パトリック・ワトソン&ザ・ウドゥン・アームス
2010年1月21日 音楽 ヴォーカルとキーボードを担当するパトリック・ワトソンを中心とするカナダの4人組、初の単独来日公演だ。ペキンやシンガポール公演のあとやってきたようだが、とってもうれしい。原宿・アストロホール。外国人の比率は高め。もともと、いろんな音楽要素を抱えたバンドであり、いろんな顔を見せてくれるフクザツな連中だが、そんな4人組に接したことのない人に明解にその真価を伝えるためには、どこから書いていいのか、どう書いていのか、とても戸惑う。だが、それもまた彼らの素敵……過去の来日の模様(2008年11月12日、2009年8月8日)も読んでくださいナ。
大絶賛の1.500字、行きます。
パトリック・ワトソンは生ピアノを弾いて歌うだけでなく(本編途中とアンコールの最後の曲で、ピアノ弾き語りを聞かせたりも)、プリペアド・ピアノ的な使い方を見せたり、ヘンな音を出すコントローラーを扱ったり、小さいキーボードを弾いたり、拡声器を用いて歌ったり(それをやる人はたまにいるが、拡声器の先にトランペット用のカップを当ててよりモアモア声を出そうとしたりも。そんなことをした人は初めて見た)。マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月7日、2009年12月13日)に習っていたことがある(!)ギタリストはのっけからギターを弓で弾いたり、ときにはアヴァンキャルドな奏法を次々に繰り出したり、マンドリンみたいな小弦楽器をちんまり弾いたり。ベーシストはずっと同じ楽器を手にしていたものの、奏法は多彩でときに和音も効果的に用いたりもする。そして、ドラマーはなぜロックは貧相な8ビートじゃなきゃいけないのという問いかけを孕む多様なビートを送り出し、ときにはマリンバやベルズほかいろんなパーカッションも器用に扱う。アイデアと引き出し、多すぎ。それらからはロックの定型の味付けを避けて創意工夫をこらした先にある楽園や迷宮を作り出そうとする意思があふれまくる。とうぜん、(サウンド・チェックにも一番時間がかけられたろう)今回がこれまでで一番広がりと強さを持っていたと言え、そうじては、ロックな美意識という枠のなかで音響度数とアヴァンギャルド・ジャズ度数とエスノ度数を増していたと指摘できるはずだ。
その創造性わき上がりまくるバンド表現の根幹をなすのは、ポップ・ミュージックとして確かなメロディと輝きを持つ、粒ぞろいの楽曲群(シンプルな味付け曲だと、ジェフ・バックリーのような透明感を出すか。基本、彼らの曲はブラック・ミュージック臭は強くない)。もしかすると、もっと保守的な割り切り易いサウンドを付けたほうが彼らは大きな支持を集めることができることと思う。だが、それじゃあロックじゃない!という澄んだ意思とともに、自在に弾けとようとする彼ら、本当に素敵すぎる。ああ、今様アート・ロックの権化!
最後は、例によって、メンバーたちがフロアーにおりて、手作り感覚に満ちまくるパフォーマンスを披露。そう彼らは、フィッシュボーン(2000年7月28日、2000年10月30日、2007年4月6日)やオゾマトリ(2001年10月13日、2002年3月13日、2007年4月6日、2007年10月8日)みたいな捨て身の心意気をもちゃんと出せる連中なのだ! そんな4人の多面体的ロックに触れ、受け手は音楽を生み出される現場ならではの醍醐味や、彼ら生身の真摯さに触れて、言葉を失う……。少なくても、ぼくは。
唯一、なんかなあと思うのはMCもするリーダーのワトソンが、けっこうラリった調で話すこと。なんか、これだけイケてるポップ・ミュージックを作り出せるのはドラッグの効用もアリかとか、余計なことを考えたくなってしまいます。すごーくツアーをやっている彼らだが(09年新作『ウドゥン・アームス』はツアーの途中、アイスランドやパリなんかでも録音されている)、もう100%音楽バカみたいに見えるワトソンにもちゃんと扶養家族がいることをMCで知り(それを歌った曲をやっていた)、なんか安心したワタシでした。
とにかく、今トップ・クラスにいろんな事を考えて、“天然”でもあるとってもイマジネイティヴなロックを作り、それをあまりに見事に生の場で開くことができる人たち。もちろん、今年のロックのライヴNo.1はこの晩の実演になるんじゃないか。こんなに、刺激的で味があって、ココロがあって……そんなライヴがそうあってたまるものか!
その後、とってもいい気分で某所の新年会に出かけたワタシでした。新年会も明日予定のもので、終了……なはず。コンサートも多いし(ライヴは飲みの前座、デス)、1月はマジ全日おおいに飲酒三昧。でも、なんか元気だな。明日は、新型インフルエンザの注射を打ってもらうことになっている。実は、成人になってインフルエンザ予防の注射を受けたことはゼロ。なんか、ノリでそうしちゃった。。。
大絶賛の1.500字、行きます。
パトリック・ワトソンは生ピアノを弾いて歌うだけでなく(本編途中とアンコールの最後の曲で、ピアノ弾き語りを聞かせたりも)、プリペアド・ピアノ的な使い方を見せたり、ヘンな音を出すコントローラーを扱ったり、小さいキーボードを弾いたり、拡声器を用いて歌ったり(それをやる人はたまにいるが、拡声器の先にトランペット用のカップを当ててよりモアモア声を出そうとしたりも。そんなことをした人は初めて見た)。マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月7日、2009年12月13日)に習っていたことがある(!)ギタリストはのっけからギターを弓で弾いたり、ときにはアヴァンキャルドな奏法を次々に繰り出したり、マンドリンみたいな小弦楽器をちんまり弾いたり。ベーシストはずっと同じ楽器を手にしていたものの、奏法は多彩でときに和音も効果的に用いたりもする。そして、ドラマーはなぜロックは貧相な8ビートじゃなきゃいけないのという問いかけを孕む多様なビートを送り出し、ときにはマリンバやベルズほかいろんなパーカッションも器用に扱う。アイデアと引き出し、多すぎ。それらからはロックの定型の味付けを避けて創意工夫をこらした先にある楽園や迷宮を作り出そうとする意思があふれまくる。とうぜん、(サウンド・チェックにも一番時間がかけられたろう)今回がこれまでで一番広がりと強さを持っていたと言え、そうじては、ロックな美意識という枠のなかで音響度数とアヴァンギャルド・ジャズ度数とエスノ度数を増していたと指摘できるはずだ。
その創造性わき上がりまくるバンド表現の根幹をなすのは、ポップ・ミュージックとして確かなメロディと輝きを持つ、粒ぞろいの楽曲群(シンプルな味付け曲だと、ジェフ・バックリーのような透明感を出すか。基本、彼らの曲はブラック・ミュージック臭は強くない)。もしかすると、もっと保守的な割り切り易いサウンドを付けたほうが彼らは大きな支持を集めることができることと思う。だが、それじゃあロックじゃない!という澄んだ意思とともに、自在に弾けとようとする彼ら、本当に素敵すぎる。ああ、今様アート・ロックの権化!
最後は、例によって、メンバーたちがフロアーにおりて、手作り感覚に満ちまくるパフォーマンスを披露。そう彼らは、フィッシュボーン(2000年7月28日、2000年10月30日、2007年4月6日)やオゾマトリ(2001年10月13日、2002年3月13日、2007年4月6日、2007年10月8日)みたいな捨て身の心意気をもちゃんと出せる連中なのだ! そんな4人の多面体的ロックに触れ、受け手は音楽を生み出される現場ならではの醍醐味や、彼ら生身の真摯さに触れて、言葉を失う……。少なくても、ぼくは。
唯一、なんかなあと思うのはMCもするリーダーのワトソンが、けっこうラリった調で話すこと。なんか、これだけイケてるポップ・ミュージックを作り出せるのはドラッグの効用もアリかとか、余計なことを考えたくなってしまいます。すごーくツアーをやっている彼らだが(09年新作『ウドゥン・アームス』はツアーの途中、アイスランドやパリなんかでも録音されている)、もう100%音楽バカみたいに見えるワトソンにもちゃんと扶養家族がいることをMCで知り(それを歌った曲をやっていた)、なんか安心したワタシでした。
とにかく、今トップ・クラスにいろんな事を考えて、“天然”でもあるとってもイマジネイティヴなロックを作り、それをあまりに見事に生の場で開くことができる人たち。もちろん、今年のロックのライヴNo.1はこの晩の実演になるんじゃないか。こんなに、刺激的で味があって、ココロがあって……そんなライヴがそうあってたまるものか!
その後、とってもいい気分で某所の新年会に出かけたワタシでした。新年会も明日予定のもので、終了……なはず。コンサートも多いし(ライヴは飲みの前座、デス)、1月はマジ全日おおいに飲酒三昧。でも、なんか元気だな。明日は、新型インフルエンザの注射を打ってもらうことになっている。実は、成人になってインフルエンザ予防の注射を受けたことはゼロ。なんか、ノリでそうしちゃった。。。
ノラ・ジョーンズ。ルーファス・フューチャリング・スライ・ストーン
2010年1月20日 音楽 まずは、赤坂・ブリッツで、ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日、2007年3月21日)を見る。ほのかにアメリカーナな、激シブのシンガー・ソングライター表現をやんわり開いていたな。レコード会社打ちのショーケース公演(新作購入者を抽選招待)ながら、新作収録曲を中心にちょうど1時間ほど。一曲が長くないので、曲数はけっこうあったはず。アンコールではデビュー作の茫洋としたタイトル・トラック(「カム・アウェイ・ウィズ・ミー」)をやる。が、この晩のジョーンズの様に触れた人なら、新しい道を踏み出した彼女はもう「ドント・ノウ・ホワイ」はやらないかもと、肌で悟ったのではないか。
その新作『ザ・フォール』(大きなシングル・ヒットもないのに全米3位まで入ったようだから、きっちり固定支持者がいるんだろう)はそれまでの人脈と大きく離れ(ボーイ・フレンドで、作曲のパートナーでもあったリー・アレクサンダーとも別れ)、ジャズ的残り香を払拭し、よりポップ・ロック側に踏み出す姿勢を見せたものだったが、かようにライヴは今の実像をしかと知らせるものだった。
歌とギターのサーシャ・ダブソン(2006年4月22日)、制作者としても活動するドラムのジョーイ・ワロンカー(チャーリー・ヘイデンの子供たちと仲良く、ベックとも関係の深い彼は、往年のワーナー系制作者であるレニー・ワロンカーの息子ね)、ベースのガス・サイファード、キーボードのジョン・カービーという、新作レコーディングに関与しているミュージシャンを伴ってのもの。彼(女)らに囲まれるようにジョーンズ(ミニ目のワンピースを着ていました)はのっけから数曲はギターを持って歌う。キーボードやアップライト・ピアノ(グランド・ピアノではない。当然、ソロも取らない)を弾きながら歌う曲もないではないが、ギターを手にするほうが多かったはず。という設定による実演は、抑制と含みを持つ超オトナなバッキング・サウンドとあいまって、エッジィな何かをはらむ、枯れまくったワビサビ・ロックとして結実する。途中、ギター3本だけで歌ったり、ダブソンとデュオでやったりも。ジョーンズは旅に出たとき気の置けない女友達が横にいるのを好むようで、かつてのダルー・オダ(2008年12月4日、他)役割を今はダブソンがやっているようだ。
十分に気配りがなされて風情があるショウであり、一人の人気ミュージシャンの自我の行方を伝える公演。ステージ美術/照明も通常公演のごとく練られていたし、わざわざ質の高いバンドも呼んでいるのだから、普通の公演を一回でもしたらいいのに。彼女なら、東京国際フォーラムのホールAでも出来るだろう。まあ、「ドント・ノウ・ホワイ」なるものを頑に求め続ける聞き手には失望を与えるだろうが。
その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、スライ・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日)とルーファス(2008年11月10日)のジョイント・ショウという、ありゃりゃ〜な出し物を見に行く。なんでも、それはルーファスを率いるトニー・メイデンが誘ったところ、実は前回の来日公演で親日/親ブルーノートになったスライ・ストーンが快諾したらしい。
セカンド・ショウ。10分でも、御大の姿を見られればいいと思って嬉々として行った。だって、自分の名前を冠してやった公演でも、バンドが延々演奏するなか出てきてステージ上にいたのは10分と少しだった御仁なのだから。でも、そうした綻び/ダメさも含めて、あのザ・ビートルズと比肩すべき音楽的大偉業をやった人ならではの闇の部分を感じさせられ、深く頷き、こんな変人=天才を同時代に受けとることができたありがたさに、ぼくは震えてしまうのだ。ファンならではの贔屓がそこにないとは言わないが、スライのやったことの人間離れ具合を認知できているのなら、それは極めてまっとうな見解だとぼくは思うが。
そしたら、時間はやはり短かったけど、前回見せたのとは違うスライがいて、ぼくはぶっとんだ!
ま、まずはステージングの流れに従って、ルーファスのことから。今回のルーファスは、ギターと歌のメイデン(ピックを使わずすべて指で弾くギター演奏は素敵だァ)に加え、キーボード3、ベース、ドラム、女性ヴォーカル5、トランペットとアルト・サックスという布陣。演奏陣については、サポート・ギターと打楽器がいなくなり、ホーン隊がついた形となっているが、それはスライ曲をやることを念頭においての変化もあるのだろう。バンド音は良好、若い白人の二管も悪くない。ヴォーカル陣は3人から5人に増大。前回同様にメイデンの娘もいるが、一番小柄なシンガーはなんと、かつてルーファスで歌っていたチャカ・カーン(2008年6月5日、他)の娘だとういう。基本、おなじみのルーファス曲をリード・シンガーが次々に交代して披露されるわけだが、スティーヴィ・ワンダーがルーファスに74年に送った「テル・ミー・サムシング・グッド」を娘のインディラ・ミリニ・カーンが歌ったときにはなんか妙な感慨がもぞもぞ。そりゃ、母からみれば赤子だが、なんか透かし絵的に若い日の母の像が浮かんでくるような気がして。なんか、音楽ファンでしか得られないだろう、贅沢なトリップ感覚を得ちゃった。シンガー陣はみな歌える(故リック・ジェイムズに気に入られ、モータウンから85年にリーダー作もだしたヴァル・ヤングもいた)が、彼女たちの歌を聞いていて感じたのは、背後霊の如くチャカ・カーンの歌が聞こえてくるような気がしたこと。「何を歌っても、私の歌にする自信がある」とカーンは取材時に言っていたことがあるが、まさに彼女はルーファス曲を自分の色に染めて、確固たる自分の歌として開いていたのだな。
ルーファスとしてのパフォーマンスを一時間強やったところで、メイデンの「ファンク、行くぞォ」みたいな一声とともに「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」を演奏しだす。そのリフに合わせて、女性シンガーたちは「スライ・ストーン、スライ・ストーン!」というかけ声をだす。けっこう、それが続いたあと、スライは出てきたわけだが、まず格好におお。今回はもっとキンキラでステージ衣装みたいなのを着ている。イカれたヘア・スタイルの髪の色は薄い紫。そして、前回のブルーノート公演のようにパーカーのフードで頭をおおったりもせず、堂々と彼は顔を出している。すごーく、表情がよくわかる。終始、嬉しそう! 彼がステージにあがると、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」がはじまる(だったよな? 酔っぱらい、うかれているので……はっきり覚えてないところも)。立ちながらワイヤレス・マイクを横にして両手で持って歌い、途中で横に向いているローランドの少し小さめのキーボードの前にすわり歌い、加工ヴォイスと鍵盤フレイズが同化したような事を彼は聞かせる。おお。そんなこと、昨年はやっていない。そして、それを終えると、また立ち、動く。前回は多くはキーボードの前に座って歌ったり、所在なげにしていた彼だが、今回はずっと立っていた。逆に今回は、メインのキーボードとして置かれていたコーグのトリトンはぜんぜん弾かなかった(一回だけ、弾きかかったかもしれないが)。
そして、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」が終わると、スライはなんとギター(テレキャスター)を手に取り、メイデンと一緒にギターを弾き始める。曲は、「サンキュー」だあ。ま、スライはすぐに弾くのをやめ、その後はギターを肩にかけたまま歌っていましたが。そのテレキャスターはピカピカ、もしかして日本で買った? 昨年は一切ギターを手にしなかったが、彼の全盛期のショウではギターを弾くことが多々あったはずで、弾かなくても、その絵だけで嬉しい。けっこう一部はシャウトしたりして、これも昨年とは違う。
「サンキュー」の終盤、スライがワイヤレス・マイクを手にステージを去り、エンディングをバンドが盛り上げ、本編は終了。そして、アンコールはまず「ファミリー・アフェア」。スライはその曲の途中に楽屋から出てきて、会場後方で歌っている。そして、ステージに上がると「ファミリー・アフェア」は終了し、「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」が始まる。それ、二分ぐらいしか歌わない感じで、スライはステージを去っていく。もう帰るの、そんな顔をメイデンが一瞬したような気もしたが、絶頂感のあるなか、ショウは終了。ルーファスの頭からだと、1時間半ほどのパフォーマンス時間だった。
といった感じで、ところどころハラハラさせつつも、昨年見せていない様相をいろいろ見せて、彼が再生の道を歩んでいるのが実感できた。うれしすぎる。
その新作『ザ・フォール』(大きなシングル・ヒットもないのに全米3位まで入ったようだから、きっちり固定支持者がいるんだろう)はそれまでの人脈と大きく離れ(ボーイ・フレンドで、作曲のパートナーでもあったリー・アレクサンダーとも別れ)、ジャズ的残り香を払拭し、よりポップ・ロック側に踏み出す姿勢を見せたものだったが、かようにライヴは今の実像をしかと知らせるものだった。
歌とギターのサーシャ・ダブソン(2006年4月22日)、制作者としても活動するドラムのジョーイ・ワロンカー(チャーリー・ヘイデンの子供たちと仲良く、ベックとも関係の深い彼は、往年のワーナー系制作者であるレニー・ワロンカーの息子ね)、ベースのガス・サイファード、キーボードのジョン・カービーという、新作レコーディングに関与しているミュージシャンを伴ってのもの。彼(女)らに囲まれるようにジョーンズ(ミニ目のワンピースを着ていました)はのっけから数曲はギターを持って歌う。キーボードやアップライト・ピアノ(グランド・ピアノではない。当然、ソロも取らない)を弾きながら歌う曲もないではないが、ギターを手にするほうが多かったはず。という設定による実演は、抑制と含みを持つ超オトナなバッキング・サウンドとあいまって、エッジィな何かをはらむ、枯れまくったワビサビ・ロックとして結実する。途中、ギター3本だけで歌ったり、ダブソンとデュオでやったりも。ジョーンズは旅に出たとき気の置けない女友達が横にいるのを好むようで、かつてのダルー・オダ(2008年12月4日、他)役割を今はダブソンがやっているようだ。
十分に気配りがなされて風情があるショウであり、一人の人気ミュージシャンの自我の行方を伝える公演。ステージ美術/照明も通常公演のごとく練られていたし、わざわざ質の高いバンドも呼んでいるのだから、普通の公演を一回でもしたらいいのに。彼女なら、東京国際フォーラムのホールAでも出来るだろう。まあ、「ドント・ノウ・ホワイ」なるものを頑に求め続ける聞き手には失望を与えるだろうが。
その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、スライ・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日)とルーファス(2008年11月10日)のジョイント・ショウという、ありゃりゃ〜な出し物を見に行く。なんでも、それはルーファスを率いるトニー・メイデンが誘ったところ、実は前回の来日公演で親日/親ブルーノートになったスライ・ストーンが快諾したらしい。
セカンド・ショウ。10分でも、御大の姿を見られればいいと思って嬉々として行った。だって、自分の名前を冠してやった公演でも、バンドが延々演奏するなか出てきてステージ上にいたのは10分と少しだった御仁なのだから。でも、そうした綻び/ダメさも含めて、あのザ・ビートルズと比肩すべき音楽的大偉業をやった人ならではの闇の部分を感じさせられ、深く頷き、こんな変人=天才を同時代に受けとることができたありがたさに、ぼくは震えてしまうのだ。ファンならではの贔屓がそこにないとは言わないが、スライのやったことの人間離れ具合を認知できているのなら、それは極めてまっとうな見解だとぼくは思うが。
そしたら、時間はやはり短かったけど、前回見せたのとは違うスライがいて、ぼくはぶっとんだ!
