De La FANTASIA

2009年11月1日 音楽
 この日は、<Voices of Females>と題されていて、3カ国の女性ヴォーカリストがパフォーマンスを行った。恵比寿・リキッドルーム。

 まず、出てきたのは、米ポートランド在住の個性派シンガー・ソングライターのローラ・ギブソン。乱暴に言ってしまえば、先端ロック音像感覚のなかで訥々としたフォーク・ミュージックを広げているような人(日本盤は、ヘッズから出されている)で、今回の来日は何作もリーダー作を出している同郷のエレクトロニカ系クリエイターのイーサン・ローズを伴ってのもの。ともに弦楽器や装置を扱って淡い漂う音を出し、そこにギブソンはふわーとウィスパーな歌声を載せる。一部はなぜか、ビュークの影響を感じるときがあったが、それは不可解な現代性を持つゆえか。その総体は記憶の底にある断片を拾い上げて反芻しているような感触を持つかも。立って聞くにはもう少し動の部分も欲したくなる(二人も座ってパフォーマンスしていた)が、十分にその美意識と個性は感じることができた。

 次はエゴ・ラッピン(2004年2月5日、2005年7月31日、2006年12月13日、2006年11月17日、2006年11月17日、2009年8月8日)の中納良恵が出てきて、ピアノを弾き始める。彼女のピアノの弾き語りには初めて接するような気がするが、これにはびっくり。まっすぐ楽器と向かいあい、自分の音楽を出すのだという純真に溢れまくっていて。ピアノのタッチが強く、それに乗る歌声もとってもふくよかにして太い。力のある、ピアノ弾き語り表現! ぼくはえらく感じいってしまった。曲もいい感じだったが、それはエゴ・ラッピンでは歌っていない曲なのだろうか。途中には、エゴ・ラッピン・バンドのドラマーの菅沼雄太(2009年8月3日のYOSSY〜でも叩いているのかな)も加わる。また、声や効果音をサンプリングするときもあった。とにかく、味と誘いが力とともにたっぷり。ぼくが感じている以上に、中納は才能と広がりを持つ人だった。

 続いては、クラムボン(2007年9月24日)の原田郁子の番で、やはりピアノの弾き語り。こちらは、柔和で、こまやかで、微笑みがあり、また別の手触り、ポップ・ミュージックとしての輝きを持つ。2曲で、おおはた雄一(2009年4月4日)がギターで協調。プロの弾き味と思わせる熟達味アリ。うち、1曲は原田とおおはたの共作の曲と言っていたな。実は、中納もおおはたの曲を1曲歌っていたりもしていて、おおはたはモテモテだなあ。

 そして、最後に出てきたのは、フィンランドからやってきた金髪のハンネ・ヒュッケルバーク。ギター/効果音担当者とドラム/効果音担当者を二人同行させてのもので、ギターを手にしながら歌う。刺々しい襞を持つ現代的性と透明感を合わせるロック曲から結構あっけらかんとしたニュー・ウェイヴ調曲まで、いろんなタイプの曲を披露。ファジーな電気的効果のもと妖しい個性を迷宮乗りで出すという印象を彼女に持っていたが、生の所感はもっと生理的にストレート。それは、彼女がアルバムの印象を覆すようにけっこう朗々と歌っていたからかもしれない。このパフォーマンスに合わせて、“De La FANTASIA”の初日(金曜)に出演した細野晴臣(2009年10月12日)さんも会場内にやってきていました。

 あっさりと、いろんな才に触れられてにっこり。なんか、ありがたやーとなりました。

De La FANTASIA

2009年10月31日 音楽
 内外の見所ある担い手を自在の物差しで紹介しようとする(なのかな?)“De La FANTASIA”というイヴェントの中日にあたるもので、高橋幸宏、ametsub、cycloの順で出演。恵比寿・リキッドルーム。

 ザ・ビートルズ曲がオープナーでバート・バカラック曲がクローザー(仕掛けを入れたその曲だけ演奏がかなりバラバラだったようにぼくは感じた)となる高橋幸宏の実演はフルのバンドによるもの。ギターの小山田圭吾やキーボードの堀江博久(ともに、2009年1月21日)、ギターや装置の高田漣や電気ベースの鈴木正人(ともに、2007年1月27日)、ドラムの千住宗臣(2007年4月20日)などを擁する陣容にて。それ、ちゃんと前線にいたいという意思が反映した人選とも言えるか。イメージ通りの紳士風いでたちで決めて登場した高橋は中央で鍵盤を前に歌ったり、横奥にあるドラムを叩いたり(その際は、ツイン・ドラムとなる)。まずは、含蓄豊かなバンド・サウンドに胸が高鳴ったかな。背景にいい感じで歌詞が映し出された曲なんかは、その指針を含めてトーキング・ヘッズの影響下にある感じもあるが、総じて視野の広い、趣味性の高い大人のロックをすうっといい感じで押し出していたのではないか。彼一流と言いたくなる含みを持つホンワカ曲とともに、けっこうファンキーな志向を持つ曲があったこともぼくはうれしかった。

 エレクトロニカ系日本人クリエイターのametsubのパフォーマンスは親指ピアノ音を即興的に連鎖させていくような感じの表現で始まったが、ラップトップや鍵盤を前においていた(んじゃないかなあ。暗くてよく分からない)彼は一人でどんなオペレイトのもと電気音を思うまま出していたのか。ヴィジョンには風景が映し出されていたが、(この手のパフォーマンスに触れるといつも思うが)その手元を映し出す操作映像をきっちり流してほしい。ブラックボックス的なパフォーマンスのほうがイマジネーションが刺激されるという人もいるかもれないが、ぼくは音が出てくる経過や人間が機械や装置を英知とともに使いこなす様にちゃんと触れたい。それは企業秘密? ジミ・ヘンドリックスが出てきたとして、真っ暗いなか客に背をむけて演奏するなんてことはありえないでしょ? 

 続いては、池田亮司+カールステン・ニコライ、日本とドイツの今様電気表現の鬼才二人が重なったユニットのcyclo.。装置を前にステージ中央に仲良く並んだ二人の裁量にて、いろんな幾何学的紋様映像とアメーバーのように絡まる音(けっこう、デカい)が連動して出てくる様は圧巻。ともに一級品で、それらは不可分なものとして受け手に注ぐ事の刺激と手応えと言ったなら。機械を用いる、イケてる現代的創造の好サンプルなり。

 今日はハロウィーンの日。深夜の渋谷には、それっぽいノリの若者たちで溢れている。お祭り/イヴェント好き、そして変化を好むぼくは、そういう普段とは異なる風景がイヤじゃない。寄ったお店にも飾り付けが控え目になされていたり、そういう格好の従業員がいたり。ハロウィーンが日本でけっこう一般化したのって、そんなに昔のことではないよなあ。

 07年に80歳で亡くなったフランス人の有名バレエ振り付け師モーリス・ベジャールの名前は、そのプロダクツに接したことはなくてもなぜか昔から知っていたような。親日家で日本から勲章ももらっている彼はこっこう新聞にも載っていたということなんだろう。彼が主宰するバレエ団はスイスのローザンヌ(IOCの本部があるんだよな)に事務所と練習場を構えていて同市から運営資金の援助を受けているようだが、スペイン人女性のアランチャ・アギーレが監督した「ベジャール。そしてバレエはつづく」は、主を失ったベジャール・バレエ団を題材に置くもの。ベジャールの功績を乱暴に振り返りつつ(過去の写真や映像も少し出てきて、関連者の発言もいろいろインサートされる)、新たな後継リーダー/ダンサーのジル・ロマン(優男で愛煙家。60年生まれ)のもと苦悩しつつ新生を求める様を描かんとするドキュメンタリーだ。一人だけ非ネイティヴな発音ながら英語で答えている人もいたが、他に出てくる言葉は(たぶん)フランス語。なんか、途中でその語感に痒くなってきて、フランスには住めないかもなあとふと思う。

 昼下がりに、TMシアター新宿にて。普段まるで関わりのない分野であるので(かつては、意固地なロック観からアートなものを意識的に遠ざけようとしていたし)、いろいろ興味深い。バレエといえどけっこう今様で、ぼくの頭のなかにあるモダン・ダンスのイメージとけっこう重なる。そして、アートっぽいところももちろん多々あるが、なんか下世話だなと思わせるところも。同バレエ団のダンサーたちは30代半ばぐらいまでの年齢か。中年になると、担い手たちはどうするのかとも思った。皆がカンパニーを主宰できないだろうし、誰もが教える側に立てもしないだろうし。音楽の世界だと肉体的に衰えてもそれが味や含みに繋がりもするが、踊りの世界はなかなかそうもいかないだろう。厳しい世界だな。映画はジル・ロマンの振り付けのもと新作をワールド・プレミアに向けて作っていく様を追うが、舞台美術や衣装などの事は少し紹介されるものの、その音楽については一切語られない。なぜ? 音楽好きとしては、それが少し気になった。

