世は、シルヴァー・ウィークとか。確かに、唐突に5連休とか出現したら勤め人の方々、うれしくてしょうがないだろうなー。で、ニュースでは行楽目的の人たちで空港や高速道路が混んでいることを報じたりもしているが、ぼくの周りの会社員でどっかに行きます(笑顔)とか言っている人がいないぞお。そう言うぼくも24、25日締め切りの原稿が山ほどあって、粛々と仕事しなきゃいけない。と、書きつつ、何気に人と会う予定はいろいろ入れちゃっているけど。ちゃんと、原稿仕事はこなせるのか。ほんの少し、不安~(←そこは筆の早いオレ様、一気呵成にやれば大丈夫だろうと思っている。お酒の飲み過ぎで、寝たきり老人にならないかぎりは)。

 昼下がり、米国人新進シンガー・ソングライターの簡単ライヴを見る。場所は、開店したばかりの、新宿・ブルックリンパーラー。カフェとバーと洋書やCDのセレクト・ショップを趣味良く合わせたようなけっこう広いお店で、なるほどあっちぽい小洒落た雰囲気をうまく作っている。ブルーノート東京が新たに出店したそうで、なるほどサーヴィスにはブルーノートで見る人がいる。ちゃんとステージも作られていて、今後フォーキー傾向の出し物もいろいろ企画されるのかな。この日に出たのは、LAの新進女性シンガー・ソングライターのスカイラー・フィスク。1982年生まれの彼女の母親は著名女優のシシー・スペイセクで、彼女も女優をやっていたが、近年は音楽のほうに力を入れているらしい。バンドを率いてのものながら会場の都合だろう、ベーシストも生ギターを手にし、ドラマーは簡素にフットストンプや手拍子でビート音を出す。そんな設定で、素朴な弾き語り基調表現を聞かせてくれた。
 
 そして、京王線に乗って、味の素スタジアムに。東京FCとガンバ大阪の試合を見る。0-0、まあ凡戦。知人と旧交を温めた後、赤坂のSUISENというお店に行って知り合いのジャズ・ヴォーカル実演を見る。そこに出演した渡瀬嬢は洋楽の世界ではとても有名な通訳さん。もともとR&B好きで歌を習ったら、ジャズを歌うようになってしまい、けっこう気合いを入れてのぞむようにもなり、ここにところは普通にジャズ・クラブ(実はあちこちにいろいろあるんだよね)に呼ばれる事もあるという。この晩は、自分で選んだ若手のピアノ・トリオをバックに、3ステージをやったよう(2ステージの終わり頃から見た)。身長も高い彼女は堂々のパフォーマンス。MCも余裕たっぷりだし、なにより言葉の問題/壁がない彼女の場合は最初からスタート・ラインが前にあったとは言えるだろう。ブルージィなものやラテン調が評判がいいんですと言う彼女だが、確かにその低めの歌声は小粋系ジャズ・スタンダードを軽く超えさせる存在感を持つな。

 またまたその後、先輩同業者の還暦を祝う会をやっているお店に顔を出す。知っている方が笑顔でいろいろ。先のスカイラー・フェスクが来て、2曲歌ってくれたそう。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ゴスペル教室に通っている知り合いがいて、このコンテンポラリー・ゴスペルの人気スターの公演に行くかもなんて言っていたが、なるほど会場はそういう筋らしき女性で満員。オープナーは、EW&Fの「セプテンバー」。のっけから、客は総立ち。こんなに、湧きまくるビルボードライブ東京は初めて(と、思う)。で、お客さんたちは一緒に、笑顔でよく歌う。

 ショウは6人のクワイアー(女性4人、男性2人)、さらにはキーボード2、ギター、ベース、ドラム、DJという布陣にて。みんな腕は達者、それは与えられたソロのパートを聞いてもよく解る。うちDJに関してはいなくても全然問題ない感じだったが、それは今の感覚を持つゴスペルを送り出していますというアリバイ作りみたいなもん? 

 主役のフランクリンはへえ、こんなん? 基本、歌わない人なのか。彼はショウの間の半分弱はピアノを弾き、あとは踊って(客席にも何度かおりました)、聞き手に働きかけようとする。で、かけ声をあげたり、クワイアーや演奏陣を指揮したり。なるほど、彼は統括者、プリーチャー的存在として君臨しているんですね。で、踊っている様はゴスペル界のマイケル・ジャクソンという感じもあり。そういえば、前半部に彼は「ウィ・アー・ザ・ワールド」をポロポロと弾きだしたりもし、客はそれにあわせて歌う。大きな話題を呼んだ曲とはいえ四半世紀も前の曲なのに、皆よく知っているなー。

 自分のくだけたキャラをとおして、巧みに、サーヴィス満点に敷居低くゴスペル派生の高揚の場を作り上げていったフランクリンの手腕は素晴らしい。ゴスペル有名曲やフランクリンのオリジナルをやったと思うが、ほんと合唱状態。そんなこんなで、ステージと客席側がちゃんと交歓し合っての、疑似“教会”模様が繰り広げられていた。うーぬ、これは見物、聞き物という感じは山ほど。終盤にフランクリンはキーボードを弾きながらちゃんと歌ったが、その歌はぜんぜんゴスペルっぽくなく、味あるシンガー・ソングライター傾向にあるものだった。

 最後の曲にはファンカデリックの「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」も挿入される。そして、ヴォーカル陣がステージを降りる際に演奏されたのはあれれ、渋さ知らズ(2009年7月26日、他)の「本田工務店のテーマ」とそっくりのメロディ曲。へーえ、そんな偶然もあるんだァ。

 00年ソロ・デビュー作はトム・ダウド(アトランティックR&B畑裏方育ち。エリック・クラプトン関連諸作の制作で一番知られるか)のプロデュース、以降ずっとインディからアルバムをリリースしつつ、その道で支持者をけっこう集めている、77年生まれの米国のブルース・ロッカー。会場は代官山・ユニット、日本での知名度はどうなのかなと思って会場入りしたら、けっこう混んでいる。で、普通のロック公演とは少し客層が違うぞとすぐに了解。かといって、普通のブルース公演とも異なる客層であるもぼくは感じる。年齢層は少し高めで外国人比率も少し高め、うまく説明できないが、なんかここのところあまり感じないヴァイブが会場内にはあったような。

 とうぜん歌も歌うギター弾きの彼に加え、キーボード、ベース、ドラムという布陣。で、ブルーズに根ざしたどすこい系ロックのいろんなパターンをおおかた聞かせますという感じで、次から次へと楽曲を繰り出す。マイナー・キーのブルース有名曲「ソー・メニー・ローズ」とか、エリック・クラプトンでも知られるシャッフルのブルース「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」とか、他人曲も屈託なく披露。実はアルバムを聞くと、自慢のギター演奏を聞かせ倒すというよりはバランス感覚を持つアーシーなロック表現をソツなく聞かせるという印象を得るが、実演を見てもその事は感じさせるかな。とっても声質が軽い(けっこう、表面を整えるように綺麗に歌おうともする)うえに、ブルースにありがちな酔狂さ、突き抜け感、危なさ、駄目ダメ感なんかを彼はあまり持っていないから。まあ、曲を重ねるうちにどんどんサバけてはいったけど。急用が入って全部見れなかったのだが、終盤はどうなったのだろうか。