ま、まずはステージングの流れに従って、ルーファスのことから。今回のルーファスは、ギターと歌のメイデン(ピックを使わずすべて指で弾くギター演奏は素敵だァ)に加え、キーボード3、ベース、ドラム、女性ヴォーカル5、トランペットとアルト・サックスという布陣。演奏陣については、サポート・ギターと打楽器がいなくなり、ホーン隊がついた形となっているが、それはスライ曲をやることを念頭においての変化もあるのだろう。バンド音は良好、若い白人の二管も悪くない。ヴォーカル陣は3人から5人に増大。前回同様にメイデンの娘もいるが、一番小柄なシンガーはなんと、かつてルーファスで歌っていたチャカ・カーン(2008年6月5日、他)の娘だとういう。基本、おなじみのルーファス曲をリード・シンガーが次々に交代して披露されるわけだが、スティーヴィ・ワンダーがルーファスに74年に送った「テル・ミー・サムシング・グッド」を娘のインディラ・ミリニ・カーンが歌ったときにはなんか妙な感慨がもぞもぞ。そりゃ、母からみれば赤子だが、なんか透かし絵的に若い日の母の像が浮かんでくるような気がして。なんか、音楽ファンでしか得られないだろう、贅沢なトリップ感覚を得ちゃった。シンガー陣はみな歌える(故リック・ジェイムズに気に入られ、モータウンから85年にリーダー作もだしたヴァル・ヤングもいた)が、彼女たちの歌を聞いていて感じたのは、背後霊の如くチャカ・カーンの歌が聞こえてくるような気がしたこと。「何を歌っても、私の歌にする自信がある」とカーンは取材時に言っていたことがあるが、まさに彼女はルーファス曲を自分の色に染めて、確固たる自分の歌として開いていたのだな。
ルーファスとしてのパフォーマンスを一時間強やったところで、メイデンの「ファンク、行くぞォ」みたいな一声とともに「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」を演奏しだす。そのリフに合わせて、女性シンガーたちは「スライ・ストーン、スライ・ストーン!」というかけ声をだす。けっこう、それが続いたあと、スライは出てきたわけだが、まず格好におお。今回はもっとキンキラでステージ衣装みたいなのを着ている。イカれたヘア・スタイルの髪の色は薄い紫。そして、前回のブルーノート公演のようにパーカーのフードで頭をおおったりもせず、堂々と彼は顔を出している。すごーく、表情がよくわかる。終始、嬉しそう! 彼がステージにあがると、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」がはじまる(だったよな? 酔っぱらい、うかれているので……はっきり覚えてないところも)。立ちながらワイヤレス・マイクを横にして両手で持って歌い、途中で横に向いているローランドの少し小さめのキーボードの前にすわり歌い、加工ヴォイスと鍵盤フレイズが同化したような事を彼は聞かせる。おお。そんなこと、昨年はやっていない。そして、それを終えると、また立ち、動く。前回は多くはキーボードの前に座って歌ったり、所在なげにしていた彼だが、今回はずっと立っていた。逆に今回は、メインのキーボードとして置かれていたコーグのトリトンはぜんぜん弾かなかった(一回だけ、弾きかかったかもしれないが)。
そして、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」が終わると、スライはなんとギター(テレキャスター)を手に取り、メイデンと一緒にギターを弾き始める。曲は、「サンキュー」だあ。ま、スライはすぐに弾くのをやめ、その後はギターを肩にかけたまま歌っていましたが。そのテレキャスターはピカピカ、もしかして日本で買った? 昨年は一切ギターを手にしなかったが、彼の全盛期のショウではギターを弾くことが多々あったはずで、弾かなくても、その絵だけで嬉しい。けっこう一部はシャウトしたりして、これも昨年とは違う。
「サンキュー」の終盤、スライがワイヤレス・マイクを手にステージを去り、エンディングをバンドが盛り上げ、本編は終了。そして、アンコールはまず「ファミリー・アフェア」。スライはその曲の途中に楽屋から出てきて、会場後方で歌っている。そして、ステージに上がると「ファミリー・アフェア」は終了し、「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」が始まる。それ、二分ぐらいしか歌わない感じで、スライはステージを去っていく。もう帰るの、そんな顔をメイデンが一瞬したような気もしたが、絶頂感のあるなか、ショウは終了。ルーファスの頭からだと、1時間半ほどのパフォーマンス時間だった。
といった感じで、ところどころハラハラさせつつも、昨年見せていない様相をいろいろ見せて、彼が再生の道を歩んでいるのが実感できた。うれしすぎる。
ファウンテインズ・オブ・ウェイン。インガ・ユーソ&ハラール・スクレルー
2010年1月19日 音楽 クリス・コリンウッド(ヴォーカル、ギター)とアダム・シュレシンジャー(ベース)の敏腕作曲チームが率いる、米国東海岸ベースのポップなメロディ命の4人組の実演は渋谷・クラブクアトロにて。“フル・バンドによるアコースティック・ライヴ”という名目が付けられたもので、全面的にアコースティック・ギターが用いられてパフォーマンスは進む。シュレシンガーは時々、ピアノを弾いたりも。まあ、アンプラグド・ライヴとも、言えるものですね。その方策、サウンド的にはかなり単調にはなるが、曲の出来の良さは当然アピールされるな。あと、大人なほんわかしたグループ内の力学も。途中で客を3人あげてシェイカーやタンバリンを与えて演奏に参加させたが、それもバンドのほのぼの感にあっていた。
三分の一ぐらいはUKパワー・ポップ伯楽たるスクイーズ(そういえば、そのメンバーだったジュールズ・ホーランドが10人越えのバンドを率いて、3月にやってくる! @ブルーノート東京)の曲と重なる感じもあり、その際のコリンウッドの歌い口はスクイーズの誰かの歌声に似ているゾと思う。近い世界を見ていると、歌声も似てくるのだろうか。過去の表現に明るいということは彼らのアルバムを聞けばすぐに了解できるが、過去の有名曲断片を人力サンプリング的に挿入する場面もあった。あれ、コレなんだったけか、とか少し落ち着かなくさせられました。それから、メンバー紹介をする感じで、ピアノはアリシア・キーズ(や坂本龍一)、ベースはロン・カーター(やレヴェル42のマーク・キング)なぞと、2度ほどしょーもないボケをかましたりも。それには、少しいたたまれない気持ちになりました。でも、ほんと音楽好きのバンドなんだろうな。
作曲する人が同じティンテッド・ウィンドウズ(2009年1月15日)と彼らの違いは? ライヴを見ていて、そんな問いかけが出てきたりも。まあ、リード・シンガーが異なるわけだから、当然持ち味は変わってくるわけだが。サッカーを例に出すなら、ナショナル・チームとよく整備されたクラブ・チームの違いのようなものか。サッカー愛好者にしか分からないかもれないが、これはいい例えじゃん、とお酒を飲みながら思った。ビールとバーボンを摂る。
その後、南青山・月見ル君想フに移動。北欧サーミの歌唱スタイルであるヨイクのフル・タイム・シンガーであるという(なるほど、ヴォキャブラリーが沢山ある感じではなかったが、フツーに英語でMCをする)インガ・ユーソの歌を聞く。彼女はスタイナー・ラクネスという同じノルウェイ人のジャズ・ベーシストとスカイディというユニットを組んでいて、今回はそのユニットでパフォーマンスをするはずだったが、ラクネスが家庭の事情で急遽これなくなり、かわりにハラール・スクレルーというノルウェイ人打楽器奏者がサポート。
細かい刺繍がついたコバルト・ブルーの民族衣装を来てステージに出てきたユーソおばさんは貫禄たっぷり。そして、我が道を行かさせたいただきますわ、という感じで声を出す。予想したほど、その歌声は圧倒的な力感とともに空気をふるわせるというものではなかったが、特殊な抑揚とともにうれしい存在感と“北”たる異国情緒を放つ。歌ったのはトラッドなのかな、一部は日本の民謡やケルト系表現を思い出させたりもする。ヨイクは言葉を超えたコミュニケーションの手段、みたいなことを言っていたっけか。彼女は過去にも来日したことがあるという。
打楽器奏者のスクレルーは彼女の歌にソツなく素朴によりそうわけだが、打楽器演奏から曲が始まるときもあったりして、二人は過去共演を積んでいるのは間違いない。彼はヨン・バルケの06 年ECM作に入っていたりもするが、叩き口はかなり個性的。バス・ドラムみたいな太鼓を横に寝かして、ヘッドの上に小物を置いて、ならしたりする。もう一つの世界観を持っていて、彼がふんわり音を出せば、あたりは“不思議の森”になる……なんて、感想を少し覚えたかも。赤ワインを飲む。
その後、流れで青山・プラッサオンゼに。演奏は当然終わっていたが、出演者だったギタリストの越田太郎丸さん(彼が中心となってトニーニョ・オルタ耽溺プロジェクトをこの晩やっていたよう)から、彼が参加するグループのプリズマティカの新作『Life Giving Water』(Inpartmaint,09年)をいただく。女性シンガーを擁する、ブラジル要素が活きた流動度の高いアーバン・ポップ作。レニー・クラヴィッツの「イット・エイント・オーヴァー・ティル・イッツ・オーヴァー」も技ありでカヴァーしていて、タイトル・トラックはジャズトロニックによる静謐リミックス・ヴァージョンも収録(というのに表れているように、クラブ・ミュージック的視点も持つと、書けるのかな)。ピンガーをぐびぐび。
三分の一ぐらいはUKパワー・ポップ伯楽たるスクイーズ(そういえば、そのメンバーだったジュールズ・ホーランドが10人越えのバンドを率いて、3月にやってくる! @ブルーノート東京)の曲と重なる感じもあり、その際のコリンウッドの歌い口はスクイーズの誰かの歌声に似ているゾと思う。近い世界を見ていると、歌声も似てくるのだろうか。過去の表現に明るいということは彼らのアルバムを聞けばすぐに了解できるが、過去の有名曲断片を人力サンプリング的に挿入する場面もあった。あれ、コレなんだったけか、とか少し落ち着かなくさせられました。それから、メンバー紹介をする感じで、ピアノはアリシア・キーズ(や坂本龍一)、ベースはロン・カーター(やレヴェル42のマーク・キング)なぞと、2度ほどしょーもないボケをかましたりも。それには、少しいたたまれない気持ちになりました。でも、ほんと音楽好きのバンドなんだろうな。
作曲する人が同じティンテッド・ウィンドウズ(2009年1月15日)と彼らの違いは? ライヴを見ていて、そんな問いかけが出てきたりも。まあ、リード・シンガーが異なるわけだから、当然持ち味は変わってくるわけだが。サッカーを例に出すなら、ナショナル・チームとよく整備されたクラブ・チームの違いのようなものか。サッカー愛好者にしか分からないかもれないが、これはいい例えじゃん、とお酒を飲みながら思った。ビールとバーボンを摂る。
その後、南青山・月見ル君想フに移動。北欧サーミの歌唱スタイルであるヨイクのフル・タイム・シンガーであるという(なるほど、ヴォキャブラリーが沢山ある感じではなかったが、フツーに英語でMCをする)インガ・ユーソの歌を聞く。彼女はスタイナー・ラクネスという同じノルウェイ人のジャズ・ベーシストとスカイディというユニットを組んでいて、今回はそのユニットでパフォーマンスをするはずだったが、ラクネスが家庭の事情で急遽これなくなり、かわりにハラール・スクレルーというノルウェイ人打楽器奏者がサポート。
細かい刺繍がついたコバルト・ブルーの民族衣装を来てステージに出てきたユーソおばさんは貫禄たっぷり。そして、我が道を行かさせたいただきますわ、という感じで声を出す。予想したほど、その歌声は圧倒的な力感とともに空気をふるわせるというものではなかったが、特殊な抑揚とともにうれしい存在感と“北”たる異国情緒を放つ。歌ったのはトラッドなのかな、一部は日本の民謡やケルト系表現を思い出させたりもする。ヨイクは言葉を超えたコミュニケーションの手段、みたいなことを言っていたっけか。彼女は過去にも来日したことがあるという。
打楽器奏者のスクレルーは彼女の歌にソツなく素朴によりそうわけだが、打楽器演奏から曲が始まるときもあったりして、二人は過去共演を積んでいるのは間違いない。彼はヨン・バルケの06 年ECM作に入っていたりもするが、叩き口はかなり個性的。バス・ドラムみたいな太鼓を横に寝かして、ヘッドの上に小物を置いて、ならしたりする。もう一つの世界観を持っていて、彼がふんわり音を出せば、あたりは“不思議の森”になる……なんて、感想を少し覚えたかも。赤ワインを飲む。
その後、流れで青山・プラッサオンゼに。演奏は当然終わっていたが、出演者だったギタリストの越田太郎丸さん(彼が中心となってトニーニョ・オルタ耽溺プロジェクトをこの晩やっていたよう)から、彼が参加するグループのプリズマティカの新作『Life Giving Water』(Inpartmaint,09年)をいただく。女性シンガーを擁する、ブラジル要素が活きた流動度の高いアーバン・ポップ作。レニー・クラヴィッツの「イット・エイント・オーヴァー・ティル・イッツ・オーヴァー」も技ありでカヴァーしていて、タイトル・トラックはジャズトロニックによる静謐リミックス・ヴァージョンも収録(というのに表れているように、クラブ・ミュージック的視点も持つと、書けるのかな)。ピンガーをぐびぐび。
基本、カヴァー・アルバムはそれほど好きではない。ロック・ミュージックはオリジナル曲を自分が関与するサウンド/色づけで歌ってナンボの表現であると、ぼくは思っているから。だが、アトランタ出身、NYベースのシンガー・ソングライターであるキャット・パワー(2003年1月9日)の08年カヴァー集『ジューク・ボックス』(マタドール。全米12位まで登ったから、大成功作と言えるだろう)にはとても驚いた。そこには、いろんな先達の襞を持つ曲(JB、ビリー・ホリデイ、ジョニ・ミッチェル、ハンク・ウィリアムズ、他)をザクっとしたサウンドともに突きななすように取り上げた内容を持のだが、それはどこか“敗者の視点”を持つ、だからこそ、先達が提出した財産を糧に私は斜めから時代と対峙するというような妙にくすぐる情緒に満ちていたのだ。ぼくはそのアルバムを同年のロック・アルバムのベスト10(クロスビート誌にて)に選んでいるが、そのアルバムでバッキングしていたやさぐれ好奏者たちはザ・ダーティ・デルタ・ブルース・バンドと名乗っていた。
アルバム発売からはけっこう時間がたったが、なんと、そのザ・ダーティ・デルタ・ブルース・バンドを伴う公演。そのバンドの構成員は、ブルース・エクスプロージョン(2004年12月13日、他)のジュダ・バウアー(ギター)、一時はそのブルース・エクスプロージョンを追う最右翼と言われたザ・デルタ72(今は解散しているかな)のグレッグ・フォアマン(キーボード)、モグワイ(2006年11月11日、他)と横並びで評価されたりもした豪州出身のザ・ダーティ・スリーのジム・ホワイト(ドラム)、そして現在ザ・パパラッチズという壊れたポップ・ロック・バンドを組んでいるエリク・パパラッチ(ベース)という面々だ。
渋谷・O-イースト。とても、混んでいた。バンドはいろんな知識を得た先にある、シンプルながら、含みとどこか濁った感覚を持つバンド・サウンドを送りだし、キャット・パワーはそれに乗って、どこか病んだ感じもある歌声を淡々と載せていく(スタンドは用いず、マイクを手にゆったりとステージを動きながら歌う)。やさぐれウィスパー・ヴォイスですね。その重なりは、虚無的なダーク・ワールドを提出。ホント、枯れ枯れ。同じようなトーンの曲ばかりで、少し飽きたところはあったが。だが、前回見たときの原稿にも触れているように、その快活運動会系といいたくなるパーソナリティ(今回も暗〜いステージングをしつつ、客に手を振ったりして、その持ち味を維持していると思わされた)とくすんだ色調の歌表現の持ち味の落差はすごすぎ。それも、偉大な個性だよな。もー、驚愕。ああ、人間ていろんなタイプの人がいて、一筋縄ではいかない。そして、そういう部分をあっさりと出す回路として音楽という手段は非常にあっていると、ぼくは思った。
それから、前日の項のネタの続き。あれれ、ジム・ホワイト(なんか、見かけは大昔のデイヴィッド・クロスビーみたい→cf.CSN&Y)もレギュラー・グリップで叩いていた。実は、いることはいるのかな。
アルバム発売からはけっこう時間がたったが、なんと、そのザ・ダーティ・デルタ・ブルース・バンドを伴う公演。そのバンドの構成員は、ブルース・エクスプロージョン(2004年12月13日、他)のジュダ・バウアー(ギター)、一時はそのブルース・エクスプロージョンを追う最右翼と言われたザ・デルタ72(今は解散しているかな)のグレッグ・フォアマン(キーボード)、モグワイ(2006年11月11日、他)と横並びで評価されたりもした豪州出身のザ・ダーティ・スリーのジム・ホワイト(ドラム)、そして現在ザ・パパラッチズという壊れたポップ・ロック・バンドを組んでいるエリク・パパラッチ(ベース)という面々だ。
