュリアン・レノンは今どういう暮らしをしているのか、ショウを見ているとき、そんなことを思ったりも。恵比寿・リキッドルーム。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動して、メイシオ・パーカー(2005年9月6日、2007年9月13日、他)。基本の顔ぶれは不動。ただし、トロンボーン奏者が元ホーニー・ホーンズのグレッグ・ボイジャーからかつてコートニー・パイン(2004年9月26日、他)の公演に動向していた英国人のデニス・ロリンズ(2000年5月30日、2001年3月12日)に代わっていた。で、なんにせよ、プロ意識みなぎる実演は好調。ほう、と感じたのは、ビートがより溜めた、含みを持つとも書ける、少しゆっくり目のそれでだいたい統一していたこと。JB曲でもそうだったので、それは意識的なはず。ファンクであることを貫きつつ、少し老成したノリを求めている、という所感もぼくは得た。「2%のジャズと、98%のファンク」という、かつての有名キャッチをメイシオは久しぶりにステージで言ったりも。2時間は平気でやった実演。十分、高揚した。
後日、ショーン・レノンにはインタヴュー。基本は、静的な印象を与える人。やっぱり父親の面影はいろいろありで、父上の大ファンであるぼくは感慨深い。彼はなんのためらいもなく、父や母とのこともいろいろ話してくれる。キメラ・ミュージックはかつて所属したグランド・ロイヤルの趣味性なんかを手本にしたいところはあるみたい。とともに、統一バンドのもといろんな人が歌うというのは、モータウン・レヴューへの憧憬なんかもあるそう。彼はニック・ケイヴやキース・リチャーズ他らいろんな人が関与したハル・ウィルナー制作のマリアンヌ・フェイスフル新作に参加しているが、それは母親とフェイスフルが知り合いで両者から頼まれたそうで、ウィルナーとは面識がなかったそう。一曲だけ参加のはずがけっこう弾いちゃった、とか。
彼は「ちょうどいい ほん」(講談社)という絵本を出したばかりだが、取材中に彼はぼくの顔をペンで描き出す。うひゃー。じっと、顔を覗き込まれたりして。“For Sato-san From Sean Lennon 2009AD”と署名付きのその絵は家宝とする。
爆音的ギター・サウンドとどこか人なつこいキブンが合わさったロックを聞かせるスコットランドの4人組、若い頃のU2みたいなまっすぐさを感じたりもし、昨年出たUK発の新人としてはかなりあっぱれと思わせた人たちで、かなり楽しみに行ったのだが。……ぼくは、CDのほうが好きだな。ヴォーカルくんは皮ジャン/リーゼント。隣にいた同業者がけっこうジョー・ストラマーと似ているんですよと、耳打ちしてくる。へえー、なんかMCの声がストラマー(2001年11月2日、他)みたいに聞こえてきたりして。それを伝えると、骨格が似ていると声も似るんじゃないですかねえ、との返事。なんか、ノンビリした会話してんなあ。でも、それも過剰な緊張感がない公演だったからかも。グラスヴェガスには女性が一人いてドラム担当なのだが、これが座らず立って(足は使わず)タムやシンバルを叩くだけ。まあ、定石から逃れていると褒められるかもしれない(ああいうドラミングのスタイル、ロカビリーにあるじゃん。と、その後の飲みの席で発言した者あり。なるほどォ)が、これが稚拙と言わざるをえないわけで。なんか、拍子抜け。ありゃあ、発散のロックとしては大減点になっちゃうよなー。まあ、歌の力やバンドのまとまりはあったと思うが(照明も、そこそこ考えられていたかな)。約1時間のショウの最後の曲は、ロネッツの63年大ヒット曲でもある著名アメリカン・ポップ曲「ビー・マイ・ベイビー」。恵比寿・リキッドルーム。
電車があるうちに、帰宅。なんか、あまり寒くない。昼間は曇りで陽がささず寒く感じて、今シーズンほぼ初めて仕事部屋でエアコンを使ったのに。先週とかは帰り道が寒くて、しばらく夜遊びは控えようかと思ったこともあったよな。うれしくなって、途中でアイス・バーを買って、歩きながら食べる。ふぁはは。家に着いたら、お、ちょうどオバーマの就任式の中継をやっている。酔っぱらいつつ、ぼやーっと見て、いろんなことを考えた。
電車があるうちに、帰宅。なんか、あまり寒くない。昼間は曇りで陽がささず寒く感じて、今シーズンほぼ初めて仕事部屋でエアコンを使ったのに。先週とかは帰り道が寒くて、しばらく夜遊びは控えようかと思ったこともあったよな。うれしくなって、途中でアイス・バーを買って、歩きながら食べる。ふぁはは。家に着いたら、お、ちょうどオバーマの就任式の中継をやっている。酔っぱらいつつ、ぼやーっと見て、いろんなことを考えた。
フレッド・フリス、アマッド・コンパオレ+オノ セイゲン
2009年1月17日 音楽 外見はほのぼの、熊さんみたい(ずっと昔からだよなあ)ながら、フリスは一部の人にとっては相当にリジェンダリーなミュージシャン。会場の飯田橋・東京日仏学院のラ・ブラスリーはもう満杯。49年英国生まれ(ぎりぎりまだ50代なんだァ)、彼の地のジャズとロックの関係がまだ刺激的だった70年代初頭に登場し、ヘンリー・カウ〜ジ・アート・ベアーズという意義たっぷりのアヴァン・ロック・バンドに参加したあと、80年前後からはNYのフリー/ボーダーレス・ミュージックのシーンに身を投じて、好奇心向くままに様々な人といろんな音を出している“枠をこえた”ギター奏者……。近年はオークランドの大学の教授となり作曲を教えているらしが、ウィンター&ウィンター、ツァディック、RERなど、ミレニアム以降、一段とリーダー作リリースを活発に行っていたりもする。
そんな彼を今回呼んだのは、今は日本に住んでいるという、アマッド・コンパオレというドラム/打楽器奏者。いろいろと米国のアヴァンギャルド奏者を知るらしい彼、両親はブルキナ・ファソ人とエジプト人で、サウジアラビア生まれでフランス育ちという経歴を持っているそうな。
ファースト・セットは、その2人による約45分の即興パフォーマンス。半分ぐらいは調性を感じさせる、対話……。フリスは座っているためほとんど演奏している様は見えず、ゆえにどんな奏法をしているのかまったく分らなかった(とても、残念。弓を手にしていたときがあったのは、確認できた)が、本当に多彩な音が繰り出され、舞う。コンパレオは的をいたフリー・ジャズ流れのインプロ流儀で対応。その総体はいろんなカタチをこさえる。終わったあと、こんなの音楽じゃないと一緒に来た人に小声でぶつぶつ言っているおじいさんがいるのが可笑しかった。
休憩を挟んで、その2人に、世界的なエンジニアでもある作曲家のオノセイゲン(2000年3月12日)がやはり電気ギターで加わる。フリスは彼の88年作『COMME des GARCONS』に参加してもいるが、オノセイゲンが行うライヴ・パフォーマンス(昨年は、またスイスのモントルー・ジャズ祭に出演したのか)の題材はいつも自分の曲であったわけで、どういうものになるのかと興味津々で追ったら……。おお、すげえ。面白い。そりゃ、技量的にはつたない部分はあったろうが、彼の反応や新たな展開の提示などはいけてて、さすがジョン・ゾーンをはじめNYの自由音楽シーンの逸材たちと長年渡り合ってきている人物だと思わせられる事しきり。というか、彼の耳の良さや豊かな知識に支えられた鋭敏な勘や瞬発力なんかがあらゆる活動の礎になっているんだろうなと思わずにはいられず。
出だしは、オノが弾くリフから始まり、2人が音を重ねていく。その流れでオノの弾く低音の単音アクセントがそうだったからもしれないが、ちょっと70年ごろのマイルズ・デイヴィスみたいと感じた局面も冒頭はあったか。1部と比較するなら、2部はより具体的でダイナミック。もっとメロディがあって、ステディなビートが存在したパフォーマンスと言える。こちらでフリスはシング・トークをはじめ、3、4カ所ぐらいで肉声も繰り出した! 楽器をセッティングするときちょい打ち合わせしただけらしいが、望外の具体性や力強さはなんか逆に新鮮だったな。
アンコールはオノがつまびくボサ調の調べから始まり、延々とメロディアスな協調が続く。おお、これはオノの既発のほのぼの曲(「She is She」)じゃないか。最後のほうはフリーフォームになりましたが。18日はスーパーデラックスでギグがあるが、そちらはフリス、コンパオレ、大友良英という即興のあっち側まで知り尽くした奏者のお手合わせなゆえまったく異なるもになるはずで、このセカンド・セットはとても貴重なものだったのではないかしら。この晩の演奏はしっかり録音されたようだが、製品化はなるか。
そんな彼を今回呼んだのは、今は日本に住んでいるという、アマッド・コンパオレというドラム/打楽器奏者。いろいろと米国のアヴァンギャルド奏者を知るらしい彼、両親はブルキナ・ファソ人とエジプト人で、サウジアラビア生まれでフランス育ちという経歴を持っているそうな。
ファースト・セットは、その2人による約45分の即興パフォーマンス。半分ぐらいは調性を感じさせる、対話……。フリスは座っているためほとんど演奏している様は見えず、ゆえにどんな奏法をしているのかまったく分らなかった(とても、残念。弓を手にしていたときがあったのは、確認できた)が、本当に多彩な音が繰り出され、舞う。コンパレオは的をいたフリー・ジャズ流れのインプロ流儀で対応。その総体はいろんなカタチをこさえる。終わったあと、こんなの音楽じゃないと一緒に来た人に小声でぶつぶつ言っているおじいさんがいるのが可笑しかった。
