ロックを聞き出したころは、ブリティッシュ・ロック主体だった。それが、高校に入った頃からサザッン・ロックの隆盛もあり、アーシー&ルーツィな米国のロック・バンドを好んで聞くようになった。コード進行がブルース・ビヨンドであったので、レコード音に合わせて一緒に楽器を弾きやすいのは魅力ではあったか。そして、その流れでわざとらしい仕掛けを施すプログ・ロックは逆に音楽的偏差値が低いとも感じるようになり、聞かなくなってしまった。なぜ、AからBに行くのに、余計にCDEとまだらっこしいパートを通らにゃならのか、と。その頃は少しグルーヴにも留意するようにもなり、それに欠けると感じたことも反プログ・ロックの態度を後押ししたかもしれない。
まあ、キャプリコーン勢は別格として(同社の場合、安価なカット盤がいろいろと流通していることは大きかったか。あらら、家にあるキャプリコーンのアナログの大半がカット盤ではないだろうか)、ブラック・オーク・アーカンソーはレナード・スキナードやZ.Z.トップやブラウンズヴィル・ステイションなんかと並んで愛好したサザン・ロック・バンドだった。前置きが長くなったが、そのブラック・ロック・アーカンソーのギタリスト/シンガーがリッキー・リー・レイノルズだ。“リスキー”、または“リコシェ”という愛称もかつてはあり。ユース・カルチャーの最たる存在だったロックは当時10代でデビューする人が少なくなく、彼もそうであり享年72だ。
死因は、新型コロナ・ウイルス。居住していたメンフィスの病院に入院中で、腎不全と心停止を起こしたと伝えられる。レイノルズはその前身バンドであるザ・ノウバディ・エルス(The Knowbody Else)から関与し、ザ・バーズとザ・ヤードバーズのコピーを当初していたというそのザ・ノウバディ・エルスはスタックス・レコード傘下のヒップから1969年にアルバムを出した。その後、彼らはブラック・オーク・アーカンソーと名前を変えてアトランティック/アトコと契約し、1971年にデビュー・アルバムをリリースした。
当初はカントリー色も出していたが、それもつかの間。すぐにストレートなロックンロール(別の書き方をするなら、ストーンズ調)曲も披露し〜それについては、ローリング・ストーン誌の「彼らは新しいザ・ローリング・ストーンズになりえる」という記事に引っ張られたという話もある〜、シンガーのジム“ダンディ”マングラムが少しわざとらしいダミ声 (耳障りな歌声。なんても、言われた)のためか、少しグリッター色を感じさせる部分もあった。1980年代に入るとぼくは彼らをまったく追わなくなってしまったが、1970年代後期にはポップ色を強めたり、ほんのりピコピコ音を入れたこともあった。なんにせよ、1970年代中期まではかなりの動員を持つバンドであり、レイノルズの死去の記事はいろいろと出ている。それらをちゃんと吟味したわけではないが、さすがアーカンソー州の輝けるバンド、アーカンソー・タイムズのネット記事が詳しい。レイノルズはよりよい結婚生活を送るために1976年に脱退、1984年に再びバンドに復帰した。
もし、ぼくが1枚彼らのアルバムをあげるなら、1975年作『Ain’t Life Grand』(Atco)かな。“耳障りな歌声”もあまり気にならないし(笑い)。ザ・ビートルズの「タックスマン」のカヴァーで始まり、当時のしていたリトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)調の曲もある。その事実に現れているように、彼らはスライド・バーを用いるギター奏者を抱えるバンドだった。実際のところはよく知らないが、レイノルズはボトル・ネック奏法はしなかったと思う。
なお、レイノルズは2016年にジョースファス・アンド・ザ・ジョージ・ジョーンズタウン・マサカーというという名義の、『Mutants Of The Monster (A Tribute To Black Oak Arkansas)』(Saustex)というアルバムに関与。また、ブラック・オーク・アーカンソーは2019年に『Underdog Heroes』(Purple Pyramid。うち「Channeling Spirits」はジム・モリソン、オーティス・レディングやリヴォン・ヘルムら故人の名前がいろいろ語られる哀愁渋味曲だ)という新作を出している。レイノルズは1963年に街で唯一の長髪野郎だったというが、ブラック・オーク・アーカンソーはヒッピー/コミューン的姿勢のもとバンド活動がされるバンドであるとも紹介されていた。
▶︎過去の、リトル・フィート/ポール・バレル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
https://43142.diarynote.jp/201911011701216748/ バレルの訃報
▶︎過去の、ザ・バンド/リヴォン・ヘルム関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ 映画
<今日の、錯覚>
本文で、カット盤のことに触れたが、今それを書いてどのぐらいの人が分かるのだろうか。アナログ時代にアメリカのレコード会社は過剰在庫を抱えると(もしくは廃盤が決定すると?)、すぐにレコード・ジャケットの角をカットしたり穴を開けたりして、安価な価格で市場に出していた。定価の6割ぐらいで買えたのではなかったか。浪人生になると毎日のように輸入盤屋に行っていたが、興味ひかれるブツがカット盤で出ていると超うれしかったなあ。
7月にやろうと思っていた、髪のカット/カラーにやっと行った。お土産のアナログ盤を手にして……。3時間ちょい、途中から毎度のごとく飽き始めるが、話が合うのでなんとかこなせる。案内ハガキが来ていた歯科医院の定期検診にも、そろそろ行きたいところだが。今定期的に使っている歯医者は昨年3月にマスク購買不可能なおりまとめてもらったりしてお世話になっているのだが、そのセンセは当初、そんなに心配するものじゃないから安心してよと言っていた。というのはともかく、このコロナ禍にあってまずは身の安全のためと危うきに近寄らずの姿勢を取って先送りにしていることがいくつかある。だが、先ほど上のどこかから、ならもう少し節制しなさいという声が聞こえていた。それはボカロ声、真に受けないでネと暗に言われているような気にもなった。はは。