渋谷・O-イースト。とても、混んでいた。バンドはいろんな知識を得た先にある、シンプルながら、含みとどこか濁った感覚を持つバンド・サウンドを送りだし、キャット・パワーはそれに乗って、どこか病んだ感じもある歌声を淡々と載せていく(スタンドは用いず、マイクを手にゆったりとステージを動きながら歌う)。やさぐれウィスパー・ヴォイスですね。その重なりは、虚無的なダーク・ワールドを提出。ホント、枯れ枯れ。同じようなトーンの曲ばかりで、少し飽きたところはあったが。だが、前回見たときの原稿にも触れているように、その快活運動会系といいたくなるパーソナリティ(今回も暗〜いステージングをしつつ、客に手を振ったりして、その持ち味を維持していると思わされた)とくすんだ色調の歌表現の持ち味の落差はすごすぎ。それも、偉大な個性だよな。もー、驚愕。ああ、人間ていろんなタイプの人がいて、一筋縄ではいかない。そして、そういう部分をあっさりと出す回路として音楽という手段は非常にあっていると、ぼくは思った。
それから、前日の項のネタの続き。あれれ、ジム・ホワイト(なんか、見かけは大昔のデイヴィッド・クロスビーみたい→cf.CSN&Y)もレギュラー・グリップで叩いていた。実は、いることはいるのかな。
フェス出演で来日しているはずだが、カレン・O(音楽映像畑出身のスパイク・ジョーンズ監督の新作映画「かいじゅうたちのいるところ」の音楽にも関与。両者は一時、つきあっていたこともあったんだっけか。昼間に子供たちと見に行ってきましたという知人と会ったが、その映画はけっこう大人向きであるそう)をフロントに置く、このNYの跳ねっ返りロック・バンドの実演をぼくが見るのはアルバム・デビューして間もない頃(2003年10月6日)以来。伸び伸びと活動し(アルバムは3年おきに3作リリース)着実に名をなしているという印象を与えるわけで、その事実をちゃんとライヴでも堂々示していましたね。
品川プリンス・ステラボール。満員。ステージ上にはでかい目玉のヴィニール玉がつり下げれていて、終盤同様のものがオーディエンスのフロアに出されたりも。そりゃ、湧きます。ギター/キーボード、ドラムに加え、ギター/キーボードのサポート奏者を3分の2ぐらい加えてのパフォーマンス。 カレン・Oは、別に凝ってはないがポンチョみたないのをはおったりとか、一応数回お召しかえしたと言えなくもないのか。途中で、靴を片方だけ脱いで、歌う人は初めて見たかも。また履いたけど。奔放。扇情。過剰。例によって、あたしの発散してて、ポップで、混沌としているロックを聞いてほしい、私の考えるロック観の開示をしたい、という意思は膨大。
また、水を口に含んで吐き出したり、マイクを口の中に入れたり、シールドを持ってマイクをぶんぶん振り回したり、ステージ下に降りてみたり、最後はマイクを床に叩き付けたり。それぞれの仕草は子供ぽいというか、ロック萌芽期から誰かがやってそうでもあり、ぼくの目には新鮮味に欠ける。だが、彼女が堂々やっているのを見ると、ダサかっこいいとも思えるわけだし、若い聞き手は素直に新奇なステージングをやっていると思わせられるのかもしれない。そんな彼女を見ていてふと思い出したのは、クイーンアドリアーナのケイティ嬢の所作(2008年3月1日)。だが、彼女だとレトロ芸能臭が漂うところ、カレン嬢は今っぽい輝きを感じさせるのは間違いなく、それはアーティストの世代や勢いというものか。
2階席から見ていたので、よくステージの様が見えたのだが、ドラマーのブライアン・チェイスにはアレレ。だって、彼はマッチド・グリップ(両手とも鷲掴みのような感じで、スティックをつかむ)ではなく、古典的正統派たるレギュラー・グリップ(左手の握りは下側から持つような感じ)で確かなロック・ビートをたたき出していたから。ロック・ドラマーは当然のこと、若いジャズ・ドラマーも今はマッチド・グリップで叩く人が多いなか、これは異端。チェイスさん、大学時代にジャズをやっていたという話におおいに頷けますね。
ヤー・ヤー・ヤーズのその“変テコ”は、いろんな襞や経験があってこそなりたつ。そんなことをその事実は物語っている……と、我田引水しておきましょうか。
品川プリンス・ステラボール。満員。ステージ上にはでかい目玉のヴィニール玉がつり下げれていて、終盤同様のものがオーディエンスのフロアに出されたりも。そりゃ、湧きます。ギター/キーボード、ドラムに加え、ギター/キーボードのサポート奏者を3分の2ぐらい加えてのパフォーマンス。 カレン・Oは、別に凝ってはないがポンチョみたないのをはおったりとか、一応数回お召しかえしたと言えなくもないのか。途中で、靴を片方だけ脱いで、歌う人は初めて見たかも。また履いたけど。奔放。扇情。過剰。例によって、あたしの発散してて、ポップで、混沌としているロックを聞いてほしい、私の考えるロック観の開示をしたい、という意思は膨大。
また、水を口に含んで吐き出したり、マイクを口の中に入れたり、シールドを持ってマイクをぶんぶん振り回したり、ステージ下に降りてみたり、最後はマイクを床に叩き付けたり。それぞれの仕草は子供ぽいというか、ロック萌芽期から誰かがやってそうでもあり、ぼくの目には新鮮味に欠ける。だが、彼女が堂々やっているのを見ると、ダサかっこいいとも思えるわけだし、若い聞き手は素直に新奇なステージングをやっていると思わせられるのかもしれない。そんな彼女を見ていてふと思い出したのは、クイーンアドリアーナのケイティ嬢の所作(2008年3月1日)。だが、彼女だとレトロ芸能臭が漂うところ、カレン嬢は今っぽい輝きを感じさせるのは間違いなく、それはアーティストの世代や勢いというものか。
2階席から見ていたので、よくステージの様が見えたのだが、ドラマーのブライアン・チェイスにはアレレ。だって、彼はマッチド・グリップ(両手とも鷲掴みのような感じで、スティックをつかむ)ではなく、古典的正統派たるレギュラー・グリップ(左手の握りは下側から持つような感じ)で確かなロック・ビートをたたき出していたから。ロック・ドラマーは当然のこと、若いジャズ・ドラマーも今はマッチド・グリップで叩く人が多いなか、これは異端。チェイスさん、大学時代にジャズをやっていたという話におおいに頷けますね。
ヤー・ヤー・ヤーズのその“変テコ”は、いろんな襞や経験があってこそなりたつ。そんなことをその事実は物語っている……と、我田引水しておきましょうか。
ティンテッド・ウィンドウズ
2010年1月15日 音楽 ハンソンのテイラー・ハンソン(ヴォーカル)、元スマッシュ・パンプキンズのジェイムズ・イハ(ギター)、ファウンテインズ・オブ・ウェインのアダム・シュレシンジャー(ベース、主任コンポーザー)、チープ・トリックのバン・E・カルロス(ドラム)、それぞれファンを持つバンド関与者からなるロック・バンドの初来日公演は、青海のゼップ東京から渋谷のデュオに会場が変更されてのもの。両会場のキャパシティはけっこう違うので、その事実には少し驚く。それぞれのファンが見に来ているのか、けっこう客層は散っているように思えた。
サポート・ギタリストを伴っての5人で実演されたが、ギタリスト二人は黒いレスポール・タイプのギターを持つ。ぼくがロックを聞き出したころはギブソン・レスポール全盛の時代だったが、今はフェンダーはともかく、ギブソンのギターを手にするロック・ギタリストは少ないんじゃないか。なんか、その図だけで少し甘酸っぱい気持ちを得たワタシであるが、実際パフォーマンスのほうもいい意味で懐かしい気持ちを持たせるものであったのは確か。もう、まっとうな曲に支えられた質をちゃんと持つパワー・ポップ曲のオン・パレード。それは新しさを最初から排するヴェクトルを抱えるが、だからこの無理のない楽しさやワクワク感をしっかり持っているし、聞く者を幸せな気持ちにさせる。そんなショウに触れながら、昔はもっと各バンドの人気者が集った(スーパー・)バンドが多かったんではないか、なんてもふと思う。バズコックス(2006年9月21日)のカヴァーもやったが、アルバム1枚しか出していないので、1時間を少し切る演奏時間。でも、サクっと快活なパフォーマンスはそれでもOKなもの。少なくても、持久力が減じているぼくにとっては。その後の飲みの時間もたっぷり取れるしね。
サポート・ギタリストを伴っての5人で実演されたが、ギタリスト二人は黒いレスポール・タイプのギターを持つ。ぼくがロックを聞き出したころはギブソン・レスポール全盛の時代だったが、今はフェンダーはともかく、ギブソンのギターを手にするロック・ギタリストは少ないんじゃないか。なんか、その図だけで少し甘酸っぱい気持ちを得たワタシであるが、実際パフォーマンスのほうもいい意味で懐かしい気持ちを持たせるものであったのは確か。もう、まっとうな曲に支えられた質をちゃんと持つパワー・ポップ曲のオン・パレード。それは新しさを最初から排するヴェクトルを抱えるが、だからこの無理のない楽しさやワクワク感をしっかり持っているし、聞く者を幸せな気持ちにさせる。そんなショウに触れながら、昔はもっと各バンドの人気者が集った(スーパー・)バンドが多かったんではないか、なんてもふと思う。バズコックス(2006年9月21日)のカヴァーもやったが、アルバム1枚しか出していないので、1時間を少し切る演奏時間。でも、サクっと快活なパフォーマンスはそれでもOKなもの。少なくても、持久力が減じているぼくにとっては。その後の飲みの時間もたっぷり取れるしね。
ランディは前から、かなり見たかった黒人ジャズ・シンガーだ。
90 年代はJVCから3枚のリーダー作を出しているのだが、LA出張時に同社プロデューサーの高級アパートに拉致され、契約して間もない彼女の音を聞かされ、コレはいいだろと自慢されたことがあった。じっさい聞いたら、純ジャズを超える広がりを覚えさせられ、その名前をぼくは頭に刻んだ。そしたら、すぐその後にキップ・ハンラハン(2003年8月9日、他)がレコーディングに彼女を呼び、大きく頷いたりもしたっけ。また、ミレニアムに入ってからは、日本のDJ系クリエイターが彼女を起用したことがあったと記憶するが、誰だったか。勘違いかな? ランディの大きなポイントは“ジャズ・シンガー・ソングライター”という活動指針を持つ事だが、そのスタンスをきっちり築いたのは、そのJVC時代だ。
1954年(マイアミ)生まれだから、カサンドラ・ウィルソン(2008年8月11日、他)やダイアン・リーヴス(2008年9月22日、他)よりは少し年長。でも、早く(アルバム・デビューは30歳少し前)から自作曲を歌いたがり、ピアノができることもありアレンジも手がけ、絵も得意でジャケット・カヴァーを描いたりアート・ディレクションをしたり。てなわけで、ぶっちゃけウィルソンやリーヴスより当初から意思を持って自立し、広がりを持っていたとも言えるだろうし、その資質と比すとアンダーレイテッドな存在であるのは間違いない。その最新作『ソラメンテ』は墨絵のようなキーボード主体のサウンドを一人で作り、そこにワザありの漂う歌を載せた、ジャズを根に置く、オルタナティヴにしてメロウなアダルト・ヴォーカル作になっていて驚かされる。→追記)そのアルバム、彼女がレコーディング用に作ったデモが商品化されたという話もある。さもありなん、ではあるな。
丸の内・コットンクラブ。ファースト・ショウ。そのパフォーマンスはピアニスト、縦ベース、ドラム、打楽器を伴ってのもので、打楽器奏者のみラテン系(だろう女性)で、他はアフリカ系だ。そんな設定が示すように、パフォーマンスは新作の内容には従わないもので、素直に凛としたジャズ・ヴォーカリスト像を出さんとするもの。年齢より十分に若く見える彼女(なかなか快活そうな人でした)は、伸び伸びとサウンドを乗りこなし、なめらかに歌を泳がせていく。やはり、自作曲を歌うことも大きいのだろうけど、普通のジャズ歌手とは一線を画す心智がある、と書きたくなりますね。後半はスタンダードも取り上げるが、清新さは維持。
その後、知人に唐突に誘われ、ムーンライダース(2001年7月29日、2004年12月12日)の新年会に顔を出しちゃう。メンバー6人が勢揃い、還暦ぐらいにはなるだろうが、みんな頭髪もふさふさしていて、劣化が少ないのにはびっくり。改めて、充実した活動とともにいい歳の取り方をしているんだナと実感。鈴木博文さんには、大昔に編集者だったころ原稿を何度かお願いしたことがあり(その頃は、ファックスもない時代で、車をころがして原稿を持ってきてくれたりしたな)、お礼をのべる。
ところで、昨日飛び込んできた、ハイチの大地震のニュースにはびっくり。被害のでかさにおののくとともに、世界でトップ級に貧しいと言われるあの国においての人々の生活の再興にはものすごい困難が伴うんじゃないかと危惧。いろんな災害や事件の報道にふれ、胸を痛めたり悲しくなったりもするが、そうしたなか今回のニュースには自分でもびっくりするぐらいえ〜んという気持ちになっている。自分のできる良なことはなんなのか。少しでも、動かなきゃ。一番古い黒人独立国家に光りあれ。←結局、募金だけ。。。。。。
90 年代はJVCから3枚のリーダー作を出しているのだが、LA出張時に同社プロデューサーの高級アパートに拉致され、契約して間もない彼女の音を聞かされ、コレはいいだろと自慢されたことがあった。じっさい聞いたら、純ジャズを超える広がりを覚えさせられ、その名前をぼくは頭に刻んだ。そしたら、すぐその後にキップ・ハンラハン(2003年8月9日、他)がレコーディングに彼女を呼び、大きく頷いたりもしたっけ。また、ミレニアムに入ってからは、日本のDJ系クリエイターが彼女を起用したことがあったと記憶するが、誰だったか。勘違いかな? ランディの大きなポイントは“ジャズ・シンガー・ソングライター”という活動指針を持つ事だが、そのスタンスをきっちり築いたのは、そのJVC時代だ。
1954年(マイアミ)生まれだから、カサンドラ・ウィルソン(2008年8月11日、他)やダイアン・リーヴス(2008年9月22日、他)よりは少し年長。でも、早く(アルバム・デビューは30歳少し前)から自作曲を歌いたがり、ピアノができることもありアレンジも手がけ、絵も得意でジャケット・カヴァーを描いたりアート・ディレクションをしたり。てなわけで、ぶっちゃけウィルソンやリーヴスより当初から意思を持って自立し、広がりを持っていたとも言えるだろうし、その資質と比すとアンダーレイテッドな存在であるのは間違いない。その最新作『ソラメンテ』は墨絵のようなキーボード主体のサウンドを一人で作り、そこにワザありの漂う歌を載せた、ジャズを根に置く、オルタナティヴにしてメロウなアダルト・ヴォーカル作になっていて驚かされる。→追記)そのアルバム、彼女がレコーディング用に作ったデモが商品化されたという話もある。さもありなん、ではあるな。
丸の内・コットンクラブ。ファースト・ショウ。そのパフォーマンスはピアニスト、縦ベース、ドラム、打楽器を伴ってのもので、打楽器奏者のみラテン系(だろう女性)で、他はアフリカ系だ。そんな設定が示すように、パフォーマンスは新作の内容には従わないもので、素直に凛としたジャズ・ヴォーカリスト像を出さんとするもの。年齢より十分に若く見える彼女(なかなか快活そうな人でした)は、伸び伸びとサウンドを乗りこなし、なめらかに歌を泳がせていく。やはり、自作曲を歌うことも大きいのだろうけど、普通のジャズ歌手とは一線を画す心智がある、と書きたくなりますね。後半はスタンダードも取り上げるが、清新さは維持。
その後、知人に唐突に誘われ、ムーンライダース(2001年7月29日、2004年12月12日)の新年会に顔を出しちゃう。メンバー6人が勢揃い、還暦ぐらいにはなるだろうが、みんな頭髪もふさふさしていて、劣化が少ないのにはびっくり。改めて、充実した活動とともにいい歳の取り方をしているんだナと実感。鈴木博文さんには、大昔に編集者だったころ原稿を何度かお願いしたことがあり(その頃は、ファックスもない時代で、車をころがして原稿を持ってきてくれたりしたな)、お礼をのべる。
ところで、昨日飛び込んできた、ハイチの大地震のニュースにはびっくり。被害のでかさにおののくとともに、世界でトップ級に貧しいと言われるあの国においての人々の生活の再興にはものすごい困難が伴うんじゃないかと危惧。いろんな災害や事件の報道にふれ、胸を痛めたり悲しくなったりもするが、そうしたなか今回のニュースには自分でもびっくりするぐらいえ〜んという気持ちになっている。自分のできる良なことはなんなのか。少しでも、動かなきゃ。一番古い黒人独立国家に光りあれ。←結局、募金だけ。。。。。。
ブルース・ザ・ブッチャー&ムッシュかまやつ
2010年1月12日 音楽 うわ、音でけえ。南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。
その前身である永井隆&ザ・ブルース・ザ・パワーをフジ・ロックで見て(2005年7月30日)感激していらいとなるのかな。ヴォーカルとギターの永井“ホトケ”隆(2005年7月31日)とドラムの沼澤尚(2008年1月30日、他)を軸とするパーマネントなブルース・バンドに、ムッシュかまやつ(ヴォーカル、ギター)を加えたライヴ。両者は昨年晩夏に共演作『ロッキン・ウィズ・ムッシュ』をリリースしている。そのムッシュはといえば、最初から出てきてステージの左端に位置、あたまのほうでは続けてリード・ヴォーカルを取ったが、ならすとホトケのほうが歌う比率は少し高かったか。ともあれ、中条卓(2003年6月22日、他)とコテツ(2008年11月14日)をふくむ5人は、いろんなバンド・ブルース表現/楽曲を俯瞰したうえで、正々堂々と今の輝きを持つブルースを送り出す。