 そして、野暮用をすませた後に、新宿・バルト9で、話題(ですよね? 直前でもチケットが買えた)の限定公開映画の「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を見る。びっくり、もー驚いた。

 ロンドンでの50回もの公演(亡くなった2週間後から、それはスタートする予定になっていた)のためにLAで行われていたリハーサルの模様を押さえた映像を柱とするもので、ダンサー陣のオーディションの様子、雇われたダンサーやミュージシャンの発言、ショウで流す映像やそのシューティングの様などをとっても上手くまとめて2時間近い映画にしている。←アリーナに本番と同様のステージ/仕掛けをちゃんと作りリハは行われていて、映画を見るとけっこうショウに接した気分にもなれる。

 そのリハの模様はジャクソンの個人用途のために撮影されたというが、よくもまああれだけ質に不満がない形でおさえていたものだ(映像の質が低くて、採用できなかったものもあるかもしれないが)。同じ曲のなかでも、格好が違う映像がつなげられていたりもするので、何日もカメラは回されたと考えられる。そのリハはフルのバンド演奏のもと、いろんな趣向が凝らされて進められる。完成度、高し。演奏や歌も、ダンスの絡みもばっちり。何から何まで周到に練られて、最終段階のものとして撮影時のリハは行われているのが分かる。が、驚かされるのは、ジャクソンはその出来に満足することなくそこからまたいろいろと注文を出し(たとえば、ベース・ラインはこうなほうがいい、とか口で指示してみたり)、あくなきブラッシュアップを行う。まさしく、彼はクリエイティヴィティの塊であり、自己表現の鬼であり、明晰な統括者であることをまっとうする。彼のショウの最終リハは完成したものをもっと高い極みを求めて再度磨き挙げ、さらにアイデアを注ぎ込むもの……そうした壮絶な現場〜あまりに秀でたエンターテイナーのあり方を、この映画は分かり易く伝えてくれるわけで、もう感服させられる。いやあ、ほんと凄い。

 リハのジャクソンの振る舞いで一番ぼくが好きなシーンは、イアーフォンでモニター音をもらって歌っていたものの、その音が大きすぎて歌えなくなる場面。そのときのとまどった仕草がチャーミングだし、それを説明しようとする、彼の言葉使いもなんかいい。そして、彼は「けっして怒っているんじゃないんだよ。ぼくは、L-O-V-Eなんだから」というようなことを言う。それがらしくも、とっても良い。唯一違和感を感じるのは、ファッションやビート(集団でのダンスにおけるステップの決め、とか)の感覚において軍隊を想起させたりもすること。それ、愛と平和を生真面目に説くジャクソンに合わないとぼくは感じる。

 それから、ショウの背景映像用にシューティングされたブツの質の高さにもびっくり(たとえば、「スリラー」は別ヴァージョンの演奏にて新たなヴィデオ・クリップを作っているようなものだし、映画仕立てのものある)。今回予定されたショウは過去以上に映像をうまく用いようとしたものであることも、この映画は示唆しているだろう。面白いのは純音楽面に関わっているミュージシャンはアフリカ系が主だが、ショウの責任演出家でジャクソンとは長い付き合いを持つケニー・オルテガをはじめ、映像作りや照明など多くの重要裏方はお腹がぷっくりした白人おやじたちであること。ケニー・オルテガはこの映画の監督としてもクレジットされている。そのオルテガはダンサーをしていた御仁で、70年代後半にはトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)とも付き合いを持ったサンフランシスコのシアトリカルな賑やかしロック・バンドのザ・チューブスのライヴなんかに関わったのが業界入りの最初だったみたい。その後、TVや映画業界の振り付けで仕事を得るようになり、ひいては総合的な大役をいろいろと担うようになったとようだ。

 とにもかくにも、不眠症だろうとなんだろうと、リハでのジャクソンは元気というか、健やか。繰り返しになるが、歌もダンスも大マル。体型もスリムで格好いいし、澄んだ心持ちや自己表現に対する尽きぬ意欲がほとばしりまくっている。劣化なんてまったく無し。TVで報じられる、オフでの病んでいたりコワれていたりする感じがここにはまったくない。だからこそ、そんな彼がなぜ死ななければならなかったかと、誰もが感じるに違いない。映画を見ながらとっても高揚し嬉しくなるとともに、だからこそどうしようもなく悲しくもなる。

 亡くならなければ、公にはならなかっただろう映像群。それは、一人の天賦の才を持つ人が決定的なものを作り上げて行く様を鮮やかに教える、掛け替えのないものとして結実された。とんでもなく素晴らしい、音楽映画! そして、やっぱり一流の米国のエンターテインメント業界の力はすごいというのも痛感させる。感動したっ。啓発を受けたっ。

 その後、営団地下鉄副都心線に乗って(ぼくは乗るとしても渋谷←→新宿三丁目の間だが、いつもびっくりするぐらいすいている。わざわざ作る必要なかったんじゃないのと、思わずにはいられないぞお。東横線が接続するまではそういう状況が続くのか)、渋谷・デュオに行く。

 まず、出てきたのはイングランド北部出身の、まだ20代半ばだろうベラ・ハーディ。初めて欧州外に出て興奮してマスみたいなMCをしていたが、ほんと初々しい。大学で音楽を専攻している人で、現在UKフォーク界でおおいに注目を集めている新進だそうだが、ミニ・スカート姿やちょいぶりっ娘ぽいしゃべり方はそれとは相容れない感じもあるか。フィドルを手に一人で出てきてパフォーマンスをするが、1曲目からアカペラで自分を開く。おお、落ちついていて、とっても歌力あり。トラッドを中心に歌ったのかな。4分の1ぐらいはアカペラだったかも。他はフィドルを持ちつつ歌うわけだが、面白いのは複音が混ざる一般的なフィドル調の弾き方はあまりせず、単音(低音が多い)を歌に合わせてシンプルに弾いて、淡い単音シンセによるベール効果のような使い方をしていたこと。それ、ゆったりした曲が多かったのとも関係があるのか。なんにせよ、歌は本当に力があった。40分ぐらいのパフォーマンス。

 休憩を挟んで、スコットランド(エジンバラ)のトラッド系トリオのラウー。アコーディオン、生ギター、フィドルが絡まるインストを主体に聞かせるが、ときにはギター奏者がヴォーカルを取ったりもする。MCの声と歌声がけっこう異なる彼、ゆったりした曲のときには倍速でまるで貧乏揺すりをするかのようにせわしなく足をストンプする。人の癖はいろいろですね。アコーディオン奏者からは左手のボタン音を巧みに電気増幅したような非アコーディオン的な音が出ているような気もしたが、足元にはそれなりにエフェクターが置いてあったような。と、そんな事にも表れているように、楽器編成や根本にある流儀はトラッド繋がりだろうが、そこからいろんな創意工夫とともに外に出て行こうという意思が鮮やかに表れる集団。ときに、なんじゃあこのアンサンブルはぁと思わせるところは快感なり。そうでありつつ、残すべきアコースティック性や素朴さをちゃんと保っていたりもし、その大人のイケてる指針こそ、熱心なファンを得ている所以かもしれない。その様に触れていると、まさにプログ(レッシヴ)・トラッドじゃあと思うことしきり。

PE’Z

2009年10月29日 音楽
 へえ、こんな個性的なジャズのやり方もあるんだ。東洋の小僧たち、やるじゃないか。……PE’Zのステージの袖にはにやにや興味深げにその演奏をチェックする外国人ミュージシャンがずらりと並ぶ。それ、02年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァル・イン斑尾(2002年8月2日〜4日)での一コマ。ハード・バップ黄金期のジャズが抱えていた様式や風情を受け継ぎつつ、颯爽とポップなメロディや今っぽい立ちを持つ曲を演奏しているPE’Zを見ていた米国人ミュージシャンのなかにはソウライヴ(2009年7月8日、他)の面々もいて、彼らはPE’Z(2007年4月14日、2006年10月24日、他)結成10周年を祝うトリビュート・アルバムにPE’Zカヴァー曲を提供している。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・セット。節目に際しての、アコースティック編成によるクラブ・ツアーのなかの一つ。アコースティック編成とはいえ、もともとウッド・ベースを用いる彼らゆえ(ベースの音色は電気ブーストをかけすぎではと今回感じた)、普段は電気キーボードを弾くヒイズミ(2008年4月6日)がグランド・プアノを扱うのが大きな違いだが。で、おなじみの曲(けっこう、変えられているものも)から、ハービー・ハンコック(2005年8月23日、他)の「ウォーターメロン・マン」のカヴァー、来年に出る新作に入る予定の曲まで、おもうままに演奏する。リーダーの大山はとても心のこもったMCをまっすぐにするのだな。というのはともかく、今回印象に残ったのは、彼のトランペット・ソロ。昔はダラダラとソロを入れたくないと言っていたこともある彼であり、そんなにソロイストとして見た事はなかったけど、今回触れてしっかり歌心のある確かなソロをとる人なんだと認知。その、ステージでの彼のファッションはいまだによく分からないが。過去も手にしているのかもれないが、フリューゲルホーンとソプラノ・サックスに二人の管奏者(2009年7月27日)が持ち換えた曲もあった。