休憩を挟んで、その2人に、世界的なエンジニアでもある作曲家のオノセイゲン(2000年3月12日)がやはり電気ギターで加わる。フリスは彼の88年作『COMME des GARCONS』に参加してもいるが、オノセイゲンが行うライヴ・パフォーマンス(昨年は、またスイスのモントルー・ジャズ祭に出演したのか)の題材はいつも自分の曲であったわけで、どういうものになるのかと興味津々で追ったら……。おお、すげえ。面白い。そりゃ、技量的にはつたない部分はあったろうが、彼の反応や新たな展開の提示などはいけてて、さすがジョン・ゾーンをはじめNYの自由音楽シーンの逸材たちと長年渡り合ってきている人物だと思わせられる事しきり。というか、彼の耳の良さや豊かな知識に支えられた鋭敏な勘や瞬発力なんかがあらゆる活動の礎になっているんだろうなと思わずにはいられず。
出だしは、オノが弾くリフから始まり、2人が音を重ねていく。その流れでオノの弾く低音の単音アクセントがそうだったからもしれないが、ちょっと70年ごろのマイルズ・デイヴィスみたいと感じた局面も冒頭はあったか。1部と比較するなら、2部はより具体的でダイナミック。もっとメロディがあって、ステディなビートが存在したパフォーマンスと言える。こちらでフリスはシング・トークをはじめ、3、4カ所ぐらいで肉声も繰り出した! 楽器をセッティングするときちょい打ち合わせしただけらしいが、望外の具体性や力強さはなんか逆に新鮮だったな。
アンコールはオノがつまびくボサ調の調べから始まり、延々とメロディアスな協調が続く。おお、これはオノの既発のほのぼの曲(「She is She」)じゃないか。最後のほうはフリーフォームになりましたが。18日はスーパーデラックスでギグがあるが、そちらはフリス、コンパオレ、大友良英という即興のあっち側まで知り尽くした奏者のお手合わせなゆえまったく異なるもになるはずで、このセカンド・セットはとても貴重なものだったのではないかしら。この晩の演奏はしっかり録音されたようだが、製品化はなるか。
大貫妙子。チャーリー・ハンター・トリオ
2009年1月16日 音楽 まず、六本木・STB139で大貫妙子(2005年9月14日)の公演を見る。MCによれば、アコースティックな設定のものが続いたなか久しぶりのバンド編成によるもの、とのこと。そのため、昔の曲もやろうといろいろ聞き直したけど、歌詞の部分で今は合わなくなっているものが多くなってしまっているのだとか。そうした、知りえていい情報を伝えもするMC(歌声よりも低音なんですね)は控えめに。日本担い手のライヴ・ショウに行くと長〜い垂れ流しMCに閉口しちゃうことがよくあるのだが、さすがわきまえた(?)熟練者……。いや、やはり洋楽感覚を内のどこかにちゃんと抱えていると取ったほうがいいのかな。
適切に薄口な、温もりを持つサウンドのもと、クールネスと美意識と心智をもつ大貫の声/佇まいがさあーっと溶けて行き、彼女ならではの世界がぽっかりと浮び上がる。それ、洋楽でも邦楽でもない、不可分な領域を自在に漂うもの、なんても形容したくなるか。やはり、古めの曲は拍手が沸くようで、隣の人がある曲で一句一字もらさずと言う感じで嬉々として口を動かしていたナ。バンドはキーボードの森俊之(2005年9月14日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)、ギターの小倉博和(いろいろギターを持ち替えていた)、べースの鈴木正人(2007年1月27日、2008 年1月31日、他)、ドラムの林立夫(2001年12月16日)という名のある面々。邦人ロック・ドラムの大御所である林立夫のブラシやリム・ショットなども用いるドラミングは不器用な味を持つんだけど、ときにけっこうジャジー。流れに乗ってアクセントを加えていくという感じもあった。
最後のほうで退出し、丸の内に移動。コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、ジャム・バンド系の人気者でもある、特殊ギター使用の変種ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002年1月24日、2006年4月17日)のギグを見る。で、好ましい方向に完全に舵を取ったと思わせるものだったナ。今のトリオの編成は、ベース音も出す彼とオルガン奏者とドラマー。のらりくらりな曲調やものすごーく曖昧な情緒のなかからそこはかとない気分を出すというのは変わらないのだが、なんせギターでオルガン音を模さなくなったぶん(当初、彼がギターとベースの音を一緒に出す奏法を編み出したのはオルガン音を出したかったから、と伝えられる)、ギタリストとしての凄さ、面白さが、素直に伝わるようになった。音楽として正しい明解さを彼は出すようになった。嬉しい押し出しが強くなった。
とにかく、太いほうの弦を上下のサム・ピッキングで出すベース音はすごいし、アルペジオのように弾く複音ギター音主体演奏も彼一流と感じさせ、やっぱりこりゃ無条件にすげェと思わせる。ときにブルース・コード曲もやったが、単音弾き主体の演奏も訴求力ばっちり(そのときは、オルガン奏者がベース音を出したときも)。その総体はまったくもって我が道を行く秀でたギタリストであるぞと思わせるものになっていたわけで、さすがマイケル・フランティ(2006年10月5日、他。大昔組んでいた、ヒップホップリシー〜時代の同僚なり)やプライマスのレス・クレイプール(ハンターのデビュー作はクレイプールがプロデューサーを務める)、ディアンジェロ(その大傑作『ヴードゥー』はハンターの個性的なギター・リフが基調になったものアリ)からも慕われた逸材じゃと実感。そして、全体から漂う、なあなあな気分……。それに触れていると、さすが筋金入りのヒッピーの母親のもと赤ちゃんのときから全米を放浪し、西海岸バークレーに定住するまで靴を履いたことがなかった、なんてエピソードにも納得させられるのだ。
適切に薄口な、温もりを持つサウンドのもと、クールネスと美意識と心智をもつ大貫の声/佇まいがさあーっと溶けて行き、彼女ならではの世界がぽっかりと浮び上がる。それ、洋楽でも邦楽でもない、不可分な領域を自在に漂うもの、なんても形容したくなるか。やはり、古めの曲は拍手が沸くようで、隣の人がある曲で一句一字もらさずと言う感じで嬉々として口を動かしていたナ。バンドはキーボードの森俊之(2005年9月14日、2008年1月30日、2008年1月31日、他)、ギターの小倉博和(いろいろギターを持ち替えていた)、べースの鈴木正人(2007年1月27日、2008 年1月31日、他)、ドラムの林立夫(2001年12月16日)という名のある面々。邦人ロック・ドラムの大御所である林立夫のブラシやリム・ショットなども用いるドラミングは不器用な味を持つんだけど、ときにけっこうジャジー。流れに乗ってアクセントを加えていくという感じもあった。
最後のほうで退出し、丸の内に移動。コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、ジャム・バンド系の人気者でもある、特殊ギター使用の変種ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002年1月24日、2006年4月17日)のギグを見る。で、好ましい方向に完全に舵を取ったと思わせるものだったナ。今のトリオの編成は、ベース音も出す彼とオルガン奏者とドラマー。のらりくらりな曲調やものすごーく曖昧な情緒のなかからそこはかとない気分を出すというのは変わらないのだが、なんせギターでオルガン音を模さなくなったぶん(当初、彼がギターとベースの音を一緒に出す奏法を編み出したのはオルガン音を出したかったから、と伝えられる)、ギタリストとしての凄さ、面白さが、素直に伝わるようになった。音楽として正しい明解さを彼は出すようになった。嬉しい押し出しが強くなった。
とにかく、太いほうの弦を上下のサム・ピッキングで出すベース音はすごいし、アルペジオのように弾く複音ギター音主体演奏も彼一流と感じさせ、やっぱりこりゃ無条件にすげェと思わせる。ときにブルース・コード曲もやったが、単音弾き主体の演奏も訴求力ばっちり(そのときは、オルガン奏者がベース音を出したときも)。その総体はまったくもって我が道を行く秀でたギタリストであるぞと思わせるものになっていたわけで、さすがマイケル・フランティ(2006年10月5日、他。大昔組んでいた、ヒップホップリシー〜時代の同僚なり)やプライマスのレス・クレイプール(ハンターのデビュー作はクレイプールがプロデューサーを務める)、ディアンジェロ(その大傑作『ヴードゥー』はハンターの個性的なギター・リフが基調になったものアリ)からも慕われた逸材じゃと実感。そして、全体から漂う、なあなあな気分……。それに触れていると、さすが筋金入りのヒッピーの母親のもと赤ちゃんのときから全米を放浪し、西海岸バークレーに定住するまで靴を履いたことがなかった、なんてエピソードにも納得させられるのだ。