歌心が、確かなリズムとともに送り出される。ムッシュの歌声がはっきりしているのには、少し驚く。もともとホトケもシンガーだから、ここには専任ギタリストはいない。でも、それもいいと思えた。安全パイのブルーノート・スケールをちんたらなぞるような単音ソロを延々と聞かされることがなくて。ほんと、そういうのがぼくは大嫌いだ。そのぶん、コテツは大張り切りで大活躍。ブルース・ハーピストとして持っているものを全部だしていたな。沼澤は曲に合わせチューニングの異なるスネアを頻繁に変える。シンプルなドラム・セットを前に叩いていた彼、音楽性に合わせているのかと思ったら、それが毎度の設定だという。いつもちゃんと見ていないんだァと、沼澤にいじめられた。
ところで、ステージ上の面々はみんな黒いスーツに白いシャツ、そして黒いネクタイ(中条のみ、ノー・ネクタイ)。なんか、もろに喪服やん。なんて、書きたくなるのは、ブルースとは悪魔の音楽であり、忌み嫌われるヤクザ、ハンパもんの酔狂な音楽であるから……なーんて、こじつけておきましょうか。
追記)この2日後、仕事部屋で整理をしてたら、CDの山のなかから『ぶるうすを聴け!』(ビクター、07年)というコンピ盤が出てきた。で、なんの気無しに聞いてしまったんだが、これはレコード会社の枠を超えて楽曲が集められている、日本人のブルースを俯瞰する好編集作。コンパイラーのクレジットはないのだが、ホトケが親身なライナーノーツを書いているので、彼が組んだのだろうか。
その前身である永井隆&ザ・ブルース・ザ・パワーをフジ・ロックで見て(2005年7月30日)感激していらいとなるのかな。ヴォーカルとギターの永井“ホトケ”隆(2005年7月31日)とドラムの沼澤尚(2008年1月30日、他)を軸とするパーマネントなブルース・バンドに、ムッシュかまやつ(ヴォーカル、ギター)を加えたライヴ。両者は昨年晩夏に共演作『ロッキン・ウィズ・ムッシュ』をリリースしている。そのムッシュはといえば、最初から出てきてステージの左端に位置、あたまのほうでは続けてリード・ヴォーカルを取ったが、ならすとホトケのほうが歌う比率は少し高かったか。ともあれ、中条卓(2003年6月22日、他)とコテツ(2008年11月14日)をふくむ5人は、いろんなバンド・ブルース表現/楽曲を俯瞰したうえで、正々堂々と今の輝きを持つブルースを送り出す。
歌心が、確かなリズムとともに送り出される。ムッシュの歌声がはっきりしているのには、少し驚く。もともとホトケもシンガーだから、ここには専任ギタリストはいない。でも、それもいいと思えた。安全パイのブルーノート・スケールをちんたらなぞるような単音ソロを延々と聞かされることがなくて。ほんと、そういうのがぼくは大嫌いだ。そのぶん、コテツは大張り切りで大活躍。ブルース・ハーピストとして持っているものを全部だしていたな。沼澤は曲に合わせチューニングの異なるスネアを頻繁に変える。シンプルなドラム・セットを前に叩いていた彼、音楽性に合わせているのかと思ったら、それが毎度の設定だという。いつもちゃんと見ていないんだァと、沼澤にいじめられた。
ところで、ステージ上の面々はみんな黒いスーツに白いシャツ、そして黒いネクタイ(中条のみ、ノー・ネクタイ)。なんか、もろに喪服やん。なんて、書きたくなるのは、ブルースとは悪魔の音楽であり、忌み嫌われるヤクザ、ハンパもんの酔狂な音楽であるから……なーんて、こじつけておきましょうか。
追記)この2日後、仕事部屋で整理をしてたら、CDの山のなかから『ぶるうすを聴け!』(ビクター、07年)というコンピ盤が出てきた。で、なんの気無しに聞いてしまったんだが、これはレコード会社の枠を超えて楽曲が集められている、日本人のブルースを俯瞰する好編集作。コンパイラーのクレジットはないのだが、ホトケが親身なライナーノーツを書いているので、彼が組んだのだろうか。
昨日もそうだが、昼間は本当にいい天気。風がないせいもあり、夜もそれほど寒さを感じない。丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ、見事な入り。出演者のアダムスは、ホテルのラウンジでピアノ弾き語りしているところをUK人気ポップ・デュオであるティアーズ・フォー・フィアーズのローランド・オーザバルに見いだされて90年にアルバム・デビューした、アフリカ系のMORぽい味も持つシンガー・ソングライター(62年、シアトル生まれ)だ。過去、何度か来日しているはずだが、ぼくは今回初めて見る。
ピアノを弾きながら歌う彼女を、ギター、電気ベース、ドラムがサポート。ドラムは黒人(旦那さんだそう)だが、ギターは白人で、ベースはラテン系。その風情を見ても、一般的なソウル系のサポート・バンドとは離れる風情を持ち、アダムスが抱える味を映し出すか。ピアノを弾きながら歌う彼女に寄り添うリズム音はそこそこ強靭。しっとりしたバラード系が得意な人という印象を持っていたので、それには意外な思いを得る。で、ほとんどの曲ではドラマーが横においたラップトップを用い、キーボード音やコーラス音などを同期させて出す。確かに、そのほうが曲表層の完成度は高まるのかもしれない。だが、ぼくはCDを聞きにではなく、生のパフォーマンスに触れにきているのダ……それは、行為者の“顔”を直接に受ける場であるライヴたる美点を消す方向にはつながらないか。ましてや、この日の彼女たちは十分に“あるがまま”なものだけで、受け手の耳をちゃんと引き付ける力を持っていたのだから。彼女の地声の朗々としていて、確かなこと。もう、それは事前の想像を遥かに超えるものであり、お金が取れるものだと思った。曲間でのアダムスのMCやちょっとした仕草はとってもおきゃんというかアメリカン的にサバけていて、へえ〜。同期音も交えたがっつり路線はそんな彼女の風情とは合うものかもしれないが。でも、一曲弾き語りでやったスロウは良かった。それから、フェイクをかましながらしっとり開いた「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」(ビリー・ジョエル曲)や自身のヒット曲「ゲット・ヒア」(ブレンダ・ラッセル作で、いまや準ポップ・スタンダートとなっている?)もひたれました。
実は、奏者紹介を聞いてから、少し落ち着かなくなったりも。ベーシストは西海岸の有名スタジオ系奏者のジョン・ペーニャというのは弾き口で納得だが、端正な顔をした中年ギタリストはポール・ピーターソンと紹介されたのだ。なぬ、ベン・シドラン(2009年5月23日、他)との付き合いでも知られるビリー(ベース)、リッキー(キーボード、プロデュース)の弟か、もしや。知る人ぞ知る音楽兄弟の末弟である彼(基本、マルチ・プレイヤー)は80年代中期に十代にしてザ・タイムに一時加入した後、プリンスのペイズリー・パーク・レーベルからザ・ファミリーという化粧系バンドでデビューし、その後もセイント・ポールという名前で(それは、ピーターソン兄弟の生まれた都市名で、ミネアポリスの双子都市となる)アトランティックやMCAからリーダー作を出していた人。ザ・ファミリーの看板娘のスザンナ・メルヴォアン(ヴォーカル)の双子の姉妹はプリンスのザ・レヴォールーションのメンバーだったウェンディ&リサのウェンディですね。けっこう、バック・コーラスもし器用にギターも弾く優男おっさんは果たして、あのかつての美青年セイント・ポールなのか。そんなギモンが頭のなかで渦巻き、そわそわしちゃった。なんとなく、6割強の可能性でイエスであると、ぼくはふみました。
ピアノを弾きながら歌う彼女を、ギター、電気ベース、ドラムがサポート。ドラムは黒人(旦那さんだそう)だが、ギターは白人で、ベースはラテン系。その風情を見ても、一般的なソウル系のサポート・バンドとは離れる風情を持ち、アダムスが抱える味を映し出すか。ピアノを弾きながら歌う彼女に寄り添うリズム音はそこそこ強靭。しっとりしたバラード系が得意な人という印象を持っていたので、それには意外な思いを得る。で、ほとんどの曲ではドラマーが横においたラップトップを用い、キーボード音やコーラス音などを同期させて出す。確かに、そのほうが曲表層の完成度は高まるのかもしれない。だが、ぼくはCDを聞きにではなく、生のパフォーマンスに触れにきているのダ……それは、行為者の“顔”を直接に受ける場であるライヴたる美点を消す方向にはつながらないか。ましてや、この日の彼女たちは十分に“あるがまま”なものだけで、受け手の耳をちゃんと引き付ける力を持っていたのだから。彼女の地声の朗々としていて、確かなこと。もう、それは事前の想像を遥かに超えるものであり、お金が取れるものだと思った。曲間でのアダムスのMCやちょっとした仕草はとってもおきゃんというかアメリカン的にサバけていて、へえ〜。同期音も交えたがっつり路線はそんな彼女の風情とは合うものかもしれないが。でも、一曲弾き語りでやったスロウは良かった。それから、フェイクをかましながらしっとり開いた「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」(ビリー・ジョエル曲)や自身のヒット曲「ゲット・ヒア」(ブレンダ・ラッセル作で、いまや準ポップ・スタンダートとなっている?)もひたれました。
実は、奏者紹介を聞いてから、少し落ち着かなくなったりも。ベーシストは西海岸の有名スタジオ系奏者のジョン・ペーニャというのは弾き口で納得だが、端正な顔をした中年ギタリストはポール・ピーターソンと紹介されたのだ。なぬ、ベン・シドラン(2009年5月23日、他)との付き合いでも知られるビリー(ベース)、リッキー(キーボード、プロデュース)の弟か、もしや。知る人ぞ知る音楽兄弟の末弟である彼(基本、マルチ・プレイヤー)は80年代中期に十代にしてザ・タイムに一時加入した後、プリンスのペイズリー・パーク・レーベルからザ・ファミリーという化粧系バンドでデビューし、その後もセイント・ポールという名前で(それは、ピーターソン兄弟の生まれた都市名で、ミネアポリスの双子都市となる)アトランティックやMCAからリーダー作を出していた人。ザ・ファミリーの看板娘のスザンナ・メルヴォアン(ヴォーカル)の双子の姉妹はプリンスのザ・レヴォールーションのメンバーだったウェンディ&リサのウェンディですね。けっこう、バック・コーラスもし器用にギターも弾く優男おっさんは果たして、あのかつての美青年セイント・ポールなのか。そんなギモンが頭のなかで渦巻き、そわそわしちゃった。なんとなく、6割強の可能性でイエスであると、ぼくはふみました。
1枚のアルバムが重みを持つ寡作の音楽家がいる一方、ありあまる創造性をあますことなく表出せんと多作であろうとするアーティストもいる。故フランク・ザッパや一頃のプリンスなどは、その最たる例。そして、トランぺッターの田村夏樹とピアニストの藤井郷子の夫妻(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年4月7日、2004年7月27日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、他)も多作家ということにかけては、トップに挙げられる存在だろう。それは、二人が自由の音楽家としての特権を思うまま行使しようとする結果として、関与するプロジェクトの数が気が遠くなるほど多い(誇張してますが、生理的には本当にそう)ことと関係もしているわけだが。
新宿・ピットイン。年明け早々のこの日の出し物は、同時リリースとなる4プロジェクトの実演を一気に披露しようというもの。同ヴェニューの<昼の部>(ここは、昼の部と夜の部と、それぞれライヴが企画される)はなしで、大々的に4時からから10時まで。ふう。基本1時間やって、30分の休憩という設定。休憩時間がもう少し短めのほうが聞くほうにとっては楽だけど、ずっと出っぱなしの田村/藤井にとっては、次の単位にリフレッシュして臨むためには必要な幕間の長さなのだろう。
まず、4作目となる『シロ』(リブラ・レコーズ。2009年8月に東京で録音とミキシング、10月にNYでマスタリング)を出す、田村、アコーディオン専任の藤井、生ギターの津村和彦、ベースの是安克則という顔ぶれのガトー・リブレ(2005年2月10日)。田村/藤井にとっては“外し”のグループと言えるもので、素朴なメロディを柱におき、それを愛でるように楽器音をシンプルに重ねる。ときに発展を目指す局面はなくはないが、それは過剰なものではない。もう一つの歌心/ペーソス追求のユニット、ですね。そこはかとない、なんちゃってエスノ情緒もあり。田村の吹き口は優しく、子守唄のごとし。ただ、いろんな音楽ジャンルを聞いているぼくには、提出するメロディにもっと輝きを求めたくなるが。ともあれ、普段は“左の即興道”を突き進む両者にとっては新鮮な行き方であり、それが他の活動に跳ね返るりもするのはよく分かる。事実、これ以後の演奏の様との落差は人間って面白いなと思わされ、非常に愉快だった。
次は、第一作『カット・ザ・ロープ』(リブラ。録音などすべて、09年7月に東京で)を出す、ノイズ・インプロ・バンドのファースト・ミーティング。田村、藤井、在日カナダ人ギター奏者のケリー・チュルコ(2008年12月17日)、ドラマーの山本達彦(2008年1月30日)というのが構成員。そして、この日はさらに最初から最後まで米国西海岸をベースとする視野の広いインプロ系ギタリストで近年はウィルコ(2003年2月9日)にも参加しているネルス・クラインも加わる。体形も頭髪も老化していない長身のクラインは56年生まれのようだが若く見え、ステージ中央に堂々位置し、なんか彼が中心となるユニットのようにも思えた? 完全即興による山あり谷ありの丁々発止、いろんな刺激と示唆を孕む手癖が繰り出される。そう、フリー・ジャズ/インプロものって乱暴に書いてしまえば思いつきと手癖の世界、だが、それを興味深く聞かせきるかどうかはそのアーティストの資質次第。実はこの手のものほど、人間性のようなものが価値を決める表現もないのではないのか、な〜んて笑顔で演奏に触れながらふと思う。お母さんが藤井と同じ年頃だという山本の繰り出すアクセントにはただ聞いているぼくも確かな鼓舞を受けた。ミニットメンやファイアーホース他での活動でも知られる米国西海岸オルタナ・ロック界の重鎮マイク・ワットとも付き合いを持つクラインは田村夫妻と欧州のフェスでよく顔を合わせるんだそう。
3番目は、2作目『Desert Ship』(Not Two。ポーランドのクラクフで09年7月に録音、同じく11月にミックスとマスタリング)を出す、田村、藤井、是安、ドラムの堀越彰からなるカルテットの藤井郷子ma-do。発売元のノット・トゥーはポーランドのレーベルだ。CDリリース数だけでなく、海外楽旅のスケジュールも驚異的に混んでいる二人は昨年だけでも3度ポーランドを訪れているのだという。その日本流通盤には夫妻のライナーノーツが新たに添付されていて、それを読むと、クラクフのカフェにはやたら可愛い女性が多いのだとか。それを知り、ぼくはとってもポーランドに行きたくなった。親日の国だそうで、モテるかな? 話は飛んだが、書かれた素材を基に自在に飛翔する、正義のジャズを鋭意展開。なお、『Desert Ship』はあっと驚くぐらい、このカルテットが抱えた醍醐味や可能性を巧みに盤に押し込んでいて、びっくり。この日の実演よりいい、と書くと語弊があるかもしれないが、濡れてて重厚な風情が野心と表裏一体の関係で横たわっており、コンテンポラリーさも色濃く出ているなど、おおいに感服させられる。それ、ポーランドという風土/関与者がなんらかの+をもたらしているだろうか。
最後は、米国から帰国後(97年〜)の藤井が一番長く維持しているユニットである藤井郷子オーケストラ東京(12年つづいているよう)。新作『ザコバネ』(リブラ。録音とミキシングは09年9月に東京。マスタリングは10月にNYで)はその4作目となり(ギタリストが入って初)、その他のオーケストラNY、オーケストラ名古屋、オーケストラ神戸も含めると、15作目のビッグ・バンド作品となるようだ。サックス5人、トランペット4、トロンボーン3、ギター、ベース、ドラム、そして指揮の藤井という全16人によるパフォーマンス。かつて同オーケストラ公演(2006年7月3日)のMCで藤井は自分の役割を猛獣使いのようと言っていたと記憶するが、まさしくそう。確かな骨組みと筋道(作曲と編曲)を与えて猛者どもを自由に振る舞わせている様は。で、それに触れていると、オーケストラ東京のアルバムとライヴは別ものだと言いたくなったりも。だって、ライヴだとお互いを信頼しあう構成員たちがこんなに楽しいプレイグラウンドはないという感じでおおいにはしゃぎ、創造性に則って自己を溌剌と解き放っているのが分かるから。その様は本当に歓びに満ちた音楽創造の場という感じで、えも言われぬ気持ちを得てしまうのだ。豊穣にして、高潔なこのファミリーに幸あれ! 見ていて、カーラ・ブレイ(1999年4月3日、2000年3月25日)が歳とともにボケ気味になっている現在、藤井の存在はますます頼もしく思えるなあ。この晩はハネもの中心にやった感じもあり(生の場だと、よち“立ち”度数が高くなる?)、非ジャズの聞き手へ大きく手を広げているようにも感じた。なお、この18日にはディスクユニオンの新宿ジャズ館で、フルのオーケストラ・メンバーでインストア・ライヴをやるのだという! あのスペースに入るのかあというのはともかく、何からなにまで定石はずし。藤井たちの音楽行為者としての正のヴェクトルには頷かされっぱなしで、恐れ入る。行動は美徳なり、なのだ!
