渋谷・ル・シネマで、2020年ボスニア・ヘルツェゴビナ/オーストリア/ドイツ/フランス/オランダ/ノルウェー/ポーランド/ルーマニア/トルコ映画「アイダよ、何処へ?」(原題:QUO VADIS, AIDA?)を見る。悲惨な事実を題材にすることもあるだろうが、とっても緊張感がありまくり、もう飽きやすいぼくも引き込まれ続け、見切った。この映画、ユーゴ解体を発端とするボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の末期に起こったスレブレニツァの虐殺を題材とする。

 監督と脚本は、1974年サラエヴォ生まれのヤスミラ・ジュバニッチ。多感な時期にボスニア紛争に触れている彼女はサラエヴォの美術大学を出たあと、一時は米国に住んでいたこともあるようだ。そして、属性とつながる4作品を撮り映画監督としての国際的な評価が定まるなか、スレブレニツァの虐殺を鋭意テーマとして取り上げたようだ。

 1995年7月、セルビア人勢力のスルプスカ共和国軍が、国連が管理する(オランダ軍がそれにあたったよう)安全地帯であるスレブレニツァに侵攻し、避難民を連れ去り、うち男性8000人を大虐殺するという事実に基づく。役者は旧ユーゴスラビアのセルヴィア人やモンテグロ人、国連兵士役のオランダ人やベルギー人など。言葉は、ボスニア語、英語、セルビア語、オランダ語が使われている。

 表題にあるアイダとは教師をしていた主人公の名前で、国連軍の通訳を勤めていた彼女の目線で、またその夫や息子たちとのやりとりなども絡め、とんでもない暴挙を丁寧に淡々と、ながらエモーショナルに描いていく。いやあ、よくできている。国連管理の施設に殺到する避難民の数の多さたるや。そのシーンはことの大きさを伝えるために必要な光景であるのだが、よくぞあれだけ膨大な数の人たちを動員しているな。そんな短い場面からも、本作に対する力の注ぎ方、真摯さなどはひしひしと感じてしまうのではないか。

 劇中、ほぼ音楽は使われない。でも、確かな映像と演技と筋があれば、音楽は必要なものではないとということも、この映画は指し示すか。

<今日の、偶然>
 生理的に明るくなく、ひりひりする質感を持つ佳作だった。ではあったののの、終演後に飲食に流れようとしたら知人チームとばったり会い、たのしく宴。幸せを感じる。自分の”引き”の良さも。ところで、エンヤ他多数のリーダー作を持つトランペットの奏者のダスコ・ゴイコヴィッチはボスニア生まれ、サッカーのイビチャ・オシムはサラエヴォ生まれでドラガン・ストイコビッチはセルビアの生まれ。ぼくはそちらの鍵からこの辺りの不幸な歴史に興味を持った。のかな?

コメント