ザ・スウェル・シーズン。ドノヴァン・フランケンレイター
2009年1月15日 音楽 ちっぽけな個人映画でもちゃんと内容があれば大きな支持を受け、米国〜ハリウッドも頭を垂れる……近年、その最良の例と言えるかもしれない映画『onceダブリンの街角で』(その音楽はアカデミー賞もグラミー賞も該当部門を獲得)の主人公の男女お二人、もといアイルランドの人気ロック・バンドであるザ・フレイムズのグレン・ハンサード(ギター、ヴォーカル)と彼の若い音楽仲間であるチェコ人のマルケタ・イルグノヴァ(ピアノ、ヴォーカル)、2人によるユニットの公演。『onceダブリンの街角で』の監督がザ・フレイムズでベースを弾いていた事が縁で、本来音楽しか担当しないはずのハンサードたちは映画に出ることになったというが、そういう話も含めて、<ハプニングの素敵>を感じちゃうな。
渋谷・クラブクアトロ、めっちゃ入っていて、客は熱烈な反応。ベース、ヴァイオリン、ギター/キーボード、ドラムがサポート。彼らは、ザ・フレイムズのメンバーたちが主になるようだ。最初はハンサードがアコースティック・ギター(使いすぎて、カッティングがあたってボディに穴があいている。いまやトレードマーク?)の弾き語り。おお、一発目から振り絞るように熱唱。続いて、イルグノヴァが出てきてデュオとなり、3曲目からは基本バンドにて。が、曲によって、臨機応変なバッキングがなされたとも書けるかな。ときに、イグノヴァが中央に出てきて生ギターを手にしながら歌い、ハンサードがピアノを弾いたりも。両者ともまったくの余芸で、それ、イグノヴァがたまには真ん中で聴衆と向き合って歌いたかったからなんだろうな。
澄んだ気持ちと歌心あふれる……。で、驚いたのは、基本アコースティックな公演なのに、出音が相当に大きかった事。繊細さはたっぷりながら、一方ではとてもパワフルなパフォーマンスであったのは、そういう物理的な要素もあったのかもしれない。ハンサードの力ある歌を聞いていると、先達ヴァン・モリソンのことを思い出す。彼はモリソン曲も歌った! 今回、2公演ともにソールドアウトになったみたいだし、次はザ・スウェル・シーズンとザ・フレイムズの二本立て公演でもう少し大規模に興行してほしいっ。
その後、渋谷・Oイーストに移動して、ドノヴァン・フランケンレイター(2003年9月30日)を途中から見る。近年のポップ路線を踏む形のものをバンドで和気あいあいと展開。途中、昨日見たヘイリー・セイルズ(この日は前座で登場)も加わり、華をそえる。最後は生ギター弾き語り(やっぱり、彼はこっちのほうが合っているかな)、2歳にならないぐらいの子供を伴い、彼にハーモニカを吹かせたりも。
渋谷・クラブクアトロ、めっちゃ入っていて、客は熱烈な反応。ベース、ヴァイオリン、ギター/キーボード、ドラムがサポート。彼らは、ザ・フレイムズのメンバーたちが主になるようだ。最初はハンサードがアコースティック・ギター(使いすぎて、カッティングがあたってボディに穴があいている。いまやトレードマーク?)の弾き語り。おお、一発目から振り絞るように熱唱。続いて、イルグノヴァが出てきてデュオとなり、3曲目からは基本バンドにて。が、曲によって、臨機応変なバッキングがなされたとも書けるかな。ときに、イグノヴァが中央に出てきて生ギターを手にしながら歌い、ハンサードがピアノを弾いたりも。両者ともまったくの余芸で、それ、イグノヴァがたまには真ん中で聴衆と向き合って歌いたかったからなんだろうな。
澄んだ気持ちと歌心あふれる……。で、驚いたのは、基本アコースティックな公演なのに、出音が相当に大きかった事。繊細さはたっぷりながら、一方ではとてもパワフルなパフォーマンスであったのは、そういう物理的な要素もあったのかもしれない。ハンサードの力ある歌を聞いていると、先達ヴァン・モリソンのことを思い出す。彼はモリソン曲も歌った! 今回、2公演ともにソールドアウトになったみたいだし、次はザ・スウェル・シーズンとザ・フレイムズの二本立て公演でもう少し大規模に興行してほしいっ。
その後、渋谷・Oイーストに移動して、ドノヴァン・フランケンレイター(2003年9月30日)を途中から見る。近年のポップ路線を踏む形のものをバンドで和気あいあいと展開。途中、昨日見たヘイリー・セイルズ(この日は前座で登場)も加わり、華をそえる。最後は生ギター弾き語り(やっぱり、彼はこっちのほうが合っているかな)、2歳にならないぐらいの子供を伴い、彼にハーモニカを吹かせたりも。
ヘイリー・セイルズ、マット・グランディ
2009年1月14日 音楽 南青山・カイでの、サーフロック・インターナショナル仕切りのショーケース・ライヴ。まず、ドノヴァン・フランケンレイター・バンドのベース奏者であるマット・グランディが出てきて、ナイロン弦生ギター(形が小さめだった)を弾き語り。スクエアな顔の持つ人だが、飄々と行儀の良いパフォーマンスを繰り広げる。ある意味、正統的な弾き語りを見せる、とも書けるかな。なんとなく、ゴードン・ライトフットの表現が頭に浮かぶ。
その後に、86年米国DC生まれ、今はカナダ西海岸の自然豊かな島に住むと言う女性シンガー・ソングライターのパフォーマンス。弾力性のあるベーシストとドラマーがついてのもので、15曲強を披露。ユニーバーサル・カナダ原盤のデビュー作『サンシード』は“ジャック・ジョンソン・ミーツ・ノラ・ジョーンズ”という鬼に金棒と言いたくなる味を持っていたが、実演はもっとキャピっとしてて闊達。写真より綺麗に見えたし、生ギターの技量も含め実演能力も思った以上にあるとすぐに感じたが、デヴュー作は3年前に録音されたものだというので、そりゃ異なる印象を得ても当然だろう。何曲か後打ちビートの曲を嬉しそうにやったりして、レゲエはかなり好きそう。まあ、ベン・ハーパーは大好きらしいしな。なんにせよ、今後もっと注目されるべきタレントであることは見事にアピールしていました。
その後に、86年米国DC生まれ、今はカナダ西海岸の自然豊かな島に住むと言う女性シンガー・ソングライターのパフォーマンス。弾力性のあるベーシストとドラマーがついてのもので、15曲強を披露。ユニーバーサル・カナダ原盤のデビュー作『サンシード』は“ジャック・ジョンソン・ミーツ・ノラ・ジョーンズ”という鬼に金棒と言いたくなる味を持っていたが、実演はもっとキャピっとしてて闊達。写真より綺麗に見えたし、生ギターの技量も含め実演能力も思った以上にあるとすぐに感じたが、デヴュー作は3年前に録音されたものだというので、そりゃ異なる印象を得ても当然だろう。何曲か後打ちビートの曲を嬉しそうにやったりして、レゲエはかなり好きそう。まあ、ベン・ハーパーは大好きらしいしな。なんにせよ、今後もっと注目されるべきタレントであることは見事にアピールしていました。
渋谷・クラブクアトロ。前座で日本人の四人組バンドが出てきて、20分ぐらい演奏。スマッシュ扱いの外タレ公演で、こういうの珍しい。女性みたいに聞こえたシンガーのベタついた感じの歌声がまったく好みじゃなくこりゃヤダと思ったが、少ししたらまっとうな歌ものロックを提供しているゾと感心。けっこう若そうな感じもあったけど、演奏技量も確かと感じた。バンド名は聞き取れず。
そして、カナダのスターズ(2008年3月7日)。メロディにしてもサウンドにしても、なんら新しいところはなく、酷い言葉で書けば手垢にまみれた語彙を使いまわしたポップ・ロックを送り出す。と書くと、かなり否定的な感じになるが、その語彙の押し出し方はとても誠意のあるもので、ふんわかいい所感を受けちゃうのだ。ポップ・ミュージックとしてのおいしいツボを抑えている、とも書けるかな。男性ヴォーカリストの声がフィル・コリンズみたいだと思える部分がありました。
深夜、個人タクシーに乗ったら、またヒュンダイ車。運転手さんが言うには、この前(2008年12月14日)の説明とは違い、日本メイカーは法人だけにしかLPガス車を卸さなくなったので、個人タクシーはヒュンダイが多くなっている……。それから、昨年秋にスペインで車ネタでうわあと驚いたことがあったんだけど、記すのを忘れていた事が一つ(スペインの車事情は、2007年10日28日の項で少し書いていますが)。それは、最後にホテルから空港まで乗ったタクシーがセアト(VW系のスペイン・ブランド)の1600ccクラスの新車だったのだが、その車がオートマティック(さらに、パワー・ウィンドウ付き)だったこと。まさに初めてスペインでオートマ車と遭遇したわけで、ものすごく衝撃(と書くと、ちょっと違うかな)を受けたのだった。おお、ついに営業車ドライヴァーがオートマ車を使い始めた! いまだマニュアル車全盛の欧州でもオートマ車が徐々に増えていくのだろうか。長年、マニュアル車に乗っているぼくは、今クラッチのない車を運転する自信がない。一昨年、オーストラリアに行ったときに一瞬オートマのレンタカーを運転しようとしたけと、恐くてすぐにやめたもんなー。