 約1時間15分の演奏。この日も定時に出てきて疾走し、アンコールなしでさくっと終わる。表現にしても、態度にしても、きっちりと自分たちの流儀を持つバンドだな。そして、それを支えるのは常道を嫌うまっとうな反骨精神であり、独自性を酔狂なまでに追い求めるようとする澄んだ気持ちだ。そういえば、かつて取材したときに、大山は自分がやりたい事を具現するためのに自分の我を通しまくり、ヒトラーだったか独裁者だったかは忘れたが、初期にはそう周りから呼ばれていたと言っていたことがあった。不動の顔ぶれでの10年、それは大山のリーダーシップに支えられた10年でもあったのかな。最初期、彼らは知り合いのバーの営業時間外に店に楽器を持ち込んで表現を固めていったそう。そのバーはビルボードライブ東京の近くにあったという。

ザ・クリブス

2009年10月21日 音楽
 ギターのストラップの長さを見れば、芸歴が解る。な〜んて。

 赤坂・ブリッツで、兄弟3人によるUKギター・バンドのザ・クリブスを見る。4作目を出したばかりだが、なんとそのアルバムからザ・スミスにいたギタリストのジョニー・マー(2003年3月1日。まだ、モデスト・マウスのメンバーでもあるのだろうか)がメンバーとなり、この来日にもしっかりと一員として同行したのだが、マーのギターの位置だけ下……。それ、目立つ。確かに、昔はギターは低く構えたカッコいいという価値観があったかもしれない。

 その新作を聞いて、簡素ながら強い歌心と感覚的なギター音が呼応する好作品だと感心したが、実演では青春ギター歌謡ロック調という感想を持ちたくなる曲が多かった。あれれ彼ら、こんなに子供っぽい曲をやっていたっけ。が、そういう曲に大御所マーは誠心誠意よりそい、コーラス部では一緒に小僧のように声を張り上げる。基本、曲に合わせて、引っかかりのある奔放ギター音を送り、ときにはサイドに回ったり。もう、ばっちり曲も覚え、他メンバーとの意思の疎通も十分。おお、46歳のおやじとまだ20代の青年たちがなんの違和感もなく重なっている様には音楽性とは別文脈でうれしい感興を誘うものがあったな。

 ギター奏者とベース奏者が曲によってリード・ヴォーカルを取り合ったり、ベーシストはけっこうギターのコード弾きみたいにベースを弾いていたり(それで、サウンドを厚くし、かつてはギター1本でのバンド表現を成り立たせていたのだろう)、ドラマーはバスドラの上に何度か立ったりとか、いろいろライヴに触れてこその情報を得る。でも、一番感じたのは、ある種のUKギター・ロックの心持ち/流儀の無理のない受け継ぎを目の当たりにしたことか。ショウは80分ぐらいで、アンコールなしでサクっと終了。なのにアンコールを望み、会場に残る熱心なファンは少なくなかったよう。あ、それからPA音はけっこう大きめだった。

 その後、会場で会った知人と赤坂でお店を出している業界にいた大先輩&いい人のお店(トレーンといいます。店主、関さん)にとても久しぶりに行き、続いてぼくが大昔にいた会社のナイスガイな同僚が四谷三丁目でこの5月からやっているバー(もともとあったお店を引き継いでいて、ディープといいます。店主は、少し先輩だった佐俣勲)に流れる。で、帰り道に道玄坂を通ったら遅い時間なのに渋滞で、なんかそれが嫌でタクシーを降りちゃってまたもう一軒流れる。最後のほう、あんまし覚えてない。さすが、次の日は残るのこる。肝機能、ボロボロだあ。

 前日は食事/飲みやライヴの予定もなく、久しぶりに日暮れ以降も家にいて、お酒も飲まず、早々に床につく。そしたら、明けて2時すぎに、ヤな夢で目がさめる。以下は、その悪夢の概要……。

 場所は、居住するマンションの駐車場。が、ぼくはクルマではなくスクーターで外出しようとして、まず居住者が運転しているだろうメルセデスに後からぶつかる。ありゃ。と、思う間もなく、続いて黄色いフェラーリのボンネットの上を走っちゃう。両者、激しくはないものの、ヘコんだり傷がついたりしたはず。呆然とするぼくに、フェラーリから眼鏡をかけたおっさんが出てきて、ニヤニヤしながら親し気に「佐藤さん、やっちゃいましたねえ」。ぼくは、「すみません。修理代、結構かかりますよね」。すると、彼は当然と頷く。よく見ると、そのフェラーリにはそれぞれのパーツに二桁や三桁の万単位の値札がいっぱい付けられている。保険使えばなんとかなるかと思いつつ、いけねえ、俺は車ではなくスクーターで事故っていると気付く。かつては実生活において車とスクーターを併用していたが、数年前からスクーターはやめて、その次の年の更新から車の保険から原付バイクの保険を抜いたはず。で、夢のなかで、その事実になぜか気がつき、ガビーンとなる。えーん、オレ自力で修理代はらわなきゃいけないの。そして、いったい2台ぶんでいくらかかるのか、とか考え、気持ち悪くなって目がさめたのだった。

 えーんやだよー、こんな夢。他愛ない夢ばかり見ている(はず)のぼくにしては、最大級の悪夢。現実のマンションの駐車場は地上にあるが夢では地下にあったり、実際フェラーリなんか乗っている居住者がいるはずもなく。さて、この夢はいかなる深層心理の反映か。マジメに早寝したのが、そもそもの間違いか。今年、マンションの管理組合の役員をやっている事(基本、月一回の理事会に出るだけだが、プレッシャーあり)と関係ありか。なんにせよ、気がおおいに萎え、悲しい気分になる。修理代はらったことにして、快楽的に散在せよという、神のお告げか。あはは。

 というわけで、そのまま起きたため、睡眠不足のため夕方にはもうふらふら。で、まずは渋谷・playroomでのunder currentというイヴェントに行く。同イヴェントの主催者の一人が率いるF.I. B. JOURNALと画家の松岡亮のコラボレーション。会場の背には一面に白い布が張ってあり、実演が始まると布の奥から絵を描きだし来場者はそれを布ごしに見て、抽象画が完成していく様をリアル・タイムで受けるという案配。

 バンドの演奏を聞き、すぐにこのドラマーのことは何度も聞いたことがあるゾと思う。もう、刻みの様が立体的と言いたくなるそれはかなり魅力的で個性があるもの。知人に聞いたら、phat(2003年3月6日、他)にいた沼直也。そりゃ、聞き覚えがあるはずだ。俺、彼のソロ演奏なら1時間でも笑顔で聞いていられるゾ。今回、彼の演奏を目の当たりにして、どこかUKの名ドラマーのリチャード・ベイリー(ジェフ・ベック、アネット・ピーコック、インコグニート、スティーヴ・ウィンウッド作などで印象的な演奏を披露)と繋がる部分を感じたかな。オレがミュージシャンだったら、一緒にやりたいドラマーの上位に彼の名前を置きたい。というのはともかく、彼がロンドンに行けば、すぐに売れっ子セッション・マンになれるんじゃないだろうか。