新宿・ピットイン。年明け早々のこの日の出し物は、同時リリースとなる4プロジェクトの実演を一気に披露しようというもの。同ヴェニューの<昼の部>(ここは、昼の部と夜の部と、それぞれライヴが企画される)はなしで、大々的に4時からから10時まで。ふう。基本1時間やって、30分の休憩という設定。休憩時間がもう少し短めのほうが聞くほうにとっては楽だけど、ずっと出っぱなしの田村/藤井にとっては、次の単位にリフレッシュして臨むためには必要な幕間の長さなのだろう。
まず、4作目となる『シロ』(リブラ・レコーズ。2009年8月に東京で録音とミキシング、10月にNYでマスタリング)を出す、田村、アコーディオン専任の藤井、生ギターの津村和彦、ベースの是安克則という顔ぶれのガトー・リブレ(2005年2月10日)。田村/藤井にとっては“外し”のグループと言えるもので、素朴なメロディを柱におき、それを愛でるように楽器音をシンプルに重ねる。ときに発展を目指す局面はなくはないが、それは過剰なものではない。もう一つの歌心/ペーソス追求のユニット、ですね。そこはかとない、なんちゃってエスノ情緒もあり。田村の吹き口は優しく、子守唄のごとし。ただ、いろんな音楽ジャンルを聞いているぼくには、提出するメロディにもっと輝きを求めたくなるが。ともあれ、普段は“左の即興道”を突き進む両者にとっては新鮮な行き方であり、それが他の活動に跳ね返るりもするのはよく分かる。事実、これ以後の演奏の様との落差は人間って面白いなと思わされ、非常に愉快だった。
次は、第一作『カット・ザ・ロープ』(リブラ。録音などすべて、09年7月に東京で)を出す、ノイズ・インプロ・バンドのファースト・ミーティング。田村、藤井、在日カナダ人ギター奏者のケリー・チュルコ(2008年12月17日)、ドラマーの山本達彦(2008年1月30日)というのが構成員。そして、この日はさらに最初から最後まで米国西海岸をベースとする視野の広いインプロ系ギタリストで近年はウィルコ(2003年2月9日)にも参加しているネルス・クラインも加わる。体形も頭髪も老化していない長身のクラインは56年生まれのようだが若く見え、ステージ中央に堂々位置し、なんか彼が中心となるユニットのようにも思えた? 完全即興による山あり谷ありの丁々発止、いろんな刺激と示唆を孕む手癖が繰り出される。そう、フリー・ジャズ/インプロものって乱暴に書いてしまえば思いつきと手癖の世界、だが、それを興味深く聞かせきるかどうかはそのアーティストの資質次第。実はこの手のものほど、人間性のようなものが価値を決める表現もないのではないのか、な〜んて笑顔で演奏に触れながらふと思う。お母さんが藤井と同じ年頃だという山本の繰り出すアクセントにはただ聞いているぼくも確かな鼓舞を受けた。ミニットメンやファイアーホース他での活動でも知られる米国西海岸オルタナ・ロック界の重鎮マイク・ワットとも付き合いを持つクラインは田村夫妻と欧州のフェスでよく顔を合わせるんだそう。
3番目は、2作目『Desert Ship』(Not Two。ポーランドのクラクフで09年7月に録音、同じく11月にミックスとマスタリング)を出す、田村、藤井、是安、ドラムの堀越彰からなるカルテットの藤井郷子ma-do。発売元のノット・トゥーはポーランドのレーベルだ。CDリリース数だけでなく、海外楽旅のスケジュールも驚異的に混んでいる二人は昨年だけでも3度ポーランドを訪れているのだという。その日本流通盤には夫妻のライナーノーツが新たに添付されていて、それを読むと、クラクフのカフェにはやたら可愛い女性が多いのだとか。それを知り、ぼくはとってもポーランドに行きたくなった。親日の国だそうで、モテるかな? 話は飛んだが、書かれた素材を基に自在に飛翔する、正義のジャズを鋭意展開。なお、『Desert Ship』はあっと驚くぐらい、このカルテットが抱えた醍醐味や可能性を巧みに盤に押し込んでいて、びっくり。この日の実演よりいい、と書くと語弊があるかもしれないが、濡れてて重厚な風情が野心と表裏一体の関係で横たわっており、コンテンポラリーさも色濃く出ているなど、おおいに感服させられる。それ、ポーランドという風土/関与者がなんらかの+をもたらしているだろうか。
最後は、米国から帰国後(97年〜)の藤井が一番長く維持しているユニットである藤井郷子オーケストラ東京(12年つづいているよう)。新作『ザコバネ』(リブラ。録音とミキシングは09年9月に東京。マスタリングは10月にNYで)はその4作目となり(ギタリストが入って初)、その他のオーケストラNY、オーケストラ名古屋、オーケストラ神戸も含めると、15作目のビッグ・バンド作品となるようだ。サックス5人、トランペット4、トロンボーン3、ギター、ベース、ドラム、そして指揮の藤井という全16人によるパフォーマンス。かつて同オーケストラ公演(2006年7月3日)のMCで藤井は自分の役割を猛獣使いのようと言っていたと記憶するが、まさしくそう。確かな骨組みと筋道(作曲と編曲)を与えて猛者どもを自由に振る舞わせている様は。で、それに触れていると、オーケストラ東京のアルバムとライヴは別ものだと言いたくなったりも。だって、ライヴだとお互いを信頼しあう構成員たちがこんなに楽しいプレイグラウンドはないという感じでおおいにはしゃぎ、創造性に則って自己を溌剌と解き放っているのが分かるから。その様は本当に歓びに満ちた音楽創造の場という感じで、えも言われぬ気持ちを得てしまうのだ。豊穣にして、高潔なこのファミリーに幸あれ! 見ていて、カーラ・ブレイ(1999年4月3日、2000年3月25日)が歳とともにボケ気味になっている現在、藤井の存在はますます頼もしく思えるなあ。この晩はハネもの中心にやった感じもあり(生の場だと、よち“立ち”度数が高くなる?)、非ジャズの聞き手へ大きく手を広げているようにも感じた。なお、この18日にはディスクユニオンの新宿ジャズ館で、フルのオーケストラ・メンバーでインストア・ライヴをやるのだという! あのスペースに入るのかあというのはともかく、何からなにまで定石はずし。藤井たちの音楽行為者としての正のヴェクトルには頷かされっぱなしで、恐れ入る。行動は美徳なり、なのだ!
今年、最初の仕事はbmr誌の09年度のベスト10の選出と選評。優柔不断なところもあるのでけっこうその手のセレクションは迷うのだが、そうしたなか、レデシー(2002年6月12日、2007年11月12日、2009年1月25日)の『ターン・ミー・ルース』はまっさきに該当作として思い浮かぶ傑作だ。ライナーノーツ担当盤なので褒め上げるのも気がひけるが、まったくもって今のR&B王道盤として非の打ち所のない出来をしめす。
美容院に行ったあと(Boy Uの後藤くん、いつもありがとう)、六本木・ビルボードライブ東京へ。ファースト・ショウ。定時にサクっと出てきたバンドは全9人(キーボード2、ギター、ベース、ドラム、トランペット、テナー・サックス、女性コーラス2)! おお、ホーン・セクションを率いてきたのは初で、どんどん彼女が力を得ているの分かる。MCで新作収録曲の「ゴーイン・スルー・チェンジズ」がグラミー賞(女性R&Bパフォーマンス部門)にノミネートされたと言っていたけど、そうかあ。斜に構えたぼくは米国業界人の身内お祭り会という感じのグラミー賞にそれほど権威を感じておらず、“グラミー賞グラミー賞”と騒ぐ人を見るとバッカじゃねえのと思わなくもないのだが、当初は自己インディからアルバムを出したり、一時は状況の変化を求めてシスコの家や車を処分してNYに勝負しに出たり、と、いろんな苦労を前向きにしている彼女だけに、グラミー賞ノミネートは本当に良かったなぁと思えてしまう。
ステージに出てきた(ソウル・ショウとしては珍しく、バンドによる前奏はなしで、初っぱなからヴォーカル曲)、レデシーを見てまたびっくり。新作ジャケに載せられているような、ミニのボディコンを着ていて。確か、前々回はロング・ドレスで、前回はジーンズだったはずで、今回が一番派手に弾けますと言う感じが出ていたし、なにより今回が一番若く見えると思った。もちろん、ときにフェイクやスキャットもかましもするが、過去のステージで見せていたジャジー/4ビート調で歌う局面はなし。というわけで、広い素養を持ってはいるが、今回は新作同様に100%R&Bで突き進むレデシーだったのだ。で、抜群の喉力やおいしい余裕などを示しつつ、1時間強のショウを披露。レデシーこそは今最も油がのっていて輝いている女性R&B歌手だと、断言できますね。
その後に、夕方から行われているはずの、某邸での新年会に。お土産として少し珍しいワインを持っていったので、少し肩が凝った。かつて、乱暴なぼくは移動中にワインの瓶を割ってしまったことがある。この雑さは、もう直らないんだろうな。そういえば、レデシーのショウは50分ぐらいやったあと、一度彼女は引っ込み、コーラス陣がリード・ヴォーカルを取り、奏者たちもそれぞれソロを回す曲をやり、その後にもう1曲だけレデシー出てきて歌って本編はおしまいという構成を取っていた。雑というわけではないが、普通の人間の生理に合わない(?)その流れについては些細な事ながら少し疑問を持ったかな。それとも、このセットだけの進め方だったのだろうか(そういう、感じもします)。
美容院に行ったあと(Boy Uの後藤くん、いつもありがとう)、六本木・ビルボードライブ東京へ。ファースト・ショウ。定時にサクっと出てきたバンドは全9人(キーボード2、ギター、ベース、ドラム、トランペット、テナー・サックス、女性コーラス2)! おお、ホーン・セクションを率いてきたのは初で、どんどん彼女が力を得ているの分かる。MCで新作収録曲の「ゴーイン・スルー・チェンジズ」がグラミー賞(女性R&Bパフォーマンス部門)にノミネートされたと言っていたけど、そうかあ。斜に構えたぼくは米国業界人の身内お祭り会という感じのグラミー賞にそれほど権威を感じておらず、“グラミー賞グラミー賞”と騒ぐ人を見るとバッカじゃねえのと思わなくもないのだが、当初は自己インディからアルバムを出したり、一時は状況の変化を求めてシスコの家や車を処分してNYに勝負しに出たり、と、いろんな苦労を前向きにしている彼女だけに、グラミー賞ノミネートは本当に良かったなぁと思えてしまう。
ステージに出てきた(ソウル・ショウとしては珍しく、バンドによる前奏はなしで、初っぱなからヴォーカル曲)、レデシーを見てまたびっくり。新作ジャケに載せられているような、ミニのボディコンを着ていて。確か、前々回はロング・ドレスで、前回はジーンズだったはずで、今回が一番派手に弾けますと言う感じが出ていたし、なにより今回が一番若く見えると思った。もちろん、ときにフェイクやスキャットもかましもするが、過去のステージで見せていたジャジー/4ビート調で歌う局面はなし。というわけで、広い素養を持ってはいるが、今回は新作同様に100%R&Bで突き進むレデシーだったのだ。で、抜群の喉力やおいしい余裕などを示しつつ、1時間強のショウを披露。レデシーこそは今最も油がのっていて輝いている女性R&B歌手だと、断言できますね。
その後に、夕方から行われているはずの、某邸での新年会に。お土産として少し珍しいワインを持っていったので、少し肩が凝った。かつて、乱暴なぼくは移動中にワインの瓶を割ってしまったことがある。この雑さは、もう直らないんだろうな。そういえば、レデシーのショウは50分ぐらいやったあと、一度彼女は引っ込み、コーラス陣がリード・ヴォーカルを取り、奏者たちもそれぞれソロを回す曲をやり、その後にもう1曲だけレデシー出てきて歌って本編はおしまいという構成を取っていた。雑というわけではないが、普通の人間の生理に合わない(?)その流れについては些細な事ながら少し疑問を持ったかな。それとも、このセットだけの進め方だったのだろうか(そういう、感じもします)。
トゥイステッド・ウィール、ジェット
2010年1月6日 音楽 まず、前座で英マンチェスター拠点の新進3人組であるトゥイステッド・ウィールが出てきて、さくっとかます。音はもろにブリティッシュ・ビート調。見た目も、まあスタイリッシュ。普通、この手のビート感覚を持つバンドはベーシストはピック弾きするのが常道だろうが、ここのベーシストは手弾き。だから、どーしたってわけではないけど。彼らならではの個性を書き留めるのは難しいが、勘所はそれなりにおさえており、違和感なく見れる。けっこう、出音が大きかったな。
その後に、ジェットが登場(2004年2月4日、2009年7月25日)。サポートのキーボード奏者を加えてのパフォーマンス。別に驚きや目新しさは感じなかったが、良質の娯楽性を持つ、好ロックンロールを聞かせる。今日は昨日の同所公演に続く追加日だったらしいが、2階席は締め切っていた。新木場・スタジオコースト。しかし、ここって、こんなにお酒の種類が少なかったっけか。ビールのあと、バーボンを飲みたかったんだけど。価格設定も100円ほど高め。新年そうそう、ちょっぴり悲しくなった。
会場で会った知人と、そのまま新木場で飲む。そして、ほろ酔い気分で電車を乗り継ぎ、最寄り駅に降りたら、知人に声をかけられる。一瞬、びっくり。そちらは、今日実家から戻ってきて、知り合いと飲んできた帰りだという。すごい、偶然。これはちょい杯を重ねる必要があるでしょと、また流れる。今年も、“引き”は良さそうだ。で、まったく偶然入った店が、なかなかヒット。もろにラムやカシャーサら中南米酒に力を入れている雰囲気のいいバーで、知人とあららと顔を合わせる。
ところで、昼間にネット・ニュースを見て(ちゃんと新聞も読むくせに、昼間に原稿を書いていて何度かニュースをPCで引いてしまうのはなぜだろう)、自動車雑誌の「ナヴィ」が廃刊になることが報じられていて、いささか衝撃を受ける。この時勢、いろんな雑誌が廃刊になっているが、一番おどろいた? 昔、クルマが大好きだったころはしっかり毎月買っていた雑誌だったから。その影響で、ぼくはずっとマニュアル車に乗り続けているのかもしれない(今の車の選択は、エンジン誌の高評価もあってかな)。かつては広告もかなり入っていた記憶があるのだが、そんな雑誌が採算割れと聞いて、不況を肌で感じたぼくは脳天気すぎるのか。幸運なことにぼくの取り引き関係の廃刊はまだそれほど多くないが、少し覚悟しなければならないのかもしれない。ま、日々楽しんで、おもしろい(お金の取れる)原稿を書くしかないよな。
その後に、ジェットが登場(2004年2月4日、2009年7月25日)。サポートのキーボード奏者を加えてのパフォーマンス。別に驚きや目新しさは感じなかったが、良質の娯楽性を持つ、好ロックンロールを聞かせる。今日は昨日の同所公演に続く追加日だったらしいが、2階席は締め切っていた。新木場・スタジオコースト。しかし、ここって、こんなにお酒の種類が少なかったっけか。ビールのあと、バーボンを飲みたかったんだけど。価格設定も100円ほど高め。新年そうそう、ちょっぴり悲しくなった。
会場で会った知人と、そのまま新木場で飲む。そして、ほろ酔い気分で電車を乗り継ぎ、最寄り駅に降りたら、知人に声をかけられる。一瞬、びっくり。そちらは、今日実家から戻ってきて、知り合いと飲んできた帰りだという。すごい、偶然。これはちょい杯を重ねる必要があるでしょと、また流れる。今年も、“引き”は良さそうだ。で、まったく偶然入った店が、なかなかヒット。もろにラムやカシャーサら中南米酒に力を入れている雰囲気のいいバーで、知人とあららと顔を合わせる。
ところで、昼間にネット・ニュースを見て(ちゃんと新聞も読むくせに、昼間に原稿を書いていて何度かニュースをPCで引いてしまうのはなぜだろう)、自動車雑誌の「ナヴィ」が廃刊になることが報じられていて、いささか衝撃を受ける。この時勢、いろんな雑誌が廃刊になっているが、一番おどろいた? 昔、クルマが大好きだったころはしっかり毎月買っていた雑誌だったから。その影響で、ぼくはずっとマニュアル車に乗り続けているのかもしれない(今の車の選択は、エンジン誌の高評価もあってかな)。かつては広告もかなり入っていた記憶があるのだが、そんな雑誌が採算割れと聞いて、不況を肌で感じたぼくは脳天気すぎるのか。幸運なことにぼくの取り引き関係の廃刊はまだそれほど多くないが、少し覚悟しなければならないのかもしれない。ま、日々楽しんで、おもしろい(お金の取れる)原稿を書くしかないよな。
直枝政広(ヴォーカル、ギター)と太田譲(ベース、ヴォーカル)の二人になった日本人ロック・バンド(2003年10月3日、2004年12月12日、2006年4月14日)の新作『Velvet Velvet』はとんでもない傑作。とにかく、曲が含蓄豊かで出来が良い。で、ときに技ありで開かれた総体は、70年代から洋楽を聞いている者にとっては甘美さを口惜しいぐらい与えてくれる魔法のドロップみたい作品に仕上がっているのだ。と、書くと、少し後ろ向きな所を持つと思う人もいるかもしれないが、その一方で、前を見た意欲や迸りや発展の種ようなものも随所に埋め込まれていて、おおいに鼓舞されちゃうのだから! 祝日だし、家にいたい気持ちはなくはなかったが、こりゃ見なきゃと、渋谷・O-ウェストへ。