 彼が17歳のとき組んでアルバムも出しているボーダーラインというバンド(今の姿をも少し溌剌にした感じ? 早熟だったのはよく解る)はマイルス・デイヴィスの息子(エリン・デイヴィス、ドラム)やジ・オールマンズ・ブラザーズのベリー・オークリーの息子(ベリー・オークリーJr.、ベース)たちとのバンドだった。エリン・デイヴィスはおやじの晩年のライヴ盤に名前が見られたりもする。


 今回のミラー(2007年12月13日、2006年9月3日、他)公演はマイルス・デイヴィスの音楽にのぞみますよん、というもの。彼は81年に復帰したマイルス・デイヴィスのバンドにマイク・スターン(2009年3月23日、2009年6月18日)とともに抜擢され知名度をより増し(すでにそのとき、売れっ子セッション・マンではあった)、ついにはデイヴィスの『Tutu』(86年)や『アマンドラ』(89年)では楽曲提供込みのプロデュースをまかされるまでになり、それはミラーの名声確立に大きく寄与したはずなのだ。それゆえ、ミラーが気鋭の奏者たちを呼んでこういうプロジェクトにあたるという事に違和感はない。
 
 なんでも“Tutu Revisited”というお題目がついていて、主に『Tutu』収録曲をやった(85年作『ユーアー・アンダー・アレスト』でデイヴィスが取り上げていた、マイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」も時節柄やったな。あのアルバムにミラーは関与していないけど)このプロジェクトはミラーに加え、トランペットの若大将クリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日。とうぜん、デイヴィスっぽく吹こうなんて気は持っていなかった)、弱冠21歳ながら腕がばっちり立つアルト・サックス奏者のアレックス・ハン(かなり吹けて、感心。楽屋で少し話したらいい奴)、ここんとこミラーお気に入りの鍵盤担当のフェデリコ・ゴンザレス・ペーニャ(2002年6月18日、2008年9月8日、2009年3月18日。ぼくはあんまし好みじゃない)、やはり若いながら3年前のスタンリー・クラーク来日公演に同行しているというドラマーのロナルド・ブルーナーJr.という布陣によるもの。で、冒頭、ギターレス編成なのに(プリセットの)ギターの音が聞こえてきてびっくり。やっぱ、興ざめする。というのはともかく、なんかなあなあそこそこのデイヴィス曲カヴァー・バンドのパフォーマンスが続いたのではないか。それ、デイヴィス表現の魔力(まあ、復帰後は基本だいぶ減じてはいるけど)もミラーの賢さもスルー。ぼくはまったくデイヴィスを神格化していない聞き手なので軽い気持ちで接しているにも関わらず、どこにポイントを見いだすべきか判断に困る演奏が続いていたはずだ。ベース演奏も普段のときより地味なような気もしたし(ソロのとき、ザ・ローリング・ストーンズのディスコ調曲「ミス・ユー」のフレイズを繰り出した)。なんか、芸にも工夫にもかけていると、ぼくは感じた。

 ミラーは信頼できるクリエイターだと思うし、見た目は変わらずスマートだ。だが、このお手軽プロジェクトに関しては今後練り直す必要があるのではないか。唯一賞賛したいのは、全員譜面を見ずに生理的に伸び伸びやっていたこと(俺、譜面台が出ていると、シラけるところがあります)。数回のリハをやって日本にやってきたというが、それは逆に言えばあまり凝った事をやっていないという証左にもなり得る? ともあれ、このプロジェクトはこの10月下旬から2ヶ月間ヨーロッパ・ツアーに入る。そして、来年はアメリカでもやる方向にあるという。六本木・ビルボードライブ(ファースト・ショウ)。

 続いて、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)で、シカゴの異才シンガー・ソングライター(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日)を見る。過去と同じく、マネージメントが英国にある会社である関係もあるのだろう、英国に住むミュージシャンを従えてのもの。同様の編成だが、ギター奏者のジム・マレン(2006年3月8日)がいなくなって、キードード奏者が二人になった。変わらず、大志と気を持つクロスオーヴァー型流動性フォーキィ表現を繰り広げたが、この晩は少し喉の調子が悪かったかも? 岩にも染み入るような、静謐な朗々感が少し減じていたような。気のせいかな。そう言えば、今年出た久しぶりに出た新作は新しいことをやろうとしているが、なんかぼくにはしっくりこなかったのを思い出した。

 かつてはイラケレという世界的存在のフュージョン・バンドを率いていたキューバ出身のジャズ・ピアニストの公演はウッド・ベース奏者(1曲だけ電気を用いる)、ドラマー、打楽器奏者を率いてのもの。やはりキューバ出身者と思われる彼らは、バルデスの後釜としてイラケレにも関与したこともあるオーランド“マラカ”バレの娯楽サルサ・グループ表現に関わっている奏者たちだという。とはいえ、ここでバルデスが悠々と繰り広げたのは、純ジャズでもラテン・ジャズでもない、いや両方の部分に重なりはするものの、前者ほど気取ったり尖ったりはせず、後者ほど快楽的/ダンサブルでもない、という、なかなか説明に困るピアノ・ミュージック。心から賛同できるかというと?の部分もなくはなかったものの、自分の文脈でラテンとジャズを行き来するストーリーを紡ぎたいという意思にはあふれていたと思う。パーカッション奏者はけっこうお客から拍手をもらっていたな。後半2曲には、バルデスの親族だろうおばさん女性歌手のマイラ・カイダ・バルデスが歌う。過去のチューチョ・バルデス関与作で歌っている彼女だが、これは笑えた。あんまし上手くない、でも悪びれず堂々歌い倒していく様(アクションも活発)は妙な風情や味を生んでいて。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。スペイン語は"v"を発音するとき英語のように唇を噛まないのでウ濁点は用いないと言われたことがあるので、ヴァルデスではなくバルデスと書いてみた。
 今年2度目の来日(2009年4月1日)、新人ジャズ歌手としては日本で破格のセールスをあげてしまったんだそう。丸の内・コットンクラブ。なるほど、5日間もやる公演の最終日最終のショウに行ったのだが、すげえ客が入っていた。“美しすぎるジャズ・シンガー”というキャッチが日本では付けられたが、その大げさな売り文句はどのぐらい好成績にプラスに働いたのか。ともあれ、とてもまっとうなサイドマン(ピアノ、ギター、ベース、ドラム)を率いてのもので、気をてらわない選曲のもと、多くの人が親しめるだろうジャズ・ヴォーカリスト像を開いて行く。ソツなくスキャットも曲によってはかまし、円満にして、少しきらびやかで洒落てて、なんとなくレトロなところもあって……。少し喉が疲れているのかもと思ったが、どうだったのかなー。
 午前10時からの試写に間に合うように電車に乗ったら、まだ少し通勤ラッシュの流れを引きずっていて、一気に徒労。毎日経験していると慣れちゃうんだろうけど、”朝電車”に普段は乗らずにすむ自分の境遇に感謝する。そして、京橋・映画美学校第一試写室で、「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」と邦題付けされた音楽系ドキュメンタリー映画を見る。主役はカナダのヴェテラン・ヘヴィ・メタル・バンドのアンヴィルで、映画は彼らがホワイト・スネイクやボン・ジョヴィらとステージをシェアした西武球場での“スーパー・ロック‘84 イン・ジャパン“というメタル系フェスのライヴ場面から始まる(へえ、こんな催しがあったんですね)。テロップは他の出演者はもの凄いセールスをあげたのに、アンヴィルだけは蚊帳の外であることを告げる。