 そんな彼とリズム隊を組むのは、エゴ・ラッピン(2005年7月31日、2006年12月13日、2009年8月8日、他)やハナレグミ(2008年11月14日)らをサポートしているウッド・ベース奏者の真船勝博。もう二人で、ごんごん突き進むリズム・セクション音に、シング・トーク(多くは、非日本語と思う)/ギター/サンプラー(少し)の山崎円城が重なりF.B.I. JOURNALの表現は成り立つが、その編成はいちおうG・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース(2006年10月23日、他)と同じなんだな。まあ、ぼくがその音を簡単に説明するなら、ザ・スペシャル・ソース表現からブルージィさとポップ性を抜いてよりハード・ボイルド度数とインプロ指数を高めた感じ、とするだろうか。いろんなものを好奇心旺盛に結びつけて提供しようとする“under current”は9月に続いて2度目をなるよう。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、ポーランド出身の女性シンガーのバーシアを見る(セカンド・ショウ)。大昔に英国洒脱ポップ・ユニットのマット・ビアンコ(2001年2月5日)にいて知名度を得て、その同僚にして旦那のダニー・ホワイトとともに80年代後半からソロ活動をしている人。もちろんをホワイトを伴ってのパフォーマンスだが、けっこう彼は堂にいったジャズ的な鍵盤ソロをとっていたな。他に、サポートは生ギター(曲によっては、電気ベースも。イタリア人である彼はソロ演奏のパートを与えられたときには、フラメンコ調のそれを披露)、打楽器/トランペット、二人の女性シンガー。うまく開かれた各曲は、その編成で十分じゃんと思わせるもの。で、その大きな一助となっていたのが、二人のバックグラウンド・シンガー。顔も似ている彼女たちは姉妹のようだが、その重なりが実にいい感じで、それが確実に曲趣をもりあげていて、感心。なんか、女性歌手+女性コーラスという編成もいいのだナと認識させられてしまいました。それから印象に残ったのは、出演者同士の仲の良さのようなもの。それぞれにフィーチャーされる部分もあったというのは別にしても、我らファミリーといった感じのこなれた雰囲気(見せかけとしても、それはプロだった)は確実にショウの輝きを3割増しにしていたはずだ。演目はボサノヴァぽい曲が少なくなかったが、ジョビンの「3月の雨」をやったりも。ジョビン曲なかで、ぼくはこの曲が一番好きだな(たぶん)。

 今日は、その後しっかり、2時まで飲まさせていただきました。

百々徹トリオ

2009年10月15日 音楽
 ニュージャージー在住の、秀でた審美眼を持つジャズ・ピアニスト(2004年11月22日)のトリオによるツアーの一環、この晩は赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマ。リズム・セクション(中村恭士と中村雄二郎)はともにNYで活躍する俊英奏者で、今回同行させている。

 百々というと、思慮深いオリジナル曲を通して今のジャズ・マンたる気概や矜持を出すという印象を持っていたが、この日の1曲目はなんと大スタンダードの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」。が、それはかなり吟味され(リズム隊とのコンビネーションを含め)、とても自分のものとして再構築させていて、うーんシビれた。美味。他にも、ジョン・レノンの「ラヴ」を心の嵐を潜ませて紐解いたりもし、彼のなかで素材に対する気持ちに変化が出てきているのかもしれない。ともあれ、彼の可能性がおおいに広がっているのを、今回感じた。そういえば、自作の「ワ・ワ・ワ・ワ」ではスティーヴィ・ワンダーの「サー・デューク」を美味しく引用したりも。

 ファースト・セットを見た後、事情通に導かれ、知る人ぞ知るという、本牧埠頭に置かれたアバンダンなバスを用いたバーに行く。おー、こりゃすごい。インパクトと風情あり。その後、石川町でまた軽く一軒。あー、どーして知己とのハシゴは楽しいんだろう。

 祭日の昼下がりにのんびりしていたら、知人から電話あり。で、唐突に、川崎市の東扇島でやっている京浜ロックフェスティバル’09(昨年は、京浜音楽祭という名前だった)にさくっと行っちゃう。家を出たのは2時50分だったが、高速がすいていて3時半スタートの細野晴臣のステージに余裕で間に合う。チャップリンの「スマイル」でスタートしたそのショウは、くつろぎのカヴァーがいろいろ。ザ・バンドの2曲のときは、日本語詞にて。「ザ・ナイト・ゼイ・ドローヴ・オールド・ディキシー・ダウン」のリフレインを一緒に歌えてうれしかった。途中から、久保田麻琴(このフェスの総合プロデューサーでもある)も加わる。

 会場は埋め立て地にある公園内の雑草が生えた空き地のようなところ。そこに、年齢層高めのお客さんたちが気ままに座っている。晴天で、ほんと何より。ステージはトレーラーの荷台を用いた小振りなものが二つ、トイレは公園のものをそのまま使用といった感じで、とっても省エネ志向。続いて、憂歌団をやっていた内田勘太郎(2002年12月15日)が女性クラリネット奏者を伴って登場。ずうっと沖縄に住んでいるそうで、ジャジーなものから沖縄の歌までなんかのんびりした情感あふれる手作り表現を展開する。その次はオレンジ・カウンティ・ブラザース。かなりのキャリアを持つバンドで名前は昔から知っていたが、ちゃんと触れるのは今回が初めてか。年季の入った、テックス・メックス味もうれしいルーツィなロックを聞かせる。MCは、越路姉妹(2006年3月6日、他)の二人の看板娘(?)がやっていてびっくり。そして、東京に帰り、車を戻す。

 その後は、青山・プラッサオンゼ。グラストン・ガリッツァとヤヒロトモヒロ(2007年11月14日、2009年2月8日)のデュオ公演を見る。ガリッツァはブラジルのミナスジェライス出身(1967年生まれ)、現在はスペインのマドリッドを拠点に活動しているシンガー・ソングライター。なんでブラジル人はどうしてこうも……と一聴しただけで痛感せずにはいられない、目映くも柔和な滋味をたっぷり受ける。ギター演奏といい、メロディといい、歌声といい。そして、そんな彼に寄り添い、芯や広がりや色彩感を的確に付ける、いろんなヤヒロの打楽器音も素晴らしい。昨年も一緒に日本ツアーをやったそうだが、二人の間にある信頼関係もいい感じだ。

 実は、ガリッツァは盲目の音楽家。ながら、日本には単身で来ているそうで、そういう強さと裏返しのフットワークの軽さも魅力に跳ね返っている部分はあるか。彼がスペインに渡ったのは、本国であるコンテストに出たらレニーニ(2000年6月16日)が1位で彼は2位、そしてレニーニにはかなわないと痛感し、外の地で勝負することを選んだ結果なのだとか。←これ、彼に話を聞いた中原仁さん情報です。ともあれ、そういう開かれた意思も彼のしなやかさ(MCは英語でしていた)にはつながっているはず。そして、盲目という事で、先日のラウル・ミドン(2009年10月8日)との比較もしてしまう(けっこう、持つ雰囲気は似ているかも。年齢はミドンが1歳上)が、ガリッツァが劣っているところはないんじゃないか。彼はもしかするとスティーヴィー・ワンダーも好きかもしれないと思わせる秀でたポップ性も持っているわけだし、軽やかさのなかから得難い慈しみの情も出せる。どこか、力のあるレコード会社なりプロダクションが一度彼の大々的な売り出しに関わることはかなわないか。それと引き換えに捨てなきゃならないものも出てくるかもしれない。だが、彼のしなやかさと強さは、そうしたマイナス面も触媒にし、自分を出す事ができると思う。

 フィンランド人ギタリスト、アメリカ人ウッド・ベース奏者、ドイツ人ドラマーからなる、ベルリンをベースとする多国籍ユニット。MySpaceでチェックした感じたと、パンク・ジャズ+やんちゃな肉声入り、というものであったが。新宿・ピットイン。

 会場入りすると、内核の波という、女性フルート奏者も入った日本人のプログ・ロック・バンドが演奏している。けっこうフルート音が効いていて、トラッド味はないがまずはジェスロ・タルをぼくは思い出したかな。みんな白衣を着用、ときに狂言回し的なとぼけた男性がでてきて、丼ものをぱくぱく食べたりも。なんじゃ、そりゃ。作曲/演奏自体はまっとう。が、それだけでは駄目で、目立ったり笑いをとったりしなきゃとという企業努力を感じたか。その諧謔の感覚はぼくの好みと離れるところはあるものの、へらへら笑いながら楽しんだ。

 そのあとに、ジョニー・ラ・マラマが登場。そのトリオ演奏は、メデスキ・マーティン&ウッド(2007年5月10日、他)のオルガンをギターに置き換えた感じ、と説明するのが解り易いか。もっと、知名度を得てもいいのにね。曲はわりとコンパクトにまとめようとする意思を感じる。そのギタリストはマーク・デュクレみたいな、アウトする感覚を持つフレーズを次々に出す。一部、ベース奏者はエフェクターを噛ました電気ベースを手にし、ドラマーは機械で肉声を出したりも。逆に、3人が声を出す曲は少なかったが、そのぶん正のジャズ色を感じたりもしたか。最後のほうで、3人がそれぞれの母国語で一緒に喋り倒す曲があって、それは面白かった。

ラウル・ミドン

2009年10月8日 音楽
 特殊回路アリの、生ギター弾き語り系シンガー・ソングライター(2007年11月26日、他)のレコード会社を移籍してのシューケースのライヴ。場所は、代官山・ユニット。ここで、彼がショーケースの実演をやるのは3度目となる。ま、別にそれはどうでもいいけど、プロモーション活動に協力的なアーティストではあるのだろうな。