男性キーボード奏者と女性ドラマーをサポートに迎えて正々堂々、太い姿勢と質感たっぷりの実演を繰り広げる。新曲はもちろん、たぶん過去の代表曲もやったろう、そのショウはほぼ3時間。ひえ〜。もう、正の日本人のロックを堪能しまくりました。
会場で会った知人と流れた先で、どうしてあのドラマーを起用しているかというのが少し話題にのぼる。グルーヴがあまりないのと、音楽経験値の不足(たとえば、ザッパぽいインストでドラムが叩き込むときに、それがおこすカタルシスを理解していないから、譜割りでは間違ってなくてもなんかダイナミズムとパッションが欠けちゃう)は明らかだから。ちゃんと叩く人ではあるんだけど、最高峰のことをやっているから、こちらも高い目で見ちゃうのだ。男だけでやるより心が和むからかとか、女性コーラスがほしいからかとか、いろいろ見解が出ましたが。そういやあ、大学1年のとき学祭用にバンドを組んだ際、同じサークルにいたラモーンズしか叩けない女性ドラマーに入ってもらったんだけど(マミちゃん、元気ですかあ?)、リトル・フィートみたいなビート叩けとか無茶な要求したっけなー。
いやー。年末、いろいろ忙しい。このブログ原稿のアップはずっとほうっておいたが、生業の原稿はちゃんとこなし、締め切りもたぶん破っていないんじゃないかな。オレは偉い。と、最後に自画自賛。自分でおだてて、木に登りマース。
男性キーボード奏者と女性ドラマーをサポートに迎えて正々堂々、太い姿勢と質感たっぷりの実演を繰り広げる。新曲はもちろん、たぶん過去の代表曲もやったろう、そのショウはほぼ3時間。ひえ〜。もう、正の日本人のロックを堪能しまくりました。
会場で会った知人と流れた先で、どうしてあのドラマーを起用しているかというのが少し話題にのぼる。グルーヴがあまりないのと、音楽経験値の不足(たとえば、ザッパぽいインストでドラムが叩き込むときに、それがおこすカタルシスを理解していないから、譜割りでは間違ってなくてもなんかダイナミズムとパッションが欠けちゃう)は明らかだから。ちゃんと叩く人ではあるんだけど、最高峰のことをやっているから、こちらも高い目で見ちゃうのだ。男だけでやるより心が和むからかとか、女性コーラスがほしいからかとか、いろいろ見解が出ましたが。そういやあ、大学1年のとき学祭用にバンドを組んだ際、同じサークルにいたラモーンズしか叩けない女性ドラマーに入ってもらったんだけど(マミちゃん、元気ですかあ?)、リトル・フィートみたいなビート叩けとか無茶な要求したっけなー。
いやー。年末、いろいろ忙しい。このブログ原稿のアップはずっとほうっておいたが、生業の原稿はちゃんとこなし、締め切りもたぶん破っていないんじゃないかな。オレは偉い。と、最後に自画自賛。自分でおだてて、木に登りマース。
18時からのインタヴューのため最寄りの六本木駅に降りたら、だっせえ(ROPPONGIという電飾が各ポールごとに付けられる)電飾が通り沿いに延々付けられている。なんか成金趣味というか。それなりにはお金をかけているんだろうから、もっと趣味のいいものにすればいいのに。余計に、六本木が嫌いになる。その後、丸の内・コットンクラブに向かう。一番早く着く手段としてタクシーに乗ったものの、途中のお堀周辺はそこそこな渋滞。ちぇっ。皇居前の広場の横を通るとテントが沢山設営されていたが、そうか明日はお誕生日なのね。丸の内に入ると、かつて大規模な電飾がほどこされ年末は名所的な扱いを受けていた通りの木々にシンプルな電飾が付けられていた。それでも、綺麗。地下鉄ではなく地上の通りを行くと、いろいろなことが発見できるな。もともとクリスマス・シーズンを街頭の木々などを飾って祝うというのは海外のやり口だと思うが、いまや日本でもそうした街中電飾は師走の風物詩と言えるのか。
だいぶ遅刻しちゃったものの、コットンクラブ(ファースト・セット)でニコール・ヘンリー(2008年4月25日、2009年11月18日)。今回は、マイアミ在住の奏者で組まれた自分付きのピアノ・トリオをサポートにおいての実演。ぼく、彼女のファンです。時節柄、クリスマス・ソングも披露。彼女のショウには控え目ながらとても趣味の良いイルミネーションが付けられていた、と書いておきましょうか。終演後、忘年会に向かう。だいぶ、肝臓つかれぎみ。けっこう知らない人もそこにはいたが、気をつかいたくなかったので、知っている人とだけ話す。人間、そういうときもあるサ。素直に電車がある時間においとましたのだが、途中乗り換え地点の渋谷でつかまる。むにゃむにゃ。夜半にタクシーに乗ったら、今日が忘年会のピークなんですってねと、運転手さんから先日と同じようなことを言われる。うぬ、師走じゃ。
だいぶ遅刻しちゃったものの、コットンクラブ(ファースト・セット)でニコール・ヘンリー(2008年4月25日、2009年11月18日)。今回は、マイアミ在住の奏者で組まれた自分付きのピアノ・トリオをサポートにおいての実演。ぼく、彼女のファンです。時節柄、クリスマス・ソングも披露。彼女のショウには控え目ながらとても趣味の良いイルミネーションが付けられていた、と書いておきましょうか。終演後、忘年会に向かう。だいぶ、肝臓つかれぎみ。けっこう知らない人もそこにはいたが、気をつかいたくなかったので、知っている人とだけ話す。人間、そういうときもあるサ。素直に電車がある時間においとましたのだが、途中乗り換え地点の渋谷でつかまる。むにゃむにゃ。夜半にタクシーに乗ったら、今日が忘年会のピークなんですってねと、運転手さんから先日と同じようなことを言われる。うぬ、師走じゃ。
MONO。エリック・ベネイ
2009年12月21日 音楽 海外ベースの日本人インスト・ロック・バンド、MONO(2001年10月18日、2007年6月7日)の渋谷・Oイースト公演はとっても特別製。結成10周年となる彼らはそれに際して、5月に26人編成オーケストラと共演する公演をNYで行い好評を得たのだが、それを母国にもってきた、という内容をこの晩の公演は持つ。
見た目がかなり若い日本人奏者が集まったオーケストラ(ミュージック・アート・ロマンティック・オーケストラと命名されている)はこの実演のために組まれたもののようで、コンサート・マスターはNHK交響楽団(2009年9月4日)でもそれを務めている人が担うとか。そして、指揮者はデイヴ・マックス・クロウフォードという外国人で、NYでやったときとは違う人のようだ。彼は客側から向かってステージ左端に横を見て立ち、指揮者と対面するオーケストラの面々は聴衆には横顔を見せる感じで、細長く(縦長に)位置する。NY公演の写真を見ると、オケはステージに普通の配置にて上がっているので、この晩のけったいなセッティングはステージの奥行きがないためになされたものと推測される。そしてMONOの面々は毎度のことという感じで淡々とオーケストラの前で演奏しはじめる。バンド音とオーケストラ音が拮抗するというものではなく、バンド音の深みや奥行きを付けるためにオーケストラ音がバンド音に寄り添っていく、という所感をぼくは得た。ただ、電気増幅のバンド音に比して、オケの音は小さかった。ともあれ、見た目だけでもかなり変テコで、こりゃいい(レアな)ものに触れさせてもらったナという気分になった。で、それを実行できちゃうMONOはすげえな、とも。スコアは誰が書いたのだろう?
途中まで見て、次はエリック・ベネイ@南青山・ブルーノート東京。サポートはキーボード、ベース、ドラムと簡素。コーラス音も含めプリセット音併用で、もう少しサポート人数を増やしてほしい。とともに、今回はベネイの格好が普通というか、少し安っぽい感じで、時節柄もあり(クリスマス・ソングも歌いました)もっと気張ってよと、ぼくは言いたくなった。とはいえ、客さばきも巧みに、ベネイ(1999年7月11日、2005年9月29日、他)は視野を広めに取る熟れてる優男ソウル・ショウをまっとう。彼はもともとカヴァー曲も笑顔でやっちゃう人だが今回はデイヴィッド・フォスター絡みの曲を次々に繰り出す場面も。女優のハル・ベリーと離婚しセックス依存症であることが衆知の事実になったころ、彼はワーナー・ブラザースから切られてしまいトホホの体、そんなベネイに温かく手を伸ばし、業界政治力で再び彼がワーナー(リプリーズ)と契約できる道を切り開いてくれた恩人がフォスターなのだ。昔、やったインタヴューで彼はそのことをありがたや〜と語っていたが、ここまでしおらしく感謝の念を出すとは。いい人というか、けっこう任侠の人なのかも。でも、彼が日本でがんがん打ちまくっている、なんて話を聞いたほうがぼくはうれしくなるが。
見た目がかなり若い日本人奏者が集まったオーケストラ(ミュージック・アート・ロマンティック・オーケストラと命名されている)はこの実演のために組まれたもののようで、コンサート・マスターはNHK交響楽団(2009年9月4日)でもそれを務めている人が担うとか。そして、指揮者はデイヴ・マックス・クロウフォードという外国人で、NYでやったときとは違う人のようだ。彼は客側から向かってステージ左端に横を見て立ち、指揮者と対面するオーケストラの面々は聴衆には横顔を見せる感じで、細長く(縦長に)位置する。NY公演の写真を見ると、オケはステージに普通の配置にて上がっているので、この晩のけったいなセッティングはステージの奥行きがないためになされたものと推測される。そしてMONOの面々は毎度のことという感じで淡々とオーケストラの前で演奏しはじめる。バンド音とオーケストラ音が拮抗するというものではなく、バンド音の深みや奥行きを付けるためにオーケストラ音がバンド音に寄り添っていく、という所感をぼくは得た。ただ、電気増幅のバンド音に比して、オケの音は小さかった。ともあれ、見た目だけでもかなり変テコで、こりゃいい(レアな)ものに触れさせてもらったナという気分になった。で、それを実行できちゃうMONOはすげえな、とも。スコアは誰が書いたのだろう?
途中まで見て、次はエリック・ベネイ@南青山・ブルーノート東京。サポートはキーボード、ベース、ドラムと簡素。コーラス音も含めプリセット音併用で、もう少しサポート人数を増やしてほしい。とともに、今回はベネイの格好が普通というか、少し安っぽい感じで、時節柄もあり(クリスマス・ソングも歌いました)もっと気張ってよと、ぼくは言いたくなった。とはいえ、客さばきも巧みに、ベネイ(1999年7月11日、2005年9月29日、他)は視野を広めに取る熟れてる優男ソウル・ショウをまっとう。彼はもともとカヴァー曲も笑顔でやっちゃう人だが今回はデイヴィッド・フォスター絡みの曲を次々に繰り出す場面も。女優のハル・ベリーと離婚しセックス依存症であることが衆知の事実になったころ、彼はワーナー・ブラザースから切られてしまいトホホの体、そんなベネイに温かく手を伸ばし、業界政治力で再び彼がワーナー(リプリーズ)と契約できる道を切り開いてくれた恩人がフォスターなのだ。昔、やったインタヴューで彼はそのことをありがたや〜と語っていたが、ここまでしおらしく感謝の念を出すとは。いい人というか、けっこう任侠の人なのかも。でも、彼が日本でがんがん打ちまくっている、なんて話を聞いたほうがぼくはうれしくなるが。
ニコラ・コンテ・ジャズ・コンボ。ロバート・グラスパー・エキスペリエンス
2009年12月19日 音楽 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。今、ブルーノートは日曜日だけでなく、土曜日も開演が“休日時間”となり早くなっているのか。遅刻してしまった。注意ちゅうい。イタリアのクラブ派生ジャズ・ムーヴメントの中心人物たるDJ/プロデューサーが率いる、イタリアの確かな若手奏者が集ったジャズ・コンボのパフォーマンス。サックスとトランペットの二管、ピアノ、ベース、ドラムス。そして、コンテもギター(演奏はこわさないが、いなくてもいい)で参加する。トランペットはザ・ハイ・ファイヴ・クインテットの人気者、ファブリツィオ・ボッソ(2008年11月16日)だ。今様視点でおいしく聞こえるハード・バップを気軽に、ほんの少し自己主張を込めてやりましょう、という実演。コンテのオリジナルもやったろうが、「処女航海」や「キャラヴァン」などベタなジャズ有名曲もいろいろ忌憚なく、程よいアダプテーションを噛ましつつ送り出す。また、イタリア人ジャズ歌手のアリーチェ・リシャルディがけっこうな割合で加わって、華と変化を添える。彼女、前回の単独公演時(2008年7月24日)より、綺麗に見えたかも。
そして、丸の内・コットンクラブに移動。ヒップホップ時代のリアル・ジャズを送り出そうとする、今年2度目となるロバート・グラスパー(2009年4月13日、他)のパフォーマンスを見る。前回来日後に、彼は旧来のトリオ単位にヴォコーダー/サックス奏者を加えて、さらに一聴ポップで軟派なところもありつつ酔狂度数を高めた路線を提示した『ダブル・ブックド』(ブルーノート)をリリースしたわけだが、今回はそこでお披露目した新カルテットによるもの。ピアノ/電気ピアノのグラスパーに加え、ヴォコーダー/サックスのケイシー・ベンジャミン、電気ベースだけを弾いたデリック・ホッジ(2009年3月26日)、実はグラスパーよりも拍手が大きかったかもしれなく現在かなり注目されてる変調ドラマーのクリス・デイヴという布陣。で、その演奏は、CDよりもベター。というのも、丁々発止しつつ、それぞれの個体の顔がちゃんと見えることをやっていたから。センスはいいと言えないがイカレた髪型をしていたベンジャミンはサックスよりショルダー・キーボードを肩にかけてヴォコーダー加工のヴォーカルを担当する事が多く、ベースのホッジもけっこう弾き口は電気ベースとしては間を重視し変則的。で、フォーリィ(2009年9月5日)とも仲良しのデイヴのドラミングはやはり面白すぎ。身体の中に正しいパルスを保ちつつも、そのなかでなんかコワれてて、ときに爆裂でもあるイビつなビートを自分流儀で叩き倒していて。あれは、ある種の聞き手をしっかり引き付けるワ。そんなサイド・マン演奏のもとグラスパーは指を踊らす(今回はピアノより電気ピアノを弾く頻度のほうが高い)のだが、これまでで一番弾かない公演でもあったはず。でも、それもグループ表現としてみれば、アリ。
両会場とも、見事にフル・ハウス。不況なんて、嘘みたい。とくに、グラスパーのほうは同ヴェニュー一番の入りだったという。
そして、丸の内・コットンクラブに移動。ヒップホップ時代のリアル・ジャズを送り出そうとする、今年2度目となるロバート・グラスパー(2009年4月13日、他)のパフォーマンスを見る。前回来日後に、彼は旧来のトリオ単位にヴォコーダー/サックス奏者を加えて、さらに一聴ポップで軟派なところもありつつ酔狂度数を高めた路線を提示した『ダブル・ブックド』(ブルーノート)をリリースしたわけだが、今回はそこでお披露目した新カルテットによるもの。ピアノ/電気ピアノのグラスパーに加え、ヴォコーダー/サックスのケイシー・ベンジャミン、電気ベースだけを弾いたデリック・ホッジ(2009年3月26日)、実はグラスパーよりも拍手が大きかったかもしれなく現在かなり注目されてる変調ドラマーのクリス・デイヴという布陣。で、その演奏は、CDよりもベター。というのも、丁々発止しつつ、それぞれの個体の顔がちゃんと見えることをやっていたから。センスはいいと言えないがイカレた髪型をしていたベンジャミンはサックスよりショルダー・キーボードを肩にかけてヴォコーダー加工のヴォーカルを担当する事が多く、ベースのホッジもけっこう弾き口は電気ベースとしては間を重視し変則的。で、フォーリィ(2009年9月5日)とも仲良しのデイヴのドラミングはやはり面白すぎ。身体の中に正しいパルスを保ちつつも、そのなかでなんかコワれてて、ときに爆裂でもあるイビつなビートを自分流儀で叩き倒していて。あれは、ある種の聞き手をしっかり引き付けるワ。そんなサイド・マン演奏のもとグラスパーは指を踊らす(今回はピアノより電気ピアノを弾く頻度のほうが高い)のだが、これまでで一番弾かない公演でもあったはず。でも、それもグループ表現としてみれば、アリ。
両会場とも、見事にフル・ハウス。不況なんて、嘘みたい。とくに、グラスパーのほうは同ヴェニュー一番の入りだったという。
この日は、忘年会→ライヴという順序にて、私の夜は更けていく。南青山・プラッサオンゼ。
<Feliz Natal>〜ポルトガル語でメリー・クリスマスの意味だという〜と題された出し物で、ディレクションをするTOYON0(2009年9月26日、他)を中心に月路奏、Nobie、yuki、4人の女性ヴォーカリストがフロントに立つ。皆さん、黒系の服でシックにまとめていましたね。そして、ギター、キーボード、打楽器がサポート。取り上げるのは広義のクリスマス・ソングで、それらをどこかにブラジリアン・テイストを通しつつ、フレッシュにして柔らかい女性コーラスで紡いでいくという趣向のパフォーマンス。会場内には、いつも以上にファミリアな気分が流れる。この晩のショウのためにすべては用意されたもののようで、プレミアムね。