 監督は現在スピルバーグお気に入りの脚本家としてハリウッドで活躍する英国人のサーシャ・ガバシ。実は彼はもともとメタル小僧で、ロンドン公演をやった彼らと仲良くなり、高校2年の夏休みの時には彼らの北米ツアーにローディ同行したのだという。そんなガバシが20年ぶりにかつて胸を焦がしたメンバーに連絡を取ったことから、いまだアマチュアのような形で細々と活動を続けていたアンヴィル(古いメンバーは二人だけとなった)と付き合いが復活し、それがいまだバンドを続けたい彼らを描くドキュメンタリー映画に繋がって行く。

 カナダでのしがない日常、突如わいたどたばたもした欧州ツアー、心機一転を求めた英国レコーディングなどの模様が、メンバーのリップス(歌、ギター)とロブ(ドラム)の重なりを中心に綴られる。実は、マイケル・ムーアやダスティン・ホフマン、同じカナダ人のキアヌ・リーヴスらの宣伝コメントが力入ったもので、それによってぼくの妄想は見る前に多大に膨んじゃったため、題材の勝利(+撮る人物が、その知己であるというのは強い)もあり素晴らしい音楽映画だとは思うが、過剰にはウルウルこなかった。が、ロックを続けて行くいろんな機微やその裏表が確かに収めらているわけで、ポップ音楽に興味を持っている人なら見て損はない。妙に和めたり、力をもらえるところもあるかもしれない。時間は80分強、見ているともう少し長く感じるが、このぐらいの長さだと楽だなあ。なお、効果音的な音楽はECM他にリーダー作を持ち、90年代はジャパン(デイヴィッド・シルヴィアン;2004年4月27日)の連中らとも付き合いを持ったNYボーダーレス系ギタリストのデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)が担当している。

 最後に置かれた映画のハイライト部は、アンヴィルが午前中に一番最初の出演アーティストとして登場した“ラウドパーク‘06”@幕張メッセ出演時の模様。おお、オフのシーンも含めてなんか日本は楽園のように描かれているゾ。とかなんとか、これを見ると、ぜんぜん趣味じゃなくてもアンヴィルのことを見たくなるのは確か。10月の映画の公開に合わせて、彼らは来日するそうだ。

 夜はチャーリー・ヘイデン(2001年11月20日、2005年3月16日)の白昼夢的後ろ向きジャズ・コンボ、カルテット・ウェストの公演をブルーノート東京で見る。剛のイメージが強かったヘイデンが80年代中期過ぎから微笑みとともに組んでいる“和み”表現ユニットで、旧き良き時代のエンジェル・シティ=LAの風土を甘美に、ときに映像的に優しく描こうとするジャズをそれは送り出すと書けるのかな。今は和み系活動一辺倒になってしまったヘイデンだが(でも、新作にあたるカントリー&ウェスタン系ヴォーカル作は素晴らしい仕上がり)、結成当初はなかなかに切り口に視点を持ち、なかなかに斬新だった。

 ゆったりウッド・ベースを弾くヘイデン(それ、ヘイデンと知らずに聞いたら、何の印象も残らないものかも)に加え、テナー・サックスのアーニー・ワッツ(2005年6月20日)、ピアノのアラン・ブロードベント(2006年6月2日)、ドラムのロドニー・グリーン(2000年11月1日)が趣味良く重なる。オーネット・コールマン曲などもやったものの(ときに、やんわりとアブストラクト傾向にかするときもあったけど)、基本はゆったりした穏健ジャズですすむ。演奏をはじまる前に、ヘイデンはけっこう感謝MCを長々とやったりも。

 その後、六本木・ビルボードライブ東京に向かい、ちょうど50歳のスコティッシュ女性歌手(2002年3月20日)を見る。何度も一緒にやってきているだろうシンガー・ソングライターのブー・ヒューワディーン(1999年6月8日)やフェアグラウンド・アトラクション時代の同僚のロイ・ドッズ(ドラム)を含むバンド編成にて。アコーディオン奏者はアイルランドのドニゴール出身、ベーシストは全曲ウッド・ベースを使用。各同行奏者はみんな近年のリーダーのリーダー作に関与している人たちだ。

 とにかく、気安くくだけたパフォーマンスを展開。手作り感覚であり自然体、と言えるか。やはり、彼女の歌には“軽妙な誘い”が導く手触りの良さががある。MCもとても開けっぴろげで予定メンバーには入ってなかったウクレレ奏者は今のボーイフンドとか。そう紹介しておきながら「今のところはね」と言ってみたり、その彼にキスを強要したりも。途中で、ウクレレを弾く青年と少し歌った二人の女性ら日本人の知り合いをステージにあげたりも。本編が終わり、「また出てくるのも面倒だから、2曲やっちゃうわ」とか言ってアンコール曲をやり始めたのだが、1曲だけで引っ込んじゃう。とっても本当に気分屋さん、でもそれこそが彼女の魅力を支えるものであるのは良く解りました。

追記)リーダーのボーイフレンドは彼女の弟がいるトラッシュキャン・シナトラズ(2009年7月25日)のギタリストのジョン・ダグラス。なんでも。もう何年もつき合っていて、ファンの間では有名とか。また、二人の日本人女性はDEWというプロのユニットだそう。

 お盆開けから、新型インフルエンザが流行っているという報道がどんどん増している。梅雨ごろには豚インフルエンザと言われていたのが、それが今で言う新型インフルエンザなのか? 梅雨のころ、今は湿度や気温が高いからまだ大丈夫だろうけど、この秋は大変だよね〜と飲んだとき何度か知り合いと話した事があったけど、もう流行の兆し?(まだ、マスク買ってねえ)。ほんと、この秋以降どうなっちゃうんだろ? 実は梅雨のときゲホゲホ咳してる事があって、シャレになんないという時があった。なんか、ぼくは不用意に咳をする傾向があんだよなー(学生の頃から、女友達に指摘されていたりもした)。で、起きたら咳がゲホゲホ連発、熱っぽいとも感じる。耳に入れる体温計ではかったら、37.3度あった。