 今回は新作からの曲ばかりをやった(よう)。そのユニバーサル系の新作のプロデュースをやっているのは、マデリン・ペルーとかメロディ・ガルドーとか同社の押しのアダルト系アクトをここのところ制作依頼されているラリー・クライン。うーん、なんか、ユニバーサルA&Rは芸がないぞと思ってしまうか。そこまで、クラインは秀でた安全パイの人ではないでしょう。そのミドン新作は今までで一番カチっとした仕上がり(一番AORっぽい、とも言えるかもしれない)を見せるものだが、はたしてクラインはべストなチョイスであったかどうか。あと、実演で目新しかったのは、ジャンゴ・ラインハルト=マヌーシュ・スウィング的なインスト曲をやったこと。その手の担い手の演奏から見れば冗談みいたいなものだったけど、なんかホっとさせるものがあったな。ミート&グリートのとき、ちょい話をかけたら、ミドンは延々と話をかえしてくる。後に待っている人が沢山いて、小心者のぼくは恐縮しきり。

 そのあとちらりと代官山・晴れたら空に豆まいての鬼怒無月+鈴木大介(+佐藤芳明&芳垣安洋)のギグをのぞく。ときに格調高かったり審美眼が光っている視野の広いアコースティック・ギターの重なりに、アコーディオンやドラム音が巧みに入り、即興性を持ちつつ、普遍的な断面/手触りも描こうとしていた(かも)。その晩、久しぶりに一緒に流れた人は05年秋のミドンのショーケース・ライヴのときもそうだった(晴れ豆にちらり寄った)んですよと言う。なんか、進歩ねーかも。ま、それもいいか。

 渋谷・クラブクアトロ。お、場内の後ろの方が少し改築され(照明卓が下におろされた)、客がいることができるスペースが減じている。主役登場の前に、スクール・フード・パニッシュメントという女性ヴォーカルを中央に置く日本人バンドがパフォーム。曲調には違和感を覚えるものの、なにげに感心。若いバンドだろうけど、みんな達者で。とくに、キーボード奏者はかなり優秀だな。ヴォーカルも良く聞こえた(1曲はけっこうビュークを思い出させる歌い方をした)し、確かさを彼らはちゃんと持っていた。ときに外タレ公演に来てふいに日本人前座実演に触れてしまい悲しい気分になるときがあるが、今回イヤな感じは全然、それはけっこういたカナダ人の聞き手もそうだったのではないか。

 そして、ブロークン・ソーシャル・シーン(2008年3月7日)との関わりも持つ、やはり女性ヴォーカルを前に出すカナダの4人組のメトリック(2009年7月8日)が出てくる。ときにキーボードを弾きながら歌うエミリー嬢はステージ下でファンを回しているようで、ちょうどステージの真ん中に立ったときは風が当たっていい女ふうにブロンドの髪がふわああっとはねてなびく。それ、笑えました。やっているのは、甘さは排するが粗雑さを持つギター・ロック。先に出たバンドがああだったため、下手に聞こえるんじゃないかと危惧したが、そこはそれなりのキャリアを持つだけあって、これが私たちの流儀なのよと悠然と、態度デカくかましていく様には両者を比較しようなんてキブンは入りませんでした。途中で退出。

 次は、渋谷・アックス。日本人の男女デュオ(2008年11月9日)の単独公演を途中から見る。満員で支持者が多いんだな。電気ベースとマンドリンその他を弾く二人のサポート奏者がついてのもの。わきあいあい、ゆらりゆらり、すうっと流れるところもあるし、キラキラしているとこもある。とってもあっさり自然体なのに、なんか意味ありげなところもある。聞き手によって、いろんな感想をもてるし、その所感の変化を楽しむ事ができるユニットであるという印象を新たにした。

 深夜(3時ぐらいだったかな)、飲みを終えてタクシーに乗る際にかなりの降雨。降車時、いつも以上にきっちり建物入り口横に付けてもらう。戦後有数の本州直撃の台風てな感じで夕方のニュースはいろいろと報じていたが、そういう情報があまり気にならない(興味引かれる部分はあるが)ぼくはこれまでそういう災害にあっていない幸せモノなのだろう。そういえば、地震の対策とかも一切していない。ま、なんとかなるサ。凄い風の音でかるく目をさましたりもしたが、ちゃんと起きたときには台風は通り過ぎていて、とっても晴天。ほんわか。

 ひえ〜、ステージ上には禿頭だらけ。みんな白人だったかな。丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)。日本で言うところのAOR系の米国人シンガー・ソングライター(2006年7月2日)が、自分のバンド(なのかな? キーボード、ギター、ベース、ドラム)を率いて出演。キーボードを弾きながら歌うラバウンティは歌はそれほどうまくはない。これでいいのダと思わせるときが少なくないが、ときにこれはマズいっしょという時も。でも、悪びれる事もなく、質あるアダルト・ポップの作り手であるのを飄々と出して行く。そして、途中からはフュージョン・ギター名士のラリー・カールトン(2007年9月19日)が出てきて、笑顔で加わる。安い格好をした彼はなんかとてもいい人そうだった。

 歌が下手でも聞かせきる人はいろいろいる。ブルージィなR&Bが得意な大御所ボビー・ブランドをはじめ。ロックだとすぐに思い浮かぶのは、名映画/TV番組音楽作家でもあるランディ・ニューマンだな、ぼくの場合は(次点はイアン・デューリー?)。客観的に見れば、いかにも彼のヴォーカルは下手。だが、ぼくはそのヘタさにいらついたことも失望した事もない。その不安定さは決して嫌なそれではなく、しっかりと確かな音楽観と社会観を持つ彼のメロディやサウンド(それもけっこうパターン化しているんだけど、飽きない)としっくり噛み合うものであり、しっかりと聞く者の中に入ってきて、確かな余韻を残すのだ。ほんとに、音楽って不可解で、素敵だ。実は、ぼくが最初にインタヴューした人がランディ・ニューマン。新卒で出版社に入ったときに企画を通して実現したもので、9時から5時でちゃんと事務所に行って作曲しているとか、いろいろ興味深い話をしてくれたっけ。もう四半世紀も前の話。彼の来日公演はあのときが最初で最後だったのかな(イヴェンターは確か、今はない音楽舎。当時、イケてるロックの外タレを一番呼んでいる会社だったのではないか)。で、その際、取材はしたものの忙しくてライヴには行けなかったのだ。あ、そういう悔しさが積もって、ぼくはよりライヴに行くようになったのかもしれない。うーん、今こそ彼の実演に触れてみたい。とっても。

 まず、スカンジナヴィア圏から来た二組の担い手を渋谷・デュオで見る。最初に登場したのは、ノルウェイとアイスランドの中間に位置するフェロー諸島(デンマーク自治領)出身の女性シンガー・ソングライターのアイヴォール・ボルスドッテル。なんでも、10代半ばにして音楽をするためにアイスランドに居住して現在があるそう(リーダー作の中にはドーナル・ラーニーが制作したものも)だが、なるほど北を感じさせる歌をゆうゆうと一人で聞かせてくれたな。ギター(アコースティックと電気を併用)を持って歌うときはカナダの北のほうの我が道を行くシンガー・ソングライターなんですよと言われてもなんとなく頷きそうなところもあるが、圧巻は最後にボーランをバチで叩きながら歌った(たぶん)トラッド曲。さあーっと、会場内の空気の色/手触りが変わる。うーん、こりゃらしくも味あり。そーゆーのをもっと聞きたかった。ちょうど、40分のパフォーマンス。

 続いて登場は、フィンランドからやってきた6人組のアラマーイルマン・ヴァサラット。ソプラノ・サックス1(ときにチューバックスという、サックス的指使いでチューバのような低音を出すデカい据え置き型サックスを吹いたりも)、トロンボーン1、チェロ2、オルガン1、ドラム1という変則編成にて、インストゥメンタルを聞かせる集団。リーダーのスタクラがヘヴィメタル・バンドでベースを弾いていたものの、突然ソプラノ・サックスを手にし、同時にギターという楽器が嫌になって始めたバンドで、90年代末から活動をはじめ、これまで4枚のアルバムをリリースしている。