見ていてどんどんいい気持ちになってきて、ビールを2杯飲んだ後、ブラジル産のワイン(アルゼンチン寄りで作られるらしい)があるというので、開ける。ほわーんと真夏のクリスマスに思いをはせる。ブラジルのサンタクロースも冬っぽい格好をしているのかなあとか、誘う女性声群に触れつつ、いろんな夢想に走りました。もし、多くの大陸や人口が南半球に集中していたら、地球の価値観はどう違っていたろうか。無宗教でキリスト教との親和性は持たないが(なぜか、小川町周辺でぼくが牧師の息子だというガセねたが出たことがあったなー)、クリスマスにはいい思い出がいっぱいで、ほんわかした気持ちになれる。と、書くとモテた奴のようだが、それは主に小僧だったころの思い出に依る。
ぼくにとってクリスマス(・イヴ)というのは、いろんなうれしいことの最たる代名詞のようなものだったのだ。2学期が終了し冬休みに突入、これから当分お休みだァという開放感とともに、クリスマス・プレゼントを買ってもらい、その晩にはケーキをはじめ、いろんなものが食卓にのる……。ツリーを置きたいとねだって、飾り付けとかしたのもいい記憶としてあるし、なんかきらきらしたイメージで一杯だな。そんなぼくは、小学校低学年のころにはサンタクロースにまつわる話はおかしいんじゃいかと思うようになり、半信半疑ながら母親にサンタさんは本当はいないんでしょと訊ねたことがあった。彼女が少しとまどいつつ肯定するのを聞いて、サンタの存在をしっかり信じていた姉は泣き出しちゃったんだよな。そのとき、実は平静を装いつつ、ぼくは子供心にパンドラの箱を開けちゃったなーみたいな(そのころはパンドラの箱なんて言葉、知りませんでしたが)寂寥感にとらわれたのをとてもよく覚えている。そんなビターな思い出込みで、ぼくにとってクリスマスは新しい世界/未知のものへの好奇心の“扉”のようなものだったのではないか。
年が明けると、真夏のオセアニアの公演の行き帰りのアクトの公演が多くなるなあ。
古い知人とも会い杯を重ねたりして、けっこう酔っぱらっちゃったナリ。夜半、帰りにタクシーに乗ったら、「お客さん、忘年会は今日がピークなんですってね」と言われる。現実に引き戻される←嘘。あれれ、数年前にも同じ台詞を年末にタクシーに乗ってかけられたような。帰宅したらそんなに眠くない気もしたので、雑誌原稿を書くことになっている、モンティ・パイソン出身のテリー・ギリアムの新しい映画「Dr.パルナサスの鏡」を見はじめたが、起きたら昼間。映画のなかの博士がサンタクロースの格好していて、ぼくと一緒に不思議世界を徘徊する夢を見ちゃった……。うー、師走。
<Feliz Natal>〜ポルトガル語でメリー・クリスマスの意味だという〜と題された出し物で、ディレクションをするTOYON0(2009年9月26日、他)を中心に月路奏、Nobie、yuki、4人の女性ヴォーカリストがフロントに立つ。皆さん、黒系の服でシックにまとめていましたね。そして、ギター、キーボード、打楽器がサポート。取り上げるのは広義のクリスマス・ソングで、それらをどこかにブラジリアン・テイストを通しつつ、フレッシュにして柔らかい女性コーラスで紡いでいくという趣向のパフォーマンス。会場内には、いつも以上にファミリアな気分が流れる。この晩のショウのためにすべては用意されたもののようで、プレミアムね。
見ていてどんどんいい気持ちになってきて、ビールを2杯飲んだ後、ブラジル産のワイン(アルゼンチン寄りで作られるらしい)があるというので、開ける。ほわーんと真夏のクリスマスに思いをはせる。ブラジルのサンタクロースも冬っぽい格好をしているのかなあとか、誘う女性声群に触れつつ、いろんな夢想に走りました。もし、多くの大陸や人口が南半球に集中していたら、地球の価値観はどう違っていたろうか。無宗教でキリスト教との親和性は持たないが(なぜか、小川町周辺でぼくが牧師の息子だというガセねたが出たことがあったなー)、クリスマスにはいい思い出がいっぱいで、ほんわかした気持ちになれる。と、書くとモテた奴のようだが、それは主に小僧だったころの思い出に依る。
ぼくにとってクリスマス(・イヴ)というのは、いろんなうれしいことの最たる代名詞のようなものだったのだ。2学期が終了し冬休みに突入、これから当分お休みだァという開放感とともに、クリスマス・プレゼントを買ってもらい、その晩にはケーキをはじめ、いろんなものが食卓にのる……。ツリーを置きたいとねだって、飾り付けとかしたのもいい記憶としてあるし、なんかきらきらしたイメージで一杯だな。そんなぼくは、小学校低学年のころにはサンタクロースにまつわる話はおかしいんじゃいかと思うようになり、半信半疑ながら母親にサンタさんは本当はいないんでしょと訊ねたことがあった。彼女が少しとまどいつつ肯定するのを聞いて、サンタの存在をしっかり信じていた姉は泣き出しちゃったんだよな。そのとき、実は平静を装いつつ、ぼくは子供心にパンドラの箱を開けちゃったなーみたいな(そのころはパンドラの箱なんて言葉、知りませんでしたが)寂寥感にとらわれたのをとてもよく覚えている。そんなビターな思い出込みで、ぼくにとってクリスマスは新しい世界/未知のものへの好奇心の“扉”のようなものだったのではないか。
年が明けると、真夏のオセアニアの公演の行き帰りのアクトの公演が多くなるなあ。
古い知人とも会い杯を重ねたりして、けっこう酔っぱらっちゃったナリ。夜半、帰りにタクシーに乗ったら、「お客さん、忘年会は今日がピークなんですってね」と言われる。現実に引き戻される←嘘。あれれ、数年前にも同じ台詞を年末にタクシーに乗ってかけられたような。帰宅したらそんなに眠くない気もしたので、雑誌原稿を書くことになっている、モンティ・パイソン出身のテリー・ギリアムの新しい映画「Dr.パルナサスの鏡」を見はじめたが、起きたら昼間。映画のなかの博士がサンタクロースの格好していて、ぼくと一緒に不思議世界を徘徊する夢を見ちゃった……。うー、師走。
品川・ステラボール。景気付けにビールを買おうとしたら、かなりな列。2階席だったので、購入を断念。ちぇっ。プリンスホテル所有のここの飲み物販売オペレーション、トロいよな。客はけっこうな入り。前日も彼らはO-イーストでやっているはずで、かなりな動員じゃ。シケた話が多いここのところの音楽回りだが、いいロック・バンドがちゃんと支持を集めていて、なにより。
在NY男女混成トリオ(2007年2月19日、他)の冒頭曲は、15分近い一発っぽいジャム演奏。ギターは刺々しくも、飛翔する。かっこいい。こういう演奏(フリー・ミュージック要素をロック・バンド流儀で活用する)に触れると、ソニック・ユース(2007年4月20日、他)はもうぼくには必要ないかもと思えたりも。そして、その後はときに楽器を持ち替えたりして(リード・ヴォーカルは3人とも取る)、DIY感覚もありの、歌心と含蓄にも満ちた、機知と機微が吉と出るロック表現を飄々と披露して行く。自由自在。彼らを見て、ダンナとこういうバンドを組みたくなったと話す知人も。そういう事を思わせるバンドって、いいナ。ではあるものの、忘年会があり、1時間見て退出。少し、ぐすん。あー、師走。
在NY男女混成トリオ(2007年2月19日、他)の冒頭曲は、15分近い一発っぽいジャム演奏。ギターは刺々しくも、飛翔する。かっこいい。こういう演奏(フリー・ミュージック要素をロック・バンド流儀で活用する)に触れると、ソニック・ユース(2007年4月20日、他)はもうぼくには必要ないかもと思えたりも。そして、その後はときに楽器を持ち替えたりして(リード・ヴォーカルは3人とも取る)、DIY感覚もありの、歌心と含蓄にも満ちた、機知と機微が吉と出るロック表現を飄々と披露して行く。自由自在。彼らを見て、ダンナとこういうバンドを組みたくなったと話す知人も。そういう事を思わせるバンドって、いいナ。ではあるものの、忘年会があり、1時間見て退出。少し、ぐすん。あー、師走。
DVD化もされた、T・ボーン・バーネット制作の『Akiko』派生の米国人バンドとのライヴ(2008年12月14日)、その続編。と、言っていいかな。矢野(ヴォーカル、ピアノ)、マーク・リーボウ(ギター、バンジョー)、ジェニファー・コンドス(ベース)、ジェイ・ベルローズ(ドラム)という、初回時と同じメンバー。うれしい。が、一年ぶりに再会した当人たち(11 月に矢野とリーボウはNYでデュオの公演をしているようだが)が誰よりもそう感じていたのではないか。渋谷・NHKホール。
天衣無縫な彼女はmimi(2006年12月18日、他)ばりの巨大なアフロ調の髪型のもと、ステージに登場。着替えてアンコールに出てきたときはストレートな髪だったので、それはウィッグだったんだけど、そういう他愛ないことを年に一度の大きなコンサートでやってしまう精神ににっこり。楽しんじゃおう、それがショウの根幹にある大きな項目であるのは疑いがない。まあ、“さとがえるコンサート”と名付けられたこの年末の公演は毎年恒例になっており固定の客も多いゆえ、こういう変化球が容易に出しやすい部分はあるかもしれないが。
ちゃんと立った顔やミュージシャンシップを持つ4人がお互いにそれを認めて自在に重なり、そこから矢野顕子ならではの歌や節使いや指さばきや感情がわき上がる。途中、弾き語りのパートをはさみ、約2時間。今回、新たに披露される曲もあり。明けて出る彼女の新作はピアノ弾き語り作のようだが、じきにこの4人でのスタジオ録音作も録ってほしいナ。それは新曲でなくても……。この大人の野生を持つカルテットでやれば、どんな楽曲や素材であっても、美味しい息吹や輝きが与えられる。あ、でも、それは弾き語りでもそうか。
天衣無縫な彼女はmimi(2006年12月18日、他)ばりの巨大なアフロ調の髪型のもと、ステージに登場。着替えてアンコールに出てきたときはストレートな髪だったので、それはウィッグだったんだけど、そういう他愛ないことを年に一度の大きなコンサートでやってしまう精神ににっこり。楽しんじゃおう、それがショウの根幹にある大きな項目であるのは疑いがない。まあ、“さとがえるコンサート”と名付けられたこの年末の公演は毎年恒例になっており固定の客も多いゆえ、こういう変化球が容易に出しやすい部分はあるかもしれないが。
ちゃんと立った顔やミュージシャンシップを持つ4人がお互いにそれを認めて自在に重なり、そこから矢野顕子ならではの歌や節使いや指さばきや感情がわき上がる。途中、弾き語りのパートをはさみ、約2時間。今回、新たに披露される曲もあり。明けて出る彼女の新作はピアノ弾き語り作のようだが、じきにこの4人でのスタジオ録音作も録ってほしいナ。それは新曲でなくても……。この大人の野生を持つカルテットでやれば、どんな楽曲や素材であっても、美味しい息吹や輝きが与えられる。あ、でも、それは弾き語りでもそうか。
ケルティック・クリスマス
2009年12月12日 音楽 毎年恒例となっているケルト系アクトがいろいろ出るイヴェント、錦糸町・すみだトリフォニー・ホールでの同公演はカトリオーナ&クリス、アヌーナ、アルタンの順に出演。最後は3組一緒にパフォーマンスもする。カトリオーナ&クリスは人気者で、アヌーナとアルタンの両者から一緒にやりたいとリクエストがあったとか。どの出演者も、女性を含む編成。ケルト音楽はもともと男女差のない世界なのだろうか? な〜んてことをふと頭の片隅で考える。
カトリオーナ&クリスとアルタンは一週間前(2009年12月6日)に見たばかりだが、けっこう気分で進め方を変えていたりもするのだろうな。当然、根本は変わらぬが、受けた所感は過剰に既聴感なし。ま、それこそは当人たちもフレッシュにギグをこなせる所以ではあるのだろうけど。特に、アルタンは曲/構成もそれなりに変えていたような。アンコールでマレード・ニ・ウィニーがギター一本をバックに歌ったゆったり曲は胸にしみました。
そして、まん中に出た、アヌーナ(2007年12月15日)。アイルランドの大昔の宗教歌や伝承歌+αを今にワープさせようとするアカペラ集団(今回は女性7人、男性6人という編成)だが、やはり特殊で、視覚的にもとても綺麗で、ビミョーな力あふれていた。基本、みんなステージに立って歌うわけだが、ときに女性陣は1階/2階客席に出てきて、歌いながら移動したり……興味深すぎる3Dしなやか肉声表現だよなあ。もう浮世離れしていて、荘厳、静謐。一聴(一見)、クラシック流れとも言いたくなるお硬さや痒さを与えもするが、そのヴェールを1枚めくったところにある闊達さや自立感や創意の欠片の在処の興味深いこと。今回、リーダー/ディレクターのマイケル・マクグリンにいろいろ話を聞いたのだが、な〜るほど、そういう成り立ちであったのか(殆ど、語れてないよなー)。彼、一見とっつぁん坊やで、猫撫で声でしゃべる様(ダブリン生まれ/育ちながら、訛りのない綺麗な英語を話す)はオカマ風というか公家調(?)なのだが、次々ツっぱった発言が出てきてびっくり。で、結果的にすげえ変人だァと痛感させられるわけだが、とにかく、その発言を知ると、アイルランドの何かに根ざしつつ過去と現在を行き来しようとするそのコーラス表現にある本懐は明瞭に納得できるわけで……。そのインタヴューの抜粋を以下に載せておく。
○ 子供のころはどんな音楽が好きだったのでしょう?
「最初に熱くなった曲は、デイヴィッド・ボウイの“ライフ・オン・マーズ”だ。彼のことは今でも好き。そういえば、最初の子供が生まれて3日後に彼の公演がダブリンであって、見に行ったことがあった。妻(アヌーナの構成員の一人。子育のためだろう、来日には同行していない)も彼のファンだったので、携帯で中継してあげたんだ。そんなわけで、必ずしもクラシックに浸っていたわけではないし、間違ってもトラディッショナルを愛好してはいなかった」
○なら、子供のころはデイヴィッド・ボウイのようになりたかった?
「いや、彼のようになりたいとは思わなかったな。だって、彼はスターの資質を持つ人だけど、僕にはそれはなく、裏でものを作るタイプの人間だと知っていたから。デイヴィッド・ボウイはスターであることと実質を持つミュージシャンであることを両立させた初めての人なんじゃないかな」
○ クラシックの教育はちゃんと受けているんですよね?
「一応まなんでいることは学んでいるし学位も取っているけど、僕の教育的背景としては一部と言える。とくに、クラシックはクラシック、トラッドはトラッドといったように、それぞれの音楽がきっちりと括られているのが、僕は馴染めなかった。僕の興味はもっと広いし、実際クラシックの公演なんか滅多に行かないな。それだったら、ジャズのコンサートに行ったほうがいい。好きな作曲家はと問われれば、ドビュッシーと答えるけど、好きなシンガーはと問われれば、デイヴィッド・シルヴィアンと僕は答える」
○ そんなあなたは、どうしてアヌーナのような合唱団を主宰するようになったのでしょう。
「作曲家ではいられないという、焦燥感のようなものかな。世にパン屋や漁師や左官屋がいるように、芸術家はそれと同じく世の中の一部でしかない。そう思う僕は、アートの世界のスノッブな感じというのがとても許せなかった。なので、ただコンポーザーとして実態のないまま、そのスノッブな場所に存在するのがイヤだったんだ。そう思いつつ音楽理論やその歴史を学んでいくなかで、自分の進む道、自分が社会に問うべきこととして見えたのが、合唱だった」
○ 大学時代は音楽以外に、どんなことを学んでいました?
「専攻は音楽より英文学を熱心に取っていた。ダブリン大学とトリニティ・カレッジに学んだんだけど、トリニティでは中世の英語を勉強し、大学院にも進んだ。そっちのほうは、修士論文をバスの座席に置き忘れて紛失してしまい〜そのころは、パソコンなんて使っていなかったからね〜、ならもういいやという感じで、卒業はしなかったけど。僕の双子の弟のジョンはロックをやっていたけど、今は共同ディレクターのような形でアヌーナにも関わっているんだ。けど、そういう兄弟が関与しているからこそという部分が、アヌーナにはあると思う。僕はバンドは組まなかったけど、やはりあちこちで歌っていたんだよ。アイルランドには僕たちみたいな音楽家はいないし、いても知らない。何もない所から、僕はアヌーナを作り上げたんだ」
○ アヌーナを組んだのはいつ?
「23歳。合唱を最初にしたのが19歳のときで、それまでクワイアーで歌ったことはなかった。レパートリーはメシアンとかで、1時間半あまりの演目を終えたときに、僕は非常に怒りを覚えた。だって、こんなに美しい歌があるのに、それまで受けてきた音楽教育ではまったく教えてもらうことはなかった……そうした、システムの不備に対する怒りが沸々と湧いてきたんだ。でも、そうしたシステムを通ってこなかったからこそ、僕はもっと自由に合唱をやれると思ったときには、その怒りが少し薄れた。他に素晴らしい音楽があることを、僕は知っている。それをいろいろと持ってきて、新しい表現を作る事ができるんじゃないかと思ったんだ。合唱はとても素晴らしいもの、日本でもそうだろうと思うけど、だけど一方ではエリート主義が蔓延っていたりする。そういうものをとっぱらって、歌っている人もオーディエンスも同じなんだよというあり方を提示できるかなと思ったのは、その晩だった」
○ あなたが持つヴィジョンはすぐに、他の人にも分かってもらえた? それとも試行錯誤したのですか。
「全然、分かってもらえなかった。僕が言っていることが間違っているのかなとも思ってしまったよ(笑い)」
○ それで、もう20年もアヌーナをやっているけど、ターニング・ポイントと感じることは?