 食欲は旺盛ながら、そーゆーわけで昼間は予定を飛ばしてぐうたら寝たきり老人をし、夜にさくっと車で南青山・ブルーノート東京へ。会場向かいの、東京一高い(多分)コイン・パーキングに停める。東京ジャズ関連の無料ステージに出るために来日したオランダのラテン色が強いファンキー・ジャズ8人組がここで一日だけの演奏をし、明日取材をすることになってもいたので、無理をした。だが、この手のものとしてはほぼ非の打ち所のない、活力と笑顔のあるショウを繰り広げてくれて、やっぱ来てよかったと思う。トランぺッターは過去キャンディ・ダルファー(2009年5月11日、他)のバンドで何度も来日しているという。素直に楽しい。が、咳はゴホゴホ。こりゃ、近くの人いやでたまらないだろうと思い、1時間いて退座。この日は、入れ替えなしのワン・ショウなので彼らはまだまだやったと思われるが。

 ぼくは冬は風邪をひくものだと思い、冬は咳が止まらなくても熱っぽさを感じてもあまり気にならずお医者さんのお世話になる事もないし、薬ものまない。が、このご時世、万が一の事があると周辺に迷惑がかかるので明けて月曜は病院に行こうかと思ったら、すっきりなんともない。あの酷い咳はなんだったのでしょう?

東京JAZZ 2009

2009年9月5日 音楽
 同じく、有楽町・東京国際フォーラム・ホールA。この日は昼の部と夜の部があって、両方を見る。

 昼のトップ登場者はインターナショナルな知名度を持つドラマーの神保彰。大掛かりなドラム・キットを手数の多い演奏のもと余裕で扱いつつ(プリセット音も自分でコントロールして使っているのにはびっくり。ドラムだけのサウンド構築には飽きているということか。ぼくは、ここでの使い方なら用いない方が美しいとは思うけど)、自作曲をLAのミュージシャン(ベースのエイブ・ラボリエルと鍵盤のオトマロ・ルイーズ、ギターのリー・リトナー)と奏でる。じじむさくなったリトナー(2005年6月20日)のニヤけた笑顔を見て、憎めない日本での逸話を彼はいろいろ持っている事を思い出した。例えば、斑尾のジャズ・フェスのときに接した通訳の女性(のちにタレントとして名をなす)に恥も外聞もなく思いっきり熱をあげて関係者の間でさらし者状態になったことがあったり、ツアーで札幌に行った際にすすき野のお湯を使う施設に行き、そこのサーヴィスの女性にミュージシャンをしているんだよと伝えたらサインを求められたので解りやすい字でパット・メセニーと書いたり。後の話は生真面目なメセニーのファンだったら怒りを覚えるかもしれないが、こういう崩れた諧謔の感覚は古いバンド・マンならではものではないだろうか。とまれ、音楽同様にソツのない、神保の好青年的溌剌MCにはなるほどと感じる。彼はたぶん音楽の道に進んでいなくてもちゃんとエリートぽい感じで実のある位置に立てた人だろう。でも、そんな人であっても、魔法を感じて音楽/演奏の道に進んでしまう……。オー・ヤー。

 続いての出し物は、ジョン・スコフィールド(2007 年5月10日、2008年10月8日、他)がニューオーリンズ系奏者と古いゴスペル系曲を中心にやる“ザ・パイティ・ストリート・バンド”プロジェクトで、歌と鍵盤のジョン・クリアリー(2007年4月6日、2008年10月15日、他)、ウッド・ベースのローランド・ゲリン、ドラムのシャノン・パウエルという同地在住の敏腕奏者を従えてのもの。昨年に米国を回ったツアーのときとはリズム・セクションが入れ替えられているが(そのときは、ザ・ミーターズのジョージ・ポーターJr. とザ・ビーチ・ボーイズやザ・ラトルズに関与したことがあるリッキー・ファター)、渋みや重量感はこちらのほうが上のような気がする。ほぼ、新作『パイティ・ストリート』(ヴァーヴ)のノリを踏襲するもので(→だから、クリアリーはけっこうリード・ヴォーカルを取る)、スリルは別になかったがうれしい味にはにんまり。

 3番目は東京スカパラダイスオーケストラ(2009年5月30日、他)。おお、ピンクのスーツに身を固めていて鮮やか。へえ、ヴォーカル曲の場合はみんなで烏合の衆的に歌うんだな。与えられた時間のなかで、毎度の自分たちをきっちり出しましょうというプロのパフォーマンス。エルヴィス・コステロのような(2009年8月8日参照)、フェスならではのツっぱった破れ方を彼らに望むのはあやまりか。

 そして、この日の目玉となるP-ファンク(ファンカデリック/パーラメント)の統帥ジョージ・クリントン(2002年7月28日)。昨年のスライ・ストーンに続く同フェスの<リアル・ファンク枠>出演? ずっと行方知れず&初来日というトピックあり過ぎだったスライのときは会場に異様な空気が山ほど渦巻いていたが、何度も来日しているクリントン翁の場合はそれほどでもないか。それでも、昼の部はクリントン軍団見たさで来た人が一番多かったんじゃないかとは思うけど。

 時間になり、ぞろぞろとイカれた風情/格好の黒人たちが出てきて、ファンカデリックの初期有名曲「コズミック・スロップ」が始まる。終わるごろには、無駄に多いギタリスト(5人ぐらいいた?)をはじめ、ヴォーカル隊や盛り上げ役を含め20人近くはステージにいたかな。もちろん、おむつ野郎のゲイリー・シャイダーやウェディング・ドレスを着たアンドレ・フォックスもいた。もうのっけからもわもわ出ている“まがいモノ感覚”にドン引きしているオーディエンスがあちこち散見され、とても愉快(じきに、けっこう席を立った)。誰が来るのかなあと思っていたが、ベースのライジ・カリーとか、歌のP-ナット・ジョンソンとかヴェリータ・ウッズとかおなじみの人たちも来ていたようだ。

 2曲目以降はクリントンも出てきて、かけ声や持ち上げ役をやる。まあ、基本的には無駄にうだうだいるわけで、それがうれしくも意義アリ……って、P-ファンク嫌いの人にはワケが解らんだろうけど。ホーン隊がいないせいもあり、より直線的というかロッキッシュな側面が強調されもするわけだが、なんにせよ馬鹿馬鹿しいファンクの美学のオンパレード。「アップ・フォー・ザ・ダウンストローク」「P-ファンク(ウォンツ・トゥ・ゲット・ファンクト・アップ)」「フラッシュライト」、クリントン名義の「アトミック・ドッグ」とか有名曲を乱暴に連発、パフォーマンス時間は60分強だった。ホーン・セクションがいないぶんキーボードの重要性が増すわけだが、鍵盤は近年P-ファンクのツアーに関与しているダニー・ベンドロジアムという白人奏者が孤軍奮闘。もともとP−ファンクのフリークで、リーダー作も出している御仁らしい。ヤマハのモティーフをあんなにファンキーに弾けちゃうとは素晴らしい。

 しっかし、きったねえじじいのオムツ着用の裸姿がずっとステージ上に存在したり、コカイン礼参の“サー・ノウズ”(70年代の、象のような鼻をつけたクリントンの姿はそう名付けられ、キャラクターとして浸透した。クリントンはコカイン大好きなくせに頭がぼけずにいる驚異の人間としても有名。ずっと人間やめざるを得なかったのがスライですね)と書かれた紙をメンバーが持ったり、ダンサーがつけ鼻をして踊ったりしたりして、その模様をNHKは本当にTV放映できるのだろうか(後に、その予定があるはず)。そう思わせたということはやはり彼らは健闘、ファンクであることを見事遂行していたのではないか。

 ブルース・インターアクションズから近々出るスライ・ストーンの伝記本「スライ&ザ・ファミリー・ストーンの伝説 人生はサーカス」(ジェフ・カリス著)には、スライ自身とクリントンによる前書きが載せられている!

