R.I.P.デイヴィッド・ラズリー(1974年8月20日〜2021年12月9日)
2021年12月10日 音楽 ソウル流れのファルセット歌唱のもと、米国ポップ音楽界のあまたのバックグランド・ヴォーカルを引き受けていたデイヴィッド・ラズリーが亡くなった。癌で闘病していたという。写真だと金髪(染めていたという話もある)が印象的な人でした。
ミシガン州の、デトロイト圏の生まれ。1970年にミュージカル「ヘアー」のツアーに入り、ブロードウェイにも出演。そして、そのころから裏方歌手として活動しだし、ルーサー・ヴァンドロス、トッド・ラングレンズ・ユートピア、ジェイムズ・テイラー、ボズ・スキャッグス、アリーサ・フランクリン、シック、ザ・ポインター・シスタース、デイヴィッド・サンボーンら本当にいろいろな人たちのアルバムに彼は参加してきている。また、ソングライターとしても、アニター・ベイカー、ボニー・レイット、パティ・ラベル、ジュディ・コリンズ他に曲が取り上げられた。
2枚組『Demos』(Almo Irving Music、1981年)以降はリーダー・アルバムをリリース。同作のことは後から知ったが、スモーキー・ロビンソン耽溺が出たしっとり好盤だと思う。シック調曲なども入ってはいるものの。EMIアメリカ他、5作以上10作未満のリーダー作を持つ。P.C.H./ポニーキャニオン、中田利樹主宰のクール・サウンドなど、日本のレーベルからアルバムを出したこともあった。
<今日の、記憶>
1990年前後に、P.C.H.の業界コンヴェンションが確か赤坂のANAホテルで開かれた。そして、その際ラズリーは来日していたかもしれない。P.C.H.はLAの海岸沿いの道〜パシフィック・コースト・ハイウェイの名で、西海岸のAORを出すレーベルとして発足し、20作弱のアルバムをリリースしたか。当時、A&Mやグマヴィジョンなども持っていたポニーキャニオンの洋楽攻勢はなかなかにすごいものがあった。そのころ、一番給料がいいレコード会社はポニーキャニオンという話もあったっけ? 本当かどうかは知らないが。いつからか、同社から洋楽の部署が消えた。現在、同社にぼくが知っている人はいない。
ミシガン州の、デトロイト圏の生まれ。1970年にミュージカル「ヘアー」のツアーに入り、ブロードウェイにも出演。そして、そのころから裏方歌手として活動しだし、ルーサー・ヴァンドロス、トッド・ラングレンズ・ユートピア、ジェイムズ・テイラー、ボズ・スキャッグス、アリーサ・フランクリン、シック、ザ・ポインター・シスタース、デイヴィッド・サンボーンら本当にいろいろな人たちのアルバムに彼は参加してきている。また、ソングライターとしても、アニター・ベイカー、ボニー・レイット、パティ・ラベル、ジュディ・コリンズ他に曲が取り上げられた。
2枚組『Demos』(Almo Irving Music、1981年)以降はリーダー・アルバムをリリース。同作のことは後から知ったが、スモーキー・ロビンソン耽溺が出たしっとり好盤だと思う。シック調曲なども入ってはいるものの。EMIアメリカ他、5作以上10作未満のリーダー作を持つ。P.C.H./ポニーキャニオン、中田利樹主宰のクール・サウンドなど、日本のレーベルからアルバムを出したこともあった。
<今日の、記憶>
1990年前後に、P.C.H.の業界コンヴェンションが確か赤坂のANAホテルで開かれた。そして、その際ラズリーは来日していたかもしれない。P.C.H.はLAの海岸沿いの道〜パシフィック・コースト・ハイウェイの名で、西海岸のAORを出すレーベルとして発足し、20作弱のアルバムをリリースしたか。当時、A&Mやグマヴィジョンなども持っていたポニーキャニオンの洋楽攻勢はなかなかにすごいものがあった。そのころ、一番給料がいいレコード会社はポニーキャニオンという話もあったっけ? 本当かどうかは知らないが。いつからか、同社から洋楽の部署が消えた。現在、同社にぼくが知っている人はいない。
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