そして、カナダのスターズ(2008年3月7日)。メロディにしてもサウンドにしても、なんら新しいところはなく、酷い言葉で書けば手垢にまみれた語彙を使いまわしたポップ・ロックを送り出す。と書くと、かなり否定的な感じになるが、その語彙の押し出し方はとても誠意のあるもので、ふんわかいい所感を受けちゃうのだ。ポップ・ミュージックとしてのおいしいツボを抑えている、とも書けるかな。男性ヴォーカリストの声がフィル・コリンズみたいだと思える部分がありました。
深夜、個人タクシーに乗ったら、またヒュンダイ車。運転手さんが言うには、この前(2008年12月14日)の説明とは違い、日本メイカーは法人だけにしかLPガス車を卸さなくなったので、個人タクシーはヒュンダイが多くなっている……。それから、昨年秋にスペインで車ネタでうわあと驚いたことがあったんだけど、記すのを忘れていた事が一つ(スペインの車事情は、2007年10日28日の項で少し書いていますが)。それは、最後にホテルから空港まで乗ったタクシーがセアト(VW系のスペイン・ブランド)の1600ccクラスの新車だったのだが、その車がオートマティック(さらに、パワー・ウィンドウ付き)だったこと。まさに初めてスペインでオートマ車と遭遇したわけで、ものすごく衝撃(と書くと、ちょっと違うかな)を受けたのだった。おお、ついに営業車ドライヴァーがオートマ車を使い始めた! いまだマニュアル車全盛の欧州でもオートマ車が徐々に増えていくのだろうか。長年、マニュアル車に乗っているぼくは、今クラッチのない車を運転する自信がない。一昨年、オーストラリアに行ったときに一瞬オートマのレンタカーを運転しようとしたけと、恐くてすぐにやめたもんなー。
蜂谷真紀×スガダイロー
2009年1月8日 音楽 夕方、元ディキシー・タンタス(1999年4月23日、同6月23日、同9月30日)〜ポンティアッッック・ブルーズ(2003年9月9日)の山浦“アニキ”智生くん(http://yamatomo.music.coocan.jp/index_pc.htm)と会い、渋谷でビールをぐびぐび。現在、彼はメインのバンドとしてバック・ソウル・インヴェイダーズというのをやっていて、『NEW FRONTIER』というアルバムを作って間もない。ブルース・イクスプロージョン的な音を出していたポンティアック・ブルーズからディキシー・タンタス(とっても、大好きでしたァ)でやってたようなグルーヴ・ポップ・ロック表現に戻っているところはあるか。メロディと歌心と塊感と心意気やダンディズムと洒落心がいい感じで、そこには混在する。いい出来、やっぱり才あるよなと思う。彼はピアノ弾き語りのライヴなんかもやっているという。
その後、入谷・なってるハウスに。合羽橋道具街の近く。冒険心を持つジャズの担い手を実直に扱っているという好イメージをぼくは持っていて、一度行きたかったヴェニュー。けっこうきれいなハコで、小さいながらグランド・ピアノも置いてある。出演者はヴォイス・パフォーマーの蜂谷真紀(2008年8月24日)と渋さ知らズ(2007年6月13日、他)の一員としても活躍するピアニストのスガダイロー、そのお二人の完全即興のパフォーマンス。耳を研ぎすまし、反応し合い、自在にながれていく45分ぐらいのものを休憩を挟んで一つづつ。蜂谷はいろんな歌い方をするとともに、時に鳴りもの各種やピアニカなんかも扱い、気持ちの行方を具現化しようとする。スガはアヴァンギャルドに弾いてもタッチが綺麗で明晰。黒い感覚はあまり持たないものの、(彼の生ピアノ演奏には初めて触れたが)いい弾き手だと思った。ここでは、日本酒とワインを飲む。滅茶苦茶な飲み方しとるなあ。
12時近く、銀座線に乗り換えたら、昨年の新年会以来となる旧知の週刊誌記者とばったり。おお。今年も“引き”はよさそうだ。こりゃ、流れるっきゃないでしょと、もりあがる。初めてお会いした同僚嬢とはとても交遊関係が重なっていて、びっくり。夜中、共通の知り合いに電話したりして(出やしねえ)。焼酎と沖縄ラム(やはり、焼酎ぽい)をごくごく。
ところで……。昨年暮れ(12月29日)にジャズ・トランペッターのフレディ・ハバード(1938年生まれ)が亡くなった。以下の文章は、07年春にSJ誌増刊用に書いた原稿。70年代前半までの彼、もう好きでした。
兄貴。変な意味ではなく、尊敬と憧憬の念
をとっても持てて、多少は近しく感じられる
存在に対してそんな呼び方をしたくなったり
はしないか? ぼくにとって、ジャズの世界
でそう感じた数少ない一人がハバードである。
いやあ、浪人生のころブルーノート時代の
彼のアルバムが大好きで、バカみたいに聞い
てたことがあったのだ。で、そこから得た所
感を糧に自分なりのジャズのイメージを構築
していったみたいな部分がぼくはある。と書
いてて、認知している以上にハバードはぼく
のジャズ観を規定している部分があるんじゃ
ないかと思えてきた。彼に感謝。
でも、明るい先を信じて吹きまくる様は本
当に輝いていた。60年代中期になるとちょっ
とアブストラクトなノリも入ってくるが、そ
れも本当に胸が高鳴るもの。こういうのが、
俺の求めるジャズなんだと無条件に感激しま
くったっけ。エリック・ドルフィー、ビル・
エヴァンス、ハービー・ハンコック他、その
ころのサイドマン参加演奏もきっちり耳を引
きつける。彼がマイルス・デイヴィス役を担
当したと言えるV.S.O.P.が高い評価を受けた
大きな理由は、彼がデイヴィスに媚びずに威
風堂々とした振る舞いに徹したからではない
のか。ぼくはそう感じている。それからもう
一つ、実は彼の名前は今のダンス・ミュージ
ック愛好者からは何気に知られているかもし
れない。だって、彼がCTI時代に発表しV.
S.O.P.でも取り上げている「レッド・クレイ
」はその道の大ネタ(多々、サンプリング使
用されていること)曲になっているから。
90年代を回ると健康上の理由から、ハバー
ドは一気に第一線を退いてしまった。だが、
ぼくのなかには冒険心あるサウンドを採用し
てバリバリと吹きまくる彼がしっかりといる。
で、彼の「クライシス」(61年)のテーマ
とか、ときどき口ずさみたくなる。フレディ
・ハバードはぼくにとって永遠の、リアル・
ジャズの兄貴なのだ。
その後、入谷・なってるハウスに。合羽橋道具街の近く。冒険心を持つジャズの担い手を実直に扱っているという好イメージをぼくは持っていて、一度行きたかったヴェニュー。けっこうきれいなハコで、小さいながらグランド・ピアノも置いてある。出演者はヴォイス・パフォーマーの蜂谷真紀(2008年8月24日)と渋さ知らズ(2007年6月13日、他)の一員としても活躍するピアニストのスガダイロー、そのお二人の完全即興のパフォーマンス。耳を研ぎすまし、反応し合い、自在にながれていく45分ぐらいのものを休憩を挟んで一つづつ。蜂谷はいろんな歌い方をするとともに、時に鳴りもの各種やピアニカなんかも扱い、気持ちの行方を具現化しようとする。スガはアヴァンギャルドに弾いてもタッチが綺麗で明晰。黒い感覚はあまり持たないものの、(彼の生ピアノ演奏には初めて触れたが)いい弾き手だと思った。ここでは、日本酒とワインを飲む。滅茶苦茶な飲み方しとるなあ。
12時近く、銀座線に乗り換えたら、昨年の新年会以来となる旧知の週刊誌記者とばったり。おお。今年も“引き”はよさそうだ。こりゃ、流れるっきゃないでしょと、もりあがる。初めてお会いした同僚嬢とはとても交遊関係が重なっていて、びっくり。夜中、共通の知り合いに電話したりして(出やしねえ)。焼酎と沖縄ラム(やはり、焼酎ぽい)をごくごく。
ところで……。昨年暮れ(12月29日)にジャズ・トランペッターのフレディ・ハバード(1938年生まれ)が亡くなった。以下の文章は、07年春にSJ誌増刊用に書いた原稿。70年代前半までの彼、もう好きでした。
兄貴。変な意味ではなく、尊敬と憧憬の念
をとっても持てて、多少は近しく感じられる
存在に対してそんな呼び方をしたくなったり
はしないか? ぼくにとって、ジャズの世界
でそう感じた数少ない一人がハバードである。
いやあ、浪人生のころブルーノート時代の
彼のアルバムが大好きで、バカみたいに聞い
てたことがあったのだ。で、そこから得た所
感を糧に自分なりのジャズのイメージを構築
していったみたいな部分がぼくはある。と書
いてて、認知している以上にハバードはぼく
のジャズ観を規定している部分があるんじゃ
ないかと思えてきた。彼に感謝。
でも、明るい先を信じて吹きまくる様は本
当に輝いていた。60年代中期になるとちょっ
とアブストラクトなノリも入ってくるが、そ
れも本当に胸が高鳴るもの。こういうのが、
俺の求めるジャズなんだと無条件に感激しま
くったっけ。エリック・ドルフィー、ビル・
エヴァンス、ハービー・ハンコック他、その
ころのサイドマン参加演奏もきっちり耳を引
きつける。彼がマイルス・デイヴィス役を担
当したと言えるV.S.O.P.が高い評価を受けた
大きな理由は、彼がデイヴィスに媚びずに威
風堂々とした振る舞いに徹したからではない
のか。ぼくはそう感じている。それからもう
一つ、実は彼の名前は今のダンス・ミュージ
ック愛好者からは何気に知られているかもし
れない。だって、彼がCTI時代に発表しV.