 そのアラマーイルマン・ヴァサラットは初来日になるが、スタクラはリード奏者として数回来日し江古田のバディ(2000年6月2日、参照)なんかに出ているというので、今はフリー・インプロヴァイザー的な部分にも力を入れているのかなと思ったら、あまり即興的な吹き方/用い方はせずにバンドの重なりを重視している実演を開いていく。なんにせよ、酔狂なカテゴライズが難しい表現を聞かせるが、ときに民族音楽要素とヘヴィメタが入る我流妄想系(北欧の冬は長い)プログ・ロックをやっていると説明するのが適切か。チェロ奏者たちの重なり方が地味だったのは想定外だったが。こちらは、1時間ちょい演奏する。

 怪人臭ぷんぷんのスタクラ(けっこう歳がいっているように見えるが、73年生まれ)は黒い帽子に黒い衣服で、ぷっくりした顔にとっても立派な髭をたくわえている。実は彼、この5月に単身プロモーションで来日しているのだが、その取材時にその風体におもわず「あのう、ユダヤの血は引いているんですかあ?」と、ぼくは聞いてしまった。その答えは、東欧トランシルヴァニア系の血筋だそうで、ノー。ながら、横に座る同行していたスタクラの彼女が笑いながら、「でも、私がイスラエルに行ったときはこうゆう人いたわよ」と話に割ってくる。若いときのドクター・ジョン(2005年9月20日、他)にも似ているかもしれませんねと、ぼくが続けると、「いやあ、この帽子はニューオーリンズで買ったんだ」。ちなみに、今回の来日時はまた別の黒い帽子をかぶっていたと思う。

 子供のころは道化師にまず憧れたという発言もあながちネタではなさそうなスタクラ(本名はなんていうんだろう?)はサバけてそうな感じもあるので、その際にこんな質問もしてみた。「同じスカンジナヴィアといっても、なんか一部のノルウェイの音楽家はスウェーデン人と一緒にするなという考えを持っているような気がするんです。あなたは、そこらへんはどーなんでしょ?」

 答えは、「あ、やっぱ、そういうのあるよ。友達にもなれるし、実際いるけど、音楽を一緒に作れるかというとアティチュードの面で特にスウェーデンの連中はつまらなくて、ありゃ駄目だ。スウェーデンでいいのはミートボールだけだな。その点、ノルウェイはまあイケるかな。デンマークもましだな」。だ、そーです。なお、同国のアキ・カウリスマキ監督には共感を覚え、特にヴァサラットのスロウ曲と彼の作風は共振するものがあると感じているそうだ。フィンランドの愛すべき変調音楽集団のファーマーズ・マーケット(2001年6月16日、2008年5月24日))については、いい事をやっているとは聞いているが聞いてはいない、とのこと。同じく同国のチェロ3人+ドラムという編成を持つヘヴィメタル系のアポカリプティカの事は鼻で笑う感じだったかな。

 その後、急いで南青山・プラッサオンゼに異動。複数回来日しているはずの、ベト・カレッティのセカンド・ショウ開始に間に合う。当初はキーボードの弾き語り、そして途中からは生ギターの弾き語り。当然、達者なギター技量にも感心させられる後者のほうがいい味を出すが、なんにせよブラジル的な漂い/誘いの回路をしかと内に持ち、それをちゃんと自分のしなやかな歌とともに出せる人という印象を強くする。なんら凝ったところ、構えたところもなく自然体、街角の大人の表現というノリをさりげなく出す。アンコールはリクエストを募り、一人が教則本に入っていた曲を提案するが、いろんな曲をやっているからかカレッティは??? 結局、その教則本を見ながら、あーこの曲かという感じでほのぼの実演。そうした他愛のない事でも、フフフとなれるような、優しい空気を彼は作っていた。カレッティは16日にもここに出演する。

 実は、カレッティはブラジル人ではなくアルゼンチン人。が、しっかりと異国の機微を会得している彼に触れつつ、キューバ出身(現在はカナダに居住)ながら曲によってはかなりブラジル色が濃い表現を作るアレックス・キューバ(2008年10月30日、2008年11月12日)のことを唐突に思い出す。ネリー・ファータドのなんか糸引く哀愁を持つ新作『Mi Plan』(Universal)はなんとスペイン語アルバム(メキシコのアレハンドロ・エルナンデスやスペインのコンチャ・ブイカなどゲスト多数)だが、キューバはそこで曲を共作したりデュエットしたりと重要な役割を果たしていたりするんだよな。カナダ生まれのファータドはもともとポルトガルのルーツを持つ(父親はファドのミュージシャンとか)が、何ゆえにスペイン語作なのか。北欧の壁より、スペイン語圏とポルトガル語圏の壁のほうが低いのか?

 うわああ。あの人が登場したとたん、一瞬にしてぼくの感情のメーターは振り切れた。やっぱ、この人はすごいっ。えも言われぬ感情がこみ上げて、俺は誇らし気にごんごん身体を揺らし、思いっきり声を上げちゃったよお。多分、09年でこの晩が、ライヴを見て一番弾けちゃった時になるんじゃないのか。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。前回はルーファスの一員として来日したイケ面スムース・ジャズ系白人マルチ・プレイヤー(トロンボーン、キーボード、電気ベースを主に扱う)のカルバートソン(2008年11月10日)をリーダーとするグループの出演。彼の今のところの新作『ブリンギング・バック・ザ・ファンク』(GRP)はJB系(ブーツィ&キャットフィッシュ・コリンズ。メイシオ・パーカー、フレッド・ウェズリー)、P-ファンク系(バーニー・ウォレル、リック・ガードナー。コリンズ兄弟とパーカーとウェズリーはこっちにももちろん入りますね)、EW&F系(モウリス・ホワイト、ラリー・ダン、ビル・マイヤーズ、シェルドン・レイノルズ、モリス・プレジャー)、タワー・オブ・パワー系(グレッグ・アダムズ)やスライ&ザ・ファミリー・ストーン系(ラリー・グラハム)やプリンス系(リッキー・ピーターン、マイケル・ブランド)やその他(デイヴィッド・T・ウォーカー;彼はモータウン系とする事も可能か、ミュージック・ソウルチャイルド)ら、いろんな逸材をちょこまか呼んでいたアルバム。……で、今回の来日公演(リーダーとしては初のものとなる?)はそのアルバムに参加していた名人を含んでいるのがポイントだ。

 バンドの編成は、キーボードとトロンボーンを主に扱うカルバートソン、キーボード2(うち、一人がラリー・ダン)、ギター/歌(シェルドン・レイノルズ)、電気べース、テナー・サックス/歌、トランペット、ドラムという布陣。で、カルバートソン曲やEW&F曲などを屈託なくやっていく。EW&Fのオリジナル・メンバーで曲もモウリス・ホワイトと書いたりもしたダンは全然老けないな。演奏はいてもいなくてもそれほど問題はないと思えたが、途中でホワイトのようにカリンバをいい感じで爪弾いたりも。もう一人のEW&F関係者、90年前後からずっとコア・メンバーとして活躍したシェルドン・レイノルズは少し痩せたかな。彼はジミ・ヘンドリックス財産管理団体公認/義理の娘のジェイニー・ヘンドリックス制作のヘンドリックス・トリビュート作『パワー&ソウル』(P、EC、EW&F、サンタナ、スティング、シー・ロー、ミュージック・ソウルチャイルド他、参加)でも重要な役割を果たしているが(もしかして、彼ってジェイニー・ヘンドリックスと関係が近いんだっけ?)、左利き用のギターを逆さに持ち弾いていた。なお、カルバートソンと大分歳のいったトランペッター以外、出演者はアフリカン。で、MCで解ったのだが、トランぺッターはカルバートソンの父親だった。なんか、彼と後で話しちゃったけど、息子と一緒に来れてほこらしげ。

 でも、口悪く言えば、ここまでは余興みたいなもの。40分強その体制でやった後、ショウの感じは一変する。ラリー・グラハムの登場だァ! 2階から真っ白いスーツと帽子を身につけたグラハムさんがさあっと登場、見栄を切る。鮮やか、千両役者! 生理的に、後光が射している。音を出す前からノックアウトされちゃい、それだけでぼくはもう血がのぼっちゃった。眼鏡はかけているが、変わらずスリムで格好いい。もうプロで、スターだあって、無条件に感じさせられる。キャラに長けたイケてるミュージシャンはこうじゃなくっちゃと痛感させる、つっぱりや芸能感覚がそこには山ほどあった。
 