 エアコンが利いていた会場内に寒さをけっこう感じ(咳もときどき出たな)、昼の部が終わったあと、近くの無印良品で長袖のシャツを購入。そしたら、翌日の項に書いてあるとおり。

 夜の部はメロディ・ガルドー(2009年4月13日)や上原ひろみ(2009年9月4日、他)を見る。前者は、余裕にして、自分の立ち位置や持ち味をきっちりと自覚してのパフォーマンス。このメロウさなのにまだ25歳前というのは驚異的、でもときにお茶目さが透けて見えるところもあるかな。上原の完全ソロのパフォーマンスは新作に入っていたツアー中世界のいろんな所で書いたというオリジナルを1曲以外演奏。人間的な情緒に忠実におそろしく踊る指、そしてそこから浮きあがるフレイズは立ちまくる! すげえ、この人は選ばれていると生ピアノ演奏を聞くと思わずにはいられず(電気ベースを擁する電気キーボード表現の場合は別。また、曲作りは精進の余地あり)。昨日の演奏とどっちを取ると言われたら、矢野顕子という常軌を逸した触媒があった前夜の演奏を選ぶけど、感服する。昨日、1曲だけソロでやったガーシュイン有名曲「アイ・ガット・リズム」の止まらない指さばきも壮絶だったなあ。

 その後のマイク・マイニエリたちのフュージョン・スターのセッッションは咳がでたりしているのでパスした。あんまし興味もてなかったのが、ばればれ?

追記)なんと、クリントン公演でのドラマーの一人がフォーリーであったのだとか。うわあ。昔、一度だけインタヴューしたことがあった(bmr誌用に取った。90年代中期にレニー・ホワイトか誰かの公演に同行したときにしたんじゃなかったけか。目茶、ナイス・ガイだった)けど、ぜんぜん気付かなかった。彼はオハイオ生まれのマルチ系ファンカーで、マーカス・ミラーの橋渡しで(確か、女友達がミラーと知り合いで、フォーリーのデモ・テープが彼の手に渡り……)マイルス・デイヴィスと懇意になり、80年代後期にデイヴィス・バンドにリード・ベーシストとして(!)加入していた人物。彼はデイヴィスにめっぽう気に入られ(時刻無視で、よく電話が彼からかかってきたそう)、業界ではデイヴィスと知り合いたいならまずフォーリーと仲良しになれ、なんても言われたのだとか。U2のボーノもへこへこフォーリーに連絡を取ってきたりもしたが、その際フォーリーは一蹴したそうな。彼はデイヴィスの母親とも仲良しになり、お母さんとも電話友達だった。そんな彼は92年にモージャズ(モータウン傘下にほんの一時期あった傍系レーベル)から『7Years Ago……』という混沌ファンク作を出していて、そこにはクリントンの大ファミリーが客演(上に名前が出ている人たちも)していたんだよな。で、今も付き合いもちゃんと持っていたのか。

東京JAZZ 2009

2009年9月4日 音楽
 NHKが仕切っているジャズ中心イヴェント、有楽町・東京国際フォーラムのホールA。普段は地下鉄の有楽町駅から地下をそのまま歩いていき会場入りするのだが、この日はキブンで地上を通って行く。そしたら、あらら。国際フォーラムの中庭にはいっぱい出店がでていて、テーブルと椅子が出ているではないか。で、その付け根にはステージがあって外国人コンボが演奏していた。東京JAZZは国際フォーラムで開かれる有料公演以外にも無料ステージがあり、そこにはオランダ、オーストラリア、フランスからやってきた複数アーティストが国ごとに括られて演奏しているらしい。へえ、意外に手間のかかることやっているんだな。

 この日、夜7時からの出し物の最初の出演者はNHK交響楽団、コンサート・マスターが何気に筋モン顔でひゃはは。沼尻竜典(2008 年7月3日)の指揮によるそれは“シンフォニー・ミーツ・ジャズ”というお題目によるものだが、3〜4分台の短い曲を数曲かやった最初のブロックは謎。なんか痒いBGM的なそれはジャズ要素は皆無。だれの曲/アレンジのものをやったのか。そして、あとの長尺の2曲は確かにジャズとも繋がりを持つスケールの大きな名曲を演奏。エルダー(2006年6月23日)をフィーチャード・ピアニストに迎えたジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」とレナード・バーンスタインの「シンフォニック・ダンス・フロム・ウェストサイド・ストーリー」、とくに後者はミュージカルを見たばかりだった(2009年8月4日)ので興味深かった。いろんな角度からのステージを見せるヴィジョン映像はけっこう秀逸。最初のほうでピアノを連弾していたり、打楽器奏者が何人もいたことも解ったし(「シンフォニック・ダンス・フロム・ウェスト・サイド・ストーリー」ではドラム・キットも用いる)。ここ何年もデカいオーケストラ編成表現には興味をひかれ、老後はクラシックをちゃんと聞いてみたい(とてもじゃないが、今はそんな時間ははい)と考えるぼくはじじいになったら一回指揮者の真似事をしてみたいなんてモ〜ロクした頭で思うのだろうか。

 次はオランダのジャジー・ポップの才人、ウーター・ヘメル。ギター、ピアノ、ウッド・ベース、ドラム、パーカッションを率いてのステージ。終盤、無料ステージに出演していたオランダのファンキー・ラテン・ジャズ集団のニュー・クール・コレクティヴのベンジャミン・ハーマン(アルト・サックス)が出て、色を添えた。途中、みんな中央に集まってザ・ビーチボーイズ風のコーラス・ナンバーを披露したりも。性格の良さそうな貴公子というノリもあったヘメルのパフォーマンスはほんわか、とってもいい感じだった。

 が、この日の白眉は最後に出た、矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日)と上原ひろみ(2004年11月25日、2005年7月31日、2006年9月4日)のデュオ。基本は矢野の歌付きレパートリーに上原が寄り添う形で広げられるのだが、これはすごかった。もう本当に噛み合っての飛躍ある丁々発止が展開され、なんか感動して涙腺が緩みそうになっちゃったじゃないか。たとえば、3曲目の矢野の近作に入っていた「Evacuation Plan」のとき、矢野の奔放な歌を継ぐように、「矢野さんがああ歌うのなら私はこう歌う!」てな気概とともに猛烈なエモーションをこめて上原がソロを取り出したときなんて(ヴィジョンに映し出される映像はそれを直裁に受け取らせる助けとなる)、もうぼくはえも言われぬ衝動を感じて震えちゃったもん。