S.O.P.でも取り上げている「レッド・クレイ
」はその道の大ネタ(多々、サンプリング使
用されていること)曲になっているから。
90年代を回ると健康上の理由から、ハバー
ドは一気に第一線を退いてしまった。だが、
ぼくのなかには冒険心あるサウンドを採用し
てバリバリと吹きまくる彼がしっかりといる。
で、彼の「クライシス」(61年)のテーマ
とか、ときどき口ずさみたくなる。フレディ
・ハバードはぼくにとって永遠の、リアル・
ジャズの兄貴なのだ。
ケニー・バロン・トリオ。映画『パッセンジャーズ』
2009年1月7日 音楽 年末からずうっと、昼間はお日様がさす(家にいると、温室みたいであったかーい)穏やかな日々がつづく。近年稀な、という言い方もしたくなるか。夜遊びもあまりしていないため、けっこう早寝早起きの日々。普段乱れた生活しているためもあり、そういう健全なのって心地いい。……年賀状、送っていただいた方、どうもありがとうございます。それなりの付き合いを持つ人なら知っていると思うが、ぼくは年賀状を一切ださない(大学のゼミの担当教授だけは唯一出していたが、それも出さなくなってしまった。そろそろ、退官かなあ)。面倒くさいし、出してない人から届いてあちゃーごめんよおとなることもない。でも、全然届かなかったら寂しいだろうし、いや届くぶんには嬉しい。オレって、本当に勝手だ。そういうの、悔い改めるときは来るのだろうか。
午前中、懸案だったテープ起こし(取材先で録音機を借りて録ったら、やたら録音状態が悪い)をちょい気合いだしてやって原稿にまとめ、午後三に渋谷・ショーゲート試写室へ。「パッセンジャーズ」という映画を見る。コロンビア人ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの映画監督をやっている息子のロドリゴ・マルケス(メキシコ育ち、なのか)が撮った作品。暗いトーンのなか、思わせぶりで疑心暗鬼な場面が綴られる。好みじゃないと思って見ていたが、最後の力技の展開でがらりと印象が変わる。気持ちが晴れる。微妙な余韻がじわんと沸いて来る。へえー。ご都合主義というか、かなり曖昧な含み〜展開も見られる映画だが、そんなとこは南米属性を持つ人が監督した映画だと思わせるか、な? ←それ、こじつけですね。脚本は出来合いのものをガルシアが気にいり、撮影に入ったようだが。ロケ地はカナダのヴァンクーヴァーで主要な役者は皆アメリカ人(準主役のパトリック・ウィルソンはスティーヴ・ウィンウッドに似ている)、米国トライスター映画配給なり。その後、カメラマンの森リョータくんの恵比寿で今日から始まった個展を覗いたあと、丸の内へ行って今年最初のライヴ。熟達ピアニストのケニー・バロンで、コットンクラブのセカンド・ショウ。
前回みたとき(2001年11月20日)はダイヤのピアスが一番印象に残ったバロンだが、この晩は多分していなかったな。アルバムだと広がりや現代感覚を趣味よく盛り込む彼だが、ライヴ・ショウにおいては緩い感じで老成した演奏を展開。が、弾く曲は我をほんのり出すかのようにオリジナルが中心、「NYアティチュード」とかベタな曲名を付ける人なんだな(その曲が入っていたアルバムは『NYの秋』というタイトル)。ソロ・パートを与えられた曲だけ、ドラマーはしゃかりきになって叩きまくって笑えた。リズム隊はNY在住の北川潔とフランシスコ・メラ。新作『ザ・トラヴェラー』のそれでもあり(そこには他に、傾向外ギタリストのリオネール・ルエケ;2007年7月24日他やシンガーらが加わる)、ここのところはライヴも一緒にやっているのだろう、彼らの前に譜面は一切なかった。バロンは本編中盤とアンコールで1曲づつソロ・ピアノを披露。
午前中、懸案だったテープ起こし(取材先で録音機を借りて録ったら、やたら録音状態が悪い)をちょい気合いだしてやって原稿にまとめ、午後三に渋谷・ショーゲート試写室へ。「パッセンジャーズ」という映画を見る。コロンビア人ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの映画監督をやっている息子のロドリゴ・マルケス(メキシコ育ち、なのか)が撮った作品。暗いトーンのなか、思わせぶりで疑心暗鬼な場面が綴られる。好みじゃないと思って見ていたが、最後の力技の展開でがらりと印象が変わる。気持ちが晴れる。微妙な余韻がじわんと沸いて来る。へえー。ご都合主義というか、かなり曖昧な含み〜展開も見られる映画だが、そんなとこは南米属性を持つ人が監督した映画だと思わせるか、な? ←それ、こじつけですね。脚本は出来合いのものをガルシアが気にいり、撮影に入ったようだが。ロケ地はカナダのヴァンクーヴァーで主要な役者は皆アメリカ人(準主役のパトリック・ウィルソンはスティーヴ・ウィンウッドに似ている)、米国トライスター映画配給なり。その後、カメラマンの森リョータくんの恵比寿で今日から始まった個展を覗いたあと、丸の内へ行って今年最初のライヴ。熟達ピアニストのケニー・バロンで、コットンクラブのセカンド・ショウ。
前回みたとき(2001年11月20日)はダイヤのピアスが一番印象に残ったバロンだが、この晩は多分していなかったな。アルバムだと広がりや現代感覚を趣味よく盛り込む彼だが、ライヴ・ショウにおいては緩い感じで老成した演奏を展開。が、弾く曲は我をほんのり出すかのようにオリジナルが中心、「NYアティチュード」とかベタな曲名を付ける人なんだな(その曲が入っていたアルバムは『NYの秋』というタイトル)。ソロ・パートを与えられた曲だけ、ドラマーはしゃかりきになって叩きまくって笑えた。リズム隊はNY在住の北川潔とフランシスコ・メラ。新作『ザ・トラヴェラー』のそれでもあり(そこには他に、傾向外ギタリストのリオネール・ルエケ;2007年7月24日他やシンガーらが加わる)、ここのところはライヴも一緒にやっているのだろう、彼らの前に譜面は一切なかった。バロンは本編中盤とアンコールで1曲づつソロ・ピアノを披露。
新宿・ピットイン。この晩は藤井郷子4(彼女に加え、マーク・ドレッサーとジム・ブラックの異能リズム・セクションに、トランペッターの田村夏樹。2002年8月5日、2004年7月27日)によるものだったのだが、ドレッサーの義理のお母さんが亡くなり、彼は帰国。かわりに、日本語ペラペラだそうな在日クロアチア系カナダ人ギタリストのケリー・チュルコが加わってのものとなる。ここ一年ほど藤井オーケストラ東京(2006年7月3日)に参加したりもするそうだが、けっこう飛んだ弾き方をする彼は無理なく、長年音を重ねている他の3人の演奏に入り、とき舵とりをしたりもする。興味深くも、楽しいジャズの実演……その他、所感は来年売りのミュージック・マガジン誌のライヴ評にて。
11月20日台から、かなりドタバタバタ。もー依頼を受けた原稿を書くのと夜の予定をこなすのでぱんぱん、<ライヴ三昧>の原稿を書く余裕がなく、溜めまくり(さすがに、書くときにはけっこう忘れているよー)。こんなに、てんぱった年末ってここ15年ぐらいなかったんじゃないか。ま、世の中いろいろあらーなと思いつつ、ひいん。
年末年始は思うまま自堕落しちゃおう。09年もピース!
11月20日台から、かなりドタバタバタ。もー依頼を受けた原稿を書くのと夜の予定をこなすのでぱんぱん、<ライヴ三昧>の原稿を書く余裕がなく、溜めまくり(さすがに、書くときにはけっこう忘れているよー)。こんなに、てんぱった年末ってここ15年ぐらいなかったんじゃないか。ま、世の中いろいろあらーなと思いつつ、ひいん。
年末年始は思うまま自堕落しちゃおう。09年もピース!
トニー・ウィリアムズ・ライフタイム・トリビュート
2008年12月16日 音楽 唯一無二の米国人ドラマー(1945年〜1997年)の、60年代後期から数年間組んでいたジャズ・ロック・プロジェクト“ライフタイム”への思いを吐露しようとする、なかなか興味深い顔ぶれによるギグ。南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。参加者は元クリームのジャック・ブルース(ベース)、ジャズ/ポップ両刀のシンディ・ブラックマン(ドラム)、 MMWのジョン・メデスキ(キーボード、1999年8月15日、2000年8月13日、2001年2月5日、2002年9月7日、2004年1月24日、2007年5月10日)、リヴィング・カラーのヴァーノン・リード(2000年8月13日)。ライフタイムはアルバムごとに面子や音楽志向を変えていたが、ブルースは中期ライフタイムのメンバーだった。
目茶、おもしろかった。発汗した。多忙すぎて無理だったが、もう一度見たい!と思わずにはいられなかった。逆に言えば、和みの上品なジャズを聞ければと来店した人がいたとしたら頭を抱えたくなる実演だったろうけけど。やった曲は全部ライフタイムの曲だったかどうかは定かではないが、ロック的なひっかかりや刺を持つ、クールに丁々発止しまくる演奏が延々と展開されたのは間違いない。4人はしっかりと自分の持ち味を出しつつ、共通のゴールに向かう演奏を開いていました。
ショート・スケールの小振りな電気ベースを弾くジャック・ブルースはかつてはピック弾きの人だったはずだが(記憶違いかもしれない)、この晩は指弾きでバンドをジャズ的に引っぱる演奏を披露する。おおいまだ進歩してるじゃないか! 彼は一部歌いもしたが、それは例の天を見上げるような美声歌唱ではなく、だらだらしたシング・トーク調のもの。メデスキにしてもリードにしても聞き手の期待を満たす演奏だったろうが、一番すごかったのは文句無しにブラックマンのパフォーマンス。ウィリアムズの爆裂ドラムをちゃんと消化し、ウイリアムズと化して叩きまくる様にゃもーほれぼれ。♥♥♥。けっこうな歳になっているはずだが、スリムな身体や風情もマル。同じようなヘア・スタイルしているし、エスペランサ・スポルディング(2008年9月5日。2008年12月1日)とリズム・セクションを組んでほしいと、切に思ったワタシ。それ、知人に伝えると、意外にベタな発想するんですねと言われてしまった。ハハ。