まあ、キャプリコーン勢は別格として(同社の場合、安価なカット盤がいろいろと流通していることは大きかったか。あらら、家にあるキャプリコーンのアナログの大半がカット盤ではないだろうか)、ブラック・オーク・アーカンソーはレナード・スキナードやZ.Z.トップやブラウンズヴィル・ステイションなんかと並んで愛好したサザン・ロック・バンドだった。前置きが長くなったが、そのブラック・ロック・アーカンソーのギタリスト/シンガーがリッキー・リー・レイノルズだ。“リスキー”、または“リコシェ”という愛称もかつてはあり。ユース・カルチャーの最たる存在だったロックは当時10代でデビューする人が少なくなく、彼もそうであり享年72だ。
死因は、新型コロナ・ウイルス。居住していたメンフィスの病院に入院中で、腎不全と心停止を起こしたと伝えられる。レイノルズはその前身バンドであるザ・ノウバディ・エルス(The Knowbody Else)から関与し、ザ・バーズとザ・ヤードバーズのコピーを当初していたというそのザ・ノウバディ・エルスはスタックス・レコード傘下のヒップから1969年にアルバムを出した。その後、彼らはブラック・オーク・アーカンソーと名前を変えてアトランティック/アトコと契約し、1971年にデビュー・アルバムをリリースした。
当初はカントリー色も出していたが、それもつかの間。すぐにストレートなロックンロール(別の書き方をするなら、ストーンズ調)曲も披露し〜それについては、ローリング・ストーン誌の「彼らは新しいザ・ローリング・ストーンズになりえる」という記事に引っ張られたという話もある〜、シンガーのジム“ダンディ”マングラムが少しわざとらしいダミ声 (耳障りな歌声。なんても、言われた)のためか、少しグリッター色を感じさせる部分もあった。1980年代に入るとぼくは彼らをまったく追わなくなってしまったが、1970年代後期にはポップ色を強めたり、ほんのりピコピコ音を入れたこともあった。なんにせよ、1970年代中期まではかなりの動員を持つバンドであり、レイノルズの死去の記事はいろいろと出ている。それらをちゃんと吟味したわけではないが、さすがアーカンソー州の輝けるバンド、アーカンソー・タイムズのネット記事が詳しい。レイノルズはよりよい結婚生活を送るために1976年に脱退、1984年に再びバンドに復帰した。
もし、ぼくが1枚彼らのアルバムをあげるなら、1975年作『Ain’t Life Grand』(Atco)かな。“耳障りな歌声”もあまり気にならないし(笑い)。ザ・ビートルズの「タックスマン」のカヴァーで始まり、当時のしていたリトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)調の曲もある。その事実に現れているように、彼らはスライド・バーを用いるギター奏者を抱えるバンドだった。実際のところはよく知らないが、レイノルズはボトル・ネック奏法はしなかったと思う。
なお、レイノルズは2016年にジョースファス・アンド・ザ・ジョージ・ジョーンズタウン・マサカーというという名義の、『Mutants Of The Monster (A Tribute To Black Oak Arkansas)』(Saustex)というアルバムに関与。また、ブラック・オーク・アーカンソーは2019年に『Underdog Heroes』(Purple Pyramid。うち「Channeling Spirits」はジム・モリソン、オーティス・レディングやリヴォン・ヘルムら故人の名前がいろいろ語られる哀愁渋味曲だ)という新作を出している。レイノルズは1963年に街で唯一の長髪野郎だったというが、ブラック・オーク・アーカンソーはヒッピー/コミューン的姿勢のもとバンド活動がされるバンドであるとも紹介されていた。
▶︎過去の、リトル・フィート/ポール・バレル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
https://43142.diarynote.jp/201911011701216748/ バレルの訃報
▶︎過去の、ザ・バンド/リヴォン・ヘルム関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ 映画
<今日の、錯覚>
本文で、カット盤のことに触れたが、今それを書いてどのぐらいの人が分かるのだろうか。アナログ時代にアメリカのレコード会社は過剰在庫を抱えると(もしくは廃盤が決定すると?)、すぐにレコード・ジャケットの角をカットしたり穴を開けたりして、安価な価格で市場に出していた。定価の6割ぐらいで買えたのではなかったか。浪人生になると毎日のように輸入盤屋に行っていたが、興味ひかれるブツがカット盤で出ていると超うれしかったなあ。
7月にやろうと思っていた、髪のカット/カラーにやっと行った。お土産のアナログ盤を手にして……。3時間ちょい、途中から毎度のごとく飽き始めるが、話が合うのでなんとかこなせる。案内ハガキが来ていた歯科医院の定期検診にも、そろそろ行きたいところだが。今定期的に使っている歯医者は昨年3月にマスク購買不可能なおりまとめてもらったりしてお世話になっているのだが、そのセンセは当初、そんなに心配するものじゃないから安心してよと言っていた。というのはともかく、このコロナ禍にあってまずは身の安全のためと危うきに近寄らずの姿勢を取って先送りにしていることがいくつかある。だが、先ほど上のどこかから、ならもう少し節制しなさいという声が聞こえていた。それはボカロ声、真に受けないでネと暗に言われているような気にもなった。はは。
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