 二人で出口を探っている感じはなく、エンディングではスパッっと終わるので、それなりにリハもしているのはよく解る。この黄金の組み合わせは上原の09年ソロ・ピアノ作『プレイス・トゥ・ビー』の日本盤ボーナス・トラックがデュオ曲であることから企画されたのかと思ったら、06年暮れに共演コンサートが開かれたり、今年の蘭ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルでも二人はステージをシェアしたそうだ。とにかく、とっても実のある組み合わせであり、その相乗で二人はおいしい姿をたっぷりだす。えーん、この米国居住の日本人女性二人は無敵、彼女たちはスーパー魔女だあ! ほんと、音楽ってすごい、才ある音楽家ってすごい。

 実は二人の奔放なやりとりの間、少しビートの感覚がシンプルになるとすぐに手拍子を取るお客さんたちがいて、それがとても演奏に浸るのを妨げる。それはすぐに演奏のテンポとズレるのが常で、気持ち悪い事とと言ったなら。もう、それで舞う音楽の妖精が半減しちゃう、誇張抜きに。この晩、それは度々、手拍子をとらなきゃライヴを享受した気になれない大馬鹿客をおおいに恨む。それを迷惑がっている人は大半なはずで、おいおい近くにいる人、注意したくなんないのかなーとも何度も思った。が、あるときはわりと近くにいるおばはんも傍若無人にやっていて……。いい加減にしろやあババアとどつくぼくが、心のなかにいました。帰りにフォーラム内にある相田みつをミュージアムの横をとおったのだが、同ミュージアムも心の中で木っ端みじんにした。

 渋谷・wombで、トルコ系ベルギー人のハディセのシューケース・ライヴを見る。ダンス・ポップの人だが、トルコを想起させるアクセントや臭みを介したりもし、それはかつての“チキチキ”(cf.ミッシー・エリオット)における東洋風味添加のようなもので、親しみやすさや立ちを感じさせはすれ、違和感はない。カラオケにて、二人の男性ダンサーを従えてパフォーマンス。その的確な、心をこめた両手の広げ具合に振れ、クレバーな人であることもおおいに了解した。

 その後は南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、70作目のアルバム『Into Tommorow』をだした重鎮アルト・サックス奏者(1933年生まれ)の、新作録音参加者と同じ顔ぶれによるステージを見る。ピアノのジェラルド・クレイトン(2007年9月10日、2008年9月16日、2009年6月7日)、ベースのベン・ウィリアムズ(2009年5月18日)、ドラムのジョナサン・ブレイクというNYの新進ジャズ・マンを擁したもので、ほとんど孫みたいな年齢の奏者たちとの共演となる。もともと渡辺貞夫(2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日)がブレイクと一緒にやったときにコイツはいいと感激し、ブレイクの助言で他の共演者も決まっていったという。フレッシュな本場演奏陣と渡り合い、ワンホーンで思うまま歌ってみよう……それが、新作の求めるところだったわけだが、本当に嬉々とし、若々しく、彼は吹いていたナ。若い黒人さんたちも、日本のジャズ・スターとの演奏を心から楽しんでいる感じはありあり。バンド感も、意外にありました。

 おお、記憶力いいんだな。曲をやる前に、これは何年の曲でとかきっちりと紹介してから、その曲をやり始めるんだもの。本当にそれは律儀な感じで、曲をカヴァーする者の真心あるおとしまえの付け方を感じさせたりもしたかな。披露されるのはファッツ・ドミノ、レイ・チャールズ、ジミー・スミス、ブッカー・T &ザ・MGズ、ルイ・ジョーダンなどの広義の米国黒人の昔の曲。ジミ・ヘンドリックスのバンドにいたミッチ・ミッチェルとは一緒に住んでいたことがあったと言って、ヘンドリックスの曲もやったっけ? それらが深い愛着と彼らしい曲さばきの回路とともに、得難い(ときにジャジーな)ブルー・アイド・ソウル表現として送り出される。あー、妙味と滋味たっぷり。

 UKモッド・ミュージックの、有名熟練オルガン奏者/シンガー(2008年3月17日)。そのパフォーマンスは米国黒人音楽の素晴らしさ/ヴァリエイションの豊かさを伝えてあまりあるものだし、それを自分の個体に合わせて出し直すことの面白さや意義を存分に表出する。バックはリード・ヴォーカルも1曲とったギタリストとドラマーで、けっこうイケ面な二人はなんと息子たちなのだとか。凄い腕が立つ訳ではないが、気心知れた奏者たちとのギグで、フェイムさんはニコニコやりやすそう。60代半ばの彼は十分に元気で、今後も何度も来日して、うれしい英国情緒を開いてくれんじゃないかな。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 72年、フィラデルフィア生まれ。16歳でNYのジュリアード音楽院に学ぶようになり、18歳ごろからビッグ・ネーム級からいろいろレコーディングに誘われ、95年以降はリーダーとしてもアルバムを出すようになる。てな、この何かと恵まれた歩みを持つ、ウッド・ベースと電気ベース両方を弾きたがるジャズ・ベーシスト(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日)の場合は昨日書いたような先輩たちが持たざるを得なかった闇の回路はあまり抱えずに自分のやりたいことをやってきたという人だろう。

 新作『カインド・オブ・ブラウン』は全ウッド・ベースで迫ったストレート・アヘッドなジャズ盤だったが、横に電気ベースを置かない今回はそのノリに100%負ったもの。演奏曲もほとんどが新作に入っていたオリジナル曲であり、編成も同様で、ピアノ、アルト・サックス(だったけかな?)、ヴァイブラフォン、ピアノ、ベース、ドラムという布陣。マクブライドが抜擢したらしいかなり若そうなヴァイブ奏者のウォーレン・ウルフとドラマーのカール・アレン(2006年1月26日)はアルバムにも入っていたプレイヤー。ウルフのマレットさばきは実にまっとう、ながらマレットを複数もっての演奏は一切しなかった。それは苦手なのか。

 マクブライドは手元は見ず、軽々と鼻歌キブンで左手を指板の上に滑らし、右手でひょいひょいと爪弾き、悠々サウンドを引っ張って行く。もー、余裕だらけ。それは生理的な軽さを少し導いたりもするが、それもまた今のジャズなのサと彼は言っていた? MCで、日本のジャズ・ファンはいい、ジャズが好きでいてグルーヴも好きだから、みたいな事を言ったりもし、ご満悦。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 そして、ブルーノートへ異動し、コラ・ジャズ・トリオを見る。西アフリカの弦楽器コラの奏者をフロントに置き、他にピアノ奏者とパーカッショニストを擁するギネアのグループだそうだ。で、素朴できらびやかな音色を持つ楽器であるコラだが、ここでは本当にジャズ的なリード楽器として使われていてびっくり。ここで用いられているいろんな音色や奏法を生むそのコラはかなり製品として質の高そうな感じで、とてもハンド・メイドなものには見えなかったが。ピアニストもソツなくジャズ的なソロやバッキングを見せ、なるほどこれはグループ名に偽りはないナと思わされる。トラディッッショナルっぽい楽曲だけでなく、「リズマニング」や「ナウ・イズ・ザ・タイム」のような有名ジャズ・ナンバーもなんなく披露。それからコラ奏者は演奏だけでなく、甲高い西アフリカ的なヴォーカルでも大活躍。けっこう、掛け合いも見せてくれた。