感激したので、トニー・ウィリアムズのことを書いた原稿を再録しておく。2007年初夏のスイング・ジャーナルの増刊号に書いたものだ。
ハード・パップが成熟し、新たな動きが顕
在化しようとしたとき、このミラクル青年は
あまりに新しい芽として登場した。ブルーノ
ートからのデビュー作は18才のときの録音。
リズムに対する発想が新しく、強力で、瞬発
力にも異常に長けていた。そのパルシィなド
ラミングは、新しい時代/ジャズがすぐそこ
で待っていることを伝えるものだった。しか
も、そのアルバムの収録曲は全て彼のオリジ
ナルであり、ゲイリー・ピーコックとのリズ
ム隊のうえにサム・リヴァースを泳がせると
いう方策を取っていた。いったい、小僧の分
際で何を考えているのか! まさに、野心を
持ったストロングなジャズ。ぼく、このアル
バムが出た時点で廃業を考えた真摯なジャズ
・マンがいると信じてやまない。
そして、ポップと対峙する大胆な同時代ジ
ャズ・ロックを標榜したライフタイム時代(
69年~72年)にもぼくは頭を垂れる。全部で
4 枚のアルバムを出ているが、創意の裏返し
でそれぞれに編成/音楽性違いで録られたそ
れらもまた大いな意義と聞きどころを持つ仕
上がりを見せる。
それにしても、非ジャズ側にいたプレイヤ
ーも雇った70年前後のタイフタイムの時。あ
の頃、ウィリアムズはロック側に行くべきだ
と思っていたのではないか。だが、彼はすで
にジャズ側で名声を獲得しすぎ、ジャズ側の
人間としてプロモートされたり語られたりす
るしかなかった。不完全燃焼。それ、大きな
不幸だと思う。もし、彼が無名な怪物ドラム
野郎だったなら、もう少し彼は楽に音楽をで
きたろう。基本アコースティックに戻った80
年代以降のブルーノート発のアルバムもそれ
なりに精気と工夫とがあって、絶対に悪い作
品ではない。だが、どこかでボタンのかけ違
えがあった天才の悲劇/もどかしさのような
ものを感じ、ぼくは聞いてて辛くなる。天国
ではなんの障壁もなく、自分の音楽を展開で
きていることを願ってやまない。
目茶、おもしろかった。発汗した。多忙すぎて無理だったが、もう一度見たい!と思わずにはいられなかった。逆に言えば、和みの上品なジャズを聞ければと来店した人がいたとしたら頭を抱えたくなる実演だったろうけけど。やった曲は全部ライフタイムの曲だったかどうかは定かではないが、ロック的なひっかかりや刺を持つ、クールに丁々発止しまくる演奏が延々と展開されたのは間違いない。4人はしっかりと自分の持ち味を出しつつ、共通のゴールに向かう演奏を開いていました。
ショート・スケールの小振りな電気ベースを弾くジャック・ブルースはかつてはピック弾きの人だったはずだが(記憶違いかもしれない)、この晩は指弾きでバンドをジャズ的に引っぱる演奏を披露する。おおいまだ進歩してるじゃないか! 彼は一部歌いもしたが、それは例の天を見上げるような美声歌唱ではなく、だらだらしたシング・トーク調のもの。メデスキにしてもリードにしても聞き手の期待を満たす演奏だったろうが、一番すごかったのは文句無しにブラックマンのパフォーマンス。ウィリアムズの爆裂ドラムをちゃんと消化し、ウイリアムズと化して叩きまくる様にゃもーほれぼれ。♥♥♥。けっこうな歳になっているはずだが、スリムな身体や風情もマル。同じようなヘア・スタイルしているし、エスペランサ・スポルディング(2008年9月5日。2008年12月1日)とリズム・セクションを組んでほしいと、切に思ったワタシ。それ、知人に伝えると、意外にベタな発想するんですねと言われてしまった。ハハ。
感激したので、トニー・ウィリアムズのことを書いた原稿を再録しておく。2007年初夏のスイング・ジャーナルの増刊号に書いたものだ。
ハード・パップが成熟し、新たな動きが顕
在化しようとしたとき、このミラクル青年は
あまりに新しい芽として登場した。ブルーノ
ートからのデビュー作は18才のときの録音。
リズムに対する発想が新しく、強力で、瞬発
力にも異常に長けていた。そのパルシィなド
ラミングは、新しい時代/ジャズがすぐそこ
で待っていることを伝えるものだった。しか
も、そのアルバムの収録曲は全て彼のオリジ
ナルであり、ゲイリー・ピーコックとのリズ
ム隊のうえにサム・リヴァースを泳がせると
いう方策を取っていた。いったい、小僧の分
際で何を考えているのか! まさに、野心を
持ったストロングなジャズ。ぼく、このアル
バムが出た時点で廃業を考えた真摯なジャズ
・マンがいると信じてやまない。
そして、ポップと対峙する大胆な同時代ジ
ャズ・ロックを標榜したライフタイム時代(
69年~72年)にもぼくは頭を垂れる。全部で
4 枚のアルバムを出ているが、創意の裏返し
でそれぞれに編成/音楽性違いで録られたそ
れらもまた大いな意義と聞きどころを持つ仕
上がりを見せる。
それにしても、非ジャズ側にいたプレイヤ
ーも雇った70年前後のタイフタイムの時。あ
の頃、ウィリアムズはロック側に行くべきだ
と思っていたのではないか。だが、彼はすで
にジャズ側で名声を獲得しすぎ、ジャズ側の
人間としてプロモートされたり語られたりす
るしかなかった。不完全燃焼。それ、大きな
不幸だと思う。もし、彼が無名な怪物ドラム
野郎だったなら、もう少し彼は楽に音楽をで
きたろう。基本アコースティックに戻った80
年代以降のブルーノート発のアルバムもそれ
なりに精気と工夫とがあって、絶対に悪い作
品ではない。だが、どこかでボタンのかけ違
えがあった天才の悲劇/もどかしさのような
ものを感じ、ぼくは聞いてて辛くなる。天国
ではなんの障壁もなく、自分の音楽を展開で
きていることを願ってやまない。
渋谷・JZブラット、セカンド・ショウ。ドレス姿が美しいジャズ・ヴァイオリニスト、新作をフォロウするツアーのなかの1日。前見たとき(2007年11月27日)はフュージョン的なお膳立てだったが、今回は完全にアコースティックな編成(ピアノ・トリオ)にて。が、曲はスタンダード、ポップ曲、クラシック曲からオリジナルまでいろいろで、奇を衒わなくても自然に広がりのようなものは出る。ベース奏者はかつてPhat(2003年3月6日、2003年6月2日、他)で弾いていて人だ。
アグレッシヴな曲をやったあと、使っているヴァイオリンは1700年代のものでまさかこんな曲を弾かされるとは思っていないはず、というようなことをMCで言っていたが、なるほどナ。いろんな感じで流麗に歌うヴァイオリンの音色に触れながら、クラシックの世界においては花形である、このハンディな楽器の不思議さに頭がふわんとしちゃう。あー、いろんな楽器や様式があり、山ほどの積み重ねがあり、それを踏まえての創意工夫がある……。
アグレッシヴな曲をやったあと、使っているヴァイオリンは1700年代のものでまさかこんな曲を弾かされるとは思っていないはず、というようなことをMCで言っていたが、なるほどナ。いろんな感じで流麗に歌うヴァイオリンの音色に触れながら、クラシックの世界においては花形である、このハンディな楽器の不思議さに頭がふわんとしちゃう。あー、いろんな楽器や様式があり、山ほどの積み重ねがあり、それを踏まえての創意工夫がある……。
日本人と外国人バンドが重なる公演をハシゴ。ともに、一緒にやれるのが嬉しいという、笑顔と気持ち溢れる。
まず、渋谷・オーチャードホールで、渡辺貞夫(200712月16日、他)を見る。ブラジル人奏者でバンドを固めたもので、ギタリストはバーデン・パウエルの息子さん。バンドのバランスからはみ出しすぎという声もあったようだが、癖ある弾き方をする人なんだな。突飛な事が好きなぼくは、きらいじゃないです。2部にはなんとアフロ色の強い新進サンバ歌手のファビアーナ・コッツァが登場し、バーデン・パウエル曲や渡辺貞夫曲を歌う。懐深い歌唱を披露。彼女目当てに見にきた人も少しはいたかもしれない。
急ぎ渋谷・NHKホールに移動して、秋に飛躍作『Akiko』を出した矢野顕子。その新作録音を受けて、この夏にマーク・リーボウとのデュオ公演(2008年8月3日)をやったばかりだが、今度はリーボウを含むバンドにて。ドラマーはアルバムで叩いていた、ジェイ・ペルロウズ。彼のドラミング、面白すぎ。ドスンバタンという我流ぽい跳んだ味をステディな叩き味とうまく混ぜていて、素敵すぎる。総じては、ドラマー界のマーク・リーボウという味を持つと書きたくなるかな。『Akiko』は基本、矢野、リーボウ、ペルロウズのベースレス・トリオで録られていたわけだが、今回の実演にはベース奏者のジェニファー・コンドスが加わる。彼女、なかなかイケてるフレイズを出していたのではないか。本編最後の「ふなまち小唄」では米国人たちが嬉々として間の手かけ声を入れる。
披露される曲は『akiko』からの曲が中心(収録曲は全部やったハズ)、途中に矢野のソロ・パフォーマンスを挟んで、ばっちり噛み合い、会話するバンド演奏を披露。いやあ、触れてて面白いったらありゃしない。とにかく、嬉しい大人の質あるミュージシャンのやりとりがたっぷり。この後、大阪、名古屋でライヴをやるようだが、きっともっと有機的な発展を遂げるはず。大阪や名古屋の聞き手がうらやましい。
日曜ぐらい直帰すればいいのに、高揚しつつ、お店に流れる。その晩もまた、飲みたかった(行った先で、ジョアン・ジルベルト公演が中止になった代わりに、渡辺貞夫公演に行ったという人がいたナ)。で、深夜タクシー(個人)に乗ったら、なんか雰囲気がちがう。思わず、「この車は何ですか?」と、運転手さんに尋ねてしまう。答えは「ヒュンダイ(韓国メイカー)、です」。おお、ヒュンダイ車には初めて乗る。価格を武器に世界規模で言うとニッサンよりも売れるようになったと聞くが、ポニーキャニオンの側にあった虎ノ門の営業所(けっこう、張り切って開設したはず)は今年クローズされてしまい、日本のマーケットは苦戦しているんだろうなと勝手に思っていた。が、聞けば、今ヒュンダイはタクシー車のセールスに大攻勢をかけていて、同車を採用するところは個人/法人ともに増えているという。タクシー用途車はもちろんLPガス車で、2700ccだそうだ。