「いろいろあると思う。アヌーナは普通テンプレートがあるべきところ、なしでやってきているから、毎日がターニング・ポイントであり、試行錯誤の連続だね。大きい最たるものは96年で、“リバーダンス”のシンガー/ディレクターをやめたとき。ボスというのは一つのプロジェクトで一人しかありえないから、去ったんだ。それで、自腹を切ってファースト・アルバムを作った。貯金をはたいてね。あの頃、ああいいう事をしていた人はいないので、アルバムを買ってくれる人がいるかどうかも分からなかったけど、情熱の向くまま、最初のアルバムを作ったんだ。そのころ、アヌーナを始めて6年たっていたので、溜まっていたものはあったしね。ロバート・フロストの言葉ではないけど、駄目と言われる事、どうなるか分からない事を自分で責任を負ってやった、ということだ」
○ “リバーダンス”のプロジェクトは最初から関わっていたんですか。
「そう言っていいと思う。あれは、あちこちから派生したものを組み合わせたプロジェクトだった。ザ・チーフタンズがいて、ジーン・バトラーとマイケル・グラットレーのダンサーがいて、アンディ・アーヴァインらミュージシャンがいて、彼らが僕の歌に興味を持っていて、そういった人たちが“リバーダンス”の前身となったわけだ。で、“リバーダンス”として動き出した最初の6ヶ月は本当に刺激的だった。本当にダンサーもミュージシャンも素晴らしい人が揃っていたし、アヌーナもその中で特異な存在として注目を集めたし。トラッドなアイリッシュ音楽だけではなく、東欧からの影響とか、いろんなものものを示すことも出来たし、アイルランドの若い力みたいなものも出せたと思う。だけど、本当にそれが素晴らしかったのは95年の半ばぐらいまでだね。その後は、こんなコマーシャルな事は勘弁してくれと感じるようになってしまった。そもそもお金のためだったら、僕は音楽をやっていないからね。“リバーダンス”をやって良かったと思うのは、僕たちのような風変わりなコーラスを広く聞いてもらえる事ができたことに尽きる。ほんとに僕たちのコーラスはユニーク。唯一、やっていることは違うけど、先達としてクラナドがいるぐらいかな。“リバーダンス”で一番エキサイティングだったのは初めて聞くタイプのコーラスをやるアヌーナを聞けたことと、エルヴィス・コステロにほめられたのはうれしかった。僕たちは映画音楽にもとても影響を与えたみたいで、アヌーナぽいのが欲しいとか、ハリウッドでも言われているそうなんだ。僕はアイルランドやその音楽に対する誇りもあってアヌーナを始めたわけで、だからちゃんと評価を受けて軌道に乗ったのはうれしい。でないと、自尊心のあるアーティストでいれなくもなるしね」
○ レパートリーをいろんなところから取っていて、いろんな言語が用いられていますよね。その理由は?
「僕たちがやっていることのほとんどは、オーセンティックなものではない。正直言って〜実はぼくは正直ではなく、だから普通は昔の話はしないけど〜基本、僕は自分で聞きたい曲しか作らない。ケイト・ブッシュは自分のアルバムを聞かないと言ったけど、だったらなんで作るのと、僕は思う。話は脱線したけど、一般的な音楽の魅力のポイントはソウルフルさとか心に訴えるかとかなんだけど、僕の場合はそこに言葉が先に立つんだ。ラテン語、英語、アイルランド語とかいろいろだけど、歌われている言葉の響きに留意し、何語で歌うかを音楽のサウンドのスタイルを決めて行くわけさ」
○ これまで、アヌーナには沢山の人がメンバーとして出入りしているはずです。どんな基準でその構成員を選ぶんでしょうか?
「もう200人以上の人が出入りしたと思う。小さな国だし、その運営は楽ではない。寄ってくる人も多いけど、こちらから求めるものも多いからねえ。アヌーナに残る人は僕と同じぐらい情熱を持っている人。4、5年いては出て行くという人が多かったけど、ここ5年ぐらいの動きでは、2、3年いて出て、また戻ってくるという人が出てきている。それで、思い当たるのは、僕自身変わってきているからかなということ。感情でモノを判断していた所が大分自制するようになってきているから、それでアヌーナが居心地のいい場所になってきているのかもしれないな(笑い)。基本、オーディションはやっておらず、選ぶ基準は直感だね。それから、トレーニングをちゃんと受けたシンガーはあまり取っていないよ」
○ いろいろ種類が出ていますが、アルバムはコンセプトありきで作っている?
「いいや。コンセプチュアルな音楽材料を用意するといっても、曲を書く時間がない。だって、今、オフィイスで20人分ぐらいの仕事をしているから。そのため、二人の子供の相手をして、ふっとインスピレーションが湧くとピアノの前に走るというような生活をしているんだ。どうやって、アルバムの材料を用意しているかというのは二つの答えを用意するので、好きなほうを使ってもらえれば。その1、私はとてもアーティスティックな人間なので、何かにつけて古代の森に彷徨い、そこをふらふら歩き、そこからインスピレーションを受けて出てきたものが、アルバムに反映されます。その2、時間があるときだけ作曲活動にいそしみ、現実と音楽活動とのギャップを埋めるかのように創作生活を送っている結果のもの……。後者は夢がない答えだが、だからこそ、日常生活に振り回される人たちに分かってもらえるようなアルバムも作れるという解釈もできるんじゃないかな」
○コンサートでは女性は統一感のあるローブをまとい、視覚的に幻想的なものを提供しています。なんか、鮮やかな短編映画を見るような気持ちになったりもします。また、CDのジャケットも自然と構成員の姿を重ねたりとか、全体的な提示の仕方にも気を使っているように思えます。いい音楽を提供するだけでなく、イメージ作りも大切だと考えて、アヌーナをやっているように思えますが。
「クククク(笑い)。こんなの、日本でしか絶対にされない質問だよ。だから、日本でのインタヴューは好きなんだ。特にアメリカじゃこんな質問はされない、“リバーダンス”の話に終始されちゃうから。僕が表現を練る際、聞こえるというよりは、見えているという感覚でまとまっていくんだ。そういうものを人に伝えようとするときは、当然視覚的に伝えたくはなるよね。だから、僕が得たヴィジョンに従い、そこに中世的なフレイヴァーが付けられたり、太古の雰囲気が出るようにしたり。でも、それが妙に古いものであってはいけない。僕が提供しようとしているのは、今の表現。けっしてわざとらしくないもので、旧さも感じさせるような行き方を、僕は求めている」
カトリオーナ&クリスとアルタンは一週間前(2009年12月6日)に見たばかりだが、けっこう気分で進め方を変えていたりもするのだろうな。当然、根本は変わらぬが、受けた所感は過剰に既聴感なし。ま、それこそは当人たちもフレッシュにギグをこなせる所以ではあるのだろうけど。特に、アルタンは曲/構成もそれなりに変えていたような。アンコールでマレード・ニ・ウィニーがギター一本をバックに歌ったゆったり曲は胸にしみました。
そして、まん中に出た、アヌーナ(2007年12月15日)。アイルランドの大昔の宗教歌や伝承歌+αを今にワープさせようとするアカペラ集団(今回は女性7人、男性6人という編成)だが、やはり特殊で、視覚的にもとても綺麗で、ビミョーな力あふれていた。基本、みんなステージに立って歌うわけだが、ときに女性陣は1階/2階客席に出てきて、歌いながら移動したり……興味深すぎる3Dしなやか肉声表現だよなあ。もう浮世離れしていて、荘厳、静謐。一聴(一見)、クラシック流れとも言いたくなるお硬さや痒さを与えもするが、そのヴェールを1枚めくったところにある闊達さや自立感や創意の欠片の在処の興味深いこと。今回、リーダー/ディレクターのマイケル・マクグリンにいろいろ話を聞いたのだが、な〜るほど、そういう成り立ちであったのか(殆ど、語れてないよなー)。彼、一見とっつぁん坊やで、猫撫で声でしゃべる様(ダブリン生まれ/育ちながら、訛りのない綺麗な英語を話す)はオカマ風というか公家調(?)なのだが、次々ツっぱった発言が出てきてびっくり。で、結果的にすげえ変人だァと痛感させられるわけだが、とにかく、その発言を知ると、アイルランドの何かに根ざしつつ過去と現在を行き来しようとするそのコーラス表現にある本懐は明瞭に納得できるわけで……。そのインタヴューの抜粋を以下に載せておく。
○ 子供のころはどんな音楽が好きだったのでしょう?
「最初に熱くなった曲は、デイヴィッド・ボウイの“ライフ・オン・マーズ”だ。彼のことは今でも好き。そういえば、最初の子供が生まれて3日後に彼の公演がダブリンであって、見に行ったことがあった。妻(アヌーナの構成員の一人。子育のためだろう、来日には同行していない)も彼のファンだったので、携帯で中継してあげたんだ。そんなわけで、必ずしもクラシックに浸っていたわけではないし、間違ってもトラディッショナルを愛好してはいなかった」
○なら、子供のころはデイヴィッド・ボウイのようになりたかった?
「いや、彼のようになりたいとは思わなかったな。だって、彼はスターの資質を持つ人だけど、僕にはそれはなく、裏でものを作るタイプの人間だと知っていたから。デイヴィッド・ボウイはスターであることと実質を持つミュージシャンであることを両立させた初めての人なんじゃないかな」
○ クラシックの教育はちゃんと受けているんですよね?
「一応まなんでいることは学んでいるし学位も取っているけど、僕の教育的背景としては一部と言える。とくに、クラシックはクラシック、トラッドはトラッドといったように、それぞれの音楽がきっちりと括られているのが、僕は馴染めなかった。僕の興味はもっと広いし、実際クラシックの公演なんか滅多に行かないな。それだったら、ジャズのコンサートに行ったほうがいい。好きな作曲家はと問われれば、ドビュッシーと答えるけど、好きなシンガーはと問われれば、デイヴィッド・シルヴィアンと僕は答える」
○ そんなあなたは、どうしてアヌーナのような合唱団を主宰するようになったのでしょう。
「作曲家ではいられないという、焦燥感のようなものかな。世にパン屋や漁師や左官屋がいるように、芸術家はそれと同じく世の中の一部でしかない。そう思う僕は、アートの世界のスノッブな感じというのがとても許せなかった。なので、ただコンポーザーとして実態のないまま、そのスノッブな場所に存在するのがイヤだったんだ。そう思いつつ音楽理論やその歴史を学んでいくなかで、自分の進む道、自分が社会に問うべきこととして見えたのが、合唱だった」
○ 大学時代は音楽以外に、どんなことを学んでいました?
「専攻は音楽より英文学を熱心に取っていた。ダブリン大学とトリニティ・カレッジに学んだんだけど、トリニティでは中世の英語を勉強し、大学院にも進んだ。そっちのほうは、修士論文をバスの座席に置き忘れて紛失してしまい〜そのころは、パソコンなんて使っていなかったからね〜、ならもういいやという感じで、卒業はしなかったけど。僕の双子の弟のジョンはロックをやっていたけど、今は共同ディレクターのような形でアヌーナにも関わっているんだ。けど、そういう兄弟が関与しているからこそという部分が、アヌーナにはあると思う。僕はバンドは組まなかったけど、やはりあちこちで歌っていたんだよ。アイルランドには僕たちみたいな音楽家はいないし、いても知らない。何もない所から、僕はアヌーナを作り上げたんだ」
○ アヌーナを組んだのはいつ?
「23歳。合唱を最初にしたのが19歳のときで、それまでクワイアーで歌ったことはなかった。レパートリーはメシアンとかで、1時間半あまりの演目を終えたときに、僕は非常に怒りを覚えた。だって、こんなに美しい歌があるのに、それまで受けてきた音楽教育ではまったく教えてもらうことはなかった……そうした、システムの不備に対する怒りが沸々と湧いてきたんだ。でも、そうしたシステムを通ってこなかったからこそ、僕はもっと自由に合唱をやれると思ったときには、その怒りが少し薄れた。他に素晴らしい音楽があることを、僕は知っている。それをいろいろと持ってきて、新しい表現を作る事ができるんじゃないかと思ったんだ。合唱はとても素晴らしいもの、日本でもそうだろうと思うけど、だけど一方ではエリート主義が蔓延っていたりする。そういうものをとっぱらって、歌っている人もオーディエンスも同じなんだよというあり方を提示できるかなと思ったのは、その晩だった」
○ あなたが持つヴィジョンはすぐに、他の人にも分かってもらえた? それとも試行錯誤したのですか。
「全然、分かってもらえなかった。僕が言っていることが間違っているのかなとも思ってしまったよ(笑い)」
○ それで、もう20年もアヌーナをやっているけど、ターニング・ポイントと感じることは?
「いろいろあると思う。アヌーナは普通テンプレートがあるべきところ、なしでやってきているから、毎日がターニング・ポイントであり、試行錯誤の連続だね。大きい最たるものは96年で、“リバーダンス”のシンガー/ディレクターをやめたとき。ボスというのは一つのプロジェクトで一人しかありえないから、去ったんだ。それで、自腹を切ってファースト・アルバムを作った。貯金をはたいてね。あの頃、ああいいう事をしていた人はいないので、アルバムを買ってくれる人がいるかどうかも分からなかったけど、情熱の向くまま、最初のアルバムを作ったんだ。そのころ、アヌーナを始めて6年たっていたので、溜まっていたものはあったしね。ロバート・フロストの言葉ではないけど、駄目と言われる事、どうなるか分からない事を自分で責任を負ってやった、ということだ」
○ “リバーダンス”のプロジェクトは最初から関わっていたんですか。
「そう言っていいと思う。あれは、あちこちから派生したものを組み合わせたプロジェクトだった。ザ・チーフタンズがいて、ジーン・バトラーとマイケル・グラットレーのダンサーがいて、アンディ・アーヴァインらミュージシャンがいて、彼らが僕の歌に興味を持っていて、そういった人たちが“リバーダンス”の前身となったわけだ。で、“リバーダンス”として動き出した最初の6ヶ月は本当に刺激的だった。本当にダンサーもミュージシャンも素晴らしい人が揃っていたし、アヌーナもその中で特異な存在として注目を集めたし。トラッドなアイリッシュ音楽だけではなく、東欧からの影響とか、いろんなものものを示すことも出来たし、アイルランドの若い力みたいなものも出せたと思う。だけど、本当にそれが素晴らしかったのは95年の半ばぐらいまでだね。その後は、こんなコマーシャルな事は勘弁してくれと感じるようになってしまった。そもそもお金のためだったら、僕は音楽をやっていないからね。“リバーダンス”をやって良かったと思うのは、僕たちのような風変わりなコーラスを広く聞いてもらえる事ができたことに尽きる。ほんとに僕たちのコーラスはユニーク。唯一、やっていることは違うけど、先達としてクラナドがいるぐらいかな。“リバーダンス”で一番エキサイティングだったのは初めて聞くタイプのコーラスをやるアヌーナを聞けたことと、エルヴィス・コステロにほめられたのはうれしかった。僕たちは映画音楽にもとても影響を与えたみたいで、アヌーナぽいのが欲しいとか、ハリウッドでも言われているそうなんだ。僕はアイルランドやその音楽に対する誇りもあってアヌーナを始めたわけで、だからちゃんと評価を受けて軌道に乗ったのはうれしい。でないと、自尊心のあるアーティストでいれなくもなるしね」
○ レパートリーをいろんなところから取っていて、いろんな言語が用いられていますよね。その理由は?
「僕たちがやっていることのほとんどは、オーセンティックなものではない。正直言って〜実はぼくは正直ではなく、だから普通は昔の話はしないけど〜基本、僕は自分で聞きたい曲しか作らない。ケイト・ブッシュは自分のアルバムを聞かないと言ったけど、だったらなんで作るのと、僕は思う。話は脱線したけど、一般的な音楽の魅力のポイントはソウルフルさとか心に訴えるかとかなんだけど、僕の場合はそこに言葉が先に立つんだ。ラテン語、英語、アイルランド語とかいろいろだけど、歌われている言葉の響きに留意し、何語で歌うかを音楽のサウンドのスタイルを決めて行くわけさ」
○ これまで、アヌーナには沢山の人がメンバーとして出入りしているはずです。どんな基準でその構成員を選ぶんでしょうか?
「もう200人以上の人が出入りしたと思う。小さな国だし、その運営は楽ではない。寄ってくる人も多いけど、こちらから求めるものも多いからねえ。アヌーナに残る人は僕と同じぐらい情熱を持っている人。4、5年いては出て行くという人が多かったけど、ここ5年ぐらいの動きでは、2、3年いて出て、また戻ってくるという人が出てきている。それで、思い当たるのは、僕自身変わってきているからかなということ。感情でモノを判断していた所が大分自制するようになってきているから、それでアヌーナが居心地のいい場所になってきているのかもしれないな(笑い)。基本、オーディションはやっておらず、選ぶ基準は直感だね。それから、トレーニングをちゃんと受けたシンガーはあまり取っていないよ」
○ いろいろ種類が出ていますが、アルバムはコンセプトありきで作っている?
「いいや。コンセプチュアルな音楽材料を用意するといっても、曲を書く時間がない。だって、今、オフィイスで20人分ぐらいの仕事をしているから。そのため、二人の子供の相手をして、ふっとインスピレーションが湧くとピアノの前に走るというような生活をしているんだ。どうやって、アルバムの材料を用意しているかというのは二つの答えを用意するので、好きなほうを使ってもらえれば。その1、私はとてもアーティスティックな人間なので、何かにつけて古代の森に彷徨い、そこをふらふら歩き、そこからインスピレーションを受けて出てきたものが、アルバムに反映されます。その2、時間があるときだけ作曲活動にいそしみ、現実と音楽活動とのギャップを埋めるかのように創作生活を送っている結果のもの……。後者は夢がない答えだが、だからこそ、日常生活に振り回される人たちに分かってもらえるようなアルバムも作れるという解釈もできるんじゃないかな」
○コンサートでは女性は統一感のあるローブをまとい、視覚的に幻想的なものを提供しています。なんか、鮮やかな短編映画を見るような気持ちになったりもします。また、CDのジャケットも自然と構成員の姿を重ねたりとか、全体的な提示の仕方にも気を使っているように思えます。いい音楽を提供するだけでなく、イメージ作りも大切だと考えて、アヌーナをやっているように思えますが。
「クククク(笑い)。こんなの、日本でしか絶対にされない質問だよ。だから、日本でのインタヴューは好きなんだ。特にアメリカじゃこんな質問はされない、“リバーダンス”の話に終始されちゃうから。僕が表現を練る際、聞こえるというよりは、見えているという感覚でまとまっていくんだ。そういうものを人に伝えようとするときは、当然視覚的に伝えたくはなるよね。だから、僕が得たヴィジョンに従い、そこに中世的なフレイヴァーが付けられたり、太古の雰囲気が出るようにしたり。でも、それが妙に古いものであってはいけない。僕が提供しようとしているのは、今の表現。けっしてわざとらしくないもので、旧さも感じさせるような行き方を、僕は求めている」