 ジョン・ルイス(1920年〜2000年)というジャズ・ピアニストがいた。モダン・ジャズの行き方とクラシック音楽要素を融合させたオルタナティヴな室内楽的ジャズ表現で多大な人気を博したザ・モダン・ジャズ・カルテット(MJQ。50年代初頭から20年強続けられた。後に、少し再結成されたりも)のリーダーだった人物である。ある意味“白い”方向性も持っていたMJQだったが、彼はそれを全員アフリカン・アメリカンでやること(特に、もう一人の看板奏者であったミルト・ジャクソンは根っからソウルフルなヴァイブラフォン奏者であった)に意味を見いだしていたように思う。MJQの瑞々しい表現を聞いていると、<白んぼよ、黒人の事を粗雑で野卑な事しかできないと思ってるんじゃねえぜ。確かに我々はソウルフルだ。だが、そうでありつつ、一方で我々は精緻で肌触りが良い洗練の極みのような表現もきっちり作れるんだよ。ほらMJQで優しく提示してあげるから、我々アフリカン・アメリカンの創造性や飛躍力を味わい、その凄さを痛感するがいい>という、クールにして突っ張った意思表示をぼくは感じずにはいられない。そんな彼だからこそ、ぷっつんブラック・ジャズ大王たるオーネット・コールマン(2006年3月27日)を初期に認め、ルイスは自分が所属するアトランティックに彼の事を紹介し、コールマンが広く知られるきっかけを与えるのだ。研ぎすまされた感覚と強いプライドと物事の正解は一つだけではないというしなやかさ、それらを無理なく持つ賢人ルイス(今なら、ぼくはMJQ作よりもソロ作のほうを先に勧めたい)はセロニアス・モンクと比肩するぐらい、彼とはまったく別のやり方で最高にイケてる米国黒人の美意識や優位性を出したレジェンドであったと思う。

 なんか、ラムゼイ・ルイス(2008年7月2日)の何でもありのピアノ・トリオ表現を聞きなら、唐突にぼくはジョン・ルイスの真価を思い出していたのだ……。大ヒット(65年総合5位。R&B2位。そこでドラムを叩いていたのはまだジャズ・マンだったEW&Fのモウリス・ホワイト)した「ジ・イン・クラウド」に代表される彼一番のトレイドマークのファンキー・ジャズ路線から、気取ったクラシック調路線まで。教会に根ざしたゴスペル感覚が入ったものもやれば、端正でおとなしい4ビート曲もやるし、EW&Fの「サン・ゴッテス」の屈託のないカヴァー(それも、75年にルイスはシングル・ヒットさせている)もやる。それらはどれも50 年を超えるこれまでの長いレコーディング・キャリアにおいてやっていることで、その広いネタを素直に括って出しただけと言う事も可能なのだが、やはりラムゼイ・ルイスを腰軽くいろんなことに向かわせたのは米国白人社会の差別や偏見ではなかったのか。今の彼は指が動かなくなってきていて、もどかしさを感じさせるときもある。だが、綺麗な身なりとともにエスタブリッシュされ感がばりばりの彼の円満な風情/ステージ・マナーに触れていると、それはシカゴから白い壁の向こう側に飛び出そうとしたルイス(35年生まれ)の輝かしい人生勝利宣言のように思えてきてしまったりもするのだ。あの笑顔の奥にあるいろいろな襞の存在、オールマイティなものを求める心の奥の陰影……。そんなもろもろに触れられて、否定的な気持ちになるはずがないではないか。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 なんかキラキラしていて、弾けていて、グっと来させるところもあって。全曲単独自作曲を歌ったデビュー作『素顔のローラ』(アトランティック)を聞いたときには、こりゃ鮮やかなR&Bニューカマーだと浮かれた(今年の、ぼくの女性アクトNo.1になるのではないか)が、その手応えは少し素人っぽい部分も残すライヴも同様だな。87年アイルランド生まれ/育ちのアフリカ系シンガーで、サポートはキーボード、ベース、ドラム、トランペット、女性ヴォーカルという布陣。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 それなりに身長もありそう(に、見えた)な彼女は見た目だけで天真爛漫というか、とても性格が良さそう。でもって、接した人に“立った”何かを両手を広げるような感覚で与えるような所を持つ。音楽以前に、それだけで応援したくなっちゃうよ〜。で、ちゃんといい曲をかけて、それなりに伸び伸びと歌えるんだから、いいタマではないか。基本はピアノを弾きながら歌うわけで、局面によってはアイルランドの素朴なアリシア・キーズという感想を引き出すか。とともに、90年代に多大なセールスを残したUKソウルのシンガー・ソングライターのデズリーのような非米国的洗練ポップネスを漂わせるところもある。とにかく、確かな才を持つ新星が伸び伸びと自分のソウル・ミュージックを歌っていると感じさせるのが大マル。そのデビュー作は米国でもそこそこの成績を収めたわけだが、今後どんどん羽ばたいていってほしいっ。

 まず、京橋映画美学校第二試写室で、シンガー・ソングライターのあがた森魚のドキュメンタリー映画(竹藤佳世監督。10月10日から、シアターN渋谷で早朝/深夜公開)を見る。還暦を迎える彼が昨年8月の北海道から年末にかけて全国64カ所をキャンピング・カーで回るツアーの様子、および今年の2月22日に東京の九段会館で行われた特別仕立て公演“あがた森魚とZIPANG BOYZ號の夜”のリハや当日の模様(参加者のコメントもあり)を繋いだもの。あがた森魚に関しては殆ど聞いた事がなく、リッチではない簡素な設定のツアーの実演場面に触れてもぼくの好みとはかなり離れていてああそうですかで終わってしまうが、フォーク方面のツアーのあり方や機微を感じられるのはマル。現在、ものすごく過密状態の音楽家ツアー生活を送っている中川五郎(2005 年6月17日、他)さんのそれもそうなのかと興味津々に見れちゃう。なんでも撮っていいよと言っていたのだろう、飲んだときとかの、ときにメンドクセーぞと思わずにはいられない部分も写し取られている。そして、映画のハイライト部となる鈴木慶一(2004年12月12日)らはちみつぱい勢や矢野顕子(2009 年8月19日、他)らゲストいろいろの九段会館公演の部分は伴奏が充実している(ザ・バンドを洗練させたみたい、と思わせるときも)ためもあり、無理なく楽しめ、また彼が個性あるソングライターであることも確認できた。