 で、階段を下り、舞台にあがる。基本はグラハムとバック・バンド(べース奏者は打楽器を叩く)というノリでショウは進められる。白いベースからはマイクがにょきと出ていて、彼のトレードマーク仕様のそれ。それで、いくら動いてもベースを弾きながら歌えるワケだ。ベースはシールドレス、そんなこんなで音質は悪くなるはずだが、そんなのカンケーねー、思うまま動いてべースを弾け歌える事(←それが、お客にとって一番喜んでもらえることなのだという考えがくっきり透けて見える)が大切なのだと、彼は全身で言っていた。ああ、なんて素敵な事! もう、ほれぼれ。で、また2階行って、カウンターにあがって演奏したりとか(ちゃんと事前に会場の作りを把握し、策を練ったんだろう)、すべて俺様で、存在感ありまくり。さすが、スライ&ザ・ファミリー・ストーン時代に天才スライ・ストーンと張り合った(で、彼より目立ちたくなって脱退して、グラハム・セントラル・ステイションを結成する)いうのもよく解る。曲は、グラハム・セントラル・ステーション時代やバラーディアーになって当たりをとった80年代のころのものは(たぶん)やらず、スライ&ザ・ファミリー・ストーン時代の曲をやる。なんにせよ、黒人音楽/ファンクをどうしようもなく得難いものとする掛け替えのないカケラの数々に触れ、ぼくは昇天! あー、音楽好きで良かったと、舞い上がった頭のなかで反芻しまくりましたよ。彼が出てきて、40分ぐらいはやったのかな。最後は、彼を先頭に会場内を練り歩く。

 感情が爆発したまま、南青山・ブルーノート東京へ。出演者はここのところほぼ毎年見ているブラジルのシンガー/ギタリストのジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日)。会場入りしてから30分ぐらいは間もあいたし、ゆったりこちらは見たのだが、今回のジョイスは近年の公演のなかで、一番瑞々しい情感に溢れていたのではないか。やー、充実していたなー。

 昨年来日のときと同じ名人級リズム・セクションに加え、今回はトランぺッターが加わる。ブラジルのスタジオ界でもけっこう売れっ子の人らしいが、硬軟いろんな吹き方で、彼女の清新弾き語り表現をサポート。なんか、いい感じ。彼はけっこう強く吹く場合もあるが、ジョイスの芯ある表現はそれに負けない。かなり、いいコンビネーション。途中から、ジョアン・ドナート(2008年8月22日、2009年6月7日)が加わり、味あるピアノ音をつけ、ときに歌ったりも。何も言うことはありません。彼女たちは、いろんな扉をノックしていた。

 今年のフジ・ロックの最終日のオレンジ・コートは渋さとフェミ・クティが続けざまに出演(2009年7月26日)、その合間に統率者の不破大輔はクティと言葉を交わし、CDを渡していた(あと、彼はスティーヴ・ヒレッジと会えたのがうれしかったみたい。なるほど、年齢的にはプログ・ロック世代となるのか)。だから、どーしたっていうわけでもないですけど、そしたら、不破のヘアスタルがずっと続けていた長髪からクティみたいな短髪になっちゃった。たぶん因果関係はないだろうが、ついでに不破の身体がシェウンみたいにびっちり引き締まり、ライヴの最中に上半身ハダカになっちゃうようになったら笑えるなあ。なんでもありの渋さ、そんな事があっても不思議はないではないか。な〜んて。

 結成20周年を祝うというお題目アリの、日比谷野外音楽堂での“特別性”の公演。出演者は50人ぐらいは平気でいたはずで(内橋和久や山本精一らゲストもいろいろ。かつての旧プレイヤーの出演があったらなあ)、演奏時間はアンコールを含め3時間45分強。もう、だらだらやるところも含め、いろんな情報量を含む、太っ腹な音楽/芸能行為を思うまま繰り広げる。

 それにしても、20年。月並みな言い方になるが、生まれた子供が成人だもの、な。笑っちゃうぐらいに、山もあれば谷もあったろう。そりゃ、マンネリになるところも出てきて当然だ。ロック系野外フェスがこんなに盛んにならなかったら、彼らのキャリアは大きく変わっていた事とも思う。が、なんにせよ、彼らはしぶとく生き残り、独自の回路とともに狼藉を繰り広げ、きっちり支持者を獲得し続けている(この日も入りは上々)、また一方では、活動の場は広く海外に広がっている。それはおおいに祝わなきゃ。

 不思議な感興を呼ぶ、問答無用のパワーあり。観客もほんとうに鬼のように熱烈反応、そのやりとりの様にはすげえなと思わずにはいられない。来年あけてしばらくして新作が出るようだが、そこに入る新曲も3、4曲やったはずだ。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。まずステージが暗い中、バンドの面々が出てきたが、おおっ。キーボード2人、ギター、ベース、ドラム、コーラス2人の計7人のサポートの方々は全員女性じゃないか。ちゃんと演奏する彼女たちの前には譜面台もなく、しかもけっこう切れ目なしに曲を演奏していく。それもまた、ソウル・ショウの一つのかたち。よく整備されていて、ここのところはずっとやってきているバンドなのではないかな。俺もミュージシャンだったら一度ぐらいは女性バンドと一緒のライヴをスケベ心とは別に洒落とか定石外しかいう観点のもとやってみたいと思うはず(それ、音楽界が完全にオトコ優位社会であることを物語りもするか)だが、全米総合1位アルバムも持つフィリー出身の有機的ソウルの実力者の意図はいかに? 女に囲まれていたほうが楽しいじゃん、だけだったりしてな。

 けっこうゴツいミュージック・ソウルチャイルド(凄い芸名。ある意味まっすぐとも言えるか)のショウはいたって自然体。お洒落度も歌の艶っぽさも想像していたよりは低めだったが、確かな知識やまっとうな気持ちがしっかりと投影された豊穣R&B表現はちゃんと質を持ち、ぼくの身体を揺らした。後半は少しヒップホップ度数が少し高くなったが、曲は新作を中心にまんべんなくやったのかな。

 その後、青山・プラッサオンゼに行き、ブラジルの閃きと滋養を受けた先に自分のヴォーカル・ミュージックを作ろうとするTOYONO(1999年6月3日、2007年8月23日、2008年1月31日、2009年6月21日)とそのワーキング・バンドのパフォーマンスを見る。実は彼女とマルコスは仲良しでこの晩のライヴにゲスト入りする事は聞いていたのだが、まさか2ショウぶっ通しで頭から終わりまで2時間強も彼が演奏するとは! これまでも一緒にレコーディングしたりライヴ共演したりし、マルコスはTOYONO曲をかなり知っているそうだが、楽勝で合わせていたなあ。彼、この日は全面的にパンデイロを叩き倒し、他の楽器/装置を多用した前日の自己公演との対比もあって、もの凄く有意義なライヴじゃあと感じることしきり。

 セカンド・セット途中には開演後にお店にひょいっとやってきた、ヴィクトール・ハミルとカチア・ベー(2009年9月25日)が二曲ほどまざってパフォーマンスをしたりも。また、別の風が吹く。二人(とマルコス)はTOYONOが昨年ブラジルに行ってコーディネーション録音してきた『DANCE CLASSICS BOSSA』(グランド・ギャラリー)に何曲も参加していたりもするんだよね。とかなんとか、とおしてはTOYONOの掌握力の高さも印象に残ったかな。

 出演者もオーディエンスも、みんな目が輝いていた。月並みな言い方になるが、祝福されたミュージシャンの気持ちと技巧のやりとりが、そこにありました。

 代官山・ユニット、ブラジル音楽好き&趣味の音楽好きはけっこう集まっていたんじゃないかなあ。いろんな人と、会いました。マルコス“ヴァーチュオーソ”スザーノ(1999年8月11日、2001年12月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、2005年10月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年8月11日、2007年8月23日、2008年1月31日、2008年10月10日、他)と南部出身の自作自演派ヴィクトール・ハミルが本国で組んでいるユニットのサトレッピ・サンバタウンに、新世代ブラジリアン・ポップの美声歌手のカチア・ベーが加わるというもの。スザーノの位置には、いろんな打楽器や装置がいろいろと置かれている。きけば、それがスザーノのフルのセット(けっこう、足も用いたよう)で、それを日本に持ってきたのは今回が初めてなのだとか。へーえ。

 いろんな誘いを持つ、いろんな素養も感じさせるヴィクトール・ハミルのギター弾き語りに、けっこうエレクトロニクス/装置を介したスザーノによる打楽器音/シーケンス音/効果音が自在に乗り、干渉し、歌の行方をすいっと広げる。おお。ハミルの歌はときとしてカエターノ・ヴェローゾの声に似ていると思わせるときがあるが、だからこそもう少し陰影がそこにあればとは感じてしまった。

 二つ目のブロックに入ると、そこにベーが飄々と加わりツイン・ヴォーカルとなるが、なるほどベーさんの歌はまた美味しい手触りや広がりを持っていて、表現にうれしい奥行きが加わった。いい感じね。もっと、3人によるパフォーマンスに触れたかった。そして、3つ目にはまた男性二人でパフォーマンスし、3人でのアンコールに。ブラジルならではの芯を持つ、しなやな歌心が漂う……。いいヴァイヴが場内には終止充満していました。