まず、渋谷・オーチャードホールで、渡辺貞夫(200712月16日、他)を見る。ブラジル人奏者でバンドを固めたもので、ギタリストはバーデン・パウエルの息子さん。バンドのバランスからはみ出しすぎという声もあったようだが、癖ある弾き方をする人なんだな。突飛な事が好きなぼくは、きらいじゃないです。2部にはなんとアフロ色の強い新進サンバ歌手のファビアーナ・コッツァが登場し、バーデン・パウエル曲や渡辺貞夫曲を歌う。懐深い歌唱を披露。彼女目当てに見にきた人も少しはいたかもしれない。
急ぎ渋谷・NHKホールに移動して、秋に飛躍作『Akiko』を出した矢野顕子。その新作録音を受けて、この夏にマーク・リーボウとのデュオ公演(2008年8月3日)をやったばかりだが、今度はリーボウを含むバンドにて。ドラマーはアルバムで叩いていた、ジェイ・ペルロウズ。彼のドラミング、面白すぎ。ドスンバタンという我流ぽい跳んだ味をステディな叩き味とうまく混ぜていて、素敵すぎる。総じては、ドラマー界のマーク・リーボウという味を持つと書きたくなるかな。『Akiko』は基本、矢野、リーボウ、ペルロウズのベースレス・トリオで録られていたわけだが、今回の実演にはベース奏者のジェニファー・コンドスが加わる。彼女、なかなかイケてるフレイズを出していたのではないか。本編最後の「ふなまち小唄」では米国人たちが嬉々として間の手かけ声を入れる。
披露される曲は『akiko』からの曲が中心(収録曲は全部やったハズ)、途中に矢野のソロ・パフォーマンスを挟んで、ばっちり噛み合い、会話するバンド演奏を披露。いやあ、触れてて面白いったらありゃしない。とにかく、嬉しい大人の質あるミュージシャンのやりとりがたっぷり。この後、大阪、名古屋でライヴをやるようだが、きっともっと有機的な発展を遂げるはず。大阪や名古屋の聞き手がうらやましい。
日曜ぐらい直帰すればいいのに、高揚しつつ、お店に流れる。その晩もまた、飲みたかった(行った先で、ジョアン・ジルベルト公演が中止になった代わりに、渡辺貞夫公演に行ったという人がいたナ)。で、深夜タクシー(個人)に乗ったら、なんか雰囲気がちがう。思わず、「この車は何ですか?」と、運転手さんに尋ねてしまう。答えは「ヒュンダイ(韓国メイカー)、です」。おお、ヒュンダイ車には初めて乗る。価格を武器に世界規模で言うとニッサンよりも売れるようになったと聞くが、ポニーキャニオンの側にあった虎ノ門の営業所(けっこう、張り切って開設したはず)は今年クローズされてしまい、日本のマーケットは苦戦しているんだろうなと勝手に思っていた。が、聞けば、今ヒュンダイはタクシー車のセールスに大攻勢をかけていて、同車を採用するところは個人/法人ともに増えているという。タクシー用途車はもちろんLPガス車で、2700ccだそうだ。
ケルティック・クリスマス2008
2008年12月13日 音楽 毎年ケルト系アクトが集う、師走恒例のイヴェント。錦糸町・すみだトリフォニーホール。
まず、デンマークのハウゴー&ホイロップ(2005年12月10日)が演奏。トラッドその他をべースに置く、とっても阿吽の呼吸を持つアコースティックな協調作業を聞かせる。高尚な部分とカジュアルな部分の、彼らならではの行き来の妙。このツアーを期に、二人は別の道を歩むという。続いては、アイルランドの進行形トラッド・バンドのダーヴィシュ(2004年6月20日)。インスト曲とキャシー・ジョーダン(とっても、サバけた人です)が歌うヴォーカル曲の二本立て、清楚なガラッパチがそのパフォーマンスにはある、なんちって。なお、ハウゴー&ホイロップ、ダーヴィッシュともに、ダンス・ナンバーのときはアクロバティックかつ芸術的な足さばきを見せるカナダ人のザ・ステップ・ダンサーズ(2007年6月1日、2007年12月15日)がときに加わる。すごいすごい、お金が取れる。うち、二人はフィドルを手にもする。
そして、最後には三者が自在に絡むセッション。アイルランド〜デンマーク〜カナダ……見えないが、確固としたケルト文化の流れや、そこに内在する強さやしなやかさを実感。
まず、デンマークのハウゴー&ホイロップ(2005年12月10日)が演奏。トラッドその他をべースに置く、とっても阿吽の呼吸を持つアコースティックな協調作業を聞かせる。高尚な部分とカジュアルな部分の、彼らならではの行き来の妙。このツアーを期に、二人は別の道を歩むという。続いては、アイルランドの進行形トラッド・バンドのダーヴィシュ(2004年6月20日)。インスト曲とキャシー・ジョーダン(とっても、サバけた人です)が歌うヴォーカル曲の二本立て、清楚なガラッパチがそのパフォーマンスにはある、なんちって。なお、ハウゴー&ホイロップ、ダーヴィッシュともに、ダンス・ナンバーのときはアクロバティックかつ芸術的な足さばきを見せるカナダ人のザ・ステップ・ダンサーズ(2007年6月1日、2007年12月15日)がときに加わる。すごいすごい、お金が取れる。うち、二人はフィドルを手にもする。
そして、最後には三者が自在に絡むセッション。アイルランド〜デンマーク〜カナダ……見えないが、確固としたケルト文化の流れや、そこに内在する強さやしなやかさを実感。
KONISHIKI Presents H-POP
2008年12月12日 音楽 ミュージシャンとしても活動するKONISHIKIが仕切る、ハワイの若い今様アーティストを紹介する公演で、後楽園・アンバランス。なんでも、彼のお店だという。
ハワイ産レゲエはジャワイアン(ジャマイカン+ハワイアン)という言い方がされるが、まさにそういうべきものが勢いたっぷりに披露された。さらにはヒップホップやR&Bの要素もときに加味された音楽性を持ち、とっても剛性観を持つバンド・サウンドが採用されている。ラガ・サヴェア、ホット・レイン、キヴィニ、シアオシ、ジェイ・ブッグというシンガーたちがフィーチャーされたよう。彼らはずっと出っぱなしの共通バンドのもと、入れ替わり立ち代わりフロントに出てきて歌い、それらはけっこう切れ目なしに送り出される。バンドでドラムを叩いていて、部分的に前に出てきて歌った頭が爆発したラガ・サヴィアはKONISHIKIの甥だそう。そいういやあ、20年近いキャリアを持つ西海岸のヒップホップ・ユニットのブーヤ・トライブもKONISHIKIの従兄弟たちと言われているよな。ともあれ、そのしっかりとした実演はちゃんとハワイでこういう音楽がライヴ・ミュージックとして需用があることを示しているな。とともに、どんなことをやろうと、どこかトロトピカルというか、ハッピーでフレンドリーな情緒が充満しているのは大きな美点であり、セールス・ポイントになるだろう。KONISHIKIはこういうハワイ産ビート・ポップをH-POPと括って日本に紹介したいという意思を持っているようだ。
パーティ感覚横溢の会場には、ダイエットして80キロ減らしたというKONISHIKI(思っていたより、身長はないんだァ)はもちろん、後輩の曙太郎と武蔵丸光洋(2人はデカいなあ)も。ハワイアン・コネクションは強固なんですね。昔から相撲にはまるっきり興味が持てないぼくではあるが、彼らを見てなんとなくうれしくなる。なんか縁起ものというか、そういう心持ちも少し得て、俺ってそうした日本人的情緒を持つ部分もあるのか。あひゃあ。現役ぽい髷着物姿の青年もいた。
ハワイ産レゲエはジャワイアン(ジャマイカン+ハワイアン)という言い方がされるが、まさにそういうべきものが勢いたっぷりに披露された。さらにはヒップホップやR&Bの要素もときに加味された音楽性を持ち、とっても剛性観を持つバンド・サウンドが採用されている。ラガ・サヴェア、ホット・レイン、キヴィニ、シアオシ、ジェイ・ブッグというシンガーたちがフィーチャーされたよう。彼らはずっと出っぱなしの共通バンドのもと、入れ替わり立ち代わりフロントに出てきて歌い、それらはけっこう切れ目なしに送り出される。バンドでドラムを叩いていて、部分的に前に出てきて歌った頭が爆発したラガ・サヴィアはKONISHIKIの甥だそう。そいういやあ、20年近いキャリアを持つ西海岸のヒップホップ・ユニットのブーヤ・トライブもKONISHIKIの従兄弟たちと言われているよな。ともあれ、そのしっかりとした実演はちゃんとハワイでこういう音楽がライヴ・ミュージックとして需用があることを示しているな。とともに、どんなことをやろうと、どこかトロトピカルというか、ハッピーでフレンドリーな情緒が充満しているのは大きな美点であり、セールス・ポイントになるだろう。KONISHIKIはこういうハワイ産ビート・ポップをH-POPと括って日本に紹介したいという意思を持っているようだ。
パーティ感覚横溢の会場には、ダイエットして80キロ減らしたというKONISHIKI(思っていたより、身長はないんだァ)はもちろん、後輩の曙太郎と武蔵丸光洋(2人はデカいなあ)も。ハワイアン・コネクションは強固なんですね。昔から相撲にはまるっきり興味が持てないぼくではあるが、彼らを見てなんとなくうれしくなる。なんか縁起ものというか、そういう心持ちも少し得て、俺ってそうした日本人的情緒を持つ部分もあるのか。あひゃあ。現役ぽい髷着物姿の青年もいた。
ザ・ベイカー・ブラザーズ