 次は渋谷・AXで、ティル・チューズデイを経て、93年からソロとして活動している自作派女性シンガーを見る。冒頭で「普段やらないような曲を、アコースティック・セットで」とMCしたように、ギター(ときにベース)を弾きながら歌う彼女に二人のキーボード奏者(一部、打楽器やベース等を手にするときも)がサポートする形でショウは進められる。が、良く噛み合っていたそれは、彼女の作る曲趣や凛とした個体が支える歌の良さをくっきりと出していたのではないか。少なくても、普通にバンドでやった前回来日公演(2005年10月4日)のときとは訴求力は雲泥の差。古い曲やマニアックな曲にオーディエンスはおおいに湧く。本当に彼女の熱心なファンって少なくないんですね。もう少しで50歳になっちゃうマンさん、遠目にはいい女にも見えました。

 そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動し、もう10年以上にもわたって質の高いクラブ・ミュージック経由のジャジー表現を送り出しているドイツのDJ集団ジャザノヴァのバンド(全9人編成)によるセットを見る(セカンド・ショウ)。ここでは打楽器を扱ったステファン・ライゼリングとアクセル・ライネメアの選抜構成員以外はアディッショナルな奏者たちであったのかな。ヴァーヴから出した新作『オブ・オール・ザ・シングス』は生音多用のふくよかな歌物ジャジー・ソウル作だったが、ここでもそう形容できるだろう音をソロ演奏もフィーチャーしつつ、屈託なく送り出していた。かつて、やはりジャザノヴァの構成員であるアレキサンダー・バークは今回来日したステファン・ライゼリングらとシーフという歌心と閃き満載のロック・ユニットによる『サンチャイルド』というアルバム(もう、最高!)を出した事があったが、あれの実演見てえ〜。

リオン・ウェア

2009年8月23日 音楽
 あのマーヴィン・ゲイも頭を垂れたメロウ・ソウルの名作曲家である偉人(と書いても差し支えない存在でしょう)は過去にも来日公演をした事があるようだが、ぼくは初めて見る。現在スタックスとアーティスト契約を持つ彼だが、もともとパフォーマーとしての印象は強くはなく、数々の名曲/洗練された雰囲気を生み出した個体の襞に触れられればと、ぼくは軽い気持ちで会場に向かった。と、書きつつ、実は何気にけっこう高揚してもいたかな。

 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。キーボート、ギター、ベース、ドラム、女性ヴォーカルを従えてのもの。で、マイケル・ジャクソン、ダニー・ハサウェイ、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、クインシー・ジョーンズ、マックスウェルらに取り上げられた美曲、その他を次々に訥々と歌って行く。決してうまくはないし、声量もあまりない。でも、誠実に歌われるそれはしっかりと心のなかに入ってきた。マイクを持って歌う本人は小柄ながらスリムな体型を保っていて、40年生まれという事実よりは若く感じるかな。ハート・ウォームそうでもあったし、品格もあった。アンコール曲ではピアノの弾き語り、にて。

 35年もの間を空けて昨年再結成なったインターナショナル進出した先駆け的日本人ロック・バンドの、ライジング・サン・ロック・フェスティヴァルから流れるツアーの東京公演。メンバーの合計年齢は300歳を超えるようだが、それぞれじじむさくないいい感じの歳の取り方をしていて、全体的にはとてもさばけた、風通しのいい所感を接する者に与える。曲の多くはたっぷりと演奏パートを取り、かなり長め。でも、リード・ヴォーカルのジョー山中は歌っていない時間を持て余す感じもなく。バンド、だな。渋谷・デュオ。昨年のときより(2008年7月2日)、昔の曲を少し多くやるようになったか。それは米国数カ所のツアーを経たから(やはり、米国のリスナーは往年のナンバーを求めるに違いない)ということもあるのかな。なお、この日の模様はライヴ・レコーディングされ商品化されるようで、そういう意味でも今のノリが加味された旧曲が増えるのは必然であるのかな。

矢野顕子トリオ

2009年8月19日 音楽
 今年の彼女のブルーノート公演はウィル・リー(2008年12月7日、他)とクリス・パーカーという二人の米国東海岸敏腕スタジオ系奏者を従えてのもの。旧知の間柄でもあり、矢野顕子(2008年12月14日、他)もくつろぎつつ、心を許してライヴを楽しんでいるという感じ。3人がともにお互いを認め合い、アイコンタクトや笑顔を交わしつつ、おなじみの矢野曲がこの日のヴァージョンとして編み上げられていく。なるほど、”矢野顕子トリオ”かも。前年のマーク・リーボウとのデュオ・パフォーマンス(2008年8月3日)のような跳びや刺は望むべくもないが、おいしい天衣無縫な自在さは横溢。うれしい、音楽醸造の場……。

 パーカーはスタッフでスティーヴ・ガッドとコンビを組んで名前が知られるようになった人だが、もともとはウッドストック周辺でポール・バターフィールドやボニー・レイットらとやっていた。ブルーノート東京に山ほどサイドマンで出ているだろう(ハイラム・ブロック関連が多いかな。2003 年6月12日、2001年5月31日、他)リーは曲によってはコーラスを付けたり、少しリード・ヴォーカルを取ったりも。そのいい感じの様(だいぶ前にクスリ地獄を脱し爽やかにお茶目に、いい人っぽくパフォーマンスにあたっている様はホントに良い感じだ)に触れながら、またヴォーカル・アルバムを作らないかなあと思う。彼のゴー・ジャズ発の93年リーダー作『Oh!』(もしかして、彼唯一のリーダー作?)は秀逸な大人ポップ作。権利を持つ(丸の内の)コットンクラブは新曲加えて出し直したりしないかな。南青山・ブルーノート東京、セカンド。

タニア・マリア

2009年8月18日 音楽
 お、小柄で乱暴なパーマをかけたような髪型や気安い風体は、ヤンキー上がりの大阪のおばちゃんみたい(良く知らないが、イメージとして)。だけど、その芸風はやはり東京というよりは大阪だろう。ブルーノート東京(セカンド・ショウ)、電気ベーシストとドラマー(とっても、ハイハット音が正確に立っていた)を従えてのパフォーマンス。

 ブラジル出身の跳ねっ返りジャズ・ピアニスト/シンガー(1948年生まれ)であり、早くから外に出て欧州で活動基盤を作り、コンコードやEMI他から作品を出している、クラブ・ミュージック筋にもそれなりに受けがいい人物。20代中期から基本、フランスを拠点としているのかな。ほとんどの曲でヴォーカルやスキャット(自在なそれはブラジル的機知とクロスする)をかましつつ、奔放な指さばきを聞かせる。ボサ曲もやればスタンダードもやり、自作曲(83年曲「カム・ウィズ・ミー」はチャートには入っていないが、確かに耳馴染みあるキラー的な曲)もあり。諸手を広げたおきゃんさは一部ではフュージョン的な行き方とも重なったり。なんにせよ、確かな個性がありました。

 80年代から10回を超えるほど来日公演を行っている人だが、ぼくは見るのは今回が初めて。もともと憎からず感じている人だし、よくこれまで見る機会を持たなかったものだと、逆に感心(?)。

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