 南青山・ブルーノート、セカンド・ショウ。ぼくがこのNYサルサの大ピアニストのグループを見るのは、2002年11月18日以来。そのときは前半長々とピアノ・ソロやトランペット奏者とのデュオを聞かせたりもしたのだが、今回は最初からグループ全員でステージに上がり、笑顔でサクっと躍動表現を披露する。ほんわかしたセクション音を中心に担当するトロンボーン系奏者二人はステージ後部にいる(うち、一人は知る人ぞ知るジミー・ボッシュ。ショウが終わるとすぐに受け付け階に出て、自分のアルバムを売っていた)が、少し若目な女性フルート奏者は前に位置し、けっこうソロを取る。打楽器は3人、縦ベース、長身のリード・シンガー(エルマン・オリベーラ)とトレスと歌を担当する小柄なおじさん(ネルソン・ゴンザレス。70年代からラリー・ハーロウに雇われたりもし、リーダー作も持つ人だそう。ポール・サイモンの04年作にも名前が見られる)という布陣。ラテンの専門家ではないので細かい事は何も書けないが、フツーにうれしくなる実演でした。パルミエリはリズム・ピアノ(?)に徹し、ほとんどソロは弾かなかったんじゃないかな。もちろん、席を離れ男女で踊る人たちも散見されました。
 ジャンゴ・ラインハルト(ベルギー生まれ、全盛期〜晩年はフランス在住。1910〜1953年)はチャーリー・クリスチャン(もちろん米国人、1916〜1942年)とともにジャズ・ギターの開祖的な評価がしっかりされているが、非アメリカ人に何かと優しくない部分もある米国ジャズ界としてはそれはとても珍しいことではないだろうか。でも一つ、そうした高い評価を米国ジャズ界から得る事ができた理由として考えられるのは、ラインハルトの真価をとても認めていたデューク・エリントン(1899〜1974年)が彼を米国に呼んで、自分のオーケストラと一緒に回らせたことだろう。あの人が推すならば、実際すごい演奏するし……という感じで、ラインハルトはおおいに本場アメリカでもその実力を認められた(んじゃないかなあ)。

 マヌーシュ(ジプシー)の家庭においてジャンゴ・ラインハルトは枠を超えた誇るべき偉大なアイコンであるわけだが、マヌーシュ・ギターの達人であるアンジェロ・ドュバールが国外に出ていつも感心させられるのは、ジャンゴ・ラインハルトの音楽が世界のあちことでこんなにも愛されているのかという事であるという。62年生まれの彼、実は少年期にはハード・ロック愛好者でドラマーになろうとしたそうな。が、住んでいたトレーラー・ハウスでドラムは叩けないので断念したとのこと。そんな彼はお洒落な、マヌーシュ系としてはかなり洗練された印象を与える(魚も大好きだというし)いい感じのちょい悪オヤジ。知らない人に、フランスから来た俳優なんですよと言えば、けっこう信じる人はいそうだ。彼とコンビを組むボタン式アコーディオン奏者のルドヴィック・ベイエ(78年生まれ。ローランドのアドヴァイザーをやっていて、何度も日本に来ているという。MCでは達者な英語を話していた)は非マヌーシュの音楽学校出で、二人が頭を張るカルテットのベーシストはイタリア人。そんな成り立ちを見ても、アンジェロ・ドュバール&ルドヴィック・ベイエのカルテットが普通のマヌーシュ・スウィング表現からは離れた味を持つのは当然ではないか。特に、二人双頭による新作『スウィングの空の下で』は歌/歌詞のあるシャンソン曲をいかにインスト表現として再提出できるかにのぞんだ、ずっと続いている二人の協調作業においてもとても異色作と言えるものだそう(他の双頭リーダー作と違い、きっちりリハをやってからスタジオ入りしたともいう)で、その流れも持つ今回の公演はよりメロウネスを感じさせるものだったは当然の成り行きだろう。なんでも、出自も年齢層も異なるドュバールとベイエが一緒にやりだした理由は、偶然やったらお互いにコレだァとなったとのこと。

 その後に登場したのは、マヌーシュ・スウィングのがらっぱち/自在のスケール感覚を取り入れた情多い手作りヒューマン表現でフランス本国でかなりの人気を受ける(今回、日本公演をリポートする記者とカメラマンが同行しているそう)のサンセヴェリーノ(彼も非マヌーシュ)。ヴァイオリン奏者、ギター奏者2、縦ベース奏者を擁してのパフォーマンス。おお、こんなん人なのか。真四角な顔で(なぜか、ぼくはイアン・デューリーを思い出した)、ツンツン頭髪を立てて、入れ墨いっぱい。役者感覚たっぷりに、彼ならではの活劇世界を悠々と作り上げて行く。空気が笑い、カラフルに色付けされ、ときにぐにゃあと歪む。うぬ、任侠ありそう、とも感じた? そのサンセヴェリーノは先の『スウィングの空の下で』の2曲でゲスト入りしラップ調にて歌っている(その2曲はドュバールとベイエのオリジナル曲)が、最後には和気あいあいと一緒にやった。

 といった感じで、マヌーシュ・スウィングと繋がりを持つフランスの二組が出た公演だったのだが、実はそれぞれ、デューク・エリントン曲を演奏した。前者は「キャラヴァン」で、後者は「A列車で行こう」。それで、ぼくは冒頭に書いたようなことを思い出したのだ。ああ、愛しの”サー・デューク”。有名な話ですが、スティーヴィー・ワンダーの同名曲はエリントンに捧げられていますね……。そして、ドュバールやサンセヴェリーノもきっと同じ気持ちか(いや、もっともっと濃いんだろうな)。荻窪・杉並公会堂/大ホール。


C.E.O.D

2009年9月20日 音楽
 プリンス(2002年11月19日)のバンドに在籍した女性奏者が主体になったバンド、今回は先の来日時(2006年8月10日)の4人に加え、リード楽器(アルト、ソプラノ・サックス)と歌のミンディ・エイベアが加わる。途中から追加で参加しますよと告知されたのだが、けっこうパツキンの彼女はフィーチャーされていたな。そのスムース・ジャズ調のリーダー作はぼくにとっては聞かないフリをしたいものだが、ソロ自体はなかなか確か。イヤな比較になるが、キャンディ・ダルファー(2009年5月11日)より達者かな。いや、エイベアのほうが、幅が広い演奏/音色が出せると書いたほうがいいか。

 1曲目はシーラ・E(2009年5月11日、他)の84年全米7位曲「グラマラス・ライフ」。シーラ・Eは中央に置かれたティンバレスを叩き、それが終わるとティンバレスは撤去され、それ以後の彼女はステージ横に置かれているドラムを叩く。みんな聞きたがるだろう曲(あのころ、この人気曲とともにシーラ・Eは松下電機のTV-CFに出ていたよな)をまずはサクっと片付けちゃって、あとは今の5人の表現を聞かせましょうという感じだったろうな。テインバレスをずっと置いておくのも邪魔でもあるし。←初日はこの曲をどうやら、やらなかったよう。話は飛ぶが、アンコールは5人がステージ前方に置かれた椅子に横一線に座り、シンプルなプリセット音に合わせて初々しく歌った。

 張りのあるバンド・サウンドとともに、それぞれが前にでた曲をやるのだが、前回公演のときとは曲も行き方も変わっていたものになっている。なんいせよ、いろんな黒人音楽語彙をおおらかに俯瞰する態度とともに、5人の和気あいあいとしたマナーが印象に残るステージ運び。シーラ・Eに導かれる“音楽大好き、いい人”円満光線は破格のものがあり、それは他の人もしっかり持っていましたね。そういえば、マイケル・ジャクソンの91年全米1位曲「ブラック・オア・ホワイト」もやったが、それもまた5人が醸し出す風情にぴったり。それにしても、やっぱジャクソンっていい曲書いていたな。MJとプリンスによる同い年ナルシスト共演なんてのにも触れたかった、なんて今にして思った。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。

 ところで、今日会った人は小田急線沿線在住(親と同居)だが、ヴェルディの大黒将志が同じマンションに住んでいる(エレヴェイターで一緒になったりするんだとか)と聞かされ、ほう。人気も展望もないヴェルディを日本テレビが根性なく手放しちゃったので同チームは超貧乏になり高給取りの大黒は今シーズンが終わると真っ先に契約を切られると報道されているが……。かつて、現役時代のヤクルトの古田と同じマンションに住んでいた知人がいましたが、野球なんてどーでもいいと思っているぼくにとっては興味の引かれ具合が全然ちがいます。ヴェルディは大嫌いだけど、大黒ゴー・ゴー!

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