2008年12月11日 音楽 UK白人ファンキー・バンド(2004年4月27日)を六本木・ビルボードライブ東京で見る(セカンド・ショウ)。アルバムでも色を添えている黒人女性歌手ヴェネッサ・フリーマンを伴ってのもので、冒頭1曲目と後半に彼女は出てきて、場を盛り上げる。初/中盤は演奏陣4人でかっちりとパフォームし、その際はドラマーが歌ったりも。それに触れながら、なんかアヴェレイジ・ホワイト・バンド(2007年11月26日)も大昔はこんな感じだったのかな、な〜んて思ったりも。会場で某社のお偉方とばったり会う。なんでも、前に触れたアレックス・キューバ(2008年11月12日)はブルーノートが獲得したようだ。
ブレット・アンダーソン
2008年12月9日 音楽 雨が降る夜、渋谷・アックス。UK人気ロック・バンドのスウェードのフロント・マンのソロ・ライヴ。彼の2作目のソロ『ウィルダネス』は基本ピアノとチェロだけが伴奏する、“裸の”というような形容をしたくなるアルバムだったわけだが……。おー、本気だったんだな。新作が出たさいに電話インタヴューしたら、原稿になりそうな事山ほど言ってくれ(http://mainichi.jp/enta/music/archive/news/2008/12/04/20081204dde012070063000c.html)て、かなりやる気と達成感もってるんだなと思わせられたが、真面まんまのシチュエーションでライヴをやるとは! ステージに登場したのはアンダーソンと女性チェロ奏者だけ。そして、彼はピアノを訥々と弾き(曲によっては、生ギターを持つ)歌い上げ、チェロ音がその弾き語りに色を添える。全編、それだけ……。
一部はソロ作の曲をパフォーム。休憩を挟んだ二部はウスェード時代のゆったり目の曲を“裸ヴァージョン”で披露(生ギターの弾き語り比率が高くなる)。すると、観衆の声援は大きくなる。スウェード時代からの熱心なファンは今回の“大人の変身”をどう捉えているかは知らないけど、彼が胸を張って、新しい大地を歩まんとしていることだけは痛感させられたはず。いやあ、その根性、なかなかに凄いものがあったのではなかったか。
一部はソロ作の曲をパフォーム。休憩を挟んだ二部はウスェード時代のゆったり目の曲を“裸ヴァージョン”で披露(生ギターの弾き語り比率が高くなる)。すると、観衆の声援は大きくなる。スウェード時代からの熱心なファンは今回の“大人の変身”をどう捉えているかは知らないけど、彼が胸を張って、新しい大地を歩まんとしていることだけは痛感させられたはず。いやあ、その根性、なかなかに凄いものがあったのではなかったか。
ホーカス・ポーカス。シャンテ・ムーア&ケニー・ラティモア
2008年12月8日 音楽 まず、渋谷・クラブクアトロで、フランスの生ヒップ・ホップ・バンドのホーカス・ポーカス。この夏に見た(2008年7月26日)ばかりだが、とっても印象が良かったのでまた触れる。前座があったため途中退座を強いられたが、前回の項の印象と同様。楽しいっ。好ましい心意気も横溢していて嬉しい。
そして、丸の内・コットンクラブ。美女美男の夫婦R&Bデュオのパフォーマンスをみる。前回来日時(2006年9月10日)と同様に、それぞれのソロ歌唱とデュオ(マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル曲他)を噛み合わせる。ラティモアはジェフ・バックリーのロック曲も歌うがかなり合う。彼はザ・ビートルズの初期哀愁曲「アンド・アイ・ラヴ・ハー」も歌うがそれも巧みにアダプト。格好にも顕れているが、2人ともソウルネスはありつついい意味で洗練されているんだよな。なんか、オバマ時代のアクトに相応しい、と少し思った? サポート陣は鍵盤、ギター(あちら在住の日本人)、ベース、ドラム。そして、そこに女性シンガー2人がコーラスでくわわるが、彼女たちもけっこう見栄えがする。主役が綺麗だと喰われる事がないので、バックにもルックスいい人を雇えられるということか。素敵な、大人の輝きあるソウル・ショーなり。
そして、丸の内・コットンクラブ。美女美男の夫婦R&Bデュオのパフォーマンスをみる。前回来日時(2006年9月10日)と同様に、それぞれのソロ歌唱とデュオ(マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル曲他)を噛み合わせる。ラティモアはジェフ・バックリーのロック曲も歌うがかなり合う。彼はザ・ビートルズの初期哀愁曲「アンド・アイ・ラヴ・ハー」も歌うがそれも巧みにアダプト。格好にも顕れているが、2人ともソウルネスはありつついい意味で洗練されているんだよな。なんか、オバマ時代のアクトに相応しい、と少し思った? サポート陣は鍵盤、ギター(あちら在住の日本人)、ベース、ドラム。そして、そこに女性シンガー2人がコーラスでくわわるが、彼女たちもけっこう見栄えがする。主役が綺麗だと喰われる事がないので、バックにもルックスいい人を雇えられるということか。素敵な、大人の輝きあるソウル・ショーなり。
ディーン・ブラウン・トリオ。アトミック
2008年12月7日 音楽 緑色のチームの下部リーグ降格を祝うかのように、もう晴天であったな。ながら、4時過ぎに家を出るときにはかなり気温が下がっている。オレはNYの街角を歩いているんだと思うことにする(冬はそう思うようにする事あり。気がまぎれます)。
マーカス・ミラー・バンドでおなじみのギタリストのディーン・ブラウン、ヴェテランやんちゃ電気ベーシストのウィル・リー、P-ファンク出身の重量級ドラマーのデニス・チェンバース(バスドラみたいな大きさのものをタムとしてセッティングしていた)。人気奏者3人による実演、丸の内コットン・クラブ。ファースト・ショウ。ディーン・ブラウンの何年か前に出たリーダー作はけっこうヴォーカル・ナンバーが少なくなく、しかも巧みなP-ファンク崩しを見せる曲も印象に残ったりし、ウィル・リーも歌うのは嫌いじゃないし(15年前ぐらいにベン・シドランのゴー・ジャズ・レーベルから出た彼のヴォーカル・アルバムは好盤だった)。てなわけで、けっこうヴォーカル部も持つファンク傾向のパフォーマンスになると思ったら……インスト主体〜フュージョン傾向にあるものだった。いろんな奏法を見せるブラウンといろんな音色をお茶目に出すリーをがっちりチェンバースが受けとめる、そしておおまかなアウトラインにそっていろいろと流れていく、とも説明できそうな演奏はしっかり芯と視点と機転を持つもので、ニコっと接っすることが出来るものだった。ジミ・ヘンドリックス曲とザ・ビートルズ曲の工夫あるカヴァー曲ではリーが歌う。なんでもライヴ・レコーディングされたそう。ディーンのなかで、特別仕立てのライヴ、という認識があったということか。
続いて、新宿・ピットインでアトミック(2005年4月12日)。もうリアルにインプロヴァイズする現代ジャズ最高峰にある集団だが、無駄にソロは垂れ流しぜす、曲の長さは過剰に長くない。発展の種を敷き詰めたイケてるテーマ部の作り方にまず感心しちゃうし、二管の絡みを主体とする贅肉を沿いだ全体インプロイヴィゼイションのありかたがおいしくも、今を感じさせるジャズ・クインテットであるのだと再確認。個別の拍手は、ドラマーのポール・ニルセン・ラヴ(2008年9月25日)へのものが一番高かったような。やっぱり、シビれる存在。関係ないけど、エリック・ドルフィーの“5スポット”がここ数年、ときに無性に聞きたくなるワタシ。モンクとかミンガスとかオーネットとかの名前がまず出てくるぼくだが、理想のジャズはと問われれば今ならドルフィーの同ライヴ盤を挙げる可能性大。家にあるアナログは、別売されているのを一緒にまとめた3枚組ボックス。だいぶ昔に買ったものだが、当初は難しいなあ、とらえどころがないなあと思ったはずだ。
マーカス・ミラー・バンドでおなじみのギタリストのディーン・ブラウン、ヴェテランやんちゃ電気ベーシストのウィル・リー、P-ファンク出身の重量級ドラマーのデニス・チェンバース(バスドラみたいな大きさのものをタムとしてセッティングしていた)。人気奏者3人による実演、丸の内コットン・クラブ。ファースト・ショウ。ディーン・ブラウンの何年か前に出たリーダー作はけっこうヴォーカル・ナンバーが少なくなく、しかも巧みなP-ファンク崩しを見せる曲も印象に残ったりし、ウィル・リーも歌うのは嫌いじゃないし(15年前ぐらいにベン・シドランのゴー・ジャズ・レーベルから出た彼のヴォーカル・アルバムは好盤だった)。てなわけで、けっこうヴォーカル部も持つファンク傾向のパフォーマンスになると思ったら……インスト主体〜フュージョン傾向にあるものだった。いろんな奏法を見せるブラウンといろんな音色をお茶目に出すリーをがっちりチェンバースが受けとめる、そしておおまかなアウトラインにそっていろいろと流れていく、とも説明できそうな演奏はしっかり芯と視点と機転を持つもので、ニコっと接っすることが出来るものだった。ジミ・ヘンドリックス曲とザ・ビートルズ曲の工夫あるカヴァー曲ではリーが歌う。なんでもライヴ・レコーディングされたそう。ディーンのなかで、特別仕立てのライヴ、という認識があったということか。
続いて、新宿・ピットインでアトミック(2005年4月12日)。もうリアルにインプロヴァイズする現代ジャズ最高峰にある集団だが、無駄にソロは垂れ流しぜす、曲の長さは過剰に長くない。発展の種を敷き詰めたイケてるテーマ部の作り方にまず感心しちゃうし、二管の絡みを主体とする贅肉を沿いだ全体インプロイヴィゼイションのありかたがおいしくも、今を感じさせるジャズ・クインテットであるのだと再確認。個別の拍手は、ドラマーのポール・ニルセン・ラヴ(2008年9月25日)へのものが一番高かったような。やっぱり、シビれる存在。関係ないけど、エリック・ドルフィーの“5スポット”がここ数年、ときに無性に聞きたくなるワタシ。モンクとかミンガスとかオーネットとかの名前がまず出てくるぼくだが、理想のジャズはと問われれば今ならドルフィーの同ライヴ盤を挙げる可能性大。家にあるアナログは、別売されているのを一緒にまとめた3枚組ボックス。だいぶ昔に買ったものだが、当初は難しいなあ、とらえどころがないなあと思ったはずだ。